2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全31件 (31件中 1-31件目)
1
この防衛省昇格法案の衆院通過は事実上の保守大連立である。つまりは急進的な民主党の安全保障政策が自由民主党の安全保障政策を後押ししたのである。こういうスタンスで沖縄県知事選を戦ったことが沖縄の賢明な有権者には認識されていたのだということなのだろう。まったくもう・・・やっぱり衆議院の小選挙区制度は失敗だった。これでは選択肢は皆無に等しい。いくら民主党へと投票しても無駄なのだ。きちんとしたカウンターパートを不在にしたままの小選挙区制度は単なる政府・与党の形式的な信任投票へと堕していく事が確実である。これでは投票率も下がり続ける。おそらく国会も地方議会も政府や役所では考えられないようなノーチェック状態にある。そうした中での氷山の一角が東京都内の目黒区議会であったということだ。沖縄県の那覇市にあるタクシー会社で東京都内を走ったと平気で改ざんできる選良たちに私たちは何を期待すればいいのだろう。そういえば同区内の区議選に出た某民主党の候補者は選挙運動を自転車で行うことが公約であると平気で掲げてた。そんな程度の低い政党政治に果たして本当に実行する意思のあるマニュフェストなど掲げられるのだろうか。せいぜい郵政事業を民営化するといった単純なフレーズが限度かな。こういう政党政治に対する失望感が強まるという状況は、大正デモクラシーの終焉した状況と酷似している。あれだけ政治改革と騒いだ約20年間というものは一体、何だったのか。あの旧社会党ブームに触れた18年前の夏。あれから私たちは何を想い、そして何を失い、何を得たのだろう。
November 30, 2006
コメント(2)
いつも国家が国民に対し忠誠としての「愛」を求める様になるとロクでもない状態に陥っている。ほんとは国民に支持される様に人々の暮らし向きに適切な保護を与えるべき国であるはずなのに。そういう保護を与えられないのに「国民保護」という名の軍事的シュミレーションを行う日本か。これはNHKの経営姿勢を見ても思う。つまりは公共放送とは名ばかりの公共性を置き去りにしたNHKエンタープライズに象徴的な事業の肥大化。ああいう放漫な経営を野放しにしたまま裁判所を使って受信料の督促手続きを踏むというのはクレジット会社やサラ金などと変わらないのだが。あるいは恒久減税といっていたはずの税控除の制度が徐々に個人ベースではスライスされている。それなのに法人税制だけ一層の軽減を受けている。どう考えても法人減税分の利益などキャピタルフライトして日本国内の資本としては空っぽになってしまうだろうに。いったい何を考えている。そうやって2兆の利益を上げたトヨタの下請けで研修制度を悪用したベトナムやフィリピン等から来た人達を違法に働かせ彼らの労働力を搾り取っている。これはアメリカナイズを常に追求する日本の国是なのだろうか。これと入管による不法滞在の取り締まりに晒されている人々との違いは。もっと卑近な話はキャッシュカードのIC・指紋認証化。なぜ金融機関の手間を減らしてやるのに利用者側がカードの作成手数料まで負担してやらなければならないのか。これはキャッシュカードでの払い戻し手数料も同じ意味で絶対におかしいのだが。それは肥大化する郵貯にもいえるのだ。なぜ自由民主党に復党した奴らはコセコセしているのだろう。もっと正直に「モチ代が欲しくて」と堂々と云えばいい。そして「やはり兵糧攻めには耐え切れなかった」と真摯に心中を吐露すればいい。どうやって言い訳しても君達は「郵政民営化反対」の公約を破ったことに変わらないから。あの北海道でのサンマが浜辺で打ち上げられてた様は何だか背筋がゾッとした。ほんとうの報道は単なる事実を淡白に伝えるだけで事足れりと云えるだろうか。どうにも気象庁が国土交通省の外局として位置づけられている日本のスタンスは環境省になっても依然として後進性を拭えずにいる。どんなに技術が発達したとしても今の日本には知恵がない。というか知恵を殺すように組織というものが機能している。いろいろな横っ面をうわべだけ撫で回したような美辞麗句だけが空回りして本当に必要な物事への踏み込んだ考えが出てこない。教育再生会議の答申について懐疑的である。いまの公立小中学校は「いじめ」をまともに取り扱えないでいる、というのが実情なのに追い打ちをかけるように綺麗ごとを並べ立てる。あの四半世紀前と一緒だろうね。そういう精神論みたいな言葉だけ並べるため喧々諤々したって何も変わりません。むしろ状況は放置され続けるでしょう。わたしたちは今一度あらためて自分たちを取り巻くシステムそのものについてキチンと何が問題か認識しないと危ない状況に陥っている。その蓋をされてしまった「閉じ込められた」世界の中から自らの力で手繰り寄せない限り事実すらも霞んでしまう。そういう意味で「なんか違う」と思う。
November 29, 2006
コメント(1)
つまりは、自由である、ということは頑固である、ということ。それは、けっして、なにものにも縛られない、という意味で重なる。いわば他者からの強制でも安易な妥協でもない純粋たるものにこそ美は宿される。それが宿命というものだ。そう誰かがウソブク。それは単なるマヤカシかと。あるいは慈しむとは一体、何を意味するのかと。あまりの哀れさに我を忘れてヒタムキニ何がしかの得られた確信を実際には叩き付ける行為でありながら常に善意の意味に解釈されてしまうもの。そういった偽善に囲まれて人々は幸せという虚構に甘んじて自らの生を貪りあって命を削るのだ。この狂いにこそヒトは自らの再生を託すのだ。そうやって狂わせている間に無意識のうちに自分というシールドを再び成形するのだ。それは常に争いを欲する。いわば腕試しのように。そんなには大した目論見などないのだ。やみくもに力任せで世界を変えられるのだという確証を得たいのだ。
November 28, 2006
コメント(1)
とても凍てつく風が私の頬に当たることだろう。それでも、いろんな意味で内心では乾いている。あの滴り落ちるような汗にまみれた8月の暑さとは別世界のように。あの時も狂ったように闇間の空は泣いていた。そして、いたたまれないくらいの感傷を確実に私の心の中に刻み込んでいった。あれから一体、何が変わった、というのだろう。いや、決して何も変わっては、いない。そして、再び戸惑う。あやふやな気持ちの延長線に見渡せるものなど、ただの幻に過ぎないのでないかと。きまりきった空間の中に漂う精神だけを残して私は灰になる。それから、やがて土に帰るのだと。ふいに気がつけば雨は叩き付けるように地上の存在を再び攻撃し始めた。まるで何か狂った様に。それでも責め続けなければならない。だから空は顔を隠すようにして自らの面を真っ黒にして心を鬼にしながら何故か思いっきり涙を流しながら自分に鞭を打ち付けている。そんな或る晩だった。
November 27, 2006
コメント(0)
この関東地方も内陸部では何日か遅れとはいえ初霜を記録する時期となった。これからは檜原やら奥多摩やらへドライブという季節でもなくなった。そのうち限定解除に再び教習所へ通おうかな。それにしても軽自動車の価格も知らぬ間に高くなっていた。ほとんどコンパクトカーと変らない。どうしても念頭に「総価格50万円以内5年落ち5万km未満」というイメージがあってなかなかドンピシャの中古車に巡り合えない。まあ自分の運転ペースだと暫くはレンタカーでも構わない。まだ週末の晴天又は曇天限定で運転している。この週末は少し小休止にして来週末に天気次第で。とりあえず教習所時代のクラウン・コンフォートの次は今の所、カローラが練習車になっている。なんとなく20~30キロ道路を通るたびに「ミラ・クラスの軽自動車だったら楽だろうなあ」等と思ってしまう。けれども、せめて次の免許更新までは普通車で頑張って見ようかと思っている。
November 26, 2006
コメント(1)
その後、なんとか「27664」まで回復をしたカウントも何故だか「27617」へと急に再び戻ってしまった。べつに閲覧する方を責めるつもりはないが技術的に多分、携帯からアクセスされてしまうと急にカウントが「1」に飛んでしまい暫くしてからカウンタが狂ってしまう様である。というか幾分か疲れている気がする。たしかに巡り合せもマズイのだけど。このカウンタの一件も然りだが、転居の方も契約書類が送付されてくるというので気長に待っていたものの届かないので少し不安になっていたら突然、職場に大元の不動産仲介業者から物凄い剣幕で電話が入ってきた。こっちも癪なので最初の仲介業者に思い切り文句を云ってやった。そもそもは書類が発送されたり送金額が把握できた段階で連絡するのが常識だ。おかげで昨日の午後は腹が煮えくり返っていた。さりとて引っ越す手筈で進めているし大元の仲介業者にとっては既定の契約なので仕方ないけど。どうしても独り暮らしというのはめんどい。たまにハンコの要る配送物が自宅に送られてくると、なかなか受け取ることが出来ない。この春にも不在通知の残し方で郵便局と喧嘩した。だんだんと郵便局も「真っ向サービス」から「思い切り手抜き」になってきた。だから民営化したのかいな。どうやら郵便局の業績は郵便事業に限らず貯金や保険の分野でも危ないらしい、ということは昨夏くらいの時点で東洋経済新報あたりも書いていた。けれども最近になり思い切りメディアニュースのトップ記事を飾る様になると何だか郵政民営化というのは体の良いペテンだったのではないか。いま平沼やら何やらを難癖つけてか無条件か知らないが再び自民党に抱き込む話がさも重要な話であるかの様にニュースは伝えている。けれども本当に郵政民営化の方向性というものが正しいのかキチンと政策的に評価する機会を国会で見ることは出来ない。そこに無節操の極みを見てしまう。あの拉致もそうだし、この郵政民営化も、どこかチェックというか検証するべきツボみたいなものを見誤っているのでないか。こうしたエラーというか意図的なズラシが今の社会保障分野におけるデタラメな現状に反映されてくるのではないか。そういうズラシ防止を野党に期待したのだけど。けれども民主党の国対委員長を見て失望した。なんだか旧社会党くずれの、どうでもいいやつだ。こういう奴を見ていると昔の公明党の坂口を想い出す。いくら医者だか何だか知らないけれども、てめぇのいた過疎の医療まで根絶やしにするような臨床研修システムを導入させてしまったしね。なんだか日本は変だ。べつに労働組合とつるむ政党なんて世界の常識なのにね。それなのに宗教とつるむ政党は何も文句を言われない、というか言わせない。どっちが現行のルールの上でフェアでないかは明白だ。たしかに岐阜県みたいに既成の組合そのものが腐っていることもマズイのだが。そうした意味で「すき屋」から突然の解雇を言い渡されたバイト従業員がユニオンによって何とか雇用を維持したニュースは救われた。ただ、これにも限界がある。いまの労働条件を良くするには武器にならない。あくまでも無茶苦茶な一方的な解雇をけん制出来るだけに過ぎない、のである。やはり最低賃金よりも生活保護の給付が上なんて信じられないセーフティーネットに何も具体的な改善の兆しが見られない所に「再チャレンジ」という言葉の嘘が見える。この日本の国内に依然として存在する都道府県間の平均所得格差に対して果たして三位一体の改革は何を改善できるのか。なんだか久しぶりに怒りを単純に感じただけなのに無関係に「怒り」という共通の項目だけで思いつく出来事がバラバラと浮かんできてしまった。このブログを通じて再び自分の問題意識の芽だしというか耕し作業を続けていこうと思う。この間のクダラナイこだわりも役に立ったと思いたい。
November 25, 2006
コメント(0)
きのうまでは「27678」だったカウンタが日付を越えたら瞬間「27617」になっていた。たしかにカウンタなんて、とも思う。けれどコツコツと自分なりに言葉を絞って書き綴って来た身として何だか楽天にバカにされたような気になっている。アフェリエイトしない奴へ嫌がらせか?
November 24, 2006
コメント(1)
たしかに「27693」までカウンタは正常に動いていた。けれども気がつくと「27629」。なんとなく楽天の好い加減さを感じた。
November 23, 2006
コメント(1)
めっきり冷えてきた。このまま気温は下がり続けるだろう。なんとなく冬の本格的な訪れなのか。けさストーブを出した。もうカーペットは使い始めていたけれども。さすがにエアコンでは寒い。あっという間に来週末は12月だ。なんだか早いものだ。とりあえず今までの無事を感謝しよう。なんだか最近は飲みにいく機会も減った。さっさと自宅に帰るほうがホッとする。それだけ以前に比べてストレスが溜まらなくなったらしい。たしかに上司がいれば伺いを立てれば済むことも多いけど全部が自分の責任だと割り切れる今の職分というものはハッキリしていてマシかもしれない。きのう何となく4月までのスケジュールを書き出してみた。たぶん1月の下旬からはスキーと温泉を兼ねて何回かは出掛けることだろう。それまでに転居の作業を終えないと。そしてスキーの時期を過ぎたら中古車探しか。その前にオートマ限定解除に教習所へ行こうか。あれやこれと考える。そうだ卒論も考えないと。その前に履修届だ。そんな風にダラダラと考える。けれども予定表通りスンナリと行かない、というかしないのが自分の流儀。だからアイデア程度に考えている。たぶん明日になったら気が変わってしまって別の考えが思い浮び別の方向へと進んでいくのが常である。
November 22, 2006
コメント(0)
いわば貧すれば鈍する。そういうこと、らしい。そういう解釈が自然だと思う。やはり昨年の衆院選挙も今回の沖縄知事選も同じベクトルに向かっていることを如実に示している。それだけ過酷な社会に有権者は身を置いている、ということなのだ。だから深く考える感覚すら麻痺させられる。とりあえず何か「ありつけそう」なものを貪れればいい。そんな感覚が相当な数の有権者の意識を支配している。それは確かに「競争」意識なのかも知れない。けれども必ず落伍者の出るのが競争そのものの本質で、その痛手を自分が一番、深く負うのだ、ということは意識から抜けてしまう。こういうペテンな政治の蔓延。これが最高の道徳を示すのだ、と云うのであれば「いじめ」だって大量に発生しよう。あまりにも近視眼的なマスコミが垂れ流す情報の数々は一般人から深く考えることを奪ってしまう。こうやって蓋をされた社会とはピョンヤンと大きく変わらない構造にある。ともかく自己の観念的な自我を満たすことを良しとする日本社会。この社会にあって果たして他の国との関係性や自らの拠って立つ前提条件などを冷静に考えられるというのだろうか。あまりにも同質性を追求し続ける異常なまでの偏執的な価値観に規定された国の行く末を案じずに居れない。
November 21, 2006
コメント(1)
あえて石原慎太郎のコトバを皮肉交じりに用いれば「この国の危機が先鋭的に現れるのは他ならぬ首都、東京である」と。つまり排斥的な彼の言動が国連でも具体的に指摘され日本の右傾化の象徴として認識され、かつ世界各国のメディアからパスされてしまっている。これでオリンピックか。あるいは教育基本法の改正を受ける格好で文科省の教育委員会に対する是正命令の権限が具体的に規定される。あの米軍基地の収用手続きを巡るトラブルで国の直接執行事務となったように時代と逆行したスタンスを敷く国の姿勢。それは年金事務を市役所から社会保険庁に移管したのと同じ。もはや再度の中央集権化は逆効果でしかないことが明らかなのに「国の強力な指導が必要」という根拠を持たない論説が安易に振り撒かれている。そうだろうか。けっきょく自殺予告の手紙が文科省に寄せられたって右往左往してるじゃないか。あんな大臣の原稿棒読みに誰が心を打たれるの?はたまた30年越しの拉致認定。それじゃあ今まで一体、何をしていたの。ただ北朝鮮を批難するために今ごろになって後知恵ですか。いままで認定せずに長期間、問題を放置してきた組織として責任をキチンと説明できるのですか。むしろ自分たちの捜査不十分を一方的になすっていないか。たしかに政府・与党側の候補者が勝ちはした沖縄県知事選挙。けれども本土の二倍に達する失業者を前にして首相補佐官が事前に圧力を露骨にかけ揺さぶるという官製選挙。こういうコロニアルな発想で沖縄を見る今の政府・与党にハシリュウやオブチは草葉の陰で何を想っていることだろう。たぶん民主党も腹の底は時代遅れの新保守主義を自民党以上に急進的に実行したいと思っている。こういう時代的な退行現象というものは何を原因として生じているのだろうか。あのフランスでも前回の大統領選挙ではルペンを阻止すべく戦ったが日本では無理らしい。なんとなく嫌な兆候か。
November 20, 2006
コメント(0)
そんな感じを覚えた。なんだか秋めいた日もわずかだった。いきなり冬の陽気になったせいか巷で風邪ひきの人ばかり見かける。なんだか心なしかクシャミやら喉の軽い違和感やらもあったりと。こうやって暫く雨やら曇りやら曖昧な天気が続きそうだ。この降りしきる雨に冬の訪れを感じる。こういう時期は心も体も縮こまる。どっと溜まった疲れを吐き出させるかのように。いままで気楽だったものが少し重みを帯びてくるような感覚になっている。いろいろな活動に対する規制みたいなものが自然の枷として背負わされてくる。それが冬という季節の持つ本来の役割なのだろうか。あの茹だる暑さでボーとしていたのと同様に凍てつく寒さで暖を取りながらボーとするのだろう。いわばボーとするインタバールによって自分と世間との間に横たわるズレを修正するかのように。こうやって自然の誘いに翻弄されるときに自分は単なる一人の人間なのだと改めて気づかされる。それにしても巷は空疎なイベントに満ちている。まるで広告の単なる埋め草みたいに単なる人間の属性だけが動員されている。もう少し落ち着いてジックリと物事の推移やら経過というものを見て感じるということを研ぎ澄ます楽しみを与えてくれないものか。やけにウルサク感じてしまうよ。ほんとうの贅沢というものは豪華さ一点張りではない。そういうことをあまりにも考えていない。だから、さもしい根性だけ嗅覚だけで寄せ集めた世界が大手を振って歩いている。こういう日常に慣らされていると恥の観念は消えてなくなるだろう。けれども自分を考える意識も消えてしまう。
November 19, 2006
コメント(1)
きょうは56キロ。このあいだの日曜は73キロ。その前は103キロ。なんだか段々と走行距離だけは短くなっていく。というか徐々に休憩を上手く取れるようになった。どうやら勤労感謝の日も次の土曜も雨の予報。これで日曜も雨なら少し休もう。そろそろ引越しの支度もしないと・・・なんとなく今回も自宅付近まで運転。ただ自宅付近までのルートは3回とも少し変えているけど。すこし広い道路にしてみたが逆に道路工事とかあって車線変更が忙しい。あまり知らない道路だと車線変更そのものも遅れてしまう。そんなこともあって周辺をグルグルと回りながら運転したな。なんとなく今回は少し楽に運転したいと思ったのと山道を避けたかったのとで教習所で走った辺りから少しズレタ路を走ってみた。あの「陸の孤島」武蔵村山地区も走行した。ダイヤモンドシティ周辺は駐車待ちの車両で渋滞していた。これが週末の風景ということなのだろう。ああノロノロ。さて次回は。とりあえず自宅付近から山を越えて八王子方面へ抜けてみることにしよう。とにかくコンスタントに一定の時間を運転に充てるつもり。だいたい実質的には3~4時間くらいになるかと思うが。それ以上の時間を運転できるほど慣れていないということもあるのかも知れないけど。
November 18, 2006
コメント(0)
どうも昨晩のみすぎた。だから午前中は11時近くまでダメ。10時からの打ち合わせは事務室のスタッフ二人に任せて留守番する。よかれと思って飲んだキャベジンが裏目に出て吐き気を催してトイレに駆け込んだ。そしたら思いっきりスッキリした。ようするに吐きたかったみたいである。それから年末調整の作業を片付ける。せいぜい20人弱の分だけなので小一時間で作業も終った。これで再年末調整を除けば大方の給与事務は片付いた。あとは備品の照合か。それと破損品の整理とか。そして書類の廃棄。とはいえ他の細々とした庶務とか雑事もあって思うようには進まない。その後で支社に寄る。そこで支所のメンバーが集まり各自の持ち寄った書類を交互チェックする。それから連絡会になる。あまり景気のよい話題はない。なんとなく世の中の時流に突き動かされていくような会社なので何となく後ろ向きなスタンスばかり目立つ。それにしても今日は寒いなあ。
November 17, 2006
コメント(0)
そういえば1年前も飲んでいた。あの当時は異動になるということだけ何となく確実になっていたけれども。それから4月に異動を迎えて気がつけば再び冬の訪れを感じる季節になっている。もう冬だなあと。ほんとは飲もうか迷っていたけど夕方の電話で誘われて蕎麦屋へ行くことになった。そして去年と同じ店に行った。そこにも知人が居た。おかげで派手に飲んだ。さいしょ焼酎だったのがワインとチャンポンになった。もう既に午前様だった。なんなんだろうね一体。とりあえずは異動も運転免許も転居も漠然とは考えていたのだけれども具体化してみると何か変な気分である。
November 16, 2006
コメント(0)
あの全権委任法と同じ意味を教育基本法の改正法案は持っている。いわば教育勅語みたいなものの予告編である。つまり本編は日本国憲法の改正である。その露払いみたいに防衛庁は汚職にまみれながらも防衛省に昇格する。こういうシナリオに民主党の前原や枝野は涎を垂らして喜ぶだろう。いわばピョンヤンを喧伝する日本という国は悪の枢軸とピョンヤンやイラン、イラクを名指しした当時のアメリカと同じセンスに染まっている。けれども日本にとって、ほんとうの危機とは地震をおいて他にはない。たぶんピョンヤンからのミサイル防衛よりも地震対策の方が急務だと思うが。すでに政府による公聴会そのものが政府によるミスリードだったことが明るみになりながら法案を押し通そうとする政府というものは独裁そのものである。そのことを声高に云えない時点ですでに治安維持法の時代に逆戻りしてしまったようである。これに加担する与党は大政翼賛会そのもの。そういえば昨年の衆議院総選挙そのものが翼賛選挙だったのだ。ああいう言論統制的な圧政すらもマスコミによって美化されて些かの疑問すらも議論として成り立たないような時代の空気には異常としか云い様のないのが既に存在していたということ。それを前にして子どもたちは死んでいく。べつに一応の平和国家なので国会議事堂が放火されて炎上する訳もない。けれども代わりに次の時代を担う子どもたちが日本の各所で自死していく。産めよ増やせよ的な言説を隠しながら巧みに仕掛けられる白けた少子化の掛け声に彼らは賢明な判断を自らの命を賭しながら懸命に散っていく。これは子どもたちによる宣戦布告である。あのアメリカがテロルを戦争と規定してしまったのだからアメリカを標榜する日本であれば子どものテロルも宣戦布告となるのではないか。この先行きの見えない戦争に日本は突入した。いわば日本は内戦状態に突入したのである。これは嘘ではない。
November 15, 2006
コメント(1)
それにしても何とも云えない後味の悪さを感じている。いくら学校ではなかったとはいえ現実には死んでしまったということに。そして再び予告は続くのだろう。まるで子どもたちによるテロルに脅かされているのかの様に。そう、この日本という国は子どものテロ攻撃を受けてる最中である。いわば小泉も涙した知覧の特攻たちと変わらない。けれども彼らの痛切な叫びを我が事として再び戦争の惨禍を繰り返さぬように誓った人たちと今イジメの最前線に踏みとどまって居る子どもたちの間に何をもってして共通項を見出せようか。というか、あまりにも陰惨な世の中の縮図なのか。あのワイマール共和国も当時としては崇高な理念を憲法に掲げていた。しかしハイパーインフレを経て国内に国際協調主義を排斥する主張が台頭した。どうやら今の日本を見ていると同じ様な軌跡を描きつつある。つまり日本国憲法の理念を否定する主張の台頭である。これは確実に存在する。ここに至っても私たちは排斥主義に屈する過去の歴史に押し倒されてしまうのだろうか。それとも良い意味で過去のおぞましき歴史の繰り返しを断ち切るだけの英知を発揮することができるのか。すくなくとも誤って肯定されているアメリカ的なるものの幻想から解き放たれないと駄目なのか。そこに悲しいくらいに戦後の日本は教養主義までも削ぎ落としてしまったということを痛感する。ほんとうの学力とは何のために生かされるものなのか。そういった学ぶことの根本的な部分すらも精米機みたいに削り落としてしまって何を教養の柱として考えているのかさえ見えない現状だが。
November 14, 2006
コメント(2)
こうやって連日にわたって子どもたちの事件というものがマスコミの報道から続けて伝えられるという状況は常軌を逸脱しているのだと思う。それだけ弱い所へと社会の歪が一極集中的に突き刺さっているということなのだろうか。それでも世の為政者からの明確なメッセージは伝えられない。いろいろな見解に触れているうちに日本の学校というものが極めて全体主義的な行動様式によって支配されているという現実を再認識した。つまりは言葉は穏当ではないかも知れないけど軍隊やら刑務所みたいなのと大きくは変わらない構造を持った所なのではないかと。そう思ってしまった。たしかにイジメラレル者にとっては確実に軍隊や刑務所なんだろうと思う。たとえば小学校にせよ中学校にしろ高校でさえ、朝から夕方あるいは晩まで嫌な奴らと一緒に押し込められているのだ。その苦痛たるやイジメそのものである。これは学校が認識しようがしまいが苦痛には変わりない。だから未だ不登校の方が自分を上手く防御できているのかもしれない。いわば適当な厭世観すらも自分の身を守るシールドに成り得る。どうにも今の世の中で時流に乗っかる人間は信じられない。そういう消極的な否定感情を相当に多くの人々が日本の社会に対して持たざるを得ないのだろう。こういうネガティブな感情を携えながら人々が横広がり的に「連帯」していくことは実に至難の技としかいいようがない。だから個人の自由な意見の表明は、簡単にモグラ叩きみたいに潰しやすくなっている。そういう同じ空気を大人だけでなく子どもだって吸っている。そういうことなのか。
November 13, 2006
コメント(1)
とりあえず今回は自損することなく営業所に辿り着いた。延べ73キロ。つまり前回の105キロより少し距離は控えめだが自力で走行した距離は今回の方が完全に長い。このあいだ世話になった蕎麦屋で昼食をとった。けれど逆ルートの走行は回避した。やはり前回は無謀だったのだと知る。というか路地の30キロ道路も山道の30キロ道路も未だ苦手ということを改めて自覚したのだ。あるいは狭い複数車線も。いまの状態だと一日に4時間程度の走行が限界だなと思った。これでも前回の3時間半も含めて概ね教習所時代の一日の走行限度と一致する。そういうことなのだろう。なんとなく風の強い日だった。それでも青梅街道の渋滞で車内が暑くなって窓を開けると心地よい換気が出来た。とちゅう前方車両に危うく接触しそうになったが。まあ日曜に出掛ける行楽地には渋滞は当たり前なのだが。それでも前回と違って晴れ渡った奥多摩路は何となく「いい感じ」だ。それにしても五日市から青梅へと抜ける二ツ塚の峠道も結構つかれた。そもそもフツーの市街地を選ばずに自宅付近を抜けて峠へと向かう神経自体がアホなのかも。これからは路面の状態も怪しいから違うルートを考えないと。それじゃ一体どこに行こうか。これから思案のしがいがあるかな。やはり擦ったら2万円という緊張感が暫くは必要かも知れない。ちょうど教習所に通うような感覚で営業所に通うことにしよう。まだドライブを楽しむというよりかは必死に車両感覚を身につけてるという状態なのか。こんどの土曜も練習は続く。いっそのこと限定解除に通おうか。そのうち。
November 12, 2006
コメント(1)
なんとか不動産屋に物件の借り受け申し込みをした。これから物件のオーナーへ照会してもらう。たぶん他に先約がなければ引越しの準備を進めることになる。それから中古車も探すことになる。とりあえず実家から離れた10年前とは確実に違う。もう少しペースを上げて生きていかないと。あまりにノンビリと構えていたせいか時間だけが瞬く間に過ぎてしまった。そんな気がしている。まったく別の話だが秋以降に職場で2件ほど離婚のケースを取り扱うことがあった。そんなに人数の多い職場ではないのだが。かたや2件の新婚も生れたが。どちらのプロセスも難しいそうだが。とくに私より若い男の同僚は配偶者が同業者なので同じ職場に配属になったら嫌だと云っていた。いったい何がきっかけで仲違いをしてしまうのかは他人の預かり知らないことではあるけれども。この年になってしまうと自分に求めるものが多すぎて駄目だ。あの頃の勢いみたいな熱は冷めて。ある程度の自負というか自信。そして相手を許容できる自分の心持ちの余裕。そういったものが、上手くかみ合わないと、独りで生きていく方を選んでしまうのかもしれない。この心のバランスというか安心感みたいなものを互いに持ち得ないと他人同士然となってしまうのかもしれないけど。
November 11, 2006
コメント(0)
なんだか11月だというのに狂ったような陽気だ。きっと明晩の冷え込みは降雨も手伝って相当なものになるだろう。ここいらの気温差で体調を崩す人も増えてきている。もう何となくノドや鼻は違和感を多少なりとも覚える。それでも高橋是清を敬う自分は朝風呂をやめられないでいるけど。そう放蕩こそ人生の糧なり。そんな風に言い聞かせて生きて来た。この人生など確実に云える事は今だけが自分にとって偽りのない世界そのものである。そういった前提すらも通り越してしまってオボツカナイあの世を想定しながら語られる人生そのものに虚しさの極みを感じずにいられない。なんだか年越し前のカウントダウンみたいにイベント化しながら豊島区の小中学校はライトアップされている。その彼方には夜空が在る筈だが瞬く星たちの輝きは残念ながら人工的な無機質な殺伐とした青白い光に遮られて既に息絶えてしまっている。この矛盾そのものに当てられる光はない。これで手紙を送った彼は事態が変わったと認識してくれるだろうか。こういう子どもたちに反撃を食らった私たちの生きる大人社会は安倍ちゃんの姿勢を見れば明白なとおり何も変わっていない。それはロシアに国民を拿捕されて何も守れないくせに北朝鮮に吼える構えを見せる姿勢そのもの。それこそ「いじめ」の論理そのものに映って見えてしまう。たぶん「けんか」ではないのだろう。どうにも日本の社会からも「けんか」そのものは骨抜きにされてしまって「いじめ」的な構図だけがスライドというかシフトしてきてる気がしている。いわば袋叩き的なものが芽生えているのか。たしかに今の民主党は情けない。けれども消極的な姿勢ではジリ貧的に自由民主党と公明党の連立体制を支えてしまう結果が続いてしまう。この小選挙区制度が歪めてしまった日本の政治を変えるために野党側の挙国一致的な思想の構築が進まなければ国としての滅びの道を突き進んでしまう。あの栗東市での出来事は全体的な民意が分裂した結果の責任を野党全体に問いかけている。それはリアリズムとしての政治が持つ特性をキチンと踏まえたスタンスを野党各党が再び持ち直して挑戦しなければならないものである。この挑戦が芽生えなければ来年の選挙シーズンも白けるだろう。どうか心の根底にある「怒り」がマトモな「けんか」の土俵に乗っかってくれることを願う。その響きが人々の気持ちを揺り動かすうねりを伴わなければ日本の社会は加速度的にメルトダウンして何も考えずに突っ走る衝動的かつ扇情的なプロパガンダによって自ら判断する力を見失うだろう。というかNHKの番組を見てると既に政府から金もらってプロパガンダしてるなあと露骨に感じるようになった。まだ今は海上保安庁とかドキュメンタリーで追っかけているような路線でソフトだが。ほんとうは何故、今に防衛庁が防省に格上げなのか、あの施設庁の問題を追及すべきなのに。この「いじめ」問題にしたって四半世紀前の鹿川君から一体、何が変わったというのか。あるいは山形のマット殺人から何を教訓として今に生かせているのだろうか。そういった話を過去のこととして無関係に遮断して今を語ったとしても、それは単なるコトバの羅列であって報道などでない。そうした意味では居丈高な態度や姿勢が賞賛というか翼賛される社会になってきた。あの朝鮮総連施設の課税にしても意味不明である。かたや日朝国交回復の交渉を宣言しながら朝鮮総連を国家として否定し課税することはプロトコルに反する。これは拉致問題とパラレルに位置しているのに。そうした矛盾に何も誰も表立って異議を唱えない。たしかに北朝鮮との約束を破る決断をした小泉や安倍という人間は大衆やメディアにとって英雄かもしれない。が外交上の責任を全うする政治家としては失格なのである。その支離滅裂さだけが現在の北朝鮮との緊張関係の原因ではないけど。そういえばアメリカでもラミーが「使い捨て」にされた。つまり北朝鮮の読みは正しかったのだ。こうなると勢いアメリカは朝鮮半島のデタントへと大きく舵を切ることになる。そうしたときに、はたして安倍政権は何をもってして自国のスタンスとするのか。どうにも持ち合わせてはいない。いわば極東アジアという世界は地球儀の「のりしろ」が上手く貼り合わされていない場所らしい。それは中国とロシアとインドと日本と朝鮮と欧米とのクロスオーバーというか歴史の時間軸の中で織り成されてきた相対立する主張の矛盾を相克するだけの成熟を持ち合わせてないが故の悲劇か。この世の中というものは座標軸を変えれば幾らでも見えてくるものが違ってくる。けれども本質に含まれているものは案外と一つの方向性に収斂されて行くものなのではないか。それでもレンズをとっかえヒッカエし自分の気に入ったフォーカスへとピントを合わせていく。それが人生なのか。
November 10, 2006
コメント(0)
あの苦悩に満ちた卒論以外を修得しながらの満期除籍から早2年。やっと5月下旬に3年次編入で「再度入学」したものの放置していた。ようやく「どうすべぇかぁ」という気持ちになってきた。とにかく卒論を書かない限りは「満期除籍」のままだ。これを何とかしたいというのが今の関心。なにしろ会社法も破産法も刑法も刑事訴訟法も民事訴訟法も民事保全・執行法も民法も前より頻繁に改正されてしまい何だか別の法律みたいになってしまっているし。こういう前提状況から如何に卒論科目を決めるか。ついぞや政治学や国際政治史では書けない現行カリキュラムのもどかしさ。どうせなら再びドイツ語やフランス語も等と余計な気持ちが頭を過ぎるのだが。ここは我慢をして卒論シフト一つに賭けないとイケナイ。それでも大学の図書館を使えるというのはウレシイ。何せ市井の本屋で並んでいるのはツマラナイ本ばかりだから。なんだか漠然とヤル気が沸いてきたか。きゅうに話は変わるが文科省のホームページで例の郵便物が公開されているのを読んだ。たしかに子どもの様な、たどたどしい字でつづられている。けれども所々に突き刺さるような書き手の鋭いくらいの感性みたいなものが読み取れた。やはり感受性の強いヒトだから思いつめてしまうのか。たしか昼のニュースでは東京都内の豊島区教育委員会が「いじめ」なし、との各学校からの報告を受けて再度の調査を指示した模様を報じていた。これなどは正に彼が指摘したとおりの展開なのでないか。あの夏場のプール事故後の対応と一緒で現場の慌しさで調査・報告が形骸化しているし。ただし別の見方から批判を覚悟の上で次のような考えも出てくる。たとえば「いじめ」られ放しで「反撃」できない状況というのは一体どのように理解したら良いのか。これは何も子どもの世界に限定されずに大人の社会においても疑問というかキチンとした説明を考える必要に迫られている。あるいは高校や中学での必修科目の履修偽装。どうして「校長の権限で卒業させる」という当然のコメントが出なくて首をくくる人間が出てきてしまったのか。これなどは日本以外の国では説明のつかない不可解な現象なのではないか。それとも自分の気づき方は何か変なのであろうかと悩む。それにしても最近は夜9時前後になると急に眠くなる。かといって早く起きられるわけでもない。なんだか冬眠前のクマ状態である。そういえば一昨日は朝2時まで飲んでしまい数時間しか寝ずに夕方になって無性に眠かった。その次の日も何やかやと寝るのが遅くなってしまった。もう寝よ。
November 9, 2006
コメント(1)
どうも来年の3月に今の住居を明け渡すことを考えると年内には転居先のメドをつけておきたい。そうやって考え直して逆算をしていくと11月中に何らかの方向性を出しておかないと12月やら1月にズレ込んで再びバタバタして物件を見て回る暇もマトモに取れないような気がしてきたな。とりあえずは隣家と極端に接していない場所にベランダがあり1階ではない物件ということで一つ絞り込めてきた。たしかに安い物件もあるのだが周囲の環境やら道路状況やらを昼間と夜間を比較して見た限りは決して満足のできるものではなかった。そういった点から自ずと物件は決まった。あとは実際に物件を押さえることになる。これに伴う生活費の見直しなどもしなければならない。いままでの家賃が安かったことを考えれば致し方のないことなのだが。それでも一ヶ月当たりでの負担が確実に増えるであろうことは運転免許の取得という要因を加えて一層、顕在化してくるし。だから中古車の購入は転居後になる。しばらくは100時間と云わずとも教習所での約30時間を上回る程度の時数をレンタカーでこなす。つまり数ヶ月程度は少なくともレンタカーで練習する。そう考えると中古車の購入は早くても3月以降になるか。たぶん妥当な算段ではないだろうかと。
November 8, 2006
コメント(0)
この日は未だ火曜なので大人しく帰るつもりだった。そしたら思いがけずに電話が入る。つまりは私の自損を知ってのこと。なんとなく夕方の蕎麦屋に寄る。ようは急に道が狭くなる場所で事故を起こしたらしい。そういうことに気がつかないのは「だろう」と思い込む性格のせいだとも・・・たぶん教習所への入所を強く勧めた背景には彼なりの意図があったのだろう。けれど自分でも何故ああいう状況に陥ったのか思案に暮れていたのでスッキリとした。これで再び日曜にレンタカーを同じ営業所から借りる決心が固まった。こんどは時間を午前中からにして逆コースで行こうかと。それからというものの道を歩いていて狭い路地に入ると車の対向する場面での「やり過ごし方」を注視するようにしている。なるほど徐行そして待避という選択肢もありだなと。こんなことは技能教習中も気がついたことなのだが。こうやってブランクが空いてしまうと少しずつ再確認だなあ。こんどは日曜なので前回と交通の状況も大きく異なるだろう。そうした意味で逆コースであっても別の道を走るのと同じくらいの慎重さを持ち直す必要性がある。いまからノンビリと運転の計画を練って休憩ポイントを確実に設けて当日の運転を無事に終了させたいと切に願う私なのであった。
November 7, 2006
コメント(0)
このフレーズを山口二郎のコラムで目にして然りと思った。どうも団塊ジュニアの世代というのは成長の歪みたいなのを目の当たりにして生き続けているせいか漠然としたモドカシサを抱えてる。それは如何に生きてくかというリアリティそのものが何だか存在感を薄くしている危惧と重なる。つまりは自分が痛みを感じるかもしれないという想像力を欠いた人たちが為政者などの座を占めてしまった現状というものは極めて市井の人間というものとかけ離れたものであるということを必然的に再認識させられている。このバーチャルな虚像を打ち砕くためには純粋な理論など屁なのだ。いくら「いじめ」を再定義した所で本質的な問題の解決に程遠い。あるいは文科省の指導そのものが無視されて高校の必修科目が形骸化していた実態そのものは「いじめ」問題の対処と根本的には変わらない。ようするにコンセプトのない中央集権の成れの果てというか統制に対する過剰幻想。そこには生身の等身大の人間像というものが浮かび上がってこない。だから人は観念的な世界から呪縛を受けて精神的に窒息してしまう。いわば社会システムとして「人間とさつ工場」的なるものがビルトインされていて連日にわたり人々に自己選択としての「死」を迫り続けているのである。この「自己選択」が怪しい。それは仕向けられた「死」だからだ。まるでマックのハンバーガーを得るために牛を生育するために森を焼き払い牧草を生やしていくプロセスと同じ価値観から組織は利潤という血液を得るために人を合法的に使い捨て利益という数字をプロットし続けていくのだ。こうした極めてデジタルな「生か死か」という二者択一的な世界がバーチャルでなくリアルとして存在を顕わにし始めてヒトを脅かしている。これが安倍ちゃんのいうアングロサクソン的な優勝劣敗的なる価値観の具現化なのだろうか。そこには血の通った政治より血のしたたる政治が似合う。
November 6, 2006
コメント(1)
と思ってネットで探して内見を申し込んでいた不動産屋を昨日の午後に訪れた。あいにく照会した物件は先約済みであった。まあ今すぐに越さねばならぬ程には差し迫ってもいないのでノンビリと小一時間くらい紹介される物件に目を通す。この時期は転居も少なく新規の物件も乏しいらしい。それでも目ぼしい所を3件ほど選んで案内をしてもらう。さいしょは築5年くらいの物件だった。3階と1階の二部屋を見る。まあ管理費5千円は高いなあという感じ。これに家賃がのっかって駐車料プラスだとチト財布が悲しい気がする。けれども3階からの雰囲気は個人的には気に入った。それから築25年近くのアパート。こっちは2間あって広い。その向かいのアパートも気になったので案内してもらう。このくらいの間取りなら値段といい今の所の家賃と住居手当でどっこいか。あとは付近に不動産屋の管理する駐車場が月額1万円プラスか。いや管理費が4~5千円かかる。もうひとつは未だ明け渡し前の物件なので外観のみ。こっちは共益費500円に駐車料8千円か。これなら家賃込みでも納得できそうだ。築ウン年のアパートとの比較次第かなあという感じかな。まあ暮れまでボチボチと探していく意向を不動産屋に伝え気長な構えで物件を探すことに決めた。やはり中古車と一緒で希望条件を店に伝えて連絡をもらう、というのが一般的らしい。帰りに近所にある不動産屋の広告を眺める。どうやら今回の不動産屋が紹介をした物件は悪くはないらしい。ついでに先約の決まってしまった物件を訪ねる。たしかに洗濯物が干されていた。なるほどねえ。
November 5, 2006
コメント(0)
ようやく免許取得後はじめて公道を走った。きのうの午後2時すぎオヤジを助手席に乗せて出発。とりあえず実家方面から自宅へと向かってみる。とちゅうまでは教習所でも走った道ということもあって1時間弱くらいで辿りつく。たしかに途中の道でダンプに挟まれたときは嫌だったけれど。さて田舎の玄関口みたいな所から次は何処へ行こうか。と思いついてトイレ休憩くらいで再出発。なんとなく檜原方面から奥多摩周遊道路を抜けて行こうという気持ちになる。この時点では学科の第二段階で習った計画的な運転という項目も頭から抜け落ちてしまっていたのであったぁ・・・。もう午後3時過ぎの奥多摩周遊道路は何となくライト点灯が必要な感じだった。ところどころ道路工事で片側交互通行でしかも曲がりくねった道をドンドコと駆っていく。とはいえ未だ初心者運転なので当たり前のごとくカーブに近づけば自然と法定速度に落ち着いていくという感じで走った。だいたい路上教習でもカーブの連続なんてなかった。しかも奥多摩湖に近づくと霧というか靄っていた。ここは30キロ以下をキープして何とか安全に走行した。あきらかに峠でバイクが引き返して行くのが判った。そのあと随分と長い下り坂を「2」にシフトしてエンジンブレーキを利かす。そんな感じで途中では少し渋滞もありつつ何とか下ってきた。おもむろに「D」にシフトを戻して走っていた。すでに時刻は夕方の5時を回っていた。きづけばトイレの休憩を除けば3時間以上も運転していた。だいたい御岳の手前付近に差し掛かって前方をフラツク2台の自転車を確認した。その自転車は何とか回避した。しかしハンドルを左に切りすぎたらしく少し先で左側のドアミラーを電柱にブツケタ。そして左の前輪に違和感を覚えた。すみやかにクルマを左に寄せてハザードを点灯する。それから通過車両を待って降りてみるとタイヤが見事パンクしていたのだった・・・。どうにも携帯を持たぬ人のため慌てていると前方に蕎麦屋が見えた。とりあえずレンタカーなので会社と警察に電話しなくてはならん。オヤジが愛想で蕎麦せんべいを買っている間に連絡を取る。ちょうど駅前の駐在から巡査が来てくれた。会社側も自損ということで普通の受け答えであった。とりあえずスペアタイヤに交換し少し下った。近くにスタンドがあったので破損したミラーをガムテープで固定しタイヤも締め直した。すこしハンドルの車軸にヒビが入ったらしいが何とか会社へ戻せるくらいは大丈夫とのことであった。駐在さんも自損で何よりだった電柱も大丈夫とのこと。あとで気がついたがFFの前輪にリヤでないスペヤタイヤは履かせてはマズカッタ。そんなことも気にせずにオヤジは平気な顔をしながら嬉々としてハンドルを握った。そのためドリフト族もどきの音響を立てながら夜の青梅路を法定速度内で悠然と走行して帰ったのであった。ああメデタシ。
November 5, 2006
コメント(0)
つまりはヴェルサイユ体制かサンフランシスコ体制かの違いは別として。だから国連やら核査察の機構の存在を暗に否定するような発言が相次いでいる。たしかに両者とも日本とドイツを半永久的に旧敵国として規定し続けるための装置なのだから感情的には怨嗟の念すら覚えるのも確かだが。どうにも大衆迎合的なポピュリズムから大衆扇動的な緩やかなソフトな面を被ったアジテーションへと移行しつつあるけど。あの中川昭一や麻生太郎の放言がアメリカを刺激しないと思っているのであろうか。どうせマンガでしか国際情勢を読めない外務大臣なのだから無理からぬ話なのだが。ピョンヤンを巡る動きで日本は明らかにアメリカからハシゴを外されつつある。けれども当の日本自身はキチンと状況を判断できていない。むしろアメリカとの間に要らぬ緊張を増しているという現実に気づいてもいない。それなりに強烈なキーワードを用いるときはリアクションがあるのに。こうやってドメスチックに国内のメディアだけが過剰に彼らの発言をヨイショ的に盛り立てて報道し続けることは嘗ての大政翼賛的なスタイルへの回帰そのものである。そして垂れ流され続けてる報道を無批判的にしか見られない人たちにとって当然のことと認識されて蔓延していくのである。こういう時代に保守回帰的な言説を持ち出しても無力である。ましてや共産党あたりが主張しても無視されるという現実がある。これほどまでに企業組織に搾取されている国家というのはアメリカや日本を除いては稀であるという現実すらマトモにツカメナイほど私たちは麻痺させられている。
November 4, 2006
コメント(1)
このブログなる媒体を使い始め2年になった。この間に職場も変わり教習所に通い免許も取った。べつにブログの影響という訳ではないけど。それでも変化に富んでいた。まさかと思っている間に知人は借金から仕事の金に手を出してクビになった。一見、まともに生きている人の影を知った。たしかに自分自身を振り返ってみても二十歳の頃に漠然と想い描いていた様な綺麗な軌跡を描けているとは思えない。むしろ逆方向のネガティブなものすらあった。そうした軌跡と重ね合わせると何だか普通なことの様に思える自分になっていた。ただ現実として受け止められる自分に気づく。この10年くらいの途切れた軌跡を紡ぐ様な気持ちで再び生きて行けそうな気がしている。それは未だ漠たる確証しかないけれど。それにしても月日の経つのは早い。そんな早さの只中にまぎれてしまうことはコワイ。それでも実際に過ぎていくペースなのだから自分のペースを作らないとな。それにしてもブログを使って感じたのは主要なメディアの形骸化が急速に進んでいるということ。たしかに新聞を読まないということは相当な視野狭窄を生むのも確かだが一般的な報道スタンスに弛緩というかタルミみたいなものを感じる。そしてテレビメディアの幼稚化が一層、甚だしいし。どうも情報というものが攻撃的なものに映る。それは私自身の単なる錯覚なのかもしれないけど。それでも多分いままでの実利的なものの追及姿勢が何か人間の生きていく上での大切な源泉を奪い何かを狂わせてしまっているのではないかという確信だけは持っている。そして教養の枯渇をも。
November 3, 2006
コメント(1)
まったくクダラナイ。こういうのをゴリ押しと云うのではないか。だいたい全国の一割の高校での出来事だ。こういうズルイ学校に手を差し伸べる合理的な理由などない。きっちりと教えるものは教えて修めさせるという学校教育の基本を崩してまで救済するような問題ではないはずなのにね。けっきょく社会保険庁や岐阜県やらの役所だけでなくて日本の組織体そのものが何か腐っていて、責任を負うべき立場の人間も報酬だけ受け取って、それが拙くなると首くくって逃げちゃうというサイクルになっている。いわば大学だって騙されていたのだ。きちんと高校に制裁を課さないと。どうにも生徒がカワイソウダとか訳のわからない議論がある。どうせ高校は義務教育じゃないのだから入る学校を選ぶ段階から自己責任じゃないか。そういう好い加減な学校に寄りかかって必要な情報を開示させずチェックせずに放置してきたのは何も教育委員会だけじゃないということだよ。いわば進学校にだけ恩恵を与える。これこそ教育格差じゃないのか。あの熊本でも過去にズサンナ教育課程を組んで是正されたから今回は無傷だった。やはり公正・公平というモノサシが教育から骨抜きにされてしまってはマズいのではないか。こういうのを政治決着させるセンスわからない。こういう問題は学校だ教育だ生徒だ等といってウヤムヤに収束させるべきではない。きちんと首尾一貫して責任を追及しないで問題の解決を図っても同じ様な問題は発生するだろう。そういう意味から公立学校だろうと私立学校だろうと保護者や生徒は白黒つけるべく集団訴訟を提起すべきだ。たぶん理科や社会という科目は小学校、中学校そして高校へとダラダラと教わるせいか高校段階で履修そのものが軽視されているのだろう。そうした現状を今後どのように教育政策として受け止めていくかという本来の政策論そのものを国会レベルでキチンと詰める機会は残念ながらなかった。そうした意味で日本の教育は中央集権こそ存在すれども根本的に求められる政策そのものが完全に抜けたまま惰性で動いている。この根っこを考えないことには致命的な問題というのは次から次へ溢れ出してしまい吸収できないまま学校が徒に疲弊してしまって機能不全に陥り続けるだけだな。こんな状況なのに来春から小学校では放課後も子ども達をあづかるシステムが動き出す、という。どうにも思いつきな厚生労働省と文部科学省の奴らが自分たちの政策の失敗したシワ寄せを学校へ押し付けてきている気がしてならない。あの社会保険庁の本丸と国語政策を欠いた文科省だもの。
November 2, 2006
コメント(1)
きょうは上司を交えた会食だった。おまけに退役の苦手なベテランも一緒だったが。こういう席は疲れるだけで楽しく酔うという気にはなれない。だからノンアルコールで通した。これからの高齢社会は多分、壮年者たちを余計に疲れさせてくれるのでなかろうか。やっぱり、ああ人生50年。なんだか今日は空振りというかスンナリとは行かない一日だった。さいしょは朝から休暇を取って12月の土曜に会議室を予約しに行ったものの、すでに予約は埋まってしまっていた。これならば休んでまで行くこともなかったのに。もともと自分の仕事じゃないし何だか休暇を損した気分だ。そんなことを皮切りに何だかゴチャゴチャと幾つもクダラナイことばかりの連続で日が暮れたが。そして夕方から何ともツマラナイ会食を延々と3時間以上も続けたし。こういう席にも遅れてくる同僚や上司のいる職場というものはダラシナサを象徴している。どうにもネガティブでいけない。なかなか引越し物件を探せないでいる。この連休中に少し物色してみようかと思う。たしかに田舎なので軽自動車なら駐車場の届出は不要らしいことまでは確認できたけど。とりあえずは中古車でセダンを探さねば。その前に少しレンタカーで約一ヶ月ぶりの路上に出てみようかと考えている。
November 1, 2006
コメント(0)
全31件 (31件中 1-31件目)
1
![]()

