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「人間とは何だ」、というテレビを見ました。「日本人の心を探す感動の旅」の中で、仏教が出てくるのですが、その仏教では、「すべてのものはつながっている」のだそうです。小さい頃、母に教わった呪文のような、言葉を思い出しました。それはこうでした。”ノーマクサンマンダ、マザラダンセンダン、マカロシヤダソワタヤ、ウンターラーターカンマン”ちょっと違ったところもありましたが、それが仏教の言葉だったのですね。何か困ったらこれを3回唱えるように、と言われ覚えたもので、実際困った時には”ナムアミダブツ”だより♪でしたが、何故か今も忘れずに覚えています。生きるのに必要な感覚というのは、子どもの頃には誰にでもあるのに、大人になると失ってしまう、というのも驚きでした。やはり、子どもの感覚、感性を大事に育てないといけないな~と日頃の考えを新たにしたことでした。「上も下もない、まる」にも心惹かれます。輪廻の思想は???ですが。。それにしても仏教が意外と心に根付いているように感じ、不思議な"感覚”を味わっています。
2006年02月25日
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今日一日だけでもいろんなニュースを聞きました。米国では英国と共同での「臨海前核実験」ナイジェリアでは宗教対立が激化して、イスラム教徒とキリスト教徒が互いに報復の応酬・・ここ6日間ほどで146人もの人が死亡・・イラクではシーア派とスンニ派との”たたかい”で130人が死亡・・中東ではハマスの組閣がイスラエルに阻まれて?未だに・・地球上ではいろんな民族、いろんな宗教、いろんな文化があり、それらが共存を難しくしている、みたいな言い方がありますが、民族でも、宗教でも、文化でも、「その違いがが殺し合いの原因になる」、なんてことはそもそもおかしい、ですよね。人を殺すことを容認するような民族なんてないし、人を殺すことを容認するような宗教はおかしい。文化もしかり。前に、「お金を欲しがる神様は変だ」と言った人がいましたが、「人と人とが殺しあわなければいけないような宗教は変だ」と言いたい。誰とでも共存できる宗教でなくてはいけない、と思うのですが。。宇宙船『地球号』に偶然乗り合わせた人、ではなく、単なるお客様ではなく、「乗組員」として、その向かう方向を「共存」の方に舵をきっていきませんか?こんな風に考えるほうが「変」なのかもしれませんが・・
2006年02月24日
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生のバンドってあんなにやわらかい音が出せるんですね。そして歌声も素敵でした。心の底まで沁みわたりました・・知らない曲もあったのですが、そんなことは問題でなく、もうとにかく、幸せなひとときを過ごすことができました。音楽と言うのは(人により違う音楽かもですが)理屈ぬきで人をとりこにしてしまう、不思議な力をもったものであると感じています。こういう感動を味わったのは何年ぶりでしょうか・・その感動をくれたバンドの皆さんにとても感謝しています。そしてそういう感動を人に与えることができる人たちは幸せだな~と逆のことも思うのです。ー実は私もそんな(感動を与えられるような!)人になりたい、と思ったので。。ずうずうしくも(*^_^*)ーそこではた、と気がつきました。「何でも一方的ということはない、相互作用なのではないか?」前に”こちらが笑えば赤ちゃんもニコッとしてくれる”、と書いたのですが、相手が喜んでくれるとこちらもうれしい、ということがありますよね。子育てばかりでなく、人と人とのつながりもそうありたい、ように思います。。「子どもが感動を味わうことができるような子育て」について書きたいと思ったのですが、ちょっとーだいぶーずれたかもしれません。
2006年02月20日
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何だか、不思議です。どういうことなのか、他人のことをわかるわけがない、と言われればそれまでなのですが・・子どもを育てる、ということと、仕事とを両立させていくのが、当たり前にできるような世の中でないと困る、ように考えていましたので、とても混乱しています。もちろん、個人的なことに口を挟むつもりはもうとうありません。あくまで一般的な話として、なので、個々の事情があることについてとやかく言うのは間違っていますね。不思議に思う私の方が変なのかもしれません。育児に関して、社会が全面的に支えるべきだ、と思っているわりには、父親の存在がとても大きいものだ、(母親もですが)と考えてしまう悪い癖を持っているのかもしれません。もちろん、その役割は別の人がやったって全く問題はないのですが。ーやってくれる人(たち)がいさえすればそれは父親でなくてもかまわない、と思います。当の子どもさんさえ将来理解してくれるのであれば!(そこが納得できない点なのかも?)でも愛されている、という実感さえあれば、何でも許してしまえるものかもしれませんね。ー関係ないかもですが今日テレビを見ていたら瀬戸内寂聴さんが『生きるとは愛すること』、と仰っていましたー「父親に愛されていると言う実感」実は成長過程において、父親との関わりはとても少なかったのですが、一度?か二度くらいは私にもあったような気がします。(天国の父にグチを言ってしまいました。ゴメン)
2006年02月16日
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ゆとり教育を見直してもっと勉強してもらわなくては・・ということのようですが。。その内容はどういうものか?また詰め込みになるのでは?と心配です。話はそれますが。「博士の愛した数式」という映画を観た方のご感想をいろいろ読ませていただきまして、その中でたくさんの方が異口同音に?語っていたのがこんな先生がいたら、数字とか、数学がもっと好きになっていたに違いない、というもの♪でした。これが現実のものになったら・・・本来、新しいことを知るというのはとても楽しいこと、であるはず。学ぶ喜び、を知ることができたら、喜んで学習に励むのではないか?そのこと自体が”楽しいこと”であれば・・そういう楽しい学びの場を誰もが享受できるようであればな~と夢想するのです。そういった場では、点数の取り合いとか、計算の速い遅いとかは問題にならなくって、新しいことを知る喜びがあれば、学びあう喜びがありさえすればいい・・そこにはいじめも入り込む余地がなかったりして♪・・理科、とは科学の入り口ではないかと思うのですが科学がこれまた本当は楽しい学問ですよね。「世界一受けたい授業」などでおなじみの「でんじろう先生」のおかげで、科学の楽しさを知ったようなものですが・・・(子供の頃は理科はちんぷんかんぷんでわからなかったな~と残念に思ったりもしています。今もそうでした♪)算数も理科も生きていく上で関係ない、と思ってしまうと、そこで興味が薄れてしまう、ということがあると思います。しかし、「博士」のようにそこに『愛』があると(それは学問に対する愛であると共に人間に対する愛でもある)、全然違ったものに、意味のあるものに変わってくるのだと思うのです。人間に対する愛、子どもたちに対する愛があふれるような教育の場であれば、そういったものに包まれて子どもたちが成長するようであれば、そんな学校教育の現場であれば・・・いいな~と思います。
2006年02月13日
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「すべての生まれてくる子どもは人間として尊ばれる。」これが理想です。そういう社会を作って行きたいな、と心の中では思っているのですが、なかなかその考えを現実に生かしていくことはできていません。そのために何が必要なのかもわかりません。ただ、議論していくことは大変重要なのではないか?と思います。その議論の一つとして、皇室のあり方が問われようとしていました。その内容は皇室そのものを問題にしたものではないにしても、ともかくも、そのことも話題になりつつあったとは言えるのでは?人間として生まれてきたからには、”人間らしい扱いを受けたいもの”と、誰もが思うと思います。ところが皇室に生まれたり、皇室に嫁いだりすると、途端に人間扱いされなくなります。神でも、人間でもない、あるもの、として。どうして人間なのに、人間であってはいけないのか?何のためにそんなお役目をする「人間」が必要なのか?想像してみませんか?天皇制があるために犠牲になる人たちのことを。その犠牲はなんのために必要とされているのか?人は人として扱われてこそ、生きる意味があるのだと思うのですが・・
2006年02月12日
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少し大げさですが、人の命は尊い、と思っています。そして「人は誰もが自分と同じ尊さを持っている」どんな人も、同じ尊さ、尊厳といったものが守られなければならない、と堅く思っています。今日、何故『尊厳』なんてものを考えたのかと言えば、それがどうもそうでなさそうな、首を傾げたくなるようなことが今現実にある、と思ってしまったからでして。。家制度というものがあった時代は、女性は跡継ぎを産む道具でした。産めない人は追い出されたりしても文句が言えませんでした。人権とか、尊厳とかいったものはなかったのです。それが、今、家制度はないのに、跡継ぎを産むことが義務とされる、そういう女性がいる。そういう家族がある。その跡継ぎは男性でなければならず、男性でなければ尊い血はつなぐことができない、とこういうことが真面目に語られているのです。皇室の女性だけが、人権が認められていない、人間としての尊厳が認められていない、と感じます。子どもを産むことが義務とされるからです。子どもを産もうが産むまいが、人間としてどこにも問題はありません。それが、皇室という世界に入ると、唯一の義務となるのです。他の何ができなくてもいい、子どもさえ、男の子さえ生めば、最大の義務を果たしたことになるのです。女性の皆さんに聞きたい。あなたは義務として子どもを産みたいですか?と。子供を産むことが義務では悲しい、ということはないですか?なによりも、子どもを産み育てることは喜びであればよく、義務である必要はありません。それをその義務をなんの権利があってヒトに押し付けることができるのでしょう?誰にもそんな権利はないし、誰にもそんな義務を押し付けたくはない、と思いませんか?男系でつながってきたから尊いとかいう意見がありますが、誰の血が尊いのでしょう?おおもとは神話だし、つながってきたということが仮に本当だとしても男の子を産む道具にされてきた女性たちの気持を踏みにじった上でのものではありませんか?(それは「ありがたくない」ような・・)それと大問題が一つ、どこの「馬の骨」か、も皇族も同じ『人間』であり、尊いことに変わりはない、ということ。「人間は誰しも人として尊さは同じ。」と考えた時、人間っていいな、と思います。どんな子どもも、子どもとして大事にされる、そういう社会を作らなければいけない、と。。。ヒトの上にヒトが必要なようではヒトとして情けないように思うのですが・・・
2006年02月08日
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昨日からの続きのようですが。朝と帰りの通勤時間に聞くNHKラジオが今日はどちらも同じテーマ=「所得の格差」をとりあげていました。解説する人は別なのに、内容は同じようなことだった気が・・「格差はある程度仕方ないが、その格差が親から子どもの世代にまで固定化されるのは好ましくない」「機会が均等にあれば問題はない」相当縮めてみましたらばこんなことだったでしょうか?その「機会が均等」の中身はどういうことをさしていっているのでしょう?それで思い出すのが「男女雇用機会均等法」。だったりしますが、これで男女の雇用機会が均等になったか?というと疑問が???・・・まさか、生まれてくる子ども全員に高等教育(その子にあった教育!)を公の力で保証してくれよう、というわけではありますまい。それを保証してくれるというのなら、「機会が均等」になった、と言ってもかまわないのでしょうけど♪♪
2006年02月03日
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所得の格差が拡がっていることをさして、小泉さんは「悪いことではない、今までが悪平等だったのだ。」とおっしゃったとか。。。つまり、その内容は”自分が規制緩和をしたおかげで、悪平等という悪い風習はなくなり、所得の格差拡大という望ましい?傾向になっている”、ということでしょうか?たとえば、やってる仕事が同じような内容ならその報酬も同じくらい・・ということが悪平等???〔というのは、そういったことは今までだって一度もなかったじゃないか?と思えるからなのですが・・・〕だとしたら悪平等の中身を教えてほしい・・・[談合で天下り先に仕事を順繰りにまわしていたというのは”悪平等”でしょうけど、それについては一向によくなっていないことはつい最近の防衛施設庁の件でもあきらかに・・]所得の格差拡大が悪いことではない、と一般的に言えるのであれば、お金を稼ぐことができる人がえらい人なのだ、と子どもに教えることになりはしませんか?ではお金を稼ぐことが人間にとって一番大事なことなのでしょうか?稼げない人は価値がない、のですか?子どもたちに、ただ単に金儲けの得意な人になってほしいのですか?そういう子どもたちをたくさん生み出したいのでしょうか?所得の格差がどのようにして生まれるのか、を考えた時、ーどんなにまじめに働いても、かつかつの生活しかできない、家のローンの支払いのために一生働いて終わりーというような庶民の暮らしの一方で・・高級官僚などは退職後も天下り先で高給を食み・・退職金を何度も受け取り・・公金を湯水のように使い・・。。ということがあったりします。これはごく一部のことでしかありませんが。働く人全体にとって問題だと思うのは非正規の雇用が増えていることです。同じくらい働いても、収入には格段の差があります。パートの人などは、ボーナスの時期になると仕事を休みたくなるといいます。こうした差(身分の差)は会社にとって都合がいいことであり、働く側にとっては実は、ちっとも有難くないことではないでしょうか。労働条件が違いすぎることは決していいことではないと思います。(コイズミさんにとってはいいことなのかも?)正社員だっていつそういった不安定な雇用に置き換えられるかわかったものではありません。(事実それが増えています!)正社員と非正規社員は敵対している場合じゃないのです!!『ひたいに汗して働く』、ことを尊い、と教えつつ、その報酬はすずめの涙。。尊いことをしているのだから、収入が少ないからといって文句を言ってはいけない。。はては”働けるだけでも有難いとおもわなくっちゃ”・・?理不尽なことは理不尽なまま???来るべき社会の担い手である子どもたちに、『ひたいに汗して働くことが尊いのだよ』と教えるのであれば、それは説教だけではダメなのでありまして・・理不尽なことは正していかなくては子どもたちに胸を張れないように思います。
2006年02月02日
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