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夏休み最後の週末とあってか車の事故が目立ちますな。昨日の福岡の飲酒運転の車に追突され3人の子供が死亡した事件は憤りとやるせなさを禁じ得ません。沈んでゆく車から我が子を助け出そうと必死に泳いだ両親の悔しさ悲しさはどれほどのものだったのだろう・・・そして加害者の市職員。なんでこんな奴が自動車免許持ってるのそうかと思えば先週には80歳の高齢者が親子をひいて幼い女の子が死亡する事件がありました。「人がいることにに気がつかなかった・・・」って。歩行者も見えていないドライバーに車の運転をする資格はありません業務上過失致死罪ってみんな「業務上」って言葉の意味をしらないのか!「業務」というのは「仕事」のことではない。たとえば診療のために人の体を切るとか、猟のために猟銃を放つとか、公道を車で運転するだとか・・・本来、一般人には許されてはいないが、特別な資格や免許によって特別に許可された行為のことを刑法上の「業務」というのである。特別に許可された行為であるにも関わらず間違って人を死傷させたりすると業務上過失致死傷罪となる。そして特別に許可されたにもかかわらずそこで間違いを犯したのだから、だから「業務上」の罪は通常の罪よりも重い刑罰が科せられているのである。車の運転はそれほどに重大な資格であるのだそれを認識して運転しているドライバーのなんと少ないことだろう!そして今日も栃木で岐阜で車が林道から転落事故があった。昨日はうちの職場の近くで高齢者が高齢者をひき殺すという「老老事故」があったちょっとした間違いは誰にでもあるから仕方ないが、最近はあまりにも運転することへの認識が欠けた事故が多いことに憤りを禁じ得ないのだ車の運転免許制度もこの際もっと取得を厳しくしてほしい。こんな誰でもとれる資格など資格としての意味はない。もし医師が誰にでもなれるような資格だったなら誰が医者を信頼するか?誰でも受かる司法試験を通ってきた弁護士など信頼できるか?車だってもっと厳しくするべきだ。せめて合格率30~50%くらいにして不良ドライバーをふるい落とせ!日本では車の車検は厳しいのだから運転手の検査も同様に厳しくすべきだ。2年に一回は運転免許の更新試験があって、その時の試験も厳しく合格率も同様でなければならない。昔、古い車の車検は1年ごとであったが、それと同様に高齢者の更新は1年おきにするべきだ。身体能力が衰えた者には悪いが生活のためであっても車を運転する資格はない。そのために行政は公共交通機関の整備も含めて検討しなければならない。飲酒運転は免許取消はもちろんであるが医師だって、資格取り消し後5年は再取得不可能なのであるから自動車免許も同様に再取得を厳しく制限すべきである。学校教師の資格も更新制にするという話だから車の運転免許も是非厳しくお願いしたい。せめてこれ以上、何の罪もない子供達が大人のご都合社会の犠牲にならないことを祈りつつ今夜はちよっと愚痴ってみました・・・
2006年08月27日
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さて妻子とも長い帰省から戻ってくるかと思いきや、2歳間近の息子が突然40度を超える熱を出して帰省は延期となって見舞いに行ったりなんだでばたばたの日々であった。子供の高熱なんてよくあることだし、初めての高熱にあたふたする妻を横目に情報通の父は「この時期の熱はヘルパンギーナじゃろう。湿疹もないし、数日で熱がひくはずじゃ」と努めて冷静に振る舞うのである。果たして発熱から4日目に熱は嘘のようにひいて一安心。しかし5日目に全身に発疹が出た。妻はまた大慌てで病院に連れて行くのであるが熱がひくと同時の発疹は「突発性発疹」に間違いないのである。病名が確定すればもはや安心。あとは2~3日後に発疹がひくのを待つだけである。確かな情報というのは安心なのである。前置きが長くなったが、安心したところで夜勤明けを利用して山に行って来た。来週には妻子とも戻ってくるので気ままな山も当分は最後だ。夜勤明けで眠いし行くところはいつものように奥多摩である。そして暑いので行くのは毎度のように沢泳ぎであるお気に入りの海沢は前回行ったばかりなので今回は隣の越沢に行く。ここももう毎年行っている沢である。駐車場から沢まで行く途中にひとつ大きな沢、寸庭川(すんにわがわ)を横切る。この沢は名前からしてつまらなそうで、どんなにマイナーな文献をあさってもこの沢の資料は出てこない。まったく情報のない道の沢だ。しかし未知という状況が魅力的になって突然その沢を登ることにしたのである。沢に入るとすぐに3m滝と橋の下に深い淵をみつけ「おっこの沢は結構、あたりかも」と期待が高まる。しかし登ってみればまあそこそこ滝があるものの、右岸に林道が走っていて林道工事の際の伐木が沢を埋め尽くしていてあまり快適とはいいがたい。やはり登られていないというのはそれなりの理由があるものだ。つまらないので30分で撤退。スタート地点に戻り予定通り越沢を登る。この沢は何度来ても良い。滑り台にのできる滝あり、飛び込みのできる淵あり、流程も短く危険も少ない。もし僕が奥多摩でキャニオニングの講習をやるとしたらこの沢を選ぶ。それぐらい楽しい沢だしかしこの沢もどんなマイナーな沢登りの本にも登場しないまったく無名の沢なのである。この沢には毎年行ってもう十数回行ってるけど人に出会ったことはない。無名なのは実力がないからだという場合はしごく多い。しかし実力があるのに無名という場合も多々ある。そんな真実を痛感させてくれる沢ではある。情報は人間を武装する武器である。逆に情報がないと人間はあまりに弱い。山登りや自然の世界ではそれはなおさら。しかし情報氾濫の時代だからこそ、あえて情報がない自然の中に飛び込むというのもそれはそれで自然の楽しみ方なのである。息子の病気の情報を収集しつつ、山の情報の氾濫を憂う、そんな風に感じつつまた夏が過ぎていきます。
2006年08月26日
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前回、奥多摩の怖い話を書きながらむか~し山で体験した不思議な体験を思い出したのでちょっと書いてみたいあれは私がまだ15歳だった時のことであるその時中学生だった私は春休みを利用して九州に2週間ほど一人旅に出ていたのである中学生って。そんな頃から一人旅してたのかよ?って我ながら関心するのであるが、当人にとってはまだ旅慣れずに右も左もわからないままの冒険旅行だったのだ。そしてその日は九州宮崎県の高千穂という所にいた。高千穂という地名からわかる通り、ここは日本神話のふるさと。イザナギ、イザナミノミコト伝説で名高い天の岩戸があるところでも知られるところではある。当時山も知らず、ただいろんな場所に行ってみたいという気持ちだけが強かった私はガイドブックに「ぞっとするほど深い渓谷」と書かれている天の岩戸渓谷を観たくてレンタル自転車を走らせていたである。しかしガイドブックのいい加減な記述に惑わされて、気がつくと天の岩戸への道は林道となり、林道はいつしか山道となって、にもかかわらず僕は何も疑うことなくその山道を自転車を押して歩いていたのである。歩きやすい山道とはいえ自転車を押して歩くのはかなりの労力だ。山道は右手に小沢を観ながらぐんぐん登ってゆく。「一体どこにすばらしい渓谷が眺められるんだろう?」そう思いながら自転車を押して行く。今思うとどう考えても道に迷った状態なんだが、そのときは不思議と自分の行動に疑問はなくただひたすら山道を上に向かって歩き続けた。山道は分岐もなく歩きやすいがどこまでも終わりのない道に不安になる。もう心の底では道に迷っている自分に気がつき始めていて、だから引き返す理由を探しながら歩いている。だから分岐でもあればそこでいい加減引き返そうと思いつつ歩いている。しかし道はどこまでも一本道で何となく引き返すチャンスを逃したまま1時間ほど歩き、そして引き返すチャンスを逃したまま道は峠となって反対側への下り道となったそこが峠であるのならば反対側に下ってしまえばまったく知らない土地へつながってしまうのだろう。それはわかっていたが、ここまできたのだからという気持ちで冷静な判断ができなくなっていた僕は歩みを停めることなくその峠を下って反対側へ降りてしまったのである。まだ山も知らない地図も持っていない15歳の少年の頃である。自転車での下りは山道とはいえ速い。峠を越えてこの先に一体どんな光景が待っているのだろう?そんな期待と引き返すことへの不安が交錯する下り道。異変に気がついたのは下ってすぐだった進行方向左手に小沢が流れている。しかし峠の反対側のその小沢に見覚えがある。下り際に流れて行く光景が見覚えがあるのである。自分は確かに山道を登り峠を休むことなく越えて反対側の斜面に下っていた。そこまでは間違いない。にもかかわらず下ってゆく目の前には、登ってきたときと同じ道の風景が広がっているのである。峠を越えたにもかかわらず登りと同じ道を下っているのである。「こんな馬鹿な」こんな馬鹿なことはない。峠を越えてみも知らない反対側に降りて一番困るのは他ならぬ僕である。それを見越したように峠を越えて現れたのはなんと今自分が登ってきた道なのである。「そんな馬鹿な!」再度そう思いながら下り続けると、なんと登り始めた林道入り口に出たのである。今下ってきた道は間違いなくさっき登った道である。峠を越えて下った道と登ってきた道がイコールなのである。途中で分かれ道のない一本道を登り続け峠を越えて下り続けたらなんと登っていた道を下っていて登山口に戻ってきてしまったのである。「こんな馬鹿な!」再度ぼくは不思議がる。峠でも休憩していたら間違えて元来た道を下ることもあるだろう。しかし峠では休まずに反対側へ下ったのだ。途中で分岐でもあればループ状に入り口に戻ってくることもある。しかし道は完全な一本道であった。それに沢沿いに歩いていたのだから道がループ状なんてあり得ない。こんな不思議なことがあるものなのか僕はそのあまりの不可思議さを山道を歩いた疲労でうち消し、「まっいいか」とその謎はうやむやになったのである。いま考えても不可思議な事件である。そして数年後友人が同じ高千穂の山で不可思議な体験をしているのである。それらを考え会わせてやはり不思議とか神秘とかいうことはあるのだろうなあと神も霊も信じない我々もさすがに襟をただしてみるのだした。世の中にはいまだ人智の及ばない領域がたくさんある。そんなことを感じた15歳の少年の思い出であった。
2006年08月21日
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今日は夜勤明けだったので、明けで晴れていたら奥多摩の倉沢谷あたりで泳いでこようと毎度、沢歩きセットとシュノーケルを車に積んで仕事に向かったのである。しかし夜勤明けの体調と天候が芳しくなかったので、本日は山はお休みにして、すごすごと家に帰って高校野球の決勝戦でも観ていることにした。私は東京生まれの東京育ちなのであるが、体の半分には道産子の血が流れているのである。北海道出身の母親からは「自分の道は自分で切り開くのよ」という開拓者魂(フロンティアスピリッツ)を学んだものであるそういうわけで、今日は夜勤明けの眠い目をこすりこすり苫駒を応援していたのである。すぐ終わるだろうと思いきやなかなか終わらず延長15回ドローである。結果が出ないのはつまらないが素晴らしい試合であった。この際これで大会終わりにして両校優勝ということででいいやんか。何が何でも白黒つけなくてもいいものを。そんなこんなで今日は1日野球を観て終わってしまった。そういうわけで山の日記はかけないのであるが、奥多摩の話が出たところで、ちょっと思い出した恐怖話を書いてみたい数年前のこと。奥多摩の倉沢谷という沢に山中間4人で行った時のことである。その日も夜勤明けで全然寝てないのに、夕方まで仕事してそのまま山に向かって、麓の林道脇にて午前4時まで飲んでいた。飲み過ぎた頭を抱えて、酔い覚ましに倉沢谷の深いゴルジュを泳ぎまくり、テンション高めになった僕たち4人は、沢の側壁にある倉沢鍾乳洞という洞窟を探検してみることにしたのである。この鍾乳洞は昔は観光用だったのであるが、今は立入禁止となり朽ち果てる一方なのである。言い伝えによるとこの鍾乳洞の奥には幻の湖があるという。そこまでたどりつけるものなのか。沢の側壁を100mほど登ると突然洞穴の入り口が現れ、そこから「ひょ~」といううなり声に似た風の音とともに冷気が流れていた。入り口から、ヘッドランプをつけて、入り口から崖になった洞穴を降りて行く。沈黙の中に皆の息づかいがこだまし、そのあいまに「ぴちょん・・・」という水のしたたる音が響いてくる。気分はすっかりトムソーヤだ。この暗闇の先に待ち受けるのは宝の山かインジャン・ジョーか?我々はなおも進み続ける。地底には光は届かずヘッドライトの明かりだけが頼り。明かりを消したら、全く何も見えない完璧な闇が覆い被さってくるのである。すると誰かが突然「何か聞こえる!」と小声をたてた。聞き耳を立てると確かに闇の奥の方から人の話し声が聞こえてくるのである。我々しかいないと思っていた闇の中で人の声が聞こえてくるというのは実に恐怖である。しかも耳を澄ますと、どうやらひとりや二人ではない。相当の人数のざわめき声のようにも聞き取れた。幽霊などではない。確かに人間の声である。しかし幽霊ならまだいい。出る目的がはっきりしているのだから。それよりも、こんな人里離れた洞穴の闇の中から、聞こえもれてくる多くの人間の声の方がどれほどの恐怖だろう我々の間に戦慄が走る!新興宗教の何かの儀式か?それとも極政治集団の総括の儀式か?あるいは、殺人事件の後のばらばら死体を洞窟に捨てに来たグループなのか?気持ちの悪い想像が頭をよぎる。どれを考えてもこれならいっそ幽霊であった方が幾分気持ちよい。真実を確かめようと我々は明かりを消して壁に身を寄せてなお洞窟を進んでゆく。人の声が大きく近づいてくる。緊張感が一気に高まる。そのときだった。闇の中の声は軽いせき込みのあと「1・2・3ハイ!」とリズムをとったあとで歌い出したのである。「いま~わたしの~ねが~いごとが~♪」~翼をください~緊張感が高まっていた我々はその歌声に、逆上し、勇気は一瞬にして恐怖に変わった。怖い!。何がなんだかわからないけど怖い!「逃げろ!」と仲間の誰かが小声で言うと、それが合図であるかのように我々は暗い洞窟の中を息せきって逃げたのである背後には暗闇がある、そしてその暗闇の中に正体不明の人間がいる。いまだかつて感じたことのない恐怖にかられ僕らは暗闇を走った。そしてまもなく光が目の前を照らし、僕らは無事に光の世界に生還することができたのである。今となってはあの暗闇の中から聞こえてきた歌声の招待は定かではない。しかしその体験が今も僕らの足をあの鍾乳洞から足を遠ざけてしまっている。いずれ時がきたらまたそのときのメンバーであの洞窟に潜ってみたいものである。この次は余裕かまして「翼をください」でも歌いつつ。
2006年08月20日
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今日は天気予報最悪だったし、雨の日は高校野球でも見ながら日曜大工でもやってるべ~・・・と思って朝起きたら抜けるような青空とうだるような暑さ。これは山に行かねばなるまいてでもとりあえず高校野球の準々決勝を見る。高校野球といえば、私はエリアで言うと西東京地区に住んでいるのだが、都立高校でも出ないかぎり東京勢なんて絶対応援しないのだ。都会の私立高校はあまりに条件が有利すぎる。なのでいつも応援するのは北国、雪国のチームなのだ。公立高校尚可。地方小都市尚可。聞いたこともない高校尚可なのである。そんなんで早実vs日大山形の試合結果は残念であった。おっと野球など観ていると話がすすまない。高校球児達が灼熱のグラウンドで汗を流しているの姿をエアコンのきいた室内で応援しているのもよろしくないのである。だから自分は自分で山に行く。もう午後遅い時間だったので毎度奥多摩まで車を走らせ、海沢林道へ。ここは妻と初めて一緒に山に出向いたところなのだがその話はとりあえず今日は関係ない。こんな暑い日には当然沢登りなのである。海沢の下部瀑流帯には毎年泳ぎに来るところであるが、毎回同じ沢ばかりではつまらないので、海沢に美しい沢を落とす井戸沢という支流を上ってみた。出合いの天狗滝を越えるとその上にはさらに2段の滝があった。美しい。そこから上流にすこし行くとさらに釜の深い4m滝。これを右寄りを泳いでつるつるの壁を登るとその上に2m滝。これを簡単に越えるがさらにその上に4mほどの滝があるがこいつはなかなか難しい。普段は水流右の壁を登って滝の出口で水流をまたいで反対側の壁を登るのがルートのようだが、今日は川の水が増水していてとても登れやしない。登れそうもないのであっけなく敗退することにする。我ながら見切りが早いが今日はただ沢遊びにきただけだから未練もない。でも時間が早いので海沢の本流を下ることにする。ここは何度も通い慣れた沢ではあるが、こんな増水した日に川を下るのも新鮮だ。滝壺があれば飛び込み、シュノーケルとマスクで水中を散歩する。そしてほとばしる流れとともに下山する。流れに身を任せておちてゆくとはなんという快感だろうまもなく沢を木橋がよこぎって沢下りはあっという間に終わった。
2006年08月18日
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岐阜県高山市のキャンプ場にて小学生の兄弟が行方不明。1昼夜たって無事に保護です。夏とはいえ標高1000mもあれば朝晩は相当冷え込むはず。半袖半ズボン姿でよおく耐えたもんだ。しかも食べ物もなく水もなく連絡手段もないなかではさぞや心細かっただろうに。えらいぞ少年君たちのこの経験はきっと今後の人生で大きな糧となるはずじゃ。反面、お盆のさなか、海に流されて亡くなった子供たちも幾人かおる。自然の中での危険を大人が子供たちに十分に伝え切れていないのかな?アウトドアやサバイバルの技術なんて普通に生きていく限りは必要のないんものと思いますが、このような事件があったり、また地震や犯罪や戦争の危険もちらついて見えるような世の中ではある程度の生き抜く知恵を教えるのも親のつとめなのかなあなんて思いました。道に迷った時の対処法とか、いざというときの水や食料の得方とか、火のおこし方とか、安全なビバークの仕方とか、山男の父親としてはまあそこそこのことは教えられそうです。息子が幼稚園くらいになったら、自然とのつきあい方徹底的にしこんで、一晩や二晩くらい山の中で行方不明になってもなんとかするくらいの「鉄の男」に鍛え上げたいものです。不謹慎にもそんなことを思いながら少年たちの無事を喜んでみました。
2006年08月16日
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ニュースでこんなのやってやんのしかも先週、私が行ったばかりとまったく同じ、東黒沢でやんの。もうこれ以上聖なる山をおもちゃにするのはやめておくれなんて思うのも山屋のエゴかもしれんがちょっと悲しいニュースだったので書いてみました。
2006年08月13日
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せっかくの3連休を台風と見事にバッティングしてしまい、あああとか思いつつ連休は日曜大工でもしてすごそうと思いきや、最終日の8/10に台風一過の好天が期待できそうということで、急遽どこかに行くことにした。前夜発日帰りで行ける山で、なおかつ手軽で気持ちよく美しく、水と戯れるyとうな沢登りにいきたいそういうわけで向かったのは毎度谷川岳方面。とりあえず行っちゃって、現地に着いてからどこに登るか考えようという相変わらずいいかがんな計画である。深夜に登山口のだだっ広い誰もいない駐車場に到着し、とりあえず入山岩祝いにしこたま飲んだ。外は満月がこうこうとしていて気分良く酒がすすんだ。あけて翌日、エンジン音で目が覚める。ふときがつけば僕の車の両隣に車が停まっている。こんな広い駐車場なのに何でわざわざ人の隣に停めるのああ日本人の横並び主義。よくキャンプ場なんかでもこちらが山奥の気分を味わいたくてわざわざ人気のないとこにテント張っているのに、わざわざそのそばにテント張るやからもおる。淋しいのかね?ともあれ今日は朝から好天にうきうきして沢の準備をする。さて行くか!っていってももうこの谷川岳近辺の沢は隅に隅まで登り尽くしてしまって行ってないところといえばケサ丸沢とか、赤倉沢とか高倉沢とかいかにも「うわ~つまんなさそう~」ってとこしかないのである。登るところないので近場でお手軽な白毛門沢に行くことにした。この沢はなんと5回目であるが、適度なレベルと長さで楽しめる沢だ。登山口で沢登りの準備をしていると車が何台かやってきて、全身ウェットスーツづくめ、頭にヘルメットかぶった異様な集団が次々と現れる。「何じゃありゃ 新種の沢登り集団か?」と一応山で出会ったものどおしのマナーとして「こんちは」と挨拶したらあからさまに無視される。そしてその集団たちはリーダーらしき人が沢の説明などした後でぞろぞろと山奥に入って行った。それで謎が解けたのだ。最近、欧米からキャニオニングという遊びが日本に逆輸入され、この近辺で静かなブームと聞く。それもこの流域でさかんだとかで、オプションツアーの客が連日ここを訪れるらしい。キャニオニングというのは渓谷におもむき、滝壺にとびこんだり、ナメ滝を滑ったりする、まあ沢やがよく沢でやってる遊びをカテゴライズしたものなのだ。沢遊びなら沢遊びでそれでよいものを、何事においてもカテゴライズしたがる欧米人の発想らしい。しかし沢っていうとなんか泥臭そうだけどキャニオニングならやってみたいという人はいるらしくてツアー客も若い女性が多かった。しかし所詮は観光客である。ここは山である。しかも登山道を離れた山奥は一部の山屋にだけ許された聖域である。山屋でないものが山奥に入り込んでくることに嫌悪感を感じるのは私だけではないだろう。かくして沢に入山した僕も、なかなか「ああ山奥にいるんだ~」という気持ちにはなれずに黙々と登って行く。もちろんあまたのツアー客などはあっという間においつきおいぬいてしまう。早く全部おいぬかして完全な山の中に入りたい。しばらく歩くと東黒沢本流の鼻毛の滝がど~んと現れる。高さは20mくらい。見た目より急で滝の上部は逆層で滑りやすい。さすがにツアー客もこんな滝は登れないようで右岸にまるで登山道のような立派な巻き道ができていた。これを登ると沢は明るく開け美しい。この上には僕が10年前に発見した最高のナメ滝滑り台があるのだ。あるのだ・・・がなんとそこはすでに先発のツアー客の遊園地と化していたのだ。心の底からがっかりして足早にそこを離れる。しかしここから上流はさすがにツアー客も入ってきていない。何だキャニオニングっつたって、本当に沢の入り口あたりで遊ぶだけなんだと少し安心する。さてここから本当の沢である。今日はぐんぐん気温も上がって沢をあるいているのに熱くてたまらん。時折泳いだり、滝に打たれたりして涼みながら進む。白毛門沢に入るとまもなく8m滝核心部。ここは滝の右よりを登れるがすべりやすくてやや怖い。さらに上流には「タラタラノセン(センとはこの地方の言葉で滝のことである)」と呼ばれる大滝が現れる。さすがにこいつは登れないので左から高巻きでかわす。このあとも美しい滝やスラブがえんえんと続いてだんだんと源流の趣となってくる。来し方を振り返ると夏らしい風景の下で沢筋がきらきらと輝いている。やがて水がかれ最後の登りに。炎天下の登りは大変しんどい。こんな日に縦走とかしている人はたいしたもんだ。13:30白毛門到着!この頂上に立つの一体何十回目だろう?周囲をとりまく夏雲は美しい。頂上でだいぶぬるくなったビビールを空けてひとり乾杯する。さて下山であるが普通はここから登山道を降りるのが最短コース。しかしこの炎天下尾根を歩くことを嫌った僕は沢を降りることにする。登ってきたところと同じ沢を降りるのもおもしろくないので、北に稜線を藪をこいで、丸山乗越から東黒沢に下ろう思い立つ。登山道を離れてしばらく藪をこいで下って行くが、しかし思った以上にやぶがきつくて断念。かといって一度下った藪道を登り返すのも大変なので稜線を離れて右手白毛門沢右俣に向かって下降することにした。ささやぶだらけの急斜面を、ささやぶにつかまりながらずるずりと下って行く。途中であしもとが切れてがけにになっていたりして緊張。早く水流が現れないものか・・・何よりじりじりと照りつける太陽の下でからからになって下り続ける。1時間ほどで沢に合流。ほとばしる水流がきもちよい!問題の滝はノーザイルで何とか降りきり滑るようにすたすたと下って行く。暑くなってくると川にそのままどぼんと飛び込む。時刻が夕方になるとアブが大発生して、じっとしていると体中いたるところにかみついてくるので逃げるように走り、疲れると首まで川の中につかってアブをやり過ごす。そんなこんなでどっぷりと水と戯れながらああというまに駐車場に戻ってきた。川の水を浴び、滝壺に飛び込み、ナメ滝をすべりおり、そして大滝をノーザイルで降りてゆく。どうだ。キャニオニングなんて横文字使ったかて所詮入り口での遊びや。山にどっぷり浸かってどっぷり遊ぶ。これがほんまの沢遊びやで~たった1日の山だったけどそれなりに充実感を感じる1日でありました。さあて来週はどこ行こう?
2006年08月11日
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明日から短い夏休みの3連休なのである。ここは一番アルプスのでっかい沢登りにでも行こうと計画を立てていたのであるがなんとタイフーンが3つもきていてなんと明日からずっと雨マークではないかそういえば先週の家族登山も梅雨明け直後にも関わらず雨が降っていた。こいつは妻の雨女病がうつったか?とにかく明日は様子見にして、あさってからの天気図の変化に期待する来週も休みはあるので最悪どこかで山に行ければいい。それにしてもそんなにしょっちゅう山に登って奥さんや子供はどうしてるの?と問われそうだが、うちでは1月おきくらいに妻が子供たちをつれて2~3週間実家に帰ってしまうのだ。かわいいさかりの子供たちが半月以上いないというのは正直相当寂しいものであるが、妻も年子の育児に大変だろうし育児でストレスを溜められるのも困るのでその辺は我慢なのである。しかしピンチはチャンスなのである。この計算だと私は1年の6~7割くらい独身生活を送っていることになる。独身生活ということは、好きなだけ山に登れるし、好きなだけ酒を飲める。日記だってこうしてちゃんと更新できるし、料理だって自分の味付けでいいし、自由な時間もいっぱいあるということなのである。妻子に会いに行こうとすればいつだって会えるし、なかなか優雅な独身生活ではないかと前向きに考える。しかし、こどもたちもそろそろ大きくなって物心ついてくるようになったらさすがにもっと腰おちつけなきゃいけないよねと妻共々反省してみるのであるやっぱり子供は両親そろっての生活が一番。仕事柄も特にそう思います。妻と子が帰ってきたら、また全員で家族旅行に行けることを楽しみにしつつ明日からの連休を楽しんで参ります
2006年08月07日
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さて我々赤子2人を含む4人家族は今年の夏は乗鞍岳の登頂を目指しているのである。乗鞍岳といえばバスの終点の畳平からの標高差はたかが300m。もっとも簡単に登れる3000m峰である。道はしっかりとしていて人も多く、登山というよりもハイキングと言うよりも散策という言葉がふさわしい。だからこんなこと言っちゃなんだが今まで見向きもしなかった山であるのだが、しかし今赤子2人を担いで登ろうと考えるとそれがずいぶんと大変そうな試みに思えて来るものだ。長男は8ヶ月の時に2000m(美ヶ原山)まで登っているのだがあのときは登山中に大泣きをして、酸素不足が心配されたものである。そして乗鞍岳はそれよりも1000mも高い。酸素不足と低圧が赤ちゃんにどのような影響を及ぼすか資料がないのでわからんがとにかく乗鞍の前に高所順化及びモニタリングの必要性を感じ、今回日帰りで奥秩父の国師岳を目指すことにしたのである。国師岳(2592m)は金峰山との鞍部の大弛峠から往復2時間程度で登れる気軽な山だ。大弛峠までは中央道を勝沼で降りて140号に入り、牧丘から林道を1時間程度登ってゆく。あいにくと今日は天候もふるわずスーパー雨女の妻を気の毒に思う。大弛峠は平日だというのに大混雑。ここからは日本100名山である金峰山にもっとも手軽に登れるので100名山ハンターの中高年に人気が高いのだ。とりあえず峠で山の準備をしながら昼食&長女のミルク&おむつ代えである。こんな山屋の領域に赤ん坊の泣き声がこだまするのが恥ずかしい。何の蛙の子は蛙、山屋の子は山屋なのである。準備は万端いざ出発。時折小雨が舞う中を傘をさして歩んでゆく。今は長男は1歳10ヶ月と成長し、長女は8ヶ月になった。子供の成長の分たくましさが宿るがその分親の担ぐ負担は大きくなるのである。そしてこれが長女の山デビューになるのである。今回は自分が二人。前と後ろに背負うつもりで背中に背負い子。前におんぶひもを準備したのだ。写真にするとこうなる。やけに前後に長い。しかしおんぶひもは失敗であった。バランスが非常にとりにくく、子供が寝てしまうとぐらついてしまい、それを支えるために両手がふさがり、危険をよけきれなくなるのだ。仕方なく長女は妻に担いでもらうことにする。おんぶひもでの登山はかなりしんどそうだ。やはり背負い子をもう一つ準備するべきであった。峠から樹林帯しばらくで「夢の庭園」と呼ばれる遊歩道。この辺は歩きやすくて助かる。しばらく歩くと同じような子供3人連れのファミリーに出会った。「今日はこの子の山デビューなんですよ」と父さんはうれしそうに5歳くらいの女の子のフォローしていた。山馬鹿父さんの考えることはどこも一緒である。そこから急登しばらくで北奥千丈岳との分岐にでて、霧の中しばらくで国師岳の山頂であった。やった~ばんざ~いなどと思うのは大人だけ。子供たちはわけもわからずこんな寒いところにつれてこられて迷惑に違いない。好奇心旺盛な長男でさえここはどことばかりにきょとんとし、長女は何がなんだかわからない「なんかここ寒いし、息が苦しいわ」とでも思っているのであろうか?子供の足が冷たくなってきたのですぐに下山。下山は子供たちはぐっすりと眠ってしまって静かな反面バランスが取りにくいものの35分であっという間に下山である。冷え切った体を温めようと帰りには山梨のフルーツ公園近くにある「ほったらかしの湯」にてくつろぐ。ここは眺めが非常に酔いのでいつか夜景の頃に来てみたい。設備的にはほんとにほったらかしだけどね。すっかり帰りが遅くなって中央道を走る頃にはすっかり真っ暗。しかしすべては計画通りである。本日山中湖で花火大会があることを知っていたので帰り道の計画にくんでいたのであるが、遅すぎて却下。しかし別に相模湖でも花火大会があることを知り期待して中央道を走る。すると相模湖が近づいてきたところでドド~ンと大きな音とともに花火が夜空を飾った。初めてみる花火に息子は大喜びである。なんだかんだ美しい形で今回のお出かけの幕を飾り、我々は大満足である。標高2600mでも何とか登れることがわかったし、次回への自信をつけて次は3000m峰を目指します。
2006年08月01日
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