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最近、将来の事を考えている。将来とは自分の店の事だ。その事を考えていると、あまりに知らない事が多過ぎて一日が24時間では足りない。仕事とは別に自分に課した課題がなかなかクリア出来ないでいる。20歳からの10年をもっと有効に過ごせたらと振り返るが所詮過去のこと、どうする事も出来ない。大して後悔もしていないが…人間一人で出来る事には限界がある。それは想いとは別のことだ。やれば何でも出来る。然り、本気でやって出来ない事はない。しかしそれには「一人で」と言う冠定詞が付く。「一人で出来る事で、やって出来ない事はない。」しかし名だたる大企業はそれを一丸となって、チームで行う。企業理念や意識が、現場サイドまで通貫しているのだ。人に教え、それをやってもらう。言葉の指導、教育は誰にでも出来ることだろう。言うは易し。その人の身代わりになって代行することも出来るだろう。しかし一番大事なのは、その人の仕事にする事。そしてそれを愉しんでもらう事。我が社でも良くある。一つの物事に対して、やったやらないとか、言った言わないの話。上司と部下の意思が一つではないから、理念や指導がテレコになっている。それではどうすれば、一貫した理念が貫かれるか。それは大義であり、その意味を従業員に構築させる事だと考える。富める時も病める時も、一同が貢献出来る社会的な企業方針とそれに携わることの意味がなければ、人は動いてくれないのではないか。私は将来の従業員達に、何を与えてあげられるだろう。開業するまでにそれが見えなければ、何事かやる意味がない。
Jan 31, 2004
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私は「食で癒す」をテーマに、料理人で在り続けることにした。今はレストランで実践勉強によって経験を積んでいる。正直どうやって食で人を癒すかと言うのは分からない。この飽食の時代にあり、何不自由なく暮らせる現代において気の病める人の多さよ。私は裏付けのない由、まったく直感でこのテーマを選択した。妙な宿命とすら感じている。波動や陰陽の観点からの料理を、以前から調べているが、昨日新しい本に出遭った。それがタイトルの「陰陽調和料理」と言う本である。島根出身のりょ料理研究家、梅崎和子さんが書かれたものだ。本の内容は、陰と陽の視点、東洋医学から観た食の選び方料理法を紹介している。もう10年も前から陰陽料理を実践され、成果を挙げられている。この本を読むと、私がいかに自分の食事をおろそかにしていたかが分かった。まずは自分を食で癒さないと。
Jan 30, 2004
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小学校の時、日記を書く事が出来なかった。書く事がなかったわけではないが、何を書いていいのか分からなかった。そんな時、両親に言われた。「書く事がないって事を書けば良い。」と。そこで今日は書く事がないことを書いてみる。私は毎日この日記を書く事を心掛けている。義務感があるわけではないが、物書きになりたかったものだから努めて書くクセを付けたいのと、心に溜まる言葉を外に出したいためである。毎日書くために、毎日起こることを一つのフレーズにして心に留めておく。書く時はその一つのフレーズを題名にして、事実や思いを紐解いて書いているのだ。今日は書く事がない。書ける事はいろいろあるのだが、いろいろあり過ぎてフレーズとして留まらなかったのだ。心が新鮮さを失う時、印象も新鮮さを失う。毎日が新しい日々の連続でありながら、心の鮮度を失うとマンネリズムを感じ始める。繰り返されると感じ始めると、心のキャパシティーは狭まりフレーズを埋め込む隙がなくなってしまう。紐解くフレーズが入る隙がなくなって、何が起きたのか思い出せないのだ。何かがあった。確実に。でも、伝えたい何かではなかったかも知れない。今日は書く事がない。
Jan 29, 2004
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「あわてんなよ 雨が上がったからって いきなり晴れるわけもないさ 俺はまだ やっと今 始まったばかりだろ 早くはない 遅くはない 始めたら始まりさ 何度でも 何度目でも 始めたら始まりさ」 by SION98年リリースのSIONの12枚目のアルバム「SION comes」の1曲目である。止む無き事情でこの街を離れた兄弟とも呼べる連れに、アルバムをあげてしまったため、久しく聴いていなかった。今日それを買い直して改めて聴いてみた。この曲は「名探偵濱マイク」の最終回の最後にかかっていた曲で、SION自身も最終回にマイクの親友として出演していた。やる気を出す時には、繰り返し聴いたものである。今日改めて聴いてみて、また勇気が湧いてきた。何かを成し遂げようとしている方には、是非聴いて頂きたい。腹の底から燃え立つようなやる気が出てくる。 「さあ ほら 通報されるくらい ぶっとばすぜ 時間はまだあるからって そうゆっくりしてられないんだ 時間はまだあるからって そうゆっくりしてられないんだ」最後まで抱きしめてやる。
Jan 28, 2004
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最近、大人になったと言われる。昔の私を知る人は、大人になったと思ってくれているそうだ。もう30。自分でも大人になると言う自覚を持ってそうでなきゃ困ると考える。10代の後半から20代の半ばまでは、暗い青春だった。生活に不自由を覚えたこともなく、がむしゃらにチャレンジしたと言う誇らしい記憶もない。青春に暗い影を落としていたのは、私の心だった。負けず嫌いで自尊心ばかりが強く、根っからの小心者の私は、どこかで現実を見ずによじれていたと思う。今の私が当時の自分に出会ったら、きっと説教を食らわすと思う。そのくらい退屈で失礼な奴だった。そんな私に我慢強く説いてくれる師匠と、暖かく見守ってくれる老紳士の存在がなければ、私はあのまま退屈な小僧のまま、歪んだ大人になっていたかも知れない。そして当時思い描いたイメージが、今日の私を導き出してくれた。世の中の全ての人が敵で、皆が私を馬鹿にする。そう信じて止まなかった20歳くらいの頃。仕事にも生活にも責任感がなく、いじけてよくメソメソしていたものだ。時間給のバイトでは時が過ぎるのを待つだけで、おおよそ仕事らしい仕事をした覚えはない。心の奥底では毎日、もしも自分が死んだらと下らぬ妄想を掻き立てていた。実際に人にそんな軽口を叩かれたこともあった。戯れだったのだろう。「死んだ方がいいんじゃないか。」と。当時の私は腹も立たなかった。今思う、なめられ過ぎていたなと。現在、若い友人が自らの死を口にすると、自分にもそんな事があったと思い返し、甘やかしてはいけないと思いながら愛惜しく感じる。苦悶の時期をやり過ごし、20代も半ばになった頃、こんなことをイメージした。 24歳の私は道程で立ち止まった。 辺りは何もない真っ白な世界。 光りも影も音もない、ただ真っ白な世界。 どうやらこれが人生の景色で、私は真っ直ぐ歩いて来たらしい。 足跡はないが歩いて来たようだ。 結構歩いて来たのだが、景色も変わらないからどれだけ歩いたのか分からない。 なぜだか分からないけど疲れている。 疲れたのに気付いた時に、もう一つの事にも気が付いた。 それは前を向いて歩いていなかったと言う事。 ずっと下を向いて歩いていたらしい。 とにかく歩いたのに、景色が変わった気がしないのはその為か。 座り込みたかったが、とりあえず前を見ることにした。 うなだれた重い首を上げると、少し向こうで誰かが手を振っている。 二人見えた。 こっちへ来いと言っている。 良く見ると、一つは見慣れた顔だった。懐かしい想いがする。 もう一つの顔はあまり知らないが、私を必要としている風だった。 向かって左で頼りなく手を振っているのは、20歳の私だ。 泣きながら応援してくれている。 「早くおいで。」 右側で手招きしているのは、完成されたであろう自分。誇らしい顔つきで 「こっちへ来い。」と言っている。 辿りつくまではしばらくあるが、二人の自分が私を呼んでいた。 二人は続けてこう言った。 「お前はそれでいい。」と。歳と共に説教がましくなっていく自分が嫌だが、若さ故の迷いを抱いている友人を見ると、当時の自分を投影してしまう。おいそれとは言えないが、自分もそうだった。
Jan 27, 2004
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年末の大掃除の時から書こうと思っていたことがあった。大掃除の時、我々料理人が欠く事の出来ない仕事がある。それは鍋を磨く事。包丁砥ぎも然る事ながら、鍋磨きも欠かせない。何しろ火あぶりにあったり水浸しにされてるものだから、気持ちも入れてやりたくなる。当店のガス台はあまり芳しくない。火加減は誠に逞しく、駆け出しの私には手に余るのだが、吸気が振るわず、少しくススを吐く。おかげで鍋は少しずつ黒ずんで行く。毎日手入れはしているのだが、勇んで磨きにかからないと本格的にきれいにならないのだ。年末は一つ気合いを入れて磨こうと、気合いと共に挑んだ。大量に鍋を所有するような大店舗ではないから、2時間で事足りたが、なかなかの粒ぞろいで磨き終わる頃には息切れしていた。鍋を金タワシで磨く。表面についたススの黒ずみや水垢を丁寧に落としてやる。一見研磨によって表が傷つくように無数の跡が残った。マダラに繰り返されるギザギザが、痛々しくも感じてくる。何かを克明に容赦なく、刻み付けてる気分になる。更に磨く。少ししか見えていなかった本来の地の光沢が、波紋のようにみるみる広がって行く。残された墨色は追いやるように、鍋を回しながらことごとく磨いて行った。ようやく周回を迎える頃、鍋は本来の輝きを取り戻していた。傷つけ合うような人間関係も、実は磨き合っているのではないか。そう思った。元の姿に戻すのは叶わずとも、見掛けの痛みに耐えれば、元よりも良くなり輝き合えるのではないか。そう思った。
Jan 26, 2004
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昨晩は悪寒の強襲に逢い、瀕死の様で日記を公開した。少し誇張し過ぎかも知れない。とにかく、うなされる思いでふとんに入った。めまいとも似つかわしい朦朧とした意識で、仕事の拘束時間を無理やりやり過ごした。家に帰り呆然自失、30分いや1時間近く空を眺め酩酊していた。とにも角にも食事を施し、1年振りに開封する常備薬を飲み下した。朝。事もなく起きる。爽しいとは言わないが、さりげなく目が覚めた。鈍るような痛みもない。味も匂いもする。身体には、まだだるさは残っているが風邪と思しき症状は感じられなくなった。治ったのか?階段を一段上り過ぎた時みたいに、拍子抜けした。あっさり気が戻ったのを感じた。元気だ。ご心配頂いた方には大変申し訳ないが、私自身が気に病むまでもなく、身体は正直に元の気に戻ったのだ。普段から薬の用に預かることのない私は、こう言った類の薬事は覿面のようである。ある意味すれていない。私の身体は純朴に出来ているらしいのだ。馬鹿に正直、言われるがまま、為されるがままなのだ。打てば響くような身体をしている。この素直さが嫌で堪らなくなる時がある。私の界隈で風邪や病気が蔓延しているのに、私だけからっきしな時とか、力仕事をしていた時の時分に、従業員一同不調を訴えているのに、私だけ平気な時とか。自らの丈夫さが阿呆みたい嫌だった。その丈夫さが繊細さを欠いて、愚鈍に感じられて嫌だった。しかしながら、私自身欲深い人間である。こうして風邪をひいてみると分かるものだ。30を迎え独り身の病症に伏し、「大丈夫?」と声も掛けてくれる人間がいないと、元気が良い。私を待つ明るい未来を思えばこそ、元気でなくてはダメだ。出来る事なら、薬の用を預かる時にその効き目を得られるような身体であり続けたい。今更ながら身体は大事にしないと、とつくづく思った。
Jan 25, 2004
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私は今、風邪をひいているらしい。つい3時間ほど前(20:00くらい)から三半規管が麻痺してふらりふらりとする。重ねて絶え間ない悪寒、震えが止まらない。後頭部が鈍く痛む。どうやら感冒症だ。体温計など何もないから断定できないがこじらしている。私は年に1度風邪をひく。大概の人より遥かに丈夫に出来ていて、めったに病にはかからないが、それでも年に1度大きい風邪をやらかすのだ。原因は良く分かっている。昨晩のあまりある冷え込みと、夕方に浴びたシャワーだ。昨日は水道管の凍結により、水が出ず、両親に水を分けてもらった。分けてくれたポリタンク一杯の水では風呂にも入れない。仕方なく銭湯にでも出掛けようかと思って夕方帰宅したところ、水が出るではないか。至極当然と考えている日常生活に、こう言ったハプニングは面白い。嬉しくて勇んでシャワーを浴びた。この時すでに風邪にかかっていたのだろう。昼の職場では私一人が異様に寒がっていた。髪を切ったばかりで首元が寒いのだろうとたかをくくった上、喜び勇んでシャワーを浴びる。待ってましたと風邪菌がお祭りを始めたらしい。腹痛と絶え間ない悪寒に晒され、夜の仕事がままならなくなって来た。時間は21時。22時を回る頃、ぱったりと客足が途絶え、俄かに暇になった。「明日もあるから帰ってもいい。」と店長が言ってくれた。いつ申し出そうか迷っていたが、運良く帰宅命令が下りた。私は最後まで不調を黙っていた。今、夜の店にとって大事な時期。人手は足りているが、慢性の経営不振およびシステムの不在が財政を圧迫していた。今なんとかしなければと店長と内々にシステム設計を構築しているところ。体調の不良を申し出れば、店長が気を使い私を呼ばなくなる。お店にとっては暇な時期の人件費は抑えたいものだから、私は本来、元より存在理由がなかった。そこで体調の不良を申し出れば、格好の餌食。「無理して働くな。」とオーナーに三下り半を突き付けられる。倒れる訳でもあるまいと、私は押し黙ってこらえていた。幸いにして店長が暇を理由に早上がりを提案してくれた。私の申し出ではなかったので、得たりと思い帰路に着き、現在に至る。食事をして薬を飲んだら幾分か落ち着いた。しかしながら、存在の不安定さは抗えない。思考が2歩3歩と遅れて聞える。言葉が頭の中でこだましているようだ。五感が鈍っていて心地悪い浮遊感がする。味がしない。匂いもしない。視野が狭い。こう言う病状の時は、幽界に少し近づけるのかも知れない。見えない物を見そうだ。聞えない音を聞きそうだ。ふとんを被って、うなされる事だけは分かっている。
Jan 24, 2004
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今夜はこの冬一番の寒さであるらしい。そうでなければ困る。私の勤務するレストランは郊外のへき地にあるため、客足が一掃されてしまった。駐車場から建物まで、お客様に3分ほど歩いてもらわなければならない。誰がこんな風雪の激しい日に歩くものか。天候に左右されない料理を作ることが私どもの役目、残念ながら今日はひどく掃除がはかどったものだ。この冬一番の寒さは今夜だけで充分満喫した。仕事だけでなく、我が家では急死に一生を得るような一大事が巻き起こっている。水が出ない。私はライフラインを絶たれた。それだけなら対処のしようもある、甚だ不便ではあるが。水が出ないだけでなく、夕方帰ってみて驚いた。水場に置いたグラスの中の水滴が凍りついている。はて、ここは室内だ。「如何なる用件かね、冬将軍。お戯れも大概にしたまえ。」答える由もない。うなだれる間もなく、私は両親の元へ水汲みに出掛けた。こうしてITで日記を書けるような時代になりながら、蛇口から水が出ないのは、なんとも情けないことこの上ない。元より自然に勝とうとは思わないが、全く侘しいものだ。かような仕打ちを受けながら、私は冬が好きだ。夏の馬鹿馬鹿しい能天気に比べて、冬は真実がある。リアルだ。外套を羽織ってマフラーを巻き、不自然なほどシンと静まり返った街を歩くのが好きだ。何より余計なものがない。行き交う車も人も、夏にはない明確な理由を持って行き来している。誰よりも早く家路に着きたいものだから、無駄な事をしない。こう言う時に本当の生産性が問われるのではないかと、私は考えている。こう言う時に人とは違う事が出来るかどうかが、真価に通じるのではないだろうか。ライフラインを絶たれた私を、励ましてくれるものがある。それは以前にも紹介した高村光太郎の詩だ。その名も「冬の詩」。「冬だ冬だ、何処もかも冬だ。」で始まるこの詩。歳を経るごとに私は解釈を増し、30にしてようやくその全文の意味がわかった。本当は全文を載せたい所だが、そうは行かないので抜粋して紹介しよう。 「気まぐれな生育を抑えて痛苦と豊饒とを与える冬 冬は見上げた僕の友だ」死を促すと言う意味ではない。豊かな時代にすら生きている事の意味を示唆し、油断を戒めて暮らしに警鐘を鳴らしてくれる冬。厳しい愛情を表現する光太郎の深い視点が伺える。 「女よ、カフェの女よ 強かれ、冬のように強かれ もろい汝の体を狡猾な遊野郎の手に投ずるな 汝の本能を尊び 女々しさと、屈従を意味する愛嬌と、わけもない笑いと 無駄なサンチマンタリズムとを根こそぎにしろ そして、まめに動け、本気でかせげ、愛を知れ すますな、かがやけ 冬のように無惨であれ、本当であれ」これだけ聞くと差別的かも知れないが、光太郎の女性に対する思慕の念が見うけられる。私も女性には同様な思いを寄せている。男には出来ない輝き方を、全ての女性は事もなくやってのける。それを本気でやられた日には、全く魅せられてしまう。すまさずに輝いて欲しい。男のそれよりは遥かに本当だ。 「インキ壷をぶらさげ小倉の袴をはいた若者よ めそめそした青年の憂鬱病にとりつかれるな マニュアリストとなるな 胸を張らし、大地をふみつけて歩け 大地の力を体感しろ 汝の全身を波だたせろ つきぬけ、やり通せ 何を措いてもイノチを得よ、たった一つのイノチを得よ 他人よりも自分だ、社会よりも自己だ、外よりも内だ それを攻めろ、そして信じ切れ 孤独に深入りせよ 自然を忘れるな、自然をたのめ 自然に根ざした孤独はとりもなおさず万人に通じる道だ 孤独を恐れるな、万人に、わからせようとするな、第二義に生きるな 根のない感慨に耽る事を止めよ 素より衆人の口を無視しろ 比較を好む批評記をわらへ ああ、そして人間を感じろ 愛に生きよ、愛に育て 冬の峻烈の愛を思へ、裸の愛を見よ 平和のみが愛の相ではない 平和と慰安とは卑屈者の糧だ ほろりとするのを人間味と考えるな それは循俗味だ 氷のように意力のはちきれる自然さを味へ」もう何も言う事がない。自らに言い聞かせ、冬に耽ろう。 「冬だ、冬だ、何処もかも冬だ 見渡すかぎり冬だ その中を僕はゆく たった一人で…」
Jan 23, 2004
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その年の冬のこと、私は師匠に出会った。師匠は料理人で東京青山で仕事をしていた。こちらに来た時にはフリーで、縁故の深い言わば兄貴分の呼び出しでこの片田舎にやって来た。フリーと言っても約束のあるフリーではない。束縛を嫌う師匠は、気ままに暮らして居たかっただけだ。だから根城となる店を持たなかった。師匠と出会ったのは恐らく4年前、親しくなったのは3年前。当時私は料理人ではなかった。しかしながら多くの事を教えてもらった。人付き合いと料理と音楽とお花のことについては、特に深く指導を賜ったものだ。出会った当初、私は師匠のことが苦手で、むしろ嫌いであった。なぜなら非常に厳しく意地悪であったからだ。師匠と今でこそ内々に呼んでいるが、特別な師弟関係があった訳ではない。たまたま通りを隔てた隣同士の店に、お互い勤めていただけの事だ。都心から田舎に出向いた師匠は、遊びの少なさ(物質的にも精神的にも)が面白くなく、取り立てて私を構った。師匠の店のオーナーが、私の勤めていた店をおもちゃにしていたこともあり、ことさらに私は師匠との距離が近かったのだ。余談だが、このオーナーと言うのが師匠と対極にある反面教師で後に私は晴れて絶縁と果たす事となる。師匠は優しかった。とにかく優しかった。優しさと取れるような素振りは一切見せず、私に辛抱強く世の中のことを教えてくれた。今立ち返るに、失礼千万、不行き届きも良いとこの私に憤慨も激昂もせずに何度となく言い諭してくれた。身寄りもなく、待ち人もない師匠はいつも私の仕事が終わる午前3時を待って、私の勤めるバーで飲んでいた。お酒と音楽をこよなく愛する由もあったが、どこかで私を家族のように思っていてくれていたのだろう。帰り際にはいつも「お前腹へってねえか?」こう訊ねる。気遣ってくれていた。後にわかったことだが、自身も空腹であったのだが、押しつけに為るのが嫌で暗に私に意思を伝えていたのだ。このように、自分の都合だけで人を動かす人ではなかったように記憶している。この頃、私は好んでしていた習慣があった。それは二つの銘柄のタバコを買うこと。一つは自分のを、そしてもう一つは師匠のタバコを買っていた。料理人は時間がない。当時の私は忙しいと言いながら持て余していたものだから、自分が買える時に師匠のタバコも買い置きしていた。手渡すと、「おっ!気が利くじゃん。」と言って誉められた。嬉しくて、いつも腰に下げたポーチには、師匠のタバコを持ち歩いた。たまにお返しにタバコを買って置いてもらうとさらに嬉しかった。思い起こせばキリがない。私の目指す男の在り方のほとんどが師匠の面影だ。未だ遠く足元にも及ばない。一頃は本気で、この人の為なら死ねるとさえ思った。しかしながら想像に易く、どやされるものだから、口に出したことはなかったが。その年の冬のこと、私は師匠に出会った。
Jan 22, 2004
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以前にも書いたが、別れた彼女は私が前職を失う時、その夢を見ている。辞めてくれるよう職場のオーナーに引導を渡され、その旨を彼女に伝える事にはひどく悩んだ。何と言って切り出したものか。しばらく黙っていたが、隠す意味も無い。意を決して事情を話すと、「昨日その夢を見た」と言う。あまりの巡り合わせにお互い驚いたものだ。今日、日頃からお世話になっている老紳士から電話があった。1月4日に新年会を開いてから久しくお伺いもしていなかった。あまりご自身から私に電話がある事はなく、自分から訪ねるのが常。二日ほど前に携帯に着信があったのだが、申し訳ないことにそのままにしていた。氏は言う。「元気にしてる?実はこの前、バーを辞める夢を見てね。気になって電話したんだ。」ここにもまた巡り合わせがあった。私はバーから姉妹店のレストランに異動になったばかり。報告もしていないのに、紳士は夢に見た。私の想念が届いたのかも知れない。何しろ昼の生活に戻りたいと願いながら、バーでの職務は好きであった。そしてレストランの店長に「もう1度基礎からやり直すよう」と言われた時には、不甲斐なさにがっかりしたものだ。その居た堪れない想いが、氏に届いたのかも知れない。無意識下の氏に伝わった。誠に驚くべき事実、虫の知らせとでも言おうか。歳を経る毎に、私の思念は強まっているのではないかと思う。残念ながら、「負」の材料に限った結果しか生まれてないが、「正」の要素にも同じ事が言えるのではないのだろうか。想いは伝わると、改めて確認した次第である。
Jan 21, 2004
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その年の冬のこと、私は彼女に出会った。記憶が正しければ1月14日から20までの一週間の出会いである。彼女はデンマークからやって来た。名はロッタ。アジアを抜け日本を迂回し、南下してシンガポールを経由、また祖国に帰る長い道中で私と出会った。淡いブロンドでウェーブのかかったショートカット、北欧人特有のすっきりとした鼻の高さで口元にはいつも自然な笑みを携えていた。彼女は駅の案内所で聞いて、私の勤めていたバーに来た。来たと言っても昼の事だ。昼はもちろん営業していなかった。たまたま所用で私が店の前を通りかかった時、彼女が入り口付近で様子を伺っていたのだ。仕事柄拙い英語を解する私はどうしたのかと訪ねた。彼女は英語圏の人間ではないが、私より上手に英語を使う。それでもお互い第一言語ではなかったため、未熟具合が相俟ってかえって通じ合った。「駅の案内所でここの事を聞いたのだけれど。」「営業は6時以降だよ。もし時間があればその時に来ない?」「わかった。もう1度来る。」そして約束通り、彼女はその日の最初の客として店に来た。そこで彼女の旅について、彼女の国や家族についての話を聞いた。会話と思しきものは、概ね通じていなかっただろう。だが不思議と意思は通じた。不慣れな土地とあって、交通や銀行における雑多な所用を思うに任せず、私は彼女の滞在の手助けをした。わずかな時間の間、共に食事をし、共にお茶をした。各々の所用をミッションと呼び、銀行や郵便局やコインランドリーに出向いたものだ。ミッションを達成すると私は、「これで一つ片付いた」とか「次はどうする?」とか日本語で訊ねた。すると日本語が全くわからない彼女は、活舌の悪い私の真似をして「ごにょごにょごにょごにょ」としゃべる真似をして私を笑わせた。また、万事うまく事が進んで「良かったねえ。」とか「完璧だ。」とか言うと、意味がわかるらしく「OkeyDokey」と楽しんでいる様を伝えてくれた。言葉がわからなくても、彼女のスマートな思考やさりげない気遣いがわかる。時間の制約を知りながら、私は彼女に心を奪われていた。凛と背筋を伸ばして歩く様や、出会い頭に見せてくれたこぼれるような笑顔が愛惜しくなった。「次はデンマークで逢おう。」未だ果たされぬ望みである。私達は幾つかのミッションを重ねて別れの時を迎えた。朝早くの特急に乗るため、宿まで彼女を迎えに行き、駅の喫茶でお茶をした。その時の肌寒さを今でも覚えている。旅館で出されたお茶の温もりさえ覚えている。特急を待つまでの間が異常に長かった。出来るものなら時を止めたい。神をも呪う気持ちでそう願った。叶うはずも無い。二人のミッションはもはやサヨナラを言うだけ、私は私から彼女に一人のミッションを施した。それはこの先の旅先でして欲しいことだった。彼女の旅の痕跡がせめて私と共にあれば良い。祈るような想いで、海外を知らない私の想いを連れていって欲しかった。そして気持ちだけでも彼女の傍らにいたかった。私は彼女に託した。彼女の足跡と私の想いが根付いてくれるよう、小瓶に朝顔の種を詰めて、行く先々で一粒づつ蒔いてくれるようにお願いした。彼女は「You Knocked My Heart.」言葉を解さぬ者同士、会話を超えて会話をした。言葉の無意味さを確かめた。彼女の言葉の中に温もりと寂しさを感じ取ったものだ。プラットホームで別れのハグをして、降りしきるような笑顔を見送った。電車はこんな時ばかり予定より早く来て、予定より早く出る。もう物憂いセンチメンタルはそこに無い。私は馬鹿みたいに呆然とホームに突っ立ていた。だから駅は嫌いだ。だから駅は好きだ。その年の冬のこと、私は心踊る一週間を送った。どこかの国が夏ならば、二人の足跡が静かに咲いてる事を願う。
Jan 20, 2004
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「最高の人間関係とは、あなたが人に期待するものより、その人への愛の大きさが勝る時に実現するものだと言う事を忘れてはならない。」 ダライ・ラマ14世私は、職場異動でバーを離れてレストランに戻った。バーには私に代わって、「基礎からやり直すように」と言ったレストランの店長がいる。店長はバーの根本的な業務システムの再構築を実践している。不慣れな環境のため、思うに任せず、私が業務の引継ぎと再構築のお手伝いをしているのだ。手伝いとして参加するまでも無く、バーには人手が足らなかった。私は私の不甲斐なさの責任においても協力する義務があると考えていたが、それにも増して人手が必要だった。私は私なりに店長を手伝う事を当然と考えている。飲食に限らず、一つの店の業務を確立するのは至難の業である。なみなみ為らぬ努力が要る。店長はいつもそれを背中で私に教えてくれている。一昨日、業務を終えてから二人で少し飲んだのだが、その時に「手伝ってくれて助かります。俺達二人でならいくらでも新しい店が開けると思います。」店長は私に敬語でしゃべってくれる。そして、このように言ってくれた。この先に待つものは何なのかわからないが、私が彼を信頼するように、彼も私を信頼してくれているのだなあとしみじみ感じた。彼の持論なのだが、男として共に働く人間を弟子とか部下とか思いたくないと。一緒に働く仲間を常に相棒と思いたい、こう考えているそうだ。
Jan 19, 2004
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毎日書きつづけることを目標にした私の日記。メンテナンスのおかげで危うく一日落とすところだった。なんとか間に合い、卓上に至る。さて、今回は想念・思念の妨げになるものについて考えてみよう。先の日記で想いには限界があると述べた。重ねた経験がより強いイメージを作ると述べた。それではどの様にして想いの限界が生まれるのか。心の振り幅は、経験や体験が元で培われて行く。より良い経験はより良い思考をもたらし、次のステップへの筋道を着けてくれる。しかしながら、経験をするには時間を要する。即ち、経験から得うるものは、この世に存在していなければならない。実質的に触れ得なければ、その物事に対するインスパイアーは起こらないと言う事になる。創造という点で、他を学び、先人達の知恵に触れ、新しい物事を作り出す事もある。誠に良い学習方法で、古きを知らずして新しきは生まれない。この時に姿勢でもたらされる結果は大きく左右される。更に無きものを生み出すには、より良い学びの姿勢が必要だ。その学びの姿勢とは、無心・無我ではないかと私は思う。人は経験や実績で物事を見極め、自らの人生訓に従い、自身のパーソナリティーを踏まえて対処するが、経験は型枠を作り、実績は過去の遺物に過ぎない。これでは日々新た、日進月歩の成長は遂げられないのではないのだろうか。自我の確立は欲求の大きな部分を占める。仏教で言うところの煩悩だろう。それを戒めることが出来れば、心のフィールドはしなやかに伸び縮みするのではないのだろうか。壁を取り払われたフィールドは、無限に広がり行く。見よ、子供達の無邪気な笑顔を。惜しむ事なく至福を振り撒いているではないか。私達大人も、忙しい毎日のほんの一瞬で良い。自分を忘れる時間を持ちたいものだ。景色を眺めたり、静寂に身を浸したり。自分の波動を抑制しているのは自分しかいない。今は一瞬で永遠だ。常に可能性は無限に広がっている。
Jan 18, 2004
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先日お伝えしたように、私は職場異動でワインバーから姉妹店のレストランに移った。至らないばかりに、レストラン側の店長から「もう1度基礎から」と命ぜられ、昨年5月の入社当時に立ち返った。当座不甲斐なさに少しく落ち込んだ。何を落ち込んだか。言わずもがな、至らなさを指摘されたことにがっかりした。自分なりに忙繁期を必死で戦い抜いたつもりだった。馬鹿バカしくも良く頑張ったと声を掛けられたかったが、真逆の答弁。うなだれる始末である。しかし、もっとショックだったのは、言われるまで見過ごしていたり気が付かなかった事のあまりの多さよ。正直情けなかった。自分が悔しかった。未だこの様か、いい気になるのも大概にしろよと自責の念に苛まれていた。だが一夜を明けて冷静になるにつけ、その想いは感謝へと衣を換えた。「ありがたい。」そして二日三日と経つ内に、まだまだ学べる事の多さに嬉しくなって来た。寒さに凍える冬の夜のストーブのように、かじかんだ掌を解き放つ温もりは、徐々に静かな灯火へと変わって行く。今、心のローソクに火が着いた。そんな感じだ。教えてもらえてありがたい。今はまだ引き継ぎの期間。昼はレストランへ。夜はバーへ出向く。私の帰還と引き換えに、後任を勤めるのはその店長だ。私の引き継ぎを受け持つのは、店長その人である。教えてくれた人に、私は業務について教えている。なんと恵まれた状態。なんと稀な境遇。学校の教育もこんな風だったら、勉強は楽しいだろうにと考える。お互いの気持ちが良く分かるから、目に見えて高め合えるのだ。更に、店長は自分が言った以上は、私より確実に良いものを作るし、良い業務に努めている。引継ぎとして教わりながら、私に「こうだよ。」と手本を示してくれているのだ。明らかに努力している。教えられる立場にありながら、教える事を忘れずにいられるだろうか。また、教えながら教わる姿勢を崩さずにいられるだろうか。今の私には出来ない。出来得るはずもない。この人にはそれが出来るのだ。容易いことではないが、それを貫こうとしている情熱を毎日ひしひしと感じている。私は拘束時間の長さを忘れて、感動の嵐の中に身を投じている。ありがたい。嬉しい。如何なる瞬間にも、店長の生き様を感じ、この人の事は信頼出来るとつくづく感じる次第だ。思いやりの為せる技、愛情深き店長、ありがとう。
Jan 17, 2004
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今日は普通の日記を書こうと思ったが、やっぱり何か伝えたい。これは私の性分で性癖だ。自らを抗えない自分に苦笑い…私は高校生の時に作家になりたかった。理由は簡単、自分の思って感じた事を人に伝えたかった。ただそれだけだ。音楽も好きなので、以前は駅に出掛けて弾き語りもしていた。(今はもうしない。出来ない。)誰かに自分の思いを伝えたいと思うようになってから、言葉がこだまするクセがついた。良く根拠はわからないが、ある一定の時期に一つの言葉が頭の中で始終こだまする。バンド名を考えていた時のクセなのかも知れないが、ネーミングと違って意味が無い。例えば、「No Prayer No Pray」だとか、「One Million Handred Mile」とか。英語だけではなく最近は「ある冬の夜」と言う言葉が出てくる。曲のタイトルのようなものだ。それが繰り返し訴えかけてくる。吐き出したい気持ちになるが、その言葉の由来がわからず文章にもしたためようがない。書けなくはないが、書けそうにないのだ。時々目覚ましみたいに鳴っている。今年は一つ小説でも書いてみようかと考えている。ひょっとしたら書くテーマは何も考えてないが、そのタイトルの言葉だと思えば良いかも知れない。内側からこだまする言葉が、その作品を予期しているのかも知れない。都合良く捉え過ぎだろうか。欲張りな私はこうも考える。いつの日か人生にゆとりが出来れば、映画も撮ってみたい。そのタイトルだろうか。都合が良過ぎるだろう。いずれにしても、私の頭の中である種の言葉が嬉々として遊んでいる。いつか何かの形でご紹介できれば幸いだ。
Jan 16, 2004
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昨日の続き。私は昨年の5月から今の会社に入った。最初の職場はレストランで、将来自らの店を持ちたい私は手に職を付けるべく入店したのだ。齢三十を迎え、これから手に職を付ける。かなり息巻いて覚悟を決めたものだ。運良く職場のメンバーに恵まれ、特に同い年の店長には良い指導方法を賜った。「習うより慣れろ」、この言葉通りに実践教育を施してもらっている。指導と努力の甲斐あって、2ヶ月と経たないうちに火口に立たせてもらうことになった。ようは熱い物を作る。普通の料理業界では考えられない。小僧から入って、マカナイで腕を磨かれ、4~5年の後に火口に立つのが普通。ひょっとしたら老舗のレストランではオーナーシェフの休みか急用以外にそんな夢は叶わないかも知れない。とにかく私は火口に立ち、半年も経たない内に姉妹店の店長を任された。12月の忙繁期を過ぎた今、もう1度基礎からやり直すようにと、レストランに逆戻りになったが。店長は人に指導にすこぶる長けている。同期に入った女の子(今はもういない)が、不器用で成長が遅く、何度と無くミーティングを重ね、彼女の成長を辛抱強く見守っていた。いくつも例え話をして、彼女の仕事に対するイマジネーションを掻き立てていた。中でも印象的だったのが、飛行機の例え話。「いいか、誰でも一人で物事が出来るようになるまで、物凄いエネルギーがいる。空を飛ぶ飛行機にしたっておんなじだわねえ。飛行機は自力で飛ぶために、積んでる燃料の7割を離陸の時に使う。飛んでしまえば残りの3割だけで目的地まで辿りついてしまう。だけん、今飛び立つのは大変だけど頑張らんと。飛んでしまえば楽になるわね。」飛行機も人間も同じだと言う例えだ。実生活にも言えないだろうか。私達は技術や能力の習得にエネルギーを必要とする。能力や技術の習得には大変な努力が必要だ。子供の頃、自転車に乗るために練習した時のことを思い出してもらいたい。1度乗り始めたら、あとは考えもなしに乗れるようになったはずだ。乗れるようになるまでの努力は積み重ねで、コツとかタイミングとかをマスターしなければならない。繰り返し練習する内に、それらは心の中や脳みそに組み込まれて行く。乗ってしまえば、乗り方の説明も出来ないくらいに容易いはずだ。それは脳や運動神経の中に「自転車の乗り方」と言うパーツが組み込まれたからではないだろうか。そして今、自転車に乗っている自分を思い描いて欲しい。経験から生まれたイメージが思念のフィールドにあっさり展開されていると思う。誠に疑う余地が無いだろう。だからあなたは自転車に乗れる。次は空を飛んでいるイメージを描いて欲しい。想像はつくかも知れないが、疑いは晴れないはずだ。なぜか。飛んだことが無いからだ。話は簡単である。自転車の乗り方で記憶を揺さぶったが、更に遡って、歩き始めたことを思い出してもらいたい。かなり遠い記憶となるが、思い出せるだろうか。私には無理だ。仮に思い出したとしても、脚色なしには語れない。「右足を出して、転ぶ前に左足を出す。またバランスが悪くなったら右足。」仮に考えてもこの程度だ。赤ちゃんは歩き方を知らないし、その説明をしても意味を知らない。ではなぜ歩けるようになるのか。彼等の心には疑いがないからだ。失敗も成功も知らないし、知る必要も無い。せいぜいあるとすれば、歩くと言う意志と歩きたいと言う想いだけだろう。必死にまねっこするではないか。また自分も出来ると信じているではないか。全ての子供は見上げた天才である。子供に英会話を教えても同じ。意味は二の次で、とにかくしゃべる。私達大人には失敗や恥じと言ったイメージをインスパイアーするものが必要である。無心になれない限りは、想念・思念に物理的限界が付き纏う。大人にはなりたくなかったが、残念ながら私は大人だ。むしろそう在りたいし、そうでなくてはならない。恥や無知と言う事を手放さないように、イマジネーションを培って行きたい。そうでなければ、得られるものが無くなってしまう。経験を大事にしたい。そして、子供達に明るい未来を与えてあげたい。明日は普通の日記を書いてみよう。
Jan 15, 2004
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以前にもマトリックスの話題に触れたが、私はマトリックスが好きだ。レボリューションズはまだ見ていないが、1作目からその世界観、哲学に共感している。あの映画で描いているのは、キアヌ・リーブスの格好良さでもなくCGの凄さでもない。精神と肉体、虚と実、陰と陽、意識と無意識と言った現世と幽界の二極構造をわかり易く描いた物語と考える。主人公ネオは弾丸を避けたり、空を飛んだりしているが、死からの蘇生を除けば、物理的限界を超えられない設定になっている。(そう言う点においては3作中、1作目が最も作品として完成されていた。)敵であるエージェントも弾丸に当たると死ぬ。だから弾丸よりも速く動く。構造がシンプルだ。ネオだけがことさらに特別で面白くないが、背景に置かれた条件は整っていて面白い。うまく作り上げられた世界観があると思った。マトリックスが現実を虚構と捉えるのと同じように、実世界も同じような二重構造を持つ。「言葉の力」の回にもお話しているが、肉体を帯びた世界と精神を帯びた世界がある。肉体の世界が物理的限界を持つことは誰もが承知。では精神の世界ではどうか。私は同じく限界を持ち、思念想念も固有の物体ではないかと考える。ちょうどマトリックスで個々の精神が、一つの身体を持って侵入するのと同じく、私達自身の精神も一つの身体を持ち、現世と違わぬルールが精神界にも布かれていると考える。話が少しややこしくなって来たが、私が言いたいのはこうだ。想いは無形のものではなく、形があると言うこと。だから想い込みだけで夢は形にならないし、寝て起きたら突然金持ちになったりと言う事はあり得ない。シンクロニティー(同調)も多いにあるのだが、それはさておき、想いも形だから、手応えがなければ妄想でしかないと言う事。魔道の観点から言葉についてのお話をした時にも述べたように、無いものを信じ込むのではなく、在る事を疑わなければそれは(例えば夢や理想)顕在化し得るのだ。江本勝さんの「波動の食品学」の中でサイババについての見解がある。サイババは、灰や蜜を手から出す物質化現象を行える数少ない人類だが、彼は天才的な思念を持ち合わせているのだろう。灰が生み出せることを疑わないし、心の中で生み出すものの手応えを持っている。だからこそ現世の無を有に出来るのだ。想い込むのではなく、想い描くこと。遠巻きに想いを巡らすのではなく、心で触れなければ何事も得られないのではないだろうか。精神の物理的限界について、インターネットを使っているとつくづく感じる。端末はデジタルなのに、ネットワークは驚くほどアナログだなあと。姿が見えないからいよいよ心が剥き出しになる。マトリックスそのものであり、私達の実社会そのものだ。毎日歩き回って、人の心に出会わなければあなたに逢えない。明日は「想念・思念の物理的限界②」をお届けします。
Jan 14, 2004
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私は昨年の9月からフランクリン・プランナーと言う手帳を使っている。この手帳は簡単に言えば人生設計が出来る手帳だ。いつまでに、何を、誰と、どのようにやって行くか。その事を達成するまでに、どれだけの時間が必要でどれだけの費用がかかるか。これを具体的に設計して行く。ここまでは普通の手帳だが、この手帳の優れているのは最初に自分の価値観を明確にさせてくれる事である。自分の価値観を明確にする。この作業は非常に難しい。一言では言い表せないが、手帳は一言で言う事を要求する。自分が好きな物、したい事、どんな人になりたいか。様々なヒントの延長線上にその一言が見えてくる。金持ちになりたいとか、名声を得たいとか、良い車に乗りたいとか色々欲求はあるが、何の為に金持ちになりたいか。何の為に名声をどんな風に得たいのか。その意味付けに値するのが価値観だろう。手帳は無意味な名声や虚飾に惑わされないよう、最初に釘を打ちつけてくれる。では、なぜ価値観を選ぶ事が優れているのか。それは先にも述べた通りに、惑わされない為でもあるが、価値観を決めることが、成就には最優先されるスタートラインでそれが最短距離に他ならないからだ。価値観の選択は万人に平等で自由だ。経済的な富も社会的信用も関係がない。例えば「人に優しくする事」と言う価値観にお金も信用も関係ない。「家族を愛する」と言う価値観に、メルセデスベンツはお呼びでない。この手帳は私にとって、素晴らしい人生の航海図だ。書き記したゴールは見えないが、海原に勇んで出航するとしよう。物事の成就に対する成功までの距離を知ることは、半ば成功していると言える。宛のない努力ほど虚しいものはないから、自分の位置は常に確かめておきたいものだ。多難な人生の航海を無為にするものは、自分自身以外にはいない。如何なる危機もチャンスも受け止め方次第でどうとでもなろう。例え身に余る他人からの要求でも、自分の価値観にそぐわなければ付き返すことが出来る。例えば私が会社を裏切る事ががあっても、私は私を裏切るわけには行かないからだ。手帳の最初に書き込んだページを眺めながら、私は私の細胞に自らの価値観を言い聞かす。「創造」する事を。「言葉」に対する講釈を散々ぶってきたが、私が一重に感じることは、波動でも魔道でも科学でも、また日本語でも他の言語でも、言葉による意志の疎通には限界があり、拙いコミュニケーションツールだと考える。言い表すのには限界があり、同じ「嬉しい」にしても人によってその度合いは違うだろう。だからこそ正しく言葉を使わなければならないのではないのかと、自らを戒める想いがする。人様や自然のものと共有できるものは、時や空気だけでしかない。心の中の想いをしたためながら、描いた景色が現実となるように生きて行かなければならない。触れ得るほどの情景が描けたのならば、そのものはいつの日か現世に発露するだろう。始まりは自分の中にある。成就は自分の中にある。最後に皆さんに素敵な言葉を 「最後まで握り締めていなさい。 辛抱強さは天才に与えられた才能だから」 ジョージ・ド・ブフォン明日は「思念・想念の物理的限界」をお届けします。
Jan 13, 2004
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今日は科学の視点から「言葉」を検証してみたい。このページのリンクにもなっているアクティブラーニングスクール(以下AL)と言うのが東京にある。こちらは起業誌「アントレ」でも人気のコラムを書いている羽根拓也先生が取締役を務める会社だ。先生は日本人ながら、ハーバード大学でも教鞭を振るわれた教師で会社ではTOEICを中心に教育の指導(教育者の教育など)を行われている。ALは人の成長をテーマとした業務を行い、会社での講義とは別に、大企業のナレッジマネージメントにも一役買っている。そして、私がALの存在を知ったのは、経済産業省がバックアップするDREAM GATEと言うホームページである。こちらも起業を支援するサイトで、羽根先生は昨年の半年間全36回のコラムを公開されていた。いつだかの回でタイトルのミラー細胞について紹介されていた。人間には「ミラー細胞」と呼ばれるものがあるらしい。現在詳しく研究が進められているようだが、この細胞はその名の通りにミラー、鏡の役割をするそうだ。例えば赤ちゃんに笑いかけると、笑い返してくれる。これはミラー細胞の作用によるもので、感情がこもっていない。生後数ヶ月の赤ちゃんは、笑うと言う感情を知らない。この事をミラー細胞を通じて学習しているのだ。他の感情においても同様に、親や周囲の人の表情や態度から学習する。赤ちゃんだけではない。我々大人も学習はしないが同じように周囲の環境や感情でミラー細胞が働く。よくあるだろう、彼女が出来たとか言う類の慶事を携えた友人が満面の笑みであなたの景色に登場した時、なんだか分からないけどこちらもにんまりとしてしまう事。この訳のわからない時の自らのリアクションは、ミラー細胞によるものと言える。ひょっとしたら良く言う「生理的に合わない」と言う交友関係もミラー細胞の仕業かも知れない。この事に「言葉」の補足をしよう。これは弟から聞いた話だが、肥満の人は細胞に言い聞かせるらしい。何を細胞に言い聞かせるか。それは「これを食べると、また肥るんだろうなあ」と。この念が細胞に働いて、普通の人より細胞が膨張するそうだ。笑えるが少し笑えない話だ。1回目の「言葉の力」でも述べたが、動植物は人間の言葉を解する。我々人間は脳みそで言葉を解しているが、全身でも言葉を受け止めているようだ。例に挙げるまでもないが、心持が暗い人が病気がちと言う事は少なくない。波動の面で見てもその人の暗い波が自然界のもの(特に鉱物や金属)と同調し、病を引き起こす。(アルミの食器を使っていると、アルツハイマーになり易いそうだ。)などなど枚挙に暇もない。「言葉の乱れは心の乱れ」その言い表し通りに、自らを貶めるような言葉は自分の首を絞めることが科学的にも立証されている。良い事を口にするように心掛けたいものだ。次回は「言葉の力」最終回、まとめをお伝えしよう。
Jan 12, 2004
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本日は「言葉の力」はお休みします。なぜなら帰宅した今が午前3時で、楽天メンテナンスのある4時から5時の間は、アクセスできないから。とても一時間いないに書き上げる自信が無い。さて、タイトルの言葉は、カナダの無名バンド「the Philosoper Kings」の1stアルバムの最後の曲のタイトルだ。哲学の王様とは生意気なバンド名、今では活動の行方がわからなくなってしまったが、メンバー全員音楽エリートで、1stが出た時(95年)、バンドの平均年齢は25歳。全く若さに似合わない腕前と音楽センスを持っていた。タイトルの「No Woman Around」はギター一本とヴォーカルだけのバラードで、男が忘れられない恋について唄っている。主題の歌詞は あたりには大人の女はいない 大人の女なんてどこにもいない 小娘なら僕のまわりに沢山いるけど 大人の女なんて一人もいないんだ喧騒に揉まれ過ぎて疲れた男が、うるさい毎日に嘆いている。ヴォーカルのジェラルド・イートンの優しく艶っぽい声が印象的だ。大人の女は一人もいないと言うと誤解されそうだが、彼が唄っているのは、昔焦がれた女はもういないと言う事。 もしかして僕が恋しく思っていたのは 子供の頃のことだったのかもしれない . . . 熱病に浮かされて、夜の中を駆け回っているような 気分に襲われる事があるよ 自分で自分を追い詰めてしまったんだ 君の笑顔が恋しいよ 君の名前も 僕の肌をくすぐった君の吐息も 僕はこの人ごみの中でたった一人 途方に暮れているんだメロディーの美しい曲で、毎日バカみたいに繰り返し聴いている。生活は果果しくも、心はそんな気分だ。no there ain’t no woman around
Jan 11, 2004
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前回は波動の視点からの「言葉」と「実」の世界と「虚」の世界について触れた。波動の考え方に出遭ってから、私は世の中の不思議や現実の成功・失敗など、あらゆる物事の成就について説明が見出せるようになった。ある意味仕組みがわかったような気がするのである。今回触れる魔法についてだが、この事の理解を与えてくれたのは三浦建太郎と言う作者の「ベルセルク」と言う漫画である。ストーリーは中世ヨーロッパをモチーフにした舞台に、生贄の烙印を押された主人公が、魑魅魍魎の類と戦っていく話なのだ。余談ではあるが、この漫画はすごい。表現はグロテスクなものが多いので、お子さんや心臓の弱い方にはお薦めしないが、タイムパラドクスとストーリーの一貫性が凄まじい。この漫画を私に紹介してくれたある友人は、中学生1年生の時に読み始めたそうだが、1巻から3巻まで進行中の現在の話、4巻から13巻までが過去に遡る。1巻の始まりの設定のつじつまが合うのが13巻で、彼が読み始めた頃、3巻までしか出ていなかったそうだ。刊行の遅い月刊誌、単行本の発売は早くても9ヶ月近くかかる。と言う事は、概ね1年に一冊と考えて10年。10年間パラドクスとストーリーを温存し、守っていたのだ。信じ難い執念、創作意欲。ここまで作品を大事に考える漫画家もそういない。これを読むと、他の漫画が陳腐に見えて仕様がない。平気でキャラクターが死んだり生き返ったりする。長くなったが余談だ。現在この漫画の物語は、魔法をテーマにしている。巻数は25巻。実際1年一冊ではないから25年も経っていないが、少なく見ても15年は魔法に触れていない。恐らく、作者は長きに渡って勉強してきたのだろう。登場している魔法使いが、魔法について説明しているのだが、掻い摘んでお伝えすると、まず、世の中は現世と幽界で構成されている。現世は私達の意思が存在する世界、いわゆる現身(うつしみ)を持つものが存在する。幽界は私達の意識が存在する世界、漫画では心や精神の存在する世界と呼んでいる。精霊や天使、魔物や妖怪の類はこの幽界に住んでいる。魔法使いは幽界に存在する精霊や守護神と交渉し、現世に魔法(その力)を発露させる。ここで、この霊や妖怪の類を魔法使いは「心そのものである者」と呼んでいる。「心そのものである者には、心でしか触れ得ません。」と。即ち、現身を持たない者を幽霊や精霊、妖怪、魍魎と呼んでいる。前回の「虚」と「実」と同様に、顕在化しているものと思念や想念の考え方と同じである。更に魔法使いの言葉を引用するが、「目に見えないものを信じようとするのではなく、疑う余地がなければ、見て感じて触れ得るのです。」波動において、「虚」の波が強ければ「実」の波も大きくなると言う原理と同じ。そして、「言葉」の解釈と似通った表現がある。「人には出来るのです。この世ならざるもの達と感じ合い、触合う事が。」私は繰り返して「言葉」は魔法だと述べているが、この言葉にも裏打ちされている。現世と幽界を介在する「言葉」は、心から発せられるものだ。それを操ることが出来るのは、人間しかいない。疑う余地がないほど信じれば、如何なることでも叶えられるのではないかと思う。疑いをもって無きものを得ようと言うのではなく、真実の心をもって言葉を発すれば、何事も叶うのではないか。私達が身近でこの世ならざるものを感じることが出来るのは、恐らく「言葉」しかないだろう。次回は科学の観点から「言葉」に触れるとする。
Jan 10, 2004
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昨日の「言葉の力 その1」の続きから始めよう。言葉=思念・想念=波動と言う事について詳しくお伝えすると、江本さんの本を読んで頂ければ分かるのだが、世の中を形成しているのは波動(ウェーブ)である。一言では説明しにくいのだが、言葉が違うだけでこの表現は世界中ありとあらゆる言葉で言い表されている。例えば、現世と幽界とか肉体と精神とか陰と陽とか。仮にこれを実相の世界(可視)を「実」とし虚相の世界(不可視)を「虚」としよう。この「虚」と「実」の世界は表裏一体である。表と裏で一つなのだが、決して相容れることがない。背中合わせで一つだ。波動の考えに基くと、全ての事象は波であるから、ある一定の線から上が「実」、下が「虚」である。時間軸を右の方向に取って上下する波の表を思い浮かべて欲しい。この波が表現しているものは、あなた自身である。思念・想念・夢の類は「虚」。行動・言動・肉体の類は「実」。波の動きは上下で一体、波の振り幅は互いに相照らす。あなた自身の波はいつも「虚」の振幅から始まる。想い・夢から始まる。「実」の振幅は「虚」の動きに反映される。即ち、最初に浅い波が「虚」に起きれば、「実」に起きる波も小さい。深い波が「虚」に起きれば、より高い波が「実」となって現れる。「想いの丈をぶつける」と言うが、これは全く波動の理屈に他ならない。まとめよう。世の中の構造・構成の全てが波とする。波の真中に存在するのが、私達自身であり私達の自我である。それを境として上(可視の世界)が、現実や事実(現世)である。下(不可視の世界)が、思想や心(幽界)である。考えている事や想っている事は、何かの形で現実に発露する。その想いや感覚が深ければ深いほど、実際に形付けられるものも力を持つ(大きくなる)。ここまではご理解頂けただろうか。波は表裏一体、想いはそれに応じた形で実相を呈する。(私はこれに加えて、エネルギー不滅の原則を加えたい。発生した精神のエネルギーは、何らかの形で循環していくと思う。これは余談なのでまた後日)ここからようやく本題だが、言葉とはどう言う位置付けになるのか。可視の世界を「実」とし、不可視の世界を「虚」とすると、言葉は見えない(文字は見えるが実相がない)が「実」に存在する。音楽も同じく、音は聴こえるが実相がない。これをどの様に考えるべきか。言霊の思想と通ずるが、言葉自体が一つの思念であるのではないかと思う。考えは尽きないが、いずれにせよ言葉は無限の可能性と普遍の力を持っている。なにしろ私達人類しか「言葉」を扱えないものだから、大事にしたいものである。次回は魔道についての観点で「言葉の力」をお話しよう。
Jan 9, 2004
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再三述べているように、私は言葉に魅了されている。その訳と言うことではないが、私なりの言葉に関する解釈をお伝えしたいと思う。全てをお伝えすると相当長くなるだろうから、今日は触りだけにしておくことにする。そもそも言葉とは、人間にしか操れないものだ。意志を伝える第一の手段、言葉。村上春樹はデビュー作、「風の歌を聴け」の中で文化と述べている。そう文化だ。人間界の意志の疎通に欠く事の出来ない、言葉は文化だ。音楽・芸術・ファッション・ビジネス、あらゆる文化の類は言葉に置き返られる。その言葉を伝えることが文化だろう。人間界の文化=言葉は、自然界では別の役割を果たすと考える。良く言われることだが、植物は言葉を理解する。昨年の夏に実証したが、如何なる植物も言葉を解する。「枯れろ」と強く念じ、「枯れろ」と植物に言葉を掛け続けると、日を待たずに次第に萎びれて枯れて行く。「きれいだね」とか「ありがとう」と言葉をかけて行くと、植物は言葉に応えるように、すくすくと成長し、やがて開花し結実する。ご承知の通り、植物には耳がない。それなのになぜ、人間の言葉は聴き入れられるのか。それは思念を受取っているから。言わば言霊の世界だが、人の操る言葉は他の動植物には出来ない思念や想念を飛ばす事が出来る。極論付けて言えば、魔法だろう。自然界では言葉=思念・想念=力の場となる。私は20代前半にこんなことを考えていた。人以外の全ての動植物は、言葉を捨てたのではないか。そう考えていた。昨年、江本勝さんの「水からの伝言」と言う本に出会うまで全くその事を忘れ、気にもしていなかったが、その思いが呼び起こされ、現在の私の解釈へと昇華した。江本さんは波動の観点から、言葉=思念・想念=波動と説明されているが、私はそれに魔道と科学を付けたしたい。尻切れトンボで申し訳ないが、詳しくはまた追ってお伝えすることにしよう。
Jan 8, 2004
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遅れ馳せながら本日、初詣に出掛けた。現在我が社では、隣町に新店舗を出店することを検討している。飽くまでも検討している。計画している訳ではない。さる不動産コンサルタントから「良い話」があって、急遽物件を見に行く事になった。注釈が多くなるが物件と言っても土地のこと。建物のことではない。物件を見た後に昼食を摂り、その足で商売繁盛の社にお参りに行こうと言う事になった。しかしながら、集合時間は朝9時。夜しか泳げない私は、起きられよう筈がない。一応電話で起こしてくださいと断っておいたが、最初から辞退する腹だった。計画通り、否、案の定起きられず、昼からの宮参りに参加した。午後3時に社に着いた。物件見学班は私より少し遅れて到着。少しく無意味な優越感に浸ったが、班が到着して驚いた。今回の見学宮参り計画を企て、時間まで指定した社長がいない。どうしたのかと他の者に尋ねると、隣町で買い物をして帰るとの事。全く呆れた。一年の計は元旦にありというのに、これからの会社の発展を願って社員一同休みを返上してお参りに来たにも関わらず、自分は買い物に現を抜かしている。更にこう付け加えたそうだ。「俺の分も拝んでおいて。」言葉もない。皆が(私は辞退したが)時間を割いて見学した土地も甚だ使える代物ではなかったそうだ。おまけに私達が事前に聞かされていた話と、コンサルタントとの話が食い違っている。聞いていた話は、建物と什器備品の全てを用意するから身体だけで来てくれ。恐ろしく好条件であった。怖いくらいに。あり得ない話とは思いながら、見る価値はあるだろうと出向いたのに、実際の話は、建物を建てるなり、煮るなり焼くなり、使うなら使えるように使い給え。こんな具合である。詰まる所、誰ぞの早合点だ。うんざりした。呆れかえった。社員一同で、いと敬敬しく神様に参った後に、神社の傍の公園で緊急会議が催されたが、私は会話の中にも皆の心持にも明るい未来を見出せなかった。経営に最たる不安がある訳ではないし、欲張らなければ機能している方の会社だと思う。しかし人を動かす一番の原動力に欠いていた。それは夢だ。ヴィジョンだ。やる瀬のない小船は、前に進むだけで行きつく先を知らない。どこまで行けば良いのか分からないが、沈む訳には行かないから進んでいく。いや、なんとか進まなくてはならない。私は私の目標を持っているから、がっかりしても苦にはならないが、他の社員はこの先どうするのか。皆の行く末を案じ、また我が社の行く末を案じ、正直意気消沈した。明るい未来はどこにも用意されていない。それを作り出すのは、自分自身の心だ。金がなくても、嘘偽りのない、心に触れるような夢をあげたい。 http://bullwalk.fc2web.com/index.html
Jan 7, 2004
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本日より仕事始め。年末に冷蔵庫の中を一掃したため、お客さんに提供するものが何もなく、今日は仕込みに追われた。追われたと言っても正月明け。来客は二名一組だけ。仕込みが営業時間に食い込んでも、なんの障害もなかった。18時の開店に備え、15時に店に入る。そこから3時間掛けても足りないほど、仕込むものがあった。結局0時にお客さんが帰られて、閉店になったが私だけ残って仕込みをしていた。おかげで今週平日は大して仕込みをせずに仕事できそうである。本来当店は1時までの営業で、帰る頃には夜の人間しか行き来していない。格言う私も夜の男。現職以前から夜の生活を長く送っている。私は夜の生活が嫌いだ。毎日にメリハリがなくなり、ずるずると暮らしている自分が嫌になってくる。早くても11時くらいに起きて、一日を考え入店の一時間前に買出しに出掛ける。人の仕事の終わる頃に自分の仕事が始まり、人々が寝付く頃、自宅に帰る。そして周りが明るくなって人が目覚め動き出す頃に、布団にずるりと滑り込んで毛布で朝日をしのぎ眠りに付く。時々自分の得体が知れなくなる思いがする。問う者も応える者もなく、ひっそりとした闇の中で独りで目をギラギラさせているものだ。そうした中で妙な居心地の良さを感じてしまう。全く夜が板に付いてしまっている。ある方が日記に書かれていたが、朝日はインスピレーションや想像力を実質的に向上させる効果があるそうだ。私は夜の生活で、そうした心を育む部分を欠いて行っているに違いない。2月からシフトチェンジで昼の生活に戻れる。安心する反面、どこか後ろ髪を引かれる思いがする。情けないかな夜が長過ぎて「昼が全く相応しくない。」わざわざ口に出して人に言われた。多いに結構、望むところだ。
Jan 6, 2004
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今年は全く年賀状を書かなかった。いや、今年も全く年賀状を書かなかった。毎年不躾ながら書く気になれない。大した理由があるわけではないのだが、何となく書かない。文章を書くのは好きだし、手紙も好きだ。だが、年賀状の義務感が嫌だ。なんだか12月20日まで出さないといけない脅迫観念に駆られる。先ほども言った、手紙は好きだ。手紙が届くのは嬉しいものだ。このインターネット全盛、携帯の普及で軽薄なメール世代にあって手書きで自分の為だけに相手の想いが届く。何と贅沢ではないか。受取って嬉しいから手紙を書く。20代前半、遠距離恋愛をしていた頃は、その当時の相手に1年で50通も送った。毎週刊行「島根からの手紙」、甚だそんなところだ。我ながら驚くほどの勢いで書き綴った。全て速達で。当時の彼女は全て保管しておいてくれているらしい。自分では読みたくないが、大事にしてくれているのは嬉しいことだ。メールを否定しておいてなんだが、実は多用している。時間差がない事が利点だが、意志に異常なまでのタイムラグが生まれると最近気付いた。さらになんとでも言い訳できてしまう。メールにおいて最大の利点、邪魔にならないと言う事が最悪の仇になると分かった。1度タイミングを間違えると掛け違えたボタンは、もう元には戻らない。全くひどい話だ。意志の疎通をきれいに阻む。サッカーで例えるなら、ゴールを守ろうとしたディフェンダーが、クリアしきれずに力一杯自殺点を決めているようなものだ。慌てて電話を掛けてみても、もう遅い。「おかけになった電話は、電波の届かない所にいらっしゃるか、電源が入っていないためおつなぎ出来ません。」そこで試合終了。前後半90分の努力も虚しく、ツーツーツーと終わりを告げるホイッスルが鳴る。手紙とてそう差異はない。相手が受取った保証はないし、タイムラグも存分にある。しかしながら、したためる時間にはメールとは違って想いを育む時間と余裕がある。それだけの重みがあるのだ。そして、如何なる人からの手紙も独り身の私には嬉しいものだ。増してや海外からなんて。書き綴ってくれた時間を想うと、自然に顔もほころぶ。今日、大好きな人から年賀状が届いた。
Jan 5, 2004
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私の職場は市内にある。現在の職場に移った9月からチャリで出勤していたが、チェーンが外れたので歩いて通っている。正確に言えば歩いて通っていた。寒さがつのるのと、12月は忙繁期で仕込みに追われ、車に逃げていた。5日の仕事はじめから再び歩こうと思う。私の住んでいる界隈はひどく古い街並みだ。昭和の佇まいが丸ごと残っている。長屋の名残か、大半の家に土間があり玄関はガラス張り。ガラリと玄関を開けて、2,3歩入ったところに上がりがまちがあってそこで靴を脱ぐ。障子の向こうには茶の間があってと言う具合だ。私の借家は大家がリフォームして、土間だった場所がガレージとなり、ガラリの玄関を入ると、そこで靴を脱ぐ寸法。人から聞いたが、うちは平屋だったそうだ。今は2階がある。無理やり2階建てにしたのだろう。2階は屋根の傾斜に添って、天井が下がっている。狭い。立ちあがれないのだ。周囲の家々はこの調子で不細工なリフォームが施されている。新築は恐らく20軒に1軒くらいか。見るからに隙間風の吹きすさぶ家ばかり。住む人々も、新しい顔は珍しい。若者と言えば、登下校の高校生だけ。あとはお年寄りと私くらいか。何もかも古びてしまって、全く昭和に取り残されてしまっている。然様の上、新しいものが相応しくない。新車の一台でも通れば、不自然なくらいに光って見えるものだ。何軒も続く廃材置き場には、ガラクタが山のように積まれ、唐突な場所に墓地が展開している。墓石でさえ、横倒しに積まれていることもある。ここは昔、部落だった。歩きながらいつも思う。ざっくりと時を切り抜かれているな、と。「酒と料理と音楽と」HP http://bullwalk.fc2web.com/index.html
Jan 4, 2004
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昨年から自らのHPは持ちたいと考えていた。縁あってよそのMLリストに間借りをし、このHPにも紹介している「料理のこと」を60編と「料理じゃないこと」と言う文章を20編。もろもろ合わせて100編近くの文章を、昨年の5月から書き綴っていた。伝えたくて堪らないあまりに、闇雲に書いていたのだが、MLの本来の主旨にも逸脱しているし、不注意によるアクシデントで、迷惑をかけてしまった。そこでなんとか自立したものを作れないかとかねてから考えていたのだ。ようやくその念願が叶った。HP「酒と料理と音楽と」。私の主催するイベントのサブタイトルにもしているのだが、この言葉通りのページを目指してみたいと思う。ここにもたびたび書いているが、私は酒が好きだ。類は問わない。強いて苦手と言うなら芋焼酎は得手していない。芋焼酎でなければ何でも飲むし、何でも好む。料理は周知の通り、名ばかりではあるが料理人。こちらではなかなか出来ないが、レシピを紹介していきたいと考えている。音楽はベーシスト。相方に恵まれ、二人でジャズをやっている。腕前もさることながら、心意気も自慢の相棒である。タイトルの言葉だが、おこがましくも文章の師と仰ぐ坂口安吾の「風と光りと二十歳の私と」をもじったものだ。私の中には彼のような純真はなく、また堕落を胸とするような覚悟もない。しかしながら、憧れは憧れで終生抱きたいものだ。私のささやかな過去10年の経験が幾ばくか見る人の参考になれば幸いである。まだ試運転中ではあるが、正月の休みを利用して公開に踏み切った。お時間のある折に、お付き合いのほどを。 http://bullwalk.fc2web.com/index.html
Jan 3, 2004
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昨晩は同級生の家に招かれ、元旦早々から人のお宅に上がり込んでいつも通り飲酒酩酊した。彼のカミさんが人好き世話好きで、自分が仲人をしていものだから、彼女不在の私に、出会いの場を用意してくれたのだった。女性はカミさんの同級生と従妹、野郎は私と弟と昨年からの大友人。カミさんの本意とは裏腹にそっちの方は盛りあがらず、弟の準備してきた4人オセロが大ブレイク。大いに愉しませてもらった。非常に面白いゲームで、機会があれば紹介したい。一泊一食の恩を受け、先ほど帰宅したのだが、同級生夫妻には、お伝えしておけば良かった事がある。実は私、合コンなる席に招かれたことがなく、イマイチ勝手が分からなかった。もう少し気の利いた所作なり余興なりがあったのだろうが、いつも通りのただの酔っ払いに成り下がってはいなかったかと、少し不安に思う。とにかく、お邪魔しました。4人オセロと同様に盛り上がった(私の中だけ)のは、昨年の弟の「ETIC主催 STYLE2003 ビジネスプラン大賞」の授賞式のビデオ鑑賞だ。昨年6月に開催され、かねてから観てくれるようにと弟に勧められていたのだが、私の家にビデオデッキがなく、観られなかった。半年のブランクの後、ようやく元旦の夜に念願を果たした。そして、同級生の作成している「感動ムービー」を拝見した。彼はこのムービー作成を生業としていて、結婚式の新たな演出として、売って行こうとしている。簡単に説明すると、結婚披露宴の始まりに新郎新婦の生い立ちや馴れ初めをビデオで流す。この最初のムービーは二人のお気に入りの曲をバックに、ドラマのオープニング風に仕立て、セレモニーの幕開けを華々しく演出すると言うもの。こう言った類の演出は、しばしば参加した式の余興で友人達が作っているのを見受けるが、彼はここからがすごい。式の終わりに、その日の式のハイライトを再び上映するのだ。詳細には敢えて触れないが、彼の独自の視点と心意気がなければ、到底万人には作成できない、オリジナルな視点を持っている。私もいつの日か結婚する時には(夢にも考えていないが)彼にムービーをお願いしたいと考えている。さて、ようやく本題に入ろう。同級生のムービーを観ていて、私が結婚する時のことを少しだけ考えてみた。よもや全く雲を掴む話で、考えに至る何物も持ち合わせていないが、もし、結婚式で新郎挨拶と言う大役を仰せつかったら、会場に来て頂いた皆さんにお伝えしたい事がある。それは「Reef」と言うイギリス出身のバンドの曲「Consideration」の歌詞だ。◆◆◆ 優しさは弱さだと思わない。 俺は同情心を問題にした事がない。 君は何を考えているんだい? ハイになりたいか? 君が実現できなかった事に 思いやり(Consideration)を与えてやる事が出来るか? 信じられなかった事には、耳を塞いでしまうけど 強くなれるか 一つになる努力をしてくれるかい 強くいられるか 頑張ってくれるかい 半分はここへ来ない (half don’t come here) 半分はここへこないんだ (half don’t come here) 半分はここへ来ない (half don’t come here) だから俺はやる (so I do) 全てうまく行く 全てうまく行くから 全てうまく行く◆◆◆私はこの曲を、会場の全ての皆さんと将来のお嫁さんに捧げたいと思う。
Jan 2, 2004
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謹んで初春のお慶び申し上げます。ついさっきまで今年も終わるなどと言いながら、0時の盛大なカウントダウンと共に、嘘みたいに唐突に2004年が始まった。いずれにせよ心機一転、装いも新たに、03年の勢いそのままに本年も生き抜いて行きたいと思う。昨晩は、馴染みのカフェの主催するカウントダウンパーティーに出掛けた。参加料千円で飲み放題、但し何か一品食べ物を持ち寄ると言う事で参加したが、私は時間がなく料理出来なかった。私は可愛がって頂いている先生(老紳士)にお願いして、私の分も作って頂いた。(参加料は私が負担する代わりに)参加したパーティーは、日頃からそのカフェを愛顧しているお客さんで一杯で、1階2階、合わせて30席もない所に、50名近くの人が集まった。私は相方のピアニストと二人で余興がてら演奏してくれるよう、頼まれていたのだが、見知らぬ顔ばかりの上、決め事もなく少しく困惑した。慌てて相方がコード譜を取り、「涙そうそう」と「花」をお客さん皆さんに歌って頂く事にした。歌詞が行き渡るのを待つ間、レパートリーのジャズ「ミスティー」と「セントトーマス」「テイクザAトレイン」を披露。決め事のないパーティーの突然の演奏で、私達に皆が注目する。課せられた期待は徐々に大きくなり、中途半端ではおさまりが着かなくなってなって来ていた。しかしながら、来るなら来いとばかりに二人のモチベーションが異常に高まる。興奮をバネに、私達は隣合わせで互いの手元を見ながらほくそ笑んでレパートリーを弾いた。私達二人にとって、今年最初の演奏会となったが、過去にこれほどまでに息が合った事がない。危ういところはあったものの、概ね心地よい演奏が出来た。緒戦を強豪シード選手とぶつけられたにも関わらず、見事打ち破って「シード食い」をしたような快感に襲われた。満場の拍手を浴びながら大団円を迎え「涙そうそう」の大合唱。午前4時のカフェは歌声喫茶の体を為した。昨年、一昨年と激しい年明けを迎えていたものだから、こう心地よく新年を迎えると、嬉しくて仕様がない。今年はきっといい年になる。元旦から裏付けのない手応えを感じた。あなたにも良い年でありますように。
Jan 1, 2004
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