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産後、実家で過ごしていたら、助産師さんが新生児訪問にいらっしゃいました。プチちゃんの体重を量ったり、健康状態をチェックしたり、私の育児相談などをしてくれました。とくにおっぱいの飲ませ方を詳しく教えてくれました。プチちゃんはおっぱいをうまく飲めないので、授乳に大変手間取っています。まずおっぱいを飲ませるのですが、ちゃんと飲めずに舐める程度。当然それでは足りないので、搾乳した母乳を哺乳瓶で与えています。しかし、それでも少し足りないので、ミルクを足す、という3段階なのです。このやり方だと、授乳自体に時間がかかりますし、さらに授乳が終わりプチちゃんを寝かしつけた後、次の授乳に備えて搾乳をしておかないといけないのです。私が睡眠不足で疲れがたまってきて、だんだんとおっぱいが出なくなって来てしまったので、余計に搾乳に時間がかかります。そして余計へとへとになるという悪循環。そこで、助産師さんからのアドバイスで、プチちゃんにおっぱいを直接飲む練習をさせ、足りなければすぐにミルクを足すようにして、搾乳をやめることにしました。搾乳をやめることで、その時間、食事や休養することができるので、母乳を出しやすくするメリットがあります。プチちゃんにも頑張って練習してもらって、母乳をたくさん飲んでもらえば、母乳がよりでやすくなるという好循環。助産師さんがプチちゃんに、おっぱいの吸い方を教えてくれたので、プチちゃんもだいぶコツがわかってきたようです。(産後、病院でおっぱいを吸う練習をしたけれども、生まれたてだったプチちゃんはあまり学習できなかったみたいです)もう少し、おっぱい育児を頑張ってみようと思いました。
2007年01月31日
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出産後には様々な書類を提出する必要があります。まずは、出産一時金+付加金の申請書。これは、産後入院の間に記入、さらに病院にも必要事項を書いてもらいました。それから、出産手当金の申請書。これも産後入院の間に記入し、病院にも必要事項の記入をお願いしました。上述の2つの申請書は、産前に貰っていたのですが、出産日などを記入して病院の証明が必要なので、産後にしか書けないのです。なので、「産後にゆっくりやればいいや」と思っていたわけですが、産後は体中が痛いし、寝不足でしんどいため、書類を書くなんていう細かい作業、どうにもやる気がでませんでした。できれば産前の余裕のある時に、自分の分については書ける箇所だけでも記入しておくと良いと思いました。疑問点があったら予め会社に問い合わせもできるし。さらに私のように産前休に入る前からトラブルで働けなくなった場合、傷病手当金というのが申請できます。また、生命保険に加入している場合には、分娩前の入院については、入院給付金などが下りて来ますので、病院に診断書を書いてもらいます。それから、1ヶ月にかかった医療費が一定額以上の場合には高額療養費の申請ができます。これについては、うちの会社の健保の場合には、病院から健保組合に医療費の請求があった時点で書類が私に送られて来て、それに必要事項を記入する、ということになりますので、入院時にはまだ何もできませんでしたが。妊娠初期から検診などで医療費が嵩んでいますので、そういったものすべてトータルして、医療費控除の対象にもなるかと思います。つまり、確定申告が必要なんですよね。産まれた赤ちゃんの手続きもいろいろとあります。乳幼児医療費免除の申請とか児童手当とか(もちろん、それよりも前に出生届を出すわけですが)。産後、乳飲み子を抱えて、さまざまな手続きをするのは、けっこう大変ですね。
2007年01月30日
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プチちゃんとの生活でバタバタしていてすっかり忘れていましたが、便秘も痔も完治していることに気づきました。プチちゃんを産んだ翌日には、アローゼンを飲まなくてもお通じが出るようになりました。やはり、便秘だったのは、大きなお腹が原因だったようです。子宮の圧迫がなくなったためか、やけに好調で、一日に2回も3回もトイレに行くことになりました。また、痔については、しばらくは出たり引っ込んだりという感じでしたが、産後1ヶ月になる頃には、看護師さんの予言通り、すっかり治ってしまいました。これもやはり、大きなお腹が原因だったようです。それにしても、ツワリも切迫早産の入院もお腹の重さも何もかも、過ぎてみれば辛かったことも良い思い出というか、辛さ自体を忘れてしまっているから不思議です。人間は忘れることができる生き物なのですね。
2007年01月29日
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生後2週間目頃の小さな手。体中の皮が剥けてきました。一皮剥けるようです。
2007年01月28日
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プチちゃんとの生活ですっかり寝不足になってしまいました。一回だけ、「もう、知らない!」と思ってしまったことがあります。夜中の1時に授乳して、その後、ずっとグズグズしていたので、ミルクが足りないのかと哺乳瓶を加えさせたり、おしめを確認したり、と抱っこをして過ごしていました。そして、次の授乳時間になりそうな3時が近づいてきました。私の睡魔は頂点に達していて、「もう、寝てね!」とプチちゃんをベッドに寝かして、部屋を真っ暗にして、自分もベッドの中へ。しかし、暗闇の中で、プチちゃんのか細いすすり泣きのような声が・・・。次の瞬間、「ああ、ごめんね。ごめんね、プチちゃん。プチちゃんが悪いわけじゃないのにね。」と電気をつけて、再びプチちゃんを抱っこしました。プチちゃんは、私の心を見透かして全てを知っているような顔をして私を見上げていました。この時は、すっごい罪悪感にかられてしまいました。このように、なかなか寝てくれないときは大変ですが、でも、やはりプチちゃんを見ていると、どんなに辛くても癒されてしまいます。プチちゃんが寝ているときに、私も細切れながら睡眠をとるようにして、なんとか乗り切りました。このあどけない顔。頭をなでると、ちょっとふにゃっとした顔に。
2007年01月27日
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プチちゃんと実家に転がり込み、初めての育児生活がスタートしました。私もまだ体調が完全ではなく、悪露もたくさん出ていましたし、胸は張るし、会陰は痛いし、尾てい骨も痛いし。そんな中、プチちゃんのお世話をするのは、けっこうしんどいのです。プチちゃんを抱っこしたまま、椅子に座ったり立ったりというのが、一番辛かったかな。とにかく尾てい骨が痛いので、「よっこらしょ」と、自分で自分を励ましつつ行動を起こしていました。1-2時間おきにフェンフェンと泣くので、その度に、オムツ替えて、おっぱい加えさせて、搾乳与えて、ミルク与えて、ゲップさせて、とフルコース行って寝かしつけます。出産前は、大きなお腹のためトイレが近かったため、夜中も2時間おきくらいにトイレに起きていたため、同じようなことだろうなと思い込み、「2時間おきに起こされたって大丈夫だよー。」と豪語していたのですが、これがとんでもなく大変でした。自分がトイレに行くために起きるのと、熟睡しているときに赤ちゃんに強制的に起こされるのとでは、負担感がまったく違います。しかも、自分のトイレは5分もすれば終わり、またすぐに横になれますが、プチちゃんに起こされた時には5分というわけにはいきません。上述のフルコースをすると40-50分はかかってしまうのです。万が一、プチちゃんの寝付きが悪いときには、ずっと抱いてトントンしていることになるので、要する時間はさらに長くなります。ようやく寝付かせたら、哺乳瓶洗って消毒したり、次に備えて搾乳をしたり(母乳をあげた後に搾乳をしていると、プチちゃんがお腹空いたと大泣きするので、予め次回の分を搾乳をしておくのです)、私もトイレに行ったり食事したり、ということもします。で、そんなことをしていると、あっという間に1時間くらい経ってしまうんで、再びプチちゃんがフェンフェンと泣き始めるのです。これが24時間続きます。最初のうちはなんとかやっていたのですが、1週間続くと疲れがたまってきました。哺乳瓶で授乳しながら、私がウトウトしてしまうこともしばしば。すると、いつの間にか哺乳瓶がプチちゃんの口から外れていて、ミルクでプチちゃんの服を汚してしまっているなんてことに。そのままでは風邪を引いてしまうので、ミルクを飲んで少し眠そうなプチちゃんを着替えさせますが、そうするとプチちゃんの目が覚めてしまうということに。私はひたすら眠いので、プチちゃんがばっちり起きてしまうと、「また最初からやり直しか」とガクンと落ち込むのです。ウトウトしているプチちゃんを抱きながら、「頼むからこのまま眠ってくれ。そして、私を寝かせてくれ。」と念じたものでした。睡眠さえこんな調子ですから、自分の食事などほとんど食べられませんでした。パンをトーストしてバターを塗ったとたんに、フェンフェンと泣かれ、「ああ、夢だと言ってくれ」と思いながら様子を見に行くと、夢ではなく現実に泣いているのです。フルコースを終え、ようやく寝かしつけた後、再びパンを食べようとしても、もうすっかり冷えて固くなっていて、食欲なくなっちゃいます。しんどい思いをしつつも、かわいいプチちゃんを見ていると、とっても幸せな気分になります。不思議なものですね。
2007年01月26日
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切迫早産で入院し、出産後、ようやく退院となりました。すっかり季節が変わってしまいました。入院前の自宅安静期間から数えると、2ヶ月以上もほとんど外に出ていなかったので、プチちゃんを連れて帰るなんていうことが出来るか自信ありません。体力も落ちていそうだし。夫が車で迎えにきてくれて、数ヶ月ぶりの外に出ました。車にはベビーシートをつけておいてくれたのですが、これ、いったいどうやって乗せるのか不明。イメージはわかるのですが、プチちゃんが小さすぎて、シートに固定できる気がしないのです。新生児から使えるというシートですが、フラットではなくて少し角度がついているので、プチちゃんがシートに寝るのは無理っぽい雰囲気なのです。あまりにも恐ろしいので、とりあえずは、私が後部座席でシートベルトをした上でプチちゃんを抱き、夫は安全運転をする、ということにしました。おかしいな、みんなどうやって新生児をベビーシートに乗せているんだろう?そんな危ない母親でしたが、なんとか無事に実家までたどり着けました。1ヶ月検診が終わるまではプチちゃんと私は実家で過ごします。実家に着いたばかりのプチちゃん。生後6日目です。すやすや。(にやけている?)
2007年01月25日
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一回り小さく生まれたプチちゃんですが、保育器には入らず他の赤ちゃんと同様に、ショーケースみたいなベッドに入って陳列されています。他の赤ちゃんが大泣きしている中、プチちゃんはいつもじっとしています。私が新生児室に行くと、目をぱっちり開けて、まるで待っていたかのように私のことをじっと見つめてくるのです。信じられないくらい軽い体を抱いて授乳室に行き、おぱいをあげる振りをして(舐めるだけ)、その後、搾乳していた母乳を哺乳瓶で与えます。さらにミルクを足します。そしてゲップさせるために肩のあたりまで担いで、トントンします。その間、プチちゃんはほとんど声を発さず、ひたすら、じーっと私の顔を見ています。他の赤ちゃんは、授乳室でも大泣きしているのに、プチちゃんはなんで泣かないんだろう?しかし、その謎が解明されました。じつは、泣いていたんです。新生児室で「お腹すいたよ」と泣いていたようなのですが、泣き声がか弱くて、隣のベッドの赤ちゃんの泣き声にかき消され、まったく聞こえないらしいのです。そのうちに疲れて泣くのをやめてしまう、という段取りです。泣いていたので目が覚めている状態になってしまっているところを目撃されることが多いので、「プチちゃんはいつも泣かずに起きているね」ということになるようです。これを、看護助手の人がこの謎を発見し、それからはプチちゃんのベッドは看護師さんに一番近い位置に移動となりました。泣いたらすぐにわかるように。すでに競争に負けているっぽいプチちゃん、頑張れ!
2007年01月24日
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分娩後に張り始めたおっぱいですが、いよいよ大変なことになってきました。カチンコチンで、まるで岩のようになってしまったのです。定期的に看護師さんが産後の体をチェックしに来ます。その際に、おっぱいの様子と子宮の様子、そして会陰部の様子などを確認していきます。胸を見せて、お腹見せて、パンツ脱いで見せて、後から考えれば「これっていったい?」という状況ですが、産後入院ではそれが当然って感じなので、不思議と違和感がないんですよ。さらに、私は産前から入院していたため、産科病棟の看護師さんには、「もう何もかもどうぞ」という気持ちです(痔も治してもらった仲だし)。で、私のおっぱいが岩のようだ、という情報は産科病棟の看護師さんのチームに申し送りされまくっているので、入れ替わり立ち替わり見回りにくる看護師さんが皆、私のおっぱいのお手入れをしてくれるのです。最初は、マッサージをしてほぐそうとしていたのですが、とてもそんなんじゃ間に合いません。私のおっぱいを触りながら、「ごめんね、痛いでしょ?」と言うのですが、じつは、私、まったく痛くないんです。これが不思議。普通は、ここまで張ると相当痛いらしいのですが、私の場合はお腹も無痛のまま張っていたし、胸も無痛のまま岩のように張っている状態。もしかして、痛みに鈍感なだけかしら?とにかく、痛くないので、じゃんじゃんマッサージをしてもらうわけです(自分でやろうとしてもここまで張っているとほぐすのが大変で、肩や背中が凝ってしまいます)。最初はほぐしながら出てくる母乳をためておいたのですが、そうすると時間がかかってしまいます。ついには、搾乳をやめて、どんどん揉んでほぐして、出た母乳は捨ててしまうということになりました。これだと、入れ物に入れることを気にせずに、じゃんじゃん揉めるので。マッサージすることで古い母乳が出て行き新しい母乳が作られますし、母乳の出口が開通していくこととなります。最初は3カ所くらいからしか出ていなかった母乳が、マッサージを繰り返すことで、10カ所くらいに増えたのです。出口が開通すれば、母乳の出も良くなるので、おっぱいが詰まることもなく、柔らかくなるということです。それにしても、深夜も搾乳に付き合ってくれたり、マッサージを毎日1時間くらい行ってくれたり、看護師さんがみんな親切すぎて驚きです。
2007年01月23日
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産後入院中に、乳房マッサージの指導がありました。おっぱいを出やすくするため、それから赤ちゃんがおっぱいを飲みやすくするためにマッサージを行うのです。それまで、産後1日目には何も出なかった私のおっぱいですが、産後2日目の乳房マッサージ指導を受けたとたん、すごい勢いで張ってきたのです。しかし、授乳に行っても、プチちゃんはまだおっぱいを上手に飲むことができません。そもそも、私のおっぱいの出口が開通していないので、ほんの少ししか母乳が出てこないのです。なので、母乳が作られても出て行かないため、どんどんたまってしまい、おっぱいがカチンコチンになってきてしまいました。胸が板のようになってしまったのです。産前はお腹の張りに悩まされ、産後は胸の張りに悩まされるなんて・・・。新生児室の看護師さんに、おっぱいを搾りましょう、と言われ、自分で搾乳することにしました。出口が数本しか開通していないため、30分くらい搾り続けても、10ccくらいしか出てきません。このまま張り続けると良くないとのことで、授乳の後に毎回搾乳をすることになりました。3時間おきの授乳ですが、搾乳も含めると1時間以上、授乳室にいることになり、病室に戻って食事したりいろいろとしていると、もう次の授乳時間になってしまいます。産前入院で安静にしてのんびりしていたことが、まるで遠い昔のことのようです。睡眠不足と腰の痛みに加え、授乳で肩こりがひどくなりました。
2007年01月22日
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産後、H先生の回診がありました。産後の回復は良好とのことで一安心。いい具合に子宮が収縮しているようです。「それにしても怖かったわねー。家にいたら絶対に間に合わなかったわよ。」と、ベテランのH先生も驚きのスピード分娩だったようです。次に妊娠したら、あらかじめ子宮口を縛りましょうと言われました。尾てい骨の痛みについて相談したところ、骨盤が開いているので痛みがあるとのこと。お産をしたんだから仕方ないのだそうです。トコちゃんベルトを使って骨盤をもとに戻すように、と言われました。
2007年01月21日
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分娩翌朝5時に看護師さんに起こされ、授乳室に行きました。授乳室に入ったら、まず手を洗いおっぱいを消毒します。そして、隣の新生児室に行き自分の赤ちゃんを抱っこして授乳室に連れて来ます。初日の今日は、新生児室の看護師さんがつきっきりで授乳指導をしてくれました。ベッドに寝ているプチちゃんを見て、感激。昨日、分娩後にすぐ一緒に過ごしたけれども、その後は新生児室に預けっぱなしで顔を見ることもなかったのに、ちゃんと「我が子」だと分かるのです。看護師さんは、「ベビちゃんのベッド番号、腕と足についているバンドに書いてある名前を確認して、自分のベビちゃんだということを確かめてから授乳室に連れて行って下さい。」と言っていたけれども、間違えようなんてないのです。他の赤ちゃんたちは皆同じように見えますが、自分の赤ちゃんだけはちゃんと見分けがつくのです。小さな小さなプチちゃんを、恐る恐る抱っこしました。グラグラしていて、やわらかくて、壊れそう。ついこの前までお腹の中にいたなんて信じられない。プチちゃんは、H先生の予言通り、2500gに満たないで生まれました。なので、新生児室にいる他の赤ちゃんよりも一回り小さめです。でも、機能は成熟していたということで、保育器には入らず、他の赤ちゃんと同じベッドに寝かされています。良かった。さて、抱っこの仕方を教わった後は、おしめの変え方を教わりました。おしめ台の上で懸命に手足を動かしているプチちゃんを見て、また感動。次はおっぱいのあげ方を教わりました。まだ私のおっぱいは全然出ないのですが、それでも必死にしゃぶりついてくる(本能だそうです)プチちゃんを見て、さらに感動。小さな体で一生懸命、生きようとしているんです。本当はおっぱい育児をするのがいいのでしょうが、プチちゃんの場合は、生まれてからの体重減少(生まれた後、一般的には1割くらい体重が減るそうです)が3割くらいあったため、ちょっと減り過ぎということで、ミルクもあげることになりました。飲み方はまだ上手じゃありませんが、なんとか10ccを飲みました。私の腕の中ですっぽりと入ってしまう、小さな小さな人間。熱いかたまりのようなプチちゃんを抱いていると、なんだか妊娠経過中の苦労なんてどうでもいいことのように思えてくるのです。
2007年01月20日
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プチちゃんは新生児室に行ってしまうと、夫も部屋から追い出され、トイレをすることになりました。まだ動けないので、ベッドの上で、お尻の下に洗面器をあてられてそのままトイレをしました。トイレに行きたい感覚はなかったのですが、出してみると意外にたくさん出ました。麻酔の直前にお水を大量に飲んだからかな。特に問題もなさそうだったので、産科病棟に移ることになりました。また荷物をまとめて、上の階に行きます。今度はストレッチャーに乗せられて、寝ながら移動です。産科病棟のナースステーションの前を通った時、顔見知りの看護師さんがいっぱいいて、ほっとしました。「生まれたの? おめでとう!」と言ってくれました。今度は産後の病室に入りました。2人部屋です。トイレも部屋についています。とりあえずは、午後3時まではベッドでゆっくりして過ごすように言われました(この時点で1時頃)。荷物を整理したら夫も帰りました。ベッドの上で一人になってみると、ヘトヘトになっているのが分かりました。会陰部がやはり痛くて、それに尾てい骨のあたりも痛いのです。仰向けになって寝ていると辛いので、横向きになっていました。寝返りをうつのも一苦労です。そのままじっとしていると、3時になったようで、看護師さんが来ました。「では、立って歩いてみましょう。そこのトイレに行ってみましょう。」と言われました。立ち上がるのに腰に力を入れると、尾てい骨に激痛が走ります。会陰が痛いのは納得いくのですが、尾てい骨が痛いのは困ります。なんでこんなに痛いわけ???恐る恐る歩いて、部屋のトイレに。トイレ自体は問題なくできましたが、再びベッドに戻ってくると、たった10歩くらい歩いただけなのに、ひどい息切れがするのです。ヘトヘトです。本当は夕方5時半に、新生児室に初めての授乳に行くつもりだったのですが、私の様子を見た看護師さんは、「授乳室まで歩くのも大変そうだし、赤ちゃんを抱くのも大変でしょう。5時半の授乳はキャンセルして、夜9時半の授乳に延期してもらいましょう。新生児室に連絡しておきますね。」と言ってくれました。お言葉に甘えて休むことにしました。ベッドの上でじっと横になっていると、いつのまにか夕食の時間でした。小さなタイヤキがついていました。甘い物が食べたくて、面会にきた両親にチョコレートケーキを買って来てもらいました。ベッドの上で体を起こすのも、尾てい骨が痛くて大変です。まさか尾てい骨にひびが入っているとかそういうのだったらどうしましょう?夜9時半に看護師さんが、授乳に行けそうかどうかを見にきました。しかし、疲れきっている私を見て、明日の朝5時にずらすことに決定。再度新生児室に連絡をしておいてくれることになりました。情けない母親ですね。スピード出産だった割には、とんでもなく疲労です。長期間安静状態だったため、体力が落ちているようです。尾てい骨が痛いことを看護師さんに相談したところ、枕をもう1つ持って来てくれました。腰にあてて横向きになりましたが、体中が痛くて、まったく眠れませんでした。1-2時間ウトウトした程度で、朝5時に看護師さんに起こされました。
2007年01月19日
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分娩予備室に戻ってきました。陣痛が始まってから小1時間のスピード出産でした。もっとも、もともとフェイントで子宮口は5cm開いていたし、頻繁にお腹が張っていたし、子宮頸管は短く柔らかくなっていたので、いつ生まれてもおかしくないという状態ではあったのですが、あらゆる人の予想よりもスピーディだったようです。私としては、ちょっと拍子抜け、あっという間でビックリしてるだけといったところです。生まれたら産声を聞いて感動するかな、と楽しみにしていたのですが、実際には何が何だか分からない間に生まれたという感じでした。陣痛で痛かったのは10分くらいだったかも。本当にラクチンなお産だったようです。早速、夫に電話しました。銀行に行っていたので、まだ電車の中とのこと。心地よい疲労感に浸っていたら、小さなベッドに乗せられて赤ちゃんがやって来ました。助産師さんが、赤ちゃんを私のベッドに入れてくれたので、しばらく腕枕をしていました。助差師さんが病室を出て行くと、病室には赤ちゃんと私の二人きり。信じられないくらい小さな手を握ったり、頬を撫でたりして過ごしました。赤ちゃんは大人しく、目をパッチリ開いて私の方を見ているのです。どの程度見えているのか不明ですが、黒い瞳に私の顔が映っているのを見ると、静かな感動が押し寄せて来ました。「よく頑張ったねー。ママはプチちゃんに会えて嬉しいよ。無事に生まれてきてくれてありがとう。」と声をかけました。その後、夫が到着し、プチちゃんとご対面。「これ、産んだの?」と不思議そうにプチちゃんを見ていたのが面白かったです。
2007年01月18日
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あっという間に分娩室に運ばれてしまいました。お腹の張りがゆるんだすきに、ベッドから分娩台へゴロンと横に転がって移動しました。分娩台では、紙オムツみたいなゴワゴワのショーツを脱がされ、足を台に固定されました。全体的にシーツをかぶせられました。「はやく、先生を呼んできて!」と、みんなでバタバタしています。その間にも、巨大なお通じがでそうな感覚はどんどん強くなります。考えてみれば、最初から子宮口が5cm開いていたので、破膜後はすぐに全開大になってしまったようで、ヒッヒッフーという呼吸法なんてちっとも役に立たなかった・・・。ずっと酸素マスクで深呼吸の状態です。9時5分。「もう少しですから頑張りましょう。」というH先生の聞き慣れた声。なぜかとても安心しました。ああ、H先生、来てくれたのね!「さあ、赤ちゃんが苦しいですから深呼吸していてね。」と言われました。さっきから深呼吸しているつもりなのですが、どうもうまくいっていないようです。と反省したら、「次はイキミますよ。」と言われました。え、もうイキムの?横にいた師長さんに、「2回深呼吸したら、次にイキミましょうね。合わせてお腹を押しますからね。」と補足してくれます。おそらく、麻酔が効いているのでイキミがうまくできない可能性があるのだな、赤ちゃんが苦しいということはたぶん相当出そうな位置にスタンバッているのだろうな、と思いました。分娩室に入ってからもある程度時間がかかると思っていただけに、あまりにも速い展開にちょっとビックリです。ところで、この師長さん、よくよく見たら、以前、外来で子宮口が1cm開いて自宅安静と言われて落ち込んでいた私を、相談室で励ましてくれた人じゃないか!そして、そんなことを考えていたら、にわかに大きな張りが押し寄せて来ました。部屋にいる助産師さんと看護師さんが、みんなで、「吸って吐いて吸って吐いて」と声を合わせます。一生懸命深呼吸。で、イキミます。「うーん」と思わず声を出してしまったら、「声は出さないで!」とH先生に叱られてしまいました。あわてて口を閉じ、お腹に力を入れます。同時に助産師さんがお腹を押します。「はい、深呼吸!」とH先生に言われたので、一生懸命深呼吸。あと何回イキムかな?と思って、次の指示を待っていたら、「生まれました。男の赤ちゃんです。」と言われました。え? もう生まれたの?横で、師長さんが冷静な声で、「9時18分です」と告げました。呆然としているうちに、「フェンフェン」とい弱々しい泣き声が聞こえました。これが、私の赤ちゃんの声!足下を見ると、H先生が血まみれの赤ちゃんを抱き上げて、こちらに見えるようにしてくれました。白い豆腐みたいなのがくっついているなあ(胎脂ってやつみたいです)。赤ちゃんはすぐにインファントウォーマーの上に乗せられ、小児科医が診察をしています。それをボンヤリと眺めていたら、また軽くお腹が張り胎盤が出たようです。名前を確認され、赤ちゃんと私に同じリストバンドをはめられました。私は、切迫で入院していたのでリストバンドが2つになってしまいました。赤ちゃんの処置が終わったようで、私のお腹の上に赤ちゃんを乗せてくれました。「触ってあげてね」と言われましたが、小さくて壊れそうで、うかつに触れないです。おそるおそる手を握ってみました。生暖かい。その後、赤ちゃんはどこかに連れて行かれ、私のお腹の上には代わりにアイスノンが乗せられました。冷やすらしい。そして、会陰縫合。うまいという評判のH先生で良かった。終了後、H先生は「じゃあ」と分娩室を出て行きました。外来に戻るみたいです。あっという間の出来事でした。出産後、すごく寒くて、歯がガチガチするし、足も震えています。分娩台の上で、新しいガウンに着替えさせられ、新しい紙オムツを履かされました。そして、いつの間にか横に並べられたベッドに移るように言われたので、またゴロンと一回転して移りました。このベッドがとっても温かい! 布団を温めてくれていたようです。気が利きます。ベッドに乗せられたまま、分娩予備室に戻りました。そのまま2時間ほど安静にするように言われました。
2007年01月17日
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再び、一人で分娩予備室に残されてしまいました。産科病棟に入院中に看護師さんと勉強した呼吸法っていうのをやってみようと思いたちました。たしか、ヒッヒッフーだよな。陣痛が来る(といっても、ずっと陣痛状態だが)とヒッヒッフーとしてみましたが、イマイチしっくりしません。それに肛門のあたりが押される感じで、お通じが出そうなんです。すると、ようやく担当の助産師さんが麻酔を持って戻って来ました。背中に通してあるチューブに麻酔を入れてくれました。最初は予定通り6ml注入です。そう、ようやく、麻酔スタートを切ったというわけです。8時40分。麻酔を入れたので、体位を変えます。まず右向きに。「お尻が痛いんです」と言うと、肛門のあたりを強く押してくれました。出そうなお通じを止めてもらっている感じで楽になります。そして、左向きに体位を変えます。と、そのとたん、今までにないほど強くお腹が張りました。麻酔はまだ効いていないようで激痛。同時に、お尻から巨大なお通じが出そうな感じ。またお尻を押してもらおうと思って、「お尻を押して下さい」と助産師さんにお願いします。助産師さんは私の肛門を押しながら、モニタを確認。すると、唐突にナースコールを押したのです。「どうしました?」というのんびりした声に、助産師さんは焦った声で、「師長、すぐ来て下さい!」と叫びました。師長らしき人が走って部屋に入って来ました。「師長、肛門の圧迫感が強いので、子宮口を確認して下さい。」と助産師さんが言い、左向きの姿勢のまま子宮口を確認されました。そのとたん、顔に何かがかぶせられました。酸素マスクです。「赤ちゃんが苦しいので深呼吸して下さい。」と言われたので、一生懸命深呼吸をします。さらに、「仰向けに寝て下さい。」と、もう、体位変換はどうでもいいような感じです。麻酔が効いて来たようで、痛みはなくなりましたが、相変わらず、お通じがでそうな感覚が続きます。肛門から巨大なお通じが出そうな感覚で、どんどん強く押されて行くのです。浣腸のときに100数えなくて、70で出しちゃったから、残りが出るのかも?なんてぼんやりと考えていましたが、あまりの便意に、もう、漏れたら漏れたでいいやと思いました。「機械、空いてる?」「移るよ。」「麻酔は6ml? 12mlに上げて!」と、師長さんの声が聞こえます。麻酔が12ml?予め説明されていたところによると、麻酔は、最初に6ml。効果が薄れてきたら、次は8m。さらに効果が薄れてきたら、10ml。あとは、ずっと10mlずつ注入しながら様子をみていく、ということでした。なのに、12mlというのは、いっきに飛び越えてしかも突き抜けているのでは?と思っていたら、ベッドが動き出しました。このまま分娩室に運ばれるようです。私っていったいどんな状態?「ご主人はどこ?」「どこって、たぶん銀行です。」「銀行???」そう、計画分娩なので、今日は夫は会社を休んでいるのですが、生まれるのは昼頃だろうということで、朝一番で銀行に行って住宅ローンの残高証明書をもらってくることになっていたのです(ちょうど年末だったため、年末調整の時期だった)。「間に合わないわねー。」「いいんです。立ち会いませんから。」そう、もともと立ち会い出産予定ではなかったので、いないのはいいのです。分娩室で壁にある時計を見たら、8時50分でした。本格的な陣痛が始まってから30分も経たずに分娩室?赤ちゃんの頭が下りてくるまでは予備室で過ごすと聞いていたので、分娩室に運ばれたということは、つまり、赤ちゃんの頭が下りてきたということ?あの、お通じが出る感覚は赤ちゃんの頭が産道を通っている感覚だったのか!と、にわかに合点がいきました。じゃあ、もう、生まれるってこと???
2007年01月16日
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昨夜は背中のチューブが気になって、1-2時間ウトウトした程度でした。今朝5時に看護師さんが薬を持って来ました。陣痛促進剤の飲み薬です。飲んで、しばらく横になっていると、6時頃、また看護師さんが来ました。今度は処置室に連れて行かれました。まず剃毛。といっても、見えない部分を少しだけって感じみたいでした。その後、浣腸。「100数えてからお通じを出して下さいね。」と言われて、処置室についているトイレに一人残されました。70くらいまでを大急ぎで数えましたが、我慢できずにトイレをしてしまいました。昨日食べた分くらいは出たのでいいと思う。そして、部屋に戻ると再び薬を飲み、横になってNSTをしました。昨夜からウテメリンの飲み薬を飲んでいないこと、今朝から陣痛促進剤を飲み始めたことにより、NSTでは頻繁にお腹が張っているのが分かります。痛みはまったくありません(それがまた怖い)。7時になって3度目の飲み薬を飲みました。ここまでは計画通りです。少しウトウトしていると、8時になっていました。先日、産科病棟に挨拶に来てくれた助産師さんが来てモニタを確認。「痛みは?」「ありません。」「そう、麻酔がよく効いているのね。」とのこと。あれれ? 麻酔はまだ入れていないと思うんだけど・・・。そのように聞いてみると、助産師さんは点滴ラインとモニタと私の顔を見比べると驚いて、「確認してきますから待っててね。」と行って、走って分娩予備室を出て行ってしまいました。私って今いったいどんな状態なんでしょう?10分くらいしてから、S先生が現れました。「それでは破膜しますねー。」と、私のお尻の下に洗面器みたいなのを差し入れ、子宮の入り口あたりをゴソゴソ。ハサミでチョキンチョキンと切られている感覚があったなーと思ったら、じょーっと大量に生暖かい水が出てきました。これが破水ってやつか。以前読んだ本の読者投稿で「羊水って懐かしい匂いがした」というのがあったので、是非匂いをかいでみたいと思っていたのだけれども、この状況ではちょっと無理そうだわ。破膜後、点滴ラインをブドウ糖から陣痛促進剤に変更。このとき、8時15分。「子宮口がすでに5cm開いてますから、準備ができ次第、麻酔入れますよ。麻酔を使うと飲食禁止になるので、今のうちにお水を飲んでおいて下さいね。」喉の乾きやすい私は、この先何時間も水を飲めないという状況が陣痛よりも困難なものに思えました。思わず、ごくごくと水を飲みました(飲みだめ)。8時20分。なんとなく、トイレに行きたくなりました。一人では行けないので、誰かを呼ばないといけません。でも、今、破膜などをしてバタバタしていたところで、看護師さんも忙しそうだし、担当の助産師さんは麻酔薬を準備しに行ってしまったので、もう少し我慢するか、と思いました。すると、なんとなく、生理痛みたいな痛みがしてきました。8時30分。「お、これが陣痛では?」と、今まで何度も下痢でフェイントしていた痛みですが、ようやく本物の陣痛が来たようです。普通はここで陣痛の間隔時間を測るのでしょうが、痛みが一気にひどくなって、しかも次々と襲ってくるので間隔っていってもいったいどこが切れ目なのかわかりません。そういえば、以前H先生が、「あなたの状態は、2-3分おきに陣痛がきていてもおかしくない状況よ。」と言っていたので、おそらく2-3分は陣痛じゃない時間があるかと思うのですが、それはいったいいつになったら訪れるのだ?と考えていたら、ふと体が楽になりました。これが陣痛と陣痛の合間のようです。よし、時計を見ようと思って体位を変えたところ、ちょうどNSTのモニタが見えました。すると、本で勉強していた分娩間際のすごい波形となっているのが発覚。これって、すごい張りなのでは?と思ったのも一瞬で、またしても、強い痛みが襲ってきました。かろうじで時計を見ると、針はほとんど進んでいません。これは、5分とか2-3分とかっていうレベルじゃなくて、1分間隔とかそれくらいの波になっているようです。なのに、部屋には私以外誰もいないし。みな、いったいどこへ?再び苦労して体位を変え、壁際のナースコールを押します。看護師さんがのんびりとやって来ました。「どうしました?」「すごく痛いんです。麻酔はまだですか?」たしか、10分くらい前に助産師さんが麻酔を準備しに行ったまま、戻ってこないのです。初産ですから、促進剤使ったとしてもまだ数時間は生まれないと思っているのか、なぜかスタッフがのんびりしているのです。しかし、モニタを見たとたんに、さすがに驚いたようで、「麻酔取って来ますね」と走り去りました。切迫をなめんなよ、って感じです。
2007年01月15日
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今日はいよいよ分娩予備室に行く日です。昼食までは、大部屋でいつもと同じように過ごしました。早めにシャワーを済ませ、荷物をまとめました。入院生活が長いので、私物が多すぎ。夫も来てくれて、荷物をまとめるのを手伝ってくれました。昨日より大部屋には患者さんが送り込まれていて満床状態。みなさんに挨拶して、部屋をあとにしました。そして、夕方4時に分娩予備室に移りました。なんと、歩いて移りました。ナースステーション以上の遠い距離を歩くのは久しぶりです。分娩予備室に入ると、背中の開いた服に着替えさせられました。そして、パンツも紙オムツみたいなのをはかされました。なんかゴワゴワするし。まずは点滴。せっかく上の産科病棟で点滴が外れたと思ったのに、またここで点滴か。しかも、痛い。分娩病棟での点滴は、血管確保の役割を果たすため、かなり太い針を刺します。じんじんする。そして、モニターをつけました。NSTです。産科病棟で毎日行っていたNSTですが、この分娩病棟ではよりシビアに観察するため、ベルトをかなりきつくしめます。どうも勝手が違うので、なんか緊張しちゃいます。看護師さんも全然知らない人たちばかりだし。そして、O先生が来て背中の骨に麻酔チューブを通してくれました。背中の骨にチューブを入れる前にする皮下麻酔の注射が痛いというウワサでしたが、まったく痛くありませんでした。チクッとした程度。それよりも、腕の点滴ラインの方がじんじんとして痛いのです。さて、背中のチューブから麻酔薬を少量入れてテストをしました。体位を右向き、左向き、右向き、左向き、と変える練習もしました。少量とはいえ麻酔が入っているので、トイレに行くときも看護師さんが付き添ってくれます。慣れない環境にいることと、産科病棟から分娩病棟まで歩いて来たこと、麻酔を入れたこと、などによりすっかり疲労してしまいました。食欲もなく、夕食はほとんど残してしまいました。テスト麻酔から覚めてくると、背中のチューブの違和感が気になります。それにNSTを何回もとるため、同じ姿勢でじっとしていますので、余計に背中が痛くなってきました。疲れているものの、消灯後もまったく眠れず、仕方ないので本を読んで過ごしました。明日はお産なので、切迫早産入院体験記はこれでおしまいです。産まれる産まれると脅されながらも、37週までよく持ちこたえましたわ。
2007年01月14日
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昨夜、痔であることが判明したわけですが、その後、突然ひどい腹痛に教われました。以前、同じ部屋にいた人が、「陣痛は生理痛みたいだって言うけれども、私は最初は下痢するみたいな痛みだった」と言っていたのを,唐突に思い出し、もしかしたら陣痛?とおののきました。点滴を外してしまって,先生からもいつ陣痛になってもおかしくないと言われていたので覚悟はできているのですが、私がおののいたのは今日が土曜日だってことです。以前Oさんに教えてもらった医師シフトによると、金曜の夜と土曜日は常勤医師が不在となっているため、絶対に産気づきたくないのです。そんなことを色々と考えながらトイレにこもっていたところ、ひどい下痢がでました。なんだよ、本当に下痢じゃんか。と、またしても陣痛ではなかったのでした。来週月曜は分娩する予定なんだから、もう、今日はアローゼン飲まないぞ、と決めました。トイレに行くのに廊下を歩いていたら、先日出産したOさんに会いました。「お腹大きくなったねー。」と言われました。本当にそう、36週に入ってから、ぐんぐん大きくなって、パンパンです。一方、Oさんのお腹は小さくなっていました。Oさんは火曜日に退院だそうで、月曜日に分娩予定の私とは、もしかしたら入れ違いになっちゃうかな???という感じ。ベッドでゆっくりしていたら、分娩病棟の担当助産師さんが挨拶に来てくれました。書面でもお産の進行については知らされていましたが、再度スケジュールを説明してくれました。明日の夕方、分娩予備室に入り、まず麻酔のチューブを背中に通す。その後、夜はゆっくり過ごして、月曜の朝5時に陣痛促進剤を飲む。6時にもう一度薬を飲み、浣腸などもこの時に行う。7時に3回目のお薬を飲む。8時に破膜。同時に陣痛促進剤を点滴で開始。あとは、陣痛の様子と子宮口の様子を観察しながら、適宜麻酔を使いつつ、子宮口が全開大になるまで待つ。全開大になったら麻酔を切って、いきんで、赤ちゃんを下におろしていく。赤ちゃんが下におりてきたら、再び麻酔をして、分娩室に移動し、出産する。産後はまた分娩予備室に戻り、赤ちゃんと一緒にゆっくり過ごす。2時間経っても問題なければ、産科病棟に移る。というスケジュールです。ドキドキですが、助産師さんが、「あなたとあなたの赤ちゃんの健康を第一に考えて、分娩病棟のスタッフがみんなでお二人のお手伝いをしますね。なんの心配もなく、ゆったりとしていてくださいね。」と言ってくれたので、不思議と不安はありません。思わず、「頑張りますのでよろしくお願いします」っと言ったところ、「あなたは頑張らなくていいのよ。ゆったりね。私たちスタッフが頑張りますから。」と言われてしまいました。そうか、ゆったりか。お産が待ち遠しくなりました。36週5日目のお腹。パンパンです。
2007年01月13日
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一昨日分娩病棟に移ったOさんが、今朝の朝食時に大部屋に現れました。「きゃー、Oさん!」「おはよー! 昨日の午後、産まれたよー!」「長くかかったの?」「1日かかったよー。でも、ずっと麻酔が効いていたから、大半は小説読んで過ごしていたよ。」と余裕の表情。無事に男の子を出産したそうです。傷口がちょっと痛いけれど、でも、何ともないよ、とのこと。産前入院と産後入院の境を飛び越えて、ついにあっちの世界に行ってしまったんだなーと,少し寂しい気持ちになりました。でも、私も来週にはあっちの世界に行けるんだわ。さて、またしても最近3日間便秘。看護師さんからは、「いい加減に出して下さい」と言われてしまいました。分かってはいるんだけど、どうもアローゼンとの相性が悪くて、前回もヒドい目にあったので、今回はちょっと飲むのを遠慮していたりしたのがいけなかったみたい。しかし、そう言われるとお腹のあたりが重い気もする。気にすれば気にするほど、だんだんとお腹が重くなってくる気がして、なんとなく、お通じがありそうな感覚。そこで、トイレに行って踏ん張ってみました(切迫で踏ん張るなんて、絶対にしてはいけない行為ですが、来週37週なので、もういいやという感じ)。すると、固いお通じが出ました。出たんだけど、なんだか変。まだ何か出そうな感じで、でも出なくて、何かが挟まっている感じ。違和感を覚えつつも、ベッドに戻りました。その後、看護師さんが見回りにきたときに、相談してみます。「お通じが出たんですけど。」「ほんと? 良かったー。」「うーん、そうなんですけど、でもなんか変なんです。」「変って?」「何か挟まっている感じがして。」「じゃあ、見せて下さい。」「え? 見るの??? ここで???」「そう、お尻出して。」がーん。もう、やぶれかぶれです。そもそも看護師さんには何もかも見せている状態なわけですが、やはりお尻をじっくり見られるというのは、いただけません。ああ、だけど、この違和感の実態を確認し、さらに治しておいてもらわなくては。そういうわけで、お尻を見てもらいました。「ああ、出てますね。」「え? 出てるって何が?」まさか、お通じが途中で止まっていてはみ出ているなんていうのでは、格好がつきません。「痔ですよ。脱肛してますよ。」「えええ? ショックー。それって、それって、オヤジみたいじゃないですか!」と、世のオヤジに失礼な発言をしてしまいました。「どうすればいいんですか? 治るんですか?」と泣きそうになりながら聞いてみます。「押し込んで下さい。」「え? 押し込む? どうやって???」と、産まれて初めて痔にとまどう私です。看護師さんは、そんな私を救うべく、冷静に手袋をはめ、「ちょっとやってみますね。」と私の肛門に痔を押し込んでくれました。確かに違和感はなくなりました。「また出たら、自分でこうして押し込んで下さいね。出産後は治ると思いますから。」自分でやるのか。なんか怖いよ。そして、産後にちゃんと治るのか不安。
2007年01月12日
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6人部屋なのに、ついに2人になってしまいました。きゅうきょ帝王切開手術になってしまったり、陣痛が始まって分娩病棟に下りて行ってしまったり、症状が落ち着いて退院したり、とおなじみのメンバーがいなくなり、そしてその後は新しい妊婦ちゃんが送り込まれてくることもなく、次々とベッドが空いていくばかり。私と同じ日に入院したSさんと私のみのガランとした病室になりました。H先生、早く患者を送りこんでくれ。昨夜の夜中から気持ちが悪くて、夜中にトイレで吐いてしまいました。今朝の回診時にH先生にそのことを報告すると、「妊娠中は仕方ない」と一蹴されてしまいました。吐き気も我慢するしかなさそうです。点滴が外れてからは、ウテメリンの飲み薬を飲んでいます。しかし、1日ずつしか処方してくれないので面倒くさい。(もう産まれちゃうかもしれないから、たくさん処方せずに少しずつ処方しているらしい)今日もまた処方してもらいました。先生からは仕方ないと言われたけれども、胃がムカムカしているので、昼食が喉を通りません。こんな吐き気に教われるのは、ツワリの時以来です。あのときも辛かったけれど、今も辛い。お腹が大きい分、吐き気がしてからトイレに行くまでがしんどいのです。そうはいっても、いつ終わるともしれないツワリの苦しみに比べたら、今の吐き気は、どんなに長く続いたって来週まで。出産までなのですから、そう思うとラクチンです。同室の人が退院間際に、「出産後は円座があった方がいいよ」と言っていました。入院中は病院で円座を貸してくれるそうですが、退院した後の家で必要、というか病院から帰る車の中から必要とのこと。早速、携帯電話を使って通販で円座を購入。低反発のものにしてしまいました。夕方になり、Hさんが入院してきました。これでこの部屋は3人になりましたが、まだ半分ベッドが空いているので、ちょっと寂しいです。
2007年01月11日
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ウテメリン点滴を徐々に減量していたのですが、2Aの点滴バッグが空になった後、点滴が外れました。左右の腕を定期的に替えながら、ずっと点滴をし続けてきたのですが、それがついに外れたのです。看護師さんが針を抜いた瞬間、心の中で喝采!24時間点滴につながれているというのは、慣れてきたとはいえ、やはりしんどいものです。なので、点滴が終わったとき、とてつもない開放感を味わいました。そして、さらに信じられないことに、シャワーを浴びても良いと言われたのです!ああ、何週間ぶりだろう?ずっとベッドの上で看護師さんに体を洗ってもらっていた生活でした。それが、自分でシャワーです。ブラボー。ただし、シャワーを浴びる時には看護師さんに声をかけてからシャワー室に行くこと、さらに椅子に座ってシャワーを浴びることを約束させられました。そんなのお易い御用です。午前中はNSTとったりでバタバタしていたため、昼食後のまったりした時間に、シャワーを浴びに行くことにしました。点滴が外れたとはいえ、36週の私はまだ切迫早産患者ですので、「安静」に変わりはありません。じっとベッドの中で過ごすこと、何かあったら看護師さんを呼ぶ、という生活は今までと同様です。ベッドの中で本を読んでいて、その栞が床にひらひらと落ちたなんて時だって、ナースコールをして看護師さんに拾ってもらうというわけです。けっして自分で起き上がって床に下りてしゃがんで拾ったりしてはいけません。そんな生活はそのままですが、それでも点滴がない分、とても気が楽です。ナースコールをして、「シャワーを浴びたい」と伝えたところ、看護師さんがシャワー室に椅子を用意しておいてくれました。ワクワクしながらシャワー室に行き、いざ、シャワー。しかし、しかし、なんていうことでしょう。ずっと安静状態にしているため、シャワーを浴びるなんていう重労働に体が耐えきれないのです。シャワー室まで歩いたことと(病室を出て10mくらいの距離ではありますが)、自力でパジャマを脱いだことで、すでに息切れがします。椅子がなければとうていシャワーなんて浴びられませんわ。適当に石けんで体を洗うのが精一杯。髪の毛なんて洗えるわけありません。髪の毛は諦めて、後ほどベッドの上で看護師さんに洗ってもらうことにしました。そうそう、この数週間、看護師さんにベッド上で体を洗ってもらっていたものの、豪快にジャブジャブするわけではないので、やはりいろいろなところが洗い残されていたわけです。とくに、足の裏。軽石で擦ると、ぬるぬるしたのがいっぱい取れてスッキリしました。で、ヘトヘトになって病室に戻ったところ、なんと、同室のOさんがいないのです。看護助手さんに聞いたところ、いきなり陣痛が始まってしまって、下に行ってしまったとのこと。Oさんは私よりも数日遅い妊娠進行で、たぶんギリギリ36週になったところかな。今まで一緒に入院して頑張って来たけれど、どうやら早産になってしまうようです。シャワーなんぞ浴びていたため、最後にOさんに会えなくてとても残念でした。
2007年01月10日
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朝食時、H先生のうわさ話で盛り上がった。H先生は、外来診療の際に自分の担当の妊婦ちゃんに対して、「計画分娩をしないか」と一度は必ず勧誘するらしいのです。小さめの赤ちゃんには「赤ちゃんが小さめだから、早く出してあげましょう」と言い、大きめの赤ちゃんには「赤ちゃんが大きめだから、早く産んだ方が楽ですよ」と言うそうです。血圧が少し高めの場合には「中毒症の可能性があるから計画分娩を」と誘うそうです。そして、何の理由もない妊婦ちゃんの場合には、「ご主人が立ち会うのなら計画分娩にしたほうがいいのでは?」と言うのだそうです。出産後の新米ママにとっては、分娩日よりは退院日の方が気になるわけで、家族が協力しやすい土日に退院するために逆算して月曜日に分娩をすると良いのでは?と誘うこともあるそうで、したがって毎週月曜日はH先生が勧誘した(?)計画分娩の妊婦ちゃんでベッドはつねにいっぱい、というウワサもあります。考えてみれば、私も来週の月曜日に計画分娩ということになっています。H先生の術中にはまっているわけです。産前入院の妊婦ちゃんの主治医を聞くと、かなりの確率でH先生となっています。これは、たまたまH先生の患者さんにトラブルが多いのか、もしかしてH先生がどんどん入院させているのか?さらに、教育入院の妊婦ちゃんはほぼH先生に送り込まれているというウワサもあります。産科病棟の営業職のようです。H先生はけっこう人気があって、外来でも予約が取りにくい先生なんです。ポンポンと歯切れが良い口調でつねに最悪のことを言う、という一見ちょっと怖い先生なのですが、何度も診てもらっているうちに離れがたくなってくるのです(頼りがいがあるし、慎重な診察をしてくれるので、悪いようにはならないので)。私も、もうH先生以外の先生では不安に思えてきて、万が一、2人目を妊娠なんてことになったら、最初からH先生に診てもらおうと決めているくらい、すっかり取り込まれてしまってます。
2007年01月09日
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今日から36週。素晴らしい、もう少しです。ウテメリン点滴が、今朝より4Aに減りました。徐々に減らしていく作戦のようです。濃度が薄くなったからか、お腹が張りやすい気がします。昨夜より鼻水がひどいのです。そして昼食後、熱っぽくなり、念のために測った体温は38.5度。げ、発熱してるじゃん。あわててナースコールをしてアイスノンを持って来てもらいました。寒いと暑いが交互にやってきて、完全に風邪って症状です。いまさら風邪なんて・・・。夕方、外来に呼ばれて診察を受けました。子宮口はなんと5cm。H先生によると、「普通なら2-3分おきに陣痛になっている状況よ。とにかく陣痛が始まったら下に下りてね。」とまた念を押されます。痛みも何もなく、どんどん子宮口が開いていくというのは、とにかく本当に怖いものです。だから切迫早産なのか。先生に、おりものが増えていることと、熱があることを伝えました。「おりものは、36週なんだからこんなものでしょ。」と一蹴されましたが、発熱についてはちょっとマズいと思ったようで、聴診器で肺の音を聞いたり、喉を見られたりしました。「カロナールと漢方薬を出しますね。カロナールは熱が38度以下になったら飲むのをやめて下さい。」夕食後、点滴が空になったところで、次の点滴は2Aに減りました。お腹が頻繁に張るようになり、ちょっと怖いけれども。。。夜、同室の妊婦ちゃんたち全員の熱や喉を看護師さんがチェックしていました。私の風邪が同室で流行っていないかを調査している模様(すでに流行っていたんだけどね)。
2007年01月08日
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同じ部屋でずっと入院しているOさん、一度は点滴が外れたのですが、朝食の時に点滴がくっついていました。Oさんによると、昨夜からお腹が張っているということで、再度点滴をしているそうです。Oさんは私と同じで35週ですが、私と違って子宮口がそれほど開いていないため、このまま張りがなければ一旦退院するかも、という予定だったため、再点滴はけっこうショックかもしれません。朝食時、なぜか会陰縫合の話しで盛り上がりました。2人目妊娠の妊婦ちゃんたちは、この病院の事情を私よりもはるかによく知っているため、いろいろと教えてくれます。会陰縫合はH先生とO先生が上手で、他の先生だとイマイチというウワサらしいのです。後から縫い直したり、いつまでも痛かったり、というトラブルになる可能性もあるのだとか。怖すぎるし。Oさんは、仲の良い看護師さんから医師のシフト表を入手していました。それによると、金曜の夜と土曜は常勤の医師が不在となって非常勤やアルバイトが当直しているらしいのです。せっかく長期でここまで入院していて、顔も知らないアルバイト医師に赤ちゃんを取り上げてもらう、というのはなんだか腑に落ちませんし、その会陰縫合の技術も気になります。ここはなんとしても、計画分娩の日までもたせて、H先生に赤ちゃんを取り上げてもらおう、と決意しました。H先生は私の主治医ですので今までの経過をすべて知っていて安心だし、会陰縫合もうまいらしいし、とにかく間違っても金曜の夜とか土曜に産気づかないように、お腹の赤ちゃんによく言い聞かせておかないと。
2007年01月07日
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6人部屋に入院していますが、そのうち切迫流産で入院していた2名が、症状がなくなったということで今日退院となりました。良かったねー。まだ10週そこそこのため、これから長い妊婦ちゃん生活を満喫して欲しいです。もう入院することのないように・・・。空いた2つのベッドには、すぐに患者さんが運ばれて来ました。1名は切迫流産。もう1名はもともとは糖尿病の教育入院だったのですが、入院中にお腹の張りが発覚したため、そのままウテメリンを点滴されてしまい、そのまま引き続き入院となったそうです。大部屋に入院していると、たまに空いたベッドに糖尿病の教育入院の妊婦ちゃんがやってきます。食事のとり方(血糖値を調整する食べ方)とか血糖値の測り方とかを2泊3日で学ぶための入院です。この人たちは基本的には元気な妊婦ちゃんなので、我々切迫系とは生活スタイルがまったく違います。点滴はもちろんないし、シャワーも自由に浴びられるし、ベッドの上で起き上がって本読んだり書き物をしたりもできるのです。そもそもベッドの上にいる必要もなく、1階の売店にも行かれるのです。院内をフラフラしても良い、つまり安静にしていなくても良いのです。これは、私たち切迫系入院の妊婦ちゃんにとっては、とてつもなくうらやましいことです。入院が長くなってくると、この入院生活が当たり前のように思えてきますが、たまに教育入院の妊婦ちゃんの生活を見てしまうと、多くの妊婦ちゃんたちはこうして普通に生活をしているのだろうな、という現実に引き戻されます。ああ、やはり、切迫で入院というのは辛いですね。
2007年01月06日
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便秘気味のため、つねにアローゼンという便秘薬を処方されているのですが、この薬との相性がどうも悪いようです。というのも、1回や2回飲んだだけでは全く効かず、毎食後飲み続けると3日目にしていきなり効果が現れ、しかも異常なほど効きすぎるのです。そういう体質なのかな。今回の便秘も、薬を飲んでもさっぱい音沙汰なかったのですが、本日3日目にしてにわかにスイッチが入りました。とにかくお腹が痛くて痛くて、1時間もしないうちにすぐにトイレに行く始末。大きなお腹を抱えて、腹痛に脂汗をにじませながら、点滴をガラガラさせて病室とトイレを何度も往復するのは、はっきりいってシンドイ。トイレの個室でウンウン苦しみながら、「もう二度とアローゼンなんて飲むものか!」と誓うのですが、便秘になるとそれはそれで苦しいので、これはもう究極の選択となっています。こんなにお腹が痛くなってしまって、切迫早産なのに大丈夫かな? これで子宮口が開くなんてことないかな? と心配もよぎりますが、そんなことはどうでもよく思えてくるくらいお腹が痛すぎなので、ここは病院なんだし35週超えてるし、もう生まれるなら生まれるでいいや、というヤケな気分になってくるのです。(便秘薬飲んで赤ちゃん生まれた、なんていうのはちょっと恥ずかしすぎますが)
2007年01月05日
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今日は、主治医のH先生がお休みなので、S先生が代わりに回診してくれました。S先生は、H先生のミニ版という感じで、なかなか面白いです。一昨日、前置胎盤の妊婦さんが同室のベッドに入院してきました。帝王切開の予定で、万一の出血に備えて予め自分の血液を保存しておく(自己血輸血)ために早めに入院したそうです。しかし、入院してNSTをしているうちに、お腹が張っていることが判明。ウテメリン点滴をしていたのですが、夜になってから看護師さんたちがバタバタし始めました。「ポンプがない! どこにもない!」そう、点滴の際の薬の量を正確にするため、点滴ラインにポンプをつけて流量を調整しています。前置胎盤の妊婦さんにもう1つポンプを設置したいらしいのですが、ポンプがない、ということらしいのです。もう1つポンプをつけるということは、つまりマグセントが追加になるということです。たった一晩でマグセント追加とは、かなり切羽詰まってます。私の隣のベッドの妊婦さんは切迫流産だったのですが、どうにか持ち直したため、主治医のH先生から、「この点滴バッグが空になったら外しましょう」と言われていたため、無理矢理その妊婦さんの点滴のポンプを外して手動流量にし、ポンプを調達していました。しかし、出血もあってこれ以上持たせるのは厳しいと判断されたようで、手術日を早めて、明日いきなり帝王切開をすることになってしまいました。手術室の人が来て手術の説明をしたり、同意書を用意したり、と本来10時半消灯のはずが、11時過ぎても部屋の照明は消されず、バタバタしていました。そして、手術準備で病室を移るため、そのまま大部屋を出て行ってしまいました。そんな様子を、息を詰めてカーテン越しに感じていました。きっと同室の他の人もみんなそう。私と同じ35週なのでちょっと早産になってしまうけれど、明日は元気な赤ちゃんが生まれるよね。
2007年01月04日
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今日は外来に下りて診察をしてもらいました。マグセントは外れたものの、相変わらずウテメリンの点滴は続いているので、車椅子に乗せられ、点滴をガラガラさせながら外来に運ばれました。子宮口は4cmのまま、子宮頸管は18mm。エコーで測定したところ、赤ちゃんの予想体重が2000gを超えました。H先生もホッとした様子。「やっぱり食べないとだめなのよー。」と言われてしまいました。妊娠前の体重よりも、現在はマイナス2kg程度。つわりで激やせしたため、そこから体重がなかなか戻らず、35週になってようやくマイナス2kgまで増やしました。入院前後では自分の体重に変化はないのですが、栄養バランスの良いものが献立になっているため(菜食料理)、赤ちゃんに栄養が行き渡っているようなのです。もちろん37週まで持たせて、2500gを超えて産まれるにこしたことありませんが、切迫気味なので万一のことを考えても、とりあえずは2000gを超えたのでなんとかなるかなーという感じみたいです。そして、今日は先生から計画分娩についての説明を受けました。私の場合には、すでに子宮口が開いているため、たとえ37週までもったとしても、いったん帰宅するということはできないのだそうです。なので、37週に入ったらすぐに計画的に分娩をするということを説明されました。陣痛促進剤を使って一気に産んでしまうとのこと。なんかこわいー。そこで、無痛分娩の同意書、陣痛促進剤使用の同意書、人工破膜の同意書などを記入しました。夕方、看護師さんとベッドの上で、呼吸法の練習をしました。ヒッヒッフーというやつです。「ヒッヒッフー。はい、イキんで!」と言われてイキみそうになってしまいました。「ダメダメ、まだ真似だけにしておいて。生まれたら大変!」と盛り上がってしまいました。
2007年01月03日
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35週に入ったことで、看護師さんたちもホッとした雰囲気になりました。もちろん、正期産である37週までは持たせないと早産になるため今後も安静状態ではありますが、切迫早産の妊婦にとって35週の壁を越えるというのは、重大な目標だったのです。今日は、出産の勉強をしました。本来は病院の両親学級で行うことなのですが。思い返せば、4回ほどあった両親学級には1度も参加できなかった私です。1回目は羊水検査後、お腹が張るので安静にしていろと言われキャンセル。2回目は仕事の都合で会社を休めずに不参加。3回目は自宅安静中のため不参加。4回目は入院中のため不参加。このうち、3回目では病院見学というのがあって、分娩室とか病室を見学することになっていました。まあ今となっては、入院してしまったので、日々見学しているようなものですね。4回目では、お産の仕方を学ぶことになっていました。我が病院では、原則的に無痛分娩となっているため(よほど希望すれば麻酔無しで産ませてくれるらしい)、あらかじめ仕組みを学習しておくらしいのです。で、その4回目で勉強する分を、入院中に看護師さんからマンツーマンで教えてもらうことになったのです。まずは、お産の進行についてのビデオを見ました。陣痛が始まって病院に来たら、まず、背中に注射をしてチューブを通し、麻酔薬のルートを確保します(まだ薬は入れない)。そして、陣痛のたびに、少しずつ子宮口が開いていき、5cmまで開いたら、麻酔薬をチューブから入れていき、その後の10cmの全開大までの堪え難い陣痛の痛みを取ることになります(5mまでは、耐えられる範囲の痛みらしいです)。そして、10cm全開大になった段階で、いったん麻酔を切り、自分でいきんで、赤ちゃんの頭を下に押し出していきます(麻酔がかかっていると、うまくいきめないので)。ここでは麻酔が切れているので、痛みを感じるそうです。赤ちゃんの頭が無事に下りてきたら、また麻酔を入れて、最後の赤ちゃんが出てくるときの痛みと、会陰切開や縫合の痛みを取り除くことになります。腰の周辺のみに効く麻酔なので、意識ははっきりしていて、産声を聞くことも、赤ちゃんを抱くこともできます。無痛分娩は、日本ではあまりポピュラーではありませんよね・・・。私が入院している病院のように、年中無休24時間態勢で無痛分娩を行える病院は数少ないようです。無痛分娩のメリットとしては、長い陣痛を最小限の苦しみで乗り越えることができるため、体力を温存できることが挙げられます。痛みのストレスがないので、産道の開きも早く、安産の人が多いようです。また、産後の回復も早いです。痛みによって血圧が上がることも防げるので、妊娠高血圧症の妊婦さんや高齢出産などの場合も安心です。デメリットとしては、薬を使うために副作用がある可能性があります。また、まれに麻酔が効かない人もいるそうです。日本では、お産で麻酔を使うのはどうかと思う、という風潮がありますよね。根性論です。でも、ちょっと虫歯を削るというときだって麻酔をするでしょう。なのに、その何倍もの痛みが何時間も続く出産を麻酔無しで当然というのは、これまたおかしな考えだと思うのです。もちろん、痛みに耐えるのも良いのですが、痛みを取っても良い、という選択がもっと普通になったらいいのにね。
2007年01月02日
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今日から35週! ついに、ここまでやってきました。胎児の肺機能が完成するのがこの頃です。これでようやく、今産気づいでも、NICU(新生児集中治療室)のある病院に搬送されずに済みます。今朝の回診はH先生は休みのため、別の先生(アルバイトとかではなく常勤の先生。私の前のベッドの人の主治医である。)が診てくれました。お腹を触って、「いい感じですねー。」とのこと。NSTの結果を見て、さらに、「いい感じですねー。」とのこと。私が見る限り、何度か張っているんだけれども、この先生にかかれば、「いい感じ」になるらしい。H先生とは違うタイプの先生だ。そして、この先生から、「マグセントは今日で外しますからね。」と言われた。やったー。マグセント外れるんだー。もう少しだけ頑張ろうっと。ところで、同室のOさんによると、マグセントを外すと「張り返し」というのがくるらしい。強い薬で張りを押さえていたため、その薬を一気に切ると、いきなり張ることがあるそう。2-3日で張り返しは治まることが多いけれども、場合によっては、張りがそのまま陣痛になってしまうこともあるみたい。H先生には「マグセントを外したら、すぐに生まれちゃうかもよ。」と言われていたので、なんだか怖い気がするが・・・。夕方、マグセントの容器が空になった段階で、マグセントラインを外しました。「H先生から、マグセントを外したら生まれるかも、と言われているので気がかりです。」と看護師さんに言ったら、「あの先生は、みんなにそう言ってるんですよ。」とのこと。がーん。
2007年01月01日
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