学びの泉 ~五目スパゲティ定食~

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2007.04.11
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カテゴリ: カテゴリ未分類




これから警察には何度も足を運ぶことになりそうだ。

証拠資料のプリントアウトも大変なもの。

刑事手続きの他には民事手続きもあるし、やる事は幾らでもある。

昔の仕事(弁護士事務所)の経験が今になって役立つとは・・・

別舞台での名誉を取り戻す行動は、着々と進んでいきます。



さて、

「 大人の議論と大人子供の議論 」 No.2


大人とは 、それだけの経験の裏打ちがあり、かつ良識を持ってリアルでのいろいろな場面に


それに対し、 学生(子供)とは 、物事を概念だけで捉え、概念だけでしか推論や行動規範を示せ
ない人間のこと。 リアルでの対処行動を必要とする立場にないために、行動規範は甘くなる。


例えば 「教師批判が是か非か!?」というテーマを設定した場合

実践を迫られている大人ならば 、まず「どんなことが教師批判という概念に含まれるか」
を考えざるをえない。

そこには、表面的形態を見ても、「シビア~マイルド」までいろいろな段階があり、
また実質に於いて、「良心的意図~悪意意図(or 考えなし)」のいろいろな段階がある。

それを組み合わせて、「どんな場面でどのような批判をするのが是か非か?」という方向に
議論が進まなければ、リアルな場面で実際行動に移せる実りある討論にはならない。



経験している事柄だ。

私もこれまでに何度か塾生のことで学校には赴いた。


ところが、 学生(子供)の議論というものは 、このような批判の内実を検討することなく
「批判」という言葉を使う。


相手のイメージする批判と食い違っていたとしたら、もう議論はハチャメチャ。

もちろん子育てしたことがなく、学校現場との交渉経験もないからだが。


批判という言葉1つとっても、実社会ではそれこそ多くの形態がある。

「なぜ批判をするのか?」は大切な出発点である。

悪意・自己満足意図に基づく批判と建設的意図(相手利益)に基づく批判は、はっきりと区別さ
れなければならない。

相手利益を第一義に置く批判ならば 、少なくとも汚い罵声やボヤキは登場しないものだ。
(もっとも罵声という言葉も検証が必要だが。)



私はこの仕事を始めた頃は、親御さんとお話しする時にはかなり気を遣った。

自分がプロであるのは「子供の勉強面(及びそれに関連する周辺部分)」についてだけであり、
それ以外の人生経験に於いては、年上であるほとんどの親御さんに及ばない。

プロのテリトリーに限っていえば、こちらから強気のアドバイスもできたが、
それ以外の場面では、逆に教えを乞う立場である。


だから、お預かりしている子供の生長をめぐって、教えたり教えられたり、
謙虚なお互いの知識交換から解決の方向に話しが進むことが多かった。


子供を持てばわかるが、子供を育てるということは、
理念だけでは片付かない、本当に大変な大仕事である。

私は、結婚前は親父とよく対立していた。

言っていることの是か否かをその場面だけで捉えており、
そこまできた背景(歴史)ということは、聞く耳の考慮に入っていなかった。

娘が生まれ、育てていくうちに、自分がこの子にしてきたことは、自分が親からしてもらって
きたことだということが実感できると、もう親父に対立する気のほとんどは失せた。


1つの概念で1つの事象を説明しきれることなどほとんどない。

やっかいなことに、1つの概念の内容自体に、それを使う人間の個人的体験からくる
特殊な色彩が含まれ、「 概念の内包と外延の問題 」が起きる。

親しい人間同士の会話や話し合いがスムーズに進むのは、お互いが相手の利益を考えるという
出発点のほかに、それぞれが使う概念(言葉)の内包・外延を心得ていて、話しが食い違うこと
が少ないからである。

学生(子供)は 、その経験不足故に、そうしたことまで頭が回らない。
経験不足と言うことを自覚している者は、謙虚にそれなりの話し方・聞き方をするものだが。


しかし、 生半可に論理性に自信を持ち、更にそこに心理学かぶれがかぶさると
このような謙虚な姿勢は消え失せ、論理学や心理学の上っ面万能で真理を突いているような
錯覚 を起こす。


無機質な内容については、概念の内包範囲や外延は人によって違いが起きない。

しかし、こと 有機質な内容がテーマになるときに
純論理学的な思考で真理を突けると考えるのは、あまりに人間を知らなすぎるからだ。


世の中の多くの事象では、社会学的に明らかになっているマクロ的共通点を持ちながらも、
個々のケースではそれと違った現象が起きているものだ。

人それぞれ 」という言葉は、最大公約数的共通性の中で、まさに「人それぞれ」ということ
を表しているのだ。



を、「 大人子供 」という。


大人子供は一方的攻勢に立ったときには威勢がいい。

しかし 体験に裏打ちされたされた人たちからの、体験に基づく反論がなされた場合には

しどろもどろになる のが特徴的である。



自分から攻勢の立場に立つようなことをするからであり、

相手を慮り、自己を省みる姿勢があるならば、

ふつうはそのような立場には自分を置かないものだ。






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Last updated  2007.04.11 16:46:15


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