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先月は何もアマゾンで買わなかったので、ボーナスも出たし、いい気分になって2万円↑の注文をしてしまいました。(絵本関係は星の子さんで買いたいので今回は買わず)もちろん旦那には内緒です・・・あはははははは・・・(←毎回のことですが)モンッテソーリIT講座でアイちゃん先生に勧められた本を3冊、気になっていた和久メソッドの本を2冊(絶対アトリエに通うことは無理なので自分でも出来たらいいな~ぐらいな軽い気持ちで)今一番気になってる「さくらさくらんぼ保育」の斎藤公子先生の本を一冊(これも高かった)。気になっているというより、色々選べる中でさくらさくらんぼ保育が近くにあったらお受験はありえないし、お勉強系もイヤだし、確かにいいな~と思っているシュタイナーでもモンテッソーリでもなくここに入れると思います。(田舎なので公立以外の保育先は選べませんが・・・)早期教育の対極にある感じの保育です。もし興味のある方は次の方のブログを読んでもらえたらと思います。働くママの時間ですよひだまり泥んこ日記あゆみっ子ヒカルの日々あ、でも、一昔前の田舎の保育園にとっても似てる気がします。私が子どもだったときの。食事とか、リズムとかそういうのはもうさくらさくらんぼ保育の方が数倍考えらてますけど。それに幕内秀夫さんの「じょうぶな子どもをつくる基本食」を。遅ればせながら真剣に息子も家族も健康や食べることを考え直していこうと思いました。ネイチャーゲーム系の本を一冊。歩けるようになったら息子と裏山をこれで遊び倒してやるんだ!なんて思ってます。あとは私の仕事や個人的な本を数冊頼んだのですが、が、が、、、、市県民税(住民税)の通知がきてただいま愕然としています。高くなることは覚悟してました。昨年は出産で休んでいた時期があったのですがそれ以外結構がんばったので、一昨年と同じぐらいの収入だったのですが、請求書の金額が一昨年の2.5倍↑!!!!!ボーナス分なんて全部住民税にしたってぜんぜん足らない。(田舎の企業なのでボーナスなんて雀の涙ですので)まあ、もうアマゾンは届いてる状態だし、どうせどっかで購入しちゃうんだから・・・とあきらめましたが、これは、今年の選挙は与党、かなり苦戦するに決まってるな~と思いましたね。さて、まずは何から読みましょうか?相良先生の本にしようか斎藤先生の本にしようかにやけながら考えてます。ああ、多分、活字中毒者の一番楽しい時間は本を読んでるときではなく(もちろん読んでるときは至福の時ですけどね)、選んでるときなのかもしれません。次はいつになるかわからないのにすでにアマゾンのウィッシュリストがいっぱいになってきてます。
2007.06.22
モンテッソーリIT講座の話です。タイトルだけだとまるでけんかをしたみたいですが、そうではなくて私の頭を殴られるぐらいに感じたことがあったもので・・・まず一発目。モンテッソーリ教育の目的を一番最初に勉強したのですが、もうこの時点で本当に殴られたかのような衝撃をうけました。二つモンテッソーリには目的があるそうです。一つは「自律・自立をうながす」これはもちろん大きな目的でした。でも、よく、「モンテッソーリはお受験に有効」とか「頭がよくなるモンテッソーリ教育」みたいな文章が多く見かけるなか(そして私も正直に告白すればこういうイヤらしい期待をもってました)二つ目の目的は「平和な世界を作る為の教育」(実際の文章はもっときちんとしてます)とIT講座で言われたときは、もう、本当になんていうか涙が止まらず・・・なんて自分は小さなイヤらしい感情で子どもを見ていたんだろうと。頭がいいとか、○○が出来るなんてそんなことよりも、本当に大切なことは、もっともっと崇高ですばらしいことなんだと。親がきちんと目的をもっていない子育てをしていいのかと。言葉にすると表現力の無い私はうまくいえないのですが、ああ、この目的をきちんと知ることができただけでも、IT講座を受けてよかったと思いました。その思いをレポートに書いてアイちゃん先生に送ったところ、アイちゃん先生からも素敵なお返事をいただきました。アイちゃん先生に感謝するとともに、本当に大事なことを知る機会をくれた息子に、またまた感謝するダメ親の私。そして2発目は、アイちゃん先生にすすめられていた相良先生の著者を再度読みながらの文章。(手元に本が無いのでちょっとあいまいですが・・・)「親は○○が出来たことを喜ぶのではなく、子どもの充実した顔、笑顔を見ることに喜びを感じるようになることが、親として大事です」出来たことを喜ぶ・・・これ、親なら当たり前にしてしまいませんか?(ってダメ親の私だけかもしれませんが・・・)それがほかの子よりも早ければ早いほど、自慢のような、うれしいような。でも、本当に親として喜ぶことは子どもの敏感期に気づき、子どもの欲求を受け入れ、思う存分やらせてあげること。そのときの子どもの真剣な顔や思う存分やらせてあげた後のすばらしい顔。これをみて喜べることなのだと。ここで頭にガツンときました。その文章を見て、息子のことを考えました。1歳3ヶ月、「まだ」歩かない息子。でも、彼は今一人で立てた後の笑顔は、ほんとうにすばらしく、まるで太陽のようです。息子は何度も何度も繰り返してます。多分立つという行為自体を楽しんでいる息子。あの、すばらしい笑顔を見れることを喜ばなくてはいけないはずなのに、ついつい「まだ」歩かないことのほうを気にしてしまうダメ親の私。彼の立つ敏感期は今なんですよね?きっと。そう思えた瞬間、私は泣きたくなりました。なんてもったいないことを今までしてきたのかと。どれだけの彼の笑顔を見逃してきたのかと。彼のあの笑顔をもっと大切にしていこう。もっとあの笑顔を沢山を見よう。比べるものではない、たった一つの息子の成長をもっともっとしっかり見つめていこうと。多分これを読まれてる人は「ぉぃぉぃ。当たり前のことだろう?ダメ親だな~こいつは」と思われたかもしれません。自分でもそう思います。生まれたときは本当にただ存在するだけで充分だったのに、いつのまにか私は余計なものを求めてしまうようになっていたようです。お恥ずかしい・・・モンテッソーリ教育は決して「器用にする為の」「頭のよくなるための」教育ではありません。逆に、親も子ものんびりと取り組めるものです。だれかと比べてうまく出来たとか早くできたことを競う為ではありません。モンテッソーリのともすれば小手先のテクニックのような、教具や提示だけを手っ取り早く取り入れようとしてしまいがちです。少なくとも私は、そういう風に考えていた部分がありました。でも、もっと根本、そう、もっと子どもを見つめ、子どものペースを大事にすること、そういう一番根っこの部分を教えてくれたのはIT講座を受け始めてからかもしれません。IT講座、まだ1回しか映像講座をうけていませんが、アイちゃん先生のレポートの返事もとっても丁寧で、このままがんばって受けていこうと決意しました。小手先ではなく、きちんと根本から勉強する機会が出来、本当にありがたいです。最初、近くにモンテッソーリ関連の幼稚園や塾も無い田舎を呪い(?)ましたが、逆に自分で息子を見ていける、親がきちんと基礎を勉強できるということでIT講座のほうが私にはあっているのかもしれません。どうしても、私みたいにめんどくさがりは、任せちゃえばいいや~になりがちですから・・・(ああ、ダメ親なのがさらにばれちゃいますね)きっと講座を続けていけばもっと殴られるような衝撃は増えるでしょうけど、それを楽しみに(なんて書くとマゾなのがばれちゃいますが・・・)続けていきます!余談ですが育児のなかで最近気になる言葉にさくらさくらんぼ・斎藤公子・GEMS・ネイチャーゲーム・性教育があります。(以前からわらべうた・おもちゃ・童具・積み木・シュタイナー・モンテッソーリ・絵本・食育というキーワードはあったのですが)来年には私自身のステップアップのために国家試験を受けようと計画もしています。今、私は勉強すること(本を読むこと)が更に楽しいです。息子にも自分で進んで勉強することは楽しいということを伝えられれば、幸せですよね。
2007.06.15
私はわがままで不器用なので、なにかミスをすると母や妹、婿殿が笑いながら「君の手は神の手だからね~」といわれることがあります。そう、私は子どもの時「神の子」と祖父に言われていました。まあ、誰かを治療しちゃうとかそういう、宗教的な意味ではなく、教師だった祖父が「孫の手は神の手だ」と家族にいい、初孫だった私は特にそういわれて育ったらしいのです。裏を返せば小さいころから不器用で、言葉も遅く、おとなしかった(今は違いますが・・・)私は家族にそう、かばわれていたのかもしれません。(ちなみに妹はとっても出来の良い子だったのであまりそういわれてかばわれることもなかったらしいですけどね・・・)神の子という意味には二つの意味があるようです。一つは、「神様から授かった子ども」という意味。もう一つは、「このいたずらは子どもがやったんじゃない、神様が周りの大人を試す為にやったんだ。それに子どもはなんでも最初からうまく出来ない。だから怒るのは間違ってるんだ。怒らないで、周りの大人がまず冷静になりなさい。」という意味と。教師だった祖父は、素敵な人でした。別に宗教家ではありませんが。(宗教や歴史には詳しく、いつも本を読んで何かを書いていましたが)息子が生まれてから、自分の子供のときのことを思い出す・・・というより、改めて体験してると思うときが(フラッシュバックみたいな感じでしょうかね?)多々あるのですが、私は子どもの時、毎日息苦しく、毎日びくびくして生きていた気がします。すべてが新鮮で・・・なんて書けばかっこいいけど、子どもだった私には新鮮というより、どきどきしながら生きていた気がするんです。子どもは悩みがなくていいね、なんて簡単にいう大人はたくさんいる気がしますが、子どもは子どもなりに必死だった気がします。(って私だけなんだろうか・・・?)そうだったからこそ、祖父が「神の子」と言ってくれて、周りに育ててもらえたことは、弱かった私には必要だったのかもしれません。まあ、母は「何を悠長なことを!!!」と思っていたと言っていますが。確かに母は短気なので怖かったです。それでも今は「やっぱり孫は可愛いのね~確かに神の子だわ☆」という調子になってますから、孫の威力は絶大なようです。でも、今でも覚えていることに祖父が「枯れた花を摘んで取ってあげると、後から咲く花に栄養が行ってきれいに咲くんだよ」と教わった私は祖父が仕事で学校に言ってる間にすべてを摘んで、帰ってきた祖父にそのでかい鉢を抱えて玄関先で「みてみて!全部枯れたのとったよ!」って満面の笑み(だったと思う)で言ったことがありました。そのとき、祖父は笑って私の頭をなでてくれましたが、後から祖母に「おまえはつぼみを全部取っちゃったんだよ」と言われて愕然としたことがあります。幼かった私にはつぼみも枯れた花も区別がついていなかったようで、自分のしたことがどれだけ祖父を悲しませたことか、とっても悲しかったことを覚えています。もしかしたら、こんなこと、怒られたら覚えていないことかもしれません。それでも、祖父は私の「善意」だけを許してくれて、「神の手」のしたことは怒りませんでしたから、本当の神様は私にとっては祖父だったのかもしれません。今、親になって、息子はやっぱり神の子だと思います。祖父のようには出来ませんが、それでも、祖父の教えてくれたことは忘れたくないな・・と思います。
2007.06.04
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