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高校時代から予備校にかけて少々タバコをやっていた。サラリーマン時代赤坂の、会社の金で行きまくった、今はなき高級ナイトクラブニューラテンクォーターでおぼえたパーラメントが好きだった。ところがある日、「あまり、はっか系のタバコを吸うと、あっちの方がダメになるわよ。」って、じゃなんで俺に勧めるんだって口説く気持ちもやめにした。それから少ししてタバコをやめた。今は、2年に1本くらいになっている。一概に、やめるといってもいろいろある。健康のために酒タバコをやめる、相撲をやめる、浮気をやめる、痔の手術をやめる、こんなことが一般的には誰でもすぐ思いつく筈だ。また、移民して、市民権を取って日本人であることをやめるなんていうのも私の身近にはある。私はまだ市民権は取ってはいないが。「やめる」、だけでも思いつくままに挙げていったら一日過ごせそうな勢いだ。さて、みなさんは何をやめましたか?↑↑↑遠慮と躊躇のないクリックをお願いします。これがないと、タコ干上がります。
2005年07月31日
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「黙っていると神秘的と思われる。そして、二言三言神がかりなことを言うと白人女性にもてること間違いない。」1960年、フルブライト奨学生としてアメリカに渡った小田実の本にそのようなことが書いてあった。その本とは、後にベストセラーになった、「何でもみてやろう」だ。この本には少なからず影響を受けた。ただ、初めてこの本を読んだのは1979年、27歳のときだった。いろいろと刺激にはなった本ではあるが、この最初に書かれている言葉は絶対に眉唾もんだ。白人社会では、黙っていては何も始まらない。黙っていると、バカとしか見られないのが西洋社会で歯牙にもかけられない。最も、小田は東大の文学部でギリシャ語を学んでいて二言三言神がかりなことを言うことは得意だったのだろうが、浅薄な私のような常人には叶わぬこと。実は、小田には一度会ったことがある。高校3年のときにアムネスティーの会合で「べ平連」を代表して彼が講演した時だった。会ったというより、話しを聞いたというだけだが。狭い部屋で、口から泡を飛ばしてものすごい早口に話すエネルギーの塊みたいな人だ、という印象が残っている。してみると、やっぱり彼も白人女性の前で二言三言で終わったとは思えない。この本の中で、小田がNYの友人宅に一人で何日か留守番しているときに、食べ物が無くなり、ドックフードの缶詰を食べたけど、割りと食べられてとかいう箇所があった。当時の、日本の状況がわかって面白かった。もっとも、今でも私は、我家の老猫ルーシー130歳と缶詰をシェアーしてはいるが。↑↑↑遠慮と躊躇のないクリックをお願いします。これがないと、タコ干上がります。
2005年07月31日
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ブログ始めて2ヶ月になった。ホームページは4年弱開いていたので、初心者ではないとは思っていたが、ブログというのは全く別世界だった。調度、町の乾物屋さんがコンビニになったような気がする。タコオヤジが連れ合いと、ほそぼそと乾物屋やっていて、ある日、コンビニの販促セールスマンが来て勧誘、全く違ったコンセプトとテクノロジーで魅了され即決心。まずやってみようなどという甘い決心ではコンビニは続かないことは知っていたので、心構えはできていた。問題は、このコンビには24時間営業だったということだ。乾物屋のときはやれるときに、「はい、何にしますか?」なんてお客さんにお話していたのが、遠い昔になり、一見のお客さんを含め、いらしてくださるお客さんが急に増えて嬉しい悲鳴、寝ている暇もない。しかし、最近、オランダ系の連れ合いが、「私とコンビニとどっちが大切なの?」などといい始め、タココンビニストアーの前途に暗雲立ち込め始めている。もう一つ、気になって仕方がないことは、以前、ステテコ姿やシュミーズ姿なんていう気軽い格好で買い物にいらしてくれていた常連さんの姿が、見えにくくなってきていること。前に、乾物屋の隅に置かれていた「目安箱」には、10日に一度くらいは意見書が入ってきていた。しかし、一ヶ月も誰も何も入れてくれないときに、この箱を一度撤去したことがあった。随分してから、復活させた。復活後、ご意見が出始めたときに、コンビニに変わってしまった。今でも、いらしてくださってはおるのだろうが、タコ店長が長いトイレとか、裏で在庫を調べているときとかに、お話せずに帰って行かれてしまうらしい。寂しい限りだ。コンビにになって「目安箱」は小さすぎて、連れ合いの大工の父親にデカイやつを作ってもらって店内に置いている。非常に、勇気付けられ嬉しいご意見ばかりだが、目安がたくさんあって乾物屋の域を出ていないタコ店長、頭が大混乱で目安が立たない。コンビには、体力勝負。他のコンビニの店長はどうやっているのかと思って、こっそり覗いてみると20代、30代のお若い店長が実に多い。しかも、元気のいい女性店長がの目白押しなのだ。そして、どの店長も、「バイトありませんか?」などと言ってしまいたくなるほど魅力的なのだ。考えてみるに、50を過ぎたタコ店長が、「加齢臭」漂わせて「カレーパン」なんか売っていていいのだろうか。乾物屋の縁側なんぞで、お茶でもすすりながら、赤玉ポートワインでもお売りしていた方が似合っていたのかもしれない。しかし、止めるわけにはいかない。生活がかかっている。とはいえ、世界一目立ちたがり屋で根っからの楽天家のタコ店長、「楽天、楽天!」とかいいながら、楽しくはやっている。「そんなこと心配することないですよ。店長なんですから!」ナニワの伊達男学生アルバイトがいう。そうだ、俺は店長なんだ、こんに小さいことに捉われずにやっていこう。誰に気兼ねがいるものか!俺は、楽チンコンビニの店長なんだ。「お~い!」連れ合いがお茶と言っている。「はいはい、只今」↑↑↑遠慮と躊躇のないクリックをお願いします。これがないと、タコ干上がります。
2005年07月31日
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「タコさん、やっぱりサンバなんですよ。」今年の東村山四丁目町内会の盆踊りはルンバじゃなくてサンバにしよう、とかいっている話ではない。教師や指導者やリーダーは、産婆術に徹しないとならないというのだ。私が、その昔教えを請うて尊敬して止まない日本語教師養成学校のN先生のお言葉だった。上に立つ者は、皆の能力を引き出す、すなわち産婆術を心得ていないとならない、ということだった。その人の能力は、ただガミガミ言っていても生かされないと。いろいろな関係者に読んで聞かせたい言葉でもある。先生が言われたもう一つのことがある。「金を追わずに人を追え」ジーンとくる言葉だった。タコ社長になった今、特にこの言葉が本当に胸に浸み入る。ただ、追う人を間違って人妻なんか追っていた日にゃ、とんでもない後半生になりかねないが。先生の教えをしっかり守っていきたいと願っている。タコ社長、毎日が勉強だ。↑↑↑遠慮と躊躇のないクリックをお願いします。これがないと、タコ干上がります。
2005年07月30日
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「働きすぎて家庭を顧みない」「コミュニケーションができない」「女性を差別する」「スケベ」「セックスがヘタ」オランダ系の連れ合いがタコ社長に毎日言っている言葉ではない。西洋女性の日本人男児に対する、一般的なコメントなのだそうだ。「う~ん、これって何よ!」と言いたくなるくらいしっかりとしたコメントの羅列ではある。私がみるところでは、これは森鴎外の後を追いかけてきたドイツ女性あたりから、ここ100年くらいの通説のように思える。ところが、ここのところ、これらの評価に異変が起きているというのだ。「体毛の少ない滑らかな肌」「アーモンド形の目」「低めの鼻」「若く見える容姿」「繊細で優しい」「攻撃的でない。一緒にいて威圧感がなく安心できる」こういう日本男児が西洋女性にモテ始めているという。私も、いくつかはクリアーできそうで、得意の中年狂い咲きに拍車もかかろうってもんだが、年をとってくると、密度の薄い長い体毛が増えたり、肌が性格と比例してがさつになったりで、勢いがイマイチだ。こういう統計が、30年くらい前から派手になっていたらと惜しまれる所以である。年齢的なハンディは大いにありそうだ。女性の方々からのコメント、男性の方々からのコメント、大いに期待しております!↑↑↑遠慮と躊躇のないクリックをお願いします。これがないと、タコ干上がります。
2005年07月30日
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「もう、お腹いっぱいです。」22歳のときに初めてアメリカに旅行して、ある家に呼ばれて晩御飯を食べたとき、「お代わりは」の問いに遠慮してそう答えた。日本だったら、それでも「若いんだから、もっと食べれるでしょう。」とかなんとか言われて、倍ぐらい食べてしまうところだろうが、アメリカはまったく違っていた。その家のお母さんは、それ以上勧めなかった。「えっ!それはないよ。」なんて言えるわけもない。その晩は、空腹で腹が鳴り続けていた。遠慮は、日本のように察する文化圏で活きてくる。西洋では、言いたいことは素直に言わないと何も始まらないし終わらない。この時、タコ学生、胃袋を通して体でこのことを覚えた。それ以来、西洋社会では言わなくてもいいようなことを言って顰蹙をかうこともあるが、遠慮のきかないこの社会では、ちょっと図々しいくらいの方が住みやすいようではある。但し、不思議なことに日本に帰ると、またあの遠慮の塊が「三つ子の魂百までも」的に素直に復活するから不思議だ。↑↑↑遠慮と躊躇のないクリックをお願いします。これがないと、タコ干上がります。
2005年07月29日
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「ドクトリジバゴ」「ゴッドファーザー」「ガープの世界」「ディアハンター」「追憶」これらがタコ社長の好きな洋画No5だ。隠していても私の年代が分かり易い選択になっている。「戦艦ポチョムキン」とか言い出さない年代ではあるが。どれも3度以上は見ている。オーストラリア映画では、なんと言っても「ガリポリ」だ。若い頃のメル・ギブソンもいいが、ラストシーンに一番の感動がある。No1は、文句なく「ガープの世界」で、ダントツ。悲劇を悲劇としてだけに留めない映画。邦画については、「赤胴鈴之助」以来あり過ぎて、それでなくても長過ぎるといわれているタコ社長の日記で紙面が足りなくなる恐れがあるので、その内50年もして書くことが少なくなってきたら特別企画したい。皆さんの、好きな洋画をお聞きしたいところだ。↑↑↑遠慮と躊躇のないクリックをお願いします。これがないと、タコ干上がります。
2005年07月29日
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「酒乱一代、梅毒末代」なんて洒落た言葉があって、思わず会社の部屋に額縁つけて掛けておきたくなる。ところで毎日、したいことはいくつも心に浮かぶが、赤ワインを飲みたくなる、というのもその一つだ。最近は家でしか飲まなくなって久しいが、二日に一本くらいはいっている。だがどうしても、家では得意の一気飲みができない。水でも飲んでいろ、なんて言われかねない。豊穣な赤ワインには魔力があるように思えてならない。そして、赤ワインにはどんなに下心をもって迫っても決して嫌とは言われない。タコ社長、どうせ子供がいないので、たとえ梅毒の酒乱であったとしてもしっかりと一代で終わってくれる。梅毒はともかくとして、赤ワインは少し極めてみたいと思っている。↑↑↑遠慮と躊躇のないクリックをお願いします。これがないと、タコ干上がります。
2005年07月28日
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学生時代「座高一」だったと以前書いた。それよりも自慢のタネは顔のデカサだった。誰にも負けないと自負していた。先々代の朝潮は、正に顔だけ、というくらいの迫力があって好きな力士だったが、大関までの破竹の勢いが横綱になって萎えてしまい残念だった。栃錦、先代若乃花の影に隠れて顔だかが目だっていた。会社では、女子スタッフから写真撮影で可也後ろにいるように言われても、できた写真では一番目立っていて嬉しい。こういう顔にはどんなサングラスがいいのだろう、と20年前にオーストラリに来る前に探し求めて購入したのが、レイバンのサングラスだった。なにしろデカく、顔の大きさに遠慮がでて心も爽やかになっていった。「私も、こんなサングラスが欲しいわ。」豊満な体に黒い小さなビキニで泳いでいた白人金髪女性とこうして会話が始まった。ダーウィンで投宿していたユースには小さいけどきれいなプールがあった。私も、プールだから甚平にステテコとかのスタイルではなく、ビキニの海パンだった。7月のダーウィンは、どこにも遠慮せずに最高の気候だといえる。オーストラリアは真冬だが、北のダーウィンではカラッとした夏の天気で十分泳げる。オーストラリアに来る前に、赤坂で買い求めたこのレイバンのサングラスをプール際に置いて泳いでいたが、こんな形で活躍してくれるとは思わなかった。「日本から来て、今、旅をしているんです。」33歳の私は、ややぎこちなく会話をつづけた。「私、ジェニーっていうの、ゴールドコーストから出稼ぎに来てるのよ。」会話はジェニーの屈託ない性格に助けられるように進んでいった。幸い、プールには二人しかいなくて余計なことに気を回さなくていい環境があった。「どう、今夜カジノに行かない?」そうか、ダーウィンにはカジノがあるんだ。当時は、メルボルンにはカジノがなく、初めての経験になる。賭け事はというと、日本でのパチンコ以来という地味な人生を歩んできていたから、カジノ行きには興味がそそられた。バックパックに畳んで入れておいた紺の夏物ジャケットを取り出し皺を伸ばした。カジノに入ると、誰もジャケットなど着ている者はなく、半ズボンにスニーカーみたいな人ばかりで浮き上がってしまった。結局、カジノでは賭けはほとんどしないで、ジェニーとスコッチアンドソーダ、いわゆるハイボールを飲みながら話し込んでいた。「昔、私はストリッパーだったの。」もったいなくて、聞き直したりしない。酔いが一気に回ったようにも感じた。「でも、今はこう見えても、いっぱしの写真家なの。」ジェニーは、写真で生計を立てていて、その仕事でダーウィンに出稼ぎに来ていたのだ。若作りだけど、おそらく40歳に手が届きそうな年なのだろう。もう、前職ではやっていけそうにないのだなと思った。「私ね、今、ゴールドコーストで父親と一緒に住んでいるの。生活は楽じゃないわ。でも、何とかなるものね。もし、ゴールドコーストに来るようなことがあったら寄ってね。父もいるけど、泊まってもいいのよ。」ジェニーは、親切心からそういってくれた。旅に出ると、こういう親切がありがたい。たとえ、実現しなくてもいいと思える。酒が進むにつれて、ジェニーは予想に反して無口になっていった。私の英語力の問題もあったのだろう。時々、見せる横顔が微笑んでいない。何を考えているのだろう。カジノへの行きも帰りも30分ほど歩いた。私は、無銭旅行でもしたいほどの貧乏旅行者、彼女も裕福にはみえなかった。タクシーの選択はなかった。真っ暗な道をゆっくりと歩く。彼女は、途中から黒い靴を脱いで裸足になってその両方の靴を肩からかけるようにして歩いていた。会話はほとんどない。生暖かい風に吹かれながら、それでもやや浮いた気持ちが漂っているのは分かった。私は、永住権を目指してオーストラリア入りしたばかりの時だ。観光ビザでまず旅行しようと思った。この国を最初に見てみたかった。ジェニーがどんな生活をしてきたのか聞く機会はなかったし、自分も先の見えない永住願望の遅れてきた青年で、身の上話なんかする必要もない。やっとユースに戻った。午後泳いだプールが、誘うように月の明かりを受けながらも黒く小刻みに揺れている。旅をしていて知り合うのはほとんどが外国人で、オーストラリア人とは時間を過ごすことも少ない。そんななかジェニーは唯一のオーストラリア人だった。だから、ゴールドコーストに行くたびに、あの不安まみれの日々に淋しく出会ったジェニーのことがよぎる。別に、全く他意はないのだが、私の家にはあのときのレイバンのサングラスがある。流行遅れで誰も掛けないようなサングラスだし、フレームが伸びたのか、顔が小さくなったのか、掛けるとずり落ちてきてしまう。おそらく、前の理由からだろうけど。このサングラスは、もう、持ち主と一緒で、派手な出番は既に終わっている。レイバンのサングラス↑↑↑遠慮と躊躇のないクリックをお願いします。これがないと、タコ干上がります。
2005年07月28日
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メルボルンの朝日新聞、「The Age」の統計によると、男性が一年間に作り出す精子の数の平均は500億個なのだそうだ。ということは、私たち一人一人は、本当に奇跡が地球と月を三往復して宙返りの産物といってもいい。だから、そこらでシンナーなんか吸って尻でも掻いている子も含めて、子供たちってどの子もこの子も奇跡の子なんだ、と思わずにはいられない。憎たらしい奇跡も多くはあるが。私は子なしだから、まだ奇跡が起こっていないということだろうか。最近は、その因果関係さえも奇跡になりつつある。↑↑↑遠慮と躊躇のないクリックをお願いします。これがないと、タコ干上がります。そ~れ、元気を出して。まだまだ大丈夫。
2005年07月27日
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「ムルティーがストリップに連れて行けって言うんだよ。」直属の課長が言う。ムルティーさんは、私が働いていた会社のインドの提携先のお客さん。この会社は巨大国営会社で彼はその筆頭重役、できるだけのことはしてやってくれ、と会社トップから言われてる。ムルティーさんと課長と私で、大阪に工場訪問が翌日に予定されていた。宿泊は、京都の都ホテル。今のように、インターネットで検索なんか出来る時代ではなかった。経験豊かな先輩諸氏に聞いて回り、何でも東寺の側に有名なストリップ劇場があると突き止めた。いったい、私は何をしているんだ、なんて思わないほどドップリと宮仕えサラリーマンだった頃のはなしだ。京都駅から歩いていけるほどの距離のところに、「デラックス東寺ストリップ劇場」は、いかにも私たちを待っているように堂々と建っていた。中のスペースも限られた経験で知っていた、小屋という雰囲気はなく広々としており、ちっともじっとしていないで、あっちこっちと動き回るムルティーさんを見失いそうになった。彼は、俄然落ち着かない。なんせ、あっちでもこっちでもいろいろ展開されているのだ。そして、平日の午後だというのに館内は満員盛況だった。こんなところで業界を称えてもしようがない。ムルティーさんは、まるで宇宙人のような様相をしている人で、つるっぱげの頭にデカイ目、さらにはそれを増長するようなこれまた大きなメガネ。劇場にいる間、その目はムキ出しっ放しだった。薄暗い館内で、ときどき光るツヤのある彷徨う頭を追いかけた。勿論、課長と私にとっては仕事だから、十分楽しんだりしてはいけないという暗黙の了解ができてはいたが、場内の異常な雰囲気に、ややもすると自己を見失い勝ちになった。途中から課長も行方が分からなくなり、ストリップ劇場のなかで私はお客さんと上司探して歩くという、サラリーマンの隅にも置けない行動をとらないといけなくなった。 そして、思わず楽屋まで飛び込んでしまいたくなりそうになってしまった。ムルティーさんが、日本に滞在した約10日間、私はほぼフルアテンドでお世話した。根っからのスケコマシ然としたムルティーさんだから、私の世話も大変だった。仕事については、超厳しい彼で、昼間もクタクタ、夜もクタクタで、成田に見送った時は本当にもう会いたくない人だとさえ思ってしまった。だが、その後厭きるほどお会いしたムルティーさん、私が会社を辞めるときに挨拶状を出したところ、丁寧な長文のお返事をいただいた。その中に、「貴方が去ることは、会社にとって大きな損失だ。」と一文があって、ほろっとさせられたが、実のところあのデラックス東寺などの効果だと思ってはいる。↑↑↑遠慮と躊躇のないクリックをお願いします。これがないと、タコ干上がります。
2005年07月27日
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こちらで、コーヒーを注文するときに「サミー・デイビス」って注文すると何が出てくるかわかりますか?ショートブラックです。ラジオで言っていた。オランダ系の連れ合いに言ったら、そんなの古いと一蹴された。「だいたい、今の若い人にサミー・デービスジュニアなんか知っている人少ないでしょう。」そうなのだろうか。フランク永井とか佐久間良子の世界のタコ社長には、若い人のことわかっていないのかもしれない。ショートブラックとは、デミタスカップででてくる濃いめのエスプレッソのこと。日本でいうブラックコーヒーは、こちらではロングブラックという。じゃ、ホワイトコーヒーは?最初に、この表現を聞いたときには、新しいコーヒーができたのか、と思ってしまったが、これは単なるミルク入りコーヒー。石を投げても転がしてもイタリア人、ギリシャ人に当たるといわれているのがメルボルン。それほどイタリア、ギリシャ移民が多く、カフェ文化が華やかだ。でも、人にお茶を勧めるときに、まず、コーヒーか紅茶か、お茶の種類は何か、ミルクはいるか、砂糖はどうだ、砂糖はスプーンで何杯、などとこと細かく聞かないとならない。わたしなんぞは、10人もいたら聞いている端から忘れている。そこへいくと、日本茶は楽でいい。タコ社長の会社では来客には絶対お茶がでないことになっているが、それでも出すときは日本茶にしている。何にするか、聞かないで出せるのが本当によくて、タコ社長覚え易いので自ら出したいくらいだ。さて、サミー・デイビスのことだが、いろいろな意味でブラックという言葉には慎重にならざるをえないのいが現状。アボリジナルのフットボールの選手に対し、有名なラジオのコメントテイターが、Black as a dog. とちょっと口を滑らせて問題になり、正式に謝罪した。つい最近の話しだ。考えてみたら、ショートとブラックじゃ、ダブルでよくない。連れ合いに言われなくても、この表現は使わない方がいいかもしれない。↑↑↑遠慮と躊躇のないクリックをお願いします。これがないと、タコ干上がります。お疲れではございませんか?おもみいたしますよ。
2005年07月27日
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メルボルンの朝日新聞、「The Age」紙にこんな統計が出た。アメリカ人の女性で、座るときほぼ間違いなく足を組んで座る人は50%だという。これが、高い数字なのか、低い数字なのか、はたまた椅子屋さんの販売活動に使われる統計なのかこの際はよいことにしよう。これで思い出されるのは、あのシャーロン・ストーン、Basic Instinct (氷の微笑)のあの足組み換えのシーン。シャーロンも50%に入っていたようだ。人間のすべての問題は足にある、と思われる。タコは8本だから問題だらけとかいっているのではない。人間が二本の足で直立歩行をし始めたことが、人間の悲劇の始まりだと思うのだ。まず、誰もがすぐ思いつくことだが、四足動物に痔はいないということだ。いたら是非報告してほしい。水戸のご老公の位置が高いのが、痔に優しい環境になっているのだろう。三人に一人は痔主だという痔大国ニッポン。その割には、痔が未だに日陰者であることに、私は大いに不満だということは以前書いた。胃潰瘍と痔では、病気の序列にあまりに差があり、公にするときのぎこちなさ度に至ってはもう月と六ペンス、スッポンにタコだ。さらに、問題は大きい。人間の臭覚の極端な減退だ。人間が、猫や犬やスカンクと臭覚オリンピックに出場したら、間違いなく予選落ち。というよりも、アジア地区とかの地区予選で観客なしで消え去ること間違いない。四足だったころは、鼻先にいろいろなものが妖しく匂っていた。それが、フロイトに言われるまでもなく、立ってしまって臭覚力が動物と言えないくらい後退してしまって匂ってこなくなってしまったのだ。ハツジョウはハツメイのハハハ。オスが、ハツジョウしたメスとそうでないメスの区別がつかなくなり、どうでもよくなってきてしまった。メスも面倒くさくなって、ハツジョウしなくなった。しかし、それじゃ子孫に申し訳ないと、いつでもハツジョウできるように訓練し、オスもいつでもスタンバイとなった。これが悲劇の始まりでなく、何が悲劇か。ブリスベンのけいじろうさんという方が、体臭について書かれている。http://spaces.msn.com/members/keijiro/犬や猫にワキガはいないと思うが、念のため我が家の老猫ルーシー130歳に後で聞いてはみるが、人間の鼻の位置が直立歩行で高くなってしまったので、人間は別な信号を出さないといけなくなり、脇の汗などが重要になってきたらしい。シャーロン・ストーンから随分と話しが飛んでしまったが、もう引き返せない。「フランス人は、風呂に入らない。」とはよく言われること。そのために香水が発明されたという。これは一般的に信じられていることだが、実情は全く違うらしい。ヨーロッパ人は、どうやら汗の匂いが好きらしい。フェロモンは人間の体から生まれる体臭。香水によりこの体臭をさらに高度にアウフヘーベンさせる。さすがフランス人。匂いに関しては動物に近いようだ。エマニュエルさんもビックリ。そこへいくと、日本は無臭世界にまっしぐらのように見える。二本足直立最ウヨク。そして、二本足直立歩行の一番の問題は、実は脳なのだ。人間だけが、発達し過ぎた脳のおかげでいろいろな面で恐れが多すぎる。ルーシーは、5年先、10年先を憂えて断食したりはしない。いつも腹いっぱい喰っている。私見だが、楽しいと思うことは人間と四足ではそんなに差がないのではないだろうか。しかし、悲しみ、心配事については人間はダントツのような気がする。どうだろうか?私は、痔もいなく、しっかりとハツジョウ期だけにハツジョウする品行方正、四本足四つんばい最サヨクになり、もともと脳はそんなに発達していないので、今日が一番大切と、あまり先まで憂えずにやっていけたらと思う。そうすれが、私にはなつかないルーシーとも少しは仲良くやれるかもしれなし、連れ合いではなく枕元にルーシーが現れてもそんなにビックリはしなくなるだろう。しかし、仲良くなり過ぎたら、それはそれで問題ではあるが。↑↑↑遠慮と躊躇のないクリックをお願いします。これがないと、タコ干上がります。
2005年07月26日
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今日の写真 本日いただいた昼ご飯前に日本人のお弁当の話しをした。早速、わが社の道産子幹部女子社員が作ってくれた。超和風のお昼ご飯。そっと机に置いてあった。いつもは外食のタコ社長、このお弁当を一口ずつゆっくりと食べさせていただいた。いくら大企業のトヨタの社長でも、社員が作ってくれる昼ご飯に与ることはできないだろう!会社をやっていて、ほっとできる瞬間だ。もっともタコ社長、年がら年中ほっとしていて、最近社員に尻叩かれることが多くなっているのだが。↑↑↑遠慮と躊躇のないクリックをお願いします。これがないと、タコ干上がります。
2005年07月26日
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オランダ系の連れ合いが、随分前に家のリフォームをしたときに言った。「昨日は、電気屋と交渉して350ドルまけてもらったわ。」「今日は、タイル屋さんに250ドルまけさせたわ。」本当に、心強い仲間だ。私は、だいたい相手のいいなりになる傾向がある。値切るのが苦手だ。それで、いつお連れ合いに呆れられている。「絶対に値切らないと駄目だよ。」20代でオランダから家族と移民してきた連れ合いの父親もいう。実は、元土建屋の父親も家の修理などでいつも手伝ってくれている。というよりも、私が手伝っている、と言ったほうが現実に近い。「タコ、値切り方を教えてあげよう。」ある日、連れ合いの父親がそう言った。私は身を乗り出した。「売り手がニコニコしている間はいくらでもまけられるだよ。その笑いが消えた瞬間が底値だ。それまでは大丈夫。これを覚えておくといいよ。」大工仕事をしながら、そう私に言って聞かせてくれた。私は、力強い歴史を感じだ。16世紀の前半はあの小国オランダが世界を制覇していた時代だったのだ。たかだか1980年代の10年間、世界を征していたと錯覚していた極東の小国から来た私なんぞは相手じゃない。私は、これからも、家の交渉ごとなどは彼等に任せて、安心して仕事を続けていけそうだ。↑↑↑遠慮と躊躇のないクリックをお願いします。これがないと、タコ干上がります。
2005年07月25日
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友人からもらった「暮らしの手帖・保存版」にこんな文句がる。いちばんぜいたくな昼飯 1963年9月号いまの世の中でいちばん ぜいたくなお昼ご飯は なにかごぞんじですか奥さんや お母さんが愛情込めて作ったおべんとうです以前、スタッフのご両親が来られた時にお母様が作って下さったすじこのオニギリを一つ戴いた。昼まで待てずに朝の9時に食べてしまった。持つとまだノリを通してオニギリの暖かさが伝わってきた。プチンと音を立てそうな新鮮なすじこの塩辛さが口中に広がる。思わず目を閉じてしまいそうだった。自分で好きでこちらに移住して、この国の風習に従ってできるだけやっていこうとしている自分だから、なんの文句もないが。昼は外食で、朝が早いので自分で昼ご飯を作ってもせいぜいサンドイッチ程度で、自分で作ったものは、本当に美味しかった、とは思えない。日本では、いまこの奥さんやお母さんが愛情込めて作ったお弁当は一体誰が食べているのだろう。ダンナ方ではないことはまず間違いないだろうけど。それとも、お弁当を作る人が減っているのだろうか。なんせ1963年のことだから。↑↑↑遠慮と躊躇のないクリックをお願いします。これがないと、タコ干上がります。
2005年07月24日
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タコ社長、こうみえても以前はオーストラリアで日本語教師をしていた。だから、英語の表現などに3年に2回くらいは敏感になる。こんなことがあった。一般に、「自動詞」は受身形をとらない。受身を作るのは普通「他動詞」。ところが日本語では、例外的に「自動詞」が受身形をとる。例えば、子供に泣かれた。 父に死なれた。 などという使い方だ。何かを被ったときにこれらの表現が多いことから、「悲劇の受身形」などといわれている。こちらで教え始めてからしばらくして、英語で「死なれた」にあたる表現に出くわしたのだ。文法の問題ではなく、表現の問題ではあるが。He died on me. なのだそうだ。ちょっと、耳を疑った。どうしてもあらぬことを想像してしまうような死に方ではないか。苦しみが伝わってくる。英語もなかなか粋で面白そうな言語なのだ、とようやく気付かされることになった。She walked on me.「彼女に出て行かれた。」ということだ。痛い感じがひしひしと伝わる。私も、こんな表現を使う必要がないように気をつけないとならない。↑↑↑遠慮と躊躇のないクリックをお願いします。これがないと、タコ干上がります。
2005年07月24日
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最近、統計好いているタコ社長。オーストラリアでは、住んでいる所から海辺まで50キロメートル以内で行ける人は、人口全体の85%であると書かれている。この統計には私も気兼ねなく参加させてもらえそうだ。前には、海辺まで行ける平均時間は20分という統計もあった。オーストラリアでの生活は海とは切っても切れない関係にある。「ビーチライフ」なのだ。もっとも、内陸はちょっと行くと、光る砂漠でロール状態で、砂漠に遠慮のない地域となり、水が切れると生きていけない人には向いていない。車がエンコして砂漠で脱水死者もでる。そんな訳でオーストラリアをイメージするときは、海が欠かせない。オランダ系の連れ合いは、秋田県に行ってもらって、田植えの手伝なんかさせて周りの人と比べても遜色ないくらい色白。私の方はというと、その秋田生まれの母親さえ、こと色に関しては私を、定番の橋の下もらいっ子ストーリーの主役にしたがるくらい、色黒、腹黒のまっ黒クロスケ。畢竟、連れ合いは海に行きたがらない。私も海から遠のいてしまう。私は、夏なら一日中海にいて、金属探知機で指輪なんか探しているオージーに混じって、ウミガメが産んだ卵や、磯のアワビの片思いなんかを探しても厭きないタチ。お陰で、遠い昔に、「あら、裸になったら外人みたいね。」なんていわれるソバカス肌で、よほどのことがない限り見せないことにしている。「相撲力士って、制限時間が迫ってくると、気迫で餅肌がピンク色に変わっていくの。あれがたまんないね。」なんて恨めしそうに私を見ながら嘆息する母にも謝りたい。親に貰ったこの体を、変色させたり、部分的に剥いたり切ったりしてはいけないもの。ごめんなさい。ブリスベン辺りは冬でも暑くなる日がある。常夏のダーウィンに行けば一年中律儀に32度。そこにいくとメルボルンは割と地味な街で、今日は15度程度。日本と同じ島国でも、ここは大陸だ。さすがに住む所によっては気候の違いが大きい。とはいえ、メルボルンだって夏には45度なんて日もあるわけで、今年の夏は大きなテントを買って、嫌がる連れ合いをなだめながら、家から10キロくらいで行ける海に、好きなだけ潜ってみたいと思っている。ところで、オーストラリアを理解する数字として20分は貴重だ。海まで車で行ける平均が20分、晩御飯を作る時間が平均20分、そしてセックスが20分とのことで、私にも覚え易い。他に探せばいろいろでてくるだろうけど、それは今後の統計に委ねたい。↑↑↑遠慮と躊躇のないクリックをお願いします。これがないと、タコ干上がります。
2005年07月23日
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メルボルンの「朝日新聞」といわれている「The Age」紙にこんな統計が出ていた。全く私には関係もなく興味の方もぼ薄らいできているものだが。向う一ヶ月の間に一人以上の人とセックスを望んでいるオーストラリア人の男性は全体の25%、一方女性は5.8%というものだ。無意味なコメントは避けるが、相手が異性か同性かまでは明らかにされてはいない。同性愛者は人口比で世界一のメルボルンではある。さて、皆様自身はいかがなものだろう。忌憚のないところをお願いしたい。日本の統計が待たれる。週末は、気持ちよくスタートできそうだ。↑↑↑遠慮と躊躇のないクリックをお願いします。これがないと、タコ干上がります。
2005年07月23日
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「包丁さばきがいいね。」オーストラリア人からよく言われる。きゅうりの薄切りなんかを素早くやったりするともう人気者だ。日本人なら、なんていうことはないことだがこちらの人には結構うける。ビザ取得ができるかなと願い、日本レストランで働いていたことがあった。何の技術もないブルドーザーの営業マンだった男にどうしてそう簡単に永住権をくれようか。メルボルンの赤坂・六本木といわれているサウスヤラという所でバイトを始めた。大学時代、池袋西口のロサ会館にあったエロ映画館のまん前の喫茶店で夜中まで働いた以来の水商売だった。この池袋の喫茶店は、夜中になるとあっち系の人がホステス連れて集まり満員になる所だった。因みに、あっち系の方々、ごっつい顔してみんな「ホットミルク」とどら声で注文するのが可笑しかった。サラリーマンを辞めて移住を目指し、メルボルンに入りレストランでバイトを始めた。1985年の10月のことだった。包丁さばきはこの日本食レストランで覚えた。しかし、天ぷらの揚げ方は最後まで習得できなかった。レストランが込み合う週末に、ぐにゃっとした天ぷらなんか揚げて本物のシェフから目の前で捨てられたことがあった。私は元サラリーマンでして、なんて言ったら包丁が飛んできそうなキッチンだった。ここで、日本料理は寿司シェフとてんぷらシェフに分かれることも知った。それでも、焼き鳥や照り焼きチキン、竜田揚げや豚の生姜焼きなんかはけっこう得意となった。だた一番得意は皿洗いで、手の皮が白く浮き上がって剥けるほど来る日も来る日も皿洗いをした。ちょっと前までは、湯水のように会社の交際費を使って六本木辺りを闊歩していた自分だったが、今はただの遅れて来たアルバイト青年。しかし、不思議に悲しくもなく変に燃えていた。何も苦痛に感じなかった、といえばウソになるかもしれないが、それより底抜けに明るい気持が勝っていたのだろう。いつも笑顔が絶えなかった。ビザを取って日本語学校を建てる、といった額縁にいれておきたいようなはっきりした目標があった。33歳になっていた。タコ社長、落ち込んだ時はあの、むやみに明るく燃えていた頃のことを思い出すようにしている。もっとも落ち込むことは滅多にないが。↑↑↑遠慮と躊躇のないクリックをお願いします。これがないと、タコ干上がります。
2005年07月23日
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坂本龍馬を尊敬して止まない。30代前半で、あれだけの活躍をして志半ばで惨殺された。どうやったら、あれだけの女性と問題なく付き合って、しかもその女性達を魅了し続けることができたのか。龍馬亡き後も、その思いと尊敬は変わらなかったという。怪我しても唯起きず、日本初の新婚旅行までしておる由。まめな方だったようだ。もう少し、長生きしていただいて、そこら辺の秘訣を書き残しておいていただきたかった。返す返すも無念でならない。所詮、隣のタコ社長、英雄にでもならんとなせぬ業。せいぜい私にできるのは、毎日写真を拝むことのみ。人気blogランキングへ遠慮と躊躇のないクリックをお願いします。
2005年07月22日
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「ララミー牧場」「ローハイド」「ハワイアンアイ」「コンバット」など、小学校のときTVの楽しみな番組だった。日本物では、「事件記者」「七人の刑事」「てなもんや三度傘」とかは外したことがなかった。あるとき、面白い昼の番組に出会って学校から帰宅するのが楽しみでならない時期があった。池内淳子さんのヒルメロとかではない。れっきとした健康スポーツ番組だった。「デビーの美容ショー」といった。初めて見たときは本当に釘付けになってしまった。大いに派手な肢体で、なんとレオタード姿。ダイエットなどまるで縁のない小学四年生を、嫌というほど惹き付ける。白黒の小型テレビが恨めしい。国民放送「ラジオ体操」に合わせて、骨も肉もないようにデモンストレーションする日本人のお姉さん方も、それはそれで凝視はできるが、また明日も見たいという思いは起こさせてくれなかった。そこへいくと、このデビーさんは、日本語の吹き替えがこれまた艶っぽく、多くの小学生の心を捉えて離さない。問題は、東京は練馬の二間の警察官長屋に住んでいたので、一生懸命間に合うように帰っても、秋田出身の母親が割烹着姿でヒルメロなんか見ていたら、すべての努力が報われない。とはいえ母に、「美容ショー」見たいんだけどなんて切り出したらえらいことになっていた筈。畢竟、たまにしか見られないデビーさんへの思いは募るばかり。あのデビーさんも、元気でおられるなら80歳を超えているだろう。相変わらず、超ぴったりのレオタード姿なんかで、老人ホームのアメリカ男性を魅了しているやも知れぬ。元ファンとしては、そうしていて欲しい気がしている。連れ合いではありません、デビーさんです。人気blogランキングへ遠慮と躊躇のないクリックをお願いします。
2005年07月22日
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昔、警察官の父と近くの銭湯に行っていたとき、全身刺青のオジサンを見て私は泣き続けていたという。裸になっても警察官、そんな頼もしい父の影に隠れて泣いていたというのだ。だからいまでも刺青の人をみると泣きたくなる。20年前にメルボルンに住み始めて、人々を見ていてビックリしたことが二つある。一つは、街中を裸足で歩く人が多いということ。もう一つは、警察官まで刺青をしている、ということだった。銀座のど真ん中を裸足で歩く人はいないだろうが、こちらでは結構みかけた。しかし、最近はあまり見ない。どうやら、ガラスで足を切ったりすることが多いことと、エイズのせいらしい。注射針などが落ちている可能性があるからだろうか。砂浜で、そんな事故も起きている。警察官と思っていた駐禁チェックの人たちは、実はそれだけのために雇われている人で警察官ではなかった。しかし、婦人警官も含めて得意の身体検査をさせてもらえば、刺青の警察官がいた筈ではある。刺青に関しても、まったく世の中変わってしまった。日本人の女性でも結構こちらで刺青をした人を見ていることがある。日本でも受け入れ始めているのだろう。足が8本もあるタコが裸足になったら、何をしでかすか分からないし、刺青でもした日にゃ東村山の実家では家の中にも入れてもらえなくなる。世の中いろいろ変わってきているが、なかなか変わらないタコ社長のようだ。人気blogランキングへ遠慮と躊躇のないクリックをお願いします。
2005年07月22日
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昨夜は残業の帰りがけに、中国系の乾物屋さんで、納豆(冷凍)、鰻の蒲焼(冷凍)と豆腐を買って帰り、家で10時頃ご飯炊いて一人で食べた。無性に納豆が食べたくなった。そんな日ってあるもんだ。因みに、この「無性に」という表現は、「映画でトイレの場面を見たら、無性にオシッコがしたくなった。」、なんていう表現は座りが悪いから、黙ってても直面するものには使わないように思えるがどうだろうか。我家では、黙っていたら一生「納豆」は出てこない。納豆に、湯豆腐(暖めた豆腐だけ)そしてふりかけだったが、これらを混ぜこぜにして赤ワインで流し込む。連れ合いは晩御飯を終えていたので、台所で立って食べた。最近、立って食べることが多い。こんな時間に丼飯二杯も食ってしまった。食器を洗って日記を書いたりしていたら、腹が張って寝られない。鰻の蒲焼まで食べてしまったら、贅沢過ぎるのでこれは他の夜にとっておくことにしよう。納豆や鰻は、我が家の老猫ルーシー130歳も食べないので、知らないうちになくなることもないだろう。人気blogランキングへ遠慮と躊躇のないクリックをお願いします。
2005年07月21日
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「タコ社長はハエ取り紙みたいな人ですね。」と言われたことがあって、嬉しくなって食べていた水炊きのフィッシュボールを飲み込んでしまったことがある。タコ社長、今までいろいろ言われてきているが、「女の腐ったようなヤツ」とか「瞬間湯沸かし器」とか分かり易いものが結構多い。最近は、「電気肉布団」とかも言われていて嫌がられている。「ハエ取り紙」、よく言えばいろいろな人を惹きつける、悪く言えば一度捉まえたらねちっこく逃がさない。どっちだろう?真意はご本人からは確かめていない。来るものは拒まず、去るものは追わず。そういう意味とも、とれなくもない。第一、ハエ取り紙が人を追っかけても絵にならない。昔、おできなどができたとき「タコの吸出し」という緑色のベタベタしたクリームがあった。父がガーゼの上にこのクリームを塗って尻に絆創膏でとめたりしてくれた。これが、結構効果があった。タコは吸い付き吸いだす。タコ社長は、「ハエ取り紙」、「タコの吸出し」B型の双子座。これだけ揃えてどうする、って感じで、メルボルンで私の顔を見ると逃げる女性もいるくらいだ。こういう性格を、しっかりと仕事に活かしてやっていきたい。活用を間違えると、中高年狂い咲きと背中合わせになり兼ねない。ところで今でも、「ハエ取り紙」と「タコの吸出し」は日本で活躍しているのだろうか。こういうものを製造していた会社はどうなっているのだろうか。人気blogランキングへ遠慮と躊躇のないクリックをお願いします。
2005年07月21日
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不思議に思うことがある。学校には視聴覚教室とかがあって、どうして臭覚教室とか触覚教室とかがなかったのだろうかと。味覚に関しては、家庭科である程度はやってはいたが、この二つに関してはなかった。五感といわれて平等に扱われているようだが、実際にはこうして差別されていたようだ。「お母さん、今日、臭覚の授業で秋田の漬物と、京都の漬物を嗅ぐ授業があったんだけど、やっぱり京都の漬物って上品に匂うんだよね。」「そうかい、いい授業だったね。でも、お母さんはやっぱり東北人だから。」こんな会話が夕げの食卓で行き交っていた筈だ。触覚教室、なんてものがあったらどうだっただろう。「今日は、電気を暗くして、触覚だけで45分授業です。みなさん、想像力をたくましく磨きましょう。」とか先生が言い出す。わたしなんか、このためだけに学校に通ってもいいように思えて来てしまう授業になっていたことだろう。もしかしたら、ヒキコモリなんていう現象も起こらなかったかもしれない。臭覚教室と触覚教室があったら、きっと世の中変わっていただろうと思う。この二つが磨かれていたら、人生それ自体ももっと豊かになっていたのではないだろうか。今晩は、ジャワカレーにキムチあたりがいい気がしている。人気blogランキングへ遠慮と躊躇のないクリックをお願いします。
2005年07月20日
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19日の日記の続きある日、えり子を中央区の月島にあった児童館に誘うことになった。池袋の同伴喫茶とかではない健全な響きがあり、彼女も喜んで付いてきてくれた。兄がここで働いていたこともあり、第一に浮かんだ安全な場所だった。勝鬨橋を歩いて渡ると、佃煮の匂いが今にも匂ってくるようだった。惚れ易い性格に文句があるわけではないが、あれほど恋焦がれたMへの思いが、こんなに簡単に終わってしまったことが信じられなかった。恋の破局は、というよりMの場合はまったくの片思いだったが、時間と次の相手が癒してくれる。これに、忘れっぽい性格があるとさらに加速される。「私、将来こういう仕事もいいな。」月島児童館の中でいわゆる鍵っ子と遊びながらえり子が言った。子供が好きな人に悪い人はいない、などということを単純に信じていたわけではないが、笑顔で子供達と遊ぶえり子の姿が眩しく迫ってきた。私と違って実直一筋の兄は、私が予備校でもちょっかいを出しているのかと少々呆れ顔で対応していた。1971年の12月は重い受験の束縛から抜け出せないまでも、時と場所を選ばない恋心に弄ばれた年末となっていった。でも私は有頂天一歩手前まで来てしまっていた。年が明けて、いい調子でえり子に擦り寄る手紙を書いたら返事がきた。「私、立原正秋が好きなの。読んだことある?男と女、好きとか嫌いとかそんな関係だけじゃなくてもいいのではないでしょうか。咲いている花を見て、一緒に綺麗だな、なんて言い合いながら、ケラケラ笑いながら生きていく、そんな生き方だっていいんじゃないのでしょうか。」私は、唖然で口が閉まらなくなった。何なんだ、これは。この温度差は。独りよがりの先頭ランナーが捻挫でこけた。「こけちゃいました!」なんて笑っている場合でもない。結局は、いつもの片思いお決まりのフルコース。えり子の婉曲表現がかえって鼻につく。「これからも予備校で会ったら気楽に、おい、って声かけて。」それで終わっていた。しかし、実際にはもう二度と会うことはなかった。逃げ場のない受験がもう一ヶ月先に迫っていた。一浪の一月にこういうことはよして欲しい。やるせない予備校生活に、遠慮なく火をくべる結果となってしまった。今だったら、手練手管で何度でも再挑戦とかできただろうが、当時は本当に褒めてあげたいくらい純情だったのだろう。もっとも、いまこんなことがあったら、B型が息づいてしまい危ない話ではあるが。人気blogランキングへ遠慮と躊躇のないクリックをお願いします。
2005年07月20日
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「タコ社長は、B型の双子座ですか。ふーん、2人の女性を同時に愛せますね。」寝た子を、新宿歌舞伎町辺りで起こすな、状態だ。こちらにおられる、ある女性実業家からそう言われた。おだてに乗って、本気になりかけ危険信号。もっとも、これをオダテといっていいのか分からないが。両親には、トラとでも仲良くできる健康な息子に生んでくれて感謝している。しかし、正直言ってB型、度し難いところがある。人気blogランキングへ遠慮と躊躇のないクリックをお願いします。
2005年07月19日
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「タコ君、高橋和己読んでごらんよ。」「え!巨人の高橋カズミが本書いてんの。」「相変わらずバカなこと言ってるね。」「タコ君、逃げて逃げて、とことん逃げてみる人生もいいかもね。その先に、きっと何かが見えて来るんだよ。」高校時代2年片思いした学生運動の闘士Mは焦点が定まらない目で、まるで自分に言い聞かせるようにそう言って最後のショートホープにマッチを寄せた。 4月を迎えた。私は、受験したすべての学校に落ちて予備校生になっていた。当時、東京の御茶ノ水界隈では、大学も含めて最も優秀な学生が在籍していると言われたS予備校にもしっかり落ちた。もう、これ以上落ちるものがないくらいだった。結局、大塚にあったM予備校に通うことになった。予備校教師の元気の良さとは反比例して、私の気持は地べたに張り付いたまま離陸しない。予備校の椅子は三人掛けの唯の長椅子。座る者の体調などには何の配慮もない。痛い毎日が始まった。ある日、突然私の前の女子学生が泣き出した。三人掛けの真ん中で身動きがとれないように小さくなってシクシク泣いている。理由は分からない。私には、部屋中の150人が皆泣いているように感じられたて息ができなくなった。私は、唯逃げたかった。その学生は、二度と戻ってはこなかった。 毎朝、起きるとまずMの顔が浮かんだ。これではいけない。最後に荻窪のラーメン屋で塩ラーメンを食べてから72日目で思い切ってMに会うことにした。なんと、会えない日を毎日数えたていたという律儀な性格は健全だった。Mは自分の志とは違った大学で教師になるべく学んでいたが、以前とは違って底抜けに元気になっていた。どうしたんだろう、この明るさは。デモで機動隊に捕まった話を聞いても何にも伝わってこない。私は、その明るさに嫌悪感のようなものを感じて、思い積み重ねてきた彼女への気持が一気に崩れていくのを感じだ。彼女への思いって、一体なんだったんだろうか。それぞれの置かれている立場で変わってしまう思いなんて、何なのだろうか。 一生この予備校にいて、二階の簡易食堂の水のように薄くて黄色過ぎるカレーライスを飲むように食べ続ける人生でもいいように思えた。ここから抜け出せるなどという思いはどこからも湧いてこなかった。「私、佐山えり子。白鴎高校出身よ。あなたは?」そのまま本を2,3冊ブックバンドでとめて持たせたら、女子大生と言ってもいいような爽やかなえり子が目の前にパッと現れた。私は、予備校の一学期の成績が悪く午前文系のN組みからO組みに回された。そのとき、そのクラスにいたのがえり子だった。単純明快なタコ予備校生、このことだけで予備校生活が急に明るくなったように思え、毎日パチンコ屋などに寄り道しないで、まっすぐに予備校に向かう清い生活が始まった。こうして、Mへの片思いは2年と少しで終わることになった。 つづく人気blogランキングへ遠慮と躊躇のないクリックをお願いします。
2005年07月19日
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中学時代は砲丸投げ。毎日、黙々と鉄のタマ投げていた。人生は、このタマを投げるためにある、みたいな日々。そして、問題は誰にも注目されていないこと。第一、危なくて人が寄り付かない。先日、お会いした日系企業の支店長さん、学生時代はバスケだったそうだ。そういえば、バスケにはどういうわけかイケメンが揃っていた。この支店長さん、わが社のスタッフが、「上司にしたいNO1」と言って憚らない方で、バスケの出身というのが様になっている。中学時代のバスケット部も、こういう支店長さんみたいな者が集まっていた。そこへいくと陸上部、良く言えば荒削り野武士集団、悪く言えばい田舎者の寄せ集めでツブがバラバラだ。それでも、一度だけ華やいだことがあった。6年生のとき、別の小学校に通っていたM女を目撃、度肝を抜かれたことがあった。その派手な体型、その美貌、とてもじゃないが6年生なんていってられない勢い有り余ったMで、そのまま吉祥寺あたりに連れて行けば、職はいくらでも見つかってしまうような艶っぽさまで備えていた。このM女と同じ中学になったときは、タコ学生との大型同士の交流を大いに期待したものだった。このM女がその体型から、ある陸上大会の砲丸投げに出場することになったのだ。二人して、来る日も来る日も鉄のタマ投げる荒くもあったが熱い日々。「こう持って、タマを顎の下にいれて、こうして。」などとほぼ完璧にできているフォームにさらにしつこく磨きをかけさせてもらった。ブルーマ姿がたまらない。タコ学生、不純な気持ちでタマ投げていて調整を誤り、本大会では入賞漏れの4位に終わり、スポーツに下心はあってはならないと身をもって体験するハメになってしまった。人気blogランキングへ遠慮と躊躇のないクリックをお願いします。
2005年07月19日
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「体の中で、『お』のつくものを五つ言ってごらん。そうしたら、只ですきなオデンを上げるよ。でも、『お』をおとしても言えるのはダメだぞ。」子供の時、おでん屋さんからそういわれて、ずっと遅くまでその屋台の後とついていったが、結局ダメだった。「お、、、」と言いかけて止めたのがいくつもある。危なかった。未だに、この質問が解けずにおでんが食えない。みなさん、お願いします。考えてください。「お」で始まるといわれました。 おでん食いたい!人気blogランキングへ遠慮と躊躇のないクリックをお願いします。
2005年07月18日
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ゴムがなくなっているのだ。緩くなった靴下を止めるための輪ゴムとかの話ではない。「タコ君、持ってないのかよ。ダメだよ。櫛とゴムは男の身だしなみだよ。」サラリーマンをしていたとき、海外営業部のMさんが私をそうたしなめた。世の中、いつ至福が訪れるかわからないから、財布などに必ず一つは持ってないとならないと駄目だというのだ。エイズも心配になり始めた頃のことだ。ところが、財布に入れてみるとこれが結構目立つのだ。中学時代にプールで流行した、「銭型タムシ」が一番元気に大きくなった時くらいの大きさで、財布の外側からでも輪郭がくっきりと浮かんで見えたりして、知っている人だったら、絶対に「これ何?」と訊かない優しさがある。オランダ系の連れ合いとは14年になる。付き合い始めた頃は、会社のMさんの忠告も時効を迎えておらず律儀に携帯していた。習慣とは恐ろしいものだとも思った。ところがある日、私の財布からそのゴムが突如として無くなっていた。今だったら、使ってしまったのかどうか忘れるくらいの老人力は備わってはいるが、当時はまだ30代後半。まだそこまではいっていない。かと言って、いくら日本製の感触が最高とはいえ、スリなどがあれだけを取って現金を取らないで返してくれていたなどということも考え難い。となると、考えられるのは最も身近な人がやったとしか思えない。連れ合いから、嫌というほどの強いメッセージが届いていたということなのだろう。ところが悲しいかな、私の財布、厚みのある輪を押し花にしたようにくっきりと跡が残ったままだった。だから、あの財布を毎日見るたびに、連れ合いが後ろに立っているようで勇気が出て、真面目に仕事に取り組む環境が整い、仕事は嫌でもスムースに進んでいった。人気blogランキングへ遠慮と躊躇のないクリックをお願いします。
2005年07月18日
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「オーストラリアねえ。」Y副社長は、そう言って黙ってしまった。9年弱勤めて辞職するときに挨拶に出向いた。商社出身のY副社長は、物腰が柔らかく丁寧な言葉遣い、そして上品な身だしなみでいつも私たちを魅了して止まない方だったが、「にっこり笑って人を斬る」といわれていたほど仕事には厳しい方だった。「会社辞めて、オーストラリアに行って何をするんですか?」「日本語教師をしたいと思っています。」「日本語教師ねえ。」副社長は、再び黙ってしまった。Y副社長は、インドのビジネスにことのほか力を入れていた方で、私がインドの担当だったので、ときどき平社員の私に直接電話をかけてきたりして話しをする機会もあった。しかし、雲の上の人ではあった。「そうですか。A部長には、オニイサンをあんまりいじめるなって言ったんだけどね。」名前をいわず、いつもオニイサンといわれていた。先輩がよく、「タコ君ね、サラリーマンなんか10年やって、やっと会社に恩返しができるくらいになるんだよ。それまでは、会社は投資しているんだからね。」と言っていたが、その言葉を思い出して、会社には申し訳ない気持ちがしたが、自分の人生は、自分の駐在地は自分で決める、と決心したからには会社に遠慮しているわけにはいかなかった。「そう。じゃ、オニイサン頑張ってやってください。これをお祝いに上げましょう。」Y副社長は引き出しからクロスのボールペンセットを出して私に静かに渡してくれた。私は、丁寧に挨拶して部屋を出た。まだ海のものとも山のものとも分からない私に示してくれたY副社長の思いが嬉しかった。オーストラリアのメルボルンで会社を興して9年になる。何人かのスタッフは、いろいろな事情があって去っていった。そして、上に立って分かったことがある。一緒に神輿を担いでくれる人がいなくなることは、それだけ神輿が重くなるということもあるが、お祭りを楽しんだり酒をあおったりする人が減って寂しいということなのだと。私は、ビザのあてもないのに、オーストラリアに移住して絶対に日本語学校を成功させなければならないと強く心に刻み込んだ。人気blogランキングへ遠慮と躊躇のないクリックをお願いします。
2005年07月18日
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小学校2年の頃、自分の体に説明しがたい異変が起こり深く人生に悩み苦しんでいた。父さん、母さんにも、年の近い兄さんにも相談できない。姉さんなんかいた日にゃ、もう家出状態だったろう。大人になってもこんなことが続いてしまったら、アメリカのテレビドラマなんかでやっているように、女性と楽しくダンスなんか腰が引けてしまってできなくなる。私は、男女間肉体的接触のない村の盆踊りとかで一生我慢して生きていかなくてはならない。なんで自分だけこんなメに遭わないとならないのか。本当に真剣に悩んだが誰にも相談できないで悶々としていた。しかし、いつまでもこれではいけないと、ある日思い切ってTに相談することにした。Tも私と同じように、小学校2年にして136センチくらいあった生徒だった。するとTはあまりにも簡単に、「俺もそうなんだよ。」と、今日の弁当のおかずは自分も卵焼きだよ、みたいな軽い調子であっさいと言いのけた。その時私は、少なくともこの世の中に変な奴が二人はいるんだと分かり心の底から安心した。もう、腰を引かなくてもいいと。そして友とは実に素晴らしいものと実感したし、こういう時に友達がいると人生の不可解さを乗り越えていけるのだと体で学んだ。それからの人生で、いろいろと悩みを尽きなく与えてくれる部分ではあるが、解決不可能と深刻に悩んだあの時の悩みを越えるものは、幸いにしてなかった。少なくともこの年までは。私は、いまでも状況に応じてあの事件を思い出している。人気blogランキングへ遠慮と躊躇のないクリックをお願いします。
2005年07月17日
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何だが、ぼんやりとお産婆さんの顔を覚えている、といったら嘘になるだろうか。なるだろうな。世田谷の三軒茶屋で生まれ、半年後に大根のにほい麗しい練馬区豊島園に引っ越した。5つの時、隣の家の大きなイチジクの木によじ登り、力尽きてズルズルと下がってくる途中に体の一部に異変を来たした。大切な所(当時は、そんなに大切でのちのち大いに役立つ所などとは思ってもいなかったが。)を損傷してしまったのだ。母は、大いに狼狽して、イチジクの葉で患部を隠したとは言わないが、小さな布をあてがって押さえながら、近くのヤブといわれていた医者に駆け込んだ。だから私は、見せるわけにはいかないが今でもその後遺症に悩んでいる。そしてそれ以後、イチジクは食べるだけに留めている。 つづく人気blogランキングへ遠慮と躊躇のないクリックをお願いします。
2005年07月17日
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「ちょっと一緒に本屋に行こうか。私、本を万引してくるから。」高校3年のことだった。二年間、片思いし続けたMだ。彼女も十分過ぎるほど私の気持ちを知り尽くしていたが、決してなびいて来ることはなかった。高校紛争の闘士として急激に過激になっていったMで、世を儚んだところがあり時々常識を超えた行動をとる。そして、その日彼女は本当に万引きしてみせた。父親が警察官の私には、そんなことは夢でやれと言われても断るような全身実直な頃の話で、私には見ているしか術がなかった。「吸いなよ。」と中央線国立駅南口にあった「邪宗門」という喫茶店で、ショートホープを勧めたのもMだった。吸いたいものは他にいくらでもあり、タバコだけはダメと思いながらも吸ってしまった。洗濯板に干し葡萄と渾名されていたMの華奢な体からは、想像できないほどの反体制のエネルギーが発散されていた。私の片思いの気持ちは、自制できないまま彼女にのめり込んでいった。しかし、彼女には同じ高校に過激派の彼氏がいて、私の思いは行き場のないまま堂々巡りをしていた。この男、格好いいのだ。とても歯が立たない。1月のある日、私とMが二人で帰った日がある。国分寺のそば屋でカレー南蛮をつっつきながら、「本当はね、真面目に勉強して東大に入ってね法律関係の仕事がしたかったんだ。」Mは私の方を見ずにそう言った。「それで?」「バカだね、こんなことしてて入れると思ってるの?もう、そんなことどうでもいいの。もう世の中なんか終わっちゃっていいの。」私は、残り少ないカレー南蛮をゆっくりと食べ続けた。「今日、お袋の誕生日なんだ。」「そう、じゃ、西友に行こうよ。」まさか、また万引きとか言い出すのではないかとハラハラした。「この財布はどう?」Mが手にした財布は結構私も気に入って買うことにした。そう言いながらMは、自分の財布から五円玉を取り出してプレゼントする財布に入れた。「ご縁があるようにって言うでしょう。お母さんを大切にね。」タバコ臭くて強がりばかり言っているMが一瞬優しく微笑んだ。Mは、それでもある国立大学にストレートで受かり、その後さらに学生運動に突き進んでいった。今、風の噂ではMは、東京のある小学校の教頭先生になっているという。万引きなんかする生徒がいたら、どう対応しているのか会うことがあったら聞いてみたいものだ。毎年、母の誕生日には、今でもMのことが心をよぎる。人気blogランキングへ遠慮と躊躇のないクリックをお願いします。
2005年07月16日
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大学時代にウエートトレーニング部に所属していた。因みに、女子部員も2人いた。筋肉って、こんなに付くもんなんだと感心したのを覚えている。タコ社長、ジムが復活している。ジムといえば筋トレ。日本で元高校教師のSさん曰く、「タコ社長、国際結婚の殆どがオージーの男性と日本女性の組み合わせでしょう。それで、この間どうしてその逆が少ないのか聞いてみたんですよ。分かりますか?それはね、筋肉らしいんですよ。」一瞬、固まった。金力とかではなく筋肉だと言われる。「大きくてがっちりしていて、筋肉隆々。こういう男をオージーの女性は求めているんだそうですよ。」果たして、どれだけのオージー女性の統計なのか、この際それはどうでもいいことにしよう。そうだったのか、筋肉だったのか。気がつくのが遅すぎたのか、早すぎたのかは他の方々の判断に委ねるとして、この年にして筋トレに目覚めたことはまんざら徒花でもなかったようだ。これからは目的意識を整理して励みたいとおもう。「タコ社長、筋肉って一度ついたら、それをキープさせるためにずっと筋トレやり続けないとダメなのよ。そうでないと、リバウンドがあって100キロ超えるわよ。」別な方の忠告だ。「了解しました。死ぬまで筋トレに励みます。」「失言は続くよどこまでも」にならないためにも、一度決めたこと、一度決めた相手にはしつこくトライを重ねていくべきだろう。人気blogランキングへ遠慮と躊躇のないクリックをお願いします。
2005年07月16日
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私は、自慢じゃないがいろいろと弱いところがある。肌もその一つだ。よく覚えていないが、赤ん坊のときはお尻が蒸れて真っ赤っかで、母は面倒くさいので下半身何も履かせず放っておいたとか。そのまま育っていたらどうなっていたかとちょっと怖くなった。今は、座りのより「パンツを履いたタコ」になっている。必要に迫られたわけではないが、何も着ないで寝始めて久しい。「何も着けないで寝ると、健康にいいし体の線が綺麗になる。」と幹部スタッフが友達と話題になったと仕事中に話していた。皮膚の呼吸にもいいのだろうとも思う。「じゃ、タコ社長は体の線がきれいだというの?」とある女性がこの幹部社員に言ったとか。私の体の線が、社内で話題になっているらしい。いやそんな訳は120%ないだろうと思いながらもちょっと気になって鏡を見たりして人生に悟りがない。タコ社長、未だに弱い肌だが、人の噂にはもっと弱いところを露呈、隙がありすぎる毎日だからフンドシ締めなおしてやっていかないとならない。人気blogランキングへ遠慮と躊躇のないクリックをお願いします。
2005年07月16日
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麻婆豆腐のことを書いたら、ちょっと前のジムのサウナ内でのことを思い出した。何かの拍子に、麻婆豆腐の話しをしたくなり、水着に汗だくの中国人の女性に、「マーボードーフー」何回言っても通じない。上海から来て6年になるという40絡みの人だった。その内、掌に漢字で書いたりしてみた。そして、やっと通じだ。すると、今度は「トーフー、トーフー」と繰り返す。英語がよく分からないので、なんだかむんむんするサウナの中で叫びあってのぼせてしまった。中国系の女性は自分の方から話し掛けてくる。このサウナでも、そうだった。英語が分からないわりには本当に物怖じがない。もう少し、白人女性から話しかけてもらいたい、などとは夢にも思わないが、違いがはっきりとしている。「あんた、何人?」とか「どこからきたの?」とかストレートな質問が飛んでくる。黙っていると、何歳とか、結婚してるの、なんて発言が立て板に水状態だ。こういう会話への参画は相手にもよる。返事するたびに上気できるような相手なら、貯金通帳の額まで言ってしまいそうだが。普通は、そこまできくか?と思う。その点、こちらの人は絶対に初対面の人に個人的なことは聞かない。文化の違いだろう。あまり聞かれないので、こちらから聞くことにしている。人気blogランキングへ遠慮と躊躇のないクリックをお願いします。
2005年07月15日
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にわかには信じがたく、実際に嗅いだわけでもないがどうやら「カンガルーはオナラをしない。」と言ったオランダ系の連れ合いのイトコの弁は正しいようだ。たとえしたとしても、派手にはしないということなのだろう。そこえいくと、羊はオナラ、ゲップのしまくりだそうだ。人口が350万、羊が6000万と言われるニュージーランドでは、これは笑い事ではないという。ネットで調べたら、「牧草と一緒に羊の体内に取り込まれるmicrobe(微生物)が、羊の胃の中で悪さをして、羊のゲップに有害ガスを発生させてしまうのだそうです。京都議定書を批准したNZとしては、有害ガスを減らす義務があるので、羊のゲップを無害にする研究をしているというものでした。」とあった。京都議定書を考えたとき、農業先進国のオーストラリアやニュージーランドには別な悩みがあったようだ。これからは、地球規模でオナラを考えていかないとならない時代に入った。人気blogランキングへ遠慮と躊躇のないクリックをお願いします。
2005年07月15日
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今日の写真 緑多いブリスベン人間は一日に5万くらいのことを頭に浮かべるという。それこそ5万とある、と言われる所以である。先日、タコ社長数えてみたら3万を割っていて人生の秋。人生にアキているわけではないので、医者もまったく問題ないと言っている。ただ、今やらないとならない仕事が287個くらいあって、本当にどこから手をつけていいのかわからなくて何もしていない静かな生活が進んでいる。昨夜、そんなゆったりとし気持ちで家に帰ると、オランダ系の連れ合いが三つ指付いて出迎えてくれたのか、と思いきや我が家の老猫ルーシー130歳と床で戯れていただけだった。ところで連れ合いが「麻婆豆腐」を作ってくれていた。8時半を過ぎていたので私はそれを温めて一人で食べる。あとは四合くらいのちょっと硬めのご飯が焚いてあった。こちらは、「一品主義だから」おかずは「麻婆豆腐」だけ。朝から、味噌汁ご飯にシャケの焼いたのとか、夜はおかずが三品ないと箸さえつけない、などとのたまう御仁「ご主人様」主義の人は絶対に西洋人と一緒にはなれないと言い切れる。まっ、日本にもそんな御仁は少なくはなっているだろうけど。国際結婚では破局も売るほど多いが、日本女性と外国人という組み合わせが圧倒的に多い。それは、日本女性がもてるという定番説もあるだろうが、日本女性の側からすると楽でいい、というのがあるのではないだろうか。西洋人の男性は、優しいし皿も洗うし食事は一品でも文句言わないしで。但し、その調整を間違えると白人男性もとんでもない亭主関白に育ってしまいそうなのも事実だが。ここらへんは是非、経験者の弁を待ちたいところだ。というわけで、昨夜は久しぶりのかき込み大き目茶わん三杯飯完食の宴。美味かった。だから私には、ちょっと横に鯵の干物とか、サトイモの煮っ転がしとか、きんぴらとか、ヒジキの煮たのとか、そんなものが少しでもあったらいい、などという贅沢な思いはこれっぽっちもない。願わくは、「麻婆豆腐」の肉は塊ができるだけないようにして欲しい、と思えたことくらいだ。というわけで、皿洗いも気合の入る気持ちいいい夜となった。人気blogランキングへ遠慮と躊躇のないクリックをお願いします。
2005年07月15日
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子供が行ってもトシマ園で写生会があった。小学校3年の時だった。ロバの横顔なんかいい気持ちで描いていたら担任のS先生に呼ばれた。「タコ君、樋口さんにお菓子を持って来ていいって言ったのか。」当日はお菓子を持参してはいけないことになっていた。それはオカシイと思った。まったく身に覚えはなかったが、樋口さんは言い張るし、しこたま怒られて終わった。私は、ロバの絵を描き続ける気力もなくなりすねてしまった。なんでいつもS先生に怒られるのは自分なのか。疑いなく、この一件がタコ画伯のメを摘んだことになった。もっとも大久保清よろしく、ベレー帽姿で女性を誘っては殺人を繰り返していた画伯もどきもいるので、考えものではあったが。シャセイといえば、オーストラリアで40歳から69歳までの男性2000人を対象にアンケートを取ったところ、週5回以上シャセイしている男性は、前立腺癌にかかる可能性が三分の一に減るという結果がでた。じゃ、キャンバス持って会社に行こうか、と思ったわけでもないし、10回ならどうなんだと凄んだりしたわけでもないが、なんだか冬に相応しい話題で胸躍る思いがする。因みに、その形体は問わないということだ。イタリア人男性は、トマト常食のおかげで前立腺癌が少ないという。じゃ、イタリア人男性が大いにシャセイしたら、鬼に金棒、ぬかにキュウリ。もっとも彼らは放っていてもシャセイしている人たちだと、ヨーロッパでは言われているらしいが。だがこれは、もしかするとイタリア人男性の生きる知恵なのかもしれない。タコ社長、次回のシャセイ統計調査が回ってきたらどうしよう、と今から心配だ。人気blogランキングへ遠慮と躊躇のないクリックをお願いします。
2005年07月14日
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今日の写真 赤ワイン、一杯やりませんか昨年結婚した「ナニワの伊達男幹部社員」が、タコ社長最近飲みに誘わないとこぼす。誘ったら絶対に断らない「気の置けないIT幹部社員」は日本に帰ってしまったし、最近深酒が多いと噂の「ナニワのベテラン幹部社員」はブリスベン駐在になって久しい。酒が飲めないなら、なんのために会社をやっているのかまったくわからない。これは誰にも譲れないタコ社長の基本姿勢。最近、オランダ系の連れ合いからのこの基本姿勢に対する物言わぬ攻勢もかかっている。連れ合いは、残業の多いマーケティングの仕事から、時間の余裕のある部署に最近配置換えになって待ち時間が長くなっていることが、この攻勢の遠因になっている。いろいろな要素が加わって酒が飲めない。うちでは毎日あおってはいるが、制限がかかるし、酒を飲む、という表現にはうちは入らない。車でいえば、油切れ、懐中電灯でいえば電池切れ、不倫でいえば縁切れ、貧しい家庭でいえば醤油切れ。切れていいのは買ったばかりの包丁。結構毛だらけ状態だ。さて、今晩も数えればすぐ終わってしまうタコ社長のワインセラーから、一番安い赤ワイン「誰もシラーズ」を開けて一気飲み。人気blogランキングへ遠慮と躊躇のないクリックをお願いします。
2005年07月14日
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セックスの最中に死亡した人たちの内、4人に3人は不倫中であった、とメルボルンの朝日新聞「The Age」紙の統計欄に出ていて有り難い。日本の朝日も見習って欲しい。確かにこういうことは、歴史に学ぶに限る。しかし、こんなことをコマメに調べる人がいることの方がもっと有り難い気もする。だが、怖いのは、世の中ってそういうもんなんだ、と思ってしまう自分がいることだ。人気blogランキングへ遠慮と躊躇のないクリックをお願いします。
2005年07月13日
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惚れやすさはタコ家の家系。ある時期、もし動いていれば電信柱にでも恋してしまうような時期があった。それは、よく当てのない旅をしているときなどに遠慮がなかった。リサはアメリカから来ていた旅行者だった。1986年の元旦をニュージーランドのクイーンズタウンで迎えた私は、その狂乱の酔いを引きずりながらバス旅行を続けた。クイーンズタウンのフィヨルドの絶景は、世の中にこんなにこんあ所があってもいいものかというような迫力があった。バスの目差すは、あの氷河のフォックスグレイシア。リサとはバスの隣同士で自然に話が始まった。否、不自然だったかもしれない。こと恋に関しては、火事場のばか力が働く。リサはビニール袋いっぱいになぜかニンジンを詰め込んで膝の上に載せて、時々思い出したようにぼりぼりと音を立てて食べていた。こういうニンジンの食べ方をする人はどんな人なのかと好奇心も湧く。彼女の右手の指はニンジン色していた。彼女はカリフォルニアから来ていた27歳になる消防士。火事場のばか力も消されてしまいかねない。自らをファイヤーファイターと呼んでいた。ファイアーマンは、差別用語になるという。格好のいい職業名だ。左手には文庫サイズの本を抱えていた。見ると「フロイト」と書いてあった。日本の村の消防団の人は、寄り合いの旅行なんかでこういう本を読むのだろうか、などと思ったわけではないが、ちょっと意外ではあった。ニンジンの話しはともかく、「フロイト」に関しては興味は有り余るほどあるのだが論じるには知識不足だった。ニュージーランドを車で回るとその景色がまるで映画のように私たちを楽しませてくれる。しかし、どこへ行ってもいつもきれいで、その内、この山、川、緑の草原のパッケージへの感動が薄れてきた。というよりも、リサのことが気になってきたと言った方がいいのかもしれない。私は、しばらくの間景色をまったく見ずにリサとの長い長い会話を楽しんだ。こういう時は上気していて自分の英語のまずさなんか全然気にならない。語学の上達には上気が欠かせない。恋とか愛とかが全く入り込む隙間のないようなそんな乾いた二泊三日だった。少なくともリサの方からは。「私は景色にあんまり興味がないの。私は、知らない所で知らない人と、そして、知らない自分に出会うためにこうして旅にでるの。考えてもみて、いつも火事や災害に立ち向かう自分がすべて。でも、こうしているともう一人の自分に出会えるの。」そう言いながら彼女は、悲しいとも楽しいともとれるような顔をして微笑んだ。クライストチャーチに戻って、リサと出会ってから3日目の晩、彼女は急にタクシーを呼んで、「行かなきゃならない所があるの。」と言った。それはないだろう、と不意をつかれた私は、おあずけの肉を急に取り上げたら犬よろしく唖然としてしまった。こんな遅い時間だから、そういう関係の人なのだろうとは納得がいった。旅の途中でいくらでも友達ができる性格と美貌を供えていたリサだった。タクシーが出て行くとき、彼女は窓ガラスをゆっくり下ろして満面の笑みを浮かべながら掌にキスをしてそれを優しく吹いてよこした。こんなことをして絵にならない人には絶対にできない仕草だった。ニクイ人だ、と思った。翌日、約束していた場所にリサは予想通り現れなかった。私はまた一人で20キロ近くあるバックパックを背負って美しいクライストチャーチを後にした。こうして、私の下心を鍛える終わりの見えない旅は続いていった。人気blogランキングへ遠慮と躊躇のないクリックをお願いします。
2005年07月13日
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今日の写真 マナーが気にならないダーリンを寝取られた歌、これが州の歌になっているのがアメリカのテネシー州だというので、一生に一度はどうしても行ってみたいと思う。ご存知、江利チエミの歌った「テネシーワルツ」だ。10代の頃、紅白歌合戦などでも楽しませてもらったことが、大昔のように思えるから私も随分年取ったもんだ。たまには、カラオケで洋物なんかと思ってこの歌を学習していたら、とんでもない歌だった。自分のダーリンとダンスをしていたら、女友達が入ってきた。ダーリンにその友達を紹介した後、友達とダーリンが踊り始めた。そうこうしているうちに二人は仲良くなってしまった。結局ダーリンはその女友達の元に去っていったというストーリー。州をあげて、そんなことを奨励しているのがテネシー州なのだろうか。茶の匂い香る東村山音頭とかが市の歌になっているような所から出てきているタコ社長には、ちと刺激が強過ぎる。チエミはどんな思いでこの歌を歌っていたのだろうか。因みに高倉健は、チエミを最後まで愛していたと思う。男も女も、本当に心が通じ合っている人たちは少ないのだろう。今日も、すっきりと一日がスタート。人気blogランキングへ遠慮と躊躇のないクリックをお願いします。
2005年07月13日
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今日の写真 例えば、日本の食卓では、芋の煮っ転がしの横にオーストラリアワインがある「日本人の腸は長いんだよ。」オランダ系の連れ合いにそういうと、「本当に日本人はバカなこという。」と日本語で返事が返ってきた。皆さんご存知でしたか。私も、実際に取り出して比べたわけでもないし、佐川君のようにオランダ娘をフランパンで炒めて食べたりしたついでに調べたわけでもないのでイマイチ押しが足りないが、一般に長い年月を経て草食と肉食では腸の長さに差がでるそうだ。チョウだったのか、なんて言われても困るが。ところで、宿便という言葉をよく耳にする。私だけだろうか。広辞苑を紐解くまでもない人気のある語彙で、子供の時暗くなるまで野球なんぞに明け暮れていると母親からよく言われたものだ、「こら、宿ベンしたのかい?」とか「早く宿ベンしちゃいなさい。明日、先生に怒られるよ。」って。ちと違うかな?しかし、疑問に思うのだが、一体全体、宿便ってどこにどう隠れているのだろうか。あれだけ毎日一生懸命頑張っているのに、どうやって隠れているのか。日本人は腸が長いので、西洋人より宿便の隠れる場所が多いのだろうか。何だか、褒めてあげたくなってしまうほど努力しているではないか。こんなこと言い出したら、今度こそ連れ合いにはしばらく相手にしてもらえなくなってしまいそうだ。人気blogランキングへ遠慮と躊躇のないクリックをお願いします。
2005年07月12日
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朝にふさわしい題材に再挑戦してみよう。「お兄ちゃんね、こういう所に来るときにはもっとお金持って来なね。」その中年女性は、そういいながら服をつけた。なかなか入れないで店の前を行ったり来たりして、あんなに勇気を奮ってやっとの思いで入った所だった。東京は池袋の西口の、落語で有名な池袋演芸場をもう少し行くと何とも妖しげな店が立ち並ぶ路地がある。大人になりかけのタコ青年、好奇心に燃え尽きそうになりながら、「1000円」という文字にしっかり惹き付けられストリップ小屋に入ってしまった。時効ということで開チンします。その中年女性は、ほんの5分くらいクルクルしたりして厚手の上着を脱いだだけで、「はい、これ以上は別料金よ。どうする?」ときた。全く、何も見せてはいない。私は、こういうのがどうも嫌いで仕方ない。どうしてこれを称してストリップなのだ。子供の頃、千葉辺りの潮干狩りに来ていたシュミーズのオバサン達の方が、よっぽど色っぽかった。私は、秋田辺りから集団就職で出てきたわけではないが、まだ人を疑わない気持ちの強いころで、それを前にしてこれはないだろう、と憤った。こういうのが大人の世界というのなら、これから一生185センチ82キロの子供でいたい、などと思ったわけではないが、こういうことは、警察官の息子として育った者には絶対に受け入れがたく、官憲に言いつけてやりたい衝動に駆られた。「お兄ちゃんね、出るときにちゃんと見てね。看板に1000円からって書いてあるからね。私に文句言ってもダメよ。」もう、そういう親切心も通じない。あれだけエネルギーを使って入ってきて、このザマはなんだ。相手に不戦勝の至福を大いに与えてただ帰るなんて。そうとは言え、どうすることもできないカモネギタコ大人候補生。仕方なく出るときにその看板とやら確認したら、老眼になった今なら絶対に書いていないと言い張って中に戻れるくらい小さな字で、「から」が書かれていた。人間はこういう経験を積みながら、だんだんと大人になっていくのだろう。とはいえ、その後何度もここに出入りした、という訳ではないが。だからタコ社長、今でもこの「から」という文字に出会うと体が思いっきり萎えてしまうところがある。人気blogランキングへ遠慮と躊躇のないクリックをお願いします。
2005年07月12日
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小学校時代の三種の神器は、ズックにランドセルにアツギのタイツ。ランドセルは今でも健在なのだろうし、アツギのタイツはらくだの股引に取って代わられて姿は変えてはいるが生き残っている。しかし、ズックはどうしてしまったのだろう。ズックという表現を最後に使ったのはいつだろうか。裸足、ワラジ、地下足袋、ズック、運動靴、スニーカーと変遷してのだろうか。ズックとランドセルの語源を調べたら、案外と身近にあった。オランダ語だった。私は、子供の頃から、案外オランダに縁があったようだ。いまでも、ズックということばは日本では使われているのだろうか。人気blogランキングへ遠慮と躊躇のないクリックをお願いします。
2005年07月11日
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今日の写真 しっかり巻いていこう「5000円入ったんでね、ちょっと買い物したんだけど足りなかったよ。」日本に電話したら母がそう言った。日本でサラリーマンを9年弱勤め、脱サラしたときに対して持っていなかったその会社の株だったが、最低保有株の限度として1000株残した。世界の自動車会社としてその地位を不動のものとして、正に将来世界一を目指すトヨタのように株の配当が65円くらいならともかく、僅かに5円だからそんなもんだろう。思い入れのあった会社だったから、まったく関係が切れてしまうこともなんだと考えて、残しておいた。カブといえば、小学校のときの劇「大きなかぶら」くらいでしか縁のない人生。あ因みにいつも劇ではジイサン役だったタコ社長、昔から老け役が多い。母は、小額でも嬉しそうにそう言ってくれた。「それから、お前がこの前来たときに要らないって整理した夏物のパジャマね、まだ新しいものもあってもったいないからお母さんが着ようと思ってね、それ着て鏡の前に立ったら、あっ、タコだってお父さんと二人で大笑いしたんだよ。」誰からも、後ろを向いていても母親と瓜二つと言われているタコ社長だ。この夏も、二人して仲良くやってくれている。人気blogランキングへ遠慮と躊躇のないクリックをお願いします。
2005年07月11日
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