2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全5件 (5件中 1-5件目)
1
物語の舞台は湘南の鵠沼です。それでは第三夜のはじまりです。どうぞみなさま、十五日間最後までお付き合いくださいませ。小説 オータム~未来への風が吹く~“出会いは雨”の章どしゃぶりの雨だった。椿ケイは店に戻る途中でこの雨に出くわした。戻るまでは降らないかな、なんて思っていたが後の祭りだった。急いで区民センターのロビーに飛び込んだ。店に連絡を入れ、ほっとして、しばらく雨宿りしていた時のことだ。ダークスーツに髪を濡らした白井和哉が、階段を駆け上がってきた。雨にやられたようにも見える。しかし、和哉の右手にはスポーツバッグがしっかりと握られていた。誰が見ても、この区民センターの地下プールで泳いでいたことは、容易に想像がついた。もちろん察しの良いケイには、すぐにそれとわかった。「白井さん、もしかして泳いでいたの?」とケイはクスクス笑いながら和哉に声を掛けた。「しまった!と言いますか、こんにちは。お世話になってます」と和哉は見られて恥ずかしいような、見つかってまずかったような困った顔をケイに返した。「今日はウチに来る日でしょ。その前にひと泳ぎって訳ね」「すみません。約束の時間には遅れませんから、店長さんには内緒にしてください。実は週2回はこうやって泳がないと、調子が悪くなりそうなんです」「うん、いいわ。店長には言わない。そのかわり」「はい、そのかわりに何ですか?」「そのかわり、そのかわり、ははは…なんでもないよ」とケイは笑いながら、和哉のおでこを指で突付いた。和哉も眩しげにケイに視線を返して、「椿さん、よろしければ車でお店まで送りますよ」「サンキュー、助かるわ。でもさ、せっかくだから、少し遠回りしようよ、ね」椿ケイは医薬品販売店の薬剤師。そして白井和哉は藤和医薬品販売の営業担当。週3回は店に通う関係から、ケイとは以前から面識があった。それまで特に親しいという訳ではなかったが、このプールの隠し事から、二人はプライベートな話もするような近さになっていった。和哉の担当する取引店の中では、ケイの店が一番売上げが高い。そのため和哉は週3回、この店に時間を費やしていた。訪問時間が午後からの2日間だけ、午前中の1時間を使って、近くの区民センターのプールに通っていたのだ。和哉にしてみれば、プールは仕事をさぼることではなかった。どうしようも無い内面の鬱屈を、自分なりに発散しなければならなかったのだ。プールに費やした時間は、必ず売上げで帳尻をあわせていた。あの雨の日以来、あきらかに和哉の心に変化が訪れた。ケイの明るさに惹かれたのである。自分とは次元の違う人と思っていたケイが、急に近い存在に思えてきたのである。その日は予報通り、夕方から雪になった。今日の和哉は営業車ではなく、電車を使ってケイの店に来ていた。雪だから後片付けまで手伝うと言って、和哉は閉店まで残った。そして少し先回りして、帰り道のケイを駅近くで待っていた。ソワソワして、いつもと違う和哉の態度から、ケイは昼間から気が付いていた。チラチラと見る目に、何か感じるものがあったようだ。ケイは『フフ…』と笑いをこらえて、雪を軽くすくって、和哉の後ろからそっと近づいた。そ~と、そ~と近づいた。そして、「ワッ」と言って和哉の頬に手を当てた。ビックリあわてた和哉に、ケイはアッハハと笑いながら、和哉のおでこを指で突付いた。店という空間を離れ、こうして二人でいること、そして初雪も手伝ったせいか、二人は子どものようにはしゃいだ。窓の外に白い世界が広がりだした頃、ケイは突然、それも、明るく言った。「エッヘヘ、実はね、今日は、私の誕生日なのよ、カンパーイ」と言って、和哉のグラスに自分のをカチンと合わせた。「えっ、今日は二度目のビックリだ、早く言ってくださいよ、お祝いじゃないですか。」普段あまり明るいとは言えない和哉が、初デートとビールに少し酔っているようだ。二人はワインで祝った。初雪、和哉の待ち伏せ、ケイの誕生日…、人にはただの水曜日も、二人には特別な日となった。ケイはこの特別な日に、誰にも言ったことの無い誕生日の思い出を語った。それは弟、光司の思い出でだった。いつも暗い目をしていた光司だった。ケイにだけは心を開いていたが、他の人間とは一切話をすることは無かった。光司は一日中部屋に閉じこもっていた。光司が中学一年の時、父親と母親が別居した。父親が家を出て行ったのだ。残された家族の心もバラバラになった。光司には家族みんなで食事をした記憶が無い。家族そろって出かけた記憶も無い。せめて誕生日にはケイが祝ってあげたいと願っていたが、その日の朝、自らその生涯を閉じてしまったのだ。まだ中学2年生だった。前の年の誕生日、ケイは『来年はみんなでお祝いしようね』と光司に約束をしていた。しかし、ケイの願いも空しく、光司の誕生日に家族が集まることはなかったのである。皮肉なことであるが、家族がひとつになったのは、光司の死であった。ケイの父親と母親は悔いた。自分達の我がままから、息子を失くしてしまったことを。時間を戻すことはできない。返ることのないかけがえの無い命。『私がもっと父や母を説得できていれば…』ケイは悔やんでも悔やみきれない思いに、胸がつぶれそうだった。かけがえの無い命と引き換えに、家族は戻った。失った時間を取り戻そうとするかのように、家族は寄り添った。ケイはそう語り、和哉にゆっくりと視線を戻した。和哉の深い孤独と悲しみを秘めた眼差しに、ケイは光司の面影を重ねたのである。和哉も、この特別な夜に応えた。和哉にとって、初めて祝うはずだった誕生日に、美砂が出て行ったことを語った。父と子の生活の中に、祝うという言葉は無かった。物心ついたときから、和哉には誕生日は無かったのだ。だからその日は、和哉にとって、初めての誕生日のはずだった。しかし、それは、和哉の心をえぐり、苦い思い出を増やしただけだった。和哉に離婚歴があるとは、想像もしていなかった。ケイには、和哉の持つ暗さの一端をうかがえたような思いがしていた。「今年の誕生日は二人でお祝いをしようね、私がお祝いする。必ず、ね」償いきれない光司への思いと、和哉に惹かれていく心とが、ケイに言わせていた。「ケイさん、ぜったい。約束だよ」ケイには和哉が幼く思えた。しかし底知れぬ悲しみを秘めた眼差しに、真実の光を見た思いがしたのであった。和哉の目に宿るものが、ケイの心の奥深いところへと届いてきた。<第四夜へ続く…>
2005年06月30日
物語の舞台は湘南の鵠沼です。それでは第二夜のはじまりです。どうぞみなさま、十五日間お付き合いくださいませ。小説 オータム~未来への風が吹く~“出口の無い闇”の章「鵠沼は私も久しぶりよ。和哉が好きになってくれてよかった」「…」和哉は無言だった。とても美味そうとは言えない顔つきのまま、グラスのビールを飲みほした。「でも不完全燃焼。和哉そうでしょ、そうゆう顔だよ」ケイは和哉の顔を覗き込むようにして言った。しかし和哉は何も応えない。ただ少しケイに視線を送っただけであった。「どうしたの、もっと何か言ってよ。鵠沼、好きになったんでしょ」「ああ、でも、こんなのは初めてだ。今日の話しはもうよせよ」和哉は吐き捨てるように言った。ケイは年上らしく『波乗りやっていれば今日みたいな日はいくらでもあるわ。今までが良かっただけよ。和哉にはやっぱりいつもの九十九里がいいかな?あそこは波あるしね』と言って和哉のグラスにビールを注ぎ、自分のグラスにも注いだ。しかし和哉はケイの思いやりにも少し鬱陶しさを感じていた。「場所のせいじゃない。俺のせいだ。俺がヘタだから、だから波に舐められたんだ」またか、という顔でケイは和哉から視線を外した。しばらく間を置いてから、「誰に舐められたの、和哉がひとりそう思っているだけでしょ。波乗りはね、波をやっつけるんじゃないのよ、そうね、自然というのかな、大きなものに包まれてさ、いっしょに戯れてさ、自分らしくそこにあることが大事なんだと思うよ」和哉はそんなケイを無視していた。「今日は和哉の誕生日でしょ、お祝いの日なのよ。なんでそうやっていつも難しい顔するの。自分を責めるようなことばっかり言うの。もっと楽に考えればいいでしょ。楽しいと思う気持ちはね、自分から積極的につくるものなのよ。よく聞いて、和哉は始めてからまだ数ヶ月しかたっていない。運動神経もいいし、いつも目一杯がんばっているから、すごく上達したじゃない。なかなか居ないよ、そんな人」ケイは笑顔を絶やさないように和哉と接していた。出会ってから初めて迎える和哉の誕生日を、心からお祝いしたかった。それはケイにも特別な思いがあったからだ。海から戻って、和哉のために覚えたての料理も作ってみた。しかし『美味しい』とも『まずい』とも和哉は言わなかった。ただ口に運ぶだけ、流し込むだけのものでしかないようにケイには見えた。「和哉はまだビールにする、それともワインにする」「どっちでも」「私はワインにするね」ケイはワイングラスを2つ用意した。手馴れた手つきで栓を開け、和哉のグラスに黙って注いだ。ケイが『少し暗いよね、テレビでも見ようか』と言ってスイッチを入れた時、和哉は黙ってリモコンに手を伸ばした。そして無表情でスイッチを切った。「信じられない、どうして!私のことキライなの」今日は特別な日だから、つとめて明るく振舞っているケイである、この一言も『明るく、明るく』と自分に言い聞かせて…、しかし、ショックだった。「FMにしよう」と和哉は言った。スピーカーからは、コルトレーンの曲が流れてきた。けだるい時の流れ、和哉は窓の外をぼんやりと眺めていた。ガラス越しに見る外の世界、まるで自分とは隔絶された世界のようだと感じていた。「ねぇ、和哉。ケーキも作ってあるから食べようよ」「ケイ、俺はいい。食べろよ」「そう言わずに、いっしょに食べようよ。お誕生日はケーキを食べる日なのよ。」「今はいいって。」「じぁ後でね。必ずよ。一生懸命作ったんだから」和哉はケイの心のうちを、何も感じられないのか、何も感じたくないのか、まったくかみ合わなかった。ケイにとっては重苦しいとも言える空気に包まれて、ただ時間だけが流れていった。和哉の誕生日、もうすぐ時計の針は12時を刺す。もうすぐ終わりだ。しかしケイに残ったものは何だ、空しさだけだった。酔いつぶれた和哉をベッドまで引きずり、やっとの思いで寝かせたところだ。ケイのワイングラスの中に、頬を離れた涙が波紋となった。『和哉、私にはあなたの心が見えないの。でも、きっとあなたにも私が見えていないはず。楽しい時、嬉しい時、あなたにもそんな時あるの…あなたはいつも悲しそうよ。それはもしかして憎しみ…いつも、いつも自分を責めるのはなぜ?海に入る時もまるで自分をいじめているようよ。なぜ何も話してくれないの、本当は美砂さんのことをまだ…私はいったい何…、和哉…』またいつもの出口の無い、暗いトンネルに吸い込まれていくケイだった。テーブルの上にあった、和哉のタバコに火を点けた。青い煙がゆらゆらと部屋を漂った。ケイは深く吸ってみた。もう一度ゆっくりと。酔っているせいか、それともタバコのせいか、軽いめまいの中で、あの頃のことが廻ってきた。消そうにも消すことのできない、ケイにとって償うことのできない過去。『そう、今日は私にとっても特別な日だった…』<第三夜へ続く…>
2005年06月29日
今夜から十五夜連続で小説を連載します。物語の舞台は湘南の鵠沼です。第一夜は三話掲載したいと思います。どうぞみなさま、十五日間お付き合いくださいませ。それでは第三話の幕開けです。小説 オータム~未来への風が吹く~“秋の風”の3章『パパー』と呼ぶ子どもの声に気が付き、和哉もケイもその子の視線の先を追った。砂遊びをしていた女の子の声は、テイクオフ寸前のサーファーへ向けられていた。妻と子どもなのだろう、テイクオフしたばかりのサーファーへ拍手を送っていた。女の子は『パパ、カッコイイね』と無邪気に大喜びしていた。母親も『パパ、素敵ね』と幼い娘に笑顔を返していた。ロングボードは崩れた波に乗って、波打ち際のかなり近いところまで来ていた。そして二人に向かって手を振った。逆光の中、二人にはサーファーの満面の笑みが見えていたようだ。『パパー』と手を振り応えていた。和哉にとって、その光景は眩しすぎた。ケイはハッとした。そして瞬間的に反応していた。「和哉、『俺は人より遅く始めたから、ガンガン行かないと追いつけねえ』でしょ、もう休憩はおしまいよ!」ケイに促され『そうだ、ガンガン行かないとな』と和哉も腰を上げた。二人は軽いストレッチの後、波間に徐々に体を入れていった。腰まで浸かったところで、ボードに乗りパドリングで沖に向かった。風はオンショア、平和そのものといった感じだ。本来海から吹く風はサーフィンには適さない、波が少し立ち上がると、風に波頭を崩されてしまうからだ。もちろんサーファーなら物足りなさを感じる波ではあるが、ケイはそれでも『これも自然からの贈物よ』と言って笑っていた。波にパワーがないため、和哉はいくらパドリングしても波に置いていかれた。その傍らで巧みにタイミングを図るケイは、すでにいくつか波を捉えていた。それは力みの無い、しなやかで美しい動きだった。海は小さなリズムを刻んでくる、しかし和哉は、どのリズムにも取り残された感じがしていた。波に挑むどころか、まったく波を捉えることができなかった。和哉は悔しかった。テイクオフに失敗し波に揉まれることはよくある。その都度『今度こそは!』と波に向かっていく。しかし今日はまるで無視されているような、相手にされていないような思いだった。何度もパドリングして波を捉えようと試みても、波は和哉のことなど眼中に無いかのように、ボードの下をすり抜けていった。ひとしきり海に入ったところでケイは浜に上がり、先ほどと同じところへ腰を下ろした。ウエットスーツのファスナーを背中の中央まで下ろし、ミネラルウォーターのボトルに手を伸ばした。もう夏の日差しでは無い。この季節、午後には逆光で波がキラキラと輝いてくる。ケイは波間の和哉に視線を戻し、また『ゴクリ』と音をたてた。<第二夜へ続く…>
2005年06月28日
今夜から十五夜連続で小説を連載します。物語の舞台は湘南の鵠沼です。第一夜は三話掲載したいと思います。どうぞみなさま、十五日間お付き合いくださいませ。それでは第二話の幕開けです。小説 オータム~未来への風が吹く~“秋の風 ”の2章ケイは斜め横に突っ立っている、和哉の右手を引いて、自分の横に座るよう促した。和哉はニコリともせずに、ミネラルウォーターのボトルをケイに返し隣に座った。和哉とケイは長身の部類に入る。二人とも黒を基調としたウエットスーツに、和哉は青、ケイは赤のラインが鮮やかだ。和哉は筋肉質で、一見精悍な感じではあるが、表情が乏しく神経質そうな顔が、この男の内面を物語っている。この無駄肉の無い体型からも、容易に想像できるが身体能力は高い。中学、高校時代には、バレー、バスケットなどのチームスポーツのクラブにも入っていたことがあったが、どれも長くは無かった。しかし、体を動かすことは、毎日欠かさなかった。それは、成長期にあるエネルギーの発散という、能動的なものとは少し違ったようだ。和哉はただ、クタクタに成りたかっただけだった。毎日めまいの中で運動し続けた。それはまるで自分で、自分を苛めているような姿だった。周りの友人たちは、そんな和哉を不気味な存在として、徐々に遠ざかっていった。和哉より2歳年上のケイは、サーフィンを始めてから9年になる。兄の影響を受け、初めてサーフィンをしたのは高校2年の時だった。何事にも移り気なケイは、それまでスイミングクラブに通っていた以外長続きしたものはなかった。そのスイミングも選手になるとか、記録などにはまるで興味がなく、そんなことは無縁の世界だと思っていた。ただ水と同化することが、最高に楽しかっただけだったのだ。そんなケイだから、サーフィンにはまるまで時間はかからなかった。ケイ自身も不思議に思うくらいサーフィンに惹かれていった。「この海岸いいな」ぽつりと和哉は言った。言ってはみたものの、自分でもなぜなのかは解らなかった。ケイと出会ってから、九十九里をはじめ勝浦、鴨川、または西湘の海にも入っている。どこへ行っても、このような感じを受けた事はなかった。和哉はこの海岸だけに抱いた、不思議な気持ちだった。「へー、そうなんだ。今までいろいろな海に入ったけど初めてね、そんなこと言ったの。感想もなにも無かったものね。ここはね、鵠沼よ。そうね、ここは景観が最高にいいかな。私の中ではね、ここが一番『湘南』というイメージに近い気がするな。でも今日はあまり波が無いし、和哉にはどうかなと思っていたんだけど、来てよかった…でもさっき言っていた景色って、江の島?それとも海岸線、もしかして富士山かしら」「気のせいかもしれないから、もういいよ」和哉はくどくど聞くなとでも言いたげな口調で応えた。「そうよね、好きならそれだけで、理由なんていらない。『好き』は感じるものだものね」ケイはその言葉を口にしたあと、それは自分に向けた言葉だったと気が付いた。そう自分自身の納得のために。 風が少し強くなってきた。富士も完全に雲の中に隠れてしまった。時折風に乗った砂が和哉の頬を指した。和哉は瞬きもせず、ただ一点をぼんやりと見つめていた。波打ち際では若い母親と幼い娘が砂遊びをしていた。小さなシャベルでお城のようなものを作っていた。波が来ては崩れ、また二人で砂を積む。それは浜辺によくある光景だ。しかし和哉には、ガラス越しに見るような感覚だった。実感のわかない遠いものであるような気がした。まるでこの二人だけに与えられた、特別な時間と空間。外界とは隔絶された、二人だけの世界に入っているような感じに見えていた。ケイは和哉の視線が、波待ちするサーファーや波に向いていないことに気が付いていた。その和哉の心を探るように口を開いた。「いい気持ちね、海ってただ居るだけで良いのかもしれない。波乗りしない海って和哉はどう?」しばらくは何も反応がなかった。ケイの視線もぼんやりと波間に注がれていた。「俺はいつも波に挑んでいるつもりだ。そのために海に来ている。今日だってそのつもりだった。海は俺にとってそうゆう対象でしかないよ」長かったのか、短かったのか、ケイからの問いに対して、和哉から答えが返ってきた。「和哉どうかしているよ、いつも『俺は仕事でも波乗りでも一番になりたい』とか言って目を吊り上げちゃてさ、波乗りは私にとっては遊びよ。勝負事でもなんでもない。ましてや仕事とは別物だわ、人によっては、人生そのものって言う人もいるかもしれないけど」「俺は子供の頃からいつも誰かと競っていた。だからと言って打ち込みたいものは見つからなかった。だから高校時代はバイクにはまった、次は車。でも…今思えばどれも楽しいと思ったことはなかった」「だから海では楽しめばいいじゃない。私、和哉の楽しそうなところを見たことが無い。なんだかいつも寂しそうな目だし、それに海を感じて無いよ、この風を感じて無いよ、この太陽だってさ」ケイは悲しげな視線を和哉に送った。しかし和哉の心はここには無かった。視線をケイに向けることもなく、ただぼんやりとしていた。<第一夜 “秋の風” 3へ続く…>
2005年06月28日
私は物書きです。今日から十五夜連続で、小説を連載します。このブログは、数少ない私の表現の場です。講演をする機会もあります。グラウンドでボールを追うこともあります。でも、書くこと、その中に自分を表現したいのです。物語の中に存在感を得たいと思っています。そして思いを共有したいと思っています。それが私の夢なのです。さて、この物語の舞台は湘南の鵠沼です。第一夜の幕開けです。小説 オータム~未来への風が吹く~“秋の風”の章軽い潮風が二人を包んだ。肌を刺した日差しは、もう無い。あのギラギラとした太陽は、記憶の彼方に消えてしまった。また季節が変わった。二人が出会ってから、すでに二つが過ぎた。春と夏と、そして今、五体に感じるものすべてが秋だった。和哉は初めて訪れたこの海岸に、自分の中に眠る何かが、ふと呼び覚まされた気がしていた。その「何か」とはなんなのだろうか、和哉は記憶の海を彷徨うように、視線を遠くに泳がせた。自分に問うてみたが答えは無かった。『写真、いやテレビや映画の一場面で見たことがあるのかな』和哉の心の深い部分では、確かに何かを感じたような気がしたが、気のせいなのかと思い直し、横にいるケイに視線を戻した。「完全に秋ね、あと何回海に入れるかな…、あらどうしたの、何か、変よ」「俺この景色見たことがあるような気がして…」「何言っているの、この辺はね、日本で一番人気のある海岸よ。テレビでも雑誌でもよく載っているからじゃないの」「そうかな、いや、そうじゃない。そんな単純な理由じゃない気がする。でも、まあいい、それならスッキリする。今の答えだけどな、俺は波乗り始めたばかりだから、秋だろうが冬だろうが関係無い。」「和哉はまた『俺は人より遅く始めたから、ガンガンやらないと追いつけねえ』ってセリフでしょ。ねぇいい、波乗りはね競争じゃないのよ、自然と戯れて楽しめばいいの。はは…とか言って私も覚えたての頃は、真冬でも入っていたっけ。ごめんね、私は木枯らしの季節は、ちょっと海お休みするから」「なんだ、海入らないのか…」「そうね、そのあいだはプールとジョギングかな、あっ、わかった!私が一緒じゃないと寂しいんでしょ」悪戯っぽい仕草で和哉の顔を覗き込んだ。そんな時のケイは魅力的だ。しかし、和哉はケイの明るさとは対照的だった。和哉に反応は無かった、ケイに視線を移すこともなかった。「何か言ってよ」「…」風は南風。流れる雲から、富士が頭だけを見せていた。目の前には、夏の残り香に包まれた江の島も浮かんでいた。海岸沿い左手には、真っ黒な塊があった。それは、一列に並んだライフセーバーたちだった。日焼けした肉体はホイッスルとともに躍動した。レスキューボードを抱えて波間へ走るその姿は、どれも生命の輝きに満ちていた。平日とはいえ、ここ引地川の河口付近には、かなりの人数のサーファーが波待ちしていた。きょうは波のサイズが小さいせいか、あまりエキサイティングな光景ではない。こんな日はロングボーダーがわがもの顔だ。白井和哉と椿ケイは、ウエットスーツのまま、しばらく波待ちしているサーファーを眺めていた。いつもなら波があろうがあるまいが、和哉は『時間がもったいねえ』と言って、ストレッチもそこそこに波間に勢いよく体を乗り入れている。しかし今日の和哉は、いつもと少し違っていた。ケイはそんな和哉を不思議そうに眺めていた。「珍しいね、こんな和哉。いつもなら飛び込んでいるのに」「ああ、今日はいいんだ。何がいいんだかよくわからないが、今日はこうしていたい気分なんだ。さっき言ったこともさ、そうかなって思って、なんだか不思議な気持ちなんだ」「そう、それなら私もつきあうわ、和哉にこんな日があってもいいよね。でもさっき言ったことって『この景色見たことがあるような…』のこと?」南風に流された雲が、二人を越えていく。この日の空も、豊かな表情をしていた。青みを増した空とのコントラストが、秋らしさを強調していた。時折吹く強い南風がケイの頬を撫でた。ケイはキラキラと反射する波間から、和哉に視線を移し問いかけた。しかし和哉は応えるつもりがないようだった。いや、そうではない、ケイの問いそのものが意識に届いていなかったようだ。ケイは砂浜に腰を下ろした。背中のファスナーを少し下げてから、『ゴクリ』と音を立て、ミネラルウォーターを喉に流しこんだ。「和哉、前にこの浜に来たことあるんじゃないの」「水もらっていいか」会話がかみ合わないのはいつものことだ。和哉と付き合うには、そんなこと気にしてはいられなかった。「どうぞ」と言ってケイは、ボトルを和哉に向かって軽く放り投げた。和哉も勢いよく喉の奥に流し込んでみたが、ケイのようにはいかなかった。「ケイみたいに『ゴクリ』なんて音しないな」和哉は笑いもせずに言った。「へー、嬉しいな、和哉にそんなところあったんだ。」和哉はほんの少しケイのマネをしてみただけだ。しかしケイにとっては和哉の意外な一面を見た思いがした。和哉は今まで、気が向いたとき意外は、ほとんど口を開かないような男だった。ましてやケイの飲み方をマネしようなんて。「そんなところってどこだよ。なんで嬉しいんだよ。これくらいのこと」和哉はささいなことで機嫌が悪くなることがある。それは話題が自分に向けられた時だ。自分のこととなると過敏に反応するらしい。「理由はどうだっていいでしょ。嬉しいと感じたからそう言ってみただけよ。悪い?」「変な女だな。変わっている」「変わっているとか、変な女、なんて言う時は、もっと明るく言ってよ。傷つくでしょ」とケイは笑って、ことさら大きな声で和哉に返した。<第一夜 “秋の風” 2へ続く…>
2005年06月28日
全5件 (5件中 1-5件目)
1
![]()

