2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全41件 (41件中 1-41件目)
1

心に残り言葉「人は心構えを変えることによって人生を変えることができる。 これはわれわれの時代の最大の発見である。」(アメリカの心理学者・哲学者の言葉より)最近よく聞く「願うだけで、どうした、こうした…」みたいなのとは違う意味なんでしょうね。そう感じます。心構えが変われば、日々の過ごし方が変わる。日々の過ごし方が変われば、自ずと人生が変わるということでしょう。人間は一朝一夕にどうなるものではありません。シンデレラじゃあるまいし。やっぱり人は、動いて、汗かいて、笑って、涙して、祈って一日を感謝しながら、明日を夢見て生きる。シンプルですが、ひた向きにいきたいと思います。追伸私のもうひとつのブログ「ノーサイド「大元よしき」二本目ラガーマンの挑戦!」が今夜開設1周年になりました。多くの方々にコメントやトラックバックをいただきました。皆様、大変お世話になりました。ありがとうございました。どうぞそちらにもお越し下さいますようお願い申し上げます。こちらもよろしければお願いします。いつもありがとうございます!
2005年08月31日

いま順調なヤツから見ればさぞかし可笑しかろう。でかい組織のヤツから見れば可笑しかろう。あたりまえだよな、それが人だもの。でもね、小さくても、みっともなくても一生懸命生きてるって美しいことだと思うよ。一生懸命ということは、それだけでも尊いものだと思うよ。それに不器用さが加われば、その魅力は鬼に金棒だ。社会には必ず栄枯盛衰がある。形あるものは必ず滅する。それは歴史が証明しているよ。だからチャンスは必ずある。心に残る言葉「万事は辛抱強く待っている者のところにやってくる。」風向きは変わるから、少し待ってみようよ。いつもありがとうございます!
2005年08月30日

「どこまでも自分の道を求めて追うてやがて斃れるべきである。」(大正の作家 葛西善蔵の言葉より)そうなれたら人生って幸せなんだろうなと思います。実際にはそこに至る前に、その道が信じられなくなったり、諦めたりするものです。さて、人間には生理的限界と精神的限界があるそうです。生理的な限界のはるか前に、精神的限界が訪れるようです。ということは、「ああぁ、もうだめだ」と感じても実際にはもっと強い自分がいるということです。自分のポテンシャルは自分が思っている以上に高いのです。これは肉体的な能力(体力)についてのことです。人がこの世に生まれ、何かを成し遂げる力のことではありません。けれど、同じようなことが言えるのではないでしょうか。「ああぁ、もうだめだ」と早い段階に諦めてはいないでしょうか。「まだまだ」と苦しい時に自分を鼓舞して踏ん張れるでしょうか。きっと大勢の人が心理的限界のところで壁にぶち当たっているのではないでしょうか。ここでただ「ガンバレ、踏ん張れ」では説得力がありませんので、松下幸之助さんの言葉から、今日の言葉に相応しいものを見つけましたので掲載しておきます。「成功している人は、みな途中であまり道を変えていない。いろいろ な困難があっても志を失わず、最後までやり遂げた人が概して成功 しているのである。」この最後までというところが大事なんです。こんなこと(偉そうなと言う意味です)を書いておりますが、これは全て自分に言い聞かせるために日々書き綴っているものです。けれど、この記事を読んだどなたかが、何かを感じていただけたら嬉しいなと思います。いつもありがとうございます!
2005年08月29日

今日の言葉として、「理想は一人の青年の夢想ではなく、また単なる抽象的 観念でもなく、われわれの生活を貫いて、いかなる 日常の行動にも必ず現実の力となって働くものである」(元東大総長の言葉より)私は会社員として19年間過ごしました。その間、二つの会社でラグビー部に在籍しました。新卒で入社した会社では選手として、20歳代後半で転職してからは、チームスタッフとして創部に関わりました。その後6年かかって、当初の目標を達したため高校時代から17年間ともに歩んだラグビーから離れ、また転職しました。その後は朝から深夜まで仕事三昧の生活を送りました。しかし、4年間に3回も合併をするという外資系IT企業に身を置いたため、自分の理想とするものを見失い、海図の無い航海のような気持ちを味わいました。医者からは「こんな生活をしていたら3年ももたないだろう」と言われたこともありました。年上の社員の方をリストラしたこともありました。また、二人の若い部下をリストラできずに、自分を含めて部署ごとリストラしたこともありました。自分の描いたビジョンも合併の荒波に砕け散り、若い部下たちもさぞや不安だったことでしょう。また、自分自身も信じる道を失い、希望すらなくなってしまいました。そして、一大決心をして会社員を辞め、道を求めました。それが作家道です。若い頃から「いつかは」と思っていたことですので思いつきではありません。その機会が訪れたと感じたわけです。それからです、錆と贅肉のつききった心をそぎ落として、理想とする姿を見出しました。しかし、会社員とは違って不安感は言葉にはできません。これも自分が選んだ道として心を鼓舞している毎日です。不安感を持つなんてこと事態が没頭していない証拠です。三昧の境地に入っていない証拠です。もっと心の修行が必要だと痛感しています。さて、作家道の延長線上にある夢もあります。いま準備を進めている「イーブック・アスリート」がそれです。はじめは小さく生んで、大きく育てたいと思っております。これが自分に与えられた使命であるとも思っております。海図の無い航海から数年が経ちました。いまは海に独りボートで漕ぎ出すような心持です。この先は穏やかな航海なのか、または荒波が待ち受けているのかもちろん、そのどちらもあるでしょう。しかし、不撓不屈の心と感謝の気持ちで乗り越えていきたいと思っております。人生にYESと言うために。いつもありがとうございます!
2005年08月28日

先日日本のトヨタ自動車がイングランドの名門チームに勝利した。その余韻なのか、今回もラグビーについて語りたくなった。日本ラグビーの歴史は世界への挑戦の歴史である。そのいち挑戦者が、ラグビー母国の名門を撃破したことは尊い。以前にも触れたことがあるが、再度ラグビーについて触れてみたい。ラグビーは体をぶつけ合う競技だ。もちろんボールゲームであるが、格闘要素が強い。基本的には一つのボールを両チーム30名のプレーヤーが奪い合い、相手ゴールにトライ、もしくはドロップゴール、ペナルティゴールで得点を競うというものだ。パス、キック、ランニング、当たる、組む、飛ぶ、ラグビーにはいろいろな要素がある。五体をフルに使うことによって、様々な感覚が養われる。体をぶつけ合うことによって痛みを知り、肉体の接点に「生きている」ことを実感する。発散する汗の匂いや、息遣いを通し、熱くたぎる血や思いを感じる。土や芝の匂い、汗や涙や血の味もある。それはまさしく、強烈に「生きている=命」を感じる瞬間なのである。苦しいときは励まし合い、敵味方に分かれた時は、知力、体力、精神力の限りを尽くす。痛く、苦しく、激しい競技の中で、自分の心を強く育て、プレーに責任を持つことを学び、その尊さを知る。また、フェアプレーとは何か、信頼感とは何かを、競い合いの中から学ぶのである。何も戦いは周りばかりだけではない、本当に苦しいのは、弱い自分と向き合う時である。苦しい時、あと一歩を楽してしまう。また、相手の強烈な突進に、タックルを躊躇してしまう。一人になったとき、弱い心との戦いが待っている。現実の自分を見ることの残酷さは、言葉には形容できない。弱さを認め、その「一歩」を克服するとき、心の成長があり、磨かれるのである。体の大きい者、小さい者、走力のある者、筋力の強い者、ラグビーにはいろいろな能力や性格に応じてポジションがある。それがラグビーの奥深さでもあり、魅力のあるところだ。私は講演でこんなことを語っている。子どもたちに自信を持ってすすめたい競技だから。私はラグビーが好きだ。ラグビーに出会えたことに感謝したい。そのラグビーシーズン(トップリーグ)が9月17日から開幕する。今年も楽しませてくれることだろう。一度でも秩父宮、花園などの聖地で見たならば、誰をも魅了するスポーツであることは間違いない。読者のみなさん、一度ラグビー観戦の機会を作ってはいかがだろうか。人に乾杯!青春に乾杯!人生に乾杯!「イーブック・アスリート」9月気合でオープン!☆ブログランキングに参戦しています。 皆様の応援が明日への力となります。 いつもありがとうございます!
2005年08月26日

「人の一生は重き荷を負いて、遠き道を行くがごとし 急ぐべからず、不自由を常と思えば不足なし!」これは徳川家康の遺訓です。使い古されているかもしれません。しかし、時代遅れでしょうか、そんなことはありません。現代にも活かされるべき言葉だと感じます。もちろん戦国時代よりも全ての点でスピードが違います。しかし、人が人である以上時間を掛けて磨くことによって、幅、深み、味わいが出てくるのではないでしょうか。目先の勝ちにこだわることも大事ですが、先を見つめじっくりと磨きをかけることも大事だと思います。先に行く人は行かせればいいのです。自分は自分のペースでじっくりと行きましょう。今夜はちとゆっくり行きたい気分でした。人に乾杯!青春に乾杯!人生に乾杯!「イーブック・アスリート」9月気合でオープン!☆ブログランキングに参加しています。 皆様の応援が明日への力となります!いつもありがとうございます。
2005年08月25日

昨夜のトヨタVSニューカッスルファルコンズ戦は、久々にラグビーにしびれた。結果は29対24でトヨタ勝利!前半開始早々から力の入る試合だった。ティアティア、フラベルのパワフルプレーや、セコベの華麗なランニング、そしてアイイの摩訶不思議な異次元プレーなどトヨタは強烈な個性を見せ付けた。おっといけない、活躍したのはなにも外人選手だけではない。まずは、強さも上手さも兼ね添えた赤沼だ、この人随所に光っていた。ディフェンスもアタックも存在感が違っていた。そしてウイング遠藤の動きも外人顔負けのダイナミックさがあった。前半パントを競り合って1本トライを奪われたが、そのお返しは見事おつりをつけてやったくらい気持ちがいい。フラベル、ティアティアの抜けた後のファワードも真っ向勝負で強さを見せていた。活躍した選手は書ききれない。昨夜のトヨタは気持ちが負けていなかったのだろう。常に攻撃的な動きで相手を制した。ありがとう、テレビではあるが楽しませてもらった。ラグビーの魅力溢れる試合だった。来月からトップリーグが始まるが、昨夜のようにワクワクするような試合を期待したい。今年はトヨタの試合も楽しみだ。☆ブログランキングに参加しています。 応援よろしくお願いします!いつもありがとうございます。
2005年08月24日

「人は大きな目標をもって、自ずから、大きくなる。」(シラー)先日ここに紹介した三洋電機創始者の井植歳男さんの言葉と通じている。再度記してみよう。「小さいことを考えていると、人柄も小さくなってしまう。 大きなことばかり考えていれば大きくなる。」想像から創造が生まれる。しかし想像だけでは何も生まれない。想像からいかに創造するか、その過程でさえも想像と創造の産物なのである。人は何よりも思うことが大事なようだ。能書きだけアタマに植えつけるよりも、まずは楽しく快適で人の役に立つことを思い描こう。そう絶対にみんなが楽しいヤツをだ。☆応援よろしくお願いします!「よし、いいと」とおっしゃる方があれば、 クリックをお願いします。いつもありがとうございます。
2005年08月24日

「夢見る力のない者は、生きる力もない」(ドイツ劇作家の言葉)私もそう思っている。人は私に「勝算は?」と聞く、しかし私は「そんなもん知らん!」と応えている。そんな人は、他人の心配するよりも、自分の心配をしたほうがいい。先のことばかり考え、そして躊躇し何も始めずにいる。そのうちに年をとり、人のことを羨むだけの人となる。私はそうなりたくない。自分の半生を振り返ったとき、不完全燃焼の思いばかりだった。だから「この先どうしよう」「やりたかったら」「やったらいい」と自分なりに結論を出したのだ。勇気を出して会社を辞めて、自分の道を歩み始めた。苦しいときもある、不安で眠れないときもある。誰にも相談できずに独り座禅を組むこともある。でも、この道は間違っていないと確信がある。あとは、ゆっくりでもいいから進むだけだ。でもさ、消極的には行きたくないな。「小さいことを考えていると、人柄も小さくなってしまう。 大きなことばかり考えていれば大きくなる」(三洋電機創始者)の言葉を胸にでっかく行こう!人に乾杯!人生に乾杯!☆ブログランキングに参加しています。 応援よろしくお願いします。
2005年08月22日

NECグリーンロケッツ 対 ニューカッスルファルコンズ戦、シーズン前のこの夏最大の楽しみだった。ファルコンズといえば、ジョニー・ウィルキンソンだが、この試合は欠場。まずこの時点で主役のいない舞台を見るような感覚に、そして6-73という結果に世界との差を知り、帰り道は無言になってしまった。息子や、その同級生を連れて行ったが、彼らの目にはラグビーがどう映っていたのだろう。ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願い申し上げます。ありがとうございます!
2005年08月21日

おっといけねぇ、ここのところ毎日深夜まで仕事が続いているからか、少々疲れている。そんな時、ふと弱気になることがある。できるかな、もしかして…などと、思いが湧いてくることもある。くそ喰らえ、そんなこと考えている暇があれば、突っ走れ。走れなければ歩け、歩けなければ這って行け、行くと決めた以上、ただ行くだけだ。俺にあるのはこの道だけだ。「人間、志を立てるのに遅すぎるということはない。」(イギリスの政治家の言葉より)もうひとつ「人間は何をするにも「何々キチガイ」と言われるくら にならなければ、なにもできない。」(大正時代の教育家の言葉より)よっしゃ!まさにその通り。いつまでもでかい夢を持ち続けようぜ。青春に乾杯!人に乾杯!ブログランキング応援よろしくお願いします。
2005年08月20日

明日は「NEC 対 ニューカッスルファルコンズ」真夏の決戦だ。このニュースを初めて聞いたとき、まだまだ先のこと、夏の終わりかと思っていたが、とうとう明日に迫った。ファルコンズといえば、あのジョニー・ウィルキンソンだ。「世界一のフライハーフ」、「惑星最高のスタンドオフ」との冠がついているとのこと。ベッカムと並ぶほどの人気だとは聞いたことがあるが、「惑星最高~」の例えには驚いた。(これは何かにパクレそうだ。)と思っていたら、先発メンバーには入っていないとのこと…残念。もちろんイングランドの名門チーム、彼以外にもスター選手が揃っている。その名門に対するは、日本の王者NECグリーンロケッツだ。日本のラグビーは常に世界へのチャレンジだ。激しくひた向きなプレーを見せてほしい。いや、きっと見せてくれることでしょう。さて、明日は子どもたちを連れ、NECグリーンロケッツを応援に行きます。国立の夜空に大輪の華を咲かせてほしいと願っています。雄々しい姿を見せてください。期待しています。☆ブログランキングに参加しています。「よし、応援してやろう!」という方はクリックをお願いします。 こちらです。 いつもありがとうございます!
2005年08月19日

いま「バー」をキワードにエッセイ風ショートを描いている。ふと窓の外を見上げると月が輝いている。とても綺麗だ。月の美しさは人を素直な気持ちに誘ってくれる。古来よりどれだけの人間がこの月を見てきたのだろう。いつの時代にも変わらぬ姿で輝き続ける月。人はなんと儚い生き物なのだろうと感じる。だからこそ尊いんだよね。人に乾杯!青春に乾杯!みんな、今夜もいい夢をみようよ。
2005年08月18日

「人生は石材である。これで神の姿を彫刻しよと、 悪魔の姿を彫刻しようと、各人の心のままである。」(イギリスの詩人の言葉より)なるほどと納得する言葉ですね。本人の心のありようが日々の生活に表れる。その日々の生活の積み重ねが人生になる。あまり考えすぎると人生は面白みの無いものになりますが、あまり「自分が、自分が」の考えに固まらず、少し他の人にも心配れる余裕があるだけでも違ってくると思います。先日仕事中の打合せで、いい年のそれなりの地位の方が「くれ、くれ、くれー」と醜悪な顔を見せてくれました(笑)。他のヤツはいい、俺だけが欲しいんだ!そんな顔でした。上の言葉に当てはまれば、その人は妖怪を刻んでいるようなものでしょうか?いやはや年は綺麗にとりたいものですね。☆ブログランキングに参加しております。「よし!、応援してやろう」という方はぜひお願いします。 こちらをクリックしてください。
2005年08月18日

私のブログも少しずつ訪れる方が増えてまいりました。深く感謝申し上げます。さて、私は二つのブログを持っております。ひとつはこれです。もうひとつは「ノーサイド「大元よしき」二本目ラガーマンの挑戦! 」といいます。私は元ラガーマンですが、長い間控えとして悔しい思いをしてきました。チームは強かったのですが、私個人には栄光も実績もありません。なので、人生半分過ぎた今、このままでは終わらせんとの思いが強くなっています。他の人からみれば、なんだそれくらいのことでとお考えになるかもしれませんが、多感な少年期に植えつけてしまった心はなかなか拭いきれません。人生では必ず一本目(ラグビーで言うレギュラー)になると決意しました。いままでは、「ノーサイド~」は日記だったのですが、毎日ひとつの学びを得るために、勝利の礎というタイトルで、日々更新することにいましました。基本的には歴史上の人物の言葉から、その意味を紐解いて書き綴っております。どうぞこちらにもお越しいただければ幸いに存じます。毎日今日の言葉(学び)を厳選しております。☆誰にだって、どんな人にだってドラマがある。 人生に、青春に乾杯!「イーブック・アスリート」9月にオープン!☆ブログランキングに参加しております。「よし!、応援してやろう」という方はぜひお願いします。 こちらをクリックしてください。
2005年08月17日

今の自分にはまだできていないし、なりたい自分とはほど遠いと思う。でも、将来はこうなりたい、ああなりたいと思い描く理想像はある。ある本で読んだが、「理想はわれわれ自身の中にある。同時にその達成に 対する障害もまた、われわれ自身の中にある。」(イギリスの思想家の言葉より)過去を振り返れば、「もっともだ」とうなずける。今の自分を作ったのは自分自身である。そんな当たり前のことと切り捨てずに、「はっ」としよう。今ここ、この瞬間にどう感じるかが大事なのだ。理想は逃げやしない。だから追うだけだ。しかし諦めた瞬間に可能性はゼロになる。さぁどう感じるかだ。☆誰にだって、どんな人にだってドラマがある。 人生に、青春に乾杯!「イーブック・アスリート」9月にオープン!☆ブログランキングに参加しております。「よし!、応援してやろう」という方はぜひお願いします。 こちらをクリックしてください。
2005年08月17日

私にとって「イーブック・アスリート」とは、自分自身のようなものです。私の会社(株)パッションキッズの事業としては最初のものです。志は高いですが、なにぶん未熟者です。至らない点は走りながら修正をしてまいります。「気宇壮大」「不撓不屈」の心で取り組みます。イーブック・アスリートとは?「イーブック・アスリート」は、新しいスポーツ文化を創造・支援するためのスポーツ専門電子書店です。スポーツは頂点を目指し競い合うものから、心や体の健康や育成のためなど、幅広く人生や生活に彩を与えてくれるものです。また、スポーツは応援して楽しみ、感動し、そして共有することで、さらなる感動を生むという側面も持っています。現代社会は、インターネットを通じ誰もが考えや思いを発信できる時代になりました。この「イーブック・アスリート」では、従来の出版という一方通行の概念を超え、情報の発信と受信との隔たりを無くし「楽しむ」「共有する」ためのスポーツ関連専門の電子書店を目指しています。スポーツで元気な社会を築きましょう。オープンは9月です。第1フェーズとして立ち上げます。はじめはシンプルですが、まず初めの一歩を踏み出します。いつか広く多くの方々に愛されるサイトを目指しております。―大元よしき―☆ブログランキングに参加しております。「よし!、応援してやろう」という方はぜひお願いします。こちらをクリックしてください。
2005年08月16日

私は元ラガーマンです。高校時代は花園に2年連続で出場しました。大昔は名門、強豪と呼ばれたチームでした。しかし、私は控えです。人に誇れる栄光も実績もありません。しかし、あのとき「ラグビーをやったな」という思い出があります。私と同じポジションだった男は、日本高校代表候補の最終選考まで残ったヤツです。ラグビーマガジンにも掲載されました。「その友人と私が仲が良いことが不思議だ」よく他のチームのラグビー仲間に言われます。普通は同じポジションを競い合った者同士、ある種の絆はあれど、友情で結ばれることはなかなか無いそうです。それは優劣がハッキリと、厳しいまでにつくからです。それを聞いた時、それこそ不思議な思いを抱きましたが、言われてみればそうかもしれません。しかし、一生懸命にやった結果のことです。それで人間そのものに優劣が出来たわけではありません。あとは「ノーサイド」の心があるだけです。卒業してお互い別の大学に進学しましたが、その大学との試合はまた楽しいものでした。シーズンオフにはいっしょにサーフィンをしました。今でもよく酒を飲みます。思い返せば、いつでもヤツがいました。くそ暑い夏の日にも、凍てつく真冬の練習にも、ヤツは激しくプレーをしていました。先日のこと、ヤツに初めての男の子が生まれました。子どもをあやす笑顔は最高でした。カミさん同士も同級生なので、ヤツの家族とは特別な関係です。悔しくて夜布団を噛み千切ったこともありましたが、いまではすべて思い出になっています。青春のある時期、一生懸命に戦いあった仲間がいることは人生に大事なことかもしれません。私はヤツのお陰で磨かれたと思っています。そんなラグビーの思い出です。☆人生に、青春に乾杯!「イーブック・アスリート」9月にオープン!☆ブログランキングに参加しております。「よし!、応援してやろう」という方はぜひお願いします。こちらをクリックしてください。
2005年08月15日

先が見えない。ゴールラインに向かって進んでいるのだろうか。遥か彼方に、どこまでも向こうにあるような気はする。いや、待て、この道が本当にゴールへ続いているのか、それさえ確信は無い。真っ暗闇、いや、そうじゃない。光はずっとずっと向こうに見えている気がする。やっと暗闇から抜け出せたような、そんな気がする。ならば何を考えている。何を躊躇している。いま目の前のことに集中できずに、あの光に手が届くのか。いまここをやらずして、先の勝利はあるのか。真っ直ぐにやるんだよ。ただ一生懸命に。いまを信じてやるだけなんだよ。それは自分を信じることなんだから。(2004年9月のノーサイド「大元よしき」二本目ラガーマンの挑戦!より)人はみんな一度はこんな思いや、葛藤をするものかもしれない。深く考えずに、一気に進んでしまう人もいるだろう。じっくり考えてから一歩一歩着実に歩む人もいるだろう。どちらにしても、初めの一歩を進まないことには何も生まれない。動きながら、修正したっていい、間違ったと思えばやり直せばいい。それを楽しめるようになれば本物だ。<今日の言葉>「すべての人は自己の運命の創造者である」(イギリスの劇作家の言葉より)ブログランキングに参加しております。「よし!、応援してやろう」という方はぜひお願いします。こちらをクリックしてください。
2005年08月15日

昨夜の怒りがまだ残っていた。工房で仕事に向かおうにもこの熱さだ。正直言ってアタマにきた。「夏に負けてたまるか、おまえよりも俺のほうが熱いぜ!」と夏に向かって吼えてみた。午後1時一番暑いさなかに、ウォーキングにでた。夏と俺との勝負だ。汗はダラダラと流れ落ちて目にしみる。ちきしょう!まだだまだ!もう昨日の怒りもアタマにない。ただあるのは、この時間の中に私がいるだけだ。一人になれば、いつものごとく心は落ち着く。怒りはすべてなくなり、夏より暑い闘志が湧いてきた。もちろんこの闘志は仕事に対してであり、人生に対してである。「闘志無き者去れ!闘志無き者去れ!闘志無き者去れ!」わが母校ラグビー部の教えを何度も口にしてみる。☆どんな人にもドラマがある。 俺の人生に栄光は無かった。俺は誰からも振り向かれなかった。 しかし、こんな俺にだってドラマがあった。 心には大事な宝物ができた。 青春に感謝したい!「イーブック・アスリート」9月にオープン!☆ブログランキングに参加しております。「よーし!、応援してやろう」という方はぜひお願いします。 こちらをクリックしてください。
2005年08月14日

祝い事があって、嬉しいこともあった。しかし、その直後あまりの理不尽さに猛り狂ったりもした。私が元々持っている、激しい気性が今日は出てしまった。若い頃と違って、猛るにもパワーがいる。みんな何かを我慢して生きてんじゃないのか。自分ばかりが我慢してんじゃないだろうが。そうだろ。そんなんがわからんのか。雨音が心地良い。しかし、いま私の心は思いっきり虚しいよ。明日は気持ちよく生きよう。すみません、今夜は落ち込んでいますがよろしくお願いします。こんなお願いのしかたいけませんね。
2005年08月13日

私の幼い頃の記憶は、常に雨か重苦しい鉛色の空ばかりである。実際にはそんなはずは無い。雨、鉛色の空、それは、私の心の色を映し出しただけなのである。長じてからはラグビーと出会い、心の中もずいぶんと鍛えられたものである。振り向けば、いつも弱い心との戦いだった。いやっ、今も弱い心との戦いだ。老子に「人に勝つものは力有り、自らに勝つものは強し」とある。精神的な強さこそが、自分を高めてくれるのだとある。人生は戦いの連続である。それは人との戦いも当然ある、しかし、人と戦う前には、必ず自分との戦いがある。人には強い心も弱い心もある、もっと言えば心に渦巻く欲望の塊とも言える、多面的な生物である。さて、その弱い心を奮い立たせ、欲望どもをけちらし、夢というゴールを目指すのである。ラガーマンは闘志という鎧を全身にまとい、大事なボールのために身を挺して戦うのである。人生の戦いも同じだ。夢はボールと同じだ、奪われてはならない。弱い心は頭をもたげ、欲望どもは時に激しく、時に甘美な囁きとなって心を挫きにくる。いま自陣ゴール前スクラムのような気持ちだ。ゴールは、欲望どもの遥か後方にある。できることは、この瞬間のワンプッシュ。そして次のワンプッシュ。いまこの確実な一歩がゴールに繋がっていると信じる。「闘志無き者去れ!」「徹頭徹尾押しまくれ!」我が師、新井隆吉先生の怒声が聞こえてくるようである。(関係者しかわかりませんね)しかし、この文面だけを読むと、実際の私とは程遠い人物を想像されてしまいそうです。本人いたって柔和な感じだと思っております。それにかなり涙もろいです。☆元ラガーマンの心の叫び!「イーブック・アスリート」9月にオープン!☆ブログランキングに参加しております。「よーし!、応援してやろう」という方はぜひお願いします。こちらをクリックしてください。
2005年08月12日

ノーサイド「大元よしき」二本目ラガーマンの挑戦! に3月の記事にこんなことを書いています。この言葉は自分に向けた言葉ですが、これを読んでくれた誰かの心にも響いてくれればと思って載せようと思いました。挑戦!では「勝算は?そんなもん「わからん」 というタイトルです。きょう久しぶりに良い言葉に出会った。『大事をなすには、坂道で車を押す心構えがなければならぬ。 いったん押しはじめたならば、腕が折れようと脚が萎えようと、 息もつかずに押しまくらなければ、車はかえってわが身の上 にのしかかってくるものだ』 「戦乱の夢」司馬遼太郎私は学生の頃から司馬遼太郎さんの小説に魅せられている。この文章にであったのは、どれくらい前なのだろうか?遠い記憶である。実はきょう古い本を整理しているとき、たまたま目にした文章なのだ。当時よりも、いまの私のほうがこの文章を欲しているんだな、きっと。私は19年間のサラリーマン生活にピリオドを打ち、ゴールの見えない勝負に出た。気分は自陣ゴール前スクラム。もちろん相手ボール。そんな気分なんだ。このワンプッシュ、また次のワンプッシュ。ピンチは押しまくって脱したい。勝算は?と聞かれ、なんど「わからん!」と答えたことだろう。ただ、私にあるのは「意志あるところ必ず道あり!」の教えと、私の信じる「未来は自分で創るものなんだ!」の信念だけである。いいじゃないか、それだけで。まずはやってみよう。行動してみよう。動き出すことが大事なのである。動く前に考えすぎて、動けなくなるよりもずっといい。時間は戻らないんだ。いまを大切に生きていこう。(2005年3月の記事より)坂道を押しあがるとは上手く例えましたね、実は私がいま同じ心境です。恐怖にも似た気持ちで、朝まで眠れないこともありました。まんじりともせず天井を見上げて夜が明けてしまったのです。しかし、そんな日ばかりではありません。心がはやってしまって、逆の意味で眠れないこともあるのです。すべては、自分の心しだいで自分の立場も変わり、世の見え方も変わるということです。明日は知れぬ我が身なのですから、明日の心配に縛られたくはありませんね、それよりも、今を一生懸命に生きる努力をしたいと思っております。なんて言いながら、明日におびえる大元かもしれませんが、常にそうありたいとは思っております。☆お知らせ私にとっては大切な思いの形です。いま坂道を押しあがっています。それがスポーツ専門電子書店「イーブック・アスリート」です。9月気合でオープン!ブログランキングに参加しております。「よし!、応援したやろう」という方はぜひお願いします。こちらをクリックしてください。
2005年08月12日

今日はこちらにも書いておこうと思います。ノーサイド「大元よしき」二本目ラガーマンの挑戦!にも同じ記事を掲載しています。JRSで「RWCカウントダウン キャンペーン」なるものをやっています。8/10から「WC開催地決定まで あと100日 署名にご協力ください。」みたいな内容でブログキャンペーンを広げようとお誘いいただいておりました。しかし、今日だとばっかり勘違いをしておりましたので、出遅れてしまったようです。さて、それでは私なりにキャンペーンに参加しましょう。昔書いたものなどを引用してみました。「ぜひ署名活動にご協力下さい。⇒チャレンジ2011サポーターズウエブサイト」私が考えるラグビーとは、ラグビーは体をぶつけ合う競技だ。もちろんボールゲームであるが、格闘要素が強い。基本的には一つのボールを両チーム30名のプレーヤーが奪い合い、相手ゴールにトライ、もしくはドロップゴール、ペナルティゴールで得点を競うというものだ。パス、キック、ランニング、当たる、組む、飛ぶ、ラグビーにはいろいろな要素がある。五体をフルに使うことによって、様々な感覚が養われる。体をぶつけ合うことによって痛みを知り、肉体の接点に「生きている」ことを実感する。発散する汗の匂いや、息遣いを通し、熱くたぎる血や思いを感じる。土や芝の匂い、また血の味もある。それはまさしく、強烈に「生きている=命」を感じる瞬間なのである。チームメイトは仲間だ、苦しいときは励まし合うこともあるだろう。しかし、ひとたび敵味方に分かれた時は、知力体力、そして意志力の限りを尽くす。痛く、苦しく、激しい競技の中で、自分の心を強く育て、プレーに責任を持つことを学び、その尊さを知る。また、フェアプレーとは何か、信頼感とは何かを、競い合いの中から学ぶのである。何も戦いは周りばかりとだけではない、本当に苦しいのは、弱い自分と向き合う時である。苦しい時、あと一歩を楽してしまう。また、相手の強烈な突進に、心が負けタックルを躊躇してしまう。一人になったとき、弱い心との戦いが待っている。現実の自分を見ることの残酷さは、言葉には形容できない。弱さを認め、その「一歩」を克服するとき、心の成長があり、磨かれるのである。ラグビーには体の大きい者、小さい者、走力のある者、筋力の強い者、いろいろな能力や性格に応じてポジションがある。それがラグビーの奥深さでもあり、魅力のあるところだ。さてここでは難しいことを語るつもりは無い。ただ表情の乏しい子供達が、楕円のボールに触れることを願っているだけだ。巧いヘタなんて関係が無い。ただ、みんなで一生懸命走って、当たって、組んで、パスして、キックして、そしてボールを追おう。きっと「ひとり」ではないことに気が付くはずだ。「さぁみんな、ゲームはしまって、外で思いっきりラグビーをしよう!」さて、人間関係が希薄だと言われる日本です。犯罪の若年化も進んでいる。それは人間関係に根ざしている問題です。また、青少年から大人社会を見たときに、どう映っているのでしょう。未来への夢を感じられるでしょうか。不安はないでしょうか。閉塞感は漂っていないでしょうか。それも確かに社会の一面です。しかし、ひとりひとりが自分の力で未来を切り開ける、逞しい心を身につければどうでしょうか。子どもたちにそのチャンスを作ってあげるのが、我々大人たちではないでしょうか。私はそれができるのはラグビーだけだなどと、傲慢なことはまったく思っておりません。直向きに自分を磨けるものであれば、何でもいいんです。サッカーでも、野球でも、スポーツ以外にももちろんあります。でも、ここにひとつのチャンスがあるのです。世界のトップレベルが日本に集う「ワールドカップ」が日本で開催されるかもしれないのです。それが実現すれば、世界のトップを見て感じることができます。より深くラグビーの持つ魅力が伝われば、日本ラグビーの発展に繋がり、競技人口の増加に繋がると思います。そしてラグビーによって、心が磨かれる子どもたちが増えるものと思います。以前この国のラグビーはもっと激しく、熱かった。そしてなによりも夢があった、そして熱狂させてくれました。ラグビーには魅力がいっぱいなのです。子どもたちが楕円のボールの魅力に触れれば、きっと子供らしい、輝いた笑顔に戻るはずだと信じております。それがこの国の未来へと繋がります。最後に夢はいつまでも少年の心を持つ続ける大人たちにも必要です。☆お知らせ「イーブック・アスリート」9月気合でオープン!ブログランキングに参加しております。「よし!、応援したやろう」という方はぜひお願いします。こちらをクリックしてください。↓
2005年08月11日

「俺達の仲じゃないか…」という言い方がある。そんな時は決まって、肩などを叩いてくるものである。過去この言葉に何度か出合った。実に巧い言い方だなと感心するも、胸の奥底では、良い感情を持たなかった。この言葉が持つ本来の意味はシンプルである。しかし、本来の意味を持つ仲にあって、この言葉が使われることは、きっと少ないだろう。逆にそれを口にした時、その関係自体が軽く思えてしまうのは私だけだろうか。声に発し、言葉として形造られた瞬間、私は「ウソだ!」と突っぱねたくなる。そして、胸の奥底で感じたものは、後々現実のものとなる。そして今も苦い思い出となって、私の胸に残っている。何かを感じながらも、その「友情」に縛られるのである。真の友情とは、そんな軽い言葉は必要としないのだ。友情とは流れた歳月ではない。どれだけ、真剣につき合ったか、どれだけ磨き合ったかである。見栄も虚飾も捨て、素のままの姿で、時にぶつかり合い、時に抱き合い、心と心が触れ合って、その思いを育んでいくものだと思う。その過程では、血も汗も涙も流したことだろう。その一つひとつが絆を強めていくのである。そんな仲だからこそ、「俺達の仲…」などと言葉はいらないのである。「俺達の仲じゃないか…」こんなセリフの影にあるもの、それは相手に対する甘えであり、自分に対する甘えでもある。「やってくれて当たり前」や「俺の頼みごとを断るのか」などと勝手な言い分が聞えてきそうである。(笑い)覚悟を決めて我が道を歩み出した時、そんな言葉は必要無くなる。我の行く道、彼の道、それぞれの道がある。そこには甘え合う姿勢は無い。傷口を舐め合う姿勢は無い。そこにあるのは、相手を認める姿である。お互い刺激し合い、励ましあう姿があるのでる。(2005年1月のノーサイド「大元よしき」二本目ラガーマンの挑戦!)よりまた改めてこんなことを書きたくなった。この記事を読まれた皆さまにも、こんな思いってありませんか?けっこうあるし、感じていらっしゃるかと思います。友情と甘えは紙一重ですが、心の持ちようが大事ですね。さて、もうひとつ、まったく意味は違いますが、「根性だけは自信があります!!!」なんてよく言う人がいます。しかし、キツイ状況になると、そう言っていたヤツが一番最初に能書きたれて辞めて行きます。自分に根性があるのかないのか、厳しい環境に身を置いた人間でなければわかりません。また厳しい中にあった人は、逆に自分の弱い面も知っている為、「根性に自信あり」などとは口にできないものです。私も口だけ人間にならないように、がんばらねばなりません。信用と絆を大切にしたいと思います。では、また。誰にだってドラマがある!「イーブック・アスリート」9月オープン!ランキングに参加しています。「おっしゃ!応援してやろう」という方はクリックお願いします。こちらです↓
2005年08月11日

思いが深いところからこみあげ、どうしようもないほどこみあげ、ためらうことなく己を出したい!声も出よう、涙も溢れよう、私という仮面を脱ぎ捨て、心のままに生きたい。利害でもなく、名誉でもなく、地位でもない。“愛だ!大事なことは、お互いが尊敬し合い、誠実と信頼で結ばれることだ。そして大きな目標に挑むことだ。いつしょに乗り越えたとき、「ありがとう」と言い合おうではないか。手を取り合って「ありがとう」とね。人生のスクラムに必要なのは、評論家では無い。痛く苦しい思いを胸に秘め、友と泥んこになることではないだろうか。泥水を嫌うな、蓮は泥水の中で、大輪の華を咲かせているではないか。(2004年11月のノーサイド「大元よしき」二本目ラガーマンの挑戦!より)甘いのかもしれない、しかし、人生には大事なものがある。奇麗事は言いたくない、奇麗事だけじゃ生きてはいけない。しかし、泥にまみれても、かっこ悪くても、自分らしく生きようと思っているだけだ。私は欲望の塊だ。とても綺麗な人間とは言えない。それも人だからしかたがない。人間くさく、泥臭く、汗にまみれて、はいつくばって、でも「生きてるぞ」と大きな声で叫びたい。負け続けのラガーマンは人生に挑戦し続けます。「イーブック・アスリート」9月にオープンします!アクセスランキングに参加しました。みなさま、どうぞよろしくお願い申し上げます。―大元よしき―
2005年08月10日

若い頃の私に、大きなチャンスを下さった方がいる。その方の好きな言葉に「一点突破全面展開!」がある。その方、かなりの読書家なので、他にもたくさんあるのだが、私が聞いた限りその言葉が一番印象に残っている。その言葉に勇気をもらい、自分を鼓舞したことが何度もある。私が会社員の時、4年間に3回の合併を経験した。ひとつの部署を任されていた私は、海図の無い航海のような中、若い仲間たちと過したこともあった。私の示したビジョンは、合併の荒波に粉々になり、仲間達の心もバラバラになっていくのが感じられた。会社の方向性が定まらない中、必死に暗闇を進んだ。「もうダメだ」と思った時も何度かあったが、その度にこの言葉を声に出し自らを鼓舞していた。しかし2年後、力及ばず…。私を含め部署ごとリストラする結果となったが、その決断は私がした。その真の理由は私の中に仕舞っておかなくてはならない。「一点突破全面展開!」今もこの言葉に力をもらっている。生みの苦しみ、この一点を突破するために集中しよう!この一点を突破すれば、目の前に青空が広がるのだから。良い言葉を思い出した。「どんなに苦しく悲しいことでも、時間が経てば思い出になる。」この言葉いいね。私の尊敬するT社長の本に書かれていたもの。これでまた気持ちが切り替わった。さて、今日も元気に言ってみよう。「よし!大丈夫!すべて順調だ!ありがとう!みんな幸せになれ!」言霊よ、大空を駆けめぐれ!2004年10月のノーサイド「大元よしき」二本目ラガーマンの挑戦! より(一部修正)昨年10月の日記だが、今も同じ状態だ。この1点に集中しよう。はじめは荒いがまず立ち上げて、磨きをかけていけばいい。仕事も人も同じこと、磨かれて光りだすのである。ど根性!「一点突破全面展開!」「イーブック・アスリート」9月にオープン!ランキングに参加しました。どうぞよろしくお願い申し上げます。
2005年08月09日
「先生、今日、あのセレクションの日に入った、 あの店の前を通りました。 そう、新大久保のF堂です。 なんだかちっとも変わっていないみたい。 懐かしかったです。 あの時の先生とボクがいるような気がしました。 振り返れば、 あの日がボクのスタートなのかもしれません。 背中を押してくれて、やっと前に進むことができました。 先生のおかげです。 ボクの中学時代、先生ひとりだけでした。 『お前ならできる』 と言って下さったのは。 あんなふうに言われたのは初めてだし、 なんだか人として、初めて信頼されたような気がしました。 先生、感謝しています。」―先生への感謝の気持を込めて―私が中学3年生の12月のことである。母校ラグビー部のセレクションを受けた。あの日は曇り空だった。鉛色の雲が重苦しかったことを憶えている。特別身体能力が高いとはいえない私は、そのラグビー部についていけるのか、とても心配だった。しかし、先生は私の母親を説得し、そのラグビー部のセレクションを受けさせることになったのである。それは人生の転機だった。あまり良い中学時代ではなかったため、「このままじゃダメになる!お前の人生それでいいのか」と強く激しい先生の説得は効いた。母親が先生の言葉を信じ、その後、先生と母親が私を説得したのである。そして、セレクション当日のこと、先生と私は駅で待ち合わせし、その後、時間調整でF堂に入ったのである。あの日の先生の顔は、とっても心細げだった。(だって相手は私ですから、しかたがないですよね。 頼りない生徒だったです、今考えても、とほほ…)今日そのF堂の前を、27年を経て通ったのである。周りのお店の雰囲気はずいぶん変わっていたけれど、F堂の持つ雰囲気はあの時のままのような気がした。心細げな先生と生徒が向かいあって、どんな会話をしていたのだろう。そんなことを思いながら、ガラス越しに店内を眺めた。今考えれば、あの時、先生は29歳か30歳の若さである。それも女性!!!なんで私をラグビー部に突っ込むのですか?(笑い)と失礼なことを言ってしまった。お許しください。このブログ、先生はお読みになっていないと思いますので、素直に書けます。本当に感謝しています。素晴らしいラグビーに出会えました。素晴らしい友に出会えました。苦しさにも、悔しさにも、痛さにも、そして大きな感動にも、いろいろな出会いがありました。私の人生はラグビーによって豊かになりました。二本目人生まっしぐらでしたが、17年間もラグビーを楽しみました。えっ、楽しみました?ほんとう?終わってみれば楽しかったと言えますからね、思い出は美しいとも言いますし…実ははじめの3年間は、痛い、苦しい、悔しい、とにかく辛いだけでした。(笑い)話を戻そう、その新大久保のF堂の前で、しばし青春の記憶に目頭が熱くなった。夕方の雑踏も忘れ、優しい先生の眼差しに接したような思いだ。「ありがとうございました。 また、お会いしたいですね、3年5組クラス会しましょうか、 ねぇ先生。」大元よしきは、いつか社会に役立つ人間になりたいと思っています。信じてくれた先生へのご恩返しがしたいです。遠い道です。でも、これもラグビーから学びました。「意志あるところ必ず道あり!」(2004年11月 ノーサイド「大元よしき」二本目ラガーマンの挑戦!の記事より)あの記事をこちらにも載せたくて引っ張ってきました。こんな私にも何かできるはず。「イーブック・アスリート」9月にオープン!
2005年08月08日
致知出版社「致知」9月号 巻頭の言葉『人生の目的―心を高めるために―』京セラ名誉会長稲盛和夫さんの言葉を引用させていただきたい。私たち人間が生きている意味、人生の目的はどこにあるのでしょうか。もっとも根源的ともいえるその問いかけに、私は真正面から、それは「心を高める」こと、「魂を磨く」ことにあると答えたいと思います。―中略―俗世間に生き、さまざま苦楽を味わい、幸不幸の波に洗われながらも、やがて息絶えるその日まで、倦まず弛まず一生懸命生きていく。そのプロセスを磨き砂として、自分の人間性を高め、精神を修養し、この世にやってきたときよりも少しでも高い次元の魂を持ってこの世を去っていく。私はこのことよりほかに、人間が生きる目的はないと思うのです。―中略―生きていくということは、えてして苦しいことのほうが多いものです。ときに、なぜ自分だけがこんな苦労をするのかと、神や仏をうらみたくなることもあるでしょう。しかしそのような苦しき人生だからこそ、その苦は「魂」を磨くための試練だと考える必要があるのです。人生における労苦とは、己の人間性を鍛えるための絶好のチャンスなのです。試練を、そのように絶好の成長の機会としてとらえることができる人、またさらには、人生とは心を高めるために与えられた期間であり、魂を磨くための修養の場であると考えられる人、そういう人こそが、自らの限りのある人生を、豊かで実り多いものとすることができるのみならず、その周囲にも素晴らしい幸福をもたらすことができるのです。致知出版社「致知」9月号 巻頭の言葉『人生の目的―心を高めるために―』京セラ名誉会長稲盛和夫さんの言葉より。私は高校時代、なぜこの世に自分は生まれてきたのか、生きている価値はあるのか、自分のことを必要としてくれている人はいるのか、自分を愛してくれている人はいるのか、いったい俺は何なんだと、深く思い悩んでいた時期があった。子供の頃から周囲と信頼関係ができなかった私は、この世に遠慮があった。安心できる居場所が無かったのである。しかし、長じるにしたがい、居場所は与えられるものではなく、自ら創りだすものと知り、視野が広まったのである。周囲との信頼関係も同様である。また、愛されるということは、愛したいという思いからしか生まれないことも知り、人よりも時間はかかったけれど、周囲に溶け込める自分ができてきたのである。しかし、年代や置かれた立場で悩みは変わるものである。人は、その人の生きてきた環境や、それまでに培われた心によって、受け取り方、考え方が当然ながら違うものだ。こちらが良かれと思ってしたことが、人によっては感謝となり、逆に憎まれもするのである。また、同じ相手でありながらも場面が変わった瞬間に、天使から悪魔に豹変することもある。人は多面的な生き物であり、矛盾の塊でもある。どこの面を叩くのか、それによって、幸せや不幸せのスイッチがオンになったりもするのである。ただ確かなことは、悪魔の顔を見せたとき、それまでの人間関係は憎しみに変わるということだ。言葉は相手の心に突き刺さり、傷つける道具となってしまう。その逆であれば、言葉は人を生かし、活かすものであり、未来までも創りだせるものなのである。いま、以前のように自分の存在理由を思うことはなくなった、しかし、人の社会、もっと以前に、人とは何だろう、人生における出会いとは、縁とは何かと考えることが多くなった。答えを見つけたいと思っていた。しかし、複雑化した人間関係にこれだという処方箋は無い。いまは只、稲盛和夫さんの言葉に、真正面から向き合いたいと思っている。そして、大きく心に響かせたいと思っている。(2004年12月のエッセイより)人間関係ほど難しいものはない。振り返ればいろいろあったが、もういいだろう。みんな幸せになれ、それを思う。ノーサイド「大元よしき」二本目ラガーマンの挑戦! にも同じ記事を掲載しました。
2005年08月08日
人を看板や実績だけで判断するな。坂本龍馬だって脱藩浪人だったが、日本を変える原動力になったではないか。人の世は、もっと深く、もっと広く、もっと尊いものなんだよ。おまえの短い物差しで何がわかるんだ。 「光と影」俺に纏わりついて離れない… 俺だって必死に生きてるんだよ。天地宇宙よ、この俺に、正しき叡智、強き心、大いなるチャンスを与えたまえ…(2004年8月のエッセイより)コンパックコンピュータから日本hpになり(合併)、その後あまりに陰湿な会社に嫌気がさして退職した。当然その頃、転職の話もあった。しかし人生折り返し点を過ぎた私としては、そろそろ自分の道を歩むことに決めたのだ。それが物書きの道だ、そして、もの書きの可能性を広げるための道だ。その途上にいまある。会社を離れると「看板」の力が無くなる。そうすると己一人の力しかなくなり、社会的信用はまるで無くなった。ずいぶん悔しい思いをした。私の人脈を利用して、いらなくなったら「はい、さようなら」という連中もいた。カッコイイ話は大好きで、泥にまみれることは大嫌いな連中だった。しかし、みんないなくなった。きちんとシリも拭かずにいなくなった。いまはとても静かでシンプルだ。あとは夢に向かうだけ。じっくり腰をすえて事にかかるだけだ。さて、大元よしきで信用されるような仕事をしたいと思っている。社会的信用を勝ち得たいと思っている。まずは第1歩からしっかり歩み始めたい。「イーブック・アスリート」9月に気合でオープン!
2005年08月08日
“クリスマス”星空と赤い糸イルミネーションが瞬き、賑やかなクリスマスソングが街に溢れる。ボクにとっては特別な思い出のある季節が今年もやって来た・・・ 「あの日」は誰も居ない家には戻らず、寂しさを紛らわせるため一人で街を歩いていた。でも周りはあまりにも賑やかすぎて、一人でいると世界中から取り残されているような気持ちになり、雑踏を避けるように運河沿いの公園まで来てしまった。対岸は眩いばかりのイルミネーション、どこに行っても一人ぼっちを味わうことになりそうだと、ベンチに腰掛け一人暗い運河を見つめていた。今日に始まったことではない。いつもいつもボクはひとりぼっちだ。クリスマスなんて無ければいいのに・・・今夜は何時にもまして周りが華やかに見える。それはガラス越しに見るような光景だ。ボクは完全に一人ぼっちだった。「やっぱり帰ろう」と思って歩き始めたときだった、「ちきしょう」と言って運河に向けて石を投げている制服の女の子に会った。彼女はここにボクが居ることに気が付かず、「ちきしょう」と繰り返している。そのうしろ姿を見ているうちに、ボクも運河めがけて石を投げていた。はっと気が付いた彼女は両手で口を押さえ、肩をすぼめながらボクの方に振り返った。ボクは思わず「ひとりじゃなかった…君もいた」と彼女に言っていた。口を押さえていた手を離した彼女は「やだ、見られちゃった」と言って笑い出した。もし彼女が一人でベンチにでも座っていたなら、とても声を掛ける機会は無かったはずだ。お互いに一人ぼっちのクリスマスを笑い合った。アーチ型の橋を渡り、運河の対岸までケーキを買いに走った。明るいところでは、照れもあったのか、元の暗いベンチまで戻って二人でケーキを頬張った。これが一人ぼっちのボクへのクリスマスプレゼント。サンタが夜空で微笑んでいるように、星たちが瞬いていた。でもきっと今夜だけのプレゼントなのかもしれない…儚い夢のようにボクは彼女の横顔を見つめていた。お互いに名前だけを教えあった、学校も住んでいるところも聞かずに別れた。夢なのだからそれでよかったのだと自分で納得していた。それから何回目かのクリスマスの晩のこと、気が付くとボクはまた運河沿いの公園まで来ていた。あの夜の記憶も実際にあったことなのか、本当に夢だったのかもはっきりしていない。でもここに来てみると遠い記憶の中に、彼女の顔がハッキリと思い出された。コートの襟を立てしばらく対岸のイルミネーションに目をやっていた。「大人になったボクには、もうプレゼントは無いよな」とひとり諦め、夜空を見上げた。星たちはあの夜と同じように瞬いていた。ふと人の気配に気が付き、振り向くと女性が立っていた。その手には小石が握られていた。そうあの時の彼女だった。「また、石を投げてみようかと思って・・・」「ボクも待っていたよ」もう言葉はいらなかった。ずっと一人ぼっちだと思っていたボクは、その夜から一人では無くなった。一夜のプレゼントは赤い糸に結ばれていた。輝くイルミネーションもあの頃は対岸の光だった。でも今はボクの中に光がある・・・(2003年12月 ボツになった原稿より)夏真っ盛りですね、そんな時クリスマスに思いを馳せるのもいいものです。ということで、今回は「“クリスマス”星空と赤い糸」を載せてみました。誰でも一人ぼっちを感じることがあると思います。私の場合は幼い頃からそれの連続でした。私は元ラガーマンです。弓道家でもあります。作家を志しています。いまはエッセイやショートストーリーを細々と書いています。スポーツは子どもの未来を拓くという内容で講演も行なっています。人生はいろいろです。誰にも、どんな人にもドラマがあります。人に誇れる実績や栄光は私にはありませんでした。光り輝く仲間たちが羨ましかったこともあります。ですが、スポーツから得たものはかけがえのない心の宝物となりました。誰にだって、どんな人にだってドラマがある。「イーブック・アスリート」9月にオープン!
2005年08月07日
午前2時、しっとりと濡れたような静けさのなか、私はいまPCに向かっている。何年経ってもキーボードを叩く不器用さは変わらない。開けっ放しの窓からは、少し水分を含んだ風が流れ込んでいる。私にはとても気持ち良く感じられる風だ。夏の気配とでもいうのかな、この全身の感覚に訴えてくるものがいいね。この季節、この感覚に出会うと、毎年同じ思い出が蘇る。すっかり体に刻み込まれたものなのだろう。真夏になると不思議なくらい忘れ去ってしまうくせに、妙にこの季節にだけ現れ、私をあの頃に引き戻そうとする。あの頃と言っても具体的な映像が頭にある訳ではない。ただ「あの頃」すべては感覚のことなのだ。80年代初め、そういえばこの季節、山下達郎さんのアルバムが出るタイミングでもあったかな。なんだか懐かしい。夏のシーズンオフの間は、それらの曲といっしょだった。あの頃、夏のシーズンオフといえば、母校ラグビー部の強烈な夏合宿とサーフィンだった。夏のシーズンオフだけ、自分が自分に帰れる季節だったように思う。あの頃は自分らしさって何なんだろう、なんて思っていた記憶がある。いつも鬱屈したものを感じながら生きていたようだ。私の記憶に溌剌とした「青春」は無く、いつのシーンでも私には影が無い映像ばかりがある。眩しい日差し、煌く陽光のなかでも、それは変わらなかった。子供の頃の「いつも雨」の記憶よりも、少し成長したようにも思うが、その延長線上にいつも生きていた。 たしか私がはじめて小説を書きはじめたのも、大学3年の今夜のような風の中だった。主人公は大学1年のラガーマン。物語は夏のシーズンオフから始まり、翌年夏の菅平合宿までの物語だったように思う。雨上がりの匂いが窓から流れ込むなか、大学ノートにびっしりと鉛筆で書き込んだ覚えがある。合宿所生活だったので、誰にも見られないように深夜そっと机に向かっていた。生々しいラグビーシーン、激しくも強い友情と絆、淡い恋、最後に主人公が知る真実と成長。最後のほうは、泣きながら書いたような記憶もあるが、内容はあまり覚えていない。あの年のシーズンオフの終わりとともに、その大学ノートもどこかに消えてしまった。みんな遠い記憶だ。 いまそんなことを思い出した。すべてはこの風によって。壁にぶち当たり、そろそろ諦めて寝ようかというところで、この風を感じた。こんな時間だけれど、ふとESSAYに向かってみたくなった。私はいま真っ暗闇を彷徨っていた。逃げ出そうにも明かりが見えない。でも、この風によって昔の私に出会い、そして、気が付いた。『もう昔の私では無い!』光は自分の中にあることを…これでまた一歩が出せる、明日のために、未来のために。人の心に明かりを灯す、そんな男になるよ。それがこの天地に生を受けた使命なのだから。(2004年6月のエッセイより)もの書きになりたいと思ったのは、大学3年の夏のシーズンオフのことだ。あの頃はただ漠然とした考えでしかなかった。あの頃書いたものが残っていたら、ぜひ読んでみたい気がする。語彙は少ないけれど、一生懸命書いていたことだけは確かだ。どうして書きたかったのか、それは自己表現したかったからだ。ラグビーでは自分を最大限に表現しきることができなかった。不完全燃焼だったからだ。自分の描く世界では自分らしく生き生きと生きたいと思ってのことだ。さて、物書きは狭き門である。なかなか自分を認めさせる機会には恵まれない。だったら、自分で創ってしまおうと思った私みたいに感じている人たちは多いだろう。みんなのため、自分のため、やるだけやってみよう。それが「イーブック・アスリート」だ。本年9月にオープン!
2005年08月06日
甲子園の開会式を見て重い気持ちになった…明徳義塾の出場辞退について思うこと、それは、これが教育か?ということである。報道されている情報しか持ち合わせはないが、連帯責任などという言葉を聞くと腹が立つ。今回の問題である、喫煙と部内暴力、もちろんこれを肯定している訳ではない。しかし、処分は関係者のみでいいではないか。その処分も首切りではない。連帯責任以上に時代錯誤と言われそうだが、地域社会に奉仕させるとか、大会期間中は清掃活動をさせる。などだ。他にもいろいろあるだろう。個人の行為がチーム全体に影響を及ぼし、出場辞退となったという、いわば負の教えでは先の道を誤る可能性が高い。芽を摘むことは教育とは言わないはずだ。そうではなく、個人の行為もその用い方によっては、地域社会への貢献ともなりうるという教えではどうだろうか。個人は社会の一員である、したがって、一人ひとりが心を律し、行動に責任を持たなければいかん。だからこそ社会の小集団であるチームや仲間を思って心を律し、行動を律するんだという教えである。それをチームメイトが大舞台で活躍している期間中、社会奉仕活動などを徹底してやらせる。それが本人たちへの厳罰とする。期間内やり遂げれば、部への在籍、復帰は可能とする。みたいなのはどうだろうか、もちろん深く考えてのことではない。これを読んだ方にはもちろん異論はあるだろう。しかし、発覚したから処分しました。みんな連帯責任です。といって切られてしまうことが、どうしても教育からは外れているとしか思えないのである。この国のスポーツから、この連帯責任に代表される悪しき習慣がなくなれば、もっと個が確立しスポーツが発展するだろうと思われる。連帯責任を口にするようなヤツは、「やらせる」タイプ「俺様」タイプの指導者に多い気がする。今回の発覚は外部からの投書ということなので、なおさらあと味の悪い思いだ。変な勘ぐりさえ可能な訳である。書き足りないが、これくらいにしておこう。追伸なにも高校野球に美しい幻想を抱いてのことではない。古い悪しき習慣をいつまでも用いていることへの怒りである。
2005年08月06日
「この星の生命に比べれば人生はなんと短いことか。 それはほんの一瞬、星の瞬きのようなもの。 しかし、この時代に生を受け、そして人々は出会う。 地球という舞台の上でこの時、この瞬間を共有する。 人生は一瞬一瞬の積み重ね、 この一瞬を大切にしたい、 そして出会えた奇跡に感謝したい。 -Yoshiki Taigen-」おかげさまで少しずつアクセスが伸びてまいりました。お越しくださった皆様に深く感謝申し上げます。さて、このブログは6月下旬に立ち上げました。それは「オータム~未来への風が吹く~」をもっと広く読んでいただきたかったからなのです。私は作家であり起業家です。作家と言ってもいまは細々とエッセイやショートストーリーを書いているに過ぎません。しかし、「人の心に明りを灯す、そんな男になるよ、俺は」を目標にしています。そんな男が書いた小説「オータム~未来への風が吹く~」をどうか読んでみて下さい。このブログを開設するにあたり、十五夜連続で掲載しました。この物語は丹精込めて書きました。どうか、よろしくお願い申し上げます。追伸ノーサイド「大元よしき」二本目ラガーマンの挑戦! こちらにも「オータム~未来への風が吹く~」が湘南の風景を差込みながら掲載してあります。物語はどちらも同じです。みなさま心よりお待ち申し上げております。
2005年08月05日
8月だから思い出した記憶、こんな文章を書いたことがあった…―途中省略―雨の日の波乗り・・・私にもこんな記憶がある。もう遠い昔の話である。大学時代ラグビー部に所属していた私は、夏のシーズンオフにはずいぶん海に通ったものだ。もっとも夏シーズンだけ海に入るので、ちっとも上達しなかった。でも、もともと水が好きだった私は、海に入れるだけで良かったのである。ラグビーは強くならなければいけない。上達しなければいけない。なによりも相手がいるスポーツなので、常に相手を想定して練習をするのである。そんな毎日を離れ、夏のある時期だけ波乗りに没頭していた。ある年、私は太平洋戦争の映画を見た。戦艦「大和」が海に沈む映像が目に焼きついて離れない。私はしばらく海で楽しむことができなくなってしまった。それはあの人達に申し訳無いという思いからだ。そんな私に父が言った。「あの人たちが死を懸けて守ろうとしたこの国。あの人たちがいたからこそ今がある。ぜったいにそれを忘れてはならない。今の時代に生まれたこと、海で青春を謳歌できることに感謝しなければならない。感謝の気持ちを忘れずに、同じ年頃で亡くなった人の分まで楽しんでこい」と・・・私は涙が溢れた。そして父は付け加えた「何事にも没頭できない人間は大きく成長することは無い。おまえがこれから社会に出て、どんな人になるかはわからない。大事なことは、家族を大切にする心、もう一つは背伸びをせずに、良い世の中を築く気持ち、それを忘れないこと。そして今を一生懸命生きること」父が亡くなり10年になる。父からその言葉を聞いたのはもっと遠い昔である。関連の無い古い記憶が「雨の海」を感じて、私の中でいくつも呼び覚まされた。江の島が間近に見えてきた。もうすぐ鵠沼、今日のゴールまであと少しだ。引地川を挟んで両サイドには波を待つサーファーの姿が多い。橋を渡り、公園を抜けて海に出ようしたときだった、雲の薄くなったところから、ぼんやりと光がさしてきた。どんよりとした重い雲が、また違った顔を見せた瞬間だった。平塚から鵠沼へ、今日は自分と向き合う時間だったような気がする。昨夜ある場面で行き詰った、その「ある場面」の描写がほしくて、今朝思い立って来てみた。しかし今日得たものは、「感じた風景を形にする」ものではなかった。幼い頃、学生時代、社会人、そして今・・・自分自身と向き合う時間であったような気がした。―以下省略―(2003年10月のエッセイより)この国には、忘れてはならない過去がある。今を大切にしたい。ノーサイド「大元よしき」二本目ラガーマンの挑戦!にも同じ記事を掲載しました。
2005年08月05日
音も無く降り続く雨。昨夜からのものだ、冷たい雨という季節ではないが、久しぶりにグラウンドに向かう身には、少し辛いかなと思いながら支度に掛かった。日曜日の早朝ということもあって電車はガラガラだった。乗り換えもスムーズに、待ち合わせの「駅」には30分以上も前に着いてしまった。ここは駅前だというのにパチンコ店しかない。仕方ない、ここは有意義に「ウォーキング」で体脂肪でも燃やしていようと、駅前ロータリーを回り始めた。 「いやいや参った」同じ景色は辛いものだ。ハムスターの気持ちがよく解ってきた頃、友人S氏の車が滑るように駅前駐車場に入って来た。中には奥さんと中学生の長男、小学5年生の次男が乗っていた。みんな久しぶりに会う顔だった。私と友人S氏との付き合いは永い。初めて出会ったのが中学3年の12月であるから、もう27年も前のことになる。あの頃の私たちは、いま目の前にいる彼の長男と同じ年か、と思えば感慨深いものがある。ずいぶん時間が経ったものだ。 私をピックアップした車は、拓殖大学のグラウンドに向かった。学生時代よく試合にきたところだけに、この地は思い出深い。グラウンドへ続く坂道を皆で歩く、雨に濡れた緑が鮮やかだ。あの頃と少しも変わらない景色がそこにはあった。雨の中しばらくすると、選手達がグラウンドに現れはじめた。みんないっぱしのラガーマンの顔である。雨のため小学校低学年の練習は休みだと聞いていたので、一番小さい子で5年生だそうだ、なんとも頼もしい顔をした子たちである。 軽いウォーミングアップから始まった練習は、時間とともに熱を帯びてきた。私の目の前では、中学生の部の練習が展開している。雨もぬかるみもなんのその、みんな泥んこになってボールを追っている。低く、激しく、しつこいプレーの繰り返しに懐かしさを憶えた。S氏は言った「基本的なプレーに十分に時間をかける」と、その言葉通り、9時から始まった練習はすでにお昼近くになっても、一つ一つのプレーに、いささかも衰えを見せることはなかった。コーチ陣から受ける熱い思いが、選手に伝わり一つになっているのか、厳しさと優しさとをあわせもった、懐深いチームとの印象を強く受けた。昨秋からトップリーグ、マイクロソフトカップ、日本選手権と大試合を見る機会が多かっただけに、目の前にいる泥んこラガーマンの姿に、ラグビーの原点を見た思いがした。 私の前をS氏の息子が走りぬけた。父親に似て力強いフォームだった。こうして父から子へと想いが受け継がれていくのか・・・息子はあの頃のS氏と同じ眼差しでボールを追っていた。その姿に我がことのように胸が一杯になってしまった。 このスクールを卒業して、名門高校に進学する選手も多いと聞いた。いまこの瞬間にも未来の「桜」を夢見ている子がいるのかもしれない。 みんな夢を持とう。でっかい夢を!そして力の限り夢を追おう。みんなの可能性は無限なんだ。限界は自分で描いた箱でしかないんだ。そんな箱壊してしまえ!そうすれば大きな青い空が見えるはずだ。 「未来は自分で創るものなんだ!」(2004年5月のエッセイ番外編より)スポーツは輝く未来を拓く。「イーブック・アスリート」9月気合のオープン!
2005年08月05日
私の著書に「ファイナルマッチ」がある。今夜は少し触れてみたい。正式タイトルは「ファイナルマッチ ノーサイドの時を迎えて」である。ノーサイドという言葉はラグビーの試合における「試合終了」を意味する言葉である。試合中両サイドに分かれ、30名のプレーヤーがひとつのボールを奪い合う。皆様もご存知の通り肉弾相打つ戦いを繰り広げるのである。しかし試合が終わればみんな仲間、簡単に言うとそういう意味である。タイトルから受ける印象は、ラグビー名勝負物語のようだとか、最後に勝つスポ根ヒーローもののようだとよく言われる。しかしそんなに格好の良い内容ではない。もっと身近にある題材であり、誰もが成長過程で持っている劣等感や孤独感を軸に展開する内容である。それを一度は経験する少年期の淡い恋や葛藤、過酷な練習や仲間とのポジション争いなどをちりばめ、物語は心の内面を深く見つめつつ進む。最後に主人公は本当に大切なものは何かを知る。というものである。私は小学生の頃スイミングクラブや剣道場に通い、中学ではハンドボール部、そして高校、大学、社会人と17年間ラグビー部に所属していた。そして自分の中でラグビーが一区切りついたところで弓道を始めた。私はその中でいろいろなことを学んだ。人に誇れる実績が無い者でも、心には大事な宝物を得ることができたのだ。それは「何?」それは「友情、絆、愛・・・最後までやり抜くこと・・・」いやいや言葉にできるほどの力は私に無い。でもそんな想いを形にしたくて「ファイナルマッチ」を書こうと思ったのかもしれない。 数年前のこと、21年ぶりに私の母校が全国大会に出場した。花園ラグビー場は高校ラガーマンの聖地である。しかし「名門復活は夢に終わった」1回戦で敗退してしまったのである。2回戦にはいっしょに花園へ行こうと約束していた友人と、2回戦があったはずの晩に酒を飲んだ。酒が進むうちに堪えきれなくなり、おいおい声を上げて泣いてしまった。よい年をした二人の大人が、店中に聞えるような声を出して泣いたのである。なかなか涙が止まらなかった。その日は店で最後の客となるまでその友人と飲んでいた。いっしょにいた友人とは、高校時代の同級生、フッカーのWである。このWは一本目(ラグビーではレギュラーをそう呼ぶ)であり、私は二本目(控え)であった。高校時代、毎日頭をぶつけあってスクラムを組んだ相手である。今となっては、激しいスキンシップとも言えるかな?なんて甘いことも書けるが、当時は一番憎たらしい相手だった。こいつさえいなければ・・・と何度思ったことか、Wのことが頭から離れず悔しくて夜眠れないこともあった。悔しくて悔しくて掛け布団に食いつき、泣きながらビリビリになるまで噛み千切ったこともあった。お互いが認め合っていたことが判ったのは、3年の全国大会3回戦の前夜だった。翌日は前年負けた奈良県代表との試合である。絶対に借りを返さなければならないチームだった。私はその前夜にWとの本当の「ノーサイド」を知ったのである。 ある著名なスポーツライターの方が「控え選手の目から書かれた類書の少ない貴重な小説である・・・がんばることが美しかった頃の物語かもしれない・・・(省略しております)」と書評をHPに掲載して下さったことがある。「感謝しております!」この物語を読まれた方々から、ご指摘や、ご意見、ご感想を多数いただいた。これらの全てが励みになり、また反省点として生かしていかねばならないと思っている。みなさま「感謝感激です!」 さて、人生は常に勉強ですね。昔先生に言われても、ちっとも勉強しなかった私が、何をいまさらという気もしますが。でも先生、感謝しております・・・(2003年12月のエッセイ番外編より)どんな人にもドラマがある。「イーブック・アスリート」9月にオープン!
2005年08月04日
地球誕生から数億年後、地表は冷えはじめ、大気中の水蒸気は雨となり地上に降り注いだ。雨はやがて海となった。地球という大いなるゆりかごの中で、生命誕生という奇跡が起きた。この星は気の遠くなるような年月の中に、さまざまな命を育んできた。あるものは滅び、あるものは適応した。命はこの星を舞台に「生きよう」と必死にチャレンジし続けてきた。命のバトンはどんな環境の中でも、次の世代へと受け継がれた。そして、いま私たちもこの地上に立っている。巧くは言えない。命って自分だけのものじゃない、自分が考えている以上に、ずっとずっと尊いものだと思う。「尊い命」を考える時、強引だが「好きなラグビー」に想いがとぶ。ラグビーは体をぶつけ合う競技だ。もちろんボールゲームであるが、格闘要素が強い。基本的には一つのボールを両チーム30名のプレーヤーが奪い合い、相手ゴールにトライ、もしくはドロップゴール、ペナルティゴールで得点を競うというものだ。ここから私が語るラグビーとは、大学選手権、トップリーグというようなレベルの高いラグビーではなく、もっと身近なものをイメージしてもらっても良い。 パス、キック、ランニング、当たる、組む、飛ぶ、ラグビーにはいろいろな要素がある。五体をフルに使うことによって、様々な感覚が養われる。体をぶつけ合うことによって痛みを知り、肉体の接点に「生きている」ことを実感する。発散する汗の匂いや、息遣いを通し、熱くたぎる血や思いを感じる。土や芝の匂い、汗や涙や血の味もある。それはまさしく、強烈に「生きている=命」を感じる瞬間なのである。 はじめはただの仲良しだった仲間に、競争心が芽生え、自然に競い合うようになる。苦しいときは励まし合い、敵味方に分かれた時は、知力体力の限りを尽くす。痛く、苦しく、激しい競技の中で、自分の心を強く育て、プレーに責任を持つことを学び、その尊さを知る。また、フェアプレーとは何か、信頼感とは何かを、競い合いの中から学ぶのである。 何も戦いは周りばかりだけではない、本当に苦しいのは、弱い自分と向き合う時である。苦しい時、あと一歩を楽してしまう。また、相手の強烈な突進に、タックルを躊躇してしまう。一人になったとき、弱い心との戦いが待っている。現実の自分を見ることの残酷さは、言葉には形容できない。弱さを認め、その「一歩」を克服するとき、心の成長があり、磨かれるのである。体の大きい者、小さい者、走力のある者、筋力の強い者、ラグビーにはいろいろな能力や性格に応じてポジションがある。それがラグビーの奥深さでもあり、魅力のあるところだ。難しいことを語るつもりは無い。ただ表情の乏しい現代の子供達が、楕円のボールに触れることを願っているだけだ。巧いヘタなんて関係無い。ただ、みんなで一生懸命走って、当たって、組んで、パスして、キックしてボールを追おう。きっと「ひとり」ではないことに気が付くはずだ。「さぁ、ゲームを置いて、外でラグビーをしよう!」楕円のボールの魅力に触れれば、きっと子供らしい、輝いた笑顔に戻るはずだと信じている。この命、元気一杯燃やそうよ。スポーツは輝く未来を拓く。「イーブック・アスリート」9月気合のオープン!
2005年08月04日
「走って! 走って! 走って! 走って! 走って! ノーサイドの笛の後に、バタッと倒れてみたいな…」私のお師匠様である、元ラグビー日本代表の林敏之さんが、講演の際よくこのお話をされる。私もラガーマンだが、天地ほど違いがあるので、私はそこまで思ったことは無かった。自分の半生を振り返るとき、不完全燃焼の思いでいっぱいになる。人生80年と言う、しかし明日をも知れぬ人間の営みである。さぁて、後の後半生はどんな人生になるのやら、それは自分しだいなのだろう。私にはノーサイドの直後に倒れるラグビー人生はなかった。グラウンドではカッコワルイ自分の姿しか知らない。しかし、私の夢は私の小説の主人公たちにかなえてもらうとしようか。いきいきとグラウンドを走る主人公たちに思いを馳せて今日も書きましょう。夢は無限です。「イーブック・アスリート」9月気合のオープン!
2005年08月03日
小説を書きたい、小説を出したい、書く場が欲しい!それは自身の存在の現われだからさ。けど、社会は甘くはない。誰も振り向きもしない。けど、このまま終わるつもりはない。ならば自分でその場を創ろうじゃないか。これだってドラマの始まりだ。未来は自分で創るものさ。最後はみんなハッピーエンド!同じように感じている人って、きっといる。そんな人が面白がってここ使ってくれたら嬉しいと思う…「イーブック・アスリート」9月に気合でオープン!
2005年08月01日
昨日は神奈川県の平塚で行なわれた「ビーチフットボールの関東・全国大会」をブログ仲間の「やまけんさん」と観戦しました。目の前には海が広がり、空の青さ、風の心地良さと相まって、とても明るく、開放的な空間を楽しみました。さて、ビーチフットボールですが、1990年に生まれた日本発祥のビーチスポーツで、ラグビー(タッチフット)とアメフトを合わせたような競技です。1チーム5名、試合参加資格は10名です。メンバーチェンジは、プレーが途切れた時からセットプレーまでに、随時行えます。コートの広さは縦50メートル、横25メートル、インゴールは3メートルです。攻撃権は5回です。ディフェンスはタックルの変わりに相手の体に両手でタッチをします。これはタッチフットと同じです。タッチされた場所から攻撃を再開し、タッチを5回されると攻撃権が相手チームに移ります。5回のうち1回は前にパスを投げることができるのです。これはアメフト的ですね。なので、まずは走ってラグビー的なパスを繋ぎ、相手ディフェンスを崩します。そして「ここだ!」という時に前へのパスで決める、もしくは大きくゲインする、というものです。前へのパス、このワンチャンスを活かせるチームが強いようです。得点方法は、相手インゴールにタッチイン(持ち込む)して3点です。その後タッチインしたチームには、エキストラポイントという得点の機会もあります。アタック側3人、ディフェンス側2人でセットプレーからスタートします。攻撃権は1回のみ、前へのパスを1回だけ使うことができるというものです。ここでの得点は1点です。はじめからあまった状態ですが、すべて得点に結びつくことはありませんでした。敵は相手ディフェンスだけではありません、砂も敵になることもあるようですなお、この間15秒という制限つきです。また、このエキストラポイントのディフェンス側がボールを奪い得点した場合には、2点となります。さて、昨日の結果です。「関東大会」優勝:チームキヤノンレディース優勝:高浜ウランズ「全国大会」優勝:虎三レディース優勝:JOLIESトップチームを決める全国大会決勝では、どちらも延長戦にもつれ込む熱い試合となりました。全ての競技に言えることですが、一生懸命な姿は美しいです。優勝した姿はさらに美しいですね。なかなか見る機会のないビーチフットですが、見ごたえのある試合に、時間を忘れ楽しむことができました。素晴らしきスポーツに感謝です。追伸ずいぶん古い話ですが、私のチームも海辺で合宿を行なったことがあります。タッチフットをしましたが、砂に足をとられ思うように前に進めません。やたら苦しかった記憶だけが残っています。昨日の選手たちの動きを見て、その身体能力の高さに驚きました。ビーチフット、素晴らしいスポーツです。楕円球の可能性はもっと広がると感じました。「ノーサイド「大元よしき」二本目ラガーマンの挑戦!」にも同じ記事を掲載しています。☆イーブック・アスリートは9月にオープン!
2005年08月01日
全41件 (41件中 1-41件目)
1
![]()

