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子どものことを考えているうちに、自分のことを深く考えていることがあります。子どもを育てるって言うのは、自分が子ども時代を再び味わうことだと言われました。運がよければ孫を育てるときにもう一度味わえるよっと。そう、この前ある人に言われました。忘れていた記憶や思いを味わうことになるとは(いいことも悪いことも)予想していた以上なのですが、幸せでもあり、苦痛でもありますね。最近「絵本」「子どもの本」についていろいろ考えているのですが、自他とも認める活字中毒の私はどうやって本を選んでるのか・・・他の人はどうなのか分からないのですが、ちょっと書いてみたくなりました。活字中毒と言っても、私は「濫読(らんどく)」「積読(つんどく)」なので、一度に何冊も本を持ち歩いています。同じジャンルのものを深く読みたくて何冊も持ち歩いてるときもあれば「絵本」「図鑑」「エッセー」「実用書」「時代劇」なんて風にめちゃくちゃごちゃごちゃなときも結構あります。また、ほしい本はとりあえず手に入れることにしています。本って、タイミングでしか買えないときが結構あるので。とりあえず買ってしまうから「積読」になっちゃうんですけどね・・・(図書館で協力してもらって他の図書館からも借りられるのでそれもかなり最近は利用しています)でも、ネットのおかげで少し計画的になったかな?本が嫌いな夫はいつも本が増えているのに気づいて呆れまくってますけどね。で、子どものときからいつも悩みだったのが、「絶対に自分が一生のうちにすべての本を読むことが出来ない!」ってことでした。まあ、当たり前のことなのですが、本は山ほど毎月出版されています。また、昔からの本も山ほどあります。読みたい本は山ほどあるのに、子どものときはそれに追いつかなくって、いつも悩んでました。でも、大学生のときに、あるひとつの方法を決めたのです。「小説は作者が生きているうちは読まない」まあ、フィクションに限るのですが、作者が無くなっても、評価の高い本だけを読もうと。当然例外はあります。でも、基本的にはこのルールを決めてから、すごく気が楽になりました。エッセイや実用書などはどうしてもそうはいえないし、ノンフィクションは時代に乗っからないと意味の無いものも多いのですが、小説は時代を超えるんです、簡単に。でも、科学や社会系の本が小説より面白いってことも社会人になってからしってしまったので、結局読みたい本は減りませんでしたが。あ、例外は自分の信用できる人(同じ感性の人)が薦めるものは読みます。ネットでも、リアルでも、書評でも。10代はもう、本当に濫読でした。一日に2冊ぐらいは文庫本を読んでました。夜寝るのも惜しくて惜しくて・・・で、結論として最新の小説より、古典小説のほうが面白いことを知ってしまったのです。いわゆる「古典」ってすごい面白いですよね?もしくは作者が亡くなっても売れ続けてる本はやはり面白い。それでも、10代の時は、そこまでふんぎることも出来ませんでした。多分、あの、思春期独特の有り余る体力と感性が、古典だけじゃ無理だったんでしょうね。(今思い出しても消したいぐらい馬鹿ばっかりやっていた10代でしたし・・・@@)で、子どもの絵本や本。同じ感覚で考えていいかなって最近思い始めました。いわゆる古典、そして信用できる(同じ感性の)人が進めてくれた本。新しい本は無理には追わない。人生は短し、されど本は多し。ならば、確実な本だけを読みたい。息子の絵本選びを考えているうちに、こんなこと考えてしまいました。でも、、、、他の人は何が基準で本を読むのでしょうか?私はほぼ90%娯楽なので、つまらない思いをしたくないっていう気持ちからなのですが、もっといい方法があったらぜひ知りたい!
2007.03.24
3月7日、息子は一歳になりました。前日まで夫と私が風邪でダウン、私の母は7日からスキーにいくという中、ひっそりと息子は1歳になりました。私達の元に生まれてきてくれて「ありがとう」と言う言葉以外思いつきません。おっぱいが主食で離乳食だってご飯と野菜と果物ぐらいの息子はケーキもなし、プレゼントも特になし、ただただ、家族で「おめでとー」だけの一日でした。でもでも、自分の人生を含めて、いろいろ考えさせてくれた一年。今まで知らなかった幸せと不安をくれた一年。子どもってすごいと思わずに入られません。こんなにも愛せるものがあるとは、思いませんでした。息子は、私から生まれてきたけれど、私ではない、別の人格。親の所有物ではない。当たり前のことなんだけど、自我の生まれてくる息子を見ながら、はっきり最近は感じています。「私は○○が苦手だったから、息子には苦労させたくないので、 ○○をいまのうちから出来るようにするの」というのは、親の横暴かなと最近は思うようになりました。そう、息子は親の代わりではないのですから。親の自己満足のため、親の苦手意識の払拭の為の人生なんてちゃんちゃらごめんこうむりたいだろうね。やっと、そんな当たり前のことを気づくようになりました。息子が人生は楽しいと思ってくれるよう、これからも駄目親は努力していきたいと思ってます。だって、息子のおかげで、私の人生は今まで以上に楽しくなったんだもん、その分のお礼はしなくちゃいけないもんね!
2007.03.18
いろんな教育方法があって、いろんな考えがあって、どれが悪いんじゃなくって、どれがいいんじゃなくって、最後に自分(親)が決めたことに責任をもてるかどうかだけなんだ。そう、最近は思うようになりました。ですので、以下の話は私の場合と思って読んでください。息子を授かってから、本が好きだった私の夢は「息子と本・絵本を一緒に読むこと」でした。絵本って、絵を息子が堪能してくれ、私の声の響きを幸せに感じてくれればいいな、と思っていました。それは、息子が字を読めるようになったとしても、彼は私の声の響きを楽しみ、音の響きを楽しみ、日本語の響きを楽しんでくれれば、素敵な絵を見ることを、喜びと感じてくれれば、とそう思っていました。字を指差して読むなんてまっぴらごめん!だって、私がそんなことされたら、きっと何も想像もできなくなり、空想の世界を泳ぐことも、言葉の響きを味わうことも、絵の素敵さに見入ることも出来なくなってしまうもん。私自身は、たくさんの絵本に囲まれて大きくなりました。それとは別に字を読めるようになったのは新聞を読む祖母のまねがしたかったから(だった気がする)3歳ぐらいだった記憶があります。小学校2年のときシャーロックホームズのシリーズを全部読むことがきっかけで、活字中毒になった気がします。図書館にある本は片っ端から読みました。(ただし、興味がないものは読んでもすぐやめちゃいましたけど)よく、最近「本を読む子は頭がいい」と聞きます。活字中毒の私は正直この話を聞くと苦笑します。確かに、勉強をした覚えがない現国が試験ではいつもほぼ満点でした。古文漢文はてんでだめでしたが。(ただし、私は国立理系受験の勉強しかしなかったのでマークシート対応の現国という、限られた範囲でしかないのですが)が、これって、単に「長文を見ても苦じゃない」ってレベルなんですよね。で、本を読むって正直「娯楽」なんです。頭がいいから本を読むんじゃないんです。面白いから読むんです。何でこんなこと書いてるのかというと、三石由紀子メソッドの本を読んで、漢字を覚える為に絵本を漢字になおすというのを見たからです。結構されてる人もいますよね。すごいなーと感心しました。手間やお金もかかるし、これは親の愛情がなくては出来ないと思います。私もやろうかと思いました。でも、出来ないのです。絵本は、息子の、ものです。もし、私の本を勝手にいじくられてたら、私、ぶちきれると思います。それを息子にすることは出来ません。本を作るとき、文字ひとつをとってもデザインをする人がいるはずです。その人のことを考えると絵本を勝手に変えられないのです。(ただし、デザイン等ひどい本が多いことは否めないのですが・・・) 何よりも、自分が子どものころ絵本に求めていたのは、「楽しさ」と「想像」だったはず。それを漢字を覚えるという目的のものに変えることが出来ないのです。で、思い出しました。私は息子が生まれたら、ひざに乗せて本を読むことを夢見ていたことを。それは、彼が文字を読めるようになったとしても、私のひざの上で、お話にうっとりと聞きほれて、私とともに、旅をしたり、冒険をしたり、推理をしたり・・・そのために本が読みたかったのだと。挿絵や、絵本を眺めて想像の世界に二人で旅立ちたかったのだと。いつかは「ママとはもう読まないよ!」といわれてしまうでしょうけど、それまでは二人で楽しみたいと夢見ていたことを。ということで、私は漢字絵本を作ることを潔くあきらめました。息子は漢字が苦手だったとしても、許してもらいましょう。そういう私も、漢字がひどく苦手でしたが、一発奮起して、中学3年の夏休みに自主的に漢字の問題集を2冊買って、ひたすらやって、夏休み明けにはテストで漢字を学年唯一の全問正解で、カンニングを疑われたんだよな~夏休み前は全然出来なかったのに、おかしいといわれて、問題集とノートを先生に見せて納得してもらったのだ。だから、苦手でも、それは逆にいいきっかけになるはず。そう思いたい。
2007.03.01
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