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10月7日はフォンテンヌブローを離れてパリに戻る日だったのですが、金曜市があるというので電車の時間を遅らせてマーケットを見学します。食料品から衣料品、雑貨まで多種多様なお店が並んでいます。その中で特に目を引いたのは、古本屋さん。興味深い本が安値で並んでおり、つい見入ってしまいました(笑)。マーケットで少し買い物をした後、この日は快晴だったのでフォンテンヌブローの庭園を散策しながら写真を撮ります。池越しに宮殿を撮影。雲の形が面白いですね。古代日本人は雲にも神が宿るとみて、豊雲野神と名付けたそうです。その気持ちもわかりますね。ずっと遠くまで庭園が続いています。この奥行きの広さは・・・まるでヴェルサイユ宮殿の庭園のようでもあります。この日は午後の電車でパリへ戻りました。
2011.10.31
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フォンテンヌブローで私たちが泊まったホテルの部屋の写真です。凄いでしょう。まるで宮殿の寝室のようです・・・・・・なんて、本当はホテルではなく、フォンテンヌブロー宮殿の寝室の写真でした(笑)。これがフォンテンヌブロー宮殿の正面です。ナポレオンが使った部屋。書斎、というか図書館でしょうか。とにかくすべてが豪華で、まるで私の部屋のようでした(笑)。
2011.10.30
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10月上旬のフォンテンヌブローはもう秋の気配が漂っていました。赤くなってきた葉。そしてオレンジ色の実。街灯にも秋の草花が飾られています。フォンテンヌブローで宿泊したホテル前の広場の風景です。フォンテンヌブローでの二日目の晩は、ホテルで紹介してもらったバッカスというレストランに行くと、日本から観光に来ている年輩の夫婦の方とたまたま隣の席になります。声をかけないのも変なので、簡単なあいさつから会話を始めると、あれよあれよと言う間に、まるで同総会であった旧友のように会話が弾みます。そして驚いたことに、ご夫妻とも教授職を務められた方で、旦那様のほうは『今鏡全釈』を書かれた海野泰男氏でした。 『今鏡』は平安時代末期に成立した歴史物語。後一条天皇の万寿2年(1025年)から高倉天皇のまでの13代146年間の歴史を紀伝体で描いています。私もちょうど古事記・日本書紀の世界を扱っていますから、歴史つながりとなりました。現代史においても、同じ大学におられたという副島さんの話で盛り上がりました。とても楽しい時間をありがとうございました。
2011.10.29
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パリに着いた翌日は、フォンテンヌブローへ移動します。フォンテンヌブローでは、宮殿の前にあるホテルに二泊しました。これがそのホテルです。なかなか綺麗で快適なホテルでした。荷物を置いて、セーヌ河畔の村ヴァルヴァンにあるマラルメ記念館へ。美しい庭ですね。19世紀フランスの象徴派の詩人ステファン・マラルメは晩年、この別荘で過ごしました。マラルメの夏館と呼ばれているようです。今では記念館になっていて、マラルメの扇や自筆の手紙、使っていた家具などが展示されています。マラルメは以前、このブログで何回も取り上げましたので、ご興味のある方はこちらへ飛んでください。
2011.10.28
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フランスに移る前に、ロンドンのコヴェント・ガーデンを紹介し忘れていました。『マイ・フェア・レディ』でイライザが花を売っていた場所でもありますね。今は大道芸人や芸術家が集まり、路上でパフォーマンスをやっています。最近の流行りは銅像のマネでしょうか。ブロンズ像さながらに全身を塗りたくって、なりきっいるパフォーマーに時々、人だかりができていました。道の真ん中にいなければ、おそらく誰もが銅像だと思って通り過ぎてしまうでしょうね。コヴェント・ガーデンの周辺には、面白い場所もたくさんあります。このような華やかな場所も。さらにちょっと歩いたところにあったイタリアレストラン。なかなか洒落たお店で美味しかったです。
2011.10.27
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ロンドンに一週間ほど滞在して、次に向かったのはパリ。パリには昨秋のフランス旅行で3日間ほど滞在しておりますが、もちろん3日間ではすべては見られません。実際に前回は、オルセーには行ってもルーブルには行かず仕舞でした。そのパリに初日に泊まったのは、パリ中心部からやや離れた場所にあるゲストハウス風のプチホテルでした。そのフロントです。百科事典や地球儀があって、お洒落な感じがしますね。そのお洒落なフロント(リビング)を守る番人さんがこちらです。寝てばかりいてさぼっているように見えますが、知らない人がそばを通ろうものなら、がバッと起き上がって警報を鳴らします。とてもお利口でかわいい番犬さんでした。
2011.10.26
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イギリスに来ても、いつも田舎ばかり回っていますから、ロンドンはほとんど観光していません。しかし、今回の目的地はロンドンですから、当然ロンドン市内を観光します。今日はその証拠写真をご紹介しましょう。まずはタワーブリッジ。ロンドン塔にはお化けが出るので有名なので、私たちはあまり近づかずにお隣のロンドン橋から撮影(笑)。ただし、先日ご紹介したオーブが写ったのは、このロンドン橋のほうでした(笑)。こちらはBAロンドン・アイと名付けられた大観覧車です。高さ135メートルのヨーロッパ最大の観覧車とか。2000年にできて、以来ロンドンの新名所になったようです。国会議事堂の時計塔ビッグ・ベン。ビッグ・ベンの名称は、工事担当者のベンジャミン・ホールに由来しており、本来は塔の中にある鐘に付けられた名前だったそうです。最後は、こちら。王冠を被った街灯です。ちょっと洒落ていますね。ちょっとしたロンドン観光でした。
2011.10.25
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シュメール文明が開花していたころのアッカド王朝のナラム・シン王戦勝記念碑は、そこに16日章菊形紋が彫られていることにより一部で有名になっています。ルーブル美術館に所蔵されていますが、こちらがその戦勝碑です。ザグロス山脈の上に輝くのは太陽のシンボルとされています。しかし、どうやらそれだけではないように思われるんですね。なぜなら、もう一つ同じシンボルが左に描かれています。そして、さらによく見ると、ほとんどが削られてしまっていますが、その二つのシンボルの上にもう一つ「太陽のシンボル」があったことがわかります。太陽のシンボルが三つあることになりますね。これがその削られた三つ目のシンボルの残骸です。なぜ三つも・・・?何か深いわけがありそうですが、それもいずれ解明してゆきましょう。
2011.10.24
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一週間前からその声は「絶対に晴れるから」と言います。ところが、天気予報を何度見ても、降水確率は60~70%。前日になっても、その確率は変わりません。天気図や雨雲の予測でも、どう見ても巨大な雨雲がその時間その場所を通過します。でも声ははっきりと言うんですね。「負けちゃ駄目よ。あなた方が晴れると本当に思えば、必ず晴れるから」「はい、わかりました。明日は晴れます。間違いなく」そう信じて当日目を覚ましたら、雲間から日差しがこぼれています。幸先良いスタートです。しかし、お昼が近づくにつれて、再び雨雲に覆われ、午前11時ごろには大雨となります。おやおや、これは大変。雨は降らないと思ったのに、降りやみそうにないほどの大雨です。それでも屋根の下にとりあえず避難していたら、約束の時刻になると雨はやみ、やがて太陽が顔を出します。そして天気予報に反して、その後一切雨は降りませんでした。「声」の言うとおりでしたね。この世界にはきっと、ミュージカル『ウィキッド』に出てくるように、気象を操る魔法のようなものがあるのでしょう。実際のところ参加者の中には、晴を呼ぶことができる人が少なからずいたようでした。不思議な「声」のお話を記録として残しておきますね。
2011.10.23
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シュメールの都市ウルから出土した、紀元前2500年ごろの女王プアビ(Puabi)の頭飾りです。頭に付けている風車のような飾りは、3つの8花弁の花を表しているようです。左奥に見える8花弁の花の飾りにも注目です。シュメールの都市ウルでは、8花弁の花模様が王家を表していたように思うんですね。多くの8花弁の文様が見つかっています。スメラミコトのグループ(祭祀グループ)がいたとみられるウルには、この8という数字に意味があったのではないでしょうか。そして、スサにいたアッカド人とみられるスサノオのグループ(政治・軍事王のグループ)と合わさったとき、16花弁になったのかな、などと想像してしまいました(実際、紀元前2260年ごろ、アッカド人の王ナラム・シンがシュメールの「統治王」だったとき、山の頂上に3つの16日章菊形紋が彫られている碑が見つかっています)。さて、その女王プアビの想像図です。日本の卑弥呼もこのような格好をしていたのではないでしょうか。いずれも大英博物館で撮影しました。
2011.10.21
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9月下旬のロンドンは、すでに秋の気配が辺りに満ちていました(と言っても気温は夏のようでしたが)。キューガーデンズで見つけたイギリスの秋の色です。まずは黄色。こんな黄色もありました。次は赤です。赤みがかったオレンジ。秋の青空に映える黄緑の実です。イギリスの秋の色をご紹介しました。
2011.10.20
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昨日は久しぶりにオーブの写真を紹介したら、今日は夕焼けを撮影しているときにオーブがやってきてくれました。右中央奥に写っているのは富士山。オーブは写真上、やや右寄りのところを飛んでいます。拡大するとこうなります。夕焼け空を背景に、とてもかっこよく飛んでいますね(笑)。今日の夕焼けはとても赤かったです。ススキと夕焼けと富士山です。やがて空全体が深紅色に染まります。富士山が赤く染まった雲に解けてゆくようです。この日も素晴らし夕景でした。
2011.10.19
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よく絵本には、鼻や目など顔のある月が描かれることがありますが、何とロンドンの月には本当に鼻と口がついていました。これがその証拠写真です。鼻と口がはっきりと写っていますね。まるでマンガのようです(笑)。手前の建物によって月の形が浸食されたためだと思われますが、何とも面白い偶然の結果です(たぶん)。ただしこの直前に撮った写真には、不思議な光体が写っていましたから、本当は妖精のいたずらだったりして、などと思ってしまいます。そういえば、ミュージカルの『ウィキッド』を観た後でもありました。もしかしたら西の魔女の魔法かも・・・。その不思議な光体が写った写真はこちら。オーブみたいですね。月を撮るためにフラッシュを焚かずにシャッター時間を少し長くして撮影しています。その間にオーブが移動したように見えます。しかも、ちゃんと月を避けて写り込んでいるところが凄いです。この不思議な写真に関しては、後日秋山さんに鑑定してもらうつもりです。その結果は、このブログでもお知らせできるのではないかと思っています。いずれの写真も、10月2日にロンドンブリッジから撮影しました。
2011.10.18
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今日ご紹介するバラはキューガーデンズのバラです。キューガーデンズは、私たちがロンドンに滞在した時は必ず訪れる植物園です。なぜ、ここがそんなにも気に入っているかというと・・・そうです。多彩な植物もさることながら、水鳥などいろいろな種類の鳥に会えるからなんですね。常連のガチョウさん。そして、この公園の人気者。まるで女王様のような、オスのクジャクです。人間のオスも、このように美しくありたいですわよね(笑)。
2011.10.16
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古代メソポタミアやエジプトに見られる菊の花びらのような紋章を、学術的にはロゼット紋と言っています。ロゼットという言葉は、元来はバラの花から由来する言葉で、八重咲きのバラの花びらの様な配列を表す言葉なんですね。ところが、日本人の私たちから見ると、菊の紋章に見えてしまいます。たとえば、これです。もう少しわかりやすいようにその部分を拡大しましょう。エジプトから出土した、紀元前3世紀の女神ハトホルの像(ルーブル美術館蔵)に刻まれていました。紀元前6~7世紀のメソポタミア(現イラク)に一時代を築いたアッシリアに至っては、王と精霊のみがこの紋章を手首や服に付けているんですね。最古のロゼット紋が見つかったのは、紀元前4000~2000年ごろに世界最古の文明を築いたとされるシュメルです。学者たちは、それをナツメヤシの花の紋だとしているようですが、どうみても太陽の紋章です。16日章菊形紋と呼ぶのが正しいように思います。まさに日本の天皇家の紋章ですね。日本が真似したのか、向こうが真似したのか。あるいは、今は痕跡もなく沈んでしまった幻の大陸の紋章か。竹内文書に書かれている16菊花紋の由来がまたとても面白いのですが、それは別の機会にご紹介することにいたしましょう。
2011.10.16
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ロンドンのリージェンツパークにあるQueen Mary's Rose Gardensの薔薇たちです。10月1日に訪れたのですが、見事に咲いておりました。さて、薔薇といえば恒例の緩やかなオフ会を22日に開催いたします。ご興味のある方はご連絡ください。
2011.10.15
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私がロンドンで初めてミュージカルを見たのは1975年、17歳の時でした。そのミュージカルは、『ジーザス・クライスト・スーパースター』。初めての本格的な観劇で、その時の感動は今でも鮮明に覚えています。思えばそのとき、あの劇場という小さく、不思議な空間に弾けるように飛び回るエネルギーと一体化するという高揚感を初めて知り、劇の世界に夢中になったのでした。そして大学で学んだのは、英文学と仏文学。英国の留学先をケント大学にしたのも、観劇のメッカであるロンドンとパリに近いという理由でした。長い休みを利用しては、ロンドンやパリで一番安い天井桟敷席で観劇をしながら、最終的な論文はフランス語で書いた『サミュエル・ベケットの演劇におけるゲームとプレイの概念』でした。米国のハーバード大学やジョンズ・ホプキンズ大学で学んでいるときも、週末は観劇三昧の日々でした(笑)。そして今回の旅行でも、ロンドンではミュージカルを5本も観劇しました。私の特にお気に入りで3回目の観劇となる『オペラ座の怪人』。パワーと迫力のある『レ・ミゼラブル』。映像や光によるイル―ジョンを駆使した『ゴースト』。踊りを豊富に盛り込んだ『ビリー・エリオット』。そして、すぐに私のお気に入りミュージカルに加わった『ウィケッド』の五本です。最後の『ウィケッド』は、『オズの魔法使い』を題材にしたミュージカルということだったので、ちょっと子供向けなのかなとあまり期待していなかったのですが、どうしてどうして、素晴らしい物語と音楽でした。曲の中で特に素晴らしかったのは、『Defying Gravity(重力に挑戦する)』です。米テレビドラマ『グリー』でレイチェルとカートが歌っていたので「いい曲だな」と思っていたのですが、まさか『ウィケッド』の曲でしかも本当に重力に挑戦する歌だとは知りませんでした(笑)。人々が信じ込んでいる物語の裏には、まったく知られていない異なる物語があったとするこのミュージカルの構成は素晴らしく、私としては多くの点で911テロのアメリカとダブります。恐怖を作り出し民衆を扇動した「オズの魔法使い」は誰だったのか。その操作のからくりにいち早く気づき、人が作り上げた「限界」ではなく、自分の心を信じて常識の殻を破り、たとえ一人でも空を飛んで自由になると決めた「西の悪い魔女」であるエルファバ。その対極としては、独善的なアメリカのキリスト教的良心の象徴である「いい魔女」のグリンダがいます。なるだけ多くの人が、できるだけ早く、オズの魔法使いのカラクリに気づいてエルファバのように「変わって」ほしいと思わずにいられませんでした。
2011.10.14
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今回の取材旅行は、私たちには珍しく、ロンドンとパリという大都会が中心でしたが、ステファン・マラルメの取材では、パリ郊外のフォンテンヌブローまで足を延ばしました。フォンテンヌブローで有名なのは、フランスでもっとも大きな宮殿(城)でしょうか。歴代のフランス王が愛し、ナポレオン・ボナパルトも自分の権威の象徴として活用した宮殿でもあります。宮殿の内部は豪華でしたが、それにもまして、その庭園が素晴らしかったです。私がとくに気に入ったのは、上のプラタナスなどの並木道と、光に映える緑です。ロンドン滞在中と違って、フランスでは曇りや雨の日が多かったのですが、この庭園にいる間だけは、見事に晴れてくれました。
2011.10.13
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1981年以来30年ぶりのルーブル美術館。当時は何がなんだかわからないまま、どこを見ればいいのかわからずに、ただ美術品の多さに圧倒されただけでしたが、今回はメソポタミア文明の取材とテーマが決まっていたので、とても充実した美術鑑賞ができました。午前11時ごろから見はじめてルーブルを出たのは午後6時。なんと7時間ルーブルの世界に浸っておりました。写真も撮り放題ですから、同美術館の書籍売り場で買った貴重な本も含めてかなり資料が集まりました。ただ、こうした取材旅行で1番頭を悩ませるのは、購入した本の重さです。すでに大英博物館やマラルメ博物館などで大量に本を買い込んでいましたから、そのまま日本に帰ったら、重量オーバーは確実でした。そこでフランスから7キロ分を航空便で送ることに(郵送料は日本円でも5000円未満で、イギリスから送るよりも安かったです)。そして本日、無事日本に戻ってきたのですが、フランスから郵送した書籍類も先ほど到着しました。こうしてたくさんの資料に囲まれて、再び執筆作業等が始まります・・・そんな日常生活を送っております(笑)。
2011.10.10
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今年の一月に急に取材を思い立ってから、あれよあれよという間に本が完成して、その余韻に浸る間もなく次の作品の取材と執筆が始まります。そして次の本の第一回目の校閲作業が終わるとすぐに次の取材に。めまぐるしく変わる環境を楽しみながら、次から次へと課題をこなしていくという感じでしょうか。2週間にわたるイギリスとフランスでの取材もほぼ終わり、家に帰るとおそらく、次の校閲作業が待っているはずです。同時に次の作品の執筆作業と取材も始まるというように、いろいろな作業が私の帰りをまだかまだかと待っているわけです(笑)。もう少し待っててくださいね、私が書くことになっている作品さんたち。一つ一つしっかりとちゃんと書いていきますからね。
2011.10.10
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イェイツとマラルメとシュメールの取材でイギリスに来てから、不思議なことが起こりました。私には珍しく、3日3晩ほぼ同じ夢を見たんですね。何のたわいのない夢ですが、同じ夢であることに大きな意味がありそうです。これについては後日、ブログでもご紹介しましょう。大英博物館(とミュージカル)三昧のロンドン滞在でしたが、写真が撮り放題であることと無料であるところがうれしかったです(笑)。16菊花紋もたくさん撮らせていただきました。王と精霊のみがつけた紋章というところもおもしろかったです。16人の王子の話も本当だったのかななどと思ってしまいました。これについても、いずれブログでご紹介しようと思っています。今しばらくお待ちください。
2011.10.06
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