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よく「戦後の日本を明るく照らした3大スター」みたいな括りを考えるとき「美空ひばり」「石原裕次郎」は確定で、あと1人が各人の考え方によって変わる…なんてことがある。私の本音は「森繁久彌」だと思うし、「高倉健」という人も多いと思う。プロレスが好きな人なら「力道山」「アントニオ猪木」と言う方もおられるかもしれない。「植木等」もそうかな?しかし世間的に「ひばり」「裕次郎」と並ぶ、戦後日本の太陽は、やっぱり「ミスター」長嶋茂雄なんではなかろうか。------------------------------------------------------------------巨人軍を愛し、プロ野球界全体を愛し、人の悪口や陰口を言わぬ大らかな人柄。天然ボケと言われてしまうが、数々の珍言動やら珍行動(苦笑)で、日本人に笑顔と元気を与え続けた長嶋さん。2004年3月に重度の脳疾患で倒れられ21年。想像を絶する過酷なリハビリをされていたが…今朝、89年の生涯に幕を下ろした。89は「や・きゅう」とも読めるし、今日は6月3日!自身の背番号(永久欠番)であり、お好きな数字だったという「3」の日にあの世に旅立たれるとは…何たるスター性!訃報を知ったときは驚いたが、上記のことやらを考えるにつけ……「やっぱりミスターは凄いわ!本当にお疲れさまでした!」という言葉しか出てこなかった。そんな感がある。しかし「昭和の巨星堕つ」という言葉が真っ先に頭に浮かんだのは言うまでもない。昭和100年の年に、戦後日本の象徴が旅立った…というのは、単なる寂しさとか悲しさだけで片付けられない。あと徳光さんが「後追い~」するんじゃないかとヒヤヒヤしたが…夕方の日テレのニュースと、その後の追悼特別番組に出ていたからホッとした。明治天皇崩御のときの乃木大将みたいになったら大変だ…とね。-------------------------------------------------------------------正直、私は野球オンチなので、長嶋さんのプレースタイルはまったく語れない。下手にここに書いて「無知なくせに、何を偉そうに書いて粋がっているんだ!この大バカ!ノータリン!お前が死ね!」などと罵倒されたくない(冷汗)。だから、まあ色々思い出す長嶋さんのことをいくつか…。まあ、やっぱり珍言動・珍行動の話になるだろうか。徳光さん筆頭に、ビートたけし・高田文夫などという方々の口から語られる「ホントにそんな人いるのかよ⁉」的な話の数々に、もう腹ァ抱えて笑い転げた。どこまでホントか知らないが…。曰く…・一茂が子供のとき、後楽園球場に連れて行って、帰りに忘れて 球場に置いてきた。・現役時代、柴田選手がロッカールームに小銭を置いてそのまま 着替えていたところ、長嶋さんがその小銭を取ろうとしたので 「ああ、チョーさん!その小銭は僕の…」「あぁ~そうなの? ごめんねぇ、僕のと似てたから!」・外車で上野駅前に乗り付け、エンジンかけっぱなしでそのまんま 地方遠征に行っちゃった。鍵もかけずに。・何かのインタビュー番組で(日テレの「ミユキ野球教室」?) 「お好きな朝食のおかずを1つ挙げてください」と聞かれて、 20品目ぐらい挙げた。・「好きな数字は?」「ラッキーセブンの3!」・支那にロケに行った際「お蕎麦が食べたい…」と言ったのを聞いた 徳光さんが、支那在住の日本蕎麦職人(当然日本人よ)に頼み込んで 蕎麦屋同様のメニューを作れるようにスタンバイ。 「長嶋さん!お好きなものをどうぞ!」「…じゃあ、カツ丼」・「鯖という字は、魚偏にブルーですかぁ?」・クリーニング屋で「いいスーツですねぇ~!お幾らですかぁ?」と 買おうとした。・監督1年目(昭和50年)のとき、「監督になっていかがですか?」 「いや~大変です!何しろ、毎日がジャイアンツ戦ですから!」・自由が丘(か田園調布?)の寿司屋で、自分に全然構ってくれない 寿司屋の大将に「ヘイ!シェフ!」と呼びかけた。・自分で電車などの切符を持ったことがなく(当然買ったこともない) 新幹線の自動改札を通ろうとした際、バーン!と止められ、切符の 投入口に「長嶋です!長嶋です!」と言った。…パッと思いつくだけでこれよ(苦笑)。あと、あんまりここで書くとマズイのもあるが、それはまたポッドキャストで…。あとあれか。世界陸上?だかのときの特別レポーターが長嶋さんで、カール・ルイスに「ヘイ!カール!」っつったのとか(苦笑)。-------------------------------------------------------------------でも、そのような点も含めて、これほどまで愛された野球選手を他に知らない。そして天才的な野球のセンス…その裏には当然、人の数十倍・数百倍の努力があったわけだが…。王貞治さんが記録の人なら、長嶋さんはやっぱり「記憶の人」となるのだろう。長嶋さんのことを神様レベルで崇め奉っている方が、全国に…数十万…いや!数百万はいることは頷ける。-------------------------------------------------------------------昭和33年に巨人軍入団。昭和49年に現役引退。その後は監督2回。そして文化人として大活躍された長嶋さん。普通だったら助からないような脳疾患を乗り越え、身体が不自由になっても、巨人軍の後輩や他球団の選手、そして少年野球の子らに野球の素晴らしさ・楽しさを教え続けた長嶋さん。安倍総理が、長嶋さんに国民栄誉賞を生前に与えたことは、本当によかった。正しい判断だったと思う。そして野球人初の文化勲章に輝いて、天国に旅立った長嶋さん。後年の20年が、過酷なリハビリ~闘病にならなかったら、もっと大活躍されたはずなのに…と思う気持ちもあるが、今はただ冒頭に書いたとおりで「お疲れさまでした」の言葉を送りたい。戦後日本を明るく照らした「ミスター」長嶋茂雄さんのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。…今日は長嶋さんの立教大学の大先輩の、野球が死ぬほど好きで「野球の合間に歌を歌ってる」と言われた、この人のこの歌でも聴いてから寝るか。今ごろ、この方や川上監督とも会えたかな?
2025年06月03日
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