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フランス語とテニス(と映画)に明け暮れているうち、大学二年生の冬学期が終盤となり、いよいよ大学テニスのリーグ戦を迎えました。例によって3月は上旬まで期末試験に追われていますから、期末試験後の過密日程の中で5~6試合をこなさなければなりません。抽選会には前年は主務だった主将のOさんと一緒に出席、他校との日程調整のやり方や交渉の仕方を学びました。こうやって主要業務を次の学年へと引き継いでいくわけですね。 この年は何といっても、第一次リーグ戦のシード校ですから、何とかシードを守りたいところです。 しかし案の定、相手校はうちのナンバー1で関東学生本戦出場者の資格をもつ主将のOさんを外してきます。つまり、自校のナンバー1を当てずに比較的弱い選手を当ててきます。すると、そのしわ寄せは他の選手のところに行くわけです。当然、ICUのOさん以外の選手は自分よりもランキングの高い選手と当たる確率が高くなるわけですね。 ただし唯一、確か大東文化大学だったと思うのですが、ナンバー1に固定されていた主将のOさんに多分一番強い選手を当ててきました。そしてなんとOさんが負けてしまったんですね。たぶんそれがOさんのシングルスでの唯一の敗戦だったと思います。私自身は勝ったり負けたりだったと思います。私の記憶ではその大東文化大学が我々のブロックの優勝校で、我々は2勝3敗とか3勝3敗で6校中3位とか4位くらいであったと思います。 前年度ほどの成績は残せませんでしたが、ごっそりレギュラー陣が抜けたことを思えば、致し方なかったかなと思われます。 こうしてリーグ戦も終わった1979年春。ICUテニス部の新体制が発足しました。 主将には私が選ばれました。 (続く)ところで、次の本の企画が正式に通りました。私は8月下旬までに仕上げればいいようです。タイトルや内容を含めて、正式に決まりましたら、ご報告いたします。
2023.06.30
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今日のテーマは緑と空。美しい色合いですよね。絹糸のような白い雲も見事です。
2023.06.29
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バラです。過ぎ去りし五月の写真ですね。今年も見事に薔薇が咲いておりました。
2023.06.28
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空に向かって真っすぐ伸びる巨木。お陰さまで、いつも日陰を楽しませてもらっております。
2023.06.27
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時々立ち寄る立石です。この日は富士山は見えませんでしたが、江戸時代から富士山を望む風光明媚な場所として知られていました。しばらく忙しいので、写真ブログがおおくなります。
2023.06.26
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昨日(6月24日)はUFO記念日でしたね。各地で「UFOを呼ぼう」というイベントがあったようです。秋山氏も呼び掛けておりました→こちら私も昨日は空をなるべく見るようにしておりました。その時の写真です。綺麗な空や雲が広がっておりましたが、UFOらしきものは目撃できませんでした。一部地域では目撃に成功したとか。これからも面白い写真が撮れたら、ご紹介してゆきます。
2023.06.25
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大学二年時のテニス部の話でしたね。夏の関東学生選手権本戦にキャプテンのOさんが出場したこと自体は、めでたいことなのですが、実は大学のリーグ戦を戦う戦略上は大きなマイナスとなります。関東学生選手権の有資格者は「関東学生」という「肩書き」を得てしまうので、ナンバー1に出場せざるを得なくなるからです。 するとどういうことが起きるかというと、対戦校はあえてナンバー1にそれほど強くない人を持ってきて外して、他のシングルス5試合を有利に進めることができるわけです。 簡単に言うと、ナンバー6の選手を相手校の関東学生に当てれば、相手のナンバー2にこちらのナンバー1を当てることができるなど、他の組み合わせでは格下の相手と対戦させることが可能になるからです。前年度にブロック優勝すると次年度はブロックのシード校になりますから、当然他校は我々を警戒して倒しに来ます。つまり倒しやすくなるというわけですね。 ICUとしては、Oさん以外の選手の実力の底上げをしなければいけなくなりました。 前年度、リーグ戦全試合にレギュラーで出場していたのは、3年生のOさんとYさん、それに私だけですから、当然私への期待は高まります。 Oさんとは長期間にわたってダブルスを組ませてもらって、いろいろと技術を学ばせてもらいました。私のテニス人生で非常にプラスになりました。ダブルスが上手くなったのもOさんのお陰です。 そんなこんなでテニスに打ち込む一方で、勉学にも励まなくてはなりませんね。 他校と違って一年遅れでフランス語を学び始めたわけですから、その遅れを取り戻す必要がありました。その切り札として私が選んだのは、東京日仏学院に通うことでした。 東京日仏学院は、フランス政府公式の語学学校・文化センターです。1952年に創立されました。 総武線の飯田橋駅のそばにあったので、ICUからは三鷹駅から一本で行ける利便性もありました。ただ通うといっても、有料の講習を受けにいくのではなく、フランス語の映画を観に行ってフランス語の勉強をしたんですね。映画会は参加自由で、しかも当時は入場無料でした。1週間に複数回上映会があったように記憶しています。当然、フランス映画で、フランス語の英語の字幕付きです。英語を早く読む練習にもなりました。 テニスの練習がないときや暇なときには、足繁く日仏学院に通いました。 『美女と野獣』とか『天井桟敷の人々』などの名作を何本も観て、語学力向上の足しにしておりました。そういったフランス映画のほかにも、三鷹の名画座で大学帰りによく映画をみておりました。暇なときは、一か月に映画を15本観たこともあります。 かなりの映画好きでした。 (続く)
2023.06.24
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今日も忙しいので写真ブログです。初夏の小径。日影が快適な季節となりました。
2023.06.23
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久しぶりに夕暮れ時の写真。黄金色に染まる海が何とも綺麗です。点のように見えるのが、茅ケ崎沖の烏帽子岩ですね。姥島(うばしま)とも呼ばれます。烏帽子そっくりですが、戦前から戦後にかけて演習場の射撃、砲撃の的にされ、先端が欠けてしまったとか。ハワイのマウイ島沖に浮かぶ三日月形のモロキニ島も、一時期米軍の砲撃の的にされていたことを思い出します。人間は放っておくと、すぐ自然を破壊する生き物ですね。どこかの無人島に隔離しておくべきかも。その無人島が地球だったりして・・・。ただの独り言です。
2023.06.23
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今日の富士山は・・・忍法「雲隠れ」の富士山でした。
2023.06.21
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昨日は新企画の打ち合わせで、秋山事務所へ。打ち合わせが終わって、軽く食事をした後、同事務所で徳間書店で活躍されたMさんと、何度かお会いしているデザイナー関係のIさんと久しぶりに再会いたしました。私の話ではないのでここでお話しすることはできませんが、私の想像をはるかに超えた話をいろいろ聞かせてもらいました。そういえば、1980年代に取材した時も、ずいぶんと不思議な話を聞いたことを思い出しました。世界は超常現象で溢れていることを改めて痛感した次第です。いつかそういった話もお話しできる機械があればと思っています。
2023.06.20
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二年生になって卒業に必要な単位を順調にとっていく一方で、テニス部のほうは波乱に満ちていました。新4年生は事実上、個人戦に出場して上(関東学生本戦)を目指したい人や留年する人以外はテニス部を離れ、新3年生以下の新チームにバトンタッチされるからです。つまりレギュラーの中心選手だった人たちがドドッと抜け、新3年生と新2年生、それと新人君たちでチームを作らなければならないわけですね。事実上退部した四年生たちは、卒論や就職活動に専念するというのが当時のパターンでした。当然、今のように四年生になった時点で既に就職先が内定しているというケースは、よほどの縁故でもない限り、ありませんでした。内定が出るのは四年生の秋でした。 さて、幸い新チームにはナンバー2だったビッグ3の一人Oさんが残っています。Oさんは新主将となり、実力ナンバー1としてチームをまとめてゆくことになりました。そしてレギュラーの人たちが4人去ったことにより、私がナンバー2に自動昇格したんですね。同時に他校との試合日程をアレンジしたり学連との連絡をしたりする主務にも選ばれました。 日曜日にやる練習試合の相手を探すのも私の仕事です。 そのための名簿があり、相手校の主務の自宅に電話をかけて試合が可能かどうか打診します。もちろんキャプテンの意向を受けて、私が相手校に連絡するわけです。 そうして向こうが承諾すれば、練習試合の日程が決まります。 主務は、試合の段取りも任されます。ホームに相手チームを呼ぶ場合は、どこに迎えに行って、どこで着替えてもらうかなど、こまごまと取り決めておかなければなりません。 おもてなし役でもあるんですね。気配りの勉強みたいなものです。前年は主将のOさんが主務をやっておりました。 こうして練習試合を重ねて、自分たちのチームがどれだけ強いのか、弱いのか、その実力のほどを量って行くわけです。 練習試合をして痛感するわけですが、私にはまだナンバー2の実力はありませんでした。調子がいいときは、相手のナンバー2からセットは取りましたが、結局負けてしまうというパターンが何度かあったように思われます。やはり各校の実力1番から3番までは強い選手が多かったです。 私自身も、スランプとまではいきませんでしたが、伸び悩んでおりました。 当時、コナーズのようにフラット打ちにするか、ボルグのようにトップスピン打ちにするかの過渡期だったこともあります。まだトップスピンの打ち方がよくわからず、試行錯誤しておりました。 結局、二年生のときは鳴かず飛ばず。弱い選手には勝てますが、関東学生本戦に出るような選手にはまったく歯が立ちませんでした。 これに対してナンバー1のOさんは、着実に力をつけてゆきます。練習試合でも相手校のナンバー1に勝つことが多かったと記憶しています。そして、夏の大会の関東学生予選で、第1シードの慶応大学の選手を破ってブロック優勝を成し遂げ、本戦に出場。「関東学生」の資格を取りました。 ICUでは、大先輩(確か私の4、5学年上)のKさんに続く、久しぶりの快挙でした。 (続く)
2023.06.18
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急に梅雨が明けて夏になったかのような暑さですね。このカモのように水浴びをしたい気分です。あまりにも急に熱くなったので、今日はお休み。仕事は明日からすることにします。
2023.06.17
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既にお話ししたと思いますが、フランス文学専攻を希望していたため、二年生の春学期はフランス語とラテン語を履修。次の学期(秋学期)もラテン語とフランス語を履修し、それとは別に「文学の世界」という基礎科目も履修しました。履修単位はごく平均的な12単位。春学期が16単位だったことを思うと、1科目履修科目を減らしたことになります。 実はこれには理由がありました。ICUの交換留学制度を使った留学を狙っていたからです。その制度を利用するためには、成績平均値(GPA)でB(3・00)でなければ応募できません。 前学期のように16単位も科目を履修したら、ちょっと間違えるとGPA3・00を下回る可能性がありました。そこで履修単位を減らして、時間に余裕を持たせてAを取りにいったわけです。 しかし、この戦略はうまく行きませんでした。 履修科目数を減らしたからといって、成績がよくなるとは限らないからですね。 この学期は、フランス語がB、[文学の世界]もB、前学期はAだったラテン語もBを取ってしまいました。GPA3・00は余裕でクリアしましたが、思惑は大外れです。同時に、三年生時における交換留学生に応募しましたが、面接で落ちてしまいました。 ちょっとまだ、目的が定まっていませんでしたね。 そうした失敗を教訓にして、1978年度の冬学期は攻めに転じます。 再び16単位に近い15単位を履修。 フランス語のほかに、専門科目である「英詩・散文」と「フランス文学史」、それに基礎科目である「西洋音楽史」を履修しました。 結果は大当り。「フランス文学史」と「西洋音楽史」でA、フランス語と「英詩・散文」はBと、入学以来最高のGPAとなる3・40を取りました。特に私が気に入っていたのは、「西洋音楽史」でした。 この科目は、17世紀の初期バロック音楽から古典派音楽、ロマン派音楽、新古典主義音楽といった近代音楽への流れを学ぶ内容ですが、授業時間中の半分は音楽を聴かせてくれるんですね。その音楽にずいぶん癒されました。私にとっては至福の時間です。 それでも音楽的な素養があるわけではなかったので、リスニング試験を含め、まさかAが取れるとは思ってもいませんでした。音楽家の前世でもあったんでしょうかね。 (続く)
2023.06.16
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関東大学テニスのリーグ戦初戦で、鮮烈デビューした印象が強すぎて、実はその後の試合のことはよく覚えていません。今でもICUテニス部の部室のどこかに記録が眠っている可能性もありますが、たぶん捨てられて記録はどこかに行ってしまったと思われます。 リーグ戦の結果だけいうと、初戦で接戦を制したICUはその後、五試合を全勝して一次リーグで優勝を飾りました。対戦相手は、ほとんど覚えていませんが、とにかく7部の56校中のベスト8に入ったわけです。 私はシングルスもダブルスも全試合に出ましたが、確かダブルスは3勝2敗で、シングルスは2勝3敗くらいだったと記憶しています。やはり私の実力では、なかなか2年生や3年生の試合巧者の選手には勝てませんでした。でもダブルスはポイントゲッターだったように思います。 そして、3月末か4月初めに7部の二次リーグが始まります。 各ブロックを優勝した8校は、再び二つのブロックに分かれ、4校総当たりのリーグ戦が行われました。この時の相手校は、ブロック優勝しただけあって、本当に強かったです。 ICUの選手で対等に戦えたのは、ナンバー1のTさんと2のOさん、3のHさんくらい。 私は全く歯が立たずに全敗。 我々のブロックで優勝したのは國學院大學で、他のブロックで優勝した大学とともに、6部下位校との入れ替え戦に進み、当然の如く撃破して、6部に昇格してゆきました。 こうして、私の10代最後の春休みは、テニスのリーグ戦の思い出とともに去って行きました。 1978年4月。二年生の春学期が始まりました。 (続く)
2023.06.15
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梅雨の晴れ間に撮影した紫陽花です。梅雨には欠かせない花ですね。こちらは桜の木と紫陽花。ソメイヨシノの根元付近で咲き誇っておりました。いい組み合わせだと思います。
2023.06.14
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梅雨の晴れ間。泰山木の花が咲きました。中学生時代、泰山木は校庭にも咲いていました。だから、ちょっと昔を思い出すわけです。今日は、本当に夏のような日差しでした。ところで、次の本の企画が通る見通しとなりました。また、決まりましたらお知らせします。
2023.06.13
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さて、1978年3月10日ごろ、ICUの冬学期の期末試験も無事終わり、団体戦のリーグ戦が始まりました。私はそれまで団体戦では練習試合にすら出場したことがありませんでしたから、いきなり公式戦で団体戦デビューしたわけです。 しかもダブルス、シングルスともに出場させてもらいました。 初戦の相手校は確か流通経済大学で、ダブルスはナンバー3(もしかしたらオーダー上はナンバー1)で、シングルスは名実共にナンバー6での出場だったと思います。 どの運動選手もそうだと思いますが、試合に出るのはワクワクするんですね。 団体戦初出場の私もそうでした。 今まで野球やラグビー、陸上競技などで活躍してきましたから、幸いなことに試合ではほとんどあがることはありません。むしろ、俄然張り切ってしまうタイプです。 それにしても結構、思い切った抜擢だったと思います。 何故ならダブルスで一緒に組むことになった3年生のH氏とは、普段から仲は良かったですが、今までほとんどダブルスを組んだことのないパートナーだったからです。 まさにぶっつけ本番。 ダブルスが始まりました。 一本一本が大事になります。 それでも私は全く臆することなく、フォアハンドをビシバシ打ち込んだのを覚えています。 実はダブルスはコートを広く使えるので、あまりアウトになることを気にせずに打つことができるんですね。対角線は特に長いので、角度も付けやすくなります。 そして私たちは、急造ペアだったにもかかわらず、相手チームをフルセットの末破る大金星を挙げます。 続く、シングルスの試合。こちらも大変でした。 相手は多分私よりも技術的にははるかに上の3年生。 片や私は、技術が未熟(何とセカンドサーブを下から打っていました)で足だけが速い、テニスを本格的に初めて一年未満の一年生です。 それにシングルのコートは狭いので、ダブルスのように思いっきり打つこともできません。 第一セットは、向こうの難しいショットに対して、何とか食らいつき、返すのがやっとという状態が続きました。それでもあきらめずにボールを打ち返し続けました。 そして何とファーストセットを大接戦の末7ー5で取ってしまったんですね。 第二セットも最初は接戦でした。相手のボールに走り回されていましたから、足にも疲労がたまってきていました。くじけそうになったときに、朝練でテニスを教えてくれたTさんが声をかけて励ましてくれます。 相手の方が強いのは明らかでしたが、私があまりにも速く走ってボールを何でも打ち返してしまうので、相手も段々嫌になってきたのだと思います。相手にミスが出始めたんですね。 そして何と、第二セットを6―2でとり、2-0で勝利を収めました。これも金星です。 1年生は球拾いも率先してしなくてはならないので、試合の後はもうヘトヘトで、立っているのもやっとの状態でした。でも、ダブルスとシングルスの両方で勝ち点を挙げることができて、5-4でICUは接戦をものにしました。はっきり覚えていませんが、ダブルスで1勝2敗、シングルスではICUのビッグ3とおまけで私が勝利を収めて、逆転勝ちしたのではないかと思っています。 (続く)
2023.06.12
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当時の大学テニス部の団体リーグ戦がどのように試合をしていたかというと、ダブルス3試合、シングルス6試合の計9試合を行いました。勝つと1ポイント獲得できますから、9ポイント制で5ポイント以上取ったほうが勝ちとなります。ダブルスに出た人はシングルスにも出場できますが、シングルスに出る人と分けることもできます。ですからチームによっては、シングルだけの選手もいれば、ダブルスだけ出場する選手もいるわけですね。 で、どういうメンバーを組むかというと、建前上はナンバー1の選手が一番強くて、以下強い順にオーダーを組むことになっています。ただし、決まっているのは、「関東学生」と呼ばれる関東学生選手権の本戦出場者、さらにその上の「インカレ」と呼ばれる全日本大学学生選手権の本戦出場者を上位に配置しなければならないというルールだけです。「関東学生」でも「インカレ」でもなければ、実質上どのような順番にしてもいいということになりますね。 このときのICUには「関東学生」も「インカレ」もいませんでしたから、自由にオーダーを組むことができます。かと言って、ナンバー1としてあまりにも弱い選手を出すのも露骨ですから、ナンバー1には各校ともそれなりの選手を立てるという配慮もします。つまり「調子が良ければ強いんですけどね」というような、ある程度素質のある選手をナンバー1に据えます。 もっとも強いチームはそんなことを気にしません。むしろ相手のナンバー1に自分のナンバー1を当てようとします。逆にいうと、弱いチームは、相手のナンバー1を外して比較的下位の選手を当て、自分のチームのナンバー1には相手のチームのナンバー2あたりの選手と対戦させて、ポイントを取りに行くわけです。 そうするとどうなるかというと、極端な例を挙げると、ナンバー1がナンバー6となり、以下、1、2、3、4、5の選手というオーダーになります。そうすれば、仮に相手の1、2、3が強くても、オーダーで対戦相手を外すことによって勝つチャンスが増すわけです。 当時のICUテニス部のオーダーはどうなっていたかというと、ナンバー1にはナンバー4くらいの2年生か、ナンバー6くらいのHさん。ナンバー2には、ナンバー1の3年生のTさん、ナンバー3にはナンバー2の2年生のOさん(翌年主将を務めます)、ナンバー4にはナンバー3の3年生で主将のHさん、ナンバー5には、ナンバー5の3年生のSさんか、3年生のHさん。そしてナンバー6に、赤丸急上昇中の1年生の私が抜擢されたわけです。 (続く)
2023.06.11
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UFOのことはさておき、関東大学テニスのリーグ戦の話に戻りましょう。 実は、ICUにはかなり不利な状況がそこにありました。7校総当たりのリーグ戦の一次リーグは、二次リーグの始まる三月末までに消化しなければならないのですが、ちょうどリーグ戦が始まる3月初めは冬学期の期末試験の最中で、10日くらいまでは試験勉強で忙殺されます。 聞くところによると、二学期制をとる他の大学は、三月は丸々休みのところが多いとか。 ですから余裕をもって、6試合の日程を組めるわけです。 ところがICUは、試験が三月上旬まであって練習がままならないうえ、10~12日間で六試合しなければならないという、かなりの強行スケジュールを組まされます。他校は中3日か四日で試合を組めばいいわけですが、ICUは二日に一回、下手をすると連日試合を組まなければならなくなります。最初から、かなりハンディを背負っているわけですね。 そこで抽選後の主務と主将による日程協議の場が非常に大事になってくるわけです。 ICUとしては、他校とは違って3月10日まで期末試験があって日程が厳しいという特殊事情を理由にして、なるべくホームで戦えるように折衝するわけです。最低でも7試合中4試合は日程的にきついのでICUのホームで試合をしてくれるように頼みます。 そして、何とか、少しでも有利なように日程が組めるよう腐心するわけです。 1978年のスケジュールがどうなったか覚えておりませんが、その二年後の日程なら私が主将を務めたのでよく覚えています。 3月18日に初戦があって、2試合目がその翌19日となって連戦となります。20日が一日空いて、21日に三試合目。22日が休みで、23、24両日が連戦。25日が休みで、再び26日が最終戦となっていました。つまり9日間で6試合もこなしたわけです。 こんなにきついスケジュールになるのは、おそらくICUだけですから、かなり他校の同情を引くことができます。逆の見方をすると、我々が連戦で疲れているだろうから、与しやすいと思って譲歩してくれやすい、あるいは油断してくれるということもできます。 不利な点ばかり述べましたが、実は初戦が試験で遅れることによって有利な点もありました。 それは既に始まっている他校の試合情報が、当時岸記念体育会館の関東学生テニス連盟に行けば入手できたことです。 誰が誰と対戦してどちらが勝ったかがわかると、ある程度テニスの団体戦のオーダーを組みやすくできるんですね。もちろん、それを逆手にとって違ったオーダーを組むこともあります。次回は、このオーダーの組み方について説明しましょう。 (続く)
2023.06.10
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4月27日に撮影した写真について、秋山氏とのやり取りが正確にわかりましたので、お知らせしましょう。写真はこちらでしたね。秋山:お~っ、これは小型のスキャンですね。ビー玉だ。綺麗なビー玉。(写真の)真ん中に写っているのが凄いね。(ビー玉に)オーブが写っているのは、(植物の)種や虫とは違うよということをわからせるためです。この公園には、昔Sさんと行ったことがある。とにかくこれは凄いね。富士山と八重桜とUFO。これは飾っておきましょう。いい写真ですよ。面白い。布施:なぜ、わざわざ写真に写させたのでしょうか?秋山:つながったんでしょうね。ビー玉がこんなにはっきりと写るということは、UFOと結構がっちりとつながったという意味合いがあります。いいことです。このところうちの関係者はみんなネットワークをつながり直している。先日、Nさんも明け方いきなり言葉が閃いたらしく「この言葉は何でしょう」と聞いてきました。明らかに宇宙人っぽい言葉でした。とまあ、こんな感じの質疑応答でした。ご参考までに。
2023.06.09
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アヤメ、カキツバタ、花菖蒲の見分け方について紹介するのを忘れていました。こちらです。花菖蒲は、花びらの基に黄色い模様があります。上の写真の黄色い部分ですね。これに対してカキツバタは、花びらの基に白色の模様があります。白い部分のことですね。そしてアヤメは、花びらの基に黄色に紫の網目状の模様があります。確かにくしゃくしゃした模様が見えます。最もわかりやすいのは、その生育場所です。アヤメは水はけの良い草地。花しょうぶは、水辺の湿地、もしくは湿り気のある草原。カキツバタは、水湿地。上の写真の右下を見ると、一番右の水はけのよい場所に自生しているのが、アヤメ。一番左の水に浸かっているのが、カキツバタ。そのすぐ右隣りに花しょうぶがあることになっています。これでちょっとだけ、区別が付きやすくなりますね。菖蒲園からのリポートでした。
2023.06.08
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記録魔の私のことですから、どこかに記録をメモしたと思うのですが、どういうわけか当時のメモがみつかりません。 リーグ戦最初の試合は、確か流通経済大学だったと思います。 遠い茨城・千葉県の大学ですね。関東地区のリーグ戦ですから、関東の大学とはどこでも当たる可能性があります。 ここで関東大学テニス・リーグの説明をしておきましょう。 1部から7部までがあり、1部から6部までが6校ずつで計36校。 その他の大学が7部に押し込められており、その数何と56校ほどあります。 ICUはこの7部のひしめき合いの中でもがき、奮闘しておりました(多分今も7部だと思います)。 7部ではその56校が8つのグループに分かれて、まずそれぞれのグループでリーグ戦を行います。 つまり7校総当たりのリーグ戦を行い、その各グループで優勝した8校が二次リーグ戦に進みます。 二次リーグは4校ずつ二つのグループに分けられて、再び総当たりのリーグ戦を行います。 そこでグループ優勝すると、優勝校同士で7部の優勝決定戦が行われ、優勝と準優勝が決まります。 その2チームが入れ替え戦に進むことができて、それぞれ6部の下位チーム、すなわち7部の1位(優勝チーム)が6部の6位と、7部の2位(準優勝チーム)が6部の5位と試合をして、勝った方が翌年6部で、負けた方は7部に属することになるわけです。 通常、当時の入れ替え戦では、6部の下位チームは7部の上位チームに勝つことはなく、7部に降格します。それほど7部は激戦区で、よほど強いチームでないと勝ち抜けることは難しいからです。当時、7部で優勝するチームは、最低でも2部か3部くらい、ヘタをすると1部の実力があるとすら考えられていました。仮にそうであっても、7部から1部に上がるのに最短でも6年かかるわけです。 長期計画で臨まないと、上がれませんね。 実際、当時7部でくすぶっていた大学に駒澤大学や亜細亜大学、國學院大學などがおりました。亜細亜大学はその後(約15年後)、1部に上がって関東大学リーグで優勝しただけでなく、全日本大学対抗テニスで優勝までしています。亜細亜大学が全日本学生王座についたのは、私が同大学の衞藤瀋吉学長と都内の同じテニス・クラブで親しくテニスをやっていた1994年と95年のことでした。だからその辺の事情を詳しく知っているんですね。衛藤学長になってから同大学は。かなり中長期的にテニスや野球を強くしてゆきました。 リーグ戦の実情はこんなところですが、各グループの組み合わせが決まってからが大変なんですね。主務や主将クラスが東京・渋谷の岸記念体育会館で開かれる抽選会に参加して、それぞれが希望を出し合って、試合のスケジュールを組みます。 次回はこの抽選会の駆け引きについて説明しましょう。 (続く)
2023.06.07
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さて、再び私がICUの一年生だったときのテニス部の話に戻ります。 鍛えれば何とかなると思った先輩のTさんが、主に一年生のために昼が過ぎると霜が融けてぐちゃぐちゃなコートになる冬期とともに始めた朝練――私はその朝練でメキメキ力を付けます。 Tさんの通称「テニス塾」で特にためになったのは、フットワークです。 細かいステップの重要性とスタートを早くする方法を叩きこまれました。 Tさんの指導は非常に細かくて、打点の位置、ボールのどこをどう打つかなどの基礎から、体重の移動の仕方や構える時の重心の位置まで、しっかり丁寧に教えてもらいました。 私もそうした基礎練習を参考にしながら、いろいろな打ち方を思いつき、試しては自分のものにして行きました。 そして、最終的にレギュラーの座を射止めたのは、リーグ戦が始まる直前だったと記憶しています。別に是が否でもレギュラーを取ろうとは思っていませんでしたが、そのころまでにはナンバー5くらいまでのレギュラー選手に勝てるほどに上達していました。 当時のレギュラー選手は、ナンバー1が朝練を主催してくれた三年生(本当は四年生ですが、卒業を一年延ばしたので出場できる)のTさん。後にソニーに就職します。ナンバー2が2年生のOさん。Oさんも何と就職先はソニー。ナンバー3がキャプテンで三年生のHさん。三井物産に就職しました。ここまでが「ビッグ3」といわれた不動のレギュラー陣です。 そのほかは変動が激しく、ナンバー4が2年生のYさん、ナンバー5が三年生のSさん、ナンバー6が三年生のHさんや二年生のYさんでした。 そこに一年生の私が入り込んで、いきなり公式戦のリーグ戦でナンバー6としてデビューすることになったわけです。 (続く)
2023.06.06
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昨日6月4日は満月でしたね。3日の夜から今日5日の夜までは月が綺麗で、素晴らしかったです。まずは4日午前2時55分。この六時間前から月が煌々と照っていました。その後、高度が低くなってからも南西の空に見えていました。その時の写真です。次は、その約24時間後の6月5日午前2時47分。ちょっとピンボケですが、遠くの海面を照らしていた月光です。肉眼で見ると、本当に綺麗でした。マウイ島で見た海面に映し出された、川のような月光を思い出しました。そして、つい先ほど午後10時02分に撮影した今日の満月。薄く雲に覆われていますが、なかなか趣のある月が出ています。さて、企画書は私の手を離れました。結果は後からついてきます。
2023.06.05
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菖蒲の季節ですね。ちらほらと咲き始めました。花菖蒲。いずれアヤメかカキツバタ。菖蒲も非常に似ています。わかりやすい見分け方が書かれていましたから、今度ご紹介します。紫陽花も咲いておりました。企画書も完成。出版されるかどうかは、先の話です。進展があればお知らせします。
2023.06.04
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UFOではありませんが、我々がUFOクラウドと呼ぶ雲です。4層以上に分かれていますから、デコレーションケーキのようです。こちらはホットケーキを重ねたようなUFO雲。こちらもよく見かける、三層の鏡餅を逆さまにしたようなUFO雲。風の強い日の空は本当に賑やかです。いずれも先月(5月)6日に撮影しました。企画書の作成で今しばらく忙しい日が続きます。
2023.06.03
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企画書を書かなくてはならないので、明日までは少し忙しいかも。ということで、先日ご紹介した「緑と富士山」シリーズの続きで、今日は緑と青と富士山です。青は言わずと知れた芦ノ湖ですね。さらに薔薇と富士山。もっと欲張って、薔薇と緑と青と富士山です。約1週間前の5月24日に撮影した写真でした。
2023.06.01
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