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この日8/20(金)、以前より話題になっていた羽田を24時間国際空港化する具体策としての『D滑走路』がマスコミに公開となった。この日のTV各局のニュースやWebニュースでは これを競い合って報道していたが、先のブログにも書いたように私にとっては、JALのサンフランシスコ便(渡米がJAL002便/帰国便がJAL001便)のフライトスケジュールが、現在のNRT(成田)発着便から大きく変化するのが何とも驚きである。この時期であれば 成田(NRT)発着のサンフランシスコ(SFO)便は以下のような具合である。(1) JAL002便(出国便) 成田発 18:10 → サンフラン着(同日) 11:45(2) JAL001便(帰国便) サンフラン発 13:45 → 成田着(翌日) 16:10しかし、これが羽田(HND)発着になることで、以下のように激変する。(1)'JAL002便(出国便) 羽田発 00:05(!!) → サンフラン着(前日) 16:05(2)'JAL001便(帰国便) サンフラン発 17:50 → 成田着(翌日) 22:35(!!)つまり、羽田(HND)発着になることで、出国日は その日丸1日 日本で仕事をすることができ、そのまま空港になだれ込んで9時間超のフライトとなる一方、米国現地到着後は、今のように午後から現地で即ミーティングとなることは無くなり、そのまま夕食をとってホテルで眠ることになりそうなのである。一方、帰国時は おそらく現地で昼までは普通にミーティングができて、日本に到着すると、すっかり深夜で、帰宅するなり、出張の疲労でそのままばったり倒れこんで眠ってしまうような状況が思い浮かぶ。JALによれば、これはまさに『24時間化で、時間を有効に使える』ということになる。確かに、出国前の慌しい昼までの半日仕事で出国する際は、ときに職場の同僚達の作った資料の詰めに不安を覚えながら出国し、自分のフライト中に最後の詰めを言い渡しておき、現地でホテルで日本チームと電話やメールを通して詰めを完了させることも珍しくないが、出国日にここまでしっかり国内で時間が確保できるとなると、大方のことは全て日本で済みそうである。・・・しかしなぁ、出発当日は疲れそうだなぁ。。。一方、米国出国に関しては、なんとなくこれまで現地最終日の仕事が終わってから、翌日朝から日本への帰国を開始して、帰国すると時差の関係で、もう翌日の夕方という状況が、どうしても無駄に思えていたが、それが半日イメージ仕事が余計にスケジュールできることで、大きく印象が変わるだろう。・・・しかし、それにしても、これによっていよいよ困るのは、以前もブログに書いた通り、ANA組との時間が全くずれてしまうことだ・・・。職場の海外出張仲間の間では、このJALの大胆なフライト変更計画により、同一目的地に対して異なるエアライン・キャリア(具体的にはJALとANA)で飛ぶ際のフォーメーション議論でもちきりである。。。
2010/08/22
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それは盛夏8/10(火)の昼13時過ぎの出来事だった。。。ちょうど離席して、別フロアの別室で打合せをしていたわずかの間のことだった。自席に戻ってみると同僚が書いたメモが机の上に置いてあった。おそらく電話の主の法人名がきちんと聞き取れなかったのだろう『ジャクソンの野口様からTEL(外線)あり、云々。』とあった。これを見るなり、思わず「これ僕に外線があったんですか? これって、あの宇宙飛行士の野口さん、野口聡一さんからの電話ですよ!!」と叫んでしまった。勿論、周囲の一同は唖然。そして先の伝言の記載は 正しくは『JAXA(宇宙航空研究開発機構)の野口様』となる。まさかとは思ったが、野口さんご本人から私に電話が入っても何らおかしくない背景事情があったため、直接電話をとれなかった悔しさはひとしおだった。。。以前、このブログ上にも書いたが、長期宇宙滞在から戻った野口聡一さんは 同郷の茅ヶ崎市出身で、同じ高校の4年先輩に当たり、まだ私が少年時代ボーイスカウトに所属していた頃の直接のリーダーでもあった。その野口さんをよく知る高校時代の私の恩師が、他校の校長先生を経て過日3月末に退官となったが、その先生が歴任した中学や高校の教え子達がクラスや学年や学校の垣根を取り払って、この8月末に大々的に退官パーティを開催することになっている。この退官パーティに際して、もう20年近くも直接接点のない、もはや薄っすい薄っすい関係となってしまっている野口さんに『是非、駄目もとでパーティに出席をお願いしてもらいたい。それが無理ならばメッセージだけでももらってきて欲しい。』という、にわかに信じがたい強引かつ無謀な依頼をされてしまったという背景がある。。。ちなみに、勿論、その先生と野口さんは当時お互いよく知る仲ではあったのだが。。。そこで、長らく精神的な重荷となっていた(苦笑) この依頼の大役を、茅ヶ崎凱旋パレードがある8/9(月)(YOMIORI ONLINE様 HPより)前日の8/8(日)にご実家を訪問して決行することとした。8/8(日)の朝にご実家にお電話をし、応対に出て頂いたお父様に事情を詳しく説明し、これまでの野口さんとの関係や、今回のイベントのいきさつを極めて詳細説明した資料を、前回の茅ヶ崎訪問イベント時の一緒に写った写真や私の名刺と共にお渡ししたのだった。。。『ほう、そうだったんですか。それでは確実に手渡すようにいたします。』と大変丁寧な応対をして頂き、その場を去った。その結果が、冒頭の私のOfficeへの直接の外線電話となったというわけ。。。結局、その野口さんからの伝言は 超多忙にして『パーティには出席できませんが、メッセージの件は対応しておきました。』という心優しいものだった。どうも米国ヒューストンに向かう成田空港からの電話と分かった。。。野口さんには、超々多忙な中その素晴らしく丁寧なご対応に深謝すると共に、私自身としてはその記念すべきお電話を直接取れなかったことが何とも悔やまれる。。。是非、もう一度、こうした機会がおとずれることを心から祈っている。真夏の昼下がりの何とも驚きのエピソードでした。。。
2010/08/12
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