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きのうは午後から組合の会合に出かけた。どうも朝から湿気がひどくて汗が吹き出る。これで1年にわたるボーディング・メンバーも御役御免だ。そう思うだけ幾らか気持ちが晴れてきた。それにしても組合の活動方針案はクドイ。ほとんど特定政党の主張みたいで好きになれない。もう口にまで文句が半分くらい出かかった。けれども司会という立場を忘れて暴走しそうだったので堪えた。ただ会計の方は7月くらいに「もう、これ以上の好い加減な決算したら承知しない」と書面で「通告」してたため、むこうから申し訳なさそうに言い訳をしていた。拍子抜けした。たしかに云いたいことはわかる。けれども盛り込みすぎなのだ。そんなに盛りだくさんな主張を掲げて実際には一体、何に向って活動するのか。どうしても私には理解できない。あくまでも、上部団体の手下と成り切り黙々と上納するだけの団体と化しているのだろうか。疑問である。もうストも打たないのに何故に三千万円もの特別活動費をプールし続けて「これからも厳しい財政状況」などとノタマウのか。ほとんどペテンとして云いようがない。こういう、第二組合的な存在でナメラレ切っている現状に甘んじてダラダラとしている姿は情けないの一語に尽きる。ほとんど団塊世代の幹部達は自分達だけ逃げ切れればよいと踏んでいるのではないか。もし違うというのであれば仲間うちで飲み食いをしてんじゃねぇよ。ふと、そんなムカつきを覚える。そんな割り切れないおもいを沸々と抱えながら会合は終了した。とにかく終わったのだ。もう。あたりは秋の気配を漂わせていた。そろそろ腹が減った。とおりがかりの飯屋に入る。テレビを見つめる店の主人と女将と常連と思しき客の三人が狭い店内にまとまっている。ビールと、ソース焼きそばを注文する。しばらく経って、猫が店に顔を覗かせた。どうやら店の猫らしい。そそくさと焼きそばを食べ物足りないので餃子を注文した。その合間に猫が私の膝に乗った。こういうことは最近は滅多にない。というか昔から猫には引っ掻かれた記憶しかない。なのに、この猫は大人しく私の膝で落ち着いている。おそるおそる猫の背中をなでる。じっとしている。ふと動物を飼う人の心理というものを考えた。きっと飼う人は、こういうのを楽しみにしているのだなあ、と。どうも子どもの時分には犬の散歩をしても犬にバカにされ、散歩に行くのが苦痛であった。たぶん自分から飼うことはないけれども、飼う人の気持ちには触れられた気がした。その店では何故か店の主人と常連の客と話が弾んだ。あんまりにも話が弾みすぎて終電間際になってしまった。ひさびさに飲み過ぎてしまった。いつもの悪い癖で、もう一軒に寄ってしまい翌朝は寝坊をした。これも自分の身から出た何とやらなのだが。まあ、たまにはよしとしよう。
August 31, 2006
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どうも払拭しようのない曇った感覚に覆われている。このところのニュースは積極的には見たくない。そのくらい夥しく平然とマスコミは殺人や死亡につき延々と余計な世話を焼いて報じる。この余計な世話焼きは今に始まったことではない。それが人々の通常の感覚を麻痺させる。こんなニュースばかり浴びせられる子どもたち。そんな彼らに大人は何と説明してあげられるのだろうか。もし「そんな奴ら(犯人)も死んでしまえばいい」とか「どうせ、あいつ(死者)はバカだから死ぬんだ」みたいなコトバで一蹴されたら。たぶん彼らは素直に彼の言葉を飲み込む。つまり起きてしまったことの「意味」を余りにも考えないで垂れ流される「事実」であろう事件の報道と、無遠慮すぎる報道のスタンスそのもので、再び事件は飛び火して行く。それは感覚を麻痺させられた人の抑制を失わせる。そのこと自体が事件を誘発しているのだと考えている。あまりに考えたくないことが降り積もるとヒトは憂さを晴らしたくなる。だから真面目で大人しい彼らは抑圧された「欲望」の吐き出し方を知らず思考回路をショートさせて凶行へと至るのだ。その遊びのない感覚とは遊びを頑なに強く自己規制するストレスによって生み出されている。そのことは世の中の価値観に規定されている。つまり限りない努力の先に報われるのは確率論的に不確かな状況が横たわっている。むしろ境遇に大きく左右され運次第だという諦めと、地位や立場のある者へと擦り寄る意識だけを強くしながら社会そのものが不安定化している。こうした感覚はニューオリンズで被災後も取り残されて日々の憂さをアルコールで紛わす彼らと何ら変わることはない。みんなでタライ回しにして彼らを憔悴させ切らせて自ら命を絶つか、犯罪者としてレッテルを貼る日を様子見しているような社会に日本も確実になっているのだ。
August 30, 2006
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ふいに目が眩みそうなくらいニュースでは殺人や死亡の知らせを報じる。あまりにも晋三クンの云う「美しい国」なるフレーズの空々しさを象徴する光景である。それなら官邸主導で建設や農林の予算を保育所や特養ホームの待機待ち解消に投じてきたのか。はなはだ疑問である。どう考えても「何もしない国」ではないか。あのニューオリンズで取り残されている人々の惨状は対岸の出来事ではない。そう彼らと同じように日本でも生きることに先行きの希望を見つけられずに茫然とした日々を過す人たちの叫びが殺人や死亡となって撥ね帰ってきているのだ。ぜひ為政者たちに尋ねたい。ほんとに家族や社会の絆を取り戻すために必要なものは何か。それを家族や社会に問う前に政府自身が彼らの絆に切り込んできた楔の数々を思い返せと。かつてのケネディのセリフが果たして、その後のアメリカ社会を豊かにしたのかどうかと・・・。
August 29, 2006
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ここ数日いくらか暑さも和らいでくれた。たぶん例年よりも夏の初めは天気もすぐれず、その分バテを回避できた、と思っていたら結構、ここ最近まで残暑が厳しかった。そのせいか、お盆を過ぎてからの旅先でも混みあっているらしい。そんな話を職場の四方山話で知ったのだった。それにしても旅の話というのは聞くだけでも楽しい。そして自分も行ってみたいと思う。それは普段の景色とは違う何かを期待し、求める好奇心そのものである。きっと何かが違うはずだ、という内心の気持ちを確かめ安堵する作業といってもいいのではないか。とても自己満足な。けれども旅の弾けるような勢いというものは暑さに比例しているように思う。どうしても列車の旅をしていると軽装で長距離を始発から最終まで乗り継ぎたくなる。あの灼熱を逃れて車窓の眺めを愉しむことが至福の時である。どうしても眠くなれば、寝られるし旅の気ままソノモノだ。そういう意味では今は小休止。あの暑さが再び訪れる瞬間に敢行するとしよう。それまでは、もう暫く仕事を踏ん張って身軽にしておこう。これから迎える秋や冬を前にしてボチボチと旅のイメージ・トレーニングを始めてみるか。そんなことをダラダラと考え始めた初秋の晩である。
August 28, 2006
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もう8月の半ばに入所手続きをしてから先週末と今週末の4日間、通っている。いま第一段階の学科が10コマ中9コマが終わった。あと技能は延べ5コマ受けた。あすも勤め帰りに技能と学科を1コマづつ受ける。このあいだの適性検査は芳しいものでなかったがコツコツやるか。なにしろハンドル操作もギコチナイ。とりあえずノンビリと気長に通うつもりだが。それでも日が経つと嫌気が差すだろうから適当に進まないと。まあマメに通うことにしよう。もう週末が何かで潰れるという苦痛を早く解消するつもりで前向きに。まずは仮免許取得まで黙々とやるかなぁ。
August 27, 2006
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ある年の5月。ちょうど連休に思い立って東京から小倉をめざした。たしか西鉄バスジャックのあった日である。なぜか皮肉にも小倉の西鉄ホテルに泊まったため記憶に残っているのだ。ただ漠然と日本海側を北上できるだけ行こうと思い立ったのだった。そんな動機だけだった。はじめて小倉に降りてモノレールと「そごう」があるのを知った。もう夜中だった。たしか駅の裏の雑多な飲み屋街で遅い晩飯を食べて適当に宿を探したのだと思う。たぶん最近になって旅に出かけなくなったのは昔みたいに宿の当てもなく出かけることに躊躇するようになったのか。そして翌朝、小倉の山陰本線方面ホームに立った。そこに来たのは4両編成の特急だった。その自由席めがけて突進した。なんとか座席を確保したものの連休の前半で車内は満員だ。そういえば以前に四国へ行ったときには座れずに車両の最後尾に立っていたことがあった。そこから5時間くらいかけ米子へと向う。とても空は晴れ渡り車窓から時折、日本海が見える。その眺めは例えば高知の桂浜から眺める太平洋と違って見える。より砂浜は浅く海に近い。なんとなく海にグッと引き寄せられた気になる。そして海と自分とが並行している錯覚に陥る。その日は米子から各駅停車に乗り継いで鳥取まで進んだ。ここでも夕方から慌ただしく宿探しとなる。さすがに連休の最中なので数軒回っても見つからぬ。それでも何軒目かで見つけた。まだ5月だというのに相当に暑い日だった。いつの間にか宿の部屋で寝入ってしまっていた。そして日が変わり早々に宿を発つ。そう始発に乗るため。なぜか日本海側の方には人里離れた場所にもローソンのコンビニをしきりと目にした。たしかに北前船の影響なのか青森とかもそうだった。おりしもダイエーの不振が囁かれ始めた頃であったので妙に記憶に残っている。そこから途中の経由地は覚えていないのだが、その後も日本海側を北上して遂には函館へと辿り着いた。もう函館に来ると気温は15度を切って寒々としていた。あわてて店に入り上着を買った。「南から北まで」と云うけれども本当に気候の差が大きいことを実感したのであった。その後は、さすがに小倉から延々と日本海を北上する機会はない。けれども上越線で新潟に出て村上方面へ向ったり、東日本を中心に日本海側を訪れることはある。あの単調な太平洋側の眺めとは違う、日本海の夕陽は何度見ても感動する。あの海と一体になる感覚がいい。
August 26, 2006
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いまでは全席指定となってしまった「大垣夜行」。あの当時はグリーン車を除いて自由席だった。ちょうど東京からだと小田原方面の最終となり、新橋あたりからサラリーマン達が乗り込んでくるというのが見慣れた景色だった。逆に大垣からは鉄っちゃん達の座席待ちが酷かった。たしか「大垣夜行」には東京から何度か乗った。いつもホームの発車合図が鳴り続けるとき、無性にセツナカッタ。なんで、こんな夜中に独りで車中に乗り込んでいるのかを自問自答した。そして無駄な問い掛けと悟ると無理矢理にでも眠くなるように自分を仕向けるのが常だった。 ときには名古屋から中津川へ行くという奴と、なぜか九州へ里帰りするのに、わざわざ夜行を使って行く奴と出会うことがあった。たしか自分の寝床を確保しようとして自由席で飲み帰りのサラリーマンとモメタ後に自然と三人で熱海辺りから名古屋まで夜通し話し続けたのだった。 そのときは名古屋から私も紀勢線に乗り、天王寺まで行き再び熊野まで折り返して一泊した。ちょうど夏祭りの時だった。まだ旅慣れずにコソコソと駅前の宿に泊まった。そして翌朝早く、名古屋を目指して帰路に着いたのだった。 いつでも行った先で宿を探すことが多かったな。 まだ二十歳の夏。たまたま仕事で米子へ出張する際に帰りの週末をノンビリと過そうと買った18きっぷを使い残し、ふと時刻表を眺めていた。ふいにハンディ版の飛び飛びの記載を拾い読みしていくと1日分で熊本まで辿り着くことを知った。そして8月の終りに敢行したのだった。いままで九州には行ったことがなかった。ただ線路は続くよ何処までも、の通り東海道を抜け山陽本線を乗り継いで、下関から関門トンネルを抜けたときは何だか感慨深いものを感じた。たぶん今、同じことをしようとしても出来るだろうか。あの当時だからこそ出来た旅だと思うな。
August 25, 2006
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どうしてもネット環境というものはバーチャルであってリアルではない。それは果てしなく「像」であるけれども現実ソノモノではない。あるいは恣意的にチョイスされたり何らかのバイアスから逃れることは出来ない。この二年くらいに亘りランダムにブログ空間を眺めてきた実感である。やはり生身の人間として過去の実体験というものは何よりも強く自分の考えを規定している。その至極、当たり前のことを痛感するのである。それは、どんなに「クダラナイコトデモ」いい。それは日常で囲まれた空間から脱出することでしか再確認できないものだと私は考えている。そこに、いわば旅の目的というか効用がある。どんなに頭の中を思索だけで膨らまそうとしても実は限界がある。それは思考の角質を削ぐ外的な刺激としての作用を欲しているからである。その軽石みたいな機能を多分、旅というものは持っている。そんな風に私は理解をしている。あの大鰐やら弘前の周辺やら東北方面へ行こうか。それとも延々と九州へと行こうか。などと未だ頭上に旅先を漠然と思い浮かべながら独り愉しんでいる。
August 24, 2006
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この平凡な日々に厭きて来た。やはり旅しかないか。いろいろな日常を何処かに叩きつける様な作業を欲している。まるで川でする洗濯みたいだ。べつに具体的な何かがある訳ではない。それでも漠然とした何かを解き放つ様に促す作業を必要としている。たぶん、そういうことだ。さて、どこに行こうか。
August 23, 2006
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きょうもノコノコと職場に出かけた。いくぶん昨日より過しやすそうな陽気だ。そんなことを思いながら職場に着いた。ちょうど当番の同僚が目を丸くしていた。その場にいた警備さんも目を丸くしてた。いったい何があったのか。たずねると階段の天井からモルタルが剥がれたらしい。さっそく階段を駆け上り屋上の手前の階まで達すると。踊り場には粉々に砕けた破片が飛び散っている。もう築40年以上の建物だけに予感はあった。けれど目前に突きつけられた光景にコトバが出なかった。これが仮に自分の頭上で起きていたらと想像するだけで嫌になった。とりあえず現場をデジカメで記録し、業者を呼び至急で部材の手配をした。それから棒の先に鉄球をつけたヤツで他の箇所もチェックしてみた。たしかに部分的には軽い剥離を経年劣化で生じている箇所もあったが大きな被害の出そうな箇所は見当たらなかった。ひと安心した。たしかに屋上の入り口部分が屋上部から見ると逆の勾配になっていて激しい雨が降ると屋内へと雨水が入って来たことがあった。たぶん何処かのヒビ割れを伝って水が化粧のプラスターボードに滲みて最近の暑さで乾燥して浮きを生じたらしい。カネもないのにカネがかかるなあ。この春に来てからアチコチとどっかしら破損している。おまけに水周りも。そしてガラスも。ないない尽くしで何とか凌いできたけど。これでは来年の春までに修繕のカネがなくなってしまうな。とにかく台風は直撃しないで欲しい。それでなくても7月の落雷で屋外照明が見事に壊れたし。なぜか行く先どこも落雷で何か壊れている。たしか以前の職場でも駅まで来て雷がゴロゴロと鳴っている彼方に職場が見えたので電話したら停電していた。それに自宅も雷の音が聞こえると早々と一瞬だけ停電させられてしまう。おかげでタイマーをアテに出来なくなってしまった。なんだか夏休み気分を吹っ飛ばされてしまった。まあ仕方のないことだから恨みっこなしだが。これも怠けていないで働け!という思し召しなのか。それにしてもヒドイ。まったく。どうしても、ボヤキが抜けない。ただケガ人が出なかった分だけ一つ余計な仕事を避けられたとしようか。
August 22, 2006
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このクソ暑さのマンネリ。この平凡な日々のマンネリ。この不甲斐ない自分へのマンネリ。いろんなマンネリによって占められる私の観念空間。いまいちシャキッとしない毎日。そんな一日を何か当て所なく過している。これが夏の倦怠感そのものなのか。それとも自分のバテさ加減そのもの?たしかに周りも休んでいるので何となくボケているかも知れない。あとあとに溜まった仕事のツケがドッと押し寄せる恐怖にオノノキナガラもボケーとしてしまう。だめだナマケモノになっちゃ。というかヘバッテイル。そのせいか自重キープに走っている。それなりの対処はしているのだが。そういえばテレビのプロ野球中継もジャイアンツ戦を放映しなくなったフジテレビジョンのお陰でクダラナイ試合を見る機会も減って清々とした気分である。そんな風に余計な余分なモノゴトには適当なカットが効果的なのかも知れぬ。こう云うときは何だか考えも縮こまるから弱ってしまう。それにしてもマンネリは恐ろしい。その当たり前の感覚みたいなものが自分の意識を支配していくプロセスは何だかジワジワとしていて曰く云い難い。けれども確実に襲ってきているという自覚は抗いようのない勢いを持っている。たしかにマンネリに勢いは似合わないけれども。でも実感だ。いわば蔓延するような感じ。その感じを漂わせながら悪風感染させていく。しかも巧みに。いくらでも抜け出す道は用意されている、はずだ。けれども容易に抜け出せないような依存感覚すらもが意識を支配する。いやはや恐ろしいものだね。こうやって深く考えると実に意味深い。マンネリ。
August 21, 2006
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どうにも暑さから暴食気味である。いま体重はピーク値に戻ってしまっている。いくら夏場には代謝が落ちるからと言い訳をしても内心は穏やかでない。やはり食べすぎかなと思ったら少し思いとどまらないとダメらしい。そう過ぎたるは及ばざるが如し、なのである。ああ、いやはや。たまたま昨夕は所沢にいた。ちょうど多摩湖を渡った先にある球場に足を運んでいた。べつに両チームに大した思い入れもなく淡々と試合を眺めていた。それにしても試合開始の前にある変なアトラクションは止めて欲しかった。なんだか徒にクソ暑さと不快指数を増加させるだけ。どうも指名打者制を採用しているリーグ戦は何かと規制がウルサイ。もう今さらペットボトルも入場時に紙コップへ移し替えなくても良いではないか。ああいう客を信用しない商売でいったい何が「ファンサービス」なのか是非ともリーグ会長には説明責任を果たしてもらいたいと思う。ちょうど高校野球のテレビ中継で駒大苫小牧のエースが牽制でランナーをアウトにする場面を偶然見かけた。その残像がライオンズの涌井とホークスの寺原とを見ていたら「かさなった」。かたや盗塁を防いで、かたや本塁打を浴びる結果となったのも何だか印象的であったけど。あるいは投球のリズムという点でも涌井は優れていた。その牽制を繰り返す発端となった四球を出した川崎への投球を除いてはフルカウントの前に打者をアウトにしていた。かたや寺原は球速は早かったものの、肝心の2ストライク以降にカウントを悪くするパターンが目立ってた。それにしてもホークスの「レフト松中」はリスクが大きいのではないかと感じた。せめてズレータを指名打者にして一塁に回せないものか。捕球に難のあるズレータで、寺原も序盤のリズムを崩していた。その点ではセカンドも何となく安定感を欠いていた。もう少し守備を重視しないと。ひとつ解せなかったのは7点リードの場面でライオンズは依然としてサインを出し続けていた。そして盗塁までさせようとして結局は守備妨害を取られた。たぶんライオンズの野球が面白くない理由が今日の采配ぶりに凝縮されていた様な気がした。あれはプロの野球ではないなと。せめてもの救いが炭谷の先発マスクだった。あのスローイングと打撃センスには城島を思い出す。たしかにチーム事情は理解するがキチンとした捕手に育てるつもりなら我慢して先発で使い続けて欲しい。あの高木大成みたいに中途半端に使い僅か10数年で潰して欲しくない。それにしてもホークスは松中と大村に各一本ヒット性の当たりが出ただけに終わってしまった。あとのヒットは試合の流れに直結しなかった。この調子で今日もスライダーピッチャーの西口に沈黙を続けるのか。また短気な杉内の投げるゲーム展開に序盤での決着が見えてきそうだ。
August 20, 2006
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それにしても今朝から暑い。うだるような気持ちで何だかバテキッテイル。おまけにセミの鳴き声が不快感を増幅させている。たしかに夏の象徴的な風物なのだが。やはり暑さをしのぐには相当の工夫と胆力を必要とする。これでも今年は何とか凌いでいる方だと自分は思うのだが。そう考えると高校野球は真夏によくやるものだなあと思う。あの灼熱の甲子園でデーゲームを観る立場にせよ、試合する立場にせよムチャクチャ極まりない。たしかに試合する立場からは「とにかく勝たなきゃ意味がない」からグランドに立ち続けていられるのだと思うのだけれども。こういう時期には「昼寝」に限る。というか「昼寝」しないと持たない。ほとんど一日の勤務だと、午後は食後しばらく経つと突然の睡魔が襲う。だから日影の屋外へ出たり、休み休み高温の建物内で水分補給をしながら作業することにしている。もう夕方の帰路は電車で爆睡である。こうやって夏の暑さと格闘しているうちに秋の兆しが訪れようとしている。そんな空をぼんやりと眺め遣る一時が好きだ。啄木ではないけど素直に天を仰ぎ見て一人でしばし感動をしている。いろいろな物分り良い世界から解き放たれる一瞬の刹那みたいなものを惜しむように味わう。だいぶ脳ミソが疲れてきた。そういった疲労感を携えながら夏の茫洋とした空気に包まれて、不意に我を忘れきってしまう。ただ思い浮かぶ気持ちだけを頼りに夏を見送る今日の夕べに、まだ見果てぬ明日へ連なる今日の時間を再び重ね合わせるようにして、ふと目を閉じている。
August 19, 2006
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この辺りも時折、遠くから雷光というか稲妻のフラッシュがパッと閃光を走らす。そんな8月の夏である。その光から暫くして、低い轟が地面を這うように響き、そして再び閃光を解き放つ。それにしても昨日は朝から蒸し暑かった。というか水をブッカケラレタヨウナ酷い陽気だった。ふと夕方に高校野球の試合を眺めていた。智弁和歌山の背番号3の右打者と背番号10の左打者のスイングが印象的だった。たしかに早稲田実業のエースの投げる球のキレも魅力的だったけど。それにしても序盤から一点差の僅差で勝敗が決まるケースが多い。何なんだろか。そういえば日本のプロ野球も地上波テレビ局が午後8時54分に放映を打ち切ったり、放映を中止したりとジャイアンツの下位低迷を受けた反応を示している。それにしても今年の最下位ベイスターズは面白い。とくに村田と吉村は見ていて楽しい。何となく田代なんかを想い出す。しばらく見ないうちにパウエルは数ヶ月も勝っていなかった。ヤツも楽天あたりに行ったら少しハングリーになると思ったけど。だいたい今ごろになると各チームの先発ローテーション級は勝ち星的に五分五分になってくる。そうした意味では意地の張り合いがシーズンオフまで続く。たぶんマリーンズの清水にはバファローズの平野を上回る気迫があったのだろう。パスクチに被弾した平野の膝を折って崩れるポーズに彼の甘さを感じた。その点ではファイターズの八木に軍配は上がると思う。おそらくチーム状況的にも八木の新人王が見えてきた気がしている。それにしても最近の下柳はチーム状況に比例するかのようにリズムが悪い。福原の勝ち星に反比例して彼の貯金がタマラナイ今年は、タイガースのギブアップも徐々に確定しつつあるし。いっぽうの中日は朝倉が貯金を稼いでる。一人の投手でプラス5勝以上は大きな勝ち頭だ。下柳に投げ勝った吉見は2勝目を挙げた。そもそもチーム不信の大元凶は彼の不調にあったのだから来季に向けて何勝を積み増すのかがチームの趨勢を占うバロメーターになる。もう、三浦や門倉あたりで勝ち星のプラスアルファは厳しくなってきた。いくら打っても序盤が大事。その意味では広島も何とか同率で4位と健闘している。ジャイアンツと異なり黒田に次ぐ先発陣の成長は来季にも期待されるので、このジャイアンツの低調は来季も続きそうな気がする。それに比べるとヤクルトの補強は見事だ。ただ来季の構想は再び一から練り直しを迫られる。その点、楽天は積み増しは低いものの面白いゲームを展開している。一場に何とか先発陣の一角を任せられている。オリックスの無残な補強と対照的である。松坂と西口に加え先発陣の台頭が著しい西武は何とか鼻の差でホークスを抑えてる。今日の斉藤次第で決まってくるか。ロッテは二年目の久保が負け越しているなど勝ち星の上積みが厳しいシーズンとなった。このまま日ハムがプレーオフへ逃げ込む公算は高くなってきた。その場合にプレーオフ元年と同じような展開が訪れるのか。ダラダラと続くリーグ戦の最中に何となく漠然と考えてみたりする。
August 18, 2006
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あの昨夏の郵政解散総選挙を少し時間を置いて考えた場合、かつてのワイマール共和国の滅亡への道を想起する。それは合法的な手段を用いた全体主義の台頭である。つまりデフレーションという経済状況が対外的には国内での極端な排他主義ひいては拡張主義へと至る。そのことに鈍感に「なりきる」ことで当時の人々は生き延びようとした。そして多分、今日でも。だからこそ目前に横たわっている政策課題から逃げ回り観念的な自己主張だけが前面に推し出される政権が何故かマスコミの操作する世論調査上では高い支持を受け続けたのである。ついにOECD諸国ではワースト2となった日本の格差社会構造というものにキチンとした論評も主要なマスコミ・メディアからは出なかった。ただ小泉政権を振り返るというような、感傷的な政治記事だけが紙面を埋めている。そんな論調ではポスト小泉たちを甘やかすだけなのに。そこに「国益」というフレーズを投げ掛けてしまうと、その波紋は確実に自らの岸辺に大きな波としてより戻されてくる。そのことに無自覚な人々によって占められている世界に投げ掛ける術を持ち得ないマス・コミュニケーションとは最早、死んでいるのだろうか。杞憂ならば良いけど。
August 17, 2006
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とりあえずペキンもソウルも政権末期を迎えた小泉の行動には極めて自制的な対応をとった。おそらく今後も同じ軋轢を生じるような愚行が踏襲されることはないという賢明な判断である。たしかに解放の時として認識する彼らと私たちの認識との間には決して埋まらない溝は残る。それに加え厄介なことには今の二十代を中心とした若い世代に正確な歴史的な事実そのものすらキチンと理解されてない現実があるということである。そのことが靖国を巡る問題の理解に大きな影を落としているし、ポツダム宣言や国連憲章の正確な理解そのものを妨げている。すくなくとも「正が邪か」といった単純な二分法の論理というものが今の日本を取り巻いている国際情勢にすんなりと適用できるかという判断くらいはつけられないと困るのである。それすらをも通り越し堅苦しい議論を徒に闘わせたところで、それは観念的な空理空論そのもである。この5年間余りの小泉政権で対ロシア外交が殆ど進展しなかったことは皮肉な形で露見した。あまりにも惨めな身近な隣国との関係に目を背けて国連安保理へ常任理事国として入ったとして実際にロシアとの外交関係すらも整理できてない日本に果たせることはあるのだろうか。やはりムリして「なりきる」ことをやめることしか日本という国の方向性を修正する方法はない。ただ外国から受けたことだけ声高に報じて自らの脆弱振りを隠そうとする体質にマスコミの未成熟さと呼ぶには悲しすぎる現実をあらためて痛感している。ただ危険としか云い様がない。
August 16, 2006
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たぶん、こういうことだと思う。つまりは、日本人は「なりきる」のが好きなのだと。それは他者への強烈な同化を求める反作用として顕著に示される。ふと、そんな風に感じている。今は。ほんとの本心とは別にウワベデハ他人の強い論調に同化して自分を消しこむような態度とか。とりたてて小泉は靖国などに特段の考えを持っていたとは考えにくい。ただ福田赳夫と同じ様に極めて保守的な態度を一つのフォームとして鎧として身に纏っていただけだ。もしも彼に何らかの信条というものが確固としてあるならば徒に周囲を煽る形で行動に移さないだろうかと。やっかいなのは取り立てて自己の立場をキチンと論理的に説明できないくせに強引に靖国を歴史的な事実の延長線上に当然の如く普通に存在しうるものだと説く立場からの主張である。こうした主張が勢いづくことは即ち柔軟な外交姿勢の欠如そのものを明白にするだけである。そもそも外交には、「内政干渉」の主張が台頭すると「安易な」ナショナリズムの高揚へと移行しやすい性質がある。このことをわきまえない麻生や町村あるいは川口や田中といった人物を外相に据え続けた小泉政権とは元々からして明確な外交方針を持たなかったのだといえる。そこに、安直な国連常任安保理入りという、サッカーW杯の決勝トーナメント進出と同じ様な、無謀な目標を掲げて何の構想もなく場当たり的に突き進む戦前の大本営参謀的な局視的な視野狭窄に陥った全体主義的な超楽観とも呼ぶべき「無誤謬の観念」が独り歩きしている。そこには、軌道修正の利かない、いわば無軌道な勢いだけが、「やたらと」賞賛され喝采すらも浴びてしまう。とりたてて根拠のない「思惑」だけでコンセンサスと同じ様に独断専制すらもが容認されていくプロセスはノーチェックの関所みたいなものだ。それが日本の鎖国の弊害か。あきらかな胡散臭さや危うさそのものに対する嗅覚を自ら消し去ろうと意識的につとめ無防備に成り切ることで自らの無問責を獲得できるかのような「錯覚」によって維持される虚構の世界を通じて自己の願望を極限までに肥大化させて突き進もうとする輩達の「なりきり」に呆れる。
August 15, 2006
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日独伊三国同盟と日英同盟あるいは日米同盟との間に横たわる実質的な違いは何だろう。歴史に仮定の話を持ち込むことは一種の禁じ手だが日英同盟の破棄がされなかった場合の日本のアジアでの立場というもは随分と違ったものとなったのではないかと漠然と考えている。それは結果論でしかないのだが。それでも日独防共協定を結んだ時点での日本の判断との間には当時の指導者層たちのセンスというものを疑うしかない。みずからの国力の限界から弾き出された判断もなしに安易な風潮に流されて決定を下すことの危うさに違いはないのか。あの蒋介石の率いる国民党に軍事的な指導を施していたナチス・ドイツの動きを知らなかったのだろうか。あの満州事変に続く宣戦布告なき国際法規に背いた事変という手法による現地軍の逸脱を事実上は事後承認するという戦後に連綿と引き継がれてる判断なき裁断の過ち。そして戦陣訓なる国際法を無視した倒錯した軍人教育を施した東条英機の責任は彼が首相でなくとも負うべきものである。それは即ち常に軍部の上層部が下級兵士達に嘘や偽りを教え無謀な作戦を唆した責任なのである。そうやって彼らを死の淵に追いやった責任は免れない。そうした意味では(確かに戦争裁判というものは常に勝者が敗者を裁くという論理矛盾を抱えながらも)敗戦の事実そのものを含めた戦争責任というものを当時の為政者に問うべきことは何ら違和感のない考えである。その責任の帰趨すら国民に押し付ける為政者は断罪に値す。このことは今の時点でも食の安全という問題を考えてみても明白である。そもそも、為政者が負うべき責任を国民に転嫁する、などという姿勢ソノモノに温存されていることはその証左だ。どうにもグローバル・スタンダードと云いながら紛わされている現実ソノモノが見えないでいる。すこし話は飛ぶが、国賊とされた西郷と同じ様に東条も国賊なのである。それは昭和天皇が個人的には彼の人柄に好感を抱いていたとしても変えられない事実として明白に残っている。たしかにナショナリズムが異常に高揚した社会ではマスコミが沈静化するのも困難であるが。しかし煽りの裏側に暴かれたくない事実を隠したいという潜在的な意図が常に隠されている。そうした意味で小泉内閣は単に靖国をナショナリズムのキーワードとして乱用し続けたのだ。その結果としてマスコミの矛先は定まらず常に焦点ボケしながら慌ただしく彼を追いかけた。これは一種の思考停止を導くための意図的な独断専制のスタイルでもあった。あまりにも結論を明らかにしない合意形成という名の目くらましに飽きた民衆の倦怠感に刷り込まれた刺激は変化という期待感なる変数そのものを求めるだけの動機に置き換えられ今日に至っている。
August 14, 2006
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きのうは久しぶりに珍しく土曜日だというのに朝から起きて部屋を片付けていた。その前日に自動車教習所の申込が完結しなかったため、洗濯を済ませてから外出しようとしたら、何だか急に雷が鳴る。そして気がつけば辺り一面は土砂降りの様相を呈していた。そして停電した。お構いなしに外に出る。この辺りは送電元で落雷があると送電を一時的に止めてしまうのだ。おかげでタイマーというものをあまり信用しなくなった。たいてい時刻が狂っていてダメなのだ。ようやく駅に近づく頃には空も明るく陽が射してきた。まだ向こう側の空はどんより曇っている。どうにも土日は、鉄道のダイヤも直通乗り入れ便がなくなってしまうだけでなく一時間あたりの本数も極端に減っている。だから外出する気にならない。それでもムリをして駅まで出てきた。なんとか待ち時間も少なく折り返しの列車に乗る。そして休日の役所まで証明書を取りに行く。これも昔ならば歩いていける距離で済んだのに。そういえば郵便局の本局跡地もいまでは戸建ての分譲住宅に成り果ててしまっている。東京電力の営業所跡地は自治会館だ。法務局の出張所も跡を残すのみ。NTTの営業所も通信基地の機能だけ残して閉鎖。ろくなことはない。これが10年間の合併に伴う「効果」である。ただ、要するに「大きいものが、小さいものを呑み込む」という論理なのである。これで「地方分権」という発想が罷り通るのか。なんだか不可解。もともと充実していたコミュニティが逆に崩れ去ってしまった土地には、もはや見る影もないし。その象徴が駅前に最近、建て替えられた不動産屋のテナントビルである。もう建て替えられてから随分と経つのに依然として空っぽである。あの駅前再開発で立ち退いた店の数々は結局の所、一軒も戻っては来やしなかった。そうやって昔からの駅前の風景は、殺風景になった。だから一住民として考えてみても、ほぼ「死んだ」駅前の様相を呈している。ただ機能的に交番とバスの営業所が配置されているだけの空疎な駅前のロータリー。そこに昔にはあった情緒のある店やらは姿を消して、無機的な空気だけが辺りの空間を占め切っているのみ、である。たぶん駅のホームに駆け込んで乗れた当時とヒトも変わったのだろう。そう割り切らなければ何故に不便な環境を自ら敢えてJR東日本と地元自治体等とが設定したのかを理解できない。ただ大きな木に書かれた駅名だけが終電のなくなった夜中になっても煌々と照らされている。こんどの役所は駅から所要時間を計測したくないくらい離れた距離に新築されている。たぶん駅からのバスは一日に5本くらいしかない。この「合併」の目的が役所の新築にあったことは、当時からミエミエであったけれども、こうやって何処も不便な所に新築するのは何なのだろう。それだけ役所というものが世間から浮いていることの象徴なのだろうか。そういえば群馬県の前橋も鉄道交通の不便な所だ。たしか夕方に上野行きの列車を高架下から眺めて見送ったら次の列車まで40分以上も待った。まあ、そういう所と大差のないような土地ではあるけれど。けれども役所のロビーに入ると無駄な吹き抜けにウンザリしてしまう。とくに土日開庁ともなり、一部とはいえカウンターを空けているので冷暖房も光熱水費もバカにならないのではないか。そんな金があったら少しでもバスの本数を増やしてくれないものかと手前勝手に思ってしまう。それにしても役所との関わりというのは日常的にはゴミ収集くらいしか実感していない。これに加えて証明書くらいか。たしかに図書館や道路やら何やら地域に密着した部分では御世話になっているのだが。それでも指折り数えるくらいしか想い出せない。そういうものなのだろうか。とにかく証明書の発行を受けて再び、元来た道を駅まで折り返す。まだ地平線の彼方では雷の光線を拝める。こんな所に10年も住んでいたんだな。それにしても田舎だと改めて感じる。たしかに役所前なので何となく申し訳なさそうにチェーンの量販店やら飲食店やら並んでいる。けれども、それらは単に生活の機能として無機的に置かれている。もともと何もないような土地だったから有り難いことではあろうが。それでも選べることなら別の所へ行きたいなあ、と思う。たぶん今の地方も同じ様な感覚で人々は自分の生活というものを選んでいるのではないか。そんな鬱屈した心情を抱えながら駅に辿り着く。こんな野暮用を済ますのに、既に小一時間も費やしている・・・。やはり自家用車なのだろうか。まだ手段があるだけマシなのではあるけど。そうやって列車に乗っても再び乗換えが待っている。まあ次の列車は待たずに乗れそうだが。そして乗換え次の駅で降りる。ここは駅前が多少は賑やかだ。それなりに休日の人出もある。それにしてもブラブラと多数の集団が歩く中を縫って行くのはストレスが溜まる。やっぱり私は買い物を散策気分で楽しめない人間らしい。ただ目的地まで一直線で駆けつけるような感じ。そうやって店頭で事務手続きを済ませ、再び列車に乗り継ぐ。そして再び乗換えて下車する。ちょうど職場の前を通り過ぎて教習所へと足を運ぶ。もう夕方だった。ようやく教習所に着き、前日の申込手続きを完結させる。これで待ったなしとなった。あとはただ通い続けるしかない。この休日には高齢者教習と思しき年配者がズラリとロビーに並んでいた。たぶん平日の夕方と休日を中心に通うことになるので再び同じ様な光景を目にすることだろう。それにしても教習の予定を立てる、とくに技能の予約やキャンセルが面倒に感じられた。けっこうしんどいなあ。あの相模湖ピクニックランドでの「ゴーカートの悲劇」から二十数年。もう過去の呪縛から決別して前に進もうと思う。それにしても人間というものは、相手の言葉によって斯くも苦しめられるものなのだろうか。それでも、やはり乗り越えるのは自分自身でしかない。そういうことだろう。たぶん教習を受ける過程で随分とショックなこともあるだろう。なにぶんにも自信がないのだ。とにかくムダガネにだけはしないようにしよう。ただ今はそう考えている。すこしは先の予定でも考えて楽しむことにする。いままで鉄道やバスでしか行けなかった方面にでも旅行するとか。
August 13, 2006
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ついに社宅も来春には追い出されることが事実上、確定した。そろそろ引っ越す先を探さねばならない。おもえば10年経ってしまっていた。はたして何を失い何を得られたのだろうか。この部屋この場所で。ふいに思いつきで自動車教習所に通うことにした。たぶん10年前の自分では考えられなかったことだ。たしかに此処に来た年の冬は寒かった。となり村にある滝も凍ったし実際に自宅の水道も凍りかけたし。それが夏になると3階だけの最上階なので無茶苦茶に蒸し暑いことを知る。それでもエアコンなしだが。さいしょの夜勤の3年は余りにも毎日が感情の起伏を激しくするには充分すぎる日々だった。今思うと。なんとか卒業できると思っていた大学も卒論で挫折した。その代わり年次も満期に近いというのにドイツ語やらフランス語やらの初歩の初歩をナマカジリデ習っていた。そして現地では通じない己の発音に嘆きカタコトノ英語でゴマカス悲哀を味わったのだった。あの宿での電球切れジンクスは今なお続いている。どうにも他者への依存心によって10年、生きてきたような気もする。それだけ相手に恵まれすぎていたことも確かなのだが。そろそろ遅まきながら、自分の力でコツコツと積み上げていくことにしよう。まだ覚束ないけれども。思い出すと何だかアレコレト手を出しすぎているようで何だか心配になってきたな。
August 12, 2006
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いつも夏になると思う。たしかに冬の凍てつく寒さも嫌だが夏の茹だる様な暑さは更に嫌だと。そう、子どもの頃から長い夏休みは永遠の憂鬱であった。べつに何の当てもなく無闇に時間の消費だけを求められる様な苦痛の日々に耐えかねるのが常であった。ただゴロゴロしていた。どうにも蝉が鳴き始める頃の憂鬱さは最悪だった。べつに望みもせぬのにノイズに悩まされるという状況そのものに訳もなく理不尽さを感じていた。ただ時間だけが過ぎて欲しいと願った。ただ、じっとしているだけで汗が吹き出してカラダがだるくなる感覚というものに絶えかねてた。
August 11, 2006
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そもそも、機会の平等論は事後的な検証によるまで実効性は不確かである。これまで「結果の平等」を享受し、依然として今後もメリットを受け続けるであろう彼らに是非、御意見賜りたい。あの「年収300万円」を凌ぐ若年層の「年収150万円」時代の到来を見て何を感じられるか。たしかに打ち壊し的に道を開いてきた彼らは、これからも傍若無人に今まで作物を生んできた畑を平気で踏み潰して自らの望むままに用いるのかもしれない。ふと寒気が襲ってきた。元々彼らには背負うべきものなど何もなかったのだから。ただ打ち壊すことだけで生きてきたのだ。そこに論理矛盾や約束を反古にすることなどは「大したことではない」のだろう。その、自らの赴くままに常に新しい次の何かだけを嗅覚鋭く、射抜くことにのみ生きがいを感じる彼らたち。こうやって彼らが喰いちぎり尽した饗宴の後に残るものは一体、何か。あまり想像したくない。この格差社会の到来は、小泉改革の原点でもある、政府としての既定方針を推進していった結果にほかならない。あの「新しい学力観」に基づく初等中等教育の展開は、確かに「機会の平等」論を証明してくれた。つまり「伸びる子だけは伸びて、落ちこぼれは、ますます増えた」。つまり教養もあり塾などの補習も利く家庭であれば理想的な「機会均等教育」になる一方で、ろくに家庭で教育を施しえない世帯では、逆に満足な教育成果を享受し得ない「構造」にある。こうした「知育」の偏在による公教育の荒廃は既に固定しつつある。これを格差と呼ぶなと?
August 10, 2006
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けさ起きてみたら台風7号は伊勢湾を大きくターンし太平洋上を関東地方へと移動していた。これなら休まなくても良かった。けれども前から休みを入れていたので、まあいいか。もう暦も秋である。そんなことを昨年の今ごろには綴っていたことを不意に想い出したりもしているが。どうやら昨年と違って「戦後」という一つの区切りから10年周期を超えた年というものは、逆に改めて「戦後」の持つ意味を問い直して来ている、と感じている。それは昨夏の郵政解散選挙によって半ば封印されてしまった歴史観を巡る議論の材料が漸く提示され始めたこともある。どうも小泉という人間には「歴史観」はないらしい。どんなに互いの価値観は異なったとしても「歴史観」すら持ち得ない人物と外交することほど相手にとってアホらしいことはない。そのことに無自覚な為政者なら誰が権力の座にありつこうとも基本的な状況に大きな変化は生じない。あのレバノンでの出来事は決して「対岸の火事」ではない。つねに世界にも敏感でなければ、内政への感覚も推して知るべし、であろう。おそらく内閣官房機密費は安倍の使いたい放題。タテマエで彼の「理念なき」理念に追従する輩に振舞われていることは明白なのであるけど。こういう合法的な「饗応」を野放しにし、閣内不統一を露にする閣僚達の「放言」を放置し、責任放棄する小泉。もう来年度予算編成が動き出しているニモカカワラズ無為無策のノーチェックが罷り通るのは野党も仕事をしてないからに他ならない。こうして全体主義は台頭し始める。すでに国政の関心は来年の夏にある参議院選挙に向けられているらしい。けれども、ほんとうに必要な対応を今まさに求めている問題も数多くある。いったん事が決したからといって安易に監視を止めるのではなく、むしろ厳しい監視の継続から政府の失策を糾す姿勢が必要だ。それにしても晋三クンの云う「再チャレンジ」とは一体、誰に向けられたメッセージなのだろう。そもそも今年の労働経済白書の記述すら基本的認識として持たれては居ないのではないか。もはや就業者の三分の一が非正規雇用となった現状をどうやって「再チャレンジ」させるの?それに対するマスコミからの冷笑は残念ながら、知らない。これでは、大本営の発表を一層、誇張して載せた朝日新聞と同じだ。なにげに「正論」ぶりながら現実そのものを映し出すまいと必死になって真実を隠し続ける姿勢そのものにマスコミが握られている急所の在り処を知る。あのドイツでのサッカーW杯までの道のりを見て、いかに日本人というものは実像そのものを直視できないのか、ということを痛感できた。だからといって、同じことの繰り返しが今後も延々と訪れるとは考えていない。それでも、あの「平時」での出来事は「有事」でも起こり得るのだ。やっかいなのは、いくら「冷戦」が解けたとしても日本にとって国際関係での緊張は逆に高まり続けているという現実である。そういった状況がなければ中曽根政権当時と異なる緊張感が現在の小泉政権下での近隣関係を規定している、という認識を正しく捉えることは出来ない。たしかに長崎や広島に投下された原爆の悲劇そのものは、戦争によって唯一の原爆攻撃を受けた国としてのアピールとして生き続ける。けれども、同時に日米開戦に至ったプロセスを絶えず検証し直す姿勢を持ち合わせなければ国家として今後の方向性を見誤ることだろう。あの大恐慌は再来しないとも限らない。なぜならば金融至上主義に彩られた世界経済の本体そもものには依然として旧来からの国家による安全保障政策が巧みに織り込まれているからである。そのインパクトの大きさから「振幅」によるダメージを受け続ける側の反応は明白だ。いわば局地的なパニックは地球温暖化を無視するアメリカのヘゲモニーによる反作用により反復の度を強めて繰り返し惹き起こされている。もはや宗教のもたらした従来の価値や規範といったものの限界が相互の衝突を中和し得ないまでに極大化されているのが現在である。そうした宗教を表向きは払拭して再出発した日本では、宗教に似た擬制された存在が地下で市民権を得つつある。それは従来の宗教や哲学を装うものではあるが必ずしも普遍的な価値を示すものではない。むしろ今の世で誇示される欲望の拡大を肯定する存在と化している。すこし極論になるが確かに社会の根源に依然として残り続ける、というか生きながらえ続ける存在は必ずある。けれども困ったことに「成熟」というコトバに包まれながら形容される社会はアカラサマにそうした存在を認めない。だから地下へと深く潜り始め、その姿を隠してしまう。あの長野県知事選挙を毎日新聞は「劇場型政治の終焉」と述べた。はたして、そうだろうか。それは一種のカンフル剤の刺激が一時的に失せた状況でないのか。だから次の求められる刺激は、さらに劇物的な一種の「毒」そのものとなるのではないだろうか。そんな不安が過る。こんどの「ネオ小泉」たる晋三クンは、どんな「毒」を以て北朝鮮を制しようとしているのだろうか。そもそも「ペキン」との関係を用いなければ状況の好転など有り得ないのだけれども。その延長線上にロシアとの領土問題も控えてる。この停滞した外交をどのようにするのだろうか。こういった「長年の懸案」を台風一過の様に、途中まで築いては壊し、の様に繰り返していては幾ら歳月を重ねた所で何も成就しない。いま保守化しつつあるロシアとの向き合い方は今後のエネルギー政策を巡る動向に及ぼす影響も踏まえ具体的な進展を望みたいところである。いったん内政に話を戻す。消費税である。たんに税率を云々するのは「まやかし」である。あの導入時における「抜本的な見直し」は導入後20年近く経っても実施されてはいない。消費税を今後も基幹税とすること自体は別として、課税方式を巡る問題に着手することが必要である。このことは、消費税率1%のアップが2.5兆円の増収をもたらす、という歳入面だけの問題に目を向けるだけでなく現行の課税制度が消費税を納めない益税を依然として垂れ流し続けて合法的な脱税を助長している現実にメスを入れる必然性をも改めて自覚することでもある。マスコミが代理店の媒体そのものと化している今日の現状から国家のあり方を考える視座をどこまで示しうるかという疑問は尽きない。けれどもマスコミ本来の使命そのものを自覚させる声まで消え入りそうな全体主義的な傾向が静かに日本を包む込み始めている危惧を感じる。
August 9, 2006
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ちょうど村井氏の当選を嘲笑うように元全国知事会長の梶原氏はテレビに晒されていた。あの長野五輪を巡る会計帳簿の処分と同様なことが正に組織という名の得体の知れないものから生まれている。そして彼と同じ様に以後マスコミの取材にはノーコメントを貫かれるのだという。そもそも裏金の存在を知りながら「黙認」をしたことは首長の立場としては不作為犯そのもの。そういった責任も感じない彼が地方六団体の一角を代表していたことの意味を考えてしまう。あの村井氏も議会与党のドンに操られる傀儡なのだろう。晋三クンといい好きだねえまったく。
August 8, 2006
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たしか昨夏の郵政解散総選挙で「引退」をしたはずの村井仁氏が昨晩、「万歳!」をしていた。なんだか陥落していた大関が返り咲いたのか、腐っても大関が何とか勝ち越ししたかの様な。そこには枯れかけた井戸に再び水を湧き出させようとする意地みたいなものが働いていた。そもそも未知数の人物に賭けた地元経済界の雄、八十二銀行の彼も相次ぐ議会との軋轢に匙を投げてしまったのか。その結果は田中康夫知事の苦悩に満ちた表情に明らかであった。つまりは淡々と落ち着きながら進む政治に有権者の関心は「凪」の様相を呈していったのだ。そこにはキチンとした準備を重ねれば勝てると踏んだ自民公明サイドの周到な作戦もあった。なにしろ地元有力紙の信濃毎日新聞の実質的なオーナーは小坂憲次文部科学大臣である。こういった地方メディアと為政者との距離感というものは決して珍しい現象ではないけれども。こういった四面楚歌の中で実に二期6年間、途中の辞任や解散といった出来事も含めて長野県政に投げ掛けたものは、単に923億円の財政たてなおしといった数字だけにとどまらない。この事実を後任の村井氏は時代の針を押し返したと評されぬ様に受け止められるだろうか。
August 7, 2006
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おもえばヴェルサイユ条約で厳しい再軍備の規制を課せられドイツは航空力の強化とロケット開発に力を注いだ。そして第二次世界大戦を通じナチス・ドイツによるロンドンへの空襲・空爆は開始された。ある意味で従来の戦争を超えた非戦闘員を巻き込むスタイルの定着だった。こうした過程を経た第二次世界大戦、あるいはシナ事変を通じた大東亜戦争だったからこそ、巻き込まれた非戦闘員たる国民感情には客観的な事実を越えた心情が生まれた。この高度化された戦争という技術が一般国民に齎したものは、と問われれば際限のない憎悪感情か。そうやって考えると珍しく本土を(内戦や対メキシコ戦争など多少例外はあったにせよ)戦場としなかったアメリカに襲い掛かったテロ攻撃へアメリカ自身が過剰な動揺を示し反応したことは当然のリアクションだったかも知れない。それはB29の空襲を受けた日本とも重なっている。おそらく冷戦構造の崩壊後における局地的な紛争を押えるような有効なシステムの不在という状況が必要以上に当事者間に強度のストレスとして作用している。その緊張感を理解せずにキレイごとを並べでも、それは他人の喧嘩に生半可な理解を示す好い加減な奴と変わらない。
August 6, 2006
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べつに柔道と縁はないのに何故か講道館に居た。7階の大道場に立つと中央に加納治五郎の写真と彼の座っていた椅子が飾られている。JR水道橋駅の周辺は、東京ドームくらいしか足を運んだことがなかった。その一歩先に自分の知らない世界というものも確実に存在する。それにしても二日間で約4万歩、だいたい一日に2万歩も動いた。とくに二日目は大会の運営で7階の大道場へは4階の受付から中階段を行ったりきたりで終日を過した。ときには準備の買出しで秋葉原に行き外人の店員に値切り交渉をしたりバタバタと二日間は過ぎてしまった。こういう大会などのイベントというものは当日に大量の動員をする。そのため事前の準備次第で当日の運営そのものが決まってしまうと云って良い。そうした意味で、日頃の仕事の合間をぬってコツコツと事前準備を進めてきた運営事務局のメンバー達に頭の下がる思いである。それにしても土と緑のない場所というのはアスファルト舗装の照り返しと、繁華街にありがちな下水溝から沸き立つようなドブ臭さによって耐えようのない空間である。おりから暑くなってきた気候と相俟って連日のウダルような熱気に絶えず魘されそうな気持ちになった二日間だった。
August 5, 2006
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あまりの意味不明さに何か折からの暑さにヤラレタカト考えてしまった。あの麻生のバグダッド入りを知って。そもそも自衛隊の駐留中に外相が行かないというスタンスも疑問だったが。でも今更になって現ナマを積むスタイルに何とも云えない後味の悪さを感じるのは私だけなのか。これは、小泉のアホがイスラエルやレバノンに示している外交スタンスを踏襲していることの証なのだろうか。そうだとしたら未だタラタラと外相なんてやっているんじゃないと云いたいけど。もう、どうせ仕事しないんだから全閣僚を小泉で兼任し必要に応じて特使出せばいいじゃん。
August 4, 2006
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ぼちぼちと巷では夏休みモードに入っている様子である。なんだか少しだけ取り残されたような気持ちである。ここ最近は何となくボケーっとして過す時間も多くなって来ている。そろそろ少し休みながら気持ちを切り替えてやらないとマズイ。
August 3, 2006
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やはりダイエーは偉大なスーパーマーケットだった。コタツのスイッチつきコードだけでも系列の量販店では単体で販売していた。たしかに滅多には売れない不良在庫だったとは思うが。下手なコンビニを凌ぐ商品の品数の豊富さ。そこには愚直なまでに創業者の信念があった。そんな愚直さといったものは現代には通用しないものなのだろうか。いまでは売れない商品は完全に売り場から排除されてしまう。それは専門店化という方向性そのものなのだろう。けど、なんでも専門店化されてしまっても不便なものだ。これは単に個人的な感慨に過ぎないけど。それにしてもスーパーでさえ婦人もの衣料は置いているのに、紳士ものはワイシャツすらもが店頭に置かれなくなった。せいぜい柄の安物シャツとか普段着と下着の類しか売っていない。それだけ世の中の男達が「しがない」風情で生活をしている、ということの証なのだろうかね。この時期になると少しずつ店先に「臨時休業」の貼り出しを見かけるようになった。そろそろ、夏も盛りか。そう思ったら急に気持ちが怠けてきた。この蝉が啼きだす頃になると、嫌になる。そうやって呻いているうちに夏なんて瞬く間に過ぎちまうんだ。きっと。今年の、この夏も・・・。
August 2, 2006
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どうも淡々としたニュース報道というものは意味不明なコトバを使ってくれる。あのレバノンでの無差別攻撃に対してイスラエルは「ハマスだけ掃討するから」といって一般市民に避難を呼びかけている?という。そんなの茶番だ。どうせ再び攻撃を始めるまでの時間稼ぎに過ぎない。そんなドサクサに紛れイランの(細かい表現はともかくとして)非難決議案は難なく採択された。あの北朝鮮の決議とあわせて、アメリカの云う(当時のイラクを含めて)「悪の枢軸」に対しては「まんべんなく」非難を浴びせかけることにしたらしい。アメリカ自らの非難などは、顧みずして。やはり攻撃を仕掛ける敵への「先制攻撃そのもの」は、イスラエルの論理ソノモノなのだろう。ふいに晋三クンなどが無邪気に語っていた「相手が攻撃してくる前の予防的な迎撃行為」たる「先制攻撃」というものは、このようなものなのではないかと思ったし、妙な論理だとも感じた。どうにもアフガンやイラクで云われ続けた「ピンポイント」の論理は一見、敷衍されてレバノンにおいても正当化されようとしている。けれども逆に論理破綻そのものを露呈していると感じる。あのボスニアでの誤爆と必ずしも同列にできないとしても。もはや非戦闘員を死なせては・・・このイスラエルという「不信と不安」に駆られ続ける国家の存在を巡って周辺地域で際限もなく繰り返される流血を幾多となく見せつけられながら、モノゴトを規定する論理に作用するものをイロイロと考えさせられる。それは海の孤島たる日本の「不信と不安」に重なる構図でもある。
August 1, 2006
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