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株式会社KADOKAWA / 著者 田中史生
平成31年2月22日 初版発行
角川選書 614
〈私的読書メーター〉〈 渡来と帰化。歴史教科書では70年頃に表記が変わった。が、それは言葉の入れ換えに過ぎず古代日本への移住・定住者の捉え方に変化はないと著者は言う。今一度渡来者を「移動者」と再定義したらどのような古代日本が見えるのか、それは現在にどうつながるかというのが主題。律令制導入で、中華「日本」の明王に擬した天皇が化外の蕃族を徳化、帰化させる図式の固執が招く、後代の宋の貿易商人受容の律令的苦作に失笑。しかしその思潮は尊王攘夷へと伸張、御一新後の皇国史観が太平洋戦争没入を招いて国土灰塵とは笑えぬ。歴史を学ぶ、之にしかず。〉
文字を持たなかった島国では、大陸の大国からまともな国扱いを受けるためにも国史編纂が待たれた。
半島に置かれた中国の王国支所、楽浪郡のどん詰まりの海から船に乗って、幸運ならたどり着ける島国なのだ。
東西漢氏の元、文字を学ばせるに際しても楽浪郡で生まれ育った漢人の二世、三世が多数を占めた。
厩戸皇子の時代、遣隋使として渡った若者も小野妹子以外は大陸半島出身者がほぼ占めていたという。
社交辞令に通じ、読み書きできなければ文化文明の国に辿り着いても果ば得られぬ道理。
『日本書紀』国史編纂は史、フヒトと呼ばれる技能集団者によってまとめ上げられていくが、そこで能力を発揮し、大王の覚えを得たのが不比等フヒトだ。
なぜ覚えめでたかったのか。
倭の五王時代の改ざん、潤色で大王=持統を褒め称え古代を作り上げ、世襲、万世一系の端緒としたからなんだろうなあ、というのが本書からも窺える。
故に『日本書紀』は歴史資料にはならないが『続日本書紀』はある程度信頼できるらしい。
ところで不比等は後年その働きに対し藤原姓を賜る。
深大寺白鳳仏に関わる複信もショウナ王→高麗王→高倉と出世に応じ姓が変化した。
律令制が整う前の天武朝の世、12回の渡来人移配があり、この頃多くが武蔵七国にそれぞれ集落を得た。
現地人はその進んだ文化を神々しいものとして受け止めたと想像される。
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