全18件 (18件中 1-18件目)
1
おお、円盤ぽい雲が出ていますね。今日(1月31日)は3月出版予定のUFO本の初稿締め切り日。無事脱稿し、年表やコラム、参考文献も済ませて、順調に進んでおります。
2023.01.31
コメント(0)
こうして1974年3月に無事中学を卒業したものの、せっかくの宿題のない1か月弱の春休みをスキーにも行けず、ひたすらコルセットをしながら静養しなければならなくなりました。当時の私にとっては、拷問のような日々です。 ただし、一つだけやっていいという運動がありました。それが水泳だったんですね。浮力で体が軽くなる分、腰への負担を軽減できます。ゆっくり泳ぐのであれば問題はないとの医師からの了解を得て、春休みはプールでのんびりする時間を持ちました。 私は機械体操以外ほぼスポーツ万能(高校2年生くらいのとき一度だけ機械体操で4を取った以外、すべて5の成績)だったのですが、実は水泳ではクロールが苦手でした。得意は平泳ぎで、水泳部の連中とも競る位の馬力はありました。しかしクロールは、息継ぎが下手で校内の水泳大会の自由形の競技では平泳ぎか背泳ぎかのしで出場していました。それでは勝てませんね。 ところが、この傷心の春休みには、体の力を抜いて、のんびり泳ぐ機会が増えたため、クロールの息継ぎが上手くなったんですね。苦もなくクロールが泳げるようになりました。それが不幸中の幸いでしょうか。 以来、クロールは得意種目になりました。大学や社会人になっても水泳は続け、テニスを5,6時間やった後に、1キロくらいクロールで泳ぐこともできるようになりました。いいクールダウンになります。テニスをやっていなければ、3キロ強の距離を1時間以上休まずにクロールで泳ぐこともできます。でもまあ、水泳部の連中には到底かないませんけどね。趣味の範囲で、まあまあのクロール泳者になることができたわけです。 (続く)
2023.01.29
コメント(0)
1974年の三月上旬だったと思いますが、公式戦の試合中にラックになったときに、密集に巻き込まれ腰の辺りに痛みを覚えたんですね。幸い、その試合には勝ちました。試合中はほとんど気にせずにそのままプレイを続行したのですが、試合が終わって部室に戻るときに腰の辺りに重さを感じます。歩くのがしんどくなって、最後にはそばの椅子に座り込む始末です。 疲労かなとも思ったのですが、休んでも腰付近の重さとダルさは治りません。 そこで翌日、整形外科で診てもらうことにしました。レントゲンを撮ってもらって、お医者さんから説明を受けると、確か「腰部脊柱管狭窄症」との診断。二か月間コルセットを付けて運動をしないように言われます。 当時の私にはすごいショックでした。何しろ毎日運動していないと気が治まらないようなスポーツ少年でしたから、二か月間、その運動を禁じられたのは、二か月間遊びを禁じられた子供の心境です。ラグビー部を休部することを伝えると、皆からがっかりされましたが、ドクターストップがかかったのでは仕方ありません。 野球部の先輩からは怒られました。ラグビーなんかやるから怪我をするんだ、と。まあ、その通りなのですが、あのラグビーの面白さを知ったら、辞められませんね。その後も高校二年生までは春から秋は野球、冬はラグビーと、二つの部の掛け持ちをやらせてもらっていました。この自由さがいいですね。 しかしながら、二か月間に及ぶドクターストップの宣告に、私はしょげ返っていました。せっかくの春休みもおとなしくしていなければならなくなりました。 そのしょげた気持ちを少しだけ和らげてくれたのは、中学の卒業式で、体育優良賞をもらったことでしょうか。毎年男女一名ずつ選ばれる賞で、野球、陸上、ラグビーで活躍したことが評価されたようでした。女性の受章者は水泳部のFさん。Fさんは小学校の同級生で、五年生くらいのときに両親の仕事の都合だと思いますが、S学園を休学して二、三年アメリカで暮らしていました。そして中学になって再びS学園に戻ってきた人です。 このFさんとも不思議な因縁があり、Fさんの父親と私の伯父が大の親友だったんですね。その縁で私も、私の伯父の車でFさんら家族と一緒に群馬県の水上温泉のスキーに行ったことがありました。 このスキー場は、確か水上高原藤原スキー場だったと思いますが、非常に因縁のあるスキー場で、私が後に高校生の時に書いた短編小説の舞台にもなっています。小説家を目指した高校生時代の話も追々話してゆきましょう。 (続く)
2023.01.28
コメント(0)
3年生最後の学期は、ラグビー部に入ったおかげで、とても楽しく、充実した学生生活を過ごせました。ラグビー部では、二人のほかの同期生以外に下級生とも結構仲良くなりました。 中でも、どういうわけか意気投合したのは、二年生のスタンド・オフの原君です。通学途中の電車で一緒になって、いろいろ話し込んだおかげで随分、仲良しになりました。さっぱりしていい奴でした。私は高校2年生の秋までラグビー部とかかわりがあって、その時は右ウィングが原君で、私は左ウィングを任されました。 その原君が後に日本コロンビアの社長になっていたのには驚きました。 その話を、確か小学校から高校まで私の同級生だったT君から聞いたと思います。T君というのは、私が小学生のとき顔にエクトプラズムが出現したときの写真を撮ったときのモデル(被写体)となったT君です。 T君も同じ野球部に所属し、私とずっと仲が良かった友達なのですが、そのT君も後に原君と仲良くなるのですから不思議な縁です。といってもラグビーを通して親しくなったわけではなく、T君が留年したので原君と同級生になって友達になったのだと思います。大学時代も二人は仲が良かったそうです。 一方、そのT君ものちに、とある語学出版社の社長になるわけですから、何か因縁を感じますね。たぶんT君と原君と私には、前世の因縁があったように感じます。いつかその因縁がわかったらお知らせすることもあるかもしれません。 で、その後の中学時代のラグビーの試合ですが、私はトライゲッターとして活躍、私立の六中学大会は結局、三勝二敗か二勝三敗くらいの成績だったと思います。二年生主体のチームとしてはよく健闘したと思います。 そして都大会も一回戦は勝って、二回戦に進みますが、ここで私はアクシデントに見舞われます。(続く)
2023.01.27
コメント(0)
「甲子園に出る」という野望があったため私は野球部からラグビー部に転部することはありませんでしたが、私の先輩には、友だちに誘われてラグビー部に入ったことにより、人生の設計を大幅に変えざるを得なくなった人がいます。 それが、後に世界的に有名な指揮者になった小澤征爾氏ですね。 小沢氏は中学のときには既にピアニストになることを決め、「指が危なくない卓球部」に入っていたそうです。そんな小沢氏をラグビーに誘ったのは、クラスメートの熱血ラガーマン松尾勝吾氏。松尾雄治氏の叔父さんです。松尾一族はラグビー一家ですね。 で、小沢氏は誘われるまま入ったら、ラグビーがものすごく楽しくて、夢中になるんですね。その気持ちは私もよくわかります。ラグビーは「血沸き肉躍る」という感じで、本当に面白いスポーツなのです。その証拠に、私が在籍した当時のラグビー部の部室の扉に「楽美部」、楽で楽しくて美しい部と漢字で書かれており、笑えました。決して楽ではありませんが、楽しくて美しいスポーツというのは本当です。 日経新聞のこのサイトに詳しく書かれていますが、小沢氏のポジションはフォワード第一列のプロップでした。指揮者時代の小沢氏の体型を見ると意外ですが、当時は「今より太っていた」し、「体も強かった」のだそうです。 ピアノの先生には内緒で、毎日ラグビーボールを追って練習をしていたのですが、雨の日の練習か試合で、何とピアニストの生命線ともいえる右人差し指を骨折する大けがを負ってしまったんですね。 泣く泣くピアニストになるのを断念し、恩師の進めもあった指揮者の道を歩み、何と世界的な指揮者になったわけです。 ラグビーをやっていなければ、どうなっていたか、わかりませんね。 小沢氏が私のラグビー部の先輩だったとはつゆ知らず、私が米国ボストン近郊ケンブリッジにある大学院(ハーバード・ケネディ行政大学院)に留学しているとき(1996~97年)に、二回ほど小沢氏が指揮するボストン交響楽団の演奏を聴きに行きました。一回はボストンのシンフォニーホールで、もう一回はボストンから車で2、3時間離れた森の中にあるタングルウッドの野外コンサートでした。私はボストン響だけでなく、その「夏バージョン」ともいえるボストン・ポップス・オーケストラも好きで、こちらもよく聴きに行きました。 話は大きく脱線しますが、ハーバード留学中は、週末はシアター・ディストリクト(劇場街)に入り浸り、暇さえあればあちこちの史跡や観光地にでかけ、週に三回くらい地元のテニス・クラブでテニスをする学生生活でした。いったい、いつ勉強していたんですかね。でも、あーら不思議、ちゃんと優秀な成績で卒業しましたから、ご安心ください(笑)。 (続く)
2023.01.26
コメント(0)
ここで我々の中学のラグビー部について説明しておきましょう。実は私の一つ上の代のラグビー部はものすごく強くて、Mさんという中学レベルでは圧倒的に群を抜く、絶対的な、全日本クラスのスタンド・オフがいました(全日本クラスのMさんと言っても、松尾雄治氏ではありません。確かにラグビー部の先輩ではありますが、代が違います。松尾雄治氏は私の兄と同期生でした)。 Mさんはとにかくテクニックだけでなく、抜群の持久力がある運動選手で学内のマラソン(競歩)大会(距離は17キロくらい)をやると、必ず断トツの一位になる長距離型のスポーツマンでした。 ちなみに私は短距離・中距離走は得意ですが、長距離はそれほど得意ではありませんでした(それでも学年で3位くらい)。 うろ覚えですが、Mさんたちが三年生だった前年度(1972年度)は、慶応、青学、麻布などが入っている私立六中学戦を制し、東京都の大会でも優勝し、中学の全日本に補欠もいれて8人くらい選ばれて、わが校のMさんかIさんが主将を務め、交流試合の韓国戦にも勝利した、というような感じだったと思います。 ところが、彼らが抜けた今年(1973年度)は、3年生の部員は、猫の手となって野球部から臨時に借り出された私を入れても3人だけという歯抜け状態になってしまったというわけです。 だからものすごい馬力で短中距離を文字通り馬のように爆走する私は、ラグビー部としては喉から手が出るほど欲しかったのだと思います。 実際、ラグビー部顧問の体育のY先生からは「お前、ラグビー部に入らないか。日本一のラガーマンに育ててやるぞ」とおだてられて、勧誘されました。豚もおだてりゃ木に登るといいますからね。思わず木に登りかけましたが、思いとどまります。「いや、先生。私には甲子園に出るという夢があります。このまま野球を続けます」と答えておきました。 (続く)
2023.01.25
コメント(0)
当日、私は練習した通り右のウィングで先発しました。実質的には相手は三年生主体のチーム、こちらは二年生主体のチームでハンディがあるのですが、結構接線になりました。 私の記憶では先制したのは我々のチームです。 スタンド・オフの二年生の原君が、パスダミー(投げると見せかけて投げないで、タックルのタイミングを外して抜き去る技)を入れて相手の隙をつき、ディフェンスラインを突破、いきなりトライしたと思います。 その後一進一退の攻防が続き、前半の終わりころ、私のところにもチャンスが回ってきました。 自陣の攻防で、目の前でマイボールのラック(地面にあるボールを奪い合う密集戦)となり、スクラムハーフの二年生の村田君と目が合います。そのとき相手ディフェンスに隙があるのがわかっていましたから、私から声を出してボールを求めます。 すると、村田君はスタンド・オフの原君ではなくて、ウィングの私にダイレクトでパスしてくれたんですね。私はそれを受け取ると、いきなり猛ダッシュ。対面のディフェンダーを初速の速さで抜き去ると、得意の快足で右のライン際を猛スピードで駆け抜けます。もう無我夢中でした。たぶん自陣二〇メートルくらいのところから独走態勢に入って、距離にして70メートルくらい走ったでしょうか、右隅にトライを決めました。人生初トライです。 その後の試合経過はよく覚えていません。覚えているのは後半、対面にいた選手を練習で教わった通りのタックルで、一発で倒したことです。バインドもうまく行って本当に綺麗に決まりました。 しかし、ここで問題が発生。倒した後、どうすればいいか聞いていなかったんですね。本当はタックルが成立した時点でバインドを外し、立ち上がって地面に置いてあるボールを拾い上げてプレイを続行すればよかったのですが、どうしたらいいかわからず、地面でじっとしていました。倒された相手もタックルされたままなので、身動きがとれずボールの上に軽く手を置いて、味方に「早く来い」と叫んでいます。 ラグビー部の人が見たら、結構滑稽な場面だったかもしれません。 そうこうしているうちに、味方も相手も集まってきて、通常通りのボール争奪戦が再開されました。 まあ、ルールを知らない素人ですから、ご愛敬ですかね。 試合はおそらく僅差ですが、我々のチームが負けたと思います。 それでも二年生主体チーム対三年生主体チームの対戦みたいなものですから、大健闘だったらしく、負けたとはいえ、皆自信を深めていたように記憶しています。これで何とかやれるぞという感触をつかんだようです。 70メートル独走トライと、一発タックルで、私の評価はうなぎ昇りだったらしく、試合後コーチの大学ラグビー部の人が私を抱きしめてくれて、「感動したよ」と言ってくれました。 いつもの「かけっこ」をしただけなのに、そんなことを言ってくれたので、私も感激して、とても嬉しかったことを覚えています。ラグビーの試合は、本当にワクワクするほど面白かったです。野球とは一味も二味も違うさわやかな感動がラグビーにはありました。 こうして人生初めてのラグビーの試合が終わりました。 (続く)
2023.01.24
コメント(0)
中学三年生の第3学期。1974年1月のことだと思いますが、ラグビー部顧問の体育の教諭から「おい、布施。お前足が速いんだから、ラグビーやらないか。面白いぞ」と誘われます。 面白いと言われると、すぐに乗ってしまう単純な私がそこにいました。野球部は事実上秋で引退していましたから、暇になっていたこともあります。 「えっ、ラグビーって面白いんですか。じゃあ、ちょっとやってみようかな」と答えると、その日か次の日からラグビー部の練習に参加することになりました。 ラグビーの「ラ」の字も知らないド素人。いつものように、スパイクから何から何まで、お古の借り物です。 実は当時のラグビー部には、私をラグビー部に引き入れなければならない事情がありました。3年生が2人しかいない運動部だったんですね。つまり2年生以下がほとんど主力のラグビー部です。1年生はまだ体が出来上がっていないので危なくて試合に出せないから、他の運動部で体が出来上がっている人材を募集していたわけです。その時、目を付けられたのが、野球がオフになって暇をしていた私ということです。 練習は木曜日から始まりました。次の日曜日が試合ですから、木、金、土の三日間でラグビーのいろはを教わります。でも、練習からして凄く面白いスポーツであることがすぐにわかりました。ルールも大体のことを教わりましたが、細かいところはわからないので、試合でその都度覚えることになりました。 まずきちっと覚えさせられたのは、ボールを投げる(パスする)ときは自分よりも後方にいる選手にしか投げられないこと、ラインを踏んだらフィールドの外に出た(タッチ)と判断されること、タックルは相手の膝の後ろ付近に自分の肩をぶつけ、両手でしっかりと相手の両足をバインド(つかむ、ホールド)すること、でしょうか。それだけは三日間で徹底的に覚えさせられました。 こうして、一夜漬けならぬ、練習の三日漬けで日曜日の公式戦にいきなり先発デビューすることになりました。 (続く)
2023.01.23
コメント(0)
一応ここで断っておきますが、いまここで幼稚園・小学校時代から私の人生を振り返っているのは、なにも自慢話をしたくて書いているのではないんですね。 がり勉君だったことや、運動能力抜群だったことをあえて書いているのは、勉強の人生やスポーツ選手としての人生など人間にはいろいろな人生の側面がありますが、本当の人生は、実はオカルトの人生であるということを言いたくて書いているのです。 よく、オカルトなんて近寄らない方が身のためだとか、真のオカルトの意味を知らずに毛嫌いしたり、嫌悪したり、オカルトを否定したりする人は沢山いますが、私に言わせれば、オカルトを否定することは、その人の人生の80%以上を否定することにほかなりません。本当にもったいないことです。それはいわば、宇宙物理学者や理論物理学者がこの宇宙の80%を占めるとされるダークエネルギーやダークマター(暗黒物質)を否定しているようなものです。 誰もが必ずオカルト的な体験をしているはずです。しかしながら、人間には自分に枠をはめてしまう性質のようなモノがあって、そういう神秘的な体験をしても、なかったことにしてしまう癖があるんですね。虫の知らせ、夢告、シンクロニシティなど本当は誰もが日常的に体験しているんです。 ところが、凝り固まった固定観念や偏見を持っていると、オカルトを受け入れるのが難しくなります。心の目が閉じてしまうと、目に見える表面的なことや物質的なことばかり追い求めてしまうんですね。 肩書や目に見えることだけでは人間の人生は語れません。その根底にある真実は、人間が神秘的な体験をするオカルト現象の中にあります。 かといって、どこかの宗教団体に入る必要はまったくないんです。 なぜなら、神とつながるのは宗教を通してでも、教祖を通してでも、グル(宗教的指導者)を通してでもないからです。私から見れば、他人を通して神とつながることはナンセンスです。それによって「歪められた神」とはつながれるかもしれませんが、それは愚かで無意味なことです。神とつながれるのは、一人ひとりの自分自身の魂を通してのみ可能だからです。 おそらく宇宙に向かって心を開けば、誰もが大宇宙ともつながることができるはずです。大宇宙とつながれば、それはもう、より大きな神とつながることでもありますね。オープンマインドになったうえで、人が謙虚で、感謝して、癒しの心を持ち、何に対しても祝福するならば、すでにそこには神が宿っているはずです。そのやり方は人それぞれ。自分でそのやり方を見つけ出すのが一番だと思っています。 ということで、次回はラグビー部に電撃入部した話をいたしましょう。
2023.01.22
コメント(0)
紀伊国屋書店など大きな書店では新刊『強運が来る兆しの法則』が発売されたようなので、この新刊の解説をいたしましょう。 簡単に説明すると、運命には兆しがあり、それをキャッチすると役に立って面白い人生を歩めるよ、という本です。その兆しは、実は私たちの身の回りに溢れています。ただそれに気づくだけで、人生は楽しく、面白くなります。 このブログでもご紹介しましたが、この本の著者校正作業と重なって(シンクロして)起きた4400の数字の「シンクロの嵐」がそうでした。12月14日に国際郵便代として払った4400円と同じ数字が翌日の新聞の見出しに踊っていたことから異変に気づいたことによって、その日が私の楽天ブログの440万アクセス達成日だったことが分かったわけです。で、秋山氏によると、それはもしかしたら今年4月4日など44と何らかの関係がある大きな出来事が起こる前触れ(兆し)かもしれないという話でしたね。ありえない確率の現象が続いているのは、我々の集合無意識がそれを事前に察知して騒いでいることの現れだ、と。 もちろんそれは一つの大きな見方です。 ところが兆しの面白いところは、それが小さなシンクロの輪、中くらいのシンクロの輪、大きなシンクロの輪というように、三つぐらいの意味があって、それぞれがまたシンクロしていることです。つまり意味が三つくらいにわかれて、それぞれシンクロの波を広げていきます。 ですから、「4400」「440」は個人的な意味をもつ小さなシンクロでもあったんですね。 というのも、私の場合、何かお知らせがくるときは、直接的に2つの数字で来ます。 易をまったく信じていなかった2010年9月、下田富士に向かう電車の中でまどろみかけているときに、いきなり頭の中に麻雀牌が二枚現れ、それがゆっくりと表に返って3ピンと7ピンであることがわかるという映像を見ました。2年後に秋山氏の麻雀牌占いを見たときに、それが易の22番目の卦である「山火賁」であることが判明するという出来事がありました。つまり私が易の卦を見る時は、一発勝負的にドンと直接的に数字が二つ来ます。 今回の場合は4と4が0で強調されていると解釈できますから、易の卦でいうと51番目の「震為雷」が導き出されます。大逆転、大発展という意味ですね。これはまさに12月の私の状態を言い当てたどんぴしゃりの卦でありました。 今回の新刊本は、そうした兆しのつかみ方や解釈の仕方を様々な側面から解説しています。巻末には「あなたの未来を示す64の運の宇宙法則」として易の64卦を今まで以上に詳しく紹介しております。そして秋山氏が、64卦の順番は生まれてから亡くなるまでの私たちの人生そのものを易の性質で描いたものであり、同時に次の順番の卦を読み解くことによって、それぞれの人生の段階での状態とその対処方法が書かれているものなのだ、ということを明らかにしていきます。 そしてここにも、大きなシンクロの輪と、中くらいのシンクロの輪と、小さなシンクロの輪が呼応していることがわかってきます。 私たちの人生は、この三つの輪の繰り返しのようなモノなのです。 その三つの輪がもたらす波紋・波を読み解いて、楽しく人生をサーフィンしましょう、というのが本書の目的です。 是非とも皆さまが、本書をお読みになって、シンクロニシティの妙味を味わいながら、幸せな生活を送っていただければ、本書がその一助となれば、と祈念しております。
2023.01.21
コメント(0)
もうすっかりお忘れでしょうが、私が八支部という私立中学校の大会で陸上部デビューした中学3年生の時の話に戻ります。 200メートルを借り物の“纏足シューズ”で見事優勝、私がエントリーした残る種目は走り幅跳びだけです。 それはたぶん1週間後の日曜日だったと思います。場所は前にもお話ししたように、世田谷にある駒沢競技場。1964年の東京オリンピックでも使われた運動競技場ですね。観客もたくさん入ります。 たった一日のために陸上用のスパイックシューズを買う気はまったくありませんでしたから、この日も借り物シューズで臨みます。でも、今度は私と同じくらいの足の大きさのH君から借りたように記憶しています。痛さはそれほど感じませんでした。 さて、走り幅跳びに出場すると言っても、私はまともに練習したことは一度もありません。小学生のときには自分の通う小学校の記録を塗り替えましたが、その後中学生になってから走り幅跳びをするのは年に一回あったと思われる体力測定の時だけです。踏切板でどのように歩数を合わせて飛べばいいかなど知る由もなく、全くテクニックはゼロ。ただ、高く遠くへ飛べばいいとだけ聞いたことがあるだけです。 そこで、見よう見まねで飛ぶわけです。確か全部で3回~5回飛んで争ったように思われます。 一回目は多分どういうわけか、ちゃんとファールせずに飛べました。二回目はファールか、一回目よりも飛んでいなかったかのどちら。で、何回飛んだか覚えていませんが、何と最終回の手前まで私が1位だったんですね。で、最終跳躍で、それまで2位だった人が私を抜いて優勝しました。それでもわけのわからない素人が2位だったのですから、たいしたものです――と自画自賛(本当は負け惜しみ?)。 かくして、私の最初で最後の陸上部デビューは、かけっこが一位で、幅跳びが二位という結果に終わりました。 “本職”は野球なのですが、実は陸上部以外にも借り出された運動部がありました。 それがラグビー部だったんですね。 (続く)
2023.01.20
コメント(0)
ラフドラ原稿を書き終えたので、とある取材を兼ねて、久しぶりに富士山へ。最初は曇っていたのですが、途中から晴れました。何の取材に行っていたのかは、今度お話しいたします。
2023.01.19
コメント(0)
本日、ようやく三月出版予定の本のラフドラを書き上げました。これを月末までにブラッシュアップしていきます。さて、年末にご紹介した「440」のシンクロニシティの嵐に見舞われた話の続きがありました。 楽天ブログ440万アクセス突破記念というお気楽なオチでは終わらない、という話です。 例によって、昨年12月20日秋山事務所に寄ったときに秋山氏にそのことを聞いてみました。そのとき彼は次のようなことを言っています。 秋山:「4400が何度も出現したということは面白いシンクロですね。こうして繰り返し、繰り返し同じ数字が出現するということは、安全なことではないことを意味します。つまり危険が迫っているわけです。米国で橋が崩落したときに出現したモスマンのような警告を意味します。偏れば偏るほどヤバイわけです。実際、能力者はみな騒いでいますが、いつ来る、何が来るかはわかりづらいのが実情です。 4と4を足すと8で、8は土の年を表します。今年(2022年)がそうでした。事実、44のシンクロは既に始まっています。土を二つ重ねた「圭」を名前に持つ人が話題になったことは、土の年が二年続くことを表します。ですから来年(2023年)も土の年となります。ただし同じ土の年でも性質は異なります。 今年(2022年)の「土」のようにばらばらと既存の制度や古い体制が崩れたり壊れたりしたものが、来年(2023年)は再結晶するような土の年になると思います。固まり直す年です。 坤の年が二回続くので、4と4で8の年なのです。 来年(2023年)は再結晶、たとえば、東北地方では異常な雪です。ボロボロしたものが再結晶しているわけです。でも全体的には寒波は弱いです。東京ではあまり雪が降らないと思います。問題は雪ではないと思います。もっと別のこと。何か予想がつかないようなことが起こります。能力者たちは何が起こるかわからなくて、ただ数字が出ていることがポイント。4がらみになると思います。4月4日とか。来年の4月4日に何かあるかもしれません。選挙で何か起こる可能性があります。統一地方選挙が大波乱になるのかもしれない。 選挙が荒れると、集合無意識が事前に騒ぎます。統一地方選は、今のところ4月の9日か23日辺りではないかとされています。 統一教会をぶち壊して、統一教会は自民党の選挙を応援しないと言っているわけですから、大波乱があるかもしれません。自民党は純粋に創価学会とだけでやるわけですが、今までのようにはいかないでしょう。問題はそれ以上に野党もポンコツすぎることです。令和新選組や参政党が躍進する――そういうことになるかも。選挙前に民衆の意識は偏って荒れます。金融とか地震とかではなく、たいていは選挙です。最初に集合無意識が動くのは選挙(ワープロ変換で二回「占拠」となる)です。その次位に地震(ワープロ変換で「自信」)です。個人とつながりが強い社会的なことを察知して騒ぐ。選挙は自分が揺れる。一人一人が非常にエゴイストなのです。選挙を差し引いても何かシンクロが起こるとすれば、4月の選挙はすごく荒れると思います。」 ・・・と、だいたいこのような内容でした。 さて、何が起こるのか。とりあえず44と関係ある今年の4月4日あたりを注目すればいいのかもしれませんね。 これで、シンクロの嵐は終わりです。というか、まだ続いたりして・・・。
2023.01.18
コメント(0)
まだ書いている途中ですが、アマゾンで告知されたので、三月の新刊をご紹介しましょう。こちらです。この本も面白くなりそうです。発売もされていないのに「現在在庫切れ」となっているところがアマゾンらしいです。一月の新刊『強運が来る兆しの法則』もほどなく発売される予定です。発売されたら、どのような本か解説したいと思っています。
2023.01.17
コメント(0)
次の原稿の執筆が佳境に入っているので、ブログの更新がままなりませんでしたが、本日、一月の新刊本の見本が送られてきました。書店での発売は、23日ごろになる見通しです。紀伊国屋書店はこちら。アマゾンはこちら。
2023.01.14
コメント(0)
新春の花といえば梅ですね。ということで、新春の梅を愛でに行きました。こちらは蝋梅。良い香りがします。今が見頃ですね。こちらは以前にも紹介した「冬至」。前回よりも花が咲いておりました。咲き始めたのは、八重寒紅。こちらはまだ、ちらほらしか咲いておりませんが、12月から咲いている紅梅も見受けられました。正月の所用も昨日で終わり、いよいよ次(3月出版予定)の新刊の仕上げに入ります。こちらも面白い内容の本になりそうです。ちなみに今月発売予定の本も見本は近日中に送られてくる予定です。
2023.01.10
コメント(0)
今日は人日(じんじつ)の1月7日。五節句の一つで、七草がゆを食べることから七草の節句とも呼ばれていますね。朝、早速七草がゆをいただきました。春の七草はこちら。セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロの七種類。ただし、地方によっては七草は異なるそうです。さて、しばらくブログを留守にしておりましたが、別に寝正月を送っていたわけではありません。昨日までは、三月出版予定の本の原稿を書きまくっておりました。ようやく昨日で一段落。完成の目途が立ってきました。また出版の詳細がわかりましたら、告知いたします。今しばらくお待ちください。
2023.01.07
コメント(0)
元日、午前7時5分。遠い海上の雲に日が当たり始めます。山の端もようよう明るくなって・・・太陽が降臨。撮れたての初日の出でした。本年もよろしくお願いいたします。
2023.01.01
コメント(0)
全18件 (18件中 1-18件目)
1