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地面の蓋が面白い 2 徘徊日記 2019年5月29日(水) 明石「魚の棚」あたり「魚の棚」の雑踏をアホバカ「デジタルカメラ」片手にうろつく徘徊老人です。「ちょっと、おにーさん、今晩カンパチの刺身どう?」 相手の年齢に関係なく「おにーさん!」の呼び声。まあ、読んでいらっしゃるおばちゃんも、年恰好に関係なくおねーさんなところがよろしいな。べつに返事せんでも通れますが思わず立ち止まります。「あー、オネ~さん、ごめん。今忙しいねん。」 買い物もしないで何してるんでしょうね。「さっさと刺身こうて帰りなさい。ナーんちゃって。パチリ!」 これは「アナゴ」 「やっぱり、播州は「アナゴ」でっせ。明石でも、加古川でも、ウナギより香ばしいて、味も値段もさっぱりしてるアナゴ丼。焼きアナゴの老舗、いろいろありまっせ。」「あっ、ちょっと、そこ、踏まんといて。ごめん、写真撮ってんねん。パチリ!」 そこそこの雑踏の真ん中で、地面に向かって写真撮ってるのは、はっきりいってジャマでしょうね。申し訳ありまへん。 こっちは「イカナゴ」「イカナゴも、有名になりすぎて、あかんなあ。なんか不漁らしいし。今年、イカナゴ炊いたかなあ?高うて、手ぇでえへんいうっとったなあ。「くぎ煮」もええけど、大きいの焼いて食べんのもええな。これが「はげ」通称「ウマヅラ」「刺身でも、煮つけでもよろしね。鍋の具でしたら、身がとりやすくて、子供さんでも食べやすいでね。オモロイ顔ですね。薄造りで、肝と和えたら、お酒進んで絶品でっせ。」 これは「甲イカ」、「ハリイカ」「甲イカいうくらいやねんから、甲羅がありまんがな。靴ベラみたいなもんでんがな。そんなもん、食べられまへんで。あたりまえだんがな。身は刺身がよろしいな。もっちりしてまんねん。上等でっせ。」「こぶだい」もおります「これ、ホンマは鯛ちゃいまんねん。不細工でっしゃろ。おっさん顔でんな。うまいんやなこれが。しゃぶしゃぶとかよろしいで。味がええから「こぶ」付きの「鯛」でんねん。」 よう知らんのに明石の地の魚の宣伝してますな。マンホール見て宣伝です。 まだまだ続きます。徘徊 明石「魚の棚」-地面の蓋が面白い 3 はこちらをクリックしてくださいね。さかなのかお (絵本・すいぞくかん) [ 友永たろ ]価格:1512円(税込、送料無料) (2019/5/30時点)ちょっと面白そう。おさかなスポンジ 8点セット キッチンスポンジ 台所スポンジ スポンジ 食器洗い マーナ MARNA K662価格:1990円(税込、送料別) (2019/5/30時点)何の関係?ボタン押してネ!にほんブログ村
2019.05.30
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地面の蓋が面白い 1 徘徊日記 2019年5月29日(水) 明石「魚の棚」あたり 徘徊するゴジラ老人シマクマ君、ここのところ明石がわが街です。駅前ビルにある市民図書館から「魚の棚」を抜けて、お気に入りの和菓子の朝霧堂です。知る人ぞ知る蒸しパン150円です。なんともいえずうまい!チッチキ夫人も大喜び!この前なんか、蒸し上がりが不細工やゆうて、100円やったし!今日は残ってるかな? 「魚の棚」に戻ってくるとアーケードから下がっているふしぎな絵が見えます。「こりゃ面白い。写真撮ったろ!」 年末になると「映画シリーズ」の垂れ幕も下がります。これがまた面白い。天井を見上げてウロウロしてしまいます。 首が痛くなって、ふと下を見ると。なんじゃこれ?ベラか。おっと、あっちにもあるやん。 足元の地面の蓋に大ヨロコビ!アイナメや。そうか、前の海のもんやねんな。アカエイか。こんなんも、前におるんや。 今度は、蓋を探してウロウロ。当たり前ですが。マンホールが並んであるわけありませんやん。「あこうか。かわいいやっちゃな。」「こらこら、おっさん、買い物する人の邪魔になるやろ!」 「そんなとこで立ちどまって、地面写してどうすんねん?」「エライすみません!」 つづく徘徊 明石「魚の棚」-地面の蓋が面白い 2 はここをクリックしてくださいね。追記2020・05・07「朝霧堂」の蒸しパンは、消費税との戦いに敗れて160円になっていますが、味は確かです。 ボタン押してネ!にほんブログ村
2019.05.30
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ベランダだより 2019年 「皐月のベランダ モスラ襲来!」「あー、今年も始まっちゃったあ。」「チョットー、やっぱりあいつ卵うんでてん!」ベランダからチッチキ夫人の叫び声がします。「なんですか?何が始まったんですか?」「モスラ、モスラ。もうあかんわ。」「まだ五月やんか。去年は七月やったやん。」 (この写真には二匹写ってます) 「あいつやん、あのアゲハやん。ホラ、死にかけみたいにして来てたやん。シッカリ卵産みつけててん。モスラ、三匹もおるやん。」 (この人がオカーサン。たぶん?)「アッツ、ほんまや。写真撮っといたろ。アレー、こっちにも。6匹くらいおるんちゃう。」「エー、モー。」「こっちの、この花、なんていうの?」「においばんまつり。」「えっ、なんて?」「に、お、い、ば、ん、ま、つ、り!」「カタカナ?」「知らん。コープさんで買うたの。」「こっちは?」 「カーネーション!」「これが?」「サカナクンとこのカヨちゃんが贈ってくれたの。」 去年2018年は夏休みに騒いでいたのですが、今年2019年は早々と皐月のモスラ襲来です。ベランダ農園のミカンのか細い苗木は風前のともしびですよ。「ちょっと早すぎるんちゃう?」ぜんぶわかる! アゲハ (しぜんのひみつ写真館 8) [ 新開 孝 ]価格:2160円(税込、送料無料) (2019/5/29時点)ちょっと開いてみるか。フィールドガイド日本のチョウ 日本産全種がフィールド写真で検索可能 [ 日本チョウ類保全協会 ]価格:1944円(税込、送料無料) (2019/5/29時点)これもいいかな?まけるなアオムシくん! (すずのねえほん) [ 福山とも子 ]価格:1296円(税込、送料無料) (2019/5/29時点)いやいや、負けてもいいよ。ボタン押してネ!にほんブログ村
2019.05.29
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茨木のり子・長谷川宏「思索の淵にて―詩と哲学のデュオ―」(近代出版) たとえば「詩」の授業。学校の教科書に取られる作品というのは、ふつう短い。教科書の見開き2ページをこえる作品はほとんどありません。知る限りですが、一番長い詩は宮沢賢治の「永訣の朝」です。小説や評論のように読むこと自体に手間がかかるわけではありません。 短いということは、なんとなく、全部説明可能な印象を持ちますが、そうでしょうか。たとえば、戦前の「詩と詩論」というグループにいた人で、安西冬衛という詩人にこんな一行詩があります。これも知る限りなのですが、教科書で出会うかもしれない一番短い詩です。 「春」 てふてふが一匹 韃靼海峡を渡って行った ごらんのとおり短い詩ですが、これを授業で解説することは簡単でしょうか? まあ、「てふてふ」は「蝶々」の旧かな表記だとか、「韃靼海峡」は日本地図では「間宮海峡」のことだとか、「春」だから蝶は、おそらく南から北へ、サハリンから大陸へ向かっているとか。 すぐ気づくでしょうが、それらの事項はこの詩を読んで湧き上がってくるイメージについて、補助的な役割しか果たしていませんね。これじゃあ、教員は生徒に何をどう読み取ってほしいのかわかりません。 詩の授業に限りませんが、文学作品の鑑賞の難しさをなんとかする方法は、なかなか見つかりません。「好き」か「嫌い」かの二者択一を教員自身が下して、極端な話「嫌いなものは授業ではやらない」 ということだってあるでしょう。考えてみれば、それも、あんまりですね。 たどり着くのは、いかにも凡庸ですが「詩」を読むこと。「詩」について誰かがなんか言っていることに興味を持つようにすること。「あの人はこの詩のことをこんなふうに言っていたな。」 という引き出しを増やすことが、生徒たちの反応に対して「ああ、それもあるか。」 という、余裕のようなものを作るのではないでしょうか。 そんな引き出しを増やす可能性のある一冊に「思索の淵にて―詩と哲学のデュオ―」(近代出版)があります。茨木のり子という詩人の詩を読んで長谷川宏という哲学者が語っている本です。 「落ちこぼれ」 茨木のり子 落ちこぼれ 和菓子の名につけたいようなやさしさ 落ちこぼれ いまは自嘲や出来そこないの謂い 落ちこぼれないための ばかばかしくも切ない修業 落ちこぼれにこそ 魅力も風合いも薫るのに 落ちこぼれの実 いっぱい包容できるのが豊かな大地 それならお前が落ちこぼれろ はい 女としてはとっくに落ちこぼれ 落ちこぼれずに旨げに成って むざむざ食われてなるものか 落ちこぼれ 結果ではなく 落ちこぼれ 華々しい意志であれ さて、この詩について哲学者の長谷川宏さんがこんなエッセイを書いています。 詩の書き出しには唸らされた。 落ちこぼれ 和菓子の名につけたいようなやさしさ 塾教師を生業とする身としては「落ちこぼれ」と聴けば、ただちに、学校の授業についていけない生徒のことを思ってしまう。和菓子を連想するなんて思いもよらない。 虚を突かれて、しかし、和菓子が好きなわたしにはこんなイメージが思い浮かぶ。色は緑か黄がいいと思うが、淡い色調の小ぶりの菓子箱のまん中やや上方に、白い和紙がはりつけられ、それに墨で書かれた「落ちこぼれ」の五文字が乗っている。そんなイメージだ。 落ちこぼれだからといって、肩身の狭い思いをする必要のないイメージであることはたしかだ。詩人は落ちこぼれの味わいの深さをいい、自分を落ちこぼれの一人だと明言し、最終二行では、 落ちこぼれ 華々しい意志であれ とまでいう。そこまでの潔さはないが、わが身を振り返って、落ちこぼれと縁の深い人生だったとは思う。 全共闘運動の後、大学教師への道をみずから断って塾教師をはじめたときには、まちがいなく落ちこぼれの意識があったし、さらにいえば、落ちこぼれを楽しみたい思いがあった。 三十年以上も続く塾稼業で、生徒を「有名」中学や「一流」高校に送りこむことには関心がなく、生徒がOBになっても関係が続くような、つきあいの親しさを大切にしてきたのも、落ちこぼれの塾経営といえそうだ。落ちこぼれである以上やむをえないが、経済的にめぐまれたことは一度もなかった。 落ちこぼれの塾には落ちこぼれた生徒が何人も通ってくる。大抵は落ちこぼれであることに傷ついているから、普通の子以上に丁寧なつきあいが必要だ。 授業についていけない子がついていけるようになれば、落ちこぼれは解消する。それが一番まっとうな落ちこぼれ解決法だ。が、学校の授業は生徒一人一人の能力に合わせて設定されているわけではないから、ついて行こう、ついて行かせようとして、思い通りにならないことが少なくない。 そこでどうするか。ついて行けないのは仕方がないとして、ついて行けないことでその子が苦しい思いや辛い思いをしているようなら、その苦しさや辛さを軽くしてやりたい。 そう思う私は、その子のついていける内容の教材を用意し、その子のついて行けるテンポでいっしょにとりくむ。ほかの子にテンポが合わないなら、無理に合わせようとしないで別々に進む。一対一で教えることもめずらしくない。 その子とのあいだに一定の信頼感が生まれてくると、ゆっくりしたテンポで前に進むこと自体が楽しく思えてくる。算数の問題を解くときでも、かわり番に朗読するときでも、生徒は安心してやるべきことに身を入れ、こちらも安心してそれを見まもることができる。劣等感から開放された軽やかな気分が、こちらにも伝わってくる。時間が静に流れ、教室に、深まりゆく秋の気配、とでもいいたくなるものが漂う。この穏やかさは落ちこぼれが恵んでくれたものだと思うと、目の前の子に感謝したくなる。 どっちかというと、詩の授業のための引き出しというよりも、学校で先生をするための引き出しのため紹介になってしまいましたが、いかがでしょうか。 茨木のり子には、授業で紹介したくなる詩がたくさんあります。ちくま文庫には「茨木のり子集(全3冊)」もありますが、たとえば「自分の感受性くらい」という詩はいかがでしょうか。 「自分の感受性くらい」 茨木のり子 ぱさぱさに乾いてゆく心を ひとのせいにはするな みずから水やりを怠っておいて 気難しくなってきたのを 友人のせいにはするな しなやかさを失ったのはどちらなのか 苛立つのを 近親のせいにはするな なにもかも下手だったのはわたくし 初心消えかかるのを/暮しのせいにはするな そもそもが ひよわな志にすぎなかっ 駄目なことの一切を 時代のせいにはするな わずかに光る尊厳の放棄 自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ 積み重ねてきた年月と、そこで営まれた生活から生まれた詩だと思いますが、年が若いからわからないという詩ではないでしょう。 こんなふうに自省することを強くうながす詩はなかなかないないのではないでしょうか。 茨木のり子の眼はいったん、自分の外に出ますね。そして自分に視線を向けています。そこから言葉を生みだしている自分の姿勢を見ています。すると、自分が恥ずかしくなります。 すっくと立とうしている、気持ちの姿勢が見えるように伝わってきます。最初の詩とこの詩と、二つとも、最終行が印象的な命令形なんですよね。そこに詩人の「意志」の「立ち姿」が現れていると思いませんか? 長谷川宏は文中にあるように塾の先生をしながら哲学を研究したひと。ドイツの哲学者ヘーゲルの研究者としては世界的な業績を残している人らしいです。詩人谷川俊太郎との「魂のみなもとへ―詩と哲学のデュオ―」(近代出版)も読みやすくておもしろい本です。いかがでしょうか。(S)2018/07/12【中古】 思索の淵にて 詩と哲学のデュオ 河出文庫/茨木のり子(著者),長谷川宏(著者) 【中古】afb価格:198円(税込、送料別) (2019/5/29時点)文庫で読めます。【中古】 魂のみなもとへ 詩と哲学のデュオ 朝日文庫/谷川俊太郎,長谷川宏【著】 【中古】afb価格:198円(税込、送料別) (2019/5/29時点)もう、中古でしかないのかな。ちいさな哲学 [ 長谷川宏 ]価格:1944円(税込、送料無料) (2019/5/29時点)こういう人です。ボタン押してね!ボタン押してね!
2019.05.29
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柴崎友香「寝ても覚めても」(河出文庫) 2018年のことですが、映画館で濱口竜介の映画「寝ても覚めても」の予告編を観て、まず原作を読み直そうと思って、読みなおしました。 この場所の全体が雲の影に入っていた。厚い雲の下に、街があった。海との境目は埋め立て地に工場が並び、そこから広がる街には建物がびっしり建っていた。建物の隙間に延びる道路には車が走っていて、あまりにもなめらかに動いているからスローモーションのようだった。その全体が、巨大な曇りの日だった。だけど、街を歩いている人たちにとっては、ただの曇りの日だった。今は、雲と地面の中間にいる。四月だった。(冒頭) 雨宿りしていたカラスが飛び立った。わたしが見上げるのよりも速いスピードで上昇し、数秒で二十メートルの高さに達した。建物から出てきた人たちが、最初に出会った人に大雨と突風のことを話す姿が、小さな黒い点のようになって、あっちにもこっちにも見えた。どこまでも埋め尽くす建物の屋根や屋上は濡れて、街の全体が水浸しになったように鈍く光っていた。 積乱雲は北へ移動し、西にはもう雲の隙間ができた。隙間はどんどん大きくなり、やがて街を越えて海まで雲のない場所が広がっていった。(結末) 文庫本では312ページあります。7ページが最初だから、305ページの小説の冒頭と結末に置かれたフレーズを引用しました。二つのフレーズはあたかも描きつづけられた同じシーンのようによく似ています。 引用部分を語っているのは泉谷朝子、通称「アサちゃん・サーちゃん」です。大学を出て、働き始めたばかりで、二十歳すぎだった女性が三十歳を越えるまでの十年間を一人称で語り続けています。 一人称で語るということの特徴は何でしょう。「私」は「私」がいない場所については語れないということですね。主人公がいつもカメラを持っていることは象徴的かもしれません。小説の舞台で起こる出来事はすべて「私」の目と耳で体験した出来事だということです。こう書くと、「なんと不自由な」と思う人もいるかもしれませんが、教科書でおなじみの「こころ」(教科書引用部分)でも、「舞姫」でも、「富岳百景」でも、すべて一人称小説です。この国の近代文学はここから「私小説」というジャンルを生み出してきたようですが、柴崎友香はその文体を踏襲しているわけです。 しかし、、この小説は「私小説」ではありません。語り手が一人称の「私」で、かつ、カメラを持った「私」であることが、結末に至るまで変わらないだけです。これが、一つ目の特徴だと思います。 二つ目の特徴は接続詞です。この主人公の「語り」には文章語として使われる「しかし」・「つまり」・「なぜなら」といった接続詞がほとんど使われていません。接続詞は描写する主体の意識が描写対象を文脈として整理するためのツールだと考えると、この「私」は文字通り世界をそのまま受け入れてきたことになります。 その世界とは、一つ目の特徴が示す通り、「私」が見たり、聞いたり、感じたり、考えたりすることが出来る、対象世界であって、決して超越的な、つまり「私」が不在であっても勝手に動きだしたり、「私」を外側からとらえて裁断したりする世界ではありません。 こうした世界観は、どこか幼児的だといえるかもしれません。この小説の文章としての印象は実際、幼児的、子供的です。しかし、例えば、「つまり」を使うことによって、あらかじめ世界を文脈的に理解し始めて以来、ぼくたちは何かを失っているということはないのでしょうか。 で、それにこたえる三つ目の特徴が時制です。一つ目の引用に「今」という言葉があります。残りが、普通の過去時制で語られている中の現在形の「今」はいったい、いつ、どこなのでしょう。これも幼児的時制の混乱、あるいは、丸吞みとして読むことが出来ないわけではありませんが、果たして、そうでしょうか。 語り手の「今」が、歴史的現在である「今」とすり替わることを、作家は企んではいないもでしょうか。ぼくは、このブログの別の投稿で、柴﨑友香の別の小説「ショートカット」について、「今このとき」が書かれている小説と書いたことがありますが、この「寝ても覚めても」という作品では、十年の歳月の経過を設定しながら、それぞれの時を、「今このとき」のありさまとして描くことで、何かを越えて見せようとしているではないでしょうか。そこに、この作品の不思議な魅力があるように、ぼくには思えるのです。 文庫解説の豊崎由美はこういっています。 ラスト三十ページの展開がもたらす驚きとおぞましさは超ド級。何回読み返してもそのたびに目がテンになる朝子の恐ろしいまでのエゴイストぶりは、読者をして「もう二度と恋なんてしない」と震撼させるほどの破壊力を持っているのだ。 引用前後の文脈を読めば、どうも、褒めているらしいのですが、「語り」続ける朝子に対する「エゴイスト」という、評言は当たっていないし、つまらないとぼくには思えます。 「今このときの私」を「私」に見えるものを手掛かりにして語り続け、支え続けようとする生き方を、ぼくは「恐ろしいエゴイズム」だとは思いません。むしろエゴイズムを越えたところにこそある、存在の「あらわさ」、「あられもなさ」というものではないでしょうか。 そして、その「あらわさ」、「あられもなさ」は人の「存在」のありさまとして限りなく美しいとぼくは思います。そんなことは、だって、、気に入らなければ泣き叫ぶ赤ん坊を見ていればわかることだとぼくは思うのですが、いかがでしょうか。(S)追記2019・12・29映画「寝ても覚めても」の感想は、ここをクリックしてみてください。 追記2022・12・01 参加している「本読み会」で、この人の作品「私がいなかった街で」(新潮文庫)が、2022年の12月の課題図書になりました。その作品は今から読み直すわけですが、自分が、柴崎友香の作品をどんなふうに読んでいたのかが気になって、作品は違いますが、昔書いた感想を読み直しています。 ぼくが、この作家が気になるのは、一人称単数の「私」という代名詞で表現される、本来、複数であるはずの「私」から、物語を支える「時間」を取り去ることで生まれる、生のままの「生」の「ゆらぎ」を描こうとしていると思えるところです。 さて、「私がいなかった街で」では、それがどうなったのか、まあ、読み直さなければわかりませんが、ちょっと興味が湧いてきましたね。ボタン押してね!ボタン押してね!
2019.05.28
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濱口隆介 「寝ても覚めても」 シネ・リーブル神戸 読んでから観るか、観てから読むか。柴崎友香の同名の小説が映画になりました。どちらかというと、ひいきの作家で、読んだことがある作品でしたが、内容の記憶はあいまいでした。チラシをぼんやり見ていると、監督は濱口竜介、俳優は東出昌大、唐田えりかと載っています。 「知らんなあ?」 キャッチコピーはこんなふうに書かれています。 愛に逆らえない。 違う名前、違うぬくもり、でも同じ顔。運命の人は二人いた。 「なんやそれ、そういう話やったかいな。そんな、たいそうな恋愛小説やったっけ?」 というわけで読んでから観みました。 エンドロールが流れていくのをぼんやり観ていると、濱口竜介という監督の名前もなにげなく流れていきました。名前を覚えたと思いました。これは、この監督の映画やなと思いました。 玄関のチャイムが鳴って、白いシャツの男が立っているシーンが終わりごろにあります。 ここまで映画は、なんとか原作をなぞってきていました。しかし、ここから、はっきりと原作のストーリーに別れを告げます。 山陽新幹線「のぞみ」の車中、眠っている男の顔を見ながら叫び声をあげそうになる、主人公である朝子。 岡山駅の長いプラットホームで、菓子パンで膨らんだ鞄を抱えて、西に向かって走り去る「のぞみ」を見送る朝子。 小説にある、その二つのシーンが、映画でどう描かれているのか、ひそかに期待していました。 でも、期待は見事に肩透かしを食ってしまいました。原作に描かれているシーンそのものがありませんでした。映画では朝子も男も新幹線になんか乗らないのです。 その代わりに、映画にはおそらく東北地方の海岸だと思いますが、巨大な防潮堤を見上げるシーンがあります。カメラは防潮堤を越えて海を映し出します。泡立つように打ち寄せる波と遠くまで暗い海が見えます。強い風に吹かれながら、海を見ている朝子の横顔がスクリーンに大きく映し出されるのです。 想像を絶する脅威を具現させた海がそこに広がっていて、防潮堤の上で女が海に向かって立っています。 「なんや、このシーンはなんや。なんなんや?」 映画の作り手である濱口竜介は一人の女をそこに立たせることで、小説と別れを告げたシーンでした。映画はこのシーンを光源にして主人公を映し出し始める印象でした。 長大な防潮堤の上には朝子(唐田えりか)がいます。不思議なことに、ぼくの目からは、じわじわと涙が流れはじめました。何故、涙が流れるのかわかりません。ただ、大根としかいいようのない女優ではなく、映画「寝ても覚めても」という物語の朝子が立っていると思いました。それが、とてつもなく清々しかったのです。 スクリーンには捨てられた猫を探しながら雨にうたれる朝子、安心して濡れた上着を脱ぐ朝子、座っている朝子、次々と朝子が映しだされていきます。それは、小説で出会った、カメラを持った朝子ではありません。二人はとてもよく似ているのですが、やはり違うのです。で、ぼくは映画の朝子を見つめ続けていました。 捨てられた猫や津波の被災者に心を寄せる朝子のシーンは、彼女の生き辛さの理由として心に残っていきます。だが、「逆らえない愛」とキャッチコピー化されるような行動の根拠としての説得力を読み取ることは出来ません。映像には、小説の印象に引き図られている頭をおいていってしまう飛躍があります。 小説的なコンテクストをなぞろうすることをやめた映画が、一人の人間が本当のこと、譲れないことに執着する「美しさ」と、次の瞬間、何が起こるかわからない、何をしでかすかわからない「今このとき」の「危うさ」をシーンとして映し出してしまうことがありうるということを久々に実感した映画でした。 主人公の輪郭を「防潮堤から海を望むシーン」を光源にして映し出そうとしているかに見える映画で、小説のちがった読み方を差し出された印象の作品でしたが、巨大な防潮堤とその向こうの海を主人公たちの暮らしの向こう側に描いてみせた、この若い監督を知ったのはうれしいことの一つでした。 シネ・リーブルのある朝日ビルを出て、南に向かって歩いた。向うは海。青空が広がっていた。ポート・ターミナルには、とてつもなく大きな船が止まっていた。 監督 濱口竜介 原作 柴崎友香「寝ても覚めても」 脚本 田中幸子 濱口竜介 製作 横井正彦 キャスト 東出昌大(丸子亮平/鳥居麦 ) 唐田えりか(泉谷朝子) 瀬戸康史(串橋耕介 ) 山下リオ(鈴木マヤ ) 伊藤沙莉(島春代 ) 2018年 日本・フランス合作 119分 2018・09・19・シネリーブル神戸(no6)追記 2019・05・27 観てから半年たつ。不思議なことに「岡山駅で下車する朝子」という柴﨑友香の原作「寝ても覚めても」に描かれたシーンが、確かにこの映画の中にあったような記憶がぼくの中にあって、繰り返し浮かんでくる。今回、元の文章を書き直そうと、いじっていて、一番困ったのがそのことだった。映画のシーンに小説のシーンを合成した記憶。 ぼくの中に、そう「したがる」なにかがあるにちがいない。おそらくこの小説と映画が、交差するように、ぼくの意識をインスパイア―しているに違いない。ゴダールが最新の映画「イメージの本」(クリックしてみてください)で言っていた、アーカイブということがしきりに浮かんでくるこの頃なのだが、自分の中の錯綜するアーカイブをどうしていくのか。これはこれで、結構スリリングな問いなのではないだろうか。追記 2019・12・29 この監督の「ハッピーアワー」を見た。神戸を舞台にした長い映画だった。いろんなことを考えさせられた。若い人たちへの期待と失望の両方を感じた。感想は題名をクリックしてくださいね。追記2020・05・11 記事を直していて、そういえば、一人二役の男性を演じていた東出君のスキャンダルを最近目にすることがあって笑った。「彼も大変だ」とシマクマ君は思うのだが、「馬鹿やん!」というのが同居人の感想だった。「うん、まあ、そうだけど・・・」追記2022・02・10 濱口竜介監督の「ドライブ・マイ・カー」という昨年公開された作品が、アメリカのアカデミー賞の作品賞だかの選考対象としてノミネートされたことが話題になっています。公開された時に見ました。ぼくの中では感想が揺れ続けている作品ですが、まあ、そう言えるかどうかということは別にして「世界標準」の視点からどう評価されるのか興味があります。 ここで感想を書いている「寝ても覚めても」以来、ずっと見続けています。映像に映し出される登場人物たち、生きている人間たちの向こう側に、何か大きなもの、遠い広がりを予感させる作品群なのですが、見終えると、どこか、なにか、納得のいかなさが残って気にかかり続けている監督です。 【中古】 寝ても覚めても /柴崎友香【著】 【中古】afb価格:198円(税込、送料別) (2019/5/27時点)文庫、もう中古ですね。パノララ (講談社文庫) [ 柴崎 友香 ]価格:1058円(税込、送料無料) (2019/5/27時点)ちょっと、新しい柴﨑友香わたしがいなかった街で (新潮文庫) [ 柴崎友香 ]価格:594円(税込、送料無料) (2019/5/27時点)柴﨑って、こういう感じ。ボタン押してネ!にほんブログ村
2019.05.27
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ウェス・アンダーソン「犬ヶ島 Isle of dogs」パルシネマしんこうえん 二本立てのセットでなければ見なかった。ウェス・アンダーソンなんて監督は知らなかったし、こういうアニメーション映画を観るのも初めてだ。 全編で繰り広げられている「日本的」な様々な意匠とでもいうのか、音楽にしろ、映像にしろ、物語の展開にしろ、異文化の目から見た「日本」のニュアンスそのもので、そのことに、とりわけ驚きを感じるわけでもなかった。もちろん、腹が立ったりもしない。 始まって10分ほどたったころ、右隣のおじさんが、スルメかなんかを食べていたのに、軽くいびきをかきながら寝込んでしまった。 ちょっとイラっとして、起こしてやろうかと思ったが辛抱して左を見ると、似たような年恰好と思しきオジサンが、まじめに、見入っていた。「そうか、そうか。」と納得して画面に集中していると、やがて左隣からも寝息が聞こえ始めた。ヤレヤレ。 自分では、モチロン、そうは思わないのだが、両隣のおじさんと、真ん中のおじさんは、他人が見ればさほどの違いがあるわけではないだろう。ぼくだって、かなり眠かった。「まあ、イラついても仕方がないね。」 映像に戻った。もう、眠くない。そういえば昔テレビでやっていた「サンダーバード」だったか、いつまでも出動のテーマを覚えている人形劇があった。同じころの日本の「ひょっこりひょうたん島」とか「チロリン村」と、どこか、明らかに違っていて、それがカッコよくて、うれしかった。 「あっちの人は、こういうのが好きなのかな?こっちの人は寝ちゃったんだけど。」 そんなことを呟いていると、太鼓がドンドコなって、映画は終わったが、結局、結構まじめに見た。 これはきっと、やたら手間がかかっている映画に違いない。そんな、なんか、よくわからない大変さに感心した。こういう映画が流行っていることも不思議に思った。でも、同じ監督の映画を、自分から、観に行こうとは思はないだろうと思った。「まあ、しかし、見てみるもんだ。」監督 ウェス・アンダーソン 製作 ウェス・アンダーソン スコット・ルーディン スティーブン・レイルズ ジェレミー・ドーソン 製作総指揮 クリストフ・フィッサー ヘニング・モルフェンター チャーリー・ウォーケン 原案 ウェス・アンダーソン ロマン・コッポラ ジェイソン・シュワルツマン 野村訓市 脚本 ウェス・アンダーソン 撮影 トリスタン・オリバー 美術 アダム・ストックハウゼン ポール・ハロッド 編集 ラルフ・フォスター エドワード・バーシュ 音楽 アレクサンドル・デスプラ 音楽監修 ランドール・ポスター2018年・101分・アメリカ 原題「Isle of Dogs 」2018・11・02・パルシネマno4追記 2019・05・26 徘徊する「ゴジラ老人」暮らしを始めて、1年が過ぎたが、映画館徘徊も、ほぼ1年たった。数えてみると約90本の映画を見たらしい。100本には届かなかったが、今年の目標は100本か?まあ、徘徊に目標を立てるのはいかがなものかとは思うが、目標とか立てたがる子供だったのが治らない。ヤレヤレ。 久しぶりに映画を見始めて、「犬が島」とか、「キングダム」のような映画を映画館で観たのは、新しい経験だった。料金との釣り合いが気になって、ということが、やはり大きな理由だったが、それに加えて、ハナから「くだらない」とバカにして観ないということがあったと思う。観てみると、やっぱり観ただけのことはあった。 観終わって、首をかしげる映画もあったが、観なければよかった映画はなかった。小説でもそうだけれど、観たり読んだりしなければわからないことはあるものだ。時間はたっぷりある、まあ、いろいろ観ていても、何も困らない。「さあ、100本めざして、ウロウロしたろか。」追記2020・02・23 映画館を徘徊し始めて1年と半年たった。150本ほど見たのだろうか。感想の数を数えてみると、それくらいになる。一年に80本から90本見るのがやっとなのがよく分かった。100本も150本も、というのは難しい。本を読むのでも同じことで、おおよそ150冊くらいが上限だろう。 記録代わりに、感想を書くことにして、始めたが、これもある意味大変だ。中々、すらすらと書けるもんじゃないことがよく分かった。今まで、メモ一つ取らずに、まあ、デタラメに書いてきたのだけれど、これは続きそうもない。そろそろ、何か工夫がいりそうだ。 一応、読書案内1000冊、映画1000本が目標なのだが、前途多難です。さて、どうしたらいいのかしら。 映画「キングダム」・漫画「キングダム」(55巻)・(56巻)の感想はここをクリックしてみてください。ウェス・アンダーソンの世界 グランド・ブダペスト・ホテル Popular Edition [ マット・ゾラー・サイツ ]価格:3888円(税込、送料無料) (2019/5/26時点)代表作?【中古】 ザ・ロイヤル・テネンバウムズ /ウェス・アンダーソン(監督、製作、脚本),ジーン・ハックマン,アンジェリカ・ヒューストン 【中古】afb価格:598円(税込、送料別) (2019/5/26時点)ボタン押してネ!にほんブログ村
2019.05.26
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ザ・ライブ!「木村充揮」ハンキ―パンキー食堂徘徊日記 2019年5月18日(土) 鈴蘭台あたり 今日はチッチキ夫人と二人徘徊です。待ち合わせは新開地、湊川公園5時30分。公園は「神戸まつり」でにぎわっているのですが、なんだかもの珍しい気分でうろうろしました。 新開地のMARUIラーメンで腹ごしらえ。昔はよくやってきて食べたのですが、夕方にならないと始まらないので、最近はご無沙汰です。中華そばともやしラーメンに、それぞれ納得した二人はいざ神戸電鉄、新開地駅へ向かいます。 鈴蘭台駅で下車して、きょとん!としてしまいました。駅が新品になってしまっていたのです。二階の窓から線路沿いに東の方を見ていると看板がありました。「おーい、あそこや、あそこや。」「あっ、ほんま。すぐやん。すぐそこやん。」 お目当ての「ハンキーパンキー食堂」は駅のすぐ北側(東か?)にありました。 本日の「二人徘徊」のメインコース、「憂歌団」のボーカル「木村充揮」のライブ会場に無事到着です。お店は、もはや満席。前のほうに偶然空いていた二人並びの席を見つけて着席しました。ライブなんて、二人で来るのは初めてです。ドキドキします。 木村君は7時過ぎに、イメージのとおり、ひょうひょうと現れて、始まりました。休憩を挟んで3時間近くの熱演でした。懐かしのヒット曲「おそーじおばちゃん」もしっかり歌って、ブルースに歌謡曲、軽妙で、実に「大阪な」おしゃべり。ハンキ―パンキーのマスターがピアノで参戦、ママさんがエプロンをとって「オーッ、パチパチ」というほかないボーカルを披露してくれました。二人ともプロ?! どんどんススム「木村」くんの酒量に合わせてこちらもビールがどんどんススみます。 チケットセットの「おやき」を頬ばりチッチキ夫人「きむらくん、エライ痩せてるねえ。」 唐揚げをかじってシマクマ君「飲みすぎちゃうか。」 ビールを一口でグビグビ。「ほら、みてみい、Tシャツ、ちゃんとアイロン当たってるで。」 紫蘇ジュ―ス、ゴクリ。「ホンマやね。まともに暮らしてるんやね。それにしても昔の釜ヶ崎の空気やわ。しゃべりも声も、飲み方も。」 わけのわからない当たり前のことを感心して、ひそひそ、時代錯誤おしゃべりも楽しいものです。「木村」くんの歌やトークもよかったのですが、お店のママさん雰囲気が感動的でした。楽しい夜を過ごしてお店を出ると、目の前を神鉄電車がゴー!。「懐かしいなあ。何年振りやろ?」「駅、新築してるねえ。」 お店の前で、神鉄電車を写真にパチリ。すると後ろから、聞き覚えのある声。「おい、送るで。」 振り向くと、チケットを贈ってくれた「ヤサイクン」がひょっこり立って笑っています。「ええー、どないしたん?」「いや、ちょっと、遅そなるから、困るやろ。送ったるわ。」「わざわざ来てくれたん?」「いや、三宮からここ近いねん。トンネル越えたらすぐや。」「そうなんか。わるないなあ。助かった。」 帰り路は名谷越えて、ピューと、あっという間。自動車は速い、あっという間に御帰宅でした。 ちょっと上がって、コーヒー一杯で帰っていったヤサイクン。「アホやな、気ィ遣こて。今日仕事やったはずやのに。」「アホいうことはないやろ。ちょっと覗きたかったんちゃうか。嬉しいこっちゃで。」 なんか、いつか、思い出しそうな、親切が身に染みる「鈴蘭台二人徘徊」の結末でした。2019・05・18 夜ザ・ライブ! [ 木村充揮 ]価格:4320円(税込、送料無料) (2019/5/25時点)これが、最新ですね。Complete Best 1974-1997 + LIVE アナログ(2CD+DVD) [ 憂歌団 ]価格:3296円(税込、送料無料) (2019/5/25時点)憂歌団、総括。にほんブログ村
2019.05.25
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佐藤信介「キングダム」OSシネマズ・ハーバーランド 実は、原泰久のマンガ「キングダム」(集英社)の隠れファンなのである。マンガはただいま54巻まで到達しているが、天下統一への道はまだまだ遠い。 秦軍は、戦国の七雄、隣国の韓と闘いを始めたばかりで、あと五か国を滅ぼす必要がある。数年がかり。作者の原泰久さんは2006年に「キングダム」を書き始めて十年を超える。手塚治虫文化賞ももらったし、彼自身も四十歳を越えてしまったのだが、今の調子で書いていくなら、紀元前221年の秦の統一で完成と考えても、後、十年では無理だろう。ちなみに秦王「政」が、始皇帝となってからもいろいろあるし、と、考えれば、ホントに完成するんだろうかという、期待というか、不安さえある。 さて映画の「キングダム」は、50巻到達記念の制作らしいが、すでにアニメもあるし、ゲームもある。ラジオドラマさえあるらしいので実写版となった(のかな)。いつもは見ないタイプの映画なのだが、今日は勇んでやってきた。 ハーバーランドのOSシネマは案外空いていて、なかなか快適だった。 眠っている主人公「信」が木の檻の中で目覚めるシーンから始まった。遠くの軍団を眺めて感動しているようだ。 こすっからい顔つきの主人(六平直政)の下で、もう一人の戦災孤児「漂」と出会い、二人が青雲の志を誓い合い、剣術の練習に励む日々が映しだされていく。 ところが画面を見ながら、奇妙な違和感で落ち着かない。 「あっ、そうか、この子らが、現代日本語をしゃべってるのが変なんや。画面と言葉が、全く合うてへんやん。これ、中国の歴史ちゃうんか?」 邦画の娯楽作品を、映画もテレビも、あまり見ていないからかもしれないが、中国古代の孤児たちが、今の日本語で会話しているのが、何とも不思議な拒否感というか、ズレの感覚を引き起こしているのだろうか、どうも落ち着かない。 まあ、文句を言っても仕方がないとあきらめて、画面の展開を見ていて、何となく落ち着いていった。 知っている「マンガ」の絵を映像が、かなり丁寧に追いかけていて、「それで?それで?」とシーンの展開についていくのに何の抵抗も感じなくなりはじめたのだ。「信」を演じる山崎君なんて、だんだんと原作「キングダム」のマンガのシルエットそっくりになっていく。「そうか、これは想像しとったマンガの実写版とはちゃうな。まあ、いうたら実写化なんや。セリフも、日本語、マンガの吹き出しのセリフのまんま、ガキ言葉でええんや。シーンも、マンガのコマの中にあったまんまなんや。マンガの絵のように動かしとんねや。」「ふーん、今はそういうふうに作るんか。なんかアホみたいやけど、これはこれで結構オモロイ。原作読み直しみたいなもんや。」 というわけで、結構はまって、最後まで面白く見終わりました。 さすがに、これはちょっと違うなと思ったのは、山の民の王、「楊端和」役の長澤まさみさん(さん付けね)と、「王騎」役の大沢たかおの二人。もちろん、シルエットは二人とも、原作マンガそっくりにしてあって、それはそれで笑えるのだけれど、なんか違う。でも、悪口をいっているのではない。 今回の映画版「キングダム」はマンガで言えば、第一章にすぎない。続編を作る話はきっと出るだろう。その時に、この二人を見たい。映画が原作マンガをなぞっているとすれば、この二人だけは、少しズレて、はみ出している。そのはみだし加減が一番面白いのだから、特に王騎は、マンガ「キングダム」を読む限りでは、「信」の成長物語では重要な役どころ。どうなるか見たい。 大沢たかおという俳優は名前も知らなかったが、今回の彼は、マンガの異形の王騎とはかなりずれている印象だった。長澤まさみさんが山の民の異様な武装、それでいて上着を取ると結構セクシーという装束で登場し、なんというか、女優の長澤まさみのまんま山刀なんか振り回している。これが何とも愉快だった。 ああ、最後に、もう一つ、闘いのシーンがあって、数十人しかいない味方が、敵の大群の中で次々と倒される。でも、「信」や「政」の掛け声で、次々と生き返る。不死身の軍団なのだ。まじめに観ている人には、あ然とするご都合主義なのだが、じつは原作もそうなっている。そこが、マンガの実写化といった典型的なシーンで、マンガで可能な奇跡は、実写でやると奇妙になってしまう。でも、この映画では許せる。そいうもんなんだと思った。いってしまえば、まあ、好きにやってくださいね、そんな感じ。 本気で「夢」を追う「友情」は身分を超えるし、本気の「夢」が団結を呼びかけると、死者たちも蘇るのだ。まあ、そんなかんじ。ちょっとアブナイけどね。 監督 佐藤信介 原作 原泰久「キングダム」 脚本 黒岩勉 佐藤信介 原泰久 キャスト 山崎賢人(信) 吉沢亮(政/漂一人二役) 長澤まさみ(楊端和) 橋本環奈(河了貂) 満島真之介(壁) 高嶋政宏(昌文君) 石橋蓮司(竭氏) 大沢たかお(王騎) 2019年 日本 134分 2019・05・24・OSシネマno3追記2022・08・18 第2部、「キングダム2 遥かなる大地へ」を観てきました。第1部で慣れていたので、セリフの違和感はそれほど感じませんでしたが、残念なことに楊端和役の長澤まさみさんの出番がなかったですね。かわりにというか、羌瘣役の清野菜名という女優さんにはまりました。かっこいいです(笑)追記2024・07・15 第4部「キングダム 大将軍の帰還」を見てきました。王騎の壮絶な戦いぶりが見せ場でした。キングダム 1【電子書籍】[ 原泰久 ]価格:518円 (2019/5/25時点)映画はこの辺でっせ。表紙今見ると懐かしい。 キングダム 1-54巻セット (ヤングジャンプコミックス) [ 原泰久 ]価格:29992円(税込、送料無料) (2019/5/25時点)中古でもまだ高い。読みだしたら止まりまへん。 ボタン押してネ!にほんブログ村
2019.05.25
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ルイス・ブニュエル「ビリディアナ」元町映画館「ルイス・ブニュエル特集」 連休中の「イスラム映画特集」とか、「サメ映画特集」も大いに興味をそそられたのですが、どうも大入りらしいという情報をつかんでしまい、尻込みしてしまいました。 とはいうものの、これだけはと思っていたこの特集です。気付いた時には時間切れ寸前、漸くこの一本だけにはお目にかかることができました。「ビリディアナ」ですね。 60年代の映画の再上映だそうです。70年代に彼の作品は何本か見たことがあります。話は忘れてしまっているのですが、カトリーヌ・ドヌーブの「昼顔」とか、そうだ、意味不明の極致「アンダルシアの犬」もブニュエルだったはずですね。意味不明ということだけ覚えています。しようがないですね。「今回の特集では「皆殺しの天使」が見たかったんだなあ。」 とかなんとかぶつぶつ言っていると始まりました。 モノクロの画面なのですが、悪くない雰囲気ですねえ。60年代的美少女、カトリーヌ・ドヌーブに似ているビリディアナ(シルビア・ビナル)は、修道院の生活をしているようです。「学校を出て、修道院か?まあ、そういう娘なんかな?じゃあ、十代か?うーん、そのわりには年食ってる感じの女優さんやな。」 金持ちの伯父さんの援助で学校を出たようですが、その伯父さんが会いたがっているらしい。嫌がる少女に修道院の偉いシスターも「会ってこい」と命じています。仕方なく、田舎の町へやってきます。旅のトランクには、大きな十字架。なんか、すごいですね。 ここからの話についていけなくなりました。な、なんとその伯父さんが、この美少女に結婚を迫り始めるのです。ラモナという女中に手伝わせて、怪しげな薬まで飲ませています。「なんなんや?この展開は?」 眠り込んだ美少女を・・・・。「なんや、なんや、このシーンは。その程度で、何にもせえへんのんか。アカン、意味わからん。」 目を覚ました少女に、伯父さんは「犯した」とか、「あれは嘘やった」とか、「でも結婚してほしい」って、何を言ってるんでしょう。怒った少女は修道院へ帰ろうと屋敷を出て行こうとすします。見ている「オッサン」にもわからん話を、こんな少女に理解できるはずがないですよね。「そらそうやろ。こんなわけのわからんとこ出ていくやろ。」思っていると、伯父さんの自殺が伝えられます。「やっぱり意味不明やな。なんで死ぬねん。これは相当わけわからんで。どうなんねん。ここから?」 遺産を引き継いだ少女は。伯父さんの隠し子だという青年と屋敷に帰って慈善事業を始めます。「元気いっぱいやな。しかし、まあ、この取ってつけたような話は、なんなんや?どうせまた、この男が面倒くさいんやろな。」 町中の乞食を屋敷に連れてきて、世話をやき始める。食事を用意し、説教を垂れ、仕事を与え、お祈りをする。相手は盲人、小人、妊婦、ハンセン氏病患者、売春婦、行倒れ、エトセトラ、エトセトラ。「なんか、落ち着かんなあ。何が起こるんや?」 屋敷の住人が誰も出かける。そこからとんでもないことが始まる。屋敷に残されていたルンペン・プロレタリアートたちの傍若無人。飲むわ、食うわ、タンスを引っ掻き回してウエディングドレスを着て踊りだすわ。上等な家具や食器が平気で壊されるわ。何だかわけのわからないセックスシーンまで始まる大騒ぎ。 あまりのことにポカーンと観ていると、宴たけなわのテーブルの人々が盲人のおやじを中心に横並びに座って、こっち側に娼婦と思しき女がいて、いきなりスカートをまくり上げ御開帳、全員で大笑い。「ええーっ!これって、最後の晩餐?13人おるんちゃうの?盲人のおやじがキリスト?」 何も知らず、ようやく、帰宅した屋敷の主人たちを見て逃げ出す女たち。ところが逆上して襲い掛かる不逞の輩の狼藉シーンが映されて、悲鳴を上げるビリディアナ。「よう襲われる人やなあ。」 危機一髪で救い出された翌日。聖少女は見事に変身します。だらしのない服装で憂いに満ちた表情の女は賭けトランプの席に着きます。カードをいじり始め、もう修道院へは帰らないのでしょう。「修道女ビリディアナの堕落。」 総括すればそいうことかもしれません。しかし、そんなレベルの話じゃないですね。これは、どうも、すごい話ですよ。ルンペンを演じる怪優たちの「すばらしさ」というのでしょうか、リアリズムを完全にはみ出しています。「なるほど、ルイス・ブニュエルや。やりたい邦題やんけ。ええんか、こんな映画撮って。まあ、そういう時代やったんかなあ。ルンペンはブリューゲルさながらやったしなあ。最後の晩餐であんなことするし。やっぱり、ほかのも観たかったなあ。」 久しぶりに、強烈パンチを食らった気分で歩いていると、アーケードの天井から下がった、新しい元号の垂れ幕が目に入りました。「シラケるなあ。アカン。ナカニシススムがホンマにアホに思えてきた。」 帰って調べると、1961年のカンヌのパルムドール。ところがどっこい、ローマ教皇庁の怒りを買って上映禁止だったそうです。「さもありなん。」 監督 ルイス・ブニュエル Luis Bunuel 製作 グスタボ・アラトリステ 脚本 ルイス・ブニュエル フリオ・アレハンドロ 撮影 ホセ・フェルナンデス・アグアヨ キャスト シルビア・ピナル (ビリディアナ) フェルナンド・レイ (伯父ハイメ) フランシスコ・ラバル (伯父の息子ホルヘ) マルガリータ・ロサーノ (女中ラモナ) ロラ・ガオス 原題「Viridiana」 1961年 メキシコ・スペイン合作 91分 2019・05・10・元町映画館no8ルイス・ブニュエル [ 四方田犬彦 ]価格:518・4円(税込、送料無料) (2019/5/24時点)やっぱ、これ読まんとあかんか?【中古】 昼顔 4Kレストア版 /カトリーヌ・ドヌーヴ,ジャン・ソレル,ジュヌヴィエーヴ・パージュ,ルイス・ブニュエル(監督、脚本),ジョゼフ・ケッセル(原作) 【中古】afb価格:3498円(税込、送料別) (2019/5/24時点)懐かしい、ドヌーブや。綺麗やなあ。ボタン押してネ!にほんブログ村
2019.05.24
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妖怪文化研究会 「ゆる妖怪カタログ 」 (河出書房新社) 図書館に通い始めると、当然ながらのぞいてまわる棚がふえますね。ピーチ姫と隣町の図書館をのぞいていて、新着図書の棚に見つけて借り出しました。2015年に出された本だから、そんなに新しいというわけではありません。 こたつに入って、パラパラやっていて、すっかりはまってしまいました。世間には、きっと大好き!という人が、結構たくさんいらっしゃるにちがいないのでしょうね。ネットで検索してみると、あるわ、あるわ。早速、「図説日本の妖怪」(河出書房新社)を予約して借り出すという次第でした。 二冊並べて覗いてみると、「妖怪」というものが無数にいるわけではないことがわかります。登場する妖怪たちはほぼ同じなのですが、出典というか、絵が少しずつ違います。民俗学とかの、まじめな研究対象だったりするので、「日本の妖怪」のほうは、妖怪研究の大家(?)小松和彦とかが解説していたりもしているのですが、「ゆる妖怪カタログ」のほうは解説も絵も、なんというか、ユルイのが気楽で、ぼくには面白かったという次第です。 気に入った三大妖怪は、まずは、「化け猫」 写真を見ていただくと分かると思いますが、まあ、でかいのはでかいのですが、愛嬌があって可愛いですね。猫を飼うに際して「三年は飼ってやるからな。」と念を押さないと、こういうことになるらしいですね。特に、しっぽの先が二つに割れている猫を「猫また」といって、人間様がいい加減な付きあい方をしているとこうなってしまいやすいので、要注意なんだそうです。 化ける修業というのも当然あって、阿蘇山にある根子岳が本場らしいですね。修業して帰ってくると、地域の猫の頭領として暮らすのだということで、ベランダでごろごろして、あてがい扶持のキャットフードに喉を鳴らしているようでは、とても化けたりできないようです。もっとも、十年を超えている場合は、ちょっと様子に注意したほうがいいかもしれないですよ。 二つめが「寝肥」 「ねぶとり」と読むらしいのですが、なんでそうなるのかはわかりませんが、「女性に特化」した妖怪らしくて「寝惚堕」とも書くらしいですね。「大いびき」というのもその特徴らしいのですが、まあ、いびきはともかく、どこにでもいるんじゃないかと思うのですが、やはり「妖怪」は妖怪、「太った女性」は太った女性、すぐにまぜこぜにしてはいけませんね。マア、「太っていて、いびきをかいて寝る男性」では「妖怪」にはなれないようで、そのあたりはどうなっているのでしょうね。 ただ、間違って太めの女性にむかって「妖怪」などという言葉を口にすると、セクハラ地獄が待っていることになるわけで、注意が必要ですね。 現代では、こういう妖怪の絵本を見て、おもしろがって案内したり、ひょっとしたら、こっそり笑うことすら危険を伴うかもしれませんから心しておく必要がありそうですね。 三つめが「ろくろ首」 これは、まあ、誰でも知っている妖怪の定番ですね。やっぱり女性の妖怪で、寝ているときに首だけ動き回るのだそうです。 昔、仙台藩のお侍が、夜遅く帰ってくると、屋敷の塀の上で、瓦を枕に寝ている妻の頭があった。そこで、そっと杖で触ると消えた。寝所に入ると、妻が寝ていて「今、あなたの夢を見ておりました。」といったそうだ。侍は「首を長くして、恋しい人を待つ」という言い回しがあることを思い出して納得したそうです。ちょっと怖いですが、まあ笑って済ませるのがいいのでしょうね。ははは。 もっとも、この妖怪は世界中に生息しているらしく、呼び名もさまざまで「抜け首」、「糸首」、「飛頭蛮」、北アメリカでは「尸頭蛮(しとうばん)」というそうです。なんで英語じゃないのか不思議ですが、だが、夜になると活躍するのは、同じらしいですね。 他にも、口が二つあって大食いの「二口」とか、星空にあらわれる、劇場型妖怪「大首」とか、笑える妖怪が色々いるのですが、今回はここまでということで。 ほら、あなたのすぐそばに首を伸ばし始めている‥‥。ワアー!!(S)2018/12/08追記2022・05・21 あのー、「化け猫」を見ていて思ったのですけど、甲子園あたりに生息している「だめトラ」も、一応ネコ科だと思うのですが、春から一向に化けないんですよね。フト思ったのですが、飼い主が今年限りで、なんてことを口にしたものですから、化ける気にならないんでしょうかね。 まあ、何はともあれ、一日も早く「化けトラ」になっていただきたいのですが、秋まで「だめトラ」のままなのでしょうか(笑)。追記2024・01・08 だめトラが「日本一」とかになっちゃったんですが、2024年はどうなるのかというと、まあ、だめトラはだめトラなわけで、それが平和だったりするというのが、トラキチクンたちの生活信条なわけで、万が一、アレンパとか起こったら、また、奇跡か悪夢化とうろたえることでしょう。 ええから、はよ、練習しようね、だめトラ君たち!とうふこぞう (京極夏彦の妖怪えほん) [ 京極夏彦 ]価格:1620円(税込、送料無料) (2019/5/23時点)京極さんて、好きなんですよね。水木しげるの妖怪えほん [ 水木 しげる ]価格:1512円(税込、送料無料) (2019/5/23時点)この方は、特別ですね。妖怪絵本セット(全6冊セット)(2017) [ 広瀬克也 ]価格:8424円(税込、送料無料) (2019/5/23時点)こういうのが無邪気でいいかなボタン押してね!ボタン押してね!
2019.05.22
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「批評家加藤典洋の死」 文芸批評家の加藤典洋さんが亡くなりました。訃報を作家の高橋源一郎さんのツイッターで知ったぼくが「加藤典洋が死んじゃったよ。」と口にすると、同居人のチッチキ夫人が「これ、ほら。」と言って数冊の「図書」の「大きな文字で書くこと」というコラムのページを開いて渡してくれました。 2019年2月号から「私のこと」と題して子供の頃の思い出が書きはじめられている記事を4月号まで読んで、涙が止まらなくなりました。 周囲の人やブログを読んでくれている人に、どうしても読んでほしい。そう思う気持ちが抑えられないので、ここに引用します。「私のこと その3 勇気について」 新庄でしばらくすると、引っ込み思案同士の友達ができたが、やがてもう一人を加えたやはり転校組の三人が、二、三人の手下を従えたいじめっ子に、執拗にいじめられることになった。 イジメは一年半から二年くらい続いただろうか。 ある時、私が建物の裏で、そのいじめっ子になぶられているのを見た兄が、家で、そのことを話した。しかし私は、そのことを何でもないことだといって否定した。 私はこのときのことがあり、長い間、自分には勇気がないのだと考えてきた。今もそう思っている。 ここで相手を殴り返そうと、思う。夢にまで見る。しかしそれができないまま、ある日、雨が降っているとき、それは私たち転校組が、また、転校していなくなる少し前のことだったが、私より少しだけ早く、同じいじめられっ子仲間のO君がかさを投げ出しかと思うと、グイっと、いじめっ子の襟首をつかみ、相手をなぎ倒した。 それで、イジメは終わった。 この同じ新庄という場所で、もうだいぶ経ってから、一九九三年、転校してきた子が、集団でイジメに遭い、死亡するという「山形マット死」事件が起きた。いじめっ子らは、罪を認めたが、その後、七人中六人までが申し合わせたように供述を翻し、彼らの家族もこれを後押しし、人権派弁護士たちが自白偏重を批判するなどして、介入した。そのため、この新庄氏のイジメ致死事件は、死亡した子の両親を原告に、刑事裁判に続き、民事裁判を争われることになった。二〇〇五年、最高裁で元生徒七人全員の関与が認められたが、今も全員の損害賠償金の支払いは、なされていない。 事件の翌年、私は、山形県教育センターの雑誌「山型教育」に寄稿を頼まれた際、この事件が、似た経験をしたものとしてかなり悪質な出来事であると思えると書いたが、この原稿は、裁判係争中を理由に、掲載されなかった。勤務していた大学に雑誌の関係者が二人菓子折りをもってやってきて、この原稿を取り下げてもらいたいと言ってきた。没にするなら、自分で没にされたという事実とともに別の媒体に発表すると、返答し、私はそうした。 自分には勇気がないと、私は心から思っている。勇気のある人間になりたい。それが今も変わらぬ私の願いなのだ。(「図書」岩波書店2019年4月号所収) ぼくにとっての加藤典洋という人は、その著書と出会っただけの人であって、本人を知っているわけではありません。 しかし、彼は上記のような文章を「図書」とかに書いていて、「ふと」出会う人であり、一方で「アメリカの影」(講談社文芸文庫)、「日本という身体」(河出文庫)以来つぶさに読み続けてきた人でした。 例えば村上春樹の作品ついて、ぼく自身、もういいかなと思った頃があったのですが、彼の作品をまっとうに評価した批評で、引き戻してくれたのは彼と内田樹の村上春樹論でした。 加藤典洋といえば「敗戦後論」(ちくま学芸文庫)が話題に上がるのですが、ぼくには「さようなら、ゴジラたち―戦後から遠く離れて」(岩波書店)、「3.11死に神に突き飛ばされる」(岩波書店)も忘れられない本でした。彼は、ぼくにとっては、あくまでも現代文学を論じる文芸批評家でした。ただ、文学を論じる根底に社会があることを、横着することなく考え続けた人だったと思うのです。 大江健三郎の「取り換え子」(講談社文庫)に始まる「おかしな二人組三部作」にかみついて、執筆中の作家を逆上させたという「勇気」も印象深い思い出なのですが、その後の作品「水死」、「晩年様式集」(講談社文庫)に対して「きれいはきたない」という短い書評(「世界をわからないものに育てること」岩波書店所収)で、「晩年のスタイルは、いま自分のありかを発見したところである。えもいわれぬ肯定感はそこからくる。」 と言い切って称えているのを読んで、さすが加藤典洋!と納得したりしていたのです。しかし、その言葉が、今となっては、大江健三郎の作品に対する、彼の最後のことばになってしまったのだと思うと、何の関係もないのですが、なんだか感無量になってしまうのです。 話は少しずれますが、この時期以降、大江健三郎の作品群に対して、加藤典洋のほかに、誰がまともに論じているのでしょう。近代文学の終焉とかいう、流行りの言葉をもてあそぶ人をよく見かけますが、今ここで書いている作家に対して、今を生きている批評家が論じるのは、また別のことだと思うのですが、近代文学批評もまた終焉のようですから、まあ、仕方がないのかもしれません。しかし、そこには、加藤典洋の死によって、ポッカリ空いた穴のような喪失感が漂っていると感じるのはぼくだけでしょうか。 橋本治といい、加藤典洋といい、今の時代をまともに見据えていた大切な人を立続けに失っってしまいました。「今日」のこの出来事に彼らがなんと言っているのか さがしても見つけることは、もう、できないのです。 いずれ、遺品整理のように語りたい二人の文章はたくさんあるのですが、今日はこれまでとしようと思います。(S)追記2019・05・24 加藤典洋の上記の記事の後、「図書」五月号に同じ連載コラムが掲載されているのを、チッチキ夫人が探し出してきてくれました。 題は「私のこと その4 事故に遭う」。彼は警察官の息子だったのですが、子供のころ、道路に飛び出して軽トラックにはねられるという事故に遭います。事故を知った母親が狂ったように走ってくる様子と、寝ている少年に「警官の息子が」と苦い顔をした父親の様子の二つが「正直な感想だろうが、横たわる私には、母に愛されていることの幸福感と、父に対する齟齬の感覚が残った。」というのが結語でした。最後に、ご両親のことを書かれていることに「あっ!」と思いました。あらためて加藤典洋のご冥福を祈りたいと思います。追記2019・06・18「図書」6月号には、加藤さんの初恋の思い出がつづられています。こういう原稿は、どこまで先行して書かれているのかということが、加藤さんの死を知ってしまっている、ぼくのような読者には、もう笑い事ではありません。 他者の死を悼むということの大切さから、社会を考えることを主張した加藤さんの最後の原稿を、まだまだ続くことを心待ちにしながら、湧き上がってくるやるせなさをかみしめています。追記2019・09・13今日は、13日の金曜日ですが、ブログのカテゴリーの整理をし始めました。亡くなった加藤典洋さんと、活躍を続けていらっしゃる内田樹さんをセットでカテゴライズします。お二人とも、ぼくにとっては大切な人です。追記2020・05・15 加藤典洋、橋本治がなくなって一年が過ぎたのですが、コロナウィルス騒ぎの世相は一気に「不穏な社会」へと転げ落ちそうな空気にみちています。予感が実感へ変わっりそうな「愚劣」な「空気」が一気に噴き出し、いやなにおいをまき散らし始めています。 彼ら二人が生きていれば何といっただろうと、ふと考えますが、ないものねだりですね。追記2021・09・01 ブログのカテゴリーの「加藤典洋と内田樹」に、作家の高橋源一郎さんを加えて「加藤典洋・内田樹・高橋源一郎」とします。加藤典洋は1948年生、内田樹は1950年生、高橋源一郎は1951年生、共通しているのは68-69体験だというのがぼくの見立てです。敗戦後論 (ちくま学芸文庫) [ 加藤典洋 ]価格:1296円(税込、送料無料) (2019/5/22時点)言わずと知れた。3.11死に神に突き飛ばされる [ 加藤典洋 ]価格:1296円(税込、送料無料) (2019/5/22時点)東北大震災の後、原発について、彼のきっぱりとした発言。言葉の降る日 [ 加藤典洋 ]価格:2160円(税込、送料無料) (2019/5/22時点)死を巡って、鶴見俊輔、吉本隆明に対する追悼文他どんなことが起こってもこれだけは本当だ、ということ。 幕末・戦後・現在 (岩波ブックレット) [ 加藤典洋 ]価格:626円(税込、送料無料) (2019/5/22時点)彼自身による、彼自身の歴史観の要約ボタン押してね!ボタン押してね!
2019.05.22
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鄭義信「焼肉ドラゴン」神戸国際松竹 舞台が見たくて見たくて、見られなかった「焼肉ドラゴン」の映画版を観ました。舞台は評判になって、漸くTVで見て以来、再演を待っていたら、映画になりました。「醤油屋からこうた、というセリフが一番よかったね。」 一緒に見た同居人のチッチキ夫人が、しみじみとそういって、それから、ふたりで映画の悪口を、ぼそぼそしゃべりながら、夕暮れの三宮の町をしばらく歩きました。 悪口をいいたくなるチグハグで、不器用な映画でした。俳優は一生懸命だし、演出もマジメです。しかし、舞台と映画は違うということを監督の鄭義信はこえられなかったように感じました。 それでも、この映画は心に残るだろうなと思いました。「明日はきっとエエ日になる。」 という名セリフが映画では生きなかったですね。それが、とても不思議でした。しかし、子供たちにモヤシをぶつけるオンマー(イ・ジョンウン=英順) のやるせない怒りと哀しみの姿と、「トキオを返せ!」 と叫ぶアッパー(キム・サンホ=龍吉) の悲鳴のような怒号は、ぼくには忘れらないシーンになるに違いないと思いました。 二人で、三宮の町中を歩きながら何故だか、無性に哀しくて、しようがないので太平閣の豚まんを買って帰りました(笑)。 監督 鄭義信 原作 鄭義信 脚本 鄭義信 撮影 山崎裕 照明 尾下栄治 録音 吉田憲義 美術 磯見俊裕 編集 洲崎千恵子 音楽 久米大作 キャスト イ・ジョンウン(英順) キム・サンホ(龍吉) 真木よう子(静花) 井上真央(梨花) 大泉洋(哲男) 桜庭ななみ(美花) 大谷亮平(長谷川豊) ハン・ドンギュ(尹大樹) イム・ヒチョル(呉日白) 大江晋平(時生) 宇野祥平呉(信吉) 根岸季衣(美根子) 2018年 日本 126分 2018・06・30国際松竹no2追記2019/05/22 観てから一年が経ちました。ふと、思い出すのは、キム・サンホとイ・ジョンウンという二人の名優の表情です。残念ながら真木洋子でも大泉洋でもありません。この二人の印象に残る演技は、作中の人間たちが生きている朝鮮と日本の歴史をきちんと思い出させてくれて、やはり忘れられません。 ぼくはテレビをほとんど見ないから、よくは知らないのですが、「恥知らず」としか思えない嫌韓ヘイトを口にするタレントや、中には作家を名乗るインチキな人たちがいるらしいですね。 「トキオをかえせ」と叫んだ龍吉が「明日はきっとエエ日になる」と、自らに言い聞かせて暮らした日々を思い浮かべて、ある「責任」のようなものを感じるのは、決して「自虐史観」などというものではないと思います。「まともである」ありたいと考える、普通の人間の感じ方ですね。追記2020・01・15 2020年の正月早々に見た「パラサイト」ですが、ソン・ガンホばかりに気を取られていましたが、この映画「焼肉ドラゴン」でモヤシをぶちまけるオッカー、オンマーというべきか(?)を演じたイ・ジョンウンさんが頑張ってました。いい存在感でしたよ。ボタン押してネ!にほんブログ村焼肉ドラゴン (角川文庫) [ 鄭 義信 ]価格:561円(税込、送料無料) (2019/5/22時点)文庫にもなっているんですね。知らなかった焼肉ドラゴン [ 真木よう子 ]価格:3411円(税込、送料無料) (2019/5/22時点)ビデオかな?
2019.05.22
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南伸坊「ねこはい」・「ねこはいに」青林工藝社 ねこのはいくえほんである。はいかいではなくてはいくである。2さつセットである。 はいくのえほんであるから、いちおうしき、きせつね、をめぐるのである。 もちろん、めせんはねこである。 いちめんの ねこじゃらしなり われひとり せみなくな くちがこそばい やかましいめいくである。まよってしまうほうなのかかんしんするほうなのかむずかしいのである。 せみをくわえるのは、このかたくらいのものである。ざんねんなことに、すぐよめてしまうのである。 おもしろがってへやにかざるのがいいかもしれないのである。ついでにもう一句。 はつゆめは かつぶしぜんぶ ふくろごと ほんともう おくさんほんと おかまいなく ああ、二句になっちゃったのである。ところで、このお二人も、はいくくらいはひねるのであろうか?なのである。追記2019・10・25 このお二人もさいきん「はいく」なんどにきょうみをおもちであるらしい。あきふかし ふたりですわる ねこまんまカリカリに せめてサンマの においでも 秋を感じているお二人でした。追記2022・05・22 あれから3年たちましたが、お二人はお元気なのであります。さつきばれおうちぐらしのきみとぼくなあ、ちょっとほーほけきょってきこえたね あいかわらずのおうち暮らしであります。とはいうものの、お二人にもきせつはめぐるのであります。ねこはいに [ 南伸坊 ]価格:1080円(税込、送料無料) (2019/5/21時点)ねこはいじん (単行本コミックス) [ たかしまてつを ]価格:1296円(税込、送料無料) (2019/5/21時点)これもちょっと気になる。ボタン押してね!ボタン押してね!
2019.05.21
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恩田陸「蜜蜂と遠雷」(幻冬舎文庫) もう一昨年になりますが、大評判になりましたね。恩田陸さんの「蜜蜂と遠雷」(幻冬舎)が文庫になりました。本屋大賞という賞があることはご存知の方も多いと思います。2004年くらいから始まりました。仕掛け人は「本の雑誌社」。全国の本屋の店員さんが「全国書店員が選んだいちばん! 売りたい本」を投票で選ぶという賞。恩田さんのこの作品は2017年の大賞ですね。 ところで、この賞の第一回の受賞作は、これまた、若い人にも人気がありそうな小川洋子さんの「博士の愛した数式」(新潮文庫)。√(ルート)君と天才数学者のほのぼのとしたいいお話。 その時の次点は横山秀夫さんの「クライマーズハイ」(文春文庫)。1989年に起きた御巣鷹山日航機墜落事故を題材にした新聞記者と警察が主人公という社会派小説。横山さんはこの前年、「半落ち」(文春文庫)という警察小説で直木賞の有力候補になったのですが、小説場面の設定の無理を指摘されて落選。 どこがどう無理だったのか、読んでみてもわからなかったのですが、ともかく、ぼくは平成の松本清張というべき筋運びのうまさに唸りました。文体の微妙な暗さまで似ていると思いました。 選考委員の中でクレームをつけたのが北方謙三さんという作家だったといううわさを聞いて、笑いました。北方さんはいわゆる冒険小説系の作品の作家ですから、こういうコセコセ、ジワジワした感じは嫌いなんだろうと思ったわけです。 横山さんはその結果、直木賞拒否宣言をしたとかで、どうなることかと思っていたら、翌年「クライマーズ・ハイ」で胸のすくようなホームランをかっ飛ばしました。ところが、どっこい、小川さんに満塁ホームランを打たれてしまった。そんな感じですね。 航空機墜落事故史上まれにみる、まあ、飛行機が落ちるなんてまれにみることなのですが、すぐそこにある凄惨な現場を新聞記者時代に実体験した横山秀夫の大傑作だと思ったのですが・・・。何の根拠もないのですが、大きな本屋さんで書棚とか整理しているシッカリおねーさん風の店員さんは、小川さんの世界ほうが好きなのでしょうね。 彼はその後も2013年に「64」(文春文庫)で本屋大賞にノミネートされましたが、百田尚樹の「海賊とよばれた男」(講談社文庫)に敗れて次点に泣いているのですね。というわけで、直木賞を逃して以来、よくよく賞に縁のない横山さんですが、対照的なのが、今回案内の恩田陸さん。 実は彼女は二度目の本屋大賞。小川さんと横山さんが争った翌年。2005年、「夜のピクニック」(新潮文庫)で受賞してメジャーデビューした作家なんですね。若者向けエンターテインメントを読まなくなった、ぼくのようなジーさんでも名前を知るようになるのが本屋大賞というわけです。 恩田さんは、はじめは名前を見て男の人かなと思っていたら女性でした。「夜のピクニック」を読んでいて、もっと若い人かなと思っていたら、案外おばさんでした。「ぼくより10歳若いだけじゃないか、へー!」それがぼくの第一印象。その彼女が「蜜蜂と遠雷」で二度目の本屋大賞と直木賞のダブル受賞。パチパチパチ! 単行本が出て、図書館係をしていた職場の図書館で購入して、購入した本を生徒さんたちに閲覧する前に、職権乱用だか、役得だか、ともかく、人間ドックの退屈な一日に持参してみると、500ページを超える大作なのに、一気に読めてしまいました。 おもしろかったんですね⁉ 好きなコミックの「スラムダンク」に似てるなというのが、読みながらの感想。読むスピードも、「スラムダンク」と似た感じでした。マンガを読むスピードは、かなり速い方ですよぼくは。 ようするに、ドンドン読めるいい話という感じ。それ以上はうまくいえませんが。 ところで、2016年の本屋大賞は宮下奈都さんという方の「羊と鋼の森」(文春文庫)という、一見、なんか意味不明な題名の作品でした。実はピアノというのは鍵盤を操作すると、箱の中でハンマーが弦をたたいて音が出ているわけで、その弦とハンマーの素材から作品の題名をつけたようです。主人公は調律師の卵。これまた実にいい話で、これまた一気に読めたんですが、味わいがよく似ていますね。 「蜜蜂と遠雷」はピアニストの卵たち話。調律師とピアニストだからよく似ているのかな。そうとも言えますね。この小説にも、こいつはいいやつだなという調律師が出てくるけれど、主人公ではありません。主人公は、あくまでもピアノコンクールに登場する天才ピアニストたち。どうも、「天才」という所がミソだと思うんですが、うまくいえませんね。 ぼくにはマンガの「スラムダンク」の天才少年桜木花道はリアルな奴なんだけれど、ここに出てくる主人公たちは「嘘じゃねーか」というのが感想でした。それが何故なのかよくわからいのですが、多分、安西先生がうなる場面、あれがないからかもしれませんね。だからというわけでもないのですが、宮下さんや恩田さんの作品を手放しでほめる気にはちょっとなれませんね。これじゃあ案内にならないですね。(S)追記 2019/05/21 本屋大賞ものでは深緑野分という、ぼくには新しい人の「ベルリンは晴れているか」(筑摩書房)を読みました。2019年の本屋大賞第三位ですね。ツィッター文学賞とかは一位ですし、直木賞の候補にもなっているようです。 読み終わって、ちょっとがっかりしました。ミステリーなのか、歴史小説なのか、あるいは1945年のベルリンという都市小説なのか。どれも及第点とは言えなかったですね。 歴史や地理的事実について、とてもよく調べて書かれているようなのですが、細部に対しるこだわりと、全体といいましょうか、釣り合いがとれていないんですね。ぼくにはベルリンの町が、全くリアルではなかったですね。もちろん言ったことも見たこともないわけですが、少なくとも、今読んでいる事件の現場としての立体感が描写できていない。どこで、何が起こっているのかわからないということですね。 ミステリーとしては謎解きの安易さがまず、どうしようもないという感じで、ここまで引っ張ってこれですか?という感じでした。これで、直木賞はあり得ないでしょう。 しつこいようですが、「パリは燃えているか」というヒトラーの有名なセリフのモジリとして、「ベルリン陥落」の日を題名化したようですが、これも空振りでしたね。ヒトラーの言葉に宿っている歴史的アイロニーのかけらすら感じられませんでした。「なんで、こんな題になったの?」というのが率直な感想でした。 なぜ、この小説がそんなに売れて、好評なのかポカンとしますが、やっぱり本屋大賞がらみなんでしょうか。 作品の良し悪しの判定はむずかしい問題ですが、「本の雑誌」で書いていた目黒孝二さん、別名、北上次郎さんあたりがどうおっしゃるのか、興味がありますね。 今回、新刊本を購入しましたが、腰巻のにぎにぎしさに加えて、大手の書店では平積みの棚に、積み上げられていました。図書館では数十人待ちです。 本屋大賞が空疎な「市場原理主義」を文学とかに持ち込んだとしたら、「本の雑誌」を愛していたぼくとしては、ちょっと寂しい、そんな感じですね。追記2019・10・21「蜜蜂と春雷」が映画になっているようですね。主人公の男性役が松坂桃李君だそうですね。評判になった「新聞記者」の彼ですね。なんか、意味はありませんが、笑ってしまいました。ちょうど今三宮とかでやっているようですね。ヤッパリ見てみようかな?クライマーズ・ハイ (文春文庫) [ 横山 秀夫 ]価格:820円(税込、送料無料) (2019/5/21時点)【中古】半落ち /講談社/横山秀夫(小説家) (文庫)価格:258円(税込、送料無料) (2019/5/21時点)ノースライト [ 横山 秀夫 ]価格:1944円(税込、送料無料) (2019/5/21時点)ボタン押してね!ボタン押してね!
2019.05.21
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「中村哲って誰? 」なだいなだ「人間、とりあえず主義」 先日、杉山龍丸という人物を案内しましたが、そこで中村哲という人物の名前が出てきました。 西日本新聞(2018/02/28)朝刊にこんな記事があります。《アフガニスタンへの支援を行う福岡市の非政府組織「ペシャワール会」は27日、現地代表の中村哲医師(71)=福岡県出身=が同国のガニ大統領から国家勲章を受けたと発表した。長年にわたる現地での用水路建設や医療活動が高く評価された。(略) 中村医師は1984年から隣国パキスタンで医療支援を始め、91年からアフガンでも活動。一時は両国で最大11カ所の診療所を運営した。アフガンを襲った大干ばつを受けて2003年に用水路の建設や補修を始め、事業で潤う土地は福岡市の面積の約半分に当たる約1万6千ヘクタールに上る。 同会によると、勲章は「長年、最善を尽くして専門的な支援を行い、保健と農業の分野でわが国の人々に多大な影響を与えた」として授与された。 7日に首都カブールの大統領官邸で行われた叙勲式にはガニ大統領や同国の農業大臣らが出席。大統領は中村医師が書いた用水路建設の技術書を6時間かけて熟読したと明かし、「あなたの仕事がアフガン復興の鍵だ」と何度も話したという。 中村医師は「活動が地元で評価され、為政の中枢に届いたことが特別にうれしい。自然が相手の仕事は、効果を得るまでに長い時間がかかる。さらに大きく協力の輪が広がることを祈る」とコメントした。》 もうひとつ、これは筑摩書房の「ちくま」という冊子に、精神科医で作家だったなだいなだが「人間、とりあえず主義」という連載をしていたことがあります。今から10年ほど前のことです。2009年11月号に「中村哲にノーベル平和賞を」という文章を書いています。中村哲の紹介にちょうどいいと思います。続けて読んでみてください。「憲法9条にノーベル賞を」という運動があるそうだ。突飛な発想で、面白いと思うが、ノーベル賞は人間化組織に与えることになっているので、まったく実現性がない。それよりも、かなり実現性のある、中村哲あるいはペシャワール会にノーベル平和賞を、という運動に切り替えたらどうだろう。残念なことに、中村氏と、まだ面識はないが、彼の著作を読み、彼の仕事ぶりを映したドキュメンタリーで見る限りの判断だが、これまでの受賞者にひけをとらない業績だと思う。 長年にわたるアフガニスタンでの井戸掘りや用水路の建設の仕事は、僕など、まねようとしてもできない。彼はこの仕事に半生をつぎ込んだ。日本でも評価され、毎日新聞、読売新聞、朝日新聞、西日本新聞などがさまざまな名目で賞を与えているし、驚くことに、日本の外務省までもが大臣賞を与えている。しかも。マスコミが注目する以前に与えている(そのころの外務大臣は誰!)。 それほど日本人が認めている彼の業績だ。彼にノーベル平和賞をという考えにだれも異存はあるまい。 ノーベル平和賞だけは、ノルウェー国民議会が選考を行うことになっていて、日本では非核三原則を国会で表明した、佐藤栄作元首相が受賞している。受賞したとき、少し流行遅れになったセリフだったが「アッと驚くタメゴロー!」を口にしたことを覚えている。本当にアッと驚いた、すぐに信じられなかった日本人は、僕だけではなかったろう。後々、核持込に関する日米間の密約があったことなどが知られるようになり、選考委員会が21世紀になって発表した報告の中で、後悔を表明したことで有名だ。非核三原則についての日本の首相の発言だ。当然、憲法九条を踏まえたものと理解されたのだから、憲法九条が受賞したようなものだ。だが、選りによって、あの人と憲法九条が結び付けられたとは! ノーベル平和賞には、ほかにも、なぜ?と後世になって首をかしげるような受賞が少なくはない。イスラエルのメナヘム・ベギン首相(当時)などもその一人だ。第一次中東戦争のときに一般市民虐殺の疑いを持たれているからだ。だが、この賞にけちをつけることになったら困るので控える。 中村哲ならば、佐藤元首相のときの間違いを訂正するという、いい機会をノルウェー議会の選考委員会に与えることになるから、一石二鳥である。そんなことよりもともかく彼が、アフガンの人たちと汗を流して掘った用水に水が流れ、荒地が緑に覆われる光景は、感動的だ(いくつかのドキュメンタリーで見て、年のせいで涙もろくなったのか、そのたびに目頭がジーンとなった。)戦争ではアフガンの人々の心をとらえれないことを、オバマ大統領に知らしめるためにもいいだろう。 ペシャワール会の伊藤和也さんが、不幸な事件に巻き込まれた記憶もまだ生々しい。また最近はパキスタンの辺境地域の治安も悪くなり、ペシャワールに根拠地を置く彼らの活動も、困難になってきているようだ。こういう時期だからこそ、ノーベル平和賞が意味を持つ。今年は無理かもしれないが、来年分の推薦の締め切りは、一月末。それまでにはまだ時間が十分にある。民主党、社民党の代議士たちが、推薦状を書く時間は十分にある。《中略》 僕はこれまで、車に「イラク戦争反対」と書いて走ってきたが、これからは「アフガン戦争反対」か「アフガンに平和を」と書いて走ろうと思う。 微妙に、10年前の時代の空気が流れているエッセイですが、中村哲の仕事が、漸く知られるようになった頃の文章です。新聞記事も、なだいなだも触れていませんが、記事にある1991年という年は旧ソ連によるアフガン侵攻作戦がようやく終わったころに当たります。戦争と干ばつで荒廃した大地に、風土病化し蔓延しているハンセン氏病治療のボランティアとしてアフガニスタンにやって来たのが中村哲の仕事の始まりでした。 そこから10年、井戸を掘り、岩だらけの大地に水路を作るという大土木事業が、医者である中村の創意工夫で続けられたのです。出版やカンパによる資金収集と日本の古来の竹籠式石組み技術による手仕事で続けられた事業がようやく成果を生みはじめた2001年、こんどはアメリカによる空爆が始まりました。 ソ連もアメリカも「イスラム原理主義の巣窟としてのアフガニスタン」という認識は変わりません。いつものことですが戦争や爆撃でどれだけの無辜の民衆の命が失われたのか、攻撃した人たちがきちんと報告することはありません。 しかし、以来、戦火が消えたことがない国の爆撃の下で、井戸を掘り続けて、民衆の命を守る仕事を続けた医者が中村哲です。 著書の案内は今回はできませんが、紹介したなだいなださんは、残念ながらこの原稿の2年後、2013年に亡くなってしまいした。 なだいなだという人は「いじめを考える」(岩波ジュニア新書)・「こころの底に見えたもの」(ちくまプリマー新書)といった中学生向きに書かれた本をはじめ、難しいことを、難しく言わない「こころ医者」を自称し、アルコール依存症の治療で知られた精神科医で、ラジカルだけれど、軽妙なエッセイが持ち味の人です。「人間、とりあえず主義」(筑摩書房)という題の本はありますが、この記事は載っていないと思います。 中村哲の著書の一冊、「空爆と復興」(石風社)の写真を載せました。高校生向けには「アフガニスタンの診療所から」(ちくま文庫)などがあります。(S)追記2019・12・04 2019年12月4日のニュースで中村哲氏の死が報道されています。どうしていいかわからない動揺が自分の中にあるのが分かります。この案内で、いずれノンビリ紹介しようとたかをくくっていました。「志の人」という言葉どおり、志士と呼ぶべき人がこの国にもいることが、ぼくは嬉しかったのです。ぼくにできることは、彼の仕事の足跡を、著書一冊、一冊、紹介することぐらいかもしれません。今日は、それを肝に銘じておこうと思っています。追記2022・09・27 中村哲の仕事を撮ったドキュメンタリー「荒野に希望の灯をともす」を元町映画館で見ました。彼の生きている姿を見るのは久しぶりです。いつだったかテレビで放映した時に見ましたが、初めてみるような気分でした。 亡くなって、3年がたちます。ぼくにできることは、彼の残した著書を若い人に伝えることくらいです。一冊づつ読み直して案内し続けようと思いました。ボタン押してネ!にほんブログ村アフガニスタンで考える 国際貢献と憲法九条 (岩波ブックレット) [ 中村哲 ]価格:691円(税込、送料無料) (2019/5/20時点)アフガン・緑の大地計画 伝統に学ぶ灌漑工法と甦る農業 [ 中村哲 ]価格:2484円(税込、送料無料) (2019/5/20時点)心の底をのぞいたら (ちくま文庫) [ なだいなだ ]価格:583円(税込、送料無料) (2019/5/20時点)ボタン押してね!ボタン押してね!
2019.05.20
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テンギズ・アブラゼ 「懺悔」元町映画館二階 黒の小部屋 「3月20日午後5時30分、元町映画館二階・黒い小部屋。カナラズコラレタシ。」という謎のメールを受け取った、徘徊老人シマクマ君。そのままどこかに連れ去られて・・・てなことは、もちろん起こらない。 ロシア映画を定期的の集まってごらんになっているグループの定期上映会に、お誘いいただいて、昨年見損ねた、テンギズ・アブラゼ「懺悔」を見ることができた。 下調べしたところによれば、ソビエト連邦崩壊直前に、グルジアで作られた反スタ映画として評判になった作品らしいのだが、そういう関心、反スタ映画だからみようかというような、は、今まで、ぼくにはあまりなかった。 少し小さめのスクリーンで映画は始まった。 中年の女性が、クリームでバラの花を作って、ケーキを飾っている。大きなケーキには、教会と思しき建物の飾り付けがのっかっていて、隣のテーブルで髭の男がケーキにかぶりついて「うまいうまい」といっていたと思うと、新聞に載っている写真を見て、大げさに「立派な人を亡くした。」とか何とか、わざとらしい誉め言葉を大声でがなり立てはじめている。ケーキを作っていた女性が、なぜか冷ややかな表情で、その男を見ている。 市長が死んだらしい。 葬儀があって、埋葬がある。葬儀を済ませた息子夫婦がベッドに入る。幼児と母親のようなみだらな場面がと、期待し始めたところに、庭から犬の奇妙な鳴き声が聞こえてくる。裸の妻が庭を見下ろし悲鳴を上げる。 埋葬したはずの市長の遺骸が庭に帰ってきている。 誰かが墓を掘り起こしている ケーキを作っていた女性の仕業だったことが明らかになり裁判が始まる。冷笑を捨て、戦うことを決意した意志の化身のような表情で女性が宣言する。 「眠らせない。」 ここから、映像は、たえず「滑稽」な印象をまといながら、過去の物語を語り始める。シャボン玉で遊んでいた少女と窓を閉めた父親。そこからすべてが始まっていた。 流刑地から流れつく大木に刻印された無実の父の名前。独裁者の前にひれ伏す美しい母。少女が広場に向かって飛ばしたシャボン玉の未来がはじけてゆく。 風船のように膨らんでゆく全体主義の中で、民衆はやがて「歓喜の歌」の大合唱へと昇華してゆく。ベートーヴェンが「悪」のサタイヤとして響き渡る不気味。独裁者を称える「歓喜」が美しく響き渡る空虚。 回想と現在、現実と幻想、二種類の映像が重ね合わされ、「父と子」の葛藤が映像の主題として描かれ始める。独裁者とその息子は同じ顔をしている。独裁者は戯画化され、歴史は愚かしく繰り返されていく。 「眠らせない!」「美しく偽られた父と子の醜悪な神話」を暴く叫びは少女の記憶からほとばしり、怯むことを拒否した女性の眼差しこそが美しい。 甘い砂糖菓子の教会が飾られたケーキを作っている女性の窓の下を老婆が通りかかる。 「教会への道は?」 教会への道は、失われた教会とともに失われている。しかし、道はある。ゆるく登ってゆく坂道を老婆が歩いてゆく。 「老婆はどこへ行くのだろう。」 告発者の女性を英雄視しなかったこと。独裁者自身の懺悔とともに民衆の懺悔の不可能性を神の不在という視点で描いたこと。歩み去る老婆を描いたこと。 「いったい誰が、何を、誰に『懺悔』することができるのか。」 映画が終わって、部屋が明るくなった。集まった人たちの感想を聞いて街へ出た。 印象に残るシーンは多いけれど、裁判所で自分に撃ち込まれた銃弾の行く方を尋ねたシーンは何だったんだろう。亀山郁夫の「大審問官スターリン」(小学館)で、なんか読んだ気がする。レーニン暗殺未遂の銃弾。関係ないか?「鉄の男」スターリン、ヨシフ・ヴィサリオノヴィチ・ジュガシヴィリ。信じられない狡猾さで権力を手に入れ、神のように君臨し、死んだあとは張りぼてのように捨てられた。グルジアは、故郷であったにかかわらず、権力への階段を上り始めた男が手を血で染めた、最初の虐殺の地。それ故にだったか?偶像として聳え立つ権力の偽りを、最初に暴く場所でもあった。「やったんちゃったかなあ?」記憶の中に、さ迷い歩くように浮遊する、あやふやな記憶といい加減な知識。「それにしても、グルジアか?」「うーん、あやふややなあ。もう一回読んでみようかな?もういいかなあ?」 神戸駅まで、いつもより遅い道を歩きながら、ふと、そんなことを考えていた。 監督 テンギズ・アブラゼ Tengiz Abuladze 脚本 ナナ・ジャネリゼ テンギズ・アブラゼ レバズ・クベセラワ 撮影 ミヘイル・アグラノビチ 美術 ギオルギ・ミケラゼ 音楽 ナナ・ジャネリゼ キャスト アフタンディル・マハラゼ:(一人二役) (ヴェルラム・アラヴィゼ・独裁者) (アベル・アラヴィゼ・その息子 ) イア・ニニゼ(グリコ・アベルの妻?) メラーブ・ニニッゼ(トルニケ・独裁者の孫) ゼイナブ・ボツバゼ(ケテヴァン・バラテリ) ケテバン・アブラゼ(ニノ・バラテリ) エディシェル・ギオルゴビアニ(サンドロ・バラテリ) ナノ・オチガバ(ケテヴァンの子供時代 ) ダト・ケムハゼ(アベル・アラヴィゼの子供時代) ベリコ・アンジャパリゼ(老女) 原題 「Monanieba」 1984年 ソ連 153分 2019・03・20・元町映画館no7ボタン押してネ!にほんブログ村【中古】 大審問官スターリン /亀山郁夫(著者) 【中古】afb価格:2090円(税込、送料別) (2019/5/20時点)
2019.05.20
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「コレクション日本歌人選 全4期80巻」(笠間書院) 週に一度だけ女子大生の皆さんが、高校とかの授業の練習をやっているのをみています。そこで、二学期最後のテーマ「古典短歌』の授業をやってもらうことになりました。 なんといいますか、偶然ですね。ちょうど軌を一にしてというか、ほんとは何の関係もないというか、笠間書院が出し続けていた「コレクション日本歌人選 全80巻」が完結しました。 現代詩であれば「現代詩人文庫」という旧シリーズから「新選 現代詩人文庫」まで、300巻を越えようかという思潮社が出し続けている叢書があって、近代以降の詩人の主要作品を読むことができます。 短歌についても「現代歌人文庫」というシリーズを国文社が出版していますが、これは昭和以降(?)というべきか、戦後というべきか?、その時代の現代歌人に限られていました。 今回、案内している笠間書院の「コレクション日本歌人選」は短歌と解説がセットという便利な本で、その上、万葉歌人から現代歌人まで網羅しているのですから、教科書でしか短歌などというものにはお目にかかったことはないが、それなりに興味はあるとか、教科書の短歌を高校生相手に解説しなければならないというような人にはうってつけのシリーズだと思います。 当然、学校の、せめて高等学校の図書館には並べてほしい本だと思います。 現代歌人の、いやもう昭和の歌人のというべきでしょうか、ここにあげた「前川佐美雄」がほぼ最新の出版らしくて、市民図書館の新刊の棚に見つけて読み始めました。 いわゆる、アララギ系というか、正岡子規から斎藤茂吉と連なる写実派の歌人グループとは異なる歌風の歌人で、日本浪漫派の人たちや、作家の三島由紀夫と親交があった人として知られている人なのですが、高校の教科書などにはあまり登場しません。 顔やからだに レモンの露を ぬたくって すっぱりとした 夏の朝なり切り炭の 切りぐちきよく 美しく 火となりし時に 恍惚とせり二階より 雨降る庭に 灯を差し向け 夜ひとり見をり 虚しさのはて まあ、こんなふうな短歌の人です。ぼくの好みは次のような短歌ですね。いますぐに 君はこの街に 放火せよ その焔の何んと うつくしからむ運命は かくの如きか 夕ぐれを なほ歩む馬の 暗き尻を見て 「顔やからだにレモンの露を」のような短歌になると、ウへ、どんな男前やね、チャールズ・ブロンソンか??? となってしまう程度の読み方しかできないのは、ぼくの問題でしょうが、まあ、ここでは内容よりも本の作り方の工夫を案内したいと思います。 どの歌人についても同じ編集方針らしいのですが、それぞれの歌人の伝記的な経緯をなぞるように、およそ五十首の歌が鑑賞、解説されています。 この前川佐美雄の場合は楠見朋彦という歌人で小説家が書いていて、単なる素人向けの入門解説ではないところがよいところですね。読みごたえがあるというのでしょうか、歌人前川佐美雄の短歌の肝に触れんとしている意欲を感じる解説です。 一冊読み終えて棚を探していると、面白いことに、この叢書には「ユーカラ」とか「今様」、「おみくじの歌」なんていうのもあることに気付きました。和歌とは縁がないと思っていた夏目漱石は「漱石の俳句・漢詩」と題して俳句二十句、漢詩二十編で一冊の本になっていました。 解説、鑑賞は漱石研究者で評論家の神山睦美です。早速、二冊目を借り出して読み始めましたが、解説が少々くどいところが好みではないのですが、漱石の漢詩を解説、現代語訳付きで読めるので、便利な事この上ありません。出かけるときのお供にするのにかさばらないし、二ページから三ページで一首完結の体裁なのでばっちりです。 新古今の歌人「式子内親王」が、借り出した三冊目です。丸谷才一おススメの歌人で、「のりこ」と読むのが正しいそうですが、ぼくは、この人の和歌はかなリ好みなのです。 例えばこんな和歌があります。わすれめや 葵を草に ひきむすび 仮寝の野辺の 露のあけぼの この和歌に対しての平井啓子さんという研究者の解説はこんな感じです。 葵祭の祭主をつとめる内親王は、祭の前日、潔斎のため、みあれ野に作られた仮屋に泊まる。葵を枕に結んで眠った夜が明け、いよいよ神事に臨む朝の情景。 こういう調子から始まって、 葵祭といえば、源氏物語の六条御息所と葵の上の車争いのくだりが有名だが、彼女は主催者としての、ういういしく清らかな「心の張り」を詠んだ。 と続けられて納得すると思いませんか。。 みなさまも、お出かけにご利用なさってはいかがでしょう。(S)追記2020・09・03 こんな紹介を書いて、二年以上たちましたが、最近読んでいた北村薫の「本と幸せ」(新潮社)の中に「次代の子供たちにとって、前の世代からの大きな贈り物になる。これはそういう叢書だ。」 という文章を見つけてわが意を得たりの気分になりましたが、2012年の「リポート笠間』の記事だったことに気付いて、ちょっとショックでもありました。気付く人は遠の昔に気付いているのですね。ボタン押してね!ボタン押してね!
2019.05.19
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ティエリー・フレモー 「リュミエール!」 パルシネマ さすがのぼくでもリュミエール兄弟が何者かぐらいの知識はあります。映画の父たちだ、とまあ、その程度なんだけれど。1890年代のフランス、リヨンで始まった映画というものがどんなものだったのかという興味もあります。というわけで、パルシネマしんこうえんの前列3列目、中央で待ち構える事態とあいなったわけです。「リュミエール!」始まりました。映画の始まりの映画の始まりです。 どうやら一話50秒がサイズらしいですね。何だかおおぜいの人が門から出てきます。続けて、少し変化して、三本目は馬車が立派になりました。どうも、これが始まりらしいですよ。 太ったおかーさんがいて、おちびちゃんが食事をしています。子どもが二人で踊っていた、別のおちびちゃんは猫にエサをやりながら、逆に、猫に絡まれています。かわいい!それにしてもデカい猫ですねえ。 我が家にも、この手のちびちゃんや猫たちの40秒から1分のビデオ画像が送られてくるのですが、孫に限らず子役と動物はすごい!ですね。100年以上も前から、誰もがポケットにカメラを忍ばせている現代まで、この可愛らしさは変わらないようです。 この猫も、おチビちゃんも、もちろん映像の中にしか生きていません。今でも生きていたら、確実に「化け猫」になっているに違いないわけで、そんなことを考え始めるノンビリ感が何とも言えません。 機関車が向うから近づいてきます。残念ながら、当時の観客のように「思わずのけぞる。」とはならなかったのですが、「なるほど、これが、あの有名な‥‥」 と、変なことで満足しています。 水撒きのギャグがあります。壁を壊すシーンの逆回しがあります。これは、きっとウケたでしょうね。曲芸があります。これなら、単純に、今でもウケます。水浴びがあります。軍隊が訓練していますねえ。軍隊なのに雰囲気がいい加減なのが、みょうに面白いですね。赤ん坊と看護婦(?)が次々とやって来ます。何ですか、これは、なんかの喜劇のシーンですか?なんで列をなしてやってくるの?「50秒で、次々と、こんなに面白くていいんですかね。映像があるだけなのに・・・」 世界の町が、次々と映っています。ニューヨークも、ロンドンも、パリも、エッフェル塔もあります。「パリの博覧会の頃やな。漱石もこれを見上げたんか、いや、登った?」 そんなことを考えていると、カメラは垂直に上昇して、やがて俯瞰します。今では当たり前のこの視界の変化が、新しい世界の見方を作り出したんじゃないか、そんな感じが確かに実感できます。 なんと、日本の剣術の練習の映像までありますよ。「スゴイ。これは日本のどこなんやろう。それにしても、やっぱり日本人や。なんでやろう。シーンの雰囲気が「ニホン」やなあ。ヨーロッパ目線か?そうか、そうなんや。」 植民地ベトナムのシーンがあります。ヨーロッパ人の女性が二人、小銭をまいている。ベトナムの子どもたちが、我先に、夢中になって拾っています。「アーロン収容所」(中公新書)の会田雄次を思い出しました。 そう思っていると、一方で、少女がカメラに向かって歩いてくるシーンに変わります。不思議なことに、シネマトグラフ(?)はアジアとヨーロッパの壁をやすやすと越えて、ベトナムの少女の明るい美しさを映し出し始めるんですね。それにしても、やはり目線はヨーロッパのものかもしれないとは思いますが。 どの映像もフィルム(?)が修復されたのだと思いますが、映像の美しさに感心させられました。多分、100本を超える50秒。堪能しました。「これって、まあ、映画が始まってるよな。どういうことなのかなあ?音楽とか、セリフとか、ストーリーとかないのになあ。今これだと、寝ちゃうけど。」 結構、お客さんが入っているパルシネマの午後でした。 監督:ティエリー・フレモー 音楽:カミーユ・サンサーンス 原題:「Lumiere!」 2016年フランス90分 2018・12・13・パルシネマno3追記 「映像」とか「カメラ」という装置やシステムこそが、近代的な風景を作り出した。そんな実感を強く感じた映画でした。その上で、サイードが言った「オリエンタリズム」って、こういう視線なんだ、きっと。 観終わって、しばらくたって、そういう得心がやってきました。ボタン押してね!にほんブログ村
2019.05.18
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高田瑞穂「新釈現代文」(ちくま学芸文庫) ぼく自身が受験生だった頃、繰返し読んだ現代文の参考書がありました。その参考書がなんと筑摩書房から文庫として復刊されています。高田瑞穂「新釈現代文」(ちくま学芸文庫)です。 人間の理解や知識は、関心と経験を経ることなしには決して育ちません。人間の文化を、その根底において支えているものは、いつの場合でも生活の必要ということなのです。 海を知らない山国に生まれた文明に、船を期待することはもともと無理なことでしょう。もっと身近なことで言えば、例えば我々の身体というものは、我々の最も親しいものです。むしろ我々自体です。われわれの行為とは、つまり我々の身体の様々な運動であります。 しかしそれでいて、我々はその身体を絵にしようとすると、なかなか上手く描けないのが普通です。 ところが、特殊な人々がいて、それを苦もなくやってのけます。それは画家たちです。それがすぐれた画家か否かということは別問題として、とにかく画家である以上は、人間の姿態をそれらしく描き出すことくらい朝飯前のことにちがいありません。 何故か。 画家は常に、描くという意識において人間を見ているからです。 画家にとって描くということは、彼の生活の本質ですが、画家でないわれわれには、そうではないからです。それならわれわれの生活の本質はどこにあるか。 あなた方は現在高校生であるか、高校の卒業生であるかどちらかでしょう。そして大学入試という当面の課題を共有しているわけです。そうすると、あなた方の目下の生活の中心をなすものは、高校卒業程度の学力を体得するということであるはずです。 画家は描くことに生活の意味を認めるが故に、描くことが出来たのでした。それなら、あなた方は、勉学に生活の意味を認めているのですから、学力を高めてゆくことが出来るのは当然のことでなくてはならないはずです。従ってあなた方の、学問的関心は、高校卒業程度という一応のレベルに立って、その範囲において、あらゆる分野に、常に生々と働いていなくてはならぬはずです。そして、受験のための勉強も、つまりは、そういう関心をなるべく広く、深く、生々と保つということの上に考えられなくてはならぬはずです。 そこに私は、一番正しい受験準備の姿があると信じます。もしそうしていれば、すでにあなた方の問題意識は充分の幅と深さを持ち得ているにちがいありません。しかし、私の見聞する所によると、事態は必ずしもそういう風に、うまくいってはいないように思われます。 特に、現代文がわからないという嘆きが、そのことを物語っていると思います。現代文がわからないという場合の多くは、実はあなたがたの問題意識が極めて希薄である場合か、または全然欠如していることの告白であると私は断言いたします。 ここで是非一つ、あなた方一人ひとり、ご自分の心を覗いていただきたいものです。何がありますか。もしそこにあるものが、単に、見たい、聞きたい、食べたい、行きたい等の、総括して自分の感覚を満たそうという願いだけだったとしたら、そういう人に、入試現代文が難解であるのは、当たり前ではありませんか。 そういう人は、無理をして、自分の精神年齢を引き上げなくてはなりません。無理をする事がどうしても必要です。たとえば、仲間が口をそろえて難しいという本があったら、無理をしてそれを読破して、いややさしいと言うのです。批評家などが盛んにほめるが、あんな小説―映画でもよろしい―のどこが面白いのかさっぱり解らないと友達が言ったら、それをよく読み、熱心に見て、いやたしかに面白いと言うのです。 こういう無理は、青春期においては少しもみにくいものでも、恥ずかしいことでもありません。青春時代は、人間的教養を身につけなくてはならない時期です。Cutivationとはもと耕作し、育成することです。 懐かしい文章です。学校の先生の授業には飽き足らない毎日だった少年が、心に刻み込んだ記憶があります。 現代文の入試問題が解けなくて困っている人にはこの参考書は難しすぎるかもしれません。知的な守備範囲を拡げようとしない人には、そもそもこの参考書自体が読みきれないと思うのです。 むしろ、現代文は得意だが、問題集の図式解説のばかばかしさに飽き足りない人や、国語の先生になろうと考えているような人にお薦めです。 今さら、受験参考書を、という気持ちはよくわかりますが、これを読むと読書しなければならないという気持ちになる不思議な参考書でした。書店の棚でちょっと覗いてみてください。(初出2011・07・14)(S)追記 2019・05・18 高校の国語に「論理国語」なる科目が始まるらしい。哲学研究者の内田樹さんが「内田樹の研究室」というブログでこんなふうに書いておられました。 契約書や例規集を読める程度の実践的な国語力を「論理国語」という枠で育成するらしい。でも、模試問題を見る限り、これはある種の国語力を育てるというより、端的に文学を排除するのが主目的で作問されたものだと思いました。「論理国語」を「文学国語」と切り離して教えることが可能だと考えた人たちは、文学とは非論理的なもので、何か審美的な、知的装飾品のように思っているんじゃないですか。だから、そんなもののために貴重な教育資源を割く必要はないと思っている。現にそう公言する人は政治家とビジネスマンには多くいますから。自分たちは子どもの頃から文学に何も関心がなかったけれど、そんなことは出世する上では何も問題がなかった。現に、まったく文学と無縁のままにこのように社会的成功を収めた。だから、文学は学校教育には不要である、と。たぶんそういうふうに自分の「文学抜きの成功体験」に基づいて推論しているんだと思います。政治にもビジネスにも何の役にも立たないものに教育資源を費やすのは、金をドブに捨てているようなものだ、と。そういう知性に対して虚無的な考え方をする人たちが教育政策を起案している。これは現代の反知性主義の深刻な病態だと思います。 文章を読むとか、書くという行為が、すぐれて「論理的」な行為であることを、諄々と解説し、受験問題を解いてゆく「新釈現代文」という受験参考書は、今こそ読まれるべきだと思います。 しかし、現場の若い教員や、教員を目指す学生さんたちの中に、世の風潮通り「すぐに使えるマニュアル的方法論」を手に入れることに汲々としている傾向があることは否定できません。 「そんな面倒くさいことはやっていられません、さっと、わかるように言ってください。」 そうおっしゃて、こんな本には見向きもされないことでしょう。そういう非論理的感受性には、「文学国語」を読むことも不可能だと思いますが、老人の繰り言でしょうか。追記2020・09・09 コロナ後の世界が始まりつつあります。蔓延する伝染病を克服する方法は、どうも、なんの根拠もなしに「こんなものはこわくないのだ。」という妄想にも似た「安心感」を蔓延させることのようです。 スター気取りでテレビに出て来て、やりもしていない対策を、やっているかのように語っていた、インチキ政治家たちは、次々と鳴りを潜め、「自助」とか「自衛」とか、公共の責任を果たす態度のかけらもない言葉を政治スローガンとして流行させ国民を煙にまき始めています。 決定的に失われているのは論理ですね。ムードや空気に酔わせることでインチキを煽ることで正当化するのが全体主義者、ファシストたちの常道でしたが、ムードに酔わないための薬は、地道に「論理」を追う「思考力」以外にはありません。 しかし、何よりも「考える」ためには「他者」、「他者」とともにある「社会」、人と出会う「場」を失ってはならないと思うのですが、自らのことばで語ることができない政治家の姿は「まさに」「他者」を失った現代のシンボルだと思います。しかし、彼が失っているのは「振り返って考える力」、すなわち「反省」ということだということを忘れてはいけないと思います。 一人、一人が考え始めることがポストコロナの社会を変える力を芽生えさせるのではないでしょうか。追記2022・02・09 2年前に「コロナ後の世界」を空想しました。そうはいっても、そろそろ収まるのではないかと考えていたようです。が、コロナの感染の拡大は今年の冬も収まることを知らない様子です。ネット上には恐るべき数値が跋扈していますが、「無検査」とか「みなし」という、いよいよ責任放棄を露わにした言葉も飛び交っています。 60年以上生きのびてきましたが、それでもまだ「初体験」ということに出くわすものだという詠嘆というか、感慨というか、不思議な気持ちにとらわれています。 リスク・ケアを流行り言葉にしてマニュアル社会化した現代社会が、実際のダメージに如何に脆弱であるか。ディストピアというSF小説で語られていたはずの世界が案外身近に現出することに驚いています。 ボタン押してね!ボタン押してね!
2019.05.18
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杉山龍丸「ふたつの悲しみ その2」-鶴見俊輔「夢野久作」より さて、杉山龍丸です。彼は「ドグラ・マグラ」(夢野久作)の世界から、この世に生まれ出た男でした。 ところで、元号騒ぎが始まって、ほぼ一ケ月。「時代」という言葉がしきりに口にされ、堰を切ったようにうっとうしい空気が流れ始めています。 ぼく自身の中に不愉快の澱のようなものが滞っていくのが嫌で、不機嫌になります。なんか、昔見たホームドラマのじーさんみたい。それで、「あっ、そうだ」と膝をうった(うってませんが)のが杉山龍丸の「ふたつの悲しみ」でした。「変な世の中になりそうな空気充満してるけど、こういう文章が書かれていたこと忘れんといてほしい。」 それが「あっ、そうだ」の直接の理由だったのですが、書き始めて、もう一つ、知ってほしいことがあるのに気づきました。 杉山龍丸という人についてです。「この人のことは言っておかなくちゃ。」そんな感じです。というのは、この人の生き方というのは、ちょっとすごいんです。ココからはちょっと薀蓄ぽくなります。 話が古くなりますが、西南戦争の後、九州の博多に玄洋社という思想結社が生まれます。頭山満とか内田良平なんていう名前を御存知の方もいっらしゃるかもしれませんが、所謂、国粋主義の団体とされています。しかし「オッペケペー」で有名な川上音二郎もここの社員ですし、孫文やインドのボースを支援したことでも知られています。 で、杉山の祖父、杉山茂丸(1864~1935)という人は、この玄洋社という国粋主義者の団体の中心的人物の一人です。結構有名な話らしいのですが、明治天皇の教育係であった山岡鉄舟の紹介状(彼はそこの書生でした)を手に伊藤博文の暗殺にでかけ、伊藤自身に諭され北海道に逃げたなどという逸話の持ち主です。 結局、安重根によって暗殺される伊藤博文ですが、そっちは「鶴見俊輔伝」を書いた黒川創が「暗殺者」(新潮社)という小説で書いています。こちらも、なかなか面白いのですが、今日は紹介だけです。 暗殺者にならなかった杉山茂丸は台湾統治から満鉄にいたる時代に、政界の黒幕、国士と呼ばれるような活動家でした。またの名を「杉山ホラ丸」というそうです。 この杉山ホラ丸の長男が杉山泰道なのです。こう書いても、なんのこっちゃというわけですが、彼には別の名前があります。 今となっては知る人ぞ知るになってしまった怪小説(怪奇ではありません)「ドグラ・マグラ」(ちくま文庫・夢野久作全集9)・(角川文庫 上・下)の作家夢野久作(1889~1936)です。 夢野久作、本名「杉山泰道」は昭和初期に活躍し、父の後を追うように、三人の息子を残して、1936年に他界します。 一応ミステリー作家に分類されますが、たとえば「ドグラ・マグラ(上・下)」はとてもそんな分類におさまるような探偵小説ではありません。ぜひお読みください。なんというか、めまいがします。 明治から昭和の日本政治史、昭和の日本文学史に、祖父と父が、それぞれ奇怪な名声を残す家系の中に、杉山泰道の長男として杉山龍丸は生まれます。大正八年(1919)のことです。 福岡中学、陸軍士官学校、技術学校を経て軍人となり、フィリピン・ボルネオの戦場で従軍し負傷しますが、少佐として復員します。五年の療養生活の後、さまざまな仕事を転転とする苦しい生活を経験したようです。こうしてみると、この文章が書かれるにいたるには、軍人としての戦場での体験と復員後の苦しい体験という二つの水脈のあることを感じます。 しかし、話はここからなのです。 杉山龍丸は、上記のエッセイを書いた1960年代の中ごろ、インドに渡ります。父や祖父から受け継いだ全財産、田畑三万坪を売り払い、その金を砂漠の大地に木を植えるという事業に、すべて注ぎ込むという奇想天外な後半生をおくるのです。 祖父は独立運動に名を残しているボースの支援者でしたが、杉山龍丸の行動は、インド解放の父ガンジーの後継者ネルーとの出会ったことがきっかけだといわれています。以来、半世紀の時が経とうとしています。 彼自身は1980年代に亡くなっていますが、インドでは「グリーンファーザー」と呼ばれている偉人だそうです。日本人は誰も知りません。日本に残された家族さえ詳しいことは知らなかったそうです。ぼくが思い出したのはこのことです。 「ふたつの悲しみ」を書いた杉山龍丸が戦後を生きようとしたとき、心の奥であふれ、新しい水脈となって彼を驚くべき後半生へと突き動かしていった情熱の奔流についてでした。 この人のこのような行動について、哲学者鶴見俊輔は、あらゆる制度的な仕切りを飄然と越えてしまう生き方に注目し、「祖父から父へと受け継がれた杉山家に流れる“狂気”」と解説したことがあります。ぼくが、彼の名前を知ったのは鶴見俊輔が何度か書いている「夢野久作論」のどれかによってです。(手元に本がないので、申し訳ありませんが詳述できません。) ともあれ「私たちはなにをなすべきであろうか。」と自問した結果、子供も家族もある、五十才に手が届こうかという元軍人が、国家を超え、財産や名誉に見向きもせず、世界の最底辺の民衆を救うことを思い立つ非常識、狂気にも似た考え方がありえたのです。これはただ事ではないと思いませんか。 「ぼくたちの現在」に漂っているいやな空気には、この人の生涯と対極的な、何かが腐りはじめた匂いがただよっているように、ぼくには感じられます。制度化して根源性を失いつつある様々な考え方を問い直す、さわやかな力が、彼の行動にはあると思うのです。 ここで、もう一人、「ああ、この人もいた」と、ある人物のことを思い出しました。アメリカによる空爆下の、アフガニスタンで井戸を掘り続けた医者、中村哲です。 彼は、同じ九州、博多が生んだ、もう一人の小説家火野葦平の甥っ子です。映画の好きな方であれば、昭和二十年代の映画「花と竜」の親分玉井金五郎が、実際に彼の祖父です。 中村哲についてはまたいずれ。ということで、今日はここまでで失礼します。追記2019・11・18 「杉山龍丸その1」はこちらをクリックしてください。 中村哲さんについて、なだいなだの文章を投稿しています。こちらをクリックしてみてください。「中村哲にノーベル平和賞を」「医者井戸を掘る」(石風社)「空爆と復興」(石風社)ボタン押してネ!にほんブログ村
2019.05.17
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山田太一編「生きるかなしみ」(ちくま文庫) ところで、ぼくは「サンデー毎日」の日々を暮らす、自称、徘徊老人です。日々の生活で心配事は無駄遣いと太りすぎ以外にはありません。道端の花の写真を撮ったり、映画館で興奮する毎日を送り始めて一年が過ぎました。ところが、最近やたら「むかっ腹」がたってしようがないのです。当てもなく、相手も特定できずに腹を立てる。完全な老人化が進行中というわけでしょうか。 ブログとやらに文章を書いて載せることで、漸く脳内出血とか心筋梗塞を免れているのですが、それもいつまで続くことやら。今回も、腹立ちまぎれの投稿なのです。山田太一というと、「ふぞろいの林檎たち」とか「岸辺のアルバム」というテレビドラマの作家といえば、思い出される方もいいらっしゃるかもしれません。 その脚本家が、もう30年ほども前に「生きるかなしみ」(ちくま文庫)というエッセイのアンソロジーをまとめています。佐藤愛子とか、五味康祐、吉野弘なんて言う懐かしい作家や詩人の文章の中に、杉山龍丸という異様な名前の人物の、お読みいただければ、おそらく、忘れられないにちがいない短い文章があります。 とにかくそれを読んでいただきたいので、ここに掲載します。ブログ記事としては、少々長めかとは思いますが、お読みいただければ、納得していただけるのではと思います。「ふたつの悲しみ」 杉山龍丸 私たちは、第二次大戦から二十年たった今、直接被害のないベトナムの戦いを見て、私たちが失ったもの、その悲しみを、新しく考えることが、必要だと思います。 これは、私が経験したことです。第二次大戦が終り、多くの日本の兵士が帰国して来る復員の事務についていた、ある暑い夏の日の出来事でした。私達は、毎日毎日訪ねて来る留守家族の人々に、貴方の息子さんは、御主人は亡くなった、死んだ、死んだ、死んだと伝える苦しい仕事をしていた。留守家族の多くの人は、ほとんどやせおとろえ、ボロに等しい服装が多かった。 そこへ、ずんぐり肥った、立派な服装をした紳士が隣の友人のところへ来た。隣は、ニューギニヤ派遣の係りであった。その人は、「ニューギニヤに行った、私の息子は?」 と、名前を言って、たずねた。友人は、帳簿をめくって、「貴方の息子さんは、ニューギニヤのホーランジヤで戦死されておられます」と答えた。その人は、その瞬間、眼をカッと開き口をピクッとふるわして、黙って立っていたが、くるっと向きをかえて帰って行かれた。 人が死んだということは、いくら経験しても、又くりかえしても、慣れるということはない。いうこともまた、そばで聞くことも自分自身の内部に恐怖が走るものである。それは意識以外の生理現象が起きる。友人はいった後、しばらくして、パタンと帳簿を閉じ、頭を抱えた。 私は黙って、便所に立った。そして階段のところに来た時、さっきの人が、階段の曲り角の広場の隅のくらがりに、白いパナマの帽子を顔に当てて壁板にもたれるように、たっていた。瞬間、私は気分が悪いのかと思い、声をかけようとして、足を一段階段に下した時、その人の肩は、ブル、ブル、ふるえ、足もとに、したたり落ちた水滴のたまりがあるのに気づいた。その水滴は、パナマ帽からあふれ、したたり落ちていた。肩のふるえは、声をあげたいのを必死にこらえているものであった。どれだけたったかわからないが、私はそっと、自分の部屋に引返した。 次の日、久し振りにほとんど留守家族が来ないので、やれやれとしているときふと気がつくと、私の机から頭だけ見えるくらいの少女が、チョコンと立って、私の顔をマジ、マジと見つめていた。私が姿勢を正して、なにかを問いかけようとすると、「あたち、小学校二年生なの。おとうちゃんは、フイリッピンに行ったの。おとうちゃんの名は、○○○○なの。いえには、おじいちゃんと、おばあちゃんがいるけど、たべものがわるいので、びょうきして、ねているの。それで、それで、わたしに、この手紙をもって、おとうちゃんのことをきいておいでというので、あたし、きたの」顔中に汗をしたたらせて、一いきにこれだけいうと、大きく肩で息をした。 私はだまって机の上に差出した小さい手から葉書を見ると、復員局からの通知書があった。住所は、東京都の中野であった。私は帳簿をめくって、氏名のところを見ると、比島のルソンのバギオで、戦死になっていた。「あなたのお父さんは――」といいかけて、私は少女の顔を見た。やせた、真黒な顔、伸びたオカッパの下に切れの長い眼を、一杯に開いて、私のくちびるをみつめていた。私は少女に答えねばならぬ。答えねばならぬと体の中に走る戦慄を精一杯おさえて、どんな声で答えたかわからない。 「あなたのお父さんは、戦死しておられるのです」といって、声がつづかなくなった。瞬間少女は、一杯に開いた眼を更にパッと開き、そして、わっと、べそをかきそうになった。涙が、眼一ぱいにあふれそうになるのを必死にこらえていた。それを見ている内に、私の眼が、涙にあふれて、ほほをつたわりはじめた。私の方が声をあげて泣きたくなった。 しかし、少女は、「あたし、おじいちゃまからいわれて来たの。おとうちゃまが、戦死していたら、係のおじちゃまに、おとうちゃまの戦死したところと、戦死した、じょうきょう、じょうきょうですね、それを、かいて、もらっておいで、といわれたの」 私はだまって、うなずいて、紙を出して、書こうとして、うつむいた瞬間、紙の上にポタ、ポタ、涙が落ちて、書けなくなった。少女は、不思議そうに、私の顔をみつめていたのに困った。やっと、書き終って、封筒に入れ、少女に渡すと、小さい手で、ポケットに大切にしまいこんで、腕で押さえて、うなだれた。涙一滴、落さず、一声も声をあげなかった。肩に手をやって、何かいおうと思い、顔をのぞき込むと、下くちびるを血がでるようにかみしめて、カッと眼を開いて肩で息をしていた。 私は、声を呑んで、しばらくして、「おひとりで、帰れるの」と聞いた。少女は、私の顔をみつめて、「あたし、おじいちゃまに、いわれたの、泣いては、いけないって。おじいちゃまから、おばあちゃまから電車賃をもらって、電車を教えてもらったの。だから、ゆけるね、となんども、なんども、いわれたの」と、あらためて、じぶんにいいきかせるように、こっくりと、私にうなずいてみせた。私は、体中が熱くなってしまった。帰る途中で、私に話した。「あたし、いもうとが二人いるのよ。おかあさんも、しんだの。だから、あたしが、しっかりしなくては、ならないんだって。あたしは、泣いてはいけないんだって」と、小さい手をひく私の手に、何度も何度も、いう言葉だけが、私の頭の中をぐるぐる廻っていた。 どうなるのであろうか、私は一体なんなのか、なにが出来るのか?戦争は、大きな、大きな、なにかを奪った。悲しみ以上のなにか、かけがえのないものを奪った。私たちは、この二つのことから、この悲しみから、なにを考えるべきであろうか。私たちはなにをなすべきであろうか。声なき声は、そこにあると思う。 いかがでしょうか。 実は、この文章に出会うのは、この文庫が初めてではありませんでした。1970年代に出版された「戦後日本思想大系 14 日常の思想」(筑摩書房)の中に収められていた文章で、ぼくは学生時代に少なくとも一度は読んでいます。本文の冒頭の言葉で分かるとおり、ベトナム戦争が泥沼化した時代の文章です。 この文章が載せられている一番新しい書物は、イーストプレスという出版社の「よりみちパンセ」という中学生向きのシリーズに、小熊英二という社会学者が書いた「日本という国」という本です。 さて、それでは、この杉山龍丸とは何者なのでしょう。それは次回ということで、今回はここまで。「杉山龍丸その2」はここをクリックしてくださいね。 追記2020・08・31 村上春樹の「猫を棄てる」(文藝春秋社)というエッセイを読みました。戦争中、父が所属していた福知山歩兵第二十連隊と「南京陥落」とのかかわりについて、あの村上春樹が、執拗に事実関係を調べた様子をうかがうことができる文章なのですが、なぜ彼が、今になって、その父のことを書いたのかという、読者であるぼくの率直な疑問には答えようとしていません。 そのことを考えながら思い出したのが、この杉山龍丸のことでした。ブログに引用したエッセイも印象的ですが、杉山のその後の生涯も、ちょっと、簡単にはどうこういうわけにはいかないと思います。 戦争体験の風化が話題になることがありますが、記憶とは何かと考える時に、読み直すべき文章はたくさんあるのではないでしょうか。 村上がこだわっていたのも「父の記憶」ですが、今や曽祖父の記憶化しているからといって、うちやってしまうべきことかどうか。大切なことがあるように思いました。追記2023・04・24 作家の大江健三郎が亡くなったニュースを見ながら、ふと、山田太一という名前を思い浮かべました。「確か、似たような年齢だった。」 調べてみると1934年6月6日のお生まれでした。ボクはテレビドラマをあまり見ませんが、この人のドラマは見ていたような記憶があります。最近のドラマは、全く見ないので、今どんな人がどんなドラマを作っているのかということには何も言えませんが、上の記事で紹介した「生きるかなしみ」を読んだときにテレビドラマを作っている山田太一という人の誠実を実感したことは、はっきり覚えています。山田太一という人は都会育ちの人だと思いますが、多分、大江健三郎という作家の「書く」ことを支え続けてきた何かを共有していた人なのでしょうね。そういえば、倉本聰という人も同世代だったような気がします。ああ、小澤征爾もそうですね。 みなさん、お元気でいらっしゃることを祈ります。追記2023・12・03山田太一さんがお亡くなりになったそうです。2023年の11月29日のことですね。何だかショックでした。お誕生日が20年と1日違いなんですよね。ご冥福を祈るばかりです。 ボタン押してネ!ボタン押してね!ボタン押してね!ku
2019.05.16
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ジャン=リュック・ゴダール「イメージの本」シネ・リーブル神戸 ゴダール、ベルイマン、エリセ、ブニュエル・・・・。40年前に映画少年だったシマクマ君にとって、当時ですら名画座でかかるのを待った人々。(名前をクリックしてみてくださいね。) 30年映画館に通う余裕も金もない生活から、仕事をやめて映画館に戻ってきて一年。元町映画館とかアートヴィレッジとかで、そんな懐かしい名前の特集を組んでくれると、うれしい。なんとか見直そうと出かける。 そういう映画を見ていると、目の前の映像の展開が不思議な既視感とごっちゃになる新しい映画体験に揺さぶられる。それは、どこか哀しくて、でも、こたえられない。このまま映画館の椅子に座りっぱなしで、次の映画をかけてほしいと思う。先日も元町映画館でブニュエルを見て感動した。やっぱりすごい! シネ・リーブルのチラシを見ていて、驚いた。「勝手にしやがれ」や「中国女」のゴダールの新作がかかる。「ええー?ゴダールって生きてんねや!」 まさか、生きているゴダールの、新しい映画が見られるとは想像もしていなかった。 広げられた掌。五本の指。映画が始まった。 ピアノを弾く指がある。切り貼りの映像とセリフが一章ごとに五つ展開されるらしい。 古い映画のシーンに新しい映像が重ねられて、セリフがかぶさる。それぞれの映画を特定することは、とても出来ない。かろうじて、「あれは溝口の『雨月物語』か?」と浮かんでくるが、すぐに消える。 暴力、戦争、革命、セックス、女、男、子供。くりかえされる手の動き。イメージは、いやな記憶のフラッシュバックのようにとりとめがない。薄い眠気の霧が繰り返し襲ってくる。 映像が終わる。カタルシスはとうとうやってこなかった。 歩きはじめると三宮の雑踏が遠い。ふと、見たことがある世界を見ている感じが襲ってきて立ちどまる。 「そうか、老いか。あの、一見、時間にそって重ねられているように見えたイメージは、意図されていたのかはともかく、こんなふうに見えてしまう今の意識かもしれんな。」 老人の記憶の中で、繰り返しフラッシュバックするイメージのカケラ。奇妙な納得が沸き上がってくる。 グロテスクな映像にさしはさまれた、異様に美しかったシーンが浮かんできて、重ねられるセリフが、そのシーンにつながっているなにかを示していた。 一本の指が天を指していた。子供たちが海辺で遊んでいた。最初の指の記憶が戻ってきた。 「何ひとつ望みどおりにならなくても希望は生き続けるって、あれがゴダールの声か?」「なんか、怒っとったな、あのおっさん。」 監督 ジャン=リュック・ゴダールJean-Luc Godard 製作 ファブリス・アラーニョ ミトラ・ファラハニ 脚本 ジャン=リュック・ゴダール 撮影 ファブリス・アラーニョ 原題「Le livre dimage」 2018年 スイス・フランス合作 84分 2019・05・15・シネリーブル神戸(no5)ボタン押してネ!にほんブログ村にほんブログ村
2019.05.16
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ベネディクト・エルリングソン 「たちあがる女」シネリーブル神戸 連休に出かけることを嫌がっていると、いつも出掛けるどの映画館もプログラムが一週間トンでしまって、これは好きかもと思っていた映画がみんな終わってしまう。「ああ、終わってまうやん。しゃあないなあ、出かけるか。よし、いくぞ!」 漸く重い腰を上げて、立ち上がるゴジラ老人。たどり着いたシネリーブル神戸。 いきなり、ここはアイスランド! という風景が広がる。全く樹木のない平原。草原ですらない。鉄塔だけが人工物で、送電線が空にくっきりと線を引いて、ずっと向うまで区切っているように見える。 女が青空に向けて矢を放つと、送電線に火花が散って、矢が落ちてくる。騒ぎが始まる。 なぜか女のそばにはいつも楽隊がいる。ピアノ。ドラム、ラッパの三人組だ。その上、彼女は町のコーラスの先生らしい。そういうわけで、映画には、地味だがなかなかな音楽がずっと流れている。それがこの映画の雰囲気というかムードを作っていて、悪くない工夫その一。 騒いでいるのは、電気を止められたアルミニューム工場の工員。なんと中国資本と提携している資本家。開発至上主義・成長経済至上主義の政治家。アホメディア。最後はテロのせいで物価が上がると信じる市民。 この辺はグローバリズムや拝金主義、マスメディアの誘導するおバカ社会も描かれているというわけで今風です。 女は50歳になろうかという独身のおばさんだが、実に元気。歌は歌うし、泳ぐは走るは、自転車も自在で車も平気。その上、できれば、母親になりたいと思っている。「元気ですな。そうか、子供を育てたいんや。」 そこにウクライナから両親を失ったの少女の母になる話が舞い込んでくる。ウクライナの孤児の母になる女がひるむわけにいかない。母になる前に決定的な勝負に出る。ビラを撒き、とうとう、爆薬まで用意する。「おいおい大丈夫かいな。そんな覆面通用せんやろ。そんなん、すぐ捕まるで(笑)。」 ところがどっこい、みごとに鉄塔を爆破。こうなると、政府、警察はもちろん、CIAまで頑張り始める。追いかけてくるのはヘリコプター、今評判の無人自動運転ドローンとかいう飛び道具。 熱感知レーダー搭載の最新型ドローンがいきなり襲い掛かってくる。ここが実力の見せ場とばかり、女がドローンを弓矢で撃ち落とすシーンはなかなか痛快だ。 まあ、あれや、これや、007もかくやという逃避行の末‥‥。基本、ご都合主義なのだが、そのコミカルな雰囲気の中で、女が大奮闘するアンバランスが二つ目の工夫かな。 圧倒的包囲網の中で彼女を助ける人もいる。荒野の羊飼いのおやじ、そのうえ、なんと、双子の姉(ちょっとご都合主義かもしれない)、政府中枢に勤める彼氏(まあ、これも、ちょっとねえ?)。そうはいっても、羊飼いのおやじとムクムクした犬、なかなかいい。 いろいろあって、結局、囚われの身となるのだが、今度はなんと脱走。「うん、ちょっと無理ありまんな(笑)。前近代の警察でんがな。でも、まあ、ここで終わるわけにはいきまへんわな。」 警察から逃げ出して、やってきたのは、ウクライナ。飛行機を降りると、いきなり発電所が見えて(やっぱり!これは予想してた。)、それから少女のもとへ。少女があどけないのがまたいい。「さて、これからどうしまんの?」 そう思ってみていると・・・・。 洪水で水浸しになっている道路を女と少女を乗せたバスはどんどん進んで行く。もう、これ以上という所で、運転手がギブアップ。女は少女を抱っこしてバスを降りる。二人は水があふれる道路を渡っていく。映画が終わる、この最後のシーンにアゼン! アイスランドのツンドラ平原。送電線。鉄塔。弓矢。火花。羊の皮。羊飼い。氷の洞窟。チェルノブイリ。洪水。・・・・。「なんか、怪しげやな。アッそうか。これは環境保護テロの英雄譚とはちゃうな。あの女の人は、原子力の火に焼かれて、箱舟も失った人類の救い主いうわけや。そんで「たちあがった女」の受難の神話やできっと。最後のあのシーンがカギなんや。ホンマかいな?ヨーロッパの人が思いつきそうな話やな。」「まあ、何はともあれ歩いて帰ろう。結構ええ天気やし。そうや、大丸の裏から神戸まで行ってみよ。あの女の人も、泳いだり走ったり頑張ってたしな。」 監督・脚本 ベネディクト・エルリングソン 製作 マリアンヌ・スロ ベネディクト・エルリングソン カリネ・ルブラン キャスト ハルドラ・ゲイルハルズデッティル(一人二役:ハットラ・アウサ ) ヨハン・シグルズアルソン(羊飼いズヴェインビヨルン ) ヨルンドゥル・ラグナルソン(はた迷惑バルドヴィン) マルガリータ・ヒルスカ(ウクライナの少女ニーカ) ビヨルン・トールズ(首相) 原題「Woman at war」2018年 アイスランド・フランス・ウクライナ合作 101分 2019・05・18シネリーブル神戸(no4)追記2019・10・31 秋になって、パルシネマが上映している。なんかうれしい。不思議な明るさが印象的な映画。やっぱ、ラストシーンはびっくりすると思いますね。ボタン押してネ!にほんブログ村にほんブログ村
2019.05.15
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池澤夏樹「カデナ」(新潮社) ちょうど十年前、ぼくは高校生に向かってこんな「読書案内」を書いていました。高校生の歴史離れ、無関心が本格化する中で、特攻賛美まがいのロマンチックな小説が流行し、総理大臣が腹痛を理由に職を投げ出したころですが、沖縄の普天間基地移転の話は始まっていました。以下、その時のまま掲載します。 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 沖縄にあるアメリカ軍の基地をどこに移転するかということが大きな問題になっています。去年の秋に人気スターのように総理大臣になって、憲法を変えたいと騒いでいた人が、無能の象徴のようにして辞職してしまいました。 ところで、なぜアメリカ軍の軍事施設が日本にあるのか。実際に活動している大きな米軍基地が、なぜ沖縄に集中しているのか。高校生諸君は知っているのでしょうか。 池澤夏樹の新作小説「カデナ」(新潮社)は1968年の沖縄、嘉手納基地が舞台です。1968年の夏、ベトナムで、沖縄で、何があったのか。そんな事は何も知らない10代の人たちが読んで充分面白い小説だとぼくは思います。 主な登場人物は模型飛行機屋のおじさん、嘉手刈朝栄。フィリピン人の美女で、且つ、米軍基地の将校秘書フリーダ=ジェインさん。ベトナム人の貿易商安南さん。B-52のエースパイロット、パトリックくん。米軍基地でライブをやっているバンド・ボーイ、沖縄の少年タカくん。 アメリカの軍人、フィリピン出身の女性、商人、地元のおじさんと少年です。 カデナ基地にその夏から配備されたB-52のパイロット、パトリックと秘書のジェインが恋に落ちます。「きっと疲れているのよ」とあたしは言った。彼は無言。「また試しましょ。今日は星の巡り合わせが悪いのかもしれないし」やはり無言。男にとって屈辱なんだろうなと思った。 最初のデートの夜の様子がジェインの言葉によればこんなふうなんです。何だか元気がない、実にアンチクライマックスな展開で小説がはじまります。 高校生に小説を紹介しながら、男女のいちばんきわどいシーンを最初の話題にするなんてどうかしている。PTA総会が待っているんじゃないか。そんなご批判もあるかもしれません。 いやいや、ちょっと待ってください。この小説を、この後、フムフムと読んでいくと、このシーンはとても大事なんだってことがわかるのです。 当時、世界最大の戦略爆撃機、一機あたり20トンの爆弾を搭載して北爆に出撃していたB-52のエースパイロットが、自らデートを申し込んだ女性と、さあ・・・というシーンになって、しょんぼり寂しそうにするのはなぜなのでしょう。「サイゴンに爆弾を落とした?」とあたしは彼に聞いたことがある。パトリックは嫌な顔をした。だいたいB-52に乗る連中は爆弾という言葉が嫌いだった。爆弾とか爆撃といわないで、荷物とか配達って言う。パトリックは任務の話はしない。夜になってもその日のコックピットでの数時間のことは言わない。武勇の話は一切なし。下から飛んできたミサイルや高射砲弾やすれちがったミグのことは言わない。子供の頃の話は良く聞いたけど。 パトリックが仕事である爆撃のことを話したがらないのはなぜなのでしょう。それがこの小説では、見落としてはいけないポイントなのです。 やがて、小説はパトリックを愛しながら、いや、愛しているからこそジェインが模型屋のおっちゃん、ベトナム人の貿易商、沖縄の少年と四人組を組んでカデナの基地の中からB-52の出撃計画をスパイし、北ベトナムに情報を流すという展開になります。 そうなった、詳しい経緯は読んでもらうとして、愛するパトリックの出撃をスパイすることが、ジェインにとって裏切りにはならないという、彼女の心の動き方を、読者のぼくがリアルに納得しようとしたときに、さっきの二つの何故が大切なんです。 パトリックは戦争そのものに傷ついていると考えたジェインが、彼をいたわるためには、彼が運ぶ荷物が誰も殺さないようにすればいいわけです。彼女が戦争そのもを操作することで、爆撃の罪を消すことができる。そのために自分にできることは、何かと考えたにちがいないとこのシーンは物語っているのです。 読み進めていくと、パトリックがもっとも恐れていたことは、ベトナム戦争末期に計画され、実行がシリアスに検討されたらしい原爆による北爆の可能性でした。なにしろ、B-52という爆撃機は常時、原爆を搭載して長距離爆撃を目的に開発された飛行機だったのですからね。 パトリックの搭載貨物に対する不安と怖れは、結果的には杞憂に終わります。読者はヨカッタ、ヨカッタとホッとします。ところが、どっこい、やはりそこは戦場だったのです。とんでもない落とし穴が待ち構えていました。というわけで、あとは読んでのお楽しみですね。 米軍から兵士を脱走させるべ平連の活動が、大きなエピソードとして描かれているのも、ぼくたちの世代には懐かしい話なのですが、ここまで書いて、誤解の無いように付け加えますが、この小説は楽しくほろ苦い青春小説だとぼくは思います。ジェイン、パトリック、主人公のタカ。みんな若いのです。ぼくが、ここまで語ったのは、小説のサイドストーリーでした。 現実社会と対峙し、その桎梏にもがくのは、ジェイソンとパトリックだけではないのです。一人一人の若者が、それぞれの状況と向き合い、乗り越えようとするところにこそ「青春」はあるのです。作家は書こうとしているのは、そこのところなのではないでしょうか。ジジ臭い結論でどうも、ははは。※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ あれから十年たった。ぼくは仕事をやめて、ただの徘徊老人になった。東北で大きな地震があり、原子力発電所の爆発があった。「おなかが痛い」と言ってやめた政治家がまた登場して、憲法を変えると騒いでいる。かもしれないと疑っていた「作家(?)」は、インチキな正体をあらわし、歴史修正主義の売文家へと転身しているように見える。相変わらず人気はすごいらしい。 眼をそむけたくなる現実だが、「戦争を!」と、口に出して言う国会議員まであらわれるに至って、ただ黙っているのは癪に障る。穏やかに、戦争って何?を書いている作品の案内くらいはしたい。それくらいのことならできるかもしれない。(2019・05・14)(S)追記2020・05・04 新コロちゃん騒動が社会を根元から変える様相を呈してきました。今、本当のに苦しんでいる弱者を救うという考え方以外に、このような危機を乗り越えるすべはないと思っていましたが、「一体化」ムードで弱者を切り捨てている権力者が「新しい生活秩序」などということを口にし始めました。権力者の無責任を、むき出しにした言質という自覚もないようです。 利権主義で国家を利用してきた人たちには千載一遇のチャンスを利用し始めたようです。 マスクを配るというたわ言で数百億の金が使途不明化している可能性すら現実に進行中です。沖縄の基地移転計画もお金だけは使われたようですが頓挫しています。どうなっているのでしょうね。ボタン押してね!にほんブログ村にほんブログ村
2019.05.15
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井上俊夫 「初めて人を殺す」 (岩波現代文庫) 「血みどろの銃剣は胸の奥底に」 井上俊夫 呑んでしもた 呑んでしもた 馴染みの居酒屋で 呑んでも呑んでも酔わない悪酒 呑んでしまいました えらいすんまへん 申し訳ござりまへん 教え子の女子大生に熱っぽい口調で わが従軍体験を語り聞かした日の帰り道。 呑んでしもた 呑んでしもた 小綺麗な女将がいる居酒屋で むっつり、しかめ面の黙んまり酒 呑んでしまいました えらいすんまへん 申し訳ござりまへん なぜか空しく淋しく悲しくて ひどい自己嫌悪に落ち入ってしもて。 呑んでしもた 呑んでしもた ビール二本に酒七本 それでも酔えない茶碗酒 呑んでしまいました えらいすんまへん 申し訳ござりまへん もう戦争の話なんかするもんか 敵兵を突き刺した 血みどろの銃剣は胸の奥底に。 70歳を越えた女子大教授で詩人である男が授業で自らの戦争体験を語ります。その帰り道、彼は呑まずにいられません。しかし、飲んでも飲んでも酔えないのは何故なのでしょうか。 教授は浪速の反戦詩人と呼ばれた人らしいのですが、2008年に亡くなっています。僕はこの詩人を知らなかったのですが、この詩人の「初めて人を殺す―老日本兵の戦争論」(岩波現代文庫)という、この本が、なぜか読まないままで我が家の本棚に転がっていました。 おそらく書名の過激さを喜んだ衝動買いの結果だと思うのですが、徘徊の暇に任せて、市バスやJRの座席で一気に読み終えました。文字通り「一気に」読めました。 この本をお出かけカバンに入れたきっかけはハッキリしています。黒川創の「鴎外と漱石のあいだで」(河出書房新社)という本を読み終わったときに目の前の書棚にあったからです。 「鴎外と漱石の間で」という本には仙台の医学校で周樹人、後の作家魯迅が日本人に対して違和感を感じるシーンについての記述があります。 それは「藤野先生」という魯迅の小説の中で医学生たちが幻燈で日露戦争のニュース映画を見るシーンのことです。 ニュース映画の中で中国人のスパイが日本兵に殺される場面を日本人の同級生たちが拍手喝采するのを見ながら、主人公はとても強い違和感を感じ、日本で医者になる勉強を続けることを断念するというエピソードが小説にあります。 ここで魯迅は日本の医者の卵たちが「日本人が中国人を殺すシーンを喜ぶ」ことと、「人が殺されるシーンを喜ぶ」ことという、二つの問いを差しだしています。まあ、解釈が間違っているかもしれませんが、ぼくにはそう読める場面が小説の中にあります。 黒川の本を読みながら、そのことを考えた時に、日本人が戦場でどんなふうに人を殺してきたのかが気にかかりました。それが、読まなかったこの本に手を出した理由です。 バスの中で読み始めてみると、井上俊夫は 人は何故、喜んで人を殺す存在になれるのか。戦場で人を殺した人間は、どう生きていくか。 という、思いがけない、実にとんでもない問いを突きつけてきました。 たとえば、上記の詩は、戦場から帰って50年以上たった大学教授が、戦争の本当の恐ろしさを現代の女子大生に語ろうとして、根源的な自己嫌悪に落ち込んでいる姿を描いています。 人が人を殺すことをなんとも思わないことがありうることで、それを自分の体験として平和の国の若い女性たちに語った結果、湧き上がってきた現在のおのれに対する疑いが見据えられている詩だと思います。 エッセイ集の中では、「初めて人を殺す」人になった、自分に対する怒りと悲しみが炸裂しています。ぼくの中で、井上俊夫が「藤野先生」で「施す手なし」と嘆いた魯迅の姿とオーヴァーラップしてゆきます。 ボンヤリ車窓の風景に目をやりながら「戦争は悪だ」、そう言いきった歌人がいたことを思い出しました。中国に 兵なりし日の五ケ年を しみじみと思ふ 戦争は悪だ 宮柊二 この歌を詠んだ宮柊二も上の詩を書いた井上俊夫も、とっくにこの世の人ではありません。 私たちの社会は、ひょっとすると、魯迅のような中国人がいて、お二人のような日本人がいたことを忘れたがっているのかもしれませんね。この国の今について、まじめに考えるとはどうすることなのでしょう。追記2019・某日 心の中では、きっと、戦争を待望しているバカが、偉そうな顔をして、あのあたりにいるに違いないだろうと疑ってはいましたが、さすがに口に出すことはしないだろうと思っていました。とうとう「戦争を!」という国会議員が現れました。 国際情勢について、国民にまじめに考えさせるために「徴兵制を!」と主張する、エラク上から目線の「国際政治学者」(?)を名乗るテレビタレントもいるようです。とんでもない時代が始まっているようです。 大切なことは「まともなこと」をまじめに考えることだと思います。 馬鹿につけるクスリはありません。この国のありさまについて、あまりのバカさ加減に日々関心が薄れてゆく自分がいます。 しかし、それでも「戦争は悪だ」と心に念じることから始めようと思っています。(S)追記2021.08・31 コロナが正体を露わにし始めています。もう、すでに大勢の人の命が失われていますが、一人一人の健康や命に対して、政治には責任があると感じさせる人の姿は見当たりません。ニュースの世界では自己保身とご都合主義が跋扈しているようです。おあつらえ向きというべきでしょうか。海の向こうで「戦争」が始まりそうです。歴史を振りかえれば、次にやってくるの偽物のヒーローか、インチキな救世主ということになりそうです。 騙されてはいけません、大切なのは「国家」や「正義」を標榜するお題目ではありません。一人一人の人間の命であり、生活です。「戦争は悪」です。追記2022・04・11ウクライナで戦争が始まって二月が経ちます。ロシア兵の中にも、井上俊夫さんのような経験を、否応なしにさせれれている人がいるに違いありません。「リアル・ポテリティクス」とかで、あれこれ憶測をいう人や、陰謀論を信じる人もいるかもしれません。対岸の火事を決め込んで論評して出演料や原稿料を稼いでいらっしゃる方もいるのかもしれません。他の人のふるまいに、あれこれ言う気はありませんが、忘れないでいてほしいことは一つです。井上さんが言い残された一言です。「戦争は悪」です。ボタン押してネ!にほんブログ村にほんブログ村【中古】 初めて人を殺す 老日本兵の戦争論 岩波現代文庫 社会105/井上俊夫(著者) 【中古】afb価格:602円(税込、送料別) (2019/5/14時点)
2019.05.14
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エドガー・フォイヒトヴァンガー「隣人ヒトラー」(岩波書店) 市民図書館の新刊の棚で出会って、なにげなく読みはじめたが、歴史書というよりも映画の脚本を読んでいる感じ。独特の臨場感は編集されているとは思うが、悪くない。内容はいまこの国で起こっていることとかなり重なってリアル。 1929年、少年は五歳だった。 少年の家の正面には「黒い小さな口ひげ」の男が住んでいた。少年は二階の窓からその男の暮らしを毎日覗いていた。《そこには、ちょうど黒い大きな車がやってきて停まったところだった。兵隊さんみたいな制服を着た運転手さんがぐるっと回り込んで、後部座席のドアを開ける。中から男の人が出てきて、ボビーおばさんをじろじろ見て、つぎに公爵を見て、それから目をあげてぼくのほうを見た。その人は黒い小さな口ひげをくっつけていた。パパのとおんなじようなやつを。》 1939年、少年は十五歳になった。「奴らの至高の能力を、我々は知らずにいたのだ。汲めども尽きせぬ泉のごとく湧き上がるその無駄口、あるいは惚れ惚れするような嘘の腕前である。ついに私は奴らを憎むようになった。」(ヒトラー「我が闘争」) 少年の隣人、「黒い小さな口ひげ」は帝国の総統になりあがり、こんな言葉をまき散らしていたが、人々は大喜びで彼を支持し、すでにオーストリアもチェコスロバキアも帝国に併合し、世界戦争は目の前に迫っていた。「ユダヤ人から身を守ることは、ひいては神の創り給いしものを守るための闘いなのである。」(ヒトラー「我が闘争」) ベルリンオリンピックが開催され、レニ・リーフェンシュタールはアーリア人賛歌を「民族の祭典」という映画に仕立てたて宣伝した。一方、街角では写真のような光景が日常化し、ユダヤ人の逮捕、拘禁は権力の思うまま、アウシュビッツの世界は目前に迫っていた。 「黒い小さな口ひげ」男の帝国を脱出する最後のチャンスに少年の家族は賭ける。《パパと連れ立って広いミュンヘンの駅を歩いていく。僕用のちっちゃなトランクを下げたパパ、パパの貸してくれたスーツを着ている僕。マフラーの網目から入り込む風がひやりと首をなでて僕は上半身をぶるっと揺すった。兵士たちが数人がかりで書類を確認する。ぼくのロンドン行の片道切符と、パスポートと、正規のビザ。パパのはオランダ国境の町エメリッヒまでの往復切符。眉一つ動かさず「行け」の合図をする兵士たち。ぼくはここ数日で間に合わせに詰め込んだフレーズを頭の中で何度も繰り返した。 「My name is Edgar」「How do you do?]「How old are you?」そしてもうひとつ。でもこれは、もう決して発するはずのない言葉。「I am a jew」。僕はユダヤ人。」》《さあ、国境だ。ここで降りるパパを見送りに乗車口まで行くと、SSの兵士がパパの書類を確認して、それからにこりともせずに、なんでこのユダヤのガキと一緒にドイツを出て行かないんだ、と言いながら偉そうに僕を顎で指した。パパは答えなかった。僕も答えなかった。だけど僕にはわかっていた。パパはいま初めて、心の底から、怖くなんかないと思っている。今日の僕たちに怖いものなんてない。もうあと少しすれば僕たちはドイツ人じゃなくなるんだ。二度と、一生。》 2012年、少年は八十歳を越えた。 歴史家として暮らした老人が、少年に戻って、最初の十年を物語たった。あの「黒い小さな口ひげ」男の隣りの家で暮らした思い出の日々。聞き手はフランスのジャーナリスト、ベルティル・スカル。 私たちのこの国の現在の危機的諸相が、ここにはすべてそろっている。失政の責任転嫁。貧困の排外主義による隠蔽、政治の宗教的、道徳的正当化。そして何よりもイメージによる扇動と言葉のもてあそび。イノセントな目に映る世界の異常は、やはり、破局の前兆だった。 いやはや、ホントにヤバいと思いますよ。(S)ボタン押してね!にほんブログ村にほんブログ村
2019.05.13
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飯島耕一 「漱石の〈明〉、漱石の〈暗〉」 (みすず書房) 詩人飯島耕一の「漱石の〈明〉、漱石の〈暗〉」に収められた、同じ題のエッセイは、漱石の本文の引用につぐ引用だ。引用がすべてだと言ってもいい。《其日は女がみんなして宵子の経帷子を縫った。―略― 午過になって、愈々棺に入れるとき松本は千代子に「御前着物を着換さして御遣りな」と云った。千代子は泣きながら返事もせず、冷たくなった宵子を裸にして抱き起した。「彼岸過迄」》《市蔵という男は世の中と接触する度に、内へとぐろを捲き込む性質である。だから一つ刺激を受けると、其刺激が夫から夫へと廻転引して、段々深く細かく心の奥に喰ひ込んで行く。さうして何処迄喰ひ込んで行っても際限を知らない同じ作用が連続して、彼を苦しめる。仕舞には何(どう)かして此の内面の活動から逃れたいと祈る位に気を悩ますのだけれども、自分の力では如何ともすべからざる呪ひの如くに引っ張られていく。そうして何時か此努力の為に斃れなければならない、たった一人で斃れなければならないというふ怖れを抱くやうになる。「彼岸過迄」》 こうして引用されているところをなぞっていると、引用部が飯島耕一の何に触れたか、ということに思い当たりはじめる。それは、一種スリリングな興奮と悲哀の感覚を一緒に連れてくる。 こんな感想を理解してもらうには、読んでいただくほかはないが、「行人」を論じて終章にさしかかったところで、飯島が愛した詩人、萩原朔太郎の「行人」評に触れて、こんなふうに書いている。《「行人」は単にユーウツなどといった気分的な悩ましさなどではなく、言ってみれば果てしなく宿酔にも似た心身の苦痛が持続する、しかも死を隣につねに感じ続ける(さらに自己消滅をさえつよく願う)重いウツ状態の人間を、実にねばりづよく描き出している。ウツ病の病者のエゴイズムと醜さを目をそらさず捉え得ており、それがいわゆる正常な人間の心理とまったく無縁とは言えないとまで思わせる。 ウツ症状は言語の病でもあり、また時間の病でもあって、一秒一秒の経過に苦しみもし、言語とモラルのバリバリと引き裂かれるのを悩みとする。こうして眠りは唯一の救い(一郎はHさんの前で眠り込む)だが、目を覚ますと同時に苦痛の生の刻々が始まるのだ。》 飯島耕一自身のウツ病体験から、朔太郎を経て漱石へと読みすすめていく。飯島の詩の中にこんなことばがある。見ることを拒否する病から一歩一歩癒えて行くこの感覚 「この感覚」を取り戻しながら、生きようとした作家漱石の、本当の姿に迫ろうとすることが、飯島耕一自身の「生きる」ことを支えていると、はっきりと感じさせるのが、この最終章の結語だろう。目を覚ますと同時に苦痛の生の刻々が始まるのだ。 ここで、飯島耕一は彼自身の、凄みさえ感じさせながらも、しかし、静かな生のありさまをこそ語っているといってかまわないのではないだろうか。 飯島には「萩原朔太郎」という力作評伝があるが、まだ読んでいない。本書は漱石に関する小さなエッセイを集めた本で、一つ一つのエッセイはすこぶる読みやすい。 漱石を見る目をもう一つ知ることになる好著だが、図書館にでも行かないと、もう、手に入らないかもしれない。 乞う、ご一読。(S)戦後代表詩選 鮎川信夫から飯島耕一 (詩の森文庫) [ 鮎川信夫 ]価格:1058円(税込、送料無料) (2019/5/25時点)鮎川信夫も、読まなきゃ。【中古】 萩原朔太郎(1) /飯島耕一(著者) 【中古】afb価格:1925円(税込、送料別) (2019/5/25時点)これです。中古しかないかな。萩原朔太郎(2) [ 飯島耕一 ]価格:3456円(税込、送料無料) (2019/5/25時点)ボタン押してネ!にほんブログ村
2019.05.12
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丸谷才一「闊歩する漱石」(講談社文庫) この案内で、蘊蓄ふうに書いている内容のほとんどは、独創ではないことを吉本隆明の案内で書きました。 たとえば、「三四郎」を「都市小説」、あるいは、新しい社会との「出会い小説」として読んで案内しているのは、丸谷才一の評論集「闊歩する漱石」(講談社文庫)の中に「三四郎と東京と富士山」というエッセイがあって、それに教えられていることは明らかなのです。 手元に2000年の初版があります。出版されたときに読んだことは間違いありません。それ以来、高校生相手のおしゃべりの場面においても、この「案内」のような内容をしゃべってきたことを、今、思いかえしています。 もっとも、もう20年近く昔の読書ですから、確たる記憶があるというわけではありません。その結果、ぼくが、自分自身でも、そう考えているという口調になってきたのかもしれません。 こう書くと、人間の言葉を口真似する鸚鵡や九官鳥のように、永遠に意味にはたどり着けないような気もしますが、はたして、そうなのでしょうか。 口真似を続けた結果、口から出てくる言葉の意味を分かっていると思い込む鸚鵡を想像すると、ちょっと、異様なのですが、人間にとっての様々な解釈や理解は、実は、そういうプロセスのものではないでしょうか。 独創とかにたどり着くのは生半可なことではないし、知っていると思っていることでも、本当は、どこで、どう知ったかということをきちんと報告することは、たとえブログとかであっても、処世のモラルとしても大切だと思うのですが、最近は、それを忘れ始めていることに気づくことが、われながら多いのに驚きます。特に、丸谷才一のように学識の広さと深さが超絶していて、その上、おしゃべりな人から受け取った知識や納得は、時々、立ち戻ることがないと、自分自身の空回りに気づかない、ただの鸚鵡ということになってしまうので要注意ということです。 今回、案内をもくろんでいる、「闊歩する漱石」には、ほかに「忘れられない小説のために」、「あの有名な名前のない猫」という二つのエッセイが収められていますが、それぞれ、漱石の「坊ちゃん」と「吾輩は猫である」という小説を主題にしながら、丸谷一流の博覧強記がさく裂していて、痛快、かつ、超ペダンティックな文学論です。 面白いこと限りなしです。まず最初に俎上に挙がるのは、たかだか(?)「坊ちゃん」なのですが、この中学生用と思しき読み物を、あざやかに料理して見せる丸谷の、あらゆる食材を知り尽くした、あたかもフランス料理の腕利きシェフの趣を味わうことにもなります。 「あだ名の効用」に始まって、「もの尽くし」、「擬英雄譚的乱闘」、「典型としての人物描写」と料理の種類も多彩な中、しょっぱな、「綽名文学」の代表として、ラブレーの「ガルガンチュア物語」が出てきたところで、ミハイル・バフチンとかを思い出すグルメがいればとりあえず拍手!で済めばいいのだが、話は「源氏物語」へすすみ、「平家物語」、はては「千夜一夜物語」へと大皿に並べて澄ましていらっしゃいます。 次にやってくる「流謫の文学」の皿には、小樽の啄木から隠岐の小野篁まで、彩も鮮やかに盛り付けられ、それぞれの産地の食材の味わいの変化も、周到に用意され、決して飽きさせません。 メイン・ディッシュにはイギリス18世紀の大河小説、フィールディングの「トムジョーンズ」がストーリー、解説付きで差し出されます。もちろん漱石が倫敦でこの作品を読んだことが間違いないことに加えて、創作のインスピレーションを得たに違いないという、丸谷才一の独創的見解がソースとなってかかっているわけです。 今、こうして案内している丸谷才一のコース料理の現在位置は、ほんのとっかかりに過ぎません。ここから、いったい何がでてくるのか、テーブルに着いて、味わっていただくほかはないのですが、最後のデザートを口にしながら、ボクのような迂闊な客は、このテーブルで、ジョイス、プルーストへ続く、反19世紀小説、モダニズム文学へのコースを堪能したことに、ようやく気づくという趣向になっています。 残りの二つのテーブルも、様々な食材とソースが用意されていて、もうそれだけで、素人グルメには蘊蓄の山なのですが、そこはそれ、あのナイフが、とか、あの食材がと、料理人の後を追いかけたくなるのがミーハーの常というわけで、図書館とか、本屋さんとか、あれこれ忙しいことになるのですが、それもまた、鸚鵡の口真似から人間の口真似への進化のプロセスなのかもしれません。仕方ないですね。 まあ、しかし、丸谷才一の場合、料理の口当たりは抜群なのですが、口真似をするのは、少々、忙しすぎるし、骨が折れます。困ったものですね。(S)2018/10/29追記2019・10・16 漱石関連に限らず、丸谷才一には「案内」したい評論が多い。小説では「笹まくら」(新潮文庫)が代表作なのだろうが、ぼくには「樹影譚」(文春文庫)が印象深い。新聞の書評欄も工夫とか、対談の面白さも読んでほしい。大野晋との「光る源氏の物語」(中公文庫)や「日本語で一番大事なもの」(中公文庫)も読み逃すわけにはいかない。 先日、丸谷才一が愛したイラストレイターの和田誠の訃報が伝えられた。「ああ、また一人、好きだった人が」と思いながら、丸谷才一の一冊、一冊の本を棚から引っ張り出して手に取って、才能を認め合っていたに違いない二人を思い出した。 丸谷才一の新刊に出会えなくなって何年経つのだろう、「お楽しみはこれからだ」というわけで、向こうで再会し、二人のコラボが本となってこの世に届けられたら、どんなに嬉しいだろう。和田誠という、丸谷いうところの「軽妙で批評にみちた大才」がこの世を去ったことを心から哀しいと思う。追記2022・09・22 丸谷才一なんて、もう、若い人は誰も読まないのだろうかと思っていると、若い人ではありませんが、同居人がかぶれていました。棚から落ちた本を拾うと、他の仕事の手がとまるということで始まったようですが、どうするのでしょうね。 案内を読み直して、少し修繕しましたが、何言ってるのかよくわかりませんね。自分が書いたはずなのですが、書いたやつはめんどくさい奴だと思ってしまいました。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑) ボタン押してね!にほんブログ村にほんブログ村
2019.05.12
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「須磨の離宮道を南へ」 徘徊日記 2019年5月9日(木) 須磨離宮あたり 須磨の高倉台から坂を下って、離宮公園の裏口あたりを歩いています。残念ながら今日は木曜日、公園は定休日です。 白い花房が輝くように垂れ下がっています。この花の名前を知りませんでした。ニセアカシアだそうですね。 初めて気づいた時には、一瞬、白い藤の花かと思いました。この辺りには、たくさん咲いています。 花粉症の原因と嫌われている花らしいのですが、花粉症に縁のないシマクマ君には美しい花です。 そこから自動車の走ってくる道を渡って、下っていくと右の藪の中に紫の花があります。「これは藤の花やな。野生かな?」 しばらく、南に下り続けると離宮道です。公園の正面の歩道橋からも青い海が見えます。いつものようにぼんやり眺めて、歩道橋の上でタバコを喫ったりします。人がいれば叱られそうです。「光源氏も見た須磨の海やで。ええ天気やなあ。」 たまには違うひとりごとを言ってほしいものですが、まあ、ここに立つとこういう気分になります。 中央の自動車道の右側の歩道を歩いて下っていくと、道の反対側に松風村雨堂があります。そのあたりから振り返ると松並木です。ここの並木は丈が低くそろえてあるようです。 歩道沿いの民家の玄関では鉢植えのボタンが満開でした。あまりの見事さに立ちどまって見とれました。 「これはええなあ。丹精してはりますなあ。立派な咲きっぷりですやん、ねえ。ちょっと一枚失礼します。」 パチリ! 無断、勝手に、よそ様の玄関先を写真に収めるのはどうかと思いながらも、ボタンの花の姿には常識の歯止めも聞かず、徘徊老人シマクマ君、そのうちなんかやらかしそうだとは思いながら写真に収めて、小声で一言。 「スンマヘンナ。」 たいがいに しろや牡丹の 覗き見は 高澤良一 まあ、こういう句もあるようですので、ご容赦を。 もう少し下って、山陽電車の踏切を渡ると西国街道です。そこから須磨駅の方へ少し歩くと本宮長田神社です。小さな社のそばには、枯れた菅公手植えの松の切り株があります。 何度見ても笑ってしまうのです。こういうのを笑うのは、やっぱりアカンのかもしれませんが、笑ってしまいます。 この辺りは菅原道真ゆかりの地域です。ちょっと南に歩けば網敷神社もあります。 「笑ったりしたらバチが当たんで!」 立て看板に何やら書いてあります。なんかよくわかりません。 ふと下を見ると、手前の溝にはカキツバタが咲き始めていました。「さあ、腹も減ったし、今日はJRで帰ろうかな。」 ここからJR須磨駅には少しあります。でも、まあ、なかなか楽しい帰り道でした。はい、高倉台は一応お仕事でした(笑)。追記2023・05・04今年も同じ季節になりました。あれから、毎年ボタンの鉢植えを探すのですが、見当たりません。ことしも、雨の徘徊はつらいのでお天気次第ですが、探してみようと思っています。見つければまたのぞき見です。乞うご期待!ボタン押してね!にほんブログ村にほんブログ村
2019.05.11
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三浦雅士 「漱石 母に愛されなかった子」(岩波新書) 先生は「おい静」といつでも襖の方を振り向いた。その呼びかたが私には優しく聞こえた。返事をして出て来る奥さんの様子も甚だ素直であった。ときたまご馳走になって、奥さんが席へ現われる場合などには、この関係が一層明らかに二人の間に描き出されるようであった。― 中略 ― 当時の私の眼に映った先生と奥さんの間柄はまずこんなものであった。そのうちにたった一つの例外があった。ある日私がいつもの通り、先生の玄関から案内を頼もうとすると、座敷の方でだれかの話し声がした。よく聞くと、それが尋常の談話でなくって、どうも言逆いらしかった。先生の宅は玄関の次がすぐ座敷になっているので、格子の前に立っていた私の耳にその言逆いの調子だけはほぼ分った。 そうしてそのうちの一人が先生だという事も、時々高まって来る男の方の声で解った。相手は先生よりも低い音なので、誰だか判然しなかったが、どうも奥さんらしく感ぜられた。泣いているようでもあった。私はどうしたものだろうと思って玄関先で迷ったが、すぐ決心をしてそのまま下宿へ帰った。(夏目漱石「こころ」) 高校の教室で出会うことがある夏目漱石「こころ」(新潮文庫)の一節ですが、教科書には載っていない「先生と私」のはじめの頃に出てくる描写です。 評論「漱石」(岩波新書)の中で三浦雅士は「こころ」のこの部分を取り上げてこういっています。 『心』は冒頭、語り手の学生が、先生の淋しさ、奥さんの美しさを強調し、先生と奥さんは仲のよい夫婦の一対であったと断言するために、夫婦の危機などおよそ感じられないのだが、将にその断言と同時に、先生と奥さんの喧嘩もまた報告されるのである。玄関先で言い争う声を聞き、奥さんが泣いているようでもあったので語り手は遠慮して下宿に帰るのだが、約一時間後に先生がわざわざ呼び出しに出てきて一緒に散歩に出ることになる。 妻と喧嘩して神経を昂ぶらせたのだというのです。 どうして、という語り手の問いに、先生は、妻が自分を誤解する、それを誤解だといっても承知しないので、つい腹を立てたと答える。 この経緯は、後に、奥さんの口からも語られます。先生は世間が嫌いだ、人間が嫌いだ、従ってその一人である自分のことも嫌いだ、そうとしか思えないというのです。 私はとうとう辛抱しきれなくなって聞きました、と奥さんは続けます、私に悪い所があるのなら遠慮なくいってください、改められる欠点なら改めるからって、すると先生は、お前に欠点なんかありゃしない、欠点は俺の方にあるだけだというんです、そう言われると私、悲しくなってしようがないんです、涙が出てなおのこと自分の悪い所を聞きたくなるんです、と奥さんはそう物語るのである。 先生夫婦を危機に陥れているのいったい何か。なぞめいているその謎に気を取られてしまうために、この若くして引退したとでも言うほかない淋しい夫婦の溝は薄められるだけ薄められてしまっているのだが、しかし、危機にあることに変わりはない。(三浦雅士「漱石」) 一人の女性をめぐって、三角関係に陥った二人の男性が、自殺することで自らの生き方の筋を通そうとする。そこのところを、たとえば教科書を作っている人たちは高校生に読ませたがる。そういう、いわば教養小説として「こころ」は読まれ続けてきました。 しかし、この小説の面白さ、本当の悲劇性は、そのような男たちの傍らに「悲しくなってしようがない」奥さんを描いているところにあるのではないでしょうか。 現代社会に生きているぼくから見て、先生やKのような男性にさほどのリアリティを感じることは出来ません。現代にも通じる普遍的な悲しみは、むしろ、この奥さんの悲しみの方にこそ、真実があるのではないでしょうか。 愛し合って暮らし始めたはずの二人の人間は、互いを本当に知り合うことは出来るのでしょうか。「こころ」の解釈をめぐって、妻のお静が先生とKとの間にあったことに最後まで気付かないのは不自然だという考え方があります。そうでしょうか。ぼくにはそうは思えないのです。 親子であることの「愛」を信じ切れなかった漱石が書いたから言うわけではありません。我々は、親子であるとか、夫婦であるとかという関係によって、何かをより深く知るという契機を、本当に、与えられているのでしょうか。むしろ、信じるとか、悪くいえば分かったつもりになることによって、相手を見失っているのではないでしょうか。 ぼくには、単なる他人ではなく、夫婦だからこそ、お静に先生が抱えもっている謎を解く方法があるとは思えないのです。 一方で、人は心の奥底にある「ほんとうの姿」を誰かに伝えることができるのかと考えれば、先生の沈黙は自然だとも思います。そのような、夫の不機嫌な沈黙の謎に、妻であるお静はどうすれば近づくことができるのでしょう。 相手の心に寄り添い続けている人間だからと言って、相手の心の謎を解くことができるのでしょうか。 解くためには、ひょっとすると、寄り添うことをやめるしかないのではないかとぼくには思えます。 迂闊とも見えるお静の「気付かなさ」は、むしろ「自然」と呼ぶべきではないでしょうか。そして、その「気付かなさ」中にこそ人間の普遍的な哀しさがあることを小説は描いているのではないでしょうか。 実は、先生にもお静の哀しさが見えていないことがそれを証していると思うのです。 三浦雅士は、評論「漱石」の中で、作家漱石を「母の愛を疑い続けながら、その疑いを隠し続けた人間」として捉え、彼のすべての作品の底には、その〈心の癖〉が流れていると論じています。 たとえば、ユーモア小説として名高い「坊ちゃん」の下女「おきよ」に対する、偏執的とも言える坊ちゃんの甘え方は、その具体例であるという具合に。 三浦の論に、誰もが納得できるかどうかはわかりません。しかし、ぼくには先生とお静のこの場面を引用し、ここに漱石の〈心の癖〉が露見しているという三浦の指摘はかなり納得のいくものに思えます。先程いいましたが、この場面にこそ、漱石のこの作品の「凄さ」があると思うからです。 先生はKのまなざしを、おそらく死ぬまで怖れ続けますが、一方で奥さんの悲しい愛のまなざしが注がれ続けていることには気付けません。それは、確かに母の愛を信じられなかった男性の宿命のようなものかもしれませんが、ひょっとすると、それは人間というものの他者との出会いの宿命であるともいえるかもしれません。 しかし、漱石は、先生の「心の謎」も含めて、全てを受け入れようとする「お静」の姿をこそ描いているのです。ここが、漱石のすごいところだと言えないでしょうか。 良い評論というのは、論点の面白さはもちろんですが、引用の上手さに、唸るような面白さを持っているものです。三浦雅士の「漱石」は随所に目からうろこの引用の山です。この評論をガイドにして漱石を通読してみるなんていうのはいかがでしょうか。(S)2018/10/04追記2019・05・11 以前の記事をかなり書き直しました。三浦雅士の紹介というより、ぼく自身の「こころ」に対する感想というニュアンスの方が強くなりましたが、読んでいただけると嬉しいです。ボタン押してね!にほんブログ村にほんブログ村身体の零度 何が近代を成立させたか (講談社選書メチエ) [ 三浦雅士 ]ここからが、三浦雅士の出発。【中古】 青春の終焉 講談社学術文庫/三浦雅士【著】 【中古】afb近大文学の総括【中古】 出生の秘密 / 三浦 雅士 / 講談社 [単行本]【メール便送料無料】こっちが、三浦さんの本領発揮。
2019.05.11
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真藤順丈「宝島」(講談社) もう10年以上も昔のことになるのですが、生まれて初めて、育った家と神戸の町を出て、沖縄で暮らし始めた「ヤサイクン」からこんな手紙を受け取りました。「巨大大国アメリカと日本が、また小さな島国沖縄を襲ってきた。」「ここには人も動物も暮らしているという事が、政府の人間にはわからないのだろうか。」 辺野古で座り込みを続けているうちなーんちゅの言葉だ。 日本、アメリカの両政府の移設案には始めから「普天間基地の県外移設」と言う言葉はなかったようだ。「普天間のヘリ部隊は嘉手納のF15戦闘機との合同訓練が不可欠なため県内の嘉手納から近場の基地に移転する。」という事だ。 麻生外務大臣も「沖縄に基地があるのは地理的環境からみても当たり前。」と発言している。過去に沖縄が基地の使用期限を求めたのに対して「基地に使用期限など無い。」と発言した人間だ。その人間を新内閣の外務大臣として任命した小泉首相という人間。 考えられないほどの借金を抱えている国のはずだが、軍事費だけは右肩上がりに年々上昇。アメリカから何十兆円もする戦闘機やミサイルを毎年購入。こんな危険な国は他に存在しないだろう。「反対する人間がいても関係ない。日本政府も了承済み。」アメリカ側の発言だが何故日本の政府の人間は誰も怒らないのか?政府の人間だけじゃない。「日本人が何を言おうが関係ない。」って言われてるのと何も変わらないのに。たいして問題にならない理由は簡単だ。これは明らかに沖縄県民に向けられた発言だからだ。 それは日本の政府にしても同じことだ。沖縄に来て、この手のニュースを見るとき、いつも違和感を覚える。それは沖縄で暮らして初めて分かることだと思う。 政府の人間にとって、沖縄の人がどうなろうと明らかに他人事でしかない。そのように沖縄県民が受け取ってもおかしくない発言、行動を繰り返している。日本という国全体の問題なのに沖縄の問題になってしまっている。だから内地の人間も政治家も誰も反論しない。それが当たり前であるかのように聞き流している。 「平和の代価」と言う名目の下で米軍基地を日本に作ると言う以上は、その責任は日本全土で負わなければならない。少なくともその「代価」の八割~九割を沖縄に押し付けている現状は間違っている。 テレビで普天間基地の特集番組が沖縄で先日放映されたが、その中で沖縄在住の内地の人が「沖縄側が拒否を続けていたら政治家だけでなく内地の人達までが沖縄に怒りの矛先をむけるようになるだろうから、受け入れたほうがいい。」と言う意見を述べていた。 僕も「内地の人達が怒る・・・。」と言うことは考えたことがあった。でも、今は根本的にこれは間違ってると感じる。怒ろうが怒らまいが、おかしいのは沖縄に基地を押し付けている事なのだから。むしろ怒られるべきなのは内地側である。 沖縄に来たことがある人は分かると思うが、必ず「ないちゃーですか?」と、うちなーんちゅは質問する。僕はこの事に違和感を覚えることがあって友達に何故だか聞いてみた。そしたらこう答えた。「沖縄が好きだし、沖縄や沖縄の文化を守ろうと思ってるから。」と。 沖縄を守るというのは、内地の人間から沖縄を守るという事だ。二十歳前後の学生でさえこう思っている。僕は以前、うちなーんちゅは沖縄に閉じこもり過ぎだ!と書いたことがあるけど、それは少し違う気がしてきた。そんな小さなことではないように思う。酔っ払いながら話を聞いたわけだけど、何一つ反論もできずうなずくだけだった。 僕は20年神戸で育ったわけだけど、神戸が好きだとか守ろうだとか、一度も考えた事は無かった。 「守る」という気持ちが生まれると言う事は冒頭での「アメリカと日本が・・・」と言ったようなことが、たった20年の間で幾度もあったということだろう。(実際あったのだが。) 何にも知らずにのほほんと生きてきた僕に何が言えるのだろうか。僕が沖縄に来て「おかしい」と思った事を、産まれたときからずーっと背負わされて生活している人々がこの島にはいるのだと言うことを、今やっと分かったのかもしれない。 「沖縄を守る」という、うちなーんちゅの気持ちはそう簡単には無くならないように思うし、無くなって欲しくないとも思う。 どんな土地であっても人は暮らしていて、例えば移設候補にあがっている辺野古にももちろん人は暮らしている。辺野古は漁業の村だ。その海に飛行場を作ればどうなるか。そんなこと誰にでも分かることだ。 どこからどこまでが「戦争」なのか、僕にはよくわからない。少なくとも沖縄では「戦争」は終わっていない。「また小さな島国沖縄を襲ってきた。」という言葉が、今の沖縄の全てを語っているように思う。 「戦争があったことを風化させてはいけない。」 「震災があったことを風化させてはいけない。」 よく聞く言葉だけれど、最近自分の中での理解の仕方が変わった。ずっと「震災があって町は焼けて、たくさんの人が亡くなって・・・。」と言う事を忘れなければいいのだと思っていた。けれども、そうではない。「震災の結果、今も、家がなく公園で寝ているおじちゃんがいます。家族を失い小さな頃から一人で生きてきました。」 そういうことが、今、現在もあると言うことなのだ。沖縄で暮らして、やっと気付いた・・・。 話はがらりと変わるが沖縄のてんぷらには驚かされる。内地のてんぷらからは想像できない料理だ。沖縄のファストフード=てんぷらと言われている。出店などで売ってる。内地のてんぷらのコロモは出来るだけ混ぜないようにして作る、さらさらのコロモだ。だが、沖縄はその正反対。出来るだけかき混ぜてグルテンを発生させて、まるでお好み焼きの生地のようなコロモを作る。サクサク、パリパリではない。ブニョブニョだ。もちろんコロモにも塩コショウ等で味がつけてある。だから基本的には何もつけないで食べるのだ。 個人的な感想として、はっきり言っておいしくない!と言うより僕はてんぷらとして認めたくない・・・! 沖縄には僕には想像出来ない料理が多い。だから、とてもおもしろい。 この手紙が届いた2005年、本土でも本格的に話題になり始めた米軍普天間基地移転問題。基地と隣接した学校にヤサイクンは通っていたし、基地移転が、米軍の兵士による度重なる少女暴行事件や、軍用ヘリコプターや戦闘機の墜落事件に端を発していたことを否応なく知る経験をしていた。 当時、メールで手紙を受け取ったぼくは、彼を沖縄に送り出したことを、心の底から「よかった」と思ったが、返事には困った。 あれから東北で大きな震災があり、津波による想像を絶する数の死者や被災者のこと、原子力発電所の爆発事故による放射能汚染で住む家や街を失った故郷喪失者たちのことは、阪神の震災の時と同じように風化が問題になり始めている。戦争であれ、自然災害であれ、本当に苦しむ人たちを忘れることで踏みつけにする風潮が当たり前になりつつある社会は何処か狂っているのではないだろうか。 普天間基地の辺野古移転は、強引に推し進められる中、移設工事に待ったをかけ、抵抗を明らかにした翁長雄志沖縄県知事が、今年の夏、亡くなった。彼が主張していたのは「沖縄が過去100年どんな目に会ってきたのか、思い出してくれ!」ということではなかったか。彼の死に際して、やりきれない気分だったぼくは、ちょうど、その週に、まったく偶然、この小説真藤順丈「宝島」と出会い、一気に読み終えていた。 「ヤサイクンが送ってくれた手紙にこたえる小説が出現した。」 ジャンルとしてはエンターテインメントとされているが、読み終えて、ただのエンタメではない。そう思った。 22歳のヤサイクンが、あの時「戦争は今現在も続いている」といった現実認識は、10年たった今も、ぼくたちが暮らしているこの社会でも、相も変わらず有効なのだが、沖縄の歴史、いや、沖縄に「今、現在も続いている」ことを、戦後の沖縄を舞台に英雄叙事詩として、堂々と語った小説が現れたことに心が躍った。 それが東京の作家によって書かれたことは驚きだが、間違いなく素晴らしい作品だとぼくは思う。 小説は1952年に始まり、1972年に終わる。その20年の間に何があったか、それぞれの年に何があったか、現代の日本人の多くは知らない。忘れたのではない知りもしないというべきだろう。 しかし、読み終えれば、きっと、「日本という国」が、少なくとも、それぞれの年に、「沖縄」に何をしたのか知ることになる。それだけでも読む価値があると思う。 腰巻にある「さあ起きらんね。そろそろほんとうに生きるときがきた」という、1952年、作中の英雄の一人が発したことばが、今、この時、2018年にも生き生きと蘇り、響きわたってくることを、読者は思い知るだろう。 ヤサイクンも納得するに違いない。乞うご一読。(S) 2018/08/17追記2019 この文を書いてから半年たった。「宝島」は直木賞を受賞した。めでたい。 辺野古の埋め立ては、知事選挙、県民投票、すべての結果を無視して、無理やり進められている。都合のいいときだけ「国民の声」を持ち出す政治権力が、だれを踏みつけにしているのか。ぼくたちは真剣に考えた方がいいのではないだろうか。時代は暗い方へ向かっている。追記2019・10・01 かつて、脱原発とか、リベラルを気取っていた男が防衛大臣になった。県知事との会談が、先日報道されたが、無理解と無能をさらけ出しただけだった。隣国に対する居丈高な態度を外交交渉だと考えたこの男は、今度は、きっと、国内に向かってふんぞり返って見せるだろうと予測していたが、その通りだったことには、もはや驚かない。 「辺野古をめぐる問題」が、「この国全体の問題」へと大きくなるにはうってつけの人物かもしれない。追記2020・04・24 「辺野古の埋め立て」が工事計画のずさんさを露呈して頓挫している。玉城知事の意見は無視され、「普天間飛行場の一日も早い危険性除去」というありもしない大義名分のインチキも露わになっている。米軍基地から毒性の強い消火剤が街に拡散している。駐留米軍にコロナウィルスが蔓延し、本来、安全なはずの市中でも感染が広がっている。 それが2020年4月の沖縄なのだが、本土のメディアはまともに報道しない。事件が東京湾ででも起きない限り、隠し続け、押し付け続けられるというのが「この国」のやり方なのだろうか。 「在日米軍」のコロナ感染についてはこういう記事もあります。追記2023・03・01 沖縄の戦後教育をめぐる論考で山里絹子さんの「米留組と沖縄」(集英社新書)を読んでいます。ヤサイクンが通っていた琉球大学が、米軍によって作られた学校だということに初めて気づきました。 つくづく何にも知らないまま、それなりに分かったような口をきいていた自分が嫌になりますが、とにかく、少しづつ知る努力をしようとは思っています。 ボタン押してね!にほんブログ村にほんブログ村
2019.05.10
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夏目漱石「三四郎」(新潮文庫) 今回は夏目漱石の「三四郎」(新潮文庫)の案内です。高校の国語。三年生になると「こころ」という作品を読むのが定番ですが、教員になりたい大学生や、ちょっと漱石をという高校生の皆さんが、とりあえずお読みになる作品として思い浮かぶのはというと、「坊ちゃん」は、まあ、中学生時代に一度出会っていらっしゃるかもしれませんし、「吾輩は猫である」は読みはじめてみると、評判とちがって退屈で、ギブアップの可能性が大きいし、というわけで、まぁ、「三四郎」あたりが、ウォーミングアップにはいいんじゃないか。そんな感じで書き始めています。(なんですか、この文は?) 夏目漱石には三部作と呼ばれているシリーズが二つあります。主人公も違うし、出来事も共通しないにもかかわらず、なぜ三部作といわれているのか、ぼくは知りません。 「三四郎」、「それから」、「門」が前期三部作。「彼岸過迄」、「行人」、「こころ」が後期三部作と、受験勉強的知識では呼び習わされています。今でも、それぞれ、新刊の文庫版で読むことができます。出版社も複数あると思います。なぜだかわかりませんが、この人の作品は本屋さんの棚から消えたりしません。 お札にまでなっている人だから当然というわけなのでしょうが、ぼくにはこの人とか、樋口一葉という人がお札になっていることが、今ひとつピンときません。今度は津田梅子だそうです。ふーん、っていう感じですね。まあ、そいうことはともかく、「三四郎」ですね。 主人公の名前が「三四郎」ですが、「姿三四郎」ではありません。また古い話を始めていますが、じつは天才柔術家姿三四郎を主人公にした小説はちゃんとあります。富田常夫「姿三四郎」(講談社文庫)です。1930年代に活躍した大衆小説作家の作品ですね。かの名匠黒澤明監督の第一回監督作品映画としてのほうが有名かもしれません。(「姿三四郎」という」映画は複数存在しますが、ここではクロサワ版)「山嵐」というのが必殺技で、敵役が桧垣源之助。これを月形龍之介という俳優が演じていて、見たことはあるのですが、何も憶えていません。 えっ、「月形龍之介って誰?」ですって。東映時代劇のスターの一人で、映画の水戸黄門を最初にやった人です。悪役がハマる人で、そういえば、水戸黄門は歴代悪役スターのはまり役でした。 テレビだと東野 英治郎だって、西村 晃だってそうですね。佐野浅夫はともかくも、石坂 浩二・里見 浩太朗なんて「エエもん俳優」がやる役じゃないのですよね、ホントは。 もっともこんな話は今の女子大生にはまったく分からないでしょうね。だいたい名匠黒澤明なんていっても、映画監督だとわかっているかな?話が古いですねえ。はははは。 というわけで、ようやく、夏目漱石の「三四郎」に戻ります。 漱石自身は朝日新聞の連載を始めるにあたって、こんなふうに宣伝しています。 田舎の高等学校を卒業して東京の大学に入った三四郎が新しい空気に触れる。そうして同輩だの先輩だの若い女だのに接触して、色々動いて来る。手間はこの空気のうちにこれらの人間を放すだけである。あとは人間が勝手に泳いで、自ら波瀾ができるだろう。 熊本の第五高等学校を卒業して東京帝大に入学する青年小川三四郎君の話です。熊本から上京する汽車の中から始まります。 東京の物理学校を卒業して四国、松山の中学校に数学教師としてやってきた東京っ子「坊ちゃん」が「そうぞなもし」としゃべる田舎者と、何かというとテンポが合わず腹を立てて事件を起こすのが「坊ちゃん」という作品ですね。「三四郎」はそのちょうど裏返しの設定ですね。 小説を読む楽しさには幾通りもあると思うのですが、学校の授業というのはテーマとか作者の思想とかいうことをいいたがって、まあ、結局ウザイだけなんですが・・・。 教材としての漱石なんてその典型で、教科書で「こころ」の一部をかじっただけで「則天去私」とかいうお題目を漱石文学の肝のように唱えさせるという、恐るべき授業があった時代もあります。もっとも、今となっては古い話で、現代では、高校生も大学生も「則天去私」なんて知らないでしょう。 ところで小説というのは、その時代や社会、そこで暮らしている人間に関して、読めばすぐわかるジャーナルな情報の提供という側面を持っていることがあります。 たとえば「坊ちゃん」が面白がられたのは東京に暮らす人が主な読み手だったからで、松山の人を読者として想定しながら、あんなふうにはなかなか書けなかったんじゃないかというところに、作家のジャーナルな気分があるんじゃないでしょうか。 丸谷才一が指摘していますが、「坊っちゃん」という小説は登場人物が全てあだ名で呼ばれているところが大きな特徴ですね。だからこそおもしろさが倍増するという表現上の工夫がさすが漱石。唯一実名のばあや「きよ」だって、「赤シャツ」と同じニュアンスで名づけられているともいえますね。清らかなばあさんという感じでしょうか。なにせ、便壺に落っことしたお札を洗ってくれるような人ですからね。 ついでに、もうちょっと横道します。「きよ」といえば、漱石の妻の名前は鏡子といいます。この女性は戦前からの漱石崇拝者には、悪妻の見本のように言う人もいて、すこぶる評判が悪いのですが、彼女の夏目家での呼び名、だから、漱石が日常呼びかけていた名は「おきよ」だったらしいのです。「坊ちゃん」のただ一人の実名登場人物が「きよ」で、ご存知のように母性の象徴のような人なのですが、それが「悪妻」鏡子のいつもの呼び名とはどういうことだろうと、悪妻説を疑う説もあるわけです。ぼくも、こっちの支持者。 話を戻しましょう。「三四郎」は田舎者の上京生活への関心がナウい時代の作品なんですね。この小説は1908年(明治40年)の秋に朝日新聞に連載されたわけですが、その時代に帝国大学というのは三つしかありません。東京と京都と仙台。今と違って、選りすぐりのエリートしか行かないし、行けません。主人公のような九州の田舎の超エリートは、仙台は遠すぎるので東京か京都に行くしかなかったでしょう。送り出した故郷の人々は、彼がどんなふうに東京に行って、どうなって帰ってくるのかが関心の的。そういう時代だったんじゃないでしょうか。 小説の冒頭、その超エリートが汽車の中で駅売り弁当を食べています。さて、この弁当ガラをどこに捨てるのかわかりますか。なんと窓からポイ捨てするのです。すると、ポイ捨てした弁当のガラが隣窓の女性の顔に当たってしまいます。そこからこの小説は始まるのです。すごいと思いませんか。何がすごいといって、今なら、新幹線は窓なんて開きませんし、開いたとしても、弁当ガラを捨てたりする大学生はいないでしょう。 そのうえ、この弁当ガラがあたってしまった女性と、なんとその夜、同じ宿の同じ部屋に泊まるハメになるという快調な滑り出しで小説は一気に加速します。 何だか漱石がいい加減なことを書いているように聞こえますが、これが、その頃の汽車の旅だったんですね。九州あたりからの客は名古屋の木賃宿で一泊して乗り継ぐ。どうです興味がわいてきましたか?列車で隣り合わせただけの行きずりの二人はこの夜どうなるんですかねえ? 鉄道の旅、ランプに替わる電燈の灯、活版印刷。全て当時最先端の話題ですが、描かれる最先端は目に見える社会現象にとどまりません。 あのアインシュタインと同時代に生きている科学者で、光の圧力を測る物理学者野々宮宗八。 日露戦争後の戦勝気分に浮かれる世相に「この国は滅びます」と言いはなつ一高教授「偉大なる暗闇」広田先生。 借金を平然と踏み倒し、居候しながら大言壮語する帝大生与次郎。 「恋愛」という西洋風男女関係を「ストレイ・シープ(迷える子羊)」という謎のことばで暗示する新しい女性、美禰子。 漱石は科学、芸術、思想、哲学にいたるまで、二十世紀を迎えた極東の島国の「新しい空気」を、実に多彩に、ジャーナルな視点で描いていると思います。 「新しい空気」の只中にやってきた田舎者小川三四郎くんに、どんな波瀾の運命が待っているのでしょう。 結末までお読みになると、こんな文章が待っています。 野々宮さんは目録へ記号(しるし)をつけるために、隠袋(かくし)へ手を入れて鉛筆を捜した。鉛筆がなくって、一枚の活版刷りのはがきが出てきた。見ると、美禰子の結婚披露の招待状であった。披露はとうに済んだ。野々宮さんは広田先生といっしょにフロックコートで出席した。三四郎は帰京の当日この招待状を下宿の机の上に見た。時期はすでに過ぎていた。 野々宮さんは、招待状を引き千切って床の上に捨てた。やがて先生とともにほかの絵の評に取りかかる。与次郎だけが三四郎のそばへ来た。「どうだ森の女は」「森の女という題が悪い」「じゃ、なんとすればよいんだ」 三四郎はなんとも答えなかった。ただ口の中で迷羊(ストレイ・シープ)、迷羊(ストレイ・シープ)と繰り返した。 鉄道旅行で始まる小説は、西洋絵画の品評と謎の言葉「迷羊(ストレイ・シープ)」のつぶやきで終わるのです。こうして、結末を引用しても、何のことかさっぱりわからないでしょう。人間たちが勝手に泳いで、自らな波瀾が確かに起こったはずなのですが、主人公の三四郎がそうであるように、読者であるぼくも謎の言葉とともに「新しい空気」の外に取り残されてしまっていることに気付くしかないのです。そして、その体験こそが漱石の小説だと気付くのは、ずっと後になってからなのではないでしょうか。 迷羊(ストレイ・シープ)の美禰子のモデルは平塚雷鳥。光の圧力を測る野々宮宗八のモデルが寺田寅彦。そんな名前はご存知ないかもしれませんね。広田先生のモデルについても、一高教授岩元禎について高橋英夫という批評家が「偉大なる暗闇」(講談社文芸文庫)という評伝で書いています。 「案内」としては、わけのわからない迂回を繰り返した結末で申し訳ありません。しかし、この作品は読み終わってみるとそれほど古びていないし、そこはかとない哀しさが印象に残りました。 その哀しさの理由は「迷羊(ストレイ・シープ)」という謎の言葉にあるようです。全くのあてずっぽうですが、それぞれの時代の中で、時代の「新しい空気」は多くの作家によって、さまざまに描かれてきたし、今も描かれているわけです。決して漱石の独創ではありませんね。 「三四郎」については、広田先生の「滅ぶよ」という言葉こそが漱石の本音として取り上げられたりもします。しかし、未完の「明暗」に至るまで「新しい空気」になじめなかった漱石自身は「迷羊(ストレイ・シープ)」という言葉の中にいるのではないでしょうか。初めて読んでから40年以上の年月が経ちましたが、読みなおすと新しい作品になっています。さすが漱石というべきでしょうか。 まあ、ちょっと、読んでみてください。(S)追記2019・05・21 こうしてブログに投稿していて、初めての体験がコメントを書いていただくということ。書いた記事を読んでいただいているというのがまず快感なのですが、どう読まれているかという不安もある。コメントをいただいて気付くのは、そこのところですね。面白がっていただいているらしい感想は嬉しいのですが、間違いの指摘や、質問には赤面したり慌てたりが実情です。 この記事にも明らかな間違いの記述がありました。「謎のことばで暗示する新しい女性、美禰子。」の後ろに「そして彼女こそが、上京する列車で隣り合わせた、あの女性です。」と書いていたのです。この記述は「楽天ブログ」に投稿するに際して、クヨクヨ書き直したり、まあ、逡巡していた最後に書き加えているのです。自分でも何故そう書いたのか、不思議な感じがしますが、たぶん広田先生が紛れ込んだのだろうというのが自分なりのいいわけですね。 しかし、コメントでの指摘がなければ、ほったらかしていたわけで、恥ずかしいやら、ありがたいやら。何よりも、そうして、きちんと読んでいただいていることには、感謝のことばしかありません。ありがとうございます。追記2022・10・18 一番新しい水戸黄門は武田鉄矢という人なのだそうですね。なんというか、世も末ですねあんまり悪口は言いたくないですが、つい言っちゃいますね(笑)。石坂浩二の老後も、なんだかみっともないのですが、ずっと金八先生のまま、おじいさんになられている雰囲気が嫌なんですね、ぼくは。 漱石を読み直し始めています。落ち着いて感想を書こうと思っています。 ボタン押してね!にほんブログ村にほんブログ村
2019.05.10
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吉本隆明 「夏目漱石を読む」 (ちくま学芸文庫) 夏目漱石の「三四郎」(新潮文庫)の案内とかを読んでくれた美少女マコちゃんから「夢十夜と三四郎って、どこかでつながるんですか?」 というヘビーな質問をされて、「うーん」と一晩うなって思いだしました。(思い出すのに時間がかかるのは、なんとかならないんだろうか。)「そうだ、吉本隆明「夏目漱石を読む」(ちくま学芸文庫)があるぞ。」 漱石を相手に、作家論を書いて世に出た人は大勢いるに違いないのですが、ぼくが初めて漱石を読むべき作家として意識したのは、実は漱石の作品を読んでではありませんでした。いや、「坊ちゃん」とか、子供用の「吾輩は猫である」とかは読んでいたかもしれませんが、文学として出会ったのはというと、江藤淳の「夏目漱石」(講談社文庫)という評論でした。 今では「決定版夏目漱石」(新潮文庫)で読むことが出来ますが、23歳の江藤淳が病気療養中に書いたデビュー作であるこの作品が、17歳の高校生の、その後の50年の好み一つを決定づけたのです。 20代の大学生が書いたということに「感激」しただけのことだったとは思うのですが、それからの2年間、高校の恩師の書棚から、次々と借り出した『江藤淳著作集』全6巻(講談社)と、確か、浪人をしていた年に出た『江藤淳著作集 続』全5巻(講談社)を新刊、次々に買い込んで読んだ記憶があります。当然のことながら(?)、そこに出てくる作家群の作品も片端から読む必要に、勝手に、迫られることになってしまったわけですから、それは、忙しい一年でした。初めての下宿暮らしの充実していた思い出というわけですが、受験勉強はどうなっていたのでしょうね? この先生には、江藤淳の著作集をはじめ、アイザック・ドイッチャーの幻の名著、「予言者トロツキー 三部作」(新潮社)、エッカーマンの「ゲーテとの対話(上・中・下)」(岩波文庫)とか、いろいろお世話になりました。これまた、懐かしい思い出ですが、今なら、高校生に貸し与える本とは思えないところも、なんだかすごいっですね(笑)。 江藤淳は、後に保守派の論客として名を上げた(?)人ですが、結局、生涯、漱石をテーマにして生きた人だと、ぼくは思っています。江藤淳については、ここではこれ以上話題にしません。で、話題は、江藤淳の著作集の対談の相手として登場した吉本隆明に移ります。対談をしている二人の慣れ合いではない向き合い方が印象に残り、関心は吉本隆明に広がっていったというわけです。 吉本隆明は「昭和最大の思想家」などいうニックネームで、まあ、大変なんだけれど、ぼくは、詩人であり、文芸批評家だったと考えてきました。「共同幻想論」(角川文庫)も「言語にとって美とは何か」(角川文庫)もぼくにとっては文学論だったわけで、江藤とともに、「漱石」と「小林秀雄」をぼくにすすめた批評家でした。 その吉本隆明が、晩年、漱石の小説について、「猫」から「明暗」まで、すべての作品を俎上にあげて語った講演を本にしたのが、本書「夏目漱石を読む」です。 「渦巻ける漱石」、「青春物語の漱石」、「不安な漱石」、「資質をめぐる漱石」と題した四回の講演を一冊にまとめた本だが、それぞれの題目に「吾輩は猫である」「夢十夜」「それから」、「坊ちゃん」「虞美人草」「三四郎」、「門」「彼岸過迄」「行人」、「こころ」「道草」「明暗」が振り分けられていて、漱石の一つ一つの作品について、当時、80歳にならんとする吉本隆明が、それぞれの作品の眼目と考えるところを、「一流の文学とは何か」という問いに答えるかたちで、訥々と語っています。 その説得力には「一人の批評家が一生かけてたどり着いたものだ」 という実感というか、迫力を自然に感じさせるところがあるとボクは思います。 たとえば、「三四郎」と「夢十夜」の関係について、漱石が文学的に対峙した「宿命」に対して直接その中に入って物語った「夢十夜」に対して、何とか抵抗し、乗り越えようとした青春物語であるところが「三四郎」だという考えを述べているが、とても魅力的な読みの対比だとぼくは思います。 余計な感想かもしれないが、この対比は「三四郎」の主人公の小説世界における立ち位置ということを思い出させてくれますね。「夢十夜」において、語り手は夢を見る当人として小説の中にいるように感じられるのですが、小川三四郎は小説中で起こるあらゆる事件に対して傍観者として存在しているようにぼくには見えるのです。それは青年一般のあり方としてリアルな描き方だとも考えられるのですが、吉本隆明が言う「漱石の宿命」を考える契機が、そこにあるのでしょうね。 今回読み直してみて、「漱石の宿命」と吉本隆明が語る、彼が最終的にたどり着いた漱石に対する持論、作家自身の資質としてのパラノイアとそれを引き起こした乳児期体験に引き付けた考えが評価の前提になっており、例えば、現場の国語の先生方が、一般的な評価として、直接、引用するというわけにはいかないかもしれません。しかし、ぼくに限って言えば、初読以来、ここで語られている吉本の漱石評価の口真似で教員生の顔をしてきたことを思い知らされるわけで、人によるともいえるかもしれません。 開き直るわけではありませんが、ぼく程度の教員が、独創的な読解や解釈を手に入れることなど、ほぼ、あり得ないと思ってきました。ただ、誰かが言っていたことを、いかに上手に伝えられるかというのが、例えば教室で配布する「読書案内」の意図だったりしたのですが、さほど上手にやれたわけではありません。今回も「三四郎と夢十夜」への答えになっているかどうか、心もとないかぎりですが、まあ、こんな答えはどうでしょうかという案内です。 案内の上手、下手はともかく、一度読んでみてください。あなたを「漱石の方」へ連れていってくれるかもしれません。(S)追記2020・01・31「三四郎」と「門」についての感想は、このタイトルをクリックしてみてください。それから「夢十夜」について授業をしている、高山宏さんの「夢十夜を十夜で」とか「案内」しています。 最近「それから」の代助について考え始めています。いずれ「案内」したいと思っています。 ランキングボタン押してね!にほんブログ村にほんブログ村
2019.05.09
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「今日は丸選手が移籍した巨人と戦います。」徘徊2019 二人旅 広島 呉線で広島駅に到着しました。 「まあ、とりあえず、原爆ドーム行こか?行ったことある?」 「ない。姫路からこっち、来たことないって、いうてるやろ。」 駅前から路面電車に乗り込んでスタートです。 「紙屋町やって。」 「それが?どうかしたん?」 「紙屋町さくらホテル。井上ひさし。こまつ座。」 「お芝居か?」 「うん、次が原爆ドーム前やろ?相生橋いう橋が爆心やったと思うで。」 「来たことあんの?」 「うん、一度なんとなく。学生時代かな?何しに来たんか覚えてへんな。」 相生橋のたもとで降りて原爆ドームです。 川が流れていて、向うにも公園が見えます。川岸まで下りて振り返ると石碑越しに、原爆ドームが立っているのが見えました。「外国の人多いなあ。」「うん、やっぱり、ここは笑ろとられへん気になるなあ。自分らでもそうかな?」 「そら、そうやろ。」 原爆ドームから繁華街(?)に向かって「広島焼き」行脚が始まりました。いい加減歩きくたびれたところで。 「アッコにしようよ。へんくつ屋ってある。あそこ。」 「そやな、もう疲れたし。」 店に入ってカウンターに座ると、へんくつと顔にかいてあるマスターが注文を聞いてくれました。 カウンターに並んで座ったピーチ姫が、なんだか思わせぶりに壁の方を目でさしていて、それを追いかけると、おや、まあ、でした。 ナッ、なんとタイガースの色紙が壁一面に並んでいるではありませんか。思わず二人は、目の前の「へんくつ」な人に聞こえんようにひそひそしてしまいました。 「ホンマにへんくつやん、あれ、あのサイン、真弓って読むんちゃうの?」 「その下は、和田かな?監督って書いてないか?」 「ホンマに大丈夫なん、ここ、広島やろ!?」 店を出て、ちょっと大声になって語り合ってしまいました。 「神戸で食べる広島焼きとは違うな。オムそばとも違うな。」 「ミックス焼きとも違うし。」 「食べにくなかったか。パラパラで。」 「ちょっとそこのソース足してって言いたかってんけど、まあ、見るからに無愛想でいいづらいし。でも、ここで阪神ファンやねんやろ。エエ人やん!」 「さあ、駅行こか。」 名前のワカラナイ繁華街から歩いてJR広島駅です。赤いユニフォームの人がたくさん歩いています。ちょっと、緊張します。 「開幕戦やな。広島対巨人やで。両方負ければええねんけど、そうはいかんな。」 「アホか!」 「阪神ファンいうことバレたらヤバそうやな。正体知られたら殴られるんちゃうか。」 「なんでやねん。歯牙にもかけられてないわ。」 「そうかなあ?」 「そうや!最下位やろ!相手は監督からして男前やで。余裕で優勝や‼やろ。」 「おい、電車の行き先表示にガンバロウ広島ってあるけど、地震かなんかあったか?」 「さあ、知らんよ。あっ、アナウンス聴いた?今、すごいこと言うたよ。『今日は丸選手の移籍した巨人を迎えて開幕戦です。みんなでしっかり応援しましょう』 「すごいなあー、これJRやんな。JRってカープのスポンサーなんかな?」 やっぱり広島はすごいですね。今度は写真撮るのを忘れんとかなあきませんね。 思い出の二人旅凍あたりでおしまいですね。 始まりはこちらをクリックしてくださいね。ボタン押してね!にほんブログ村
2019.05.08
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マーク・トウェイン「ハックルベリー・フィンの冒けん」柴田元幸訳 研究社 子どもの頃に、少年少女向けの全集で、「トム・ソーヤーの冒険」に夢中になった人は、きっとたくさんいらっしゃると思います。ところが、いつもなら続けて読むはずの「ハックルベリー・フィンの冒険」には飽きちゃったという人も、同じようにたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。 こういっては何ですが、飽きちゃうんですよね、実際、子供は。長すぎるからか、筏に乗って川下りする物語の展開が退屈なのか。そのまま、なんとなく「子供向けやしなあや。」とか何とか言いながら(言わんけど)、半世紀がたってしまったというのがぼくの場合ですね。 子どもころの、なんとなく退屈だったという評価というのはオソロシイものです。たとえばヘミングウェイはこんなことを言っているのです。「あらゆる現代アメリカ文学は、マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィン』にはじまり、『ハックルベリー・フィン』以上の作品はまだない。」 ね、最高の賛辞といっていいでしょう。こういう言葉を読むと心が動くんです。にもかかわらず、というか「でもなあ?」という気分のためか、手に取る気がしないのです。 やっぱり、見た目が長くて、退屈しそうなんですよね。岩波文庫版も光文社文庫から新しく出た古典新訳版も上・下二巻ですよ。書店の本棚をのぞき込みながら、まあ、「トム・ソーヤー」は読んだからなとか、ミシシッピあたりのことなら、やっぱりフォークナーやろとか、アメリカ文学の始まりは「緋文字」と「白鯨」やろとか言いながら(言わんけど、ホンマに書店の棚の前で口に出して言うたらアブナイ人ですやん、まあ、最近限りなくアブナイ人化してはいますけど)棚を移動してしまいます。 考えてみれば「白鯨」なんて辞書を読んでるみたいな退屈さだし、ホーソンもフォークナーもお手軽に「楽しさ」に出会えたりするわけではなかったのですが、まあ、一応一度は読んだという自己満足にすがり続けて、ハックルベリーに会いに行こうとはしない30年が過ぎたというわけです。 で、最近、一週間に一度だけ出かけているお仕事先に、立派な図書館があります。探検を兼ねて、うろうろしていると、研究書とか、だれが読むんだろうといぶかしむ論文集が並ぶ新着図書の棚に研究社版の「ハックルベリー・フィンの冒けん」がマッサラのまま鎮座していました。 そういえば、ときどきで会っておしゃべりする「ミネルバ」と「フクロウ」みたいな若いカップルの、まあ、男性のほうが、フクロウ氏かミミズク君だなと、これは、確信していて、当然、女性のほうはミネルバさんということになるのですけど、彼女がミネルバ?と、こっちの方は疑問符なわけで。 だって、「知恵の女神」っていうのは、やっぱり褒めすぎだし、フクロウがとまっている「小枝」ちゃんと呼んだ方がよく似合うじゃないかと、ぼくが勝手に名づけている、その小枝ちゃんが「柴田元幸さんって知ってます?朗読会があって、これ買ちゃったんです。」と、うれしそうに見せていた、あの本だ。 ユリイカ!とはもちろん叫びませんでしたが手に取ったままカウンターへ。というわけで、初めての図書館で、新入荷、新刊本の衝動借り、漸く、長年の「宿題」、ハックルベリー・フィンとお出会いしたわけです。 アメリカ文学の気鋭の翻訳家、いやもう大ベテランの実力者というべきでしょうね。その柴田元幸が工夫に工夫を凝らした新訳です。もちろん、英語版を読んだことがあるわけもないぼくが、そんな偉そうなことをいうのは気が引けるわけですが、お読みになれば、なるほどと納得なさることは請け合います。「おもしろい!」 柴田元幸の翻訳のせいなのか、マーク・トウェイン本人のせいなのか、それはわかりません。 たとえば「ジム・スマイリーの跳び蛙」(新潮文庫)のような短編集に出てくるアホ話がマーク・トウェイン流の真髄なのでしょうが、アホ話としかいいようのない出来事の連続の中で、ハックルベリーが「これでいいのか?」と悩みながらも、逃亡奴隷ジムと漫才タッグを組んで、終わりのない時間ともいうべきミシシッピの流れにのって語り続けるのを読むのは大人の読書の快楽そのものです。 本編終盤、ハックとジムはトム・ソーヤーと再会します。 「トム・ソーヤーの冒険」の主人公は、相変わらず冒険物語の主人公で、村芝居に熱中する庄屋のアホ息子といった役回りなのですが、ハックもジムも、その、あまりといえばあまりな「ええしのアホボン」ぶりに困惑し、呆れながらも、親友トムを立て、坊ちゃんトムにヨイショします。 ここまで読んで、少年時代のぼく自身が、何が好きで、何に夢中になっていたか、なぜ、ハックルベリーの物語が退屈だったのか、ようやく得心したのでした。 なるほど、トムにあこがれた少年たちは、学校でいい点を取ったり、おばさんに褒められるのがうれしい生活の続きに小さな現実からちょっとだけはみ出す夢を見ていたわけですから、筏に乗って大河ミシシッピの流れにまかせた、ハックが生きている、大きくて、滔々とした、時間の流れは退屈で我慢できないにちがいなかったのです。「本をつくるってのがこんなに厄介だってかわかってたらそもそもやらなかったし、これからもやる気はない。けどどうやら、おれはひと足先にテリトリーに逃げなくちゃいけないみたいだ。というのも、サリーおばさんがおれのことようしにしておれをしつけるんだなんて言いだしていて、おれはそんなのガマンできない。もうそういうのはやったから。おわりです、さよなら、ハック・フィン。」 最後にこんなふうに挨拶して物語から去っていったハックルベリー・フィンは、今もミシシッピの流れにいかだを浮かべてのんびり下っているに違いありません。 ちなみに、トム・ソーヤーはきっとゴシックロマンかなんかの小説家にでもなっていることでしょう。 長年ほったらかしにしていてすみませんでした。傑作でした。(S) 2018/07/06追記2019/05/08 大人が読む小説としておしゃべりしていますが、柴田さんは、やはり小学生高学年から中学生当たりの読者を考えて翻訳されていると思います。 いくつかのエピソードを、一つ一つの物語として訳されている印象で、一つ一つ、飽きが来なくて、読んで面白い話が出来上がっているのではないでしょうか。 中学生とかが、この翻訳を読んで、小説好きになってくれればいいなあ。それが一番の感想ですね。ゲームとはちがう物語の時間というものの面白さがあると思うのですが。ボタン押してね!にほんブログ村にほんブログ村
2019.05.07
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由良君美「みみずく偏書記」(ちくま文庫)―フクロウ氏へ捧ぐ― 「ハックルベリー・フィンの冒件」の案内の時に、若い、文学を愛するお友達に「フクロウ氏」などと勝手なニックネームを付けた手前というか、そういえばというか、自ら「みみずく」と名乗ったものすごい英文学者がいたこと思いだして書棚を探したのだけれど、どうもどこにあるのかわからない。 しようがないからアマゾンで「みみずく偏書記」(ちくま文庫)を買って読みなおし。読みながらああ、そうだ!と思いだしたのが四方田犬彦の「先生とわたし」(新潮文庫)でした。 そういえば、学生の頃に現代詩や映画評論の雑誌で名前を知っていた由良君美を、後年ああ、そういう人なの!って教えてくれたのがこの本でしたね。 というわけで、四方田君の「先生」で、つまり、ぼくが「みみずく」で思いだしたのが由良君美という人です。 本人のエッセイ集、たとえば「みみずく偏書記」でも、四方田の「先生とわたし」のどちらでも、お読みになれば、きっと理解していただけると思うのですが、只者ではありません。これは断言できます。 本人が「ミネルバの使い」を自負して「みみずく」と自称していたような人だから、まあ、見当はつくと思うのですが、たぶん、見当の遥か彼方の人だということに呆れるにちがいありません。 もともと、というか、大学の先生としてはイギリスのロマン主義文学の研究者であったわけで、フランスならユーゴーとかバルザック、ドイツならやっぱりゲーテというふうにビッグネームが出てくる時代の思潮ですが、ぼくの場合、イギリスというと、んっ?となってしまうんですね。 まあ、物を知らないのだから仕方がありません(笑)。人生先は長いと慰めるほかに方法はないのですが、横文字はもうだめだろうと思うと、トホホ・・・ 詩人で哲学者のコールリッジとか、画家で詩人のウィリアム・ブレイクが専門だった人であるようですね。こちとら、だいたい、この名前にピンとこないレベルなわけで、こまったもんだ。 付け加えれば、由良君美という名は、ぼくのような、70年代後半育ちのお調子者のミーハーには、三人とも今ではもう亡くなってしまったのですが、フランス文学の澁澤龍彦、ドイツ文学の種村季弘と並んで出てくるヨーロッパ異端文学、奇想文学の御三家ともいうべきビッグネームです。 1970年代の終わりの頃、「ユリイカ」や「映画批評」の紙面で活躍していた、映画、マンガ、絵画、なんでもござれの博覧強記の人という印象です。 そのうえ、さらに、「アリス狩り」の高山宏と映画論の四方田犬彦がお弟子さんだと知って、「なるほどなあ‥‥」 とうなってしまうしかないような人です。 何を紹介しているのかわけがわからないことになってきたが、例えばこの本に書かれている内容は、ぼくのようなミーハーがとやかくいうレベルじゃない面白さで、一度お読みになれば、好きな人はやめられないという、まあ、そういうタイプの、というか、オタク向きのというか、そういえば、お弟子さんの四方田犬彦と高山宏も同じようなタイプですが、得したと思うか、わけがわからんというかは、その人次第という典型ですね。 まあ、一度手にしてみてください。手に入りにくいのですが。2018/07/21ボタン押してね!にほんブログ村にほんブログ村
2019.05.07
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ジアード・クルスーム「セメントの記憶」十三第七藝術劇場 連休の人出に恐れをなして、見たい映画をすべてパスして引きこもっていた十連休の最終日です。もう、そろそろ大丈夫やろ?まあ、この映画は出かけてみようかな。 やってきたのは十三第七芸術劇場、映画はジアード・クルス―ムという監督の「セメントの記憶」です。 案の定と言うべきでしょうか、まあ、映画が映画という面もあるかもしれませんね。観客は十名足らず。ひとつ前の映画が「主戦場」で、話題の映画ということもあって、結構の数の人が劇場から出てきたのですが、こっちはのんびり、ゆっくり、座席も大きいし、お茶とソーセージ・トーストで一息つきました。 石切り場のような、切り立った石の山がかなり高いアングルで映し出されて、カメラがゆっくり動いていきます。「さあ、始まったなあ。この岩山なんやねんやろ?」 穴の底のようなところから高層ビルの工事現場が上むきに映し出され、下に戻されると工事用のエレベーターに乗り込む労働者が穴倉から出てきて並んでいます。エレベーターがゆっくり上昇し、カメラの視線も上昇して風景が変わります。 チラシにある現場のてっぺんで空を見ているシーンはすぐに映し出されて、ベイルートの街や、道を行く自動車の動きははるか下方に、「米粒」のように見えます。 空と海はスクリーンいっぱいに広がって、完璧に青いのです。「この高さ、この距離。この隔絶感。ふー」 こういう映像に「迫力」などという言葉は、なんだかやはり違うと思うのですが、催眠術のように、朦朧とした世界へ誘う力があります。あまりにも、遠く、青いのです。「眠い!アカン!眠い!」 久しぶりの映画だから、というわけではないのです。目の前には、文字通り「目の覚めるような青空」の光景が映し出されているのですが、とりあえずぼくはとても眠いのですのです。うつら、うつら・・・突如の爆発音、立て続けに起こる大音響が響きわたりました。悲鳴。叫び声が飛び交っています。ナッ、なんなんや。空爆かよ。どこやここは。わーえらいことになってるやん。ベイルートって戦争中?えー、ちがうやろ。シリア? 間抜けな驚きで目覚めると、壁が崩れ落ちて生き埋めになっている人もいるようです。爆撃された建物の中でしょうか?戦車も出てきます。砲撃するきます瞬間のシーンもあります。ここはどこ?これは現実なんか? 再び工事現場の穴の底です。働く人々の食事が映し出されています。最初に封を切った缶詰のイワシはどこに置いたんや?アカン、関連がようわからん。 コンクリートの床に段ボールを敷いて毛布をかぶって寝ている男がいます。テレビがズット映っています。どの男なのか、目は開いていて、その目にカメラの焦点が合わせられているようです。誰もしゃべりません。灯が消されます。朝か? 今日もエレベーターが上昇し、摩天楼の世界が映し出されていきます。仕事の現場が映っています。何日目や?眠い! 水の中にカメラは深く潜っていて、魚の影が見えます。沈んだ戦車もあります。上に向けたカメラがとらえるのは小さな気泡と光っている水面です。カメラは水底を漂っているかのように、偶然目の間に浮かび出るものを映し出します。 最初のシーンから何日目になるのでしょう、工事はつづいています。作晩も爆撃があったのでしょうか。夜のうちに雨が降ったようです。床に水たまりができていて、その水たまりに建物が映っています。 初めの方では、人の眸に世界が映っているシーンもありました。カメラはいつも何かに何かが映っている映像をとらえようと、じっと辛抱しているようです。人が歩いてきます。その姿が水に映って、さかさまの姿になります。狙いは鏡に映る像か?ここは前後も上下も左右もみんな逆か?あの水は、水中映像は何なんや。あかん、眠い。アカン、映像のつながりがわからん。 高層ビルの現場で働いている男たちが、夜になると地下のコンクリートの床に直接横たわり、毛布にくるまって眠ります。夢を見ます。爆撃機の爆音や生き埋め、悲鳴や、怒号が夢の中で響き渡ります。その夢を補足するように水没した戦車が映し出されて行きます。 ようやく、観ているぼくにちょっとした納得がやってきました。男たちが戦火を逃れてそこにやってくるまでの世界と、生きていくために働いている世界があるのです。 毎日エレベーターで昇ったり下ったりしながら、記憶と夢と現実を行き来している男たちの記憶に、その眸の奥にカメラを向けることで、近づこうとしています。意識と現実の「あわい」を、なんとか映し出そうとしてきたのです。 男たちは牢獄のような地下室で、囚人のような食事をとり、毎晩、夢を見ています。爆撃で生き埋めになったときの、ざらついたセメントの味が残ったままの口を拭いながら、毎朝、目覚めるのです。机にうつぶせになったまま眠ってしまった母親の夢をエレベーターは地上数十階を超える高層ビルの現場のてっぺんまで運んでゆくのです。 男は蒼空と青い海とのど真ん中の足場の板一枚の上に立って、遠くを見ています。カメラは男の眼差しををたどるように、摩天楼が林立し、金持ちたちが繁栄を謳歌する風景が、岩山と海と空の裂け目のように、向こうまで連なっている風景を映し出します。 口いっぱいにひろがるセメントの味と母親のことを思い出しているのでしょうか?戦いに出て帰ってこなかった父親は、あの水底に沈んでいるのでしょうか。 明るい絶景の中に立っている男の真っ白い闇がぼくの中に浮かんできます。空虚?いくら考えても彼の内側に具体的な今日の生活の喜びのような色も形も浮かんできません。哀しく空虚な乾いた風が吹いてくるだけです。息を詰まらせるように凝視しているシーンが暗くなりました。映画は終わりました。ぼくは何とも言えない「辛さ」のようなものを噛みしめて席を立ちました。 六階から地上に降りると小雨が降っていました。 阪急の十三駅前で今日のお土産「柏餅」を買いました。ぼくは、五月には「柏餅」を買って喜ぶ世界にいることを、不思議なことなのかもしれないと思いました。監督 ジアード・クルスームZiad Kalthoum 製作 アンツガー・フレーリッヒ エバ・ケンメ トビアス・N・シーバー脚本 ジアード・クルスーム アンツガー・フレーリッヒ タラール・クーリ撮影 タラール・クーリ編集 アレックス・バクリ フランク・ブラウムンド音楽 セバスチャン・テッチ原題「Taste of Cement」 2017年 レバノン・ドイツ・シリア・カタール・アラブ首長国連邦合作 88分ボタン押してね!ボタン押してね!
2019.05.07
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本木克英 「 空飛ぶタイヤ」 パルシネマ 天気が良かったり、悪かったり、三寒四温とかいう時期は過ぎたんじゃないかって思っているのに、今日は肌寒い。 いつもは兵庫駅から歩く新開地ですが、今日はなんとなく学園都市から地下鉄に乗ってしまいました。パルシネマで久しぶりの邦画ですね。火曜日はやっぱり混んでいました。前から三列目に座って、ポットのコーヒーで一息入れると映画が始まりました。 ジャニーズなんて(失礼!)興味がないのですが、「TOKIO」とかいうグループだけには、歌は知らないけど、好感を持っていて、男前の(失礼!みんなそうか?)長瀬智也君も、なかなか気に入っているんです。それに、サザンオールスターズの曲が映画で流れるはずという興味もありました。サザンがとりわけ好きというわけじゃないのですが。でも、なんというか、あの、いい加減なムードの曲が、長瀬君のしかめっ面をどのくらい、ユルキャラ化するのか?そういう興味ですね。なんやかんや言ってますが、結構ワクワクしてやってきたというわけです。 残念なことに、どこまでいっても長瀬君はしかめっ面のままで、サザンは、最後の最後、エンドロールまで聞こえてきませんでした。「えーっ?それはないやろ!」 ぼくは、最近、いや、かなり以前からテレビドラマを全く見ません。朝ドラも、大河も、ゴールデンタイムも。理由は簡単で、やたらアップで顔を撮る厚かましいというか、芸のないカメラワークと、大概にしてほしいくらいの通俗物語化。付き合いきれないというか、たいてい落胆するだろうと思っているからなのですが、でも、こうやって、映画館で邦画をみて、やっぱり落胆するのは、ちょっと辛いものがありますね。 長瀬君はスターになれる人だと思うのですけれど、「これでは、ちょっと?」 そんな印象でした。「せっかく、イイ役者のムード持ってるのになあ。ダイナシヤン⁉」 でも、いいこともありましたよ。深田恭子さんという女優さんに出会えて、もちろんスクリーンでですよ、それがよかったことですね。まあ、役柄上、いいワイフだっただけかもしれないですが、彼女の作りだしている雰囲気はよかったですね。 まあ、トータル、「ヤレヤレ・・・」って感じですかね。 監督 本木克英 原作 池井戸潤 脚本 林民夫 撮影 藤澤順一 音楽 安川午朗 主題歌 サザンオールスターズ キャスト 長瀬智也(赤松徳郎 ) ディーン・フジオカ(沢田悠太) 高橋一生(井崎一亮) 深田恭子(赤松史絵) 岸部一徳(狩野威) 笹野高史(宮代直吉) 寺脇康文(高幡真治) 小池栄子(榎本優子) 阿部顕嵐(門田駿一) ムロツヨシ(小牧重道) 中村蒼(杉本元) 柄本明(野村征治) 佐々木蔵之介(相沢寛久) 六角精児(谷山耕次) 2018年 日本・松竹 120分 2019・03・20・パルシネマno2追記 昨年の五月ころから映画館を徘徊し始めました。振り返ってみると邦画は片手で数えられるほどしか見ていません。実は、ブログの記事にはしていないのですが、徘徊スタートで見た映画が「モリのいる場所」という作品で、これにキレてしまったのです。沖田修一という監督は結構人気のある人らしいのですが、ボクには信じられない演出でした。熊谷守一という希代の変人画家のミクロコスモスを描いていたと思うのですが、山崎努も樹木希林もいい味でした。しかし、宇宙人を登場させた結末部分でぶち壊しだと感じました。意図は推測できないことはないのですが、機嫌よく盛り上がりの何もない映画の良さに浸っていた老人が、思わず「アホか!」と叫びそうでしたね。「空飛ぶタイヤ」でもそんな印象を持ったのですが、若い監督さんたちの世界を図る物差しが、期待より、すこし短いのではないか。そんな印象ですね。この映画だって、池井戸潤の原作の小説を読んで、ドキドキしている方が映画館に座るよりずっと面白いんじゃないでしょうかね。映画と小説は違うものだと思いますが、なんか勝負になっていない感じですね。ボタン押してね!にほんブログ村にほんブログ村
2019.05.06
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黒川創「鴎外と漱石のあいだで」(河出書房新社) 不思議な出会いということがありますね。黒川創という人の仕事について、ここのところ読み継いでいるのは、彼の「鶴見俊輔伝」にたどり着く前の下調べ気分でした。サッサと読めばいいだろうということなのですが、肝心の「鶴見俊輔伝」が手に入っていないのです。そんなこんなしていますと、2019年の年明けですね、そのころ偶然、読んでいた佐伯一麦の「麦の日記帳」のおしまいのほうで、こんな記事に出会ったのでした。 一月某日 評論家で小説家でもある黒川創さんが、奥さんで編集者の滝口夕美さん、娘さんのたみちゃん(二歳)妹さんの画家の北沢街子さんと、その旦那さんで地球物理学者の片桐修一郎さんとともに来訪する。さながら黒川組といった面々。 二年前の六月に小樽で授賞式があった最後の伊藤整文学賞を、私は「渡良瀬」で小説部門、黒川氏は「国境 完全版」で評論部門の受賞者となった縁で、付き合いが生まれた。北沢街子さんは現在仙台に住んでおり、二月にご主人の勤務先が変わり、福岡県に引っ越してしまうので、その前に一度妹がすむ街を訪れたい、ということだったらしい。 実は、ここで佐伯一麦と同時に受賞したと紹介されている評論「国境 完全版」(河出書房新社)は、ぼくが「黒川創の仕事」と勝手に題をつけてシリーズで案内しようとしている作品群の中で、今のところトリをとる予定の著書です。今回は「鴎外と漱石のあいだで」(河出書房新社)という、おそらく「国境」という仕事から生まれた一冊を「案内」しようと書きあぐねていたのですが、そこに佐伯のこの記事がやってきたというわけです。 この夏から関心をもって読み継いできた小説家の佐伯一麦と評論家の黒川創の二人が、偶然、伊藤整文学賞でつながっていたということ知って、「あわわ…」という感じで意表を突かれたのですが、一方で、「えっ、やっぱり、つながってるんじゃないか」と腑に落ちた面もありました。 佐伯一麦の「渡良瀬」(クリックしてみてください)という作品を案内しましたが、する中で、なぜ「渡良瀬」という題名なのだろうという疑問が上手く解けないという感じがありました。そこで、こう書きました。「日々のうたかたのような人の暮らしを描く小説の最後に、この風景を描くことで、人の命や生活を越えた時間が小説世界に流れ込んでくると作家は考えたに違いない。」 「渡良瀬」という、この小説作品を読み終えたときの、自分自身の感動の根にある表現に対する、精いっぱいの推測でした。 ところが、ここで案内している「鴎外と漱石のあいだで」のなかに、大正時代、中原淳一の挿絵とセットで一世を風靡した「少女小説」の作家、吉屋信子が父を語ったこんなエピソードが紹介されてがいたのです。 小学生の吉屋信子は、梅雨空の夕暮れどき、自宅のからたちの垣の前に立っていた。こちらに入ってくる人がいて、蓑を着て菅笠をかぶっていた。当時、それらはすでに古風な農村の雨具だったが、強い印象を受けたのは、この客人の顔だちだった。 老顔に白いひげが下がった。ぎろっとした目のこわいおじさんだった。あわてて逃げ出そうとすると、いきなり、おかっぱの頭をなでられた。節くれだった太い指の手で、なでるというより、つかまれた感触だった。 母親は、蓑笠姿のおじさんを平伏して迎えた。役所から帰っていた父親も、奥から現れた。母はお酒の支度をした。客の好物の青トウガラシをあぶるために、女中は八百屋へ走らされた。こうやって大騒ぎでもてなした客が、田中正造という天下の義人とされている人だった。 けれど、円満解決はえられなかった。やがて年を経て、谷中村を水底に沈めるために強制的に土地を買収、村民立退きの執行官吏として、父がその村に出張したまま一か月も帰宅できずにいる留守に、幼い弟は疫痢にかかって危篤状態に陥った。 弟が亡骸となってから、父はやっと帰宅した。夏で、白ズボン、脚絆、わらじ履きの土足のまま座敷に駆け込み、死児を抱き上げて、うろうろと畳の上を歩きまわった。それも束の間、小さな蒲団にわが子のの遺体を戻すと、待たせていた人力車に乗り込み、再び谷中村へと引き返してゆく。 夫を見送ると、母はその場で気を失い、しばらく動かなかった。父が急いで村にまた戻ったのは、強制立ち退きに最後まで応じない農家十三戸を、家屋を破壊しても追い立てる、残酷な仕事が残っていたからだった。やがて、さらなる父の転任で一家がその土地を去ったのち、一九一三年(大正二)、田中正造翁の逝去が伝えられた。 仏壇に線香をあげて、母は言った。 「人のために働いた偉い人だったねえ…」 その人の好物。トウガラシが色づく初秋だった。》 足尾銅山から流れ出した鉱毒が渡良瀬川流域を汚染した対策として、鉱毒沈殿のために広大な遊水地が作られました。その過程で、全村水没の悲劇に抵抗した谷中村の戦いを支えたのが田中正造であり、政府から派遣された郡長として計画を実行したのが、吉屋の父、吉屋雄一だったというのです。 二人の出会いを、吉屋の娘、信子の著書から引いてくる、この手つきが黒川創の方法なのです。大文字で語られてきた歴史的事件のなかに、人の背丈をした人間を配置することで、歴史の姿が変化することを彼はよく知っていると思います。 佐伯の小説が時代の下流に立つ人間を描いているとするなら、ちょうど、それと反対の方角から、やはり人間の姿に迫ろうとする方法といっていいと思うのですが、同じ、渡良瀬の遊水地の話題で、今という時代を生きている二人の作家が別々の仕事の現場で、ほぼ同じ時期に遭遇していることは、ほんとうに、単なる偶然なのでしょうか。 ところで、ようやく肝心の案内ということになるのですが、これが難しい。話題が多岐にわたっていて、まとまりがつかないのです。 黒川創は「国境完全版」のあとがきでこんなふうに書いています。 夏目漱石という作家は、二〇世紀初頭のたった一〇年間を、創作に心血を注いでいき、そして死んでしまった。彼は時代への参加者でありながら、優れた傍観者でもあった。私には、その人柄が、ほほえましく感じられる。森鴎外という人が、支配体制の枠組みの中に辛抱してとどまりながら、つい、時々は、崖っぷちのぎりぎりまで覗きに行って、また戻ってくる、そうした態度を示すことについても、また。「鴎外と漱石のあいだで」は1894年、日清戦争後の台湾軍事統治の現場にいる軍医、森鴎外の姿から書きはじめられています。鴎外は大日本帝国の東アジア進出の当事者としてそこにいるわけです。 面白いのは、50年の後1945年、鴎外の長男、森於菟は台北帝大医学部の解剖学の教授であり、箱詰めにされた鴎外の遺稿や資料のほとんどがこの大学の倉庫に眠っていたそうです。 森於菟は、なさぬ仲の義母、森しげとの確執からか、父、鴎外の遺品をすべて赴任地に持って行ったのだそうです。その結果、東京にあった森家の旧居が、空襲にによって、すべて灰燼に帰したにもかかわらず、現在の「森鴎外全集」(岩波書店)の資料はすべて無事だという奇跡が起こりました。資料の帰国事業を担ったのは台湾の「日本語文学者」だったそうです。 一方、1903年、英国留学から帰国した漱石を待っていたのは、現実の日本という社会でした。 1904年 日露戦争 1905年 ポーツマス条約 1907年 足尾鉱毒事件 1909年 伊藤博文暗殺 1910年 大逆事件・韓国併合 1911年 辛亥革命 日本のみならず、東アジアの近代史を揺るがす大事件が立て続けに世間を騒がせ続ける中にあって、洋行帰りの夏目金之助は1907年朝日新聞社に入社し、小説という新しい表現の「創作に心血を注ぎ」始めるのです。 「それから」・「門」という作品の中で大逆事件が、なにげなく話題になっていることは知られていることかもしれませんね。しかし、入社第二作「坑夫」が足尾鉱毒事件のさなかに書かれ、足尾銅山の坑夫の話だということに、ぼくは初めて気づいきました。前述した吉屋信子のエピソードは、漱石のみならず、近代の日本文学の社会とのかかわりをあざやかに示唆しているのではないでしょうか。 もう一つエピソードを上げるとすれば、第一作「虞美人草」の女主人公「藤尾」のモデルが平塚雷鳥というのは有名なはなしなのですが、入社の前年に書かれた「草枕」の女性「那美」のモデルは前田卓(つな)といい、辛亥革命の立役者、黄興、章炳麟、孫文が亡命地日本で集った「民報社」で働く女性であったということも、本書によって知りました。 1911年、鴎外、森林太郎が「大日本帝国」を代表する推薦人として名を連ねた文学博士号授与を、あくまで拒否する漱石、その時夏目金之助の立っていた場所。漱石は社会に対してタダの傍観者ではなかったにちがいないし、鴎外は文学者としては、想像を超えた崖っぷちに立っていたのかもしれない。そういう思いが、次々と湧いてくる一冊でした。 黒川創が描こうとしている「日本語の文学」の成立という大きな構図がその背景に身の丈で立っている森林太郎、夏目金之助という二人の姿から見えてきます。ふと、気づくのは、そういうふうに配置して見せた黒川創さんの手つき ですね、ぼくにはそこがエラク面白かった。(S)追記2019・11・24「鶴見俊輔伝」はこちらからどうぞ。ボタン押してね!にほんブログ村にほんブログ村
2019.05.06
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「大和の街の嘘くさいオーラ」徘徊日記 2019年 二人旅 呉 飛沫にぬれるスーパージェットの窓から呉港の造船所が見えます。松山港を出発して、あっという間でしたが、呉に到着しました。 締め切りの窓から撮っているので、水しぶきでかすんでいます。「わー。デカいなあ。コンテナ船か。二隻一緒に作ってんのかなあ。」 ピーチ姫は爆睡継続中です。「おい、着いたで。大丈夫か?」 「うん、よー寝た。ここどこ?」 「呉や呉、東洋一の軍港。今は違うけど。でも、たぶん軍艦みられれんで。」 「興味ないわ。乗り物はクレーン車とかが好きやねんな、私は。」「ああ、そう、あの船にのせてるあんなんやねんな。アンナンが好きなんやろ。」「ああ、そうそう。あれあれ。でも、あれ船やん」呉港上陸 向うの方に潜水艦の形のビルがあります。大和博物館の看板もあります。あちらこちらに戦艦大和の部品が飾ってあります。博物館の前のポセイドンに感動する老人夫婦がいます。駅のほうから団体でやってくる人たちは、お爺さんお婆さんです。 「うーん、うざい!」 ここは、どういう場所なのでしょうね。なんか・・・・・。 「広島に行こう!」 「お昼は広島焼き!」 子供のころ戦闘機や軍艦が好きでした。戦艦大和や紫電改のプラモデルを作りました。子供のころのことですが、そんなことを、なんだか無理やり思い出させる場所のようですね。「でも、この、うざい、嘘っぽいオーラは何なんだろう。」 JR呉駅出発です。さっさと広島に向かいましょう。広島徘徊はこちらをクリック。ボタン押してね!にほんブログ村にほんブログ村
2019.05.05
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「な、なんと三越や、ライオンや!」徘徊日記 2019年 二人旅 松山の朝 昨夜は愉快な仲間の「サカナクン」のお店で大はしゃぎ。サカナクンが一番上で、ピーチ姫が一人だけ女の子ので末っ子です。サカナクンにはカヨちゃん女将がついています。ちなみに、お店の名前も「サカナクン」です。 久しぶりの「一族再会」4人バージョンでした。まあ、そういうわけで少々遅くなりました。それでも朝一番に起きてシャワー。松山は何度も来ているのに道後温泉には入ったことがありません。 泊ったホテルにも、一応「道後の湯」と銘打った風呂場はあります。ピーチ姫は、深夜の一人大浴場!で満喫したそうです。「あっ、ぼくはもういい。めんどくさいから。まあ、風呂やろ。いうても。シャワーしたし。」 シマクマ君の方はそんな感じです。 それでいいのか!ですね(笑) 10階のレストランで朝食でした。「あっちが南?どこが大街道?」「いや、あっちが北ちやうか?その、アーケードの屋根が大街道ちゃう?」 松山に来ると瀬戸内海が北にあるのが解せないシマクマ君ですが、ピーチ姫もどこに行っても心もとない方向音痴です。 「さあ、今日は船に乗るぞ。スーパージェットにしよ。高いけど。松山港にはどう行くんや。」 「三越前のバス停やって。大街道出たとこ。」 「お城の方やな。あっちは東か?」 繁華街の路地をのぞきながら、朝の大街道を歩いて抜けると立派な三越デパートがあります。 「おお、ライオンおるで。やっぱり、三越は違うあ。」 「だれにも見られず背にまたがると願いごとがかなうんやって。こんなん、書いたらあかんやろ。」 「夜中通りかかったら、跨ってる人おったりして。」 「撫でてる人がおることは確かやな。鼻とか光ってるやん。」 目の前の大通りをデザインの違う路面電車がいろいろ走りますね。 「あれ、古いやつ。なんかええなあ。」「あっちは新しいやん。言葉シャワーたくさんたくさんて、どうすんの?」「向うから、ミドリも来た。坊ちゃん電車もこれなんやろ。」「昼しか走ってへんのんちゃうか。がんばれふぞろいの蜜柑たちやて。ピンとこんなあ。」 「あっ来たリムジン。」 「飛行場行や。ここにも飛行場あるんや。イタリヤ直行便とかあるんかな。」 「なんでやねん!」 港行リムジンバスがやってきて乗車しました。車内アナウンスが英語で、なんかいってます。 「観光港はツーリストポートか?」 「ツゥ―リスト!ちゃんと発音してよ!」 「三津浜とはちやうねんな。」 港の切符売り場で乗船チケット購入です。 「呉まででええやんな。2000円もちがうし。そうや、船は大丈夫か。」 「元町?三宮?夜出て高松に行くのあるやろ。あれ、乗ったことある。たぶん大丈夫。」 「これ、一応水中翼船やから、ちょっと違うかも?」 「・・・・・・」 とりあえず乗船。いざ出発! ピーチ姫はさっそく爆睡でした。 「さいなら、松山!またね。あっ、港とスーパージェット撮るの忘れた。」 「アホかいな。ここではス―パージェットの写真やないの!」 「ええ、おきてたん?」 2019/03/31追記2019・11・17「呉の港」はこちらをクリックしてください。ボタン押してね!にほんブログ村にほんブログ村
2019.05.04
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「JR松山駅は楽しいよ。」 徘徊日記2019年3月31日(日) 二人旅 松山到着 しまなみ海道の終着点(?)今治駅からJR四国の電車に乗り換えると、各駅停車でした。 菊間、浅海、伊予北条、伊予和気、ちゃんと読めませんが、いい雰囲気の駅名です。瀬戸内の穏やかな海が見えます。小さな島がかわいくて、菜の花の黄色い花畑の風景が懐かしい。桜も、もう咲いているようです。ボンヤリ、車窓に見とれています。「ああ、写真撮るの忘れた。」 JR松山駅に到着しました。大洲行きの普通電車が止まっています。「松山や。大洲行きやで。」「大洲てどこやねん。」 「大江健三郎やん。大洲の奥が内子やんか。寅さんの殿さんがおったやろ。嵐寛寿郎。向うが八幡浜、宇和島。」「はあー?トラさん?」「ああ、むずかしい古いこというてすんまへんなあ。」 17時でした。神戸の舞子駅を朝の8時出発で、10時間の電車バス乗り継ぎ二人徘徊でした。思わずぐったりしそうなところへ、宇和島方面行の特急「宇和海」が入線してきました。「わあー、アンパンマン号や!」 ピーチ姫、一応、成人ですが、シマクマ君も大喜び。「おお、加古川線の横尾忠則号よりええな。」「それはちょっと、比較になれへんのんちゃう?」「ちょっと、バイキンマンとドキンちゃん撮っといてよ。この二人が好きやねんから。」「はい、はい」「スマホあるんやろ。自分で撮りいな。で、この、Rマークは誰や。」「ロールパンナちゃんやないの。」「先頭がロールパンナちゃん号で、一番後ろがカレーパンマン号や。真ん中がアンパンマン号か?」 いいかげんホームをウロついて、改札まで来ると、アンパンマンベンチがありました。ありがちとはいいながら、そのうえ、高知県のご当地かと思いきや、ここでもアンパンマンが笑ろてました。最強ですね。「座り、写真撮ったるわ。」「それはちょっと・・・あかんやろ。」「気にせんでええ、誰も見てへん。アカンか。えらいなあ、JR四国。」 松山駅はなかなか楽しかったですよ。さあ、今度は路面電車ですね。 夜の大街道へシュッパーツ!(クリックしてね) 2019/03/31ボタン押してね!にほんブログ村
2019.05.04
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「しまなみ海道 二人バス」 徘徊日記 2019年 娘と二人 その2 尾道からバスに乗っていよいよ「しまなみ海道」、海の道です。 ひとつめの橋、窓から尾道の街が見えて、天気は快晴。車内はのんびり空いていて、座席を二つ占有できます。 二つめの橋を渡ると因島です。 シマクマ君は「窓から写真」に夢中ですが、バスに弱いピーチ姫は、ひたすらお昼寝中でした。 因島で乗り換えです。バスを降りてみると、因島大橋の絶景がすぐそこです。「ちょっと、アッコまで歩く?」 「うーん、ここはええなあ。福山からやったら乗り換えなしやから通過してまうからな。」 橋のたもとまで歩いてみると、このあたりからは自動車道路沿いの歩道というか、自転車道はないらしいですね。向う側にはあるのですが。残念。 バス停のあるドライブインに引き返してトイレから戻ってみると、ピーチ姫はレモン色のソフトクリームをペロペロ。「あっ、そのソフト、いいなあ、いいなあ、どこ?」「そこの八朔ソフトクリーム」 ゴキゲン、ゴキゲン。冷たいソフトクリームがおいしいいい天気です。 ソフトクリームをぺろぺろしながら、大きな看板を見つけました。「向島 むこうじま」、「因島 いんのしま」、「生口島 いくちじま」「大三島 おおみしま」「伯方島 はかたじま」「大島 おおしま」と渡って、四国の今治到着ということになるらしい。 「生口島はレモンかなんか有名なんちやう。コマーシャルしてるよ。大三島は海賊?いや神さんか、大山祇神社の三島神社の本山?ちゃうか。伯方島は伯方の塩やな。」 「ふーん。」 乗り換えのバスがやってきました。さあ、今治めざしてシュッパーツ! 次々と渡っていく橋やら、春の海を窓越しの写真に撮ろうと熱中しています。まあ、上手にはいかないのですが。 「ここは何島や?」 島の停留所に停車しました。今渡ってきた橋が正面に見えます。「これが最後の橋かなあ?いよいよ四国上陸やねんな。」 スヤスヤ・・・・。 相変わらず、ピーチ姫は熟睡です。 「おお―、今治や。タオルや、なんちゃら学園や。降りるぞー。起きろー。」 今治の駅の中にパン屋兼喫茶店がありました。で、コーヒーで一休み。一服は、やっぱり、駅の外です。 禁煙規制、イヤ喫煙規制か?って、案外、田舎の方が厳しかったりする感じがしますが、不思議ですね。建物でたらどこでもOKなのにね。「ヤレヤレ、もう一息で、本日の目的地、松山です。」ここをクリックして下さいね。 ボタン押してね!にほんブログ村
2019.05.04
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若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」(河出書房新社・河出文庫) 何故だかわかりませんが、まあ、多分、偶然でしょうが、2018年の春の芥川賞、直木賞は二作品とも宮澤賢治がらみで不思議な感じがしました。 芥川賞は若竹千佐子さんの「おらおらでひとりいぐも」(河出書房新社)でした。 若竹さんの小説の題名は宮澤賢治の「永訣の朝」という詩の中のクライマックス、妹トシの最後の言葉の一節、詩の中では 「Ora Orade Shitori egumo」 とローマ字表記されているところですが、そのもじり?、イヤ、引用だと思うのですが、どうでしょう。門井さんの「銀河鉄道の父」はそのものズバリという感じでした。 実際にお読みになればわかりますが、若竹さんの作品は賢治と、直接的には、何ら関係はありませんでした。夫を亡くした高齢の女性が「おらおらでひとりいぐも」という生活を暮すありさまを描いた小説です。 賢治の妹トシの言葉は「この世」で生きることができなかった一人の若い女性の「一人ぼっちの死」の無念を印象させる宗教的な象徴性の高い言葉として表現されているところが眼目だと思いますが、それが、現世を生きる女性の「一人ぼっちの生」 の姿の核心になっているところが若竹さんの意図のようです。 この作品について、ここでは詳しく触れませんが小説を支えているのは東北弁、そうです、我々のような関西在住の人間が高等学校の国語の時間、宮澤賢治の詩の一節の中で、初めて出会ったあの響きが「いのち」になっている小説と言っていいと思います。若竹さんは、柳田国男で有名な、あの遠野の出身らしいですが、おそらく、現在では東北地方の人たちだって、この響きの言葉を日常語として使っているとは思えません。ただ、NHK的な言葉の嘘くさい、着飾った響きの奥には、この言葉の響きがあるのかもしれません。「はだかのこころをはだかの言葉で描いた」 まあ、そういう小説だと言いえばいいのでしょうか。ぼくは「ひとりえぐも」というやわらかい言葉にこめらた、女性の決意の響きがいいなあと思いました。2018/06/03追記2020・06・28 この作品を原作にした映画がつくらているそうです。まあ、ヤッパリ見に行くことでしょうね。ちなみに、今では河出文庫から文庫版が出ています。こんな文庫です。 門井さんの「銀河鉄道の父」の感想はこちらをクリックしてみてください。ボタン押してね!にほんブログ村にほんブログ村
2019.05.04
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石塚真一「岳 (全18巻)」(BIGCOMICS) 2018年の夏の終わりころの日曜日の夜。 もう、おなじみ、我が家のゆかいな仲間の一人「ヤサイクン」が段ボール箱を抱えてやってきた。「はい、これ。」「なに?あっ、『岳』やん、どうしたん?持ってないっていうとったやん。」「買ってん。読んだことないゆうてたやろ。」「ヤサイクンも読み直してんの?」「うん。風呂でな。」「ご飯は?チビラちゃんたちはどうしてんの?コユちゃんは帰ってきた?キャンプ行ってたんやろ。面白かったゆうてた?一緒に来んかったん?」「ああ、たべた。『お祭りや、お祭りや』ゆうて三人そろって出ていった、岩屋公園。コユが帰ってきたから、元気復活や、ふたりとも。留守の間、ちょっと静かやってんけどな。」「須磨スイ、行っとったんやろ、昨日。写真来てたやん。」「今日は夏祭り?盆踊りか?」「岩屋公園てどこらへんやの?」「西灘駅、阪神の海側、ちょっと西側やんな。通りかかったことあるで。」「アーちゃんがついていってんの?」「うん、そう。家からもすぐやし。これ、やっぱ、エエで。全巻泣ける。」 (註:コユちゃん=チビラ1号・アーちゃん=チビラ軍団のママ) 2008年小学館漫画賞「岳」全18巻。 10年前の作品だ。読みはじめたら、やめられなくなった。ただ、10巻にたどり着くころから、どうやって終わらせるのか気になり始めた。 最近のぼくの目は、続けて文字を読み続けるのが、なかなか難しい。カスミ目というのか、乱視というのか、ピントが合わなくなって、強烈に眠くなる。作品の内容とは関係ない。液晶の画面の見過ぎという説もある。そうだろうなとも思う。しかし、不便なことだ。Astigmatic bearと名乗ってきた結果、文字通り、その通りになってきたのだから、しようがない。 しっかり泣けた。落語に人情噺というのがあるが、あれと似ている。ただ、物語を支えているのが「山」だ。 いっとき流行った「構造分析」的批評をやりたい人には、こういうマンガはうってつけの対象なのだろうと思った。「山」なんて神話作用を描くにはもってこいの素材だろう。 16巻まで続く日々の描写は読者を飽きさせない。「山」の高さとすそ野の広さがマンガを支えている。北アルプス連山に対して、読者が持っている「神話」的イメージの多様性、美しさ、恐ろしさ、苦しさ、楽しさに対して、一話完結的にマンガ家が絵付き物語を与えていく。読者は一話ごとの小さな違いに納得し、泣き、笑い、ほっとすることができる。しかし、やがてマンネリに陥るに違いない。 マンネリを打ち破るために作者が用意したのは「新たな高い山」。より高い山を求めた主人公は、残念ながら元の山に戻ってくることはできない。神話化の次元をあげれば、もとの神話の場所は、ただの生活の場所になるほかない。 「山」の物語は時を経て、山の人、岳がいなくなった、北アルプスの現場で同じように繰り返しているように描かれるが、新しい神話は生まれない。すべてが後日談となるほかないからだ。作者はそれをよく知っていて、マンガはそこで終わりを迎える。傑作マンガだと思った。(S)2018/08/23追記 2019・05・03「山」を印象的に描いているマンガには、名作「海街ダイアリー」もある。最終巻の山をめぐる恋人や、友人たちの思い、恋人の山からの帰還は、行き先が「山」でないと成り立たない感動だった。 最近見た「モンテ」という映画も「山」だった。パオロ・コニュッティ「帰れない山」という小説も、「山」でこそのリアリティ。「岳」の石塚真一さんは、きっと、山を知っている人なんだと思わせる描写が、知らないボクには感動的だったし、記憶にも残っているが、途中からの予感通り、やはり主人公の「死」で終るしかないのか、というのが後まで残った。ボタン押してね!にほんブログ村にほんブログ村
2019.05.03
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パオロ・コニェッティ 「帰れない山」(新潮クレストブック) 読み終えて、切ないとしかいいようがない、ある感じにとらえられてしばらく座り込んだ。涙をこぼしていたかもしれない。年を取ったのだろうか。 山に登ることを生きていることの証しのように暮らしている父親と父に連れられて山に登り始める少年の独白が小説の始まりであり、やがて、数十年の時が経ち、死んだ父が、かつての少年に語った「人生には時に帰れない山がある。」という言葉を思い出して小説は終わる。 小説の邦題はここからとられているようだが、原題は「Le Otto Montagne」。たぶん「八つの山」というくらいの意味ではないかと思うが、その題名の由来も読めばわかる。 作家自身が、実際に経験した出来事が、自伝的に描かれていると感じさせる作品だが、語り手である「僕」と家族との関係という経糸(たていと)と、町の少年であった「僕」が山の村で出会った山の少年「ブルーノ」との交友という緯糸(よこいと)で織られたテクスチャー=織物であるかのように小説は出来上がっている。 中でも「トムソーヤ―とハックベリー・フィン」の組み合わせのような、この二人の少年の物語の世界は、昨年(2018年)亡くなったエルマノ・オルミの傑作映画「木靴の樹」の世界を彷彿とさせる。 あの映画もこの小説と同じ北イタリアのアルプスのふもとの村が舞台なのだから、当たり前といえば当たり前なのかもしれないが、描かれた時代には、半世紀ほどのずれが歴然とあるはずだ。 にもかかわらず、現代社会から取り残された山の村の、貧しい農夫の息子ブルーノと都会のインテリの一人息子「僕」が出会い、兄弟のような友情で結ばれ、やがて別れる世界は、あの映画のさみしい村の風景や農夫や子供たちの姿に重なり、貧しく、美しく、哀しい。 加えて、この小説が北イタリアのアルプスの山並みを背景にして繰り広げられていることは、この作品を語るうえで忘れてはならないことだろう。読者にとって、この風景の描写は、この作品の特筆すべき魅力だと思う。 僕たちは山頂に座り、持ってきたパンとチーズをかじりながら雄大な風景に見惚れていた。モンテ・ローザのどっしりとした山群が、山小屋やロープウェイ、人工湖、マルゲリータ小屋から降りてくる登山者の隊列まで識別できるほど間近に迫っていた。父はワインの入って水筒の蓋を開け、午前中は一本と決めていた煙草に火をつけた。「この山は薔薇色だからモンテ。ローザという名前がついたわけじゃないんだぞ。」と父は蘊蓄を語りだした。「氷という意味の古語が語源になってるんだ。つまり氷の山だ。」 それから父は、東から西へと順に四千メートル峰の名を挙げていった。毎回決まって最初からくりかえす。実際に登る前に、一つひとつの頂を正確に把握し、長い間憧れを抱き続けることが肝要なのだ。 ジョルダ―ニの控えめな頂、それを上から見下ろすピラミッド・ヴィンセント、ピークに大きなキリスト像が立っているバルメンホルン、稜線があまりに緩やかでほとんど目立たないパロット、さらにはニフェッティ、ズムスタイン、デュフールと、気品の漂う鋭い峰が三姉妹のように並んでいる。次いで、「人食い尾根」と異名をとる尾根で結ばれた二つの頂上を持つリスカム、その隣の双子の山は、優雅な波を描いているのがカストルで、気の荒そうなのがポルックスだ。そしてロッチャ・ネーラの輪郭に、無垢な表情のプライトホルンが続き、一番西には孤高のマッターホルンが屹立している。 父はこの山を、まるで年のいった伯母さんかなにかのように、親しみをこめて「偉大な尖峰」と呼んでいた。一方、南の平野の方角は全くといっていいほど見ようとしなかった。平野には八月の靄が立ちこめている。あの灰色のフードの下のどこかに炎暑のミラノの街があるはずだった。 絵巻物を広げるようにして、繰り広げられる山々の連なる風景描写は、それだけで、山になんて何の関心もない読者をひきつける山岳小説のおもむき十分だが、それだけではない。このアルプスの、一つ一つの山の風景は登場人物たちの心に織り込まれ、それぞれの心模様を作っていて、彼らの生き方をリアルに語るうえで、欠かすことのできない背景となっていることを読み手は実感することになる。そういう意味で、真の山岳小説といえるかもしれない。 「子供時代の山」と題された「僕」とブルーノとの少年時代の生活。青年になった僕と父との、葛藤と和解の物語を描いた「和解の家」。最終章「友の冬」は父亡き後、中年に差し掛かった「僕」とブルーノとの再会と別れを描いている。 中年に差し掛かった語り手、僕の、一見、「自伝風」、「私小説風」の回想は、上記のように章立てされた三つの時間をたどりながら、父やブルーノと登った幾多の山を登り直すことから始まり、アルプスのふもとの山の村の母との生活や家族の思い出を丹念に描きながら、とうとう「帰れない山」が聳えている場所にやってきて、結末を迎える。 「帰れない山」とは何なのかは、読んでいただくほかないが、それが小説の主題を暗示している比喩であることは間違いない。 ここまで読んでいただいて、ある種、「山と人生」とでもいうべき人生論物語風の結末を予想する人もいるかもしれない。残念ながら、その予測は完全に外れている。 この作品が「人生」を定型化することを目論んで書かれた小説ではないことは、お読みになればしびれるような余韻とともに、実感として理解されるにちがいないだろう。 乞う、ご一読。 (S) 追記2019・05・03「父と子」、「母と子」、「家族」、「友情」・・・。この小説から読者が感じ取るイメージのパターンは古典的です。まあ、ありきたりといってもいいかもしれません。しかし、読み終えてみると、どこかに、ある「新しさ」があって、それが多分この小説の魅力なのだと思う。その新しさを解説できれば、プロの書評ですが、残念ながら、ボクにはうまく言えませんね。追記2023・04・27 なんと、映画化されたらしい。まだ見ていないのですが、とりあえず記事の修繕を、と、考えて触りました。映画が楽しみです。追記2023・05・16 映画を見てきました。感想は別に書こうと思いますが、ボクが小説を読んで感じていた「新しさ」を、映画製作者は感じなかったようで、悪くはないのですが、かなり古典的な青春葛藤ドラマとして描かれていて、ちょっと拍子抜けでした。うーん・・・という感じでしたね(笑)ボタン押してね!にほんブログ村にほんブログ村
2019.05.03
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石塚真一「BLUE GIANT全10巻」(小学館) 2018年の夏です。「ヤサイクン」の運んできた断捨離「段ボール」のなかにあった、全十巻の単行本マンガ「BLUE GIANT」(小学館)の第1巻の表紙です。「この人知らんな。」 「『岳』描いた人や。」 「それも知らん。椎名誠とはちゃうんやろ。」 「ちやう。それは『岳物語』やろ。石塚真一いうマンガ家のマンガであんねん。山の話や。これはジャズのはなしや。」 「はあー?あんた、ジャズとか知ってるの?」 読んで驚きました。不思議なことに、とにかく涙が出て止まらないのです。音楽の話だから?少年の成長物語だから?そうかもしれない。 もっとも、「ヤサイクン」が持ってくるマンガの大半はいわゆるビルドゥングス・ロマンだから、はまると涙の素のようなところがありますが、どれを読んでも泣きっぱなしかというと、必ずしもそうともいえません。 老化のせいか。ここのところ、すぐに感極まる傾向があることは、たしかだから、そのせいかもしれません。念のために、ネットで検索してみると、若い読者も泣いてるようなのですね(笑)。うーん、若者でも、老人でも泣けるマンガか。 15歳の少年がジャズという音楽の中に「ほんとうのこと」があることに、偶然、気づきます。彼はそれを手に入れるために、来る日も来る日も楽器を吹きつづけるのです。 彼が信じた「ほんとうのこと」は、社会が少年たちに求めていることと、微妙に違うことであるようです。家族も、先生も、友達も、彼が求めている「ほんとうのこと」を理解できているわけではありません。少年は、一人で旅立っていくのですが、「ほんとうのこと」がどこにあるのかは知らないままです。でも、彼は旅立つのです。 マンガを読みながら、唐突に、こんな言葉を思い出しました。 ぼくが真実を口にするとほとんど全世界を凍らせるだろうという妄想によって ぼくは廃人であるそうだ おうこの夕ぐれ時の街の風景は 無数の休暇でたてこんでいる 街は喧噪と無関心によってぼくの友である 苦悩の広場はぼくがひとりで地ならしをして ちょうどぼくがはいるにふさわしいビルディングを建てよう 詩人の吉本隆明の「転移のための10篇」という詩集の中にある「廃人の歌」の一節です。まあ、このマンガの主人公宮本大君が故郷を出発した年齢とちょうど同じだったころ、繰り返し繰り返し口にした詩の一節です。 吉本隆明の真実は「全世界を凍らせる」のですが、宮本少年の演奏は「全世界の心揺さぶる」はずなのです。 しかし、この国というような狭い世界ではなく、全世界という、口に出して言ってしまうと、ほとんど妄想と受け取られかねない世界を夢見たり信じたりする人間は、いずれにしても社会からは「廃人」と呼ばれ、「不毛の国の花々」や「ぼくの愛した女たち」とは別れていくほかないのかもしませんね。 若い読者が、このマンガを読んで涙を流すのは、全世界という途轍もなさの向こうにしか「ほんとうのこと」は見つけられないということに、無意識のうちに恐怖している自分を感じさせてくれるからではないでしょうか。まあ、出発がついにやってこなかったまま年を取ってしまったことを、出発する宮本大君に思い知らされて、思わず涙する老人の繰り言ですね(笑)。 で、第二部「BLUE GIANT SUPREME」(小学館)で少年は世界に飛び出していくようです。彼は、はたして、「ほんとうのこと」を手に入れることが出来るのでしょうか。ガンバレ宮本大! 2018年7月 追記2019年5月 先日「BLUE GIANT SUPREME 第7巻」(小学館)がヤサイクンのマンガ便で届きました。最新刊です。 主人公宮本大はいやおうなく「大人」になり、ヨーロッパのステージで「ほんとうの音楽」を追いつづけています。しかし、第二部を構成するプロットの特徴は、夢を追うヒーローとしての主人公を群像化しているところです。それが第一部との大きな違いではないでしょうか。彼自身が率いている「NUMBER FIVE」というカルテットのメンバー一人、一人が入念に描かれているのです。当然、読者は「マンガ」を複雑で読みにくい印象でとらえることになるのでしょうが、世界に出て行った主人公のリアリティーは、これでないと維持できないことがよくわかります。「世界で通用する音」を求めることは、「世界」においては当たり前なのでしょうね。 むしろ、作家、石塚真一こそが、正念場に差し掛かっているというのがぼくの、率直な印象です。「この国」ではない「全世界」をどう描くのか。たとえ、それがマンガであったとしてもです。ぼくは、そこに強くひきつけられて読み続けています。もちろん、石塚君の健闘を祈りながらです。追記2020・03・03「BLUE GIANT SUPREME 第8巻」・「第10巻」感想は、それぞれ書名をクリックしてください。どうぞよろしく。追記2023・02・27アニメ映画化された「BLUE GIANT」を観てきました。傑作だと思いました。にほんブログ村にほんブログ村
2019.05.02
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「神戸、春の雨」 徘徊日記 2019年 新開地あたり 今日は戦中から戦後、神戸の繁華街の代名詞、新開地を歩いています。ここには地下鉄の駅があります。よく考えてみると、この駅、正式には何と呼ぶのか知りません。 神戸電鉄の起点と終点があって、山陽電車、阪急、阪神も乗り入れているのですが、「阪急新開地駅」とは言わないような気もするのですね。 その新開地駅から高速神戸駅にかけて地下道があって、これを「メトロこうべ」と呼ぶのは知っています。薄暗い通りにそって古くなった卓球場と、神戸学院だったか、地元の大学生が書いた壁画があったはずです。露天ではありません。だって地下道です。壁際にずっと本を並べている古本屋さんが昔からありました。 地上を歩けばの神戸を代表するピンクゾーン福原の柳筋や桜筋の門前を通ることになります。お寺とかの参道ではないのですが、実際、通りの名を書いたアーケード型の門が今でもあるのですが、昔の、何というか、ちょっと気恥ずかしくなる猥雑な賑わいはありません。 記憶では地上は明るくて地下は暗かったのですが、春雨模様なので、ひさしぶりに地下を歩くとちょっとリニューアルされていました。 「卓球場も改装してねんや、通りも明るくなったよな。おっと、壁画が変わっとるやん。」 「そごうデパートの前を市電か。市バスはおんなじや。青いのは阪神バスかなあ。」「これは新開地かな。神鉄の宣伝しとるからなあ。聚楽館か?」「三宮の阪急やな。ミゼットが走っとんなあ。オート三輪いうてたんやな。神戸高速鉄道か、50年代の終わりころやな。」「ちょっと角度かえて撮ったろ。なんか不思議な感じするやろ。どこまでが絵で、どこからが壁かわからんやろ。」 どの絵も、たぶん、60年代の三宮と新開地の駅前あたりです。そごうデパートや阪急文化のビル、市電とダイハツ・ミゼットが、70年代から神戸で暮らしてきたぼくにも懐かしい。 もっとも、正確に言うと、ぼくが神戸に来たのは1975年で、市電は廃止されていました。よく乗っていたバスの石屋川車庫という終点の停留所が、市電の車庫の名残なんてことは気づきもしませんでした。オート三輪型のミゼットも、それ以前の子供時代の記憶で、神戸で見た記憶はありません。だから、本当は、この風景は建物の分だけ、半分だけ懐かしいはずです。ところが不思議なことに全部が懐かしいんですね、こうして眺めていると。 「そういえば、地震の後やったか。みんな変わったんや。市役所なんかへしゃげてまいよったんやからなあ。なんか、泣けてくるなあ。」 国際会館、そごう、新聞会館も改装されて久しい。いや、そごうなんてなくなって、今は阪急ですね。阪急の駅ビルは真っさらの工事中で、最近、JRの三宮も工事に入りました。 「そうや、古い三ノ宮駅写真に撮っとかな。ちょっと、三宮まで歩こかな。」 ちと休め 張子の虎も 春の雨 夏目漱石 忙しい世間は、何が何でも新しくなりたいらしいですね。そういえばトラは春から休んでばっかりちゃうか。追記2020・05・06 今年は「トラ」だけじゃなくて、みんなが休んでいます。当初、ここのところ鳴かず飛ばずの若トラが、やり玉に挙げられて気の毒でしたが、もう古い過去のことのように時間が経過しています。 時間は経つのですが、何の灯も見えない雰囲気が続いています。これは、やはり歴史的事件になりそうですね。ボタン押してね!にほんブログ村にほんブログ村
2019.05.02
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ベランダだより 2019年「庭の山椒の花も咲きました」 ああ、いよいよ夏かなあ、そんな上天気の朝。ベランダに布団を干しに出ると、スイトピーが花をふやしてきて、色もいろいろです。 「これ、根本は一つなん?」「さあ、いつの間にかそうなったからねえ。でも綺麗やんねえ。」「カーネーションも花ふえてるやん。」「ホンマに元気な花やねんなあ。」「こっちの、チラチラした花はなんやの?」「えっ、どれ?」「ああ、それ。ゼラニウムやん。蚊よけなのよ。」「この花がか?まだ蚊なんかおれへんやん。」「でも、長いこと咲いてるよ。うーん、全体の匂いなんちゃう。台所の向う側の山椒も花咲いてるよ、知ってる?」「山椒か、ニワノサンショウノ~♪か?それも写真撮ってこ。」「あかんわ。もう散りかけや。実いついたらすぐにちぎって炊いたらええんちゃう。大きいなった実山椒、辛いやん。」「そんな、炊くほどたくさんならへんやん。」「ホンでも、いつの間にか木は大きいなったな。ひこばえみたいやったんちゃうの。」「気づかれんように大事にしてんのよ。木の芽ほしいし。」誰か知る 山椒の花の 見え隠れ 渡辺桂子 そういえば竹の子もそろそろ終わりか。連休越したら夏が始まるなあ。春のベランダ徘徊も終わりやな。ボタン押してね!にほんブログ村にほんブログ村
2019.05.02
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