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某市民団体が自主上映した「蟻の兵隊」を観て来ました。この映画の事を知るまで、日本軍山西省残留問題については全く知りませんでした。 詳しくは映画の公式サイトをご覧ください。(重くて開き難いかもしれません) 簡単に言えば、日本は終戦を迎えたのに、(ポツダム宣言に違反して)軍の一部約2600人を日本に帰還させず中国国民党の軍に預け、共産党軍と戦わせたというのです。上官の命令ですから誰も逆らえず、その4年間に約550人が戦死、700人以上が捕虜となったそうです。 ようやく帰国した彼らを待っていた国の対応は、お前らは自らの意志で残り勝手に戦争を続けていたのだというもので、軍人恩給などの戦後補償を拒否し続けているのです。 この映画は、「自身戦争の被害者であり加害者でもある奥村(和一さん 80歳)が、日本軍山西省残留問題の真相を解明しようと孤軍奮闘する姿を追った世界初のドキュメンタリー」です。 実際に戦地に行った戦争体験者と言っても、自らの体験を赤裸々に告白し猛省する人もいれば、ひたすら過去の忌まわしい記憶として封印してしまった人もいれば、残虐な行為には触れずに懐かしみ美化する人もいます。 映画の終わりの方で靖国神社でパフォーマンスする右翼の若者や、軍国主義の復活を夢見る危険な男たちが写されていましたが、自分達が本当に正しいと言いきれるのなら、中国へ出かけて行って老人の前で同じ事をしてみたらいいと思います。 奥村さんは近年中国に行き、日本軍の犠牲になった人たち(本人や遺族)と実際に会って、一緒に涙を流して来られたのです。そういう人なら彼らも許しはするでしょうが、南京での虐殺は無かっただの、いつまでも自虐史観に捕われていてはだめだなどと言ってアジアの平和を脅かすような言動をする日本人を彼らは決して許しはしないでしょう。 日々、国と戦い続ける奥村さんにエールを送ります。
2007年01月28日
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久しぶりの日記です。創作の方は面白いアイデアがいろいろ出てきているところですので、整理され熟成されるのをじっくり待つことにします。と同時に勉強もしなければならないのですが、これがなかなか追いつきません。 さて、きのうは映画「紙屋悦子の青春」(2006年)を観て来ました。戦争レクイエム三部作(「TOMORROW/明日」(1988年)、「美しい夏キリシマ」(2002年)、「父と暮せば」(2003年))のこの監督の戦争映画は独特の視点を持っています。(実は「美しい夏キリシマ」はまだ観てません) 戦中(戦後)の庶民の生活をリアルに描いていますが、いわゆる反戦映画とは一線を画しています。にもかかわらず確かに上質の反戦映画と言って差し支えないのが黒木和雄作品だと思います。 今回の作品、実は予備知識ゼロで臨んだのですが、観ながらの予想は次々に外れていき、実に淡々としたストーリーが展開して行くのでした。観終わった時に感じたのは、自分の発想がいかに現代の手垢にまみれたパターン化された貧弱なものでしかないのかということでした。 本音や本心を抑えて、もの静かに生きていたあの頃の日本人。テレビの影響でしょうか、軽薄さとがさつさが社会の隅々にまで蔓延している今の日本。無批判に昔の方がいいなんて言わないけれども、何かしら懐かしさに心の安らぎを覚えてしまうのも事実です。キャストはそれぞれが実にいい味を出していました。
2007年01月26日
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更新が滞っております。別に悪意はありません。でも、何やかやとモタモタしているうちに、だんだん仕事のようなものがしたくなってきました。 仕事 仕事 と思っているうちに、ふっと創作欲が沸いてきました。あちらこちらのブログで、俳句もどきのものを書いたりしていたのも起爆剤になったのかもしれません。 身内の者を精神的・経済的に救わねばならぬ状況に追い込まれ、また何よりも自分自身の生き甲斐のためにも、久しく待ちわびていた創作活動のチャンスが巡って来たようなので、しばらくそれに専念することにします。 時々は近況報告がてら日記を更新すると思います。何も四六時中 小説を書いているわけではありませんので、気分転換も兼ねて今まで通り皆様の所にもお邪魔させてもらいます。 では皆様、お元気で
2007年01月18日
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隔週水曜日は母の通院の送迎です。前回まで通っていた個人経営の小さな病院が3キロほど移転して、かなり大きな病院に生まれ変わりました。この年明けからオープン!!(スーパーやないって) 母も初めて足を踏み入れるので、付き添わないと迷うこともあろうかと一緒に中に入りました。隅々まできれいなのは言うまでもないのですが、そのあとがいけません。システムが機能的に作動していないのです。 コの字型に並んだ各科1室ずつの診察室の中央スペースに、20人分位の椅子が背中合わせに並んでいます。待っている患者さんは5、6人。口々に何やら文句を言ってます。大阪のおっちゃんやおばちゃんの台詞はお笑い芸人のように面白い。○朝早うから待ってんねんで、いつまで待たせる気ぃや。夕方までには帰してくれんねんやろな。○わし腹減ってぺこぺこや。弁当でえへんのんか。○部屋から出てきたん一人も見てへんけど、大丈夫かここ? 本当に2時間近く待たされているらしく、怒って帰って行った人も何人かいました。いえね、病院は長時間待つものというのは知っていますが、待ってる人は数える程しかいないのですよ。受付から診察室にカルテが回って来ていない、先生が戻って来ない、など信じられないようなトラブルというか杜撰さが露呈されていました。いくら出来たてのほやほやとは言え病院ですからねえ。 幸い母は45分位で無事診察を終えましたが、会計の前でまただいぶん待たされました。ここにも他に待っている人は殆どいなかったのにですよ。その間、医師や看護士やスタッフが廊下を走り回っておりましたが、やはり何かにつけ順調に事が運ばれていない模様。例えてみれば、巣穴を壊されたアリがパニックに陥って右往左往してる感じ。 2週間後には、落ち着きのある頼りにできる病院に生まれ変わっていてほしいと願います。
2007年01月10日
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義理の娘がいなくなって我が家に静寂が戻ってまいりましたので(娘が騒がしいのではなく彼女の見ているテレビとその笑い声がネ)、久しぶりの日記を書きましょう。あ、新年のご挨拶がまだでした。 2007年 明けまして おめでとうございます 本年も どうぞよろしく お願い申し上げます さて予定通り元日に、「硫黄島からの手紙」を観て来ました。先の「父親たちの星条旗」と戦闘場面を重ねると、なるほど見事な立体効果です。 戦争(に限りませんが)を描く場合、それぞれの立場や思惑や内情を公平に描かない事には、やはり正しく伝えたことにはならないでしょう。そういう点から見て、今回の企画は画期的であり大成功であったと思います。 実はこの映画を観る前に、たまたま司馬遼太郎氏の『坂の上の雲』を読んでおりましたので、いよいよその感を強くしております。この小説は日露戦争を多角的に描いていて(戦闘シーンは鳥瞰的に。個人を描く時はその履歴から心の中にまで分け入って)、まるで映画を観ているような気にさせる、スケールの大きな作品です(分量だけでも文庫本で3000頁近くあります)。 イーストウッドの映画に戻りますと、ストーリーはともかくとして、実際の戦争のイメージは私が常々思い描いているものとそう矛盾しておりませんでした。 戦争のような非日常・非人間的な場では、すべてが偶然に支配されてしまう。運・不運と言ってもいいかもしれない。爆弾がどこに落ちるかで人の生死が左右されるのはまだ許せます。でも生殺与奪の権を持った者の気紛れで生死が左右されるのは、私には断じて我慢がならない。戦争が暴力の最大の表現であるなら、それにつながるどんな身近な暴力もそれが個人の気紛れで起こることに私はやはり我慢なりません。 私は生まれてからこの方、一度も人に暴力を振るったことがないというような聖人君子ではありません。教師時代のある1年だけ、私は暴力教師を演じました。自分の子どもに暴力を振るったこともあります。だから、余計に身に沁みて暴力の怖さがわかるのです。 暴力を振るわれるのも怖いですが、理性や慈愛の念が一瞬消えて自分が自分でなくなっている恐怖。そんなモンスターに殴られたり撃たれたりするのが戦争であり、戦争の序章となる軍国教育の現場です。 戦後の民主教育を否定して、さも戦前の教育勅語の思想が支配していた暴力肯定の学校が素晴らしかったかのように言う時代錯誤の懐古趣味が流行っておりますが、とんでもないことです。教育基本法が改定され、愛国心だの競争原理だのが強制されて、自由な空気のない学校がそこここに生まれつつあります。 もっといろいろな感想を持ちましたが、観て来られた方のとだぶる所が多いので、暴力という面から一言いわせてもらいました。
2007年01月04日
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