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最終日は、まずシェラトンホテルのディズニーのお店でお土産を買って、それを荷物に詰め込んでチェックアウト&荷物を預けてからシーへ出かけました。帰りはホテルからリムジンバスに乗るので、もう一度ホテルに戻ってきます。ゆっくり出かけたこともあり、前日に行ったお気に入りのパン屋さんは満席でだったので、この日は「ニューヨークデリ」で朝食を摂ることにしました。なので、朝から生ビール~そしてサンドイッチとチーズケーキ。ここのチーズケーキはとってもとってもおいしいのですいつものテラス席で朝からのんびり。その横をトイストーリーかタワー・オブ・テラーめあてのゲストさんたちが、通り過ぎていきます。昨日とはあきらかに混み方が違うぞさすがに連休初日、夏休みも始まったからか、エレクトリック・レールウェイの駅での混み方を見てびっくり。久々にくねくね並んで乗車待ち。それでも、ストーム・ライダーは20分待ちのスタンバイで乗れましたみんな朝は他を狙うんでしょうね。インディのファストパスを取ってから、昨日行けなかったので今日は絶対はずせない「ミスティック・リズム」(写真参照)の列に並びます。このショーはキャラクターは出ないのですが、その迫力たるやすごいもので、ダーリンの大好きなショーなのです。なのに、昨日来年の春から、新しいミュージカルに変更されるという発表が!!(昨夜パソコンを開いていたダーリンが「たいへんやぁ~」と大声をあげたのは、このニュースだったのです。かなりショック受けてました・・・多分、終わる前にもう一度シーへ行くことになりそうです(笑))ショーが終わり、インディに乗ってからキャンティーナで昼食をかねて休憩。ちょうど「フルータ!フルータ!フィエスタ」をやっていてラッキーでした。ノリノリで楽しい~そして、ビールおいしい~でも、最終日なのでここで飲み収めです(笑)暑くなってきたのでマーメイドラグーンへ涼みに。ここもすごい人で、お疲れのパパたちがたくさん休んでいましたよ。なんだか無理やり連れてこられたようなパパを見かけるたび、ダーリンがディズニー大好きで良かった・・・と思いますここでは、娘と2人で「スカットルのスクーター」に乗ってきました。20分待ち。混んでるときもこれは待ち時間が少ないのです。でもね、これ、見た感じよりずっとおもしろいんですよ~。小さい子も乗れるし、おすすめだと思うけどなぁ~。かなりの混みようで、スタンバイが30分以上ならスルーしてしまう私たちは、もうそのまま乗れるものはなく、この日ラストは、娘の一番好きなストームライダーにしてファストパスを取ることにしました。昨日もおとといもファストパスがなかったこれも、混雑しているこの日はファストパスしてたのでね。時間が来るまで、お店に入ったり、うきわまん食べたりして時間調整。今回3度目のストームライダーの案内係りは珍しくお兄さんでした。しらけた笑いもバッチリこのお兄さんは上手だったなぁ(笑)帰り、エレクトリック・レールウエイに乗ると、窓から「ミシカ」をやっているのが見えました。これも見納めですね。ミシカの音楽を聴きながら、今回のTDLは終了です。娘と一緒だったことで、いつも以上にアトラクションに乗ることができ、体は疲れたけど、これはこれで楽しかったかな。どんな楽しみ方をしても、やっぱりTDLは最高の場所でした。心配していた雨も、パークにいたときは小降り程度であまり気になることもなかったのですが、なんと帰りの飛行機に影響が出まして・・・羽田での小松行きのゲートって、いつも端っこで疲れた体でまだかまだかと思いつつ、やっと到着。ゲート近くの店で軽く夕食を済ませ、出発案内を待っていると、時間が大幅に遅れることとゲート変更のアナウンスがま、まさか、このまま飛べないってことにならないでしょうね・・・最悪もう1泊か? と心配しつつ変更ゲートに移動。はぁ~っ、疲れた体でこれは辛いわ結局45分ほど遅れて出発。とにかく飛んでくれてよかったけど、家に着いたらもう11:00近くになってました。次の日がお休みでよかった・・・おつかれさま、私たち。そして、ディズニー日記に付き合ってくださった方々も、おつかれさま。
2014年07月25日
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2日目はシーです。以前はオープン前に並んでたけど、最近はそんなこともなくなって、ゆっくりパークに行くようになりました。シーに入るとまずは朝食。いつものパン屋さんへ(マンマ・ビスコッティーズ・ベーカリー)ここのパンは本当においしいたっぷりのコーヒーも飲みながらゆっくりしていると、ハーバーでは「ミニーのトロピカル・スプラッシュ」が始まったので、そのまま見ることにしました。こういうショーは、びしょぬれ覚悟で参加するのが一番なんだろうけれど、楽しんだ後の大変さを考えると躊躇してしまって・・・今年も見学のみ。ゲストさんたちのびしょぬれ具合を見て楽しんだ後(笑)、「トイストーリー」ができてから来るのが初めての娘に促され、とりあえず見に行くと20:00~のファストパスを取ることができました。私たちもアトラクションは初めて。ssコロンビアの前では、ちょうど「キッチン・ビート」をやってました。この回では、板前ドナルドもやってきました~。おしりがキュートでかわいいドナルド。楽しいショーのあとは、娘の大好きな「ストーム・ライダー」へ。(結局滞在中3度乗る事になります) 最初の説明をするお姉さん、新人さんなのか棒読みもいいとこで、演技指導したくなりましたよ。しかも肝心なしらけた笑いを取る絶妙の間ができてない。もっと勉強しなさ~い・・・って、どんだけ上から目線さて、シーでのお楽しみ、それはアルコールが飲める~ってこと。2人のときは、朝イチからってことも多いのだけど、今回はここでやっとビールの登場ですノーチラスギャレーで、これまたいつものギョーザとダーリンは生ビール、私はここだけのビアカクテルを飲みました。お次は「ビックバンドビート」もう、大好きなショーです。毎回泣きそうになります。いつか一人ディズニーすることがあったら、何度も続けて見てみたいこのショーは変わらずになくなったりしないでほしいです。すぐ近くの「タワーオブテラー」のスタンバイが20分だったので、ダーリンと娘は乗りにいき、私はお店でおみやげを見ながら2人を待ち、それからルーズヴェルト・ラウンジで休憩タイム。ここでも毎回同じく、私は季節のカクテルを、ダーリンはジャックダニエルを注文。娘はチーズケーキ食べてました。ここの雰囲気がとっても好きなので、必ず立ち寄る場所です。落ち着くんですよね・・・。ssコロンビアの船から下りると、タートルトークが15分待ちだったのですぐ列に並びました。クラッシュの絶妙な受け答えを楽しんで出てくると、ちょうどいとこからの電話が鳴りました。実は、今日から小学生2人の子どもを連れて、家族4人でやってくることになってたのです。ちょうど今からタートル・トークへ行こうとしてたと言うので、この場所に来るのを待つことにしました。娘は私のピアノ教室に来ているので、奥さんとは会いますが、いとこに会うのは父の葬儀以来。久々に会うのがこんな場所なんて、なんだか不思議~。しっかりいいお父さんしてましたよいとこファミリーと別れた私たちはロストリバーデルタ、奥地へと向かいました。まずはインディ・ジョーンズのファストパスを取ってから、ユカタンでソーセージをつまに生ビールこれもいつものパターンだなぁ~。ユカタンで飲む生ビールって、どうしておいしく感じるんでしょう・・・。ファストパスの時間まで、アラビアンコーストで時間調整。といっても、待ち時間ほとんどなしのシンドバッドは、私たち家族全員そろって好きなアトラクション。なにがいいかって、この歌ですじっくり歌詞をかみしめて聴いてみて。人生を感じるから。とても意味深いから。曲もいいので心に沁みるのです。ゲームも必ずやってみるんだけど、最近は全然ダメで、ぬいぐるみゲットとはいきませんでした。マジックランプシアターを見てもまだ時間あったので、マーメイドラグーンへ。「ワールプール」はどうも重すぎたせいか、あまりぐるぐる回りませんでした。娘はとっても不服そうだったけど、私はちょうどよかった。大人3人はやっぱり重すぎですよね。特に私がいるので(笑)ダーリンが好きな「バルーンレース」にも乗りましたよ。家族連れかカップルしかいない中、大人3人場違いな雰囲気で乗ってきました。上から眺めるときれいなんですよね~あっという間に終わるけど。ファストパスの時間になったので、インディ・ジョーンズへ。これは落下がないので私も余裕~この日の夕食はザンビにしようと、スチーマーラインに乗ったはいいけど、夜のショーの準備でなんとUターン。ザンビ前に行くはずがアメリカンウォーターフロントに連れていかれてしまいましたそれでもやっぱりザンビのピザが食べたいと娘が言うので、ザンビまで行きました。疲れた体にビールがしみた・・・! 夕食後はいよいよ「トイ・ストーリー」へ。スタンバイの人たちもいっぱい。小さい子どもさんづれもいたけど、何時間も待つなんてすごいなぁ・・・トイ・ストーリーはさすがに人気あるだけあって、とっても楽しいアトラクションでした。これは今後も乗りたい。ただし、ファストパスが取れればねその後、もう一度「インディ・ジョーンズ」へ。夜なら長くても10分で乗れます。私はここで限界。ラストに「センター・オブ・ジ・アース」に乗るという、娘とダーリンを残し、先にホテルへ戻りました。もうくたくた・・・。体力なくなったなぁ・・・閉園アナウンス、最近聞いてない気がする(笑)ダーリンと娘が戻る前に、お風呂につかり(洗い場と別になってる部屋でした)ゆ~っくり疲れを取り、最終日に備える私でした。こうして、2日目が終了~
2014年07月23日
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朝1番の飛行機に乗って、羽田到着後はリムジンバスでTDLへ。ウェルカム・センターでプリ・チェックイン。今回のお宿はシェラトンです。最近ずっとここだなぁ・・・飛行機とのパックで行くと、ここが一番安いので(笑)ランドに入ったのは10:30を過ぎてました。まずは「スターツアーズ」に待ち時間20分で入りました。2月の時とは全然違う内容で、これは毎回楽しみそして、「ワンス・アポン・ア・タイム」の抽選。予想通りハズレ~お次は5分待ちで「カリブの海賊」 ジェットコースター苦手な私には、ここの船の落下がちょうどいい(笑)お昼ごはんは、ハングリーベアレストランでチキンカレーを食べましたランドでの食事はあまり期待できないことが多いけど、ここのカレーはほんとにおいしいメニューは変わってましたけどね。おなかがふくれたら、体を動かさねば!ということで、トムソーヤ島へ。何年ぶりに上陸したでしょ暑くてバテバテでした。小さい子がいれば楽しいだろうけどねぇ。お次は「ミッキーのフィルハーマジック」涼しいし椅子にもたれていると、ついウトウト・・・(笑)ちょっとした休憩タイムでした。そして「アリスのティーパーティ」これは私は気持ち悪くなるので、娘とダーリンで思いきりぐるぐる、ブレーキかかるまでぐるぐるやっちゃう2人です。ここで休憩。グランマ・サラのキッチンで、いつものくるみのケーキを食べました。ここはちょっとした隠れ家的で好きな場所です。あまり人もいなくて、ゆ~っくりできるんです。(激混み時期は無理でしょうけど)次もダーリンと娘だけで「ビッグサンダーマウンテン」いってらっしゃ~い「マークトウェイン号」に乗ったあとは、パレード「ハピネス・イズ・ヒア」を鑑賞。この曲いいよね~「ウエスタン・リバー鉄道」に乗ったら夕食タイム。プラザパビリオン・レストランでおすすめセットを食べました。実はこんなに通っているのに、このレストランに入ったのは初めて。これで、全部のお店制覇できました(笑)エレクトリカルパレードを楽しんだあとは、一応ワンス・アポン・ア・タイム見てみようか・・・と、かなり離れた場所でチャレンジ。お城の下の部分は見えないけれど、それでも十分楽しめましたよ。とってもきれいでした~これにて1日目終了~おぉ~っと、忘れてた!!ワンス・アポン・ア・タイムの前に、絶対はずせない「ミニー・オー・ミニー」行ったんだった。夜に行くのは初めてかも。開演ぎりぎりだったけど、座って鑑賞できました。ミニーちゃん、とってもかわいいでも・・・リズムが難しくて踊れません
2014年07月22日
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1年前のちょうどいまごろ、父の初めての入院生活が始まった。食欲がなくなり、体がだるく、かかりつけの医者に診てもらうと血液検査の異常が見つかり、そのまま公立病院に移動・・・即入院となる。この時点では、医者も家族も糖尿病の悪化の症状だと思い、1ヶ月もすれば退院できるだろう、と軽く思っていた。(ただ、私はちょっといつもの父との会話ではない、微妙な違和感を感じ少しだけ不安だったのだけど・・・)ところが、自分の足で歩いて病室に入った父が、数日でトイレに行くことができなくなった。食欲も戻らない。詳しい検査結果が出ると、主治医となった先生が言いにくそうに聞きなれない病名を告知した。病棟も血液内科に移動。主治医も代わった。新しい主治医は、抗がん剤治療を一刻も早く始めなければならない、と言う。病気の知識も治療のこともまったくわからない私たちは、主治医の指示に従うしかなかった。治療を始めたものの、病気そのもののせいなのか、抗がん剤の副作用からなのか、1日、1日容態は悪化していく。もちこたえられないかもしれません・・・かなり厳しいです・・・主治医の言葉に、たった2週間程度でこんなことになってしまって、信じられない気持ちと、発表会を控え、お葬式と発表会が重なるようなことだけは避けたいという、妙に現実的な気持ちが交差していた。このまま、まともに会話すらできず父と別れなければいけないというのか。私は、数週間前、印刷業の父に作ってもらったプログラムを取りに実家に行ったときのことを思い出していた。あのとき、留守にしていた父を待たず、母からプログラムを受け取りそのまま帰って来たのだった。もう少し待っていれば、元気な父と会えていたのに。以前の父と会える最後のチャンスだったのに。取り返しのつかない後悔の思い、心の準備もないまま父と別れるかもしれないという恐怖、無事発表会ができるのかという不安、あの時のことを思い出すと、今も胸が苦しくなる。結局、この時の危機は奇跡的に父は復活してくれて、まともではないにしろ、会話もできるようになり、その後7月までがんばってくれた。昨年のあの辛く苦しい、それでいて家族としてとても濃厚な4ヶ月が、ここから始まったのだなぁ、と思い返している。
2014年03月08日
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朝外に出てみると、みごとなつららができてました。寒かったもんなぁ・・・雪自体は思ったほど積もらず、車も普通に出せて(積もると雪かきしないと出せない) 楽でした。ただ、道路は凍結していてツルツル。まるでスケートリンクみたいです。歩くのも運転も怖い、怖い。スケートリンクといえば、ソチオリンピックのフィギュアスケート。すでに団体の予選が始まりました!!大好きな羽生くんが、先陣をきりSPをすべるというので、昨日はがんばって起きて生中継で観てました。もう、最高です~あのSP、曲もいいしプログラムもいいし(難しいんだろうけど)何度観てもうっとりします。初出場だというのに、堂々とほとんどノーミスの演技。すごすぎるよね。プルシェンコもパトリック・チャンもおさえて1位。すばらしいスタートになりました。個人のときも、今回のような演技できるといいな。そして、トップ争いしてほしい。心配なのは高橋選手。SPの曲の騒動で、動揺してなきゃいいけど。曲の変更しないということだけど、今さらできるわけないもんね。こんな直前に、騒動に巻き込まれてかわいそう・・・。大ちゃんしかできない表現力のすごさで、すばらしい演技してほしいなぁ。真央ちゃんとキム・ヨナ対決も楽しみだし、これからソチの放送予定を確認しながらの忙しい日々になりそうです(笑) ジャンプも楽しみ~。日本の選手団、みんながんばれ~
2014年02月07日
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昨年は父の葬儀や息子の結婚など、あまりにもいろんなことがあり、毎年行っているTDLに行けずじまいになっていました。3月には30周年のイベントも終わってしまうし、ディズニー大好きの夫はついに我慢の限界がきたようで(笑)先週2人で行ってきました羽田からTDLに向かうリムジンバスが大渋滞・・・事故が原因でした。そのため到着がかなり遅れ、シーに着いたのはお昼近く。ハピネスグリーティングも、マリタイムバンドの演奏もすっかり終わってしまっててがっかり。では、とりあえず絶対はずすことのできないビックバンドビートを鑑賞しようと向かうと、もう最後のほうでぎりぎり入れたので、座ったことのない一番後ろのすみっこという席になってしまって・・・音響もイマイチだし、舞台が遠すぎて残念でした~鑑賞後は、特に行き先も決めず、おさんぽしながら待ち時間があまりないようならアトラクションに乗り、ショーの時間が合えばショーを見て、その合間に休憩がてらアルコールを飲んでといういつものパターンルーズベルトラウンジでは毎回メニューにない「季節のカクテル」頼むんだけど、今回はバレンタイン仕様でハートのチョコがのってました。おいしかったですよ~。花火を見てから帰ることにして、ザンビの横のチューリップがきれいな階段付近で花火を鑑賞。これがばっちりのスポットで、と~ってもきれいでした2日目はランド。土曜日ということもあってパークは激混み歩きにくいほとのパークは久々です。でも、とりあえず新アトラクション「スターツアーズ」の状況を見に行くと、スタンバイで2時間待ち・・・なのに、ファストパスの発券場所行くと、特に列にもなっていなくてなんなく発券できたのですあまりに場所が離れているから、わからない人もいるのかなぁ・・・。ファストパスで楽々楽しんできましたよ。3Dになって迫力倍増。おもしろかった~あまりにすごい人なので、このあとはかわいい飾りつけを見ながらぶらぶらして、スティッチに会いにいったり、くまさんたちの演奏を聴きにいったり(笑) 子どもたちに人気のジャンピンタイムも見てきました。人形劇かわいいです。アトラクションにはあまり乗れなかったけど、新スターツアーズは行けたし、ハピネスのパレードも見られたし、30周年の雰囲気をじゅうぶん味わえたから、夫も私も大満足なのでありました2人でゆっくりとディズニーの世界にいられた2日間。とっても幸せでございました
2014年02月03日
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息子いわく「史上最大級に地味な決勝戦」・・・高校サッカーの決勝が今日国立でおこなわれます。興味のない方はまったくご存知ないでしょうが、石川の星稜対富山の富山第一、つまり北陸どうしの戦いなんです。こんなことって信じられません!!準決勝まで共に勝ちあがってきて、ダーリンとは「星稜と富山が勝てばすごいことやね」「ま、ありえんけどね」って言ってたら、まず富山がPKで勝利。この試合はちょうどレッスンの合間で観てて、PKのときは関係者でもないのに、胸がばくばく!!(笑)PK専用のゴールキーパーが3人目を止めた瞬間大声出ちゃいました。星稜戦はちょうど仕事で、終わってあわててTV付けたら終了間際。4点入っててびっくり。京都橘相手に大量点!?なにがあったんやろって思いました。決勝に石川代表が・・・しかも相手がお隣の富山代表、これが興奮しないわけがありません。こんな日が来るなんて・・・本田がいても行けなかったのに。サッカー大好きの息子は、星稜が勝った瞬間、東京行きの往復航空券を手配したらしい(笑) 今日は国立で応援します。「お母さんも応援列車でおいで」と誘われたけど、寒いし、ビールは売りにこないし、ぬくぬくのこたつでダーリンと飲みながらお家観戦します(笑)星稜はバス44台で行くらしいし、応援列車も完売。すごい応援団になりそう。富山もすごいだろうな~。TVの視聴率も北陸だけすごいことになりそう(笑)楽しみ、楽しみ。星稜がんばれ~!! 富山第一もがんばれ~!!
2014年01月13日
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喪中のため新年のごあいさつができず失礼いたしました。ついついフェイスブックのほうに行ってしまい、こっちの更新がなかなかできず・・・ぼちぼちの更新となりますが今年もよろしくお願いします。喪中でも、婚家は関係ないのでいつもどおりのお正月。大晦日のおせち作りにはじまり、3日に義弟が帰るまで、あいもかわらず「本家の嫁」しておりました。つ・・・つかれたぁ・・・あ~正月なんて大嫌い(笑)それでも、息子がお嫁ちゃん連れで帰省してくれたので、ちょっと新鮮ではありました紅白の鏡餅に驚き、福梅や辻占などの金沢独特のお正月のお菓子を楽しみ、親戚の大宴会で緊張し、家族として初めてのお正月を過ごしていきました。2泊だけだったけど、私よりずっとずっとお嫁ちゃんが疲れたことでしょうねダーリンの最後の休み、日曜は2人で「永遠の0」を観てきました。原作を読んでいたので、絶対観たい映画でした。まだ観てない方は、ぜひご覧ください。すばらしくいい映画です。今までで1番かもしれません。日本人なら絶対観るべき映画です。いろんなこと考えさせられます。そして、岡田准一の美しさにうっとりします~なんて軍服が似合うんでしょうファンでなくとも、惚れますよぉ~(笑) 脇役もすごい役者さんばかりだし、あ~もう一回観てもいいなぁ。岡田くんといえば、大河も始まりましたね。戦国大好きなんで、これも楽しみにしてました。大河といえばやっぱり戦国時代でしょ秀吉にまたまた竹中さんが演じられるので、これまた嬉しい。ぴったりの配役だもん。そして、娘ともどもファンの高橋一生さんが出演するので見逃すわけにはいきません。毎週日曜、楽しみ、楽しみあと1ヶ月もすればソチも始まるし、今年は楽しみなことが多いですね。いいこともいっぱいあるといいな~
2014年01月07日
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金沢の婚礼に欠かせないのが、この五色生菓子。加賀藩二代藩主前田利長公が、後に三代藩主となる利常公の嫁として徳川秀忠公の息女を迎えた時、藩の御用菓子屋吉蔵に命じて作らせたものなのだとか。この五色生菓子は、日、月、山、海、里を形どり大自然の恩恵に感謝の意を表しています。日・・・太陽をかたどり、円形の餅に紅色は日の出月・・・白い饅頭は月山・・・黄色く米粒をつけてあるのは「いがら餅」ともいって山を象徴(私はこれが好き)海・・・菱形の餅は海面の波里・・・蒸しようかんは村里以上、お菓子やさんのしおりからの抜粋(笑)どれがどれかわかった昔は、婚家に道具入れを行った日に、ご近所や親戚にこれを配りました。結婚式当日にも、お嫁さんを見に来られた方たちに配ったり、引き出物にも入ってました。息子の結婚式のときも持っていきたかったけど、なんせ「生菓子」なので次の日には固くなるので持っていけず・・・でも、こんな時じゃないと食べられないので、式の1週間後、遠くに住む息子夫婦の代わりに、親戚やご近所へのあいさつまわりのときに、内祝いの品と一緒に持っていくことにしましたもちろんわが家の分もちゃんと注文して私が食べたいから(笑)息子には写メールで報告。お嫁ちゃんがめっちゃ食べたがってたらしい・・・こっちで食べられる機会があるといいね。
2013年12月05日
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息子の結婚式のため、出雲まで行ってきました!二人の写真・・・と思ったのですが、顔の部分を加工する仕方がわからなくて、すいません。白無垢のお嫁ちゃん、とってもかわいかったんですが出雲大社での結婚式は、想像以上に厳粛で、雅楽の生演奏がまたおごそかで、なんというかもう、本当にすばらしくて感動しました270畳もある、神楽殿(式場)は圧巻です遠いところ、はるばる来たかいがありました車いすのしかも酸素ボンベ持参のお義父さん連れての飛行機、どうなることかと最初は心配でしたが、こちらもいたれりつくせりで、ちゃんと航空会社の係りのお姉さんが付いてくれて、乗り継ぎも実にスムースとにかく、挙式の日は私の雨女の効力はどこ行ったの? と思うくらいの快晴お天気に恵まれて、出雲大社の境内のあちこちで新郎新婦の写真撮影が行われました。たくさんの観光客に見守られての撮影・・・拍手していただいたり、「おめでとう」と声をかけていただいたり。人見知りのお嫁ちゃんは、とっても恥ずかしがってたけど、こんなにもたくさんの方々に祝っていただくなんて幸せですよね~さて、写真は挙式後の会食会場。大きな披露宴はせず、親族だけの簡単なお食事会をしました。遠くに見えるのがこちら。私が嫁ぐとき持ってきた金沢の「花嫁のれん」です。ドラマでもやってましたが、金沢では式の前に婚家への仏壇まいりの風習があり、こののれんは玄関や座敷の入り口に飾られて、花嫁はこののれんをくぐって嫁ぎ先の家に入るのです。金沢だけのものだし、珍しくていいかなと思って持ってきました。ホテルの人たちも、珍しがってました(笑) 快く飾っていただいて感謝です。
2013年12月02日
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24日の結婚式で、息子はダーリンの結婚式衣装を着るので、27年ぶりにお目見えした羽織。これを着たとき、ダーリンは24才。ついでに私は23才。わけぇぇ・・・裏地に富士山が描かれてたのね。初めて知った(笑)父親よりちょっと背が低い息子。はかまをひきづらないやろか~娘は、今年成人式で着た振袖を着ます。広げようと思ったけど、たためないのでこのまま(笑)帯と一緒に撮影しました。成人式以外でもお披露目ができてよかったです。この振袖を作った友禅作家さんは山Pと同姓同名。色紙をいただいたとき、振袖が作品として名前があることと、作家の名前で2度びっくりしました(笑) 別にファンじゃないけど・・・それにしても、友禅作家は文字を書いても達筆~!! これらと、ダーリンが着るモーニング、義母の留袖を出雲まで送ります。私はあっちでレンタル~。一番楽~(笑)
2013年11月19日
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この香箱(こうばこ)ガニをいただく時期になると、あ~ここに生まれてよかったと思う(笑)ずわい蟹のメスで、形は小さいが、身は甘く、なんといっても味噌がからんだ内子(うちこ)と呼ばれるオレンジ色の部分がめちゃくちゃ美味 昨年までは、解禁日を待ってすぐに父が持ってきてくれた。実家は港町なので、母の友達に魚屋さんがいて、そこで買ってきてくれるのだ。カニの季節だけではなく、年始のあいさつ、お中元、お歳暮など、その節目節目にタイガースの大きなステッカーを貼った、ご自慢の愛車で会いにきてくれた。そんなことも、もうないんだなぁ・・・今年からはもういいからと言っていたのに、母が気を遣って「買ったから取りにきて」と連絡してきたので実家まで行ってきた。身がぎっしりつまった、すごぉ~くおいしいカニでした。お母さん、ありがとう~
2013年11月14日
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大騒ぎの「のど自慢」出場から1ヶ月。おかげさまで、いろんな方々から声をかけていただきました。ただ、この番組って年齢がかたよっているんだなぁって実感。反応があったのは、私より上の年代、親世代の方がほとんど。私は実家でも、今も、日曜の昼は必ず見てるので「のど自慢」見るのが、当たり前のように感じてたけど、見ない家庭はこの番組のことすら知らないんですよね・・・。NHKを全然見ないという人も(笑)生徒の家庭で見てた子は、ほとんどおじいちゃんおばあちゃんと同居しているご家庭でした。若い人たち(生徒の親世代) は興味ないんですねぇ。もちろん、好きな若い人もいるから、出場者はあれだけの年齢層になるんでしょうけど。土曜日は、その「のど自慢」に一緒に出場した方たちとプチ同窓会でした。たった半日のつきあいで仲良くなり、お互いに連絡先を交換し、その後フェイスブックでもやりとりを始めたお仲間たちが集まりました!!いやぁ~めちゃくちゃ楽しかった~。1ヶ月前には、顔も名前も知らなかった年齢もばらばらの人たちが、もう昔からの友人のようにつきあえる・・・なんてすばらしいことなんでしょう。このご縁は、ずっとずっと大切にしていきたいです。今回仕事などで来られなかった人たちもいるので、次回はもっとたくさん集まれるといいな。
2013年11月04日
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百か日のことをこう呼ぶそうです。哭(泣く)ことを、卒(終える)という意味で・・・先週は父の卒哭忌でした。でも、私はまだまだ涙から卒業できないでいます。父がいないことを実感できないのです。実家にいれば、いつものように「おぉ~きとったんか~」とにこにこ顔で入ってくる気がするし、毎日のように通っていたカラオケ喫茶の前を通ると、つい父の車がないかチェックしてしまいます。そして、そのたびに父にもう会えないのだと、突然思い出すのです。淋しい・・・会いたい・・・そう思うと、もうダメ。涙腺崩壊です。まだまだメソメソしちゃいます。 あの優しい声に、あの底抜けに明るい笑顔に、私はずっと守られていたんだなと、今さらながら感じています。
2013年10月25日
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日曜日は大安だったので、息子の結婚祝いが続々と集まりました。写真は、ちょっとアップにしすぎちゃったけど、お酒2升の箱におめでたい鶴と亀の水引が付けられています。下まで写すと、名札が見えちゃうので・・・結婚のお祝いには、この水引で飾られたお酒を付けるのが一般的らしいけど、わが家では日本酒なんて料理にしか使わないのに、こんなお酒が今の時点で3箱。6升あります。どうしましょ結婚式は来月にせまってきたのだけれど、息子は神戸にいるし、特別相談してくることもなく、結婚式は息子たちに任せっきりだし、私は全然息子が結婚する実感がありません。だから、自分が姑という立場になる実感もまったくありません。考えてみると私が結婚するとき、義母は今の私より若くまだ40代だったのに、私がわからないことや不安なことがあると、なんでもかんでも教えてくれて、私はすっかり義母に頼り切っていた。今の私に、あのときのような義母の真似はできないなぁ。なんと頼りない姑なんだろ。まっいっか。一緒に暮らすわけじゃないし(笑) ちょうどTVでの全国デビューをした後だったので(笑)お祝いを持ってきてくださった方々とは、自然とのど自慢の話になりました。その中で、親戚のおばさんから「お義父さんやお義母さんに感謝しないと。嫁がこんな目立つことして嫌がる人もおるよ。そんな人やったら出られんかったやろ。理解のあるお義父さんたちやから、(嫁なのに)好きなことできるがやぞ」と言われて、ちょっと違和感を覚えました。ちなみに、この親戚のおばさんは私側の親戚ではなく、夫側です。今回のことばかりでなく、多分芝居をやっていることとか、PTAで飛び回って子どもたちが学生のとき、家にあまりいなかったことをよく思っていないのかも・・・もちろん、家の人たちにはみんなに感謝しています。協力がなければ、なにもできません。でも・・・やりたいことがあっても、義父母が反対したりすれば嫁は我慢しなくてはいけないんでしょうか?今回の場合、私がのど自慢に出たいって心から願っていても、もしも「そんな恥ずかしいことはやめてくれ」って家族の反対があったら、嫁の私は出たらいけないんでしょうか?嫁である以上、すべての行動を家の人たちにお伺いをたて、許しをもらってからでないと何もしていけないのかなぁ。おばさんには「そうですよね~。本当に感謝してるんです(これは本当だから)」って言ったけど、なんかちょっと、ちらっと、ひっかかってしまいました。
2013年10月17日
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勢いのある広島相手だから、簡単に勝てるとはおもっていなかったけれど・・・厳しい戦いになるとは覚悟していたけれど・・・終わってみれば、広島にまったく歯が立たないというか、勢いを止められなかったというか、いいとこなしで終わってしまった感じ。打てない。守れない。これじゃ勝てるわけないわな。 そんな中唯一の救いが、現役最後の打席で桧山が打ったホームラン。桧山の応援歌が聞こえてきて、この応援歌一番好きだったなぁ~って思いながら、一緒に歌ってたらなんだかぐっときて、泣きそうになったときにホームランが!!!泣けたぁ~っ。桧山選手、最後の最後に感動をありがとう。 その後の新井さんにはふれないでください。
2013年10月13日
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夢のような2日間でした~。前日の予選会で、250組の中から本選出場の20組が発表され、自分の名前が呼ばれたあの時から、本番が終わるまでの時間はまたたく間に過ぎてゆきました・・・前日は、番組スタッフさんとの面談、小田切アナウンサーとの打ち合わせ、歌の音あわせがあり、終わったのは午後8:30ごろ。当日は、午前7:50集合で、本番までは分刻みのスケジュールでした。まずは、歌う順番の発表~。早めがいいな・・・と思ってたのに13番。びみょう~(笑)この順番で自己紹介したあとは、入場練習、表彰式練習、本番さながらの歌リハーサルと小田切アナとのトーク練習。この時のトークでは、阪神の話ばかり (笑) 今まで、歌のあとのトークっててっきり台本みたいに決まっているのかと思っていましたが、違うんですね~。もちろん、話の内容はあらかじめ大まかには決めますが、きっちりはしていないのです。それが終わった後は、ゲストの歌の音あわせ・・・私たちはまだ誰もいない客席の前列で、今回のゲスト松原健之さんと、キム・ヨンジャさんの歌を聴かせていただきます。出演者の特権ですね!!それからちょっと早い昼食をとりながらしばし休憩。だんだんと緊張してくるかなと思ったけど、そうでもない(笑) それよりも、楽しくて、楽しくて、楽しくて~そっちの気持ちのほうが大きいのです。これは、舞台監督さん(おもしろくて最高の方でした)はじめ、スタッフさんたちの「この番組をいいものにしよう」という気持ちが伝わってくることと、なんといっても出演者の方々がとてもいい方たちで!!今までまったくの見ず知らずの人たちと、半日でもう家族のようになれるなんて、これがのど自慢の世界なのでしょうか。本当にすごい!!さあ、いよいよ本番。控え室で全員でがんばろうの掛け声をかけ、スタッフさんたちとハイ・タッチしながら舞台へ・・・あ~楽しい~盛り上がる~舞台ソデで待機してると、あのオープニングが聞こえてきて舞台へ。わくわく(笑)歌が始まると、後ろの席で1曲1曲まるで自分の家族が出ているかのように盛り上がり、リハのときにみんなで決めていた振り付けをしてました。これまた楽しい~私の番があっという間にきて、舞台の中央へ。小田切アナからマイクを受け取り、元気よく「13番 越冬つばめ」と第一声。お~、気持ちいいぞっ! (笑)でも・・・あぁ・・・やっぱり声出てないや・・・と思いながら歌ってたら・・・「ひゅ~るり~」のところでな~んと鐘が3つも鳴ったぁぁぁ合格でした。あまりにびっくりして、小田切アナに抱きついちゃった。ごめんなさい(笑)小田切アナからは、なぜタイガースTシャツを着ているのかと聞かれ、この番組が大好きだった父の形見ということを言ったと思うのだけど、なんせ思いがけない合格の鐘だったので、完全に舞い上がっちゃって~何話したかよくわかんなかった(汗)最期まで、この番組だけは見ることができて笑顔で見てたこととか伝えたかったのに・・・ 合格すると名前が言えるのが嬉しいね。席に戻るとき、みんなにハイ・タッチで迎えられ、ゲストの2人にも無理やりやってもらいました。こんなとこおばちゃん気質だよねぇ(笑)あれよあれよと時間は過ぎて本番終了。なんだか夢のような時間でした。前日の数時間と、当日の数時間だけで、なにもわからない素人の20組を使い、あんなおもしろい番組を作ってしまうのど自慢スタッフ、すごすぎます!(笑)そして、今回の出演者の方たちとのご縁ができたのがなにより嬉しい。すてきな(キャラが濃い(笑))人ばっかりで、今回20組の中に選ばれて、本当に本当によかったと思います。同窓会が楽しみだわ!見逃した方、NHKのど自慢のホームページに行くと、出演者の集合写真だけは見られます。説明するまでもなく、すぐ私がわかります(爆)
2013年10月07日
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明日のNHKのど自慢は、私の住んでいる白山市からお送りします。そののど自慢に、な、な、なんと私が出場することになりました~~~今日予選会があって、250組の中から選ばれました。なんのことはない、亡くなった父のネタと形見のタイガースシャツを着たというのが目立ったのでは・・・と思います。今日選ばれた20組の出演者と、楽しい番組作れたらなって思ってます明日のお昼、時間がありましたら観てね。演歌の好きな父のための選曲ということで、越冬つばめを歌います
2013年10月05日
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わが家ではぶどう狩りができます!玄関わきに、ぶどうの木があるので「先生~。ぶどう大きくなってきたよ~」と、家にピアノレッスンに来る生徒のチェックが入ります(笑)毎年、近所の方、義母の生け花教室のお弟子さん、私の生徒におすそわけするんだけど、今年は不作であまり成らず全員に配るには足りない・・・残念ながら、私の生徒はぶどうに目がふれる自宅レッスン生のみにあげました。他会場の生徒ちゃんたち、ごめんなさ~い!来年に期待してね。 ぶどうだけではなく、いちじく、柿、栗、みょうがが取れます義母が取ってきてくれるから、私は食べるだけやけど(笑)みょうがは大好きなので、取れる間は連日のようにお味噌汁に入れていたのだけど、ダーリンがあまり好きではなかったことが最近になって判明しました27年目の衝撃の事実何を出しても、残さずぜ~んぶ食べてくれるので、まったく気づかなかった・・・ごめんよぉ~。何年も一緒にいても、知らないことってあるんだなぁ。(教えてくれればわかることやけど(笑)) まだまだ知らないことあるかもしれないね。それもおもしろいか
2013年10月04日
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先週は、2日続けての飲み会があり、少々胃が荒れ気味・・・つくづく年を感じます。飲み会の連ちゃんなんて全然余裕だったのになぁ 1つはPTAのOB会で、年に何度か集まる恒例の飲み会。一緒に役員していたお仲間なんだけど、PTAを卒業して何年もたつのに、いまだにこうして集まって楽しめるっていいですね。この人たちのおかげで、敬遠されがちな役員生活も、とっても楽しいものとなりました。あんなに充実していた日々もなかったなぁ。お仲間には恵まれたなぁと、いつも思います。その中の一人は、私と同じく今年のはじめにお父様を亡くされていて、2人でいろいろ話せたのがよかったです。やはり同じ境遇でないと、わかってもらえない気持ちってありますからね。ちなみにこの飲み会は女子会ではありません。 女子会はもう1つのほうで、こちらは高校時代の友人とのプチ同窓会。何度か話題にしてるけど、私の母校はほぼ男子校でクラスに女子は数人しかいません。私は3年間紅一点の逆ハーレム状態でした。・・・と言いたいけど、誰も女子と認識してくれなかった・・・そのため、クラスを超えて同学年の女子同士が仲良くて、この日はそのうちの一人が久々に里帰りするため集まることになったのです。そう頻繁ではないものの、ちょこちょこ会っていたメンバーですが、何十年かぶりに会った友人もいて、その女っぷりにびっくりしましたどこからその色気がでてくるんだもともと美人だったけど、さらに美しさに磨きがかかりまさに「美魔女」という言葉がぴったり。これで孫がいるおばあちゃんだなんて・・・信じられん。同い年なんて・・・信じられん。と思ったら、謎が判明。すっごぉ~く(いくつかは教えてくれなかった)若い彼氏がいるんだって。そりゃがんばらんなんやろねぇ。ミニのワンピだって着るわなぁ。現役で恋愛中って友人がいないので、私を含むおばちゃん化してる既婚者たちは、興味津々であんなこと、こんなこと、いろいろ聞きまくり興奮してました(爆)内容はとても書けませんこの話題は特別だとして、 これまでは子どもの話中心だった女子会。それが、この日は自分たちの健康状態の話、親の介護問題の話など話題になったことのない話しが出ました。そして孫自慢。孫のかわいさはたまらんそうです。私も早く話に加わりたい(笑)年代によって話題も変わってくるなぁ・・・と思いました。変わらないのは、姑とだんなの愚痴 (笑) これはもう、毎回のお題ですね。でも、あまり深刻なものではなく、みんなで笑えるような内容なのがいいですとにかく、どんな話題にせよ、次から次へおしゃべりは延々と続くというのが女子会。2次会のファミレスに閉店時間があったので(こんなとこも田舎だ~って感じる) 解散となりましたが、このままいたら朝まで語っていたでしょう。両方の飲み会のお仲間は、私にとってなくてはならない友人たちです。これからも仲良く繋がっていきたい。楽しい2日間でした。
2013年09月30日
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なぜか私のスリッパがお気に入りのルルスリッパを下にしてねまったり、ガシガシ猫キックしたり・・・この日は、手を1本ずつきちんとスリッパに入れていたのがかわいくて~でも、写真うつりがイマイチなんだよなぁ。もっとくりくりおめめで、とってもかわいいんだけどなぁ。カメラマンのうでのせいそして、ぐっと寒くなった今夜、ついにダーリンのひざの上で丸まった。ルルがひざの上に乗ってくると、そんな季節になったのかと実感します。といっても、私のところには本当に寒くならないとなかなか来てくれず、ダーリンのひざが指定席になってるけどね(笑)そして、いつもは私の足元のベッドのすみっこで寝てるけど、そろそろ布団の中に入ってくるぞぉ~これもまた、私の横じゃなくて、ダーリンの横にぴったりくっついて寝るんだけどね。どんだけお父さんが好きなのよ・・・ルルちゃん。
2013年09月26日
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この家に嫁いで27年。こんなに怖い思いをしたのは初めてです。それは、夕食のしたくを終えたころのことです。玄関で何かが落ちる大きな音がしました。またルルが玄関に置いてある置物でも落としたのだろうと、「ルルちゃんなにしてんの~」と言いながら玄関付近まで来ると・・・ルルが身をかがめて低い体制を取っています。そうです、獲物を狙うあの姿勢です。何がいるの???ヤモリか蛙か虫なのか・・・そんなものは田舎の家ですから、しょっちゅう家の中に入ってきますからね、かわいそうによくルルのおもちゃにされてたりします。ルルの視線を追って見ると、なにかが動いています。ヤモリや蛙や虫なんかじゃない、もっと大きななにかが、確実にそこにいます。それが〇〇じゃないか、と頭をよぎりますが、まさかそんな・・・家の中になんて・・・いるはずないよ・・・いやだよ、いて欲しくないよ・・・私の頭の中でぐるぐる。軽くパニックです。「なんかいる、なんかいる、なんかいるよぉぉぉぉ」私の大声に義母が来てくれて、確かめる勇気のない私に代わり、ルルが狙っている先を確認してくれました。うわっ!と驚きの声をあげる義母の声で私は確信したのです。やはりそこにいるのは〇〇だと。義母はめったなことで驚きません。ゴキちゃんは平気でスリッパでたたくし、みみず (畑にいる大きな大きなサイズ) くらいは素手でひょいです。その義母が驚きの声をあげたその瞬間、私は久々に全力疾走でその場から一番遠い台所に逃げ込みました。もう背筋がゾクゾク、鳥肌たつし、いやな汗がドクドク流れてきます。その様子で義父も見にいき、義父母が二人で「なんでこんなとこにいるんやろ。どこから入ったんかね。さぁて、どうやって出そうかいな・・・」と相談してます。怖い、怖い、怖いよぉ。外では何度か遭遇してますよ、田舎ですから。そのたび家で話すと「ここにいるのは毒ないから大丈夫」とか「あっちのほうがびっくりしてるよ。なにもしてこないよ」と、義父母は言います。いやいやいや、そういう問題じゃないです。見たくないんです。ほんと、ダメなんです私。そのうち虫は苦手だけどヤツはかわいいとのたまう娘が見に行き、外出中のダーリンもやってきて、4人と1匹がヤツを囲んでどうやって出すか相談してるんだけど、私は近くに寄ることすらできず一人震えておりました。結局、義母と娘が(なぜ男性二人は見物だけ?) 外用のトングみたい用具でヤツをはさんで (あ~書いてるだけで鳥肌たつ) 用水へ持ってってくれました。「もうお家に入ってきちゃダメだよぉ」って言う娘の声が聞こえます。それにしても、どこから進入したのだろう。うちはルルが脱出できないように、窓には全部 網戸があります。開いている可能性があるとすれば、トイレの窓か・・・(フェンスはしてあるからルルは出られない)となると、そこから見つかったあの場所まで移動したのか、とか、もしかしてもっと前からひそんでいたのか、とか、考え出すとまた怖くて、怖くて。ルルが戦闘モードでいてくれたおかげで、私はまともに見ないですんだから、ルルに感謝だわ。あれからルルは、何度も何度もヤツがいた場所を念入りにチェックしてパトロールしています。 そういえば、巳年の今年、私はもう3度も遭遇してる・・・(今回はまともに見てないけど)これって幸運の表れかしら?いやいや、そうだとしても、頼むからもう家の中までは来ないでよ!
2013年09月22日
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昨日は見事なお月様でしたね~。でも、月よりやっぱりこちらのほうが・・・(笑)友人からいただいた月見だんご(みたらしだんご) です。期間限定らしく、この機会を逃すとまた1年後にしかお目にかかれないらしい。「とにかくおいしいから食べてみて」といただいたのですが、これが本当においしい~!!!たれが甘すぎず、お餅がほっちゃほっちゃで柔らかくてとろけますぅぅぅ。こんなにおいしいみたらしだんご、食べたことないかも。友よ、教えてくれてありがとう~
2013年09月20日
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昨夜、父が亡くなって初めて私の夢に出てきてくれた。母のところにも出ないらしく、この前2人で「会いたいのになんで出てきてくれんがかねぇ。どこのお姉ちゃんとこ行っとるんかねぇ」と話してたから、ヤバイと思って来てくれたのかな(笑)わけのわからないのが夢ではあるけれど、昨夜の夢は、夫、娘(なぜか小学生くらい)、私と父母の5人でどこか旅行してるもので、せっかくどこかに遊びに行っているというのに、宿泊場所はあの懐かしい父がいた病室で、5人が並んで眠るのだ。実際には、あの病室のベッドから一歩も動けなかったけれど、夢の中の父は自由に歩いてた。それを夢の中の私は不思議だとは感じてなかった。父はまだ幼い娘の側にきて、持っているぬいぐるみを見て「かわいいのもっとるな~。いいなぁ~」と言いながら頭をなでていた。これは多分、娘が結果的に最後の見舞いになったときの記憶によるものと思う。亡くなる1週間前、娘と一緒に病室に行くと、孫娘が来てくれたのがよっぽど嬉しかったのか、満面の笑みでピースサインまでして迎えてくれた。娘の携帯にするには大きめのかわいい鳥のストラップを見つけて、父が「それかわいいなぁ、見せてくれ」と言うので、娘は「毎日来られないから、じいちゃんが見える場所にコレ私の代わりに置いていくわ」と言ってベッドの横のテレビ台に飾ったのだ。父がとても喜んでいたのを覚えている。その影響でこんな夢見たんだと思う。 夢でいいから会いたいって思ってはいたけど、夢から覚めると、それはそれで辛い。夢の中での父の声がはっきりと耳に残っている。笑った顔も動いていた体も、今見ていたのに、実際にはもういないなんて・・・ 目が覚めて布団の中でちょっと泣いた。
2013年09月18日
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なんだかよくわからないまま写真をアップしてみました。彼女の家で並べた結納品です。 特に結納金の飾りが美しいので拡大してみました。金沢の水引は本当に美しい そして、わが家の座敷に飾った結納返しの品々。お返しはいいからって伝えてあったのに、用意されていて気を遣わせちゃったなぁ・・・。この毛氈がいたく気に入ったらしくて、真ん中の松の飾りを自分で押しのけて、ちゃっかりセンターキープをしたのがうちのお姫様ルルちゃん(爆)
2013年09月16日
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なかなか更新できず・・・息子の結納から、もう1週間以上もたってしまった愛車ワゴンRに結納品を詰め込んで、早朝4:00に出発。途中休憩を取りながら、神戸の息子のアパートに着いたのが8:30ごろ。ドライバーがダーリンから息子へ交代し、彼女の家まで約1時間。明石は遠かったですぅ・・・あいさつもそこそこに、さっそく床の間に通していただくと、すでに結納返しの品を飾ってあってびっくりお返しはいらないですからっていってったのに、気を遣わせてしまったなぁ~。もっとしっかり伝えておけばよかった。ちなみに、お返しは受け書(領収書のようなもの)・末廣(扇子)・結納金のお返し(現金)・腕時計(TAG HEUER)でした。結納をお飾りするときは、だまって一言も口を利いてはいけない・・・と昔の人は言いますが、お店の方に聞くとそんなこと今時気にする必要ないですよ~ということだったので、ダーリンと2人でこっちだよね、あっちだよねなんて確認しながら飾りました。金沢の水引はとってもきれいです飾り終わったら、別室で待っていらっしゃる彼女とご両親をお呼びして整列。この時座布団は使用しません。前の晩、必死で覚えた口上(笑)を夫が言って目録を彼女のお父様にお渡ししました。あちらのお父様も、決まりきった口上で締めくくり(笑)こちらは受け書をいただいて無事終了。お父さん同士は、お互い緊張していたようで彼女のお父様は、昨日はあまり眠れなかったらしいです。そのあとは、ちょっと無理やり婚約指輪を息子から彼女にはめさせて写真を撮ったり(笑)お互いの家族写真を撮ったり・・・それから昼食に連れて行っていただきました。やっぱり2度目とあって、以前より会話がはずみ、お店を出たのが3:00過ぎてた。「ナイターに間に合いますか?」なんて気にしていただいて、すっかりこれから観戦のことバレてるし(爆)そのナイターが大変な試合になってしまいましたぁ・・・。いや、試合自体はあまり盛り上がりの少ないものだったのですが、途中の雨(いきなりの土砂降り)で2度も中断したという意味の大変ということですあまりの土砂降りに、一度目は中止で払い戻しかと思ったし、2度目はこれでコールド勝ちだなって思ったんだけど、すごいです、阪神園芸さん!!!あの状態のグランドを試合できるように整備しちゃうんだもん。あっぱれだわ。朝早くて大疲れだったけど、試合をやるっていうなら残るしかないでしょ。合羽着ながら最後まで応援しましたよ鳴り物なしのアカペラ応援を生で聞いたの初めてでした。涙の加藤のお立ち台も良かったし、9回はちょっとあぶなかったので、とにかく勝てて本当に良かったこんな思いまでして見て、負けてたら次の日帰る気力なかったわ(笑)こんな日に限って、甲子園近くのいつもの宿が取れず神戸のオークラにしたので、ホテルに帰ったら12:00過ぎてました~。はぁ~、こんな疲れた甲子園観戦は初めてですぅ。 なにはともあれ・・・結納が無事終わり、六甲おろしが歌えて、幸せな1日でありました。
2013年09月09日
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はぁ~、また雨だよぉぉぉ・・・明日は、息子の結納なのです。結納品を車に乗せて、朝の4:00にわが家を出発します。神戸で息子を乗せ彼女の家のある明石まで行ってきます。5月にたもと酒を持っていったときも雨で、見晴らしバツグンのレストランにせっかく連れて行っていただいたのに、霧がかかり明石大橋が全然見えなかった・・・という話はしましたよね。道中も雨道じゃ嫌だなぁ~。ダーリンの運転だけど。 結納が8月31日に決まったとき、私たち夫婦が一番先にしたことは・・・甲子園のチケットが取れるか調べた(笑)たまたま、そうよ、たまたま、この日甲子園で試合があるので、せっかくだからついでに行こうかということで。誤解のないよう説明しますが、決して甲子園観戦に合わせて結納の日を決めたわけじゃありませんから!「どっちがついでかわからん」と友人は言いますが、断じて試合のついでに結納に行くんじゃありませ~ん(笑)明日はレフトのチケットを取ってあるんだけど、さすがに無理そうだね。お父さんも連れてってあげようと、写真もちゃんと持ったのに。息子の結納に行くのに、自分たちの楽しみも乗っかろうとしたバチがあたったかな(笑) ダーリンは、結納の口上を練習中。天気が悪くても、無事なごやかに結納式が済みますように。 さあ、早くお風呂入って早く寝なきゃ!!おやすみなさい。
2013年08月30日
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息子が帰省中のこと。義父母から結婚のお祝い金をいただいた。秋の結婚式までもう会う機会がないということで・・・その時、義父母が「うちの大事なあととりねんから、この家しっかり守っていかんなんぞ。墓も頼むぞ」といったことを2人そろって言っていた。うわぁぁ~、あととりだって。こういう言葉に私は違和感感じちゃう。息子が産まれたときのことを思い出した。まだ元気だった義祖父母が私に「でかした、でかした、あととりを生んでくれて」と、それはそれは大喜びしていた。喜んでくれるのは嬉しかったけど、いったい女の子が生まれていたらどんな態度だったんだろう・・・と思ったら、ちょっと怖くなったことを覚えている。本家の長男、しかも田舎に嫁ぐってこういうことか。ダーリンも、助産師さんに「男の子ですよ~」と言われた瞬間ホッとした・・・ってことを言ってた。(生まれるまで性別は聞いてなかった)ふ~ん、それまで私にはどっちでもいいって言ってたのに、本当は男の子、つまりあととり息子が欲しかったのか。自分がそうだから、プレッシャー感じてたのかな。そんなものなのかな、と思いながら、ちょっと悲しかった。多分、「私たちの大切な子どもを生んだのであって、この家のあととりを生んだんじゃない」って気持ちが大きかったのだと思う。息子に対しても、私自身はあまりこの家に縛られてほしくないと思っている。だからこそ、大学進学も県外だって反対しなかった。けれど、義父母はあととりなのに家から出してどうするんだって怒っていたのかもしれないね。自分がもっと年寄りになったら、また感じ方も変わるのかな~ 明日は父の四十九日。法要は日曜日に叔父、叔母たちにも来てもらって済ませた。納骨も済ませ、私が5才のときに亡くなった祖母(若くして亡くなったんだなぁ)と同じお墓に眠っている。ちょっと複雑な環境だったので、親一人子一人の家庭で育った父。長い間お墓の中でひとりぼっちだった祖母も、かわいい一人息子とやっとずっと一緒にいられるんだね。これで一応一区切り。気持ちはまだまだ一区切りとはいかないけれど・・・
2013年08月27日
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お盆休みがとっくに終わり、日常が戻ってきているのですが、私自身のスイッチが切れたまま・・・やる気が全然おこらない(汗)お盆は、義祖父の七回忌法要があったので、数日前より座敷や縁側の窓ふきなどの家のそうじに追われ(贅沢な話だけど、ほんとうにこんな広い屋敷って嫌!)、親戚の接待などで気も遣い疲れきっておりました。そして、父の死去に伴ういろいろな書類や手続き関係が、ほぼ終わり、父に関することがさしあたっては25日の四十九日法要だけとなった今、亡くなった当初よりどうしようもない寂しさが込み上げてきています。夜、眠れない時や、車の中で一人きりの時、ふと元気いっぱいだったころの父を思い出し涙が出てきます。今日は甲子園では高校野球の決勝でした。仕事の都合がつけば、実家に行って父と観戦するのが毎年楽しみでした。もう一緒に見られないんだなぁ・・・と思うと胸がきゅんとします。手続き等で忙しかった時より、少し余裕が出た今のほうが思い出すことが多いからか辛くなることが強いみたいです。入院する前も、実家はわりと近いのでちょくちょく行って会っていたし、入院してからもほぼ毎日見舞いにも行ったし、できることはやってきたつもりだからあまり後悔という感情はありません。ただ、ただ、寂しいのです。あの笑顔を見ることができないのが・・・優しい声を聞くことができないのが・・・ 会いたいよぉ、お父さん。 父が亡くなってから、ずっと父のことばかりの記事になってしまっているけれど、自分の気持ちを整理するためにも、もう少し父のことを書き溜めていこうと思います。覚えているうちに。
2013年08月22日
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今日は高校野球の抽選会。石川県代表の星稜は3日目第1試合鳴門高校と対戦することが決まった。高校野球ファンならピンとくると思うが、箕島と当たらないかなぁ~と願っていたけど、そんなうまい具合にはいかなかったね・・・抽選会を中継で見終わり、突然父の声が聞きたくなる。毎年抽選が終わったら父に電話して、地元高校の対戦チームのことや、このカードが面白そうやねとか、一緒に分析して楽しんでいた。あの笑顔にもう会えないんだ・・・元気な声を聞くことができないんだ・・・わかっていることなのに、寂しくて寂しくてやりきれなくて泣いてしまう。父が亡くなってから、このようにちょっとした「きっかけ」で涙が出てくるようになった。数年前に、同じく父を亡くした友人は「思い出したとき、ふっと気配を感じることあるよ。側にいるってわかるよ」と言ってたけど、残念ながらそういった力(霊感のようなもの)が私には全然ないらしく、会いたいとこんなに願っていても父を感じることができない。元々、そういった霊的な話はまったく信じていないのだが・・・そんな私でも、父の葬儀のあと斎場へ行くとき、火葬が済んで帰るときの送迎バスでの話を後で夫から聞かされたときは、そんなこともあるかもと思った。なんせあの父だから・・・斎場へ行くとき、私と母、妹の3人は、父を乗せた霊柩車と一緒に向かった。六甲おろしを聞きながらね。(運転手さんは、車の中でずっとCDをかけてくれていたのだ)あとの人たちは、事前に頼んでおいた大型バスに乗っていってもらった。親族のほか義父母、妹の義父母、私から見て叔父、叔母、いとこ、その子どもたちで、全部で35名。この人数はあらかじめ確認を取り、親戚だけなので増えたり減ったりすることは絶対にない。だんなと妹のだんな、それからバスの運転手の3人で人数確認をしたそうだ。すると・・・35名のはずが何度数えても一人多い。36名になったのだそうだ。だんな2人は、最初に確認した「35」が間違いだったかな、と軽く考え斎場到着。念のため降りてくる人を一人一人数えると・・・やっぱり35名で間違いなかった。この人数もだんな2人と運転手の3人が数えている。おかしいなぁ~と思いつつも、当初の確認どうりの35名になったのであまり深く考えず、父の火葬の手続きやら、待ち時間に親戚の相手などしていた。父の病名は多発性骨髄腫。骨が溶けていく病気だったため、一番ひどい状態だった首の骨はほとんどなく、頭の骨もぼろぼろだった。怖い病気だ。みんなでお骨を拾い、斎場から葬儀会場に戻るのは先ほどの大型バス。帰りは私たち3人も一緒にバスに乗るので、全員で38名となる。もちろん帰りもだんな2人と運転手が人数確認してくれたのだが・・・、やっぱり1人多くバスに乗っている!!バスの中の人数を数えると、どうしても39になる・・・3人で確認しているのに、どうしても人数が合わない・・・!!でも、減っているわけじゃないので、乗り遅れた人がいるわけでもないしそのまま出発。だんなは、担当者に電話で「もしかして、中陰の会席料理が一人足りないかもしれないので、その時は自分の分をまわして」と言ってたそうだが、座席が離れていたので私は知らなかった。会場に着いて、一番先にバスを降りてだんな2人が降りてくる人を数えると・・・38人に戻っている。バスの中の人数だけが、行きも帰りも一人多い・・・これはなにを意味するのか!? 「お義父さんがさぁ、みんなにあいさつしに乗ってきてたんじゃないかなぁ」だんながそう言う。「きっとそうだと思う。いつもみたいに、どうもどうも~って手を振りながら乗って、今日はあんやと!あんやと!(ありがとう)って一人一人にあいさつしてたんやわ」妹のだんなもそう言う。 お父さんならやりそうやなぁ。あのいつものにっこにこな笑顔で、笑いながらバスに乗り込む姿、想像できるわ。行きだけじゃ、みんなのところまわりきれなくて、帰りも乗ってきたのかも。妹も、お父さんならあり得るわ!絶対そうや!って信じている。そんなこと、普段なら信じられない私だけど、この時ばかりは、みんなの意見にうなづいていた。
2013年08月05日
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今時の葬儀会場の控え室は、まるで旅館のようになっていて、お風呂も完備。もちろん、浴衣やバスタオル、洗面道具一式、布団など全部揃っています。通夜の晩は、母、私たち夫婦と娘(息子は家に帰った)、妹夫婦と子どもたちの9人で、父の側で眠りました。都合のいいことに、会場の前にコンビニがあるので朝食はそのコンビニで調達。軽く済ませて、前日同様、和装の喪服に着替えるため、8:30からセットと着付けスタートです。着替えを済ませると、司会者の方との葬儀の打ち合わせ。司会者の方の開口一番。「昨日はすばらしいあいさつでした。内容もそうですけど、声がすてきで・・・あの・・・ご職業はなんですか?ひょっとして同業者かと・・・」なんて、おっしゃっていただきました。プロの方にお褒めいただくなんて、こんなに嬉しいことありませんわ!(笑)まぁ、時々いろんなとこでしゃべったり、芝居はしてますけど、本業はピアノ教えているんです・・・と言うと、それを聞いていた葬儀社の担当者の方が、「え~?絶対声を使うお仕事だと思いました。ピアノの先生じゃないですよぉ~あの声はプロですよぉ~」だって(笑)いとこの結婚式での司会のときも、素人だと言ったらびっくりされたもんなぁ。お世辞がしっかり入っているとは思うけど、う~ん・・・職業のチョイス間違ったかしらね。息子がボソッと「ほんとに声だけはきれいだからなぁ。まったく詐欺だよなぁ」って、それは失礼でしょがっ!!それはともかく、葬儀のだんどりを決めないと・・・焼香の順番は、叔父、叔母の家族まで案内することにして、あとは、座っている順番でしてもらうことにしました。ややこしくなるのは困るので。弔電は、仕事関係で一番お世話になった会社の会長さんからのと、息子の婚約者(お父様との連名)の2通を内容まで読んでもらって、あとは名前の紹介のみ。弔電のあと、孫からのお別れの言葉として、孫代表で息子が手紙を朗読します。そして、昨日も流していただいた写真のDVDを見てもらい、最後にだんながあいさつして葬儀は終了ということで決定。息子の弔辞のとき、5人の孫全員出てくることにして、そのリハーサルもしました。葬儀は11:00開式通夜にたくさんの方が来ていただいたので、葬儀はそれほどでもないだろうと思いきや、日曜ということもあってか、またまたたくさんの方が次々と会場に入ってこられます。父の交友関係の広さにあらためてびっくり。にぎやかなことが大好きだった父、わざわざ葬儀が休日になるようにしたのかなぁ。さて、葬儀のほうは、お焼香が終わり住職さんが退席される時までは大丈夫だったのですが、息子の弔辞でダメでした。だんなと一緒に号泣してしまった。一緒に甲子園に行って、知らない周りの人を巻き込んですぐに仲良くなってしまう父のエピソードや、優しかった思い出話などを交え、明るかったおじいちゃんを見習ってがんばっていくからね、と手紙はそこまででした。手紙をたたんでから、そこからもう一度父に向かって息子が話しかけます。じいちゃん、病室で何度も「結婚式に行けなくてごめん」って言ってたそうだけど、謝ることはなにもないよ。自分こそ、ずっと待っててくれたのに3時間間に合わなくてごめん。始発で来ればよかったって後悔してるよ。でも、〇〇(彼女)とお見舞いに行って〇〇に会ってもらえてよかった。〇〇も一目見て優しいおじいちゃんだって喜んでたよ。11月、出雲大社までちょっと遠いけど絶対来てな。じいちゃん来るの楽しみに待っとるから、みんなで待っとるから、絶対来てな。ちょっと泣きながらも、最後までしっかり話してくれました。(これ書きながら私また泣いてる) はぁぁぁ・・・孫からの言葉なんて、反則だよねぇ。でも、父はきっと嬉しかったと思います。そして、司会の方のナレーション入りで写真が流れて、前日見てなかった私はここでまたもや号泣。だんなのあいさつで葬儀は終え、父のお棺にたくさんのお花を参列者の方々から供えてもらい、私は小さなトラッキーのぬいぐるみをそっと入れて、お棺のふたをしめました。位牌を母が、遺影を私が持ち、父と一緒に霊柩車に乗り込むのですが、みなさんが見守る中、ずっと「六甲おろし」が流れています。これは、一番最初にお願いしてあったこと。父の出棺を六甲おろしで送ってあげたいと・・・そして、霊柩車の中でも火葬場に着くまでずっと六甲おろしを流してくれました。良かったね、お父さん。私と母、妹は父と一緒に霊柩車で移動したのですが、あとの親族は大型バスで火葬場まで行きました。そのバスの移動でちょっとした不思議なことが・・・長くなるので、このお話はまた後日。
2013年07月28日
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午後4:00過ぎ出棺を見送ってから (母は一緒に行った) 叔母に戸締りを頼み、私たち家族は急いで会場に向かいました。急いでいたのは、母、私、妹の3人は和装の喪服を着ることにしていたため、着付けとセットの時間が必要だったのです。暑い時だし、通夜は洋装で・・・とも思ったのですが、嫁入り道具として冬用、夏用(絽)の喪服を父が持たせてくれていたので、妹と話し父が用意してくれた着物だもの2日間とも着ようということになりました。会場に着くと、着付けの部屋に直行。すぐに着付けがスタートしたのですが、一人の先生が私を着付けしながら涙ぐんでいるのです。そして、手を進めながら「実は私、以前片町でスナックしていてお父様に大変お世話になったんです」と言うじゃありませんか!!今でこそ昼間のカラオケスナックでコーヒー飲みながら歌うことが日課だった父ですが、その昔は相当遊んでおりまして(汗)私は世のお父さんたちは、お仕事の帰りにお酒を飲んで帰宅は深夜というのが普通だと思っていました(笑)自分も毎週のように飲みに行くようになると、片町のいきつけのスナックで落ち合い、父と一緒に帰ったりしていました。着付けしてくれた元ママさんの店にも行ったことがあるかもしれません。スナックをやめて、着付けのバイトをしているという元ママは、すっきりスレンダーの美人でまさに父のタイプの女性です。きっと長い間通ってたんだろうなぁ~会場の写真を見てびっくりしたという元ママは、「歌がお上手で、来たら必ず私の好きな歌を歌ってくれたんですよ。本当に楽しくていいお方でした」と泣きながらいろいろお話してくれました。わざわざ親交のあったママを自分の葬儀に来るように仕向けるとは、やりますなぁ、お父さん。支度が済んで、やっとゆっくり父の祭壇へ。黄色のお花に囲まれた遺影は、元気な頃のふっくらとしたいい笑顔。これは金婚式の記念に、父と母の2ショットと、それぞれの遺影用に撮影してもらったものです。あのときはこんなに早く使うことになるとは思ってもいませんでした・・・叔父や私のいとこたちからのたくさんの生花、盛籠が所狭しと置かれていて、とても素敵な祭壇となっていました。(本当は一番価格が低い祭壇だったんですけどね、後から義父にあれは高かっただろ~なんて言われました)そして会場の入り口には、トラッキーのぬいぐるみやメガホンなどの阪神グッズ。父のお棺の上には、タイガース柄のキルトがかけられ、その上にはいつもかぶっていたタイガースのぼうし。完璧だわ!仕事も辞めてるし、そんなに人来ないから狭い場所でいいよ、と母は言っていたのですが、もしいっぱいになって座りきれなかったら失礼だから、空席が目立っても一番広い場所(300席)にしましょうとだんなが言ってくれて正解でした。父に兄弟はいないので、父方の親戚は一人もいないのですが、母方の叔父、叔母たちはもちろん、私のいとこ、その子どもたちまでみんな来てくれました。私のほうの親戚は仲がよく、時々集まっていたので、いとこの子どもたちもみんな父を祖父のように慕ってくれていました。それから、町内からはマイクロバスがいっぱいになるほどの老人会のお仲間、カラオケのお友達、スクールサポート隊のメンバー、仕事関係の人たち、友人、知人、本当にたくさんの方が来てくれて、つくづく父の交友関係の広さにびっくりです。そして、泣きながら残念がってくれるみなさんのあいさつを受け、父はこんなにもみなさんに愛されていたんだな、幸せな人だなとつくづく感じました。結局300席が埋まるほどの大勢の参列者でした。だんなが「お義父さんの人柄だね、ありがたいね」ってしみじみ言ってくれました。ほんとにそうだね・・・お経が終わり住職が退席されると、スクリーンが下りてきて父の写真のDVDが流れます。最後に喪主の母に代わりあいさつすることになっている私は、これを見たらしゃべれなくなると思い、ずっと下を向いていたのに、横の妹が号泣・・・うぅ~やめてくれぇ~なんとかこらえ、あいさつに立ちました。ちょっと長いけど、父のこと伝えたくて必死でしゃべりました。 本日は、父〇〇〇〇のためにお参りいただき誠にありがとうございます。ご承知のとおり、父は阪神タイガースとカラオケをこよなく愛し毎日明るく元気に飛び回っていましたので、私たち家族はこのまま80、90と年を重ねていくものだと思っていました。ところが、3月に体調を崩し検査した結果、完治の難しい病気ということが判明し、約4ヶ月の闘病の末昨日私たちの元から旅立っていきました。わずか4ヶ月ではありますが、重篤な状態から一時は復活し、壮絶な痛みに耐え、リハビリにも意欲的で、秋に予定している孫の結婚式には絶対に出て「孫」を歌いたい、車いすでもいいから出たい、と最後の最後まで前向きにがんばってくれました。病気になる前父は「あの世に行ったら、演歌歌手になって大きな舞台でリサイタルを開くからみんな見にくるように」と言っていました。結婚式では歌えなかったけれど、きっと天国の大きな舞台で声高らかに「孫」を熱唱していることと思います。家族は特別招待でタダで見られるそうなので(ここで軽い笑いがおこる)、演歌歌手になった父に会えることを楽しみに、その時が来るまでは明るかった父に負けないよう、家族助けあいながらがんばっていきますので、今後ともよろしくお願いします。本日はありがとうございました。 なんとか無事終了。あまりに見事な出来栄え(笑)に、「明日のあいさつにプレッシャーかけやがって」とだんなは思い、「ここで拍手起きたらどうしよう」と妹は思ったそうです(爆)通夜のあとは、親戚一同に通夜ぶるまい。義父母や妹の義父母も残ってくれて、結構な盛り上がり。にぎやかなことが大好きだった父のことだから、喜んでくれていたと思います。この日は、母と私と妹家族は父と一緒にここで泊まります。みんなが帰った後も、だんなたち2人は遅くまで香典の計算や葬儀のだんどりを相談していました。感謝、感謝!!私と妹はだんなたちに任せて、一足早くおやすみなさい・・・母はそれよりも早く、ぐっすり眠っていました。夜かかってくるかもしれない電話におびえることなく、久しぶりに熟睡できたそうです。
2013年07月25日
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記録もかねて、しばらく父の話が続きます。覚えているうちに、できるだけ詳しく記しておきたいのです。7月13日(土)午後7:00~通夜が行われるこの日。朝早くから葬儀社の担当者Yさんが来られ、前日仮通夜のあと、ある程度の打ち合わせをしていたものの細かいチェックからこの日はスタートしました。ベテラン担当者Yさん(女性)には、通夜、葬儀の2日間、本当に親身になってお世話していただきました。後で聞くと、随分前に若くしてご主人を亡くし、遺族の気持ちが痛いほどわかるのだそうです。辛い経験をされた方は、その分優しい人が多いですね・・・祭壇や棺の種類、会場の大きさ、祭壇のお花をタイガースカラーの黄色をメインにしてもらうことなど、ある程度は仮通夜のあとの打ち合わせで決めていたのですが、生花や籠盛の数や位置、通夜ぶるまいの料理のことや、葬儀のあとの中陰の料理などなど・・・決めることがたくさんあります。実は、仮通夜のあとの打ち合わせでは、叔父たちが残っていたのでいろいろ口出しされて(そのことはまたのちほど)かなり時間がかかってしまったのだけれど、今回は私たちだけなのですんなり決まりました。会場では、父のいろんな写真や飾りつけをしてくれるというので、昨夜だんなが選んでくれた父の写真のデータと、阪神グッズをYさんに渡し打ち合わせ終了。次は納棺です。なんと、若いかわいい女性の納棺師が2人いらして、でっかい介護用のようなバスタブ持ってきてくれて、まずは父を洗ってくださいました。私と妹も一緒に足のほうを洗いました。なんせ入院してからは、ただの1度もお風呂に入れなかったのです。どうしても洗ってあげたくて・・・髪もシャンプーしてもらってドライヤーかけてもらって、白装束の上からタイガースの法被を着せてくれました。それから、お顔はどうしましょ?と聞かれました。このままでもいいし、入れ歯が入っていた時のように調えることもできますよとおっしゃるので、そうしてもらうことにして、少しの間私も妹も退席。しばらくして、お二人から呼ばれ父に会いにいくと・・・そこには、元気だったころの父が待っていました。「お父さんだ!!そのままのお父さんだ!!」泣けましたねぇ~嬉しくて。もともと体はげっそりと痩せて、痛々しかったのだけれど、ステロイドの影響か顔はあまり痩せることはありませんでした。けれど、口から食べられなくなって、入れ歯をはずしていたので、口元はくぼんで以前の父よりずっと老人の顔になってしまっていました。それでも、家に帰ったらむくみは消えて楽になったのか笑っているようにも見えたので、それだけで私たち家族は満足していたのだけれど、納棺師さんにお顔を整えてもらって本当に良かった!!心からそう思いました。妹も母もびっくりし、そして喜んでいました。どうして以前の父の顔がわかったんですか?写真でも見たのですか?と聞いてみると、「いえ、お顔をさわっていると、お父様の笑顔が見えてきたので、そのイメージで整えさせてもらいました」とおっしゃいます。最初は、こんな若いお姉ちゃんたちで大丈夫なのか?なんて疑ってしまってごめんなさい・・・これは本物のプロだわ。すばらしい~これまで、何度か知人の葬儀に参列し、最後のお別れをさせてもらったけれど、中には病気の苦しさからか、顔がゆがんだままだとか、口をぽかんと開けたままだとか、生前とは違う印象の方も多かったように思います。本当にお二人には感謝です。このあと、息子とだんなが手伝って、お棺に父を横たえて、用意していた中に入れるものを入れていきます。まずは黄色のユニフォームを胸にかけ、ぼうしと父の日に贈ったリハビリ用のパジャマ(1度も使用できず)、サンデーしんちゃん(藤浪選手)のタオル、孫たちからのメッセージカード、息子が書いてくれた結婚式の招待状などを入れましたよ。納棺のあと、集まってくれていた叔父、叔母たちと義母が作ってくれた昼食(煮物、おにぎりなど)を軽く食べ、叔父たちは一旦帰宅。出棺にもう一度来てくれるそうで・・・出棺は午後4:00それまで、家族でちょっとだけゆっくりと過ごしました。
2013年07月24日
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「藤浪の投球見てた~?中田との対決、おもしろかったね~」オールスター第2戦を見てて、いつもの野球観戦のときのように、父の携帯に電話したくなったよ・・・。もう一緒に盛り上がれないなんて、寂しくて寂しくてやりきれないよ・・・。もう自由自在に移動できるから、きっと神宮で今日の試合見てたんだろうな。MVPは新井だったしね。大笑いしてるんじゃないかな(笑) 12日午前10:22旅立った父を、担当看護師さんと妹(現役ナース)がきれいにしてくれている間に、私は仕事中のだんなや電車でこっちに向かっている息子、親戚たちに連絡をし、師長さんと書類の確認、葬儀屋さんに連絡・・・ゆっくり気持ちを落ち着ける暇もなく・・・病室から出るときは、お世話になった看護師さんたちがずらっと並んでお別れをしてくれました。この時間帯は、一番看護師さんたちが多い時間・・・お父さんったら、それをねらったな!?病院を出るときは、主治医と担当看護師さん、師長さんが見送ってくださいました。そして、父は4ヶ月ぶりの帰宅。やっと、やっと、やっと帰ることができました。亡くなるとき、少し顔がむくんでしまっていた父ですが、家で寝かせてあげると、むくみもみるみる消えていき、微笑んでいるようで・・・きっと、帰ってきたのが嬉しかったのでしょう。知らせていた親戚(叔父・叔母)が来て、駅から病院に来るはずだった息子も到着、お寺からもお盆で忙しいのに(金沢は新盆)すぐにお坊さんが来てくれて、枕経をあげてくださいました。この日は仮通夜。親族だけでゆっくりと過ごしたい・・・と思ったのだけれど、近所の方々が次から次にやってくるし、葬儀屋さんとの打ち合わせも時間かかるものですねぇ。この時のうちあわせで決めたことは、父らしい葬儀をしたいということ。結果的に、本当に父らしい、きっと父に喜んでもらえたと思える葬儀ができたので、今回お世話になった葬儀屋さんには本当に感謝しています。その1つ。日中に簡単な質問方式で、私とのやりとりの中でこの葬儀屋さん独自の礼状をこの日のうちに原稿を作ってくれます。紹介しますね。 「たくさんの思い出と幸せをもらいました。今まで本当にありがとう」明るく元気いっぱいで、はつらつとしていた夫。家族を守るために一生懸命働きつつ、カラオケや野球観戦などの自分の趣味を楽しむ日々を送っておりました。阪神タイガースの大ファンだった夫が、娘や孫たちを巻き込んで一緒に甲子園まで応援にでかけていたことも記憶に鮮やか。野球中継は欠かさずチェックして、自宅だちいうことも忘れているかのように熱い声援を送っていたものです。勝てば上機嫌、負ければ意気消沈・・・。刻一刻と表情を変え、夫は私たちに様々な顔をみせてくれました。これまでたくさんの思い出を作ってきただけに、見送る悲しみは尽きません。けれども「自分は一人っ子だったが、こんなに家族が増えた」と、二人の娘から五人の孫へと命のたすきが繋がったことを喜んでいた夫ですから、これからも私たちの歩みを見守ってくれるでしょう。今は溢れる涙をこらえ「ありがとう」の言葉を届けます。平成二十五年七月十二日、夫〇〇〇〇は、七十七歳にて公私共に充実した生涯をとじました。お世話になった皆様へ、生前のご厚情に深く感謝申し上げます。本日はお忙しい中ご会葬頂き、誠にありがとうございました。略儀ながら書状をもってご挨拶申し上げます。 このあとは、通夜と葬儀の日程、私たち家族の名前が入っています。決まりきった礼状ではなく、これなら父だけの礼状って感じがするでしょう? 仮通夜のあと、この礼状を確認して、DVDにする写真を選び、ずっと一緒にいてくれただんなは遅くに一旦帰宅。私と妹は実家で泊まることにする。父との最後の夜。元々の家族だけでゆっくり眠りました。
2013年07月20日
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病院から電話がかかってきたのは、10日の水曜午前8:00ごろでした。血圧が低く、意識もない状態になったため、できるだけ早く来てほしいというものでした。母を連れて病院に着くと、父はぐっすり眠っているように見えました。ここ数日は、いつもほとんど眠っていて、そのうち何度か目が覚める・・・という状態だったので、「意識がなくなった」と言われても、あまりピンとこなくて、またしばらくしたら目が覚めるんじゃないかと思える感じでした。主治医がいらして、脈はまだしっかりしているから、今すぐということはないけれど、今晩あたり・・・という話でした。急いで今日からのレッスンの休みを連絡し、仕事からかけつけた妹も合流してこの日はずっと3人で父の側にいました。父はもう痛みを訴えることもなく、苦しそうにするわけでもなく、酸素マスクもつけず、気持ち良さそうに眠っています。午後、リハビリの先生が新人Nくんを連れて「顔見にきたよ~」と来てくださいました。痛みがひどくなって、リハビリができなくなってからも、毎日病室に来て父の様子を見にきてくれていました。そういえば、前日には新人のNくんが一緒で、そのときほとんど意識のなかった父が、彼を見るなり「おぉ!!Nくん」と大きな声でしっかり名前を呼んだのでした。リハビリ室で若いNくんに世話になる話は、以前から聞いていました。きっと孫とだぶって思えたのか、このNくんがお気に入りだったようなので、わざわざ先生が病室まで一緒に連れてきてくれたのです。もう意識がしっかりしない状態で、自分のことをしっかりわかってくれて、Nくんは「うれしいです」と言って泣いてました。かわいい・・・この日は残念ながらもうNくんの名前を呼ぶことはなかったけれど、きっと父はわかってくれてたんじゃないかな。リハビリの先生とNくんに今までの感謝を伝えました。夜は、母と私が泊まることにして病院のすぐ近くに住んでいる妹は帰宅。眠れない夜を過ごしました。11日の朝、父の状態は変わらず・・・とっても気持ち良さそうに眠っているのです。目は開けてくれないけれど・・・一晩まったく眠っていない母が疲れきっていたので、妹に迎えに来てもらって母は自宅へ。戻った妹と、日中はずっと病室にいました。仕事帰りにだんなも来てくれて、面会時間ぎりぎりまで3人で父の横で話していました。楽しいこともいっぱい話してた・・・聞こえていたらいいな・・・父の様子は変わらず。看護師の妹が不思議がります。ここまで血圧が下がっているのに、低い血圧のまま安定しているのがわからない・・・と。次の日の昼に、息子が来ることになっていました。妹は息子の到着を待っているんじゃないかと言います。結婚式に出られないことをずっと気にしていたので、謝りたいのじゃないのかと。そうかもしれないと私も思いました。この日の夜は私一人で付き添うことに。前日あまり寝ていない私は、消灯と同時に熟睡。夜中に何度もナースが来ていることも気づかず、12日の朝5:00母が病室に入ってくるまで、父の寝息を聞きながら、ぐっすり眠っていました。母が来たので、一緒にコーヒーを飲み、私は1度家に帰ることにしました。2日間病室に泊まったせいか腰が痛くなったので、できれば接骨院に寄ってこようなんて思っていました。頭のどこかで、息子の来るのを待っているのだから、息子が来る昼までに戻ればいいなんて勝手に思い込んでいたのです。家に帰り洗濯そうじを済ませ、接骨院に向かう途中、「早く戻ったほうがいいかも」という妹のメールを読んで、接骨院行きは中止、そのまま病院に向かいました。この時、すぐ病院に戻って本当によかった・・・私が病室に戻り、家族が全員そろった直後のこと。妹が「そろそろだよ」と言います。呼吸が浅くなってきたから・・・と。私も母もあまり違いがわからず、そうかなぁ、という感じでした。妹と2人で父の手を取りながら様子を見ていると、病棟のナースも来てくれました。先生呼びましたから・・・って。そうこうしているうちに、私でもわかる浅い呼吸になり、でも全然苦しそうでもなくて、最期は、なんともあっけなく眠るように、本当にすぅ~っと、呼吸が消えてなくなりました。多分もう心臓の鼓動も聞こえないのだろうけれど、妹と2人、父に声をかけながら主治医が来られるまでそのままでいました。母は静かにその様子を見ていました。10:22 主治医が死亡確認。多発性骨髄腫とわかり、重篤な状態から一度は復活し、壮絶な痛みにも耐えながら、4ヶ月もの間がんばってくれた父は、最期は静かに旅立っていきました。77才でした。
2013年07月19日
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この前も書きましたが、父の主治医の話はやはり相当厳しいものでした。痛みを訴えるようになって、鎮痛剤を使いながらもまったく効果がなく、どんどん痛みが強くなる中、いろんな検査をした結果とどのつまり骨髄腫の病気からくる痛みだということで、今後は痛みを取ることに専念する緩和ケアに移るということでした。これまで、どんなに大変な状況で、腎臓内科のドクターがあきらめた時でも、「私はまだあきらめる時ではないと思います」「緩和ケアはまだまだ先の話です」「病気がよくなっても動けないと大変だからリハビリがんばりましょう」「私はどんな状況でも完治をめざします」と、常に前向きな発言しかしなかった主治医が、今後は緩和ケアを・・・と言った時点で、あぁ、父は本当にダメなんだと思いました。この時、骨のレントゲン写真を見せてもらったのですが、素人の目でも悪いところがはっきり。全身の骨がぼろぼろの状態・・・どんなに痛いだろうとかわいそうで、かわいそうで・・・ドクターの話では、モルヒネを使っていく上で、これからは意識がしっかりしないことも出てくるので会話ができなくなってくることをわかってもらって、痛みのコントロールをしていきたいとのこと。それから延命治療(人口呼吸器などの)は行わないという、当初からの確認もしました。私たち家族は、とにかくまずあの痛みを一刻でも早く取ってあげてほしいとお願いしました。そのために、眠った状態になっても、話ができなくなってもしょうがない、それよりも痛みを取ることを最優先してほしいと・・・この頃、痛みがピークのときは、本当に痛がって痛がって、血圧測定やオムツ替えなどを完全拒否。体に少しでも触っただけで、「痛い」と叫び「触るな」と怒る状態でした。でも、あいかわらず下痢が続いているので、オムツも替えないと大変なことになるし・・・こんな状態が何日も続いたら父もかわいそうだし、一生懸命ケアをしてくれているナースのみなさんに申し訳なく、少しでも早く痛みを抑えることができればと願っていました。モルヒネを増やしてからは、だんだんと効いてきて、楽そうに眠ることが多くなってきて、うつらうつらしながらも目が覚めたときに、少しだけお話する(時々とんちんかんなこと言うけど)・・・最近はそんな毎日です。ある日、部屋に様子を見にきたドクターが、「コントロールできるようになってきたので、このまま痛みを取っていきますね。ところでお孫さんは来てる?できるだけ来てもらったらいいよ。これまでいろんな患者さん見てきて、お孫さんが一番の薬になるみたい。お孫さんのパワーはすごいですよ」とおっしゃいます。ちょうど次の日が土曜なので、元々娘はお見舞いに来るつもりでした。さっそく土曜日に娘を連れて病室に向かうと・・・娘の顔を見るなり、娘の名前を呼んでにっこり笑ってピースサイン。父の笑顔なんて何日ぶりに見ただろう・・・。ここ数日意識もしっかりしてなかった父が、孫との会話を楽しんでいます。前日とはまったく別人。この日は神戸にいる息子の誕生日。そのことを話すと 「結婚式行けなくてすまんと言っといてくれ」って。そして「行きたかったなぁ・・・」って。それ聞いて、父はもう長くないことを覚悟してるんだなと涙でそうになったけど、我慢、我慢。私とはタイガースネタで盛り上がり、すっかり以前の父のようで嬉しくなりました。とにかく痛みのないことが救いです。この日の状態が続けばいいと願ったけれど・・・その次の日になると、また意識がしっかりしなくなりました。土曜日の父があんなに調子がよかったのは、ドクターの言うように、孫の力なんでしょうかね。娘には、以前のままのじいちゃんと会わせてあげられて良かったと思います。
2013年07月08日
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実家の父に続いて、同居している夫の父も入院しました。科は違いますが、同じ病院です。といっても、長年肺気腫を患っている義父はついに在宅での酸素吸入をすることになり、機械やボンベの取り扱いのお勉強だったり、検査だったり、軽いリハビリのための入院で、まったく心配はいりません。2週間もすれば帰れると思います。というわけで、毎日病室のはしごをしております(笑)義父が入院した5日前、父の状態はあいかわらず安定していて、車いすに乗せてもらいリハビリ室でのリハビリが始まった日でした。次の日から、義父もリハビリがあるということで、どっちの父にも「リハビリ室で会うかもよ」と話していたんです。リハビリ室での、父親同士の再会・・・ちょっとおもしろいな、なんて思ってたけど、残念ながら実現することはありませんでした。次の日、あんなに安定していた父の状態が悪くなってしまったのです。微熱が出て食欲がまったくなくなり、ひどい頭痛がするようになって・・・。それから今日まで、どんな鎮痛剤もあまり効いてくれず、ずっと痛みが続いています。学会で東京に出張中の主治医は、父のために予定を変更して早く帰ってきてくださり、いろんな検査をしたり、鎮痛剤や注射などいろんなことを試してみてくれるのですが、昨日の時点では体調悪化の原因がわからず、痛みもうまくコントロールができない辛い状況でした。昨夜は強い鎮痛剤が少し効いてくれて、久々に眠れたそうですが、今日はまた痛みを訴えていました。そして、さっき病院の看護師さんから「明日先生が話をしたいそうです。できれば娘さん2人(私と妹)一緒に・・・」と連絡がありました。とうとうきたか!これまでの検査で今の体調の悪化原因がわかり、かなりシビアな話をされるのでしょう。でも、私も妹も気持ちは同じ。今はとにかく痛みを取ってほしい。少しでも楽にしてあげたい。たとえ寿命が縮まっても、それを第一に考えて欲しいということを先生に伝えようと思います。
2013年07月02日
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交流戦が終わり、公式戦が再開された先週の金曜日(結局雨で中止だったけど)、元阪神タイガースの金本知憲氏のトークショーに行ってきました~始まるまでは、会場には六甲おろしが流れてた気分が盛り上がる聞き手は、関西テレビの山田アナウンサー。こういう形のトークショーは、すでに慣れているようで、いろんなネタを入れながら実におもしろいショーでしたわ。特に新井ネタ(爆)サンダーバード25号で来ました。25号だけは乗りたくなかった(新井の背番号と同じだから)とか、新井のユニフォーム着てた女の子に「新井のファンかい。帰れ~」とかね(笑)そうそう、数日前もどこだったかでトークショーしたらしいのだけど、「その時来てた人いる?」ってアニキが聞くと、「はぁ~い」ってかわいい声がちらほら・・・へぇぇぇ~、アニキにもおっかけいるんやってぴっくりした講演会のように一人で喋るのではなく、聞き手がいるからということもあるんだろうけれど、話のセンスがいいというか、本当に笑わせていただきました。いろいろあって、凹んでたときだったので、気持ちを切り替えることができてよかったですでも、今年の優勝はないやろうなぁ・・・って。巨人には勝てないって。その言葉をあらわすかのように、5連敗のタイガース。ありゃりゃりゃなんとかふんばってくれよぉ
2013年06月24日
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6月8日甲子園でロッテ戦を見てきました12:00に定宿のホテルで息子と待ち合わせ荷物を預け、ユニフォームを着てメガホン持っていざ甲子園へ・・・まずは、アルプスショップに寄りグッズを物色 (笑) なぜか最近新井さんファンの娘のために、新井グッズをご購入昨年までは鳥谷だったのになぁまだ試合まで時間あるので、この暑い日、まずはビール飲まなきゃねってことで、ココナッツガーデンへ行くものの、満席のためあきらめちゃった。あ~~っ、まさにこの時トラ子さんがいたのねぇ~レフトとライトだから会えないなんて思ってしまった私はバカだわいくらでも行き来できるんだった・・・トラ子さん、ぜひ今度ココナッツガーデンで待ち合わせして、一緒に飲もうねココナッツガーデンに入れなかったので、からあげやら焼きそばやら焼き鳥やら持って、ライトスタンドの自分たちの席へ行って、すぐさま生ビール売ってるお姉ちゃんを呼んで、練習風景見ながら飲んでました。座席から甲子園の風景を、父の病室にいる母の携帯に写メールしましたすると「おとうさんじっと見て・・・ないてしまった」と返信がきて、それを読んで私も涙出てきちゃって。来たかっただろうなぁ、悔しいだろうなぁって思ってね。14:00試合開始能見ちゃんは、だんだん調子をあげて、これはいいぞと思ったのもつかの間、パッカーンとホームラン打たれたぁぁぁそれにしても、相手チームのロッテの応援がすごいなんなんだ、この一体感は。ジャンプしたりして大騒ぎ・・・トラ子さんも言ってたけど、本当にサッカーの応援みたい。うるさかったわぁ(笑)まさか、この一発にやられておしまいじゃないでしょうね、と心配してたらこの試合のヒーローは、な、な、なんと新井さんでありましたフォアボールで出たマートンを置いての逆転2ラン。でも、正直入るとは思えない当たりでしたよ。そして、これが1000打点(正確には1001打点目)メモリアルアーチということで、花束贈られてたけど、なんかしょぼい花束だって思ったのは私だけでしょうか・・・(笑)その後も1点追加して、9回のロッテの攻撃も守りきり、一通りの応援と「あと一人コール」もして、私にとっては久々の勝利を味わうことができたのでした。ダーリンとがっちり握手勝って風船を飛ばしながら、「お父さんを連れてきてあげたかった」という思いが突き上げてきて涙が止まらなくなって、ダーリン見たらダーリンも泣いてたそして、もう何年も歌っていない勝利後の六甲おろし。お父さんの分も歌うぞって声出すものの、涙出てきちゃって声がうわずってしまいました。でも、しっかり3番まで歌ったぞ今回は父がいなくて残念だったけれど、やはり甲子園での勝利は最高です。次の日、日曜もサヨナラ勝ちしたタイガース。巨人が負けてただ今首位でございます強い、強いです、なんだか優勝した頃のあの雰囲気に似ている気がするのは気のせいこの調子でどんどんいっちゃいましょうタイガースが調子よかったら、父の状態もきっと良くなる、そう信じてこれからも応援がんばります
2013年06月10日
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毎日の病院通いが続いて、すっかり日常生活のリズムが狂ってしまい、ブログ更新もままならなくなってきました。そうした中、6月2日は私の51才の誕生日でした。娘が私の好物のチーズケーキを作ってくれて、ささやかにお祝いしてくれました。乳製品が嫌いな私ですが、チーズケーキは別物で大好きなんです(笑)不思議がられますけど・・・もう自分自身の年齢に、おめでたいと感じられることもないのですが(笑)毎年誕生日には、持病をもちながらも楽しく過ごせている幸せと、家族が元気でいてくれる幸せを感じる節目の年になっています。今年は父の病気で、いつもとは違う誕生日の心境になってしまいました。まぁ、そういう年代に自分がなったということなんでしょうけどね。さて、その父ですが実はあまり良い状態ではありません。といっても、新薬の抗がん剤が効いてくれて(今のところ)、数値的には安定しているのですがいろいろな原因から下痢がもう1ヶ月近く止まらないのです。そのためせっかく食事できるようになったのに、絶食となり24時間点滴しています。下痢が続くので、絶え間なくオムツ交換をしてもらうようになって、熟睡することができなくなり、だんだんとリズムが崩れ、現在昼夜逆転現象が起きています。ほとんど寝たきりの父にとって、かなり辛い状況が続き、さすがの父も精神的に参ってきて、最近は今までの父からは想像できないようなイライラをぶつけるようになってきました。今までどんなに大変な状態でも、笑顔を見せて感謝の言葉を言い常に前向きな姿勢を貫いてきた父なのに、元気がどんどんなくなってきています。下痢も改善されず、食事も採れず、希望が持てなくなってきているのかなぁ。それに、夜が眠れないため、日中私たちがいてもすぐ眠くなってしまうようで、意識もぼぉ~っとしていることが多く、反応が鈍くてうまくコミュニケーションが取れなくて。夜はしっかりしているようなんだけど・・・「夜一睡もしてくれなくて、何度もオムツ交換してほしいというナースコールがあって困るので、日中来られたときはできるだけ起こしていてください」「昨日も何度もコールがあって・・・・」「夜眠ってくれるといいんだけど」私が病室に行くたびに、ある一人の担当ナースが迷惑そうに言われます。本当に申し訳ないと思うけど、私にも仕事があるし家族がいるし、ずっと父だけを見ているわけにいかなくて。この担当ナースは、仕事はてきぱきとしているし、何でも的確に答えてくれるし、はっきりおっしゃるので裏表のない方なんだろうけれど、言葉かけも表情も優しい他の看護師さんから比べると、病人にとっては怖い存在なんだと思います。入院当初から、父にとっては苦手な看護師さんだったのだろうけれど、普段から人の悪口なんてあまり言わない父なので、「ちょっと怖いけど一生懸命やってくれるから感謝や」って私たちには言っていたのに、最近のイライラからかその看護師さんのことをよく愚痴るようになってきてました。そして、昨日病室に行くと怒りまくっている父がいました。夜勤はその看護師さんで、どうも夜ひっきりなしにナースコールを押すため、寝たきりの父では絶対手が届かないところにナースコールのブザーを置かれたらしい。そんなひどいことをする看護師が信じられないと怒る、怒る。興奮がおさまったところで、そんなに看護師さんを呼んだのかと聞くと、本人はそんな意識がないのです・・・困った・・・少し前のことを覚えていないみたい。時間の感覚がわからなくなっているのか・・・精神的にかなりやばくなっていますよね。だいたいあんなに怒る父を見るなんて、阪神がひどい負け方をした時以来ですわ(笑)どうしたらいいのやら。このまま父が父でなくなってしまうのは、病気が進んでいくより辛いことかもしれない。 週末は甲子園で観戦予定。もちろん、父の分もチケット用意していましたが今回は3人で応援します。ちょっと寂しいけど。いつもの父になら「お父さんの分も応援してくるからね~」って元気に言えたけど、今の父にはちょっと言えないな・・・少し前まで、楽しんでこいやって言ってくれてたけど、私が甲子園行くことも忘れているのかも。闘病、看病が長期になると、いろいろなことが出てきてしまうなと感じています。
2013年06月04日
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5月11日大安息子の彼女の家にご挨拶に行く日です。朝5:30発の始発に乗るため、4:00起きしたこの日、金沢は予報どうり雨が降っていましたやっぱりね・・・私が出かけるときはいつもこうなんだよね・・・神戸に着くころはやんでいてほしいなぁ~と思いながらサンダーバードでまずは京都まで。ここから新幹線に乗り換えて西明石着。しっかり雨降ってます・・・息子と落ち合い、タクシーに乗っていざ彼女のお家へ~ご両親にお会いするのはこれが初めて。初対面です。さすがに緊張しましたよまずはお互い自己紹介。で、彼女の横には就活中でたまたま帰省中の弟くんがいたのだけれど、これがまた、さわやかなイケメンなのにびっ~くりテンションあがった(笑)そして結婚の承諾をいただくためにダーリンが、がちがちになって(代わってあげようかと思うくらい(笑))ご挨拶しておりました彼女のお父様から快くお返事いただけたので、ここで「たもと酒」の登場息子のほうから持参することを話してあったらしく、お父様はいろいろ周りの方たちに聞いていたらしいのですが、誰もその存在を知らなかったそうです。やはり金沢独特の風習なんでしょうね。で、このお酒はどうしたらよろしいのでしょうか?とお父様(笑)一応、この場の人たちでこのお酒で乾杯するんです・・・ということで、一口ずつ杯に入れてめでたく乾杯ただし、彼女の家族はお父様しか飲めず、弟くんもまったくアルコールがダメらしいです。残念・・・ってなにが?(爆)そのあと、桜茶(きれいだったわぁ~)をお母様が持ってきてくれたのだけれど、みんなに配り終えて「あぁ~~っ茶たく忘れたぁ~~」だって(笑) 彼女の天然キャラってお母様似なんでしょうかねしばらく談笑。ここでは弟くんが大活躍。緊張して固くなっている両家の両親の話に入り、場を和ませてくれました。とても社交的で明るく、おばちゃんはすっかりファンになってしまったぞほんのごあいさつで失礼するつもりだったのだけれど、なにやら明石大橋のふもとのレストランを予約していただいてたようで、わざわざ車も借りて連れて行っていただきました。弟くんとはここでお別れです。そこはとっても素敵なところでした。目の前に明石大橋がそびえ、ロケーションはバツグンです・・・晴天ならばはぁ・・・せっかくのすばらしい景色のはずが・・・霧でまったく見えないなんて・・・すいません。私が雨女なんです。と言うと、「実は私もなにかあると雨で」と、お父様。雨女と雨男がいたら晴れるわけないですよねぇ。あら、それだと結婚式も雨になるかも。天気は残念だったけれど、お食事はとてもおいしく(ビールも1杯だけいただいちゃった)お話もはずみ、あっという間に時間は過ぎたのでした。とてもいい方たちで本当によかった。ホッとしました。彼女を見ていて、大切に大切に愛されて育ってきたのがわかるから、きっとあたたかなご家庭なんだろうと思っていたけれど、それが確信できました。近くの駅まで送っていただき、これからデートするという2人と一緒に三宮まで来て、私たちは宿泊先のホテルへ、息子たちはお買い物・・・夜、もう一度会って夕食を一緒にすることに。今夜のお宿は高層ホテル。お部屋はかなり上の階。なのにこの天気、霧で曇ってていくら上の階だって意味ないよぉがっくり。しばらく一休みして、息子たちとの待ち合わせ場所へ。お昼がご馳走だったのでお腹は全然すいてないけれど、とりあえず息子が友人たちとよくいくという居酒屋へ連れていってくれました。そこで彼女が父のお見舞いに行きたいと言い出し、2人で今週末わが家へやってきます。次の日曜は、前日とうってかわって晴天あぁ、昨日この天気なら食事場所から見る風景、どんなに素晴らしかったことでしょう・・・想像するしかないわ・・・前日はかなり疲れたので(笑)ホテルでゆっくりして、三宮周辺をブラブラし、おいしいスィーツ食べて夕方のサンダーバードで帰りました。もう夜だったけど、金沢駅から父の入院している病院へ行き今回のご報告。彼女のご家族がとてもいい人たちだったと言うと、「よかったよかった」と涙を流して喜び、次の土曜日彼女が来てくれるよ、と言うと、またまた泣いて「うれしいなぁ」と喜んでくれましたちょっと体調が悪いことが続いていたんだけど、土曜日までに体調を整えておくとはりきってくれています(笑)彼女に会えたら感激して大泣きしそうだから、バスタオル準備して会うそうですちょうど透析の日だけど、なんとか具合が悪くならずに彼女とご対面させてあげられるといいな。わが家のお泊り準備もがんばらなくっちゃ(笑)
2013年05月15日
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気持ちいいですね~東京ドームでの3連勝どこに勝っても嬉しいけれど巨人相手の勝ち試合は、またいちだんと嬉しいのですタイガースが勝ってくれると、病床の父も大喜びで元気になるので、タイガースにはどんどん勝ってもらいたい 連休に息子が帰省していたときの話ですが・・・いろいろ話していた流れで、彼女のお家へ結婚のお許しをいただくために挨拶に行った時の話題になりました。何度も遊びに伺っているので、もちろんご両親にも何度もお会いしていたけれど、さすがにちょっと緊張しながら家にお邪魔すると、ちょうど阪神の試合中でお父様がテレビ観戦していたそうですお父様は阪神ファンです。こんなに嬉しいことはありません(笑)この日はうまい具合にタイガースが調子よく、勝っていたのは良かったんだけれど、こんな時に限って(笑)攻撃の切れ間がなく、話すタイミングがなかなか見つからなかったのだとか。 ん?まてよ。 その場面、まったくそのまんまダーリンが結婚の話をするために、私の実家に来たときと同じじゃないの「お母さんたちのときと一緒だよ~。で、お父さんがなかなか話せないから、結局じいちゃん(私の父) が、こんなんで (私のこと) いいんか?ってお父さんに聞いたんよ~」っていうと、息子も「まさにそのとおり。むこうのお父さんもそんな風に言ってくれて、楽になってやっと話せた」と・・・父子で同じことしてたんやね(爆)あの頃ダーリンは、まだ野球にそれほど興味がなかったので、父と一緒に観戦しているのもつらかったんじゃないかなぁ。その日の相手チームがどこだったかさっぱり忘れたけれど、せっかく来てくれたダーリンをほっといて、父娘2人でわぁわぁ騒ぎながら応援していて、「いいかげんにしなさい」と母に注意されたような思い出がありますそれが私の教育のおかげで、しっかり阪神ファンに育ってくれたダーリン一緒に応援できるって幸せだわぁ~今度は嫁を教育しなくちゃ・・・なんて、冗談です(笑) 私たちが結婚を決めた年、タイガースは優勝しています今年は息子が結婚を決めました。これは、タイガースが優勝するっきゃないよね 父の容態は、抗がん剤の副作用が出たり、下痢が続いたり、透析の日には発熱したり、なんだかんだといろいろあるものの、体調そのものが悪いということはありません。ぐったりしていたり、食欲がなくなったりすることはなく、あいかわらずかわいい看護師さん相手におしゃべりを楽しんでいます。前向きな姿勢はまったく変わっておりません。本当にすごいことだと思います。透析治療が緊急だったため、足の付け根に管を通していたのだけれど、腕からできるようにするための手術も決まりました。酸素吸入も3日前からなくなり、点滴も激減し、体についていたいろんなものが取り除かれ、すっきりしました。だんだん人間に戻ってきたと言ってます(笑)タイガースの優勝、父の退院、そして家族全員が出席しての息子の結婚式・・・なんてことになったら最高の年になるのにな~なんて夢みています。
2013年05月09日
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3月の末、父がいよいよあぶない・・・となったとき、神戸にいる息子が 「これが最後になるかも」 の覚悟でお見舞いに来てくれたときのことです。ダーリンが息子に 「じいちゃんの病状によって、自分たちのこれからの予定を変更したりすることは考えなくていいから」 と話してました。今年のお正月に帰省したとき、今年中に結婚したいと思っていると言っていたためです。すると、「実は、じいちゃんのことを知る前にプロポーズしてOKをもらったので、近々結婚の相談 (私たちに) をするつもりだった」 のだと・・・それならなおさら、あちらのご両親にもご挨拶して、できれば早いうちに私たちも彼女の家に伺うからと息子を送り出したのだけれど、その時はさすがに父の容態が一番心配で、息子の結婚のことをあれこれ考える余裕はありませんでした。そのあと、ご存知のように父は奇跡的ともいえる回復力を見せ、父いわく「復活」して、4月には息子が彼女のご両親に結婚の了解をいただいて、とんとんと話が進み、父も安定しているので連休が済んだら彼女の家に私たちが伺うことになりました!こちらでは、子どもの結婚が決まると大安か友引の日の午前中に、男側の親が酒一升と寿留女(するめ)を持参し、女側の親の承諾を得るという儀式があります。これを「たもと酒」といいます。昔は、お酒を着物のたもとに隠して持っていき、結婚の承諾をもらえてから、たもとからお酒を差し出したのだそうです。お酒が一升というのは、これから一生おつきあいをお願いしますという意味で、お酒は「友白髪」という銘柄を使用します。もちろん、私の結婚のときも、ダーリンの両親が実家まで来てくれましたよ~この「たもと酒」の儀式を、親としてのけじめだからとダーリンがどうしてもやりたいと言うので、大安の11日午前中に彼女の家に行くことになりました。あの・・・彼女の家は明石なんですけど・・・午前中に着くにはわが家何時出発ですか!?(笑)始発の電車に乗り、京都で新幹線に乗り換え、がんばって行ってきますわ。本当はそのときに、日取りだの場所だの具体的に決めようとしてたのだけれど、先日息子から連絡があり、結婚式場の予約だけ先に取っておきたいのだとか。なんでも、10月か11月と考えているのだけれど、空きが少なくなっているので11日を待っていられないそうです。で、どこであげたいのか聞くと、出てきた答えが「出雲大社」い、いずもって・・・あのいずも!?今年は60年に1度の大遷宮とかで、やたらとパワースポットとして話題になってるそうですが、私は知りませんでした。なので、いつも以上に人気があるらしい。しかし遠い・・・いつぞやは神戸の生田神社って言ってたのにな、なんで出雲になったんやろ。とにかく、それじゃ急ぎなさいってことで、あちらのご両親にも了解を得て、式は11月に出雲大社であげることが決まりました。式の日取りも決まっちゃったので、たもと酒なんて本当に形式上だけなんですが、なんせ想像以上にダーリンが嬉しそうにはりきってるので、11日はダーリンにお任せしようと思っています(笑)せっかく遠出するので、その日は神戸で宿泊。父の急な入院で、自分たちの結婚記念日のお祝いでの温泉旅行がキャンセルされたので、その分神戸でラブラブ旅行楽しんできます。さて、孫の結婚式が11月と決まり、涙を流して喜んでくれた父は、絶対結婚式に出席すると宣言しました!!それまでは、もう一度甲子園に行くことが目標でしたが、これからは孫の結婚式が第一目標となりました。甲子園は二番目なんだって(笑)本当に車いすでもいいから、出雲に連れてってあげたいなぁ・・・最近の元気な顔見てたら、この父ならそんな夢も実現するかもって思わせてくれます。がんばろうね、お父さん。
2013年04月30日
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一時は4月を迎えられるなんてとても思えなかった父ですが、驚くべき回復力を見せますます絶好調の毎日を過ごしております。体調を見ながらの透析も、火・木・土のペースに落ち着き、透析時の血圧降下もなくなり、血糖値も安定、酸素マスクも鼻チューブだけとなり、今週からは流動食を食べられるまでになってきました週1の抗がん剤投与の影響 (副作用など) も心配したけれど、父の状態に合わせて種類の組み合わせや量を加減していくから、1クール目のような辛さはないはず・・・とのドクターの言葉どうり、今のところなんともないのが嬉しい。最初のあの辛さはもう経験したくないなぁ、本人も、家族も。本当に本当にひどそうだったから・・・あのひどかった日々を思い出すと、注射とか点滴とか透析とかの治療の辛さなどはなんでもない、と父は言っています。ベッドでほとんど寝たきり状態ではあるものの、上体を起こし新聞を読めるようになり、テレビも見られるようになり、食欲も復活。食事が何よりも楽しみになってきました・・・といっても、ドロドロの流動食ですが(笑)1ヶ月、口から食べ物を食べていないと、舌って動かなくなるんですね。普段なんでもない「飲み込む」動作も忘れたようになり、最初は口や舌のリハビリから始めました。このリハビリにやってきてくれるのが若くてかわいいちEちゃん。母と同じ名前なんです。以前から、かわいい女の子の名前はすぐ覚える父、「早くEちゃん来ないかなぁ」と言うので、母が 「(自分と同じ名前なので) ここにおるがいね」と言うと 「ダラ。婆じゃなくてかわいいEちゃんのほうにきまっとるがいや」だって。誤飲があぶないので、食事が出始めたころはEちゃんがわざわざ食べさせてくれていたのだけど、昨日手のリハビリをかねて自分で少しだけ食べていて、それを見た母が 「自分で食べたらおいしいやろ?」 と聞くと 「ほやなぁ・・・ほやけど、やっぱEちゃんに食べさせてもろたほうがおいしいなぁ」もう、笑うしかないわ。そして、今週から新人ナースが来ているんだけど、父の担当になったのがこれまた妹の娘、つまり孫の名前と同じという偶然。ただそれだけで大喜びの父。午後から研修があるため、午前中しかやってこない新人ナースのMちゃんと会えるのが最近の楽しみのようです。元々女の子が大好きな父のこと、とにかく看護師さんが病室にやってくると何か喋らないと気がすまない冗談言って笑わせたりして・・・「〇〇 (父の名字) ってほんとおもしろ~い」って看護師さんは言ってくれるけど、忙しいのにこんなじいちゃんの相手させられて、本当は迷惑してんだろうなぁ・・・すいません。でも、ちょうどそんなときに主治医が病室に来られることが多く、「ここはいつも楽しそうだねぇ~。しゃべることはいいことですよ。いっぱいお話してください」と言われたので、それに気をよくして、ますます看護師さんたちを困らせることになるかも毎日病室に行き、そんな父の様子を見ていると、この父の性格が信じられない回復に繋がったのかも、と思ったりします。今日はどうだろう・・・と心配そうな顔して入っていくと(私はそんなつもりじゃなかったんだけど) 「そんな心配な顔するなや。明るく、明るく、笑顔、笑顔」なんて言うし、「ひどい時はさすがに死を覚悟したけど、今は全然死ぬ気がしないから、みんなもそんなこと考えるな」と、とにかく前向きですごいなぁ~といろんな意味で感心しちゃいます。まぁ、本人が死ぬ気がないと言ったところで、病気が治るわけではないので、このままずっといい状態が続くことはないんだけど、父を見ていると今はこうしてあまり先のことを心配しないで(覚悟は常に必要だけど)1日、1日楽しんで笑いあっていればいいかって思えます。さ~て、昨日巨人相手に阪神が勝ち、ごきげんな父に会いにいってきましょうかね。スポーツ新聞をおみやげに・・・(笑)こんな日が少しでも長くつづきますように・・・
2013年04月12日
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みなさんからの励ましコメント、とても嬉しく読ませていただきました。ありがとうございます。返信する余裕がなくて本当にすいません・・・父の状態ですが、先週の日曜に主治医から 「かなり厳しい状況です」 と言われ、その日から母は泊り込むことになりました。透析は毎日となり、酸素吸入はめいっぱい、点滴で血圧を上げて、やっとやっと呼吸ができている感じ。胸が苦しいと訴える父になにもしてあげることができず、病室にいても本当につらくて・・・何か喋っても、入れ歯をはずしているし、酸素マスクもしているため、全然わからなくて。でも、「ばあちゃんは?」 と母を探す声だけはしっかりとわかります。そして最初に告知を受けた 「早ければ2週間」 のちょうど火曜、朝の回診で腎臓内科の先生が病室に来られて、私を病室の外に連れ出し、とても言いにくそうに、でもはっきりとおっしゃいました。主治医の先生とも相談したのですが、今の状態では透析に耐えられません。透析ができないことや血圧が薬でやっとコントロールできていることなど考えて、もうこれ以上期待できないと思います。残念ですが・・・いよいよ覚悟のときが来たと思いました。妹とは、これまでもいつどうなるかわからないから、私たちだけでも覚悟はしっかりしておこうね、と話していたけど母にどう説明しようか、悩みました。でも、それとなく話をすると母も、こんなに苦しんでいるのはかわいそうだから、もういい。と言います。ちょうど発表会後で仕事も休みだったので、病室で母と一緒に最後となるかもしれないこの日を、ずっと父の側にいました。なぜかこの日はずっと起きていて、いろんなことを話しています。ほとんどがよくわからないのだけれど、祈る仕草をしながら 「助けてください」「負けてしまう・・・」(病気に)「家族葬考えて」そう言いながらも「まだまだ死なん!」と言ったり。夜もかなり苦しがっていました。神様はこんな目にあわないと楽にしてくれないのか、とも思ったりしました。明け方何時間くらいかなぁ、少し眠っていたのでこのまま・・・なのかな、と思っていたんです。それが・・・目を覚ました父は、「なんだか楽だ」 ってはっきりした言葉で言って、目もぱっちり!!それからはあれよ、あれよと、どんどん状態がよくなり、この日つまり水曜の午後には、胸の苦しさはすっかり取れ、酸素濃度も少なくなり、血圧の薬も減り、次の日透析できるかもしれないところまできたのです。なんだか信じられない回復力で、家族も先生もびっくり。病室にやってくる看護師さんたちもみなさん一様に驚いています。なにがおこったんでしょう・・・意識がしっかりした父が言うには、ベッドのまわりに黒い亡霊がいたので追い払ったんだとか。カラスもたくさんいたのでそれも追い払ったんだと・・・今は、誰もいないし何もいない、頭の中もすっきりしていると言います。話している言葉ははっきりと聞き取れるんです。今までわからなかったのは、入れ歯の問題ではなかったんですね。それにしても、こんなことってあるんですね。水曜は、疲れている母を家に帰し、私が泊まりましたが、夜も苦しむことなく時々だるくなる体をさすってあげるくらいでした。そして今日現在は、絶好調。まだ酸素マスクはしているし、体を起こせるわけではないけれど、血圧の点滴はなくなったし、なんといっても声のはりが違う!笑顔も見せてくれて病室に笑い声が聞こえるようになりました。お気に入りの看護師さんと嬉しそうに話している様子は、まるで元気だったころの父そのものです (笑) 若くてかわいい女の子が大好きですからね~主治医からは、なんとか土俵ぎわぎりぎりのところをふんばってくれましたね。次のステップに行けるかもしれません。と言われました。私はすもうより野球のほうがわかりやすいので、野球でたとえるけれど、9回裏ランナーなしから一発で同点にしてなんとか延長戦にもちこんだ・・・というところでしょうか。これからもたくさんピンチがあるだろうけれど、がんばってふんばって守りきって、再試合までいけたらなぁ。病気が治ったわけではないけれど、あのまま苦しいままでお別れしなければならなかったかもしれないことを考えると、ほんのしばらくの時間かもしれなくても、この穏やかなときが持てたことは感謝しかありません。それに、「こんなに楽しい人だったんですね」って病室に来てくれる何人もの看護師さんたちから言われて、本来の父を知ってもらえることが嬉しくて。あの苦しい状態の父しか知らないままなんてあまりに悲しいもの。延長戦の期間ができるだけ長く続くことを願いながら、家族全員で父を支えていこうと思います。
2013年03月30日
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父の病名が確定した。「多発性骨髄腫」 8日の入院のときには、思ってもみなかった結果だった。入院時の診察では、「この数値ならすぐに透析せず点滴を打って様子みましょう。悪くなるようなら透析しますから。とにかく精密検査してからね。」というものだった。予定入院期間も1ヶ月。父も腰の痛み、むくみの症状はあったものの、自分で歩けたし、しっかりしていた。この時誰が1週間後の状態を予想できただろう・・・土曜日は、1階のレントゲン検査も自分で歩いて行った。日曜日は、まだ自力でトイレに行けた。だがその夜、眠れないので睡眠薬をもらい、月曜日の朝まだ薬が効いて朦朧とする中トイレに行き、そこで転んでしまう。それからベッドからは出られなくなってしまった。月曜日は、反応が鈍くずっと眠ったまま。呼ぶと目をうっすら開けて出ない声で私の名前を呼んだ。もしかして、このままもう会話できなくなってしまうのか、とても怖かった。夕方、腎臓内科の主治医に「金曜から1日1日腎臓機能が悪化してるため、明日から透析です。そして、原発は多分血液の病気と疑われるので、主治医も代わります」と説明を受ける。次の日は、朝から透析だったので終わる時間を見計らって病室へ行き、しばらく待機。ベッドごと透析室から帰ってきた父は、私の顔を見つけるとピースサイン。前日とは違いしっかり会話ができるようになっていた。心からホッとした。そして13日病名確定。新しい血液内科の主治医から、有効だと思われる抗がん剤を今日から使用するが、効かなければ2週間の余命宣告。そんな・・・あまりに急激なことで、とても気持ちが追いつけない。それから今日まで、病院への行き帰りの車の中、そして夜寝る時、毎日毎日泣いている。大好きな父ともうすぐ会えなくなるかもしれないと思うと、病室で涙をこらえるのがとてもつらい。現在の状況は、時々おかしなことを言うものの、意識はしっかりしていて会話もできる。冗談も言ったりして、病室の中は笑い声さえ出ている。すでにお気に入りの看護士さんの名前もちゃんと覚えている。いつものお父さんだ!!でも、息苦しさと薬の副作用のしゃっくりで熟睡ができない。体のだるさもどうしようもないみたいで、ごろごろ寝返りばかりしている。体力がないので、それもやっとやっとだけど・・・食欲はまったくなくて、食事はほとんど取れないので、ずいぶんやせてしまった。昨日は、息子が神戸からお見舞いにきてくれた。タイガースのタオルをおみやげに。父の喜びようったらなかった。久々に大きな声で笑ってくれる。6月の甲子園での公式戦のチケットをとってあるので「甲子園には絶対行くからな。また一緒に応援するぞ。勝てるかな。でもこの声じゃ六甲おろし歌えんなぁ」などと息子と話して、上機嫌。今日、神戸に帰るときも病院に寄ってくれた。「5月の連休にまた来るから」と言い、父と握手。「おう、おう、気ぃつけて帰れや」と、病室を出ていく息子をじっと見ている父の姿を見て、息子と会うのはこれが多分最後なんやろな、とせつなくなる。これからどんどん症状がひどくなってくるのだろう。会話もできなくなるのも、時間の問題だと思う。あまり先のことばかり心配せず、1日1日のことを考えて行動していこう。今は父のことを最優先にして。できるだけ父の側にいたい。
2013年03月17日
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昨年は娘のことで悩んで悩んで何度も涙した1年でした。今年は父の病気で辛い1年になりそうです。昨日主治医から厳しいお話を聞かされました。現在の腎不全の症状が、持病の糖尿からくるものではなく、他の病気からの可能性が大きいとのこと。病名を確定するため、透析を開始しながら検査が続くこと。一番疑われる病気であれば、予後はかなり厳しいこと。気を遣って慎重に言葉を選びながら、そしてとても話しづらそうに丁寧に話してくれる主治医の様子から、覚悟しなければいけないんだと感じました。今年78才だから、いつなにがあるかわからないと思っていたけど、いつも元気一杯だったので勝手にまだまだ側にいてくれると思っていました。自分も50才を向かえ、親の死を覚悟しなければならない年齢になってきたと思いながらも、うちはまだまだってのんきに構えてました。 まいったなぁ。 来週20日は、うちの教室と友人の教室の合同ピアノ発表会があります。講師演奏を楽しみにしてくれて、毎年母と一緒に来てくれていたのにな。客席にいないのは寂しいけれど、まずはしっかりと発表会を成功させなければ。そして、ありきたりの言葉だけど 「1日1日たいせつに」 過ごしたいと思います。
2013年03月12日
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実家の父親が緊急入院しました今日は20日に行われるピアノ発表会の記念品を買うために、友人先生とお買い物&ランチに出かけていて、携帯電話の着信に気づくことがなかなかできなくて・・・ふと気づくと、母からの着信がずらっと続けて5件ほど入っててこれは、なにかあったに違いない、と電話すると泣きながら母が出た「具合が悪いので、かかりつけ医に診てもらったら、紹介状書いてあげるからこのまますぐ大きい病院へ行ってと言われた。透析になるって。もうダメかも。〇〇子(私の名)も覚悟して」・・・というようなことを言ってるんだけど、泣きながらしゃべるもんだからよくわからない。なんだかとっても大変だと騒いでいるんだけど・・・母の話すことはいつもいつも大げさで、結局取り越し苦労に終わるので、正直母が言うほどひどくはないのだろう、と思いながらも、(そう思いたい気持ちもあるしね) あまりに母がオロオロしてるので、今日のレッスンを明日に振り替えてもらって、病院に向かいました。明日が土曜日で、振り替え可能だったのは助かったご迷惑かけた今日のレッスンの生徒さんたち、ごめんね。かかりつけ医から紹介された病院で父に会うと、そのむくんだ顔にちょっとびっくりそして、とっても辛そう。ありゃりゃ・・・これは母の言うとおり相当悪いかもこの病院、ついこの前まで私が通っていたところで、しかも腎臓内科に受診。診てくれたのは、私の元主治医ではなかったけど、これからここでお世話になるから会うこともあるかも。思うところがあり病院を変えたので、ちょっと気まずいかも・・・先生には、「腎臓の数値がとても悪いので、入院して検査と治療していきましょう。検査の結果を見ないとわからないけど、今すぐ透析ってことにはならないと思います。今日はこれから検尿、血液、心電図、レントゲン、CTの検査ありますからね」と言われました。父にとっては初めての病院ですが、私は20年通ったところですからね~ガイドよろしく何箇所もの検査室まで、迷わず父を連れていくことができましたやっぱりレッスン休ませてもらってまで付き添ってよかったです。あのオロオロになってる母と、弱ってる父の2人だけだったら、こんなにいろんな検査次々と行けなかったかも。検査が終わったら、病棟の看護士さんが迎えにきてくださって、いよいよ病棟へ。父に用意されたベッドは、6人部屋の真ん中・・・もう最悪。でも、同じ部屋の人にとっても、この日から最悪かも。なんたってすごいんです父のいびきすいません担当の看護士さんにいろいろ説明を受けたあと、今日は遅いので先生からのお話は後日になるということで、母を実家まで送って私も帰ることにしました。急な入院だったので、なんの準備もしていないため、売店でスリッパとタオルだけ買って、あとは明日の朝持ってくることに。パジャマは病院の1日70円のレンタルパジャマを使用。それにしても、こんなに急激に悪くなるってなんなのだろう持病の糖尿病からくるものなのか、数日前から飲んでいた鎮痛剤の副作用か・・・先生の説明を待ちたいと思います。
2013年03月08日
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まずは嬉しかった出来事から。3/1は来年の発表会のためのコンサートホール抽選日毎年言っておりますが、私も一緒に発表会をする友人先生も、まったく「くじ運」がなく、ここ10年あたりくじを引き当てたことがありません・・・昨年はたまたま祝日を希望される方がいなかったので、今年の春分の日に発表会をする予定でおりますが、他に希望者がいた場合これまで全戦全敗の成績であります(笑)ところが今回は、な、な、なんと友人先生が当たったぁぁぁ~っ抽選11年目にして初めての快挙です私たちがあの当たりを引くときを経験できるとはまぁ、同じ日の希望者はもう一人だけで確率は2分の1だったんですけどね(笑)でも、当たりは当たりだよねということで、来年も春分の日3/21に開催予定です さて、今度はちょっとそれはどうなの?・・・って軽くむかついたお話。今回の選挙活動中でのことなんだけど、ウグイス嬢に決まっていた人が、その乗車予定の数日前に「私、車に酔うんだけど大丈夫かなぁ」って言ってきた。あのぉ・・・ウグイスって半日ずっと車に乗っていないといけないってことですが(休憩はあるよ)知ってるよね、ウグイスが何をやるかって。酔う体質ならお願いされた時点で断ってくれ急に代わりが見つかるわけもなく、その日はプロも入ることになっていたので、途中でどうしても体調が悪くなるようなら、事務所に電話して休憩場所まで迎えにきてもらうことにして、とりあえず乗ってもらいました。結局心配するようなことはなく、無事半日ウグイスつとめてくれたので良かった~頼まれて断りづらかったのだと思うけど、ウグイスやっていて具合悪くなったらたくさんの人に迷惑かかるんだから、次回からはきっぱり断ってくださいもう1つ、これはすっごく頭にきたこと。昨日よくあるダイエット関連のセールス電話がかかってきたんです。一方的に喋っていたけど、とりあえず話しの切れ目まで聞いて、「すいませんが、興味ないので」と言いかけると、全部言い終わらないうちにブチッって電話切られたのよおいおい、かけてきたのはそっちでしょが。勝手に電話かけてきて、こっちのしゃべりを中断していきなり切るなんて、そんな失礼なことがあるかぁぁぁそんな電話かけること自体失礼なんだけどさぁ、そして多分ダメだとわかったら即電話を切ることがマニュアルになってるんだろうけどさぁ、気分悪いったらなかったわ。 電話といえば、選挙活動中電話でのお願いをしていた友人に聞いたところ、推薦者の人が勝手に名前を書いている場合もあったりして、きついお叱りを受けたり(自分は後援会に入った覚えないぞ・・・などなど)いきなり切られたり、精神的にけっこう参ってしまうって言ってたなぁ。選挙のお手伝いがウグイス嬢で良かったしみじみ思いました(笑)昨日のうちあげも、おかげさまで大盛り上がりでした。同じお店にいらっしゃった他のお客様(これまた私の顔見知りで、うるさかったからか、早々に二次会に行かれた) 大変ご迷惑おかけしました。このお店、私の名前出すともう予約とれなかったりして・・・
2013年03月03日
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ウグイス嬢でお手伝いさせていただいた候補者は、おかげさまで当選いたしました 今回の市議会議員選挙は21議席を27人の候補者で争う激戦でありました。つまり6人も落選しちゃう・・・何度も選挙のお手伝いさせていただいているけど、こんなに厳しい選挙は初めてです市議選なので、それぞれの候補者の住んでいる地域合戦となるわけですが、私の地区は4つの町しかなくて、市の中で一番小さな地区なのです。何町もある大きな地区なら、地元の票だけで楽々勝てますが、うちのように小さなところからの立候補は相当な賭けのようなもので現役とはいえ、今回ばかりはあぶないって誰もが思っていました。だから当選の一報が入るまで、まさにドキドキで午後9:00開票なので、10:00ぐらいに事務所に行って知らせを待っていました。そのうち上位当選者のことが次々入ってくるんですが、こちらはなかなか・・・なんだかみんな難しい顔をして黙り込んでるしこういう時って時間がなかなか進まない・・・11:30になって、やっとやっと 「あがったぞぉ~」 の一報がやったぁ~っていうよりほっとした気持ちが大きいかも。とにかくよかった、よかったそのへんにいる人たちと、握手したりハグしたり(笑)そのうち候補者と奥さんが来られて、奥さんが私を見つけて「とらトクちゃ~ん、ありがとう~」って泣きながら抱きついてきて、こっちもうるってきました後援会会長のあいさつあり、だるまに目を入れ、候補者のあいさつがあり、みんなで万歳三唱この一瞬で今までの苦労も吹き飛びますなぁ。 実は、この選挙にダーリンの友人も初めて挑戦していました。もちろん地元の候補者に票は入れたけど (多分) 目立たないように(でもばれてた)友人の応援もしてたので、万歳のあとすぐ友人のところへおめでとうを言いに行ってました。友人候補者のほうは、大きい地区だし、ここの地区がはんぱなく団結力が強いところで、彼自身の人望もあり、なんと新人にして5番目の得票数での当選。すばらしい結果でした。ダーリンにしてみれば、携帯で友人陣営からの当選の報は早くに受け取っていたものの、さすがにこちらの候補者がもしダメだったらお祝いに行くわけにもいかず、当選の知らせがくるまでやきもきしていたと思います。結局こちらの候補者は、20番目つまり最後から2番目での当選だったんだけど、順位なんてどうでも、とにかく当選できればですからね(笑) ダーリンのためにも、どっちも当選してくれて本当に良かったです。 さて、めでたく当選もできたことだし、今週末はわが町のウグイス嬢の人たちとうちあげを企画中。ダメだったとしても、やっぱりうちあげはやってただろうけど。だって私が幹事ですもん(笑)よ~し、盛り上がるぞぉ~
2013年02月26日
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