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2025.06.07
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カテゴリ: 光圀の諸国への旅
芝東照宮 ​への参拝が終わった後にそのまま隣の「​ 大本山 増上寺 ​」へ参拝。



 山門の写真は大門駅へ向かっている途中に撮ったもので、参拝の順路と逆だが、山門から掲載したいため逆な順番で写真を掲載。  



 国の重要文化財である「三解脱門」。増上寺の表の顔として、東京都内有数の古い建造物であり東日本最大級を誇る門である。増上寺の中門にあたり、徳川幕府の助成により、幕府大工頭・中井正清とその配下により建立され、元和8年(1622年)に再建された。3つの煩悩「貪(むさぼり)、瞋(いかり)、痴(おろかさ)から解き放たれる(解脱)門ということである。令和14年11月まで修復工事が行われる予定だが、ペテン師と彼の楽し仲間にやられているので、その日までいられるかな。



 元和10年(1624年)、第13世正誉廓山が熊野権現を増上寺鎮守として東北の鬼門に勧請したのである。正式には熊野三所大権現宮という。御祭神は熊野本宮大社の家津御子大神、熊野那智大社の大己貴命、熊野速玉神社の伊弉諾尊。



 西向聖観世音菩薩。鎌倉時代、執権・北条時頼が観音山(現・東京タワーの場所)に辻堂を建て、鎌倉街道(現・六本木方面)に向けて安置した石像の観音様である。昭和50年(1975年)浄土宗開宗八百年記念の境内整備事業として、現在の安国殿前に遷座され、昭和55年(1980年)1月に観音堂落成。



 大殿。御本尊阿弥陀如来

 空海の弟子である宗叡が武蔵国貝塚(千代田区麹町および紀尾井町あたり)に建立した光明寺が増上寺の前身であるという室町時代の明徳4年(1393年)、浄土宗第八祖酉誉聖聡の時、真言宗から浄土宗に改宗し、寺号も増上寺と改めた。聖聡の弟子には、松平氏宗家第三代松平信光開基の信光明寺の開山釋誉存冏や、松平氏宗家第四代松平親忠開基の大恩寺の開山了暁慶善がいた。松平親忠の第四子で、浄土宗総本山知恩院25世の超誉存牛や、徳川将軍家菩提寺大樹寺開山の勢誉愚底も聖聡の孫弟子である。松平家や徳川家とのつながりが深かったが、徳川家康が天正18年(1590年)江戸入府の際に、増上寺の12世源誉存応と対面したのが徳川家の菩提寺となるきっかけだったというのは通説。増上寺は貝塚から、一時日比谷へ移ったが、江戸城の拡張に伴い、慶長3年(1598年)、家康によって現在地の芝へ移された。







 徳川将軍家墓所。二代将軍秀忠、六代将軍家宣、七代将軍家継、九代将軍家重、十二代将軍家慶、十四代将軍家茂公の6人の将軍のほか、三代将軍家光の第三子で、五代将軍綱吉の兄で、六代将軍家宣の父である甲府宰相綱重、および多くの正室、側室、子女が埋葬されている。入場料が必要だが、時間がないので、見学できない。



 安国殿。東京大空襲で焼失された大殿の代わりに仮本堂としていた建物。昭和49年(1974年)に新大殿が完成された後に境内北側に移転され、安国殿とされた。老朽化のため、平成23年(2011年)年に法然上人八百年御忌を記念し、念仏信仰の拠点として改築された。 御本尊は恵心僧都の作と伝えられる秘仏「黒本尊」。徳川家歴代や御一門の位牌もおかれてある。御本尊や黒本尊の御朱印やお守りなどはここでいただくことになる。



 東京大空襲で焼失された開山堂が再建された慈雲閣。聖聰上人像、両脇にはその師・聖冏上人像と当山中興の聰観智国師像が置かれてある。



 黒門。慶安年間(1648~1652年)、三代将軍家光の寄進・建立とされる。昭和55年(1980年)に通用門として日比谷通り沿いの現地へ移築された。











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最終更新日  2025.06.25 00:05:28コメント(0) | コメントを書く
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