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この「REAL EXISTENCE」、直訳すれば「真の存在=実在、厳存」などということになるのでしょうか?英語でもたぶんめったに使わない用語だと思うのですが、世界大戦直後には「existentialism (実存主義)」という、気難しい哲学が流行りましたね。爾来、ハードロッカーのなかには、体制批判、反権力の象徴として、音楽のタイトルや歌詞で、やたら難しい用語を振り回すグループがいましたが、もちろんBAND-MAIDのこの曲には、そうした重苦しさは微塵もありません。むしろ最もシンプルなロックナンバーとして、歌とインストを楽しんでね、という出来映えで、ロックファンにはごく馴染みやすい音楽なのでしょう。 しかし聴きようによっては、かつて存在した難儀なハードロックに対する、強い反射体を示しているような気もする。ちなみにこの曲、作詞作曲とも外部委嘱の作品で、活動初期はそうした音楽が主だったようです。なるほど。 ところでかつてのハードロッカーたちが、なぜ反体制、反権力の身振りで哲学用語をはじめとして、難しいタイトルや歌詞を採用したかという問題は、ロック音楽そのものの本質とも絡んでくると思うので、あらためて(出来たら)話したいと思っています。 言い忘れましたが、ミクさんが京都に魅かれた点が、もう一つあるかなと、私は思うのです。それはこの前のような「京都人のエートス(立ち居振る舞い、ものの考え方)」といった抽象的な話ではなくて、はるかに具体的な、例えば西陣あたりで行われている、職人たちの分業システムのような形態ではなかったか、とまたまた想像してしまう。 百年後あるいは一千年後に残すような一つの着物、あるいは工芸品とかを生み出す工程に、どれぐらいの職人が関わっているか。各職人は名は残さないけど、高いプライドと互いの技術をリスペクトし、信頼しあう関係で結ばれているじゃないですか。肝心なことは、ここには「リーダーは存在しない」ということです(言い出しっぺは、いるかもしれないけど)。こういうスタンスって、何かと「我が、我が」と個の名前と業績を追求しがちな、今どきの風潮に対して、敵対的ではないけれど、ほとんど冷笑的とさえ思えるスタンスで、私たちを見返しているように見える。 この職人的スタンスは、ある意味BAND-MAIDの今あるスタイルに似ていません?志のある技能者が集まって、それぞれ分担された技量を磨きながら、一つの作品を生み出していくという点において。これは例えば、お祭りの神輿(みこし)に似ているような気もするのです。自分たちは神輿を「担ぐ側」なのか「担がれる側」なのか、企業の社長さんや政治家あるいはアーティストの中でも、自分はアプリオリ(先験的)に「担がれる側」だと勘違いしている人って結構多いんじゃないか(自分はもともと才能があったから、とか)?しかし担ぐ対象は「神輿」に祀られている神様であって、ここから先も人間ではない(神様が怒ってしまいますよ)。 で、そこにいる神様は何なのかと言えば、担ぎ手の集団意志にそって、それが企業体であっても選挙民であっても音楽であっても、イワシの頭であっても何でもいいのです。それぞれの集団やグループが、その中で共有できるある「大いなるもの」を措定したとき、それは「神様」として祀り上げられ、全員がその担ぎ手になるのです。ここで「担ぎ手」に名前は必要ない。みんなが措定したある「大いなるもの」が、充分に奉祝されるかぎりは。 ここの話で最初のほうに取りあげた「Don't you tell ME」なのですが、例の中間部のところ、ギターとベースの対話が強く印象に残ります。しかしよく聴いていると、この間、背景放射のように漂っているシンセサイザーの持続音と、時を刻むかのようなドラムの打撃音が、きわめてスリリングな音の空間を創り出しているでしょう。これらはその前のMVにはなかったものであり、ライヴを重ねるごとに、メンバー内で出てきたアイディアだと思うのです。これがあることによって、ここのギターとベースソロが突出せずに、曲全体にうまく溶け込んでいる。聴き終わったあとのゴージャスな印象というのは(かなり満腹感もともないますが)、こういう細部に対するアイディアとか、仕上げへの「こだわり」から生み出されてくるのだと思う。 これって、やはり一種の職人的な「こだわり」だと思うのです。で、そうした空気感をバンド仲間に作り出していったのは、やはりミクさんとみて間違いないでしょう。彼女は自らリードヴォーカルを捨てることによって、より「大いなるもの」を祀り上げていく、巫女のようなポジションを見出したと言っていいのではないか?それかあらぬか、「thrill」のころセカンドヴォーカル的な位置にいたミクさんは、次第にバックコーラスに退いて、むしろそこからバンド全体の「サウンドを眺める」ことに面白味を感じていたようですね。 それにしても、この時のアカネさんのドラムは素晴らしく、テンポを守りつつ、何だかリズムセクションの枠を超えて、主役二人のセッションが作り出すサウンドに深く嵌入している気がする。こういうドラムというのも、私の数少ない経験ではあまり聴かないんですよね。ベースのミサさんがアカネさんについて来たというのも分かる気がする。 とはいえ、進化を求めてやまないミクさんは、昨年ソロプロジェクトcluppo(くるっぽ、鳩語で「こんにちわ」という意味らしい) を始めたり、最近の作品ではバックコーラスとリズムギターというポジションは変わらないものの、音楽的には以前と比べて、より前にせり出してきた感じがします。それのよく出た曲を聴いてみましょう。「Manners, BLACK HOLE」
2022.11.17
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自作曲の発表をするようになってからの、BAND-MAIDの楽曲創作パターンというのは、メンバー各々の抱く曲のイメージをまとめ、それに沿った旋律とリズムセクションの元曲をカナミさんが作り、ミクさんが歌詞をつけたうえで、各部門ごとにブラッシュアップして完成していくというのが、もっぱらだったようです。面白いのは多くの場合、歌詞はミクさんの名前で上がっているのに、作編曲はBAND-MAIDと表記されていることで、言い換えれば創作の過程で、かなりの改変修正が行われていることを想像させます。 このあたり、元シンガーソングライターとしてのカナミさんは、あまりこだわりがないというか、むしろそうした他の手にかかる改変修正の過程を楽しんでいるフシがある。「じゃあミクさんの歌詞だって他の手が入るんじゃないの」という話になりそうですが、どうもそういうわけではないらしい。 これも自作曲を作るにあたって、誰が作詞するかについて、当初みんなの持ち寄りで決めようということになったらしい。で、結果的にミクさんので行こうというか、他の皆さんのに比べて(書いてこない人もいたのではないか?)サマになっていたということではなかったか?彼女は多くを語りませんが、各作品のタイトルや歌詞を見ればお分かりのとおり、かなりの文字フェチというか文章好きを感じさせる言葉つきであって、これはちょっとほかの皆さんにはマネが出来ないな、と思わせる部分があったのではないかと思うのです。 それについてまたまた妄想がわき起こるのですが、四年ほど前にエイプリルフール企画として、ミクさんの発案でBAND-MAIDならぬBAND-MAIKO名で出した「secret MAIKO lips」。じつはこれ、その一年ほど前にリリースした「secret My lips」の替え歌で、歌詞も全編京都弁という念の入れよう。メンバー全員京都とは縁がなさそうで、これを収録するまでのサイキさんの(すごい)顔が思い浮かびますが、それはさておき、ミクさんは昔からの京都ファンであった由。しかし彼女の言うところの京都ファンとは、たぶん上っ面の観光京都ではなく、かなりディープな穿った入り方をしておられたのではないか、という疑いが私の頭にはよぎるのです。 とはいえ、このHVの出来映えはと言えば、おそらく京都人にとっては、はなはだ噴飯ものだったろう。着物は何やらいやにカラフルで、ちっとも上品じゃないし(失礼!)、だいいち背景が浅草寺と東京タワーでは、誰だって怒ってしまいますよね。要するに外国人が喜びそうな仕上がりなのです。当初から海外を意識したバンドとは言うものの、こういう安手の観光案内みたいなのはやめてもらいたい。 と思いきや、その一年後には本格的に現地ロケを敢行して、今度はBAND-MAIKOオリジナルの「祇園町 "Gion-cho"」をリリースして、こっちは冗談じゃなく良く出来ているのです。ミクさんの入れ込みようは、ことほどさように尋常じゃない。彼女を引き付けてやまない京都というのは、うわべのきれいな街並みや神社仏閣ではなく、容易に本性を現さない京都人のエートスにあるのではないか? なぜなら京都という街全体が、先ほどの紫式部じゃないですが、私に言わせると、いわば「韜晦した都市(倒壊じゃないですよ)」だからです。このよそ者に容易に本性を現さない土地柄というのは、一千年以上日本の政治文化の中心であり続け、であるがために、政争がらみの内紛や外部からの侵攻で、何度も焼け野ヶ原となった洛中の住人にとっては、それが生き延びるうえでの甲斐性とならざるを得なかったのでしょう。しかし別に京都でなくても、一般に人はよそ者には警戒しつつ、その様子を遠目でしばらく窺うものですが、京都人はそういう無粋なそぶりは一切しない。積もりに積もった重層的な文化と、極度に洗練された習俗の蓄積で、来るものは一見誰も拒まない。 しかし本質的なところで、洛中の人は他者と自己を峻別しているので、それに気づいた京都ファンというか、例えば下宿学生(特に女子)などは、数年経つと一変、たいへんな京都嫌いになって、帰ってしまうという仕儀になるのです(京都市の若手人口が、なぜ減るのかって当たり前です。女子が居つかないからですよ)。 まあこのあたり、かなり大げさに喧伝されている部分なしとはしないですが、「京都嫌い」を立て看板にして、逆京都宣伝にいそしむ洛外の学者さんもいらっしゃるわけです。このうわべ「はんなり」中「真っ黒」という、極度に洗練されたエートスというのは、ミクさんの立ち居振る舞いにピッタリはまるじゃないですか。もちろんミクさんは「はんなり」でも「真っ黒」でもないのですが、自身をメイド衣装にくるんでパッと隠しおおして、世間が誤解しながら、こっちを見る様子を面白がっているというような。 したがって、はたから見ると、「この人何を考えているのか、サッパリ分からん」ということに(とくにサイキさんなど)なってしまうのです。それを見越してかどうかは分かりませんが、インタヴューとか人前に出るときは、ミクさんはサイキさんと必ずいっしょに出ておられる。メイドキャラのパフォーマンスは、いくらでも自分が引き受けるにしても、メインヴォーカルはやっぱりバンドのでっかい立て看板ですから、いつも前に出てもらわないと、ということでしょうか。サイキさんはそのあたりの呼吸に最近慣れてきたか、女王様然とした立ち居振る舞いは相変わらずですが、以前に比べてメイドパフォーマンスに積極的になって来たような気がする。ご本人は「ミクの唄いかたが、だんだん私に似て来た」とおっしゃってますが。 それにしても最近、ミクさんはミサさんには作曲を、サイキさんには作詞をさかんに勧めているらしい。この人の深謀遠慮というか、「世界征服」への大構想は止まるところを知らないという感じですね。初期の作品で、このバンドの未来を予見したような傑作「REAL EXISTENCE」を、やはりライヴヴァージョンで聴いてみましょう。
2022.11.13
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こんなどうでもいいような話をしているというのは、結局いろいろ逸話に満ちた「人集め」話というのは、すこぶる面白いからです。「七人の侍」前段の面白味は、いわくありげな浪人たちを募っていくエピソードにあるのですが、それぞれの逸話や秘密が後段のアクションにつながって、大きく展開しますよね。それと似てBAND-MAIDに集まったメンバーは、よくぞここまで癖のある人ばかりになったか、と思わせるほどの個性派ぞろいで驚いてしまう。 ベースのミサさんなんか、ライヴ中でもお酒が入らないと、セッションが乗らないという無頼派ぶりで、先ほどのカナミさんはギターを手に取ると人格が豹変する、肝心のミクさんじたいがメイド姿で「ポッポッ」と鳩語を臆面もなく連発するとなると、ヘタすれば収拾がつかなくなるのは必至というような顔ぶれなのです。 ここでミサさんのベースドライヴが光る「Turn Me On」を聴いてみましょう。このミサさん、ついでに言うと、2018年のヨーロッパツアーでは裸足で演奏していたらしい。それらしき動画もありますが、ここでは挙げません(オランダでのライヴ)。 そういうようなことで、比較的まとも(?)とみられたドラムのアカネさんが、一時期このバンドのリーダーと目されることもあったようですが、どうもハッキリしない。というか、このバンドにはリーダーが存在しないのです。それぞれが、かなり強い自律性を持って集っているという印象が強い。これはクラシックでいうなら、例えば弦楽四重奏団なんかが思い浮かぶし、フルスペックの大オーケストラでも指揮者を置かずに「第九」を演奏したりする試みが行われていますが、それを定型化するのはなかなか難しい。早い話、二十人たらずの室内管弦楽団でも、音楽的なリーダーがいないと、楽団を維持するのは大変でしょう。 かろうじて先ほどの四重奏団レベルで、各人がかなりの自律性を保持し得るのではないか?しかしこれもまた各様で、名ヴァイオリニストの率いる四重奏だと、ほかのメンバーは何だか伴奏者みたいな位置づけにどうしてもなって、なかなかうまくいかない。これはジャズなどのグループでも同然でしょう。 サイキさんはもちろんそんな難しい話ではなくて、彼女独特の嗅覚で「このグループは、面白いかもしれない」と嗅ぎ取ったに違いない。この場合の「面白い」とは、「かなり自分の好きなようにさせてもらえる」、そして「オリジナルな曲を作ってくれる」かもしれない、ということだったでしょう。この人、見かけのとおり何でもズケズケ言ってのけて、そのかわりあとに残さないという、ごくサッパリした性格のようで、「全然趣味が違う」「性格が正反対」「高校時代なら絶対仲間に誘わないタイプ」だの、 ミクさんに向かってもずいぶんなことをおっしゃってますが、対するミクさんも大人ぶりを発揮して、全く動じるところがない。 サイキさんが友達を引き連れて(当然自分が女王様の)得意になっていたとしても、ミクさんは付かず離れず泰然と適度な距離を保って、たぶん一人でなにやらいわくありげな本を読んだりしていただろう。サイキさんはおそらくそういう存在が、気になって仕方がなかったに違いない。 何だかこれまた女子アニメ風の景況を呈していますが、そのミクさんがまた競馬が趣味だと、サイキさんを脅かすようなことを言って煙に巻くのです。ミクさんというのは、その扮装おしゃべり趣味その他、さまざまな点で自分を覆い隠す「韜晦癖(とうかいへき)」(自分の本心や才能・地位などをつつみ隠すこと)があって、作詞にかんしても「情緒不安定になるから、自分を語ることはしない」とかおっしゃってましたね。メイド服も鳩語も競馬も、自分の身を隠す一種の扮装あるいは、方便のように使っておられるのです。 こういう自身も含めて、周囲から一歩距離を置いたような目線で、世間と対峙する人というのは、数は多くないけど、この世には必ずいるので、私などすぐ平安時代の紫式部を思い出します。元祖「こじらせ女子」なんだそうですが、「内心の悪魔」からできるだけ距離を置きたいがために、あれだけ長い長い物語を書き続けたのではないか、というのが以前「源氏物語」を舐めるようにして読んでいたとき、終始感じていた気分で、その印象は今も変わっていません。 その伝でいくと、対するサイキさんは、まさしく「枕草子」を書いて一世を風靡した清少納言にあたるので、この人の語ることはすべて「自分のこと」。才気煥発で当意即妙、「私のように才能のある人は、この世にいないわ」とばかり、終始さまざまな話題を宮廷中に振りまく。紫式部が宮廷に出仕したときには、彰子と定子の入内争いはほぼ決着していて、彼女が清少納言と直接対決することはなかったはずですが、宮廷中の話題をさらっていた彼女のタレント性には、よほど腹を据えかねていたとみえて、のちに日記に彼女を罵倒する文章を長々と書き記すこととなります。人を観察する怜悧な目は、小説では人物を生き生きと活動させますが、現実の人間を描くと、それが精確になればなるほど、逆に描くほうの性格があらわになってしまい、「これは付き合いきれないな」という話になってしまう。 紫式部はそういう自身の内部に潜む「内心の悪魔」の存在を十分知っていたので、宮廷では絶対「私」を出さない。それが彼女のどのような生まれや育ち、あるいは経験から来たものなのか、想像するしかありませんが、幼い時からさまざまな漢籍に親しんだことも、あるいは内省性をはぐくむ起点になったのかもしれません。 ミクさんはもちろん「こじらせ女子」ではなく、その姿形とは裏腹に内々では「オヤジさん」と呼ばれているらしい。彼女のお顔をよく拝見すると、確かに丈夫そうな顎の張りぐあいからみて、相当な肉食系であることは間違いなさそうです。それがよく分かる動画を観てみましょう(失礼!)。「about Us」 コロナ禍にあって、どうしても世界に伝えたい、人々への激励のメッセージという意味で、きわめて美しい作品ですよ。
2022.11.10
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「ON SET」は、エレキギターのサウンドの魅力を、キャッチーなメロディーラインに乗せて、あますところなく引き出した名曲で、意のあるギタリストなら一度は弾いてみたいと思わせる魅力を持った作品でしょう。あちらの(往年の?)ハードロッカーたちも、よほど刺激されたと見えて数多くのリアクション動画が出回っていますが、インストルメンタルだけでヴォーカルがないのを幸い、オンライン仲間と組んで、そっくりカバーした演奏を披露している方たちもいますね。 それにしても、ここまでカナミさんのリードギターが鮮やか過ぎると、そのメイド服姿が何となくサマになって、「ON SET」はこのカッコじゃないと、と思えてくるから不思議ですね。 しかし、このBAND-MAIDの演奏で注目すべきは、リードギターのピッキングやタッピングなどのかっこよさもさることながら、むしろドラムとベースを中心とした「爆進的なリズムの推力」のすごさで、このグループの演奏スタイルがよく出ている点だと思うのです。 ともすれば爆進的なリズムセクションのパワーに、木の葉のように翻弄されそうなリードギターの進行を、陰に陽に巧みに支えているのが、リズムギターを担っているミクさんで、カナミさんのタッピングの間、主旋律を補強しているのはミクさんのギターですよね。このあたり、なにやら彼女の立ち位置を、よく現しているようで面白い。 ヴォーカルのほうでも、サイキさんのバックコーラスとして、とても効果的な出入りをしてらっしゃる。こうした彼女の役回り、ライヴでは舞台のあちこちを駆け回って、時にリズムセクションに入ったり、あるいはリードヴォーカルを補強したり、そして何より幕間の「お給仕タイム」では、ミクさんが主導してパフォーマンスを披露しているというか、そもそも彼女のほかに「キュンキュン、萌え萌え!」なんて誰もやる人がいない。 というところで、サイキさんの話に戻るのです。四人でスタートしたバンドですが、すぐロックバンドに必要な強いヴォーカルとしては、ミクさんの声質は高過ぎるとご自身が考えた。そこで新たなヴォーカリストのスカウトを始めたのですが、ネットでいろいろな話を見ていると、同じ事務所にいたサイキさんにミクさんが目を付けたというより、事務所のほうからミクさんのほうに紹介があったというのが本当らしい。とすれば、ピックアップされたヴォーカリストは、一人や二人じゃなかったろうというのが、私の勝手な推測です。 ミクさんは何人かのデモテープを聴いて、サイキさんの低めで強い声質に白羽の矢を当てた。となると、サイキさんとBAND-MAIDとをアレンジするのは、事務所側の仕事ということになります。ミクさんはおそらく同じ事務所とはいえ、サイキさんのことを知らなかったでしょう。今では「メイド服とは知らずに、だまされて入った」という話は笑い話になって、さまざまな「物語」の尾ヒレもくっついているようですが、要は事務所側は声をかけるときに、かなりサイキさんに気を使ったということでしょう。何に気を使ったかといって、もちろんサイキさんの高い高いプライドに対してです。何しろ「おめえら、かかって来い!」と観客に言ってのける人だったそうですから。 面接のときに、ミクさんは顔を出さなかったとか、どうだったとか、このあたりは物語が多すぎて、話に気をつけなければいけないのですが、要はハレモノに触るようなスカウティングだったのでしょう。 とはいえ、これまたまったくの想像ですが、そうした彼女のパーソナリティーを、ミクさんはきっと面白いと思ったに違いない。そうしたじゃじゃ馬的女性(失礼!)は、メイド喫茶で何人も見て来ただろうし、むしろそれくらい気概のある子のほうが、仕事が出来ることを知っていたのでしょう。案の定、最初のライブのあと、サイキさんはメイド衣装のエプロンを投げ捨ててみせた由。普通の女子会なら、そこですべておしまいというところですが、ミクさんがそのように動いた形跡はない。 ここで、なだめに入ったというか仲裁したのが、これも完全に推測ですが、おそらくカナミさんだったろうと私は思うのですよ。カナミさんとしては自身の作品が世に出せるかもしれないこのチャンスは、どうしても物にしたかった。そこでの彼女のサイキさんへのアプローチは、たぶん「あなたの唄う曲を、必ず作りたい」というようなことではなかったか? この話があったとすれば(実際は知りませんよ)、興奮したサイキさんをかなり鎮める効果があったのではないか、自信はあるとはいえ、鳴かず飛ばずの歌手として一人で活動するよりも(安室さんが目標だったそうです)、かなり技量のあるバックバンド(!?)と、何よりも作曲家がグループにいるというのは、その衣装はさておき、やっぱり魅力だったに違いない。 それかあらぬか、実際にはカナミさん自作の作品が、BAND-MAID結成後なかなか取り上げられなかった時期、一番寄り添って作品を作り続けるよう励ましていたのは、今度は逆にサイキさんだったとか。そのあたりの二人の関係を想像させる動画があります。「アコースティック版パズル&アネモネ」 もともとハードロックナンバーである「パズル」が、すっかりフォークデュオのような音楽になりおおせているのも一興ですが、中間の二人のたわいないおしゃべりを聞いていると、何やらただならぬ二人の関係がただよっているじゃないですか。サイキさんの声が好きで好きでたまらないカナミさんに対して、おそらく年下のサイキさんのいかにもツンデレっぽい応対。笑ってしまいますね。 と、ここまで書いていて、ミクさんとサイキさんが気が合わないだの、カナミさんとサイキさんが妖しいだの、といった話は結局BAND-MAIDの個性を売り出す、さまざまな尾ヒレつきの物語になっていて、バンド仲間自身がそれを楽しんでいるフシがある。私もしゃべっていて、何だかよくある体育系の女子アニメ(観たことありません)を観ているような気がしてきました。 いずれにしても、サイキさんがBAND-MAIDに止まる決心をした瞬間に、彼女もグループもそのありようと方向性の輪郭がハッキリして来たのではないか?
2022.11.06
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