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最近笑いに飢えている。そう思って久しぶりに映画を観た。コーエン兄弟の作品「ビッグリボウスキー」だ。「ファーゴ」「オーブラザー」の順で観て、すっかり彼等のファンになっていたが、この「リボウスキー」だけは観ていなかった。彼等の作品は、映像の撮り方や音楽に長けていて、大胆なカメラアングルや唐突なシーンチェンジをさらりとこなす所が凄い。そして何より、人の描写。人間の滑稽な様、情けない姿を温かく伝えている。「ファーゴ」は実話に基いているが、哀しくも笑える、どこか不甲斐ない人間らしさを美しく捉える技は素晴らしいものがある。悲喜劇とでも言おうか。哀しくも笑える。「ビッグリボウスキー」は、そのずっこけの情熱が極まっている。観た後に、人の温もりについて深い感慨を与えられ、心の奥底にほのあかりが灯る思いがした。観ていない方にはオススメしたい。
Jul 29, 2004
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ストレスや悩みの類が、病の諸悪だと言っても過言ではない。そもそも気の在り方の過不足が、体に変調をもたらすのが病の実相である。いわゆるもろもろの現代病は、何も住環境や生活循環の悪化が、直接的な要因とは考えにくい。食なり住環境なりの劣化は確かに否めないが、それ以前に、人の心の在り方に問題があるのではないだろうか。例えば、仕事の上でストレスを抱えている人が、食べることでそのストレスを解消しているとして、その人が過剰な糖分摂取で糖尿病や、高血圧になった場合、添加物が多いとは言え、食べた物が悪いのではなく、食べ方に問題があったのではないか。それ以前に、食べなければやり切れない想いがあったのではないだろうか。東洋医学的に考えるなら、この人は過食による消化不良で内臓を患う羽目になったのだが、食以前に、精神的に消化不良を起こしているためストレスが溜まり、肉体的に臓器を患っていると言える。要は置かれた環境なり、自分自身の欲求に「抗う」と言う事が、病の根源であると考える。環境要因でさえ、自らがもたらしたものだと言う事だ。切実に問題を解決したいと願うなら、まず現状を受け入れ、そこから解決の糸口を見つけて行かなければならない。それは食に限った事ではないのだが、精神的ストレスの根本、循環調和を乱す根本にあるものは、大抵がこの「抗う」と言う行為によるものだ。如何なる状況においても、「受け入れる」事も「抗う」事も選択する自由は常にある。どちらを選ぶかは、常に自身の選択にしか委ねられていない。
Jul 21, 2004
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私は交友関係を広く持つ。それが人柄なのか性癖なのかわからないが、友人知人には恵まれている。誠に有り難い事だ。取り分け年上の方々には可愛がって頂いている。最近は久しく疎遠だった、先輩との縁が盛んになり、良く会ってお話をさせて頂いている。最近、先輩は家庭内の事情で困り果てておられ甚だ情緒不安定、取り付く島のない状態。良く言う話だが、先輩を見ていると「弱り目に祟り目」とは、この事かと考えさせられる。このような時は、本当に何をやってもうまく行かない。物事の全て、関わる人々の全てが敵ではないかと疑らずにはいられない時がある。彼は正にその渦中にいる。ついに今日、涙ながらに私に諸々のお話をされた。彼は元々繊細な人柄で、敏感と言えるほど感受性が強い。気丈に見えるが、その実は非常に澄んだ潔白な性格の持ち主なのだ。自身も気が付いていないが、心底愛情に溢れる、優しい男。私などのような浮付いた者には到底真似の出来ない勢いで、物事を追求する。そんな先輩が涙を見せた。正直言葉を無くしたが、黙っている訳には行かない。無論同調して哀れむつもりも無い。哀れみは闇を増長するだけだ。かと言って、気休めの愛想をつく気は毛頭ない。私は私の元気を伝えたかった。闇を照らすものは光。光に照らされるものは、自発的に元気になる。追ってお伝えするが、癒す者はヒーラーと呼ばれる他者ではなく、実は自分自身なのだ。最上のヒーリングは、他者からもたらされるものではなく、自らの内にヒーリングするのである。対外的な闇や光はあっても、自らを癒すのは、自分自身である。昔話に花が咲いたことから端を発し、先輩は自らの内に光を見出した。元の気を取り戻すきっかけを見出した彼は、まさしく、元気になる糸口を見つけた。
Jul 16, 2004
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私は料理人でありながら、フリーで文章も書く。二十歳からこっちは、もうずっと文章を書いて来た。殊更に言葉に対する想い入れが強く、語源を紐解いたり、語意を確かめたりするのが好きだ。だから今回も、「病む」と言う事についても語意的に伝えてみよう。タイトルの通りに「病むこと」「病み」は「闇」である。肉体的にも精神的にも、体の部位なりある種の感情が滞ってしまい、機能不全を起こす。西洋医学的に見れば、特定の細胞がウイルスに感染したり、摂取して来た毒物が、健全な体機能を蝕むのだろう。いずれにしても、何らかの機能不全即ち本来の調和と循環が壊されてしまうのが「病み」だと考える。調和や循環から逸れた状態が続くと、物質は腐敗したり酸化したりして、分解されて行く。人間界なら孤立し、感情のベクトルは内側に向けられて鬱に陥るだろう。光も風も受けず、停滞した魂の在り様は、まさしく「闇」と言えるのではないだろうか。「癒し」とは、「闇」に投げかける光であり、新たな呼吸を促す風でなくてはならない。今一度、目の覚めるような風と光を。調和と循環から逸れそうな、この現代に。
Jul 15, 2004
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私は、「食で癒す」を目指す料理人である。今年に入ってから、そもそも「癒す」とは何なのか。「病む」とは何なのかについて、いろいろと文献を紐解いて少しずつ勉強している。そのささやかな学習成果を、皆さんにもお伝えしたい。そもそも、「癒し」と言う言葉について考えてみたい。「病だれ」に「愈える」と書く。この「愈」とは、心をやわらぐ・くつろぐと言った意味がある。つまり、心病める人が、くつろぐ様である。これを一語で、「癒える」「癒す」「癒し」と読む。本来は病む人や病に対して、やわらげることを「癒す」と言うのだが、現在の「癒し」についての語意は、専らリラクゼーションと言った意味の重きが強く感じられる。病まざる人を「癒す」とは、表現しないのが言葉の意味として汲み取れる。それでは病まざる人は癒されないのか。そうではない。先人達の知恵、言葉は長き歴史の内に育まれたものだから、きちんとそれに値するものは存在する。それに値する言葉とは、「愉しむ」である。「病だれ」を省き、下に位置した心を横に配置すれば「癒す」は「愉しむ」になる。「愉しむ」は心が通る、つまり心行くと説く。病まざる人は「心行く」。病む人は「愈える」のだ。如何なる時も、愉しみたいものだ。
Jul 14, 2004
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解雇から早くも2ヶ月が過ぎた。突然フリーになった私は、俄かに身に余る自由に湧いていたが、必ずこの余波が来る事は、うすうす感じていた。ひょっとしたら、今がそれかも知れない。何やら投げだされた気持ちになって、座りの悪い想いがしている。仕事の誘いも幾つかあるが、ちょっとしっくり来ていないのが正直な所。今、しっかりと吟味しなければあとあと苦い想いをするのは、過去の経験から分かっている。今は、人の為と言えばおこがましいが、この与えられた時間を、活かしたいと考えている。そんな中、先日からの「直感的な出会い」の男とは、度々、顔を突き合わし、酒などを酌み交わしている。まだ3度しか会っていないが、とにかく話が合う。また、愉快千万。笑いの絶える間がない。どう言った形で彼と仕事をして行くのか分からないが、親交は深まる一方だ。今日は、彼が勤める予定の新規オープンのダイニングバーのマネージャーと、相方ハマの4人で愉快な夕べを過ごした。大した話などないのだが、下らぬ話題で多い盛りあがった。もっと話さなければならない事もあったのだが、男のの下世話な話に花が咲いて、時間を忘れて馬鹿笑いした。ホントに助けられる想いがする。新しい仲間だ。如何なる形になるにせよ、終生を共にしたい。そんな男達である。
Jul 13, 2004
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昨日、弟だいぽとフリマに参加した。ペイントをもっと広く知って頂くために参加したのだが、なるほど、商品を売ることの難しさ、面白さを体感した。やれば何でも分かる。私自身の浅はかな考えは、始まった1時間の内にもろくも崩れた。飽きないと言われるが如く、商売の奥深さは飽きない。一日の経験でしかないが、ここには書き切れないほど、多くの事を学んだ。数字に表せばささやかではあるが、数字に替えられないノウハウを体感出来た気がする。「今まで見知ったことが、突然新しく見える。それこそが学ぶことである。」と何かに書いてあった事を思い出した。口では説明出来ない何かを学んだ。更に新しい出会いにも巡り逢えた。知る事を知った一日だった。
Jul 12, 2004
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7/19に自主企画でライヴを開催する。昨年から数えて5度目の自主企画。あまり意識していなかったが、いつもワンマンライヴをやっている。アマチュアながら単独ライヴをやっているのだが、なぜだろうか。不安がない。なくもないが、慣れてしまっているのだろう。私はいつもこの具合に、自覚のないまま大胆な事をやらかしている事がよくある。無謀と言うにはあまりにも臆面もない。加えて自覚もない。とにかく単独だ。おかげさまで、毎回ご来場頂いているお客様もいるし、応援も頂いている。こうして不定期ながら、継続して音楽を続けられるのは非常にありがたいことだ。19日まであまり時間がないのだが、先日再会した「直感的な出会い」の男とセッションをするかも知れない。彼は大阪時代に、インディペンデントでCDを発売したそうだ。これ以上危険は冒したくないが、何かがあるかと思うと、挑戦したくなる。全く我ながら、手に負えない性分だ。
Jul 10, 2004
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今しがた俄かに空が暗くなったと思うと,雷鳴が轟き、大雨が降り出してきた。割れんばかりの雷が鳴り響き、空が破裂している。地鳴りのような余韻が響きを立ててこの机を揺らす。梅雨の中休みも終り、本格的に雨と風の日々が来そうだ。昨日の真夏日のような暑さを冷やして、たちどころに周囲は寒いくらいの冷気と雨音だけに満たされた。私は朝から地元タウン誌の原稿を書いている。〆切の前日に、全ての原稿を入稿したのは初めてかも知れない。かれこれ6年近く原稿を書かせて頂いているが、気が付けば、編集部では私が一番の古株になってしまった。過去歴任してくれた担当の方々は、皆離職したり、転職されてしまった。私が小姑ばりに、最古参にして社内の事情通になっている。継続は力と言うが、気が付けば後に道が出来ているとはかく言うのか。何事も続けて見るものだ。そうこうしている内に、戸外の雨が少し治まった。夕暮れにはまだ早いが夕立と言うのだろうか。これを書き終わるまでのにわか雨であった。騒ぐ事はないか。どしゃぶりだって、降り止むものだ。ずぶぬれで行こう。
Jul 9, 2004
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甚だ虚しい結末である。私はツバメの子供達に、取り得る手の全てを尽くしたと言えるのだろうか。だいたいそう言った、人然とした考えが思い上がりで、こうして自責を感じることにすら、自嘲せずにはいられない。昨日帰宅した時には、玄関を占拠していた3羽の姿は跡形もなかった。猫や蛇のようなものに襲われた痕跡はなく、即座に人の手によって、連れ去られたのは容易に想像が付いた。周囲を見回しても、鳴き声一つ聞えない。向かいの電線には、再び雛達を見失った親鳥が2羽寂しそうに留まっている。どうして、そっとしておいてくれなかったのか。憤りを感じたが、もう遅い。手が付けれずに、半ば放置していた自分にも責任がある。元々あの雛達は、たまたま私の家の軒先に巣食っただけの事。私のモノではない。だが、連れ去られたことに腹が立った。やる瀬がないとは、この事だ。居た堪れずに私は、ふて寝をした。苦々しい想いのまま、30分くらいうたた寝をしていた。額にも脇にも、びっしょりと気味の悪い汗をかいている。私を眠りから覚ましたものは、玄関先の物音だった。ガチャガチャと金物が擦れる音がしている。日頃なら多少の事は気にしないのだが、さすがに気になる。手の届く所にあったジーンズを履いて、玄関に向かうと、擦りガラスの向こうに人影が見えた。私は俄かに怒りが込み上げて来て、ジーンズのボタンも閉めぬ内に、威勢良くガラリと引き戸を開いた。「すいません、いらっしゃるとは思わなかったもので。」そこには、脚立を立ててツバメの巣を構う母親らしき女性と、小さな箱を抱える少女が居た。お互い、余分な説明を必要としない。事情は分かっている。「手で雛を構ったんですね。」「この子が、巣から落ちてる雛を見つけて、それで連れて帰ってきたんです。巣に返しておこうと思って。」私は顔面の引きつりを堪え切れなかった。余程キツイ顔をしていたことだろう。母親が震えているように見えた。子供の居る手前、私は怒鳴る訳にも行かず、極力厳粛に言葉を選び、話した。「人の手で触れると、ツバメはにおいを感じて雛によりつかなくなるんです。」「すいません、知らなくて。」ここで子供が話し出した。「あのね、雛が落ちてたの。一つは捕まえたけど、後の二つは飛んでっちゃった。」私は言葉もなかった。この子は助ける気持ちで、雛達を連れて帰ろうとしたのであろう。「あれでしたら、うちで飼いますけど、小鳥を育てたこともありますし。」「すいません、大丈夫です。そのままにしておいてあげてください。」保育園から借りてきたという脚立を背負い、母親は子供と我が家の玄関先から離れた。帰路に立つ親子、引け際に子供が、「飼っちゃダメなの?」と母親に聞いていた。母親は答えなかった。その二つの背中を見ながら、私は玄関にへたり込んでしまった。私はこの後、1羽の雛を見つけ出し、巣に返された雛を巣から下ろして、2羽を玄関先に放した。親鳥も再び雛達に近づくようになり、一時は平穏を取り戻していたが、またどこかへ行ってしまった。元より私の出来ることなど、何もなかったのに、好意で世話をしようと言う人を、憤慨して門前払いしてしまった。いたいけな少女の心を傷つけた事を申し訳なく思う。正しい事など何もないと知りながら、自らの正当性を主張してしまったのではないかと思うと、情けない事だ。彼等がこの街の空から、遠く大陸に辿り着けることを祈って、この物語を閉じる。
Jul 8, 2004
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2/23の日記「直感的な出会い」の男と再会した。彼は2/22に大阪から帰郷し、15年振りに松江で生活している。帰って来たその日に、私が以前勤めていた職場に面接の申し込みをして、翌日には面接に来た。その時、私が彼を面接したのだが、和食の料理人だったため、不採用にしたのだが、直感的にこの男とは長く付合うと感じた。その彼と昨日、約半年ぶりに再会した。縁あって、新規店舗の料理補助で入ってもらいたいとの連絡があり、オーナーとお会いしたのだが、そこにこの2月に大阪から帰って来た、30歳の料理人がいると聞いてピンと来た。彼だ。夜、早速彼から連絡があり、ちょっと飲もうと言う話になった。私達は2度目の出会いながら、瞬間息投合。大いに語り、大いに笑った。仕事云々、考え方云々を抜きにして、ここまで息の合う人間に出遭うのも久しぶりだ。大阪にいる親友以来かも知れない。私が長い付合いになると予測していたと言うと、驚いていたが、私はいつでも直感の正しさを信じていた。仕事ではあまり協力出来ないが、仲間として終生見届けた男だ。いやあ、笑った笑った。―――――――――――――――――――――――――――――ツバメ物語 3私は雛達を巣に戻す事を諦めた。あまり私が手を出す事によって、親鳥を錯乱させてはいけないし、雛が度ごとに地面に落ちることを思うと、忍びない。玄関先でうずくまって眠る彼等を見ていると、どうしてあげる事も出来なかった。せめては、猫や蛇の類が近づかないように、影ながら目を光らせておく他、手がない。玄関を少し開けて、親鳥が餌を運んできた時にさえずる雛達の鳴き声を聴いている。
Jul 7, 2004
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どうやら内のツバメの子供達は、主人ににて強情だ。本来はこの2話目でこの物語を終えるはずであったが、どうやら終れそうにない。―――――――――――――――――――――――――――ツバメ物語 2来待小での授業を終えて帰ってくると、ツバメ達は、玄関に端座していた。後に分かった事だが、ツバメは驚くほど視野が狭い。凄まじいスピードで飛ぶために、遠方のものは良く見えるが、近くのものは、あまり目に入らないらしい。だから、私が帰って来たのにもあまり驚かなかった。しかし、手を出すと強烈に拒む。私が用意した一斗缶の巣にも入っていなかった。何とか仮の巣に入るように促すが、一向に入ろうとはしない。とにかく拒む。飛べない翼をばたつかせ、時に噛み付かんばかりにいきり立つ様を見ると、私は悲しくなった。時に援助が仇となり、優しさが傷を負わせかねない事が人間の世界にもままある。助けようなどと思い上がるなと、痛烈に批判されているようで私は悲しくなった。そして、そのツバメ達に切なる様に嘘がない。居た堪れないがそれ所ではない。拒もうが何しようが、私はこの子達を守るのだ。仮の巣への誘導計画は、失敗に終ったが救いはある。親鳥が帰ってくれて来たのだ。親は天界にある巣から、堕落した子達を見捨てていなかった。これでしばらくは安心。私はまた出掛けなくてはならなくなり、家を空けた。この事情を父に話すと、「軍手でもして、元の巣に返してやれ。猫でも来たらアッと言う間にやられてしまう。」人の匂いが付かないように、子供達を捕まえて巣に返してやれとのこと。これは名案だ。私は早速、新品の軍手をもらって家路に着いた。父曰く、ツバメは子供を2羽しか残さないそうだ。オスメス1羽ずつを巣に残し、渾身掛けて育てる。日増しに成長する子供の餌の供給に、2羽しか間に合わないから、3羽孵った場合は1羽を巣の外に落としてしまう。しかし、うちのツバメはどう言うわけか、3羽とも落ちてしまっていた。巣が手狭だった事が最大の原因だろう。それにしても不思議なものだ。家に帰り軍手をはめて、逃げ惑う雛達をを巣に戻した。この小さな命達は、最初こそ拒んだが、圧倒的な存在の前に、その身を託し元いた場所へ帰った。一つ一つの命を手の内に抱くと、私は決して壊さないように大事に大事に元の場所に掲げ挙げ、配した。命の脆さよ、拙さよ、そして力強さよ。私は身に余る感動に、歓喜し感動し、彼等を拝んだ。物語はここでハッピーエンドとは行かなかった。自然の雄大さ、懐深さは私の甘ったるいセンチメンタルを一瞬にして吹き飛ばし鼻で笑っている。今度は巣に返した雛達を親鳥が見失ってしまったのだ。全く私の配慮は要らん世話である。最初から私の世話など、彼等の生きる道にはない。私はすべきことではなかったかと自責の念に苛まれた。恥ずかしい限りである。そのまま1時間あまり眺めていた。もうこれ以上して、私の出る幕はない。玄関の隙間から様子を覗きながら、「上!上におるよ。上だよ。」と声を掛ける。親鳥が巣の方に戻った雛に気付くように、口笛を吹いたり、指を鳴らした。私の促しに預かることなく、程なく親鳥は巣の雛に気が付いた。私はホッと胸をなでおろし、玄関の隙間を閉じて、室内の椅子にどっかりともたれ掛かったものだ。その後、地元タウン誌のインタビューに出掛け、夜は夜半に眠りに付いた。さて、自然の偉大さ・雄大さ、自らの非力さを痛切に学んだ一日が明けて、私はツバメ達が無事巣立つまで見守る事にした。今朝、起き掛けに玄関を開けて様子を見る。落着したはずの事件だった。しかし、巣には3羽の雛の姿はなく、またもや地面に端座する、やんちゃなツバメがいた。やれやれ、困ったものだ…
Jul 6, 2004
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私は何処へ出掛けるのにも父のライターを持って歩いている。ライターを通じて、ペイントを普及させ、人様に喜んで頂ける物作りを提供したい。父は本物の職人だ。父に仕事に専念してもらうため、私は営業活動をしている。先日土曜日に、市内のパブで開かれていたクラブイベントにライターを持って参加した。元々酒好きで音楽好きの私は、はしゃぐあまりライターのことを来場していた友人知人達に伝えるのを忘れていた。夜半も過ぎた頃、日頃から親しいアメリカ人にライターを見せた。彼はDJで間もなく、新しいイベントスペースをオープンさせる。その彼に出来たての電子ライターを見せた。白をベースに赤・青・水色が乱舞したモデル。夏らしい涼しげな印象の一品。無骨なジッポ型よりも女性にも持ち易いようにと、父が女性向けに作った作品だったが、彼は一目見て気に入ってくれた。「これを新しいスペースのデコレーションにしたい。」そう言ってくれた。私はそのライターを彼にサンプルとして手渡し、オーナーによろしく言ってくれるように伝えた。早速今夜打ち合わせをする。6月末の往生からわずか3日。直接頂ける最初の仕事になりそうだ。誠に有り難い事です。――――――――――――――――――――――――――――「ツバメ物語 1」今日は来待小学校で3度目の「ハーブの授業」だった。宍道町ないの分校から来待小の1年生のクラスにたった一人の生徒がやってきて、27名の友達と机を共にしての授業。ひろき君は明朗快活で、非常に素直な子だった。出掛けにハーブを乾燥させるためのザルが必要だったので、私は買い物をして出掛ける算段をしていた。予定の1時間前に、玄関先に出ると、うちのガレージで巣篭もるツバメの雛がなんと、足元に3羽いるではないか。どうやら手狭な巣の為に、落ちてきてしまったらしい。幸い怪我もなく、3羽が3羽まちまちの場所で居座っている。かなり驚いたが、私よりも彼等の方が驚いたであろう。「うあ!どうしよ!」面食らって呆然とした。動揺して私はとりあえず台所に向かいプラスチックの水きりを手に持って表へ出た。何の意味があるかは自分でも分からないが、巣の変わりになる気がしたのだ。そこへ入るように促したが、入ろう筈がない。人間に例えると、大きな網を持って追いまわされるようなものか。飛べない翼をバタつかせて、這いずって逃げる。時間がないから慌てたが、放ってはおけない。とにかく狭いガレージを、水色の水きりを持って追いかけた。この子達を守らないと。そう思って今度は、ガレージにあるあらゆる物を彼等の周りに置いてバリケードにする。囲い込みは完了したが、水きりには入らない。仕様がないから、一斗缶で作った簡易スモーカーを置いた。缶の下部に空気取りの穴の空いた、この缶なら巣の変わりになるだろう。またもや根拠のない裏付けを信じて、彼等を追いたてた。人に例えるなら、袋小路に追いたてられている感じか。逃げ惑うばかりで入る筈もない。もう時間がない。帰るまで無事でいてくれ。この界隈は蛇や蝮の類はいないからきっと大丈夫だろう。親鳥はみんなの事を見失ってしまったらしく、姿をあらわさなかった。今日から私がお父さんだ。「帰るまでここを離れてはいけないよ。」そう言って、私は授業に出掛けた。
Jul 5, 2004
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残念ながら、私はスタイルの1次審査に通る事が出来なかった。正直ショックだが、これで私の何かが終わってしまう訳ではない。むしろ始まりが近づいて来た。そもそもこれを機会に事業計画を組上げようとした、不純な動機が結果をもたらしたのだ。いずれも自力でやる事に変わりはない。騒いでもなんら始まらない。じっくりやろう。
Jul 4, 2004
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01年の世界聖なる音楽祭でダライ・ラマ14世が広島に来訪した。その時のパンフレットの言葉を折に触れて読み返している。21世紀を生きるためのメッセージとして、ダライ・ラマは来場者にメッセージを送っているが、その中でも、今の私にしっくりと来るものが幾つかある。一つは「決まりについて学びなさい。そうすれば決まりを破る方法を見出せるだろう。」そしてもう一つ「成功とは、達成するために諦めた事、失ったものによって評価するものである。」そしてやはりこの一言は、私の指針「愛する事と料理にはわき目を振らない情熱を持って臨みなさい。」言葉に出会う事は、私の心を裕福にする。
Jul 3, 2004
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お金がある時に、人は「金じゃない」とは言うけど、お金がない時こそ、金じゃないと言いたい。ないよりあった方が良いのは当たり前だ。そんなことは議論に値しない。私の夢は金のあるなしに関係ない。金があって叶えられた望みの類など記憶にも昇らない。せいぜいは拙い欲望だけが、金で買えた。そして買った時に終った。如何に困っても、心までは奪わせない。心の貧乏人になぞ、なるものか。欲しければせしめるが良い。目の前の物は全てくれてやる。しかし、心までは奪わせない。そうやすやすと売り渡したりはしないからな。
Jul 2, 2004
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久しぶりに世の中の理不尽をまともに食らった。予てから弟だいぽが、建築業界の構造の矛盾を声高に叫んでいたが、6月中に父親を手伝っていた現場の入金が昨日あったのだが、月末、正に末日に至って工事費を叩かれたのだ。元請けが最後の最後まで手の内を明かさず、下請けである父の会社に、経費や材料費の類を丸ごと覆い被せて来た。工事の始まる前に、見積もりを工務店に出しておきながら、支払いの日までいくら払うかは下請けに教えず、払う時になって、「計算したらこれだけしかなかった。」全く馬鹿にしているとしか思えない。にこにこしながら「あんたの会社は潰れろ」と言っているようなものだ。このままで世の中が良くなるものか。不景気を生み出しているのは正にこの構造で、弱者はより弱く、強者はより強く、泣きたい者は泣くが良いと言うのが現状だ。しかしながら、結果は結果。目に見えているものは事実である。私達家族は、ここへ来て結束を強めた。助け合うより手がない。過去において、ここまで力を合わそうとした事はなかった。団結するしかない。もう後がない。生活できないから、引けないのだ。この馬鹿馬鹿しい理不尽な仕打ちに、全く感謝したい。ここまでされたら、充分本気だ。
Jul 1, 2004
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