全36件 (36件中 1-36件目)
1
山下ふ頭4号上屋から市内へ向かう連絡バスは、中華街駅と櫻木町駅など複数ルートが用意されていた。小生は好天に誘われて、山下公園や大さん橋を散歩する。マイ・スーツケースは、4号上屋内で営業していた宅配便を利用した。軽装で散歩や電車を乗り降りが可能。 大さん橋は、横浜港の象徴的な存在。地下1階、地上2階建て・鉄骨構造で、建物長さが430m×幅70mの規模。波をイメージした外観だ。さらに建物高さは、客船より低くなるように配慮されている。屋上の床は、木材を大量に使用したウッドデッキ。そのデッキの愛称は、「くじらのせなか」。 大さん橋から西側・山下ふ頭を眺めると、ジュエル号が補給を受けていた。アラスカを周ってアメリカ大陸を目指すらしい。東側を見ると、横浜の景観を代表する「みなとみらい21」がある。夜景が美しい副都心である。写真-1 大さん橋から「みなとみらい21」を望む。写真-2 大さん橋からノルウェージャン・ジュエル号を望む。写真-3 「くじらのせなか」からレトロな建物2棟を。写真-4 大さん橋に接岸した「コスタ ネオロマンチカ号」5.6万トン客船。写真-5 花の赤レンガ倉庫。
2019年07月15日
コメント(0)
ノルウェージャン・ジュエル号は、出発時と同じ山下ふ頭3号岸壁戻って来た。事前登録した時刻帯で次々と下船を開始。下船する順番とスーツケースに取付けるタグの色がリンクしている。荷受場所は、色ごとにスーツケースが集められていた。 3号上屋や数年前に解体撤去されて広場になっている。現在は乗客の通路、および水などの補給物資を積み込むスペース。そして4号上屋が臨時に開設した帰国審査・税関検査する場所。 4号上屋の広さは、長さ150m×幅40mほど。天井は、屋根を支える鉄骨がむき出し。出発時とは異なるパソコン類の配置となっていた。スーツケースを受け渡しがひとつのポイントになっているようだ。 埋立地を山下ふ頭になったのは昭和38年頃。その後、大黒ふ頭、本牧ふ頭に物流が移る。47ヘクタールの山下ふ頭は、数年前から再開発計画がある。カジノ営業はボツになったようだ。大さん橋の向いとなる広大な敷地は、今後どのように変貌するのだろか・・。写真-1 大さん橋の向いの山下ふ頭岸壁に接岸。写真-2 山下ふ頭の4号上屋を望む。写真-3 4号上屋を目指して進む。写真-4 帰国審査と荷物受け取る。写真-5 山下公園の少女像。
2019年07月13日
コメント(0)
横浜を出港して8日後に、無事戻って来た。横浜ベイブリッジの下を再び通過・・。見上げると、橋を走る自動車を近くで確認できる。特に視座の高いトラックからも、こちらのクルーズ船の様子が見て取れるはず。遠くの船は見えても、近くの船は見ないかも知れない。ハンドルをしっかり握っているため・・。 ベイブリッジを過ぎると大さん橋が迫って来る。その距離は約2,000m。大さん橋の後方に「横浜みなとみらい21」のビル群が広がっている。1990年頃から開発が始まり、あっという間に近代的臨海都市が出来上がった。赤レンガ倉庫と高い建物がコラボする港風景は、ザ・ヨコハマだ。写真-1 浦賀水道から横浜山下ふ頭へ・・。写真-2 再び、ベイブリッジ下を通過する。写真-3 遠ざかる横浜ベイブリッジ。写真-4 横浜みなとみらい21地区。写真-5 大さん橋や赤レンガ倉庫を見て進む。
2019年07月11日
コメント(0)
東京湾浦賀水道で日の出を迎えた。房総半島の暁空に朝日が昇る。神々しい朝焼けだ。振り向くと横須賀市の遠方に、淡い富士が浮かんでいた。 1日500隻以上が航行する浦賀水道。外海から東京湾深部に入るためには、この水道を含めS字状に船を進める必要がある。浦賀・観音崎と富津岬との距離は、7.5kmほど。この間に幅1400m×長さ1500mの浦賀航路がある。右側通行ルールが適用されている。 最近はこの海域での事故は減っている。遺構である第3海保が10年に撤去されたことが大きい。しかし、2014年に貨物船同士の衝突事故で大量の重油が流失し、富津海岸が重油で汚染された。また、10年前には自衛艦イージス艦と漁船が衝突している。外国大型客船の船長は緊張する水道だ。 千葉県富津市の岡に、「東京湾観音」が立っているのが遠目で確認できた。高さ56mの観音像は、東京湾およびその先に延びる外洋を向いている。世界平和祈念と戦没者慰霊の救世観音像。昭和36年に建立された。60年間余立ち続けているので、「白い灯台」のようにも思える・・。写真-1 房総半島の夜明け、浦賀水道にて。写真-2 神々しい房総の朝日。写真-3 クルーズ船・右舷デッキで御来光を・・。写真-4 右側に房総半島、左側に富士が・・。写真-5 富津の岡に立つ東京湾観音像と日輪。
2019年07月09日
コメント(0)
クルーズ期間、朝メシとランチは、12デッキのビュッフェ形式のレストランを利用する。もちろん無料、食べ放題だ。右舷後方海側約90mの室内に座席が並ぶガーデンカフェ(378名)、または船尾に展開した野外ビュッフェ(216名)で食事する。その日の天候と混雑程度によって、室内か屋外に決める。 旅行の楽しみに食べることがある。しかし高齢になると食への拘りが薄れる。それよりも非日常的な景色と空気が料理のメニュになる。時間に追われないで、片付けなくて済むので、レストランで過ごす時間が多くなる。そして果物、デザートが豊富なので、つい食べ過ぎる。下船後の体重測定が恐ろしい・・。 有料レストランでのディナー3回分は、ツアー代金に含まれている。それ以外は6階「無料レストラン」を利用することになる。メインダイニングとして、ツァーズパレス(524名)とアズーラ(328名)がある。エンターテイメントショー前後の6時、21時が混雑する。皆考えることは一緒のようだ・・。写真-1 昼下がりのプールサイド。ラブ・ブラザーズが唄っている。写真-2 主に朝食とランチしたガーデンカフェ。12デッキ右舷海側約90m区間。写真-3 野外ビッフェ・アウトドアーズとメインダイニング・ツアーズパレス。写真-4 ビュッフェ・ラインの一例。写真-5 屋内ビュッフェでの朝食とデザートコーナーなど。
2019年07月08日
コメント(0)
熊野灘でサンセットを観る。ジュエル号は、和歌山県最南端の潮岬(しおのみさき)の沖約100kmを北東に進んでいた。前日は奄美の海・東シナ海の夕日。2日続けて好天に恵まれた。順調な航海も最終の夜をむかえた。 船尾12デッキの野外ビュッフェ(グレートアウトドアーズ)は、日没30分に人が集まってきた。サンセットを見ながら、軽食またはカクテルを飲む人、それぞれが美しい時を過ごすために・・。暫くすると、キラキラ光る熊野灘に、太陽の筋が伸びる「光の道」ができた。 エンターテイメントショーを鑑賞後、21時に予約していた「ル・ビストロ」でフランス料理のコースを頂く。上品な装飾が施された空間で、1時間過ごす。落ち着いた雰囲気で食べるディナーは格別だ。明日から日常に戻ることになる。写真-1 熊野灘 夢幻クルーズ。写真-2 船尾12デッキのビュッフェでサンセットする。写真-3 熊野灘に「光の道」が伸びた。写真-4 貨物船を追い抜く。写真-5 ショー「ルミネッサンス」とル・ビストロの店内。
2019年07月05日
コメント(0)
クルーズ船に乗ると、出航する前に避難訓練することが義務付けられている(2012年国際海事法改定)。ジュエル号の7階デッキの両側にプロムナードでは、ウォーキング、ゲーム、休息・喫煙ができる。このプロムナードの上を見上げると、ボートのスクリューを見かける。 1周610mのプロムナードを歩くと、テンダーボート、救命カプセルなどの避難・救命設備を確認できる。テンダーボートは、寄港地する街によって接岸が出来ない場合、連絡ボートになる。2タイプあるのは、連絡用と救命用で使い分けているのか・・。一般的にテンダーボートの定員は120名。 ジュエル号の乗船規模は、乗客2,376名+乗組員1,069名で計3,445名とされる。一方、救命機材として、救命ボート(テンダーボート)20隻、救命イカダ6個、脱出シュート2箇所を見かけた。ほかに設置されているかも知れないが、乗組員の大半は、テンダーボートに乗れないように思える・・。 海難事故例として、映画「タイタニック」や2014年の「セウォール号沈没」が頭をよぎる。ジュエル号9.3万トンの1/14規模のセウォール号。不運な要因が重なり、約300名の命を奪った「セウォール号事件」。それから5年の歳月が過ぎた・・。写真-1 ジュエル号の救命機材配備状況。写真-2 7階デッキ・プロムナードと救命ボート。写真-3 テンダーボート底と固定状況。写真-4 救命イカダ。収納カプセルと膨張した救命イカダ。写真-5 脱出シュートと図解パネル。
2019年07月04日
コメント(0)
終日航海最終日の朝がやって来た。天気に恵まれたおかげで、太平洋の彼方から昇る朝日を見る。進行方向、2時の方角から太陽が顔を出す。大海原の空をオレンジ色に染めて、一日の始まりを告げる朝日だ。 クルーズ船ジュエル号は、宮崎県の沖合約150kmを、北東に進路をとっている。やはり、黒潮に乗っているようだ。航海もあと900km余り。明朝には東京湾に到達する。 昨年から黒潮は、通常の流れと異なるという。「黒潮大蛇行」という現象。紀伊半島から東海沖で大きく離岸する現象。漁業と天候に大きく影響するらしい。沿岸でシラス不良、東海の沿岸の潮位が高めになり、台風の接近により高潮が発生する可能性が高くなる。クルーズ船は、台風の発達・進路にも影響を与える黒潮を進んでゆく。写真-1 舳先と太平洋、そして昇る朝日。写真-2 13階前方のラウンジから朝日を眺める人。写真-3 14階展望デッキと太陽。写真-4 ジュエル号と太陽の輝き。写真-5 昨年から続く黒潮大蛇行の概要図。
2019年07月01日
コメント(0)
クルーズ船・ジュエル号の13階デッキに出て、東シナ海に沈む夕日を見る。昼間の強風は多少弱まったが、気温が下がってきた。そこで、用意してきた毛糸のスキー帽を被る。夕焼け空は、翌日晴れるという。明日の好天を予感させる東シナ海の夕景であった。 クルーズ船の位置は、奄美大島と屋久島の中間付近を北東に進んでいると思われる。船の進行方向を0時とすると、夕日の方向は20時の方向。つまり、左舷の斜め後方だ。朝日の昇る方向2時の方向になる。右舷前方斜めである。早起きして朝日を拝もう・・。7 階のアトリウムを覗くと、日本の歌が聞こえてきた。「乾杯」や「昴を」しばらく聞き入った。歌と演奏は、4人グループ「love brothers and Lira」。いろいろな曲が次から次と繰り出すので、昔のミユージック・ボックスのようだ。写真-1 13階デッキで夕日を見る乗客。写真-2 東シナ海に沈む赤い太陽。写真-3 日没前後の「スカイハイバー」のカウンター。写真-4 プールサイドと「スカイハイバー」の夜景。写真-5 夜のアトリウムは、音楽の演奏と寛ぎ空間。
2019年06月30日
コメント(0)
基隆を18時に出港して、一路横浜をめざす。丸二日間を終日航海となる。クルーズをゆったり・ほっこりと過ごすことになる。その1日目は、南西諸島の西100km辺りを沖縄本島沿いに進む。モニターを見ると、屋久島を目指す進路だ。 天気は晴れ。しかし外洋を吹く風は強い。ジュエル号は、アゲンストの風を突き進む。海上を見ると、黒味がかった青色の海。位置的に船は、黒潮に乗っていると思う。黒潮の平均速度は、2ノット(時速7km)と言われている。ジュエル号の最大速度は25ノット。 日本・台湾・中国・韓国に接する東シナ海。日本側は沖縄県を含む5県がこの海域に面している。そして中国と角を突き合わせている。中国は「東海」と呼ぶ。海洋ガス田の開発は当然視野に入れている。 昼間は、海原を眺めてゆったりした食事と珈琲。そして7階デッキのプロムナードをウォーキングして過ごす。夜のエンターテイメントショー、「レ・シルク・ビシュー」(アクロバット的踊りと音楽)を鑑賞した。写真-1 東シナ海を黒潮にのって突き進む。写真-2 泡立つ黒潮。写真-3 プールサイドで寛ぎ、リラックスする。写真-4 大海原の水平線と船軌跡を眺める。写真-5 船の位置をモニターで確認。
2019年06月27日
コメント(0)
故宮博物院・二階フロアの6部屋を使って、「巨匠のシルエット 張大千120歳記念大展」が開催されていた。張大千(ちょうだいせん)は、台湾の近代書画の巨匠として知られ、一生に3万点余りの作品を残している。代表作は、「廬山図巻」、「」中郎授女図」、「渓橋行船図」などがある。また、贋作画家としても超一流だという。 張大千は、1899年四川省で生まれる。上海で詩や書、絵画を学ぶ。日本にも渡って京都で染色を3年勉強する。日中戦争が始まると、遠く敦煌の莫高窟の壁画の模写を2.5年間行う。その後海外生活を転々として、1976年に台湾に定住する。その7年後に没する。享年84。 故宮博物院は、2020年から拡大改築工事を始めるという。一度に見られる展示物が多くなりそうだ。または特別展のスペース確保か・・。世界四大博物館にも数えられているが、更に進化しそうだ。東京国立博物館の約2倍に当たる年間450万人が入場する。人を惹き付けて止まない美術・博物館だ・・。写真-1 故宮博物院2階で開催中の「張大千120歳記念大展」。写真-2 記念大展会場の様子。写真-3 自我像と「秋堅鳴泉」。写真-4 山水画の「猿」、「新安江之景」。写真-5 敦煌・莫高窟壁画の模写図。
2019年06月26日
コメント(0)
台北観光の見所の一つに故宮博物院がある。今回の訪問で3回目になる。中国歴代王朝の皇帝たちの収拾したコレクションを基に、約69万を収蔵する博物館。中華文化のみの文物を展示する異色な博物館だ。いや美術館と言うべきか。春・秋などに展示物を入れ替えるで、新たな発見があるという。 皇帝・妃らの遺品は、民族の遺産として一般公開されているが、戦前は大変な目に遇っている品々だ。日中戦争の戦禍を避けるために、「大量疎開」した。1931年満州事変が始まると、南京から四川省、終戦になると南京に戻り、内部対立により台北に行き着いたのは1948年。 小生らツアー観光隊は、多くの時間を館内に滞在できないので、5大宝物を眺めてから、館内に流れてゆく。今回は陶磁器と書・絵画を観て歩く。ほとんどのフロアで写真撮影がOKであった。当然、フラッシュ撮影や自撮りは禁止である。 薄暗い館内照明とガラスケースの反射などで、クリアな写真は難しい。しかし後日パソコンなどで拡大して、精緻な部分を観る楽しみがある。人気の「象牙多層球」は、台座から下し、より近くで観ることができた。展示にも工夫するようになって来た感がある。写真-1 雨の故宮博物院。写真-2 翠玉白菜など。写真-3 象牙多層球と黄楊木高足套盃など。写真-4 楊貴妃像など・・。写真-5 陶磁器など・・。
2019年06月23日
コメント(0)
故宮博物館院へ入場する前の腹ごしらえに、台北101-S.Cに寄りランチする。地下1階に鼎泰豊(ディンタイフォン)の支店で、小籠包セットを食べる。事前予約していなければ、どれぐらい待たされるのか分からない。混雑と喧騒の中で、ランチを終えた。ゆっくりと味わうには、ほど遠い雰囲気・・。 鼎泰豊は、昔食用油を扱う油問屋として創業。その後1972年頃、小籠包を始めとする点心料理を販売。1990年代に米国紙に取り上げられてフレークする。今や台北市内を巡る観光拠点となっている。点心とは、一口で食べる軽食を意味する。大点心料理が看板メニューとなっていた。 小籠包を添えたランチセットの内容は次のようなものだ。(1)小籠包4個、(2)野菜と豚肉入り蒸し餃子1個、(3)エビと豚肉入り蒸し餃子1個、(4)魚蒸し餃子1個、(5)エビと豚肉入り焼売1個、(6)アン小籠包1個、(7)チャーハン、(8)空芯菜、(8)酸辣湯。お値段は、日本円で一人2700円程度かな・・。店内では、小籠包の製造過程を鑑賞できる。機械によらず、すべて職人による手作業。ポイントは、管理された量と薄い小麦の皮、そして18の襞(ひだ)で優しく包みあげる形。薄皮から熱いスープと具が口の中に広がる。小籠包は、台北では庶民の味でもある。5個100台湾ドルが観光価格。写真-1 台北101ショピングセンター地下の鼎泰豊でランチする。写真-2 行列のできる店。中国・韓国の観光客でごった返す店鋪前。写真-3 小籠包ランチセットを食する。写真-4 ガラス張りの小籠包作業場。写真-5 18ヒダの籠包とランチセットの内容。
2019年06月22日
コメント(0)
龍山寺・ロンシャンスは、1738年創建、台北で最も長い歴史を誇る古刹。極彩色に彩られた絢爛豪華の廟建築で、精緻な彫刻が屋根や柱に施されている。北を背に、前殿・本殿・後殿、左右の鐘楼・鼓楼を回廊でつなぐ四合院宮殿様式で造られている。 龍山寺がある淡水河の右岸近くのエリア(万華区)は、旧名を艋舺(もうこう)と呼んだ。台北で最も古くから開けた場所だという。近くに清朝時代の伝統的な商店街(剥川寮老街)が残っている。艋舺とは、カヌーが集まるとの意味がある。淡水河の上下流を行き来するカヌーが集まる何かがあったのだろう・・。 龍山寺には、仏教、道教、儒教などの混合した神々が集まっている。「神々のデパート」と呼ばれる所以だ。本殿の本尊は観世音菩薩。後殿中央に航海の神「媽祖(まそ)」が祀られている。「月下老人」という縁結びの神が若い人に人気。台北の人気のパワースポットで、雨降りでも参拝者が途切れない。 参拝の仕方は、赤い線香7本を持って、順に香炉に供えて廻ることとされている。案内に図示されている。最初に本殿の観音香炉に供えたたら、右回りで各廟を周る。7番目が商売の神・関羽廟だった・・。写真-1 雨の日でも参拝者が途切れない龍山寺本殿。写真-2 龍山寺境内、本殿・鼓楼・前殿の様子。写真-3 絢爛豪華の廟建築と精緻な彫刻類写真-4 上:-本殿の観世音菩薩像。下:後殿の媽祖像。写真-5 関羽像と月下老人像。写真-6 龍山寺参拝案内図。
2019年06月20日
コメント(0)
雨に煙る基隆(キールン)港に朝8時に着く。途中、横浜港大黒ふ頭にいたMSCクルーズ船(13.8万トン)が先に入港していた。その横を低速通過して、クルーズ船ターミナル付近に接岸する。入国審査は簡素で、パスポートのコピーを見せるだけ。迎えのバスに乗って、台北へ向かう。 基隆港は、台湾第2位の貨物取扱量を誇る。同時に大型クルーズ船が多く寄港する。台湾の人気観光地の九份や台北に近い。台北市内へは鉄道を利用すると50分ほど。バスでも約1時間だが、高速道路を下りると、渋滞にハマることが多い。 港としての基隆発展は、日本統治時代に大規模な港湾施設を建設したため。日本に近く、日本海を睨む要衝の軍港となった。その結果、太平洋戦争において米軍の爆撃で壊滅的被害をうける。しかし地理学的優位さがあるため、復興は比較的早かった。 基隆は、雨の多い街。「雨の港」としても知られている。台湾北端に位置して三方が囲まれ、かつ海流と風がぶつかり雨となる。年間降水量3750mm、降雨日数206日という。日本で降水日数が多い秋田県の1.2倍である。平均2日に1日、雨が降る。7月が少雨月のようだ・・。写真-1 雨に煙る基隆に入港。写真-2 横浜大黒ふ頭にいたMSCクルーズとすれ違う。写真-3 キールン展望台と港の建物。写真-4 ラジオ体操をした後、下船する。写真-5 遠ざかる基隆港の夜景。
2019年06月19日
コメント(0)
石垣島は、曇り時々雨となった。しかし、限られた時間の中で、観光を楽しむことはできた・・。17時前に船に戻る。暫くすると、ノルウェージャン・ジュエル号は、完成したばかりの岸壁を離れた・・。 クルーズ船専用岸壁は、南ぬ浜町の埋立地の先端部にある。2005年頃から工事を始めたという。2018年4月に暫定供用した。岸壁長340m×水深9m規模。今後、ターミナルの建物を整備する予定。計画では2020年まで岸壁長420m×水深10.5mに拡張して、20万トンを停泊させるという。 石垣島へのクルーズ船寄港数が急増して、2018年に160回に及ぶ。外国船によるものが多い。小生が乗船したノルウェージャン社も昨年2回寄港している。これまでの最大船規模は、14万トン級で検疫錨地を使用。テンダーボートによる下船・乗船は、天候により中止になることがある。 国内におけるクルーズ人数は31.5万人(2017年)。そのうちの6割が外国船への乗客数だ。年々増える傾向。石垣島については、4月と5月の寄港が多い。台風期と梅雨時期は、低減するようだ。写真-1 曇り天気の下、18時石垣島を出港する。台湾・基隆港へ向かう。写真-2 南ぬ浜町埋立地のクルーズ岸壁は、暫定供用。写真-3 岸壁を離れるクルーズ船。写真-4 拡張工事中の岸壁。今後ターミナルも建築予定。写真-5 左舷に遠ざかる石垣島。右舷に竹富字・西表島。写真-6 国内のクルーズ寄港数と乗客数推移図。
2019年06月17日
コメント(0)
石垣島の観光をすれば、一度は川平湾(かびらわん)を訪れる。そして、その美しさにうっとりする。小生らが訪れた日は、生憎の雨模様の天気。いわゆる「川平ブルー」の絶景は、お預けとなった。白砂とエメラルドグリーンの海とのコントラスが、「ザ・ゼッケイ」だと世界的に知られている。 石垣島の北西部に位置する湾で、南風を直接受けない穏やかな場所だ。1997年に国の名勝に認定された。奥行2Kmの風光明媚な入江は、「M.Gグリーンガイド」で三ツ星を得たほど。太陽の光を受けて輝く海面は、七色と表現される。天気が良く、満潮時が見頃とされる。 小生らは、予約してあったグラスボートに乗り込む。年寄りでも気軽に海中散歩ができる。サンゴが生息しているポイント近くで、舵とエンジンを加減して、種類・特徴を説明してくれる。約30分船底を覗く。 石垣島の特産物に黒真珠がある。黒蝶貝の養殖に世界で初めて成功したのが石垣・川平湾とされる。2000年の沖縄サミットでは、参加国の首脳夫人にペンダントとして贈ったという。黒蝶貝は、「川平の水」に合っているのだろう・・。写真-1国の名勝「川平湾および於茂登岳」。写真-2 川平公園展望からの景色。写真-3 グラスボートに乗り込む。写真-4 波があったのでサンゴ覗きで、少し船酔いする。写真-5 天気の違いによる湾景色。
2019年06月16日
コメント(0)
石垣島に古民家を中心として野外博物館がある。日本最南端のテーマパーク「石垣やいま村」を訪れた。名蔵湾に面する「名蔵アンパル湿地帯」と隣り合わせの村だ。モングローブ散策路とも繋がっている。 この村の前身は、1981年に開業した「八重山民俗園」。2008年に八重山諸島の古民家4軒を移築・復元したことを契機に、石垣やいま村に改名した。大浜邸では、「やーしびー」という三線と太鼓による民謡ショーが3回/日行われている。 マングローブ寄りに、リスザル園がある。リスザルは観光客に大人気だ。二重ゲート内でバック類などの手荷物チェックが行われる。肩や腕に乗ってくるので、各自の貴重品に注意しなければならない。南米亜熱帯に生息する小型ザルは、体重800グラム前後、尻尾が約40cmと長い。 人になつくリスザル。餌を差し出すと、直近くまで寄って来る。サル園にいたのは、僅か3分程度。頭上が暗くなり、たちまちスコールに遭ったため・・。15分間程度で止んだが、足元が悪くなったこともあり、バスに乗り込み、次の観光地へ移動する・・。写真-1 石垣やいま村の古民家。写真-2 石垣やいま村案内図と迎恩館。写真-3 移築・保存した八重山諸島の古民家。写真-4 古民家内の展示品。写真-5 観光客に大人気のリスザル。
2019年06月14日
コメント(0)
3番目の寄港地は石垣島。大型船の場合は、新港クルーズ船岸壁に接岸。岸壁は拡張工事中のようだ。今後、順次整備される。石垣島では、鍾乳洞、やいま村、川平湾を観て廻る。天候は雨模様だが、オプショナルツアーなので迎えのバスに乗り込む。 新港から4km山側(北側)に入った所に「石垣島鍾乳洞」がある。日本最南端の鍾乳洞とされ、1994年に公開された。全長3.2kmのうち660mが観光化され、安全に歩くことができる。洞窟内の平均温度23度、湿度90パーセント以上の地下世界だ。 約20万年の歳月をかけて創り上げられた鍾乳洞。鍾乳石の成長は、南国らしく早い、3年で1mm成長するらしい。サンゴ礁から生まれた洞窟は不思議な形状している。神秘的な鍾乳石群だ。「長寿の湖」、「乙女御殿」、「神々の彫刻の森」、そして「トトロ」がいた・・。写真-1 新港のクルーズ船岸壁に接岸。写真-2 石垣島鍾乳洞のエントランス。写真-3 鍾乳洞入口からクルーズ船ジュエル号が見えた。写真-4 洞窟のビュースポット「長寿の湖」写真-5 「華厳の広場」など広い空間で写真を収める。写真-6 彫刻の森とトトロ石。
2019年06月11日
コメント(0)
「首里城」が世界遺産に登録されて20年近くなる。「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として・・。そのなかに美しい正殿の建物は入っていないようだ。御差床(うさすか)の前に設けられた床窓から、城壁の遺構(世界遺産)を覗くことができる。ザ・セカイイサンの窓である。 首里城正殿が世界遺産と認定されずとも、その工芸・建築の技術を観に訪れる人々か多い。むしろ、赤い建物と工芸品の数々を地域の人々が大切に守っていることに感銘を受けて、城壁跡を世界遺産に認定したのだろう・・。 琉球文化は、周辺諸国との交易を通じて様々な文化を吸収して発展してきたもの。多くの美術工芸品は、大戦で焼失・略奪に遇ったことだろう・・。その一部が首里南殿において企画展示されていた。漆器・染織物・陶芸・絵画・書跡など鑑賞する。 企画展のサブタイトルが「ザ・Rkukyu Red」とある。18世紀に重修された正殿は、弁柄・朱などで覆われた「赤い王宮」と呼ばれていた。現在目にしているのは、復元された王宮。塗装の技術から観ると「巨大な琉球漆器」と表現される。写真-1 首里城正殿の唐破風妻飾の建築と赤漆。写真-2 正殿2階内部の御差床(うさすか)。「巨大な琉球漆器」と称される。写真-3 御差床の窓を覗くと世界遺産が見える・・。写真-4 南殿2階特別企画展のパンフレット。写真-5 琉球の美術工芸品の例。
2019年06月08日
コメント(0)
23年ぶりに訪れた「首里城」は、広がっていた。西から東に伸びる首里城の城郭。正殿の裏側、つまり東側のエリアが復元され、一般公開されていた。首里城公園内における最標高140mの「東のアザナ」に上り、町並みと城郭を俯瞰する。 首里城正殿の裏手の「御内原(おうちばら)」と「東(あがり)のアザナ」の開園は、つい最近の2019年2月から。このエリアは、国王と王妃、多くの女官が生活した場所。資料が乏しかったので、調査発掘を含めると復元に27年を要したという。 「首里城」は、沖縄本土復帰(1972年)前後から、琉球王国の遺構を復元するために50年余の歳月を費やして来た。戦争で破壊するのは一瞬、再建するに半世紀かかる。平成4年に正殿の復元、平成12年に西のアザナを復元、そして九州・沖縄サミット開催。平成19年には書院と鎖之間を供用した。 この度、園内の東端まで歩いて見学できるようになった。「歴史風土探訪の場」として、整備し続けたて今日がある。普天間の米軍基地が無くなる日は、いつ訪れるのだろうか・・。写真-1 東のアザナから城郭を眺める。写真-2 正殿の裏手、御内原からと世誇殿。写真-3 御内原からアナザへ向かう。途中、白銀門を潜る。写真-4 東のアナザ(物見台)の街の景色。写真-5 淑順門から「東のアザナ」と城壁を見る。写真-6 首里城公園の見取り図。
2019年06月05日
コメント(0)
日本の城郭で、首里城は別格の赤色だ。深い赤味で、ベンガラ色の琉球レッドである。首里城は、琉球王国のグスク。140年前まで存在した琉球王国。その政治・経済・外交の中心が、町を見下ろす高台に築かれた。先の大戦で焼失した城が復元され、2000年その城跡は世界遺産に登録される。 首里城正殿と御庭(うなー)へは、石畳みの坂道と6つの門をくぐる。1)守礼門(しゅれいもん)、2)歓会門(かんかいもん)、3)瑞泉門(ずいせんもん)、4)漏刻門(ろうこくもん)、5)広福門(こうふくもん)、そして6)奉神門(ほうしんもん)と・・。昇りづらい坂道と多くの門は、城を守るためでもある。 沖縄の強い紫外線と湿気は、漆塗りの外壁を劣化させる。平成30年11月に正殿外廻りの塗り替えが終えたばかりで、琉球レッドが鮮やかだった。強い台風にも晒される木造建築物は、維持管理にコストと労力を必要とする。 守礼門は、礼節を重視する琉球への入口。その直ぐ近くに、首里城遺跡の中で、建造物として唯一世界遺産に登録された「園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたいしもん)」がある。1519年に琉球石灰岩で築かれた門。王家の拝所として使用されたという。写真-1 首里城正殿と御庭(うなー)。写真-2 守礼門と園比屋武御嶽石門。写真-3 歓会門と瑞泉門。写真-4 漏刻門と広福門。写真-5 色鮮やかな首里城正殿。写真-6 北殿と鳥観図。
2019年06月02日
コメント(0)
沖縄・南城市の南端・玉城百名(たまぐすくひゃくな)のレストランでランチする。琉球石灰岩の崖に建つ「百名伽藍」は、静かで景色が素晴らしいホテルだ。海の見えるテーブルで、「創作沖縄料理」を静謐のなかで美味しく頂いた。 百名伽藍ホテルは、海側に少し突き出た高台にある。そのため、220度の視界があり、日の出と日の入りを同じ場所で見ることができる。聖地・久高島は東方10kmの海に浮かび、西に目を移すと奥武島が見える。この辺りは、琉球創生神話の場所とされる。 ニライカナイから久高島に降臨した創生神・アマミキヨは、島から海を渡って本土に初めて上陸した場所が百名ビーチだという。ホテルから東1km余りの距離だ。満潮時に水没する碑「ヤハラヅカサ」が立っている。神話の渚だとバスガイドさんの説明・・。 バス車内では、沖縄の話を沢山してもらう。そして三線と唄が旅の思い出となった。写真-1 ビーチに面する崖の上の百名伽藍ホテル。写真-2 和琉様式で、外壁の琉球石灰岩と赤瓦が特徴のホテル。写真-3 海の見えるレストランで創作沖縄料理をいただく。写真-4 西の奥武島と海食岩(口を開けた深海魚のようだ)。写真-5 ビーチを見下ろす休憩所と三線・唄を演奏するバスガイドさん。写真-6 百名ビーチに立つ「ヤハラヅカサ」。
2019年05月30日
コメント(0)
沖縄本島の南端部・糸満市にある手作りガラス工房を訪れた。「ひめゆりの塔」から東へ約1.3kmの位置。グラスや皿を作る体験をする。職人さんが手取り足取りで援助してくれる。火の玉を膨らませるので、油断はできない。製作したグラスは、宅配便で自宅に届く。帰宅後、この器で焼酎を飲む。 琉球ガラスのルーツは、先の大戦後の資源難ために、米軍基地に捨てられていたコーラやビールなどの空き瓶を再利用したことから始まった。多彩な色合いと再生過程で混入する気泡と相まって独特なガラスになるという。 ガラス工房、ショピングセンター、美術館などからなる「琉球ガラス村」。アウトレットショップ「じゃんがらや」では、手軽に楽しめる製品が豊富に販売していた。一方、ショピングセンターに併設するガラス美術館には、色鮮やかなアート作品が展示している。来店者の目を奪う。多くは非売品で、この場所でしか観られない・・。写真-1 糸満市にある琉球ガラス村を訪ねた。写真-2 来店記念撮影場所と「じゃんがら」へ塘路と喫煙所。写真-3 硝子溶解窯とグラス作り体験。写真-4 売店内の展示ガラス製品。写真-5 琉球ガラス美術館のアート作品。
2019年05月28日
コメント(0)
午前8時、那覇港の8号岸壁に着く。8号岸壁は、沖合に築造された大型旅客船ふ頭。常設のターミナルである。船外へは2箇所の出口から下船する。そして、臨海道路と海上橋梁で繋がっている。 8号岸壁は、泊ふ頭8号岸壁とも呼ばれ、那覇港と泊漁港の中間に位置している。ポートターミナルから最寄りの「ゆいレール」美栄橋駅までは、直線で約1.2km。「国際通り」まで約1.5km。軽装で歩く人もいるが、多くの観光客は、バスやタクシーで中心街や観光地へ向かう。 泊ふ頭8号岸壁のポートターミナルが供用されたのは2014年。以前はコンテナターミナルを利用していたという。中国からの乗客が多かった那覇港。そのせいだろうか・・。若狭海浜公園近くに大きな対の「龍柱」が海の方角を見て立っている。中国福州市との友好・交流を記念した高さ15mのシンボル像。 山下ふ頭とは異なり常設のターミナルので、スムーズな下船となる。しかし、その先に少し問題がある。大型クルーズ船は、一度に大勢が下船する。そのため、連絡バスやタクシーが混雑する。全国的に運転手が減少するご時世。水筒を持ち、リックを背負い、5km程度歩ける足腰を保持したいものだ・・。写真-1 那覇港口を横切り、泊ふ頭8号岸壁へ向かう。写真-2 若狭海浜公園と岸壁と連絡橋。写真-3 8号岸壁のポートターミナルと下船状況。写真-4 連絡橋からジュエル号を見る。写真-5 高さ15m対の「龍柱」と那覇空港。
2019年05月25日
コメント(0)
神戸港から沖縄那覇港までの航海距離は、約1200km。約35時間を要する。那覇まで太平洋を南下し続ける、終日航海日。添乗員のすすめもあり、操舵室(艦橋)を見学する。操舵室観覧ルームは、11階前方左舷に設けられている。小生らの部屋は、後方に位置するので結構歩くことになる。 操舵室は、船幅よりも両端が飛び出ており、後方を目視できる。その大きさは38m×8mと広々としている。乗客から見られるので、航海士も怠けてはいられない。但し、出港・入港時には観室は閉鎖する。観覧ルームの壁に、寄港地の記念プレートが数多く飾ってあった。 ジュエル号の船首最上階が14階サンデッキ。13階は大きなラウンジで、ダンスパーティなどイベントホールにもなる。12階がスパとトレーニングルーム。そして11階が操舵室。10階以下が客室となる。 前日の神戸市内散策で2万歩以上歩き、疲れが残った。13デッキのジョギングトラックでランせずに、7デッキのプロムナードを3周(1周=600m)歩く。食べ物に事欠かないので、運動不足に注意して過ごす。写真-1 クルーズ船船首のデッキ。幅の広い11階のフロント部が操舵室。写真-2 広々とした操舵室。写真-3 船長以下航海士の一覧と寄港地の記念プレート。写真-4 13階の前方部のラウンジ(スピンネーカーラウンジ)。写真-5 航行情報は、部屋のテレビで確認できる。
2019年05月22日
コメント(0)
みなと神戸の夜景をクルーズ船から眺める。ウオーターフロントをライトアップした光景を見ながら、21時にポートターミナルを出航する。左側(海側)からモザイク観覧車、オリエンタルホテル、ポートタワー、そして神戸海洋博物館が並ぶ、美しい夜景だ・・。 神戸の夜景は、日本三大夜景のひとつ(他の夜景地は函館、長崎)。但し、眺める場所は、「摩耶山掬星台から望む夜景」となっている。海側からみる夜景も悪くない。北野後方の山麓イルミネーションが暗い斜面に浮かび上がっていた。錨山、市章山、堂徳山に電飾が施されているようだ。 神戸大橋に隣接するポートターミナル側からは、メリケンパークとハーバーランドとが重なる夜景となる。また、ポートタワーと神戸海洋博物館フレームとのコントラスが鮮やかだ。朱色キャンドルと萌黄色の帆船のツーショトをカメラに収めた。写真-1 クルーズ船から見た、みなと神戸の夜景。写真-2 北西の山影と鱗茜雲。写真-3 暗い山麓に、錨、市章、帆掛舟の電飾が浮かび上がる。写真-4 メリケンパークの朱色キャンドルと萌黄色の帆。写真-5 船上とターミナルの灯りそして赤い大橋。
2019年05月20日
コメント(0)
細い急なオランダ坂を、息を切らして登ると異次元的な建物があった。「うろこの家・うろこ美術館」である。天然石のスレートを外壁に貼り付けた隠れ館のようだ。使用した鱗板は3千枚という。向かって右側がうろこの家、左側がうろこ美術館。 この建物は、明治38年頃旧居留地に外国人向けの高級借家として建築されたもの。大正期に入り、この地に移築した西洋館。標高150mの高台にそびえる異人館からは、港と町並みが一望できる。 オランダ坂の途中に、「香りの家オランダ館」がある。旧オランダ王国総領事邸を活用した店で、オリジナル香水作りの体験ができる。うろこの家の東側には「山手八番館」が見えた。チューダー様式の変わった建物。館内にある「サターンの椅子」が話題となった異人館だ。 かつて神戸で暮らした外国人が建てた洋館を大切に保存している街・北野。レトロな雰囲気が漂う坂の街を歩くと異国にいる気分になる。しかし、坂は難儀だ。年寄りには辛い生活を強いる。観光資源として活用して空き家の対策にもなっているが・・。写真-1 高台にそびえる「うろこの家。うろこ美術館」。写真-2 断熱・耐火につよい天然スレートの鱗を纏う異人館。写真-3 うろこの家の食堂他。写真-4 オランダ坂と「香りの家オランダ館」。写真-5 サターンの椅子がある「山手八番館」。
2019年05月19日
コメント(0)
神戸北野天満神社の直ぐ下に、煉瓦を外壁とした「風見鶏の館」が建っている。北野地区では珍しく、レンガを使用している。そのために目立つ、また重厚な雰囲気がある。ドイツ人貿易商のトーマス一家が暮らした家。眼下の坂道を「トーマス坂」と呼ぶ。 ランタンを飾る円形広場(北野町広場)を、萌黄館と風見鶏館が囲うので異国情緒たっぷりだ。館の三角屋根の天辺には風見鶏が尾を振っている。当初は風向きを知るためだった。後に魔除けの意味やキリスト教の広める役割もあったという。 風見鶏の館は、風をみるため高台に建っているが、更に高い場所に「北野天満神社」がある。境内から見晴しが良いので、地元で「天空の社」とも呼ぶ。昔から出入港する船をよく視ることができた場所。平清盛が「福原の都」を築く際に、京都北野天満宮より勧請したとされる。 和田岬が西風と潮流を防ぎ、六甲連山が冬の北風を遮る立地の湊。天然の良港は、奈良時代から知られていたが、日宋貿易の拠点にしたのは平清盛だ。しかし源平合戦で湊が疲弊して、堺が明との交易を担う。そして織田信長は、経済力をバックに天下取りに乗り出した・・。写真-1 神戸市街地を見渡す風見鶏の館。写真-2 ドイツ建築家が手がけた建物。写真-3 北野天満神社境内。写真-4 風見鶏の館内の食堂の様子。写真-5 広場の上に建つ風見鶏の館を見上げる。写真-6 ベトナムランタンを飾る北野町広場。
2019年05月17日
コメント(0)
神戸三ノ宮駅から北側の高台に続く道は「北野坂」。観光エリア・北野異人館群への参道・散歩道である。坂の上には「萌黄の館」や「風見鶏の館」が建っていた。先ず、萌黄色した異人館をめざす。 途中、北野坂は、「インフィオラータ」と呼ぶ花のアート祭(イタリアがルーツ)が開催されていた。道路に花を敷き詰めたロードペイントだ。5m×10mの花カーペット10枚ほど敷かれていた。使用した花のチューリップは35万本にのぼるという。 萌黄の館は、大きな楠の木に囲まれている。明治33年(1903年)に建築された異人館。昭和19年に小林秀雄氏の住宅となる。その後、昭和55年に国の重要文化財となる。昭和62年に淡いグリーン色の外壁に復元されたもの。 部屋ごとにクラシックな暖炉がある。また開放的な2階ベランダから神戸の市街地を見渡せたという。萌黄色した屋根付きベランダが印象的だった・・。写真-1 北野坂に施された「インフィオラータ」(花を敷きつめる)。写真-2 坂道に5m×10mの花カーペット。写真-3 萌黄の館を西側の佇まい。写真-4 萌黄の館を東面と館内展示の子ども部屋。写真-5 見晴の良い二階ベランダとクラシックな暖炉。
2019年05月16日
コメント(0)
日本三大神滝のひとつ「布引の滝」は、六甲山南西7kmの麓にある。布引ハープ園のロープウェイからも見える。新神戸駅から30分ほどのハイキングコースとなっている。市民にとって、とりわり夏場の涼を求めて、弁当を食べる場所であろう・・。 ロープウェイ山頂駅一帯は、展望プラザと呼ばれ、みなと神戸の景色が素晴らしい。途中、ポートターミナルに接岸したクルーズ船・ジュエル号を見る。展望プラザと中間の「風の丘」は、夜景スポットでもある。 布引の滝の上流に「布引五本松ダム」がある。明治33年(1900年)に造られた水道施設。日本で最初に、本格的にコンクリートを用いたダムである。堤高33.3m×堤長長110m、堤体積22,000m3の重力式ダム。貯水量は42万トン。国の重要文化財である。 幕末の開港以来、神戸六甲の水は、赤道を越えても腐らない水として、世界中の船乗りがその価値を見出す。花崗岩の地層からろ過される水、今も六甲の水として知れ渡っている。90年代には西城秀樹のCM「六甲のおいしい水」で、一躍有名になったブランドのミネラルウオーターだ・・。写真-1 布引ハーブ園山頂から「みなと神戸」を望む。写真-2 ロープウェイからジュエル号が見えた。山頂の展望プラザの賑わい。写真-3 布引の滝。写真-4 布引三本松ダム。写真-5 山頂駅から「風の丘」まで散策する。
2019年05月14日
コメント(0)
紀伊水道の入口に差しかかったのは、横浜を出て約18時間後の午前11時頃。御坊市と阿南市とを結ぶ辺りだろうか。ジュエル号の進路右舷前方に伊島(いしま)が浮かんでいた。伊島は、四国最南端の島で、周囲9.5km×約190名が暮らしている。 和歌山県と徳島県そして淡路島に囲まれた海域が紀伊水道。東西×南北がそれぞれ約50km。瀬戸内海と太平洋との境にあたる、日ノ御碕と伊島との間は約24km。しかし大型船の航路は、伊島の約4kmのルートをとるようだ。日ノ御碕側は、恐らく岩礁が多いのだろう。 内海と外洋が接する海は、豊かな漁場なのだろう。和歌山県側に数多くの船が出ていた。アジまたはサバが回遊する姿を想像してみた・・。 ランチ後デッキに出ると、神戸ポートターミナルと赤い神戸大橋が近くにあった。14時に下船、21時出港予定。その間、神戸市内を散策する。かねてから布引ロープウェイを乗ってみたいと思っていた・・。写真-1 熊野灘から紀伊山地を眺める。写真-2 紀伊水道の入口、伊島と漁場を望む。写真-3 紀伊水道をジュエル号に乗って進む、そして神戸へ。写真-4 遠景の明石海峡大橋。写真-5 神戸大橋の東側、ポートターミナルに接岸する。
2019年05月13日
コメント(0)
ノルウェジャン・クルーズの夜の楽しみに、エンターテインメントショーがある。クルーズ初日は、艦内各セクションの責任者が紹介された。今回、乗客の約8割が日本人であることから、日本人の副司会者がいて説明してくれた。その後いきなり、ABBAのポップサウンドと歌が始まった。 芸能の秀でたスターが躍動する舞台は、「スターダスト・シアター(星屑劇場)」である。船首側5階から7階を占用した半円形劇場。客席は600から700席ほどか。毎夜19時と21時から2回上演される。それぞれが満員となり、席が不足する事態となった。 小生らは、19時15分からの第1回目に参加。満席のなか、ABBA FAB(アバファブ)が70年から80年にヒットした曲、ウォータル、マンマミア、ダンシングクイーンなどを次々と熱演した。45分はあっという間に過ぎた。アバ・サウンドのなかでお気に入りは、「フェルナンド」・・。 小生らの年代は、ABBAを知らないひとは、まずいないだろう。1974年から1982年の間に、レコード等を1.4億枚売り上げたスウェーデンのポップグループ。70才から73才ぐらいだろうか。最近活動をしたという。子育て、離婚、その他人生の荒波を越えて、頑張っているようだ・・。写真-1 連日、エンターテインメントショーが行われる「スターダスト・シアター」。写真-2 ショーに先立ち、艦内の各セクションの責任者を日本語で紹介する。写真-3 満席の星屑劇でABBA FABのショーが始まる。写真-4 ショー終了後、観客と記念撮影。写真-5 7日目のショー後には、オフィサーのお別れ会があった。写真-6 ABBAの名曲 「FERNANDO」。
2019年05月11日
コメント(0)
雨は午後3時過ぎにあがる。出港17時には西から天候が回復した。横浜ベイブリッジを通下して間もなすると、茜雲の下に夕富士のシルエットが浮かぶ。クルーズ船の出航を見送ってくれるかのように・・。 ジュエル号の14階(サンデッキ)は、朝晩展望デッキとなる。この階の上15階にも、小展望デッキが用意されている。真正面は見ないが、300度近い視界がある。度々上ることになりそうだ。復路の横浜入港予定が7時半なので順光の富士を期待する。 晩春は大気がかすみ、遠くの富士山を見かけることは少ない。神奈川沖から海上の富士を観たのは初めてだ。航海初日に良い景色に遭遇する。ふと葛飾北斎の「富岳三十六景」を想う。 北斎の「神奈川沖浪裏」は海外でも有名だ。波しぶきが千鳥に変化して富士山へ向かって飛んでいる。波に揉まれる3隻の舟、うねる波間から富士を垣間見る構図だ。北斎の視座は、ベイブリッジ付近とか海ほたる付近との説がある。大波と3隻の舟、そして富士がモチーフの想像浮世絵。写真-1 神奈川沖の夕富士。写真-2 西の空を覆う淡茜雲。写真-3 展望台15デッキから東京と夕富士を望む。写真-4 サンデッキ(14階)から夕陽と富士山を眺める乗客。写真-5 迫力ある大波の「神奈川沖浪裏」。写真-6 小波と小舟と富士そして茜雲。
2019年05月10日
コメント(0)
東京湾の干潮時刻は17時。海水面が低くなると、大型客船が横浜港の各ふ頭を離岸して行く。先ず、大さん橋のダイヤモンド・プリンセス(11.6万t)が出港。後を追うように、ノルウェージャン・ジュエル(9.3万t)が予定の17時に出港した。 横浜ベイブリッジは、支間長460mの斜張橋。しかし橋桁から海面までの高さが55m。大型クルーズ船が潜り抜ける「難所」となっている。建設当時の設計高さの見積りが甘かったためだ。ベイブリッジよりの高い客船は、大黒ふ頭に接岸するケースがある。アクセスと下船施設などで問題が多いという・・。 長崎造船所で造られたダイヤモンド・プリンセスは、全長290m×幅37.5m×高さ(水面上)54mは、ベイブリッジとの高さのクリアランスは1mしかない。ジュエル号の場合は、全長294m×幅38m×高さ52mで、多少の余裕がある。満潮時、あるいは高波時に、余裕高さに不安が残る。 山下ふ頭でのチェックイン会場は、仮設の4号倉庫内。山下公園からは、僅か400mほどだが、民間の敷地なのでシャトルバス移動。車内にスーツケースを積むので、輸送効率が悪い。小雨のなか1時間以上待たされることになった。臨時出航で人気の高いため、やむを得ないかも知れない・・。写真-1 ジュエル号から大さん橋のダイヤモンド・プリンセスの出港を見る。写真-2 横浜港の「難所」ベイブリッジをくぐるダイヤモンド・プリンセス。写真-3 山下ふ頭の臨時チェックイン会場を後にする。写真-4 みなと横浜の出航シーン。富士山もかすかに見えた。写真-5 ベイブリッジ直下を通過。歓声があがる。 写真-6 ダイヤモンド・プリンセスとMSCスプレンディダ。
2019年05月08日
コメント(0)
昭和から令和(4/27-5/5)にかけて、日本の南海域をクルーズするツアーに参加。カジュアル客船のノルウェージャン・ジュエルに乗船する。横浜・山下ふ頭(4号倉庫を臨時使用)から大勢の日本人が乗り込む。1,800名程度か。子ども連れ家族、若いカップル、お年寄りまで、世代を超えたレジャーとなっている。 航海ルートは、横浜-神戸-那覇-石垣-台湾。往復約2,600kmの船旅。スコールの石垣島、驟雨の基隆(台湾)を経験する。この時期、沖縄地方は梅雨入りをした模様・・。 連休初日(4/27)、横浜港に外国のクルーズ船4隻がスタンバイしていた。(1)山下ふ頭にノルウェージャン・ジュエル9.3万トン、(2)大さん橋にダイヤモンド・プリンセス11.6万トン、(3)・(4)大黒ふ頭にMSCスプレンディダ13.8万トンとアザマラ・クェスト3.3万トン。4隻の乗客定員数は1万人を超える。 最近のクルーズは、フォーマルよりカジュアル客船の方が人気だ。幼児から高齢者、そして車椅子を必要とする人など、多様化したクルーズ環境だ。ゴールデンウイークとあって、家族連れが目立った。子どもを楽しませる工夫が随所にある。食事・掃除・洗濯のない日から解放される主婦に支持されている・・。 しばらくは、日本南海クルーズ紀行を連載。よろしくお願いいたします。写真-1 山下ふ頭に接岸したノルウェージャン・ジュエル号。乗客定員2,376名。写真-2 最初の寄港地は神戸。ハーブ園から港神戸を眺める。写真-3 沖縄石垣島の真珠と称される川平湾。写真-4 小籠包を食べた後、故宮博物館の宝物を拝見する。写真-5 凪の太平洋に沈む夕陽。その彼方は紀伊半島か・・。
2019年05月07日
コメント(0)
全36件 (36件中 1-36件目)
1