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網地島は、今は石巻市ですが、合併前は鯨の町としてその名を売っていた牡鹿町でした。昔は、捕鯨基地として栄えたそうですが、今は商業捕鯨の禁止からさびしい限りです。昔から、鯨を食べる食文化は今も変わらず残っています。我が家では、好んでは食べませんが、お客様には喜ばれてます。調査捕鯨ということで、年間の捕鯨頭数が決められた中で数頭が牡鹿に入ってきました。ここに住民票のある者だけ、安く分けていただけるんですね。今回は、近海で取れた鯨の生肉でした。市販されている鯨肉の半額くらいで手にすることが出来、多くの住民が楽しみにしています。しかし、捕鯨禁止国の主張は鯨が哺乳類で知能があり、尚かわいいから捕獲しては駄目だと言う話は説得力がないですよね。激減していて絶滅の恐れもあるなんて、どこからの情報でしょうか?その論法からすれば、牛や豚や、その他の生物は、ぜんぜん可愛くない、知能も低いと言う。頭が悪くで可愛くないから食べてもいいということになっちゃうけど、それじゃああまり賛成は得られないと思いませんか。鯨の殺戮を楽しんでいるというのであれば、これは問題だと思いますがそうではない。貴重な食材として、余すところなく利用されているのだから文句のつけようがないと思いますがね~。-----*****-----*****-----*****-----我が家で栽培している椎茸です。肉厚で大きくて、香りと味が素晴らしい。今年は、雨が多いせいか成長が早いようです。外人部隊(島外からの移住組)で木を切り出して、菌を植え付けて4年くらい楽しみました。あと3年もってくれればいいな~~
2006.04.30
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この魚は、メロウドといいます。スーパーの店頭では、あまり見かけない魚でしょう?今のこの時期、メロウド漁が盛んで毎日たくさん水揚げされています。メロウドの小さいのがコーナゴで、干したちりめんとかで売ってますよね。これは、海水を汲んできて、それに3時間くらい漬け込んで干したものです。魚って、干物にすると何故かおいしい。お日様のエネルギーと、潮風がいいんでしょうね。干したメロウドを、さっとあぶってキュッと一杯。うまいです! -----*****-----*****-----*****-----昨日の釣果です。ドンコ、ソイ、アイナメ、等家族4人とゲストが食べるには充分過ぎる。ここのところ、海のものや、山の山菜など旬のものがただで一杯集まってくるから、毎晩パーティです。朝のジョギングが、ちょっときつい感じ。でも、おいしいものを食べると幸せを感じますね。
2006.04.29
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網小医院の桜です。小学校時代の名残を残す校庭のバックネットの横にあります。この桜だけでなく、すべての植物は自然界の法則にのっとって、規則正しいリズムを刻んでいます。この季節になると花を咲かせ、春を謳歌させる。まるで、DNAにカレンダーが刷り込まれているがごとく。以前に聞いた神話でこんなのがありました。地球上のあらゆる動物と植物を集めて、神様が会議をしたそうです。テーマは、自然界のオキテでした。春には活動を開始して、夏には体を充実させ、秋に子孫を残して、冬には体を休めて翌年に備える、このことをじっくりと時間をかけて神様は説明しました。聞いていたすべての動植物は、ちゃんと納得して散会したんですね。ところが、この大切な会議をすっぽかした不届き者がいたんです。それが人間とねずみでした。この大事な神様の話を聞いていない人間とねずみは、どうも自然の秩序を守ることが出来ないのだそうです。そうなんですよ。この話を聞くと「う~む、なるほど。」と思いますよね。人間同士の争いや暴力、乱れたセックス、拝金主義・・・・・きりがない。話は桜に戻ります。花は、満開よりも七分とか八分咲きが私は好きです。うっすらと桃色に染めて、その初々しさにハッとしますね。えっ、何です?女性もそうですって?いえ、人間は見た目の美しさより内面の美しさを大切にしますから、七分でも醜い人もいますし、十分でもそれ以上でも素敵に年を重ねられて光り輝いている方もいます。美しく年を重ねるって難しいですよね。でも、永遠のテーマかな。
2006.04.28
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見てください、この黒鯛!測ったら50cmありました。43cmのものと2枚です。「釣ったの?」いいえ。「漁師さんから貰った?」いいえ。「もちろん、買うわけないよね。」はい。「じゃあ、どうしたのさ~」実は、この黒鯛はタモ網で岸壁からすくったんです。この季節になると、産卵のため岸辺に近寄ります。のっこみと言うんですね。産卵が終わると、全部ではないのでしょうが精も根も尽き果てて、ぼろぼろになってしまいます。外海は、弱った魚には大変危険です。だから、より安全な港の中に入ってきて、産卵という大いなる使命を果たし終えた体をいたわり、そして死を待つんです。まるで、インドの母なるガンジス川のほとりで、来世に旅立とうとしているヒンズー教徒のようですね。それをタモ網ですくったわけです。自然の営みって、厳粛ですよね。今の、湾内には何十という黒鯛が天に召されるのを待っています。その魚を食べさせてもらえる。ありがたいですね。自分もこの大自然の食物連鎖の一部なんですね。人間を、万物の霊長とか言っておごり高ぶってはいけないと思います。我々人間もこの黒鯛も、道端に転がっている石ころも森羅万象すべてが大自然の一部であって、優れているとかそうでないとか関係ない。ただ、その役割が少し違うだけで。都会にいると、忘れがちになりやすい事。”夕焼けの美しさ””オリオン座のきらめき””うぐいすのさえずりが日を追うごとに美しくなる様”まだまだある。島にいると、この自然の前では自分が小さく見えて、否が応でも謙虚になれます。この自然の営みを垣間見ることができる喜びを、多くの人に経験してもらいたいと思います。
2006.04.27
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我が家の庭先のルッコラちゃんもすくすく伸びているやってみたい田舎暮らし。今思うと、私の場合は早いうちから都会の生活に見切りをつけて正解でした。そうでなかったら、今ごろは新聞の三面記事に出ていたかも。被害者か、加害者かは? (笑)今まで、ずいぶんと人を踏みつけて生きてきたような気がします。意識的か無意識かは別として。よし! 残りの人生は過去を清算する意味で、善行は出来なくとも悪行はしないように生きてみよう。これが出来たらどんなに素敵かしれません。そして、何よりもこれからは自分とカミサン二人の為だけに時間とエネルギーを使ってみたいと真剣に思いました。田舎暮らしは体力が必要です。基本的には、大量消費の生活は止めて、お金のあまりかからない生活に切り替えます。何をするにも手作業、手仕事です。「何、排水が詰まった?」「物置が欲しい?」こういうことを、業者に頼まずに自分でチャレンジします。肉体のみならず、精神的な集中力や継続性なんかも求められます。出来ることなら、まだまだ体力や精神力が充実している定年前がお勧めです。ほとんどの日本人は仕事一途にやってきた人が多いですよね。そういう人が仕事をやめて田舎暮らしに入ると、何をやっていいかわからないと思っている人がいます。「俺から仕事をとったら、何が残るんだ!」 なんてね。そういう時、体力、気力があれば、必ずやりたくなることが見つかります。それは、まったく心配ないですね。むしろ、私なんかはやることが一杯あり過ぎて都会にいた時よりもずっと忙しいくらいです。もし、都会脱出の計画があるなら、早いほうがいいかも!?
2006.04.26
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いつかはしてみたい、憧れの田舎暮らし。畑で、無農薬野菜の栽培、炭焼き、釣り三昧、読書三昧・・・・・文字通りの晴耕雨読の生活。私めの経験者としての立場から言わせていただければ、それはもう“最高の贅沢”です。さて、憧れの田舎暮らしをいつから、どういう形で実行に移すか。家族の同意、仕事のけじめ、資金の調達方法、いろいろ問題がありますね。普通のパターンは定年退職後というのが多いですね。いわゆる第二の人生です。これは、仕事の区切りもついたし子供も独立する頃ですね。私の場合、40代の半ばで結論を出したと思います。周りからは早過ぎる、逃げる気か、もったいない等など。でも、もう都会の生活はこりごりだと思っていたし、思い残すことはないと言った感じかな。人間は、何の意味を持って生まれ、どこに向かって生きればいいのか、そして死んだ後は?そんな事を毎日考えていた頃でした。都会での生活は大変疲れました。お金がかかる仕組みが、巧妙に作られていて、その仕組みに乗っからないと都会では生きては行けない。他人のことは、あまり構っていられない手いっぱいの生活。心のどこかで、こんな生き方って望んでいたんだろうか、と自問自答してしまいます。本当はやりたくないのに、仕方なくやることがあまりにも多いことに気づきます。このままじゃあいけない!自分が駄目になる!なんとかしなくちゃあ!そこで、田舎暮らしという言葉が頭をよぎるんです。続きは次回・・・・・
2006.04.25
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昨日は、向こうの部落である長渡(ふたわたし)の雷神社のお祭りでした。年々神輿の担ぎ手が少なくなり、今ではそのほとんどが都会に出て行った若者たちの助っ人です。どうですか。この白装束で身を包んだ姿、勇ましいでしょう。その日は、朝早くからご祈祷して、身を清めての出陣です。神輿担ぎの掛け声が、普通の掛け声と違います。「わっしょい」でもなく、「そいや!せいや!」でもなく、「じょうさい!」と言うんです。多分、新嘗祭(にいなめさい、しんじょうさい)からきているのかもしれません。網地島は、京都との縁があるようで、地名にも京都にある中小路、向小路、西小路とかがあります。新嘗祭は、天皇が五穀豊穣を祝う祭りで、天皇イコール京都だと思うし、この辺かな。島の人に聞いても良くわからないらしく、誰か知っている方がいらしたら教えて下さい。“お祭り”、と言えば“お祭り騒ぎ”が相場です。しかし、島の祭りは町場の祭りのような派手さはありません。島ですから、漁業における航行の安全と大漁を祈願したものだと思いますが、“お祭り”というよりも“儀式”って言うほうが近い感じ。なんせ、“板子一枚下は地獄”と言われるように、船底の下は深い海です。やはり、一番に願うことは航海の安全でしょうね。だから、厳粛なものになるんだと思います。今日は、東風(こちかぜ)が吹いて寒かったのですが、勇ましく神輿が海に入りました。見ているほうも寒かったです。
2006.04.24
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こごみが採れはじめました。これの天ぷらは最高です島の歴史の中で、都会では考えられないようなことがあります。それは、山の開口です。山の薪を取っていいよ、という日のことです。今は、煮炊きしたり風呂を沸かす燃料は石油であったりガスですが、それが無かった時代の話です。40,50年前でしょうか。家庭での燃料はすべて薪を使っていました。煮炊きする燃料の薪は、山に拾いに行くんですが、自分で山を所有している家は自分の山に薪を取りに行けばいいのでしょうが、山を持っていない人は大変です。しかも、島の場合は本土と違って広い森林や山がありません。人口も今よりたくさんいました。我も我もと山に入って木を取れば、山が坊主になってしまいます。そこで、開口日、開口時間が決められ、町有林や国有林に入って薪を拾って来るらしいです。それは、競争が激しかったと聞きます。拾うだけでは足りないので、木に登って枝を切り落とすんです。それでも足りないので、開口日以外の夜中に取りに行ったり、他人の山に入って木を切って焚き物に使うと言うことを聞きました。いわゆる、密漁?になるんでしょうか。そういう時代に生まれ育った今のお年寄り達は、ほんとに質素で物を大切にします。例えば、スーパーのレジでもらう袋を丁寧に洗って干してリサイクルしている人もいます。都会では、絶対考えられないでしょう?1日の買物でレジ袋2枚として1ヶ月60枚、1年で720枚のリサイクル!うう~~! 袋屋さんになれる!!今の時代では、そこまでしなくてもいいでしょうが、物を大切にすると言う精神には頭が下がります。
2006.04.23
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ウニやアワビ、海藻類が豊富な石戸の浜人が、生活するには何がしかのお金が必要です。そのためには仕事をしてお金を稼ぎますよね。趣味っていうのは、生活してゆくための経済活動(お金を稼ぐ)以外の時間を何に使っているか、それを趣味って言いますね。この本の主人公は、捕まえた蝶をその場で指で圧迫させて死なせるそうです。“美”を保つために。よく、子供の頃やっていた普通の昆虫採集って、そこまでやりませんよね。私は、自分の都合でその短い生命をもてあそぶような行為には理解できませんでした。いろんな趣味がある中で、高価なものや珍しいものを収集して眺めたり自慢したりする趣味は、島に来てからはどうも私には合わなくなったようです。赤ちゃんは、お尻が汚れればお母さんがきれいにしてくれる、お腹がすけばミルクを与えてくれる、泣けば、絶対「どうしたの?」と言って抱き上げてくれる、そう信じてお母さんに対して絶対的な信頼を寄せ、安心しきってその胸で眠ります。私は島にいると、この赤ちゃんのように安心していられます。不安がまったくないと言ったらちょっとオーバーかもしれませんが、ほとんどありません。大いなる大自然に囲まれて、まるでゆりかごの中にいるように。だから、高価なものや珍しいものを所有して自分の心を充実、あるいは満足させる必要が無いんです。もっと、別なところに心の調和をゆだねています。それは、この大自然を作られた天地創造の“大いなる存在”に“見守られている”あるいは“愛されている”と心から思えるからかな。網地島という、素敵な島にこの身を置いていられる幸せに、心から感謝しています。
2006.04.22
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石に付着したこの茶色いのがフノリです先日、天気が雨模様だったため“雨読”に徹して一冊読み終えました。“黄色い皇帝”(芝木好子著 集英社文庫)と言う本でした。主人公の男は未婚の31歳、何よりも昆虫である蝶にのめりこんだ人生を送っています。結婚も、仕事も蝶の前では色あせてしまいます。蝶の標本を多数コレクションしていて、なおかつ新種の蝶や珍しい蝶を追いかけつづける人生を送っています。珍しい蝶を求めて世界の秘境カトマンズまで行き、“黄色い皇帝”と呼ぶ未知なる蝶に出会う。そして・・・・・読んでいて、こういう趣味というか生き方もあるんだなーと感じました。趣味というと、ストレス解消とか、やっていて楽しくて生きる喜びが出来るとかですよね。あくまでも、人間の営みがメインであって、それに彩りを添えるものです。この本の主人公は、人間の営みより蝶が大切なんですね。最期は、自分の命さえも蝶に捧げてもいいとさえ、、、、、私も、子供の頃の切手収集から始まって、島に来るまでは何らかの収集をしていました。だから、好きなものを集めてそれを眺めて楽しんだり、マニア同士で自慢し合ったりするのも理解できます。しかし、島に来るようになってから、まずストレスがないから気を紛らわせたり、ストレス解消をする必要が無いんです。人から見れば、趣味と見えるようなこともやっています。ステンドグラスを作る、音楽を聴く、ウォーキングやジョギング、家を建てる、山歩き、磯遊び、読書に映画(もっぱらビデオ)・・・・・たくさんあるけど、これは私にとっては遊びであって、仕事も遊び、生きることも遊びかな。遊びっていうと、何か不真面目に聞こえるけど、けっしてそういう意味での遊びではありません。大げさに言えば、遊びも真剣、仕事も真剣、昼寝も真剣というところかな。(笑)続きは次回・・・・・
2006.04.21
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ワカメ採りをしているこの人も移住組で、漁業権をもっている今年の天候は、やはり異常気象なんでしょうか。気温が低い。水温が低い。雨が多い。風が吹きすぎる。日照時間が少ない。海もいろんなところに影響が出ています。今日の獲物は、ワカメを中心にヒジキも少し、と言う感じです。天然のワカメを食べつけると、養殖ワカメは食べられなくなります。歯ごたえ、味、香りとどれをとっても天然物は違います。特に、身内用として採ってくるのは大きいやつではなくて、赤ちゃんワカメがおいしい。採ってきたワカメを熱湯にくぐらせて水洗いし、その後に干します。干すのには、お日様が絶対条件。晴れたらいいな~。-----*****-----*****-----*****-----臨時船の久丸の船長の都合が悪い時の臨時船長をやることになりました。それで、昨日は久丸の運転をしてきました。船には、それぞれの癖があるのでなれるための乗船です。問題は、離岸着岸。それさえしっかり出来ればOK!!
2006.04.20
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プライベートビーチ、夏でも誰も来ない秘密の浜網地島は、島の行事とか何かあるごとの島民に知らせる方法として島内放送があります。磯の開口の知らせや集まりの知らせ、あるいは船の欠航の知らせなどすべて放送します。集落ならではの通知方法です。所々に電信柱のようなものが立っていて、それにスピーカーがついてます。時には、「部落の皆様にお知らせします。只今より、イカをあげますので欲しい方は浜まで下がってきて下さい。」なんていう放送もある。早速、入れ物を持って浜に下がると、、、、、配ってるんです、イカを!しかも、ただで!こんな話って、いまどき信じられます?これは、大謀網という定置網を仕掛けている会社が配っているんです。網地の漁場を借りているということと、魚の単価が安いため市場まで持っていくまではないということかな。だいたい、イカだとバケツ一杯くらい頂けます。その外にも、季節によってもらえる魚はサバとかアジ、イワシ、マンボウと多彩です。今の時代、すべてがお金でのやり取りと言っていいくらいですよね。そんな中で、ほんとにほのぼのとする光景です。放送があると、すぐに4,5本の電話がなります。「おらいの分のイカもとってきてけらい!」足腰の弱いお年寄りからの電話です。とれたての新鮮なイカって、甘くっておいしいですよね。5月になれば、イカが入ってきます。まもなく、その季節がやってきます。ううっ、よだれが出ちゃう!!
2006.04.19
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昨日採ったタラの芽。今年は寒いから成長が遅いようです炭焼きの続き炭焼きの面白さと難しさは、表裏一体です。釜の中を見られない理由は、のぞいた穴から空気が入り過ぎて炭材が燃え過ぎてしまうから。炭焼きは、炭材を燃やしては灰が残るばかりで炭にはならない。燃やさずに炭化させるために、わずかな空気の穴しかあけておくことが出来ないんですね。目をつぶって周りの状況を把握するって言うのと同じかな。最初は不透明の白い煙。この段階は、炭材の水蒸気が出ている。次に透明がかった白い煙。これは、いよいよ着火したしるし。そして、透明に近い白い煙、着火もかなり進んでいる。青みがかった白い煙。終わりに近づいている。青い、透明の煙。これで、釜内は炭化終了。酸素の穴も煙突の穴も、土をすっかりかぶせて一切の空気を遮断して終了です。内部が冷める時間、2日くらいたってから、いよいよ釜だしです。なんと、おどろく無かれ、まったく初めての炭焼きが成功したんです。自分で作った炭を持って、日頃お世話になっているところに早速行きました。「自分で焼いた炭なんです。使ってみてください。」「そうか~、でもなー、今は炭は使わねえけどなー。」こんな感じで、あんまりありがたがりません。心の中で、“大変な思いして作ったのに~!”と、思いながら「それもそうだよねー。今時、燃料は石油だもんね。」と言って帰ってきました。私としては、自分で納得したものを届けることができたので、大満足です。この炭で、バーベキューやると最高!それからは、炭焼きにはまってしまって、倉庫から押入れから床下から、家中炭だらけになりました。-----*****-----*****-----*****-----昨夜も、懲りずにタラの芽の天ぷらを頂かせてもらいました。テーブルの上に天ぷらなべを置いて、揚げたてをパクッ!二夜連続でもおいしかった。自然の恵み、天の恵みに感謝、感謝。
2006.04.18
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炭材に使うタブの木。亜熱帯の植物で島にたくさん自生しているさて、初めての自分の手作り作品は何にするか。いざやるとなると、いろいろやりたい事が頭の中に浮かんできます。豆腐作り、どぶろく作り、納豆作り・・・・・いろいろ考えて、炭焼きに決めました。炭焼きって、いつかはやってみたいと思っていた憧れです。例によって、炭焼きに関する本を2,3冊買い込んで研究します。いろいろな炭焼きの方法があることを知り、島に合った方法をセレクトします。そして、炭焼きのやり方を頭の中でイメージできたらいよいよGO!!です。まず、炭の材料になる木の伐採から入ります。伐採も初めての経験だから、伐採の道具を用意して、どのように木を切るかから入らなければなりません。炭材は、伐採してから一ヶ月くらい乾燥させます。あまり乾燥し過ぎると良く無いと本に書いてあります。伐採した木を適当な長さに切り終えたら、次は釜作りです。敷地内の端の傾斜地に、ブロックで1m×1.5m、深さ1.5mの箱型の釜を作りました。この時、やっぱり島なんだと思ったことがあります。ホームセンターでコンクリートブロックを1個180円で買いましたが、それを島まで運ぶ船代が、1個310円かかったんです。おどろいちゃいますよね。それからは、船賃にはいろいろ工夫するようになりました。炭焼きって言うのは、科学的な判断やデータよりも、感とかが重要なんです。わずかな酸素供給の穴と煙突以外は、釜を密閉します。そして、煙突から立ち上る煙の色で状態を判断します。煙の色も、天候や気温、炭材の太さや状態によってその都度違うから難しい。釜の中をのぞければ、間違い無いんだけれどそれが出来ない。続きは次回・・・・・追伸昨夜、移住組の女性の誕生日だったので、ささやかな食事会となりました。食卓に、今年の初物のタラの芽の天ぷらが出ました。さすが! 山菜の王様と言われるくらいおいしかったです。
2006.04.17
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網地島から見た田代島物々交換の”物”を探せ網地島に移り住んでから11年。それまで、都会でお金との追いかけっこの毎日でした。追いかけたり、又追いかけられたり。それがいやになってしまって、なるべくそういう都会のしがらみに縛られない所、それがこの網地島でした。朝早く起きて散歩していると、漁から帰ってきた漁師の人から「これ持って帰えって、食え!」と、どっさりと取れたばかりの魚をよこされます。「うちは、カミさんと二人だけだからこんなに要らないよ。」「いいから持ってけ。明日も来い!」これが一人の漁師さんだけじゃあない。昼間は、島のおばあちゃんが採れたて野菜を持ってきてくれる。この頃は、仙台と網地島を行ったり着たりの生活でしたから、仙台に行くとまず島のお年寄りの人達へのお土産探しでした。そんな事をずっとしていて、ふと思うようになりました。待てよっと。島の人たちは、魚を捕るにしても、前日に網を刺して朝暗いうちから網起こしする。風が吹けば命がけ。体を張っての漁だ。野菜作りだって、畑を耕して種を蒔き、一生懸命世話をして収穫された野菜です。これも大変な手間のかかる作業です。これは、採った人の情熱、エネルギーの塊と言ってもおかしくない。それを頂いたお礼に、何も情熱もエネルギーも費やされていない、その辺で買ってきたお茶菓子じゃあ申し訳ないような気になってきました。私も、私の持てる情熱をぶっつけた物をお返しとしたいと思うようになったんです。それまでは、仕事一辺倒の生き方をしてきたので、自分の手作りなんてとても考えられませんでした。さて、何にするか?続きは次回・・・・・追伸今日は、雨の日曜日。増築の大工は一休みして、雨読にしよう。
2006.04.16
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松枯れ病でみんな枯れたけど、1本だけ残った松物々交換島では、お店などのお金を使うところが余りありません。お店が2,3軒と漁協の購買部。コンビニもなければガソリンスタンドも無い。無論、パチンコ屋なんてあるわけがない。人口が600人しかいないし、そのほとんどが65歳以上のお年寄り。あまりお金を使う購買層とは言えません。だから、商売をやっても採算ラインに乗らないのでお店をやろうという人はいないんですね。もっぱら島の経済は、貨幣経済ではなくて物々交換です。お年寄りたちは島のお祭りとか正月、節句なんかには必ず赤飯とか煮付けとか作ります。そして、必ず我が家にもそのおすそ分けがいただけるんですね。複数の家からもらっちゃうときは大変です。」もちろん、我が家だけでは食べきれないので他の外人部隊(よそからの移住者)に持っていきます。野菜とかもそう。収穫時、食べきれないからといっては持ってきてくれます。息子がマグロ船に乗っていて、定期的にマグロのブロックをどさっと送ってよこすのですが、その時もいただけます。カツオの場合は半端じゃあない。カツオを取りに来いという電話で、早速取りに行くと5kg位のカツオを3本もよこされます。まいったな~と思いながら家に帰ると、玄関にカツオが2本置いてある。こんなのって、40年位前の日本って感じ。すっごく、ありがたいですよね。もちろん、こっちも何かあるごとにお返しというか、して上げています。だから、島の経済は助け合い経済の物々交換です。してもらっているから、何かしてあげたいと思うのは自然です。表面上は、物が行ったり来たりしますが、実は“愛のエネルギー”が行ったり来たりしているんですね。続きは次回・・・・・追伸毎朝、鴬の声で目覚めます。半月前はあまりうまくさえずることができなかったのに、今朝の声は美しく歌っています。
2006.04.15
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ここで採ったヒジキは最高に良かったそうです一時、ずいぶんと騒がれた田舎暮らし。7、8年前くらいかな~、田舎暮らしに関する雑誌の取材を受けたこともあったっけ。ほとんどテレビは見ていないので、世間の時勢にはうとい私です。まだ、田舎暮らしの特集番組なんかはやるのかな。自然がいっぱいの田舎で暮らすのは、多くの人の憧れですよね。網地島には、都会から移り住んで住民票まで移して住人となっている人たちが結構多いです。別荘組も入れると40世帯くらいは居るのかな。奥さんを都会において、一人で島暮らしをしている人もいます。奥さんは、コンビニのない生活は考えられないそうです。離島の田舎暮らしは、本土の田舎暮らしとはかなり違います。本土であれば、どんな田舎でも車で飛ばせば数時間後には都会に行けますよね。蔵王の山中でも、雪がある時は除いて、車で2時間位で国分町の飲み屋で一杯飲める。山中から行けるという事は、逆に良からぬ人間が来ちゃう事もあると言うことですよね。離島の場合、夕方の最終便の船が出てしまえば本土に渡れません。これがいいんですね、これが。だから、島には犯罪が起こらないんです。網地島では、聞いたところによると昭和40年頃に何か犯罪らしき事件があったきりらしい。だから、30年以上事件らしい事件がない。都会では、安全はお金を出して買う時代なそうな。島ではまったく考えられません。外出も、鍵はあまりかけていかないようですし、車やバイクのキーは付けっぱなし。夕方、外から帰ってくると「居ないみたいだったから、上がって冷蔵庫の中に魚入れといたから。」と、こんな電話でした。”勝手知ったる他人の家”ってなもんです。なんと言っても平和な島です。
2006.04.14
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この言葉、私の好きな言葉の一つです。これって、奥の深いこの大宇宙の真理の一つともいえますよね。えっ、聞いたことあるけど忘れた?それじゃあ失礼ながら、おさらいと言うことで私めが忘れた方々に。それは、中国のある田舎に塞翁と言う老人がいたそうです。この方は、馬を飼っていたのですが、ある日その馬が逃げていなくなってしまいました。それを知った村人達は「じいさん、大切にしていた馬がいなくなっちまったんじゃあ困るね。あんだけ世話した馬なのに、とんでもねえ馬だ!」塞翁は「いやあー、ふむふむ。」と、困った顔も見せない。それから何日かして、家出した馬が帰ってきました。しかも、立派な駿馬を連れて。村人達は「家出した理由はこれだったんか、まったくたいした馬だ。」と褒めちぎります。塞翁は「いやあー、ふむふむ。」塞翁には息子がいました。今度はその息子がその馬から落馬して大怪我をしてしまった。村人達は「いやあ、とんでもねえ馬だ。あん時、家出したまま帰ってこなければ、こんな怪我はなかった。」と、塞翁に迫ります。塞翁は「いやあー、ふむふむ。」それからその辺りで戦争が起こりました。村の若者たちは皆戦争に借り出されましたが、塞翁の息子は怪我のため徴兵をまのがれたんです。そして、戦争に行った村の若者たちは戦死してしまいました。村人達は「あの落馬の怪我で、この負け戦に行かなくて、死なずにすんだ。あの馬のおかげだ。」と言って、村人達は大騒ぎ。塞翁は「いやあー、ふむふむ。」・・・・・と言うような話でしたよね。この話は、自分の身に置き換えてみると、本当にドキッとしちゃますね。かくありたいと思う反面、もっと人間らしく喜怒哀楽を出してもいいじゃあないか、という面もある。しかし、一見して不幸に見えることも、時間が経つと喜びに変ることが多い。“あのつらい事があったから、今の自分がある。”と思えるような経験をお持ちじゃあないですか?歌の文句じゃあないけれど、3歩進んで2歩下がる。紆余曲折はあるけれど、誰もが幸せの方向に進んでいるんだと思います。まあ、何はともあれ、逆境も順境もそれぞれ大いに楽しんじゃったほうが、人生面白い!!
2006.04.13
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病院の待合室には歴代の校長とPTA会長の写真がある人口600人足らずの小さな島に、総合病院ともいえるような立派な病院を作るということは、大変勇気のいることです。採算が合うだろうか、人材を確保できるだろうか、緊急時における患者の搬送等、心配事がつきません。海が何日も続いて荒れた場合、船は来ないしヘリコプターも着けることができない。利益追求のためなら、法律や道徳を犯してまでも何でもやってしまう今日、理事長の利益よりも恩返しをしたいという心意気に心を動かされます。島のお年よりも、島で死ねるといって大喜びです。設備は総合病院並でベッド数19床、CTスキャンもあるんですよ。院長は内科で理事長は外科、本家本元の病院から脳外科や整形外科、歯科等の先生方も交代できてくれます。デイサービスセンターもあり、お年寄り達は送迎のバスで病院に行き、歌ったり踊ったり、お風呂に入って食事して、一日を楽しく遊んで帰ります。採算面は、かなり厳しいみたいです。そんなことは、最初から覚悟を決めていたのでしょう。そこで働いている職員の多くは、夜遅くまで無報酬の残業をやっています。病院周りの草取りや清掃は、島の住民が総出でボランティアで行ってます。何とか維持してゆきたいという“熱い思い”で、この病院は成り立っているんですね。
2006.04.12
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網地の小学校が閉校になった後、その校舎を改装して立派な病院ができました。その名前が面白い。無くなった小学校は、網長小学校だったのでそのまま網小医院となりました。人口600人程度の離島に病院を作るなんて、かなり無謀とも言えるような決定をされたのは、ある病院の理事長の英断でありました。そもそも、その病院と網地島の関わりは、理事長のお子様の事が大きく左右したと聞きました。当時、理事長の子供さんはあまり学校になじめずにいたそうです。人にやさしいいい子でした。その病院が、網地島に保養所を建てて、そこに理事長ご一家は来ていました。理事長のお人柄から、すぐに島の人と仲良くなりました。そして、島民との話の中で、「島の学校に通ってみたら?」という提案に、じゃあということで島の学校に転校したんですね。そしたら、びっくり!すっかり島の学校が気に入ってしまい、一日も休まず学校に行くようになったそうな。それ以来、卒業まで楽しい学校生活を満喫できたそうです。理事長は、島の人達、そして学校の子供達の我が子に対するやさしさに大きな感動と感謝をしていたそうです。そして、理事長は何とか世話になった島の人達に何かできないかと思案した結果、網小医院ができたんですね。続きは次回・・・・・
2006.04.11
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我が家の畑のほうれん草 近いもの”とは、自分が住んでいるところの近くの野菜です。野菜は土のエネルギーで育ちますよね。人間もその土地からのエネルギーの影響を受けます。目には見えませんけどね。同じ場所からのエネルギーですから、相性がいいのでしょう。中国産とかアメリカ産の野菜より国産の、しかも住んでいる所のそばの野菜がいい。もっといいのは、自分の家の畑で取れた野菜のほうがずっといいと言うこと。“遠いもの”とは、人間の性(しょう、たち)から遠いもの。近いものから言えば、牛や豚といった哺乳類の肉や内臓、次は鶏肉。やはり、遠いものと言えば野菜や海藻類です。牛肉や豚肉を食べてはいけないというのではなく、なるべく少なくして野菜や海藻を食べたほうがいいと言うことかな。こういう考え方は、栄養学的な考えではなく、もちろん医学的でもない。何も科学で証明されてはいませんが、私はわかる気がします。だから、島で採れた野菜はおいしいし体にもいいと感じます。Sさんには、晴耕雨読製のヒジキを持って帰ってもらいました。ありがとう。
2006.04.10
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先日、やはり私と同じ外人部隊のSさんが、籠一杯のネギを持ってきてくれました。近々旅行に出るので、帰ってくる頃は硬くなってしまうからとの事。私はネギが好きで、(あくまでも島のネギに限る)何の料理にも使うほどです。Sさんは私より4年位後に奥さんと二人で仙台より移住してきました。Sさんは、野菜づくりはプロ級、キノコや山菜のことも良く知っている、釣りも得意といった人で、島生活を思いっきりエンジョイしています。スーパーで買った野菜は、冷蔵庫に入れっぱなしで置くと解けて液状になってしまう。島の野菜は、冷蔵庫で干からびる。この違いはなんなのかわからないけど、不思議。体の健康や体のバイオリズムを安定させたりという、人間が生きてゆく上で大変大切なこと、“近くて遠いものを食する”と言う考え方が東洋にあるそうな。バイオリズムって大切らしいです。肉体ではなく、精神に影響します。たいしたことではないのにイライラしたり怒りっぽくなったり、何かに集中できなかったり、睡眠が浅い、人にやさしくなれないなど、バイオリズムは人体に影響を及ぼします。さて、”近くて遠いもの”って?続きは次回・・・・・
2006.04.09
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我が家のヒジキを干している磯のものでも山菜でも、採る楽しみって大きいですよね。食べる楽しみ以上に、採るのが楽しい。多分、収穫の喜びなんでしょうね。でも採った後、それを食べられるように処理する作業がある。実は、これが一番大変なんです。特に、ヒジキの場合は、も~大変!海苔とかゴミとかキレイにとって、その後煮ます。煮る時間は人それぞれですが、4時間くらいかな。たくさん採ってきた分、それを何回もやります。その後水で洗って干して、すっかり乾燥させて終わりなんですが、その干すのが又大変。風が吹けば飛ばされる、曇ってくれば湿気る、その都度つきっ切りで外に出したり入れたり。「ヒジキに殺される~~!」と、毎年言っている人がいます。町のスーパーなんかで売っているヒジキは、選別はしないし、圧力釜でさっと煮て、機械で乾燥させるようです。それと比べると、島のヒジキは手間ひまをかけてます。煮るんだって、燃料は薪を使うんです。味が違って当たり前。網地島産のヒジキは市場には出回らないそうです。そんな大変な思いをして作ったものを、商売として売る人もいますが、ほとんどが遠く離れた子供達や親戚、知人に配っちゃうんですね。もらう方も、毎年これを大変楽しみにしているらしく、この季節の風物詩です。島民のヒジキ採りに対するすざまじいまでのパワーは、子供たちに送って喜ぶ顔が見たい、喜ぶ声が聞きたい、その思いなんですね。愛の形って、いろいろなんだな~と思います。
2006.04.08
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テトラポットからの投げ釣り、ねらいはカレイ私も組合員なので、皆がヒジキを採りに行くのをのんびりと眺めている場合ではないのですが、どうもそこまで熱くなれずに、皆が行った後のんびりと行きます。私のような外人部隊(島生まれじゃあなく、よそから移住してきた人)が島民といっしょになって場所取りを競ったら、ひんしゅくをかうかもね。こと、漁に関して相手はプロなので、一歩も二歩も下がっていたほうが良さそうです。一昔前の男に対する価値観は、魚やアワビをたくさん取れる男が素晴らしい男だそうな。稼ぎの悪い男は男として認めてもらえないらしいです。女性も、美人に越したことはないのでしょうが、やはり稼ぐ女性が良いようです。今の都会の価値観と、かなりの違いですよね。磯のものを採る時は、干潮時間に合わせたほうがよいのは当たり前です。先日のヒジキの開口の時、ある60代後半のおばちゃんが干潮の時間まで待っていられなくて、潮が引く前に海に潜って取りに行った人がいました。それを周りで見ていた女性達も、先に採られちゃあいけないってんでザブンと海に入ってしまいました。まだ、4月初めの寒い時ですよ。すごいと言うか、豪快と言うか、呆れかえるというか、ヒジキにかける情熱たるや・・・まいりました!“恐れ入谷の鬼子母神” でございまする。さて、我々の収穫は?案の定、我が晴耕雨読のスタッフ4人で採ったヒジキは後処理がすっごく大変でした。やっぱり素人なんですね。島の女性(やはり60~70代)一人で採った量より、我々4人の採った量のほうが少ないんです。な~しゃけ~ね~~~
2006.04.07
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島では、春に海藻、夏にはウニ、初冬からアワビが開口されます。その間には、ナマコ、ホヤ、蛸なんかも開口されその時ばかりは浜も賑わいます。「あれ、島にこんなに人がいたっけ?」と思うくらい。 それぞれの開口初日の熱気たるや、すごいの一語先日、海藻のヒジキが口開けになった時の事、前日に島内放送で、「明日の朝の天候を見て、海藻全部の口開けを致します。」と、開口の予告がされます。そして翌朝「本日、7時より海藻の口開けを行います。」となります。時間になると、30分以上前から待機していた小船が組合役員の合図とともに、一斉にスタートします。それはすごいもんです。あらかじめ目星を付けていた磯に我先にと全速で突っ走ります。見ていて壮観です。港内から外海に出ると、右方向と左方向に分かれるのですが、そこの90度くらいのカーブ、いわゆる第一コーナーとでも申しましょうか、まるで車のレースさながらで、いつクラッシュしてもおかしくないくらい激しいんです。しかも、小船を操船しているのは70~80代の高齢者です。信じられます?どこのヒジキがいいか、前もってじっくりと下見をしておくんですね。悪い場所から採ってくると、海苔やゴミが付着してたりで、その後処理が大変なんです。しかも、網地島のヒジキは大変評判が良く、早くから予約が入っているらしく、採っても右から左に売れちゃって、なかなか一般には出回りません。だら、余計に場所取りに熱が入るんですね。続きは次回・・・・・
2006.04.06
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我が家のデッキからの夕日島民の中には、こっちが何かをしてあげても、してもらったという認識がもてない人が中にはいます。「ありがとう。」を言ってくれないんです。そういう時って、少しだけ悲しくなっちゃいます。島で生活するようになってから、変わったことなんですけど、こちらから金銭等の請求ができることを、何故か請求できなくなってしまいました。相手から「いくらかかったの?」と言われないと、こちらからは何も言えず、言ってくれるまで待ちます。最期まで言ってもらえない時もあります。つまり、ただ働き。その時はその時で、「まっ、いいかっ!」と、あきらめます。世間にお布施したとでも思うようにしてます。そして、めぐり巡って私に戻ってくるかも相手がどう思おうと、どうなろうと善意からの行いは決して無駄ではなく、生きて跳ね返ってくるんだって信じて疑いません。そう決め付けています。だから、めげません。ぜんぜん知らない人から、逆に何かをしてもらったり、お店が繁盛したり、自分の体が健康でいられたり、子供や孫達が、何も無く健やかに幸せにいられるとか・・・・・犬や猫と違って、人間に対してして上げた良い行いは、めぐり巡って必ず自分に帰ってくる。どこから、ご褒美が頂けるかわかりません。このことは、網地島に来てずいぶんと実感しました。だから、これからも網地島の便利屋をやり続けていこうと思ってます。
2006.04.05
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我が家の畑のルッコラ。早く大きくなあれ島の人達に私たちが何かしてあげた時、お返しというか、御礼みたいのがいただけちゃうんです。それは、採れたての野菜とか魚とか、あるいは息子さんなりが遠洋漁業で獲ったマグロのブロックだったりします。実費がある時はその金額を提示します。例えば、ガラスの交換私 「終わったよ。」島の人「ご苦労さん、でいくらっしゃ?」私 「ガラス屋さんからの請求は、4000円、あと船賃が1500円、で合計5500円だよ。」ガラス屋さんからのの請求書を渡す。島の人 「手間賃は?」私 「いらないよ。」島の人 「駄目だべっちゃあ! じゃあ後で野菜けっからな。」てな感じ。これって、お金をもらうよりうれしいんです。島で獲れた野菜は、何故かおいしい。都会のスーパーで売っている野菜とぜんぜん違う。島の人が、種をまいて一生懸命育てた野菜です。いわば、育てた人の愛情の塊のようなもの。それをいただけるんです。ありがたいですね~。時には、お金をよこすときもあります。「もらってくんねえと、この次頼めねえ。!」と、怒るように言って。(笑)こういう時は、「うん、わかった。ありがとう。」と言っていただきます。犬とか猫とか、あるいは野菜とか草花は、一生懸命に世話をしたり可愛がると必ず応えてくれます。犬や猫は、なついたり尻尾を振ってくれたり・・・野菜や草花は、たくさんの収穫があったりきれいな花を咲かせてくれたり・・・でも、人間関係ではそうはいかない面があるようです。続きは次回・・・・・
2006.04.04
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大きなアワビがいる琵琶首崎困りごと、何でも引き受け処 “晴耕雨読”島で、こんな看板を出そうかなーとも考えてしまうくらい、いろんな事を頼まれます。車での送り迎え、、、、、宅急便の荷物の運び方、、、、、タイヤのパンクの修理、、、、、水道の水漏れ、、、、、割れたガラスの交換修理、、、、、下水の側溝に落ちてしまった車の引き上げ、、、、、屋根の雨もりの修理、、、、、廃屋の解体、、、、、樹木の伐採、、、、、まだまだたくさんあります。高齢化が進んで、自分で動けなくなっているせいもあるでしょう。でも、さすがに、シーズン中は本業のペンション、レストランが忙しくなるので頼み事は遠慮して少なくはなります。自分たちが、少しでも島の人達の役に立っているんだと思うだけでうれしいもんですね。都会にいる時は、自分が世の中や地域の役に立っているなんて思った事などまったくといっていいくらいありませんでした。自分の出番があるということは、まだまだ使命があるということだし自分の喜びでもあります。島にきた当時、これからの人生は自分とカミサン二人の為だけに人生の残りの時間を使おうと思ってました。好きな映画や本を読んだり、絵を描いたり・・・・・ところがドッコイ、そうはさせてもらえません。うれしい悲鳴です。続きは次回・・・・・
2006.04.03
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磯釣りのスポット 立ヶ崎これからの時代は、今まで以上に利己主義というか、自分たちさえよければという考えがはびこる危険性があります。回りからの親切や手助けは、あまりあてにできないということでしょう。もちろん、国や役所に何かを求めたり期待したりすることは裏切られるのが関の山です。自分のことは、自分で責任をもって他をあてにしないで処理する。もうこれしかありませんね。期待していて、それが裏切られるとがっかりしてしまう。最初からあてにしなければ腹を立てずにすみます。私は、新聞は読まないしテレビもあまり見ません。それは、今の時代あまりにも目を覆いたくなるような事件や、くだらないバラエティー番組など、見聞きしたくないことが多すぎます。そういうものに触れ過ぎると、気分が暗くなり心の中が波うちだって自分の波動が落ちてしまうからです。波動が下がる一番の要因は、人の批判と文句を言う、愚痴を言うということ。批判、文句、愚痴を言わないし思わないってすっごく難しいことですよね。ダライ・ラマやマザー・テレサならいざ知らず、晴耕雨読の親父のレベルでは、とてもとてもまだまだできるわけがない。だから、新聞やテレビを見たらもう我慢できなくなって、ついつい批判したりしちゃいます。島で、心静かに喜びに満ちた生活を望んでいるのに、それじゃあ都会にいた頃と同じになってしまう。だから、テレビは見ないようにしています。そう、あるがままを受け入れよう。あらゆる出来事に偶然は無いと思うし、今は解らぬとも必ず理由はあるはず。批判はすまい、文句は言うまい、愚痴は言うまい。牡鹿丸が無くなるのも、学校が無くなったことも、交番のことも一つの流れであって、この流れも受け入れよう。そうすれば、又いつもの平穏と喜びの日々にこの身を置くことができる。ありがとう、感謝、感謝。
2006.04.02
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石巻からのブルーライナー網地島に渡るには、公共の交通手段は石巻からの網地島ラインか鮎川からの牡鹿丸に乗る方法の2通りの方法があります。これ以外は、自分で船をチャーターするか、マイボートで来るかです。網地島ラインも牡鹿丸も赤字で国や県、市からの補助金をもらって運営しているらしいです。この4月から牡鹿町は石巻市と合併となりましたが、石巻市の2つの赤字の船の航路は必要ないとして、牡鹿丸が廃止となることが決定したそうです。島では、牡鹿丸がなくなると島民の足に大きく影響してしまうので、ずいぶん反対したのですが、行政に押し切られたというかんじです。最近の国や県、市町村は商道徳というモラルの無い商売人になったようですね。効率を第一と考え、無駄を省こうとするのはいいのですが、自分に痛みが生ずる節約は一切しないで、やり易く文句があまり出ないところを切ってゆく。しかも、住民の反対を押し切り、財政が苦しいとか、国からの指導でとか言い訳をしてきます。3年位前に、交番が廃止されました。人口600人位の所には警察官は必要ないそうです。小中学校も、生徒がいなくなっていったん閉校し、又生徒が入学か転校で入校するようになれば再び開校するといっていたのがいつのまにか完全廃校としてしまった教育委員会。行政というのは、必要なことであれば採算が合うとか合わないとか関係なくやるもんだと思っていました。例えば、町から離れた所にたった一人で住んでいる人がいても、電気を引き、電話も引き、道路も作る。教育もそうだと思う。以前、小学校がなくなる前に、ついに生徒が一人になった時、先生方や職員は6人以上いましたね。校長、教頭、担任、栄養士、用務員、給食センターの職員2名、、、、、てな感じ。この島は、だんだん忘れ去られてゆくのかなー。続きは次回
2006.04.01
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