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その建物は、遠くからでも目立つ、東京ビッグサイト(東京国際展示場)。逆三角形を支えているようなフォルム。ピラミッドほどの安定感がなく、不安定な印象を受ける。要するに頭でっかちなのだ。しかし、建築設計上、大きな揺れに耐える構造物とされる。外壁は、塩害対策として特殊チタンを使用している。 臨海エリアのシンボリックな東京ビッグサイトは、1995年に竣功している。但し、当時「世界都市博覧会」のテーマ館になるはずだったが、この年の東京都知事選挙において青島知事が誕生する。すると公約どおり、博覧会を中止とした。次の石原都政で臨海部は、アーバン都市化が加速される。 2020東京オリンピックでは、ビッグサイトも大会会場として使用された。国内外の報道の拠点となる「MPC」(メインプレスセンター)と国際報道センターとなり、関係者4600人を収容したという。2階のデッキからは、臨海都市の景観を望める。この場所で外国の記者たちも潮風中で、ひと息ついたと思う。写真1:東京ビッグサイト、有明埠頭にて。写真2 国際展示場会議棟と巨大鋸のモニュメント。写真3 巨大な門を連想させる建物。写真4 逆三角形の建物。写真5 ペデストリデッキと有明フロンティアビル。写真6 デッキからの臨海風景と新交通ゆりかもめ。
2024年09月25日
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青海のテレコムセンタービル21階の展望室東側は、東京港とその埋立地の施設を望むことが出来る。南東方面に、港内東側航路を跨ぐ東京ゲートブリッジが見える。南の眼下には、青海の巨大なコンテナターミナルがある。 北東方面にビッグサイトや有明埠頭が見える。ゆりかもめ線青海駅の東側、大観覧車の跡地では、大型再開発プロジェクト工事が進んでいた。来年秋の開業をめざす、新アリーナの「トヨタ アリーナ東京」だ。全天候型のスホーツ施設(バスケット、バレーボール、パラスポーツなど)がお台場地区にできる。 展望室から2隻の「RORO船」が見えた。中央防波堤に接岸していたのは、日本通運の「ひまわり8」10,620トンで、東京-苫小牧・釧路間を運航。10号地埠頭西側岸壁には、近海郵船の「しゅり」9,800トン、東京-大阪を主に運行。RORO船は、トレーラシャーシがそのまま乗り込める。写真1 テレコムセンター展望室からの南東景色。写真2:青海・有明地区に建設中のトヨタアリーナ東京。写真3 港内東側航路とビッグサイトの建物。写真4 青海コンテナターミナルと港内西側航路。写真5 近海航路株と日本通運株のRORO船。写真6 21階展展望室の東側エリアの様子。
2024年09月22日
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江東区青海にあるテレコムセンタービルの展望室を訪れた。この建物は、門型のデザインが特徴で、昔話題となった。東棟と西棟があり、展望室は東棟の21階(地上高さ99m)にある。入場料は500円。日本夜景遺産にも登録されており、臨海都心の美しい夜景が見られる。 展望室の視界は、北側(都心側)と東側(東京港)に分かれる。北側の景色は、レインボーブリッジ、東京タワ、麻布台ヒルズなど東京を代表する景色が広がっている。日中は、訪れる人が少ないので、ゆったりと時間を過すことが出来る。ソフトドリンクを持参した。写真1 テレコムセンター展望室からの北景色。写真2 品川方面を望む。写真3 船の科学館と首都高速8号と11号とのJCT。写真4 21階西側のフロア。写真5 ビュースペースと喫煙所。写真6 テレコムセンタービルと記念写真場所。
2024年09月18日
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東京青海のクルーズターミナル(東京CT)に、美しいイタリア帆船「アメリゴ・ヴェスプッチ」が寄港した。船の規模は、全長100m×3本マスト×帆26枚×3410トン。イタリアと日本との交流を目的に、8月25日から8月30日まで停泊。「旅するイタリア大使館」と呼ばれている。知人から写真が送られて来た。 アメリゴ・ヴェスプッチ号は、1931年に竣功した、イタリア海軍の練習帆船。その船名は、新大陸アメリカを発見したイタリア人の名前に由来する。2023年7月イタリアのジュノバを出発して、31か国(36の寄港先)を航海する。22か国目の寄港先が東京だった。 ヴェスプッチ号は、次の目的地はであるオーストラリアのダーウィンへ向かっている。台風期の大平を南下している。乗組員410名の無事を祈ります。写真1 東京CTに寄港したイタリア帆船。写真2 東京発入港の交流イベント。写真3 東京青海に停泊の美しい帆船。写真4 アメリゴ・ヴェスプッチ号。写真5 東京出航後の行き先は豪州ダーウィン。写真6 東京国際クルーズターミナル(2024年4月)。
2024年09月09日
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江戸川を散歩していると、虹を見かけることがある。江戸川土手を歩くのは、もっぱら朝が多い。夕方は、羽虫などが舞っているので避ける。但し、冬は夕日・ダイヤモンド富士を観にでかけるが・・。玉葉橋の近くで、短い虹に出合う。 半円ではなく、長さが短い虹。不連続の虹とも言える。雨と晴が入れ替わるような日に、虹がよく現れる。そした太陽高度が低いほど、大きな虹となるとされる。青い空に、大きな七色の虹を見ると、幸せな気分になる。短い虹でも、ささやかな幸せをもたらしてくれそうな気がする。 今年の4月、駿河湾沖で海上虹をクルーズ船から見ることが出来た。日没直前の短い虹だったので、垂直に立っているようだった。上に伸びる縦虹は、目標や夢に向かう意志を感じさせてくれる。写真1 玉葉橋と短い虹。写真2 1/4円の淡い虹。写真3 上空で消えてゆく虹。写真4 橋を挟んで「短い虹」が出現。写真5 翌日も短い淡い虹が現れた。写真6 以前見た、駿河湾の海上虹(二重虹)。
2024年09月05日
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札幌へ向かう際、羽田空港第2ターミナル(ANA社)を利用することが多い。出発時間に余裕がある時、展望デッキまたは展望ロビーに寄り、飛行機の離発着や駐機している個性的な飛行機を眺める。 羽田空港第2ターミナルの展望デッキ(5階)は、中央エリア・エレベーターホールを挟むように、北側と南側に分かれている。広いスペースが確保されているが、真夏の太陽が照りつける時間帯は、見学者は疎らだ。熱射病対策として、遮光ルーフや清涼飲料水の自動販売機が設置されている。 展望フロアの入口に、青い臥牛像「MOOON」が置かれ、空の安全を祈っていた。説明文に、古代月の形に似た角を持つ牛は、天体の運行を司る使者とされた。空を見守る守護神として空港内に置かれている。日本の神社(天満宮等)には、臥牛像が置かれ、「なで牛」として親しまれている。写真1 羽田第2ターミナル5階デッキから東京湾を望む。写真2 展望フロアと展望デッキ。写真3 新千歳間を飛ぶ「スターウォーズ・ジェットC-3PO機」写真4 お馴染みのピカチュー号機。写真5 空の安全を見守る青色臥牛像「MOOON」。写真6 展望デッキの施設と空港配置図。
2024年07月31日
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地下鉄銀座線・田原町駅の北側、西浅草に東本願寺がある。江戸期神田にあった寺院は、明暦3年の大火ですべて焼失した。その後浅草に移転する。葛飾北斎は、富嶽三十六景のなかで「浅草本願寺」の伽藍と富士を描いている。 江戸期の浅草本願寺は、21の支院と35の塔頭を抱え、境内の敷地が15000坪に及んだとされる。幕末には彰義隊の拠点に、日清戦争では俘虜収容所、第一次大戦ではドイツ捕虜300名以上を収容。戦いの後始末をしてきた歴史が西浅草にある・・。 門信徒開館の慈光殿の屋上に「寛永の大梵鐘」が設置されている。都内に現存する梵鐘のなかでは保存状態が良いとされる。大晦日に除夜の鐘を響かせる。抽選で108名の老若男女が鐘突きをする。写真1 浅草東本願寺の鉄筋コンクリート造りの本堂。写真2 浅草東本願寺の佇まい。写真3 本堂外陣の彫刻。写真5 阿弥陀如来像と梵鐘。写真6 慈光殿と北斎の浮世絵。
2024年04月11日
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吾妻橋の下流250mに架る青いアーチ橋の駒形橋。大きな弓梁で橋桁と床版を支えている。力強い鋼製アーチリブが特徴の橋。関東大震災の復興事業により、現在の位置に始め架けられた(昭和2年)。それまでこの場所には、「駒形の渡し」があった。 駒形橋の名前は、西詰にあった駒形堂に由来する。江戸時代、船着場で下船した人々は、駒形堂の本尊を拝んだ後、浅草寺に参拝したという。駒形堂と雷門とを結ぶ並木道があった。駒形堂には、頭上に馬頭を頂き、忿怒の形相をした馬頭観音が安置されていた。馬の保護神であり、旅の安全を守る神様。 広重・名所江戸百景に「駒形堂吾嬬妻橋」がある。駒形堂の近くには木材屋が多くあり、立てかけた貯木された木材が描かれている。更に白粉や紅を売る小間物屋もあり、長い竿の先に赤い布を括りつけている。その上空をホトトギスが飛ぶという構図の浮世絵。写真1 駒形橋西詰のオブジェ「御柱」。写真2 隅田川に架かる駒形橋。写真3 青いアーチ橋と東京スカイツリー。写真4 力感あるアーチリブ。写真5 隅田川テラス傍に建つ駒形堂。写真6 広重・名所江戸百景に「駒形堂吾嬬妻橋」。
2024年04月01日
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浅草付近を流れる隅田川には、赤・青・緑の3つの橋が架かっている。上流から赤い吾妻橋、青い駒形橋、緑の厩橋と並んでいる。いずれもアーチ橋だ。隅田川の右岸テラスは歩行者用に整備されているので、散歩に適している。夕刻から夜にかけて、特に賑わう吾妻橋界隈。食事、遊覧船、スカイツリー等のライトアップなどがあり、夜景の人気スポットとなっている。 現在の吾妻橋は、関東大震災後に架け替えられたもの。橋長150mの3径間のアーチ橋。橋桁を下アーチが支えている。テラスを歩くと、その列状の密集した鉄骨が目に入る。西詰側が台東区雷門、東詰側が吾妻橋となっている。江戸期には大川橋と呼ばれていたがその後、東橋となり、吾妻橋になったという。 吾妻橋の西詰・橋台に人道トンネルが出来ていた。以前テラスを歩いて、吾妻橋を横断する場合は、一度道路面に上り横断歩道を渡って、テラスに降りていた。しかし、このトンネルを利用すると、上下運動と横断歩道待ちが解消される。川景色を歩いて楽しむ人やジョギングする人には便利な抜け穴になる。写真1 隅田川吾妻橋付近を眺める。写真2 赤い下アーチ橋の吾妻橋。写真3 吾妻橋下と通り抜けトンネル。写真4 アサヒビールの「金の炎」と東京スカイツリー。写真5 青い橋は駒形橋、緑の橋は厩橋。写真6 煌びやか夜景と昔の吾妻橋絵図。
2024年03月27日
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東京スカイツリーと富士山をコラボして撮影できるスポットとして、「かまがやスカイビュー」がある。鎌ヶ谷の屋上を展望デッキとして開放している。市役所の建物なので、開館時間帯に利用することになる。原則として土日は、屋上への立ち入り禁止となる。 都内に用事があったので船橋行きの東武線に乗車する。新鎌ヶ谷駅で途中下車して市役所の屋上に上る。この日、晴れていたが花粉の飛散量が多いためか、霞んだ景色だった。スカイツリーと富士山は比較的よく見えた。花粉霞みのなか新宿副都心や麻布台ヒルズを確認。以前見えていた東京タワーが高層ビルの陰になっていた。写真1 鎌ケ谷市―市役所の屋上からの眺め。写真2 富士山と東京スカイツリー。写真3 都心のビル群を望む。写真5 かまがやスカイビューと市役所建物。写真6 夜景撮影は時間的に秋冬に限定される。
2024年03月24日
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芝増上寺を久し振りに訪れた。大門から三解脱門そして石段を昇り大殿(本堂)へ辿るのが一般的。大殿の耐震補強工事で長らく閉館していた宝物展示室が2024年1月からリニューアルオープンした。大殿の地下にあるため、見過ごしてしまうかも。 展示室の多くを占めるのは、「台徳院殿霊廟模型」。徳川二代将軍秀忠公の廟所で、壮大な建築物であったが、戦災で焼失(昭和20年)した。10分の1のスケールで精巧に作られた模型が、英国に保管されていので、2014年増上寺に長期貸与されている。 増上寺は、浄土宗の七大本山のひとつ。江戸期には広大な敷地と多くの学寮が立ち並び、3000人を超える学僧の念仏が全山に鳴り響いたという。倒幕維新と第2次大戦を経て、昭和49年に大殿の再建が成された。念仏を唱え、浄土往来を願い、平和を求めるのが当お寺の役割だという。夏至と冬至には石段に灯籠を並べるキャンドルナイトが知られている。写真1 芝増上寺と東京タワーそして森JPタワー。写真2 三解脱門と千躰子育地蔵尊。写真3 増上寺大殿。写真4 常設展の出入口。写真5 展示ラウンジの壁画や書。写真6 宝物展示室の台徳院殿霊廟模型(1/10スケール)。
2024年03月23日
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麻布台ヒルズへは、地下鉄日比谷線の神谷町駅を利用した。東京麻布街とあって、地下鉄3線(日比谷線、南北線、大江戸線)が通っている。秋葉原駅からだと、ヒルズに直結する日比谷線・神谷町が便利。地下駅の改札を抜けると駅広場に到る。森の中を馬車が行く壁画で囲まれた広場だ。 「緑に包まれた広場のような町(モダン・アーバン・ビレッジ)」をコンセプトにした麻布台ヒルズ。中央広場を中心に、ファション、カルチャー、ウエルネスなど約150店が集まっているという。中央広場のシンボルは、大屋根「The Cloud」。強い日差しを避ける役割とイベント舞台になるようだ。 森JPタワーの低層部にも、大型書籍、雑貨類など多様な業態の60店舗がある。レストランゾーンは、3階に集中している。食事後、33階の展望ロビーで景色を楽しむのが定番。タワーのオフィス入口から近い、専用エレベータがある。しばらくの間、土日は混雑しそうだ・・。写真1 麻布台ヒルズの中央広場。写真2 神谷町駅近くの駅前広場。森の中を進む馬車のイラスト。写真3 「東京の森の子」とマーケットへの通路。写真4 麻布台ヒルズ・レジデンスA棟。写真5 大屋根「The Cloud」とガーデン。写真6 森JPタワーのオフィス入口とエレベーターホール。
2024年03月18日
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都内へアルバイトに出かけた際、空き時間をつくって麻布台ヒルズにある展望台「スカイロビー」を訪れる。スカイロビーは、麻布台ヒルズの中核を担う「森JPタワー」の33階にある。フロアの1/4程の窓辺を一般開放している。 展望景色は、近くに東京タワー、港区のビル群も南東方向にレインボーブリッジ、そして南西方向に丹沢山地から顔を出す富士山が見える。主に南側景色が対象となるので、逆光気味になる。港夜景が美しいと言われている。夕方に上りたいスカイロビーだ。なお北から東の景色は、メンバーラウンジとなっている。 3つの超高層ビルで構成される麻布台ヒルズ。森JPタワー、レジデンスA、レジデンスB。大型商業施設を擁する森JPタワーは、高さ325m×地上52階×地下5階で日本一の超高層ビル。約3.5年で完成している。因みに超高層とは、建築基準法で60m以上の建築物とされる。高さ100mビルは、並のビルに見えてしまう。写真1 麻布台ヒルズからの南西景色。写真2 33階スカイロビーと富士見景。写真3 東京湾とレインボーブリッジ。写真4 中央区と港区の街並み。写真5 東京タワーと六本木ヒルズタワービル。写真6 34階のカフェで休息。写真7 33階と34階のフロアマップ
2024年03月14日
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中央区にある浜離宮庭園の特徴は、大きな潮入(しおいり)の池があること。海水を引き入れて、潮の干満に弱って変化する庭園の景観を楽しむ様式。都内にある江戸期の庭園では、唯一現存する海水の池。 ウォーターフロントに位置する浜離宮庭園。背後には汐留地区等の高層ビル群が迫っている。以前は潮入の池と東京タワーがシンボリックであったが、景観も変化している。麻布台に建った超高層ビルが景観に加わっていた。 歴代の将軍は、「御茶屋」で賓客と食事しながら景観を楽しんだという。また当時、鷹も生息しており、鷹狩りの休息場所として茶屋を利用している。現在、4つの御茶屋が建っていた。潮入の池は、水鳥の休息場にもなっていた。写真1 浜離宮庭園潮入の池とビル景色。写真2 庭園の森と東京タワー。写真3 潮入の池越しの麻布台ヒルズ。写真4 中の島御茶屋と「お手伝い橋」。写真5 潮入の池と汐留ビル群。写真6 休息する水鳥と復元された鷹の御茶屋。
2024年03月08日
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天気の良い日、市川アイリンクタワー展望台に上る。東京都と千葉県の境を南流する江戸川の東縁に、ツインタワーが建っている。そのうちのタワーズウエストの45階が展望ロビーとして、市民に開放されている。屋上階には回廊デッキがあり、江戸川の風を感じて、360度の眺望を楽しめる。 アイリンク展望台は、富士山と東京スカイツリーとを並んで撮影できるスポットとして有名。展望施設では、一般に夜景撮影の三脚を持つ込むことはできない。しかし3金曜日とその翌日土曜の15時から21時までの間、三脚撮影が可能となっている。リンクには交流との意味がある。写真1 アイリンク展望から富士山とスカイツリーのツーショット。写真2 浮き富士と東京スカイツリー。写真3 新宿副都心と港区方面。写真4 東京湾とゲートブリッジを望む。写真5 筑波山方面。写真6 江戸川を望む。
2024年03月06日
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浜離宮庭園の北側に築地川が流れ、隅田川に交流して東京湾に注ぐ。築地川のほとんどが埋め立てられ、大手門橋から下流の750mが残っている。自流が僅かで、東京湾の水位とに直接連動する。築地大橋に繫がる道路工事のため、迂回仮桟橋が築地川に架かっている。 隅田川側に堤防が築かれ、築地川水門と汐留水門が設置されている。水上バスなどの小型船などが出入するため。一方、津波や異常潮位が発生した際には、これらの水門が閉じられる。浜離宮庭園が水没しないように、浜離宮排水場も設備されている。 庭園のウォーターフロントから高層マンション景が迫って見える。東京オリンピック前に建てられた「勝どきザ・タワー」が他のタワマンを圧倒している。高さ178m×53階×1420戸の規模。販売状況は、円安を追い風にして、外国人の資産家、海外投資会社が買い漁ったと言われている。 日本の到るところで、「日本買い」現象が起きているという。不動産、土地などに、外国資金が流れ込んでいる。日本の株価は、うなぎ上りのようだ。但し、マネーゲームの様相・・。一般庶民に関係ない世界での、バブル高値株のように思える。写真1 築地川河口と築地市場跡地。写真2 水上バス発着場と将軍お上がり場跡。写真3 築地大橋と勝どきのタワマン。写真4 築地水門と汐留水門方向を望む。写真5 池越し「勝どきザ・タワー」とレインボーブリッジ。写真6 築地市場跡地の整備状況。
2024年03月03日
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上野不忍池・鵜の池の東縁に、天満宮がある。上野精養軒の下にある五條天神社だ。江戸期には「下谷天満宮」とも呼ばれていた。拝殿近くの丸い球状の白梅は、しめ縄状のおみくじで囲われている。その近くに、紅枝垂れ梅がかかる神楽殿がある。5月25日の例祭で舞いが奉納される。 五條天神社は、その昔五條町にあったことに由来する。江戸から明治初期までの約230年間、五條の地にあった天満宮という。現在のアヤメ横丁の連歌師の屋敷付近から移ってきたとされる。江戸庶民や歌人が参拝した場所。現在は医薬の神様を祀り、無病息災と病気平癒を祈願する社となっている。 天神社に隣接して花園稲荷神社がある。上野公園台地から不忍池へ下りる抜け道にもなっている。鳥居トンネルを出たところが稲荷神社。前身の名称は、穴稲荷神社。上野戦争で消失するも再建される。昔この辺りは、寛永寺の花畑があったという。花園の由来となる。写真1 上野の五條天神社境内。写真2 南鳥居と天神社拝殿。写真3 丸形の白梅とおみくじ掛け。写真4 紅枝垂れ梅と神楽殿。写真5 手水舎と蓮形の水受け。写真6 天神社に隣接する花園稲荷神社。
2024年02月29日
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浜離宮庭園に早春を彩る梅が咲いた。例年より1周間ほど早く咲き出したという。見頃は2月下旬とされる。築地場外市場にも近いこともあり、外国の人を多く見かけた。日本の庭園を散歩して、グルメするのだろう・・。潮の香りと港の遠音を感じて観梅散歩する。 国の特別名勝にして特別史跡である庭園には、約130本の梅が植えられている。築地川沿いの水上バス発着場近くの梅林と庭園中央の花木園で梅の花が観られる。日本の樹に、白色とピンク色が混じっているものがある。汐留の高層ビルが映り込む梅景色がある。写真1 浜離宮庭園の梅広場。写真2 広場の一本紅梅とビル背景。写真3 白梅と青空。写真4 直線に並ぶ梅林とそのウメ花。写真5 花木園の紅白の梅。写真6 蜜を求めて飛び回るメジロ。
2024年02月23日
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東京中央区のビル街に、菜の花が咲く一画がある。浜離宮(浜離宮恩賜庭園・特別名勝)のお花畑。菜色の絨毯が出来ていた。築地川の右岸沿いは、三百年の松、お花畑、梅林そして水上バス発着場へ続く。浜離宮は、中央区、千代田区、港区の境に位置する。近い駅は、ゆりかもめ・汐留駅。 2月5日に思わぬ大雪(積雪8cm)に見舞われて、倒れた菜の花が多かったというが、その後暖かい日が続いたので、起き上がったらしい。元気をもらえる春の花だ。汐留ビルディング等の高層ビルを背景に菜の花を観ることが出来るスポットだ。 浜離宮の前身は、「浜御殿」と呼ばれる歴代の徳川将軍の庭園だった。六代将軍家宣の別邸とした後も、歴代の将軍によって手を加えられた。歌川広重の名所江戸百景「芝うらの風景」にも描かれた。明治維新により皇室の離宮となったが、昭和21年に都立公園となる。写真1 浜離宮の花畑と高層ビル。写真2 築地川に架かる大手門橋を渡って庭園に。写真3 「三百年の松」と藁ボッチ。写真4 菜の匂が漂う黄色絨毯。写真5 菜の花と梅の樹。写真6 お花畑と広重・名所江戸百景「芝うらの風景」。
2024年02月20日
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国鉄の広大な貨物ターミナル「汐留駅(昭和61年に廃止)」があった場所は、再開発され「汐留シオサイ」と呼ばれる。2003年にビル建設が進み、電通ビル。日本テレビタワー、汐留シティセンターなどが次々と建ち並ぶ。併行して「ゆりかもめ」汐留駅も開業し、副都心のようになった。 各ビルへはペデストリアンデッキで繋がっている。電通本社ビルの横、カレッタモールの手前に、「キャニオンテラス」がある。その広場に巨大な亀の甲羅(噴水が出る)が設置されている。渓谷に流れる水をイメージしているようだ。「カレッタ」の由来になっているオブジェでもある。 2006年、日本テレビタワー2階に巨大な「からくり時計」が取り付けられた。宮崎駿デザインの「日テレ大時計」。銅板で作られ、高さ12m×長さ18mの大きさ。32ヶ所に仕掛があるという。ジブリ作品「ハウルの動く城」を連想させる。土・日曜日は、正時5回仕掛けが作動する・・。写真1 電通本社ビル。地上47階建て。写真2 キャニオンテラスの亀の甲羅。写真3 四季劇場[海]のエントランス。写真4 汐留シティセンターと日本テレビタワー。写真5 汐留駅とペデストリアンデッキと日テレテラス。写真6 ハウルの動く城のような、日テレ大時計。
2023年10月06日
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JR新橋駅近くで、知人とランチする。その後、シオサイト地区のペデストリアンデッキ(高架型歩道)を歩き、カレッタ汐留の「SKY View」から隅田川および東京湾の眺望楽しむ。隅田川に架かる勝鬨橋に、仮囲いが設置されているのが見えた。塗装工事をしているのかな・・。 展望アリアは、電通本社ビル46階の一角に整備されている小さな場所。カレッタ汐留は、(1)スカイレスラン46、47F、(2)キャニオンテラス1~3F、(3)カレッタモールB1~B2Fで構成され、床面積12,500m2の規模。四季劇団[海]などの文化施設を併設した複合施設。電通本社ビルは、売却されるという。 「カレッタ」とは、アカウミガメの学名に由来する。長い時をゆっくりとした時間と余裕あるライフスタイルを目指した都市生活をイメージしているらしい。一方、大手広告会社「電通」は、いわゆる「五輪談合事件」で評判が下がり、企業組織風土の改善が求められている。写真1 カレッタ汐留46Fの眺望。写真2 築地市場跡地は何ができるのかな・・。写真3 東京湾とレインボーブリッジ写真4 工事中の勝鬨橋と青海方面。写真5 ブーメラン型の電通本社ビルと「SKY View」。写真6 46階フロアの「豊穣の海」と壁インテリア。
2023年09月30日
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赤レンガ駅舎と呼ばれる東京駅丸の内駅舎。横に長く、シンメトリーな建物と、空に伸びるビル群とで独特な景観を作っている。近代的なビル群を背景に、レトロな建物が横たわっている光景が印象的だ。 丸ビルから眺めると、いつの間にか高いビルが出来ている。八重洲口側の開発が一段落したようだ。一方、日本橋口側では、日本一高いビル「トーチタワー」の工事が動き出した。アベノハルカスの300m超える、高さが390mになる。「日本を明るく、元気にする」がコンセプト。2027年に竣功予定だという。 南北335mに渡る長い駅舎は、世界的にも珍しいという。ハイカラとレトロ感を纏う復元された姿は、威風堂々の言葉が合う。駅舎の見所のひとつに、屋内で観るドーム屋根がある。天井は八角形で作られ、その角に8羽の鷲のレリーフと8方向を示す干支の彫刻が施されている。乗客が通り抜ける場所なので、長居はできないが、美術品のような装飾を眺めよう・・。写真1 丸の内駅舎と日本橋方面。写真2 赤レンガ駅舎と京橋方面。写真3 南と北のドームと背景のビル。写真4 周辺ビルのカーテンウォールと郵便ポスト。写真5 南ドーム内の美術品のような装飾。写真6 日本一高い「トーチタワー」の建設が始まっている。
2023年08月12日
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盛夏の東京駅近くへ出かける用事あった。熱い暑い夏の都心へ。沖縄地方で強い台風が居座っている頃に出かけた。関東各地では、盆踊りや花火大会が開かれ、夏負けしない人々が何と多いことか・・。 赤れんが駅舎前の「丸の内中央広場」は、皇居に続く行幸通りに接続する広場。中央部の石畳は、幅20mの白い御影石(稲田石)が敷き詰められている。その両側に芝生スペースと水景とケヤキが並ぶ。中央広場全体が花崗岩の石で敷き詰められているので、真夏の太陽の照り返し強い。打ち水が欲しい場所だ。 4年ぶりに広場に「水盤」が復活していた。15m×20mの石畳スペースに「打ち水システム」が稼働。7月19日から9月18日までの2カ月間。駅舎側から染みだした水が僅かな勾配で路面を流れる。地下の浄化装置との間で循環するようになっている。しかし、訪れた時間帯は、打ち水効果を上回る日差しだ。ケヤキの木陰が良い。写真1 東京駅丸の内中央広場。写真2 赤レンガ駅舎と水盤。写真3 駅前広場の打ち水。写真4 水盤と周りの景観。写真5 白御影石(稲田石)の石畳み。写真6 赤レンガ積みと白い擬石とのコントラス。
2023年08月09日
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東京夏の風物詩「隅田川花火大会(46回目)」が7月29日にあった。連日の暑さやコロナへの用心もあって、静かに自宅で「テレビ鑑賞」する。平均世帯の視聴率は11.2パーセント。NHKの大河ドラマ並か・・。4年振りとあって、103万人の人出があったという。混雑・トラブルがあったものの無事に終えた。 隅田川の花火は歴史が古い。1733年、前年の大飢饉や疫病で犠牲になった人々の慰霊と悪疫退散を祈って打上られた「両国の川開き」の花火が由来。当時の江戸為政者は、八代将軍徳川吉宗。1978年に現在の隅田川花火大会に改名、二つの会場で計2万発の花火を打ち上げ、花火コンテストが行われる。 2023年7月の東京は、観測史上最も暑かった(月間平均気温)という。猛暑日数が13日、熱帯夜が17夜。7月29日の花火開始時刻19時の気温は29.4度。大勢ひとが集まった場所は、更に気温と湿度が高くなったことだろう。屋形船やスカイツリーから鑑賞できたのは、準備段階で幸運を呼び寄せた人達だ。写真1 第46回隅田川花火大会。写真2 スカイツリーの眺め(抽選900名)。写真3 上空からの花火観賞。写真4 花火コンテストも行われた。写真5 フィナーレの花火。写真6 歴史ある打上花火、東京夏の風物詩。
2023年08月05日
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臨海副都心の青海エリア、潮風を感じて散歩する。お台場潮風公園から首都高速湾岸線は、東京港の下に潜る。東京港トンネルの換気塔が立っている。この海底トンネルの上を多くの船が行き交う。竹芝ふ頭、日の出桟橋、芝浦ふ頭から出航した船舶は、レインボーブリッジの下を通り、第一航路へと接続する。 潮風公園の対岸は、品川区になる。品川火力発電所の煙突タワーや若潮橋方面を眺める。南北方向の京浜運河と天王洲南運河が合流点に若潮橋が架かる。若潮橋の海側に、年老いたトラス橋が架かっている。大井車両基地に接続する東海道貨物線の「京浜運河橋梁」だ。 バースに係留展示されている南極調査船「宗谷」を見下ろすように、東京湾岸警察署ビルがある。警視庁で一番新しい警察署。東京23区内で最も広い面積を管轄している。また、唯一水上を担当する「水上安全課」を有する。薬物使用芸能人がお世話になったりしている。ドラマや小説に出てくる警察署で有名・・。写真1 江東区青海から東京港越の都心を望む。写真2 東京港トンネルの換気塔とレインボーブリッジ。写真3 潮風公園と品川方面。写真4 船の科学館とお台場のホテル(ニッコー、ヒルトン)。写真5 東京湾岸警察署ビル方面と宗谷。写真6 湾岸署建物と玄関、キャラクター・ピーポくん。
2023年07月15日
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江東区青海と有明を結ぶ「夢の大橋」。最大幅員が60mと日本一広い歩行者専用・自転車専用橋だ。有明西運河を跨ぐ、橋長360mの大橋(1990年完成)。2020東京オリ・パラ大会の聖火台がこの橋に設置され、注目が集まった。 夢の大橋下の水路・有明西運河は、延長が約1400m×幅220m。「水の都」と呼ばれる副都心には40余の運河があり、そのひとつ。かつて有明南運河もあったが、東京ビックサイトなどを開発する際に消滅したらしい。この運河は、運河北の端に「のぞみ橋」、南端(海側)に「あけみ橋」など計7つの橋が犇めいている。 あけみ橋から北・都心の方を眺めると、運河に架る橋とりわけ首都高速道路JCTや高層ビル群などの景色は、未来都市を思わせる。また夜景スポットにもなっている。あけみ橋東詰近くの展望台(休息所)は、カップルに人気・・。但し、大観覧車が撤去されたので、夜景として物足りなくなった。写真1 カスケード広場より夢の大橋を望む。写真2 夢の大橋の上・・。写真3 首都高JCTと手前の青海橋(廃止)を望む。写真4 あけみ橋とゆりかもめ線。写真5 あけみ橋の南側歩道を歩く。写真6 海の広場の展望台(休息所)と東京ビックサイト。
2023年07月10日
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東京お台場を歩くと、大きな2体の立像に出会う。「新台地」の守り神のように、自由の女神像とガンダム像だ。台場は、平成7年世界都市博覧会(中止となる)に向けて、企業誘致やホテルを建設した経緯がある。港区、品川区および江東区からなる臨海エリア。港区台場の人口は約5500人。 お台場海浜公園に立つ「自由の女神像」。像の高さ12.3m×9トンのブロンズ像で、ニューヨークの女神像46mよりかなり小さいが、レインボーブリッジを従えているようで大きく見える。現在の像は、2代目で日仏友好のシンボル。2000年フランスで造られたレプリカとのこと。 ダイバーシティプラザの前に、ユニコーンガンダムの立像が立っている、こちらも代替りで2017年にバージョンアップされたもの。夜には光を放つ演出が行われる。2012年頃、ライトアップしたガンダムを観た記憶がある。 お台場の観光スポットのひとつに「自由の炎」オブジェがある。高さ21m、台座を含める27mにもなる。この像は、やはりフランス彫刻家から、平成12年に寄贈された。ナポレオン三世の勝利の象徴を顕しているという。お台場は、江戸時代から仏蘭西に縁があるようだ・・。写真1 お台場からレインボーブリッジを望む。写真2 お台場の「自由の女神像」。高さは、像+台座=12.2+5.2=17.4m。写真3 ガンダム像の今昔(2012年と比較)。写真4 高さ19mのユニコーンガンダム。写真5 日仏友好のシンボル「自由の炎」から船の科学館方面を望む。写真6 杉山惣二氏の彫刻「美神の門」。高さ4.6m。
2023年07月08日
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東京のウオーターフロントを散歩する。2020年に開業した東京国際クルーズターミナル(略:東京ICT)は、東京五輪大会の延期、コロナウィルス・パンデミックで、暫く閉鎖していた。この3月からクルーズ船は入港しているが、海外の大型クルーズ船はこれからだ。 東京ICTへは舟の科学館入口交差点から「東八潮緑道」を300mほど歩く。屋根に特徴のあるターミナル建物だ。徐々にねじれる形状で、「うねり」を表現している。また海上に突き出した桟橋と一体的な建物のようだ。建物内部は、解放的で天井が、竹を並べた感じで簀の子のようにもみえた。 4階送迎デッキからは、東京港の景色が素晴らしい。訪れた日、接岸していたのはオーシャンクルーズ所有の豪華客船「Scenic Eclipse」号。17500t×乗客定員228名のスーパーヨット級。清水港から東京入りして、八戸港へ出向する予定。約10日間をかけて、日本の文化・風景を巡る航海だという。 レインボーブリッジの高さ制限で、大型クルーズ船が停泊できる埠頭ということで造られた東京ICT。接岸長さ430m×水深11m。これまで接岸した大きな船は、MSCクルーズの92,000t級。今後の大型船の入港が楽しみだ。いつか東京ICTからクルーズの旅に出かけたいものだ。写真1 東京国際クルーズターミナルとアクセス道路橋。写真2 東京ICTのエントラス付近。写真3 ターミナル建物と東八潮緑道他。写真4 送迎デッキからScenic Eclipse号を望む。写真5 送迎デッキから都心と青海コンテナ埠頭を観る。写真6 ターミナル建物内部の様子。
2023年06月25日
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コロナの制限が解けて、海外の観光客が押し寄せる浅草寺雷門。時間帯によっては、日本人より多いかも知れない。雷門は、浅草寺の総門に当り、風雷神門とも呼ばれる。門表の左右に、雷神像、風神像が立っている。洪水や火災から守るシンボルだ。門裏には、天龍と金龍の彫刻像が立っている。 仲見世通りの先に建つ宝蔵門は、旧仁王門とも呼ばれる。二重の楼門で仁王像を安置。過去に幾度も焼失したが、昭和39年に鉄筋コンクリート製で再建される。上層階には、国宝の法華経など収蔵されている。檻の中に閉じ込められているような金剛力士像は、身長5m×重さ1t、木曽檜材で創られている。 浅草寺本堂は、東京大空襲を含めて、過去20回ほど焼失している。鉄筋コンクリート造りで再建されたのは昭和33年。拝殿に扁額「施無畏(せむい)」が掲げられていた。観音菩薩には、不安や恐怖を取り除くことができるとの意味。拝殿の外陣天井に、「龍之図」と「天人之図」が描かれている。天を見上げて天人にも祈願できるように配慮したものだろうか。写真1 金龍山雷門と提灯と底彫刻。写真2 身長5mにおよぶ雷神像と風神像。写真3 宝蔵門(仁王門)とジャンボ草鞋写真4 美しい屋根の浅草寺本堂と境内。写真5 拝殿の大提灯「新橋」。写真6 本堂外陣の天井画。「龍の図」と「天人之図」
2023年06月10日
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神田駅から国道17号沿いに北へ進むと、神田川に架かる万世橋に至る。この橋を渡ると、景色が一変する。橋の北詰で、左折すると国道17号・神田明神方面、直進すると秋葉原の中央通りとなる。秋葉原は、アキバと呼ばれポップアートの聖地となっている。なお、秋葉原の地名は、秋葉神社が由来。 万世橋の前身は、江戸・延宝4年(1676年)の「筋違橋」とされる。当時は中山道の本道の橋だった。明治5年に入り、徳川将軍家が使用しなくなったこともあり、「萬生橋」と変更する。洪水や関東大震災へ経て、昭和5年現在のコンクリート造りアーチ橋となる。 万世橋の上流右岸沿いに、鉄道高架橋を活用した飲食などの店舗・マーチエキュートが営業。その場所にはかって国鉄・万世橋駅があった。国鉄中央本線のターミナル駅になるはずだった。しかし東京駅・神田駅の相次ぎ開業(大正8年)、震災等の影響で貨物・旅客の利用が減り、昭和18年に廃止となる。 かつての万世橋駅舎は、辰野金吾氏が設計した。東京駅のような赤レンガ造りの豪華な建物だった。駅敷地に造られた鉄道博物館には、駅付近の模型が展示されていた。今は再開発の高層ビルが建っている。写真1 万世橋とアキバ街。写真2 万世橋の風景。肉の万世と親柱。写真3 万世橋から神田川上流と下流を望む。写真4 神田川と再開発ビル等と初代駅舎模型。写真5 アキバ中央通上空を走る総武線電車と秋葉神社。写真6 ポップアートの街。壁画は移ろう。
2023年06月07日
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都心を流れる神田川には140ほど橋が架かっている。河口から数えて8番目の橋が昌平橋。直下流の橋は万世橋。昌平橋の少し上流で、鉄道が交差する。国道17号の上空を走るのがJR総武線。秋葉原駅とお茶の水駅との間に造られた鋼製アーチ橋は、「松住町河道橋」と呼ばれる。 松住町河道橋は、ビル街の中でひと際目立つ緑色している。トラス構造による二重アーチの鉄骨の橋(タイドアーチ)は、レトロ感を醸し出す。強い直線と優雅な曲線は、見る人に安定感を与える。昭和7年(1932年)に架橋されたもので、このタイドアーチ式の鉄道橋は、国内最古とされる。千代田遺産に登録されているが、鉄道遺産とも言える。 この地に最初に架橋されたのは寛永年間(1624-1645)とされ、芋洗橋または相生橋と呼ばれていた。しかし元禄年間に湯島聖堂が完成すると、「昌平橋」に命名された。現在の橋は、数代を経て大正12年鉄筋コンクリートアーチ橋となった。当時は電車も走っていたという。歌川広重の名所江戸百景に「昌平橋湯島堂神田川」が描かれている。写真1 神田川と昌平橋と総武線。写真2 国道の上に架かる「松住町河道橋」。写真3 JR総武線橋梁を望む。写真4 昌平橋交差点と昔の高架橋跡。写真5 神田川と御茶ノ水分水路の吐口。写真6 歌川広重の江戸名所百景「昌平橋湯島堂神田川」。
2023年06月04日
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梅雨入り前の初夏、東京周辺ではお祭りが各地で繰り広げられる。コロナ禍を克服した喜びもあって、従来以上の盛り上がりがある。東京の初夏を代表する風物詩。浅草三社祭が5月19日から5月21日に開催。江戸風情の残る下町・浅草が1年で最も活気づく時期だ。 「三社祭」は、浅草神社の例大祭。4年ぶりに、本社神輿3基(一之宮、二之宮、三之宮)が各町を練り歩いた。担ぎ手の氏子は、これまでのうっぷんを晴らすように、満足な表情だった。江戸っ子は、お祭りが大好きな人種なことが改めて解った。 「三社」とは、浅草神社の旧名の「三社権現」が由来。飛鳥時代の事。浅草観音像を浅草浦(宮戸川)から拾い上げた漁師2名と土地の識者の3名を祀ったことから三社と呼ばれた。社殿内と神楽殿では、3日間、奉納の舞が奉奏される。「びんざらさ舞」、「巫女舞」が新聞・テレビで報道される。写真1 浅草神社例大祭の幟と鳥居。写真2 境内と社殿。写真3 三社祭ポスターと故事の観音像引上げ図絵。写真4 本社神楽3基。担ぎ上げ時、装飾を外してさらし巻き状態になる。[東京新聞]写真5 神楽殿での巫女舞(少女4名)。写真6 奉奏・奉納される芸能。
2023年05月25日
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神田祭のハイライト、神輿宮入(みこしみやいり)の様子を見に出かける。自宅からJR秋葉原駅まで約1時間10分。丸一日の「観戦」は、体力的にきついので午前中のみ。散歩気分で道中神輿を観ながら駅に戻る。 秋葉原駅に着くと、電気館口ではすでに「万世橋町会」が出陣式に集まっていた。先回りして境内へ行くと、本殿前では、女性陣により奉納太鼓が鳴り響いていた。境内の邪鬼を打ち払うかのように。大小200基を超える各町会神輿が町内を練り歩き、境内本殿を目指す。 交代で神輿を担ぐため、1チーム当りの編成人数が百人規模になる。200基の各部隊は、一度に境内に入ることはできない。宮入の順番が決まっているようだ。先陣(9時)をきるのは、「外神田地区」の神臺會、神田5軒町会、万世橋町会と続く。トリ(18時)を受け持つのは、日本橋地区の町会のようだ。 5月14日(日)の神田明神周辺は終日、いなせな江戸っ子たちの掛け声が響き渡る。本殿前は、氏子たちの熱気で壮麗な景色が広がる。写真1 秋葉原駅前の神輿出発式(万世橋町会)。写真2 神輿宮入前の境内で行われた奉納太鼓(保谷太鼓会他)。写真3 鳥居の下で犇めき合う氏子たち。写真4 参道前の国道は、宮入時間の「調整坂」。写真5 神輿を担ぐ各町会の氏子。写真6 人形神輿と警察署前の神輿。
2023年05月21日
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4年ぶりに復活した神田祭を観に行く。5月13日(土)神幸祭と5月14日(日)神輿宮入とが一般庶民と観光客にとってのイベントになる。日本三大祭のひとつ神田祭(他の二つは京都祇園祭、大阪天神祭)の見所は、華やかな大祭行列と200基の町内神輿が境内に入場シーンか・・。 江戸総鎮守の神田明神は、三柱(大黒、恵比寿、将門)の神霊を祀る神社。江戸城の表鬼門守護の場所に当たるため、幕府が社殿の造営・維持する。武士から庶民まで多くの人々が崇敬した。関東大地震で社殿が焼失したが、昭和9年には耐震耐火性の社殿を復興。隋神門は昭和51年に建立される。 神田明神へは秋葉原駅から歩く。駅前の神田明神通りを300m進むと、国道17号(旧中山道)の交差点・神田明神下に至る。上り坂を300m歩くと、左手に湯島聖堂、右手に神田明神の鳥居が見えて来る。更に緩い坂道の参道が続く。近くを流れる神田川より比高15m高台に神田神社・本殿が建っている。 本殿向かって右側に、山車が展示されていた。高さ7mを超える「加茂能人形山車」と小ぶりの「桃太郎人形山車」。魚河岸会所有の加茂能人形山車は、昭和30年に復元したもので、中央区の有形民俗文化財。写真1 国道17号から鳥居と隋神門を望む。写真2 2023年神田祭ポスター。写真3 壮麗な隋神門。写真4 朝の境内、本殿と「加茂能人形山車」他。写真5 浮世絵にみる神田祭。写真6 雨模様の神幸祭から(東京新聞)。
2023年05月20日
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コロナ制限が緩和され、グループによる会食が可能となった。新年度が始まる前に、昔の同僚が集まり春ランチを楽しむ。新宿駅新南改札を出た「ペンギン広場」で待ち合わせする。このペンギン広場は、2016年にオープンした「JR新橋ミライタワー」側の歩行者広場。広場中央にsuica ペンギンのブロンズ像があり、新待ち合わせ場所となっている。 平均年齢70才以上のオッサン5名が集まった。関東エリアに在住(東京・千葉・神奈川・山梨)しているので、新宿に集合となる。昼間なのでアルコールは控えめ。5年ぶりの再会なので、近況や健康等を愚痴る。遠方から集まり、喋って・老いを比べる楽しいランチタイム(120分)は瞬く間に過ぎた・・。写真1 新宿駅新南改札出口を進むとペンギン広場。写真2 開放的なデッキ広場。写真3 都庁方面を望む。写真4 バスタ新宿の後ろに歌舞伎町タワーが見える。写真5 コロナ前の新宿御苑の花見。写真6 新宿駅南での春ランチ会と和食の響膳。
2023年04月01日
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葛西海浜公園から東京湾を望む。海面がキラキラ輝く春の日。光る沖合に、「海ほたる」や「風の塔」が確認できた。春の陽光を浴びて海を眺めていると、海外クルーズの旅に行きたくなる。 西なぎさの湾内の一画に、竹の棒(竹ひび)が並んで立っている。そこでは、特長靴姿の7、8名が何やら作業している。海水に浸り、海苔をスキ獲とっているようだ。「アサクサノリ」の採取・製造の体験ができるという。春の江戸前は、豊かな海になった。写真1 葛西臨海無公園の海。写真2 春の江戸前(東京湾)を望む。写真3 キラキラ輝く江戸前。写真4 海浜沖合に設置された体験型の海苔養殖場。写真5 東京ディズニーリゾートを望む。写真6 展望ハウス・クリスタルビューと展望広場。
2023年03月20日
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葛西渚橋を渡って、西なぎさの砂地から東京ゲートブリッジを望む。対岸の若洲公園の森の中で、「恐竜」が睨めっこしているようだ。2012年に開通して、開業10年を超えた。巨額の建設費を要したが、高速道路ではないので無料だ。都心を望む景色と海風を感じるドライブが期待できる。 西なぎさの西縁からは、荒川河口の橋群と東京スカイツリーを望める。荒川の河口は、比較的大きいが、複数の橋が架かっている。海側に架かるのは、JR京葉線・荒川放水路橋梁。橋長さが846mの上路トラス橋で、9600tの鋼材を使用した橋。重量感があり、レトロな橋だ。写真1 葛西渚橋から東京ゲートブリッジを望む。写真2 若洲の森と「恐竜橋」。写真3 「海風の広場」からゲートブリッジを望む。写真4 「海風の広場」から京葉線荒川放水路橋梁を望む。写真 5 荒川河口とスカイツリー。写真6 臨海と海浜を繋ぐ葛西渚橋(斜張橋、橋長230m)。
2023年03月15日
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上野公園の桜通り近くの大石鳥居から西へ180m石畳路が続く。上野東照宮の表参道で、水舎門、神楽殿を経て、唐門に至る。参道には、大きな石灯籠と銅灯籠が並ぶ。灯籠の笠石に雪が積もる姿は絵になる光景となる。 唐門前に並ぶ6基の銅灯籠は、それぞれ2基ずつ徳川御三家が奉納したもの。1基当り8面の龍のレリーフが彫られている。神楽殿から唐門の間の両側スペースに42基の銅灯籠が隊列を組み並んでいる。社殿に近いほど格式の大名(10万石以上)が寄進したもの。すべて国の重要文化財なので、夜間は鉄柵で守られる。 ぼたん苑に面する参道部には、石灯籠が整然と並ぶ。諸大名等が奉納したもので、その数250基とも言われている。なかでも精養軒近くの高さ6m×笠石周り3.4mの巨大なものは、「お化け灯籠」と呼ばれる。ぼたん苑入口に対で立つ石灯籠は、真田信之が奉納したものだという。写真1 上野東照宮の参道と唐門。写真2 徳川御三家の銅灯籠と龍のレリーフ。写真3 格式の高い大名が奉納した銅灯籠。犬千代の文字写真4 参道に整然と並ぶ石燈篭と五重塔。写真5 真田信之奉納の対石灯籠とお化け灯籠。写真6 水舎門と雪景色絵画。
2023年02月19日
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上野動物園に隣接しているが、ひっそり佇む「上野東照宮」。2013年に社殿の保存・修復工事が終わり、煌びやかな復元となった。社殿(金色殿)などの豪華な建物は、戦争や震災にも崩壊・焼失を免れた。江戸初期の建築として、国の重要文化財に指定されている。 社殿は、1651年(慶安四年)、将軍家光の発案で造られる。日光の東照宮に参拝できない江戸の人々のために、日光に劣らない豪華絢爛に建物とした。金色殿は、文化財保護のため、通常は非公開。しかし記念日など時々、人数制限して特別公開される。狩野探幽の障壁画などを観賞することができる。 社殿を囲むのは、「八十九間」の透塀(すきべい)。1間(1間は1.81m)ごとに、狩野派の絵師らによる彫刻が施されている。上段に野山の動植物、下段に海川の生きものが描かれている。その数257枚。銅瓦葺の透塀の下段彫刻は、アクリル板で保護されている。写真1 2013年に修復を終えた上野東照宮。写真2 必見の唐門。表面と裏面を観賞。写真3 社殿金色殿とその内部(特別公開HPより)。写真4 左甚五郎の「昇り龍と降り龍」。写真5 透塀の彫刻。上がサンジャックと下にウサギ。写真6 神木のクスノキと浮世絵(三代広重)。
2023年02月16日
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先日、一時降雪になった都内。三寒四温を繰り返して、春に向かってゆく時期だ。毎年、上野東照宮ぼたん苑で開催される「冬のぼたん祭り」(1月1日から2月23日)を訪れた。霜・雪除けの「わらぼっち」に囲まれた姿が日本的。冬の上野の風物詩となっている。 当該ぼたん苑は、江戸の風情を楽しめるような回廊式となっている。約40品種、160株の冬牡丹・寒牡丹植えられている。蝋梅や早咲きの梅も見ることができる。更に、旧寛永寺五重塔や東照宮の参道に並ぶ石燈篭を眺めることができる。 正月の縁起花として珍重されてきた冬ぼたん。花の散る様は、ポトリと落ちる椿と異なり、花びらがさらさらと散る。長時間、鑑賞できる。ぼたんの漢名は牡丹。オスと赤色に関係するようだ。中国では、花王、花神とも表記される。花言葉は「富貴」。写真1 上野東照宮のぼたん苑。写真2 大輪を霜や雪から守る「わらぼっち」。写真3 冬ぼたんの品種例。写真4 盆栽風の牡丹。写真5 ぼたん苑の蝋梅。写真6 早咲きの紅梅。
2023年02月13日
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江戸時代、外桜田付近で曹洞宗本山として栄えた萬松山泉岳寺。寛永18年の大火によって泉岳寺の伽藍が焼失して、現在の高輪の地に移転した。幕府から再建を命じられたのは、浅野家を含む五大名。その縁で浅野家は、菩提寺を泉岳寺にしていた。 泉岳寺は、国指定史跡の「赤穂四十七義士墓所」があることで有名。赤穂浪士団は、主君の仇を討つために、元禄15年12月17(1703年1月30日)未明、江戸本所の吉良屋敷に討ち入り本懐を遂げた。歌舞伎、映画、テレビドラマなどで多くとり上げられている。 討ち入りは、真っ暗な4時に始まり2時間近くの死闘を繰り広げたという。6時には吉良邸から引き揚げて、泉岳寺へ向かう。途中、上杉家の追撃を受けずに、永代橋を渡り、築地を通り高輪大木戸を抜けたという。約12kmの道程を2時間で歩く。途中の永代橋では甘酒が振る舞われたとか・・。写真1 萬松山泉岳寺の山門。写真2 本堂と松。写真3 赤穂義士墓所。写真4 義士墓の配置状況。写真5 大石内蔵助の銅像と墓。写真6 忠臣蔵引取図(歌川国芳)。
2023年02月10日
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JR高輪GW駅の西側コンコースから、大規模なビル建設工事を眺めた。高輪ゲートウェイ駅は、東京五輪の開催に合わせて、2020年3月に暫定開業した。当時、山手線に46年ぶりに新駅ができるとのことで話題となった。駅名を公募した結果、少し長めの名称に決まる・・。 駅舎自体はこじんまりした印象だ。デザインしたのは有名な隈研吾氏。折り紙をモチーフにした大屋根と支柱。床材には、宮城県南三陸のスギが使用されている。1Fがホーム、2Fが改札・コンコース、3Fに店舗(スターバック他)。「駅まち一体」をテーマに創られている。 駅西側の再開発プロジェクトが軌道に乗っている。広大な敷地を4つの街地に分け、4つの高層ビルが建設される。世界から先端企業と人材を呼び込む、[高輪ゲートウェイシティ(仮称)]を目指すという。周辺をぶらつくと、「水素ステーション」を見かける。五輪の大会車両に水素を供給した施設。「談合の東京五輪」の汚名は、いつ返上できるのか・・。写真1 高輪ゲートウェイ駅のホームと大屋根。写真2 改札口と駅舎外観。写真3 駅内部の様子。写真4 再開発プロジェクト工事状況。写真5 複合棟建設現場と水素ステーション。写真6 再開発プロジェクトの「ゲートウェイシティ」概要。
2023年02月05日
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所用のため都内に行くことが増えた。最近、コロナウィルス感染の猛威も低下してきた。各種、感染対策も緩和気味。市川駅で途中下車して、江戸川上空150mからの景色を観る。冬晴れの景色を期待して登ったが、西から北の山々の稜線は薄曇り・モヤで見えなかった。 展望施設は、JR総武本線・市川駅南口に隣接する。「アイ・リンクいちかわザ・タワーズウェスト」の45階と屋上デッキである。強風でなければ、無料で都内を見渡すことができる。東京スカイツリーと富士山、ディズニーリゾート、東京湾、そして眼下に江戸川を見下ろせる。 夜景が美しい展望台。「日本の夜景100選」に選定されている。毎月第3金曜日・土曜日は、ライトダウンイベントをしているようだ。写真1 東京スカイツリーと富士山。写真2 ビル群後方の「浮き富士山」。写真3 都心ビル群を望む。写真4 地上150m江戸川の上流部と下流河口方面。写真5 総武本線と国道14号。昭和初期の鳥観図。写真6 いちかわザ・タワーズウェスト45階が展望施設。
2023年02月02日
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「ワタシの宝物」、「ミライの宝物」などと銘うって、トーハク・表慶館で「150年後の国宝展」が開催されていた(2023年1月29日まで)。東京博物館創立150年記念事業の一環。一般部門の「国宝候補」全67件のうち20件を紹介している。ゴジラやガンダムが立候補している。 表慶館は、皇太子(後の大正天皇)のご成婚を記念して、明治41年に竣功した美術館。美しいドームを有するネオ・バロック様式の建築物。石張り・煉瓦による建築工法で、明治末期を代表する建物として、国の重要文化財に指定されている。幾度と補修工事がなされているが、入口ホールの華麗さと天井の明かり窓が素晴らしい。 西洋美術館庭の彫刻像を眺めて、上野駅へ向かう。一昨年、公園口は刷新されている。改札を出ると、歩行者の空間となっている。公園口駅舎が整備され、展望テラスと店舗が並ぶ。昔、改札を出ると信号待ちをした記憶が蘇る。子どもや年寄りに優しい出入口になっている。写真-1 トーハク・表慶館の優美な建物。写真-2 「150年後の国宝展」が開催されている表慶館。写真-3 入口ホールの装飾と明かり窓。写真-4 150年後の国宝候補。コジラとガンダム。写真-5 トーハク庭園を散歩。写真-6 「考える人像」と上野駅公園口歩行者空間。
2023年01月09日
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久しぶりに東京駅・丸の内駅舎側を訪れる。広い駅前広場が完成したのは5年前(2017年)。その後も、周辺で高層ビル建設が続いた。ビルの谷間と云うほどではないが、東京駅は、ビルに取り囲まれている。建物外壁のカーテンウォールに映る雲景色が空模様をイメージさせる。 150年前の10月14日(1872年)は、新橋と横浜間に、日本初の鉄道が開通した。新橋駅や横浜駅では記念イベントが行われている。明治維新の5年後に、蒸気機関車が走る。その後、上野駅が1883年、飯田町駅が1895年に開業する。明治新政府は、産業の源「石炭」を北海道に求め、小樽手宮から札幌にも鉄道を敷いた(1880年)。レンガ造りの丸の内駅舎が完成するのは、1914年(大正3年)。 東京駅の開業が遅れた理由として、立地環境と技術面とがあった。皇居前には武家屋敷が並び、陸軍の兵舎・練兵場、政府関係施設が連なる。一方、新橋駅と丸の内とは、高架で結ぶ必要性があった。ドイツ・ベルリンの高架をモデルにするべく、海外視察やドイツ技術者の指導が不可欠だった。当時、レンガを用いて高架橋を築いた。そして今日、高架下の店舗が軒を連ねる。写真-1 東京駅丸の内駅舎とその広場。写真-2 駅エントランスの北ドームの内装。写真-3 南ドームと周辺の高層ビル。写真-4 丸の内ビル5階展望デッキから眺める。写真-5 白色ラインが赤レンガを引き立てる。写真-6 鉄道150年ポスター。
2022年10月17日
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石造りの日本橋から北へカーブしながら中央通りを歩く。通りの西側に、三越新館と本館が並び、向い東側にコレド室町ビルなどが建ち並ぶ。江戸期に駿河町通り、明治期に室町通りとも呼ばれた。現在、日本橋から室町三丁目交差点まで、国道6号、14号、17号が供用する。中央通りとは、東京都通称道路の呼び方。 国の重要文化財となっている三越本館は、大正13年(1914年)ら創建された。その後、増改築を重ねて健在。本館の正面口は、通称「ライオン口」。アール・デコ調のバルコニーには、商業神「マーキュリー像」が立っている。その下、玄関両脇には開業以来、ライオン像がある。館内は、美術館・博物館のようだ。「天女の像」、アンモナイト化石の大理石など見どころがある。 江戸時代日本橋界隈で繁栄した越後屋は、伊勢松坂の三井家が始めたもの。その辺りは、駿府から入所者が多く駿河町と呼ばれた。三井家から分業して三越家が呉服業を引き継ぐ。その後日本初の百貨店を開業する。5階建ての百貨店がオープンすると、たちまち東京の名所となる。エスカレーターが珍しかったという。写真-1 日本橋三越新館。左方面は常盤橋へ、右方面は室町三丁目交差点へ。写真-2 日本橋中央道路。国道6号、14号、17号が供用する。写真-3 三越新館ライオン口とバルコニーのマーキュリー像。写真-4 本館内部「白く輝く森」とアンモナイト化石の大理石。写真-5 中央ホールを飾る彫刻像む「天女(まごころ)像」。写真-6 現在の日本橋中央通りと名所江戸百景「日本橋通一丁目略図」。
2022年10月07日
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東京都中央区に、頭上が覆われてしまい、飛べそうにもない「麒麟」いる。石造りの日本橋の欄干中央部に設置されている麒麟のブロンズ像だ。左右対称(東側と西側)に2柱が立っている。また、橋詰側には、四方を守るように獅子像4柱がある。 日本橋は、江戸初期1603年に街道の起点として創架された。当時は木製の太鼓橋。歌川広重も「江戸名所百景」に描いている。現在の橋は、石造2連アーチ橋で、明治44年(1911年)に造られた。橋長49.5m×幅員27.5mの道路橋。橋の欄干部に和様漢折衷の装飾が施されている。 2012年に東野圭吾の推理小説の劇場版「麒麟の翼」が上映された。日本橋の欄干にもたれかかる男にナイフが刺さっているシーンから始まる。加賀恭一郎のシリーズもの。阿倍寛、新垣結衣、中井貴一らが出演。作品テーマは、悲劇から希望と祈りとされる。 幕府は江戸城に近い、この場所に橋をかけて道の整備をしていった。五街道の起点となった場所に「日本国道路元標」かるものが日本橋三越側の橋詰に設置されている。橋の真上に架かる首都高速道路が撤去される日がまだ遠い。写真-1 二連アーチ・ルネッサンス様式の日本橋。写真-2 日本橋の上を覆う首都高速。写真-3 麒麟柱と獅子柱のブロンズ。写真-4 麒麟の翼像とランプ柱。写真-5 日本国道路元標。写真-6 映画のポスターと太鼓橋の日本橋。
2022年09月29日
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日本銀行本館向いの南館に「貨幣博物館」がある。国の文化財の重厚な石造り建物を観た後、お金の展示室を見学する。開館時間は9時半から16時半まで、入館無料。1階受付で荷物検査をして、2階の撮影OKエリアとモニターで予備知識を得て、展示室に入る。展示室内で撮影はNG。 日本でのお金の始まりは、7世紀頃とされている。和同開珎(わどうかいちん)が有名。渡来銭(宋銭、明銭)の使用などの変遷もあった。徳川家康が天下統一して、「お金」が全国的に流通した。そして幕末、欧米などと通商条約を結ぶ。貿易が本格化すると、日本の通貨を「円」となる。 西南戦争を経た明治政府は、欧米の横長の紙幣として、神功皇后の肖像画入りを採用する。日本銀行が設立されると、「大黒札」を最初に印刷する。明治21年に菅原道真、明治24年に藤原鎌足の肖像・日銀券が発行。変わったところで、昭和20年に二宮尊徳が1円券として、印刷された。写真-1 日銀本館の向いの貨幣博物館。写真-2 博物館の玄関を入ると荷物検査がある写真-3 二階のギャラリーと巨大な石貨幣。写真-4 説明モニターコーナと映像一部。写真-5 お金の大きさを較べる冊子写真-6 明治紙幣の顔、神功皇后、藤原鎌足、菅原道真、二宮尊徳など。
2022年09月26日
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東京日本橋本石町の日本銀行本館建物を見学する。日本橋川に架かる常盤橋を渡ると、新館を含む4棟が並ぶ日本銀行本店エリア。そのうち重要文化財に指定されている本館(旧館)がお目当て。上空から見ると漢字の円の形に造られている。予約なしの内部見学も可能だが、先着順で30分間に限定される。 日本銀行の開業は、明治15年(1882年)永代橋たもとから始まった。手狭になり、直に日本橋への移転工事が始まり、明治29年に現在の場所になる。日本人(辰野金吾氏)が最初に手がけた洋式建築物。地階と1回の外壁に花崗岩、2階以上に安山岩を使用、重厚な建造物。関東大震災でも無事だった。 大河ドラマ「晴天を衝け」の主人公・渋沢栄一は、日本最初の銀行の設立を指導した。しかし初代の日銀総裁は、吉原重俊(薩摩藩)。栄一の孫、渋沢敬三は16代総裁(昭和19年-20年)。現在の日銀総裁は、黒田東彦氏。本店には4600人の従業員いる。政府機関や株式会社ではない認可法人の組織。 昨今、歴史的な円安を記録しても、政府と日銀は身動きできない状態。せいぜい「口先介入」だけか・・。輸入に依存する中小企業・農家や庶民にしわ寄せが。外国資本による不動産その他の買い漁り始まっている。写真-1 常盤橋交差点を渡ると日銀街。写真-2 石造りの重厚な建造物。国の重要文化財。写真-3 日本銀行本館(別館)の外壁と窓のつくり。写真-4 日銀通りを歩く。写真-5 日銀の中庭と客溜り。写真-6 日銀建物を鳥瞰。扉の日銀のエンブレム。
2022年09月22日
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東京駅八重洲口で長らく工事を続けていた高層ビルが2022年8月に竣功した。「東京ミッドタウン八重洲」街が出現する。これまで八重洲口と云えば、2014年に完成したグランルーフ(光の帆)と2階のペデストリアンデッキが知られていた。 9月17日東京ミッドタウン八重洲は、地下1階に13店舗を先行オープンして開業する。ミッドタウン八重洲は、八重洲セントラルタワー[地上45階×高さ240m×地下4階]と、八重洲スクエア[7階建]からなる。45階以上の高層はブルガリホテルが占める。低層エリアに小学校が開設されるという。 ミッドタウンの地下2階に、バスターミナルが一部先行開業した。東京駅周辺に分散していた高速バス乗場が集約されてゆく。当面、一日およそ600便を運航するという。2028年に全面開業すると、1500便/日が運行する巨大バスターミナルとなる。チケットカウンターは地下1階となる。徐々に駅前広場も広くなりそうだ・・。写真-1 東京ミッドタウン八重洲。写真-2 丸の内側から八重洲セントラルタワーを望む。写真-3 東京駅八重洲口のグランルーフとペデストリアンデッキ。写真-4 ミッドタウンビル前のオブジェ。写真-5 八重洲セントラルスクエアとバスターミナルビル。写真-6 バスターミナル東京八重洲が先行開業。
2022年09月19日
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