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台風が沖縄に接近しているせいか、今日は空の雲が賑やかでした。四体の龍が空を舞い踊っているように見えます。本当に生き物のような雲たちでした。
2023.07.31
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夏の果物と言えば、スイか、メロン、モモ、ナシ、ブドウ、ブルーベリーなどでしょうか。今日はご紹介するのはブドウです。夏の日差しを浴びて、見事に育っておりました。ただし、家ではブドウは作っておりません。自宅のウッドデッキや庭で作っているのは、イチゴとブルーベリー。裏庭には、レモン、キンカン、橘などのかんきつ類が植わっております。豊作だったり、不作だったり。今年の夏は、ブルーベリーが豊作でした。食べてしまったので、写真はありません。
2023.07.30
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涼しげな写真の三枚目はこちら。カラフルな花の寄せ鉢。本当に涼しそうでした。
2023.07.29
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さて、昨日ご紹介した涼しげな夏の飾りつけの写真です。既にお気づきのように、10~20個くらいのオーブが写っていますね。ちなみに南を背にして順光で撮影しています。昨日、ちょうど秋山氏の事務所に新刊本用原稿の打ち合わせで立ち寄ったので、写真を見せて何が写っているのか見てもらいました。秋山氏によると、写っているオーブは宇宙的なものらしく、ちょっと不思議な感じがするそうです。秋山氏が注目したのは、丸い紙提灯のような飾り付け。オーブと同じ形をしていますね。同じ形のもの同士は引き寄せられるという法則があって、現れた可能性があるとのことでした。実はほぼ一か月前の先月28日。ある理由から、水晶やメノウなどいくつかの鉱石をつなげた腕輪を購入したんですね。腕輪をするのは初めてですが、お守りだと思って時々、外出時に付けてみることにしました。この写真を撮ったときも身に付けていたのですが、写真をよく見ると、オーブが数珠つなぎになって弧を描いているのがわかりますね。まさに腕輪そのものがオーブとして写り込んだのかもしれません。あるいは腕輪がオーブを引き寄せた可能性もあります。もうちょっとコントラスト付けるとこのようになります。右上奥から手前の真ん中にかけてオーブが数珠つなぎに弧を描いています。ほかにも右上から左上へと続くオーブの列も写っていますね。ほかにもいろいろな写真を撮ったのですが、不思議なものが写っていたのはこの一枚だけでした。どうして現れたのかについては、霊的なものをもっと感じることができるようになることを促しているように思うと秋山氏は語っていました。確かに私は、霊的なモノを写真で撮ることが多いですが、霊的なことには鈍感なほうです。もうちょっと敏感になる必要があるのかもしれませんね。
2023.07.28
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涼しげな風景ですね。あれっ、よく見ると・・・(続く)
2023.07.27
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これは見事なアレンジメントです。花でできたチョウチョ。ただし、よく見たら造花です。それでも、涼しげで、とてもさわやかな飾りつけでした。
2023.07.26
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梅雨は開けましたが・・・まだ紫陽花が咲いていました。標高の高い郊外では今が本番とばかりに咲いておりました。まだ紫陽花の季節なんですね。
2023.07.25
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富士山から噴煙が・・・・…なんてはずはないですね。暑いので、日除けに白い雲のソンブレロを被っているだけ。今日は、富士山も暑がる猛暑でした。
2023.07.24
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温室の中の蘭です。どこか顔に見えますよね。映画『プレデター』に出てくる宇宙人の顔にも似ています。不思議な形です。
2023.07.23
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鬼百合。珠芽がないので、小鬼百合でしょうか。この時期、綺麗に咲いていますね。
2023.07.22
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薔薇の二番花の季節です。綺麗に咲き誇っておりました。
2023.07.21
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今は蓮の季節ですね。お釈迦さまもこの花に多宇宙構造を見たのでしょうか。
2023.07.20
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今日ご紹介するのは、こちらの親子。カイツブリの親子です。当たりに気を配りながら、子供を守るように泳いでおりました。ちなみにカイツブリは潜水の名手です。
2023.07.19
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これも凄い雲です。空から大魔王が降ってきたかのような迫力があります。面白い雲でした。
2023.07.18
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これも存在感のある雲たちです。一番上の雲は、空を横切る竜雲のようですね。その下の雲の塊も、生き物のようです。一番下の雲は、その子供でしょうか。いずれにしても暑い夏の日の雲たちでした。
2023.07.17
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今日の雲は変わっていました。まるで小型の円盤が集合しているような雲郡でした。
2023.07.16
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昨日は黄糸トンボ以外にも、いろいろと面白いものと出会いました。こちらです。セミの抜け殻ですね。もうすっかり夏の風物詩が始まっていますね。第三章も順調に書き進んでおります。この調子だとあと二週間ほどで、ある程度終わりまで書き進めるかもしれません。
2023.07.15
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今日は都会ではちょっと珍しいトンボに遭遇。こちらです。この黄色いのがそうですが、飛んでいるとよくわかりませんね。そこで葉などにとまった所を撮影します。頭のほうが緑っぽくて、胴体は黄色ですね。飛んでいるときは目立っていますが、葉にとまると保護色で逆に見つけづらくなります。横から撮ると、ようやくはっきりしますね。最近は見たことがなかったので、ちょっと得した気持ちになりました。
2023.07.14
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今日は降ったり止んだりのはっきりしない天気。雲の形も変わっていました。つい写真に撮ってしまいました。さて、第三章に突入です。
2023.07.13
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ラベンダーと富士山です。絵になりますね。ようやく第一章と第二章を書き上げました。明日から第三章に突入です。
2023.07.12
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夏らしい雲ですね。まるで龍が泳いでいるようです。
2023.07.11
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猛暑ですね。これで少しは涼しくなるでしょうか。百合と富士山です。
2023.07.10
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鮮やかな緑と青、そして遠くに富士山。雲の形もユニークです。以前、UFO偵察機を撮影した場所ですが、この日は写っておりませんでした。それでも、いつ見ても綺麗な風景です。
2023.07.09
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再び富士山登場。二日前に撮影した富士山ですが、ずいぶん雪が解けて少なくなりました。もうすぐ、すっかり夏の富士山です。ただいま4万字ほど、まだ先は長いです。
2023.07.08
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この勢いのある雲たちを見てください。生き生きとしていますね。夏の雲です。あちこち飛び跳ねているような雲たちでした。さて、八月下旬までに新刊用の原稿を仕上げなくてはならなくなったので、写真ブログが増える予定です。これから執筆の夏に突入します。
2023.07.07
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照りつけるような強い日差し。その中で元気に咲いているのが、ひまわりで下。朝方まで雨がうそのよう。真夏のような一日でした。
2023.07.06
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今日の主人公はこちら。イシガメかクサガメの種類だと思いますが、ヘドロを被っているのでよくわからないですね。呼吸をしに上がってきて、一休みしているところを撮影。その後、この亀君は再び潜航、泥の中を進んでゆきました。私も今日は、一休みしておりました。また明日から潜行しようと思っています。
2023.07.05
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この年(1979年)の新入生部員には、結構有望な選手が入ってきました。と言っても、高校時代にテニス部だったのはO君と、向こう(アメリカの高校)でテニスをやっていたという米国帰りのK君くらい。あとは全くの初心者だったのではないかと思います。それでも、みんな練習好きだったので、結構うまくなりました。 その中でも有望株だったのがT君。試合勘が素晴らしく、ファイティングスピリッツも人一倍あります。大学からテニスを始めたにもかかわらず、秋になると、部内リーグ戦で二年生のレギュラークラスを破りそうになるほど上達しました。 私も、T君ならリーグ戦で使えるかもしれないと期待しましたが、T君は突然、テニス部を辞めさせてくださいと私に言ってきました。 理由を聞いたら、とある事情があり国家公務員(外交官)になりたいので、試験勉強に全力集中したい、とのことでした。確かに難しい外交官試験を受けるには、テニスをやっている暇はないかもしれません。両立できないとT君が判断したわけですから、強く慰留することはせずに、退部を快く受け入れました。まあ、自分の人生でどういう道を歩むかは、その人が決めるべきことですからね。 一年生はほかにも二人の別のK君やY君、M君など将来強くなりそうな部員がおりましたが、結局、一年生からレギュラーになれた選手はいませんでした。もうちょっとだったんですけどね。二年生が意地を見せたようです。 時は20年ほど流れて、1998年ごろ。私が共同通信社を辞めてジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院(通称SAIS)で国際公共政策学の修士号コースを取っているとき、同級生にICU出身で外務省専門職試験に受かった公務員留学生も修士号を取りに来ておりました。そのとき、テニス部を退部して以来、ほとんど会うことのなかったT君のことを思い出しました。あれから外交官になれたのでしょうか。あるいは、どのような人生を切り開いていったのでしょうか。 同じく私がSAISで勉強していたころ、同じジョンズ・ホプキンス大学の付属病院で研究をしているICUテニス部出身のK君にも偶然出会いました。ICU学生当時のK君は自然科学科の学生であったので実験のために練習も出られないことが多かったですが、T君らと同級の部員(私の二年下)でした。テニスではそれほどうまくなったとはいえませんでしたが、勉強のほうでは頑張って、あの有名なジョンズ・ホプキンス病院で研究職に就いたわけですから、よくやったと思います。 このように1979年に入学した新入部員たちは、その前の年に入部した二年生と同様、本当に元気でユニークな後輩たちでした。彼らもまた、テニス以外の人生でもきっと活躍してくれたに違いないと思っています。 (続く)
2023.07.04
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「走るテニス」のほかに、私が重点的に力を入れたのは、ダブルスの強化でした。 実はICUテニス部の長年の課題で、リーグ戦などで他校と試合をすると、ダブルスの試合でポイントがあまり取れていなかったんですね。 9ポイントあるうち、ダブルは3ポイントありますが、そこで2ポイントとるか2ポイント取られるかでかなり違ってきます。ダブルスで1ポイントしか取れなかったために接戦で負けた試合も多くありました。 そこで通常の練習では、特にダブルスの実践練習に時間を割きました。 ではシングルスはどのように練習したかというと、もちろんストロークやボレー、スマッシュ、サーブ、レシーブの練習は普通にやりますが、試合に関しては、練習時間外に部内順位戦を実施して強化することにしました。 ただし、これまで週三回だった練習は二回に減らしました。逆にいうと、その減らした分はリーグ戦形式の部内順位戦で賄ったわけです。最初は、強い順で上から4人ずつのグループに分けて総当たりのリーグ戦を行い、上位グループの最下位の人と下位グループの一位との間で入れ替え戦を実施するわけです。入れ替え戦だけは、土曜日の通常の練習の日に実施しました。 そうするとこによって、部内の実力ランキングがある程度わかるわけですね。 最初は、上からの四人は実績のある三年生の間で行われました。私がブロック優勝しましたが、同時に他の三人がどれだけ強いかも実感できました。 二年生で強かったのは、翌年に主将となったA君でした。非常に力強いフォアハンドを持っています。バックは当てるだけの感じでしたが、それでもナンバー4だった三年生のS君を入れ替え戦で破り、上位グループに入ってきました。 何度かその部内リーグ戦をやって、わかったのが、次の順位です。 ナンバー1が私で、ナンバー2が同期のN君、ナンバー3が副将のM君で、ナンバー4が二年生のA君、ナンバー5以下は同期のS君と2年生のM君、K君あたりだったでしょうか。 このリーグ戦では途中から新1年生も加わってきました。 その中で、台頭してきたのが、大学からテニスを始めたT君と高校時代からテニス部で活動してきたO君です。 次回は、私が覚えている範囲で、一年生部員のことを紹介してゆきましょう。 (続く)
2023.07.03
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テニス部の二年生には、レギュラー候補の三人以外にもユニークな人材がおりました。新しく主務に任命されたK君は、明治大学で一年勉強してからICUに入学し直した異色の学生でした。テニスは初心者だったため、他の二年生三人に比べたら技術的に少し劣りましたが、その後メキメキ力を付けて、最終的にはダブルスでレギュラーの座を勝ち取りました。私が主務だった時と同様に、練習試合の相手校探しや相手校のお世話はK君が担当しました。実にそつなくやってくれて非常に助かりました。 ほかにも初心者で入部して順調に力を付けた別のK君がいて、彼もダブルスでレギュラーの座を射止めました。実験などで時間が取られる自然科学科の学生でしたが、熱心に練習してよく上達したと思います。 レギュラーになれなかったけれど、二人のK君のように頑張ってくれた二年生も多かったです。やはり2年生部員全部で最初は7人くらいいたように思います。 簡単にメンバーを紹介したところで、主将として私が打ち出したスローガンについて説明しましょう。それは「走るテニス」でした。イメージとしてはコートを所狭しと、縦横無尽に走り回り、球を返球しまくるテニスです。必ず練習の最後には「振り回し」といって、取れそうで取れないギリギリのところに球出しの人が球を出して、決まった数のボールを特定の場所に返球するという練習をしました。私の得意中の得意の練習でした。 ルールは簡単で、球出しの人は対面するコートのサービスラインの中央からボールをワンバウンドさせて、こちらのコートに球を打ってきます。その際、球出しの人は、ドロップショットやバックやフォアの深いコーナーを狙ったりするわけです。よくやるのは、対角線を走らせる球出しですね。ネット近くの右手前におびき出して、ロブでその対角線上に向かって頭上を抜く、もちろんタイミングは返球した球に合わせて、実際にラリーをしているタイミングで球を出していきます。 この練習によって、選手はスタートが早く切れるようになります。というのも、球を出す人のラケット面の角度やラケットを振るスピードを見て、どこにどのような球を打つのかを事前に予想しないと「振り回し」のボールを返球できないからです。英語ではANTICIPATIONといいます。事前に感じたり気づいたりすることですね。どこにボールが来るかを事前に感じて、スタートが早く切れれば、たいていどのようなボールでも返球できます。 実際、私はこのANTICIPATIONの能力によって、後に社会人になってから6連覇を含む7度のクラブチャンピオンに輝くわけです。 もちろん運動能力的にそれがなかなかできない人もいましたが、別に罰ゲームでやっている練習ではないので、そういう人には最初は取れなさそうで取れるボールを、球出しする人が打ってあげればいいのです。そうしているうちに、それまで取れなかったボールにも段々と追いつけるようになるわけです。 それがスローガン「走るテニス」の神髄でした。 (続く)
2023.07.02
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大学三年生というのは、もっとも忙しい時期でもありました。 テニス部では最上級生として、後輩の育成や対外試合(リーグ戦)のためのチーム編成を進めなければならないし、学問のほうでも専攻を決めて、専門科目を集中的に履行する必要が出てきます。まさにフル回転の時期ですね。 まずはテニス部の新体制について語っておきましょう。 三年生の部員は私のほかに3人いました。当初は確か7人くらいいたと思うのですが、体育会よりも同好会のほうが楽だからという理由などで去っていた部員もいて、4人しか残らなかったんですね。 で、ナンバー1は一年生からレギュラーをやっている私がやって、ナンバー2が同期のN君。ナンバー3が副将で同期のM君。ナンバー4が高校時代からテニスをやっている同期のS君――と、ここまでは三年生が当初、ナンバー1から4までを占めていました。 ナンバー5以降では、二年生で比較的強い有望選手が3人いて、A君とM君とS君。3人とも一応大学に入る以前にテニスの経験があり、特にM君は中学時代に全日本ジュニアの候補になったこともあるとか。よほど強いのかなと思って試合をさせましたが、大学レベルでは体力的にまだまだという感じでした。三年生には多分私も含めてユニークな人材が集まっており、副将のM君は名門私立進学校から三浪してICUに入った変わり種でした。私より3歳年上ということになります。実はM君は二年生のときからICUゴルフ部の主将を務めており、運動部を掛け持ちする異能多才の持ち主。確か社会学科で国際関係論や経済学、経営学を学んでいたと思います。 M君が一年生のときは、二年生や三年生よりも年上なので先輩から時々「Mさん」と「さん付け」で呼ばれておりました。我々一年生は同期なので、たぶん本人の希望もあり、お互いに「呼び捨て」でした。先輩後輩関係が厳しい運動部で、呼び方に「ねじれ現象」が生じて、複雑で面白かったです。 同期のN君も面白い人材でした。キリスト教徒で日曜日は教会に行くので試合には出られないと主張。日曜日にしか練習試合が組めないと説得したら、途中から日曜日でも試合に出てくれるようになりました。当時、慣習的に行われていた男子寮の新入寮生による美人コンテストで優勝をさらった美男子でもあります。確かに笑顔が素敵な、さわやかな青年でした。何を専攻していたかは忘れましたが、社会科学系の学生でした。 もう一人の同期、S君は、ICUに入る前は日大系高校のテニス部に所属。前の主将のOさんと同じ、自然科学系の学生です。確かOさんと同じ生物専攻だったと思います。当時としては珍しい両手打ちのバックハンドでした。彼のテニスは、とてもオーソドックスで綺麗です。約一年後のリーグ戦では切り込み隊長のナンバー6を務めてもらいました。 (続く)
2023.07.01
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