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木漏れ日の差す山道に諸喝采 1週間前に畑の仲間と草が生えないように、農道に使い古しのベルコンの黒いベルトを敷きました。 その重さと言ったら一人や二人の力ではどうにも動かない重さです。 ただ風の力は凄く、そのベルトを剥がし畑の中まで運んでいました。 今日は留め金を打ち込んで固定する作業ですが、みんなでやっても2時間くらい掛かりました。 その重労働の帰り、山道を下りようとすると、道の端に諸喝采が咲いていました。 行くときはまだ日が届かず目立ちませんでしたが、帰りは日が届いていて、美しい紫が目立ちます。 ちょっと疲れが癒やされたような気がしました。
2024.03.31
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風に揺れ夕日集めて雪柳 庭の雪柳が咲き始め、日にちに花の数を増やしています。 風に揺れていますが、まだ散るのは先になりそうです。 夕日が沈もうとしていますが、一瞬白さが鮮やかになったような気がします。
2024.03.30
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振り返る孫を見送る春の駅 今日は午前中は強い雨で、グラウンドゴルフの練習も中止になりました。 午後からは快晴になり、気温もグングン上昇しました。 23日から遊びに来ていた、さいたま市に住む高一の孫を西武秩父駅まで送っていきました。 午前中あの強い雨が降っていたのに、観光客が大勢訪れていたことに驚きました。 改札を潜り特急列車に乗リ込むまで何回も振り返っていました。 馬鈴薯植えも経験し、いろいろな場所も訪ねたことも、春休みの良い思い出になってくれれば良いと思います。
2024.03.29
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思い出を踏みしめ登る春の寺願ぎ事は内緒の孫の春はゆく 23日から遊びに来ていた孫が明日帰る事になり、その前に思い出の水かけ地蔵さんにお参りに行きました。 秩父札所34番水潜寺で、板東、西国、秩父札所の100観音の結願寺になっています。 もう一組訪れていましたが、あたりはシーンとしていました。 本堂に木魚が置かれていて自由に叩くことが出来ます。 椅子を出してきて3人で並び、木魚を叩きながら般若心経と延命十句観音経を唱えました。 木魚が音が山の静寂に木霊していました。 その後孫がお目当ての水かけ地蔵さんにお願い事をしていましたが、それは内緒。 小学生の頃、お願い事をして叶ったと言っていましたが、その時も内緒でした。 その小学生の頃、親戚も含めて大勢で一度訪れた事があり、親戚の子がお寺近くの町営のトイレに飛び込み、「願い事が叶い、ああスッキリした」と言っていたので、みんなで何をお願いしたの、と聞くと「便秘が治りますように」とお願いしたら早速叶ったと言って、みんなで大笑いした事を懐かしく思い出します。 水潜寺近くにある滝を見学して帰って来ました。
2024.03.28
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春雨に降り込められて映画館 昨日から雨が降り続いていて、今日は一段と強くなりました。 さいたま市から遊びに来ている孫をあちこち案内しようと計画を立てていましたが、雨で諦めざるを得ません。 そこで映画を観にいくことにしました。 ちょうどアカデミー賞の2作品が上映されていて、スタジオジブリの「君たちはどう生きるか」を観たいというので出掛けました。 映画を観るのは何十年ぶりになりますが、新鮮な気持になりました。 昔の映画は勧善懲悪で単純でしたが、今は内容も複雑になり、「君たちはどう考えるか」と問われているようです。 シネマの会員になったので、これからは時間を見つけて観に行きたいと思います。
2024.03.26
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春休みで曽孫手合わす父立ち日 今日は父の命日です。 平成13年のお彼岸に帰省した時、元気がないので主治医に相談し、どこも悪い所は見当たらないので、環境を変えてみるのも良いかもしれませんねということで、東京の社宅で過ごすことになりました。 前の日は趣味のジョギングのシューズを買いに妻が連れて行きました。 その日私は仕事に行きましたが、妻から入院したと言う連絡が入り、一時間も経たないうちに亡くなったという連絡が入り、仕事を引き継ぎ病院に駆けつけました。 診断書には闘病45分と書かれていて、急死だったのでその後が大変で、警察の検死の後、妻が同乗して父は葬儀社の車で先に秩父へ帰り、私は警察署に行き証明書を頂いてから後を追いました。 近所の人や親戚も驚いていて、東京へ連れて行ったからだと一部の人から言われたことを覚えています。 東京へ連れて行かず秩父で孤独死になった方が良かったのか、せめて嫁に看取られて亡くなったことが良かったのか、私たちは間違っていなかったと今でも信じています。 春休みでさいたま市に住む孫が遊びに来ているので、一緒にお墓に行き手を合わせました。 亡くなってから生まれたひ孫ですが、両親はきっと喜んでいるものと思います。
2024.03.24
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じじ教え孫は真剣薯を植う 一昨日馬鈴薯の大部分を植え終わりましたが、高一の孫が遊びに来る事になっていたので、すこし種薯を残しておきました。 今日遊びに来たので、種薯を切り、草木灰をつけるところから始めました。 山の高台にある畑に行き、肥料を埋め込み、種薯を並べ、土をかけるところまで全行程を経験させました。 電話で「馬鈴薯を植えてみたい」と言っていましたが、もっと簡単にできると考えていたようで、以外と行程が多いことにビックリしていました。 何時もは馬鈴薯は小包で送られてくるものでしたが、棒を立て自分の名前を書いたプレートを縛り付けてきたので、今度収穫に来た時には例年と違う感動がある事を期待しています。 これで今年の馬鈴薯植えはすべて終わりました。
2024.03.23
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久々のグランドに風春寒し救急車で輸する人あり春愁う 1ヶ月ぶりにグラウンドゴルフの練習に参加しました。 リハビリも兼ねて歩く練習をするつもりで、もし途中で疲れたら棄権する事を一緒に回るパートナーに了解を得てスタートしました。 15メートル、25メートル、30メートル、50メートルがそれぞれ2コースずつあり、それを2周すると水分補給の休憩に入ります。 休憩が終わって3周目に入ったところで、他のグループから○○がいないという声が上がり、プレーを中断して探しました。 一人の人がさっきトイレに行ったようだという声が上がり、別の人がトイレに行くと、トイレで動けなくなっていて、立ち上がれないという事で、一人の力では無理だという事で、みんなでプレーを中断してトイレに行きました。 無理に動かさない方が良いと言うことで、救急車を呼びました。 直線で200メートルくらいにある消防署から、すぐに出動する救急車の音が聞こえました。 やはり動かさなかったことが良かったようで、秩父市から離れた大きな病院に運ばれていきました。 みんなの気持も萎えてしまい、そこで練習を中止しました。 私も病気で倒れた時、もしこの場所だったらと思うと、人ごとではない気持になりました。 あまり大病でない事を祈っています。
2024.03.22
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頬を刺す風に抗い薯を植う 馬鈴薯を植えました。 昨日の春分の日も大荒れの天気でしたが、今日も朝から冷たい風が吹き抜けていました。 週末から天気が下り坂の予報なので、時は今と今日植えました。 毎年妻が手伝ってくれますが、今年は特に私の体調がいまいちなので、例年より植える量を減らして手伝ってくれました。 毛糸の帽子とマスクをしていても、ちょっとした隙間から容赦なく冷たい風が頬を刺します。 風との闘いになりました。 畑の仲間は植え終わり私が最後になりましたが、宿題が終わったような感じです。
2024.03.21
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春分に旅立ち告げる昼チャイム 今日は春分の日ですが、朝から晴れたり曇ったり、雨になったり風が強くなったり、雷が鳴ったりと荒れた天気の一日でした。 3月一杯はお昼のチャイムは秩父市歌に代って「旅立ちの日に」が流れます。 1991年、当時の秩父市のある中学校が荒れていた頃、歌で立ち直らせようと当時の校長が作詞し、音楽教師が作曲した曲で、一時全国の多くの小中学校で卒業歌として歌われていましたが、実は一度しか歌われない曲として作曲された曲だったようです。 1年生の頃から受け持った生徒達が卒業する時、校長と音楽教師が子供達の為に作った曲で、生徒に内緒で先生方が練習をして、卒業式で生徒の前で披露して終わる事になっていたそうです。 子供達は感動し、その曲がいつかテレビで取り上げられ全国へと広がっていったようです。 もうすぐ4月、それぞれの旅立ちがスタートしますが、いろいろな困難を乗り越えて頑張ってほしいと思います。 そして私も、病気で倒れてもうすぐ1ヶ月。 だいぶ快方に向かっているので、快癒するよう頑張らなくてはと思います。 ♪勇気を翼に込めて 希望の風に乗り この広い大空に 夢を託して 今 別れの時 飛び立とう 未来信じて はずむ 若い力 信じて この広い この広い 大空に♪
2024.03.20
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リハビリも兼ねて春耕前向きに 1ヶ月ぶりに山の高台にある畑に行き、2回目の春耕を行いました。 1回目は2月18日で、まさかその時は急病になるとは夢にも思わず、これからの春の農作業をどうやるか、頭の中で計画を思い描いておりました。 2月24日に倒れ、病気との闘いで畑の事は全く考えもしませんでした。 だんだん外歩きも出来るようになり、畑の事が気になり始めました。 今日は畑に行き、気合いを入れて耕運機を掛けました。 最初は辛く感じましたが、耕運機が通った後の土が黒くなっていくと、気分が明るくなりました。 少しずつ少しずつ馬鈴薯を植える準備を進めていきたいと思います。
2024.03.19
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卒塔婆立て父母の追善入り彼岸 今日は彼岸の入りです。 3月24日が父の命日で、今年の彼岸は父の23回忌、母の27回忌の卒塔婆を立て、供養しようと考えていました。 病気の私に代って妻が菩提寺に卒塔婆を頼みに行きましたが、二人とも回忌は過ぎているので「追善供養」にします、と住職さんから言われ、追善供養の卒塔婆を書いてもらい、仏壇に立てました。 父母が亡くなった日の事は今でも鮮明に覚えています。 まだ現役で東京に勤務していた頃で、母は12月30日の午後15時37分に亡くなり、暮から正月を迎えるのに葬儀はどうするのかと頭が真っ白になったこと。 彼岸に帰省した時に医師と相談し、父を社宅に連れて行きましたが、前日は趣味のジョギングをするために妻とジョギングジューズを買いに行くほど元気でした。 その日も6時頃私が家を出る時に、「行ってくよ」と言うと。「おお」と応えていました。 出勤して仕事をしていると父が救急車で運ばれたという妻からの電話があり、1時間ちょっと過ぎた頃、亡くなったという連絡があり、引き継ぎなどを済ませて、慌ただしく秩父へ帰って来た事などを鮮明に覚えていますが、回忌の年数を忘れていました。 住職さんから気持が大事ですよと言われたのが救いです。 誰かを呼んで法要をする事はしないで、般若心経と延命十句観音経を唱え、家族だけで静かに彼岸を過ごしています。
2024.03.17
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遅梅や空の青さに負けず咲く 庭の梅が満開を迎えました。 家の周りの梅はとっくに散ってしまい、青い葉が見える頃です。 何十年も前に苗を頂いたものですが、聞いた種類も忘れてしまいました。 青空に映えて咲いていて、自分も病気に負けてはいられないと元気をもらいました。
2024.03.16
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外歩く褒美日溜まり黄水仙 朝はマイナスの気温でしたが、昼間は18度くらいになりました。 外歩きを始めて2日目。 昨日は初めてだったので転ばないように前だけを向いて歩きました。 今日はいくらか余裕が出て周りの景色も目に入るようになりました。 庭の日溜まりで黄水仙が咲き始めていました。 歩いたご褒美を頂いたような、もっと頑張れと黄水仙に励まされているような、やはり太陽を浴びるのは気持ち良いものです。
2024.03.15
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春光をあび病後初外歩く 2月24日に急病になってから、妻の運転で通院した以外にはじめて外歩きをしました。 部屋の廊下を歩く練習はしていましたが、シルバー友の会の仕事があり、会員のお宅を訪問するために思い切って外を歩きました。 何回も休みながらゆっくり歩きましたが、暖かい陽射しが注ぎ、気持も明るくなりました。 途中に地元の薬師堂がありますが、大病にならなかった事に感謝し、遠くから手を合わせました。 グラウンドゴルフの練習にもしばらく参加していませんが、少しずつ歩数を伸ばし、来週辺りから参加出来るよう、歩数を伸ばしていこうと希望が湧いてきました。 歩いてみて、春が進んでいる事を感じました。
2024.03.14
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春の陽を溜めて備えるなゐの日は 今日は東日本大震から13年経ちました。 あの日ちょうど馬鈴薯を植えていた時で、あわてて畑にしゃがみ込みました。 それから毎年馬鈴薯を植えるのは今日の前後になり、何時も東日本大震災のことを思い出します。 今年は体調がいまいちなので、お彼岸過ぎになりそうですが。 あの時離れている当地でも何日か停電し、ガスを使っていないので古い石油ストーブと、卓上のガスコンロが役立ちました。 昨年暮れから雑貨店が改装大安売りを実施し、その時小さな太陽光発電機を3台買ってきました。 発電力は小さいですが太陽の光は偉大で、スマホの充電器ならば1日掛からずフル充電されます。 充電できるライトや災害用ラジオを交代で充電しています。 またガーデニングライトも近所の人があの時役立ったと言っていたので用意し、1日充電すると夜中照明がなくても階段などを照らしてくれます。 あんな大きな地震はと思っていましたが、今年の元旦能登地震が起こりました。 NHKニュース防災アプリを見ると、毎日全国のあちこちで地震が数回起こっていて、今日の14時現在でも福島県沖、能登地方、能登半島沖、奄美大島北東沖と、4回ももう起きています。 2月24日から病院に行く以外は外に出ませんでしたが、今日は久しぶりにベランダに出て太陽の光を浴びました。 太陽の光はありがたくで、沈んでいた心が明るくなりました。
2024.03.11
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病む春に金婚式を迎えけり 今日金婚式を迎えました。 それを機に、俳句日記も再開しようと決めました。 思い返すといろいろな事がありました。 妻はこれまで二度の出産という大事業と、4時間の摘出手術や高齢になってからの入院しての手術も行い、幸い命を助けられました。 私は大きな病気もせずにきましたが、今回はじめてもう駄目かなと思いました。 ちょっと汚い話で申し訳ありませんが、2月24日、午前中はシルバー友の会の仲間と翌日のイベントの準備を行い、仲間を家まで送り帰宅して玄関を上った途端、突然今までに経験した事の無い急激な痛み襲ってきて、同時に吐き気も襲ってきてトイレに這っていきました。 土曜日なので病院は休みの所が多く、妻が連絡し自主出勤していた息子帰って来て病院を探してくれました。 CTを撮ったところ腸が炎症をおこしているということで、それから2時間くらいかかって2種類の点滴を受けました。 はじめて見る量の血便もあり、車椅子での病院内の移動になりました。 10日間くらいはトイレと流動食の食事をとる以外は寝て過ごし、体重も48.2キロに痩せました。 そんな生活をしていると、歩くのが困難になり、5日頃から毎日1,000歩を目指して部屋の廊下を歩くことにして、今日は1,500歩に伸ばしています。 3月8日の再検査では順調に回復しているというお言葉を頂き、今はお陰様で食事の量も増やし、少しずつ体力を伸ばしていきたいと思っています。 最初はふらつきながら壁などに掴まりながら歩いていましたが、今では自分の足で歩けるようになりました。 2~3日したら今度は太陽に当たりながら外を歩こうと思っています。 こんな状態で迎えた金婚式ですが、治ったらまた考えたいと思っています。 この間お見舞いのお言葉を頂きましてありがとうございました。 俳句日記も無理をしない程度に書いていきたいと思っております。 どうぞよろしくお願い申し上げます。
2024.03.10
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