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尾道に行ってきました。鎌倉時代に開港され800年の歴史があるとか、市内は空襲にあわずに、歴史を色濃く残しています。映画やラーメンでも有名な町です。 朱華園 全国から観光客も訪れる有名なお店で、シーズンには入店を待つ人で長い列が出来るとか。 鶏ガラだしの醤油スープに自家製の平麺を使った中華そば(ラーメン)です。私のお気に入りの味になりました。
2010.02.28
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加圧しないタイプで小さなケロシンランタンが前々から欲しかったのですが、中々見つけられずにいました。リサイクルショップで見つけました。高さは18センチ程の小さなものです。ほのかな明かりですが、かなり長い時間灯り続けてくれています。
2010.02.26
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毎月仕事で島根県に来ているので、美味しい出雲そばを見つけようと、ネットで検索して行ってみたお店です。 献上そば 羽根屋本店 大正天皇が山陰地方を旅行された時に、召し上がったと言われています。 お店のある場所は、典型的な地方の商店街の中にあります。一番乗りです。その後、常連さんが続々と来られました。店内に展示物コーナーがありました。蕎麦が来るまで、しばしお勉強をしました。めんは細く、つゆと絡みます。割り子3段セット。しじみの味噌汁とご飯付で860円でした。
2010.02.25
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島根に出張しています。暖かな日になりましたが、高速の蒜山パーキングでは、まだ雪が残っています。気温は0度でした。県境ではまだスタットレスが必要です。 今月は宍道湖周辺を残念ながら、夕日が沈む時間帯には通過しませんでしたがお地蔵さんを撮ってみました。 袖師公園・袖師地蔵 宍道湖の夕日を際だたせる名脇役ならこのポイント。高さ2.5m、宍道湖畔に佇む二体の地蔵は、江戸時代初期に建てられ、現在で三代目だそうです。嫁ヶ島をバックにお気に入りの構図です。
2010.02.24
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ビーチランプの次にビーチグラスを使った絵を作る予定なのでが、 素材のビーチグラスを風呂場に持ち込んで洗い終わり、出ようとしたときに足が滑りました。 手にはガラスをたくさん持っていたので、膝で体を受け止めようとしたのですが、ちょうどそこにはゴミ箱が膝でプラスティックのゴミ箱を破壊し、足に怪我をしてしまいました。他の部分は広い範囲で内出血をしてしまいました。御見苦しい足でゴメンナサイ 遠くに出かける元気もないので、近場でお買いのをすることに・・・とあるリサイクルショップでみつけたヤマコウ時代のポール。TP-11 GRAND POLE3段で90~240までで使えます。2本お買い上げ。メインポールには頼りないけど、タープの変型はり等に重宝しそうです。 すこしポールも整理しなきゃ(爆)
2010.02.22
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日本人が日本人であるために いま、何をなすべきか日本人が日本人でなくなった、個を主張して公を大事にする心が失われた、といまを分析し、自分が誰かの役に立つことを実感することが蘇りになる、と説く櫻井よしこさん。この明晰な諭客に、日本人を取り戻す道をうかがう。ジャーナリスト櫻井よしこさくらい・よしこ - ベトナム生まれ。ハワイ州立大学歴史学部卒業後、「クリスチャン・サイエンス・モニター」紙東京支局勤務。日本テレビニュースキャスター等を経て、現在はフリージャーナリストとして活躍。薬害エイズ、個人情報保護法、道路公団民営化、北朝鮮拉致問題に積極的に取り組み発言している。著書に『日本人の美徳 誇りある日本人になろう』(宝島杜)他多数。最新刊は『明治人の姿』(小学館)日本人が日本人でなくなった危機と好機は背中合わせです。物事が大きく動き出す時、それをどの方向に持っていくか、いい方向に持っていけるか否かは、その人、その社会、その国次第だと思います。歴史の必然、あるいは運命の必然ということをいいます。人間は小さな存在ですから、どうしても避け得ない必然というのはあるのかもしれません。しかし、多くの人間が関わってつくり上げてきた歴史に学ぶと、動いていく現実を前に、何を考えるかどんな希望を持つか、いかなる勇気を奮うかで、実は、人間は必然とされてきたものを乗り越えていけるのだ、と信じることができます。いま日本が抱える問題を、ひと言で言えば、日本人が日本人でなくなった、このことに尽きます。日本列島に生まれ、育ち、暮らしている、それが日本人であるということに、一応はなるのでしょう。しかし、自分はなぜここに生まれ、ここにいるのか、そのことへの理解がなければ、本当の日本人とはいえないと思います。自分がここにいることへの理解とは、家族、地域社会、国家の歴史を知り、その中での自分の位置を知ることに他なりません。自分をここに導いてくれた人々が大事にしてきた価値観を知って感謝し、それを受け継いでいく自分の位置を知った時、それは志を抱かせる源になります。それが本来の日本人の姿です。これが崩れてしまいました。そうなった原因は、短期的に見れば日教組の教育ということになりますが、これは後述するとして、もう少し幅を広げれば、GHQの戦後政策ということになりましょう。いまに至る日本の歴史は、明治維新で、それ以前を否定して西欧の価値観を採り入れ、敗戦でまたもやそれ以前を否定してアメリカの価値観を採り入れてきました。その時点ではよかれと思ってなされたことですが、いまになってみると、日本の歴史的価値観の否定が明らかに非建設的に作用してしまっています。日本と日本人をどう立て直していくか。素晴らしい先生が一人いると、子供はたちまち変わるもの。それと同じではないでしょうか。日本人を育んできた文化、伝統、歴史、それらを実感できれば、瞬時に日本人の力は蘇る。私はそう思っています。それをするのが、真の国民教育だと思います。瞬時といいました。しかし、これは容易なことではありません。学びには時間がかかります。蓄積も必要です。しかし、日本の文化が、伝統が、歴史が実感できた時、自分は誰かの、何かの役に立つ存在であることが分かり、そういう存在である自分に恥ずかしくないようにやっていこう、という自覚が生まれるのです。それが日本人の力を取り戻すということです。そう確信させるものを私は見ました。あれは水泳の日本選手権大会だったと思います。一人の選手が優勝しました。彼はゴールすると、派手にガッツポーズするでもなく、雄叫びを上げるでもなく、静かにプールを上がり、きちんとした姿勢で深く一礼し、黙々と去っていきました。その控えめな態度には清々しい美しさがありました。後でコメントを聞いて、なるほど、そういうことかと思いました。彼はこのところ成績が振るわなかったそうです。どうしても勝てません。コーチが悪い、環境が悪いと原因を転嫁していました。そうなると、不満ばかりが募ります。最近になって、武道に接する機会がありました。一心に打ち込んでみて一つのことに気づきました。原因はすべて自分の中にあるということです。それは彼が日本の伝統を実感した瞬間といえましょう。水泳選手としての自分が省みられました。すべての原因が自分にあるととらえると、技術の問題が見えてきて、態度もおのずと謙虚になりました。そういう心の磨きが優勝となり、控えめで礼儀正しい態度になったのでした。まさに日本を実感したことが、彼という人間をつくったのです。真の勝利を握る者しかし、と頭の隅で思うことがあります。謙虚であることが日本の文化であり、伝統であるとしても、たとえば国際社会の中ではどうなのか、ということです。アメリカをはじめ諸国は国際政治の常道として力を外交の基盤とします。中国は嘘も含めて自国の利益のために巧妙に振る舞います。そのような外交の場では謙譲の美徳だけでは敗北します。人間はそれほど器用にはできていません。人間の集合体である国家も同じです。国内では慎ましく、外に出ては図々しくなどと、機械のようにさっと切り替えることはできません。しかし、と私は思います。その民族のよさ、力は、それが必要な時に輝き出す、ということです。いま世界でもっとも大きな政治、経済問題は、地球環境問題です。日本には世界最高といえる省エネ技術があり、日常の国民生活の場では地球環境を守るという価値観を実践しています。にもかかわらず、地球環境を題材に、これをマネーに結びつける国際競争では負けそうなのが現実です。地球環境問題をビジネスにするという点では、日本人の控えめな態度や宣伝下手の文化や伝統がマイナスに作用していることは否めません。しかし、環境問題の解決、エネルギー消費の仕方は、その国の文化や伝統、社会の仕組み、生活習慣のあり方を基盤にしなければ、どんな技術も生かされることはありません。地球環境を守ることを是とする価値観を欠く社会にどんな技術を持ち込んでも、猿真似の域を出ず、最終的には矢敗するしかない。私はそう信じています。現に、アジアの国々は日本を見、手本にしています。日本の技術を社会の仕組みや生活習慣の価値観とともに採り入れたいと、動き出そうとしています。私の予兆は現実になりつつあるといえます。このことは教育を考えれば分かりやすいでしょう。競争には勝ちなさい、そのためには他人を蹴落としなさい、という教育で育てられた人がいます。そういう価値観を身につけた人は、競争には強いでしょう。勝ち上がっていくに違いありません。しかし、最終的に勝ち上がれるでしょうか。現実を見ると、最終的に勝ち上がっているのは、自分は自分のためだげに働くのではないこと、公のために役立つことが大事であると知っていて、その上で、責任をもって自分の役割を果たす人、半歩下がる謙虚さを備えている人、急がば回れということを知っている人ではないでしょうか。局面局面の勝ちが本当の勝ちではないのです。その人が生きている会社、社会、国家が基本として大事にしてきた価値観に立たなければ、本当の勝ちは握れないのです。公を大事にする心私は先に、日本人が日本人でなくなった、と述べました。今度の選挙で強く感じたのもそのことです。日本人の質が変わりつつある、と思わないわけにはいきません。では、どう変わったのでしょうか。幕末の一八五八年、日英修好通商条約締結のために来日したイギリス使節団の一員に、オリファントという人物がいました。彼は日本での見聞をつぶさに書き記しています。それによると、彼は日本を、封建制の下で人々は上から頭を押さえられ、共同体の犠牲になり、個人の自由はない国だと思っていました。確かにそういう側面は見受けられましたが、考えていたこととまったく違うものがありました。それは日本人の姿です。共同体に縛られて個人の自由がないはずの日本人の誰もが、生き生きと伸びやかで、幸せに満ちた表情をしていたのです。なぜあんなに幸福で満足そうなのか、とオリファントは驚きをもって書いています。それは公を大事にする心の表れだと思います。文化、伝統、歴史の中で育まれる、自分は誰かのために、何かのために役に立つという実感。それは公の精神に他なりません。公を大事にする心が人々を伸びやかに充足させていたのです。西欧の個人主義的感覚を身につけたオリファソトが、そうした日本人の一面を理解できなかったのも無理はありません。かつての日本人の多くが持っていた公を大事にする心が失われている。日本人が日本人でなくなった、というのはそのことであり、それを強く感じさせたのが今回の選挙でした。それは各党のマニフェストに如実に表れています。農家の所得を補償します、子ども手当をあげます、高速道路を無料にします、高校の授業料を無償にします ---差し上げますのオンパレードです。日本人にとって公は、自分が何かをするものではなく、何かをしてもらうものになってしまっているのです。自分がするのではたく、もっともっとと、してもらうことを求める姿勢には、不足感がつきまとい、不満は解消されません。不足を埋めてほしい、とさらに求めます。そのことを競い合ったのが今回の選挙だった、と言っては言い過ぎでしょうか。公はしてもらうものという姿勢は、他にも見られます。新型インフルエンザが流行の兆しをみせていますが、ワクチンが足りません。ともかく生産と輸入によって一千八百万人のワクチンを秋には確保する見通しが立ちました。さて、これをどういう順序で配るか、です。決まった配布順序は、まず医療関係者です。治療に当たらなければならない人を第一に置くのは当然でしょう。次は子供、そして妊婦、さらに病人、という順序になっています。そこには、警察官、自衛官、消防隊員などはまったく出てきません。そして、このことに異議ありの声はどこからも聞こえません。これは驚くべきことです。公のために働く人を放置して何の不思議も感じない、こんな国は他ではちょっと考えられないことです。社会の秩序の枠組みを守るということに誰も注目しないとしたら、国家など成り立ちません。個人がバラバラに生きていくとしたら、その中でインフルエンザから身を守ることも容易ではないでしょう。公を大事にする心が失われていることは、こんなところでも顕著です。
2010.02.21
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世界的ピアニスト辻井伸行はこうして生まれた2009年6月、一人の全盲の若者が世界を感動の渦に巻き込んだ。その演奏を聴いた世界中の人が涙した。辻井伸行さん、ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール優勝の瞬間である。その陰には、絶望の淵から立ち直り、伸行さんをピアニストとして育て上げた母・辻井いつ子さんの姿があった。親子二人三脚の歩み、そこで得たいつ子さんの信條とは。 辻井いつ子つじい・いつこ 昭和35年東京都生まれ。東京女学館短期大学卒業。フリーのアナウンサーとして活動後・産婦人科医のご主人と結婚。生まれつき全盲の長男・信行さんをヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール優勝に導く。著書に『今日の風、なに色?』『のぶカンタービレ!』(ともにアスコム)。こんなに苛酷な運命を背負わなくてはならないの長男・伸行が元気な産声を上げたのは1988年9月13日でした。待望の赤ちゃんは五体満足で標準体重。私は無事出産を終えた安堵感と子を授かった喜びで、その晩はなかなか眠れませんでした。伸行の異常に何となく気づき始めたのは翌日に授乳を始めてからでした。ベビー室には多くの赤ちゃんが眠っています。お母さんが抱き上げ、おっぱいを与えると、皆可愛い目をクリクリさせながら、お母さんの目をジッと見つめます。ところが、どういうわけか伸行だけは目を閉じたままなのです。ベビー室に何度足を運んでも、いつも同じような状態です。「なぜ、いつも眠っているみたいなのだろう」。その疑問は時間を追うごとに膨らみ、「これは何か変ではないか」という不安が、まるで心の片隅に黒いインクをポツンと落とすように広がっていきました。後で知ったことですが、私の出産に立ち会ってくれた産婦人科医の夫は、伸行の異常に気づき、眼科医にそのことを相談していました。そこで告げられたのが「小眼(しょうがん)球症(きゅうしょう)」という目の病名。この子は生まれつき目が見えないという宣告でした。しかし、産後間もない私にショックを与えまいと、「小さい頃は、まだはっきりしたことが分からないんだ」と曖昧な説明を繰り返していたのです。専門の眼科医から真実を知らされたのは、間もなくのことでした。悪い予感は的中していました。「やはり......」と思った瞬間、深い谷底にドーンと突き落とされたような激しい衝撃に襲われました。「夢なら覚めてほしい。誰か、この先生が言っていることが嘘だと言って。なぜこんなに可愛い赤ちゃんが、こんなに苛酷な運命を背負わなくてはならないの......」心の中で何度、そう思ったことでしょう。毎日、伸行の目を見ては泣いていました。真っ青な空や美しい草花を眺めるだけで、「ああ、この子は一生、この光景を見ることができないのだな」と感情が高まり、ワーッと涙が溢れてきます。そういう状態が長く続きました。私は深い絶望感に晒されながらも、心の奥深くで「なんとか、ここから脱していかなきゃ私もこの子も駄目になってしまう」と焦るような思いがありました。そのヒントを求めるように書店に足を運ぶと、可愛い盲導犬の写真が配された本が目に留まりました。そこに描かれていたのは、全盲でありながら、盲導犬を連れて福祉に関する講演活動をしたり、美術館や歌舞伎に行ったりアクティブな人生を満喫する福沢美和さんの姿でした。「全盲でも何だってできるじゃないか」と思いました。「この子が生まれてよかったのか疑問に感じたのは、自分が間違いだったのではないか」と思いました。福沢さんの本に大きな勇気をもらった私は、感想を吹き込んだテープを送り、ぜひお会いしたいと伝えました。了解の返事はすぐに来ました。一歳にも満たない伸行を連れて箱根のご自宅を訪ねると、福沢さんが屈託のない笑顔で出迎えてくださいました。驚いたのは思っていた以上に颯爽(さっそう)とし、障害者ということを少しも感じさせない方だったことです。「普通にお育てになったらいいのよ。特別なことを何も思わないで、あなたが感じるままに、いいことは一緒にやったらいいし......」すっかり打ち解けた雰囲気で食事をしながら、彼女が何気なく口にした一言が素直に私の心に溶け込んでいくのを感じました。「そうか。じゃあ普通に育ててみようか」この時から私は前向きに生きられるようになりました。美しい情景を見ては「きれいよ」と伸行に語りかけました。どうせ分からないからと何もしないままでは、彼の感性は育たないと思ったのです。 我が子に秘められた才能を伸ばす福沢さんと出会う少し前から、伸行の音楽に対する感性の鋭さに驚かされることがありました。音楽をかけると反応し、特にブーニンが弾く『英雄ポロネーズ』はお気に入りで手足をバタバタさせて喜びます。それはあたかもリズムを取っているかのように見えました。ある時、そのCDが傷ついてしまい、別の奏者による『英雄ポロネーズ』を買って流しました。するとまったく反応を示さないのです。「あれっ」と思って再びブーニンの曲に変えるとバタバタと体全体で喜びを表現します。親バカだったのでしょうか、「この子は音楽を聞き分ける耳を持っている」と思いました。そこで、近所のピアノの先生に週一回来ていただくことにしました。とはいっても伸行は一歳半。膝の上に乗せてもらって演奏と歌をおとなしく聴く。それが練習でした。しばらくすると、電子ピアノを購入し、脚を短くして居間に置きました。軽く指を乗せるだけで音が出る電子ピアノなら、幼い伸行でも楽しめると思ったからです。最初はおもしろ半分音を出していたのが、しばらくすると私の演奏や歌の音を拾って曲として弾けるようになりました。これも後から分かったことですが、この頃、絶対音感が身についたようなのです。もちろん、主人と私は伸行に英才教育を施そうという気などさらさらありません。少しでも楽しんでもらいたい。この子の自信になるものが一つでもあって欲しい。その一心だったのです。保育園に入る頃には、簡単な童謡くらいは弾けるようになっていました。初めて視覚障害のあるお友達が入園したということで園の子たちは伸行に少し遠慮がちでしたが、オルガンを弾き出すと皆周りを囲んで「伸くん、すごい、もっと弾いて」と、途端に仲良くなりました。正式にピアノの練習を始めたのは四歳からでした。幸いだったのはご指導を受けた高校教師の増山真佐子先生が、伸行の好きな曲を、彼の喜ぶ方法で教えてくださったことです。先生は最初、ピアノの基礎とされるバイエルの作品から練習を始められました。しかし「この子は、それでは伸びない」とすぐに方向転換されたのです。伸行は楽譜が見えません。鋭敏な耳で音を拾い、それを鍵盤で弾いていくのです。増山先生は伸行の手を取り、鍵盤に指を置いて音を確認するという指導を繰り返し続けられました。伸行が六歳になると、私たち一家は埼玉から東京へと引っ越しました。ここから高校三年生まではピアニストの川上昌裕先生にご指導いただきました。川上先生も伸行の性格を見抜かれたのか、決して無理強(じ)いはされず、褒めながら才能を伸ばそうとされました。伸行もまた、勉強をする時とはうって変わってピアノの練習には極めて然心でした。練習時間は一日二時間と決して長くはないものの、端で見ていても凄(すさ)まじい集中力を発揮しました。負けず嫌いな伸行は「一度注意されたことは二度と注意されたくない」と思っていたようで、次のレッスンまでには必ず課題をクリアします。レッスンが終わっても、即興曲をつくって楽しんでいたので、なかなかピアノの前から離れることがありません。ピアノはもはや、伸行の生活の一部となっていました。レパートリーが増えると、伸行はますますピアノにのめり込みました。そうなると、もう私の出番はありません。親でありながら、一人の熱烈なファンのような気持ちで音楽に聴き入り、その活動を見守るようになったのです。
2010.02.20
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この子はすごいピアニストになる伸行が大会で賞を取ったのは、小学一年生の時、全日本盲学生音楽コンクール器楽部門ピアノの部で優勝したのが最初でした。小学生から専攻科まで全国の盲学生が鎬(しのぎ)を削る大会で、保育園を出たばかりの子が栄冠を手にしたというので注目の的でした。三年生の時はモスクワ音楽院大ホールで演奏する機会を得ました。新聞記事を偶然見て応募したところ、予選に合格してモスクワに行けるようになったのです。嬉しかったのは、ロシアの音楽界の実力者である同学院の主任教授・カステルスキー先生から「この子はすごいピアニストになる」と太鼓判を押していただいたことです。先生が来日された時、直接レッスンを見ていただいたこともあります。この時も「伸行君からはレッスン料は取らない」とおっしゃり、親身になって指導をしてくださいました。「この子は素晴らしい感性を持っているから無理強いは絶対に禁物。それよりもよく遊ばせてあげなさい」と繰り返し私に伝えられたのを覚えています。ピアノの道を歩もうと思ったら指の怪我は禁物です。特にコンサート前になるとスポーツなどを慎(つつし)むのが一般的です。しかし、私たちはカステルスキー先生のアドバイスもあって、山登りでも海水浴でも、伸行が希望することは何でもさせました。それでよかったのだと思います。大自然の中で小鳥のさえずりや小川のせせらぎなどが、すべて彼の音楽に生かされ、その感性を育(はぐく)んでいったのですから。その後もよいご縁は広まりました。カステルスキー先生が日本の音楽シンポジウムにゲストとして招かれた時、作曲家の三枝(さえぐさ)成(しげ)彰(あき)さんがご一緒でした。カステルスキー先生は偶然居合わせた伸行のことを「この子のピアノを聴いたことがありますか。素晴らしいから一度聴いてごらんなさい」と話されたのです。演奏を初めて聴かれた三枝さんはいたく感動され、九八年、伸行が十歳の時にご自身のコンサートで大阪センチュリー交響楽団と共演する機会を与えてくださいました。伸行にはこの上ない光栄なデビューでした。指揮者の佐渡(さど)裕(ゆたか)さんとも不思議なご縁でした。伸行の演奏テープを聴かれた佐渡さんは「ぜひ、この子に会いたい」と連絡をくださいました。楽屋に招かれて直接演奏を披露すると号泣され、数か月後のパリのコンサートにピアノ奏者としてご招待くださいました。伸行がここまで歩んでこられたのは、このような素晴らしい出会いに数多く恵まれたからにほかなりません。伸行の大らかで楽天的な性格が不思議と人を惹きつけてしまうようでした。音楽界に何の伝(つて)もなかった私たちにとって、そのご縁は「ありがたい」としか表現できません。曇りのない無心の演奏が心を打つあまり自分の願望を口にしたい伸行ですが、十七歳の時、「どうしても出たい」と主張したコンクールがあります。五年に一度開かれる有名なショパン国際ピアノコンクールでした。これには私たちも驚きました。ご指導いただいていた川上先生も「これまでのコンクールとはまったく格が違うよ。若いんだし次の機会でいいじゃないか」とおっしゃったくらいです。しかし本人は「ファイナルでコンチェルトを弾くんだ」と聞く耳を持ちません。長丁場でしたが、先生も私も早くからポーランドのワルシャワに入り、懸命に練習を重ねました。本番はとても張り詰めた雰囲気で、伸行よりむしろ私のほうが胃がキリキリするありさまでした。結果はセミファイナルで落選。批評家賞をいただいたものの、勝ち気な本人は納得できない様子で、「ファイナルで弾けなかったのが大変悔しい」と何度も言っていました。その後、伸行は待望のCDデビューを果たし、全国ツアーも行うなど充実した音楽活動を楽しんでいました。忙しさもあり、本人の中では「コンクールはもういいかな」という思いもあったようです。音楽事務所の社長から「伸君、もうコンクールに出る気はないの」と声がかかったのは二十歳になった時でした。「課題曲が多くて大変だけれど、レパートリーを増やすいい機会だよ」という言葉に後押しされて、軽い気持ちで出場したのが、二〇〇九年六月にアメリカで開かれた名門のヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールです。ショパンコンクールの時と比べて伸行にはある変化がありました。三年間で実力が格段に高まっていたこともありましたが、世界的コンクールであるにもかかわらず、なぜかまったく気負いがないのです。予選の段階から肩の力が抜けて、とてもいい演奏ができているのが私にも分かりました。「ああ、これはいけるかも」と思いました。それでも、いざ本選となると私の心中は穏やかではありませんでした。名だたる大会で入賞を重ねた実力者が顔を揃えていたからです。素晴らしい演奏が披露されるたびに圧倒されそうになります。しかし、伸行に緊張した様子はありません。本選を通過した時、「ファイナルの六人に残れただけでもいいね」という私の投げかけに、「うん、そうだね」と笑顔で答える余裕すらありました。客席には伸行のファンも多く、伸行が登場すると歓声が上がります。さながらコンサートのようでもありました。そういう雰囲気が彼にはよかったのだと思います。本人も後の記者会見で「聴衆の心と自分の心が一つになったと感じた」と話していたように、大きな愛情に包まれるようなリラックスした雰囲気が、実力をフルに発揮させたのかもしれません。結果は優勝。私たちの期待を大きく上回る快挙でした。演奏中、伸行の心にはおそらく「いい演奏をしよう」とか「審査員に受けよう」という気持ちがまったくなかったのだと思います。いわば無心です。一点の曇りもなく無心で奏でるピアノの音色が審査員だけでなく、聴衆の心を強く捉(とら)えた。それは間違いないと思います。審査結果の発表後、表情を崩して涙ぐむ伸行の姿を見た時、小眼球症と診断された時の苦しみ、ピアノを弾き始めた時の愛くるしい笑顔など今日までの出来事、その時見せた伸行の表情の一つひとつが甦ってきました。「ああ、ついにここまできたんだな」。私は感無量の思いで、自分自身にそう語りかけていました。そしてその思いに応えるように伸行は記者会見でこう言ってくれたのです。「もし僕に一つだけ見える目があったら、一番見たいのは両親の顔です」と。他と比較せずその子の本分を伸ばす常に子供の目線で見て考え、語りかける。私は伸行を育てる上でいつもそのことを心がけてきました。私自身、そういう育て方をされたからかもしれませんが、例えば何か失敗しても、頭ごなしに叱(しか)ったりせずに、なぜそうなったのかを落ち着いてゆっくり説明してあげることは大事だと思います。そして当然ながら、うまくいったらよく褒めてあげることです。ことピアノに関しては、伸行は納得いくまでとことん練習しますから「もっと頑張りなさい」という言葉は必要ありません。しかも、私のピアノの実力など到底及ばないレベルに行ってしまったので、ある時点から私が何かを説いて聞かせることはなくなりました。むしろ「こんな短時間で、ここまで弾けるようになったの!」と褒め役に徹します。私自身があまりピアノを弾けないものですから、心から上手だと思うんです。それで、伸行もまたやる気を出してくれたように思います。伸行を育ててきた経験から、子供の可能性とは本当に無限だと感じています。私は現在、インターネット上の「辻井いつ子の子育て広場」を通して、子育てに悩む方の声をお聞きしたり、講演活動をしたりしています。その中で「この子はこうだから駄目、などと勝手に判断せずに、何事も諦めないで挑戦してください」とアドバイスすることが少なくありません。中には「伸行君は特別だから」と思う方もいらっしゃるでしょう。しかし、そうではありません。伸行は盲学校の小学部で洋服のボタンを留めることもできない"劣等生"でした。しかし、私はあまり気にすることなく、伸行の長所を伸ばすことを心がけてきました。周囲と比較するから些細なことで一喜一憂するし、子供も萎縮してしまいます。第一、それでは子育ては楽しくありません。母親が自分を犠牲にして子育てをしている、自分がいることで苦しんでいるという雰囲気は必ず子供に伝わり、気持ちを暗くします。だから、私はできるだけ自分が無理をしないでやってきたつもりです。人と絶対に比較せずに、その子の本分を見つけて思い切り伸ばしてあげる。月並みかもしれませんが、私のこの信條を子育てに悩んでいらっしゃる方にお伝えすることで、少しでもお役に立てればと思っています。それを考えると、挫(くじ)けずに二人三脚でここまで歩いてきて本当によかったなという思いを強くします。
2010.02.20
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仕事で担当させて頂いているのは、広島県・山口県・島根県の3県です。それぞれの地区で表情が違う海。昨日は宇部市周辺を訪宣していたのですが、お昼にたくさん営業車が止まってお弁当を食べているエリアを発見しました。私もコンビにでお弁当を買って来て仲間入りしてみました。そこからの景色です。このあたりの海はとくに穏やかでした。
2010.02.19
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11月の三連休に行った片添ヶ浜海浜公園オートキャンプ場で写真コンテストがあったので下の写真を投稿していました。有難いことに2位して戴きました。景品はギアコンテナです。見事ゲットです。当日の他の写真です。とても綺麗な海でした。
2010.02.17
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奥様からバレンタインデーに頂きました。美味しかったよ。有難う
2010.02.14
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昨年の今日、広島に住居を探しに子供達と一緒に来ました。子供達の意見を優先して決めたマンションです。家探しから、一年がたちました。(引越しは3月26日)写真は住居併設での仕事場。オンとオフのけじめがつきにくいのが難点ですが快適に仕事をさせて頂いています。年末、年始は販促品等がたくさん送られてきてダンボールの山・・・足の踏み場も無いほどでした。 今日は朝から掃除。ようやく床が見えました(笑)
2010.02.13
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おいでよ動物の森何故だか、今頃やってきました。まぁの友達が持ってて欲しくなったとか。けんけんも便乗してWiLL用をゲット。格闘系と違って平和です(笑)居間のテレビは、しばらく占領されそうです(爆)
2010.02.12
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酒を飲んだら大胆になる人は何故だろう? 『黄帝内経の』論勇にはこう書かれています。酒は水穀が発酵して出来た液なので、性質が猛烈である。酒が胃に流れ込むと、胃が膨らみ、氣をあげて胸一杯に充たす。同時に肝気は盛り上がり、胆氣も一時的に充実する。すると日ごろ弱弱しい人も勇ましくふるまうのだ。ところが、酔いがさめると自分の行為を後悔するようになる。これは酒の刺激によって非日常的なふるまいをおこしているだけである。納得です。
2010.02.11
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ビーチランプを少し改造してみました。はじめはこんな感じでしたが、アロマランプに出来ないかと考えました。 少しグラスを足して、その上にアロマ用のお皿を置いてみました。アロマランプの出来上がりです。
2010.02.10
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山口県の湖畔のキャンプ場に行ってきました。めずらしく? 今回は景色のみをお楽しみください。綺麗な夕暮れです。お天気に恵まれました。翌日は遊園地に久しぶりにジェットコースターにも乗りました。子供用ですが充分にヒビリました(爆)
2010.02.08
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只今、東京から戻りました。必死でUFOを見つけようと窓の外を見続けましたが今回は残念ながら遭遇には至りませんでした。 今回のお土産はつきじ丸武 玉子焼スイーツ 小さいのに1500円もしますお土産じゃないと買わないかも(爆)
2010.02.05
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夕方、広島から東京に移動しました。久しぶりにゆっくり景色をみながら飛行機に乗せていただきました。雲の上はいつも晴れです。夕方のモノレールもたまには良いものです。 明日は最終で広島に戻ります。
2010.02.04
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動物園に続いて、またまた親子の撮影大会です。まぁの作品から父ちゃんの部犬のようです(爆) また息子と撮影会しょう
2010.02.03
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まずは鰯からけんけん「なんでグルグル回りようとかいな?」まぁ「泳がんと呼吸ができんちゃない」イカ蛸 すしネタではありません。泳いでいる時に見ると嫌なんですけどクラゲもこうして見ると綺麗です。アーチ水槽を通って移動します。 私のお気に入りペンギン水槽。右上の丸い所に頭を突っ込むと上・下と色々な角度で楽しめます。穴から撮影しました。楽しい写真が撮れました。穴からは水槽前の人も見れます。けんけん発見!!けんけんがペンギンにベーしてました(笑)べーが終わると去って行きました。ペンギンさんゴメンナサイ。その3に続く
2010.02.02
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しまね海洋館休日の朝、けんけんが「水族館に行きたい」と言い出した。その提案乗った。即決で・しまね海洋館に行くことにしました。高速で1時間チョットで到着。思っていた以上に立派な建物でした。ペンギンが泳ぐのを下から見るのは、最高に面白かったです。見所満載のレポは明日に続きます。
2010.02.01
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