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商売繁盛の仕組みづくり 【小阪裕司氏の資料からまとめてみました】 客様をワクワクさせなくてはなりませんが、それだけでは収益がついてきません。自動的に利益があがる仕組みを作らなければなりません。Q まずビジネスに収益を生むものは何でしょうか?A お客様に欲しいと思わせないと商売繁盛はしません。売り上げが頭の中の7割くらいが占めている人が多いようです。収益の源泉は人です。顧客(3回以上購入)がどの程度入るのか? 流出率はどの程度か? 上得意様の年間購入額はいくらか?といったことはデーターをもっていなければ、対策のたてようがありません。見込み客と既存客見込み客を効率よく集めて、次々に既存客にするかという事がテーマです。リピート客を一生の客にするかということを考えなくては、そのようには絶対にならないのです。DMにしても見込み客を集めるためのものなのか? 既存客を対象とするのか整理して実施しましょう。まずいかに見込み客を集めるか? 集めた見込み客に動機付けをし、共感してもらって最初の購入をして頂けるか? そのお客様を永遠のお客様にしていくためのアクションに入る。という事がその答えです。お客様に感動を大阪にザ・リッツ・カールトンというホテルがあります。フロントでもルームサービスでも名前を呼んでくれます。会員さんのコンビニでもお客様のお名前を読んでいるところがあります。とても繁盛されています。いかにお客様を自分の店のファンにさせるかということを考えれば、その発想は当然起こってくるのです。私(阪本)の心に残った体験があります。鹿児島の妙見温泉・雅叙苑という旅館に泊まったときの事です。車で旅館に着いたとたん。こちらから名前を言う前に「いらっしゃいませ阪本様」と言われます。そういえば乗っていく車の車種を言ったいた事を思い出しましたが、いきなり名前を言われると嬉しいものです。さらに部屋に入ると筆で書いた阪本様あてのウエルカムレターがテーブルに置いてあります。たくさんの旅館やホテルに泊まったはずですが、こんなに印象深く残っている体験は少ないと思います。
2008.03.31
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女の主体性は相手を支える事にある!? カウンセリングの先生方によれば、男性と女性では根本的に考え方が異なっていると言います。今回は女性の考え方について掲載させて頂きます。 女性は他人の要求や悩みに対する心配り、親身になっての相談を通してこの能力を培って来たようです。そして、そういう自分達の思いやりの精神に誇りさえ抱いています。自発的に同性でも異性でも助けの手を差し伸べる事こそ愛の証だとおもっています。 自分の能力を証明する事はさほど重要ではないので、他人に助けの手を差し伸べる事も悪気も感じていないし、誰かに助けを求める事も決して自分の弱さをさらけ出す行為だとは考えていないのです。 しかし男は、頼みもしないのに女から余計なアドバイスや助けを受けるという事は自分の能力を信頼されていないと感じさせられ、自分が非難されていると受け取ってしまいます。 女性の側は、こうした男性の感受性を察知する事が出来きません。女性にとっては、アドバイスや意見を与えるという事は愛情表現のサインなのです。物事が順調に進んでいる時にも適切なアドバイスや意見を交換すれば、より良い結果を招く事が出来ると信じています。何事にかんしても進歩させたいと思っているのが彼女達の本性なのです。 男性の意識は、問題解決志向型に出来ている。もし物事が順調に進んでいるのならば、そのままのペースで推し進めたい。順調に進んでいる物は保っておくというのが本能です。 「女心は複雑」は、ケッコウ簡単に解明出来きます。 男性側は女性が悩みやトラブルについて話しをする時、必ずしも問題解決を望んでいるのではなく、ただ親身になって聞いてもらいたいと強く願っているのだという事を覚えておく必要があります。敬意の念は、辛抱強く、そして感情を移入させて話しを聞いてあげながら、相手の心情を理解する事によって払われる。それが礼儀であり、人付き合いの常識なのです。 男女の違いで最も大きいのが一つがストレスの対処法です。男性は、神経をその原因一点に集中させて闘い、これを撃退しようとするが、女性は感情的に追い詰められた状態に陥って行きます。 ストレスと直面した時、男性はストレスの種となっている問題を解決する事により気持ちを取り直し、女性はその問題に関して話す事によって気持ちを切り換えようとする。男性はストレスが溜まると、自分の心の、穴の中に引きこもり、問題を解決する事に全神経を集中させます。その事に集中する為に一時的に全ての事は忘れ去ってしまう。この様な時、彼は自分の殻に閉じこもり、目の前のストレス退治に心を奪われてしまうので他人に対してはよそよそしい態度となり、話の受け答えも殆ど上の空になります。 一般的に女性は、男がストレスとどう闘っているのか知りません。その方法について理解する事も出来きません。女性は彼らに自分達と同じように心をオープンにし、自分の悩み事を全て打ち明けてくれる事を望みます。したがって彼が自分の穴の中にこもると、その振る舞いに苛立つのです。 男性にとって常にスキンシップを求めるのは、女性に対して常に理性的、理論的な対処を求めるのが無理なように、所詮大きな勘違いです。
2008.03.30
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出張の最終日は延岡でした。遅めの昼飯はいつものおぐらへ。 お店の入り口には・人気メニューのチャンポンとチキン南蛮の看板があります。 ここのチャンポンには海老がはいっていません。海老にあたって以来、海老アレルギーになってしまった私には嬉しいチャンポンです。 今回はチキン南蛮を食べました。普段はチキン南蛮を食べることはる殆どありませんが、ここにくると何故だか頼んでしまいます。今回も甘めでヘビーな味にうっとりしました。やっぱり美味いな~
2008.03.29
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米の二期作 今週は宮崎に出張です。関東地区では桜が咲いているようですが、宮崎県では開花宣言は出たものの、まだ見ごろには程遠い状況です。鹿児島はまだ開花宣言が出ていないようで、桜は寒暖の差が少ないと開花するのが遅くなるということです。 宮崎市内では二期作の田植えが始まりました。台風が多くやってくる太平洋側の温かい地区では、二期作が行われますが、全国的四国と南九州だけの珍しい光景です。
2008.03.28
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喜びの種子を蒔けば必ず花開く● 日本創造教育研究所社長 田舞徳太郎偉人たちの伝記を読む時、成功の陰には数多くの苦難があったことが分かります。偉人たちは苦難の中に喜びの種子を見つけ、育てていったのです。お客様に喜んでもらうことを理念とし、それを実行した近江商人は日本的経営の原点を教えてくれます。喜びの種子とは何か人生には悲喜こもごも色々な体験が誰にもあります。すべてがうまくいくということはなく、自分の考えと全く異なる展開を見せる時もあれば、物事が非常に順調に進む時もあります。しかし、スムーズにいかない時こそ、これは幸せの貯蓄だと諦めて辛抱すれば、不思議に道は開けてくるものです。豊田佐吉翁や喜一郎など多くの伝記を読んでいると、必ずといっていいように苦難が侍ち受け、その苦難や逆境で鍛えられていることが分かります。過日、早稲田大学のビジネススクールで教鞭をとっておられる梅津教授から、ビル・ジョージ氏の「リーダーへの旅略」という翻訳本を頂戴しました、真のリーダーの長い長い旅路には、哀しみがあり、苦しみがあり、その遠い道のりの先に喜びと希望が待ち受けている光景が、この書物から手に取るように理解されます。洋の東西を問わず、リーダーの道のりには言葉にならない感動があります。喜びの種子の中身は何かと問われるならば、私は、哀しみ、孤独、苦悩、困難だと思い、長い人生には手放しで喜ぶようなものはなく、努力に努力を重ね、少しでも人様の役に立つように生きれば、悲しみの中に深く深く味わう妙味のようなものが喜びの種子になると信じています。私は若い頃からあまり喜びというものを知りません。どちらかというと、非常に恵まれた環境にありながら、現在でも気苦労のほうが多い人生です。しかし、噛み締めれば噛み締めるほど、気苦労の陰に喜びの種子が蒔かれていくような気持ちになります。全く根拠はありませんが、苦労性が染み付いているのかもしれません。作吉翁や喜一郎、松下幸之助翁や森信三先生、坂村真民先生、禅の師田里(ださと)亦(やく)無(む)先生に魅(ひ)かれるのも、すべて喜びの種子に秘められている、その中身が何かを、痛感するからかもしれません。センチメンタルな考えですが、人様から見る幸せと、自分が体で感じる喜びは、全く異なるものだと思います。三方良しで喜びの種子を蒔く滋賀県に近江商人発祥の地といわれる、五個荘(ごかしょう)町があります豪尚の屋敷が残り、白壁が続く静かなたたずまいと、その家を取り巻く堀に錦鯉が泳ぐ光景は、商人としてのあるべき心の状態を見せてくれているようです。私は今年久し振りに外村家を訪ねました。三代の図の写真が撮りたかったからです。掛け軸の下段には、初代が夫婦で朝夕苦労して働く姿が描かれています。真ん中に、二代目が苦労知らずで趣味に興じて客をもてなし、上段に、三代目が落ちぶれて犬に迫われ逃げ惑う姿が書かれています。この図は、企業経営の厳しさをつくづく教えてくれるものです。と同時に、この五個荘には、たくさんの家訓が残っており、日本人本来の模範的経営の原点があるような気がしてなりません。ドラッカー博士は、経営の目的は利益ではないと断言されています。利潤動機には全く意味がないと言われて、企業の存在理由は、社会にある問題を解決し、人間の幸せを実現するためにあるのだと述べています。近江商人は、まさにドラッカー博士が言われるように、すべての人たちに喜んでもらうことを理念とし、それを実行しました。自分の利益だけではなく、買ってくださったお客様の利益や世の中の利益を考え、皆が幸せになる、ビジネスモデルを構築していたのです。資本の暴力で、下請けをたたくような企業ではなく、お客様を欺いて利益をあげるような経営でもなく、売り手良し、買い手良し、世間良しの三方良しの経営に心掛けて財を成した姿を、世界中はもっと模範とすべきです。『近江商人に学ぶ』(サンライズ出版)には、この近江商人のあり方が詳細に述べられています。その中で、五個荘の商人、中村治(じ)兵衛宗(へえそう)岸(がん)の遺言が特に印象的でした。人々に喜びの種を蒔き、結果的に自分の人生にたくさんの花を開かせた商人の生き様が感じられます。この文書は、1754年に自分の孫に宛てたものです。1997年に発見されましたが、孫を持つ人間として意味深く読ませていただき、「三方良し経営」の原点になった資料に、非常に深い感銘を受けました。松下幸之助翁は、人の不幸の上に自分の幸せを築いてはならないと、言われています。最高の経営とは、株主に都合の良い企業価値論ではなく、貧しい人間に高利で家を買わせるようなことでもなく、集めたお金で脅しに近い敵対的買収をすることでもありません。この三方よしの経営こそ日本的経営の原型であり、喜びの種子を蒔く経営であると確信しています。自分さえよければいいというのは、およそ経営と呼べるものではないのです。24箇条からなる遺言文書の、一部が紹介されています。「たとへ他国へ行商に出かけても、自分の持参した衣類等の商品は、出向いていったその国のすべての顧客が気持ちよく着用できるようにこころがけ、自分のことよりも先ず、お客様のためを思って計らい、一挙に多くの利益を得ることを望まないで、何事も天の恵み次第であると謙虚な態度であること。ひたすら商品をお届けした地方の人々のことを大切に思って商売をしなければならない。そうすれば、人道にかない、心身とも健康に暮らすことができる。自分の心に、悪心の生じないように、神仏への信心を忘れないこと。持ち下り行商に出かける時は、以上のような心がけが、一番大事なことである」中村治兵衛宗岸は、自分の、死後も繁栄するように、企業の永続の秘訣を孫に残したのでしょう。同じく死にいく者として強い共感を覚えます。利益の分配同じ、五個荘出身である塚本定次のことも述べられています。塚本定次は予想外の利益が出た時、この利益の配分に頭を痛めたというのです。近江商人の模範の人だったのでしょう。自分は常日頃から質素な身なりで贅沢もせず、まさに必死に努力を続けて利益を出すのです。そして努力の末に手にした利益をどう配分するか悩んで、彼は知り合いの勝海舟に相談に行きます。勝海舟は、学校への寄付や従業員への配分を含めて、色々な利益の使い方のアドバイスをしました。ところが、相談に行ったはずの塚本定次は、「細切れにして利益を分配するよりも、いっそ多くの人々が楽しめるものとしたい」と考え、喜びの種子を多くの人々と分かち合いたいと決意します。もちろん海舟も大賛成です。そして、滋賀県の山林に多額の寄付をし、治山・治水の父と呼ばれるようになるのです。父親の定右衛門の教えを守り、堅実経営を旨として生涯を終えますが、このエビソードを読みながら、玄台経営学は、進化どころか逆に退化しているような気がしてなりません。もちろん日本は資本主義の社会であり、市場原理を中心にした経済システムです。競争もあって当然でしょう。しかし、経済中心の社会がこのまま続くわけはありません。いまさえ良ければいいという短絡的な考えではなく、次代の人々のために、喜びの種子を分かち合いたいものです。
2008.03.27
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その1 すべてはうまくいっている 言霊パワーで人生エンジョイ!沖縄に薬を使わないメンタルクリニックがある。院長の精神科医・越智啓子先生のもとには全国各地から相談者が訪れるが、その多くは笑顔でクリニックを後にするという。一体どんな療法が用いられているのだろうか。今回は先生ご自身があらゆる治療を体験する中で知り得た「人生のしくみ」の一端と、「言霊パワー」についてお話しいただいた。精神科医 越智啓子 おち・けいこ 東京女子医科大卒業。東京大学付属病院精神科で研修後、ロンドン大学付属モズレー病院に留学。帰国後勤務医を経て、平成7年東京に「啓子メンタルクリニック」を開業。過去生療法、アロマセラピィ、クリスタルヒーリング、フラワーエッセンス、ヴォイスヒーリングなどを取り入れた、新しいカウンセリングによる治療を行う。11年沖縄に移住し、クリニックを開業。最新刊は『人生のよろこび』。『人生のしくみ」『人生の癒し」など著著多数。◎人間は言霊パワーの指令によって動いている最近、多くの方が言霊パワーに気づき、プラスの言葉を使おうという流れになってきました。いい流れですね。例えば、同じ仕事をしても、ある人は疲れ果てて、ある人はいつもニコニコ張り切って、飲んでしゃべって、ストレスを上手に解消する。この違いは一体何なのでしょうか。もちろん、持って生まれた身体的能力や、それまでの体の鍛え方も関係るかもしれませんが、それよりも注目してほしいのはその人たちが使っている言葉です。きっといつも元気な人は「仕事が楽しいな」「私いま充実している」と言って、仮に疲れていると感じても、「大丈夫!」「原気です」と口に出しているはずです。一方、いつも元気がなくて疲れている人は、やはりいつも「疲れた」「もう無理」「つまらない」と言っている。不思議ですが、これはまぎれもない事実です。人間の脳のメカニズムで説明すると、言葉、しかも自分で発して音声化され左言葉は大脳が聞いていて、それを一つの刺激として、体内に指令を出します。「元気です1」と言うと体中に「元気」の指令が流れ、多少疲れていても元気になる。一方「疲れた」と言えば、本当はまだ元気なのに「疲れた」指令が体中を駆け巡るのです。もう一つ違う角度から見てみましょう。江本勝さんのご著書に『水からの伝言』があります。同書では「ありがとう」をはじめとする、ポジティブで思いやりのある言葉をかけた水がきれいな結晶となるのに対し、「バカヤロウ」など汚い、ネガティブな言葉を浴びせた水は、その結晶までもがグシャグシャになってしまうことを紹介し、水が言葉のエネルギーに反応することを証明しています。そこで考えてほしいのは、私たち人間の体は七十%が水でできているということです。普段どんな言葉を使うかで、私たちの体は変わってきてしまうのです。以前、私は東京の国立病院で精神科医として勤務していましたが、当時から、うつの患者さんを思いっきり笑わせて、暗い表情の患者さんがすっきりとした笑顔になるので、私の部屋は看護婦さんたちから「不思議な談話室」と呼ばれていました。何より効果があったのは、「大丈夫ですよ、必ず良くなりますよ」という励ましの言葉と、相手を受け止めて抱きしめることでした。また、患者が子どもの場合、連れてくるお母さんたちは笑顔が少なくなるし、どうしても格好にも構わなくなります。そこで私はいつもお母さんたちのいいところを褒めるようにしていました。すると、毎回来るたびに美しくなっていき、笑顔を取り戻していくのです。一方で、私は学生時代に演劇をしていたこともあって、お母さん方と一緒に子どもへの声がけの発声練習もしました。「宿題、済んだの(↓)」ではなく「宿題、済んだの(↑)」「忘れ物はないの(↑)」と尻上がりに声をかけると、同じ言葉でも圧迫感を感じないのです。お母さんが笑顔になって、言葉がけも優しくなると、子どもの病も快方に向かっていきます。言葉が人間を変える。言葉が人生をつくる。そんな人生のしくみの一端を学んだ出来事でした。◎薬ではない治療を求めて知り得た人生のしくみ私は子どもの頃から感じやすく、よく霊を見たり、時には妖精と一緒に遊んだりしながら大きくなりました。一方で、人ごみの中ではぐったりしてしまい、医師からは「自家中毒」と言われるパターンを繰り返しました。副腎の難病もあり、病院とは縁が切れず、さらに幼い頃亡くなった弟の死が医師の誤診と聞いてから、自ら医師を目指しました。私自身が副腎ステロイドホルモンを投与され、その副作用で苦しみましたから、精神科医になっても精神安定剤などの薬を使わない、心地よい治療を探求し続けてきたのです。ハンドヒーリング(手当て療法)、笑い療法と、いずれも薬を使わずに素晴らしい効果を発揮しました。しかし平成五年に過労で倒れて以来、もう一度患者の立場となって、あらゆる治療法を試みることになりました。そこで別の癒しの世界、それまで知りえなかった精神世界の扉を開き、人生のしくみを深く知ることになります。まずアロマ(香り)セラピィにはまり、クリスタル(水晶)ヒーリングを受けた後、今度はヒプノセラピィという「過去生回帰の催眠療法」のセッションを受けました。いわゆる自分の前世や過去生を知ることで、仏教用語としてしか知らなかった「輪廻転生」を実感する、びっくりの体験です。ヒーラーの誘導に従って過去生をイメージしました。イメージの中で私は、三千年前のエジプトの舞台女優でした、出てきた場面は、愛していた恋人の子どもを宿して、嬉しくて彼に報告しているところです。しかし彼に「子どもはいらない。堕ろせ」と言われ、大変ショックを受けています。彼を失いたくない彼女は黒ずくめの老婆から怪しげな薬をもらい、堕胎。その上、健康も、女優としての美貌も、スピリチュアル(霊的)な能力も失って、亡くなります。そしてこの時の彼が今世の私の最初の夫と教えてもらい、さらにびっくり。今回は私が子どもを産めないことで離婚になったからです。過去生の書き換えとして、子どもを出産するイメージ療法もしましたが、どうやら今世では子どもを産めない病気をプログラムして、医師になるコースを私自身が選んだということらしいのです。宗教ではこれを「カルマの解消」というそうですが、言い方を換えれば、「逆の立場になって、相手の気持ちを理解して魂が成長する」ということでしょう。つまり私は今世で子どもを産めない悲しみを味わうことで、過去生で子どもを産めたのに堕胎してしまった罪悪感を解放したのです。このような経験から、私はアロマ、クリスタル、ハンドヒーリング(手当て療法)と私の子守唄のヴオイスヒーリングと、過去生療法を組み合わせた、新しい療法に取り組むこととなったのです。
2008.03.26
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その2◎薬ではない治療を求めて知り得た人生のしくみ私は子どもの頃から感じやすく、よく霊を見たり、時には妖精と一緒に遊んだりしながら大きくなりました。一方で、人ごみの中ではぐったりしてしまい、医師からは「自家中毒」と言われるパターンを繰り返しました。副腎の難病もあり、病院とは縁が切れず、さらに幼い頃亡くなった弟の死が医師の誤診と聞いてから、自ら医師を目指しました。私自身が副腎ステロイドホルモンを投与され、その副作用で苦しみましたから、精神科医になっても精神安定剤などの薬を使わない、心地よい治療を探求し続けてきたのです。ハンドヒーリング(手当て療法)、笑い療法と、いずれも薬を使わずに素晴らしい効果を発揮しました。しかし平成五年に過労で倒れて以来、もう一度患者の立場となって、あらゆる治療法を試みることになりました。そこで別の癒しの世界、それまで知りえなかった精神世界の扉を開き、人生のしくみを深く知ることになります。まずアロマ(香り)セラピィにはまり、クリスタル(水晶)ヒーリングを受けた後、今度はヒプノセラピィという「過去生回帰の催眠療法」のセッションを受けました。いわゆる自分の前世や過去生を知ることで、仏教用語としてしか知らなかった「輪廻転生」を実感する、びっくりの体験です。ヒーラーの誘導に従って過去生をイメージしました。イメージの中で私は、三千年前のエジプトの舞台女優でした、出てきた場面は、愛していた恋人の子どもを宿して、嬉しくて彼に報告しているところです。しかし彼に「子どもはいらない。堕ろせ」と言われ、大変ショックを受けています。彼を失いたくない彼女は黒ずくめの老婆から怪しげな薬をもらい、堕胎。その上、健康も、女優としての美貌も、スピリチュアル(霊的)な能力も失って、亡くなります。そしてこの時の彼が今世の私の最初の夫と教えてもらい、さらにびっくり。今回は私が子どもを産めないことで離婚になったからです。過去生の書き換えとして、子どもを出産するイメージ療法もしましたが、どうやら今世では子どもを産めない病気をプログラムして、医師になるコースを私自身が選んだということらしいのです。宗教ではこれを「カルマの解消」というそうですが、言い方を換えれば、「逆の立場になって、相手の気持ちを理解して魂が成長する」ということでしょう。つまり私は今世で子どもを産めない悲しみを味わうことで、過去生で子どもを産めたのに堕胎してしまった罪悪感を解放したのです。このような経験から、私はアロマ、クリスタル、ハンドヒーリング(手当て療法)と私の子守唄のヴオイスヒーリングと、過去生療法を組み合わせた、新しい療法に取り組むこととなったのです。◎すべての出会いは自分で選んでいる人生はすべて自分でプログラムを組んで生まれてきているということをお分かりいただけましたか?いや、自分はこんな人生を選んだ覚えはないという方もいるでしょう。しかし人間関係の土台ともなるべき両親との出会いも、自分で選んできているといいます。例えばいま大リーグで大活躍のイチロー選手は、おそらく野球選手として成功する夢を抱いて生まれてきたのでしょう。彼はその夢を手助けしてくれるお父さんを選んで生まれたのです。もちろん、世の中には逆に両親の反対を押し切ってチャレンジし、成功した人もたくさんいます。それはそれで、逆境に負けない魂をつくるために、その両親を選んだのです。私自身は、「両親は自分で選んで生まれてくる」と聞いた時、実はすぐに納得できませんでした。母との関係がうまくいっていなかったからです。子どもの頃、私自身は母から「言葉の暴力」を受けてきたと思っていましたが、大人になってから「こんなことを言われた」と言っても、「あなたを愛しているのに、そんなことを言うわけがない」と、まったく覚えていないのです。いまになって分かることですが、相手がしっかりと理性を持って話していることは自分の意思で話していますが、無意識に言っていることは、こちらが言葉を指定して言わせていることが多いのです。私の場合、過去生に強い罪悪感と自己否定を抱いて生まれてきたために、あえて母にネガティブなことを言わせていたのですね。クリニックにも、実の母娘なのにしっくりこないと相談にみえる方が多くいらっしゃいます。過去生を見て、昔は母が嫁、娘が姑だったと伝えると、「それなら分かるわ-」と一同納得。いずれにしても、自分が両親を選んでいると素直に納得できたら、それだけで親子関係はぐっと良くなります。親のせいにしていたことも、自分の責任として受け入れられます。この意識の変革ができたら、その他の人間関係も一気に良くなっていきます。家にいる間は家族が魂の学びの相手をしてくれ、学校に行けば先生や友達がその相手となります。学校を卒業し、社会へ出て仕事を始めると、人間関係のヴァリェーションが想像もつかない展開で一気に広がっていきます。当然、これまでは巡り合わなかった、あるいは出会っても避けてきた波長の合わない人とも一緒に仕事をしていかなければならなくなります。実はあの世では、自分と波長の合う人としか出会いません。魂が地上に降りてきて、何よりここだけでしか味わえないことは、違う波長の人と職場で出会えること。肉体を持っているからこそ、違う波長の人と出会えるのです。波長が違うと、当然ものの考え方が違うから、最初はびっくり!同じことを伝えるにも、「何もそんな言い方をしなくてもいいじゃないか」、逆に「そんな受け止め方をしなくてもいいじゃないか」となります。しかし、くれぐれも波長が合わないといって悩んだりしないこと。どんなに理不尽に怒鳴られても、「はあ、すごいパワー」とか「うわ、そうきたか」と、人間ウオッチングに徹して、この地上でしかお目にかかれない人たちとの出会いを楽しみましょう。波長の合わない人から仕事の取り組み方をはじめ、自分とは違うアプローチ、ものの考え方、素晴らしい発想、思いがけない情報、知識などどんどん吸収することで、魂はどんどん学んでいきます。人が仕事をすればするほど魅力的になっていくのは、ここに一つの理由があるのです。◎最強の言霊「すべてはうまくいっている」人生を表面的に捉えてしまうと、「なぜうまくいかないんだ」「どうして、自分だけ不幸なんだ」と思ってしまうこともあるかもしれません。しかし、これまでお話ししたように、それもまた自分で選び、プログラムして生まれてきていることを考えると、ある意味で「望みどおり」の人生を生きていることになります。では、人間はその運命に従って生きるしかないのでしょうか。そんなことはありません。過去生の呪縛を解き放ち、今世で素晴らしいあなた自身の人生をつくることはいくらでも可能です。そこで重要な役割を果たすのが、言霊パワーなのです。遺伝子工学の村上和雄先生は、あらゆる人々に夢をかなえるための才能が与えられているが、多くの人は与えられた遺伝子のスイッチがOFFになって十分に才能を生かしきれていないとおっしゃっています。まだ目覚めていない遺伝子のスイッチをONにすることは、とっても簡単です。まずはできると思うこと、そして「できる」と言葉にすることです。クリニックでは過去生療法を行った後、必ず宣言してもらいます。例えば、どうしても人前で自己主張ができない方には、「私はきちんと自己主張します」。中性的で男性とのご縁に恵まれない女性には、「私は女性らしく生きます」。不幸続きだという人は、「私は幸せです」。ここでポイントは、体も一緒に動かすことです。言葉と体の両方を同時に使うと、大脳を刺激し、潜在意識への刷り込みがうまくいきます。ことさら大げさな動きをする必要はなく、ピョンと跳ぶくらいでもOKです。また、潜在意識は夜に活動するので、寝る直前にやると効果的。人生で感じる問題は人それぞれですから、宣言する言葉も異なりますが、ぜひ皆さんに試していただきたいワークがあります。それは、最強の言霊「すべてはうまくいっている」を言いながらの「カニ踊り」です。やり方は簡単。両手でピースサインをつくって、「すべてはうまくいっている!」と言いながら、右に二回、左に二回と横歩きするのです。クリニックに初診でいらした方や、講演会、セミナーでも必ず最後はこの「カニ踊り」で締めくくります。これは沖縄に移り住んだ時、カニが朝日を燦燦と浴びながら歩いている姿を見て思いつきました。「うまくいっている」と言い続けると、潜在意識はすでにそういう状態にあると認識して、どんどん「うまくいっている」状況をつくり出していくのです。ぜひお試しあれ!ところで、自分で使う言葉はもちろん、実は相手の言葉をどう受け入れるかも大変重要です。「素敵ですね」とか、「最近成長したな」などと褒められた時は、にっこり笑って、素直に「ありがとうございます」と受け入れましょう。日本人は謙虚が美徳といわれますが、「いえ、そんな、まだまだです」などと言うと、相手は表面意識では謙遜していると思っても、魂レベルでは撥ねつけられたと思って気持ちよくありません。自分自身も、せっかく相手からの言霊パワーをいただけるチャンスだったのに、シャットアウトしてしまったことになります。もったいないですよね。自分で発し、相手からいただくことで、どんどん言霊パワーを取り入れてどんどんパワーアップしていきましょう。◎魂は必ずハッピーエンド以前、クリニ一ツクに涙ながらに相談にみえた方がいました。「父は病床でとても苦しんでいました。きっと成仏し切れていないか、あの世でも苦しんでいるのではないでしょうか......」亡くなられたお父様の魂を見てみました。「いいえ、お父様はいまあの世でかっぽれを踊っていらっしゃいますよ」と答えると、娘さんもまさかの展開に大爆笑。泣くつもりで来たのに爆笑するとは思わなかったと言って、素敵な笑顔でクリニックを後にされました。一見すると、若くして亡くなった、苦しんで亡くなった、かわいそうな死に方だったと思われるような最期でも、魂レベルでは必ずハッピーエンドであの世へ向かいます。そして、一休みをしたら再び地上へ魂のレッスンにやってくるのです。もしかしたら、またご家族の近くに生まれるかもしれません。いや、これまでとはまったく違う環境に身を置くかもしれません。それもやはり本人の希望どおりに生まれます。ところが、そうやってせっかく地上へ来たのに、十分学ばないうちに自らあの世へ帰りたがる人がいるのも事実です。自殺願望の方も相談にみえますが、私は「心配しないでも大丈夫よ。みんなもれなくあの世に帰れるから。それまで今世をエンジョイして輝きましょう」と一言うようにしています。魂は生き続け、命は永遠です。その中で今回、「いまの自分」を選んで生まれてきたのには、それなりの意味があります。せっかくですから今世の自分を十分にエンジョイしましょう。まずはエンジョイすると思うこと。そして宣言すること。その言霊は、必ずあなたの人生を素晴らしい方向へ導いてくれるはずです。
2008.03.26
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メダカ 自宅に机の横にある小さな水槽です。現在の住人はメダカ達です。 子供の頃に初めて飼ってのが、田んぼの用水路ですくって来たメダカでした。あの頃は田んぼの用水路には、フナ・ハヤ・ドジョウ・・・色々な魚がいました。 社会人になってからは熱帯魚のはまっていたろもありました。最後は水草をadaのフルセットでやったりもしていましたが、今は小さな水槽が一つだけになりました。 先日ホームセンターでメダカを見ていて、初めて飼ったこの魚をもう一度飼いたくなりました。この魚を見ていると子供の頃が思い出せれます。あの頃、思い描いていた世界を私は手に入れたのかな?
2008.03.25
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前回の出張時に激安で手に入れた鋳物コンロを使って、子供たちのリクエストでベランダで焼肉をしました。テーブルは水槽の台を作った時に出たコンパネの歯切れを、子供用のテーブルの上に乗せただけの、お手軽版です。これならコンロからの熱で変色しても、どんなに油が飛んでも気になりません。 鋳物コンロを使い、炭で焼く肉は本当に美味しいです。我家の恒例になりそうです。
2008.03.24
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限定品に弱い 今週の土日は家族の体調が完全ではないので無理をせずに、ゆっくり過ごすことにしています。 どこにも行かないならば、スノーピークストアでは「50周年Pro.モデル」が発売されているはず・・・と長男と二人で出かてきました。 今年はスノーピークは50年。フォークスが博多に来て20年。私達夫婦は10年と区切りの年です。 写真は左から・電話中のスミちゃん・座っている井上さん・おいらさんです。 この日の私のお目当てはリップウィングタープ"シールド" Pro。家族での花見には良いかもしれません。冷静に考えると実際には、あまり使いそうにない気もしますが・・・(爆) 自宅に帰ってシリアルナンバーを確認すると3/100でした。なぜだか一桁の番号に思わずにやけてしまいました。限定品という響きに、あいかわらず弱い私でした。
2008.03.23
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積極的な言葉のみをつかって生きている人が多くなれば、この世は期せずしてもっと美しいりっぱな世界になる。だから、どんな場合があっても、消極的な言語表現をしないように気をつけなさいよ。 ◇寒波の襲来でめっきり寒い日が続いていますね。 こんな時、A君はいつもこうぼやきます。 「こうも寒くっちゃ~やってられないよな。布団から出るのもおっくうだし、なんでこんなに寒いんだよ、ばかやろ~」 B君は布団をはねのけて、こう言います。 「うひょ~、めっきり寒くなったね。この寒さがいいんだな。なんだか身も心も引き締まってやる気が出てくるね」 皆さんは、A君タイプでしょうか、B君タイプでしょうか。 生まれてこの方、言葉というものは水や空気同様に、あって当たり前、使い放題だし無限にある、そう思っていたのですが、よくよく考えてみると、これほど私たちの人生を左右しているものはないように思います。 私たちは言葉によって愉快にもなれば不愉快にもなる。あげくの果てには人間の幸、不幸までをも左右する、使い方によれば人を殺してしまうほどの凶器にもなります。 昔から言霊(ことだま)信仰というものが日本中どこにでもあったようで、言葉に魂が宿るという考え方です。いい言葉をいえばしあわせになるし、悪い言葉をいえば不幸がやってくる。 これを日本人の迷信がつくった信仰だとみんな思っていますが、たしかに言葉は人間の存在に大きく影響を与えているものなんですね。言葉にも闇と光があるようです。 例えば風邪を引いてお医者さんにいったとしましょう。 ◇C先生は患者を診察して、眉間にしわを寄せながらこう言います。「うむ~、こりゃひどいね、たぶん40度近い熱が出るだろうね。これは深刻だ。気をつけないと腎臓病も併発する恐れがある」 患者はこうつぶやきます。「深刻?・・・」 この時点で、本当に熱は急激に上がり、お医者さんの言った通りになりました。 患者はこうつぶやきます。「先生の言うとおりだ。私は深刻な病気なんだ」 患者は完全に病気モードに陥ったのであります。 ◇D先生は患者を診察して、 ニコニコしながらこう言います。「今夜あたり40度近い熱がでるだろうね。それでも大丈夫、大丈夫。体が病気を静めるために、働いてくれているんだよ。温かくして、ゆっくり休めばすぐによくなる」 患者はすっかり安心して養生したところ、熱もそれほど出ず、驚くほど早く完治したのであります。ちょっとした言葉づかいの違いですが、結果的には雲泥の差を作り出す強力なパワーを秘めています。発した言葉は、その時点で消えてしまっていると思いがちですが、実は波動としていつまでも残り続けるそうです。潜在意識に刻み込まれたその波動は、必ず実在として現実化されるものなんですね。 それが時には幸運だったり、成果だったり、時には病気だったり、不運だったりします。私たちのまわりを観察してもよく分かると思いますが、積極的な人はいつも積極的な言葉づかいをしているし、消極的な人はいつも消極的な言葉づかいをする。 その結果として言葉の波動は潜在意識にとりこまれ、それぞれの現状を作り上げているんですね。運がいいとか悪いとかというよりも、すべて自分で種を蒔いているということになります。 どこかで悪い芽を摘み取り、悪い種を蒔くことをやめないかぎり、いつまでも悪循環はつづくことになります。たいてい消極的な言葉づかいをする人は、そうした習慣がついているはずですので、無意識のうちに思わず消極的な言葉が漏れてしまうものです。気にかけていてもついつい口に出てしまうものです。 そこで、その時の対処法をご紹介しておきます。 「こうも寒くっちゃ~やってられないよな。布団から出るのもおっくうだし、なんでこんなに寒いんだよ、ばかやろ~」とA君のようにぼやいてしまったら、すかさず、「と、いつもは言ってたけれど、寒いのもいいね、身が引き締まって元気が出てきた」 というふうに必ず最後は肯定的な言葉でしめくくる。 これで言葉は積極的言葉づかいとなり、潜在意識にインプットされます。よい種を蒔いたことになるのですから、必ずやよい芽が出てくるはずです。
2008.03.22
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◎ 利他の心を失いつつある日本自分さえよければ他を、一切顧みない風潮が「神の国ニッポン」を支配している。世の識者たちも、この様を憂えて利他の大切さを熱心に説くか、若者はおろそか大企業の経営者の中にも目の覚めない輩(やから)が少なくない。大昔の聖賢の言葉に「積善の家には必ず余慶有り」(『易経』)とある。幸せをつかもうと思うなら、まず他人さまにいいことをたくさんしてあげなさい、そのような人(家・会社)には必ずいいことがやってくる、と因果応報を説いている。かの『論語』の中にも、孔子の弟子の「先生の教えの最も大切なものは何ですか」との問いに、「其れ恕(じょ)か」と答えている。つまり、相手の立場に身を置いて考えることが最も大切だと説いているのだ。これは近代経営学でも、「プロダクト・アウト」(生産者的発想・ひとりよがり)では勝てない、「マーケット・イン」(お客さま本位)でなければ絶対に勝利を手にすることはできないと強調されている。このような理屈を並べなくとも、お客の入りの多寡(たか)がすべてともいえる職業・歌手の三波春夫は、「お客さまは神様です」と腹の底から叫んだのだ。自分さえよければと利己的に事業をすれば、ライブドアのホリエモン、村上ファンドの村上世影氏のように墓穴を掘ることになる。こうした事件が目の前に展開されても、まったく頂門の一針にすらなっていないわが国の現実は寂しく切ない。◎ 春風を以て接すべし筆者は会社がどん底の時、営業本部長を命ぜられた。社長は代々住友銀行(当時)からみえていた。プロパーのトップとして、私は占領軍に分割されてどん底に落ちた会社を蘇らせなければならない立場にあった。世界の権威ハーバード大学も日本のビール業界を寡占ビジネスモデルの典型と考え、トップのK社が六割を超えるシェアを占める業界では、二位以下は絶対勝てないと教えていた。その挑戦で、ややもすれば自信を失いがちな社員に語りかけた「相手を立てれば蔵が建つ」十か条をご紹介しよう。一、「愛」は人を立てる最高のもの「愛」は相手の立場になって考えることが基本。お客さまを好きになれ。「思いやり」は相手の立場に身を置き換え、思いやることを意味する。見返りを一切求めない母親の子を思う「愛」は最高であり純粋。二、「礼」は人を助け身を助ける人は一人では絶対生きられない。相手を強く意識する心が「仁」だ。仁は「人間は二人」と書く。「仁」そのものは目に見えない観念であるが、それが形になって現れるのが「礼」である。お礼はゆっくりていねいより、簡単でも早くせよ。電話よりFAXがいい。三、約束を守れ約束を守るだけで相手は大事にしてくれていると思う。「いずれそのうち…」という約束こそ、きちんと守れ。守れないような約束は絶対にしない勇気を持て。四、叱られ上手になれ。負けるが勝ちいくらヘマをしても叱られ上手なら引き立ててもらえる。叱られたらより近づけ!叱ってくれるのは、君に関心を持ってくれている証拠だ。五、相手にとって気の重い仕事こそ、気軽に引き受けろ気の重い仕事も、二人で担えば軽くなるものである。六、「お世辞」に心が通うかは「真顔」で決まる口は人を褒めるためにあると思え。真剣に考えた「褒め言葉」ならへたでも通ずる。美点凝視せよ。「褒め言葉」の乱発は逆効果。「褒め」と「へつらい」の区別が分かる人間になれ。褒められて気を重くする者はいない。面と向かった「お世辞」より陰の「お世辞」に偉力あり。七、教えられたことはすぐ実行せよ教え甲斐のある人と思われよ。私の講演や著書の感動をそのまますぐお便りでくださる人が随分いる。筆者は可能な限りすぐ返事を書いて励ます。感度良好は相手を立てる。自分を下げれば相手は上がるのは極めて分かりやすい理ではないか。八、先手必勝自分からかける挨拶は、返す挨拶の数百倍の価値がある。「礼」の国ニッポンで、我々は昨今挨拶の尊さを忘れかけている。挨拶は一文の得にもならないと考える輩が多い現実を考えると、「積極的な挨拶」の価値は大きい。九、人を立てるのがうまい人は、「時間の我慢」「好みの我慢」を知っている相手の心がどう思うか、どう捉えるか。こうした慮(おもんばか)りを表す最もすぐれた日本語が「惻隠の情」であろう。相手の立場に立って物事を考え、そして憐れみ、心を痛め同情する心の姿をいう。いくら面白いと思っていても、自分の話は半分以下にせよ。しゃべりたくとも、アサヒビールを売ってもらうためにひざをつねって抑えろ。つまり「聞き上手」になれ。十、相手の気分をよくさせることが相手を立てる第一歩立てたい相手は女房、子ども、犬でも立てろ。西洋に生まれた聖書は「せられんと欲することを悉(ことごと)く相手に施せ」と積極的に説き、我々東洋の先哲は「己の欲せざる所人に施す勿(なか)れ」といささか消極的だが、双方とも「相手の気分をよくさせることこそ大切」と共通している。そう言えば、佐藤一斎先生もその著『言志後録』で「春風を以て人に接し、秋霜を以て自ら粛む」と説いている。自分には秋霜の如く厳しく、他人さまには春風を以て接して相手を立てることが肝要である。アサヒビール 名誉顧問 中條高徳氏
2008.03.21
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孫文の説いた王道組織をまとめていくには、「力」で治めていく方法と、「徳」で治めていく方法があります。換言すれば、集団の統治には、徳に基づく「王道」と力に基づく「覇道」という二通りの方法があるのです。この「王道」と「覇道」で思い出すのは、中国革命の父孫文が一九二四年に神戸で行った講演の一節です。孫文は、革命を通じ新しい中国をつくろうと考え、友人たちの支援を求め、当時、日増しに帝国主義的な方向へ傾斜していこうとしていた日本を訪れ、次のように問いかけました。「西洋の物質文明は科学の文明であり、武力の文明となってアジアを圧迫している。これは中国で古来いわれている『覇道』の文明であり、東洋にはそれより優れた『王道』の文化がある。王道の文化の本質は道徳、仁義である」「あなたがた日本民族は、欧米の覇道の文化を取り入れていると同時に、アジアの王道文化の本質も持っている。日本がこれからのち、世界の文化の前途に対して、いったい西洋の覇道の番犬となるのか、東洋の王道の干城(=盾と城)となるのか、あなたがた日本国民がよく考え、慎重に選ぶことにかかっている」残念ながら、日本は孫文の忠告に耳を貸さず、一瀉千里に「覇道」を突き進み、富国強兵の道をとり続け、ついには一九四五年の敗戦を迎えるに至るのです。孫文が説いた「王道」とは、「徳」に基づいた国家政策のことであり、「徳」とは、中国では古来、「仁」「義」「礼」という三つの言葉で表されていました。「仁」とは他を慈しむこと、「義」とは道理に適うこと、そして「礼」とは礼節を弁えていることです。また、この「仁」「義」「礼」、三つを備えた人を「徳のある人」と呼んでいました。つまり、「徳で治める」とは、高邁な人間性で集団を統治していくことを意味するのです。企業経営においても、長く繁栄を続ける企業をつくりあげていこうとするなら、「徳」で治めていくしか道はないと私は考えています。欧米の多くの企業では一般に、覇道つまり「力」による企業統治を進めています。例えば、資本の論理をもって人事権や任命権をふりかざしたり、または金銭的なインセンティブ(誘因)をもって、従業員をコントロールしようとしたりするのです。しかし、権力によって人間を管理し、または金銭によって人間の欲望をそそるような経営が、長続きするはずはありません。一時的に成功を収めることができたとしても、いつか人心の離反を招き、必ず破滅に至るはずです。企業経営とは永遠に繁栄を目指すものでなければならず、それには「徳」に基づく経営を進めるしか方法はないのです。実際に、経営者の人格が高まるにつれ、企業は成長発展していきます。私はそれを、「経営はトップの器で決まる」と表現しています。会社を立派にしていこうと思っても、「蟹は自分の甲羅に似せて穴を掘る」というように、経営者の人間性、いわば人としての器の大きさにしか企業はならないものなのです。例えば、小さな企業の経営で成功を収めた経営者が、企業が大きくなるにつれ、経営の舵取りがうまくとれなくなってしまい、会社をつぶしてしまうということがよくあります。それは、組織が大きくなっていくにつれ、その経営者が自分の器を大きくすることができなかったからです。企業を発展させていこうとするなら、まずは経営者が人間としての器、言い換えれば、自分の人間性、哲学、考え方、人格というものを、絶えず向上させていくよう、努力を重ねていくことが求められるのです。しかし近年、日本ではそのようなことを理解する経営者が少なくなっています。少しばかり事業で成功を収めただけで、謙虚さを失い、傲岸不遜に振る舞い、私利私欲の追求に走ることで、せっかく手にした成功を失ってしまう経営者が続いているのです。いまこそ賢人、聖人たちの知恵に学び、「徳」ということの大切さを改めて理解することが大切です。そうすることが、単に一つの集団の発展を導くのみならず、荒みいく日本社会の再生にあたっても、大きな貢献を果たすのではないでしょうか。
2008.03.19
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上焦・中焦・下焦現代生理学の考え方と漢方的な考え方とは大きな違いがあります。漢方では人間の体を、上焦、中焦、下焦と三部分に分けて考えます。その働きは、上焦......入れて出さず中焦......治める 三焦(水穀の道路)下焦......出して入れずすなわち現代の消化器のことを指し、同時に臓腑の部位も合せて考えているのです。上焦口から胃の噴門(入口)までをいい、胸部の肺、心が臓として属しています。肺は心臓を覆い、常に肺呼吸によって外界での、いろいろの変化を間接的に心に伝え、又、肺の所属機関である皮膚も呼吸することによって毛細血管に伝えて、内外から血液の循環の変化を体内に伝え、外界に即応出来る様になっています。肺と心の共同作業各個別にいえば、心は臓であり、その腑は小腸です。肺は天の気を呼吸によって体内にとり込み、皮膚は太陽の熱エネルギーを吸収し肺の働きを助けます。肺は臓であり、大腸はその肺です。肺と皮膚で吸収した天の氣は大地に育った穀物を氣と合して生命活動を営んで行くのである。大腸はその滓を大便として排泄します。上焦は天の氣を、中焦は脾、胃、肝、胆らがあって、胃は飲食物を摂取して消化が行われます。これが合わさり生命活動のエネルギーの源として血に入り、全身を循環して臓腑に栄養を補給します。活動力を与え、余分なエネルギーは汗となり滓は大小便となって排泄されます。汗は心の液であり、梯(はなみず)は肺の液です。人間は母なる大地からこの世に生を受けた時、初めて呼吸をしますが、これを"後天の氣"と呼んでいます。それに対して"先天の氣"とは、精子と卵子が結合し、母体からヘソの緒を通じて栄養を受けて成長していく。この親から受けついだ氣を"先天の氣"と言います。そしてヘソのところには心の腑である小腸が存在します。もし上焦の働きに異常が生ずると、氣、血の運行に障害を起こします。これは心、肺の出張部位である血脈と皮毛とがその働きを弱め、汗腺に異常を生じ悪寒とか発熱などの症状を起こすのであり、風邪などは主に上焦の機能の低下によって起きるとされています。顔に肺の働きの現われるところは鼻です。心は舌です。肺にかるい異常が起きると、鼻水を出し、クシャミをするようになります。鼻づまりも起きます。中焦上焦の働きを正常にするのが中焦です。その範囲は主に胃を中心とした部位。胃の噴門から出口である幽門までを指しています。脾臓と胃、肝臓と胆嚢は中焦に属する臓腑。飲食物は胃で消化され、脾はその精気を受け肺脈に注ぎます。又、心の腑である小腸においても精気は吸収され脾に送られます。漢方で胃家ということは広義に解釈すると消化器全体を指すとも言われています。肝は血液を貯蔵するところであり、人体の血液量を調整する働きをします。その腑は胆のうであり、六腑の胃、小腸は飲食物を消化吸収し、大腸はそのカスである大便を、膀胱は小便を排泄します。 三焦は消化吸収、排泄の作用が順調に行われるようにバランスを調えている。胆のうは濁りのない液、すなわち胆汁を貯蔵しているので、◇中焦は地の気を浄化して精気を受ける根本です。又、肝臓は筋肉と関係が深く、筋肉は血の養いを受けているといわれている。筋肉が異常に堅くなるのは血液がそこに充血して起るのです。肝臓は筋肉と関係が深く、筋肉は血の養いを受けています。筋肉が異常に堅くなるのは血液がそこに充血して起るのであって、肝臓の強弱でその変化が現われて来きます。さらに爪は筋肉の余りといわれ、筋肉の変化が爪に現われてくると考えられています。顔では肝の働きが現われるところは目です。色を分別するエネルギーを必要とするのであるから、肝が病むとその変化が目に現われることがあります。脾、胃は口唇にその働きが現われます。だいたい唇の厚い人は食欲が旺盛です。脾、胃、肝、胆が属す中焦の働きが衰えると、消化機能と血液循環(三つのポンプの中の一つが筋肉運動による)により氣、血の生成が低下します。下焦胃の幽門から肛門尿道までを言います。下腹部、腎、小腸、大腸、膀胱などを含みます。腎は水をつかさどります。水とは人間の体液のことで、体重の60%。大人と子供とでは水分の量とその体内における分布には差があります。又、精を貯蔵するところであり、人間の生命活動と生殖活動に関係があります。"『素問』"に女子は7才で腎気の働きが活発となり、歯も生えかわり髪も長くなり、14才で腎気充実して月経が始まる。21才で体は女性として内外共に充実し、28才にして筋骨はひきしまり、毛髪が豊かになる。35才になると機能がそろそろ衰え始め、白髪があらわれ、49才にして月経が閉止するとあります。男子では8才で腎気充実して来て、16才で精子が充満して子を造る能力が出てくる。24才にして筋骨は強壮となり、体格が頂点に達し、32才で筋骨は最も盛んとなり体格も最盛期となる。40才にして腎気が衰え始めて脱毛が始まり、48才にして顔につやがなく活力が衰え、56才で筋肉が衰え精気欠乏して腎気が退化するとあります。腎臓の強弱によって体力の変化が体の客所に現われます。腎は骨と髄の成長発育と密接な関係にあり、精は髄を生じ髄は骨を養っています。頭部においては耳に通じ、腎に異常が起れば、耳鳴、難聴となることもあります。老人の難聴は腎の衰えです。膀胱は腎の腑であり、飲食物から生成された津液は心の腑です。小腸において血液に吸収され、余分な津液は腎から膀胱に送られて尿として排泄され、血液を通じて汗として体外に排出し、体内の水分を調節しています。肺の腑の大腸は、小腸で精が分別された残を体外に排泄する腑であり、肛門までを含んでいます。したがって下焦は、体内の栄養を吸収した残を量に応じて排泄。その結果健康を保っているのです。これらの考え方は、個別的にはむしろ西洋医学の方が比較にならないほど進歩していますが、絶対的な考え方として、その欠点を補う学問であるといえましょう。身体を使い過ぎると、脾、胃の働きが弱くなり疲労を感ずるようになります。遠足とか運動をし過ぎた時に、よく甘い物を食べると疲れが早く治ると言います。これは甘いものが脾、胃の働きを強め、気血のめぐりをよくするから。手足は脾、胃の支配下にあります。したがって疲れが早くなおるのです。藤本肇先生 五行と食養のおはなし より
2008.03.17
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コールマンランタン200 USA 1951年1月製造 鏡面仕上げのランタンが欲しいと思っていましたが、インフルエンザで発熱中にポチッといってしまった商品が届きました。熱で意識が薄かったのが原因かも(爆) これは200Aの初代モデルです。製造は1951年で57歳です。このモデルは米国にてデビュー後、僅か4ヶ月で姿を消した大変希少なものです。(カナダモデルは長い間製造されています)【タンク】ブラス製(底は鉄。)鏡面の輝きもまだまだ健在です。サンシャインロゴの刻印もはっきりしています。 前のオーナーが一部リペアを施している部分があり、完全なオリジナルではありませんが、実用機としてガンガン使う目的の我家には最適なランタンです。このランタンは我家の子供達に受け継がれていく予定です。(たぶん) 今回はちゃんと圧もかかります。追加メンテは必要ないようで一安心です。
2008.03.16
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心を支える天風語録 その1 1 心の平安と寛容 -- 『叡智のひびき』 箴言一積極性の一本槍を貫く《語録》天風教義の積極心というのは、恒に心の平安を確保する事であるが、同時に如何なる場合にも寛容である事を忘れてはならない。一般的に言えば、「積極」と「消極」は対極にある言葉だ。しかし天風は、「積極」「消極」を対極にあるものととらえることを完全に否定している。私たちは、気持ちの持ち方が弱くなると、強気の姿勢が崩れてしまう。すると、「もっと積極的にならなければいけない」と自分を叱唯したり、気持ちを切り替えて、積極的に行動せよ」と周りから傲を飛ばされたりする。気分や状況の変化で弱気になったり、強気になったりすることは、よくあることだ。むしろ、その振幅の中で日々生きているといってもいい。天風は、そうした私たちの心の弱さを自分の体験で熟知している。それゆえに、「弱気と強気」「消極性と積極性」といった対比の中に迷い込んでしまいがちな私たちの意識の解放を訴えるのだ。物事を比較し、よりよいものを得たと思って一時の安心を得るのが私たちだ。しかし、その安心は、あくまで一時のものである。自分が選んだもの以上のものが現れると、急に不安になったり弱気になったりする。すると、心のバランスが崩れてしまい、いつも不安定な状態に置かれてしまうことになる。そんな不安定な心の状態を解消するにはまず比較するのをやめることだ。どんな状況にあっても、常に積極的な心、動じることのない心に立つことだ。天風は言う。「真の積極心というのは、事あるも事なき時も、常にその心を泰然(たいぜん)不動(ふどう)の状態であるのをいう」泰然不動とは、どんな事態になっても、どんな問題が出現しても、落ち着いて物事に動揺しない心のことである。真の積極心、すなわち泰然不動の心になるには、「積極VS消極」「強気VS弱気」といった比較対照する心にとらわれず、ただ絶対的な積極心だけが人間には備わっていることを信じ切ることである。「何事があろうが(中略)詳しくいえば、病難に襲われようと、運命難に陥ろうと、心がこれを相手とせず、またかかわり合いをつけず、いいかえると勝とうともせず、また負けようとも思わず超然として晏如(あんじょ)(安らかな心の状態)たることをえる」これが天風の唱える積極心であり、絶対的な強さを持つ心である。積極的な心こそが人間に与えられた天賦の力である--そう確信する天風は、積極心を最高の心と位置づける。ただし、と天風は注記する。積極心は、その人自身が真に納得しえた境地から生じるものであって、その境地をもって他人の姿勢を考えたり押し付けたりしてはいけない。自分は絶対的な積極心に立っているからといって、他人を見下したり馬鹿にしたりするようなことがあってはならない、というのである。「自分以外の人に対しては、あくまでも清濁(せいだく)併(あわ)せ呑むという寛容さを失ってはならない」天風はそう警鐘を鳴らす。なぜ、人を包み込むような寛容さが必要なのか。それは寛容さを失うと、本当の積極心を保つことを妨げる拮抗心、すなわち「負けない」「勝とう」という心が生じてきて、せっかく努力して築いた絶対的な積極心の境地を放棄することになるからである。これを天風は、「九仞(きゅうじん)の功を一簣(いっき)に虧(か)く」という中国の『書経』の言葉で説明している。「九仞」(非常に高い)の山を築くのに、最後の「一簣に」(一つのモッコ)の土を欠くと完成しなかったという故事から、長い間の苦労も最後に油断すると失敗してしまう、と警鐘を鳴らしているのだ。「気にいらぬ風もあろうに柳かな」天風はそんな句も引いている。それは、どんな風であっても少しも気にせず悠然と風になびいている柳のような心境になれ、ということである。自分を律して積極心を堅持しつづけながら、他人に対しては寛容に穏やかな気持ちで接すること--これが人生哲学を現実化する要諦だと天風は示している。2「まごころ」の行為とは-- 『叡智のひびき』 箴言二 『真理のひびき』 箴言七代価を期待しない行為のすすめ《語録》何事を為すにも報償を超越して、それを自己の責務なりと思うて行う時、其の行為は尊い。難しい言い回しだが、内容を要約すれば「報償などは一切期待することなく、自分の責任ある生き方のもとに行動することは、尊い行いである」ということになる。報償とは、ある行為に対する報いとしての代価である。一般的には、報奨金とか褒賞を与えるといった語が使われる。天風が「報奨」や「褒賞」といった文字を使わずに「報償」としたのは、行為の代価を求めるのではなく、無償の行為こそが徳のあるものだ、と強調するためのようである。天風は、報償を目当てにする行為よりも、それを超えてなされる行為こそが、人間の真の行為であると主張する。行為における「まごころ(真心))のこもり方を天風は重要視するのだ。天風は一例をあげ、こう説いている。危機的な状態にある他人を救う場合、報償を目当てに救ったのと、そんなことは念頭になくただ救ったのとでは、人の命を救ったという行為は同じでも、その行為の尊さには格段の差がある。後者の無私の行為は、「そうすることが人間として当たり前のことだ」という「まごころ」から出ている。「助ければ表彰されるだろう」とか「お金をもらえるだろう」といった打算がないがゆえに、その行為は尊い。「まごころ」から出る行為は、人問に与えられた絶対的な真理の発現である。そこには、代価を求める期待などまったくない。だから当然、失望するということもない。失望は、期待するがゆえに裏切られたときに生まれる感情で、それを天風は「相対的心理現象」と見なしている。この心理に左右されないものが、「まごころ」から生まれる行為なのだ。日常生活の中で何気なく行う行為であっても、それが報償として何ら代価を求めることのない行為であれば、それは純粋な心の発現だ。それゆえ、そうした行為に接すると、形容することのできない温かさを私たちは感じる。「まごころ」に立脚した行為に徹すること--それが人間の責務である。その行為を実行することが人間の本当の生き方であり、自身の心を安心させ身を立てる真理となるのである。
2008.03.15
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今日はインフルエンザで会社を休んでしまいました。ここにきて私の住む町内にインフルエンザが蔓延しています。先週は長男が、今週の初めからは次男が発熱していました。一家4人中3人の発病とは凄い確立です。 とうとう私もインフルエンザにかかってしまいました。最近、チョットハードだったかな? 発熱久しぶりの39度を体感しています。今朝からトイレに行くにもフラフラです。とてもではありませんが立ってようをたせません(爆) 発熱による幻覚を期待していたのですが、今の所、見れていません(爆) せっかくなので色々とお薬を飲んで人体実験したいと思います。さて次は何を飲むうかな・・・
2008.03.14
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心を支える天風語録 その2 3 本当の「思いやり」とは-- 『叡智のひびき』 箴言四自己中心主義からの脱却《語録》「思いやり」という事を現実にするには、先ず何を措いても相手方の気持になって考えて見る事である。「思いやりということが、いかに尊い、聖なる情念であるかということは、何人といえども知っている。しかし、しからばそれを真実実行している人はというと、特に現代、遺憾ながら、まことに少ないのが事実である」天風はこう指摘している。思いやりとは、相手の気持ちになるということだ。「自分が相手の立場だったら、どうだろう」という気持ちをめぐらせることである。ところが、私たちは自分の利害関係だけを重視して、他人を思いやることは損することだと思う傾向にある。人は人、自分は自分というわけだ。これは自己中心主義である。それは、利害が対立する場合には他人排斥主義になりかねないものだ。そんな姿勢を天風は、孔子の教えである「君子の道は忠恕(ちゅうじょ)のみ」(君子は正しい思いやりで生きる)をもって批判し、さらに、「他人の立場に自分を置いてみれば、幸せな人生が送れる」というイギリスのことわざをもって自己中心主義を否定している。しかしそうした倫理観だけで、天風は思いやりの尊さを説いているのではない。思いやりこそが、人間をはじめ、万物万象(宇宙そのもの)の真理であり、相互の協調によって、すべてのものは存在しているという真実を、天風は踏まえている。この真実を知らないがゆえに、つまり真の世界観・人生観を知ろうとしないがゆえに、思いやりを持とうとしない人が多くいる、と天風は看破するのだ。では、思いやり(すなわち協調を基底とする宇宙の真理)とは何だろうか。そもそも人間を含めた万物や万象は、すべて「空」と名づけられる、唯一の実在という絶対のものから造られている。この「空」は何もないという「無」ではなく、すべてを生み出す根源というべきものだ。『般若心経』でいう「色即是空・空即是色」の「空」と考えてもいいだろう。永遠不滅の絶対的な実在物である「空」から、一切の万物万象が造られているという真実を認識すると、独自に存在しているものは皆無であるということに気づく。お互いが協調しあって存在しているのだ。すべての存在は互いに助けあって調和を図りながら存在している--この真実に気づけば、自己中心主義といった考え方は、根本から否定されるはずだ。存在するものの調和が何かの原因で崩れると、それを回復させようとする力が働く。不完全を完全に戻そうとする作用が働くのだ。これの繰り返しによって物事は継続し、ひたすら完全に向かって向上し進化している。それが宇宙の真相だとする天風は、自分の存在だけを重視し、他との協調・調和を考えずに生きることは宇宙の真理に背くことだ、と断じている。天風のような宇宙観・世界観から導き出される人生観は「自他共存主義」である。天風流にいえば「自他統一主義」ということになる。思いやりが、宇宙観・人生観の根幹となるという天風の説は、現代でも傾聴に値するのではないだろうか。4 愛情を持って生きよ-- 『叡智のひびき』 箴言六「いのち」への普遍的な愛惰を持て《語録》正しい愛情とは、お互いが活きて、此世に存在して居るという厳粛なる事実を衷心から尊敬し合うことから湧いて来る。これも難しい言い回しだが、要約すると、「正しい愛情とは、お互いがこの世に存在しているということを、お互いに心の奥底から感じ取り、お互いを尊敬しあうことから生まれてくるものだ」ということになる。禅の言葉に「把手共行」(『無門関』第一則)というものがある。お互いに手を取りあってともに生きるという意味だ。これは、禅が説く「無」の公案を心身ともに受け止めて、「無」の境地に達した歴代の祖師たちと、ともに歩もうというものだ。「把手共行」は禅門の中のことだが、天風の「愛情」は、もっと広く深いものである。「お互い人間が、こうしてこの世に活きて存在している」そういう厳然たる事実に立って、この事実を認識し、その存在と生命を心の底から尊敬しあう。それが真の愛情であり、人間の生きる根本的な姿勢でなければならない、というのが天風が「愛情」という言葉で言わんとすることだ。いわば、生きている「いのち」に対する尊敬という心理が、「本当に愛するという気持ち」「正しい愛情」の根源となるのだ。そこには、人間の営み(呼吸し、飲食し、排泄し、ものを言い、心を感じあい、感情を理解するなどのすべての営み)を尊い生命の発現として、それに対して心から敬うという姿勢がある。そういう根本姿勢があれば、正しい愛情が心から湧き起こってくるはずだ。それ以外には正しい愛情をつかむことはできない、と天風は言っている。この愛の心は、宇宙の根本的な主体の心(宇宙霊の心)であり、神仏の心であるが、それがわかっていたとしても、生きている「いのち」に対する尊敬を徹底させなければ、正しい愛情を表すことができない。天風の言う「愛情」とは、自分の「いのち」と同時に、人の「いのち」に対しても限りなく尊敬の念を持て、ということに尽きるのだ。私たちはともすれば、「いのち」の尊さを頭だけで理解し、「戦火や飢餓に苦しむ人びとの『いのち』を大切に」とか「犯罪に巻き込まれた被害者の『いのち』の尊さを」などと訴えることがある。もちろん、それはそれで大切なことではあるが、天風はそれらを包括したところにある「いのち」の尊さを、説いてやまないのだ。5 不平や不満を超える自己統制法-- 『叡智のひびき』 箴言ハ精神生活を積極化する自己統制《語録》不平や不満を口にする事が愧(はず)かしい事だと気がつく様になったら、少なくともとも自己統制が出来て来た証拠である。「不平は天からうける最大の貢物である」(『随感録」)そう言ったのは、『ガリバー旅行記』を書いたイギリス人作家のスウィフトである。当時の祉会に不満を持っていたスウィフトは、その思いを奇想天外な作品にぶつけたのだ。世の中には、不平や不満があるからこそ進歩があり、満足はその停止であるといった考え方がある。しかし天風は、この考え方に真っ向から反対している。「人間が不平不満を感じ、かつこれを口にするからこそ、人間世界に、進歩とか向上とかいうものが、現実化されるのだというような極端な誤解を、誤解と思っていない人すらある」天風にとって不平や不満は、いたずらに苦悩や煩悶を心に感じさせるだけで、価値ある人生には寄与しないものだ、と断じる。さらに天風は、不平や不満を持っていると、自分で自分が統御できない事態に陥ってしまう、と警鐘を鳴らす。天風にとって「自己統御」は、大きな意味合いを持つものだ。自分の心はもちろん、感情や意識を自分自身で統制することこそが、人間たるものの本然であり使命である。この自己統制があってこそ、身体も健全に機能できる。それは、「できる」「できない」といった事柄ではなく、人間のあり方を心底から考えれば、必然的に行われるべきものだ。そのため、心身の自己統御の妨げにしかならないマイナスの意識は、唾棄すべきものとなるのだ。私たちは、何かというと自分の不幸や他人から評価されないことなどに対して、不平を言ったり愚痴を吐いたりする。そうすることで鬱憤が晴れ、心が軽くなったように感じることもある。しかし、不平は不平を呼び、不満は不満を呼ぶ。不平不満ばかりこぼしていると、際限ないマイナスの意識の沼に落ちることになるのだ。それは天風によると、自己統制ができていないせいだ。そんな人は、船を操縦することを知らぬ人間が、わずかな風波にも色を失って、慌ておののくと同様に、人生を本当に安心して活きていないのである。自己統制ができないのは、平素の心の持ち方、すなわち精神生活に対する態度が積極的でないからだ、と天風は断言する。さらに天風は、不平不満の心から自身を解き放つためには、人のために生きることだ、と説いている。天風は言う。「人が人の世のためを本位として活きる時、その心の中に卑しい不平不満の火は燃えない」(『真理のひびき』箴言四)
2008.03.14
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心を支える天風語録 その36 自己批判による心の確立-- 『叡智のひびき』 箴言九人を批判する前に自分を見つめよ《語録》真理を践行するものは、猥(みだ)りに他人の批評を為す勿(なか)れである。否(いな)、その閑(ひま)があるならば、自分自身を厳正に批判するがよい。「豊かな人生を送るには、心を磨け」よく言われる言葉である。少し違うが天風も、このような言葉を残している。「真人(しんにん)たらん者は、常住(じょうじゅう)心(しん)鏡(きょう)の払拭を心に心して怠るべからず。要するに心は、全体生命の現実更生の根本義なるがためである」(『真理のひびき』箴言三)かなり難しい言い回しだがエッセンスはこうだ。本当の人間として生きるには、本来は澄み切って無垢な心に付着している垢などの不純物を常に取り払い、心を鏡のように曇りないものにしなければならない。この考え方は、天風も指摘するように禅の言葉だ。それは中国の神(じん)秀(しゅう)(七〇六年没)の悟りの心境を表した偈(げ)にある。身はこれ菩提樹心は明鏡台の如し時々に勤めて払拭せよ塵埃を惹かしむること莫れ (『六祖壇経』)内容を噛み砕くとこうなる。この身は悟りを宿す菩提樹の樹のようなもの、心は本来清浄で一点の曇りもない明鏡のようなものだ。いつも心身の煩悩のほこりを払い、汚れないようにしておかなければならない。ともすれば私たちは、自分のことは棚上げして、人の挙動や感情の表現に敏感に反応したり批判したりしがちだ。それは、心が外に向いているからにほかならない。しかし、いくら外に気をまわしていても、自分自身の心が確立していなければ、それはたんなる他人依存の志向でしかない。そのため、自分を向上させることも深めることもできない。天風は、このことを忘れている人がなんと多いことかと嘆いている。「真に自己省察なるものが、人生向上へのもっとも高貴なことであると自覚している者は(中略)他人のことに干渉する批判という無用を行わず、常に自己を自己自身厳格に批判して、ひたむきに自己の是正に努力すること」自分自身の心を確立するためには、まずは清明な心に降りかかってくる雑念や妄想を常に取り払う必要がある。7 清濁を併せ呑むということ-- 『叡智のひびき』 箴言十六すべては「調和」から成り立つことを知れ《語録》清濁を併せ呑むという事の出来得ない人は、広い世界を狭く活き、調和ある人生を知らず識らず不調和に陥れる人である。「調和」がいかに大切かについて、天風は次のように言っている。「調和という事は、真善美の美に該当するもので、これは探求すべきでなく、自から進んで作為すべきものである」(『真理のひびき』箴言一七)天風の言う「調和」とは、宇宙の真実の姿であり、生命の本来の姿であり、万物の自然の姿である。調和には創造もあるが破壊もある。地震などの天変地異の災害や病気などの破壊性は、一切の事物をできるだけ完全なものにするための自然性の作用である。破壊は完全な調和の状態にするための作用なのだ。それゆえ、調和のないところには完全もない。天風は言う。「政治であれ、事業であれ、さらには人事世事一切合切、調和がすべての完成へ重要な役割を果たすので、どんな思想でも主義でも、また計画でも設計でも、調和を無視し没却された考慮では、とうていその完成は現実化されないのが当然の真理である」(前掲書)つまり、調和を受け入れなければ物事の完成はない、ということだ。政治家が失脚したり、事業家が失敗したりするのは、その思索や言動に調和への考えが欠如しているからだ、と天風は考える。調和は、真善美の中で「美」であると天風は説く。それは、完全な調和の状態こそが美というものの本当の姿であると考えるからだ。「調和のないところに完全がないのと同様に、調和にないところには、ほんとうの美はない」(前掲書)美は、さまざまなものを包摂し、調和することで成り立つ。それは、絵画や音楽などの芸術に顕著に表れている。では、どのようにすれば「調和ある生き方」ができるのだろうか。それは一言でいえば、「清濁を併せて呑む」ことである。「清濁」の「清」だけをとって「濁」を排除してしまうと、人生を狭いものにしてしまう。それは、調和を図り完全なものを目指すという真理の姿を否定することになる。天風は言う。「調和ということは、幸福というものと同様で、常に心に心して自ら進んで創り出すべきものである」(前掲書)聖徳太子は「和をもって貴しとなす」と説いた。天風も「争うことを先にしないで、和することに後れるな」という西洋の言葉を引いて、調和の大切さを強調している。 8 独善的な考えから離れよ-- 『叡智のひびき』 箴言十九反省から進歩と向上がなされる《語録》内省検討という事は、須らく我執を離れて行うべし。そうしないと往々独善に陥る。内省とは、自分の心のあり方を自分自身で反省することだ。天風は反省について、こう述べている。「反省という事は、自己自身を正しく進歩向上せしむる人生の最良なる要諦である」(『真理のひびき』歳言三〇)人間は皆、自分の進歩と向上を求めている。しかしそれがなかなか実現できないのは、心から反省するということがないからだ。何かをする場合でも、自分の思うような実績や成果が出ないと、「なぜそうなのか」と反省することなく、「自分は駄目だ」「これは自分には適していない」と自分で勝手に判断し、諦めてしまう。そこには、ひとえに自己を見つめて「なぜできなかったのか」と反省しようとする姿勢はない。そうした自分勝手な判断は、とくに「我執」で行われることが多い、と天風は指摘する。「我執」とは自分に対する執着のことである。人間誰しも、自分自身は可愛いものだが、その感情が「我執」と呼ぶべきものだ。そんな「我執」にとらわれていると、反省したところで、それは公平な判断ではなくなる。自分の都合のいいように反省してそれで済ませてしまう。それでは真の進歩も向上へのステップもない。そんな反省をしていると、当然のように自分勝手な独善に陥ってしまう。「これは反省して得た判断だ」と、自分では正しいと思ってしまう。さらにそれを基準にまた反省するため、どんどん独善という悪循環にはまってしまう。こうした独善の悪循環から抜け出すためには、やはり「我執」による反省を改めるしかない。それには、どうすればいいか。「ただ真正面から、自分の現在精神が、いま直面している事実に対して、はたして積極か否かを、厳正に検討すれば、それが合理的である」あくまで感情的な我執から離れて、「積極」を大切にすること--それが「我執」にとらわれない方法だと天風は説いている。反省においては、自分への言い訳や他者への責任転嫁などは許されない。ただ前向きに進歩・向上しようとする積極性が求められる。そこには、独善を排する働きが当然作用してくることになる。
2008.03.13
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心を支える天風語録 その49 本心・良心に立って生きる-- 『叡智のひびき』 箴言二十九頭で考えるな、心身で生きよ《語録》本心良心に従うという事は、時とすると理性の判別と混同し易い故に注意せねばならない。天風は「本心良心」というものに対して、理性や感情よりも絶対的な価値を見出している。同じ『叡智のひびき』の箴言二二では、次のように説いている。「理性や感情は理智に相対し、理智は教養と経験に相対する。然(しか)し本心良心は徹頭徹尾絶対である」つまり理性や感情は理智によって支えられ、理智は教養と経験によってつくられるという関係にそれぞれあるから、それ自体は相対的なもので絶対的なものではない、ということだ。理性の判断は、ありふれた常識の判断、また感情的な判断に比べれば、はるかに論理的で価値あるものを含んではいる。しかし、仮にその判断が論理的で的確なものであったとしても、理性の判断である限り、それは相対的なものであって、絶対的な判断とは言えない。ところが私たちの多くは、理性的な判断こそが論理性を持っていて、正しい判断のように思っている。一例をあげよう、「戦争が正しいかどうか」といった問いに対して自分なりの判断をする場合、「正当性があるならよい」と考える人もいるだろう。彼らの中には、「相手方の不義や暴虐性に対するものであれば正当性がある」と理性で考え、それを論理化して戦争の合法性を唱える人もいるであろう。ところが少し考えれば、まったく反対の考え方にも正当性が成り立つことがわかるはずだ。それを理性的かつ論理的に判断して、戦争は間違いだという結論を下すこともできる。このように、理性による判断は、あくまで相対的なものなのだ。もちろん戦争は一例であって、天風はこうした事例を説いているわけではないが、理性の判断は理屈さえ間違っていなければ、何を行ってもよい、という独善に陥ってしまいかねないことが、この例からもわかるはずだ。しかし、私たちが疑っても疑うことのできない心の奥底にあるもの、真実の心から発せられる声(「戦争は人が殺しあうことであるから、それは人間の本心からも、良心からも許されるものではない」など)は、絶対的であるがゆえに、それには無条件で従わなければならない、と天風は考える。もちろん理性は大切だ。ただ、それを絶対化することなく、本心良心に忠実になることが、より真の生き方というべきものなのである。 10 日常生活では「善」を行え-- 『真理のひびき』 箴言二十三絶対的な「愛」で生きる《語録》日常生活を行う際、能(あた)う限り、善なることを行おうと心かけることは、人生の最も尊いことである。天風は宇宙の真理であり、人間が行うべき普遍的な真理である「真善美」について、こう解している(『叡智のひびき』箴言二十五)。真--ありのままの「誠」善--絶対的な「愛」美--完全な「調和」真理としての「真善美」は、絶対的で不変である。それは、どれほど時代が変わり社会が変化しても不変的なもので、厳然として実行すべきものである。「真善美」について天風は、日常の生活で私たちがとるべき態度は「善」を行うことであると説いている。その「善」とは、絶対的な「愛」を持って生きるということだ。「善」というと、私たちはすぐに「悪」と対比して考えがちだ。これは善悪の道徳律で、人為による規範である。それは時代の推移によって変化しうるものだ。人為的な道徳律では、極端にいえば、咋日の悪が今日には善になったり、逆に今日の善が明日には悪になったり、といったことさえありうる。また、哲学では「いかなる言動でも肯定される価値を有する」ことが「善」であるとされる。しかしそれには「厳格に客観的な法則に合致すること」といった条件がつけられていて、極めて難解であり、かつ価値と法則が何であるかを考えなければならない。そうした道徳律や哲学で説かれている善ではなく、もっと深くにある不変なものとしての「善」を行え、と天風は説いている。それは天為となる「不変不易」なものだ。それを天風は、こう教え示している。「日常の人生生活を、自他のいずれに対しても独りぎめのわがままな自己本位の気持ちではなく、お互い人間同士の間柄を極めて円満に融和するような、普遍的妥当性のある言葉と行為のみで行おうと心がけて、かつそれを確実に実行することなのである。そうすれば、それが期せずして、一切すべてがそのまま善なるものに共通するからである」要約すれば、これは「善は愛の実践」ということになる。この愛は、もちろん人為的なものではなく、不変不易なものであることは言うまでもない。「誠」の本当の解釈と教えちなみに「真」すなわち「誠」について、天風は次のような詩句を読んで解釈している。天風の大切な教えだから、そのまま転載しておく(『叡智のひびき』箴言二五)。次ぺージ以降を参考にしてほしい。このエッセンスを要約するとこうだ。「誠」とは、その精神に向かって語り、かつ行うことである。語っても行わなければ、それは「誠」とは言えない。「誠」は言行一致させることによって、さらに向上し深まってくる。「誠」の精神の極致を「至誠」という。この「至誠」にいたると、人は神の心を感応して、すべてが順調にいく。「誠」は日本の根本的な精神となる「大和魂」であり、中国の文天祥が説いた「正気」、孟子が教え示した「浩然」といった天地にみなぎる精気と、まったく同じものである。「至誠」の二文字を自分のものとして受け止め、その精神を失わないことだ。「至誠」のもとで身を修して、家をつくる支えとすることである。「至誠」の徳を積めば、その光明は世界を覆って、明るく照らすことは間違いがない。 11 真の平和は「和合」なり-- 『叡智のひびき』 箴言二十八宇宙の原理は和合から成り立つ《語録》真の平和とは、理屈を超越して、その心の中に「和合」の気持を有(も)つ事である。およそ感情で争う人位醜いものはない。天風によると、「アトミック・カルパスクル」という、万物創造のエネルギーの素で「ブランク常数H」と名づけられるものがある。これは、人間の五感官能では認識することのできないもので、極微粒子である。この「プランク常数H」は、エネルギーそのもので、このエネルギーの結合・融合の結果によって、万物万象がそれぞれの存在として現れる。つまり、この極微粒子の作用を通した結合・融和によって万物万象は形づくられているのだ。その極微粒子の作用を天風は「縁」と表現する。物事が変遷し推移するのは、それを完全化しようとする「アトミック・カルパスクル」の「調和の復元」という作用の現れである。この宇宙の真理をとらえると、すべてが「和合」という「縁」で成り立っていることがわかる。この原理に立つ天風は、「和合」「調和」こそが、人間が拠って立つところであり、それゆえに平和の原点となるものである、と説いている。また、こうした原理がわからず、そこに立脚することがないために、本当の平和を考えることができない、とも指摘している。人は皆、平和を望んでいるはずだ。にもかかわらず、それが実現しないのはなぜか。天風によると、それは「和合」する根本原理を知らないからだ。宇宙の原理となる「和合」を心底からとらえていないから、平和を唱えても、お互いの利害関係や条件本位の解決方法で平和を実現しようとしているのだ。それが平和の実現を拒んでいる原因である、というのが天風の考え方だ。天風は「和合」を「和の気持ち」とも表現するが、それは「思いやりの心」に通じるもので、その崇高な心に立つことが平和の実現の第一歩とする。「和合」が宇宙の原理であることをしっかり腹の底にとらえれば、利害や条件などを問題にすること自体が大きな誤りであることに気づくはずだ。天風は、平和ということを考える場合でも、必ず宇宙の原理や原則から、その根本を引き出して説明する。その姿は、高い普遍的な次元に立ちながら、私たちの日常の生き方に光を与えてくれている貴重な教えではないだろうか。12 三勿三行を励行せよ-- 『叡智のひびき』 箴言三十一生活で心がける行いとは何か《語録》人生は現在只今を尊く活きる事である。それは理屈なしに三勿(さんこつ)三行(さんぎょう)を専念厳守するべきである。 「人間が万物の霊長たる尊厳を確保して生きるのには、(中略)恒に『随処に主となるべし』といった、この心がけを如実に実行することが、何をおいてもそのもっとも必要とする先決問題である」ここに出てくる「随処に主となる」とは、中国唐代の禅僧である臨済義玄が説いた「随処に主となれば、立つ処皆真なり」(『臨済録』)という一句である。「いつでも、どこでも、いかなる状況にあっても、自分を信じて主体性を持って行動すれば、あなたがいるところは、すべて真実に包まれている」という意味である。天風は言う。「人間が随処に主となるには、第一に肝要な心得は、『物』にも『人』にもわずらわされないことである」わずらわされるとは、その対象物に心が従うことである。それは、対象物によって「主」の座を奪われてしまうことを意味する。それでは「随処に主」となって、「立つ処すべてが真実となる」ということにはならない。ところが私たちは、いつも何かにわずらわされている。その根本的な原因は何かというと、天風は、「感情統御の未完成」の一言で説明している。そして、感情を統御して、「随処に主」となり、真実を体現するための秘法として、「三勿三行」の教えを説いている。〔三勿〕 1怒らず 2恐れず 3悲しまず 〔三行〕1正直2親切3愉快この「三勿三行」を日々の生活の中で実行していくこと--それが天風哲学の実践であり、自己と他者の幸福、さらには本当に健康な生活を送る基本的な姿勢となるものでもある。中村天風は、私たちの人生を豊かに、かつ心身ともに健康に生きる実践哲学を説き尽くしている、と言えるだろう。
2008.03.12
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春の体の傾向 春は、頭がボーとする、眠い、眠れない、ポーっと火照る、顔がむくむ、イライラして気持ちが落ち着かない、ニキビ吹き出物などの皮膚疾患、頭痛肩こりと、体の上部に症状があらわれやすいようです。それは、気候の陽気が増しているにも関わらず、体を動かさないと、陽気が体内をうまくめぐらず、体の上部に停滞してしまうためです。春に、朝寝坊で体を動かさずじっとしていると、夏になっても上手に汗をかくことができずに、寒暖の差に弱くなったり、新陳代謝が低く、冷え性になったりします。朝は日の出とともに起き、活動をはじめ、昼に向かって活動量を増やし、日の入りとともに静かな時間を過ごすことがたいせつです。 厚生労働省からのイソフラボンの取りすぎへの注意が掲載されていました。 詳細は下記のようなものです。 天然由来の食品成分はいくら食べても大丈夫、という考え方は正しくありません。例えば、セレンは魚介類や海草類、穀類に比較的多く含まれる微量栄養素であり、人の健康の維持に必須なもので、不足すると心筋障害、発育不全や老化、消化器の病気など欠乏症が起きます。しかし、セレンをサプリメントなどにより過剰摂取すると爪の変形や脱毛、胃腸障害、下痢、神経障害など過剰症が起きることが知られています。このように、天然の食品成分であっても、摂り過ぎると健康を害する可能性があります。 大豆イソフラボンは、主にエストロゲン受容体を介してヒトの健康に有益な効果があると想定されていますが、同じエストロゲン受容体を介する作用が有害性側に働く可能性も指摘されています。なお、大豆イソフラボンは、人の健康の維持に必須の栄養素とされていません。 単一の成分を摂取するということは不自然なことです。若いときならともかく、中年以降の方がやるべきではありません。 この季節になりますと毎年、花粉症の話題が取り上げられます。実はこの季節は発散しないといけない季節です。ですから当たり前の反応です。この体の働きを、漢方で助けてやれば良いのです。 この季節は特に肝腎をつよくする食べ物をとる必要があります。「春の七草」などの少し苦味のある食物です。肝臓は解毒作用、腎臓は利尿作用を管理していますが、たとえば現代のように甘いものを取りすぎると、小便が不利につながります。そうしますと、下痢をするか、頭や皮膚から水分を出さなくてはならず神経症になり、腺病質やアレルギー症に発展していきます。
2008.03.11
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ショット博多パピヨンプラザ店スペシャルバーゲン昨日の朝に3月8日土曜にパピヨンプラザのオートバックスとセガワールド間に、カジュアルアウトレット衣料品店ショット博多パピヨンプラザ店のオープンのちらしが入っていました。そこにはスペシャルバーゲンは3月8日土曜日と3月9日日曜日の2日間開催とありました。昨日は櫛田神社に行く事になっていたので、パピヨンプラザ経由でスペシャルバーゲンを見てきました。昼過ぎから行ったので目玉商品はすべて売れていて、良いものは残っていないのではと思っていましたが、思った以上にお買い得商品がありました。 買った物は・上から私のズボンVAN590円 夏のキャンプ用ズボン100円 半そでのティシャツ100円・下の左から長袖のしっかりしたシャツ380円。奥さんはジーパンを3つSWEET CAMEL9345円が 590円で brappers10500円がなんと 100円で SWEET CAMEL12600円が980円でのお買い物でした。 待ち時間がありそうなのでお願いしませんでしたが、裾あげもバーゲン品でも無料ということでした。尚、オープニングバーゲンは本日まで開催されています。
2008.03.09
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激辛の唐辛子「逃走」最近の唐辛子は辛いものが少なくなったように思っていました。久しぶりにとても辛い唐辛子に出会いました。その名前は「逃走」。北九州市小倉南区の清流という会社が作っています。私的には普通の唐辛子の100倍位の辛さがあります。辛物好きな方にはお勧めです。からい味は漢方的には下記のような働きがあります。【辛味 からい味】辛味は皮膚も丈夫にし、体内にある熱を発散する働きを持っています。したがって、体が冷えて機能が抵下し、水分の停滞を生じた場合に、辛味で温めて発散すればいいのです。人間は生きている限り、エネルギーの発散を続けています。しかし、もろもろの生活環境、すなわち冷えとか感情によって体内にエネルギーの滞りが起きると、体の調子に狂いが生じ、激しくなると病気を起こします。辛味はその滞りを治す働きがあります。うす風邪を引いて軽い悪寒のある時、温かいうどんに七味唐辛子を振りかけて食べると良いのです。辛味は肺の働きを強めます。肺は外界の影響、気温、湿度、乾燥度などの変化を呼吸より知り、体内の五臓に伝えます。皮膚はこれの同属で皮膚呼吸をして肺を助けます。花粉症は肺経の弱りが原因ですから、鼻炎の酷い方にもうまく活用されることをお勧めします。
2008.03.08
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エッグホルダー6個用 キャンプに行くときに困っていたのが卵の持って生き方でした。ようやくエッグホルダーを手に入れました。最近、お気に入りの・ヒマラヤで199円で購入・ん~安い(爆)。 12個用も値段はあまり変りませんでしたが、12個も卵を使う料理はする事はないので、6個用を選択しました。 色も黄色で可愛くてとても気に入っています。
2008.03.07
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思いがけないプレゼント 2月は会社の周年行事でハワイに行きました。今回はオプションに申し込まずに、二日間ハワイの町を歩いて散策しまくりました。 初日は3人で、2日目は4人での行動でした。一人は英語が堪能なので、私一人では絶対にいけないお店にも連れて行ってもらいました。思う存分、外国を味わうことが出来て、本当に楽しい時間を過ごすことが出来ました。 一緒に歩き回ったまわった本社のメンバーから、メッセージつきでプレゼントが届きました。こういうのやられます。嬉しいなって思います。 喜んで使わせていただきます。有難うね。
2008.03.05
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先週の出張でお得意先に戴いたGODIVAです。ビスケットにチョコが乗っているタイプが最も好きな私には、答えられない逸品でした。いつもの国産品とは趣が違いました。ご馳走様でした。
2008.03.04
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若杉山ファミリーディキャンプ 当初参加予定にしていた1日~2日に、行なわれていた太宰府店・熊本店合同のストキャンは、残念ながら子供達の学校行事があって参加出来ませんでした。 そこで日曜日は前回のキャンプで湿ったままになっているテントを乾かそうと、若杉山にディキャンプに行ってきました。上のサイトは貸切でした。 久しぶりに家族でバーベキューを、先週購入した鉄鋳物こんろを使い楽しんできました。このこんろユックリ肉が焼けて、家族向けで使うには重宝しそうです。 撤収後には展望台まで行ってきました。道は少し狭くて運転は少し緊張しましたが、福岡市内が見渡せて最高の眺めでした。画像は少ないのですが、レポはこちらからどうぞ。
2008.03.03
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主訴(うつ病) 五年前うつ病で精神科に六ヶ月間入院。以後通院で抗うつ劑・精神安定剤を服用。現在不安感があり、時々発作のような事がある。食欲がなく、一日中寝ていたい状態。身長167cm体重65 キロ年齢37性別女性顏色普通皮膚の色普通大小便の状態良い どこが冷えるか体全体血圧最高 最低 処方抗うつ劑は少しずつ減らしていかないと駄目です。それには、肝臓製劑と柴胡桂枝乾姜湯を併用して一年がかりで努力して下さい。それと考え方をなるべく楽しみを見つけていくことを試みてください。主訴(高血圧)血圧で十年・緑内障で四年間病院の藥を服用している。過去に傍に誰かいないと不安で自律神経失調症になったことがある。朝起きたときの血圧が高い。午後になると下がる。身長156cm体重50キロ年齢66性別女性顏色普通皮膚の色普通大小便の状態日に1~2日に8どこが冷えるかなし血圧最高161最低99処方午後から安定すると言うことは腎の陽気が不安定です。腎性高血圧は腎臓製劑。できれば肝臓製劑も。食欲があり体力もある場合は大柴胡湯でもよいと思います。主訴(高血圧)朝起きづらい、ひざの痛みがある。身長153cm体重52キロ年齢61性別女性顏色普通皮膚の色普通大小便の状態便秘 どこが冷えるか手足血圧最高 最低 処方越婢加朮湯+肝臓製劑主訴(夜の高熱)パーキンソン氏病の末期的症状。夜になると熱が39℃・血圧も180まで上がる。医師は何も藥はないと言っている。身長147cm体重137キロ年齢50性別女性顏色白皮膚の色艶がない大小便の状態便秘小便不利どこが冷えるか全身血圧最高120 夜は180最低90処方裏に寒があり発刊しないから発熱し血圧もあがるのです。通脈四逆湯を服用し、症状が緩和出来たら茯苓四逆湯にしてください。肝臓製劑も必ず併用してください。症状の緩和後のもう一つの方法は茯苓桂枝甘草大棗湯を四時間おきに服用してください。主訴(膠原病)エリトマトーゼスで十年来病院からステロイドをもらっている。関節や手足の痺れとともに、顔面から咽にかけて皮膚がうっ血を起こして、皮がむける。身長158cm体重60 キロ年齢42性別女性顏色黒ずむ赤ら顔皮膚の色黒っぽい大小便の状態普通 どこが冷えるか 血圧最高 最低 1 肝臓製劑+半夏瀉心湯2 肝臓製劑+茯苓桂枝甘草大棗湯
2008.03.02
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主訴(生理痛) 28歳くらいから肩こりが酷く、生理の一日前から非常に苦しく下腹部が痛む。寒気・吐き気がし胃に下腹からこみ上げる感じがする。吐く時もある。身長162cm体重72キロ年齢32性別女性顏色青白い皮膚の色普通大小便の状態 どこが冷えるか冷え性血圧最高 最低 処方温経湯を食前。苓桂朮甘湯を食後に。腎臓製劑と併用してください。特にお血がありますから肝臓製劑も続けてください。主訴(生理が止まらない)生理が二十日以上止まらない。病院の止血剤を飲んでもだめ。ホルモン注射でも駄目だった。身長147cm体重 51キロ年齢37性別女性顏色普通皮膚の色普通大小便の状態便秘 どこが冷えるかなし血圧最高 最低 処方キュウキキョウガイ湯。煎藥ならば当帰建中湯+阿膠+地黄主訴(膝と肘に穴が開く)間質性肺炎で入院中、肘と膝に傷ができて治らない。左側の肘と膝には穴が開いてきた。ステロイドを使用している。身長150cm体重47キロ年齢59性別女性顏色普通皮膚の色普通大小便の状態普通普通どこが冷えるかひざの下血圧最高110最低60処方血虚ですから当帰建中湯+阿膠+地黄に肝臓製劑。アミノ酸製劑も必要です。ストロイドは離藥の努力をしてください。主訴(皮膚がん)三十年前に腹部の癌を告知される。最近・肛門と膣の間に皮膚がんが発生。手術を勧められているが本人は医者嫌い。身長140cm体重46 キロ年齢64性別女性顏色少し黄色皮膚の色少し黄色大小便の状態大日に3回小7回どこが冷えるか腰血圧最高180最低90処方枳実芍薬散または四逆湯とキュウキキョウガイトウ+肝臓製劑をお試しください。主訴(ほほの火照り)二十年間安定剤(日に四回)抗うつ劑(一回)を服用子育てのため精神不安となり自律神経失調症がある。慢性甲状腺炎(橋本症)から子宮筋腫を発生し子宮を全摘した。肩こりはひどいが、ほほの赤みが増すと肩こりは消える。胸脇苦満がある。朝起き掛けは声に力がなく言葉が出にくい。藥の副作用でいつも酔っ払っているように見受けられる。 強い肩こりがあったので三黄瀉心湯+肝臓製劑を投与したが改善しなかった。酸棗仁湯で脈拍は120→80に落ち着いた。身長160cm体重56 キロ年齢60性別女性顏色白い皮膚の色白い大小便の状態便秘ふつうどこが冷えるか膝より下血圧最高137最低94処方この方は腎から発生しています。基本は腎臓製劑です。うつが出る場合は脾胃製劑加える。小便が近くて腰が冷える場合は苓桂味甘湯です。
2008.03.02
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主訴(手足の振るえ) 一年前に転倒して手の骨を折る。それから手足の震えが止まらない。食は細く、食事をするとすぐに大便に行く。身長160cm体重55 キロ年齢65性別女性顏色普通皮膚の色普通大小便の状態下痢気味 どこが冷えるか足血圧最高 最低 処方当帰四逆加呉茱萸生姜湯+肝臓製劑 主訴(首のアトピー)受験生・鼻炎があり首のアトピーが酷い。身長158cm体重 45キロ年齢17性別男性顏色普通皮膚の色かさかさ黒大小便の状態普通 どこが冷えるかなし血圧最高 最低 処方半夏瀉心湯食前、食後に小青龍湯+浄血藥として肝臓製劑をお試しください。主訴(アトピー)おなかが特に酷い。顏・首・腕にも出ている。痒くてたまらない。カサカサしていて粉をふいたようになっている。母親はアレルギー性鼻炎。祖母はアレルギー喘息で死去。腸がとても弱い。身長132cm体重28 キロ年齢10性別男児顏色褐色皮膚の色黒っぽい大小便の状態下痢気味 どこが冷えるか 血圧最高 最低 処方ゲップが出やすければ生姜瀉心湯。神経質であれば甘草瀉心湯。食事は肉食を一切中止してください。冷たいもの水分を取り過ぎないようにして肝臓製劑を併用してください。白虎加桂枝湯・陰気だけ少なくなって陽気が発したとき熱だけあって悪寒なし。これも時々アトピーに使います。(風邪の上に風邪をひいて高熱のときによく使う)白虎加人参湯は裏にも熱があるが表のほうが強い。体表に水が多いときは越婢加朮湯を使う。主訴(大きくしたい)小さいころから喘息。鼻炎があり一年中鼻をグズグズ言わせている。身長135cm体重23キロ年齢10性別女の子顏色普通皮膚の色普通大小便の状態普通 どこが冷えるか 血圧最高 最低 処方大建中湯と肝臓製劑を続けてみてください。冷たいものと水分の取りすぎには特に注意してください。 主訴(毛細血管が浮いている・ひじ・かかと・くるぶしが痒くて硬化・痒い)身長157cm体重51キロ年齢42性別女性顏色白皮膚の色白大小便の状態普通普通どこが冷えるか膝から下血圧最高 最低 処方40℃前後の風呂にユックリ額から汗が出るまで入る。当帰四逆加呉茱萸生姜湯・おけつをとるために肝臓製劑を服用ください。
2008.03.02
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主訴(目の充血) 母親の看病疲れで目が充血しだした。その後徐々に眼圧が高くなり20~24になる(通常値15)身長145cm体重49 キロ年齢72性別女性顏色赤っぽい皮膚の色赤っぽい大小便の状態 二日に一度どこが冷えるか 血圧最高160最低80処方食前に三黄瀉心湯、食後に八味丸。肝臓製劑は一日に二回通常量をお願いします。主訴(疲労倦怠感)疲れやすくやる気が出ない。4~5前から催眠導入劑使用。肩こり・頭痛・胸の圧迫感。神経質で落ち込むタイプ。胃腸は丈夫。汗が出ない。月経周期26。温かいものを好む。身長163cm体重62 キロ年齢46性別女性顏色白い皮膚の色普通大小便の状態大普通小 一日三回くらいどこが冷えるか手足の先血圧最高105最低70処方当帰四逆湯+腎臓製劑(1回3カプセル)1日2回主訴(耳鳴り)三年前から激しい耳鳴りが絶え間なく続いている。両耳で鳴っているが特に左が強い。エンジンのような激しい音である。睡眠のときに強くなり、のぼせも強く・顏の赤みが続き思考力低下。睡眠薬・安定剤に依存している。身長160cm体重62 キロ年齢59性別男性顏色赤ら顔皮膚の色普通大小便の状態普通 どこが冷えるか下半身血圧最高 最低ひくい処方当帰四逆加呉茱萸生姜湯ないときは苓杜味甘湯ないときは苓甘姜味辛夏仁湯を食前。食後に肝臓製劑+茯苓桂枝甘草大棗湯。この場合は耳鳴りですが、腎臓製劑ではなく肝臓製劑です。主訴(耳鳴り)ゴルフボールが右耳に当たり、終始耳鳴りがする。外傷はないが、耳鼻咽喉科ではこれ以上の治療方法はないが、数年たてば難聴になると言われる。身長153cm体重42 キロ年齢58性別女性顏色普通黄色皮膚の色普通黄色大小便の状態やや便秘 どこが冷えるかなし血圧最高 最低 処方桂枝茯苓丸を最初服用した後、小柴胡湯+牛黄製劑にしてください。主訴(慢性湿疹)1二年間悩んでいる・ウエスト、首の周り・手の甲・脇・汗や髪の毛がつくと痒い。かくと湿疹になる。2湿疹ができたころは円形脱毛症とゼイメイが一緒に起こり、アレルギー鼻炎。ストレスが多く気分がふさぐ。冷たいものが大好き。身長152cm体重49キロ年齢48性別女性顏色白皮膚の色白大小便の状態便秘 どこが冷えるかなし血圧最高120最低80処方1慢性湿疹の場合は桂枝加黄耆湯、實の場合は越婢加朮湯か黄連湯、首筋が凝っていて口内炎ができるようでしたら葛根黄連黄ごん湯。いずれも牛黄製劑との併用をお願いします。2氣を落ち着かせてすべての感情を感謝する気持ちになって脳波をα波にすればよくなります。この場合円形脱毛症は桂枝加龍骨牡蠣湯+鹿茸製劑。ゼイメイが生じて気管支喘息の起きたときは柴朴湯と牛黄製劑をお使いください。
2008.03.02
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主訴(心臓の不安) 十年前に心筋梗塞と脳梗塞の経験がある。現在は心下部のつっぱりと心臓不安定。寝つきが悪く。背中が熱っぽい。全身倦怠感。やる気がない。食欲もない。視力の衰えがある。身長152cm体重45 キロ年齢64性別女性顏色どす黒い皮膚の色どす黒い大小便の状態時々下痢 どこが冷えるかなし血圧最高126最低76処方炙甘草湯の場合は、食欲は結構ある。食欲のない場合はだめです。六君子湯を食前に、食後に柴胡桂枝湯+牛黄製劑を服用ください。主訴(心臓弁膜症)本人は手術を希望しているが、医師から体力がないから駄目だといわれている。機外収縮や呼吸困難があり非常に神経質になっている。身長165cm体重58 キロ年齢73性別男性顏色良好皮膚の色白大小便の状態 どこが冷えるかなし血圧最高 最低 処方食欲があれば炙甘草湯+牛黄製劑。なければ小建中湯+牛黄製劑。これで絶対です。主訴(血液が濃い)病院で指摘をうけた身長157cm体重43キロ年齢61性別男性顏色白皮膚の色白大小便の状態便秘 どこが冷えるか手足血圧最高 最低 処方柴胡桂枝湯か八味丸と牛黄製劑主訴(子宮内膜症)十六歳ぐらいから生理痛が酷い。おりものが酷く腰痛がある。目の周りのクマが取れない。身長164cm体重48キロ年齢20性別女性顏色白皮膚の色白大小便の状態 普通どこが冷えるか足腰血圧最高95最低65処方冷たいものは一切食べたり飲んだりしないでください。腰の冷えがあるので食前に良姜朮甘湯、食後に温経湯+鹿茸製劑です。 主訴(肩こり)肩こり特に左、首筋のこりが半年前から酷い。つめがとても柔らかい。鼻声である。身長143cm体重46 キロ年齢54性別女性顏色やや赤い皮膚の色普通大小便の状態 普通どこが冷えるかなし血圧最高114最低75処方肩こり鼻声である場合には、まず風邪を考えなければいけません。爪が柔らかなのは筋肉が弱っているのですから、筋肉の血行を良くする為に柴胡桂枝湯を服用ください。汗が良く出る場合は桂枝加葛根湯でなければ葛根湯を食前に、食後には柴胡桂枝湯+鹿茸製劑です。
2008.03.02
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主訴(偏頭痛) 頭の前部こめかみあたりの頭痛・頭重。酷いときは両肩から首にかけて、鈍痛がある。イブを飲んでも止まらない。小学生の頃から偏頭痛。夜になるとかなり目が疲れる。身長153cm体重54 キロ年齢42性別女性顏色白い皮膚の色白い大小便の状態普通ガスっぽいどこが冷えるかなし血圧最高123最低71処方胃の冷えがあります。食前に呉茱萸湯・食後に小建中湯と鹿茸製劑を服用ください。 主訴(偏頭痛)若いころから肩こり。特に左側。身長160cm体重48キロ年齢23性別女性顏色白皮膚の色普通大小便の状態普通頻尿どこが冷えるか手足血圧最高 最低 処方水分の取りすぎに注意してください。当帰建中湯+牛黄製劑です。主訴(脳梗塞)49歳と60歳の時、脳梗塞になり言語障害がある。足がさっと動かず右手が少し不自由。身長160cm体重65 キロ年齢61性別男性顏色赤み皮膚の色白大小便の状態出にくい どこが冷えるか足先血圧最高 最低 処方牛黄製劑を1日6カプセル。大柴胡湯と併用ください。自分で歩かないと駄目です。10年ごとにおきているということは、牛黄製劑は飲み続けないと駄目なのです。礬石湯もお試しください。主訴(脳内出血)2年まえ脳内出血をした。左半分にシビレが残っている。実証タイプ(筋肉質でガッチリタイプ)身長169cm体重68キロ年齢39性別男性顏色浅黒い皮膚の色うす荼大小便の状態 どこが冷えるか 血圧最高 最低 処方柴胡加龍骨牡蠣湯+牛黄製劑 主訴(肺線維症)寒いときは特に咳が出でる。ねばねばした痰がでる。階段を上がるとき咳き込み嘔吐することもある。時々鼻血が出る身長167cm体重75キロ年齢63性別男性顏色赤黒い皮膚の色普通大小便の状態普通 どこが冷えるかなし血圧最高130最低65処方咳き込むとき胸痛があれば柴陥湯と牛黄製劑。のどつかえがあれば柴朴湯と牛黄製劑。主訴(肺線維症)あらゆる咳止めを試したが咳がとまらず。病院でレントゲンをとり肺線維症と診断。食欲がなく少しずしか食べられない。動くとすぐあえぐような息になる。便秘か続くとめまいがある。日々痩せて言っている。身長164cm体重50キロ年齢69性別男性顏色黄褐色皮膚の色白大小便の状態少しずつ どこが冷えるか全体血圧最高 最低 処方一般的には少ない症例ですが、この場合は四逆加人参湯です。
2008.03.02
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赤霧入手 宮崎県の霧島酒造がつくる焼酎「霧島」は全国ブランドになりました。メジャーなブランドですが、意外と見ないのが「赤霧」です。現在人気がある焼酎は「森伊藏」のような数量限定品が多いのですが、メジャーブランドメーカーがプレミアム商品をどのように展開させるかということは興味深いところです。赤霧の原料ムラサキマサリ(紫優)。ムラサキマサリの紫はポリフェノールの一種で、この紫色素は、麹の酸により燃えるような赤色に変化するとのことです。殆どは奥様が飲まれる予定ですが、私も少しぐらいは飲んでみるかな(爆)
2008.03.01
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