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三原市のお得意先から出てきたのは9時過ぎここから自宅までは約70キロ。海沿いの帰り道で、ふと一枚。月よ。 こんなに遅くまで働いている私は、要領が悪いのか?まじめなのか? どちらでしょうか?
2010.03.30
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はじめてよっせさんのキャンピングカーを見せてもらいました。でかいな。会場で・むねちゃんに会えました。 色々なタイプの車を見れて楽しめました。これはテレビ付でお買い得なタイプ。ちゃぶ台が楽しいタイプで、5人寝れます。照明もお洒落で、機能的にまとめられていたタイプ。大人は楽めましたが、子供少々退屈だったようです(笑)最後にお好み焼きを皆で食べに行きました。キャンプ気分で楽しいひと時でした。
2010.03.28
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今からキャンピングカーフェスタ 2010 in Hiroshimaに行ってきます。予習をしすぎて何がなんだか分からなくなっています(自爆)
2010.03.27
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神戸に行きました。神戸ポートタワーはお色直し中でした。風情がある港町です。宿泊先は神戸ポートピアホテルホテルに着いたときは黄砂が酷くて薄暗い感じになってました。お値段は一流でした(爆) 偶然見つけたスノピークストア記念に? 会員登録をしてきました(笑) はぁちゃんが楽しみにしていた とてつもない規模で、とてつもなく安い価格に驚かされ続けました。一回りすると1.5キロ歩くことになるようで、子供達と逸れた私は2回りして足が痛くなりました(爆)このお店がたくさん出来ると、ホームセンターが次々と廃業に追い込まれそうな氣がしました。I最後はカワサキワールドに新幹線 川崎重工業が作った乗り物がたくさん展示されていました。飛行機バイク欲しいの? 無理無理・・大人になって自分達で買ってね
2010.03.26
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スヌーピーの饅頭? おまちかねのパレードです。マジカル・スターライト・パレードディズニーランドより規模は小さいですが、思った以上に楽しめました。
2010.03.25
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初めてのユニバーサルスタジオです。入場してすぐにシュレックにお出迎えしてもらいました。ここまではご機嫌でした・・・・ 初めのアトラクションはジュラシックパークボートに乗って進みます。恐竜も良くできています。この穴を出たところで急落下するところがあって全身ずぶ濡れになりました。ずぶ濡れ直後の不機嫌な二人をご覧ください(笑)次回は最後に乗ることにします。
2010.03.24
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連休はユニバーサルスタジオに来ています。来週で広島に転勤してきて1年がたちます。皆、一年間良く頑張りました。他人は褒めてくれないので、家族で褒めあいました(大爆)昨年の連休は引越しの準備で、家中ダンボールだらけでしたが、今年はゆっくり楽しませてもらいます。今回、泊まったホテルは、ユニバーサルポートホテルです。ユニバーサルスタジオは目の前です。フロントカウンターの後ろには、大きな水槽がありました。各階のエレベーター前にいた・クラゲ。作り物ですが、リアルに水槽内を動き回ってました。子供達も大喜びです。けんけん「お~ゴージャス。奮発したね」だって。はい奮発しました(笑)
2010.03.22
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腕時計コレクションという本を買いました。790円ですが時計つきでした。下の四角い時計がついていました(笑)
2010.03.17
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ストレスに負けない生き方筑波大学大学院 医学系・教授 松崎一葉いま、会社で心を病む人が増えているという。しかし、同じ環境で働いても病む人と病まない人がいるのはなぜだろうか。ストレスに負けず、賜った生命を存分に発揮するために大切な心がけを、筑波大学教授で産業精神医学が専門の松崎一葉先生にお話しいただいた。 【企業を悩ます未熟型うつ病】日本企業にメンタルヘルスという概念が定着して久しくなります。いまや厚生労働省が旗振り役となって職場内のメンタルヘルス対策を呼びかけていることも、現代社会において会社で心を病んでいる人がいかに多いかを物語っています。私もこれまでいくつかの企業に精神科産業医として関わってきました。確かにここ数年、ストレスから「うつ病」をはじめとするメンタルヘルス不全に陥り、休職や退職していく人が増えているのは事実です。しかし私が気になるのは、その傾向が以前と変わってきていることです。かつて日本の高度経済成長期を支えた企業戦士の中にも、うつ病になる人はいました。従来タイプは「メランコリー親和型」と呼ばれ、次のような特徴がありました。・社会的役割への従順自分は杜会でこういう役割を果たさねば、と強く思う・規範への好意的同一化倫理観や常識を重んじ、そのとおりに生きていかねばと強く思う・秩序指向性自分の中に秩序があり、それを守っていかねばと思っている。例えば書類の書き方など、周囲は「そこまでやらなくてもいいよ」と言っても、完璧を求めて自分のこだわりを貫き通す概ね彼らは真面目で仕事熱心、「うつ病だから少し会社を休みなさいと言われても、「うつ病になるのは自分が弱いからだ。休んで皆さんに迷惑をかけるのは申し訳ない」と、自分を責めて働き続けてしまいます。一方、最近一部の若者に見られる「うつ」の症状はこれとまったく正反対です。学問的には「ディスティミア親和型」とも言われ、要は人間的に未成熟なことから環境に適応できず、うつ状態になるため、「未熟型」とも呼ばれています。彼らは社会的な役割などには無関心で、とにかく自分が大好き。自分が第一なので、自分が納得できない規範を守ることにストレスを感じます。そして心身の不調を感じると、自ら「私はうつ病です」と名乗り出て傷病休暇を申請。中には「自分をうつにした会社が悪い」と労災を中請したり、パワーハラスメントで訴訟を起こす人までいます(現在、私も証人として二件の民事訴訟に関わっています)。つまり自身の不適応に対して内省せず、他罰性の強いことがその特徴の一つです。療養休暇中は、「これまでのストレス発散」という名目で趣味を満喫。実際、私が対応したケースにも療養中にグアムにサーフィン旅行に行った人までいました。従来のうつ病ならば、すべてのことに興味と喜びを失い、「お父さん、せっかく休みをもらってるのに、あれだけ好きだったゴルフをやらないなんて」と奥さんに驚かれたりするわけです。究極的にはトイレに行くことすらおっくうに感じて、その場で失禁してしまうこともある。それがうつ病です。未熟型うつの人たちは決して仮病を使っているのではなく、会社で、好きではない勤務をするなど、自分が抵抗を感じることに直面すると実際に抑うつ症状が出現することは確かなのです。ですから心療内科を受診すれば「抑うつ状態」という診断書が出されますから休職させないわけにはいきません。好きなことはできるけど、嫌いなことはできない。かつては「自分勝手」と一刀両断されたこのような事態も、うつ病の社会的認知度が上がったために、企業も「病」として認めざるを得なくなってきたのです。【社員を大切にすることは即投資である】未熟型の特徴としては、従来型が秩序を重んじたのに対し、秩序には否定的で、例えば「コピーは揃えて取りなさい」と上司に注意されると、「いいじゃん、別に。これでも分かるし」と思う。そして「俺はいまこの会社で働いているけど、自分の能力をもっと発揮できる会社があるに違いない」という漠然とした万能感を抱いていて、結果的にいろいろな会社を渡り歩く人が少なくありません。これらの原因の一つには、恐らくテレビゲームの影響があると私は考えています。ゲーム中、うまくいかなくなると子供はどうするか。リセットボタンを押して、もう一度最初からやり直します。それと同様に、入社して少し努力をしても期待したような評価が得られないと、あたかもゲーム機のリセットボタンを押すかのように会社をリセット、つまり安易に辞めてしまうのです。そうして行きつく先がフリーターや派遣です。昔なら「会社を辞めたら食べていけないよ。せっかく入ったんだからもう少し我慢しようよ」と言って説得することもできたでしょうが、いまは安易に派遣業へと流れていってしまいます。私の関わった患者さんの多くもそうでした。話はそれるようですが、昨年末、世界的大不況の波を受けて大手企業が派遣社員との契約を打ち切った「派遣切り」が大きな社会問題となりました。もちろん個々人の事情はあるでしょう。しかし総じて言えば、彼らは自ら「派遣社員」としての自由な働き方を選んだはずです。一方、正社員を雇うよりも、うまく派遣社員を使うほうがコスト面から効率がよいと考える経営者が増えたことも事実です。以前は終身雇用が多くを占めましたから、経営者はある意味でその人の人生を預かる気概で社員を雇っていました。だからこそ、時には怒鳴られたり叩かれたりしながらも、「なんだかんだいっても、親父さん(経営者)は俺たちのことを考えてくれている」と感じて社員たちはついていったのです。かつての日本型経営の根底に流れていたもの、それは「情」ではなかったかと思います。明文化された規則ではないにせよ、労働者側にも経営者側にも、心情的に「これは」なければならない」「これはしてはならない」という信義がありました。効率を求めるアメリカ式経営を導入し、情は無駄だといってどんどん切り捨てた結果、今日のような騒動に発展したのではないでしょうか。また、職場間の対人関係に悩んでストレスを抱えたり、心を病んでしまう人が後を絶たない原因も、そこにあるような気がしてなりません。いまはどの企業でもCSR(Corporate Social Responsibility =企業の社会的責任)を考える時代になりましたが、その大原則は「ステークホルダーは互いに影響し合う」ということです。ステークホルダーとは利害関係者という意味で、株主や取引先、行政や圧力団体など、企業活動を行う上で関わるすべての存在を指しますが、この時、経営者が従業員を重要なステークホルダーとして認識しているかどうか、それが非常に重要なのです。そこで私が経営者の皆さんに事例としてよくお話しするのは、和倉温泉の加賀屋さんです。加賀屋さんは約四半世紀にわたり「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」で上位をキープしている日本を代表する温泉旅館ですが、その秘訣は何かといえば、社員教育に力を注ぐと同時に、社員が安心して働ける環境を整備しているからだと聞いています。例えば託児所や社員寮を完備し、子供のいる女性が仕事に専念できるよう手厚く保護をしているのです。つまり従業員が懸命に働ける環境を整え、手厚く保護する。すると従業員の職務満足度が増し、彼らが提供するサービスの質も上がる。それによって顧客の満足も向上し、業績が伸び株価も上がっていくという繋がりがあります。私は経営者の皆様にそういう観点からメンタルヘルスを考えてほしいと思っています。「うつ病の社員を出さないようにするにはどうしたらいいか」というリスク管理的な側面だけでなく、仕事熱心な社員が安心して働ける環境を整えれば、それに比例して職員も満足し業績も向上する。そういう前向きな投資的視点で総合的な予防的メンタルヘルス対策を考えていただきたいと切に願っています(参照:拙著『会社で心を病むということ』)。【ストレスに負けない三つの感覚】話を戻しましよう。同じような環境で、同じような仕事内容で働いていても、病気になる人とならない人がいます。それはなぜでしょうか。うつ病に限らず、すべての疾病は環境要因と個体要因のバランスによります。例えばどんな屈強な男性でも、何日も寝ないで重労働に従事すれば体を壊してもおかしくはありません。それが環境要因です。一方で本人の資質に起因する病もあり、特に精神的な病の場合、その人のストレスの感じ方によるところも大きいでしょう。その昔、医療社会学者のアーロン・アントノフスキーがユダヤの強制収容所から生還した人たちの健康調査を継続的に行ったところ、一部の人たちはとても長生きをしたことが分かりました。そしてその人たちは、共通して次の三つの特性を持っていたと報告しています。一、有意味感つらいこと、面白みを感じられないことに対しても、意味を見いだせる感覚。明日ガス室に送られるかもしれない中でも、自暴自棄にならずに、きょうの労働に精を出せること。我々のレベルに置き換えると、望まない部署に配属されても、「将来なんかの役に立つかもしれないし」と思って前向きに取り組めることといえます。 二、全体把握感先を見通す力、とも置き換えられるかもしれません。つらいことに直面すると、人は一生それが続くように感じてしまいますが、「ひとまず夜がくればこの過酷な労働も終わりだ」とか、「いつかは戦争が終わって解放されることもあるだろう」と思えること。仕事に転じれば、例えば今週は忙しくて土日出勤になったとします。「なんて忙しいんだ」と思うのではなく、「今週は休めなかったけど、来週のこの辺は少し余裕ができるから、そこで休めるな」など、先を見て心の段取りが取れること。それはそのまま仕事の段取りに通じます。「来週のこの辺で忙しくなりそうなので、他部署からヘルプをお願いできませんか?」と、パニックになる前に助けの要請を出せることで、自分もチームも円滑に仕事が回せるのです。三、経験的処理可能感つらい強制労働など、最初はこんなことは絶対にできないと思っても、「そういえばあの時もできないと思ったけど、意外とできたよな。今回もできるんじゃないかな」と思えること。初めて手がける仕事でも、過去の経験からこの程度まではできるはず、でもその先は未知のゾーンだと冷静に読める。ただ、その未知のゾーンも、あの時の仕事の経験を応用すればできるかなとか、あの人に手伝ってもらえそうだなと把握できる感覚です。また、大きくとらえれば、学生時代に努力して練習したら大会で優勝できたじゃないかとか、先生に無理だと言われたが、頑張って勉強したら志望校に合格できたから今回もできるのではないか、と思えることも、経験的処理可能感といえるでしょう。
2010.03.15
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【SOCの育て方】これら三つの感覚はSOC(Sense of Coherence)と呼ばれ、一般的にストレス対処能力を測る物差しとされていますが、簡単にいってしまえば、「きっとうまくいくに違いない」という情緒的余裕と経験に基づく楽観性ではないかと思います。現在、私は宇宙飛行士の選抜にも関わっていますが、あのような密室で、かつ何かあったら生死に直結する状況に長時間滞在することは大変なストレスです。それに耐え得るには、論理的思考力だけでなく、SOCが高い人でなければ到底無理です。一九七〇年、月面着陸を目的に打ち上げられたアポロー3号は途中で液化酸素タンクが爆発、絶体絶命の中で奇跡的な生還を遂げました。それはなぜか。いろいろと理由はありますが、私は船長であるジム・ラヴェルが非常にSOCの高い人物だったからだと考えています。論理的思考力の高い宇宙飛行士たちや優秀なNASAの職員たちがどうシミュレーションしても帰還は不可能といって嘆く中、ジム・ラヴェルは「そうは言っても何とかなるかもしれないじゃないか」と船員たちを鼓舞し、マイナスニ百度の中でヒーターの温度をギリギリまで下げて電力をセーブしました。そして大気圏へ突入し、地球へ戻ってきたのです。これは宇宙飛行船という限られた空間の中の話ですが、昨今の厳しい経営環境にも置き換えられることであり、さしずめSOCはリーダーに欠かせない資質であるといえます。実際、私が精神科産業医としてお目にかかってきた素晴らしい経営者は、みな意識していなくとも論理的思考力ととともに、SOCの高い方ばかりです」。では、このSOCを高めるにはどうしたらよいのでしょうか。基本的に人間のSOCは幼少期の経験が大きく影響します。要するに愛されて、共感されながら育ったかどうか、ということです。ジム・ラヴェルも、親に大切に育てられ、非常に寛容な人でした。水泳教室を例に挙げましょう。子供が水泳教室で5メーター泳げるようになった。子供がちらっと保護者席を見た時に、お母さんが手を叩いて喜んでくれる。そして家に帰って、「頑張って5メーター泳げたね」とそれまでの努力を認めた上で「今度10メーター泳げるようになったら、お母さんはすごく嬉しいな」と期待を込めて、次の目標を与える。これを努力報酬型モデルといって、努力すれば必ずできるようになり、喜んでくれる人がいるという感覚を子供のうちに身につげることが非常に重要です。また、母親に限らず、周りの人に助けられた経験も大切です。例えば家に帰ってきたら、お母さんがいるはずなのに、家にカギがかかって入れない。どうしよう、もう辺りも暗くなってきた。「わーん」と泣き叫んでいる時、隣のおばちゃんが現れて、「じゃ、ママが帰ってくるまでうちにいなよ」と言って助けてくれた。そういう経験があると、その後の人生で窮地に追い込まれた時、自分の人生はここで破綻することはない、というある種の楽観性を身につけることができます。では、幼少期に恵まれず、SOCが低いまま大人になってしまったら、もう高めることはできないのでしょうか。残念ながら、人間としての幅広いSOCを高めることは難しいでしょう。しかし、「この仕事において」とか「この職場において」という、局地的なSOCを高めることは可能です。そのために大切なのはやはり社員教育です。きちんと会社の理念を伝えていく中で、上司が先ほどの母親のように小さな成功に共感し、褒めた上で、次の目標を与えていく。この繰り返しによって、その環境にふさわしいSOCは高まっていくでしょう。【ストレスから解き放たれた世界】SOCを高めるには、他者の経験に学ぶということも一つの方法ではないかと思います。例えば「なぜこんな仕事を自分がやらなければならないのか」と感じた時、「あの先輩も最初はそう感じた仕事が後になってすごく役に立ったとか言っていたな」と思えることで、気持ちの切り替えに繋がります。親族や先生、先輩、あるいはもっと昔の偉人の経験に学ぶのもよいでしょう。私の場合、若い頃は夜の十二時くらいまで医局にいて、そこで雑談のように聞いた先輩の話が大変役に立ちました。「マニュアルのこの部分、俺はこう工夫したんだ」「一~五まであるけど、五が一番気をつけないといけないんだよ」......。それは、座学で得た知識やマニュアルの文と文の行間を埋めるような情報であり、それが潤滑油となって、知識をうまく回していけたと私は実感しています。いま流行りの「ナレッジ・マネジメント」でいえば、学校で教わることやマニュアルはハードナレッジであり、雑談のようなコミュニケーションで得る情報はソフトナレッジといえます。いまの企業の中で、このソフトナレッジを得る機会は非常に少なくなりました。決まった時間、決まった仕事しかしたくない。定時に仕事を切り上げ、カルチャースクールに通ったり、おしゃれなレストランで食事をしたい。上司や部下とは仕事だけの付き合いにとどめ、プライベートな時間にまで立ち入られたくない。会社側もまた、残業代を切り詰めるために、定時になったら即刻帰るよう促します。一見、それは効率よく見えますが、人ひとりの社員の経験知が次世代に伝承されていかないことは企業として大きな損失です。また個人としても、自由な人生を謳歌しているように思えますが、そこにあるのは「私の行為に対して、このくらいの見返りを得るのが当たり前」「このくらいの見返りならば、私はこのくらいの働きで十分」というドライな「give and take」の世界のみ。その時、フォーカスを当てているのは自分だけであり、それが行き過ぎると、人間としてのバランスを失ってしまいます。結局、うつ病など、精神的な病に苦しんでいる人は「自分はうつ病になってしまった。自分は弱い人間だ、ダメな人間だ......」と、自分にフォーカスを当てすぎて、周りが見えなくなっているのです。それが治りかけて症状が上向いた頃、私はよく、「朝早く起きて、人知れず家の前の道賂を掃いてみましょう」と勧めます。どんな小さなことでもいいので、人知れず見返りを求めない無償の行為をする。それによって、いったん自信を失って自身の存在意義にさえ疑問を持ち始めた人も、周囲の存在を感じるだけの余裕が生まれ、人間としてのバランスを取り戻すことができます。人はみな天から命と才を賜って生まれてきます。もともとが賜ったものであるなら、それを無駄遣いせず、私物化もせず、世の中に還していくことが、もっともその人を輝かせる道ではないかと感じます。私自身、精神科医として様々な評価を得ることも嬉しいことは嬉しいですが、やはり病んだ患者さんが立ち直って、新しい人生を歩み出すことに何よりの感動を覚えます。また、「いのちの電話」のボランティアを長年続けていますが、これもまた非常に清々しい喜びを得るのです。決して大きなことでなくてもいいのです。一時間早く出社して会社の掃除をする。あるいは自分の仕事が早く終わっても、隣の人が忙しそうなら、手伝ってあげるのもいいでしょう。家族のため、地域社会のためでもいいと思います。自分の命と才を人知れず、そして見返りを求めずに自分以外の誰かのために使う。その無償の世界に触れた時、心さな自我にとらわれたストレスの世界から解き放たれ、人間の命は光り輝くと思っています。
2010.03.15
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松下幸之助の哲学に学ぶ世界的な大不況のあおりを受け、人員整理、事業撤退を表明する企業が相次いている。いまこそ、敗戦、不況と度重なる逆境にあっても、従業員の雇用を守り、「人を大切にする松下電器」といわれた松下辛之助翁に学ぶべきではないだろうか。松下電器、松下政経塾を通して、幸之助翁の薫陶を受けた上甲晃氏に、逆境の時代を生き抜くための「松下幸之助の哲学」をお語しいただいた。売れない時、無理をすると売り方が崩れる松下幸之助は「素直」を教えました。それは雨が降ったら傘をさすものです。どしゃ降りの雨の中へ傘もささず出かけるから風邪をひくというわけです。不景気の真っ只中で何をやっても売れない時、「売れない時に無理して売ったらいかん」という松下幸之助の言葉に、私は随分救われる思いがしました。売れない時に無理して売ると、必要以上に値下げをしたり、通常は受け入れられないような条件をのんだり、売り方が崩れる。だから売れない時は、無理に売ろうとせず、次に売れるよう種や苗を植えることに力を入れなさい。要するに不景気の時は、好景気の時に手の回らなかったことをやるチャンスなのだと、松下幸之助は我々社員に呼びかけました。人材育成もその一つです。ものが売れて忙しい時は、じっくりと人を育てる時間が取れません。普通の企業は不景気にはまず教育費から削りますが、「不景気の時こそ人を育てる」が松下電器の鉄則でした。また、業績が右肩上がりの時に、いままでのやり方を見直せといっても、社員たちは「社長、何を言っているんですか?この調子でいきましょう」と、なかなか本気で取り合わないでしょう。だから松下幸之助は「好景気には本当の反省はできない」と言って、不景気の時こそ、いままでやってきたことを根本的に見直す最大のチャンスと捉えていたのです。私自身は、このような教えを受けてきて、不景気の時には三つのチャンスがあると皆様にお話しさせていただいています。まずは「底力を養うチャンス」です。厳しい時代には重心を低くして、地に足をつけることが大切です。では、どうすれば地に足がつくか。挨拶一つでもいいのです誰でもできる当たり前のことを、徹底してやり続ける。平凡なことを非凡に努めようとすることで、企業の底力がついてきます。二つ目は「初心に帰るチャンス」です。誰もが商売を始めたその時は、どんなに小さな注文にも心から感謝したはずです。その姿を見て、お客様は「そんなに喜んでくれるなら、次からはここに頼もう」という気持ちになり、その人たちの支援によって店が大きくなっていったのです。ところが、商売が大きくなるにつれ、金額の大きな注文なら飛んでいくが、小口だったら「たったこれだけか」と態度を変えてしまう。みんなわがままになって、楽をして儲かる方法はないかと探します。しかし、不景気になり注文数が減って苦境に立った時に、心さな注文に感謝した頃の心を取り戻せるかどうかが、商売の岐路なのだと思います。大不景気の中、車を買った幸之助三つ目は「原点に返るチャンス」です。会社が大きくなり、売ることに忙しくしていると、何のために会社をつくり経営しているのか、何のために働いているのかという原点を見矢ってしまいがちです。よく「こんなに頑張っているのに認めてもらえない」という人がいます。私は、「誰のために、何のために熱心なのかによって、その熱心さが報われるかどうかが決まる」と思うのです。例えば、自分のノルマ達成のために熱心な人は「うるさい」「しつこいわね」と、お客様に嫌われる傾向にあります。それに対して、お客様の利益のために熱心になると、「うちのことをそこまで考えてくれているのか」と、その熱心さを喜んでくれるのです。私が松下電器にいた頃は、「企業の目的はその活動を通して社会をよくし、社会の役に立つことである」と厳しく教えられました。お客様のお役に立った結果が利益なのです。これが逆になると、利益のために手段を選ばない経営になって、やがて会社は衰退します。自分だけが生き残ろうと思ってやることは、やがて自らを滅ぼすのです。松下幸之助には、昭和初期の大恐慌の時に車を買ったという逸話があります。ほかにも新しい工場建設に乗り出したりしています。そこには「不景気で皆が萎縮している時に松下まで萎縮したら、ますます全体が萎縮して、結果、松下の製品まで売れなくなる。不景気の時こそ率先してものを買い、世間のものが売れるようにお役に立たなければならない」という考えがありました。松下電器がこれをやると世間様がお困りになるようなことはしてはいけない。世間様がお困りになって松下電器だけが生き残ることはありえない。自分が生き残りたいなら、皆が生き残れるよう努力しないといけない、というわけです。海外へ工場をつくる時もそうです。例えばマレーシアエ場は、マレーシアの発展に貢献するためにつくるのが松下電器の理念でした。しかし、いまは違います。企業のグローバル戦略の一環ですから、採算が合わなくなったらすぐに撤退するのです。もしもこのような不景気で人員削減、事業撤退の嵐の時代に松下幸之助が生きていたら、何と言うでしょうか--。おそらく、「仕事が半減しても、あらゆる蓄えを使っても、縁あって雇った人の雇用は守ります」と、世間の皆さまが拍手喝采することを、ぱっと宣言しただろうと思います。そうして、「松下幸之助がそういうなら、うちも人は切れないな」と、他の企業の抑止力になるよう努めたのではないかと思うのです。人間が行き詰まる時自分のこと、目先のことしか考えられなくなった時、人は必ず行き詰まる。これは松下幸之助が長年の経営人生から掴(つか)み取った真理ではないかと思います。そして晩年は、その真理をもとに日本国家全体のあり方を考え続けました。日本の政治には「国家百年の計」がない。百年かけてこの日本をつくろうという大計画を立てたら、かつてない繁栄をする巡り合わせにあるにもかかわらず、政治家をはじめとする指導者層が自分のこと、目先のことしか考えられない。このままではやがて日本は行き詰まってしまう--。松下幸之助はその危機感から、一九七九年に私財を投じて松下政経塾を設立、二十一世紀の日本を担う人材の育成にあたりました。創設から今年で三十年、私も十四年にわたり塾の運営に携わり、巣立っていった中には現在政界で活躍している塾生もいます。しかし、いまの政治の現状はどうでしょう。松下幸之助の掲げた理想からは遠のき、政治家たちは自分が次の選挙で勝てるかどうかに終始するばかり。このままあの世で松下幸之助に会ったら、私は申し開きが立たたいなと思います。「かつてない困難からはかつてない改革が生まれる。かつてない改革からはかつてない飛躍が生まれる」と松下幸之助は言いました。いまこそ我々は百年後の子々孫々の未来を考えなげればなりません。そのためには、こんな新しい日本をつくっていこうと、夢や理想を国民に示すリーダーが必要です。病気でも、やがて治ると思うから治療の痛みに耐えられるのです。死が待つのみなら耐えられないでしょう。「そんな素晴らしい日本をつくるためなら、多少の我慢もいいだろう」と国民に思ってもらえる夢・志を示せるリーダーの育成が、私の残された人生の大きな一つの課題と思い、陰ながら微力を尽くしているところです。物事はうまくいくようにできているこうして松下幸之助の教えを振り返った時、その発想はどこから来るのかと考えました。松下幸之助の発想の特徴は、我々がマイナスと捉える事情をすべてプラスに捉えていることです。例えば自分が成功した理由を、学歴がなかったこと 病弱だったこと 家が貧しかったことと言っていました。それは単純なプラス思考ではなく、私はもっと哲学的な思考ではないかと思います。松下幸之助は晩年、生活の拠点を京都の真々庵(しんしんあん)に移しましたが、その庭園につくった神社に自筆の「根源」という木札を納め、毎朝祈りを棒げていました。その祈りとは、次の二つだったといいます。「生かされてありがたい」「素直でありたい」松下幸之助は死ぬまで「素直でありたい」と言い続けました。私はそれを人様に対して素直でありたいのだろうと思っていましたが、何度か真々庵に足を運ぶうち、「ああ、そうか」と気づきました。おそらく松下幸之助は、万物を生成発展させる宇宙根源の力に対して素直でありたいと祈り続けていたのでしょう。宇宙根源の力はすべてを生かそうと働いています。その力に素直に従えば万事うまくいくようになっている。松下幸之助は些事をゆるがせにしない人でしたが、大局的には「物事はうまくいかないはずはない」と大きく楽観していたように思います。だからこそ、自らの身に降りかかったことのすべてを「天から与えられたもの」と受け止め、生かそうとした人でもありました。どんな従業員でもクビを切ることなく、生かし切りました。逆境も苦難も、必ず次の発展へとつなげました。おそらく、自分の努力で乗り越えようと考えたのではなく、この逆境をどう生かそうかという視点で捉えていたのだろうと思います。では、物事すべてを生かすにはどうしたらいいか。松下幸之助はよくこう言っていました。「嘆いてもどうにもならんことは受け入れろ。受け入れることで道はひらける」なぜこんなことになったのだろう、どうしてこんな目に遭うのだろうと嘆いているうちは、拒絶しているから生かすことはできない。受け入れたところから知恵が生まれ、道がひらけるというのです。私自身は自分で行き詰まりを感じた時、必ず思い出す松下幸之助の言葉は、「君、どんなに困っても困り切ったらあかんのやで」困っても、何か道があるはずだと思うところから道はひらける。そして道は無限にあり、その道を閉ざすのは自分の考え方次第。だから、困って困らず、と教わりました。断崖絶壁と思うような苦境にあったとしても、必ず道はひらける。その道をひらくのも閉ざすのも自分の受け止め方次第。波瀾万丈でも、終生世のため人のためと考えて生き抜いた松下幸之助の生涯が、逆境の時の生き筋を指し示してくれているような気がしています。
2010.03.14
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◎ 道を誤らぬための羅針盤 世間には高い能力を備えながら、心が伴わないために道を誤る人が少なくありません。私が身を置く経営の世界にあっても、自分さえ儲かればいいという自己中心の考えから、不祥事を引き起こし、没落を遂げていく人がいます。いずれも経営の才に富んだ人たちの行為で、なぜと首をひねりたくもなりますが、古来「才子、才に倒れる」といわれるとおり、才覚にあふれた人はついそれを過信して、あらぬ方向へと進みがちなものです。そういう人は、たとえその上を活かし一度は成功しても、才覚だけに頼ることで失敗への道を歩むことになります。才覚が人並みはずれたものであればあるほど、それを、止しい方向に導く羅針盤が必要となります。その指針となるものが、理念や思想であり、また哲学なのです。そういった哲学が不足し、人格が未熟であれば、いくら才に恵まれていても、せっかくの高い能力を正しい方向に活かしていくことができず、道を誤ってしまいます。これは企業リーダーに限ったことでなく、私たちの人生にも共通していえることです。この人格というものは「性格+哲学」という式で表せると、私は考えています。人間が生まれながらにもっている性格と、その後の人生を歩む過程で学び身につけていく哲学の両方から、人格というものは成り立っている。つまり、性格という先天性のものに哲学という後天性のものをつけ加えていくことにより、私たちの人格は陶冶されていくわけです。言い換えれば、哲学という根っこをしっかりと張らなければ、人格という木の幹を太く、まっすぐに成長させることはできないのです。◎ 人間として正しいかでは、どのような哲学が必要なのかといえば、それは「人間として正しいかどうか」ということ。親から子へと語り継がれてきたようなシンプルでプリミティブな教え、人類が古来培ってきた倫理、道徳ということになるでしょう。すなわち、嘘をついてはいけない、人に迷惑をかけてはいけない、正直であれ、欲張ってはならない、自分のことばかりを考えてはならないなど、だれもが子どものころ、親や先生から教わったにもかかわらず、大人になるにつれて忘れてしまう、単純な規範を生きる指針に据え、人生における守るべき判断基準とすべきです。一般に広く浸透しているモラルや道徳に反することをして、うまくいくことなど一つもあるはずがない。これはとてもシンプルな基準ですが、それゆえ筋の通った原理であり、それに沿って人生を生きていくことで迷いなく正しい道を歩むことができるのです。現代の日本で、人間のあり方を示す倫理や道徳などというと、いかにも時代遅れのさびついた考えだという印象を抱く人が多いかもしれません。戦後の日本は、戦前に道徳が思想教育として誤って使われたという反省と反動から、これらをほぼタブー視してきました。しかし本来それは、人類が育んだ知恵の結晶であり、日常を律するたしかな基軸であるはずです。近代の日本人は、かつて生活の中から編み出された数々の叡智を古くさいという理由で排除し、便利さを追うあまり、なくてはならぬ多くのものを失ってきましたが、倫理や道徳といったことも、その一つなのでしょう。いまこそ、人間としての根本の原理原則に立ち返り、それに沿って日々をたしかに生きることが求められているのではないでしょうか。私たち一人ひとりが、そう心がけることで、それぞれの人生がより充実したものになるばかりか、社会もより豊かで潤いのあるものになっていくことを、私は信じています。
2010.03.13
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◎ 才覚よりも大切なもの 近年、日本の社会では、リーダーの資質として、「才覚」が重んじられてきました。たとえば経済界では、才能にあふれ、顕著な功績をあげた者が、社長など経営トップに任命され、高く遇されています。しかし私は、咋今の不祥事を見るにつけ、それだけで評価してはならないと思うのです。「才子、才に溺れる」といわれるように、才能をもって成功を収めたリーダーが自分の力を過信して失敗してしまうケースがあまりに多いからです。優れた「才覚」の持ち主であればあるほど、その力をコントロールするものが必要となってきます。それが、いわゆる「人格」というものであり、その「人格」を高めるためには、哲学や宗教など聖賢の教えを通じて、「人間としての正しい生き方」を繰り返し学ばなければなりません。「才党」あふれるリーダーも、この「人格」の大切さは十分知っており、哲学や宗教についての知識も持っています。しかし、知っていることと実践できることは違うのです。多くのリーダーが、「人間としての正しい生き方」などは一度学べば十分と思い、自分の血肉になるまで繰り返し学ぼうとしません。そのために、才に溺れるリーダーが続出するのです。スポーツマンが毎日鍛錬しなければ、素晴らしい肉体を維持できないように、人間は少しでも心の手入れを怠るとすぐに堕落してしまいます。 ◎プリミティブな教えを徹底して守り通すでは、「人間としての正しい生き方」とは、どのようなものでしようか。それは、(高邁哲学や宗教からだけ学べるというものではありません。われわれは、すでに子どもの頃に、両親や教師から「欲張るな」、「騙してはいけない」、「嘘を言うな」、「正直であれ」というような、最も基本的な規範を教えられています。そのなかに、「人間としての正しい生き方」はすでに示されています。まずは、そのような単純な教えの意味を改めて考え直し、それを徹底して守り通すことが大切です。リーダー、たとえば大企業の社長たちに、このようなことを問えば、「一流大学を卒業し、トップにまで登りつめた自分に失礼だ」と一蹴(いっしゅう)されるかもしれません。しかし実際には、そのような大企業のリーダーが、プリミティブ(基本的)な教えを守ることができなかった、あるいは社員に守らせることができなかったから、企業不祥事が続発したのです。実際、平成十四年に日本の新聞紙上をにぎわせた、雪印や日本ハム、三井物産、東京電力などでは、業績に影響を与える事象が生じたときに、「欲張り」、企業の利益を優先しました。また、その事実が発覚しそうになったときに、「嘘を言い」、「人を騙し」、事実の隠蔽(いんぺい)に走ったのではないでしょうか。いま、社会倫理の回復を図るために、法制度などの厳格化を求める意見もありますが、私はそれよりも、この「欲張るな」、「騙してはいけない」、「嘘を言うな」、「正直であれ」というような、「人間としての正しい生き方」を示した、単純でプリミティブな教えを、まずは社会のリーダー自身が徹底して守り、また周囲に守らせるほうがはるかに有効であると考えています。最近発党した企業不祥事は、氷山の一角に過ぎず、日本の社会にはまだまだ多くの不正が隠されているのではないでしょうか。そうであれば、私はリーダーを筆頭にわれわれ日本人のすべてが、先に述べたように、心の手入れを怠らず、プリミティブな教えを頑なに守り通そうとする、生真面目(きまじめ)な社会をつくることが、一見迂遠(うえん)に思えるものの、日本を再生するための最善の策であろうと思います。日本は現在、危機的な状況にありますが、私は日本人が本来持っている、このような高い倫理観や勤勉性を取り戻すことにより、必ずや復活できると信じています。
2010.03.12
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幸福は心のレベルで決まる ◎ 勤勉、感謝、反省の大切さ私は十三歳で終戦を迎えた世代ですので、生きる上で最初に意識したこは、「勤酔ということでした。廃墟と化した国土に立ち、真面目に一所懸命働くことしか、生きる術はなかったのです。私の一家も当時、経済的にたいへん困窮しましたが、不思議と不幸だという感覚はなかったように思います。誰もが誠実に、日々懸命に生きることで精一杯だったのです。その後、二十七歳のときに京セラをつくっていただいてからは、「感謝」という思いを強く抱きました。経営の経験も何もない私のために、自宅を抵当に入れてまで、会社設立に尽力いただいた方々の期待に応えなくてはならないとの一心から、必死になって働いているうちに、心の底から「感謝」する思いが湧き起こってきたのです。幸いにして、まもなく会社の経営も軌道にのり、借金を返せるめどもつきましたが、決して経済的に豊かになっていたわけではありません。その頃は一日中仕事で走り回り、ときにはクレーム処理などのトラブルに追われ、まさに昼夜兼行で仕事に励んでいました。しかし、それでも一緒に必死になって働いてくれる社員や、注文を下さるお客様、いつも無理を聞いてくださる業者の方々など、周囲の人々への「感謝」の思いは片時も忘れたことはなく、同時に「自分は幸せ者だ」ということも、漢然とではありますが感じていました。その後、日本の社会が豊かになっていくにつれ、京セラも順調に成長発展を重ね、また思わぬことに、私も経営者として世間から高い評価をいただくようになってまいりました。その頃から私は、「反省」ということを強く意識するようになりました。毎日、起床時と就寝前に洗面所の鏡に向かい、昨日あったこと、きょう自分がやったことを思い返し、人間として恥ずべき点があれば、自分自身を強く叱り、再び過ちを繰り返さないよう戒めるようになりました。至らない自分ではありましたが、そのような「反省ある人生」を心がけてきたことで、晩節を汚していく経営者が次々と現れる中にあって、大きな過ちを犯すこともなく、十分に幸せを実感できる、現在の日々を迎えることができているものと私は考えています。◎ 美しい心を持って生きるこのように、どのような環境にあろうと、自分なりの幸せを感じつつ、現在に至っていることを思い返すとき、私は幸せとはまさに主観的なものであると強く思います。幸せと感じられるのか感じられないのか、その成否はあくまでも、当人の心の状態にあるのであって、普遍的な基準など一切ないと思うのです。物質的にいかに恵まれていようとも、際限のない欲望を追い続けていれば、決して幸せを感じることはできない。一方、物質的に恵まれず赤貧洗うような状態であっても、満ち足りた心があれば幸せになれる。仏の教えに、「足るを知る」ということがあるように、膨れあがる欲望を満たそうとしている限り、幸福感は得られません。反省ある日々を送ることで、際限のない欲望を抑制し、いまあることに「感謝」し、「誠実」に努力を重ねていくそのような生き方の中でこそ、幸せを感じられるのだと思います。人間には、百八つの煩悩があるといいます。この煩悩が、人間を苦しめる元凶だと、お釈迦様は説いておられます。また、その煩悩の中でも最も強い煩悩が、「貧欲」、「愚痴」、そして「怒り」の「三毒」だといいます。人間ですから、生きていくために煩悩も必要です。しかし、過剰であってはなりません。煩悩を募らせ生きていったのでは、幸せを永遠に感じとることはできないでしょう。人間にはもともと、煩悩の対極に位置する、素晴らしい心根があります。人を助けてあげるとか、他の人のために尽くすことに喜びを覚えるといった美しい心を、誰もが心の中に持っています。しかし、煩悩があまりに強すぎると、なかなか表に出てこないのです。だからこそ、努力して、煩悩を抑えることが必要です。そうすれば、人間の心の奥底にある、美しく優しい心が必ず出てくるはずです。そうした美しい心を持って生きることができれば、たとえ物質的に恵まれていなくても、幸せを感じることができるのです。幸福になれるかどうか、それは心のレベルで決まる-つまり私たちがどれだけ利己的な欲望を抑え、他の人に善かれかしと願う「利他」の心を持てるかどうか、このことこそが辛福の鍵となるということを、私は自らの人生から学び、確信しています。
2010.03.11
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ビーチグラスを使っての絵を作り終えて、残っていたガラスで二つ目のランプを作りました。 今回は台に20センチくらいのガラス板(ビーチグラス)を使って、全部ガラスで組み上げてみました。100均で買っていたイルカ(いちばん右)と、クレーンゲームで取っていた、小さなイルカも仲間に入れてみました。これですべて材料を使い果たしたので、しばらく工作はお休みです(笑) (明るめで撮影)
2010.03.10
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家の近くにあるつけ麪やさんです。前から氣になっていたのですが、ようやく行ってきました。ランチタイムだったので、しばらく待ちましたがそれも人気があって美味しいのかと期待が膨らみます。ここは、なんと普通~特盛りまで全部780円です。ちなみに私は大盛りを頼みました。魚のだしがきいていて、大人の味わいです。麪は思った以上の量でした。めちゃめちゃお腹一杯になりました。学生さんは特盛りを頼んでましたが、私には無理そうです。 同じ価格なら、どれを頼みますか?
2010.03.08
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久しぶりの九州での仕事です。新幹線で小倉まで小倉駅につきました。仕事が終わって、本当は東洋軒に行きたいのですが足が無いので恒例のラーメン横丁へ。やっぱり豚骨ラーメンは美味しいです。私には心に染みいる味です。お腹と気持ちの充電を済ませて帰路につきました。
2010.03.07
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ビーチグラスの絵、第二段はカメです。製作途中で、はぁちゃんから、左足の部分が頭と言われたので、間違われないように、目を入れました。
2010.03.05
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大阪に日帰りで会議に行ってきました。9時に家を出で21時に帰宅。めまぐるしい一日でした。お土産に予定していた堂島ロールは売り切れ。大阪らしいお好み焼きのクッキーを買って帰りました。予想以上に美味しく頂きました
2010.03.04
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春は、頭がボーとする、眠い、眠れない、ポーっと火照る、顔がむくむ、イライラして気持ちが落ち着かない、ニキビ吹き出物などの皮膚疾患、頭痛肩こりと、体の上部に症状があらわれやすいようです。それは、気候の陽気が増しているにも関わらず、体を動かさないと、陽気が体内をうまくめぐらず、体の上部に停滞してしまうためです。春に、朝寝坊で体を動かさずじっとしていると、夏になっても上手に汗をかくことができずに、寒暖の差に弱くなったり、新陳代謝が低く、冷え性になったりします。朝は日の出とともに起き、活動をはじめ、昼に向かって活動量を増やし、日の入りとともに静かな時間を過ごすことがたいせつです。春の養生この季節になりますと毎年、花粉症の話題が取り上げられます。実はこの季節は発散しないといけない季節です。ですから当たり前の反応です。この体の働きを、漢方で助けてやれば良いのです。この季節は特に肝腎をつよくする食べ物をとる必要があります。「春の七草」などの少し苦味のある食物です。肝臓は解毒作用、腎臓は利尿作用を管理していますが、たとえば現代のように甘いものを取りすぎると、小便が不利につながります。そうしますと、下痢をするか、頭や皮膚から水分を出さなくてはならず神経症になり、腺病質やアレルギー症に発展していきます。症状を訴える位置と病状によって、少陰病、太陽病、太陰病、陽明病、厥陰病、少陽病の6つに分けられています。訴えが背中にあるか、お腹にあるか、側面がだるいか、さわるとこそばいか、気持ちが悪いか、訴えで病位が決まります。体の側面がつる場合は、膀胱炎とか肝臓炎であるということがわかります。半表半裏に熱がある場合は、体温計では微熱としか感じません。漢方を理解する上で、私が好きな言葉があります。「立てば芍薬、坐れば牡丹、歩く姿は百合の花」人間のアンバランスな姿態を目標にして、それを正常に補正藥である芍薬(水毒の排除藥)、牡丹(血毒の解毒藥)、百合(気毒の発散藥)を意味しています。つまり「腹が立ったら芍薬を飲みになさい。尻が重くて座ったら最後、腰が上がらない女性は牡丹を飲みなさい。そうすれば健康で美しくいられます」という事です。漢方医学には「気・血・水」の基本があります。「気」は生命のエネルギー。「血」は体内を循環する血液。「水」はリンパ液、胃液、尿などの水。三者が体内で影響しあっています。特に重要な「気」の異常は「血」や「水」ら影響し、めまいや肩こり等が起こると考えられています。「心身一如」と言って、常に心身のバランスを見て一つの薬で心身の両面から治療するのが漢方です。慢性病はある程度の時間を要しますが、漢方は即効性があり、風邪などは数十分で効果が出るのです。病気は・気・血・水のアンバランスですから、そこを正して理解してください。気症☆人間は数日間食べなくても生きられますが、神経を四六時中使いっぱなしで、睡眠と休養をとらなければ一週間と生きられない動物です。頭が痛い・重い。不眠。自律神経失調。のどがつかえる。息切れ。手足が痺れる。ふけ。ノイローゼ。鼻づまり。臭いがわからない。精神不安。アレルギー体質。ふるえる。血症脳出血。舌が赤い。首筋の横が凝る。胸や脇の圧迫感。胃がつかえる。胃からの出血。血圧が低い。血便・血尿。便秘。貧血。目が赤い。のぼせ。左肩が凝る。胸苦しい。腹の横が痛い。皮膚の炎症、かゆみ。血の道。ぢ・冷え。水毒症☆肩こりや首筋のこりは、腸管の水滞が原因だと考えられます。水滞が起こると、水分を頭や皮膚からだし、風邪を引きます。停滞していれば、あくびが出て背がつってきます。頭が痛い、重い。(水毒から来ていることが多い) めまい。首筋の後ろが凝る。右肩がこる。ねあせ。腹鳴り。腹がすじばる。涙が出やすい。鼻水が多い。咽が渇く。咳、痰。嘔吐。汗かき。全身がむくむ。下痢。残尿感。下痢について熱性のものか冷えによるものかを見分けるための方法があります。便が白ければ、胃や腸に水滞があり、冷えが原因になります。便が赤ければ熱性の下痢です。白ければ辛温劑を、赤ければ苦寒劑を使います。また黄色ならば甘劑と色で判断出来るのです。鹹劑の薬剤は少なく、したがって塩を上手く使う必要があります。精製したマグネシウムのない塩は別ですが、本当の塩の効果をもっと知ってください。人間が食べて塩辛くてもまろやかな味の塩が、薬としても効果があるということになります。ヨーロッパやアメリカなどは乾燥しています。さらに常食の肉類から塩分を摂取しています。また体質的に塩分なしでも水分を気化して鼻や口や皮膚から出しています。ところが日本は湿度が高く、澱粉と野菜という水分の多い食事をするので塩分がなければ小便が出しにくいのです。水分代謝が出来づらく、結果的に胃腸の中に水分が停滞してしまいます。具体的には成人で1日15グラムの塩分が必要です。苦いものはあく抜きをしなければなりません。日本人は辛劑を上手く使わなければなりません。胃腸薬にはこのことが利用されています。春先に養生しないと体温が低くなっていく傾向が強まります。花粉症には小青龍湯・麻黄細辛附子湯等に桂枝加芍薬湯や小建中湯を併用していくのです。春は肝に気をつけないといけません。肝は自律神経に関与しています。肝は血液を蔵します。イライラしてくる人は気をつけてください。病は7情から起こるとされていますが、患者との対話の中で、よく実感させられることが多いと思います。肝の病には代表的なものとして、四逆散・香蘇散・抑肝散・補中益気湯・柴胡桂枝湯・龍胆瀉肝湯等があります。この季節に酸棗仁酒を造られるのをお勧めします。疲れが取れてよく眠れるので大変喜ばれます。予断ですが漢方薬ではビタミンCが足りません。補われることをお勧めします。アレルギー性鼻炎漢方藥で発散させればよいのです。葛根湯に小青龍湯を加味する場合もありますし、五苓散を加える場合もあります。・麻黄細辛附子湯には桔梗石膏を加えることもあります・麦門冬湯の症の方も多いようです。 目を大切に春先は涙がでる方が多いのです。ここでも葛根湯や小青龍湯を使ってみてください。蜂蜜について自然界の花の蜜というものは20%の砂糖液です。これを蜂が80%に濃縮して、人間が分解するべきものを、既に蜂がしてくれたものなのです。蜂蜜は5味を有しているのです。本当に素晴らしいものなのです。特に春先は蜂蜜を上手く使ってください。100g中に次のようなものが入っています。酸 有機酸 ビタミンC 240μg苦 ビタミンK 25μg 葉酸3μg アセチルコリン1.350μg甘 ブドウ糖 35.0g 果糖 36.0g ショ糖 2.6g 少糖1.4g 水分20.7g蛋白質0.3g辛 ビタミンB1 5.5μg ビタミンB2 20.0μg ニコチン酸 100.0μgパントテン酸 100.0μg ビオチン 6.6μg鹹 ミネラル0.09g 鉄・カルシウム・ナトリウム・銅・リン・マンガンなど酵素 ジアスターゼ・オキシターゼ・ベルオキシターゼ等甘みは誰でも好きですが、砂糖の取りすぎはよくありません。砂糖を取ると体内で二つのブドウ糖に分解し消化しなければならなくなります。その分解にビタミンB1やカルシウムが使われます。砂糖をとると骨が弱くなったり、脱ビタミンで皮膚が弱くなったり、成長が遅れていきます。蜂蜜は人間の体を正常にする健康食品の1つであり、漢方では病気予防の薬剤でもあるのです。
2010.03.04
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先週からビーチグラスで絵を作っていますが、ようやく?第一号が完成しました。トイレの横の水槽上に設置してみました。透明のガラスにビーチグラスを張って・クラゲにしてみました。はぁちゃんから「タコ?」って聞かれましたが、断固クラゲです。タコだったら口がいるやろ
2010.03.02
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