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GWの体制が整いました。 「仕事」です。 でも電車は空いているし、気温も暖かいしちょうどいい時期ですね。 普段、あまり仕事してないので、ここ数日は仕事したいと思います。
2011年04月30日
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張り切って仕事に出かけた奄太郎、今日は渋谷におりました。 自粛ムードなんて全く感じなかったです。よいことですね。 仕事の方はイマイチでしたが、明日も同じく渋谷でこってり絞られてくる予定です。 ちなみに下町育ちの私にとって渋谷は毎回迷子になる場所であります。 今日も迷子になりましたから、おそらく明日も迷子確定でしょう。 地元のくせに道に迷っている中年を見かけたら、それは私です。
2011年04月29日
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今日から少しあわただしくなります。 GWということもあり、今のうちに「仕事溜め」しておくつもりです。 というわけで今日はこれから仕事に入ります。 少しのんびりの出社ですが頑張ってきます。
2011年04月29日
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青波通信4月28日 「真骨頂を見せたいい試合!!」とは昨日のことですよ。 2日連続の12奪三振!!「をしてしまった」青波。 スンヨプ選手の落球を見ていた後藤選手が「俺が手本を見せてやる」とさらに落球。ポロポロして試合が沈黙ムードになってしまったため、小林雅投手のところを吉野投手がリリーフカーに乗るという「パフォーマンス」を披露、ベンチとブルペンの呼吸が全くあっていないことを世間にアピール。 おかげさまでスポーツ各紙に大きく取り上げられました。私は会社でホカホカ弁当を食べながらその記事をで読んで、青波の体を張ったお笑い精神に涙が止まりませんでした。 「よ~し、今日の連敗するぞ」と臨んだと思われる今日の試合は、10安打以上打ちながら1点も入らない、いかにも青波らしい試合をしていたのですが、北川選手が出したバットにたまたまボールが当たってしまいタナボタ勝ちをしてしまいました。 しかし、綺麗な負け方、ギリギリの勝ち方と「青波の野球」を展開、うららかな初夏の陽気に誘われて、こんな試合を見に来た7000人ほどの千葉の暇人に青波の真骨頂を見せつけました。 関東青波開幕戦の青波人が上の写真のように約50人。今日は30人ほどと予想されます。 明日からは、ついに被災地で3連戦に臨む青波、仙台では「牛がタレをしょってやってきた」とばかりにコテンパにされることが予想され、それを考えると青波の選手が不憫でなりません。 世間がGWに突入するのに私は憤怒の涙を流しながら居酒屋に駆け込むのでした。
2011年04月28日
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カレーで太った奄太郎ですが、それは先の大阪からはじまりました。 大阪で美味しいカレーが食べたいと思ったのです。今までは大阪ではうどんと寿司ばかりでしたから・・・ というわけで地元の連中に話を聞いておいしいカレー屋めぐりをしてしまいました。 というわけで、行ったところをいくつか紹介します。 まずは天満の「梨花食堂」。駅前にあるのですぐわかります。 カウンターだけのカレー屋ですが、結構オシャレ。女性でも入れます。 上は豚トロカレー。その名と通り豚トロが乗っています。カレーはさすが美味しい!!ゴハンにマッチした味でさすが地元推薦のお店です。
2011年04月28日
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最近、カレーライスの食べ歩きにはまってしまい、みるみる体重が増加してしまった奄太郎でございます。 カレーはとってもおいしいですが、カロリーが高いのと早食いになるのは否めません。 ダイエットしなきゃな・・・と思っていた時、たまたま英文でかかれたエッセイを読みました。そこにはアメリカの「肥満税」について書かれてありました。 著者の女性は日本に在住していますが、「日本に来て生活するだけで体重が5キロ近く落ちた」とありました。 なぜなら日本の食べ物にはバターやチーズの使用量が少ないからだと言っていました。そういえば自分が入院して病院食食べてたときも勝手に痩せたなあ・・・ 病院のご飯は白米・副食・副菜のいわゆる「定食型」です。それならごはんの量を減らして野菜を増やしてしっかり定食型で食べればいいのね。 というわけで今日から実践!!今度はいつまで続くのか・・・・
2011年04月27日
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「夏に節電しなきゃ」とさかんに言われていますが、効果的な乗り切り方があります。 みんな浴衣着て生活すりゃいいんですよ。昔みたいに。 本来「衣装」はその地域の風土にあったものなのに、日本みたいに蒸し暑い中、ネクタイ締めるという無茶ぶりをやってくる方がおかしかった。 新入社員になって暑い中ネクタイを締めていた時、ふと「バカじゃないか・・・」と感じたことがありました。 「女性の浴衣は帯がキツイ」という方、キツク着なけりゃいいんですよ。竹下夢二の絵みたいにざっくり着崩して結構です。 「和装の身だしなみ」なんて後の時代から取ってつけたものばかりなんです。だから「自由に」浴衣を着てみましょう。 私はそれで過ごすつもりです。
2011年04月27日
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青波通信4月26日 今日から千葉マリンでオリックス三連戦があると知った奄太郎、ちょうど大阪から東京出張に来ていたD君と一緒に観戦する計画を立てていました。 D君は大の近鉄ファンの関西人。特技は酔った時にするローズのものまね。かつて近鉄がサヨナラ逆転満塁弾で優勝した時大阪ドームにいた、自称「生き証人」。初めての千葉で私が誘導することになりました。 海浜幕張の駅前や球場周辺は液状化で道のタイルがデコボコになっているところがいたるところにあり、震災のすごさを感じました。D君もビビってましたね。 私たちのお目当てであるオリックス球団は、現在4勝7敗と順調な滑り出しです。特にチーム打率が2割ちょうどという状態で、当然リーグ最下位、正田コーチの打撃指導が冴えわたっているようです。 試合前、上の写真のように成田投手の告示がされました。 D君は「最近はパリーグらしさがない選手が多いな!特にロッテや日本ハムはパリーグ精神を忘れとるわ!!」といっていましたが、一番忘れてるのは青波だと思います。 D君がロッテを嫌いなのはわかるが、スタンドを回っているロッテのチアガールの女の子にスポーツ新聞のアダルト記事を見せて追い返すのはやめなさい。 今日の試合前、成瀬投手は現在9連勝(2年間負けなし)している青波に対し、「相手も対策は立ててくるだろう」と油断しないコメントを発していましたが、油断しても十分だったようです。 試合は真のエース成瀬投手とタナボタエース木佐貫投手の投げ合いでしたが、木佐貫投手が突然崩れたところをバルディリス選手がタイムリーエラーで後押しといういかにも青波らしい展開に。 打線は成瀬投手に連勝をプレゼントしようとダルビッシュ並に12個も三振し、完封敗け。これで10連敗と完全にカモネギ状態になってしまいました。 D君は酔っぱらってしまい、私は居眠りしてしまい、試合をそっちのけになっていましたが、気が付くとD君はスンヨプの応援に来ていた韓国人留学生を必死にナンパしていました。 D君、君は大阪に妻子いるでしょうが。東京で羽を伸ばすのは結構だが35歳過ぎて20代の女の子口説くのはやめない。 ちなみに青波は、木佐貫投手の後、鴨志田、桑原投手と継投され、明日の予告先発は寺原投手だそうですが、ドラフトで取った投手はどこへいってしまったのでしょうか?みんな外様じゃないの。 D君と途中まで送り、やっと一人になった私は大粒の涙を流しながら近所の居酒屋にかけこみました。
2011年04月26日
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今日、私の隣の上司(46歳・大洋ホエールズファン歴30年・野球オタク)が突然「えっ!!」と声を上げた。 「奄ちゃん、成田が死んじゃったよ・・・・」何のこと?当社には同名の社員がいるのでその人かと思ったら、元ロッテ投手成田文男さんの死去だと知りました。 「だってまだ若いでしょ」と私、「64だって・・・・」と上司。 私が球場に通いだした頃は、成田投手は全盛期を過ぎていて日本ハムにいました。でも何度か球場で見たのを覚えています。友達の親父が「あの人は元ロッテのすごう投手だったんだ」と教えてもらったことも。 大映映画、永田オーナーの破産、ロッテへのネーミングライツ、さらに球団維持という激動期、オリオンズはフライヤーズ(今のファイターズね)と並んで危機にありました。そう2005年と並ぶパリーグの危機の時代、その時期に活躍した成田投手の死を悔やんでなりません。 上はあの伝説の大投手「金やん」がロッテ監督に就任した時に書かれた著書「金田正一のいいたい放題」(私の蔵書の中でも貴重な一冊です)に掲載された金田監督と成田投手。 ロッテで活躍した水谷投手も40代で亡くなってしまうし、残念です。 その分、私の大好きな園川一美投手には長生きしてもらいたいです。
2011年04月25日
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昨日は終日吉祥寺で仕事させていただきました。 ちょうど休日ということもあり人がたくさんでした。 それが若者が多い!!さすが「若者が住みたい町」だけのことはあります。 私の家の周りのような昼間から酎ハイ飲んでるジジイ、店員に割引を迫るババアといった方々は皆無。上品な方が多い。田園都市線並だ。 また、山の手ということもあり、下町のように地震で家が傾きまくってることもないぞ!! 東京も広い。電車で一時間移動すると新しい「顔」がでてきます。
2011年04月25日
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今日は吉祥寺で仕事してきます。 東京でも有数の「人気地」であるのですが、私は年に1回しか行かないいう場所。 必ず迷子になってしまう・・・・ 地図を持って出かけたいと思っています。
2011年04月24日
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緊急地震速報は空ぶるのは??? 空振り見るのは慣れてます。どってことないですよ。 青波人
2011年04月23日
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高級店の多い銀座の中で、あまりにも有名なパスタ屋「ジャポネ」。昼間は長蛇の列になっている安くてうまいパスタのお店です。 「行ったことある」という方もいると思いますが、大盛りだの横綱などバカみたいな量のパスタが出ます。しかも食ってるヤラカが必ずいますね。 私は並ぶのが嫌いなので、いつも午後3時頃食べに行きます。 いつも頼むのは写真の「バジリコのレギュラー」。「バジ並」と頼めばわかります。 ほのかな塩味、太い麺、毎日ではなく、たまに無性に食べたくなるお店です。 東京の方は勿論、東京に来たときにはぜひ行ってみてください。
2011年04月22日
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現在、会社で企業の法令違反判例の勉強中です。 世の中、いろんなこと考える人がいるもんだ。。。。。。。
2011年04月22日
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青波通信4月21日 今日、明日、明後日と珍しく忙しい(といっても普通の人の七割くらい)奄太郎です。 なぜ、この時期に仕事してるかって?そりゃ来週から「青波」ことオリックスバファローズが千葉に来るからに決まってるじゃないですか? 聞くところによると、この球団、「改造計画」なるものを作成し改造してるらしいですが、私の25年以上の勘ですと、こんな計画は期待しない方がいいでしょう。 ただ、魅せるところは魅せているらしく、今季は以下の「快挙」がありました。 1、開幕日には、各球団が電力を抑えるため早めに試合を終わらせているのに、後藤選手の 余計なホームランで延長戦に持ち込んで電力を使う。どうせ福岡だからいいか! 2、先発ローテの新外人投手が連夜のめった打ち。ダルビッシュ投手の復活を手助け。他に 投手はいないんでしょうか?山省出しちゃって。 関東地方にいる数十人のオリックスファンの皆さん。こんな球団の追っかけをしている関西地方の「病人」の皆さん。ぜひ26日からの千葉マリンでオリックスを応援しましょう。 また、子供のいる親御さん、ぜひ子供と観戦を!将来の責任は取りません。
2011年04月21日
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最近、野菜を食べなくなった気がして、ちゃんぽんだのなんだの気を使って食べているのですが、野菜を多くとるにはタンメンはうってつけのもの。 大好物の近所の珍来のタンメンをいただきました。 好きな太麺がたまりません。
2011年04月20日
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先ほど丸の内のはとバス乗り場の前を通って会社に帰りほかほか弁当を食べている奄太郎です。 東京の丸の内にははとバス乗り場が並んでいて、外人やオノボリサンがたくさんいるのですが、とても閑散としていました。 平日ということもあるかと思いますが、影響は至る所に出ているようです。
2011年04月20日
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先ほど関西人から連絡があったのですが、梅田の大丸がオープンしたそうです。具体的なことは人が多く見ていないとのことですが、今度阿倍野に109がオープンするのと並んで関西経済の結果が出てくることは間違いありません。 大阪は、ここ数年、高齢化、人口減少の一途で経済が停滞しているとトミにいわれてきました。実際関西資本が関東へ移転したケースはたくさんあります。 ただでかい「箱もの」を創っても消費者不足では厳しいだろう。と思われていたものの、関東が地震の恐怖で消費者動向が最悪になっている現在、関西の「存在感」が問われているような気がします。 全国に営業所のある企業は、おそらく「東低西高」傾向が出ているのではないでしょうか? 地震の影響を数年引きずるであろう関東と比べ、関西の今後の経済動向、注目です。
2011年04月19日
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最近のニュースで「内陸部で地盤沈下が起こった」という報道がされています。 報道によると千葉県の内陸部で地盤沈下が・・・なんで??? 浦安や幕張だったらまだわかりますが。ディズニーランドやマリンスタジアムのあるあたりなどは「地盤沈下してください」といっているようなものと私は思っていました。 この報道を聞いたとき、ハッとしました。田沼時代の関東干拓を思い出したからです。 田沼意次が老中の時代、将軍は10代徳川家治のころ。当時、幕府を立て直すため様々な改革が行われましたが、その中で田沼改革は「重商主義政策」として幕府の財政を建てなおすため特筆に値することをやっています。 その中で「印旛沼の干拓」というのがありました。湖沼の多い千葉県北西部、特に印旛沼を中心とした大開拓を行ったのです。 今の千葉県北西部はもともと湖沼がとても多く、古代から馬の産地、また気候がよくて水があるので米どころとして重宝していた地区です。 ここを干拓して幕府直轄領の収入を増やそうとしたのですが、結局は田沼意次自体が失脚してしまい中止。完成したのは近代になってからでした。 田沼が失脚した理由の一つが浅間山の噴火という自然災害でした。 ご自身の家が内陸にあるにも関わらず地盤沈下して首を捻っているかと思いますが、その地区の歴史を紐解くと忘れていたことを思い出す場合があります。 ご自身が家や土地を購入するときはその地域の歴史をある程度知ってからの方がいいのではないでしょうか?
2011年04月19日
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ただ今帰ってきました。 緊張と珍しく頭使ってしまったため速攻寝てしまいそうです。 それでは皆様、よい夜を!!
2011年04月18日
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今日はあまり家から出ず、明日の準備をしています。 明日は朝5時代には起きて10時からの会議以降、スケジュールがびっしりです。 いつも仕事しているのですが、マイペースで進められても明日はそうはいかないでしょう。 なんか先発投手になった気分です。 プロの先発投手は前日どういう調整をしているのでしょうか?さまざまな方法があると思いますが、私の場合も記憶が飛んだら仕事の質が落ちるだけに役に立つものもある気がします。 仕事終了は6時以降になるでしょう。それ以降かも?めいっぱい疲れる予定です。
2011年04月17日
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今日は久しぶりに読んだ本の話を。 有川浩の「阪急電車」を読みました。 この本はすでに有名になっていまして、はじめて書店で見たのは金沢出張時でしたが、今回購入して読みました。 パラパラめくって予測はしていたのですが・・・・タイトルに騙されました。 これは阪急電車にかかわりなく「どこにでもある風景」の本なんです。おそらく「計算内」なんだと思います。 もちろん各場所等の特色は書かれているのですが、それは阪神電車でも京阪電車でもいい内容になっています。 私が小説を読んで一番うれしいことは「自分が知っているあの場所が出ていること」。だから上野、浅草、秋葉原、神保町などが出てくると嬉しいものがある。 (逆に麻布、六本木、広尾、渋谷、吉祥寺などはさっぱりわからない) 数時間で読める本ですが、サラサラッと読んで終わりました。趣向は面白いですが、個人的にはイマイチの本でした。(映画化するには向くかもね)。
2011年04月17日
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私はとある都合で月に1回新宿(西新宿)へ行きます。 その時の昼食はその場で食べるのですが、最近は西口ではなく、代々木近辺を歩いて食べています。 そんな時、三か月に1回のペースで食べるのがちゃんぽん「火の国」 昼時にはえらい混雑するので、その前にちょっと入ってパツと食べてきます。 昼はあまりおなかを膨らませられませんから、そんな時ちゃんぽんは非常に食べやすい。 予備校生の町代々木ですが、少しづつかつてと変わってきて、飲食店も変わってきた感じがします。 そんな中、この店はずっとやっているのには脱帽です。 代々木に来たら向かいにある木久蔵ラーメン食べるよりかいいかもしれませんよ。(わかりませんが)
2011年04月16日
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最近のニュースでは「日本の商品が危ないということで世界の各国から受け入れをされていない」と報道されています。 日本では「大丈夫なのに」「過剰反応だ」といった論調が多いように思えます。 確かに過剰反応しているようなところもあるようです。 でも「過剰反応」って日本の「お家芸」ともいえるものではなかったでしょうか? 最近、中国からの観光客が激減しているそうですが、その中国のギョーザ問題なんてのがありました。 あの時「中国製がみんな悪い」「中国製の食べ物は怖い」という消費者が多かったと思います。それが立場が逆転して「あなた方は過剰反応だよ」っていえますか? ギョーザのときだって、中国全土の工場や農場に問題があるわけじゃなかった。 確かにギョーザ食べておなか壊した人はいても死んだのはいなかったでしょう。 過剰反応は「かつて自分たちが行っていたこと」なんだと思います。
2011年04月16日
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先日、大阪に行った折、腹が減ってしまって梅田近辺を徘徊して何を食べようか思案していました。 ちょうど大阪名物「がんこ寿司」のとんかつ屋が目に留まり入店。 たのんでみたのがこのネギかつ重。 ご飯に青いネギ、とんかつが乗っているというシンプルなものですが、この青ネギは東より西で見かけるネギ。この青さに誘われて頼んでしまったというわけです。 シンプルなどんぶいだけど、とんかつの具合もよく、意外とネギと合うんですね。 いつも関西に行くと、うどんと鯖寿司だけでしたが、新しい食を開発したいものです。
2011年04月15日
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昨日は埼玉でしたが、今日は銀座にて仕事です。 銀座は近くて行きやすいのですが、あまり行きたい場所でなくほとんど仕事以外ではでかけません。 一番困るのが飯屋。たくさんあるけど混んでるし高いし・・・・ ただ、現場で働く社員は安くてうまい路地裏のお店をよく知っているので助かります。 仕事が終わればすぐ帰ってくると思いますが、出かけてきます。
2011年04月14日
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私奄太郎、今年初めての野球観戦に行ってまいりました。 それはひょんなことからでした。 今日は埼玉県の入間に行くため朝早く東京の自宅を出ました。 川越を経由して東京に帰る予定でしたが、「川越行きを時間伸ばせ」の連絡が・・・・ 「所長が帰っていないので時間をつぶしてから行け」とのことです。 どうやって時間潰そうか・・・入間は駅前は何にもないし。とりあえず所沢まで行きました。そこでスポーツ紙を買って読んでいると・・・ 「イースタンリーグ・西武ーヤクルト・13時 西武第二」・・・・・ 私の足は勝手に「西武球場前」移動してしまいました。 人が少ない球場前の第二球場にあがるとヤクルトの伊東昭光コーチが!!! 数年前、横須賀のトライアウトで拝見して以来(あの時はフロントだったですな)だ。あんときはご一緒させていただいた友人がラーメン屋で暴食しまくってたな・・・なんて思い出を思い出しました。 上の写真はヤクルト投手中澤と打者GG佐藤のもの。最近見ないと思ったらGGはこんなところにいました。 でも嬉しかったのは、宮地、土橋なんていう「職人」「苦労人」がコーチで指導されていたことでした。 宮地選手は「リストラの星」で有名だったし、土橋選手は「こけしバット」で有名でした。ちなみに土橋選手は引退試合を神宮で見ていたもんですから思い出しましたね。 結局、試合途中で電話があり、最後まで観戦できませんでしたが、余震の続くうららかな春の日差しの許、他にすることがない年金暮らしの方やお菓子とコーラをがぶ飲みしている肥満な野球オタクの皆様や完全にサボっているサラリーマンの方と一緒に観戦してまいりました。
2011年04月13日
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今日は、これから埼玉を回ってきます。 入間、飯能、川越と・・・・・ けっこうハードになりそうな予感がします。
2011年04月13日
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余震が続く中、世間の不安をよそにおいしい店巡りを敢行しているバカ者、奄太郎です。 今回は秋葉原の昭和食堂へ。 これとは別のスタ丼屋さんがあることが最近わかりましたが、まあどちらでもいいや。 秋葉原はマッサージに行く以外には行かないのですが、たまに食事して帰ってきます。 ここのお店は、要は豚丼なんですが、美味しいので、ほかの食べ物が食べたくない時に行く傾向があります。 スタミナがつくのかはわかりませんが他の牛丼屋よりはおいしいと思います。安いし。 たま~にすごいでかい丼ぶりで食べている大ばか者を見るのですが、大丈夫なのでしょうか?
2011年04月12日
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さっきから地震が頻発しています。 私の住んでいる東京は最高震度4だそうでかなり揺れました。 でも、これだけたくさん揺れるので、なにかいい方法はないかととっさに考えてみました。 ちょうど私は横になっていたのですが、さっそく地震の揺れを利用して背中にボツボツのついたマッサージ器具を入れてみたらなかなか気持ちよかった。 地震の揺れを利用したマッサージ。こんな使い方もあるのですね。 自分はなんて大ばか者なんだと思いながらまだやっています。 なんて書いていたらまた地震が・・・
2011年04月11日
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東京の都知事が決まりました。 当確早すぎ・・・・・速報を見ていましたが速攻でた気がします。
2011年04月11日
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今日は、東京都知事選挙の投票日でした。 しかし、これだけ「意識のない」選挙も珍しいのではないでしょうか? もちろん選挙スタッフの方々などは別としても、われら一有権者は立候補者の主張を聴く機機会も少なく、今日が投票日であることも忘れている人もいたのではと思います。 立候補された人も主張の仕方が難しかったのでは?? 私は去年と同様、「現職でない」立候補者に投票して参りました。 防災、防災ととかく言われますが、様々な人が住みやすい東京になればそれでいいです。
2011年04月10日
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今回の震災で日本のリーダーは菅さんでした。 さまざまな意見があるかと思いますが、私は菅総理、枝野官房長官の体制でよかったと思います。 ちなみに私は民主党を支持したことはありませんし、党員でもありません。 かつての震災で「なにぶん初めての出来事なので・・・」なんていう発言をされた首相がいました。学生の私は驚きましたが。 また、菅政権から自民党、民主党で首相が相次いで変わりましたが、一年くらいで辞めた首相がたまたま今回の震災を経験していたらどうなるのだろう・・・・ 前総理の名言「国民が聞く耳を持たなくなった」といって辞任していたら首相でなく政治家を辞めた方がよいでしょう。また、病気で辞任した方もいましたが被災地では新たに病気になる人だっている。ストレスとか持病で病気になるなら最初から首相なんてやめてしまうことです。 政府のやり方には様々な意見があるかと思いますし、今後どう転ぶかわかりません。 しかし、私は今の菅総理で「前任者よりは」よかったと思います。「小沢チルドレン」などいかに意味がないか、有権者にはわかったのではないでしょうか?
2011年04月10日
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私がやっている仕事は、想像以上の知識が必要となることが最近わかってきました。 各種法律知識はもちろんなんですが、ほかに必要なのが「語学」とくに英語の知識が必要なんですね。 今の日本の企業統制はほとんど米国からの「受け売り」ですから、英語(しかもビジネス英語」でビシバシ書いてあるのを読まないときがたまにあるんです。 もちろんそんな能力はないので、電子辞書片手に必死に解読しています。 遊び以外でやることあるっていいもんです(笑い泣)
2011年04月09日
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小林一三旧宅などの旧宅めぐりが意外と好きなのですが、だいたい書斎があるものです。 今でもどこの家のお宅でも書斎っぽいものはありますよね。 もちろん当時のものから復元されたものまでありますが、小林一三旧宅の机を眺めて思いました。 今日まで続くたくさんの事業はここから生まれたのだろうか?そう考えると一三と対話している気分に勝手になっていました。 電鉄系百貨店はもちろん、駅の立ち食いソバみたいな「簡易食堂」も大正初期に現れた「ホワイトカラー」のために小林一三が創設したもの。 関西のみならず、五島慶太に請われて東京の東急沿線の田園都市構想の提案もしています。 小林一三のたくさんの功績が現在も生きています。この机から生まれたのでしょうか?
2011年04月08日
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私が今回、大阪に行ったのは「出張」なのですが、もっとも行きたい場所がありました。 大阪の池田に昨年暮れ「小林一三記念館」ができたいというのです。これが見たい!! 目的があると人間行動が早い。とくにこの私は。で早速大阪市街地から阪急宝塚線で記念館のある池田に向かいました。 駅から緩やかな坂道を15分くらい歩くと小林一三の旧宅兼記念館が見えてきます。 小林一三、阪急電鉄の創業者であり、阪急百貨店(日本初ターミナル百貨店)、タカラヅカ、東宝、コマ劇場、そして沿線建売住宅の経営をはじめておこなった実業家でありまた大臣を歴任した政治家であり 、そして何より「「阪急職業球団」ことのちの「阪急グレーブス」、そして西宮スタジアムの創設した人物です。 小林一三の旧宅には書斎などが復元されており、私は大粒の涙を流しながら見学させていただきました。 「タカラヅカは娘、ブレーブスは息子」の名文句が有名ですが、ブレーブスだけは売られて20年が経ってしまいました・・・・・・・ 現在のオリックスはご存じのとおり合併球団なわけですが、近鉄は2リーグ制になってから創設されましたから、戦前からある阪急は現在のオリックスの「大ご先祖」ということになります。 プロ野球には創立の歴史がある。別に正力松太郎だけではないのです。 小林一三記念館、ぜひ行ってみてください。
2011年04月08日
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7日、大阪の堺市で仕事した後、東京に帰るため天王寺から環状線に入って大正駅を過ぎると右側に大阪ドームが見えてきます。ちょうど10時半ころでしょうか? 一週間後に開幕を控えた球場のまわりにも新ユニフォームでの広告が出されはじめていました。 「負けるなバファローズ!!」 せめてAクラスに入ってからいいましょう。 「みんなのために頑張ろう!!」 おそらく震災向けなんでしょうが、もうちょっと社会的影響力を持ってからいいましょう。 私の大阪行きは来月になる予定です。たぶん昨年とたいして変わらないチームだと思います。
2011年04月07日
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7日、大阪から帰りました。 あっちは駅の停電もなく、お花見もしていて東京より活気があるようでした。 ぜひ、西日本からそうしてもらいたいものです。 大阪駅は現在再開発中でして、えらい綺麗になるようです。 関西の景気低迷は気になりますが、ここでぜひ存在感を見たいです。
2011年04月06日
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ただ今から大阪に向かう奄太郎です。 今回は内勤なので私服で出かける珍しい出張です。 ただ、会社も経費削減のため、移動費の大幅減を決定しました。 今回の移動も飛行機より安い新幹線です。 でも贅沢いっちゃいけません。大阪まで東海道線で行かせようとしてたんですから!!
2011年04月05日
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奄太郎、突然ですが明日、銀座から大阪にたつことになりました。 今はその作業中です。 明日夜は久々の梅田。さて大阪ドームの試合はと・・・やってない!!
2011年04月04日
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伊藤博文は萩に住む前に山口の光市というところに住んでいました。 足軽みたいな家から官僚に、そして総理大臣になってしまった博文は実家のあったこの場所に家を建てるよう指示しました。博文が60を過ぎていた時です。 これから故郷の別邸で過ごすつもりだったのかもしれません。 その指示を出した後、当時博文は韓国を植民地にするため大陸に渡って行動していました。 明治41年、博文はロシア帝国の大臣と交渉するためハルビン駅で列車を降りたとき、韓国人により銃撃されました。 博文はすぐには死なず、狙撃したのは韓国人と聞いて「バカなやつじゃ」とつぶやいたといわれています。数時間後、博文は他界しました。61歳でした。 だから、この家は博文は見ることができなかったのです。 博文が住むことができなかった家は人里離れた所で記念館となり観光者を迎えています。
2011年04月03日
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伊藤博文はもちろん東京に在住していました。 当時の建物がいくつか残っていますが、このうち大井町にあった伊藤邸の一部が萩の生家の隣に移築されています。 真ん中に玄関があって、洋間と和室が両脇にある形態です。 当時の意匠が伝わる貴重な建物です。写真は玄関部分。
2011年04月02日
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伊藤博文の生家は、山口の萩にあります。 萩の城下町から東の山を登ったところで、有名な松下村塾の近くです。 ここには、博文(当時は伊藤俊輔)のお父さんが住んだのが始まりです。 俊輔は萩を出て長州藩とともに山口市で活動するようになり、あまりここにはいなかったようですが、国の指定史跡となって保存されています。 トイレや風呂をみることもできますが、中には入れません。 日本の初代首相の家はとっても素朴な小さな家でした。
2011年04月01日
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