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本日発売の週刊プレイボーイに、とうとう私もヌードデビューしました!と言っても、本当のヌードではなく、裸眼で顔写真が載っているという意味です(笑)。その証拠の写真がこちら。142ページに、最近出版された本の著者をインタビューする「”本”人襲撃」というコーナーがあり、そこで私と『異次元ワールドとの遭遇』を取り上げているんですね。私の「裸」(の目)をご覧になりたい方は書店でお求めください(笑)。インタビューは1月21日に受けました。ところで昨日は、こちらでも「吹雪」となりました。すぐに融けてしまう雪でしたが、「初雪」が降る中、しばし散歩を楽しんでおりました。一時的でしたが、歩道が少しだけ白く染まりました。
2011.01.31
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今日もまた、以前撮影した富士山の写真を掲載します。まずは葉山御用邸そばの大浜海岸から見た富士山。次は波飛沫(なみしぶき)と富士山です。望遠で撮影していますから、波飛沫の向こうに富士山が迫って見えます。最後は望遠で撮影した雪をかぶった富士山の頂上。いずれも昨年11月2日に撮影した富士山です。フランスに出かける前に撮ったものですね。さて、これで昨年撮影した写真を整理しましたので、明日からは今年に入ってからの写真をご紹介できると思います。
2011.01.30
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巨大な目玉焼き。もちろん夕陽ですが、まるで雲の層を突き抜けているように見えるところが面白いですね。その沈みゆく夕陽のそばを小船が通ってゆきます。昨年12月5日に撮影した夕陽の連続写真でした。
2011.01.29
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まだまだ寒い日が続いていますが、近くの山里まで下りて行くと、冬なのに春のように思えてきます。何しろここでは、水仙や菜の花が満開なんですよね。1月17日に撮影したものですが、こんな感じです。菜の花が綺麗ですね。遠くの山の斜面を見ると、白梅が咲いていたり、桜の枝がうっすらとピンク色に染まりつつあるように見えたりします。ほんのちょっと山から下りてきただけなのに、こんなにも風景が違うんですね。そして山の上では、いつものように雲が、木をかすめるようにして通り過ぎて行きました。
2011.01.28
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今日はいつも楽しませていただいている霊峰富士山に敬意を表して、ベストショットの富士山の写真をご紹介します。12月8日の朝撮影した富士山ですが、手前の矢倉岳の周りに雲が漂っているのが面白いです。次はこちら。枝越しに撮影した富士山。12月17日に撮影しました。このように綺麗に見える富士山や伊豆半島は1月上旬ごろまで続き、中旬に入ってちょっとかすむ日や雲に隠れる日が多くなったのですが、今週は再びはっきりと見えるようになりました。今日も視界はすばらしく、昼ぐらいまでは対岸の初島まで見えました。大室山も朝からくっきりと見えていましたよ。いずれ初島の写真もご紹介しようと思っています。
2011.01.27
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11月8日から始まったフランス10泊12日の旅もこの日(17日)のパリで実質的に終わりです。今回は下見を兼ての旅だったので、無理をしませんでした。同じブルターニュ地方には、バルヌネの大ケルンやガブリニ島のドルメンなど今回見られなかった遺跡も多々あります。いずれフランスの巨石遺構を隈なく探査しようと思っています(笑)。ブラックマリアも今後のテーマでしょうか。最後にご紹介するのは、ブローニュの森です。 846万平米の敷地に競馬場や池、庭園などがあります。テニスの全仏オープンが開かれるローランギャロスも隣接していますね。落ち葉が敷き詰められた道が延々と続きます。途中、売春婦が客引きをする場所があり、少し雰囲気の悪いところもありましたが、晴れていればとても緑が綺麗な森のようなところです。最後は池で記念撮影して、この旅を終わりにしましょう。トルコから来たという年配のご夫婦に写真を撮ってもらいました。そう、いつかトルコにも行きましょう。覚醒中の「夢」で見たシンドバッドに会えるかもしれませんからね(笑)。最後の写真はそのブローニュの森の池の写真です。(了)
2011.01.26
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ブローニュの森に行く前に、せっかくパリに来たので、観光名所の撮影をいくつかこなします(笑)。まずはアレクサンドル3世大橋。昨日ご紹介したグラン・パレ、プチ・パレと同様、1900年のパリ万博に合わせて完成された豪華な橋です。こちらは凱旋門。高さ49・5メートル、幅44・8メートルの巨大な門です。1836年に完成しました。そしておなじみのエッフェル塔とセーヌ河です。次回が最終回となります。
2011.01.25
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11月17日。私たちの旅もあと残り二日です。枯葉散るパリ。晩秋。この日は曇り。鳩たちが芝生に集まってきて、何か食べていますね。パリ最後の一日は、グラン・パレ(大宮殿)とプチ・パレ(小宮殿)を見学しました。どちらも1900年のパリ万博のために造られたパビリオンでしたが、現在は博物館や美術館として利用されています。当時はこんな感じで人々が行き交っていたのでしょうね。プチ・パレの中にあった写真を複写しました。絵はグラン・パレ前の通りを描いたのだと思われます。私たちも描かれていたりして(笑)。プチ・パレ内部の天井画。写真に撮れるのはここまで。展示されている絵などは撮影禁止でした。特別展では、イタリア人の印象派の画家ジュゼッペ・デ・ニティス(1846-1884年)の作品を展示しておりました。その後グラン・パレのルネッサンス展を見て、最後はブローニュの森を目指しました。(続く)
2011.01.24
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日が暮れて、私たちが向かったのは、シテ島の西端をかすめてセーヌ河の左岸(南側)と右岸(北側)を結ぶポン・ヌフという橋でした。ライトアップされている橋がポン・ヌフですね。その橋の向こうに見えるのが、シテ島です。ポン・ヌフとは新しい橋という意味ですが、パリに現存する最古の橋でもあります。最古の新しい橋とは面白いですよね。1578年に起工し、1607年に完成しました。知らない方も多いと思いますが、萩尾望都の「この娘うります!」で舞台となった橋でもあります。私は見ていませんが、「ポン・ヌフの恋人」というフランス映画もありました。そのポン・ヌフから撮影した、エッフェル塔の見える夜景です。この日はシテ島から地下鉄でホテルまで戻りました。(続く)
2011.01.23
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ロワイヤル橋を渡って、対岸にあるオルセー美術館へと向かいます。その橋から写したセーヌ河。観光船が行き交っています。パリの空の下セーヌは流れる、ですね。ミラボー橋の下セーヌは流れる、と歌ったのはアポリネール(1880-1918年)。今でも彼の「ミラボー橋」という詩は、全部ではありませんが、フランス語でそらんじることができます。マリー・ローランサンとの別れを切々と歌った詩ですね。この日の午後は、ほとんどをオルセー美術館で過ごしました。見ごたえがありましたよ、オルセーは。マネの『草上の昼食』をはじめ、ドガ、ミレー、ルノワール、モネなど印象派の名作が一堂に集められています。オルセーの建物は、1900年にオルレアン鉄道の終着駅として建てられた駅舎だったんですね。パリ万博を見に来た私たちは、この駅を利用したかもしれませんね。オルセー美術館を出たら、日が暮れていて、空には月が出ておりました。(続く)
2011.01.22
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オペラ座からチュイルリー公園まではかなりの道のりですから、チュイルリー公園で一休みします。並木の葉も随分と落ちてしまい、枯葉となっていました。日差しを浴びるとポカポカ暖かいので、皆思い思いの場所でくつろいでいます。私たちも池のほとりの椅子に座って日向ぼっこ。水鳥もくつろいでいますね。正面奥に見えるのが、ルーブル美術館です。今回はルーブルには立ち寄らずにオルセー美術館に行きます。オルセーはセーヌ河の対岸にあります。そこでまず、公園を横切ってセーヌ川を目指しました。(続く)
2011.01.21
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翌16日、私たちがパリで最初に訪れた場所は、「オペラ座の怪人」で知られるパリ・オペラ座が見える通りでした。実は今回の旅の途中で買い込んだ本や資料が重くなったため、オペラ座のそばの運送会社から日本に重量のある本などを送ってしまおうと、この場所を選んだんですね。確か2,3キロの小包を50ユーロほどで送ることができました。オペラ座ことガルニエ宮です。オペラ座は1875年には完成していましたから、1900年のパリ万博開催の時には当然あったわけです。中には入らなかったのですが、それほど離れていない場所にあるカフェ兼レストランに立ち寄ったときは、もしかしたらという「前世の記憶」の断片がかすかによみがえってきました。私たちはプランタンをウィンドーショッピングして、マドレーヌ教会、チュイルリー公園へと歩を進めました。(続く)
2011.01.20
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今日は取材で遅くなり、「午前様」になってしまったので、フランス巨石めぐりの旅はお休みです。替わりにご紹介するのは、「富士山の上を飛ぶトンビ」君です。本当に気持ちよさそうに、悠々と飛んでいますね。1月17日に撮影しました。
2011.01.19
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11月15日午後7時10分ごろ、列車は無事にパリのモンパルナス駅に到着します。私の記憶が正しければ、1981年1月以来、実におよそ30年ぶりのパリです。当時私は「貧乏学生」でしたから、冬は学生寮から追い出され、独り寂しくフランスを放浪しておりました。交通費を浮かせるため雪や氷雨が降る中をヒッチハイクしたことも。食事もフランスパンとチーズを中心に極力削る耐乏旅行。「怪しげな人物」だとして警官の職質を受けながら(笑)、フランス国内を三週間放浪した末にたどり着いたのが、厳冬のパリでした。その時パリで泊まったのは、カルチエ・ラタンから歩いて30分ほどの場所にあるうらぶれた街角の安宿。トイレもシャワーもない部屋でしたが、確か素泊まりで当時のお金で700円(当時ユースホステルの素泊まり料金が約1000円)ほどの安さでした。当然冷蔵庫もありませんでしたが、窓の外は冷蔵庫となっており、牛乳やチーズなどは外に保存していたことを覚えています。私はそこで一週間弱過ごし、パリの冷たい冬を体験したのでした。さて、それから30年が経ち、私もそれほど貧乏ではなくなったので(笑)、もうちょっといい宿泊施設に泊まります。パリのモンパルナス駅から歩いて10分ほどのところにある明るくて感じのいいホテル「Lenox Montparnasse」。二人で二泊285ユーロ(3万3000円)でした。その日はホテルそばのスーパーで買い物してホテルの部屋で食事をします。翌朝、部屋から外を見るとパリの空は晴れていました。窓の外に飾られた花が綺麗ですね。さあ、パリではまずどこへ行きましょうか。(続く)
2011.01.18
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パリ行きの列車が出るヴァンヌの町に着いたのは、午後1時ごろでした。ただしその列車が出るのは15時56分だったので、時間はたっぷりあります。そこでレンタカーをヴァンヌ駅前の駐車場に止めて、ヴァンヌの町を散策することにしました。ヴァンヌはかつて、ブルターニュ公国の首都として栄えました。現在残っている街並みも15世紀ごろに建てられた建物が多く、石畳の小道もなかなか風情があります。町の中心にはサン・ピエール大聖堂があります。この大聖堂のそばにあるヴァンヌ歴史考古学博物館を見学しようとしたら、ちょうどお休み期間中で見ることができませんでした。そうこうしているうちに、レンタカーを返却する時間となったので、駅前ホテルのフロントに立ち寄って、返却手続きをします。ヴァンヌの駅で遅い昼食をとって、時間をつぶします。15時56分、ほぼ時刻通りにパリ行きの列車はヴァンヌ駅を出発します。パリのモンパルナス駅に着いたのは約3時間後の19時10分ごろでした。
2011.01.17
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11月14日に宿泊したホテルは、かなり豪華でした。Hotel & Spa de La Bretescheというリゾートホテルで、敷地内にはゴルフ場や庭園、そしてお城まであります。私たちが泊まった部屋の窓からお城が見えました。日が沈むまで時間があったので、ホテルの周りを散歩します。夕闇の中に、お城がだんだんと沈んで行きます。非常に手入れが行き届いたホテルで、ゆっくり散歩するには打って付けでした。池(湖?)にはたくさんの水鳥が泳いでおりました。この日はホテルで夕食を取り、ちょっと高級感を満喫。それでもビールやワイン代を含め二人で144ユーロ(1万6500円)でした。宿泊代もそれほど高いわけではなく、朝食抜きの素泊まりでしたが、二人で一泊116ユーロ(1万3000円)。夕食のほうが高かったですね(笑)。翌朝、朝日を浴びたお城を撮影します。この日(15日)は、ヴァンヌからパリへと向かいます。(続く)
2011.01.16
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妖精の岩のすぐそばには、古代人が使ったとみられるサークル状の天体観測施設がありました。イギリスのストーンヘンジもそうですが、こうした施設は天体観測所、あるいは古代のカレンダーとも呼ぶべきもので、春分、夏至、秋分、冬至を正確に読み取る装置だったんですね。たとえば、真ん中の棒の立っているところから太陽が昇る場所や沈む場所を観測し、季節を知ったわけです。かつてこの地で、巨石文明を築いた古代人がシンプルに天体を観測しながら暮らしていたのだと思われます。11月14日の宿泊先ホテルは、この妖精の岩から南西に向かって一時間ほど車を走らせたところにありました。そのホテルに向かう途中で撮影した美しいフランスの秋の空と雲です。運転中に気が付いて、つい車を停めて撮影したくなりました。それほど素晴らしい、光にあふれた風景でした。太陽です。何とも明るく、穏やかな風景ですね。この日泊まったホテルも、かなりゴージャスで良かったです。(続く)
2011.01.15
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サン・マロをお昼過ぎごろ出発します。太陽がキラキラ輝いて、雲も空から浮かび上がっているようですね。一時間ぐらい車を走らせて、再びレンヌまで戻ります。目指すドルメンはレンヌの30キロ南の場所にあります。何度か道を尋ねて、La Roche aux Fees(妖精たちの岩)にたどり着きます。到着した時は少し曇り空だったのですが、ガイドさんが「慌てなくても晴れるから」と教えてくれます。しばらく待つと、確かに日が妖精の岩に当たり始めます。これがその妖精たちの岩です。このように林の中に鎮座しています。正面から見ると、こんな感じです。木々と岩の相性がとてもいいように思います。これが内部です。日の光がドルメンの内部まで入り込んできておりました。帰る時、もう一度妖精たちの岩を遠くから撮影します。妖精たちがいるおかげか、光に包まれているように感じました。(続く)
2011.01.14
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三方を海で囲まれた城壁の町サン・マロは、13世紀にはすでに海賊の町として知られていました。その後もフランス最大の港町として栄えていましたから、19世紀後半にイギリスからこの港に渡るルートも当然あったはずですね。私たちの記憶では、そのころ仲間と一緒にイギリスからフランスに渡っていますので、この町に立ち寄った可能性は強いのではないかと思っています。14日は前日までの荒天とは打って変わって、快晴となりました。太陽がまぶしいくらいです。みな、浜辺を散歩したり、11月の日差しを楽しんでいるようでした。城壁に囲まれたサン・マロの町の中心へと向かいます。これがサン・マロの城壁。内側から城壁を撮影。ここでお茶をしたり、ショッピングをしたりして、しばらくのんびりします。そして、次の目的地である妖精の森の巨石遺構へと向かいました。(続く)
2011.01.13
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13日は雨が降ったりやんだりの少し荒れた天気でした。その中、サン・マロへと車を走らせます。最初はレンヌに向かい、その後サン・マロまで北上するルートを選びました。3時間半ほどの行程だったでしょうか、サン・マロに無事に到着します。サン・マロまでは比較的簡単にたどり着いたのですが、サン・マロ郊外にあるはずの宿泊先ホテルがなかなか見つかりません。何度も道に迷っては、人に聞いたりすること一時間。ようやくたどり着いたのが、このホテルです。ホテル「ラヴィルフィルモア」。昔の貴族の邸宅を改造したようなホテルで、なかなかよかったです。部屋からの眺めです。海が見えますね。夕暮れまで時間があったので、海岸を散歩します。この日はホテル・フロントの女性が教えてくれた大衆レストランで食事をしました。サン・マロは「のだめカンタービレ」でも有名になりましたね。のだめが「モーツァルト姿」で初めてフランスでコンサートをした場所がサン・マロのブノワ家でした。そして翌日、城壁に囲まれたサン・マロ市内へと向かいました。遠くに見える城壁の町がサン・マロです。(続く)
2011.01.12
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11月12日、プチメネックの列石群からホテルに帰る途中に撮影した羊と巨石です。もう夕暮れ時でしたから、ちょっと薄暗くなっていますね。翌13日、私たちは次の目的地であるサン・マロを目指します。でもその前に、カルナックの街中から少し離れた場所にあるサン・ミッシェル古墳を見に行きます。サン・ミッシェルとは聖ミカエルのことですね。私たちの旅には聖ミカエルが関係するらしく、旅の行く先々にゆかりの教会や場所が現れます。イギリスの巨石めぐりの旅のときもそうでした。聖フランシスコさんとも関係ありそうですね。これがその古墳のある小山です。丘の上には16世紀の十字架と礼拝堂が建てられており、そこからカルナックの街並みが一望できます。この古墳(丘)は、巨石が築かれたとみられる紀元前5000~3500年ごろの古墳だとみられており、現在も発掘作業が続いているようです。私たちはここでカルナックに別れを告げて、小雨が降る中、サン・マロへと向かいました。(続く)
2011.01.11
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メネックの列石群のミニチュア版ともいえるプチ・メネックの列石群は、一連のカルナックの列石群の北東の端にあります。これがプチメネックの列石群です。かわいいですよね。巨石の列ではなく、人間の腰か膝ぐらいまでしかない大きな石が並んでいます。巨石の列石群が巨人族の大人の競技場だとしたら、これは巨人族の子供たちがかけっこをした運動場のように思えてしまいます。森の中をカーブを描きながら小さい列石が続きます。妖精が出てきそうな森の中の列石でした。(続く)
2011.01.10
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ロクマリアケールを離れ、再びカルナックのメネック列石群へ写真撮影に出かけます。本当に行けども行けども巨石が続いています。道路を越えて線路のようにどこまでも続いていますね。メネック列石群の西の端の方まで行ってみました。こんな感じです。横から写しているので雑多に見えますが、きちんと直線に並んでいるんですよ。列の最後はこのように、始まりか終わりを示すように列に対して垂直に巨石が置かれています。そしてそのさらに奥の方には、直線ではなく半円形の巨石の列があるんですね。列が弧を描いているのがわかりますね。つまりストーンサークルの半円のようになっているわけです。幾何学的で何か意味がありそうです。巨大な幾何学模様を巨石で造ったのかもしれません。このメネック列石群のミニチュア版のような列石群も、別の場所にあるので、次回はそれをご紹介しましょう。(続く)
2011.01.09
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巨大なメンヒルと周辺の巨石遺構を見た後、前日暴風雨の中見に行ったPierres Plates(平たい石組)を再び見に行きます。前日よりは天気は良かったので、もう少しのんびりと見学できると思ったからです。そして撮った写真がこれです。前日は海を撮影するどころではなかったのですが、この日は何とか海を背景にしてPierres Platesを撮ることができました。それでも相変わらず風は強かったです。近くで海を眺めます。どんよりとした感じの海ですが、ようやく晴れ間が見えてきました。こうして二日間にわたったロクマリアケールの巨石めぐりを終えて、再びカルナックの巨石群へと向かいました。(続く)
2011.01.08
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今日の富士山はまた素晴らしく綺麗でした。母の83歳の誕生日を祝いに行く途中でまず撮影。雲のたなびき方がいいですね。まるで頂上付近で雲を製造しているようにも見えます(笑)。そして新宿の高層ビルからも富士山は夕日にくっきりと浮かび上がっておりました。素晴らしい日に感謝。
2011.01.07
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ロクマリアケールの巨石群の続きです。巨大メンヒルそばにはドルメンがありました。「商人のドルメン」「商人の組石」などと呼ばれています。中に入ると、一番奥の突き当りの壁にこのような模様が描かれています。巨大メンヒルと石組。カモメが遺跡のそばをのんびりと歩いておりました。(続く)
2011.01.06
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今日ご紹介するのは龍雲です。顔をこちらに向けて、とぐろを巻いた龍のように見えるんですけど・・・・・誰ですか、ただのお団子に見えると言っているのは(笑)。まあ、団子雲でもいいんですけどね。その雲と富士山のツーショットです。昨年12月29日に撮影しました。
2011.01.04
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楽天の「緊急メンテナンス」で写真がアップできないようなので、当初予定していたブログを取りやめて、以前お話ししたフランシスコさんの「その後」を簡単にお知らせしておきます。私たちが昨年11月にフランスに行く前に「案内状(招待状)」をくれたフランシスコさんのことが、なんとなくわかってきました。どうやら中世のイタリアに実在した聖人のフランシスコさんみたいです。彼はフランシスコ会の創設者として知られるカトリック修道士で、「アッシジのフランチェスコ」としてイタリアでは最も著名な聖人の一人だそうです。そのイタリアの聖フランシスコさんがなぜフランスと関係があるのかは謎のままですが、イタリア語やラテン語だけでなく、フランス語も話せるようです。何かフランスと関係があるのかもしれませんね。また小鳥に向かって説教をしたという説話も伝わっていますから、鳥語も話せたのかも(笑)。とにかく彼は、自然を賛美する聖人としても知られていたようです。その点で私たちと似てなくもありません。最初に聖フランシスコではないかと指摘したのは秋山眞人氏でした。秋山氏によると、聖フランシスコは当時、もっとも有名なコンタクティーであり、超能力者であったとか。その後、私たちのところにも、案内状をくれたフランシスコさん本人が聖フランシスコであることがわかるような内容を「送信」してきてくれたので、今では間違いないのだと思っています。とはいえ、私たち受信する側が完璧には機能していないので、何を伝えたいのかは不明です(笑)。また何かわかったら、このブログでもお知らせしようと思っています。その時までしばらくお待ちください。
2011.01.04
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ある日の相模湾。このように無数の光のカーテンが海に降り注ぐ日もあります。見事ですね。このような美しい自然には、ただただ驚嘆するしかありません。
2011.01.03
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元日の夕日も美しかったのですが、今日の夕日も素晴らしかったです。海の上にできる金色の道が見事です。このような写真を20枚以上撮ったのですが、そのうちの一枚だけにこのような写真もありました。ちょうど黄金色に染まった海の上にオーブのような光の玉が写っています。もちろん逆光で撮影していますので、光の乱反射ということもありますが、20枚以上逆光の写真を撮った中でこの一枚だけに写っていましたから、何か特別な光の玉なのかもしれませんね。本日の「黄金の夕陽」でした。
2011.01.02
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新年あけましておめでとうございます。さっそく元旦の日の出と富士山です。日の出前、すでに富士山は元日の太陽を浴びて明るくなっています。そして初日の出。ここでは大楠山の山頂から日が昇るんですね。元日の朝日を浴びる富士山です。本年もよろしくお願いいたします。
2011.01.01
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