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今月16日、楽天・梨田昌孝監督が電撃辞任しました。まったく突然のことで驚くばかりですが、その原因について様々な記事がネット上に溢れています。NHK解説者への返り咲きを狙ったものであるとか、コーチや選手から総スカン状態で監督とは名ばかりの状態だったとか。とりわけ興味深かったのは「データ野球に押しつぶされた」という類のもの。それは、楽天球団にある「チーム戦略室」という部署が大いに関係している。選手起用にあれこれ口を挟むオーナーに対し、合理的に説明するためデータ活用することが部署のミッション。これまで62試合で56通りの先発オーダーがあったのは、このチーム戦略室によるものだとか。一方の投手起用は佐藤義則コーチが仕切っているため、梨田さんがやることはなく、ただのお飾りに過ぎなかった・・・。これでは「えーい、辞めてやる!」と言い出しても、むべなるかな。そもそも2011年まで監督を務めた日本ハムの辞任発表も唐突でした。ここはデータ重視の「ベースボールオペレーションシステム」(別名BOS)で知られた球団。一人ひとりの選手を誰もが把握できるよう数値化し、「レギュラー」「控え」「育成」そして「在庫」に区分し、一方で控えの選手が試合出場する確率を7%と設定して、それに見合ったコストパフォーマンスを求める。要は一軍であっても二軍であっても一年をとおして試合に出場可能な選手だけに投資を絞り込み、いわゆる「不良在庫」は極力排除するという発想です。このことを理解できる人でないと日本ハムの監督は務まらない。梨田さんは日本ハム、楽天の監督時代、自身の思い描く監督像を体現できたのだろうか? と思います。選手時代に西本幸雄監督や仰木彬監督に仕えてきました。どちらも尊敬する師と公言しています。が、どちらかというと西本さんの影響を強く受けてきたものと推測します。西本さんが阪急監督を辞めて近鉄監督に就任した際、「お前たちを指導するために近鉄に来たんだ」と声をかけられた3人。梨田、栗橋、羽田。「梨、栗3年、羽田8年」を合言葉に徹底的にしごいて球界を代表する選手に成長させた西本手腕。梨田さんは西本さんの姿を、自身のあるべき監督像として描いていたはずです。自身でチーム方針を打ち出し、その枠の中で選手を育成し、戦術を立てる。一方、方針にそわない選手には鉄拳も辞さないといった・・・。もしそうならば、データ野球全盛のいま、そもそも梨田さんが監督であること自体が矛盾を抱えていたのかもしれません。ここ数年、たまにテレビで見かけるとき、近鉄時代と違って表情が曇って見えたのは、そんな事情があったからかな? 今更ながらそんなことを思います。 近鉄バファローズ猛牛伝説の深層 (追憶の球団) [ 梨田昌孝 ](写真1)『パ・リーグを生きた男 悲運の闘将 西本幸雄』(ぴあ) 『近鉄バファローズ 猛牛伝説の深層』(ベースボール・マガジン社)(写真2)故・西本幸雄監督~『近鉄バファローズ大全』(洋泉社、以下も同じ)(写真3)2001年、近鉄バファローズ最後のリーグ制覇、梨田監督の胴上げ(写真4)梨田のコンニャク打法は西本監督への反抗心から生まれた?
2018.06.24
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ネットで見つけ、購入しました! 定価820円、送料720円、計1540円。全国の郵便局や郵便局のネットショップで販売中だそうで。
2018.06.20
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元駒大苫小牧監督の香田誉士史さんが率いる西部ガス(福岡市)が都市対抗出場を決めました。香田さんは野球部が創部された2012年から同部のコーチに。そして昨年11月に監督に就任していました。香田誉士史さん。あまりに有名ですが、その略歴を振り返ります。高校時代、佐賀商では外野手として甲子園に3度出場。その後に駒沢大へ。選手としてこれといった実績はなかったけれど、卒業後の1994年、母校・佐賀商コーチ時代に甲子園優勝を経験しました。決勝の相手は樟南。4-4で迎えた9回表、二死満塁の場面で主将西原が満塁本塁打を放ち優勝を決めました。決勝戦の満塁本塁打は夏史上初、佐賀県勢の全国制覇は春夏通じて初の快挙でした(佐賀には決勝の満塁本塁打がつきものでしょうか。佐賀北を思い出します)。その後、1995年、恩師・太田誠駒沢大監督の推薦で、系列の駒大苫小牧の顧問(のちに監督)に就任。しかし当時はまったくの弱小チーム。香田さんの苦悩は続きました。そして太田監督から「放下着」という言葉を授かったことで道が拓け、雪上のメニューを次々に考案するなどしてチーム力が向上し、数度にわたり甲子園出場を経験、2004年夏ついに全国制覇を果たしました。その後も翌05年夏優勝、さらに06年は準優勝と、まさにサクセスストーリーを地で行く栄光ロード・・・と言いたいところですが、さにあらず。勝利を続ける一方で待っていたのは苦難でした。野球部部長の暴力事件や卒業直前の3年生部員たちの飲酒事件などの不祥事。栄光(優勝)と挫折(出場辞退)が目まぐるしく入れ替わり、のちにエースだった田中将大は「まるでジェットコースターに乗っているようだった」と高校時代を振り返りましたが、香田さんこそビルのてっぺんから真っ逆さまに突き落とされた感覚だったでしょう。不祥事はチームに、周囲に、確実に亀裂を及ぼしました。そして待っていたのは事実上の監督解任。その後に辿りついたのは、まったく無名の鶴見大(神奈川大学リーグ所属)野球部コーチという職。駒沢大と同じ曹洞宗系列ですが、野球部専用グラウンドはなく付属の中高野球部と共用のため使用できるのは週2回だけ。予算は隔年10万円ではボールを買うことさえままなりませんでした。甲子園優勝監督からの転身としてはあまりに寂しいけれど、当時のコメントは意気軒高でした。「おもしろいっちゃ、おもしろいでしょ。魅力はあるんだよ。チームはまだリーグ3位以内に入ったことがないっていうんだけど、選手の能力は十分に優勝争いできるからね。自分(香田)なりにもプライドがあるから」と。本心なのか、強がりなのか? 本当のところは分からないけれど、香田さんの魅力はこのあたりにあります。2012年、西部ガスの野球部創部と同時にコーチに就任し、今年から監督に。そしてさっそく都市対抗出場を果たしました。仮りに駒大苫小牧の監督退任後が長い長い「挫折」の時期だったとしたら、次に待っているのは「栄光」です。西部ガスの躍動に期待したいところ。今年の都市対抗は7月13日に開幕します。【新品】【本】勝ち過ぎた監督 駒大苫小牧幻の三連覇 中村計/著
2018.06.10
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