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いまの日本は物量的に飽和したストックの中に溺れている。だからと云って同じ分だけを更新することもできない。そういう時代に入っている。それでも巷では成長主義を掲げている。それは目の前にある現実から徒に目を背けているだけに過ぎない。ただ自分たちだけ免れたいと思っている。ある記事でフランスの現状を綴っていた。それは格差が固定化した社会の現実を示していた。即ち小学校の段階から「落第」のあるフランス社会では実質的な識字率が低いということ。そして一部のエリートと称される階級に居る者たちにより常にエリートの地位というものは固定されている。そして単純労働者とエリート階層との間には10歳以上の平均余命の差があり、生涯所得では4倍近い格差が生じている。しかも彼らの階層間の移動というものは数パーセントの可能性しかない。つまりチャレンジできたとしても食い込める確率というものは僅かでしかないということなのだ。だからバカンスを過ごせない人々が人口の少なくとも4割位に達している。また今まで国歌を法律で定めながらも国歌を学校で教えてなかったことに対して法制化の流れが生れ始めているらしい。あの「200万の失業を解消するためには200万の移民を追放」というFNの主張を想い出す。いろいろな問題は近視眼的な見方では捕らえられないことが多い。あの夕張の事態だって30年前でさえ痛々しい映像はテレビから流され続けていた。それを放置し続けた「政治」そのものの責任というのは一体どこへ消えるというのだろう。そういう視点を欠いて「報道」なんて云えるのか。おそらく1980年代の日本に見られた勢い(と当時は思われていた)ものというのは確実に何かを切り捨てた結果として表れた現象でしかなかった。そして切り捨てた「何か」に手当てをしないままに新しく「何か」を切り捨て続けているのが今である。そういう気持ちを禁じ得ないで居る。
December 31, 2006
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もう山から下りる日なので二日続いた大松から移動してみた。そしたら見事に混んでいた。たぶん同じ様に大晦日は自宅で過ごそうという人々に遭ってしまったらしい。それでも3時間弱くらいは滑っていた。ちょうど昼過ぎに団体と思しき集団が貸し切りバスで続々と去って行くのが見えた。それとは入れ替わりに年末から正月をスキー場で過ごす人々の車が来た。たしかに帰省ラッシュもピークだから。そそくさと荷物を預けていた宿に寄り真田温泉という村営(?)の施設に立ち寄りインター近くで遅めの昼食を済ませて帰路に着いた。生蕎麦と山葵ふりかけを途中で買って帰る。だんだんと家路に近づくと再び急に降って湧いた様に「年の瀬だなあ」という感覚が蘇ってくる。だけれども何となく実感そのものはない。まだ何となくパッとしないものがある。それが何なのか判然としないのだけれども。そうしたものの萌芽こそが来年への端緒となるかも知れないのだが。
December 30, 2006
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この宿の食堂からは裏太郎という名のゲレンデが遠目に見える。ここ初日と二日目は大松という所で滑っていた。なにぶん半分以上は人口降雪に頼っている状態なので山頂まで続くリフトも中間で降りる始末である。これで午前は某医大のスキー部が一コースを貸しきるので実質二コースのみ。この時期でも検定を行なっていて初日は赤いウエアを来たクラブと思しき集団がゲレンデの中腹に群れていた。そして二日目に彼らは午前に某医大が貸し切ってたコースに固まっていたのだった。たしかにヒトの趣味なので他人が何か云う筋合いのことではないのだが。それにしても、である。知人たちは朝6時前に起き7時前にゲレンデへ向かい2時間ほど大回転の練習をして9時に戻ってきて一緒に朝食を食べる。それから私だけ別のゲレンデに送ってもらい、彼らは再び11時から2時間の練習をして午後1時すぎに合流して昼食を食べる。そして3時半頃には宿へと戻ってくる。さすがに久しぶりのスキーなのでアチコチが筋肉痛になるようだ。とりあえず風呂に入り6時半の夕飯まで彼らはしばし寝る。そして夕飯の後には洗濯をしたりテレビを見たりして過ごしている。そんな風にしているうちには晩の10時とか11時半くらいには何となく寝入ってしまっている。
December 29, 2006
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ここ菅平は年末に本州でスキーのできる数少ない場所らしい。だから大学のスキー部と思しき面々に会う。たぶん今の時勢、大学生でスキーに興じられる彼らとは裕福な部類に入るのではないか。そういえば午前にリフトで上がった先には何処かの医学部系の大学が一コースを貸し切っていた。それにしても日本のスキー場というのは所謂スキー・クラブの面々が一般客を排除してツマラナクしている様な気がする。どうして、すぐに滑らないで上の方でダラダラと固まっているのだろう。ただ、ひたすらリフトから降りたら直ぐ麓を目指して一気に滑っていけばいいではないかと思う。たしかに技術を習得するのが目的とはいえ。あと何だかワカラン様な曲を流すのも止めて欲しい。あんなことを普通やったら騒音だろう。そういう所からして理解できない。そういえば宿にあった新聞には「長野県内のスキー場客はピーク時の三分の一近くにまで減っている」と書かれていた。
December 28, 2006
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それにしても春みたいな陽気だった。たしかに朝焼けは昨晩の雨が空を洗い流したので随分と綺麗だった。けれども夕焼け時は空の塵を照らし出すかのように仄かに色づきを加えていたのだった。その晩のテレビでは安倍内閣の佐田玄一郎という名前の担当大臣が辞任を表明したと報じていた。この間レンタカー会社から配達記録郵便が届いた。てっきり電柱にぶつけた時の何かの手続きなのだろうかと心配したが500円分のクオ・カードだった。そういえば教習所を卒業したときも5千円のを貰った。いつかガソリンの給油に使おうと思ったまま未だ使っていないで居たのであった。ちょうど知人に乗っけて貰って菅平まで行くので農協のスタンドで使おうかとも思った。けれども晩飯をガストで食べてレジに向かったらクオカードの表示を見つけた。そこで500円分のを使い残りの不足額を現金で精算した。5千円のは道中の買出しでセブン・イレブンで3千円程使った。さいしょは午後に休暇を貰って出発の予定であったが知人が下田から迎えに来る道中で渋滞に遭い結局は晩の8時半近くに出発となった。それでも11時半過ぎには無事、菅平へ到着した。夏場のラグビー部の合宿先らしく点在するグランドの片隅には白いゴール・ポスト(?)が立っていた。
December 27, 2006
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この日は朝から降りの勢いに強弱はあったものの、やたらと雨が降り続いていた。なんだか明らかに季節はずれな降り方だった。たしかに天気予報の気圧配置図は変な形をしていた。なんでも10月にも同じような配置があったらしい。あの一年前の豪雪と対照的に今年の暮れは雪不足らしい。だから尾瀬に行く予定を菅平に変えた。たしかに先週の昼に見たテレビでは片品村に雪は舞ってはいたけれども。そもそも今まで12月にスキーなど行ったことがない自分としては本州でスキーに行けるという事すら実感が湧かないで居るが。それにしても地球環境の悪化は顕在化しているな。とにかく年初の豪雪や夏の豪雨といった極端な気象変化に今の異変そのものが端的に表れている。こうした地球の異常事態に背を向けているのが米国でありペキンである。もはや環境政策においてもEUの状況を見れば明らかな通り米国とEUに象徴的な価値観の対立軸が鮮明化してきている。
December 26, 2006
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すっかり25日がキリスト教でいうイエス生誕の日であることを忘れていた。それでも社長からのシクラメンの鉢と手製クッキーのプレゼントが従業員たちに配られて想い出した。あまり風習など知らない人間なので当て推量なのだが「ギフト」という感覚は多分こういうものにあるのだろう。たしかに日本には宗教性がないが故にプラグマチズムで少なくとも戦後の価値観というものは規定されて来たのだろう。その結果として生じてきた涸渇感みたいなものが不毛な既成の宗教ではない新興の諸宗教的なるもの、いわゆるカルトなどに依存する精神構造をもたらしたのかも知れない。けれど宗教性に支えられた価値観というものが徒に闊歩し始めても必ずしも好ましいものではないということは米国の中近東における関わり方を見ても明らかだろう。いくら普遍的な価値観であると米国側が考えていたとしても彼らにとっての普遍的な価値観も存在するのだという自明の理か。
December 25, 2006
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もう暮れも押し迫った23日の午後に中古車の引渡しを受けた。任意の自動車保険と車両本体とを合わせて約28万円なり。教習車(コンフォート)もカローラもサイドブレーキはサイドにあったがカムリでは左のフットペダルになってる。すこし車体もデカイので未だハンドル操作も慣れん。親爺が懇意にしている担当者が「(自分は)小学校の高学年から何十年もハンドルを握って好きで仕事をしているけど最近は厳しいね」と云っていた。「とにかく『イチ・ニ・サン』だよ」とも。つまりAT車なので、フットブレーキを踏んでから、シフトチェンジ、それから周囲の確認だと。これでレンタカーの営業所へ通うというパターンもなくなるだろう。その代わりに車庫入れという手間が発生する。あるいは日頃からのメンテナンスみたいなものも。そういったものをどんな風に感じてくのか。とても一年前には想像もしていなかった事態に少し不思議な気持ちになっている。
December 24, 2006
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とりあえず今は、こんなフレーズが私の頭で浮かんでいる。どうも安倍政権の発足から見ているとテキトーに既成事実だけをデッチあげて政策を遂行するという旧大日本帝国の大本営における参謀どもと同次元の低レベルな政治状況に陥っているとしか思えない。これは単なる先祖帰りである。つまり爺ちゃんのDNAが再び三代目を潰し屋として蘇生をさせているとしか思えない。こうした呪われた時代に私たちは生きている。たとえ本間のスキャンダルをオモシロおかしく見せられても既に企業減税だけを実施し定率減税だけは約束をホゴにしてもチャラにしてしまうのであるから。あの「やらせ」タウンミーティングにしても小泉政権からの政策の「正当性」そのものに関わる。そうした問題提起というものは少なくとも政治家やマスコミから明確に発せられていないのでは。やはり大きな「間違い」を継承した安倍政権には、政策を遂行する資格が改めて問われるだろう。こうした懸念とパラレルに存在するのが石原都政であり6選を表明した橋本大二郎である。彼らは地方自治を改革する旗手としてマスコミの露出度も高い。けれども都政では彼の任期中に相次いで職員が収賄で捕まり、高知でも副知事が捕まった。本人そのものより組織の方が硬直化している。つまりカリスマのトップを頂きながら下々は安穏と胡坐を掻き始めて大した罪悪感も抱かずに不正に手を染めるようになる。それが強権的なトップや長期政権に伴う弊害なのだ。そうした初心から乖離した福島の石原や和歌山の木村は自ら階段を踏み外して転げ落ちた。堕ちるべくして堕ちた。そして膨大な赤字財政を急速に黒字へと転換した田中を長野県民は棄てた。このことの意味を私は田舎による、ある種の中央的なるものへの唾棄に近い感情の吐露ではないかと考えている。それが小坂の倅による露骨な地元マスコミによるバッシングの連続や村八分的な態度に反映されている。たしかに地方の自治は住民によって決せられるものである。けれども第三者的に見ると呆れる位の時代錯誤的な価値判断から漸く歩き出した道のりを大きく踏み外す様な事態が各地で起きている。こうした点を来春の統一地方選で主要政党は如何に踏まえていくのか。その主張を今して欲しい。
December 23, 2006
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いまや職場挙げての忘年会は要らない。せいぜい歓送迎会だけで充分じゃないか。そういう気持ちを白けた笑いに包まれた職場の忘年会から帰ってきて抱いた。ただガキみたいに我が物顔で振舞う同僚の卑しさに嫌気を禁じえなかった。そういう奴に耐え切れず病休に入った人もいるのだから。こういう大人たちを咎めずに子どもたちの世界から「いじめ」なんぞ消え失せやしないのだろう。このまま低賃金化が進めば、ますます大人たちの心は荒み、それは子どもたちの歪な成長となって反映されるだろう。そういう鬱屈感をホームレスへの強盗殺人を働く少年たちの姿に重ねている。たしかに低所得であっても「それなり」の暮らしは出来るのかも知れない。それでも低所得者ほど一攫千金を夢見てギャンブルや株の投機へと徒に駆り立てられている。それが昨今の多重債務者の等身大の実像なのではないか。そうした彼らの病的な心の闇を晴らすことがなければ国は滅びる。おそらくアメリカ化する、ということは戦後の終戦統治で見せられた1950年代の華やかな米国像とは相当にギャップのある世界を日本という国家に内包することなのである。それは今の米国が自らの成長というものを周辺の貧しい民から労働力だけ搾り出して利用する構図そのものなのだ。そうした意味で「研修生」と称してアジアなどから労働力を搾り出すトヨタなどの大企業は忠実にグローバル企業としての王道を歩んでいる。こういう国辱的な企業にも減税を施し、彼らに潤沢な軍資金を供給する金融界は巧みに温存しながら自らの餌を得ようとする政党政治の姿なのである。
December 22, 2006
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どうも時折TVのCMで見る浅田真央の笑顔を見るたびに、安倍晋三の笑い顔と重なってしまう。そういえば昨日のニュースで青島幸男の訃報が流れていた。そして来年4月8日に都知事選。あの都市博阻止の単一公約は、昨年の郵政民営化を単一争点化した流れに先鞭をつけたといっていい。けれども政治というものは単なる派手な演出のみによっては成り立たない。そして石原や安倍なりにブチ上げたポリシーを爆竹の様に掻き鳴らしながら周囲でオノノク人々を尻目にして濱渦や中川秀直みたいなダーティな奴らがローラーを圧していく。そこには本当のポリシーはないのだけど。そうやって半ばオートマ化した政策のプロセスは政治の根本にある人間を無視しているかのよう。それは安倍がヒトラーに塩崎がゲッベルスにダブって見えてしまう私の単なる幻想なのだろうか。さながら中川秀直はゲーリングか。というか日本版ネオコンといった顔ぶれが政権にチラつくし。あんまり積極的に考えたくないが来年の参議院選挙の前哨戦が都知事選となることは間違いない。つまりは民主党にとっては通常国会と統一地方選という二つの柱を如何にして闘い都知事選をテコにして参議院選挙での圧勝に結び付られるかという岐路に立たされている。けれど自覚はないが。
December 21, 2006
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いささか小川和久の主張に圧され気味ではあるが、日本の防衛力や日本と米国との関係なども含め改めて考えてしまった。すくなくとも、こういう視点から日頃からのマスコミや政治家たちの論調というものを眺めると如何に幼稚でクダラナイことしか言っていないのだろうかと考えてしまう。つまりは日本の防衛予算の半分は人件費に消え、掃海能力や哨戒能力に関しては世界的にも突出をした装備能力を持つ反面、喧伝されるような戦闘継続能力などは持ち合せておらず、あくまで在日米軍をサポートするのに必要な機能しか持っていないのである。これで核兵器保有を言うのかい。もはや日本は米国の世界的な軍事戦略上、ただ基地を提供するだけで充分な貢献を果たしている。だから別に集団的自衛権の行使が必要だといっても米国が攻められたら日本が米国のために闘う義務を負う必要性は全くない。ただ日本が攻められたら米国は頼まれなくても基地を守るだけだよ。そういう「わかりやすい」説明を抜きにして日本の防衛力やら日米関係などというものを語っても何だか中身のない戯言の様に聞こえる。日本国憲法が国連憲章と抵触しないものである以上は自衛権は国家レベルにおいて個別的であろうが集団的であろうが厳然と存在をしているということだ。けれども同時に国際連合という枠組みの中においては依然として日本国内にも戦後体制というものは残されていて在日米軍は同時に国連軍としての顔をも併せ持っている。それは38度線においても同様で在韓米軍も同時に国連軍としての顔を持っているからイラクの様な展開はできないのだ。そこがイラクとピョンヤンとの大きな相違点である。あの倅ブッシュによる予防的先制攻撃という新しい戦争原則が対テロ戦争としてのアフガニスタンやイラクへは適用されてもピョンヤンに適用することはできない。だから対イラクに協力するから対ピョンヤンはヨロシクとはならないのだ。
December 20, 2006
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すこし前、朝日新聞で2004年後半に連載されたものを基にした本を読んだ。いまや人口減少の懸念というものが税制をはじめ社会保障や財政といった国や地方での急激な破綻シナリオによって半ば煽られている。そして企業減税を一層、促進させるための成長ロジックの根拠とされている。どうも皮肉なことに人口というものは世界的傾向を見る限りでも人口増加を続ける米国と対照的に人口減少を続けるロシアやEU圏のドイツやフランスとの間には米国の典型的な紛争介入の姿勢が象徴的な様に「人口が増えれば紛争あり、人口が減れば財政の破綻あり」の構図が浮かび上がる。けれども従来からの成長一辺倒の発想のままでは、ダウンサイジングを迫られている現実そのものから乖離し続けるという問題がある。つまりはダムや原発の開発に自ずから制約条件が課せられてくる。そこでは旧来からの事業の身の丈に合わせる様な需要予測そのものが排除されていくのだ。あの一連の官製談合というものは、財布の引き締まった公共事業のがま口を強引に抉じ開けようという典型例である。そもそも建設業者数が旧態依然としたままで現在にまで横ばいで推移することは未だにダウンサイジングされていない公共事業の負の側面というものを端的に示しているのだ。
December 19, 2006
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ふと、そんな感じをNHKの日曜討論をラジオで聞きながら抱いた。どうにも民主党の古川の話は聞いているだけでイライラしてくる。その点では太宰の娘婿の津島爺の方がマシに思えた。「7万円の年金を保障する」と古川は繰り返すが果たして月7万円でマトモに暮らせるものかなと思う。そもそも公共住宅が年金生活者向けに整備・拡充されているなんて実感はない。むしろ生活を切り詰める年金生活者を想像してしまうのが今の実感である。こういうミジメな老後を考えてしまうと今の壮年世代はホントに今、払っている税金や社会保険料や介護保険料の先行きを信じられない。あの2003年11月の総選挙で当時の小泉は年金に代表される社会保障制度の見直しにも触れたけれども結果は今を見て明らかなとおり本当に国民が求めていた姿からはかけ離れたものである。こういう実態を踏まえていたならば有権者は2005年9月に自由民主党を支持できただろうか。だからこそ津島が終わり際に「最後は国民が(選挙で)決めることですから」とホクソエミナガラ(おそらく)コメントしたのだと思う。どうせアホな衆愚政治だから神取忍だって竹中平蔵の後を受けて参議院議員になれてしまうのだから。こういう国民に期待する自由民主党の気持ちは判る。
December 18, 2006
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もう気がつくと今月も後半である。あと大晦日まで二週間か。なんとなく空気も乾燥してきた様で喉をカラシ気味である。こういうのを冬の深まりと呼んでいいのだろうか。この土曜日に図書館で5冊、本を借りてきた。ハードカバーの丸山真男や森嶋通夫や佐伯啓思とか。そんなのを選んだ。たぶん今の自分にとっての関心領域は、日本の近世から近代までの変遷とか、日本の世界的地位としての没落とか、日本の意識してる米国のヘゲモニーとか、それらとも関連する少子高齢化の進展がもたらす日本の国家像とか、米国のヘゲモニーの一つのパートと化している日本の防衛力とか。いくつかの関心が輻輳しながら絡まりあい、結果的に今の日本を構築しているのではないかという一つの根拠のない確信みたいなものが芽生えている。おそらくガムシャラに成長を追求しなくても日本は経済的な豊かさをある程度は享受し得る。けれど政治的なヘゲモニーからは没落していく。あの六カ国協議の再開は米国によるピョンヤンへの擦り寄りだという見方が強い。これに対し日本側は断固として米国の金融制裁解除を阻止すべきだという。このまま米国とピョンヤンとの二国間協議へと移行してしまえば日本から拉致問題というカードは有効に使えなくなるのだと云うのだ。なんとなく日本は米国にキチンとした主張を成しえないままズルズルと六カ国協議のテーブルから外されてしまうのではないか、と思っている。それは米国の従来からの日本観というものを確実に反映したものになる。いまやブッシュも国内的な共和・民主両党からの押し上げを食らっている。
December 17, 2006
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また気がついたら一ヶ月近く運転していなかった。きょうは天気も回復するというので久しぶりにハンドルを握った。こんどは少しトランクを使って旧宅から荷物の運び出しをした。あわせて本を資源物回収に合わせて出した。あかげでトイレットペーパーを10ロールも貰った。溜めたなあ。もう教習所を出てからはカローラなので何となく車体の大きさはつかめてきた。だから普通に車道を運転する分には多少のブランクが空いても楽に感じられるようになってきた。それでも交差点や車道から歩道へ入る瞬間の認知に未だ難がある。たぶん事故を起こすとしたら交差点の確率高し。おそらく年内に平成3年式のカムリ1800CCが納車されるからレンタカーに乗るのも年内までだろう。これからは少し狭い路地も慣れるように敢えて運転しないと。ちかごろのクルマと違って前方のボディーが見えるから今よりは駐車の際には楽になるのかなあと考えている。まあ練習だ。50キロ走って給油は5.5リットル。走行距離も給油も一番少なかった。おもえば最初の走行が一番ハードだった。なにせ103キロ走行。その次に逆コースで自損した付近まで行ったけれどもクネクネと曲がった道と電柱がボコボコ立っているのを見て先に行こうという気が起きなかった。よくよく考えてみると未だ走る道を選ばざるを得ない。そして高速を走ろうという気がしないし。ここ最近の自動車事故を見聞きしているせいだろうか。まあ一ヶ月を越えない程度に運転しよう。そうすれば極端な技能の低下だけは防げると思うから。いまは運転感覚を忘れないので精一杯か。
December 16, 2006
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その確信を伊吹や久間の面を見て強くした。どの爺も安倍を諭すだけの徳を持ち合わせていない。久間は首相在任時の小泉の発言を一個人の見解などと放言する始末だし伊吹は自らの言葉を原稿の棒読みで表現することしかできない。たぶん彼らが呆けてしまっている訳ではないから困るのだ。あのタウンミーティングという小泉政権と国民との対話姿勢そのものがマヤカシであったことのみをもってしても教育基本法の改正も防衛省の昇格法も審議未了とするのが相当なはずなのに。それを賛成に回った民主党の判断というものに未だバカな前原がイキガッテイル姿を想像するけれど。なぜ民主党はダメなんだろう。もう自民党以上にダメな気がする。この一年間で民主党の方が圧倒的に自民党よりも不祥事が多かった。すくなくとも目立った。こういう野党では国民から政治への期待を担うことは叶わない。そういうことに対する小沢一郎の毅然さというのも見られなかった。いわば昨年以上に自民党と公明党のみならず民主党の急進的な主張が政府・与党に抱きこまれる形で実現され続けた。このまま進めば国民投票法案が来年7月の参議院選挙後に私たち有権者へ信任投票として問いかけられることも確実だろう。なにせ何も政府・与党をけん制できないのだから。こういう無力感がますます国民から政治への期待感を冷まし続けている。もはや徹底的に選別され切った社会階層によって貧する者たちの思考能力など壊滅させれてしまってマトモな政策論議すら彼らは冷静に突き詰めて考えた上で判断を下せないくらいにまで疲労困ぱいしてるのが常である。だから来年4月の都知事選挙に立つ慎太郎の三選を阻む強力な対抗馬が欲しい。あの時代錯誤的な都政というものを今度は都議会の自民党と公明党が彼を推薦してオリンピック招致という名の利権に食らいつく構図というものは嘗ての東都政における都議会の腐敗と重ならない訳がないだろう。
December 15, 2006
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いくら自腹とはいえ安倍ちゃんの給与三か月分の返納というのは何だか変だと思った。こういう形で済ませられるという悪しき先例を作ってしまったのではないか。こんなマヤカシのフィクションによって小泉政権が掲げていた政策は法案に化けて行ったのだ。これは完全な誤謬を伴う国会だ。そもそもミスリードによって選択された民意というものには最早、正当性を維持し得るだけの力がなくなったのだ。この期に及んでまでも粛々と法案の審議に応じることのできるヒトのセンスには呆れるものを通り越し何もコトバが浮かばない位、内心は苛立ちがピークに達しているのである。こういうイカサマ的な法案成立過程を経た立法に縛られている公務員たちは何とも思わないのか。そうだとしたら完全に公僕意識が腐っている。そういう腐った感覚を帯びた彼らの唱える主張には私は耳を貸したくない。ならば徹底的に示威行動を起こすのが当たり前だろう。それすらしない。うちのオフィスでも風邪が流行り出した。この前の金曜に駅前へ出かけることがあった。このときに四千円弱で加湿器が店頭に置かれていた、あれから気になって日中の合間に行ってみた。延長コードを足して四千五百円くらい。まあ医者にかからず済めば安い物ものだと思い買うことにした。
December 14, 2006
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なんだか再び日本では謙虚なスタンスというものが失われていくのを実感している。こういう流れそのものは戦前の軍部が台頭して政治へ干渉し始めたときと同じである。そういう危機感が国会に現れていない。それが防衛省昇格法案審議を巡る参議院での委員会質疑に象徴的に示されていた。なぜ最近まで数々の汚職にマミレタ防衛庁をイキナリ格上げしなければならないのか。こんな素朴な疑問に国会議員は何一つ明快なコメントを発してはいない。あれだけ地方公共団体の首長による露骨な談合主導というものが明るみになりながら国の本省レベルでのチェックをしたのだろうか。ある国道管理事務所が毎月発行している広報誌がある。この広報誌の最新号ではいわゆる公共工事における品質確保法を紹介していた。たしかに今の指名競争入札での予定価格公表による入札には初めからクジ引き狙いの下請けピンはねを厭わぬ安値応札で施工レベルの低下が問題化している。けれども一連の官製談合を目の当たりにして品質確保法を考えるとウラ官製談合の新バージョンと思えて来てしまう。たしかに公務員系の組合が公契約法なるダンピング防止法みたいなものの法制化を主張している。けれど傍目には公正性が確実に担保されるのだという確証を得られないのだ。だからと云って数万円くらいの少額の買い物すら競争見積しろと無理強いをしている自治体もあるけど露骨な面従腹背さが透けて見える。ちなみに、この某市は首長まで逮捕に至らず今も健在だ。それでもコンプライアンスなんて綺麗事を云ってニヤニヤしている幹部たちは相変わらずである。たしかに、こういう姿を見てると感情論的には「道州制」なんていうヒトも居るのかも知れない。けれど国に金をダブつかせ地方に適切な配分をせずに無駄な金遣いをしているのであればキチンと金を地方へ配分することが先決だ。そういう権限に見合う財源委譲を伴わずして地元はどうする。どんなに考えたって東京を中心とする人口密度の異常に高い地域と高知や島根のような過疎地域と同じ道路整備を取り上げて見ても同一のモノサシで論じることには無理がある。それは絶対に過疎地域での道路整備コストなどというのは費用対効果の面を含めて首都圏に及びっこないのだから。いくら環境政策といった所で既存の鉄道網を徹底的に潰してきたのだ。そう簡単に潰しきった鉄道網を復活できるものではない。その一方での整備新幹線である。これは一体、何を物語っているのだろうか。フツーの感覚では過疎地域の過疎化は一層、速いスピードで進んでいくだろうと思う。
December 13, 2006
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きょうのナベツネ新聞の夕刊を読んでいたら元巡査長が失踪した後に西成で新しい戸籍を取得して別の女性と結婚までしていたという記事を社会面で見つけた。かたや最高裁のホームページを見ていたらば今年の9月から簡易裁判所での支払督促手続きがネットでも可能となったことを知った。この電子認証の取得には住基カードが必要となる。なんだかサラ金の仕事を助けるようなシステムだなあと個人的には感じたが。これらのニュース(?)と住基ネットを巡る一連の差し止め訴訟の推移とをあれやこれやと考えながら何とまあ膨大な無駄を住基ネットは生み出したのだろうかと。もはやネット上に流出した情報は回収不能である。このことを踏まえればネット上に流出する可能性のあるシステムというものに膨大な個人情報を乗っけることの危険性など明白であるのに。このことの政策変更はシステムの脆弱性を払拭できない以上、為政者は謙虚に過ちを認め決断すべき。どこの自治体も内部的には「情報推進」みたいなセクションを持っているけれども実質的な情報のセキュリティを民間に「丸投げ」して「万全を確保」していると豪語している。これで情報公開では必要以上に真っ黒にした組織防衛文書を今時アリエナイ額面のコピー代の請求つきで突っ返す。どうにも情報の保護と公開とが真逆に照応しているような気がしてならない。だから安倍ちゃんが歴史認識を「後世の歴史家の判断に委ね」た所で肝心の公文書すらマトモに公開されもしないのに一体、誰が判断できるというのか。まったく不可能なことを平気で主張する奴は信用に値しない。
December 12, 2006
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まだ細かいデータの推移を追っかけた訳ではないが確かに所謂ワーキング・プアという現象の顕在化というものは着実に進んでいる。たとえば私の勤めている地元の自治体では構成世帯の三分の二近くが年収300万円未満であり全体の四割弱は年収200万円未満世帯が占めているのである。それに伴って生活保護の受給率も15%程度に達している。これには急速な高齢化に伴う受給世帯の増加が言われる。けれども年金だけで生活できない貯蓄も取り崩しきってしまった高齢者が多い現実というものこそ現在の社会福祉そのものの問題点を端的に示しているのではないのだろうか。あの障害者自立支援法に象徴される様な露骨な棄民政策が今、着実に実行へと移されつつあるし。なぜ働く人間の尊厳を踏みにじるような社会構造を強引に肯定しようとするのか。その背景にある為政者のセンスというものに何か寒々としたものを感じない方がおかしい。まさに狂っていると。さまざまな社会のセーフティ・ネットの不十分さが新しい弱者を拡大再生産している。それこそが今のワーキング・プアの実態ではないのか。あんな乱暴に「再チャレンジ」などとホザカレタ所で困窮している人々に実際の救済が図られるのか。具体的な実態調査も依然として行われていない。ほんとうにマトモな政策というものは様々な「リアルな」データ群の集積がなければ、作れない。けれども独立行政法人化によって好い加減な形で調査・研究機関が整理・縮小・廃止されてしまいマジで政策を練るための基礎的シンクタンクは日本から消滅しつつある。これで何ができるのか。あのバブル崩壊後たしかに景気浮揚へ四苦八苦している。けれどもバブル崩壊という現象が日本に警鐘を鳴らしたものは単なる経済的な側面ではなく崩れるべくして崩れたモラルの根底にある国家としてのスタンスのなさ自体ではなかったのか。そこに手当てせずに放置しているのが今である。そもそも小さな政府で財政のコントロールを民主的な統制のものとに完全に置き切るのであるなら特別会計となる道路特定財源は全面的に撤廃して新しい政策的な根拠から税目を変えるべきであるし、わかり易い財政削減として5兆円カットすれば無駄な公共事業は道路では徹底的に省かれる。ほんとうの構造改革というものは国民の生活を質的に大きく向上させるために国家としての新しいスタンスを掲げて漸進的にでも人々に実感できる形で政策の理念を確実に享受させるものである。いまの構造改革は歪んだ米国を主流とする大企業中心のグローバリゼーションの追認でしかない。こうした空っぽな構造改革という名の安倍イズムは理念なき安直な対米追従でしかない。そこでは価値観というものは国家がディテールまで管理・統制をした「純正」のお墨付きを得なければ個人すらも自己の存在を「認証」してもらえない。どうやら、そうした方向に日本は流されているか。
December 11, 2006
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もう賀状の準備をする時期らしい。というか来た分しか返信しないので関係ないが。ただの暦だと考えれば、それまでだが。そういう時のモノサシを当てることによって浮かび上がるものもある。だいたい毎年この時期になると急激に冷え込んだりして風邪を引き仕事がはかどらないことなど。そもそも50何週しかない一年。それを最初は意識せずに気軽に費やしていく。いずれは過ぎ去る日々の積み重ねに時折は感嘆しながらも適当に、やり過ごしていく。そうこうしていくうちに一年たってしまう。そんな風だから5年や10年なんていう時間は瞬く間の出来事と化してしまうし。とりあえず未知というか先の予定を立てるということ自体は何故か不思議と心躍るというか気持ちを駆り立てるものはある。ただ、それを乗り越えていくというか実行し続けていくだけの気力とか体力というものの見定めというものは年々どうも怪しくなりつつあることを少しずつ感じている。いわば人生のハードリングみたいな所作の連続というものは本人の気力次第で続くものだし気力がなくなってしまったらストップしてしまうものだ。だから心のインターバルみたいなものというのも、どこかで自分なりに見つけてやらないといけないし。そんなことをなんとなく漠然と思った。
December 10, 2006
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きょうは自動車屋にいって中古車の整備についての説明を受けた。やはり車庫証明書を受けるには現住所と駐車場契約書上の住所とが一致しないとダメだということで管理会社あてに保管場所使用承諾証明書の作成を依頼することになった。とりあえず車検や整備の費用で12万6千円位とか。きのうの晩にポツリと降っていた雨も再び明け方から、にわか雨となって降りしきっている。冬の雨は凍てつきを一層ひどくする。こんな日はエアコンの効きも悪い。なかなか室温が上がってくれない。というか足元を暖めるには程遠い気がする。なんだか冬という季節は人間の絶望感に近い。ひさしぶりに日刊紙を読んだ。それも珍しくナベツネ新聞を。論説の橋本五郎が高坂を取り上げていた。たしかに私も丸山より高坂の方が好きだ。たぶん丸山の本は読んでもツマラナイと感じると思う。だから巷の丸山ブームも私には関心がなかった。それでも敢えて丸山を読まねばと思った。それから毎日の社説に久しぶりに皮肉を感じ取れた。あの地につかない安倍と塩崎への嘲笑みたいなものが、ほんのりと文面から読み取れた。たんなるアンチ田中角栄だけで彩られてきたというのが1980年代末期からの一連の政治改革と称されてるアジテーションの帰結だったのだろうか。
December 9, 2006
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ここ何日か明らかに喉がおかしい。そして肩を中心とする節々が痛む。おまけに、お腹も変だし。どう考えたって風邪を引いたに違いない。なんだかイライラする。けさもバカみたいに吼えまくる犬に思い切り「ウルセエんだよ!」と叫んでた。とにかく寝付きも悪く嫌ーな感覚が続いている。それでも昨日も今日も一軒だけ他人と付き合った。これまでの自分だったらハッキリと早々に断りサッサと自宅で寝ていただろうに。なんか変なとこで他人に無理して付き合っている自分がいる。こういうのは幾分か自分勝手じゃなくなった、と考えて良いのだろうか。まだ判断に悩んでいる。それにしても体調の悪いときは些細なことでも非常に醜悪な形相に見えてしまう。かたわらでカニを夢中で食べてる太った女性の頬に付着したカニの身を見て何だか無性に嫌気が差してしまった。あれが自分好みの女性であったら可愛らしく見えるのだろうなあ。ふと無関係に考えてしまった。なんとなく最近は外でも家でも酒を口にしようとは積極的には思わなくなってきている。あくまで他人との関わりにおいて脳みそがアルコールでボケてしまっている方が多分、好都合なのだからだと今では理解をしている。それだけ世事というものは余計な節介焼きで鬱陶しいものであるから。だから職場の同僚との飲みも何となく他愛もない会話で上辺の社交だけでしかない。そういった、薄っぺらい中身のない時間というのは幾ら引き伸ばしたところで意味がない。ただ上辺の仲良しを強化というか確認しあう場でしかない。そんな空間にプラスの会話などというものは存在しない。むしろクダラナイ相手のプライベートというか身辺を探るような会話の受け答え等とは確実に遮断された空間で酒を飲む方がマシだ。ただ酒を飲み、思い浮んだことを自分で暖めながら、ニヤリとして時間を燻らせてるような空間。そういった空間であれば酒は拙くならないし味も感じられる。
December 8, 2006
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ここ最近どうも郵便ポストの数が減ってきている。だから少し前の記憶で辺りを訪れても空振りをして急ぎの郵便を出しそびれることが多い。たしかに集配の回数も減ったし別にサービスが良いと思えないし。いづれクロネコメール便に凌駕されてしまうであろうことは時間が証明してくれる。あの障害者自立支援法という名前と実際が正反対の法律から半年がたった。つまりは彼らの生きる尊厳というか価値観を否定した上で成り立っている法律である。この法律に今の日本の国家としての終着点みたいなものが凝縮されてしまっているのだということは非常に悲しい現実なのである。わたしたちは郵政民営化には選挙的には政府・与党に以前にも増して議席を与えた。けれども別に障害者自立支援法や山積する社会福祉の先行きを切り開く方法についてまで同意した訳ではない。むしろ本音で云えば社会保障の今後についての展望を選択させることが争点となるべきであった。そういった争点化に至らなかった野党は一体、何を考えているのか。たしかにプリンシプルというか原理や原則といったハードな部分として日本国憲法を金科玉条みたいに振りかざす気持ちは楽でいい。けれど現実というのは日頃から汗や泥あるいは煮えくり返る屈辱の連鎖から成り立つのだ。どこかで労働団体を支持母体にしながら団体の中枢は腐っている。そういったプリミティブな部分こそ人々の連帯を深める唯一のツールなのに。なぜか観念的な話を念仏みたいに唱え始めるのだ。こういう体たらくで本気で自民党や公明党の連立与党・政府に太刀打ちできると思っているのか。
December 7, 2006
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まず暫定税率を当初税率に戻すのが筋でないか。それが「小さな政府」の考えではないだろうか。いつも外遊日程前の決着を図る、などとバカみたいに繰り返す塩崎。おまえの頭は空っぽなのか。むしろイノベーションと連呼するのであればクリーン技術の積極的な導入に減税で応えるべきだ。どうにも財務省の一方的なロジックというかシュミレーションに大人しく乗っかっているのがみえみえなのだ。いま地方公共団体を巡る官製談合が続出している最中に政治資金規正法の大幅な緩和が簡単に行われようとしてる。なんの検討もなしに。というか今の時期に出せる神経がおかしい。こういう節度を失った政治というものに適切な操舵を行なえるものは一体、何だろう。いまや民主党さえも自民党以下の政党に堕している現状を見て有権者の失望感というか「何をやってもダメ」というアキラメを払拭できないでイル。これで参議院選を迎えても公明党による自民支えに逢う。こういう捻じ曲がった汚い関係性が既成のものとして確実に今の政治状況に定着しつつある。このまま日本の政治が腐った方向に進むのであれば私は公明党や創価学会という組織というものは少なくとも地球上において日本の歴史が記されているうちは最大の汚点として記されると思っている。
December 6, 2006
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こうやって凍てつく感覚を伴う冬を迎えると確かに夏の茹だる様な蒸し暑さもキツイけれども暖を取れなかったら冬も同じ位に厳しいだろうなあと思う。あの夏の逃げ出したい様な気持ちと比べると冬の季節というのは居た堪れない様な嫌な余韻を湛えている。そんな季節でないかと思うのだ。なぜか両親の父は二人とも冬に死んだ。そして両親の母は春と夏に死んだ。たしかに供養は夏の盆に行うが。両親の父は二人とも正確には養父だった。どちらも実父は両親の幼い頃に既に他界していた。たぶん当時としては珍しいことではなかったのかも知れない。まあ無事に往生したと思う。ともに三男三女の両親なので喪主になるということはなかったが。ただ父方の祖母は長男坊が実家を飛び出て放蕩している間、経済的に父を頼っていたらしく長男が実家に戻ってきても長男の嫁との喧嘩を一部始終、電話で長々父にこぼすのであった。そんな祖母の話を父は黙って聞いていた。おそらく父にしてみれば長男や再婚した養父との間に出来た弟が実家を継ぐものだと云う気持ちも半分あって郷里を離れたのだろう。ときたま郷里を父と訪ねると昔からの親戚や近所の人達は父を昨日あった人みたいな親しそうな顔をして出迎えてくれる。その位が父にとっては、いいらしい。父方の祖父と祖母とは小学校の夏に岩手県平泉の中尊寺を父と訪れた記憶がある。父方の実家には男の子が居なかったので大そう可愛がられた。それから何年かして中学校三年生の12月半ば頃に父方の祖父は亡くなった。その時、父は仕事の最盛期だったので危篤時に駆けつけられなかった。こうやって想い起こせば自分の記憶としてキチンと残っている「死」というものは。小学校の頃に飼っていた犬の死であった。けれども事故死だったので亡骸を見ることはなかった。それから人の死というものを確実に目にしたのは当時、住んでいた近所の婆ちゃんが亡くなったときであった。いつも会うと必ず菓子を手に持たせる人だった。なんとなく旦那がE・Hエリック似のダンディな感じの人だったが浮気性らしくロクに家に戻らずタマに姿を見かける程度だった。婆ちゃんが亡くなったとき初めて人の亡骸というものに接した。なんだか無性に寂しかったという記憶しかない。それが小学校の後半くらいだった。それから大分たち高校二年生の冬に母方の叔父が亡くなった。まだ40歳くらいだった。叔父は独身だった。そのとき漠然と逆縁というものは考えものだなあと思った。そう思っていたら高校三年生の春に幼馴染がバイクで事故って他界した。18歳だった。もう当時は疎遠になっていたが。ちょうど高校の卒業式の直前にもバイクで事故って他界した奴がいたけれど。たまたま大学受験で後期日程も落として進路未定だったりしたこともあって不安定な気持ちになってた自分には身近な人間の死というものが自分の人生観に確実に影響を与えていた。とりあえず「生きる」ということは当たり前なのだが、じゃあ一体どうやって自分を納得させられるのかで苛立っていた。たぶん心の中では何処かで未だ高望みというか無謀な願望だけが焼け太りしていて半ば他人への嫉妬やら至らない自分への自棄が燻っていた。そういう時期が暫く続いた。そんな同道巡りをしても埒がアカナイと観念をして何はともあれ働こうと思った。たしかに一度はくじけて職を変えたけれども。それでも気がつくと15年近くの歳月は過ぎてしまっていた。もう細かいことをああだ、こうだと云っても「今がこうだから」と割り切れる様な気がして来ている。
December 5, 2006
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車検整備つき。とりあえず乗ってみようかと思っている。いろいろなモノに対する選択というものには自ずとクセみたいなものが出ると思う。きのう買った居間の照明。あるいはカーテンなども。たとえば照明を6~8畳用で済ますか~10畳用にするかとか。色を水色にするか緑色にするか。きのうの夕方は国立駅前に居た。そこから5分くらい歩いて谷川書店の横を地下に入っていった。なにぶんにもゴロ寝をして少し遅刻したのだが。蕃さん達の詩読会だった。とりあえずは7回目も考えているようなので次回も楽しみにしておこう。もう2年近くも経ったという事が嘘みたいだ。それにしても互いに「何処かで逢える」という感覚を確実に持てるということは幸せなことだと。いくら時間が空いたとしても。そこに再び邂逅できる時を共有できたことに感謝の念すら覚える。それでもベタベタと際限なくは出来ない。それが再会というものの必然なのだ。そう思っている。でも人恋しさみたいな感覚は残っていて一休かたNO TRUNKSとかFLOWERなどを寄り継いで帰った。ジャズでもブラジリアン・ポップスでも何でも良かったが。ただ自分の心を上手く揺り動かしてくれるリズムやら調べやらに自らを溶け込ませたかっただけなのだが。そういう夜。
December 4, 2006
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とりあえず引越しをして最初の週末。まだ前の住居も片づけが残っていて昨日もダラダラと作業をしていた。なにぶんにも前の住居からスペースが半分になったので全部を持ってくるわけにもいかない。とりあえずネックだったガスも引けた。これで一応の環境は整ったことになるのだろうか。おやじから電話があった。どうやら近所の自動車修理工場で代車を廃車にするので車検込20万円で譲り受けできそうだという。1800CCらしい。ちょうど自宅前の車庫が空いているし。一応お願いをしておいた。そういえば最近は運転もしていない。AT限定解除に行こうか悩んでいる。
December 3, 2006
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どう考えても安倍ちゃんは馬鹿に見える。あの党三役にいる中川コンビともども三バカ・トリオ。かれらが要職に就いている事の危うさについて、あまり正面から指摘をする報道は極めて少ない。こういう「ビジョンを掲げている『つもり』でビジョンを掲げていない」政治はウサン臭いだけ。その象徴が「美しい国」づくりと意味不明なフレーズを馬鹿の一つ覚えのように繰り返して唱える安倍ちゃんなのであり、政調会長から幹事長へと焼け太りした中川某氏の表情と言動なのである。たしかに政党政治化という意味で政府・官邸と与党との権限・機能分化が進んでるかも知れない。それでも政策の根幹を成す彼らのポリシーというものがキチンと国民に対して説明というか表明をされた場面は皆無に近いのではないか。ただ既定の方針というか最早、決まりきった題目であるかのように安倍ちゃんのマニュフェストには教育基本法の改正とかが説明抜きに掲げられていたし。うまくは云えないが今の為政者に対するカウンターパートとしての存在をキチンと政党政治の中に置き直してやらないと加速度的に日本という国家はマトモなスタンスからズレ続けていきそうだ。そうした世論への喚起を果たすべき第三の権力と称されるマスコミの自覚は如何ほどであろうか。それ以上に野党側の安穏とした姿勢が気に懸かる。もはや、こじんまりとした唯我独尊的な活動を見直さないと飲み込まれてしまう。そういう危機感や政治的なバランス感覚みたいなものが野党に働いているとは思えない。いま日本が考えるべきことは対ピョンヤン政策でなく自国自身である。
December 2, 2006
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この山口二郎のフレーズを見て思わずウナッテシマッタ。いま日本で起きてる現象は正にこれだ。つまり改正された教育基本法の精神そのものである。それだけ教育基本法の改正というのは大きな影響を日本という国家に与えるのである。それは実質的な日本国憲法の改正に等しいということ。あのワイマール憲法だって全権委任法の成立によって実施的に幕を閉じた。それと同じことが今の日本でも起きているということだ。そして防衛庁の防衛省昇格という現実がこれを確実に推し進めていくうえで象徴的な出来事として用意されている。これらへの周辺国の報道が伝えられないし。その代わりに個人の犯罪だけが喧伝される。そのスパイスみたいに時折、公務員の不祥事を挟む。そうやって人々の素朴な感情を揺さぶる。いつも不祥事は個人や公務員が起こすものだという安直な理解を刷り込む。もっと深い人間の大切な感覚が壊されてしまいつつあることに無自覚になる。その結果、人々は過剰な懲罰を犯罪人に求め、彼らが極刑に処せられることによって満足を得る。べつに彼らが重い罪を背負ったからといって依然として鬱屈した人々の溢れる社会から不安定さは払拭された訳ではないのに。それでも束の間の平穏が訪れたと勝手に思い込んでしまっているし。あのピョンヤンを半ば嘲笑うかのように報じ続けるマスコミ。そうじゃないだろう。まさに日本が嘲笑われているカモシレナイのに。あの酷いピョンヤンの体制を今後どのように転換していくべきなのかというビジョンすら描けない日本政府なのに。その闇雲な外交スタンスで何ができるのか。そういう好い加減な安倍ちゃんに翻弄されている。というか愚弄されているのに気づけないというか反発を示せなくなっている。それが今の日本に蔓延している地方の衰退。ただの焼け太りをして実は同じような極貧を内包する大都市と痩せ細り切った地方とのミックスが今の日本の姿である。
December 1, 2006
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