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お母さん方がイライラする鬱陶しい天気から、やっと晴れ間が見えましたね。 通勤に自転車を使う僕も何度もびしょ濡れになって激走しました(苦笑) さて早い学校では今週の水曜日から、定期テストが始まっています。 今日から始まる学校も2つ。 12月の頭までは、代わる代わる定期テストがやってきます。 中3だけでなく、中1・2も自己研磨に励んでいますね。 いつもはない場所に長机を出さなければいけないほどに、教室中がバタバタしていて、嬉しいような大変なような。 体調を崩して学校を休んでいたり、怠けていたり笑と、かなり焦りながら準備をしている生徒たちもそれなりにいて緊張感が伝わってきます。 生徒達が帰ったあとは、講師陣もヘトヘトになってしまっています。 こんな時は差し入れでいただいたドーナツが本当に美味しかったです。 さてそんな中、なかなか本気になれない生徒達も実際にはいるわけです。 そんな彼ら授業や自習に来ても、息抜きの時間が長かったり、いつの間にか食料調達に出かけたり。 こちらからすると、鬱陶しい雨同様にイライラすることこの上ないわけです。 もちろん注意をしたり、手を打ったりするわけですけど、1回2回じゃ根本はやっぱり変わらない。 その生徒は、結局その生徒でしかないですから。 じゃあどうしたら良いのか。 僕は、そうやって今の状態を作り出してしまった理由を、担当者の、教室の、そして僕自身の責任だと捉えるようにしています。 もちろん、そんな生徒を目の当たりにした時はイラッとしますよ(笑) でも、まず自分の責任だと考える。 今そうなっていることは現実なわけで、じゃあそれをどうやって是正するのかを考える。 こうやって、周りの大人、そして生徒本人が責任の所在を自分に置くことで、人は変化していくし、させていけます。 「やる気が出ない」「子供が勉強しない」「生徒に思いが伝わらない」と感じてしまったら、一度「自分」に立ち返って原因を導きたいですね。 「人はしんどいなイヤだなと思うことをやってみることで、アタマだけでなくココロも鍛えられるんだよ。」 昨日の小学4年生の授業で、僕の伝えたメッセージです。 みんながこうなったら最強の集団になれますよ。 アタマもココロも。
2015.11.19
彼女が帰ってくる。 体調不良に悩まされ、しばらくの入院を余儀なくされていたが、 今週末をめどに退院ができるようだ。 「長期戦になるかも」 と言う保護者さんのお話に、英語の担当講師が、 「千羽鶴折りませんか?」 今日はそれを渡しに、その担当とご自宅に伺わせて頂きました。 千羽鶴を折ることって、どんな意味があるんでしょうね。 今回の一連の流れを見ていて、僕は贈られる側の喜びももちろん大きな意味なのだけど、贈る側を成長させるものすごく意味のある要素だったのだと感じました。 「やろう」と言っても、 発起してものを揃える。 折り始めたら途方も無い。 折っている人が固定化してくる。 やっている側は、やらない人に腹がたつ。 やらない側は、優先してやりたいことがある。 どちらの言い分ももちろんあって、理解もできる。 でも今回それが講師だけじゃなくって、 同級生に、そして先輩に、そして後輩に、 どんどんんつながっていって、 最後は一気に仕上がっていきました。 それを今度、やるのを億劫がっていた講師が、 気持ちのこもった折り鶴を選定して、ダメなものは作り直す役割を担い始めて。 それぞれがパワーをもって動く事に、 躊躇するハードルが少し下がったんじゃ無いかな。 ステキな光景が広がっていました。 やってみて意味を見つけられるものが、 案外近いところにあることに気付けたのでは無いでしょうか。 ちなみにこちらの講師が、事の発起人。 ただ作るってことだけじゃなく、一緒にいっぱい話したね。 ホントにありがとう。
2015.11.10
なでしこ初戦は勝ったみたいですね。良かった〜「みたい」というのも、今日は午前中大宮であったセミナーに参加していたため、テレビ観戦は叶いませんでした。さてそのセミナーでのひと幕。隣同士でペアになって非常に哲学的な普遍的なテーマについて、一方が先生役でもう一方が生徒役という設定で1分程度お互いで話すというものがありました。隣の方は大先輩の知り合いの先生なので、「ちょっと照れくさいね」何て言いながら、設定とはちょっと違うけど二人でテーマについてお話。その中のテーマのひとつに「先生にとって『生徒』とは?」と言うものがありました。生徒が直接僕にそんなことを聞くとは思えませんが、ちょっと考えてみました。時間も1分とかなので言葉もまとまりませんでしたが、その時は「僕にとって生徒は将来『友』になる存在」。そう思いました。今は先生と生徒という関係性だけど、いずれは皆が大人になり立派に自律・自立していきます。将来において大人と大人として互いを高め合える存在になりたい。そのためにも今、学校や受験にむけての勉強を通じて「人間性の素地」を形成する一手を担いたい。そんな風に思うんです。だから期待もするし信頼もする。1人の人間として話を聞いてみる。この関係は講師とでも同じ。僕は彼らを守らなきゃいけないし、退職した後も社会のため周りのために仕事のできるひとに育てなきゃいけない。これは今あるウィルの大きな意味での形態だから叶えられるし、もっと良くしていくこともできるはず。一直線に進めるかはわからないけど、楽しみながら子どもや講師たちと歩んでいくんです。セミナーの中身はと言うと…ではありましたが、改めて考える機会を与えてもらえたことに感謝です!
2015.06.09
「あなたの内申点は所沢で◯◯番よ。考え直した方が良いかもよ。」 親切心でしょうか? 県立入試のシステムは本当に知ってらっしゃいますか? 心配でしょうか?それとも何としても受からせるためでしょうか? 彼ら彼女らは勝負をしているんです。 勿論受かりたいですよ。そりゃそうです。 でもね楽に受かるための勝負をうちの子たちはしないんです。 だからやめてもらって良いでしょうか。 言葉を選ばずに言います。 そういう事は適当にやってる奴に言ってください。 「志望校下げた方が良いでしょうか?」 本当に不安そうに聞いてきました。 これは僕のエゴでしょうか? 個人的にはそうでないと思っています。 僕がわかっていないだけなんでしょうか? ああ…キリがないですね。 必死に夢を叶えたいと思っている子どもたちを、僕は応援し続けます。 以上!
2015.01.28
今朝出勤前に娘の髪を見ると、 クルクルふわりとカールがかかっていて、 格好を見てもハイネックのカットソーとショートパンツにデザインタイツ。 奥さんがやってやったのかと思いきや、 格好はすべて本人が選んだとのこと。 いや〜末恐ろしい。 何が好きか、何に熱をあげるのか、 それってその人の人生に関わることだから、 大人はそれをゆっくりじっくり育ててあげなきゃいけない。 我々教育産業も、今の日本にとってなくてはならいない存在になっているわけで、 そこには通ってくれるご家庭だけでなく、 地域へのメッセージも含んでいなければいけない。 なんでもやるのでおあずけくださいでは、 何にも役に立てない。 まあその程度に塾を考える方にはいいのかもしれないけど。 地域に対して「あそこは◯◯な塾」と言ってもらえる場所でなきゃいけないわけで、 期待できる部分をもってお子さんを通わせていただけることが理想。 うちはもう一つの学校のような存在。 要は価値観を与えられるような存在になることが理想。 子供たちを認め、強みを見つけて、 何が伸びる部分なのかを探してあげたい。 手を抜いてるわけでは勿論ないけど、 授業がうまいとか、教え方がどうとかよりも、 「伝える」ことに価値があると信じている。 こうやって信じているから、 新所沢教室・東所沢教室関係なく他ではマネのできない結果を出し続けられているわけだ。 入試結果も大事、テスト結果も大事、 面倒見も大事、教務力も大事、生徒管理も大事。 でもその全部が一番ではない。 我々正職員、講師陣、生徒、ご家庭が、 価値観をどれだけ高い次元で共有できるのか、 そこに尽きる。 靴が下駄箱にも収まり切らない沢山の生徒たちに、 どれだけ「伝えられるのか」。 そこが絶対に無くせないウィルのポリシーなんだ。
2014.12.29
自分の上限をどこに設定しながら動くのか。これってものすごく大事なこと。 目的や求めるレベルが、人それぞれ違うことは全く問題がないのだけど、そういうものも持たずにいるのは日本人としてもったいない。 「やってもやっても結果が出ない」そうやって嘆くことができるのも、目的があってのこと。 「やってもやっても~」を解決すべく付き添うのが我々の仕事。 よく塾は「めんどうみNO1」「めんどうみなら負けません」みたいなことをよく言うけれど、面倒見がいいとかそんなことは、こどもの能力を上げる上では、ほとんど関係ない。 「めんどうみ」云々言う指導者に限って、「教えても教えてもわかってくれない」と嘆く。 やるべきことは、こども達の「わからない」と「わかった」の切り替わる瞬間に立ち会うこと。つまりチャンネルを如何に合わせてあげられるかだ。 イメージとしては、ラジオの曲をジジジジっと合わせていく感じかな。 話はそれたけど、価値観をお互いがすり合わせて持っていないと、変化するものも、しなくなってしまう。 その辺りをうちの若手講師陣にも、きちんと植え付けていかないとね。
2014.09.30
中学校の前期期末テストが終わったと思ったら、(まだこれからの学校もありますが)あっという間に、明日は第4回北辰テスト。 塾関係者と中3生は知っていると思うけれど、今回から北辰テストの中身が変わってくる。 中身をどんなふうに予想したところで、北辰さんが明日出してくるものを見てみないことには、机上の空論になってしまうということで、例年通り淡々と、そして粛々とここを目指してきました。 今年の生徒を、ああだこうだと言ってもしょうがないので、今年の生徒にも沢山の期待をかけて、そして価値観の植え付けに、どの講師も奔走したこれまででした。 「何が出てこようがウィルの生徒なら問題なし!」なんて言えたら恰好がいいのかもしれませんが、実際にはそんなこともないわけです。 逆にこんなことを言える方がいたら、尊敬を通り越して崇拝してしまいます。 とはいえ忘れちゃいけないのが、今回の北辰の「出来栄え」、「感触」、17日ごろに出てくる「結果」をみて、どんなものが出てこようが、それを導いたのは自分だということ。 満足か不満足か、良いか悪いかではなく、全ての物事をスタートさせているのは自分なわけです。 生徒は自分の過ごしてきた時間や内容に対して、自分の責任のもとに、また自分の思い描いているもののように、結果が導かれているのかを考えるべきなのです。 すべての物事の根っこにあるものは、自分の思いから始まるのです。 これは我々だって一緒。 各教科の担当は、自分の思い描くものを生徒たちに提供しようと、一生懸命に考え、生徒たちにそれを渡そうと行動します。 その結果が良いモノならば、それはそれでいいのだけど、ダメだと思うものが出てきたときに、それを生徒のせいにはできない。 だってそれを管理管轄しているのが自分たちなのだから。 言うことを聞かないやつがいて、思い通りに動いてくれなくて、思い通りの結果に導けなくて、それを「生徒が悪い」とは言ってはいけないのです。 もう一つくくりを広げれば、その講師たちを管理する教室長。つまり僕ですね。 講師がそんな風に言い出したら、僕にとっては負けなんです。 「あいつ、どういうつもりなんでしょう?」「あいつ、ダメなんです。」こんなことを講師が言い出したら、僕にとってこの言葉は、負けのフラグがたつ直前。 運よくその生徒が結果を出せば、多少の余裕は生まれども勝ちにはならない。 こんな風に僕も講師たちも生徒たちも、価値を共有できたら、より素晴らしい教育環境が生まれるんでしょうね。 いや~思うままに書いてきてしまいましたが、結局のところは、みんな頑張ってきてくれと(笑) しっかり緊張して、頑張ってくるんだよ。
2014.09.06
子供たちにとってなかなか考えが及びにくい部分が、大人の言うことの意図を組むこと。 学習にも同じことが言えるわけで、「これは、この力を付けるために行う」「あれは、あんな力を付けるために行う」これがなければ我々が伝えているものは、ほとんど意味をなさなくなります。 「いつまでにやらなければいけないから」とか、「このくらいできていれば足は引っ張らないだろう」とか。そういう風に子供たちが思わないようにすることが、我々の一番考えなければいけない部分になるわけです。 要は「処理」のみに頼らせないということ。 顔を見るたびに「あれはやったのか」「この準備はできているのか」では、大人を避けたくなるのも致し方ないのです。 何を目的に親は子供に対して、口うるさく言うのか、子供は漠然としたイメージでしか捉えられていないのかもしれませんね。 ウィルでは来週から基礎学力テストが行われます。 基礎学力テストとは何のために設けられたテストなのでしょう? ウィルは1教科につき、週1回90分の授業です。この時間だけでは、全てのことを完璧にすることなど、到底無理です。 僕の専門・担当である数学を例に出して言うならば、授業は、知識を具体的な形で生徒たちに伝える場です。 何のためにそれを教わるのか、今までにそれに似たものを見たことはないのか、次、そしてその先にどういったところでそれを活用するタイミングがあるのか、そこに焦点を絞って授業が行われています。 授業の最初に行われる確認テストには、練習の要素よりも、如何に意味をもって授業を受けられていたのかに、比重を置いたものになっています。 このとき不足してくるのが、反復し練習することです。それをこの基礎学力テストを機会に取り組んでもらうわけです。 合格することを目的にするべきですが、合否に関係なく副産物が得られるのが、この基礎学力テスト・試練の魅力です。 一生懸命に取り組むこと、そして、そうできたのだと自負できる自分でいること、それが準備です。 目的を達成するために、準備をする。決して怒られないようにするために準備をするのではないのです。 結果、楽しみにしてますね。
2014.05.09
今日はお休みを頂いていて、妻とも久しぶりに昼間ゆっくり話をした。 この仕事を経験しているからこそ感じる、「進路」の価値観。 妻と僕とはすごく対照的なものの考え方をするのだけど、この仕事、いやウィルで仕事をしなければ形成できないような価値観もある。 だからこそ妻との話は、保護者の方とお話をするような感覚で、少し新鮮だった(笑) 受験を考えていくうえで、ウィルという場所は、その生徒の能力に見合った学校というよりは、その生徒のそれよりも少し背伸びをしたものを求められるように、「学校名のブランド」という価値観ではなく、「自分自身に期待し、今どれだけ投資をできるか」ということに価値の主軸をおいて、日々生徒とのやり取りを行う。 それは僕だけじゃなくって、先生たち全員が意識して生徒と向かい合っている。 今、ウィルや僕を支えてくれている講師は、大学名も立派だけれども、高校名もかなり素晴らしいメンバーしかいない。 その学校に入りたい。憧れている。そこで〇〇がしてみたい。 そんな価値観をもって高校を選んだメンバーばかり。 正直、僕自身の高校受験での思いなんて、それから見たら、めちゃくちゃちっぽけ。 だからこそ与えられるものがあるんじゃないか。生徒の価値観の転換につながるんじゃないか。と信じ、生徒と接してくれている。 毎年、1~2名は自分の実力(実際にとれている偏差値)よりも低いレベルの学校を選ぶ生徒が出てくる。 最終決定はおうちでして頂くのが正解だと思うので、良いのだけど。 その学校に目的があるわけでもないのに、悩むことすらもせず目線を下げてしまっている。 「県立専門なんだから、全員県立合格できればいいじゃないか」とお考えの方もいるのかも知れが、それは違う。 商売と生徒の将来は天秤にかけるべきものではないから。 皆が上を向いて、人生の最初の壁である高校受験にぶつかることこそ、美であり、その子供たち一人ひとりの自己投資なのだと思う。 一見するとよさそうな据え膳ばかりを求めていては、先もそんな人生を送ってしまう。 塾側も、生徒が勉強しないとか、テストに受かってくれないとか、そんな目の前のことだけを見ていても正直意味がない。 おぼろげながらも見える目的地めがけて歩みを進めるしかないのだ。 だから、保護者の方に言いたい。お子さんに将来どんな生活をしていてほしいのか、なんとなくでもいいのでイメージを持ってください。 子供がそれを実現しようとするしないは別のことです。まずは、お子様にご家庭の軸を見せてあげてみてください。 それがウィルの考えとかみ合ったとき、ものすごく大きなパワーになっている例をたくさん見てきました。ゆっくり考える時間をみつけて、是非是非イメージを膨らませてください。
2014.04.23
クリスマス イブが終わろうとしている。今年のイブは、午前から妻子を羽田空港まで送り、帰宅後、ずっとPC⇔文章の作業を繰り返していたら、一気に時間が過ぎてしまっていた・・・入れたホットなコーヒー・紅茶は、例外なくキンキンに冷えてしまう(苦笑) そういえば昼・夜ご飯を食べ忘れているな。。。なんだか1人だと、食事を作るのが億劫になってしまう。でも食べないと、明日から始まる講習のためのパワーを蓄えられないか。 パワーといえば、休みに入ってからの数日の間は、今までの面談の事を整理していたのだが、そこで保護者の方々から頂いた、一言一言に改めてパワーを頂いている。 あんな事も、こんな事も、たくさん言ってもらえた。その殆どが、「うちの子変わってきたんです!」と言ったもの。これを糧に、本当にたくさん頑張ることができるのだ。 年を越したとき、そこにはどんな姿で生徒達が戦っているのか、想像するだけでも楽しい。中3ならなおさら!どんな表情を見せながら、年明け残りの57日間を過ごしていくのだろうか。 「来年の事言うと、鬼が笑う」なんて言うけれど、私の知る限り、鬼は某学習塾ウィルにいる塾長くらいなもんだ。(笑)子ども達の成長についてなら、来年の事をワンサカ話せって仰るだろう。 新所沢教室で迎える初めての入試。「自ら動き、自ら学んだものにだけ与えられる栄誉」これを手に入れるために必死に進むだけだ。 軸はぶらさない。 時間がどれだけなくとも、掴める物がこれだけ価値のあるものならば。・『将来の自分像から逆算して、今を考える人を育てる。』・『自ら学び、自らを向上させようとする意欲を育てる。』・『我々の手を離れても、更に成長し続ける人を育てる。』 こうやって戦っていく。 さぁ明日からは冬期講習が始まる。ウチの講習は必修ではないため、少ない人数での開講となる。ならば、各学年のチームの基盤を築いていこう。 よしっ!休憩終わり!準備に戻ります。
2008.12.24
小学生や中学生が、勉強をすることの意味は何だろう?「強いる」という漢字を使う事が、子供達に恐怖感を与え、親達に強制力を促しているのだろうが、要は、一般的に言われる「勉強」と言うのは、「学習をする」という言葉に置き換えたほうが良い。 子供たちが、「何で勉強ってしなければいけないの?」と聞く。「やらなきゃいけないから。」では勉「強」の域から脱しない。 では、何のために勉強(学習)をしなければいけないのか。当然、生きて行く上で最低限見につけておいてほしい、知識であるからなわけだが、それだけでは、ないように最近思うようになってきた。 我々日本人は、様々な変化の中で紆余曲折しながら、独自の歴史と言うものを作ってきた。私は、日本という国自体が、非常に特殊で優れた国家であると思っている。 海外で成功した政策や方法が成功するとは限らないし、諸外国の文化をそのまま取り入れれば、日本自体がより裕福になるわけでもない。 日本という国に誇りを持ち、自分の存在をしっかりと認める事が、この国を栄えさせる個人個人の役割なのだと思う。 そして先人達によって培われた、沢山の英知を学び知り、発展させ後の世代に伝えていくこと、つまりは先人達を尊び敬い、彼ら彼女らの存在の元に、自分が今生きている事に感謝をする。そしてそのことを大きな心の軸とすることなのだと思う。 自分よりも「前」の時代の知恵や常識を得ることが、「学習」だとするならば、自分より「後」の時代にそれらを発展させ伝えることが、「活かす」ということになるのだろう。 学校・会社・組織etc.が数値主義・利益主義になり、人間の存在や、人間同士のつながりが表面上のものになりやすくなった今、その流れを一気に替えることは難しいかもしれない。 だが、今「学習」する事の意味を、個人・家族のためのみならず、もっと大きなつながりのために、あるのだと考えられるのならば、更に重みを増し、多く吸収すべきものだと捉えられるのではなかろうか。 このことを、中学生になった子どもに親が伝えていく事は難しい。だから、私は少しずつ自然に、子どもたちの心に、このことを置いていきたい。 小さなお子さんをお持ちの方は、今のうちから、当たり前の様に話をしていく事をお勧めする。 「何て伝えれば・・・」そんな難しい事はしなくても大丈夫。「あなたのお父さんとお母さんはこんなだったのよ。」「あなたのおじいちゃん・おばあちゃんはこうだったみたいよ。」「あなたが産まれた時は、日本はこんなだったのよ。」「先祖はこんなお仕事をしていたみたいよ。かっこいいね。」 ・ ・ ・ ・ ・ ・「みんなが一生懸命生きてきたから、今のあなたがいるのよね。」と。 そうすれば、自殺や惨い事件も少しは減るような気がする・・・
2008.10.21
開塾前に描いていた「塾像」は、勿論、東所沢教室のような生徒と我々の関係のようなものだった。それは今も変わらず思っている事ではあるのだが、その塾の空気と言うか、その塾が空間として創り上げている『雰囲気』というのは、ウチの塾の場合、いつから出来始めたのだろう。 テスト前には、別に我々に教わる事を目的にするわけでもなく、教室がパンクするほどに自習生たちが集まり、切磋琢磨しあい、競り合うように結果を出し合っていく。中には仲良しこよしでやって、周りに冷たい目を向けられる者たちがいたり、その緊張した空気に最初は耐えられなくって、すぐ帰っていくものがいたり。 でもそうやって、ウィルでの自学のスタイル、つまり授業以外のところでの学習の伝統が、いつの間にか生まれていた。 考えてみればこんな『雰囲気』が出来上がったのも、第5期生の頃だろうか?「早く帰れ!」という言葉にも、「もうちょっと!あとちょっと!」を繰り返し続けたあの学年から、形になり始めたのかもしれない。 新所沢教室でも同じように5年かかるんだろうか? そうは思えない。だって我々はそんな空気を作る生徒たちを、目の当たりにしてきているわけだから、その空気を知っているわけだから。 ウチの自習のスタイルは、一般的な塾の「先生にべったり」というものからは、程遠いものがある。教えてくれと言われても、そう簡単には相手にしない。頭の中で知識や経験を使って、問題を沢山転がしたかどうかを計り、それによりどうするかを判断する。 最初生徒からは、「なんで教えてくれないの?」とよく言われる。でも、だんだんそんな事を言わなくなってくる。「空気」を読み始めてくる。この演出をするのに塾長は非常に長けている。 この「空気を読む」という、自習の『雰囲気』を、早くも新所沢教室の生徒たちは感じ始めているようだ。 勿論、入塾してそんなに経っていない訳だから、空気を読むどころか、言った事すら頑張れないものも中には入る。学年があがり、頭の中身が多少保守的になってくると、余計にそういう生徒に遭遇する事が多くなる。今日も一人約束を破った中3がいた。 個人的には何も言う気はない。でも知らせる事は、しなきゃいかん!身に覚えのない生徒は、いつ、どんなタイミングで、その生徒が攻撃されるのかを観察していて欲しい。自分がやられたら絶対やだろうから、そのタイミングで分かると思う。 話は逸れたので戻すが、本来なら生徒の出入りの少ない土曜日なのに、今日は沢山の生徒たちと顔を合わすことが出来た。そこから感じ取れたその新しい空気に、帰宅しそれを思い出すと、少し頬が緩んだ。 少しずつ求める塾の形が作られつつある。この形を作る大工さんは私ではない。大工さんは生徒たちだ。早く住めるものを作って欲しいな。我々はそれを応援するだけ。 伝統を作るのは君達です。楽しみにしてるね。
2008.05.18
久々の更新になってしまったが、今回は塾長に負けじと新所沢教室からの更新です(笑)塾はお休みでも、やることはいっぱいです。 G.W明け。中1・2の最初の授業で、「到達度確認テスト」が実施されます。現中2から、埼玉県の入試制度が変わることを受け、早急にシステムを構築し、導入したこのテストが、初めて実施されることになります。 このテストが持つ意味というものを、講師陣で共有し、各講師から生徒たちへ、その伝播されていきます。 学校の内申素点が、定期テストの点数だけで決まらないことは、もう埼玉県の方々は周知のことでしょう。一般的に塾というのは、その1部分であるテストの点数をとらせるための、指導をすると言うのが、一般的な見解でしょう。 だけれども、それだけを指導するには限界があります。テストは100点満点ですから、105点とか言う点数は取れないわけです。 そこで考えられた、この「到達度確認テスト」。学校の先生方が、成績を付ける上で、最も重要視する4要素を、全てこのシステムの中に、組み込めたんじゃないのかと思います。 もちろん今後、どんどん修正・改良を加えて、このシステム自体を成長させなければいけません。そのための第1弾でなくてはいけません。 よくありがちな、「生徒のために!」とか云々ではなく、当然我々の行うべきことを行う。それだけです。 このシステム。実際に体験する生徒たちは、どう感じているのでしょう? 宿題?課題?はたまた試練? 人それぞれ、思いは違うでしょうが、その心の強さが勝負の分かれ目となるわけです。しっかりと準備してきてね。 さぁ明日は、あるイベントに参加。どうも私の話す時間もあるとか。。。今日聞いたんですがね(苦笑)何でもいいから、自分の伝えられることを、しっかりと伝えられればと思います。 それにしても何話すかな・・・(汗)
2008.05.02
自学っていうものに、規格なんてものは無いと思う。周りがうるさかろうが、何だろうが自分の空間を作って、自分のすべき術を知っていれば、それが自学。 どれだけ静かで、空調バッチリで、周りのサポート体制が抜群でも、やる人間の意向とあっていなければ、それは最適な空間ではないわけだ。 自宅だろうと、学校の図書館だろうと、塾だろうと、極端な話ゲーセンだろうと。自分の空間を作れる奴が強いと言うだけ。 ゲーセンだと、強い意味が違うかもしれないけど(笑) 自学の形って、個々それぞれ違うんだけど、自学の形がまだ植え付いていない子供たちに対して、我々がしなきゃいけないことは、自学の形を見つけてあげることじゃなくって、自学の形を探すヒントを投げかけてあげる事。 例えば社会の出来ない子がいて、自分で、家でやっていると全く年号と出来事が一致しないとする。でも塾でちょっとした会話をしていて、それが繋がった時、その生徒は、自分一人でもその学習方法を試してみるのだと思う。 そのタイミングを沢山演出するのが我々の役割。 正直、今の教室の子供たちで、何のためらいも無く、我々にそのタイミングを出させようとしてくる生徒は、まだまだ少ない。 であるのなら、演出する我々を見させる努力を、我々はしなきゃならん。 今日も、その種まきを少しした。勿論昨日も、一昨日も、その前も。その種まき、保護者の方には、すごく感謝とか期待なんかをしてもらえる。しかもそれをお金に換算しようとする方も。「それで、それにはおいくらお支払いすれば・・・」 いりませんよ。僕は、現場にいながら経営者でもある。勿論、お金が入ってきたら嬉しいし、それが、会社の売り上げにも貢献できる。でも、そこじゃない。 数学と英語の授業をとっているから、「その2教科だけでも頑張って!」何て事は絶対に言わない。 一人ひとりの生徒にそれぞれの戦い方がある。それに少しでも気付いて、言葉をかけてあげられれば。それで良い。勿論、私も幸せな気持ちになりたいから、結果も出させたい。 だから、保護者の方に言いたい。結果が出てから、感謝なんかのそういう感情を持ってください。 まだスタート地点に乗っけようとしてるだけ。よーいドンはそのもうチョイ先。なれない環境に一人で、堂々と来られる小中学生なんて、逆に怖い。そういう輩は相当強いわけだ。 皆違う環境に入り込む事に抵抗を感じながら、その壁を越えて大きくなる。大きくなるには良いタイミングの生徒たちが、結構いる。 うん。今がいいんじゃないかな。お待ちしてますよ。
2008.04.25
新所沢で開校して早1ヵ月半。今まで東所沢でしてきた戦い方が、そのまま新所沢メンバーにマッチするわけはない。 これまでの蓄積と言うのは、相当の財産なわけだ。それは、目に見える得点という実績だったり、いつの間にか植えつけられた意識だったり。 その財産が、今のメンバーには、自分で戦ってきた実績以外ないわけだ。それこそ、自分ひとりで戦ってきて、ここまで来れているのだから本当に立派。 ここに変革を起こしたい。化学変化でも、突然変異でもなんでもいい。意識に何か刺激を与えたい。そしたら、どれだけ強くなれることか。 そんな事を考えていて、自分の中学校時代を振り返ってみる事にした。 小学校から中学校にあがった時の順位は、300人中97位。(なぜか未だに忘れない・・・)このときの感想。 「俺ワリと出来るやん。」小学校時代、劣等感の塊みたいだった自分が、上位1/3にいるわけだ。何か嬉しかったし、周りは大した事ない気がしていた。でもその嬉しさにつられて、中間も期末も自分なりに勉強した。 国語は、何をしていいかわからないから、ひたすら教科書を読み、漢字を練習した。数学は、一番手を抜いていたのかな・・・2週間前にワークを全て終わらせてお終い。理科は授業中も凄いアンテナを張って、一字一句聞き逃さないようにして、教科書を読んで読んで読みまくった。社会は、用語集と一問一答形式のテキストで、2週間前から、解いては確認、解いては確認。10あるうちの1を初日にやったら、次の日は1と2を。次の日は1と2と3を。次の日は1と2と3と4を。こんな感じで毎日、母親を使って深夜まで確認作業をしまくった(苦笑)英語は、教科書を丸まる覚えるくらいに読んだ。そしてワークを何度も解きなおした。こうやって、いまだにどうやって勉強したか覚えている。 その結果、一桁の順位が続いた。そうなると人間は欲の深いもので1位をとりたくなる。 当時、1位はF君がずっとその地位を維持していた。結局、私は一度もその順位をとることなく中学校を卒業した。 でも「奴に勝ちたい!」っていう気力と、「勉強は絶対何かの役に立つはず!」っという意識だけで戦っていられた。そして授業中は先生の一言一言を聞き逃さないように、授業に噛り付いていた。面白かろうが、面白くなかろうが。 要は意識だ。 「絶対に○○を成し遂げたい!」「絶対に○○に勝ちたい!」「絶対に○○で100点を取りたい!」「絶対いまやっている事は間違っていない!」「絶対いまやっている事は無駄じゃない!」 こうやって強く思えるかどうかで人は決まる。当時の僕は見事にコレに当てはまっていた。逆にこのことから意識がそれた頃から、点数があまりとれなくなった気がする。(高校2年位かな・・・) この意識の重みをしっかりと生徒たちに伝えたい。ちょうど来週はテスト1ヶ月前。いい投下時期だろう。この意識はこちら全員持っていなければいけない。だからスタッフも全員巻き込む。全員が、同じ方向を向いて進んでいけるように。 意識がものをいうことをまだ生徒、いや子供たちはあまり知らない。だからこそ効果がある。だからこそ力に変えられる。絶対点数をとらせてやる。 勿論、生徒自身の力で。自力で最高の結果を。
2008.04.19
たまには真面目な話もしてみようかと、3/1の開校説明会でも少しお話した事を書いてみようと思います 。 子供と言うのは、必ず何かに依存しながら生活をしている。コレは当然の事で、そうでないとご飯すら食べていく事が出来ない。だから子供の暮らしというものは、依存と甘えが表裏一体の状態で進んでいく。そうなった時に、それぞれの家庭の価値観、つまりは躾の基準と言うものが、大きな役割を担う事となる。ここにケチを付ける事なんて、他人は絶対にしてはいけない。だから、我々が生徒の親御さんとお話させてもおらうときに、「それはダメ!それは間違っている!」何ていうことは口が避けても言ってはいけない訳だ。我々が、親御さんにそういう面で言うとすれば、各御家庭の躾・方針に肉付けをする程度だ。例えば、進路に限らず「自分のことは自分で決めていく。」という教育方針をお持ちのご家庭があれば、今まで我々が出会ってきたご家庭を振り返りながら、経験則で、「お子さんはまだ中学生です。10年ちょっとしか生きていません。ですから何も基準の無いところからしたいことを見つけろと言っても、子供はドンドンドンドン後回しにしていってしまいます。ですが我々は大人です。お子さんの何倍も生きてきているわけですから、沢山の知識や基準を持ち合わせています。 それであるのなら、一番お子さんが信頼し、甘えて良い存在である親御さんが、将来お子様にどんな風になってほしいのか、簡単な事でも構いませんから、日ごろから意識して会話のどこかに入れていってみては如何でしょう?そうすると、子供は頭の片隅にあるそのものさしを使って、自分のことを決めていくのではないでしょうか。」なんて話してみたりする。この記事を読んでいる方の中にも、私にこんな事をいわれた方がいるかもしれない。躾や教育の基準を作るのが親であるように、お子様にとって基準として、最大限甘える事のできるのも親なのではないでしょうか。ですからお子様がもがき苦しんでいる時には、最後の砦となって、大きな懐に飛び込ませてあげて欲しいのです。では、我々はどういう存在であってあげるべきなのでしょう?塾という場所は、一般的にと言うか、勉強を教える空間である事が当然なわけです。であれば、質問に来た生徒に手取り足取り、その問題の解き方を教えて、「わかった」と言わせればOKなのでしょうか?塾の講師である以上、子供たちの持ってきた質問に、躊躇無く答えてあげられることは至上命令です。だから基本ほとんどの塾講師は、子供たちに手取り足取り教えられるわけです。ではウィルでも同じように質問に行けば、懇切丁寧に問題を解いて教えてくれるのでしょうか。答えは「NO!」です。我々はプロの塾講師として働いています。ですから、各生徒が「どういう部分でひっかかり易い」だとか、「ここから先は苦しいだろう」とか、そんな事は分かっています。勿論、問題の欄やノートを見れば、なおさら一目瞭然に分かってしまいます。ですから、ウィルのメンバーである我々は、便利屋にはなりません。分からない内容を気軽に質問に来られる様ではいけないんです。しっかりと頭の中で問題を転がして、いろんな引き出しを引っ張り出して、自分にとっての最上級の形をそこに残していなければ、教える事はしません。そこにこそウィルの特徴である定員制が活きてくるわけです。1学年に抱える人数が多くなると、どうしても待っていてあげられる絶対的な時間が減ってしまいます。以前、赤虎先生が書かれておられましたが、そういう時は必ずもう一問、目の前で解きなおしをさせる必要が出てきます。ウチはその代わりに徹底的に待ちます。本来ならば甘えられる存在である塾に、甘えという意味で「依存させない」。これが、我々が教務の柱として掲げている事です。子供たちは非常に順応する能力に長けています。最初はしんどいやり方でも、すぐにそれが当たり前になってしまいますから大丈夫です。現に、早くも新所沢教室の春期講習受講の中3は、「答えを出す事」よりも、「式を作ること」・「式の意味を見つけること」に、力を注げるようになってきました。量より質が大事なタイミングがこの時な訳ですね。今後もめんどくさがって、この軸がぶれる事はありません。必ずやこの形で、東所沢教室の9期生に負けないような結果を出して見せます。 最後、選挙の街頭演説みたいになってしまいましたね(汗)
2008.04.01
最近、杉並区の和田中学校が「夜スペシャル」と銘打ったプロジェクトを、26日から始めたいとか何とか・・・ 子供たちの人間形成や能力開発などを担う機関というのは、あちらこちらに存在している。個々に多種多様な考えを持ち、それに準じた手法で子供たちと接し、教育をしている。 「誰がどんな理念に基つき、どんな目的でそのことをしているのか」そんな事に正直興味はない。ただ将来の日本を背負って立つ子供たちに、場違いな、ピンボケした教育だけはして欲しくないと思う。そういう自分も他人から観れば、異質な観点を持っているのかもしれないが・・・ 今日も訳の分からない学習塾の塾長が捕まった。小学校からの教え子で、普通なら高校生であった女の子を、「このままでは大学に合格しないから」と、自分と同居をさせて・・・この先はニュースで確認して欲しい。こういう輩は勘違いとか、場違いとか、ピンボケとか、そんな位置にも当てはまらない、人間失格者なのだ。 話は逸れたが、私の考える自分の立場(塾関係者)の役割は、「学習をさせるという事」コレは点であったり、知恵であったり、教養であったり、将来のビジョンの構築であったりするのだと思う。 手法は十人十色。10の塾があれば、10のやり方がある。 そんな様々な塾の中で、私達の塾が、主眼として位置づけているものは、「将来」だ。コレに関しては以前にも書いているので、こちらの記事を参考にしていただきたい。 様々な塾を知っているが、本人と会い、その方のやっている塾のイメージが、自然と想像できる方が居る。 もちざくら先生だ。 現在、がっきー塾長と共に今の塾の名では最後の卒塾生を育てていらっしゃる。また、昨年の9月からはその塾と平行して、自塾「さくら塾」を開校された。 この方との出会いは、春が終わる頃から夏先くらいだったろうか。それ以来ずぅ~っと記事を拝見させていただいている。 実を言うと私の母校(高校)の先輩。若干、私から勝手に馴れ馴れしい態度を取らせていただいているわけだ。 そんな先輩の事を、こんな風に言うのも失礼な話かもしれないのだが、記事を拝見させていただいて、「あっ」と思うタイミングがあった。別に「この記事から!」とかそういうものではないのだが、先生の考えてる事が、すぅ~っと私の心にインプットされていくようになった。勿論、同感とか賞賛とか納得とかそういった形で。 今思えば、先生自身の覚悟が本当の意味で固まった時期だったのかもしれない。 9/9にお会いした時も、恐らく他の先生方が感じている、「もちざくら先生像」とは違う観点で、私は先生を捉えることができた。 その事で、現在がっきー塾長と共に戦っておられる様子も、さくら塾で子供たちと戦っている様子も、目に浮かぶようにイメージが付く。 非常に強い眼で、非常に心地の良いオーラで、それでいて、個々の存在意義を最大限に活かして、学ぶ事への、アプローチや楽しみ方をレクチャーする様子が手に取るように分かる。(実は分かってなかったりして・・・汗)先生に持つ印象のここから先は、本当に私の一方的なニュアンスでしかない。だから文としてもどう書けばよいのか分からない。 だから、先生に会ってこのことを直接伝えよう。奥様にも。飲めないお酒を飲んでもらおう(笑) 少し話は逸れてしまったが、要するに先生は自分の「役割」というものをきちんと理解しておられる。だから、恐らくそれ以外のことには手を出さないはずだ。記事を読んでいると、そのことがより一層感じ取る事ができる。 自分の生徒に対する「役割」を、理解し、疑うことなく進む姿は非常に格好がいい。勿論、私(ウィル)とは多少戦い方が違う。それでいて、興味をそそられ続ける。 早く再会したい。 チキンな先生に(笑)
2008.01.10
今日は、坂口憲二主演ドラマ「医龍2」の最終回だった。リアルタイムで見れない分、先ほどPCに取っておいたビデオで観た。どの回を観ても感じる事が要所要所にちりばめられている。終わり方からして「医龍3」もありそうで楽しみだ。 この最終回を観ていて感じた事だが、本当に色々あった。 親が子を思う気持ち。プロの集団が下す決定事項の方向性。プロ集団の信頼の形。etc。・・・・・・・・・・・ 正直観ていて予想通りの流れなんですよ(苦笑)ありえない事も沢山あるんですよ。坂口くんの演技も下手なんですよ・・・ でも色々と感じ取れる事が沢山あるんです。 今回感じた一番の事「スケール」。 「スケール」って言っても色々な種類がありますよね。ここはみなさんで予想してみてください。どんな「スケール」なのか。 で、私の感じた「スケール」っていうのと、その人の雰囲気・発言が被っている人が2人いるんですよ。 勿論、この世の全ての人としっかりとお話したわけではないので、この世に2人だけって事は間違いないく無いんですがね(笑) 結構近場にいたりするんですよ^^; この「スケール」に私自身は足元にすら及んでいないのでしょうが、私自身も「極小なスケール」を持ってたりするんですよ(汗) それが今のウィルの小学部にも現れている事ではあるんですが、思いがまだまだ弱いし、自分で作り出せるスケールで無いのかもしれません。 でも、やっぱり自分自身やってみたい事なんですよ。 くどいようですが、今の自分では到底無理です。スキルも、知識も、人間性も、包括力も、カリスマ性も、全て足りていません。 でもそこにたどり着こうとしてるから、今やってる事が大事だし、必要だし、資料となっていると思うんです。何も意識しなければ、これらの事もサラッと流れていってしまう事でしょうから。 人生の最後ではなく、人生の大きな山場を目指す事。コレをずっと心に持ち続けなきゃいけないんですよね。 次の校舎はその準備の準備くらいのものでしかないのかもしれませんが、コレがなければ夢見る事すら許されないでしょうから。相当な意気込みで精進します。 同時期に自分の城を構える方が、沢山いらっしゃいます。がっきー塾長先生、もちざくら先生、ハニ☆ハニ先生etc。 こういう軸の強い方と、肩を並べていられなきゃいけません。必死こいてその少しでも上を走って行きたいですね。 同志として負けられません。 追記 やっちまった・・・明日早いんだった・・・ 睡眠時間3時間切るなこりゃ・・・ おバカな塾講師でした(笑)
2007.12.20
今日は3人の3期生が塾を訪れてくれて、そのうち2人と話す事ができた。彼らも大学2年生。どこからどう見てもよくいる大学生の姿になっていた。 この2人を見ていて、感じた事がある。 一方は、税理士になるべくダブルスクールをしながら、両校の活動に積極盛んに取り組んでいて、彼女を作る暇も、バイトする暇も無いそうだ。 中学高校時代、彼はそこまで活動的でもなかったし、自分をそこまで追い詰めるような事はしてこなかった気がする。(もしやってたらゴメンね) その彼が大学生になって、ここまで自分を追い込み勤勉な姿を見せているのには、わけがあるはずだ。 勝手に分析してみた(笑)彼は高校受験の時、自分の成績よりも低いレベルの学校に入った。実は彼は、塾に入ってからというもの成績がぐんぐん伸びた。 では、なぜ実力よりも低い高校に行ったかと言うと、入塾のときに目標にしていた高校だから、もうそれ以上は望まないと言う事だった。周りがどうであれ、自分がしっかりとしていれば大学受験に不利はないと。 実際にはそんな事はなかった。高校生活を送っているうちに、周りの空気が彼を染め始めた。それに彼は気付くのが遅かった。 大学受験は結局第一志望ではなく、滑り止め(?)の学校だった。本人相当納得がいかなかったはずだ。「あの時こうしておけばよかった。」「あそこであっちの高校にしておけばよかった。」と。 彼は仮面浪人をも考えながら、その大学に入学した。そして最終目標である税理士に向け、勉強サークル、ゼミ、簿記など必死に勉強した。そして資格試験などで結果が出て、周りからも認められるようになった。そしてその周りの期待に応える事が力となり、今こうやって立派な青年に成長したのだ。 まぁあくまで推測(結構当たっているとは思いますが・・・)ですが、彼は気付かないところで、人に活かされ活かしているのではないでしょうか。大学で交友関係・人脈を広げ、そのコミュニティをこれからも広げ続ける事でしょう。そして将来、人に喜ばれ感謝される人間へと成長していくでしょう。 もう一方の彼、高校受験は最後の最後まで諦めず、何とか実力よりも少し上の附属高校を合格する事ができました。そしてある程度無難に成績を取り、系列大学に入学しました。 大学入学後、彼は附属時代の友人が多い事から、その友人達とより関係を強く持ち、学校生活を送りました。 そして今日出た言葉は、「友達に甘えすぎた。もっといろんな友達作って、 もっといろんなこと知っておけばよかった。 周りでY(上に書いた3期生)みたいに勉強してる奴なんて一人もいないもん! 大学生って自分みたいな奴しかいないのかと思ってた。 だって俺授業中、ドラクエ4とかやってて、ペンなんてしばらく持ってないもん。」まぁひどいですね・・・(苦笑)でもこんな大学生は相当数いるんでしょうね。実際、私自身も大学で何かを学ぶという態勢は整っていなかった気がします。「ただ卒業して就職できれば・・・」という、どうしようもない考えでいたような気がします。彼はYの話を聞いて言いました。「俺もちゃんと勉強するわ! あと将来何やりたいかも早く見つけるよ!」彼にとってYという存在が、彼を替えるきっかけとなる、重要人物になったのかもしれません。こういう自分とは違う生活を送る人を見る事が、大学生の一番の勉強なのかもしれません。 そして将来彼も、人に喜ばれ、人に感謝される人間となり、それで家族を養えるような、カッコいい大人になって欲しいものです。期待してるぞ、T! 大学はどんな使い方をしたって良い。完全に勉強をしにいく場所でもいいし、友達とつるむ場所でもいい。でもそれだけじゃなく、様々な分野の見識を広げ、将来、人を喜ばせる事で、自分自身そして家族を食わせていけるような、人間形成の場として使って欲しい。 人間の最終形は、高校に受かる事でもない。大学に受かる事でもない。大学を卒業する事でもない。就職する事でもない。 人を幸せにするという事なのだ。如何に大きな人間となり、パートナーや子供を包み込めるのかが大事なのだ。 自分自身にも言い聞かせながら・・・ 追記MN結婚するんやってな!おめでとう!しかも俺の誕生日に結婚式!なんてめでたい奴なんだ!奥さん幸せにしたれよ!
2007.12.18
今日は休みということもあり、返却された北辰の結果が気になるところだが、ゆっくりと先生方のブログを拝見していた。 その中で、私がブログを開始する前から、塾長ブログを通して知り合う事ができ、ブログ開始と共に、真っ先にコメントをくださった先生の記事をゆっくりと読み返していた。 今は病をわずらっておられる(笑)がっきー塾長先生だ。 先生の記事を拝見していて感じた事なのだが、この先生は、自分のことでも、生徒の事でも、塾のことでも、家族のことでも、『過去⇒今⇒未来』というものを徹底的に意識しておられる。いや、意識してるんじゃなく自然と思考回路がそのように働いているのかも知れない。 正直、この思考の組み立てを僕自身は自然とは真似できない。無理やり思い出して、根掘り葉掘り、消したい記憶まで思い起こして・・・って事しか出来ない。つまり、いい事しか覚えちゃいないわけだ(笑) 現に、自分の中学時代の成績を実際の数値よりも高く認識していて、帰省時に確認してみて落ち込んだり、昔から母親には「言うことだけは大きい」とか言われていた。 話を戻して、先生のそれらの記事に便乗(?)して、自分の塾での歴史を思い出してみた。 1997年大学に入学し、だらだらと寮生活をおくる。たしか6月だった気がするが、will塾長がジャン卓を囲んでいる我々の部屋に突然つかつかと入ってきて、「お前がTか?」とぶっきらぼうに言われたのを覚えている。これが私とwill塾長との最初の出会いだ。 勿論、当時はお互いに学生で、will塾長はバイトのスカウトに来ていた訳だ。スカウトと言っても、ホストやなんかの水商売ではなく、高級すし屋の後輩バイト探しだ。歴代その寮からバイトをする後輩を輩出していくのが、そのすし屋の通例でもあった。それで、まんまとその話に乗ったわけだ(笑) そこからは何というか、やっぱりだらだらと学生生活と寮生活とバイト生活を平行していた。恐らく当時の僕の事をwill塾長は、鼻にかかる奴だと思っていたに違いない。絶対にだ!! すし屋の中でもwill塾長は旦那さん派、私はお上さん派だったし、仕事内容もどちらかというと、will塾長が店内派、私が外派だったと思う。それに何せ根拠の無い自信に私自身満ち溢れていた(苦笑) それから、何年か経ち塾長は就職活動・内定ととんとん拍子に就職が決まっていき、学生時代から一校舎を任されることとなった。そこでまたもバイト話が飛び込んできたわけだ。 大学3年のある日、私の当時いきつけの飲み屋に呼び出され、昼間親知らずを抜いて、腫れた頬をしながら、塾長は私を口説いたのであった。 当時の私はといえば、「人数集めりゃ儲かるんでしょ?」といった感じで、子供がどうの、教育がどうのなんてことは全く考えていなかった。だからこそ今うちにいる時間講師達には頭が下がる思いなのだが・・・ 非常に苦しい時期を経験しながらも、バイトから役員となり、計3年が過ぎた頃からだろうか、今だからカミングアウトするが、やっとこさ生徒が一番になり始めた。仕事自体に興味を持っているわけでもなく、子供が好きなわけでもない、この業界に全く不向きな男が、少しまともになるまでには時間がかかった。もちろん教務的にも足を引っ張った事もあった。 そこからは色々試した。「こうやって教えたらどうだろう?」「ああやって教えたらどうだろう?」・・・・・・・・・・そんな事、関係ないことに気付いたのも何年もたってからのことだ。 そこからは、今の自分がちょっとずつ出来上がってきたわけだ。 言い訳をさせてもらえば、塾業界の先輩もいない、授業のイロハも知らない、社会のイロハも知らない、そんな大学生だったわけですから・・・逃げました。・・・ハイ。 コレらの事を見てきても、今の学習塾willって言うものが出来てきたのは、will塾長の力・発想・勉強が絶対的な前提としてできてきた事がわかる。 正直嫉妬もしますよ。だって根拠のない自信はありますから(笑) ブログで日本一とったり、生徒に一番慕われたり、保護者の方から信頼されたり、色々な凄い友人がいたり・・・ でも、前提条件として塾長はいろんなことをやってきてますから。 じゃあこう考えるのはどうでしょう。次は、私が未知の領域に足を突っ込んでいくのは。 新校舎を任せてもらえるのも、そのためのシナリオなんじゃないかって。 学習塾willって言うものが、更に大きく羽ばたくきっかけ作りを、私がしたって良いんじゃないかって。 塾の世界では不良であった私が、何か凄い事を出来ちゃうのも、willの歴史の一ページになるのではないでしょうか。 いやいや2・3ページは割いといてもらおうかな(笑) なんか身内を褒めていて、自分でも気持ち悪いのですが、こんな事があってもまた面白いですよね。お許しください。
2007.12.13
「私がこの大学に入学したいと強く思ったとき。私の偏差値は、そのときの年齢と同じでした!」 コレは先日、中2の生徒を連れて早稲田大学の学園祭にいったときに、最初に聞いた言葉でした。 高田馬場駅からバスに乗り、早稲田大学正門前で降り、大隈講堂の前の人だかりに自然と身体が吸い寄せられました。 そこでは、「早稲田王決定戦」というイベントが行われていました。決定戦とは言っても、内容的にはくだらないことをやっていて、そこで優勝した人のコメントがこの言葉でした。 つまり今年の「早稲田王」の早大生です。 この早大生は高校3年生のとき始めて大隈講堂をみて、「絶対この大学に入りたい!」と強く感じたそうです。 しかし当時の偏差値は年齢と同じ。つまり、18(存在するのか???) それから四浪を経て、めでたく早稲田大学に合格したそうです。 別にこの人が凄いとか、誰でも勉強すれば早稲田には入れるとか、そんな事が言いたいわけではなく、 どんな状態の人間だって「思い」で生まれ変わることが出来るんです。 正直、この早大生の入学までの過程は褒められたもんじゃないと思います。ですが、彼にとってこの「思い」こそが、人生を大きく変化させ、自分を変化させ、更には周りまでを変化させた、大きな大きな根源なのではないでしょうか。 我々、塾業界に生きる人間にとっても、ここまで突拍子もない思いではなくとも、コレに近い思いを持った子供たちを沢山見てきています。 そういう生徒達は例外なく、自分で納得できる受験を、人生での岐路を選択・実践できています。 そんな生徒の顔を思い浮かべると、皆、強い眼差しをした表情が脳裏に写ります。 そして、昨日行われた北辰会場テスト。今日、自己採点の結果が次々と報告されました。 偏差値70オーバーの可能性を持つ生徒たち。回を重ねるごとに数値に厚みの出てきている生徒たち。受験する度に、表情が凛々しくなっていく生徒たち。こんな生徒たちは皆、強い「思い」を表現し続けてきている子たちです。 逆に、「思い」のない生徒も若干見受けられます。 自分の状態に焦るのではなく、人が焦っているところを見て、おいていかれた状態を焦っている生徒です。 今日の中3の授業の冒頭、北辰を終えて気が楽になっている生徒たちに、私は珍しくこんなことを言いました。 「思いのない、心のない奴は、志望校を持つ資格なんてあらへん!気持ちを強く持てへんのやったら、ちゃんと気持ちを持ってる子達に合格の椅子あげろや!そこに座る必要も資格もお前らにはあらへん!」 こんなこと学校の先生が言ったら、ブーイングの嵐でしょう。ですが、「思い」を強く持った生徒は、自分に言われていることでないと、すぐに察知していました。 逆にそうでない生徒は、いつもにも増して緊張した表情で授業に臨んでいました。1時間の延長もさして気にならない様子でした。 結果、私の言葉に「ドキッ」とした生徒は、過去問の出来も、演習の出来もいつもより良かったような気がします。 当然、一瞬の心の強さで、良くなるものを、常日頃から心に持ち続けたライバルに勝てるわけがありません。 今日の授業を通して、何かいつもと違う居心地を感じたのなら、ひょっとするとそれは、うわさの「思い」なのかもしれません。 戦う「心」を、戦う「思い」を、そして「誇り」をここにかけるんだ。君達なら絶対に出来る!保証する!さあ行こう!
2007.11.05
最近、「クローズノート」という映画の番宣のためか、沢尻エリカが良くバラエティ番組に顔を出しているのを観る。正直、がっかり。。。 15歳のときからテレビ・映画出演し、長澤まさみやら、戸田恵理香やらなんやらと、若手の女優さんとして、人気をはくしているので、なかなかの人なのかと思ったら・・・ 番組での様子はワザとではなさそうで・・・ というのも、ナインティナインやキンキキッズと番組に出ていたのだが、彼女のしゃべり方が「う~ん」と呻ってしまうほどなっていない。あんな女優さん見たことない。 とにかくヒドイ。悪口みたいで書くのをやめようかとも思ったが、同じようなことが身近でもあったので書くことにした。 それは、前回の内装デザインの会社の方との打ち合わせでのこと。 いつも私を担当してくださっているAさん。その会社でデザインを担当されていると言うBさん。電気系統などを扱うCさん。の3名の方が現場調査に来てくださった。 Aさんとは2度お会いさせていただいているが、非常に物腰柔らかく誠意に伝わってくる方だ。年齢は30歳前後位。 今回、BさんとCさんには始めてお会いして、BさんはAさんよりは年齢が少し上と言ったところで、Cさんは40歳前後と見られる。(あくまで年齢は全て予想だが・・・) 現場調査+打ち合わせが始まると、Bさんが話し始める。「今日は、現場のものを連れてきてますので、細かいところの調査をさせて頂きますね。」そして、二人に「ほら。もう上行っていいよぉ」 違和感を感じる。 年齢ウンヌンではなく、客を前にして、さして年齢の違いのない部下(?)と年上に強い口調で指示をする。上下関係を客に明確にすることも大事なんだろうが、それより客が違和感なく気持ちよく 話をするためには、自分側の人間にも敬意を払う姿を見せなければいけないのではないだろうか。 ちなみに、この上下関係を表すかのような会話等は最後まで続いた。 良く考えてみると、内装デザインの会社の方々皆さんに共通していることかも知れない。以前、新校舎を見ていただいた方にも、こんな素振りが見えた。 一般社会では普通のことなのだろうか? うちの会社では規模が小さいながらも、生徒の前・保護者の前だけでなく普段から、基本時間講師の先生方にも丁寧語で話している(つもりだ)。 物事をお願いするときも丁寧にお願いしているつもりだ。 そのせいか部下だろうがなんだろうが、粗雑に扱うのはどうなのかと思ってしまう。 少なくともお客の前では・・・ 同じことが子供達にも言える。 場を弁え、空気を読む力を付けてあげなければいけない。 人の表情を読む。 人の感情を読む。人の雰囲気を読む。 最近では、家庭でも学校批判・教師批判が行われているようだ。親が、学校や教師を悪く言ったら、子供もそう言うものだと思い込んでしまう。 勿論、一般的に観て少しオカシイと思われる教師がいることは事実だが、それでも、学校の先生にある程度の権限・絶対性を持たすことは、クラス、そして学校というミニ社会を形成する上で非常に大事なことである。 子供に一つの価値観だけを植え込むのは避けて欲しい。 分かってますよ、ヘンな先生もいますもんね。 でも、それが社会なんです。 悪口言ったって、批判したって、攻撃したって、その学校を良い方向に変えることなんて、ほとんど無理に等しいんですから。 学校の体制を整えるのは、生徒一人ひとりの家庭です。 どうか、クラスをそして先生を変えたいのなら、クラスの保護者会なんかで、「先生を助けよう、バックアップしよう」と言うところから始めてみましょう。 攻撃だけが、何かを変えるわけではない。 相手の感情・感じ取り方、その場の雰囲気を変化させるには、どちらもちょっとした気遣いから始まるのです。 学習塾ウィルは、そんな保護者の方々に支えられて、日々成長している。 保護者のみなさま、今後とも宜しくお願いいたします。 そして、新校舎にもこの雰囲気を持ち込めたのなら、もう一つ最高の塾が出来上がるはずだ。
2007.09.24
人の生き死にとは儚い物で、人の誕生、逆に人の死に対面するとき人は何かを考える。 私の父方の祖父が亡くなって、2ヶ月半が経とうとしている。祖父は、93歳で亡くなった。大往生だ。 祖父の死を機に様々な光景を見た。 私は小学生の頃、両親が共働きであった事もあり、学校が終わると自宅ではなく、 なし畑を挟んで向こう側の祖父の家に帰り、母が仕事から帰るまでの何時間かをそこで過ごした。 ヘビースモーカーだった祖父は、何も語らずテレビを見つめながら煙をくゆらせていた。当時の大相撲は千代の富士が最盛期で、私も大好きだった。小学生の何年間かで、千代の富士の歴史も垣間見えた。後の大横綱となる貴乃花とのあの歴史的な取り組みも祖父の家で観戦した。 そこには、私と祖父との間に平穏な空間が作られていた。 祖父は、岐阜の生まれで若い時分、岐阜の養老から歩いて三重県四日市まで来て、目ぼしい土地を捜し求めて、歩いて回ったのだと言う。今じゃ考えられない。そして見つけた土地でなし園を開き、それで生計を立て5人の子どもを育てた。愛想のある人ではないが、遠くからなしを楽しみに買いに来るお客さんを、とにかく大事にした。かっこいい人だった。 祖父の亡くなる2ヶ月前、私は祖父の入院する市立病院にお見舞いに行くことができた。ちょうど食堂で昼飯を食べていた祖父は、薬のせいか少し顔も身体もムクんでいた。「ひさしぶりおじいさん。」という私の言葉に、コクリと祖父はうなずき、しばらく沈黙の時間が続いた。 「わしは長く生き過ぎた・・・」 言葉が出なかった。涙を流しながらも、必死にこらえようとする祖父の姿がそこにはあった。 祖父の初めての涙。 あとで父に聞くと、泣いている姿なんか見た事ないらしい。 そのあと父と一緒に、祖父の頭を刈り、ベットに戻ると、「気にせんでエエから、もう帰り。」一人で歩くのも、ベットに一人で寝転がるのも、寝返りするのもままならない祖父が、昔と同じように、テレビを見つめながらそう言った。 帰りに父と喫茶店でコーヒーを飲んだ。これも初めての経験だ。いつもは、食事を終えるとすぐに店を出たがる父が、その時は、ゆっくり落ち着いた様子だった。 「覚悟しとけよ。」 その言葉を私に伝えたかったのだろう。父も認めたくないことだ。時間がかかった。いつもはあっけらかんと物事を話す父の姿はそこにはなかった。 その2ヵ月後、祖父は命を引き取った。あの時会いに行けて良かった。 葬儀の席で喪主を務めた父は、「我々子供達から見たら、父は永遠のように思っておりました・・・」言い終わるか終わらないうちに泣き崩れた父の姿があった。 私が父の涙を見たのも初めてだった。 祖父を手本に生きてきた父にとって、どれだけ悲しいことか、子供の私にも計り知れないほどだろう。 人の人生には壮大なドラマが存在し、それを取り巻く人々にも、それぞれにドラマがある。そのドラマにどんな形であれ影響を及ぼすことが出来たなら、それは、最高のことなんだと思う。 我々のように子供を相手することを生業としているものとしては、その子の人生に何かしらのエッセンスや影響を及ぼしてあげたい。「もっと広い世界があるんだよ。」「もっと可能性を信じてもいいんだよ。」「立ち向かうことはツライことではなく、楽しいことなんだよ。」そんなことが子供達の心にきちんと伝えられれば・・・
2007.09.17
もちざくら先生がメンタル指導について記事を書かれている。これに付随して私も少し書いてみることにした。 メンタル指導の一番のポイントは「自主性」であると考えられる方が多いようだが、その「自主性」を導き出すのも、10~15歳くらいの子供達と接する、我々の義務なのではないだろうか。 基本的に小学校高学年や中学生にとって、自ら率先し、人から何かを学び取ろうとし、目に見えて動くと言うことは、少し周りの目を気にしたり、カッコいいことではないと捉えているのではないだろうか。 自分が中学生くらいの頃、そんなに率先して室長や生徒会役員など、表に出なきゃいけないものは、敬遠してはいなかったろうか。「自主性」とはそれほど表現することが難しく、そして崇高なものなのだ。 その「自主性」を子供たちに実践・習得させるためには、何かしらの要素・きっかけ・応援態勢ができていなければいけない。 もともと自ら動くことに抵抗のある子、一般的に言う「受身」の子供達は、『成功体験』・『そのタイミング・場所』・『大人からの評価』に乏しい。 であれば、「まずここで成功してみよう」そして「成功に向けてこれをしよう」。結果が出れば、「この結果は、自分の力で掴み取ったものであること」と伝え、どれだけ成長し結果を出したのかを、具体的に表現してあげる必要がある。結果が出なくとも、行ってきたことを評価し、具体的なプラス要素を明確にしてあげることが必要だ。 ここでドツボにはまりがちなのは、「やっても結果でないじゃん!」と思わせてしまうこと。だから、失敗したらしっかりまず大人が分析して教えてあげる。なぜなら、実はこういう子たちはまだ分析の仕方すら知らない。だから、「これからこんな目にあったら、こう考えなさい。」とお手本を用意しておく。 これを短いスパンで繰り返し行って成功体験できないわけがない。出来ないとすれば、それは指導する大人の責任である。 こんな風に成功体験をしたら、たいていの子供は恥ずかしいなんて思わなくなる。思っていたとしても、知らない間に、しっかり考え行動するようになっている。 「気持ちを高めることがどれだけ大事だ。」とか「点数を取らなきゃだめだ。」と大人が言っても子供が理解できるはずがない。だって大人と子供じゃ知識の量も経験も違うのだから当然。 だからこちらの立ち位置をかえて、その子が自然と通る心の道の沿道にそっと立っていれば良いのだ。「それでいいんだよ、さあ次はあっちに進もうか。」と応援すれば良いのだ。 とにもかくにも、大人が子供を求め、信用・信頼することが、一番のメソッドであろう。
2007.09.15
先日、時間講師何名かに久々に模擬授業をしてもらった。 現在、数学科で、つまり私の直属の部下として働いてくれているsatea.もその中にいた。(サミット参加の方!あのsatea.です!)今回の模擬授業の教科は英語。つまり、現在satea.が担当している教科の数学ではない訳だ。 結果 なかなかやりよる。 内容としては、不定詞の導入の部分。英語講師の力量が問われる大事な単元。しかも導入。 正直、意外だった(笑)英語科から離れて1年前後、よくもまぁコレだけしっかり出来るもんだ。 採点項目としては、赤虎先生がアップされていた、模擬授業のチェック項目を参照させていただいた。 しかし、授業に入ってみるとそれらの項目でのチェックは、2分で終了した。大体、どれだけ厳しい方が見ても80点はつくであろう内容。3分目からは、satea.の「人間性あらさがし」の始まり始まり~w このタイミングで、こんなことを言われたらこのタイミングで、ずれた質問をしたらこのタイミングで、わざとイライラさせることを言ったら ・ ・ ・とにかく、「自然」にいじめてみた(笑) ここについては、予想通り授業後、少し話しもしたし、少しずつ変化していけばいいことなので、全然OK! やっぱ、沢山考え、沢山悩み、沢山前進する機会を得ている人間は違うな。前回のサミットも、彼の中に何か芽生えるものがあったに違いない。また、サミット後の愛夢舎佐々木塾長とwill塾長との対談に参加したのも、何かを得られないはずがない。 明日も、楽しみにしとるな。satea.大先生! 追伸 「ユダヤ人」宜しくな!
2007.09.13
我が塾の生徒達の中学校は2期制ということもあり、夏休み明け5日から1学期(前期)の期末テストが始まる。中3にとっては、部活の県大会・100問テスト(笑)・北辰テスト・定期テストと怒涛のように、イベントが押し迫ってくる。そして、ついにこの時期最後のイベント定期テストがやってくる。あと少しだ!必死に喰らいつきや! 今回は中3ではなく、中2のある女の子同士の話から、「ほんとマジでやばいんだけど!ほんとにビビってるよ…」「ホントホントそうだよね。でもAちゃんは凄い勉強してるから大丈夫だよ。私はホントにやばいんだよ・・・」「私も一緒だよ、Bちゃん・・・」そんな不安の声を聞いた。 その二人は運が悪いことに、私のいる前のカウンターのところで話をしていた。勿論、乱入。この二人の『ビビリ』には決定的な違いがあった。 Aは、2ヶ月ほど前から準備をはじめ、勉強をしているしていないは別にして、学ぶことに接してきた。毎日塾に来て、我々と話しをして、気持ちをもりあげて。「私は今からやらないと、他の子達と同じようには点を取れない。」そういいながら、せっせと塾に足を運んでくれた。そして1ヶ月前(つまり講習前半)から、学びモードのギヤを1段上げて、今の状態に至っている。だからこの子の『ビビリ』は、「こんなにやってきたのに取れなかったらどうしよう…」である。現に今日も「時間があってもあっても足りない」と貪欲さを出していた。 「人より劣るならば、人に勝るだけのことを繰り返さなければいけない」このことを彼女は、自分で見つけ実行している。 はたまたBはと言うと、こちらも非常に真面目な生徒。従順に我々のことに従い。点数をとりたいと強く望んでいる。立派だと思う。でもAとの決定的な違いは、「人より沢山やっても私は点数をとれないんじゃないか?」と心の中で思っている。頭の中で、100点から自分の出来ないところをどんどんマイナスしていく。行き着いた先は「半分も出来ないんじゃないか・・・」 漠然としたマイナス思考が彼女の点数にストップをかけている。だから我々から見れば、要所要所で甘さが見える。本人は潜在的に思ってしまってるところだから、自覚できない。 そこで私が言ったこと、「Aちゃんはやってきたからビビってるわけやん。100点分やったつもりやけど、どっかアカンところがあるんじゃないかって。Bちゃんはいつも言うけど、マイナス思考過ぎる。でもそれはどうしょうもないから、それでいいよ。でも、勉強するときはこうやって思って勉強して。良い?まず自分の能力を0点からスタートする。例えばコレが理科のテストやとしよう。電流計の読み方が分かったら3点、電圧計の読み方が分かったら3点、静電気の起こる仕組みが分かったら5点、心臓から出て行く血管が動脈って覚えたら3点、心臓に戻ってくる血管が静脈って覚えたら3点、キレイな血のことを動脈血って覚えたら3点、キタナイ血のことを静脈血って覚えたら3点、 ・ ・ ・こんなことしてったら、全部で何点になる?たぶん全部こんなことしたら300点くらいになるはず。300点分覚えたと思ったら気が楽になるやろ?そんで、気が楽になったと思ったら、もう1回不安になるから。そしたらAちゃんの今の気持ちと同じになれるから、まだやらないかん気がしてくるよ。そこまできたら、もう間違いないから。」 すぅ~っと彼女の強張った表情が解け、「そういう考え方もあるんだ!」って表情に変わった。 自分を減点することから始めるのではなく、自分に加点することを徹底して欲しい。それを出来た子は絶対点数が取れる。イヤでも取れてしまう。 まぁ信じてやってみなよ。 あなたの周りのポジティブシンキングな○○ちゃんが点数とれる訳が分かったでしょ? 追伸今日、模試の結果を持ってきてくれた卒塾生のYちゃん。落ち着いて結果を見ている時間もなくてごめんね。でも、凄い数字やと思うよ、それ。確か、全国平均よりも学校平均の方が高かったよね?その中で、もまれてもまれて強くなってな!数学のクラスもあがったみたいやしね。たのしみだぁ~。結果報告ありがとうね。 他の卒塾生に告ぐ!模試の結果・学校順位の結果の報告に来るように!(笑)俺ら、めっちゃ楽しみにしてるんやから!Aちゃん!約束守っとるか? アヤシイナ…Fも、あれからどうなってるんかいな…
2007.09.03
ここ10数年で「フリーター」とか「ニート」なんて言葉が世を賑わせている。高校卒業後、大学進学後、大学卒業後etcいろんなタイミングで、この存在になれるチャンスが訪れる(苦笑)誰もが思っていることだろうが、今この状態の日本は相当マズイ。 働く意識がない。学ぶ意識がない。何かしてやろうという意識がない。ナイナイだらけで欲しいのは、はき違えてしまった自由な時間と空間だけ。他にもあるのかもしれないが、私には想像すらつかない。 こんな人達にその親御さんたちは、「自立して欲しい」なんて、よく言っているのをテレビでよく見る。「自分が間違った育て方をしてしまったのかもしれない」と、反省しながらも、諦めではなく、切に願う様子が親御さんたちからは感じ取れる。 「自立」って言葉は非常に難しい言葉だと私は思っている。小中学生のお母さん達と面談をする中で、「なんでも言われないとできないんですよ。もっと自立して、宿題でもテスト勉強でもして欲しいんですけどね・・・」とか、「志望校は本人の行きたいところでいいです。何も口出しはしません。」と言う声を良く聞く。 「自立」と聞いて皆さんはどんなイメージがが思い浮かぶだろう。「親に言われなくても何でも自分で出来る」と思われている方が、沢山いらっしゃるのではないだろうか。僕個人の意見だが、それは「自立」ではなく「自主性」というのだと思う。そして、その「自主性」を子供に伝えると子供達は、「自立しろ」=「勝手に何でもしていい」とはき違えてしまう事が多いように感じる。 僕の思い描く自立とは、「自分で行動し、決定していく事」である。自分の行動に責任を持ち、自分で生きていくためのお金を稼ぐために決定を行う。簡単に言えば、「生きていく為のお金が稼げること」だと思う。 だから高校卒業後でも、大学卒業後でも、働き始めると同時に、そこから先はイヤでも「自立」しなければいけないと思う。 ですから、小中高(大)時代というのは、「自立し人生の決定が出来る大人」になるための準備期間であるべきだと思う。 準備期間であるのだから、親御さんは「好きなようにやっていい」なんて言ってはいけないはずだ。世の中のことに対して非常に知識の少ない子供達に、「好きなようにどうぞ」では無責任すぎる。 だから親御さんは、子供達に「こんな大人になってほしい。」「こんな仕事があるみたいだよ。興味ある?」「この人の行き方カッコいいね。こんな大人になれたら良いね。」「この高校(大学)には、こんな凄いところがあるみたいだよ。」なんて言って欲しい。子供達の選択できる幅を広げてあげなければいけない。そこから、子供達の「自立」への一歩が始まるのです。 普通、「子供が選択する事」=「親はイマイチだ思う事」になってしまうことが多い。それでは、親も子も後で納得できないことになりかねない。「あの時こう言っておけば・・・」「あの時こう言ってくれたら・・・」せっかく親子になれたのだから、子供が大人になったときに、お互いの理想の姿に少しでも、イヤ、理想すらも凌ぐ姿になっていて欲しい。 ですからお父さん、お母さん、いっぱい子供達に期待してあげてください。 そしていっぱい話してあげてください。そして、目を離さずずっと見守ってあげていてください。 昨今の中学受験ブームで、私立中学校の望む生徒像に、「自立していて、落ち着きのある子」とあげている学校が多く見られる。 そんな、出来上がってしまった子供をその私立中学は、どこまで成長させてあげられるのだろう?その子の能力に頼った実績作りをしたいだけのようにしか、どうしても私には思えない。 自立する心、自立しようとする心は大事だと思います。ですが、「自立するタイミング」を見誤ると大変な事になることも覚えておいて下さい。 PS明日は受験一発目といっても過言ではない北辰会場テストの第4回!!生徒の「自立への準備材料」とするには絶好の機会。勿論、私達もそうなるように、生徒達に寄り添ってきたつもりだ!必死に喰らいついて来い!!第8期生たち!!
2007.09.01
8/28は、夏期講習の〆に、中3対象の『鬼の100問テスト』(英語)が行われる。って言うか、今やっている(笑)昼過ぎの最初の受講から、そろそろ11時間がたとうとしている。この「100問テスト」は英語科のイベント(?)なので、正直数学科の私は蚊帳の外… 混ぜてもらいたいけど、採点するのにも、英語には自信がない…生徒の合格・不合格が懸かっている。安易に手を出すわけにはいかない。っということで、例年のことながら、まだ合格していない生徒とwill塾長(satea.もまだいるのかな?)を残してオオトノゴモる事としました。 今年も、沢山の卒業生達が差し入れやら、激励やらに来てくれました。 その来てくれた卒塾生のうちの2人に相談事をされました。ちょうど夜通し行われている「100問テスト」にも通じるものがあったので、彼らに伝える意味も込めて記事にします。ちなみに、will塾長主催「鬼の100問テスト」の本当の意味・狙いは塾長ブログにてどうぞ!!「将来を探ること」このことについて、2人の相談の内容は違えど、行き着く先はココだった。今どうしたい?今どうなるべき?そんな事をひたすらに考えたところで、目下の目標は「真の目標」にはならない。受験を控えた生徒がよくこんなことを言うらしい。(ウチの生徒は訳あって言わないのだが)「○○高校に合格したい!」「△△中学に合格したい!」その気力・目先の目標のみを頼りに、塾などでは受験に向け学習指導をするらしい。 そこでそんな生徒に、一言いってみたい。「なんで?」たいていの子供達はそこから先について、考えてもいないし、考える必要があるとも思っていない。それは、その子を取り巻く環境の中にいる大人の責任だ。 「将来こんな人になってほしい」「人間性に秀でた人になってほしい」そんな理想を子供達に伝え続けなければいけない。ウチの塾(私)では一貫して、「将来、自分ひとりで物事を判断し、決定できる人間になってほしい」「人に力を借りようとも最後は、自分で決意しそれに突き進む人間になってほしい」と伝えている。 将来の自分像を子供に描かせ、そこから逆算して、 30歳の私はどうなっていたいか。そのために、20歳の私はどうしているべきか。そして、そのために18歳の私は何を決定すべきか。そして今、15歳の私は何をすべきか。 そんな事を考えるべきだ。勿論、「幼少期から、こんなことを考えながらお前は生きてきたのか?」と言われると、答えは、「No」だ。でも、だから分かったことがある。なんとなしに生きてきた人生を振り返り、今目の前にいる子供達に、「なんとなしに今を生きて欲しくない」そう強く思うわけだ。「自分の出来なかったことを子供に押し付けるな!」そんな事を言われるかもしれない。でも、自分がしてこなかったから、気付き、思い知り、間違いなく子供達が大きく成長できる術なのだと確信したのだ。 とにかく将来を見ろ!自分の周りの環境がそれを許さないのなら、まずは実績を出せ!実績は小さなことからの積み重ね。小さなスパンの実績を重ねることで、実績を重ねることが当たり前になるはずだ。そして、その実績のベクトルを、なりたい自分の像へ向けていけばいいだけのこと。 最初から大きな結果だけを求めるんじゃない。小さな箱を積み重ね、大きな大きなピラミッドを作るんだ。 今どうしたいかではない。今は、友達と夜遅くまでつるみたい、勉強したくない、親の言うことは聞きたくない…そんなん皆そうやん!でも、その生活の中で、将来絶対になっていたい物を見つけようと思っているのと、いないのでは、本当に将来、ひとりの人間として大きな差がついてしまう。 俺もこんなこと考えながら学生生活を送りたかった。君らにはまだまだチャンスが残っている。って言うか、わんさかでてくるはず。それを楽しみなさい。 不安になったら、いつでもおいで。一人で決められなくなったら、いつでもおいで。何か決められたら、いつでもおいで。 「俺もう卒塾してんだし、塾に頼り過ぎないようにしなきゃね。」そんなん言うなや!悲しなるわ!いつでも来い!話ならいっぱい聞いたるから。って言うか聞かしてくれ。お前らの1個1個の成長を、俺に感じさせてくれ。 Rへ ちっちゃな実績をいっぱい出すんやで!分かったな! Aへ 目的を見失ってるだけ、いろんなものにガッツイテごらん!できるよね!楽しみに待っとるから。
2007.08.29
本日の中3の授業で「イメージトレーニングと自己分析」第2弾を行う!自分の経験上、「こんな感じで数値がそろうな」というものは想像できる。それを、子供達がどう解釈し、先にぶつけて来るのか、非常に楽しみだ!前回、気持ちを高められないままテストに突入してしまい、失敗に終わってしまった生徒達の、巻き返しに期待だ!頼むよ皆! しかしながら、ウチの中3の在籍する片方の中学校のサッカー部が、県大会出場との事で、今日は15時から練習がある。選抜クラスのサッカー部2人は「部活の前に絶対来ます!」と言っていたが、普通クラスのサッカー部2人は、授業と部活がもろ被り・・・ この二人は、前回両極端な結果を出した生徒で、普段は、偏差値50にいくのが精一杯の生徒と偏差値55は常に越えてくる生徒で、第一弾では、前者が偏差値58の大飛躍!この方法にきっちり順応してくれた。後者はまさかのギリギリ偏差値50越え…相当参ってた。この、対照的な二人に第2弾を受け、なにか「気づき」ならぬ「確信」を与えたかった… でも、中学最後の大会! 思う存分戦わなければ必ず後悔するときがくる。今は、そっちに全力を注ぎなさい! とわいえ、県大会で勝ち進むと受験一発目となる、9月の北辰も受験できないとか…頑張れとはいったものの、他の生徒が4回勝負できるところを、3回の勝負になってしまうのは非常に可愛そう。本人達も非常に気にしていたことでもあるので、なおさら可愛そう・・・ 塾全体で応援してあげよう! さあ、今日はどんなドラマが待っているのかな?
2007.08.19
埼玉県で県立高校の受験を経験したことのある方なら、聞き覚えのある言葉ではないでしょうか。埼玉県の公立高校は、埼玉県教育委員会を通じて、各高校から「求める生徒像」なるものを発表しています。県立高校出願時の志望理由書に、受験を志望する高校の「求める生徒像」に沿った内容で志望動機などを書き記していきます。この内容を基に、総合問題や学力試験と併せて入学者選抜を各校が実施していきます。H21年度入学者選抜試験(現中2)までは、この「求める生徒像」を試験に使用して行くことは間違いありません。過去には、「ボランティア活動」を「求める生徒像」の1項目としていた県下難関校が、前期入試で、一般的にはボーダーにすら届かないような内申点の生徒を合格としています。もちろん合格の理由等が発表されるわけではないので、詳細は分かりませんが、その生徒には、地域を代表して海外へのボランティア活動に参加していたという経験(実績)がありました。 実は、我が塾にも「求める生徒像」なるものがあります。 これは、前回の広告(パンフレット)の最終面に記されているのですが、大まかに言うとこんなものです。(1)小(中)学生らしい規則正しいリズムで生活していること。(2)習い事の数が少ないこと。(特に小学生)(3) 保護者の方だけでなく、本人も体験授業等を受け、 入塾したいという意思があること。大きく分けるとこの3つです。(1)の理由学校行事・部活・生活等以外の、夜更かし・食生活の乱れ等で疲れた表情をしている子には、塾での学習の前に、小(中)学生らしい生活をおくらせてあげることの方が、何倍も何十倍も大事なことだからです。陰山先生の推奨している「早寝・早起き・朝ごはん」の習慣を身に付ける事をお勧めします。(2)の理由1週間のうちで、自分ひとりでゆっくりと「考え事」をする時間も無い、家族で夕食も食べられない、という状態を繰り返してきた子供たちに良く見られる特徴として、「じっくり考えられない」「すぐに諦め逃げようとする」「人の気持ちを考えながら会話したり、行動できない」というものがありました。もちろん、全員が全員そうではないのですが、今までの経験上ではこのような状態の子供達を数多くみてきました。ですから、入塾後にこのことが判明した場合は、当塾で受講している教科の数を減らすことをお勧めしたこともありました。(3)の理由いうまでもなく、「親に無理やり入れられた!」ということを避けるためです。自分で選んだから「頑張れる」「言い訳できない」ようにすることも一つの理由です。そのため当塾では必ず体験授業を受けていただきます。自分で「選択し行動することに責任を持たせたい」こんな思いが詰まっています。ですから、一般的な塾(大手に良く見られる)が行うような、入塾テスト・通知表の数字などでの足きりなど、成績ウンヌンは問いません。※入塾希望時の通知表に「1」がある場合のみ、お断りしています。 この理由は、別の機会に記事にさせていただくか、当塾にてご説明いたします。 少し長くなってしまいますので…※体験授業を受けていただく理由…塾選びは、お子様の「一生にかかわるもの!」といっても過言ではない時代です。「子供に合わなければすぐに転塾」では、大事なものを見逃がしてしまいます。 「この先生とは合うのか合わないのか?」「個別と集団ではどっちの方が合うのか」など塾選びには色々な選択項目があります。各ご家庭・お子さんの求めるものが、どの塾にあるのかを見極める事が、最大のポイントになるでしょう。 こちらもプロとして、お子様の最高の塾選びをお手伝いさせていただきます。 ここからが本題!(やっとかよ)一般的な塾の常識から言えば、「それじゃあ実績がでないでしょ?」「所詮、そんなのキレイごと!」「集客のためだろ?」なんて言われてしまいそうですが、正直、そんな事考えちゃあいません!(経営の観点から言えば考慮すべきでしょうが…笑)それに 実績出てますから!! (どこぞのギター侍みたいですが…) ※ 詳しくは、Will塾長のブログにてどうぞ! 我々は、「その子が、本気で望めば、 どんなことでも実現する」 と本気で思っています。使い古された言葉ですが「彼らには無限の可能性がある」のです。そんな彼らに私たちがしてあげられることは、「将来を見つめさせてあげること。その道具を提供してあげること。」 ↓ 「夢を持たせること。」 ↓ 「そのために必要なプロセスを一緒に探ること。」 ↓ 「具体的に何をすべきか、確認すること。」このくらいだと考えています。その子の気持ちを「100%にする」ことと、「99%にする」ことでは、雲泥の差があります。例えば、プロ野球の世界で、「10本中2本のヒットを打てる選手」 ⇒ 「並以下の選手」「10本中3本のヒットを打てる選手」 ⇒ 「一流選手」たった1本の差ですが、この差は大きい!前者が年棒3000万なら、後者は3倍以上の1億円。ヒット1本で3倍以上の差が付いてしまいます。(勿論、プロになっている以上、どの選手も相当すごいのですが)だからウチは、生徒の気持ちを「100%」にすることに全力を注ぎます!「じゃあ、夢を見つけられなかったら?」こんなことを言う生徒は、決まってこんなことを言います。「見つかったら頑張るわ!」 「見つかんなきゃやる気でないよ」そんな子達に、僕らはこう言います。「夢が無いなら、目の前にある、やるべきことくらいはやっておけ!」「将来、全然使わなくたってイイさ!」「でも、今すべきことすら避けてやらなくて、どうやってやりたいことや夢見つけるのさ?」話は逸れましたが、気持ちを「100%」にした子供たちは、その好きなこと(夢)に向けて、とにかく前に進み始めるんです。個々に夢やペースは違えど、確実に前へ!こうやって「自分で前に進んでいく子供たち」を育てたい。夢を見つけ、それに向かって前進する子供たちを!極論、夢が見つからなくとも、今やるべきことを確実に見極めて、前進する子供に育てたい! これが、前途ある子供たちにしてあげられる、最高の指導ではないのでしょうか。 新校舎で、さらに多くのこんな子供たちに出会えることを、楽しみにしています。 追伸 相当な駄文に最後までお付き合い頂き、ありがとうございます。
2007.08.15
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