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名前シール キャンプに行ったときの道具は、合同サイトの時などは撤収時に、どれが自分のものかわからなくなります。 各自思い思いの方法で、自分のものとわかるようにしていますが、我家の目印はyuというシールです。 昨日、ストアにお買い物に行ってパイエルドライバー(ランタンポール)を、追加購入して来ました。早速、使用説明の上にシールを貼り付けました。 ストアでは・よりよりさん夫婦に会いました。 よりよりさんは霧島キャンプ用で使うための、ガスを買いに来ておられました。また、美味しい料理を作るんだろうな。
2008.04.30
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不登校の高校一年生 京都大学の河合教授著 カウンセリングはクライアントのペースで行うものですが、完全に相手のペースではなく、時間と場所に関してのみはカウンセラーのペースを守る事になっています。それさえ壊してしまいたいと、この母親は望んでいるわけです。私はそこまで譲歩出来ませんので改めて約束しなおします。すると約束の日にまた来ません。そして夜になると電話がかかってきて「私は用事があったのでよそへ行っていて、子供には行くように言っておきましたが来ましたでしょうか」と言われました。これも、この母親の特徴です。自分では意識していないのだけれど、カウンセリングの場面から逃げ出して、子供を矢面に立てようとする。それでも勿論子供は来ない。それから連絡がなくなり、何ヵ月か後に電話がかかってきて「お蔭様で子供は学校に行くようになりました」と言うのです。その時に私が思ったのは人格の変化を行わずに学校に行ってしまったなというものでした。つまりカウンセリングを受けて、この母親が変わり、この子も変わって行くという大変な仕事をするくらいなら、無理矢理、無茶苦茶でも学校に行っている方がまだ気楽だという感じなのです。ですから治って学校に行ったのではないのですから、どこまで続くか心配していましたが、やはりしばらくしてまた不登校になってしまったのです。 今度は母親ではなく祖父から電話がかかってきまして「是非とも会いたい」と言う事で会う事になりました。そこでは「実は2、3日行っておったが、あれからすぐ行かなくなった。それから昼の間じゅう寝ている。そして夜になるとゴソゴソ出ていったりする。あれは精神病だ。母親は絶対精神病院に入院させたいと言っている。私としてはカウンセリングによって治してやりたいと思っているので、再度お願いできないでしょうか?」と言うものでした。そこで私は「カウンセリングは面接室に来て頂かないと出来ないようになっているので、そこまでの決心があられるのならば、本人を引っ張って来るように」とお願いしました。それから一週間後、祖父が本人を連れてやって来ました。すると本人は前よりも話す態度を持っていて「母親は僕の頭がおかしいから入院させようとしたが、僕はどう考えてもおかしいとは思わないので入院なんてしたくない」そういう話をする。この話の途中の様子として何度も途切れ溜め息を繰り返していました。そして、その時は続けてカウンセリングに来ると言いましたが、しばらくすると、また約束した時間に来なくなりました。この頃には、母親・祖父・本人も来なくなってしまいました。私自身の中の悩みとして、何とかしたいという気持ちはあるのですが、私から出向いていったりすると、あまりにも頼られてしまう。それでは何にもならないのです。だから、どうし向こうの意志で来るように頑張らなければならない。 自分から「何故来ないのですか」「もっと来て下さい」という電話をしてはいけないと思い我慢をしていました。そうすると次にまた、祖父だけがやって来るようになり「家庭内暴力が出て来てしまった。母親を酷く殴り付けている」と言う。これは不登校の非常におとなしい子でも母親だけ殴り付ける。本人と母親の間の心理的な問題を如実に表わすものなのです。そして「これ以上先生が放っておかれると、うちの嫁と孫が死んでしまう。どうかうちに是非来て下さい」と言うのです。私は、やはり「こちらへ来てもらわない限り会えません」と断る。これは非常に残酷のように見えますが、不登校の母親の言うとおりしていると、どこまで動かされるか分からない程、要求がエスカレートして行くのです。この頃私は、とことんやってみる決意をしていました。しばらくして祖父から電話がかかってきて「是非ともお宅へ御伺いしたい」と言う。私はこれまで自宅でクライアントと会った事は一度も無かったのです。両者は深くて親しくない関係であり、親しくなる事の危険性を嫌というほど知っていますので自宅では会わなかったのです。ところが向こうが自宅で会いたいという事は、祖父にしてみれば、私と早く親しい関係を持ちたいという表現であると感じました。切る事が出来ないし、行くのが恐いと思って随分と悩みました。自分の心に問い掛けた結果、結論が出たのです。危険であろうと、ここまでやってみたいと思うのならば、頑張ってみようと......このへんは相当原則を無視してしまうアプローチですが、この場合の母親は冷たい心の交流のない人、ところが心の奥のほうでしっかり子供をギュット掴んでいる、そういう母親を相手にして、この母親を変えなければならないのにそんな人も出て来ない。私が死にもの狂いになってやる必要性を強く感じたのです。そして自宅に呼ぶ事を了承しました。祖父と母親がやって来て、まず申し上げた事は「来たからには、皆で心を合わせてやりましょう。お宅の子供さんが学校に行かないという事は、子供さんだけの問題ではなくて家全体の問題のように思えます。お母さんもお爺さんも一緒になって、山登りをする事と同じです。その山登りを私と一緒によろうと言われる限りは、私も絶対に最後まで行きます」と申し上げました。そうするとこの人たちも随分心が近づいた感じを表わして来て「どうかお願いいたします」と言われました。私も「そう言われるのならば、原則を無視し明日お宅へ御伺いしましょう」という事になってしまいました。翌日その家に行きました。昼に行ったのですが、本人はやはり寝ていました。しばらくすると、本当に嬉しそうにニコニコして出て来たのです。家へ行った感じとしては、非常に大きな家ですが、大きくて冷たく暗いといったものでした。私としてはその家の中でその子と話をするのが耐えられなかったので「君、自転車に乗ってどこかに行こう」というと喜んで外に出ました。実はこの子は昼は寝ていて、夜になると自転車でかなり遠くまで行っているという事でした。この子は、母親というか家の中に本当にガッチリ閉じ込められている感じで、学校へ行っていない。ところが母親とそういう感じで、心の底で結びついているような子は心の何処かでは、自立したい独立したいという気持ちが働いています。その時本当の自立は出来ないけれど、真似事としてせめて自転車で遠くまで夜中に飛び出していると感じたのです。この子の自立したい本当の動きは、そのまま動かずどこか陰の方で動いている。勿論本人も其れには気付いていないのです。その心の動きを私自身もやってみようと思ったのです。そして自転車で走り出すと、すごく話をしだしたのです。「実は、自分は小学校の頃も学校に行かなかった。幼稚園の時、中学の時も学校が嫌になった事がある」幼稚園から始まっているのですから不登校のつわものです。その時思いましたのは、この子の治療というのは私の考えているような「深いが親しくない関係」というような事では駄目で、どこかで相当親しい関係をもたずには進まない。 どうして学校に行けなくなったのかとか、自己実現の仕事をしようとしているのかとか、母親はどう考えているのかといった重要なカウンセリングを行う前段階の親密になるという事が必要であったと感じたのです。次の休みには一緒にハイキングに行きました。この日は初めて父親に会いました。それまでは、父親がおられるのかどうかハッキリ分からないぐらいの感じでした。だいだいの不登校児の家庭でそうですが、この場合も家では権力が強くない方でした。尚この少年は一人息子でしたが、これも不登校児に多いのです。そして、ポツリポツリと話すのを聴いていると「自分の家は農家だが、母親は商売もしていて仕事によく出て行く。父親は勤めているし、祖父は畑に出ていって自分は一人になる事が多くお手伝いさんに育てられた」と言う。つまり母親との接触が非常に薄かったわけです。大きい農家なのに何故母親が子供を放ってまで商売に行くか疑問に思いました。そんなに儲けなくても子供の為に家にいればよさそうな気がしました。•家業を継ぐ為に修業に出ると宣言するカウンセリングをはじめて8ヵ月した頃「絶対に僕は仕事をする。家の仕事を継ぐ。其の為には修業に行かなければならないので家を出るのだけれど、この家の仕事を継ぐ決心をした。そして今までえらくお世話になった高校へ挨拶に行きたい」これには私もビックリしました。ここまで言うのならば本当に就職する気でよくここまで思い切ったなと感心しました。実際に学校に挨拶に行った時は少し複雑な気持ちに陥りました。色々なものから逃げ出していた子が、ここまできちんと挨拶をして自分の家の仕事を継ぐのは立派だという気持ちと、こんなに元気になったら学校へ行ったらいいのにという気持ちがあるわけです。最後に彼に言いましたのは「君もえらい立派に考えてくれたけれど、今になったから私も言うけれど君は学校に行ってもいいし、行かなくてもいいしと言い続けてきたけれど、そういう気持ちのほかに私も半分は常識人で、半分の常識はどんな子でも高校へ行った方がいいと思っている。常識以外の方では高校に行こうが大学へいこうが勝手で好きな事をすれば人間は幸福だと知っているが、半分の常識な方では、高校を出ていないと損をする事が多いという事を私は知っている。そういう常識的な人間として私は言うが、やっぱり高校へ行って欲しい」と言いました。彼は「先生の言う事はよう分かるが、僕は行かない」と答えました。そして「ここまで私が言わせてもらって就職するのならば、頑張りなさい」と伝えました。•立派な青年になり、仕事に励む・それでこの子は就職しました。ただ私の中には、やはり学校に行っていた方がいいのではないかという常識がありカウンセリングがこれで終わったとは思えなかったのです。この子も休暇で帰って来ると「先生帰ってきました」と言って遊びに来てくれるのですが、なんとなく淋しそうな顔をしている気がするのです。そのような時は無茶苦茶でもいいから学校に行かせたらよかったかな、怒鳴りつけてでも行かせた方がよかったのではないかとさえ思った事さえありました。ところが段々とこの子が変わっていったのです。カウンセリングをスタートしてから8ヵ月すぎて就職をしたのですが、つぎの正月に遊びに来た時には非常に良い感じに変わっていて「先生行ってよかった、就職して本当によかった」と言う。そしてまた高校、中学と不登校で迷惑をかけた先生方に挨拶に行った。その後はクライアントとカウンセラーという関係ではなく、一個の人間として付き合うようになりました。3回目の正月が来た頃にはようやく商売も板についてきて、ようやく私も本当によかったなと思えました。•このケースをかえりみて常に悪戦苦闘していて、決して上手く行かなかった。実際にやってみるとこんな感じでそんなに上手くいくものばかりではないようです。この事例によって随分多くの事を私は学ぶ事が出来たと思っています。カウンセリングといっても、色々な場合がある事、多くの問題と困難さを持っている事などを知って頂きたかったのです。
2008.04.29
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ギラファノコギリクワガタ ゴールデンウィークに突入し、既に長い休みに入った人もいるようです。私は28.30.1.2日は出勤で暦どおり仕事の予定です。 今年も我家のクワガタが成虫のなる時期になって来ました。昨年は5月に入ってからオスが成虫になっていたので、少しだけ早い感じです。現在はクワガタのメスが3匹とオスが1匹と、カブトムシのメスが3匹か成虫になっています。写真は今年の第一号のクワガタのオスです。9センチ弱というところでしょうか? キャンプ場で遊んでもらっている子供達に、良いクワガタがとれればプレゼントしたいと思っています。(昨年は手持ちのクワガタを交配させたので心配ですが) さてどのような成虫達が登場してくれるのか楽しみになって来ました。
2008.04.28
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筍 都城のお得意先が、山に行って掘ってきて戴いたばかりの筍を戴きました。とても柔らかくて美味しそうです。 筍のオスとメスがあることを始めて知りました。スーパーで見る筍はオスで、メスは料理屋さんに出されるということです。オスは固めで、メスは柔らかくて甘いのだとか。嫌なことも少しはありますが、たくさんの幸せを戴いている私は幸せ者です。
2008.04.27
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今週は宮崎に出張しています。昨日は宮崎市に泊まっていました。ホテルは初めて利用したレガロホテル。宮崎県庁の2軒隣にあるホテルでした。(県庁まで歩いて20秒) 宮崎県庁の前はよく通りますが、じっくりと見たことはありませんでした。最近は県庁が観光スポットになっていて、観光バスがたくさん停まっていました。観光客に混ざって携帯で一枚撮ってみました。改めて見てみると中々、趣がある建物に感じました。 今日25日は長男まぁの誕生日です。都城の仕事を終えて帰宅予定ですが、家につく頃には彼は寝ているだろうな。明日、お祝いをするから、チョッと待っててね。
2008.04.25
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大切な考え方教えて頂いたこと 95 色々な事柄がおこった時に、最も大切なことは考え方です。その様に考えた結果、どのような感情になるかです。思考から→その様な実感(感情)が出てきて→そういった行動・行為になります。その場合、善悪の価値基準は何かという事です。例えば、あの人は変な人だと考えたら、その時その相手に出会ったとしますと、マイナスの感情になり、マイナスの顔つきになります。 この神物質現象界では、何かを常に表現しています。マイナスを表現したら自分が苦しむのです。自分自身がマイナスを感じて苦しむのです。例えば、商売はどうですかと尋ねますと、いやー大変ですよと、会社はどうですかと尋ねても、いやーうちの会社は大変ですよと、おたくの会社はいいでしょうと、何もその様に損して通る必要は無いのです。お宅の奥さん素晴らしいですねというと、そんな風に見えますかとか、必ず否定的なマイナスを表現しております。日本人は、本音と建前があります。マイナス思考をすると世の中それがいいとして解釈しています。女性に貴方のご主人を褒めると、どう言うかというと、とんでもないという。普通は、とんでもない相手と結婚するかと言いたくなります。そうすると職場でプラスの方を言う人が何人ぐらいおりますかと言いたくなります。夫婦の褒め合い、プラス思考がなかなか出来ません。季節の事でも、暑いときは暑いと、寒い時は寒いといい、現実が素晴らしいから、現実の素晴らしさを受け入れる事が大事です。要するに、現実にある今日一日生きる現実の運命、環境を素晴らしく生きる事です。プラス思考というのは、理性的判断力です。理性的判断力がプラスであれば己自身に実感としてプラスの実感を持つことが出来るのです。行動が行いの種です。行動は自己生存の表現です。これは「実行実現の原則」で、行いの種となります。そのように行えばそのような結果が出るのです。麦まけば麦が生えてくるのです。今日一日素晴らしく生きたら絶対その様になってきます。人間関係でも、相手のプラスの方を見ているのか、マイナスの方を見ているのかです。マイナスの行いをしたら、その事が自分の運命・環境に必ずでめぐってきます。つまり、自分がマイナスの事をしていますと、累積してマイナスの運命となるのです。自分だけが、助かるだとか、浮かばれるだとか、金が儲かるとか、罪を許してもらうとか、それで助かる訳は無いのです。今、活かされている時は生きているのですから心配しても運命は変わりません。愚痴言っても変わりません。因縁があるとか、方位が悪いとかマイナス思考をやっていたらノイローゼになるだけです。そこで理性的判断をプラスにしなければなりません。善悪の価値基準はどうなのかと言いますと、人類は全然わかっていないのであります。一体、何を善と考えるのでしょう。そこで、肉体的生存を考えてみますと、思考という考え方、何をどう認識したか、これで実感が出てきます。認識の問題です。 善というのは、プラスの結果をもたらします。そのような思考であり、感情であり、行いの種です。目先で欲求を満たす事をしてしまった。この目先のマイナスの感情に流されてマイナスをした事が本当に自分の一生にプラスかどうかです。善とは、そのときはつらいけれども、後で結果的にはプラスになる事であります。感情は、常に刹那的であります。熱いという感情は、喉元すぎれば、実感はそのときしかありません。例えば、おいしいお菓子を食べて、プラスの実感を持つと、食べて良かったな、ああ良かったなとなるのであります。これが、心豊かに、生きる味わいとなるのであります。そして生存がプラスとなるのです。生存を、より広く、より長くプラスにしていかなければなりません。より広くとは、己だけではなく、一家だけではなく、全人類、全生物に、他のものに、よりプラスを与えていくことであります。今は、一寸つらいけれども、頑張ってもっと大きなプラスをもたらすことであります。これを善といいます。種をまき、一生懸命育て、素晴らしい収穫をたくさんしました。これを善といいます。目先で感情を満たしたとしても、後で結果的にもっとつらい事がきます。これを悪といいます。今、目先の感情で、ああだ、こうだといい、そして結果的には人間関係をその感情で駄目にする。これを悪といいます。自己防衛と自分の我を満たしたいが為に、己の感情に左右されて、その感情をコントロールできない。これを悪といいます。そして己自身をマイナスにしてしまいます。教育改革にしても、其の人の意識であります御霊、つまり命霊観念を切り換えなければ、制度をいくら変えても人間は変わりません。己の人間性、己の中身を変えないと制度を変えても本当の改善はありえません。本当に中身から、根本から変えようとするのは、1000人に一人もいません。制度が問題ではなく、私達の実感が問題であります。しかし、その実感は理性的判断力、思考という問題に由来します。マイナスの思考は、マイナスしか考えられません。そしてマイナスの実感を持ちます。癪にさわりますとその行動しかしません。マイナスの感情の行動しかしません。感情に左右されてその様になってしまいます。それが全てになってしまっています。感情がより広く、より長くなるのが善といいます。自己の生存は他の生存に直結しています。自他一如であります。つまり、他のことも我が事です。感情がより刹那的、より短く、より自分だけ、より小さいものを悪といいます。猫が目先で魚を取るように、人類も長い目で見たらその様な事をしています。同じ一日生きる生き方が恐怖に生きるのではなく、今日一日が感動で生きるのであります。生存を感動で生きなければなりません。与えられている人間関係、職場や家庭、今、与えられている運命・環境のこの中で最大の、最高の、最善の喜びと感動をもって通るのが悟りです。その為には、実際プラスの種まきをするのであります。その為には実感がプラスでなければ出来ません。感情がプラスになるのには、プラスの思考をしなければなりません。プラスで判断しなければなりません。
2008.04.24
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SNOW PEAK WAY in 九州 今年も19日~20日にかけて熊本県にある歌瀬キャンプ場で開催されました。両日とも天気にも恵まれ、物凄く日焼けしてしまいました。 今年は120組の募集に270組の応募があったようで、半数以上が参加できない人気振りでした。 落選した人たちの何組かは、裏wayの開催で少しは氣がはれたかな? 上の二つはじゃんけん大會で家内がゲットした2品です。どぶろくをゲットした彼女は、皆さんから「酒飲みの執念」と祝福を受けておりました。私は月曜日から宮崎出張中です。ホテルでしあげた レポはこちらからどうぞ。
2008.04.22
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ハワイの教会で結婚式をあげたのが、1998年の4月17日でした。10年度目の結婚記念日です。上の写真は先日の社内旅行の時に、立ち寄って私が撮ってきたものです。 私の仕事は営業なので、売り上げの良い時はご機嫌なのですが、売り上げの悪い時は不機嫌になってしまいます。随分、家内にも苦労をかけてきたと思います。 「末永くよろしく頼むよ」 10周年は何か記念に残るものをプレゼントしたいと思っていたので、秋からコツコツと貯金をして来ました。はじめはビトンのバックが良いといっていたのですが、ここのところ興味が失せたようで、困ったと思っていました。 最近、趣味でハンドメイドにはまっているようなので、なかば強制的にロックミシンにしてもらいました(爆) 注文しているのですが、商品がお店に来るのが20日だとか。とりあずミシン代をプレゼントすることにしました。 現金だけだと色気がないので、クロックスの携帯入れをおまけにと、車の中で用意して撮った写真です。 中々良い感じです。 私は特別欲しいものがなかったので、何も希望を伝えていませんでした。当然何もないと思っていましたが、夕食の前にサプライズが・・・・「スーパースリムラインプロトレック」 ビックリしました。私が時計売り場で見ていたのを覚えていたようです。彼女が独身時代に貯めていたお金から出したようです。「ありがとね。大切に使わせてもらいます」 さっきから必死で説明書を読んでますが、多機能で使い方を覚えるまで暫く時間がかかりそうです。
2008.04.17
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竜王山キャンプ 春です。今回のキャンプ参加メンバーにも小学校入学、中学入学、高校入学、海外への単身赴任と、いくつかの新しい生活が始まりました。 そして新しいトキメキを感じ始めた二人がいます。それを恋と呼ぶのでしょうか。レポはこちらからどうぞ。
2008.04.15
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竜王山桜キャンプ この週末は山口県山陽小野田市小野田梶ヶ迫841にある竜王山公園オートキャンプ場に行ってきました。 先週の雨で桜は散ってしまっているのかと思っていましたが、なんとか持ってくれていたようで、最高の花見キャンプが出来ました。 ここは遊具もあるし、トイレなどの設備も綺麗だし、子供連れには最高のキャンプ場です。 今回は山ダッチF・よっせF・かず君F・さとちゃんF・にお世話になりました。よっせさんが16日から海外に単身赴任になるということで、山ダッチの提案で小さなサプライズも用意してもらっていました。山ダッチ、色々と手配お世話有難うございました。 よっせさん繋がりで、時々ブログを覗かせていた・いまそらさんFとお知り合いになれました。こんな感じで輪が広がっていくのも楽しいものです。(レポはもう少々お待ち下さい)
2008.04.14
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Wii用マリオカートが昨日発売になりました。 子供達へのサプライズでカバンの中に、ひそかにしのばせて帰宅。前々から欲しいといっていた次男の目の前に何気なく置くと・・・。一瞬何が起こったか理解できないようで「ポカ~ン」とした顔をしていました。 しばらくして、満面の笑顔に変わり「やっ~た」と大喜び。お父ちゃんは君のその喜ぶ顔に弱いんだよな(爆)。 さっそくネットにつなげて遠くの人と対戦をはじめましたが、対戦をしたイギリス人はとても強かったらしく「次はイギリス人に勝ちたい」と闘志を燃やしています(笑)
2008.04.11
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日本医師会賞を受賞した原稿です。 1999年12月、娘10歳は末期医療の入り口に入ったことを宣告されました。腹部に出来た悪性奇腫で二年半、闘病した後でした。それから七月に亡くなるまで七ヶ月の間、本人と家族の希望どおり在宅医療を続けることが出来ました。 娘は主治医の先生とよく氣が合い、まるで友達同士のように接していました。廊下で見かけると飛び付かんばかりに走りより、ふざけて叩いたり、ポケットの中をいじったり、悪戯ばかりしていました。先生も負けずににやり返します。私達親には、時には齒に衣着せずズバッと話される先生でしたが、その中にいつも温かいものを感じていました。 「風邪か?喉赤いんか?」と言いながら、大きな懐中電灯を持ってきたり、どちらがスキー上手か、必死になっていばり合ったりする、ちゃめっ気タップリなところもある先生でした。そんな先生もターミナルに入ってからは、娘のいないところで、辛そうに元気なさそうにはなす事が、段々増えていきました。そんなたくさんの思い出の中で、二回の電話を私は忘れることは出来ません。 一回目は、翌年の四月の終わり。この少し前から先生の携帯電話に緊急で連絡することが出来ている状態でした。朝、機嫌よく寝転がってテレビを見ていた娘が、急に「息が苦しい。胸が痛い。お腹が痛い」とエビのように身体を曲げています。先生は出張で神戸を離れていましたが、直ぐ連絡しました。そしてモルヒネの座薬の量を指示してもらって様子をみました。 でも苦しそうで30分してまた電話をしました。車を運転中の先生は、もう一回指示をくれましたが、混乱している私は娘の様子を上手くまとめて話せません。先生は落ち着いた声で「お母さん、ゆいちゃん電話口に出られるかな」と聞きました。私は『そんな無理な』と思いましたが、とにかく娘に尋ねると「うん、話す」と言うので、抱きかかえるようにして電話口に座らせました。私は泣いているのを娘に見られないよう、後ろから娘を支えていました。 「うん、うん、わかる」娘は何度もうなずいていて、氣がつくと口調もしっかりしてきています。」「先生がね、空気中に酸素があって、それを飲み込みにくい感じなの?と聞いたから、そうじゃなくてお腹の方からお腹が張って苦しい感じって言ったよ。そしたら、もう一回座薬ガンバって静かにねときって」娘は私よりずっと落ち着いた顏で横になってくれました。 二回目は、それから二ヶ月ほどたって、もう足がドンドン腫れてきた處でした。娘は自分の足を見て「また元に戻るの? もっと浮腫んだらどうするの? かあかん(私のこと)は、こんなになってないからわからへん」と泣きながら訴えます。わたしは、ただただ足をさすりながら「ごめん、ごめん。わかるのだけど。どうにも出来ないで、本当にごめんね」と言うしかありませんでした。 人生の中で修羅場というのがあるのならば、ああ今まさにそうだ、そう思いながら涙が止まりませんでした。娘は「先生に聞く」といい出しました。先生とは出来るだけ事前に打ち合わせをしてから、娘と対応させていましたので、一瞬と惑いましたが、もう仕方がありません。先生は、手が空くのを待って五分ほどして電話をかけなおしてきてくれました。「うん、うん、わかった」娘はまた長く先生と話しています。受話器を置くと体の中の、血液の流れのことを、娘なりに詳しく説明してくれました。先生は「今一番きついのだけど。辛抱できるか。辛抱してね」と言ってくれたようでした。私は一瞬拍子抜けしてしまいました。でもこれ以上他にどんな事が先生に言えたでしょう。 娘は、もう泣いていませんでした。ちっちゃな声で「かあかん、さっきはごめんね」と言ってくれました。二回とも、先生とどんな話をしたのか、もう二度と娘の口から聞くことは出来ません。でも、娘の心の中には先生をシッカリ信頼している気持ちとがあったからこそ、こうやってギリギリまで先生に助けを求め、先生もそれに誠心誠意答えてくれたのだと私は信じています。 在宅での看護は、またまだ試行錯誤の状態だと思います。先生や看護婦さんたちとは何度も話し合い、その度に最善の方法を考えてもらい、支えられてきました。 この七ヶ月のターミナルの時間は、私たちにとって・祈りの時・でもありました。その時を一緒に過ごしてくださったスタッフの方皆さんに深く感謝します。 今ごろ、娘は天国で大好きな絵を書いていると思います。それからもちろん、先生に負けないように、スキーの練習も...
2008.04.10
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天気予報では日曜日は雨と言っていたので、花見は出来ないと思っていましたが、素晴らしい天気になりました。 そこで昼過ぎから家族で近くの東平尾公園まで、歩いて出かけることにしました。公園の入り口に花見をしている子供達の友達のお母さんグループを発見。家内はその中に吸収され、子供達も友達の中に吸収されてしまいました。 なにもすることがなくなった私はベンチに横になって花見をしていましたが、いつの間にか爆睡。お陰で思いっきり日焼けをしました。
2008.04.07
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岩部尚 先生 講演より およそ世の中に[決める]という以上に、大切な事はないように思われます。全ては[決める]事によって、動き始めます。人は皆勘違いしています。左か右かどちらかに天使が微笑んでいると。しかし本当は、決める前に、その道の果実は、まだ実っていないのです。人は、決める事によって、その道の果実を甘くさせる事が出来るのです。どちらの道をとるか、という問題ではないのです。早い話が、どっちでもいいのです。右に行こうが左に行こうが。どちらにしても、嵐もあれば晴もあります。最悪なのは、右が良かったかもしれないと思いながら、左に行く事です。 皆さんはよく病氣を治すのは自然治癒力だと言われますが、それ以上は深く探求して考える人は、あまりいないと思います。自然治癒力の本質・根源とは何でしょうか?波動的な理論を用いれば、本来あるべき波動(振動数)に復元する事が、自然治癒力であり、復元する力が自然治癒力といえます。生きているものは全て振動しています。振動しているうちは、エネルギーが循環していますから、命があります。豚でも生きているうちは、肉は腐りませんが、殺され、カットされて店に並べられれば、エネルギーは入ってこないので、すぐ腐ってしまいます。同様に人間生活において、本来の波動を弱めたり、失ったりして、病氣を作り続けています。心の面から言えば、最初は万物一体と言う意識。自分も他人も全ての物が一つと言う、愛にあふれた意識だった筈です。それが現在は自分だけという、自分と他人とは違うと比較する事によって起る、分離意識によってエゴが強く出てきます。現在の地球上の文明が進んだ地域の人程エゴが強く、問題のイジメや様々な事件等、色々な人間関係の問題を引き起こす元になっています。生活においても愛にあふれた生き生きとした自然的な生活から、水も空氣も汚れより不自然な生活となって本来のあるべき波動を弱めています。今はやりの電磁波障害もその一つです。目には見えませんが、この空間には数え切れない情報を持った電波が飛び交っています。テレビや携帯電話等情報はエネルギーの波として空間を飛び、音や色を私達に与えてくれます。しかし生命の本来の正しい波動を歪めてしまうのです。次に食べ物もそうです。本来の天然の美味しい、愛にあふれた食べ物から、お母さんの・愛情・手間・時間を抜き、さらに何段階にも加工され、添加物を何種類も加えられています。エネルギー的にみても「これを食べても元氣が出そうだなとは思えないような食べ物が、いっぱいでまわっています」そういう食べ物を食べていますと、私達の体は全て水と空氣と食べ物から出来ていますから、当然エネルギーの低い自然治癒力の上がらない肉体になってしまう訳です。その結果肉体は健康→不健康→病氣→死に向かいます。健康になるためには自然な生き方と生活をすれば良い訳です。細胞には核があり、その中には染色体・DNAがあります。DNAの中には核フィラメントという発光体があり、これが細胞振動の原点です。この核フィラメントがエネルギーをうけ、振動して光を発します。そしてそのエネルギーを細胞全体に送って、一つの細胞は生きています。人間の細胞は各臓器によって振動が異なり、幾つかのグループに分けられます。そして各々の振動体を統一するエネルギーのツボをチャクラと言います。中医學でいう主な経穴とも同じようなものです。振動数が上がると細胞の力が高まります。 1 細胞の正しい働き2 抵抗力、免疫力が上がる3 治癒力が高まる4 吸収力が高まる5 新陳代謝と遺伝子の自己修復力が高まる・事です。つまり細胞の力とはエネルギーの質と量です。宇宙の「氣」を一杯取り込むと、細胞の力が高まり、元氣が全身にみなぎります。ですから細胞に送られるエネルギーの元「氣」の供給が病んだ時、未病や病氣が始まります。ですから病氣とは氣の病なのです。大昔は水も空氣も食べ物も良かったので、本当に氣の滞りによって病氣になったと思います。しかし今は食べ物も環境も悪すぎて、さらに病氣の元に加わっています。ですから生活習慣病という言葉も出てきました。現在西洋医学的に捉えられている原因は全て、病氣を引き起こす間接的な原因にすぎません。ですから根本原因を追求しなければ病氣は治らないのです。しかし、本当の根本原因は目に見えないものが殆どです。胃潰瘍の原因は10年前までは、酒の飲みすぎや煙草の吸い過ぎと言われてきましたが、今はストレスと言われています。ストレスは見えませんが、誰でも認めている事です。アルツハイマーは「孤独・認めて欲しい」という波動です。白血病は「親に対する否定的な感情の現われ」です。自分を生んでくれた両親の否定は、自分の血液がグレ不良になったり、クーデターを起こしても不思議ではありません。宇宙の法則に「認めるものが現われて、見つめるものが拡大する」というものがあります。病氣に意識を集中させると、病氣のイメージを作り病氣になります。最高の藥は喜びにあふれている事『ドキドキ、ワクワク、リラックス』です。この状態であれば病氣になり難くなりますし、たとえしても氣力で直ぐに治るのです。自分の健康を保のも、皆さんあまりにも外ばかり見続けています。健康になるためにビタミン劑、健康食品、漢方藥、民間療法と限りなく求め続けています。しかし病氣は全て自分自身が引き起こし、引き寄せたものですから、自分の内面を見ない限り本当の健康もリラックスも得られません。病氣の根本原因は大きく分けると三つの要因に分けられます。1 感情のマイナス波動2 恐怖心・悲しみ・怒り・妬み その他不調和な波動(電磁波や土地の問題[イヤロシ地かケガレ地]や放射線等)3 食事の問題 この3点セットで病氣になっている人が多いのです。この3つの原因により、体内の陽子・中性子・電子は歪み→原子が歪めば分子も歪み→細胞の歪み→最後には臓器から体全身におよび、免疫力が弱い体質になります。免疫力が弱い体質とは、肝臓・脾臓・副腎・胸腺等のネットワークが弱い体質で、血液は酸性に濁り易く、活性酸素も発生し易くなります。そういう弱い体質があるところに、直接的な引金として、ヘルペスウイルスやインフルエンザウイルやスクラミジア等、さらに氣・血・水の不調和等により病氣が引き起こされます。病氣になると治療に走りますが、それよりまず大切な事は元氣になる事です。元氣とは氣「エネルギー」が元通りに修復して高まる事です。ですから少々の事でしたら治療治療と言わなくても、元氣なる事に焦点を絞れば、おのずと病氣は消え去ります。その為には身体のリズムを整える事が大切なのです。間脳は宇宙のリズムの受信機と言われています。1 宇宙のリズムを受信しているのが大脳の基底核。2 地球のリズムを受信しているのが大脳の尾状核。因みにきっている人もいらっしゃると思いますが、盲腸も小さな受信機の一つです。リズムが整うと→1脳波が安定する2心拍が安定する。3 呼吸が安定する。4 血流速度も安定する。5 神経伝達速度が整う。自律神経やホルモンの分泌の調節。それには脳を活性化して、脳の波動を常に正しい状態に維持する事が大切です。その為にも『ドキドキ・ワクワク・リラックス』が一番大切になってきます。命の根源は波動です。これは意識ともイコールです。さらに意識は想念や想いとも考えられます。全ては振動しています。ですから想い(意識)を変えられれば全てを変える事が出来ます。想いの力で病氣から元氣になる事が出来るのです。人間には素晴らしい力が与えられています。それを使うも使かわないも、氣づくか氣づかないか、それを素直に受容して利用するかどうかです。私達は目に見える事は、よく理解出来ますが、目に見えない事は盲信となりめくらになります。心も魂も見えません。グローバルに見て21世紀はスピリチュアル「靈性」的なものを考えていかないと、おかしい時代に来ているのです。人間は肉体のみではありません。肉体と心と魂とで人間です。ですから肉体だけをいくら研究しても病氣は減りません。現に益々増えています。病氣になるのは人間ですから、もっと人間をよく勉強すべきだと思います。私の店は普通の藥屋です。唐津・東松浦地区では唯一調劑をしていない藥劑師かもしれません。あまり調劑にも拘っていません。正しい生き方が出来ればいいのです。でも藥劑師になって良かったと思っています。私の店では普通のお客様には普通の話。満性病の方には、体と心と食事について。難病の方には体と心と魂と食事についてのお話をします。正確には相手を観て話しているのですが、難病であっても同じような意識を持たれた方は、たちどころに元氣になっていく場合があります。全ては本人の生命力が高まっての結果です。魂が喜ぶように、正しい事を認識して生活すれば良いだけの事です。『全て前向きに、プラス発想で、ドキドキ、ワクワク、リラックス』です。以前は氣功治療やヒーリング等ボランティアでやっていた事もありましたが、現在は人に教えるだけにしています。氣功は自分の氣を高める為にやるもので、氣功治療で病氣が治るものではありません。しかしヒーリングでは1回で治癒する事もあります。エネルギーの次元が違うのです。氣功師の方で、直ぐに治癒させる方がいらっしゃいますが、所謂氣功の意識レベルではないのです。しかし病氣にしろ、社会問題にしろ、自分で解決しない事には、何時までたっても、それから卒業する事が出来ません。ですから今は出来るだけ早く良い先生になって、早く優秀な成績で卒業させる事が出来るように、私と縁がある方には接しているつもりです。病氣も災難も悪い事ではありません。全て自然から遠ざかったから「危ないぞ」という警告です。はやく万物一体の愛に満ち溢れた所に戻ってこられるようにと、魂からのメッセージです。正しくメッセージを受け取って、受け取ったら自分で答えを出してみましょう。毎日仕事をしながら、多くの人に勉強させられます。全ては自分のために毎日言っているようなものです。本当に言いたい事も10分の1ぐらいしか書く事ができませんでしたが、最後に一言。せっかく人間に生まれてきたからには、人生大いに楽しみましょう。
2008.04.06
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存在の原理 教えて頂いたこと 94私達のまわりに存在するものは、全て役に立つものを私達は作っています。まわりにある鉛筆、ノート、机など皆、他の役に立つ為に存在しています。鉛筆は、鉛筆の為に存在するのではなく、鉛筆が他の為に役に立つ存在として作られています。 「存在の原理」は 1.存在するもの全ては、役割機能をもって生成されます。 2.存在するもの全ては、他の為に役にたつ役割機能を持っています。 3.存在するもの全ては、他の為に役に立たないと自然淘汰されます。この三つで説明できます。 私達の生存が「存在の原理」に逆らった生き方をすると自然淘汰されることになってしまいます。私達も役に立たないものは捨ててしまいます。特に自己中心の生き方は、自分の事だけしか考えていません。こういう生き方は、他の為に役に立ちません。 そうすると自己の存在を失ってしまいます。物も生命も同じです。これが自然界の法則、原理であるからであります。速く目覚めなければなりません。どの人の運命も皆同じです。皆のためになる食物も、農薬を使用して農薬づけの野菜などを販売したり、遺伝子組み換えをした大豆など経済ベースでやっています。どこにも他の為に、まごころをもってやっているとは思われません。非常に悲しいことです。こういう生き方をしていると地球が「存在の原理」に反した存在になる事になり、自然淘汰の惑星になってしまいます。 このように、皆の為になる生き方をしないでいますと、この地球も存在を失う事になります。いわゆる自然淘汰されることになります。 このような地球にならないように一人一人が「存在の原理」に沿った生き方をしていかなければなりません。
2008.04.05
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入籍記念日 結婚記念日は17日ですが、4月2日は私達夫婦が区役所に婚姻届を出した日です。今晩は会社で会食があるので、1日早いのですがいつもの会社近くの花屋さんで、お花を買って帰りました。 花屋さんから「阪本さんの奥さんは誕生日は年末でしたか?」 私「いいえ、11月ですよ。12月は一年間有難うの御礼の花なんですよ」 花屋さん「優しいな~」私「いいえ力関係です」(爆) 写真を長男に花束を持たせて撮ってみました。子供達にも恵まれて幸せな時間を過ごせています。もうじき彼らも可愛いだけの時期が終わって、反抗期になってきますが、変化を楽しむ余裕を持てれば良いと思います。 最近は夫婦とも体調があまりよくありませんが、出来るだけお互いに体に気をつけて行きましょう。
2008.04.02
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snow peak way 2008 九州 snow peakというキャンプ道具メーカーが主催するキャンプのイベントが、4月19日~20日に歌瀬キャンプ場で行なわれます。今回は定員120組に対して300組近くの応募があったらしく、参加者は抽選となりました。 我が家も申し込んでいましたが、昨日当選通知が来ていました。 この企画はメーカーとユーザーが一体となって作り上げていくキャンプです。最新のメーカー施策では、顧客どうしのコミニュティがキーワードとなってといます。生薬系のメーカーに勤務している私にも、お客様に生薬を親しんで頂くための、コミニュティを作りのネタ集めにもなっていいます。 今回はsnow peak 社にとってのヘビーユーザの多くが落選しているようです。比較的新しい顧客にある程度、当選者を絞ったのかと思えるほどでした。 今後は最も大切だと思われる落選したヘビーユーザーに対するフォローを、どのように行なっていくのかという問題が残ったように思います。新しい顧客の開拓と既存客の流失防止策を、じっくりと見守りたいと思います(爆) せっかくの当選、思いっきり楽しみたいと思います。参加される皆さん~当日は宜しくお願いします。
2008.04.01
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