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バーブラ・ストライザンド 1. B・ストライザンドはブロードウェーの舞台ミュージカルでデビューしたあと、アメリカンポップス界を席巻した人で、その唱い方には明らかに舞台の影響があります。一言でいえば、地声で劇場隅々まで届く息の長い声量、明晰な言葉使い、さらに加えて彼女特有の広音域と、ドラマ性というところでしょうか。一聴しただけで、独特の粘着質な歌いぶりが分るでしょう。 多少の歌唱力があっても、強烈な個性がないと、たちまち淘汰されてしまうようなアメリカンポップス界においも、デビュー当時から強い存在感があったのでした。そもそもブロードウェーのスターが、ポップス界で大成功したためしは、それまでなかったのではないか。その意味でも彼女の登場は、アメリカのポップス界において画期的だったのです。 しかしながら、彼女の初期の傑作「クライ・ミー・ア・リバー」や「ピープル」は、確かに人の心を打つ絶唱ですが、こればかりやられると、聴くのが「しんどくなる」というのも事実です。現にごく初期から、「しつこい」という評価もあったようです。その彼女が一皮向けた感じがしたのは、フランスのミシェル・ルグランと組んだあたりからで、アコースティックなバックに乗せた彼女の歌声は、バラード歌手としての地位を確立するものでした。私はこのころの彼女の歌が好きで、先の「What are you doing the rest of your life?」も確かルグランですよね。 とはいえ、彼女自身はたんにミュージカル仕立てのバラードシンガーに止まるつもりはなくて、さまざまな分野で自身のキャパを試そうとします。それはジャズやロックからクラシックに到るまで、ほとんど洋楽の全分野というほどに広いものですが、驚くべきはその間に出したLPが、ことごとくミリオンセラーになるという記録を打ち立てたことでしょう。 その中でクラシックファンの私としては、やはり「クラシカル・バーブラ」のフォーレ「夢のあとにAprès un rêve」がなつかしい。バーブラ特有のドラマ臭を抑えて、求心性を込めた歌唱は特筆もので、クラシックの歌手とはまったく別のアプローチで、曲に迫っていく姿はあっぱれものですね。本職のオペラ歌手でポップスを歌って、このような拮抗する音楽世界を聴かせた歌手は、まだあとにも先にもいないのです。他にもシューマンやウォルフといったかなり渋めのドイツ歌曲や、ヘンデルやシューベルトも歌っていて、その貪欲さと自信には驚いてしまいます。 彼女の最大のヒットアルバムは比較的新しくて1970年の「ストーニー・エンド」だそうですが、ミュージカルであれクラシックであれロックであれ、彼女の鼻(あのトレードマークのデカ鼻)にかかった声質は少しも変っていない。であるにもかかわらず、これだけの広いキャパを示した歌い手は、間違いなく今だいないでしょう。 それでも私の個人的趣味は、どうしても初期のルグランとのコンビによるバラードに傾く。その後映画界にも進出した彼女は、「愛のイェントル」(1984)というミュージカルで再び彼と組みましたね。日本ではほぼまったく話題にもなりませんでしたが、使われていた曲は今でも私のお気に入りです。「No Matter What Happens」を、とりあえず聴いてみてください。 見事な歌唱とルグランのバックがうまくマッチして、バーブラらしさがいっぱいなのですが、映画自体はせっかく巨費を投じて東欧ロケまで行ったのに、彼女のコミカルな演技とユダヤのエキソダスという重厚なテーマが、何となくちぐはぐで印象を浅くしてしまいました。それでもなつかしいのでエンディングの「A PIECE OF SKY」は画像付きで観てみてください。
2018.01.30
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平原綾香 2. 以前に「すべての楽器は、人の声を模倣する」というような話をしましたが、これなど聴いていると、確かに器楽よりも「じかに」届くものがあるというか、届きかたに幾分かの違いがあるようです。それはたんにそれが直截に「人の声」だからというだけでなく、人の声が音のほかに、「言葉」という「意味」も含んでいるからでしょう。 急いで断っておかなければなりませんが、だから音楽は最終的に人の声、つまりヴォーカルに尽きるなどと言っているわけじゃないですよ。人の声ならぬ器楽でも、優れた演奏であれば、聴き手はそこに、やはりある種の「声」を聴くでしょう。はたまたある人は、そこに言葉で言い表しようのない「言葉=メッセージ」を感じ取る場合もあるかもしれない。 これは何も音楽と言わず、鳥のさえずりやら虫の音でも、時にそれを「声」として聴いている場合があるのと、たぶんいっしょでしょう(余談ですが、虫の音を言語脳(左脳?)で聞いてしまうのは日本人だけで、外国人には雑音にしか聞こえないという話がありますが、ハッキリしたことは分りません)。要は、ある種の音声は言葉として意味をなす寸前の予感に満ちていて、逆に器楽の優れた演奏は、この予感の表現だけに終始して、かえって広大な想像力を喚起するのかもしれません。 ときどき音楽の本や番組なんかで、このモティーフはこういう気分、ここの旋律は作曲者が失恋したときの気持ちを表わす、といったまことに退屈な講釈がありますが、私に言わせると、こんな解説は「音楽を楽しむ=享受する」といったこととは何の関係もない。そういう「予断」が入ることによって、実際に「今そこに、立ち上がっている音」が耳に入り難くなるからです。 音楽学を専門に「勉強」する人たちは別として、音楽を「より楽しむ=享受する」ための方法みたいなものを、あれこれ考える訓練みたいなことは、案外ないがしろにされているというか、しょせん「タカが音楽、楽しければそれでいいじゃん」みたいなところがあるのではないかしらん。あるいは音楽学者の皆さんは「それは私たちの仕事ではありません。素人の皆さんで勝手に考えなさい」ということになるのでしょうか。 私は「もっと楽しむために、いろいろ思案する」のが好きです。 さて平原さんの発声は、日本語としては珍しく「子音」を強調した歌いっぷりで、これは「JUPITER」以来変らぬ特色ですね。日本語というのは「母音」が優勢で、発声だけに限るなら、イタリア語のようなラテン語系の音声に近い。対するに北欧ゲルマン語族系に属する英語やドイツ語は「子音」が優勢で、それはオペラや歌謡の「発声」の仕方にまで影響しているらしい。 彼女の一回聴けばすぐそれと分る発声法は、おそらくそれまでの日本のPOPと言わず、歌謡界では聴かれなかった歌声なのです。これはおそらく、サックス奏者のお父さんという音楽一家の環境が、洋楽とくにアメリカンポップスやジャズ、そしてクラシック音楽に小さい時から自然に親しんだことから来ているのでしょう(想像ですよ)。 彼女の歌を聴いていて、前の「記憶の彼方」のところで、触れるのを忘れていた人を思い出しました。このブログで何回か取り上げたバーブラ・ストライザンドのことです。私のかなり偏った趣味の中でも彼女は別格で、LPのアルバムはカラヤンと並んで十数枚に及びます。 ところがB・ストライザンドと言えば、アメリカではほとんど国宝級の歌い手なのに、日本ではなぜかあまり人気が出ませんね。一般に一番知られているのは映画「追憶」の主題歌ぐらいで、その驚異的な歌唱力のわりには認知されてません。彼女の代表曲といえば、やはり「ピープル」でしょうが、まえに取り上げたような気がするので、「What are you doing the rest of your life?」を聴いてみてください。
2018.01.26
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平原綾香 1. 音楽の話は楽しいのですが、かなり興が乗らないと、なかなか気の利いた話が出て来ない。月並みな話題をながながと続けるのは、話すほうも聞くほうもしんどいでしょう。というわけで、ここのところ826asukaさんの繰り出すエレクトーンの響きを糧にして、ずいぶん話をして来たのですが、年末年始にかけていろいろ探していたら、私にとって新たに刺激になる音楽を見つけました。 といっても、普通のJ-ポップファンなら「今ごろ、何言うてまんねん」ということになるのでしょうが、平原綾香さんのヴォーカルのことなのです。もちろん私も彼女の名前も歌も少しは知っていましたが、ここ最近の彼女の歌いっぷりを知る機会は、まったくなかったのでした。そもそも彼女が「JUPITER」というクラシックとのクロスオーバー的な歌を引っさげてデビューして以来、ある意味不幸な固定観念が、私に出来てしまったということでしょう。 まあ(かなり保守的な?)クラシックファンとしては、このホルストの組曲「木星」をフィーチャーしたポップというのが、ハッキリ言って聴くに耐えないというか、ほとんど「許せません!」の領域に達するレベルだったので、その後長く聴く機会を失っていたということです(というか、そもそも私にはJ-ポップを聴いて楽しむという習慣がありません)。 さて、どういう経緯で今回彼女を知り、さらに念を入れて聴くようになったか(要はハマッたのか)?という話は、これまた長くなるので端折りますが、youtube のUP一覧で826asukaさんがライブで弾いていた「天空の城ラピュタ」がなかなか好調で、よく考えてみたら「この人、ジブリの曲はあまりやってないな」とも思い、久石譲でさらにyoutubeを検索していたら、平原綾香さんの「命の名前」と「ふたたび」に出会ったということです。 じつを言うと、これまた偏屈のそしりを受けそうですが、私はジブリの宮崎アニメも、久石のクラシカルな音楽も、長いこと好きになれず、「風の谷のナウシカ」だけがあえて認められるアニメで、以後の作品は世間の評価はどうでも、すべて同工異曲じゃないかと思っていたものでした。このあたりはもうホントに個人的な趣味であって、私の世代はおそらくサラリーマンが電車の中で、平然と少年サンデーを読み出した最初の世代だったはずですが、私はどちらかというと、おおいにそれに抵抗があったほうで、反旗を翻すつもりで、無理して純文学とクラシックに傾倒していました。 一つには子供時代のディズニーの洗礼が大きかったかもしれない。小学校時代あれほど熱狂していたディズニーアニメが、なぜか中学に入ると不思議なくらいに冷めてしまい、むしろ大キライの筆頭になって行ったのを今でも覚えています。その間何があったのか、今のところ判然としませんが、一言でいえば、やみくもに熱狂していた巨人・大鵬が、ある日突然憎たらしくて仕方なくなる、という心境変化と似ていると言えなくもない。 しつこいようですが、以来原因は不明のまま、巨人とディズニーは今でも苦手です。 それはさておき、なぜ今回平原さんと久石譲のコラボを聴く気になったのか?そのわけを探るまえに、とりあえず聴いてみてください。「スタジオジブリ25周年記念、久石譲武道館コンサート」という6年ほど前のNHKBSの記録映像で抜粋なのですが、そこに平原さんがゲスト出演しているわけです。取り上げたのは「千と千尋の神隠し」に使われたおなじみらしい曲二つで、先ほども言った「命の名前」と「ふたたび」でした。
2018.01.23
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