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川べりで夕陽 バッテリー交換以来ときどき乗らないといけないと思い、夕方になって涼しくなったのでスカイウェイブで走り出した。特段に用事があるわけではない。 走りながら思いついて、近くのホームセンターで野菜苗を買う。ビグスクはこんな時にも便利である。トランクの中にちゃんと納まる。 帰っていたら夕陽が落ちかけていた。故郷の夕陽は山に落ちる。せめてもの効果をと思って川べりに向かった。川の土手はきちんと除草されているが、ビグスクで川面の近くまで降りてゆくにはやや恐い思いをしそうだ。したがってそれは素直に断念した。「落ちてゆく夕陽」(正面からのこの堂々たる面構えは、とても250CCとは思えない) バッテリーが切れている間に自賠責の保険も切れていた。連絡は来たんだろうが見逃していた。しびれを切らした保険会社から再度の通知がきたので、継続することにした。「まだまだ走りが少ない」(保険料が安かったので3年契約にしたが、果たして3年後に乗りこなす体力があるか…) 2011年2月登録、走行距離はまだ14,300Km。走るべき道はまだたくさん残っている。しかし、仕事やささいないくつかの役職のために走破できていない。これからの3年間で、少しずつでも達成したいものだ。 ↓ランキングに参加しています。よかったらクリックをお願いします。にほんブログ村
2017/05/28
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故郷の景色 「故郷」と言うが生まれ育った土地に住んで何十年にもなるから「故郷感」はない。3年ぐらい海外生活をして戻ったら、故郷への感慨も湧くのだろうか。「山とJRの駅」(正午過ぎ、飲み会を含む会議に出席するためJRに乗る) 上の写真はスマホのカメラで撮った。どれくらいの画角だろうか、映画のようなワイド感である。やや平板だが、気持ちよい空気感が伝わってくる写真になった。 ほんの20分ほどだが、窓からの景色には季節感があふれている。「麦秋」とはこんな季節を言うのだろう。飲み会も定刻に終わり、初夏の残照の中をほろ酔い気分で帰る。下の写真はもう長く使っている、いわば当時高級コンデジと呼ばれたジャンルのカメラで撮った。「帰りの車窓から」 窓ガラスの反射はご愛敬。ほろ酔い気分に免じて許してもらいたい。機種はPanasonicのDMC-LX7。センサーサーズは1/2.3インチよりやや大きい1/1.7。レンズは固定式の24-90mmだが、ワイド端がF1.4と明るいのがマニアックでいい。 ↓ランキングに参加しています。よかったらクリックをお願いします。にほんブログ村
2017/05/27
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福岡出張からご帰還 今日(5月21日)は、「唐津くんち曳山展示場」に我が家に民泊する修学旅行生を連れて行った。唐津くんちの曳山は時間があれば必ず見せたい。しかし、受け入れ時間(入村式終了時間)が15時を過ぎると、その後の体験活動を考えて割愛せざるを得ない。 今日の横浜市からの中学校は時間の余裕があった。生徒たちは珍しげに曳山やモニターに流されているくんちの映像を見ている。しかし、地元の自分にとってはここに来ても感動はあまりない。躍動的に曳かれている姿こそ曳山本来の姿だからだ。「唐津くんち曳山展示場」(この展示場からはくんちの躍動感は伝わらない。まるで曳山の墓場のようだ) 実際にこの展示場は曳山の格納庫そのものだ。展示の仕方もまったく工夫がない。世界文化遺産に指定されたのを機に、充実した体験型の展示館にすべきだ。今や旅は「モノよりコト」へ変化している。このことは曳山取り締まり会と唐津市当局に熟考をお願いしたい。「出張からご帰還」(曳き子の装束はTシャツ姿だが、動いているやまを見られたのはラッキーだった) 米屋町の11番曳山(やま)「酒呑(しゅてん)童子と源頼光の兜」は、5月13日、14日に開催された、「祭WITH THE KYUSHU」に出動していた。これは世界文化遺産に登録された「山・鉾(ほこ)・屋台行事」など全国33件の祭りのうち、「博多祇園山笠」など九州の5つの祭りを集めたイベントである。11番曳山の「酒呑(しゅてん)童子と源頼光の兜」は「唐津くんち」の14台の曳山を代表して出動していたのである。曳山は解体されて運ばれ、イベントの時は300人の曳き子たちが勇壮に博多の町を曳き廻ったというだ。「くんちまであと半年」(唐津っ子のカレンダーはくんちを中心に廻っている) 他に修理中のために展示場から出されている曳山もあった。市内に修理施設ができたため、保守点検や大修理は今までよりやりやすくなっているようだ。 一番山の赤獅子は2年後(2019年)には200周年を迎える(1819年、文政2年製作)。世界文化遺産に指定されたことで曳山の保守点検は一層重要になってくる。 ↓ランキングに参加しています。よかったらクリックをお願いします。にほんブログ村
2017/05/21
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プライベートビーチ 今日と明日の2日間、今月3校目の修学旅行生の民泊を引き受けました。今日は時間的余裕もあり、天気もまずまずだったので最初に唐津湾を展望する鏡山展望台に行きました。「まずまずの風景」(白砂青松、青い海と空。ややコントラストに欠けますがいい眺望でした) 次に鏡山を車で降りて、虹の松原を通って東の浜に出ます。人工海岸しか見たことのない都会の中学生にとって、初めて見る景観でしょう。それぞれの口から「おー!」という簡単の声が出ます。「自然を相手に」(現代っ子はモノがないと遊べないと言われますが…) 靴を脱いで海に入ってみたり、砂浜で競争したり、結構楽しんでいました。中学3年生、大人ぶっていてもやはりまだ子どもだなと思います。6kmほどの砂浜にいるのは彼らだけでした。↓ランキングに参加しています。よかったらクリックをお願いします。にほんブログ村
2017/05/15
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たかが「サンダル」というなかれ 「KEEN」(キーン)の製品。買ってから7~8年にはなるでしょう。とっても丈夫で履きやすいし、かかとのベルトがあるから、山道でも安心感もあるんです。 値段も結構しました。大枚一枚と中枚一枚と小枚数枚はサイフから出ていったと思います。でも、いい品は長持ちしますから結局は「お買い得」なのです。(たまには洗ってやらないと…) ふと裏返しにしたら、さすがにかかとの内側の部分が剥がれています。そう言えば、小中学生の時に、通学靴の内側だけがよく減っていた。内股で歩くくせがあるのか(?)。(あーあ、こんなになっていたのか) すっかり、底の溝も減ってしまっています。タイヤなら車検で完全に通らないレベル。2011年の船旅では、死海のほとりの塩混じりの土が底の溝に張り付いていました。 その土くれは、船に戻ったときに発見、今では「地球の最低標高の土」として小瓶の中に入っています。↓ランキングに参加しています。よかったらクリックをお願いします。にほんブログ村
2017/05/14
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今年もキムパ 倉敷市から今日は修学旅行の中学生の民泊を受け入れました。男子4名、慣れない手つきで韓国風海苔巻き「キムパ」に挑戦しました。「海苔は有明海産」(最初にごま油と少量の塩を海苔にふりかけます) ご飯の量は茶碗半分くらい。海苔巻きといっても酢飯にしなくてもいいのです。なぜなら、このごま油と塩で適度に味がつくからです。「サランラップを巻き簀にします」(具は、ソーセージ、カニかま、キュウリ、タクアン、しば漬け(長いままの)) 1人二本ずつ作ります。タクワンやしば漬けなどの漬け物類が苦手とか、キュウリが苦手な子もいます。そんな子のための、代替品はありません。「できあがり」(彩りがよくて、食欲が湧くでしょう) どの学校の生徒たちも楽しく食べてくれます。本当は「田舎体験」なので農作業を予想していた子が多いようですが、兼業農家を廃業した我が家では調理体験がメインです。↓ランキングに参加しています。よかったらクリックをお願いします。にほんブログ村
2017/05/12
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あいにくの雨 兵庫県からやってきた中学生に民家体験宿泊を受け入れました。男子4名、あいにくの雨のために予定を変更して、最初は菜園のさやエンドウの収穫をしてもらいました。「小さな菜園に大きな生徒が4人」(明日の長崎班別自主見学のためレインコートを用意していました) 雨に備えてちゃんと準備万端、先生の指導をきちんと守る子どもたちです。このさやエンドウは、夕食のトンカツの付け合わせとしてみんなにも食べてもらいました。 つぎにいつも我が家ではお決まりのソバ打ち体験をしました。車で10分ほど、八幡岳の麓のそば屋さんに向かいました。「1人25回、4人で100回こねます」(この頃にはソバの香りがしてきます) ソバ打ちの後で、「蕨野(わらびの)の棚田」に登ってみましたが、まだ水が入っていない田んぼもあって見映えは今ひとつでした。こどもたちには珍しかったようです。「棚田ハート」(ほとんど水が入っていません、海沿いの浜野浦の棚田は田植えが終わっているのに) 夜はホタルがいないか、夜道を車で10分ほどのホタル出没地に出かけてみました。しかしホタル乱舞の季節にはまだ早かったようです。↓ランキングに参加しています。よかったらクリックをお願いします。にほんブログ村
2017/05/09
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旅立ちの日 晴天の風の穏やかなとき、タンポポの綿毛が飛んでいく様子をよく見かけます。綿毛の一つ一つは繊細で芸術品のようです。(準備完了となった花弁)(もう風を待つばかり、種子の部分がよく見えます)(真上から見ると、ひとつひとつが美しい白い糸の羽根をもっています)(この花弁からは、ほぼ半分が旅立っていきました)(こちらはあと残り数本になっています)↓ランキングに参加しています。良かったらクリックをお願いします。にほんブログ村
2017/04/30
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今日は昭和の日 「雑草にも名前があるんですよ」と言われたのは昭和天皇だと思うが、今日はその昭和天皇の誕生日「昭和の日」である。最近元気をだしてきて草取りが追いつかない庭の雑草を撮ってみた。「カタバミ」(普段は緑色の葉を低く拡げながら勢力範囲を拡げていきます) カタバミは根が意外と深いのですが、1本の根で勢力をひろげますから、1本引き抜いたら結構広い範囲が片付きます。そのカタバミにも、こんな可憐な花が咲くんですね。「タンポポ」(花はあっという間に綿毛になって飛んでいくので繁殖力が強いのです) 花アブがせっせと仕事をしています。受粉も順調におこなわれて、このあと種が綿毛になって飛んでいくことでしょう。 よく見るとめしべの柱頭がたくさん見えます。この雌しべの下に花弁と雄しべがあって、受粉すると雄しべの下の子房が果実となって飛んでいくのです。↓ランキングに参加しています。良かったらクリックをお願いします。にほんブログ村
2017/04/29
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ミラーレスはこれから… コンデジを卒業した若い女性たちがミラーレスにステップアップするのか。それとも、フルサイズを持ち歩くのに体力の限界を感じるようになったシニア層がミラーレスにステップダウンするのか。友人はただ今後者の道をひたすら走っています。いずれにしてもミラーレスカメラの充実振りは、APS-Cを凌駕する勢いです。「スナップ」(駐車場のワーゲンマークの軽ワゴンが珍しかったのでとっさに一枚) こんな時、とっさに撮ることが出来るのがマイクロフォーサーズのいいところでしょう。画質などは割り切って撮ります。(DMC GX7 20mm F2.0) 今日は友人がミラーレスカメラのF2.8の標準レンズを買うというので、福岡のYカメラまで出かけました。展示機の数と店員の知識ではこの店かなう店はないようです。「売り場」(ミラーレスのPanasonic GX7と20mm単焦点の絞り開放F1.7で撮影) いずれにしても、最近は若い女性がミラーレスを構える姿をよく見るようになった気がします。綾瀬はるかや宮崎あおいのCMの影響もあるかもしれません。「夕暮れの博多駅前」(GX7 20mm 、F5.6、1/400秒、ISO400) 昨年末にOLYMPUSのOM-D E-M1 Mark2、今年3月にはPanasonic のDMC GH5 が発売されて、マイクロフォーサーズの本家2社が競い合っています。「夕陽」(帰り道、ここから所要約1時間) 自分は今年になってミラーレスのOM-D E-M1 F 2.8 40~80mm PROやEOSのフルサイズ6D標準レンズキットを売却してEOS 5D Maek4でラインナップを組み直したので、懐具合を反省してこのミラーレス戦争はしばらく静観しています。 EOS 6D Mark2が発売されたらボディだけは欲しいと思います。性懲りもなく「買いたい病」の悪い病原菌がうごめいています。↓ランキングに参加しています。良かったらクリックをお願いします。にほんブログ村
2017/04/17
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今年は開花が遅いので間に合った 今年度非常勤で勤める中学校の入学式に参列しました。いつもなら体育館脇の桜も散り果てている頃ですが、今年はまだかろうじて残っていました。「窓に張り付いた花びら」(向こうに見えるの管理棟は、耐震工事と改修工事が済んできれいになっていました) 入学式が終わったら、保護者と新入生と記念写真を撮ります。今年は32名の2学級編成ですが、50年前は1学年8~9学級、30年前でも4~5学級ありました。「入学式後の記念撮影」(このあと新入生たちは教室に入って真新しい教科書をたくさんもらいました) 6年振りに母校でもある最終勤務校に勤務することになました。新入生の1年間が充実した1年間になるように、新任の担任の先生を陰からサポートしていきたいと思います。↓ランキングに参加しています。良かったらクリックをお願いします。にほんブログ村
2017/04/11
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あの山荘で… 昨日(3月25日)はカープ対ソフトバンクのオープン戦を見た。デーゲームだったので、関門海峡を越え、先日北の某国の熊さんが2時間も遅刻して来て宿泊した山荘に宿泊した。「ホテルからの心遣い」(40年間はあっという間で、いまや引き算だけの人生に入っている) 土曜日なので結構な出費となったが、施設もおもてなしもとても快適なホテルである。何と言っても温泉がいい。北の某国の熊さんもSPの警護付きで入ったのだろうか。「昨夜のディナー」(山海の素材を生かした料理、少しだけどフグ刺しもあった) 今朝(3月26日)はホテルを出発し、美祢インターから中国道に乗って広島方面に向かった。同じカードが今日はマツダスタジアムで行われる。オープン戦のハシゴなのだ。「ホテルを出発」(今後近隣諸国の観光客も増えそうだが、宿泊や入浴のマナー教育を十分にして欲しい) 海外からの観光客も最近は日本での適切なふるまい方を身に付けた人が増えた。どんな立派なホテルや観光施設でも、彼らに対して周囲に不快感を与えるようなふるまいがないように指導しないと、日本のお客さんが行かなくなり、経営危機に直面することになるだろう。 オープン戦というのに、レギュラーシーズンと変わらないお客さんの入りで盛り上がっていた。今年のカープも熱いプレーで多くのファンに感動を与えてくれるだろう。「やっと出た一発」(屋根のない球場でのデーゲーム、松田選手のホームランのシーン~ノートリミング) ナイターとは違ってISO感度もあまり上げなくてもいいから、写真の精度はかなり高くなる。下の2枚は等倍で切り出したものであるが、まあまあの解像感である。「松田選手」「大世良投手」 打った後の松田選手の手応えを感じている表情や、大瀬良投手のボールの握りまでちゃんととらえている。この日は初めて球場にEF70-200mm L IS2 を持ち込んだ。 レンズ:EF70-200mm L IS2、エクステンダーEF 1.4 ボディ:Canon EOS 7D Mark2、焦点距離280mm(200mm×1.4、35mm換算約450mm) データ:松田選手=ISO 800、絞りF6.3、シャッター速度1/1000秒 大世良投手=ISO 800、絞りF5.6、シャッター速度1/2500秒(ともに一脚使用)↓ランキングに参加しています。良かったらクリックをお願いします。にほんブログ村
2017/03/26
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あっという間の最前線 昨年4月、突然の臨任辞令でこの小さな学校に来た。直接子どもたちに授業をするのは15年ぶりのことで、とても新鮮な体験だった。「松林の中の学校」(出勤して車を降りたら、電車が松林を抜けて走ってくることもあった) 現実社会は日々変化している。指導内容も変わり、指導方法も変わっている。それについての最新知識は有していたが実践するとなるとなかなか思うようには行かないこともあった。 しかし、全寮制で様々な生育歴や個性を有する子どもたちが各地から集まっているこの学校での1年間は、自分にとっては貴重な経験だった。「最後の日」(もうこの廊下を通って教室に行くことはない) この学校では、普通の学校ではお題目になってしまっている「知・徳・体」の「全人教育」が実践されている。 生徒たちはこの学校で学び新しい世界に巣立っていく。そして先生たちも…。↓ランキングに参加しています。良かったらクリックをお願いします。にほんブログ村
2017/03/23
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書棚から古書発見 珍しい本が何回かの大整理の波をかいくぐって生き残っていた。山海堂発行の「初歩のアマチュア無線の研究」。昭和42年6月10日発行の第十三版である。(易しく解説された自作派ラジオ少年用の参考書。杉本哲著、420円。)(当時はアルミのシャーシーから手作りしたものだった) 昭和34年の初版以来、何と13版も重ねているから、それだけファンが多かったんだろう。真空管時代のアマチュア無線用の受信機や送信機の作り方が解説してある。(ラジオ製作はプラモデルやレーシングカーを卒業した少年たちの新たな夢だった) パラパラめくって見ると、赤でアンダーラインを引いた部分もあって、結構読み込んでいたことがわかる。多分この本が、かつて自分が高周波一段中間周波2段増幅(略して高一・中二受信機)のアマチュア無線用受信機を製作したときのメイン参考書だった。 話は変わるが、この本のカバーにしていたのが何とホンダZのカタログの一部を切り取ったものだった。これがまたとても懐かしいものだった。(ホンダZは1970年に発売された軽4輪のスペシャリティカーである) すでにホンダは1967年にN360を発売して軽四輪市場の開拓者となっていた。そのホンダの新しい挑戦がこのホンダZだった。この車のデザインはとても目を引いた。特に後部ウインドーの形状から「水中眼鏡」というニックネームもあった。 Zのエンジンは空冷直列2気筒SOHCの360CCで、駆動方式は当時としては先進的な前輪駆動方式(FF)だった。当時の発売価格は埼玉県狭山工場渡しで34万8千円。(ライトバンタイプのLN360には乗ったが、このZに自分は乗ったことはない) このZの挑戦はわずか4年で幕を降ろした。その理由は皮肉にも1972年7月に発売されたシビック(空冷直列4気筒、SOHC1200CC)が好調に売れはじめたためである。(確かに、新しい世界をイメージできる斬新なデザインだった) わずか4年という短命に終わったが、今このカタログの断片で見ても、とても斬新な車だったことが伝わってくる。(なお、1998年10月、SUVタイプの4WD車として「Z」の名前が復活しているが、これも4年で生産打ち切りになっている) 自分の初代マイカーは1972年8月に発売された3ドアハッチバックタイプのシビックGLだった。今でこそ日本の軽四輪人気は根強いが、高度成長期の末期にかろうじて入っていたこの時代に、日本のモータリゼーションは一気に普通車志向になっていたのだ。↓ランキングに参加しています。良かったらクリックをお願いします。にほんブログ村
2017/03/02
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アニメファンで盛況 昨年は関東地方を中心に開催されたアニメ「4月は君の嘘」のコンサートが、昨日(2月19日)、ピアノ演奏者古賀大路君の故郷である佐賀でやっと開催されました。 古賀大路君のことは何度かこのブログでも取りあげていますが佐賀県唐津市の出身です。中学一年の時に毎日学生音楽コンクールピアノ部門で見事第一位に輝いた逸材です。 「四月は君の嘘」は『月刊少年マガジン』で2011年から2015年まで連載されたマンガで、中学生のピアニストとバイオリニストを主人公にしています。2014年にはアニメ映画が公開されて若い人たちに人気が出てきたようです。 古賀君は、このアニメ映画「4月は君の嘘」で使われた楽曲を演奏するコンサートで演奏者を務めています。その演奏をアルバムにしたCDもあり、発売と同時に購入しましたが、彼がステージで演奏するのを聴くのはこの日が初めてでした。「アニメファンが多かった」(今回は全席指定だったので、列をつくって並ぶ必要はありませんでした) アニメで使われた曲の演奏会とあって、普段よりもリスナーの年齢層が若いようでした。もちろん佐賀で何回も演奏会を開催している古賀君の熱心なファンも多かったようです。 古賀君のピアノの他に、バイオリン、テーマ曲をうたったヴォーカリストも登場しました。曲目は割とポピューラーな曲が多かったです。バイオリンの演奏者との練習時間がとても少なかったということで、音楽性としてはやや未完成な部分を感じました。 全体的にバイオリンが急ぎすぎで、古賀君のピアノとの間が合わない場面が多かったです。やはり古賀君のピアノ演奏の素晴らしさが発揮されるのは、ソロ演奏か、古賀君の演奏をリスペクトしているオーケストラのと演奏の時です この「君嘘」コンサートは、このあと4月8日の京都を皮切りに、大阪、愛知、栃木の各都市でも開催されるようです。↓ランキングに参加しています。良かったらクリックをお願いします。にほんブログ村
2017/02/20
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静かな海の夕暮れを眺めて 山の中腹にあるイタリアンレストランに行った。今日は日曜日とあって、次から次へとお客さんが入ってきた。「夕暮れの海」(昨日の雪を忘れたかのような穏やかな、春を待つ海) シーフードのスパゲティをメインとする、取り合わせメニューを注文した。味付けが少し辛かったことを除けば、なかなかいいメニューだった。 今日のカメラはLUMIX GX7、レンズは LUMIX G F1.7 20mmの単焦点レンズ。ほとんど開放で撮っているが、AFの精度が悪いのかピントがほとんどきていなかった。 ↓ランキングに参加しています。良かったらクリックをお願いします。にほんブログ村
2017/02/12
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2シーズンぶりの冬 昨年の今頃は南米のアルゼンチン辺りだったので、寒さ知らずだった。そのせいかもしれないが今年の冬はとても寒く感じる。 水道管が凍結した昨年と比べると、寒さは厳しくはないのだろう。だけど、今朝のように庭に雪が積もると、冬の寒さを体感させられる。「明け方には止んでいた」(ガーデンテーブルがスポンジケーキのようになっている) 積雪は5センチといったところだろう。天気予報では平地で3センチ程度の積雪と言っていたから、まあ予報とおりである。「寒いけどきれい」(かわいそうだけどアイスクリームのようで美味しそう) 寒さのために不精になって、スマホでの撮影だが、まあまあ雰囲気は映っている。↓ランキングに参加しています。良かったらクリックをお願いします。にほんブログ村
2017/02/11
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増殖する政治不信と無関心 今回の市長選は、実質的には議会の主流会派が推す元副市長と、前回に引き続いての挑戦となる元市議・県議の一騎打ちとなりました。玄海原発の再稼働については両氏の間には大きな意見の違いはなく、前市政の刷新か継承かというイメージの選挙になりました。 開票結果では、56歳の元県議・市議が2回目の挑戦で市長の座を射止めました。一方の新人61歳の副市長には、市議会の大方の保守系議員がつきましたが、部長級があい次いで逮捕されたり、市長の政治献金疑惑といった悪い旧市政のイメージが悪影響を及ぼしたようです。 新市長には、旧来のしがらみにとらわれない新しい発想での動きを期待します。ドナルド・トランプのようにとはいいませんが、直接選挙で選ばれた市長は、自らの政治ビジョンを大いに発信して実行していく責務があると思います。 市議選は定数30に32人が立候補するという少数激戦でした。残念ながら、企業誘致・就労支援、介護問題・少子化対策など地方の活性化に関して、候補者から明確なメッセージはなく、地縁・血縁型の選挙に終わったようです。「市議選のポスター」(「お願いします」という連呼の連続、「お願いされたくないよ」と言いたい) 選挙の時だけは「お願いします」だけど、選挙が終わって議員様におさまると、市民の「お願いします」には耳を傾けない人が多い。身近な政治を身近な市民とともに考えていこうとする議員ならいいのですが、自由な発想で活動する議員が少なくなっています。 玄海原発についても、現状では、新基準に合格したら地元同意を経て再稼働という路線は妥当だとは思います。しかし、脱原発や古い原子炉の廃炉に向けての取り組みについて何ら発言する候補者がいなかったのはどうしたのでしょう。 首長や議員は貴重な税金を使って、各地に視察に行っているようですがその結果は市民に報告されているでしょうか。公僕という意識が希薄なのです。また、執行部と議会多数派はなれ合い、議決は会派のパワーバランスで決められ、そこに主権者たる市民の姿はありません。 まず議員数は20名程度に減らして、無駄な議員への歳費を削減し子育て対策に回すべきです。将来の人口が10万人を下回るのが目前に迫っているのに、議員には危機感がないのです。 「議会だより」などは事務局が穏当にまとめていますが、一体どのくらいの有権者が読んでいるでしょう。上意下達ではなくもっと双方向型の情報発信にしていかなければ、市政への無関心は高まるばかりでしょう。 今回の投票率は63%。投票率は市政への期待や関心度のバロメーターです。↓ランキングに参加しています。よかったらクリックをお願いします。にほんブログ村
2017/01/29
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歩き初め 新年があけて1週間、これまで外出したのは3日だけだった。自室でもやるべきコトは多いが、さすがに外出しない日が続くと、自分の中に鬱屈し堆積する何かを感じる。 考えてみたら、約1年前、一昨年の秋ごろは毎日約1時間半歩いていた。一日平均1万歩で一ヶ月で30万歩。長い船旅に備えての、付け焼き刃の歩きだったが日々それなりの達成感を感じていた。そこで、今日は久しぶりに歩くことにした。曇天の日没間近の17時にスタート。「久しぶりの感覚」(歩き始めたら、なまっている体の細胞が少しづつ目覚めていく感覚があった) 標高37m地点の自宅を出て10分も歩くと下り坂になる。右側に水田が見えて、このコースで一番標高が低い地点を通過する。ここは標高19m地点。そこから少し急な上り坂になり、出発から約40分で町の中心部を見おろす峠に着いた。人家はなく、ただ浄水場と土砂採取場がある。 この地点の標高は75mだから、今回のコースの標高差は56mということになる。車には一度も出会わなかった。普段から車が少ない道だ。「土砂採取所」(ここから採られた土砂は、どこに運ばれどんな風景を作っているのだろう) 携帯電話のアンテナ、高圧送電線、仕事が終わった土砂採取場の機械。少し呼吸が乱れたが、腕時計の秒針が見えず脈拍数が測れない。平常値の60から少し上がって75程度だろう。「町の中心部を望む」(少し山道を登った地点から、これは初めて見た風景) 峠を下りて住宅地を通り、この町で一番堂々とした橋を渡って国道沿いの歩道を歩く。さすがにこのあたりでは脚の筋肉が張ってきた。「18時20分帰着」(やはり1万歩は超えていなかったが、初日だからこれくらいで終了) スマホでは思ったような写真が撮れない。ウォーキング用のカメラバッグを調達しよう。 ↓ランキングに参加しています。よかったらクリックをお願いします。にほんブログ村
2017/01/09
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写真展に行ってきました NHK BS3でも放映されている「世界ネコ歩き」の写真展が開催されているというので行ってきました。思わずうっとりとしてしまうような作品がたくさん展示してありました。 世界各地のネコが、さまざまな風景の中にしっくりとなじんで写っていました。というより、写真家岩合氏の視点が、ただのネコをより存在感のあるものとして切り取っていたのです。 南欧のネコはのんびり楽しんでいるし、北欧のネコはちょっとすましている。アジアのネコは雑踏でたくましく生きている。といった具合に、ネコの暮らしにも人間の生活が反映しているように見えたのは、自分の先入観だけではなかったと思います。(チケットも可愛いネコ型になっています) 全紙の2倍サイズのプリントもたくさんありましたが、いずれもシャープで申し分ないプリントでした。猫は瞳だけでなくヒゲにピントがきてないと気になるものですが、全ての写真がとても切れ味良く撮れていてプリントの出来もさすがに完璧でした。 しかも、これらは何とマイクロフォーサーズのカメラで撮られているのです。動きの速いネコをとらえるには、フットワークが軽くてすむ小さなカメラが使いやすいのでしょう。 岩合光昭の「世界ネコ歩き写真展」 佐賀玉屋本館6階催場 2016年12月27日(火)~2017年1月9日(月・祝)まで↓ランキングに参加しています。よかったらクリックをお願いします。にほんブログ村
2016/12/28
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初めての高校生 東京の私立高校から2年生10クラスが唐津市を訪ねてくれました。過去最大規模の受け入れ人数です。1家庭当たり3~4人の受け入れですから、80戸以上の受け入れ家庭が必要です。「市内の体育館での入村式」(午後1時半、ここで生徒たちは受け入れ家庭と対面し田舎体験が始まります) もちろんほとんどの生徒が初めての唐津市訪問です。朝はちょっと心配された天気も持ち直したので、最初に市内のミニ観光ツアーを行いました。「曳引展示場を訪問」(多くのグループが来るであろう展示場にまず最初に行きました) 「唐津くんち」は、先日ユネスコの無形文化遺産に登録されました。久しぶりに展示場に来ましたが、相も変わらずの旧態依然の展示形態です。14台の曳山が並んでいて、そこで「くんち」の映像がモニターで流れているだけという貧相さです。 11月の「くんち」に来てくれる人ばかりではないので、もっと展示の工夫が必要です。例えば、3Dのシアターをつくるとか、くんち衣装を着ての写真撮影とか、実際の大きさと重さの曳山のレプリカを曳かせたり、山囃子を体験させるたりなど、観るだけでなく体験型の展示場にすべきです。 近年幹部が汚職で相次いで逮捕されたり、トップの政治資金疑惑が浮上したり、市民不在の政治が続いています。市政が混乱停滞し、新しい発想も出てこないのでしょう。 白砂青松の虹の松原と東の浜を散策しました。松が陸側に傾いているのに気づいた生徒がいました。松原は防砂林としてつくられたのです。その後は、唐津湾を一望する鏡山に登りました。「空は晴れてないけど…」(展望台は立派になりました。何にも遮られることなく空中を飛んでいるかのようです) 定番の景色を楽しんでもらったあとは、我が家ではおきまりのソバ打ち体験。中心部からは車で25分ほど、棚田百選でも有名な山間部にあるそば屋さんです。 気持ちよかったのは、彼らが「メッチャ楽しい」などと声や表情に出して、積極的に取り組んでくれたことです。初対面の私やそば屋の師匠さんに物怖じせず、自分の気持ちを率直に表現できるのは素晴らしいことだと思いました。「ソバ打ち体験」(約50分かけて、そば粉をこね伸ばし各自で切って8割ソバの完成です) 町内の入浴施設に寄って入浴をすませ、家に帰ってからソバを各自でゆでました。4人のうち一人が家族がゾバ好きということでソバゆでの名人でした。彼によるとぬめりをしっかり取ることが肝心ということで、なるほどとこちらも感心した次第でした。 今回も彼らと出会えてとても良かったです。翌日、「またいつでも泊まりに来て」と言って見送りました。ほんの短い時間だったけど、別れがたい気持ちで彼らのバスに手を振りました。↓ランキングに参加しています。よかったらクリックをお願いします。にほんブログ村
2016/12/20
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新路線発見 市内からやや離れたところで職場で焼き肉会をしようということになって、その行き方を考えてみました。下戸とは言えどジョッキ一杯ぐらいは何とかつきあえるので車は使いません。 ネットを検索していたら、不親切な案内ながら10月からの新路線ということで、焼肉屋さんのすぐ近くのバス停を通る路線があることを発見しました。 一旦長距離路線で市内中心部のバスセンターに行きます。すると10分ぐらいで、S字を左に横倒しにしたようにして市外の市立病院に行く路線に乗ることができるようなのです。 しかし、市内に向かうバスが定刻を10分弱遅れてきました。これでは、ちょっと乗り換えに間に合わないと思って、バスセンターの手前で降りて、市立病院行きのバスを待ちました。「まだ午後6時前なのに」(冬至近くで日没が早い。ライトアップされたお城が、干潮の河床に映っています) この路線の発見は面白い発見でした。地元で発見した路線バスの旅。しかし、車なら15分のところを、約1時間半もかかりました。 時間がかかるのは折り込み済みです。だからまあそれはいいのですが、バスにももちろん、バス停にもトイレが無いのが困りますね。なんとか大丈夫でしたが…。「師走の街」(乗り換えバス停の前を行き交う車もちょっと慌ただしげでした) 初めてのお店でしたが感じのいい焼き肉屋でした。肉も美味しかったですが、何といっても清潔で換気設備が万全で、焼き肉の匂いが衣服に全く付着していなかったのがよかったです。↓ランキングに参加しています。よかったらクリックをお願いします。にほんブログ村
2016/12/16
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2年ぶりの点灯 昨年の今ごろは船旅に向けて買い物や荷物整理に大わらわだった。当然イルミネーションキットも取り付けないままだった。 今年は、紅葉の落ちるのが遅いような気がした。夏が長かったということだろう。最後の一葉の落陽まで待てず、しがみついている紅葉をはじき飛ばしつつ4日前(12月7日)に仕掛けた。「ハッピー君追悼イルミ」(イロハモミジの根っこに愛犬ハッピー君がいる) ソーラー式のイルミセットの点灯スイッチは壊れていた。充電はできるが、押したままの状態でないと点灯しないので、改めて100V用の3.9mストレート型を買ってきた。ただし、このイルミは点灯パターンの切り替えができない。これをハッピー君のまわりにセットしている。 イルミネーションセットは、照度に対応して自動点灯する。そしてタイマー(4時間と8時間切り替え)でオフになる。この「センサー・タイマー付きコンセント」は屋外コンセントに接続しているから、いったん仕掛けると手間はかからない。 イロハモミジの木にセットしているのは、多分10mのストレート型である。今年で4年目(点灯は3回目)となるが、思ったよりイロハモミジの木の生長が遅い。まだ来年ぐらいまではイルミキットを買い増す必要はないようだ。 町内には見物客もいるような、華やかなイルミネーションを仕掛けている家もある。しかし、ささやかにというのが始めたきっかけだから、まあこの程度でいいだろう。↓ランキングに参加しています。よかったらクリックをお願いします。にほんブログ村
2016/12/11
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忘年会第一弾 毎年12月の第一土曜日(今年は12月3日~昨日)は、恒例の地域の班(隣組)の忘年会の日です。今年は班長なので十何年かぶりの幹事役です。「三日月と金星」(17時50分、迎えのバスを待っていました。あと3ヶ月で桜のつぼみもひらきます) 班長は十数年に1回、ローテーションで順番に回ってきます。通常の仕事は句費(町内会費)の集金と県政だよりや市報配りです。その他には2ヶ月に1回の区内の溝掃除の世話と忘年会の幹事。 前回幹事をしたときは市内中心部に繰り出しました。会場は名の通った宴会場でした。しかし、数年前に廃業に追い込まれ、現在は老人福祉関係の施設になっているようです。(美味しかった、アラの活き作り) そこで、今回はここ数年来利用している地元の鯉料理屋さんにしました。今年の我らの忘年会も相変わらずの盛り上がりでした。なんか、この日ばかりはみんな若返っているよね。(カラオケでは昭和の歌のオンパレード) 「ど演歌」が続く中で、自分はあえて浜田省吾の「悲しみは雪のように」を歌った。でも、これもれっきとした昭和の歌なんだな。1981年のリリースだから35年前のなんと昭和56年! ああもう「昭和は遠くなりにケリ」なんだな。(最後はみんなで腕を組んで唱歌「ふるさと」を合唱、これがこれからの定番になるかも) これが本当の忘年会。年(歳)を置き忘れてきたかのような一夜でした。みなさんありがとう。↓ランキングに参加しています。よかったらクリックをお願いします。にほんブログ村
2016/12/04
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今年は秋が長いような… 12月に入ってもまだ庭のイロハモミジの葉が落ちてしまっていません。恒例のイルミネーションは、落葉がおわるまでは仕掛けられません。 今週末の今日辺りが見納めかと思ってたらまだ紅葉が残っています。イルミネーションの点灯式は来週末になりそうです。↓ランキングに参加しています。よかったらクリックをお願いします。にほんブログ村
2016/12/03
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30年前の自分、そして同僚や先輩たち 今日は、ある職場の仲間の会を市内のお寿司屋さんで、15年ぶりに開催した。集まった10名のうち現役は3名で、あとの7名はリタイア世代。 それぞれの当時の年齢に30をプラスすると、最高齢は80歳。あの当時新規採用だったメンバーもあと数年で定年を迎える。「和の料理」(素材の新鮮さが旨味を引き出している鰯の煮付け) まだ半ドン(土曜日半日勤務)があった時代。週休2日の今よりもずっと余裕があった。スキーやボーリング、麻雀、ビリヤード、ゴルフなど、同僚たちとよく遊んだものだ。「近況報告」(昔の話と今の話、お互いに30年間をタイムトラベル) 話をしていくうち、健康管理や病気の話になっていくのは、メンバーの年代からして必然。「3度死んだが、なんとか元気にしている」というような話を聞くと他人事では無い。「お寿司」(昼食会として実施したが、3時間でも話し足りなかった) 次はもちろん15年目ではなく、来年にでも開催しようということになって散会した。 語り合う あの日があって 今がある↓ランキングに参加しています。よかったらクリックをお願いします。にほんブログ村
2016/11/26
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バルーン世界選手権大会 すっかり秋の風物詩となった佐賀平野に浮かぶバルーンの風景。まあまあ近くに住みながら写真を撮りに行ったのは一度だけ。同時並行で佐賀県内では「唐津つくんち」も行われているため、どっちにしても車も人も多い。だから、出かけるのはついおっくうになる。 たまたま、この日(10月29日)、佐賀市内で飲み会があったのでJRで出かけた。バルーン大会期間中は会場の河川敷の近くには臨時駅が設けられる。その駅に停車したとき見渡したら、人影は少なかったが、大会本部の大型テントや出店などが車窓から見えた。「佐賀駅前」(このとき、もうバルーン大会は始まっていたんだ~10月29日撮影) 午後9時すぎ、地方都市佐賀の駅前、大きなイベント期間中なのに人通りが少ない。外国からの選手団やスタッフ達も、明日早朝からの競技に備えてホテルに入っているのだろうか。「イルミネーション」(これもまた風物詩となった佐賀駅前通りのイルミネーション~10月29日撮影) この日は土曜日、会社員らしい一団が歩いている。一次会が終わって二次会に向かっているのだろうか。ちょっとほろ酔いの自分は、その光景を見ながら帰りの列車に乗った。 世界文化遺産に登録される予定の「唐津くんち」。地元の伝統ある祭りもきちんと撮っておかなければと思うが、今年はもう明日(11月4日)で終わり。来年はちゃんと撮ろうか。↓ランキングに参加しています。よかったらクリックをお願いします。にほんブログ村
2016/11/03
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今日から唐津くんち 昨日(11月/1日)撮影した夕暮れの唐津城。今年も好天気が予想される。例年唐津くんちの3日間(11月2日~4日)はほとんど晴天にめぐまれる。「松浦橋の上から」(ほんの少しの期間しか操業しなかった火力発電所の煙突が邪魔している~11月1日撮影) 唐津の風景を撮影するとき、何としてもじゃまなのがこの煙突である。まさしく天を衝く無用の長物なので、はやく解体して欲しいものだ。解体費用が無いのなら、某臨国に「解体した鉄材は引き取っていいから無料でできないか」と依頼できないだろうか(まあ、実現しないよな)。「松浦川河口から」(この夕焼けが、明日以降の「唐津くんち」好天気を予感させる~11月1日撮影) 天守台には大砲みたいなものが写っている。現在唐津城は大規模改修中でクレーンなどの建設機材が写っているのだ。 江戸期の絵図には、この天守台あとに天守閣は描かれていない。昭和の高度成長期の名残りの観光用のお城だが、石垣が重量を支えきれなくなったので改修されている。改修が始まってもうかれこれ6年になる。(天守閣内の見学は可能) マイクロフォーサーズLumix G7 14-140mm F3.5-5.6 で撮影。この組み合わせは、バリアングルミニターを活用して動画撮影に便利なツールである。だが、ちょっとしたスナップにも便利である。↓ランキングに参加しています。よかったらクリックをお願いします。にほんブログ村
2016/11/02
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熊本地震で日程変更する学校が続出 今年は予定していなかった非常勤の仕事が入ったため、修学旅行生の民泊体験もほとんど受け入れ不可能となっていた。しかし、日程的に可能な学校があったので今年初めて引き受けることになった。兵庫県の中学校の男子4名、8月31日午後から9月1日午前までの「1泊1日」である。「対面式」(バス5台、総勢173名の生徒と先生達で180名をこえる旅行団である) 今年は4月におきた熊本地震の影響で、日程や行き先を急遽変えた学校が多かったようだ。熊本だけでなく佐賀や長崎も危険だということで、不安が大きかったのだろう。それでも、行き先は予定通りにして、時期だけを春から秋に変更した学校も半分くらいはあったようだ。 前日は長崎で平和学習やグループ別の自主見学をしたそうだ。初めてのことだったが、入村式では学年生徒全員による合唱「大地讃頌」が披露された。素晴らしい歌声に感動した。 農村体験は各受け入れ家庭で異なる。農家ではない我が家では食べ物つくり体験をメインとしている。まず、1日目は町内にあるそば屋さんでソバ打ち体験をしてもらった。 「ソバ打ち体験」(途中までは順調だったが、最後の包丁で切る段階できしめんになる子もいた) その後は入浴施設でお風呂に入って、家に帰ってソバをゆでたり韓国風海苔巻き「キムパ」つくりに挑戦してもらう。この日の4人のなかに、キュウリとタクワンが駄目という子がいて、その生徒は「海老かま」だけのキムパになった。 6月ごろならば車で5分も走れば蛍見学もできるしアジサイも咲いている。しかし季節はもう初秋である。近くの滝に連れて行って肝試しをさせることにした。懐中電灯だけをたよりに川に沿った遊歩道を30分ほど自分たちだけで歩かせる。 滝のところで待っていたがなかなかたどり着かない。途中で心配になって、偵察に行ったら2つの懐中電灯の明かりは揺れながらも滝壺に近づいてきていた。 2日目の9月1日は、朝の集合時間が10時15分だったのであまり活動は入れられない。そこで朝食を済ませてから車で約20分、唐津の海を見せに行った。都市部の学校だけに、およそ6kmにもおよぶ自然海岸の砂浜はとても印象的だったようだ。「玄界灘に向かって」(どこまでも続く砂浜を自分たちだけで独占、短時間だけどプライベートビーチ) お別れ式では全員で校歌を合唱してくれた。これも素晴らしかった。口々に「修学旅行では民泊が一番楽しかったです」、「いい思い出になりました」と言ってくれた。彼等はこのあと太宰府天満宮に立ち寄ってから博多駅から新幹線で帰っていく。 このあとも予定を秋に変更した学校が民泊にやってくる。だが、冒頭の事情で我が家では受け入れができない。12月に東京からやってくる高校1校だけは受け入れることができそうだ。↓ランキングに参加しています。よかったらクリックをお願いします。にほんブログ村
2016/09/01
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暑い中、2つの超混雑スポットをはしご ホテルで朝食を済ませて、大阪駅からJR環状線で西九条へ、西九条からJRゆめ咲き線に乗り換える。大阪駅から15分程度でユニバーサルシティ駅に着いた。 電車が着くたびにどっと人波がゲートに向かう。平日ではあるが夏休み中のためとても人が多い。ただでさえ猛暑が続いているのに、この様子では超暑い一日になりそうだ。 9時の開場と同時に多くのアトラクションに長い列ができていた。最初のアトラクション「モンスター・ライブ・ロックンロール・ショー」に入場できたのは10時半を過ぎていた。「お化けのロックンロール」(ずっとむかし、郷ひろみと樹木希林で「お化けのロック」が流行ったのを思い出した(笑)」 どこも列が長いので早めの昼食にする。しかし、ここでも料理のトレーを持って席が空くのを待たなければならなかった。2人席に無理矢理我々4人分のトレーを並べて食べる。「窓から恐竜」(ジュラシックワールドに登場する恐竜がレストランを覗いていく) 昼食後、待ち時間が短かったハリーポッターのエリアに入る。原作を読んだり映画を覚えている人にとっては興味があるだろうが、ちょっと見たぐらいで忘れてしまった自分にとっては暗くておどろおどろしい感じだけが残った。映画をイメージした建物などはよくできていた。「ジョーズ」(1975年公開の、スティーブン・スピルバーグ監督の実質的な出世作) 40年前の、しかもフィルムの時代の作品をモチーフに一大レジャーランドを作るのだから、アメリカの映画産業はなかなかの勢いである。日本のアニメやコミックなどのサブカルチャーも海外で人気があるから、何か仕掛けたら面白いのではないだろうか。 次に入った「ウォーターワールド」は水上バイクやボートが登場する水の上でのアクションだった。収容人数が多いためか待ち時間は少なかった。スピード感があってなかなか良かった。「水上でのアクション」(爆音や火炎がアクションを盛り上げる、自分にはこれが一番面白かった) 次に1時間半ぐらい並んで「ターミネーター」に入ったがここでトラブルが発生した。始まって5分ぐらい、オートバイが登場してさあ今からという場面で突然アトラクションがストップした。同時に音も照明も消えて会場は一瞬暗くなった。 ここで観客が慌てたり騒いだりしないのはさすがに日本人の文化だ。数分後に放送があり「お客様の安全のために点検をしています」。そしてまた5分ぐらい待たされて「お客様の安全のためにアトラクションを中止します」というアナウンスがあった。 こんなことは滅多にないことか、よくあることか、USJはまだ2回目の自分にはわからない。多分メカニック部分の故障なのだろう。出るときにもらった優待券でジュラシックパークに優先的に入場して自分のUSJはタイムアップ。他の3人と分かれて京セラドームに向かう。 15分ほどでドーム前駅に着いてソフトバンクホークス主催ゲーム「鷹の祭典」対埼玉西武ライオンズ戦を観戦する。数日前思いついてチケットを入手していたのだ。「ドームが印象的」(見慣れている開閉式のヤフオクドームとは違って自分がカタツムリになった感じだ) 鷹の祭典のユニホームが観客配られて青一色。にわかホークスファンが出現したようだ。大阪には南海ホークス時代からのファンもいるだろうとは思うが、南海電鉄が球団をダイエーに身売りしたのは28年も前の1988年である。やはりにわかホークスファンなのだろう。「面白い仕掛け」(涼しいなと思ったら、前の席の背もたれの部分から冷風が出ていた) 試合は残念ながら3対6でホークスの負け。試合終了後の光のセレモニーもちょっとむなしかった。このあたりから、ホークスの急降下が始まっていった。 ※あとで聞いたら、ターミネーターは復旧し、同行の仲間3人は見たという。映画の決めぜりふ「I'll be back」のように復活したというわけだ。↓ランキングに参加しています。よかったらクリックをお願いします。にほんブログ村
2016/08/18
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帰省ラッシュも終わって 久しぶりに新幹線に乗った。明日は大阪で5年前の船旅仲間との同窓会である。当日朝では間に合わないので前日からのお出かけである。「博多駅にて」(博多駅はJR西日本の駅でもあるとは初めて知った) 「おとなび」という早割切符をネットで買ったが、JR九州の駅では発券していない。博多駅のJR西日本の「みどりの窓口」でクレジットカード番号を入力したら発券された。 構内案内図を見ると、なんと博多駅には二つの駅長室がある。JR九州の駅長室とJR西日本の駅長室である。今回の旅で初めて知った。 早めに大阪に着いたので、ふと思いついて甲子園に行ってみた。夏の高校野球は今日までがベストエイトを決める試合である。「阪神電鉄甲子園駅から」(こんなに駅から近かったっけ、新装なった甲子園は初めてである) この日の第4試合は最後のベスト8をめざす戦いである。南北海道代表北海高校と宮崎代表の日南学園、北と南の対決が始まろうとしていた。「試合開始前のあいさつ」(高校野球ならでは、すがすがしさを感じる瞬間である) 試合は37回という夏の大会最多出場記録を持つ北海高校が4-1で制し、この勢いのまま決勝戦まで勝ち進んだが、決勝戦では作新学園に1-7で敗れて準優勝に終わることになる。「大都会の15番目の月」(ホテルは大阪駅から徒歩10分といういい立地だったが、ネオンきらめく大人の街だった) 大阪梅田の地下街は庶民的である。初めて歩いたらありの巣のようで迷子になりそうだったが食べ物の店が多い。さすが「食い倒れ」というだけのことはある。↓ランキングに参加しています。よかったらクリックをお願いします。にほんブログ村
2016/08/17
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旧暦7月14日 車で帰宅していたら夕陽の時間と重なった。写真を撮ろうと田んぼの中の道に車を入れようとしたらぐんぐん日は落ちていく。なんとか、ぎりぎりでセーフだった。「落ちていく太陽」(スマホで撮った3カットのうちモノになったのはこのワンカットだけ) スマホを持ち直して、振り返ると東の空に月が上がっていた。夕陽のようなインパクトはないが、登場するタイミングがあまりにもよかった。 気づかぬうちに高みに達していて、日が落ちるとだんだん輝きを増していく。8月16日は旧暦では7月14日、今日の月は荒井由実(松任谷由実)風にいえば「14番目の月」である。 「14番目の月が好き」は荒井由実4番目のアルバム名にもなっている。これが独身時代最後のアルバム(当時はまだレコードLPの時代)である。「14番目の月」のこの歌詞は次のようなフレーズが最後にある。「つぎの夜から欠ける満月より14番目の月が好き」 なるほどそういうことかと思ったが、言葉より、今日の写真の感じが一番分かりやすい。「14番目の月」は、すでにかなり高い空にあり、西の空に消えていった太陽に代わって、どんどんその存在を主張し始める。「14番目の月」(月が主題なのだが、スマホではここまでがやっとこさ) 「菜の花や月は東に日は西に(与謝蕪村)」。菜の花の季節はとっくに過ぎている。稲の穂がもうすぐ顔を出しそうな、夏の終わりの夕暮れのひとときだった。 ↓ランキングに参加しています。よかったらクリックをお願いします。にほんブログ村
2016/08/16
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バーチャル名護屋城体験 日韓友好の壁画を描くため加唐島にホームステイしていた中学生と先生を案内して名護屋城趾に行った。月曜日の今日は本来なら休館日なのだが、特別に県立名護屋城博物館を開館してもらい、学芸課長さんから展示の説明をしてもらった。 豊臣秀吉が朝鮮出兵のため築かせた名護屋城は、今年の大河ドラマ真田丸でも登場した。第26話は名護屋城が舞台という設定だった。 しかし、名護屋城は韓国側から見たら自国を侵略した張本人の城である。名護屋城博物館はこの不幸な歴史的事実を踏まえ、日韓両国の文化・学術交流の拠点とするため築城400周年にあたる1993年に竣工している。 1592年の文禄の役から秀吉の死までの7年間、名護屋城は大陸侵略の基地となった。全国の大名が兵士をひきいて参集し、一大城下町がこの地に突如として出現した。最盛時の人口は20万人にも達したという。 説明を受けて博物館を出たらすでに太陽は天頂にあり今日も猛烈に暑い。その中を名護屋城跡の大手門から三の丸へと歩いて見学した。「大手門付近」(大手門を入ったところで説明を受ける子どもたち) 大手門から広い坂を登って左に曲がると三の丸。このあたりまで来ると強い日射しは木立に遮られてほっとする。名護屋城跡は国の特別史跡である。往時を偲ばせる壮大な石垣は残っているが、徳川家康の一国一城令により大きく破壊された。まさに「強者どもが夢の跡」である。 残っている石垣や発掘調査をもとにコンピュータグラフィックで城門や櫓の映像が復元されている。博物館で借りたタブレットをかざすと目の前の風景にバーチャル映像が映し出される。これを見ると420年前に戻ったような気がする。「バーチャル天守閣で記念写真」(アプリをダウンロードすると、こんな記念写真も撮れる) 天守台からは子どもたちが3泊した加唐島がはっきりと見える。今日はことのほか天気が良かったので、壱岐の島影も見えるかと思ったが沖合いはちょっと霞んでいたようだ。「天守台からの眺め」(左は松島、右が加唐島。名護屋は確かに半島に一番近い場所であった) その地理的な位置が、百済との文化交流の海の道となり武寧王が加唐島で産まれた。そして、朝鮮侵略の基地となった。名護屋城は明をも征服しようとした秀吉の狂気を示す遺跡である。 韓国の人々には名護屋城には複雑な思いがあるだろうが、最近はオルレのコースもつくられるなど日韓の新しい交流の地になっている。今日訪れてくれた若者達が未来志向の新しい日韓関係を築いてくれるものと信じたい。「茶苑海月にて」(韓国ではあぐらが正座で、日本式の正座は罪人がするものといわれる) 子どもたちの感想は「お菓子が美味しかった、茶は…?」だった。 暑い中を歩いたあとでの茶席は冷房が効いていて快適だった。このあと名護屋城の大手門下の大手門食堂でチャンポンを食べた。そして城下の道の駅「桃山天下市」と唐津市内のショッピングセンターで買い物タイム。夕方の福岡空港発の飛行機で韓国に帰っていった。 3泊4日間、韓国からの生徒たちと先生方大変お疲れ様でした。またこの事業に関わった関係者の皆さんもご苦労様でした。9月の百済文化祭での再会を約してお別れした。↓ランキングに参加しています。よかったらクリックをお願いします。にほんブログ村
2016/08/08
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昼食は流しソーメン 11時呼子初の定期船で今日も加唐島に渡る。今日も絵を描き続けている韓国側の子どもたちの昼食の手伝いと記録写真撮影のためである。「呼子港、加唐丸発着所」(一日4往復、所要時間17分。右側は馬渡島行きの定期船) 加唐島港を望む高台から防波堤を望む。ハングル文字の左側が日本の子どもたちが描いた壁画。右側の韓国の子どもたちが描いている絵も完成に近づいている。「暑い中での労作」(韓国の中学生が防波堤に壁画を描くというのは今年初めての試みだった) 昼食は昨日のバーベキューの場所で「流しソーメン」である。島の人が竹を切って仕掛けを作ってくれていた。最初のころは猛暑のために流す水がお湯になっていて、思わず「アッチチ」と声が出るくらいだった。「流しソーメン」(給水用のホースを氷で冷やすなどのアイデアがあればよかったかもしれない) 竹を使った流しソーメンの仕掛けは島の人たちの労作である。韓国にこのような麺類の食べ方はないだろう。子どもたちも先生方も楽しんで食べていた。加唐島のような小さな離島で困るのは食事である。その中でこの流しソーメンは何とか喜んでもらえたようでよかった。↓ランキングに参加しています。よかったらクリックをお願いします。にほんブログ村
2016/08/07
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暑い中での作業 昨日から韓国忠清南道公州市の中学生4人と先生2人が加唐島にホームステイしている。今日は、韓国の生徒たちに日本の唐津市内の小中学生が合流して防波堤に壁画を描いた。 「まつろ・百済武寧王国際ネットワーク協議会」では、百済の25代王武寧王が加唐島で生誕したという歴史をもとに、日韓両国市民の親善交流この20年ほど続けてきた。自分も会員のひとりとして主として資材調達、撮影記録担当として今回の取り組みに関わった。「韓国側の下書き」(ふたりの子どもが手をつなぎ、両国の花であるむくげとさくらの花をあしらう) 猛暑は続いているため前もって加唐島の人たちが日よけのシートをつくってくれていた。水分補給も十分にできるようにして熱中症対策には十分心がけた。「日本側の下書き」(武寧王が、加唐島港の高台にある生誕記念碑を見ているというデザイン) 昼食は武寧王生誕記念碑の前でバーベキューをした。真夏の暑い日中だったが、両国の子どもたちは海の幸と山の幸を楽しんでいた。「真夏のバーベキュー」(最近は日照り続きで雨も欲しいが、絵を描くにもバーベキューにも晴れで良かった) 食後は日射しも少し弱まり、子どもたちは協力し合いながら水性ペンキでの描画を続けた。午後4時近くに日本側の絵はほぼ完成した。韓国の子どもたちは明日も作業を続ける。「友好の記念撮影」(子どもたちは言葉は通じなくても笑顔で交流し、初期の目標は達成できた) 午後4時半の船で日本側の子どもたちは島を出た。今日明日と加唐島での民泊が続く韓国の子どもたちが手を振って見送ってくれた。↓ランキングに参加しています。よかったらクリックをお願いします。にほんブログ村
2016/08/06
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中学生の夏の大会 一昨日(17日)、3年生にとっては最後の大会となる夏季中体連の地区大会を観戦しに行った。どこを応援するということではないが、久しぶりに中学生たちの熱い夏を体感した。「一球にかける」(それぞれが持てる力を出し切る姿は見る者に感動を与える) 現在多くの地方では、少子化の中で生徒数が減少している。メンバーがそろわずに合同チームとして戦う学校もある。チーム全員そろっての練習もままならないために、力を出し切れずに敗退するチームも多い。「攻防」(野球場のとなりではサッカーの熱戦が展開されていた) スポーツ写真では表情も大切な要素である。だが、肖像権とプライバシー保護のためにトリミングや加工処理もやむを得ない。 県大会、九州大会、さらには全国大会へとコマを進める学校もあれば、大差で初戦敗退するチームもある。グランドで戦う選手たちの陰には熱心な指導者がいて保護者がいて、大会を支える審判団や役員がいる。そして、どんな試合の中にもかけがえのないドラマがある。↓ランキングに参加しています。よかったらクリックをお願いします。にほんブログ村
2016/07/19
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重すぎて、大きすぎて… 南半球の船旅で、持って行ったサイレントギターをアンプにつないで弾いた。なかなかいい音が出てると言われ少しやる気になって、船を降りてからナイロン弦のエレアコを買った。 このギターは生音でもいい音がでるが、アンプにつないだ音が聞きたくなるのは必然である。あれこれ迷ったあげくに、大は小を兼ねると思い、出力65W+65WのRolandエレアコアンプシリーズでは一番大きなものを発注した。 ところが、届いた箱を見ただけで買ったことを激しく後悔した。人出が足りないらしく、宅配便の運び手は年配のおばさん二人。仕方なく自分で車から降ろして玄関まで運んだ。公称重量13.9kg、ワンランク下のAC-60より2kg弱重いだけだと思っていたがとても重く感じた。「2階自室で開封」(この時点でも、やはり30W+30WのAC-60にすべきだったと後悔した) モノは減らそうと思っていたのに、また買ってしまった。2階の別室もアウトドア用品やツーリング用品などで一杯なのに…。この部屋に置いたら一段とその大きさが目立つ。「操作パネル部分」(ギター1系統にマイク1系統、入出力端子もAUX、サブウーファーなど豊富にある) とりあえずギターの音出しチェックだけした。生音だけしか聴いてこなかったので、音についてはちょっと評価しようがない。 本格的なチェックは、発注しているSENNHEISERのマイクとマイクケーブルが届いてからだ。といっても、多分他の人の耳で聞いてもらわなければいいか悪いかはよく判らないだろう。↓ランキングに参加しています。よかったらクリックをお願いします。にほんブログ村
2016/07/09
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今年は淋しい追悼の会 1993年、94年当時の職場の会が、当時の「支店長」を囲む会という形で続いていた。このような会が20年間も続くことはめったにない奇跡である。これはN先生の人柄によるものであることは誰でも認めるところだ。 N先生あっての会である、もちろんただ一人の(多分そうだったろう)連続出席者だった。会のメンバーでは最長老であるが誰よりも元気で、ことあるごとに元の部下を励まし、昇任や栄転、展覧会での入選などを聞いたらすぐにお祝いの便りを出しておられた。 このN先生を囲む会は毎年6月の最終土曜日を開催日と決めて開催していた。ところが、昨年思わぬことにN先生入院の報が入って、ご退職以来初めて会の開催を延期せざるを得なかった。そして昨年(2015年)7月3日の新聞でN先生の訃報を知ることになったのだ。 手元には7月1日付のN先生からのハガキがある。その数日前に家人が、いったん退院されて病院に定期検診を受けに行っておられたN先生ご夫妻に会ったという話をしたので、お見舞いのハガキを出した。それに対してすぐにN先生が出されたご返事のハガキである。「N先生最期のハガキ」(ハガキを書かれた翌日の7月2日、帰らぬ人となられた。おそらくこれが絶筆となった) 相変わらず小さな文字でびっしり書かれていて、自分が送った滝とアジサイの写真入りハガキ見て「元気が出ました」と書いてある。「現在7種類の薬を服用していて、次回の7月14日の超音波診断で今後のめどがはっきりするだろうと自己診断している」とも書かれていた。 昨年7月3日の通夜、4日の葬儀には大変多くの人が参列した。あれからもうすぐ一年になろうとしている。淋しいけれど今年は集まろうという声があったので、「N先生を偲ぶ会」を呼びかけたところ、18人の参加があって昨日(6月25日)に開催した。「これまでの映像で振り返る」(参加する顔ぶれはその時々で変わっても、20年間も続いたことが素晴らしい) 毎年参加者による近況報告の時間があるが、その話がまた素晴らしかった。それぞれにN先生から受けた仕事にかける熱い思いを感じていたことが改めてよく分かった。 まだいつまでも元気でおられると思っていたからいつでも話せると、みんなそれぞれ胸の奥に秘めていたのだろう。ご本人が生きておられるときに聞いて欲しかった。「来年も集まりましょう」(この会は今後も続けていくことになった。これもすべてN氏の人徳のお陰である) 享年80歳。もうすぐ初盆、みんなで撮った写真をもってお参りにゆきます。↓ランキングに参加しています。よかったらクリックをお願いします。にほんブログ村
2016/06/26
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側溝も雨水であふれて 今日も夜半から雨で、断続的に激しい豪雨となっている。朝になったら、コンクリートで打った裏庭に水が数センチほどの深さに溜まっていた。排水口にたまった落ち葉を掻き出す。 この状態では、団地内の遊水池もかなり水があふれているのではないだろうか。大きめの傘をさして出かけてみた。「側溝からあふれた雨水」「遊水池も満杯」「側溝の水が遊水池に流れ込んで」 普段はちょろちょろとしか流れていない深さ1mほどの側溝が雨水であふれていた。そのうえに、側溝からあふれた水が逆に遊水池に向かって流れ込んでいた。 この遊水池は、団地内に降った雨を調節する役割よりも、側溝にあふれた水を調節している状態になっていた。この調整池を埋め立てるという案もあるが予算の関係で進んでいないようだ。「アジサイに降り注ぐ雨」 一日も早い梅雨明けが待たれる。しかし、梅雨明け後は猛暑になりそうな予感がする。冬は何年かぶりの積雪で至る所で水道管が凍結した。だから夏は猛烈な暑さが予想される。 今年の天候はかなりメリハリのきいた一年間になるのかもしれない。↓ランキングに参加しています。よかったらクリックをお願いします。にほんブログ村
2016/06/22
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値段に見合った料理で人気 車で1時間半余り走り市街地を抜けやがて坂道に入っていった。途中のダム湖周辺は紫陽花の名所になっている。何台か車が駐っているが、雨が強くなり歩いて見物している人は少ない。 着いたレストランは近くにある温泉のすぐ上にあった。何年か前にこの温泉に入ったこともあるし、脇道を登ったところにあるキャンプ場を利用したこともある。しかし、この和食レストランのことは知らなかった。「日本料理、落柿」(ランチの開店は11時30分、少し車の中で待機していた) 開店と同時に十数名のグループ、二・三名のグループで席が埋まっていった。それなのに店内は静かだ。お店は渓谷に面していてこの季節はみどりに覆われている。秋になると落葉して紅葉が美しいだろうし、今はわずかに見える川の流れもはっきりと見えるだろう。「地元の食材を活かした京風懐石」(五味、五感、五食、五法ということばが小冊子に書かれている) 料理の繊細さや工夫が「五味、五感、五食、五法」という言葉に現されているのだろう。大自然の中の一軒家。四季の移り変わりをイメージした料理が運ばれてくる。「女性に人気がでそうな料理の数々」 何に一度のアニバサリーランチなので、一番高いメニューにした。それなりに満足できるランチだった。女性に人気の隠れ家レストランである。↓ランキングに参加しています。よかったらクリックをお願いします。にほんブログ村
2016/06/12
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リッター17km超え 今日は福岡空港まで車2台で韓国の公演関係者を送ってゆきました。言葉の問題が心配でした。「Anyone can speak english?」と訊くと、「my sun」という答えが返ってきました。 後ろの席には芸術団体の事務局スタッフの子どもが乗っていました。彼は小学校5年だそうです。でも、スマホのゲームに夢中で、ときおり見える美しい海岸の景色にも関心がないようだし、私の易しい英語での問いかけにも乗ってきません。韓国の小学校での英語教育のレベルがどの程度なのか判然としません。 そう言えば、先日韓国のある中学校の体育大会の写真をネットで見ました。待機場所のテントの写真でしたが、驚いたのは自分の友達を応援している姿はなく、ほとんどの生徒がスマホをいじっていたことです。 ネット社会は韓国が一歩先を歩いていると感じますが、そのあげくにはこうなってゆくのでしょうか。日本の子どもたちはそうあってほしくないと思います。 空港が近づいたら、小学生の子どもが運転席にスマホを差し出した。翻訳ソフトが日本語を読み上げました。「空港まで送っていただいてありがとうございます」 なるほど、そうくるか。まあ、そういえば自分も翻訳ソフトでいくつ韓国語会話をメモっていた。だけど運転していては使えない。やはり基本はIT頼りではなく自分の脳細胞にしっかりメモっておくことだ。「また会いましょう」(掲載の許可を得てないのでこんなモザイクですが、雰囲気はわかるでしょう) 空港で記念写真をとって、佐賀のレクサス店に寄りました。現在のところNX300hの唯一の課題であるワイパーの鳴きが改善しないのです。 1ヶ月点検のときにも話して対応はしてくれたのですが改善はしていません。今日のような小雨模様の天気で間欠ワイパーが作動する状況が一番鳴きが出るのです。この日は、一応部品ごと交換して様子を見ようということになりました。 今日は市内に戻ってからいつもの安売りスタンドで満タンに給油しました。この時点での走行距離は833.3kmでした。「走行距離」(「給油をしてください」のメッセージは一旦出るとずっとでています) メッセージが出てからも150kmほどは走ることができるようです。今回もかなり余裕を見込んでの給油でした。「この日のレシート」(2度に分けて給油したのは、2000円分のレシートが必要だったからです) 今回の燃費はリッターあたり17.37kmという結果になりました。すでにエアコンは常時稼働していてこの数字ですから、燃費に関しては思った以上の数字が出ていると思います。↓ランキングに参加しています。よかったらクリックをお願いします。にほんブログ村
2016/06/05
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紆余曲折・試行錯誤の末にともかく成功 期待むなしく朝から雨模様です。主催者側の我々スタッフは朝8時のチャーター便で加唐島に渡りました。すでに島の人たちの手でテントは張ってありました。ご苦労様でした。 10時30分ごろ、韓国からの訪問者が乗ったチャーター船が入港してきました。訪問団の皆さんの顔は、一年ぶりに祖国の王の生誕地に来た喜びに満ちていました。「生誕式典」(この式典は日本古来の神式によって毎年この時期に行われています) この生誕碑ができてから生誕祭式典はこの生誕碑の前で行われています。今年は15回目となる節目の年です。百済第25代王である武寧王の生誕地「オビヤ浦」は、この生誕記念碑から歩いて10分ほどのところにある小さな入江です。「音楽と舞踊と劇」(昨年に続いて、武寧王生誕の物語が演じられました) 当初は港の近くの広場で上演される予定だったのですが、あいにくの雨のために小中学校の体育館に変更されました。ステージに飾られている「オビヤ浦」の幕はこの劇のために韓国の芸術団体が制作したものです。「武寧王誕生を喜ぶ」(今年も島の人たちが当時の島人役を演じました) 体育館での上演だったためか、思ったより多くの人たちが集中して鑑賞していました。食事の準備などで忙しい島の人たちもこのときばかりは多くの人が見ていたようです。「フィナーレ」(今年は島の人の出演者が去年よりさらに増えました) 加唐島の人たちは、毎年この生誕祭前後の日々は大変忙しい思いをしています。この公演を通じて、武寧王にまつわる両国の縁の大切さを気づいてもらえたらいいなと思います。「海鮮バーベキュー」(昼食の時間、テントの中はおいしい匂いで満たされていました) 写真を撮っていたら、韓国の人がほどよく焼けたサンマを私の口に入れてくれました。サンマの両国の各団体のテントは別々に設定されています。バーベキューの食材が足りないため、我々は基本的には食料持参で島に渡ってきたのです。「さようなら」(チャーター船から手を振る韓国側の公州武寧王ネットワークの皆さん) 次に会う機会は、9月末に韓国忠清南道にある公州市と扶余郡で開催される百済文化祭です。その時までにもう少し韓国語の語彙を増やしておきたいなと思います。↓ランキングに参加しています。よかったらクリックをお願いします。にほんブログ村
2016/06/04
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生誕祭前夜祭盛り上がる 韓国公州市の公州武寧王ネットワーク協議会の皆さんをお迎えして、第15回武寧王生誕祭を前に、韓国からのみなさんの歓迎会を玄界灘を望むホテルで開催しました。大阪羽曳野市から武寧王の父とされる昆支(こんき)王の国際ネットワークの皆さんも参加されました。「再会を喜ぶ」(韓国側から約30名、主催者の我々や関係者などを含め114人の参加がありました) 18時30分に開会しました。開会の挨拶があってからのセレモニーが長く、「乾杯!」までに約1時間かかりました。挨拶には間に通訳をはさむのでどうしても時間がかかります。「両ネットワーク会長のあいさつ」(昨年の日韓国交正常化50周年に続き、今年は生誕祭15周年の記念すべき年です) 両国の民間交流団体「武寧王ネットワーク協議会」は相互に記念品を交換しました。また、唐津市長から韓国公州市の武寧王ネットワーク協議会へ感謝状が贈られました。「再会を喜び合う人々」(昨年の韓国での百済文化祭以来、8ヶ月ぶりの再会で話も弾んでいました) 韓国のみなさんはとても歌や踊りが好きです。ひょうきんな仕草で踊ったり歌ったりみんなを笑わせてくれます。そんな人に限ってお酒は全く飲まないというのです。もともと根っからのエンタテナーなのでした。「写真展示も好評でした」(一般公募した写真も含め、これまでの交流の記録写真を展示しました) 言葉は通じなくても、笑顔とアルコールの力を借りて意思疎通を図ります。こんなとき、つくづく挫折してばかりの自分の外国語学習を嘆くことになります。スマホの翻訳機能はとっさの場合には役には立ちません。「ニルムセマ」(はるばる海をこえて玄界灘の加唐島で生まれた武寧王を偲ぶ歌) この歌には日本語と韓国語の歌詞があります。武寧王にまつわる国際交流にはなくてはならない歌になっています。まさに歌は万国共通のコミュニケーションツールです。「みなさんの記念写真」(ちょっと天気が心配ですが、明日の加唐島での生誕祭でお会いしましょう) 21時30分に閉会した後、2次会に繰り出した人たちもいたようです。しかし自分は昨夜の会場準備や写真展示などで22時過ぎまで動いていて疲れたので失礼して帰りました。↓ランキングに参加しています。よかったらクリックをお願いします。にほんブログ村
2016/06/03
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草の根のPR活動 先月ですが、こんなところでPeace Boat のポスターを見ました。雑草のようにどこにでも根を伸ばし、がっちり顧客をつかもうとしているようです。「とあるスーパーで」(確かに、お店の入り口に掲示してあるポスターよりゆっくりと見ますよね) それにしても、ここに貼らせてくれと頼み込んだ(?)ピースボートセンターのスタッフ(アルバイター)の根性もなかなかのものです。こうして500枚、1000枚と、PRポスターを張り倒した若者が割引料金でPeace Boatに乗ってきます。 若者の割合は、季節によって変動しますが船客全体の2~3割を占めているのです。だから結構目的意識を持った若者が多いのでしょう。↓ランキングに参加しています。よかったらクリックをお願いします。にほんブログ村
2016/06/02
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このお店が一番、中華丼 必ず1週間に一度は、「この店のラーメン」を食べたくなるとかいう人がいると思います。ラーメンでも、うどんでも、カツ丼でもいいのですが、やみつきというか味覚にすり込まれている味であり美味しさです。 思い立ってすぐ行けるという近さではないので、週に1度は行けません。しかし、月に1回は食べています。「この店の中華丼」(写真を見ただけで、口の中が落ち着かなくなります) 10年ぐらい前でしょうか最初に食べたとき、単なる味覚と言うより、脳髄のなかにズズーンと入ってくる感覚がありました。大げさに言うと鳥肌が立つような感じでした。 今でも、月に一度くらいは食べたくなる中華丼です。10人中10人がここが一番とは言わないでしょう、でも、自分にとっては中華丼はこのお店が一番だと思います。 ラーメンやチャンポン、餃子がメインの大衆的な中華食堂です。長い間、味が少しも変わらないというのもすごいです。↓ランキングに参加しています。よかったらクリックをお願いします。にほんブログ村
2016/05/29
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さわやかな春空の下で 一昨日(6日)のドーム球場でのプロ野球のナイターとうって変わって、今日は新緑に囲まれた球場での中学生の野球大会を観戦した。地区大会、県大会を勝ち上がってきた二強による決勝戦である 試合は両チームの先発投手のできがすばらしくて緊迫した投手戦となった。プロ野球も開催される広い球場に、応援は生徒の保護者たちだけという観客の少ない試合だったが、その分選手たちの息づかいが伝わってくるような気がした。「先制点」(6回裏、N中学校の3番バッターが貴重なタイムリーヒットを打った」 最終回の7回表、M中学校も逆転のチャンスを迎えたがあと一本が出なかった。N中学校は6回裏にあげた貴重な先制点を守り切った。「表彰式」(優勝したN中学校には、県代表として臨む九州大会での活躍が期待される) N中学校は、3月の全国大会では準優勝している。そんなに大型の選手もいないチームだが自主性とチームワークを大切にして今大会も県大会を勝ち上がって優勝した。 今、中学校の軟式野球はある意味では普通の選手たちのチームになっている。中学校から硬式野球のクラブで練習する生徒が増えているからだ。 その意味で、軟式野球の試合には本来の中学校スポーツの良さが残されている気がする。↓ランキングに参加しています。よかったらクリックをお願いします。にほんブログ村
2016/05/08
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活気ある最終日 今年も最終日の5月5日、有田陶器市に出かけました。車は渋滞するので、武雄市内のショッピングセンターで待ち合わせて友人2人と共にバイクで行きました。 先月10日、新車の納車日に親戚の退職祝いの品を買いに有田町に来ました。今日は、その時の閑散さとはうって変わって活気のある陶器市通りに変身していました。今年は、陶祖李参平が有田で陶石を発見し有田焼をつくり初めてから400周年になる記念の年です。「400周年の陶器市」(陶器市通りでは400周年を記念した仮装パレードが行われていました) 陶器市の基本スタイルは運動靴とリュックスタイルという動きやすいスタイルです。市の通りは日よけもなく暑いので帽子と飲料水も必須です。「見るだけでも楽しい」(色と形を自由自在にあやつって造形するところが焼き物の面白さです) 有田と言えば、酒井田柿右衛門、今泉今右衛門といった人間国宝に指定された十何代も続く古い窯元もあります。しかし、それ以外にも日展に入選するなど独自の境地で作品を作り続けている作家もいます。 今日は今泉今右衛門作品展示場前でご本人を見かけました。大切な方を出迎えておられたのでしょうか。面識も話したこともない自分は軽く会釈して通り過ぎただけです。「今右衛門窯付近」(伝統的建造物に指定された建物が並んでいます。よく見たら今右衛門さんの姿が…) 有田焼の陶祖李参平の墓にお参りすることが今日の1つの目的でした。李参平は現在の韓国忠清南道公州市反浦面出身だったと言われます。1598年の日本による朝鮮出兵のおり、佐賀藩主鍋島直茂によって佐賀に連れてこられ陶磁器製作を命じられました。 李参平は1616年、有田東部の泉山で白磁石を発見して磁器の製作をはじめました。その後は分業体制による有田焼の産業化に力を尽くし、金ヶ江三平衛という日本名を与えられました。 寺の過去帳から金ヶ江三兵衛の没年がわかりました。その墓の存在は長く不明でしたが、1959年に創業地の天狗谷窯(白川)付近で上半分が欠けた状態で発見されたのです。現在は共同墓地に移され、「李参平の墓」として有田町指定史跡となっています。場所は陶器市通りのほぼ中央部分にある「札の辻」から西北に400mほどゆるやかな坂を登った所です。「李参平の墓」(有田には陶祖李参平を主神とする陶山神社もあり、そこには李参平の碑もあります) 有田焼の発展に尽くした李参平を初めとする朝鮮人陶工の働きは大きいものがありました。今年の400周年記念陶器市はその偉業をたたえる意味でより意義深い陶器市だったです。「今年は1点買い」(ゆらゆらゆれるぐい飲み、下戸の自分はこれでコーヒーを飲みます) 4月29日から5月5日までの陶器市期間には毎年100万人を超える人が訪れると言われます。今年は400周年ということもあり主催者の有田商工会議所は130万人という目標を設定していました。 しかし、熊本地震の影響もあって客足が伸びず119万人に留まった(主催者発表)そうです。今年のGWは熊本地震の影響で九州各地の観光地では軒並みに観光客が減少しています。↓ランキングに参加しています。よかったらクリックをお願いします。にほんブログ村
2016/05/05
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ゆったりした時間のなかで 午前10時呼子発松島行きの定期船は定員を超える船客でいっぱいでした。ゴールデンウィークの真ん中なので、島に帰省する子ども連れの人もいたようです。 この船の客の大半は最近開店したレストラン「MATSUSHIMA」のお客さんです。その数は16人ほどはいたでしょう。今日は天気は良かったのに風が強くてとても波が高かったのです。小さな定期船は新鋭船で転覆の心配はしなかったのですが木の葉のように揺れました。 「キャー」と何回も繰り返される船客の歓声。ひょうきんな船長さんは船室をふり返りながら客の叫び声を楽しむかのように操船します。そのうちにひょっこりひょうたん島の形をした松島(佐賀県唐津市鎮西町)が近づいてきました。「窓にかかるしぶき」(しぶきの向こうに見える松島、今や戸数十数戸の過疎の島) 呼子を出て15分足らず、船長は船速を落とし慎重に入港しました。二重の防波堤にかこまれた船着き場の向かい側に小さな教会が建っています。見慣れた風景です。この島に来たのは5年ぶりですが、時間が止まったかのように目に入ってくる景色は全く変わっていません。「カトリック教会」(島の住民は昔から全員がカトリック教徒なのです) レストラン「MATSUSHIMA」は、この島で海士をしている宋勇さんの長男勇人(はやと)さんがシェフを務めます。勇人さんは現在福岡のイタリアンレストランで働いています。予約が入ったときだけ島に帰ってきて料理をつくるのです。「海を眺めるレストラン」(シェフのあいさつ、お父さんの自宅をリフォームしたレストランです) この日のメニューは、ほとんどが新鮮な素材を活かした創作料理でした。厨房と客席が隣り合わせなので、ホームパーティのようなくつろぎ感がありました。「海の幸を満喫」 このお店は「世界一人口が少ない島のイタリアンレストラン」といっていいでしょう。ある程度の人数が集まったところでの完全予約制です。厳選された生きた素材をその場で調理するのです。誰でも満足できるボリュームと美味しさだと思います。 11時過ぎからゆっくりと食事を楽しみ、そのあとは島をひとめぐり。といっても坂がきついところがあるのでちょっと足を鍛える運動になります。しかし、あわてることはありません。なぜなら帰りの船の時間は16時なのですから。(呼子~松島間の定期船は一日三往復) 海と山と空以外はなにもない島です。見どころと言えば島の磯に打ち寄せる荒波と波止場に建つ教会くらいです。 ゆったりしたひとときを過ごす時間の余裕と、ちょっとばかり高価な食事を楽しむお金の余裕のある大人のための、とっておきのレストランです。 「Ristorante MATSUSHIMA」 唐津市鎮西町松島3488-1 ランチ11:30~ 完全予約制 080-2738-2655 ↓ランキングに参加しています。よかったらクリックをお願いします。にほんブログ村
2016/05/04
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マイクとアンプの検討 先週届いたK.Yairiのギターを近所の友人宅に持っていって弾き比べをした。友人のYAMAHAと比べると自分のK.Yairiの方がより豊かな音が出るようだ。「2つのギター」(手前が友人のYAMAHA、向こう側が自分のK.Yairi) 写真では手前にある友人のギターが大きく見えるが、大きさはほとんど変わらない。違うのがフレットの数で、自分のギターは普通のクラッシックギターと同じ12フレットでボディに接続されているが、友人のギターは14フレット接続のフォークギター仕様になっている。 あとの違いは、自分のギターはビックアップのボリュームやイコライザーのつまみが見えないところにあることだ。表板の裏側にあるのでみかけはすっきりとしている。 問題は電池の位置である。ボディ内部にあるので、電池の交換のためには弦を全部外さないといけない。電池はそんなに消耗するものではないが、これはちょっと不便である。 このあとは、アンプとマイクをどうするかだ。友人のアンプやマイクを見せてもらったが、自分の部屋で自分で弾いて歌って、自分で聞くだけだから、そんなに本格的なものを買わなくてもいいと思っている。今のところはアンプ無しでの生ギターの音のよさに感心している。↓ランキングに参加しています。よかったらクリックをお願いします。にほんブログ村
2016/05/01
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今日は「昭和の日」 昨年12月半ばから今年3月末にかけて3ヶ月半の船旅に出ました。訪れた20余りの国々ではよく国旗が翻っているのを見ました。祝日でもないようなのに至るところに国旗が掲げられていました。海外旅行をしたら誰でもそのことに気づくはずです。 むかし、といっても1960年代頃でしょうか、祝日に玄関先に国旗を掲げるのは子どもの仕事でした。しかし、最近は祝日に国旗を掲げている家は少なくなりました。「国旗セット」(何だかプラモデルを買ってきたような感じです) 日章旗が近隣の人々にとても悪い印象を与えたという時代のことは十分認識しています。しかし、自国の国旗を大切にすることが他国を尊重することの出発点だと思います。 国旗を大事にするのは国民として当然の感情でなくてはいけません。日章旗は右翼の旗ではなく日本国の国旗なのです。ということで、そんなに強い意志表明でも決意表明でもないのですが、今春から我が家の玄関にも祝日にはささやかながら国旗を揚げようと思いました。 でも、国旗ってどこで買えばいいんでしょう。文具屋さん、呉服屋さん、染つけ屋さんなどを考えましたが、そんな専門店は近所にありません。「春の日射しに映える」(どこの国よりもシンプルで、「日出ずる国」日本を象徴しています) 結局はホームセンターに売っていました。ゴールデンウィークの需要を見込んでか、入ってすぐの所に置いてありました。鯉城印の国旗セット、値段は1,680円でした。 今日4月29日は祝日です。この日はかつては確か「天皇誕生日」でした。その後「みどりの日」となり、2007年から「昭和の日」になっていたのですね。 そう言えば、今年から国民の祝日が増えました。8月11日は「山の日」だそうです。旧盆の休みにくっつけようという意図が見え見えです。自分としては8月15日を「平和の日」という祝日にしてもよかったのではないかと思いました。↓ランキングに参加しています。よかったらクリックをお願いします。にほんブログ村
2016/04/29
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