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大阪桐蔭の2度目の春夏連覇で幕を閉じた、第100回夏の甲子園。この大会でも様々な記録が生まれました。今回からしばらくは、その中からいくつかの記録拾っていきます。 1回目の今回は「中越の出場3大会連続サヨナラ負け」 。 平成6年夏に坂出商、浦和学院を立て続けに破って以来、甲子園で勝ち星のない新潟・中越。今夏、24年ぶりの勝利を期して慶應高と対戦しました。先発の右腕・山本雅樹と左腕・山田叶夢が小刻みに継投して相手打線を幻惑、なんとか2失点に抑え試合を作りました。しかし2-2で迎えた9回裏、二死一・二塁の場面で1番・宮尾将にサヨナラ適時打を浴びて万事休す。初戦で姿を消してしまいました。がっくりと肩を落とす山田、本塁近くでうなだれていました。 この光景を見て、3年前(平成27年)の夏の甲子園、中越対滝川二戦を思い出しました。追いつ追われつの好ゲーム。中越は先発の高井涼(現・東京農大3年)を中盤で交代させると、後半は上村将太、雪野敏和らで小刻みな継投をはかります。しかし3-3の同点で迎えた9回裏、一死一・三塁の場面で滝川二の6番・結城宝が右前に適時打を放ち、中越のサヨナラ負けが決まりました。 その翌年(平成28年)夏は対富山第一と対戦、この時もサヨナラ負けをしましたが、とても印象深い試合でした。中越の先発・今村豪(現・大東文化大2年)は9回一死まで無安打の快投(奪三振4、与四死球5)を見せるも、中越打線は富山第一の中津原元輝、森圭名の継投の前に沈黙。散発5安打、双方無得点のまま迎えた9回裏一死後、ついに今村は4番・狭間悠希に右へ二塁打を打たれて「ノーヒットノーラン」の夢が消えると、気落ちしたのか、続く5番・河原大成に左へサヨナラとなる適時打を浴び、目前に迫った大記録「ノーヒットノーラン」は、一転して初戦敗退の「敗戦投手」に突き落とされたのでした。 近年、新潟明訓や日本文理などの強豪がひしめく新潟にあって、甲子園出場は決して簡単ではないはず。それゆえ平成27年、28年、30年と続く「出場3大会連続初戦サヨナラ負け」という記録は意外でもあります。いや、それだけに物語性を感じずにはいられないチームと言えるでしょう。<写真>すべてNHK。(写真)中越・山田叶夢。(写真)うなだれる中越・雪野敏和。(写真)ノーヒットノーラン直前でサヨナラ負けを喫した中越・今村豪。
2018.08.26
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今日の準決勝で秋田・金足農が日大三を破り、決勝進出を決めました。現代高校野球の理想形ともいえるエリート集団の大阪桐蔭を相手に、田舎の雑草軍団が破ることことはできるか? 中等学校野球が始まって今年が100回目、かつて東北六県のチームが11度(春夏計)決勝にコマを進めましたが、優勝旗に手が届いたことはありません。今度こそ、今度こそ。さて、12度目の正直はなるか?■過去、「白河越え」を果たせなかった東北各校の決勝戦績<2014年までの東北勢の戦績(決勝)>1 1915年夏・第1回秋田中(秋田) 準優勝1-2京都二中(京都)2 1969年夏・第51回三沢高(青森) 準優勝0-0(延長18回)2-4(再試合)松山商高(愛媛)3 1971年夏・第53回磐城高(福島) 準優勝0-1桐蔭学園高(神奈川)4 1989年夏・第71回仙台育英高(宮城)準優勝0-2帝京高(東東京)5 2001年春・第73回仙台育英高(宮城)準優勝6-7常総学院高(茨城)6 2003年夏・第85回東北高(宮城) 準優勝2-4常総学院高(茨城)7 2009年春・第81回花巻東高(岩手) 準優勝0-1清峰高(長崎)8 2011年夏・第93回光星学院高(青森)準優勝0-11日大三高(西東京) 9 2012年春・第84回光星学院高(青森)準優勝3-7大阪桐蔭高(大阪)10 2012年夏・第94回光星学院高(青森)準優勝0-3大阪桐蔭高(大阪)11 2015年夏・第97回仙台育英高(宮城) 準優勝 6-10東海大相模(神奈川)《解説》No.1 秋田中 決勝は京都二中と対戦、スコア1-1で延長戦となり、13回裏にサヨナラ負けを喫した。エースは長崎広(後に明治大)。ただ第1回大会だったため、秋田中自ら県内で予選を開催して勝ち抜き、東北代表として出場した経緯がある。当時全国でも屈指の実力があるといわれた盛岡中などの岩手県勢に連絡をせずに東北大会を開催したことで、後々まで物議を醸した。<関連記事>http://plaza.rakuten.co.jp/amayakyuunikki/diary/201508170000/No.2 三沢高あの伝説の決勝戦。太田幸司(後に近鉄ほか)と松山商高・井上明(後に明治大)の投げ合いは果てしなく続いた。三沢は延長15回、16回と満塁機を惜しくも逃して得点できない。出鼻はやや調子の上がらない気配だった太田も回を追うごとに持ち前の速球が唸りを上げ、特に延長に入ってからは相手にチャンスすら与えなかった。4時間16分後、規定により延長18回引分け。翌日の再試合も太田が再びひとりで投げ抜いたが、投手が二枚いる松山商高に敗れた。<関連記事>http://plaza.rakuten.co.jp/amayakyuunikki/diary/201401100000/No.3 磐城高 「小さな大投手」と呼ばれた田村隆寿(後に日本大)は3試合連続完封で決勝に進み、桐蔭学園高に甲子園で初失点(34イニング目)、0-1で敗退した。この年の4月、常磐炭鉱の大部分が閉山となり、田村をはじめ多くの選手が離職者の家庭。錆びれ行く炭鉱の町の期待を一身に背負っての甲子園出場だった。<関連記事>http://plaza.rakuten.co.jp/amayakyuunikki/diary/201312280000/No.4 仙台育英高エースは大越基(現・早鞆高監督)。準々決勝はセンバツで敗退した上宮高の4番・元木大介(後に読売)を封じ込めてリベンジした。準決勝は宮地克彦(後にホークスほか)や谷佳知(後にオリックスほか)のいる尽誠学園高と対戦、10回表に大越自らタイムリーを放ち、仙台育英が接戦を制した。決勝はエース・吉岡雄二(後に近鉄ほか)を擁する帝京高に惜しくもスコア0-2で敗退した。その後、何の縁か吉岡が仙台・楽天に移籍したが、仙台市民は温かく吉岡を迎えたという。No.5 仙台育英高 後に早稲田大に進む芳賀崇がエース。常総学院高との決勝は両チーム合わせて28安打が飛び交う乱打戦になった。最後は相手打線を上回る16安打を放った常総学院が仙台育英を退け、初優勝を飾った。※同じ宮城からは東北高も出場、エースは高井雄平(現・ヤクルト)だった。野間口貴彦(後に読売ほか)を擁する関西創価高との対戦カードが注目を浴びたが、勝ったのは野間口。No.6 東北高エースはダルビッシュ有(後に日本ハムほか)。2点差を追う常総学院高は4回、坂克彦(後に楽天ほか)の二塁打などで3点を奪い逆転。8回にも坂の左前安打を皮切りに1点を追加して勝利を決めた。この大会で勇退を表明していたこと木内幸男監督は高々と宙に舞った。一方のダルビッシュは124球の熱投を見せたが、被安打12、失点4で敗戦。試合後、大粒の涙を流した。No.7 花巻東高エースは菊池雄星(現・西武)。初戦の鵡川高戦では最速152km/hを記録、9回一死まで無安打の投球で2安打完封。2回戦の明豊高戦では9安打を浴びたが2試合連続の完封。準々決勝・南陽工高戦ではビハインドの状況でリリーフ登板、4回無失点で逆転勝利。準決勝・利府戦では2点本塁打を浴び初失点を喫したが5安打2失点完投。決勝では、清峰高の今村猛(現・広島)との投手戦になるも0対1で敗れ、岩手県勢初の優勝はならなかった。菊池だけでなく佐藤涼平(後に日体大、故人)ら脇役たちの活躍も忘れられない。No.8 光星学院高エースは秋田教良(現・三菱重工広島)。畔上翔(現・法政大)、横尾俊建(現・慶應義塾大)、高山俊(現・明治大)ら強力打線の日大三高に12安打を浴び、スコア0-11で大敗した。主軸の川上竜平(現・ヤクルト)、田村龍弘(現・ロッテ)、北條史也(現・阪神)らの光星学院打線は、日大三のエース・吉永健太朗(現・早稲田大)に散発5安打に抑えられた。No.9、N0.10、No.11は省略。
2018.08.20
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まったく予想できない幕切れでした。 1点差を追う9回裏、金足農の攻撃。これまで我慢我慢で守り抜いた成果が自陣に「流れ」を呼び込んだか、2本の安打と1四球を得て無死満塁のチャンスを作ります。ここで9番・斎藤璃玖はスクイズを三塁前に敢行。捕球した相手三塁手は、本塁は間に合わないと見るや一塁へ送球してアウト(この時点で3-3の同点に)。そしてドラマは、次の瞬間、突然にやってきました。二塁走者の菊地彪までが三塁を蹴って一気に生還し、サヨナラ勝ちを決めました。 呆気にとられた最後・・・。振り返ると「セオリー」を超えた作戦が、9回だけでも随所に見られました。まず、1点差を追う無死一塁の場面。セオリーならば送りバントですが、これをせずにヒッティング(結果は安打)。続く無死一・二塁の場面、ここもセオリーの送りバントをせず、四球を選択して無死満塁に。そして、セオリーならば満塁の場面でスクイズなどしませんが、金足農は敢えてスクイズを敢行し1点を奪取して同点に。さらに二塁走者まで生還して勝利しました。 いったい「セオリー」って何だろう? と思わずにはいられませんでした。ただ、「セオリー」を語るならば、公立の農業高校がそもそもベスト4に進出するわけがない(笑)。東北人にとって「悲願の白河越え」は、案外、強豪の私学ではなく、「セオリー」を超えた規格外の金足農が果たすのかもしれない。そんなことを思いました。※監督の中泉一豊は、金足農ー青山学院大の出身。大学卒業後は秋田商業コーチなどを経て、2015年に金足農の監督に就任しました。青山学院時代、一学年上には小久保裕紀、二学年下には井口資仁らがいました。また秋田商コーチ時代の教え子に現ヤクルトの石川雅規がいたそう。<写真>はすべてNHK。
2018.08.18
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