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ラテアート・コーヒーランチのあと、カプチーノを注文したら、こんなに楽しい絵が描いて有りました。今日は、友人と待ち合わせて、本郷台へ展覧会を見に行きました。のんびりランチをすませていざ帰ろうと思ったら、鶴見〜川崎間で人身事故が有ったらしく電車がストップしていました。遅れて入って来た電車も、現在、隣の港南台駅でストップしています。普段なら所要時間10分の所が、果たしていつ着くやら・・・。別のコースで帰ろうかと思ったのですが、駅前に自転車を置いて来たため、待つしか有りません(≧∇≦)退屈なので、電車の中からの投稿です。
2014.06.30
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ハートのペンダント・スワロスキービーズ久し振りに、お友達に頼まれていた、紅いルビーのペンダントを作りました。このペンダントは、3ミリ若しくは4ミリのスワロスキーを215ケ、細いテグスをひたすら通して作ります。チェーンの代わりに、両端に丸い珠をつけた黒いコードを通し、後ろで結んで好みの長さに調節出来る様に作りました。我が家のアガパンサス今年は、例年より少し少なくて11本、我が家のアガパンサスが、ようやく咲き始めました。
2014.06.29
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☆ガンコロリン ・海堂 尊(かいどう たける)・新潮社、2013年10月20日、初版発行・短編集(小説新潮、小説現代の、2012年6月号〜2013年10月号に掲載されたもの)1.健康推進モデル事業2.緑剥樹の下で3.ガンコロリン4.被災地の空へ5.ランクA病院の愉悦「健康推進モデル事業」では、厚生労働省のあの人(白鳥)、「被災地の空へ」では、速水、「ランクA病院」では、不定愁訴外来、等々・・・。チームバチスタシリーズの読者にとっては、懐かしい登場人物や名称などが、さり気なく登場します。一見、軽い短編集の様でいて、背景には医療問題が潜んでいることに気づかされます。「ガンコロリン」は、画期的な癌の予防と治療薬が出来たことで癌患者と共に、優秀な外科医が必要なくなった。人類にとっては万々歳の筈だったが、やがて耐性菌が登場して癌患者が出始めたが、その時には外科医がいなかった・・・。
2014.06.29
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超巨大輪ダリア・浮気心今日は、お稽古の帰りに買い物が有って回り道をしました。何気なくいつもと違う道を通ったお陰で、見たこともない見事な大輪のダリアに出会えました。一番大きい花の直径は25cmほどありました。ご主人のお話では、秋田から球根を取り寄せて育てていらっしゃるそうで、2週間くらい前ならもっと大きい花が咲いていたと仰っていました。この「浮気心」は、写真の様に、一つの球根から「赤に白やピンクの花びらが混ざったもの」と、反対に「白に赤とピンクが混ざった花」が咲くとも教えて下さいました。帰宅して調べてみると、この「浮気心」は、大きいものは直径30cmの花が咲くのだそうです。大船のフラワーセンターなどで、これまでも大輪のダリアを見たことは有りますが、こんなに「見目麗しくて(?)見事なダリア」を見たのは初めてです。こちらの写真は、「浮気心」以外のダリアと他の花たちです。このお家は、道路から玄関までのアプローチを上手に利用して、ダリアの他にも色取り取りの花を咲かせていらっしゃいました。このあと俄雨に降られて、お店でしばらく雨宿りする羽目になりましたが、なんだかとても得をした気分になれた一日でした。
2014.06.27
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ウチワサボテン近くの小学校のウチワサボテンが、たくさん花をつけています。横浜近辺では、庭先で大きく育ったアロエやウチワサボテンが花を咲かせているのを見かけますが、路地で育つ北限はどの辺りなのでしょうね。我が国には300年以上前に渡来したそうで、棘を取ってピクルスにしたり、汁を絞って民間薬として服用されたそうです。また、赤く熟した実は食べられるそうです。余り美味しくないと書いて有りましたが・・・。岡山理科大学 生物地球学部 生物地球学科 植物生態研究室様のサイトを参考にさせて頂きました。詳しくは 同サイト内のこちらをどうぞ ⇒ ウチワサボテン
2014.06.26
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白いホタルブクロと桔梗が次々と咲いています。ピンクの蕚紫陽花は、私の迫害にもめげず、ますます色が冴えてとても綺麗です。ブルーが良いなどとと思ったことを詫びたい気分です。(笑)
2014.06.24
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☆永遠の0(ゼロ)・百田尚樹(ひゃくた・なおき)・講談社文庫、2009年7月15日、第1刷発行・単行本、2006年8月, 太田出版、2006年8月♧プロローグ・米軍パイロットの述懐♧第1章・亡霊祖母の49日が済んでしばらくしたある日、健太郎と姉は祖父に呼ばれ、そこで初めて実の祖父のことを聞かされた。祖父の名は、宮部久蔵と言い、終戦の直前に特攻隊で死んだという。祖母と最初の夫である宮部との短い結婚生活の間に生まれたのが、健太郎と姉の母である清子だった。祖母は戦後、今の祖父と再婚、男の子を二人産んだ。姉は、母が「死んだお父さんはどんな人だったのかな、私はお父さんのことは何も知らない・・・」と言うのを聞き、何とかしてあげたいと思ったという。そして、健太郎にアルバイトで良いから調査に協力して欲しいといった。健太郎が厚生労働省に問い合わせて分かった祖父の軍歴は「宮部久蔵、大正8年生まれ。昭和9年、海軍に入隊。昭和20年、南西諸島沖で戦死」となっていた。私生活では、昭和16年に祖母と結婚。17年に母が生まれたが、結婚生活はわずかに4年。その間、祖父はほとんど戦地にいたのだった。祖父がどんな人だったかを知るには、彼を覚えている人に当たらないことにはどうにもならない。健太郎は、厚生労働省に教えてもらった戦友会宛に、手当たり次第に手紙を書いて、祖父のことを知る人がいるか問い合わせた。最初は渋々始めた健太郎だったが、一人、また一人と、祖父の話を聞いて回るうちに、いつしかのめり込んで行った。♧第2章・臆病者・元海軍少尉、長谷川梅男の話「奴は海軍航空隊随一の臆病者だった。何よりも命を惜しむ男だった」と言い放った。そして如何にゼロ戦が優秀な戦闘機だったか、自分達は国のために命を惜しむことなく勇敢に戦った。出撃はほぼ毎日有り、その度に多くの未帰還機が出たが、宮部機はいつも無傷で帰艦した。不思議に思ってラバウルの古参搭乗員に聞くと「奴は逃げるのが上手いからなあ」と言った。♧第3章・真珠湾・元海軍少尉、伊藤寛次の話へ艦を守る艦上戦闘機乗りだった宮部さんの操縦技術は一流だった。彼は「妻のために、死にたくない」といい、戦争の中にあっても日常の生活を生きていた人だった。♧第4章・ラバウル♧第5章・ガダルカナル・元海軍飛行兵曹長、井崎源次郎の話私は15才で海軍に入った。いずれにしても20才になったら徴兵が待っており、単に海軍の方が良いかなと思ったからで、背景には貧しさがあった。宮部さんとはラバウルで会った。いま自分か生きているのは宮部さんのおかげだ。ある時「自分の祖父は徳川幕府の御家人で、上野の山彰義隊と戦ったと聞かされた」と話してくれたことがあった。♧第6章・ヌード写真・元海軍整備兵曹長、永井清孝(ゼロ戦のエンジンの整備兵)の話。宮部さんは、勇ましいところが全くない人だった。また、本人から聞いた話として、次のように語った。「父親は相場に手を出し破産。債権者に死んで詫びると言い首を括った。自分は母との生活を支えるために中学を中退。その母も半年後に死亡。金も身よりも頼る親戚もない、天涯孤独の身の上になり海軍に士官した」♧第7章・狂気・元海軍中尉、谷川正夫上海第12航空隊で一緒だった。宮部さんは、非常に勇敢な恐れを知らない航空機乗りだった。マリアナ海沖戦では日本軍は数時間で壊滅状態だったが、アメリカ軍の損失は皆無だった。日本軍は如何に敵を攻撃するかばかり考えていて防備は皆無だった。特攻隊員は志願を募ったということになっているが実際は命令で、軍人の習性として上官の言葉に反射的に従ったのだ。真珠湾攻撃が卑怯な奇襲となってしまったのは、ワシントンの駐米大使館員の職務怠慢が原因だった。♧第8章・桜花・元海軍少尉、岡部昌男の話宮部さんは、練習航空隊の素晴らしい教官だった。海軍は昭和18年からは大量の予備学生(大学出身の士官)を採った。そして「桜花(人間が操縦するロケット爆弾)」のことを指して、あれほど大きな恐怖を味わったことが無い。戦後、スミソニアン博物館に展示されていた「桜花」には、「BAKA-BOMB(バカ爆弾)」と言う名札がつけられていた。岡部は、自分が死ぬことで家族を守れるのならと特攻隊に志願したが「それでも特攻隊を断固否定します」と言い切った。♧第9章・カミカゼアタック・元海軍中尉、武田貴則(戦後、元一部上場企業の社長)今日は宮部久蔵の思い出話しかしないと前置きした武田に向かって、同席した新聞記者は特攻隊員についての持論を展開「自ら志願した特攻隊員は、心情的には殉教的自爆テロリストと同じです」と言い切り、執拗に話すように迫った。彼の言葉に「私はあの戦争を引き起こしたのは新聞社だと思っている。日本をあんな国にしてしまったのは新聞記者達だ!・・・軍部を化け物にしたのは、新聞社であり、これに煽られた国民だったのだ」そして「君の政治思想は問わない。しかし、下らぬイデオロギーの視点から特攻隊員を論じることはやめてもらおう。死を決意し、我が身なき後の家族と国を思い、残るものの心を思いやって書いた特攻隊員たちの遺書の行間も読み取れない男をジャーナリストとは呼べない」と言い、記者を帰らせた。武田は、健太郎と姉に向かい、特攻隊を産んだ海軍と言う組織のこと、海軍兵学校出の士官達への批判などを語ったあと、宮部の話をした。宮部さんは素晴らしい教官だった。多くの予備学生から慕われていた。優しい物腰と丁寧な口調は、全然軍人らしくなかった。しかし、それでいて全身には何とも言いようのない凄みがあった。私たちは、あれがプロフェッショナルというものかと噂したものだ。そして別れ際に「彼こそ海軍の至宝であり、戦後の日本に必要な人だった」と話した。そして「おじいさんは、戦争では無く海軍に殺されたのよ」と言う健太郎の姉に、「あなたのおっしゃるように、あの人を殺したのは海軍かもしれません」とこたえた。第10章・阿修羅・元海軍上等飛行兵曹、景浦介山(元ヤクザ)奴は死ぬ運命だった。自らその望みを断ち切ったのだ。俺は、命がけで戦っている中で「生きて帰りたい」などと言う奴を憎んでいた。だが、彼の腕は神技だった。憎みつつ「宮部よ死ぬな」と思っていた。20年5月にはドイツが降伏、日本軍の命運も尽きようとしていた。南九州の航空基地は壊滅的な被害を受け、航空機のほとんどを北九州の基地に移していた。俺も大村に移ったあと、終戦の少し前に鹿屋に移った。そこで夢にまでみた宮部と再会。自分でも何故か分からないが嬉しかった。終戦直前、特攻隊員たちの中に宮部の姿を見た時、俺の体は凍りついた。俺は「宮部の機を絶対に守り抜く」と飛び立った。意外なことに宮部が乗っていたゼロ戦は五ニ型ではなく、真珠湾の頃の古いニ一型だった。宮部の飛行機だけを追っていた俺の機体は、突然ものすごい振動と共に発動機から煙を吹き出した。みるみるうちに宮部たちの編隊が遠くに消えて行った・・・。自分が「宮部さん、許して下さい」と呟いているのに気づいた時、涙がとめど無く流れた。数日後、戦争が終わった。俺は号泣した。俺が泣いたのは他でもない。宮部のことだ。・・・宮部のことは忘れた。今日まで思い出したことはなかった、と言い、話を切り上げた。別れ際に、亡くなったおばあさんは「幸せな人生だったか」と聞き、返事を聞くと、突然怒鳴るように「帰ってくれ!」と言った後、思いがけない事が起こった。健太郎を抱きしめたのだ・・・。♧第11章・最期・大西保彦、元海軍一等兵曹、特攻隊通信員鹿屋基地で、20年の春から特攻隊員の通信を受けるのが仕事だった。宮部さんは真珠湾以来の歴戦の搭乗員だったから、誰からも一目置かれた存在だった。最期の出撃の朝、奇妙な事があった。宮部少尉は、一人の予備士官に「飛行機を換えて下さい」と頼んだ。予備士官が乗るのもゼロ戦はポンコツになって眠っていた機体だった。後日談があると前置きして、大西は次のような話をした。あの時、特攻出撃した爆装ゼロ戦は6機だったが、一機だけエンジントラブルで喜界島に不時着、その機は宮部が乗るはずだった飛行機だったという・・・。「大西さん、その人の名は?」と勢い込んで聞いた健太郎の前で、大西はノートのページを繰った。そこには、特攻で死んだ隊員の名前の横に、「喜界島に不時着」と言う文字と、健太郎たちがよく知っている名前があった。大石賢一郎少尉、23才。予備学生13期、早稲田大学。♧第12章・流星・祖父と姉弟の話二人に向かって、祖父は「いつかはお前たちに語らなければならないと思っていた」と言い、話し始めた。全てを話し終えたあと「少し、一人にして欲しい」と言った。♧エピローグ・米兵の述懐(一部を抜き書き)あの時のゼロは、ほとんど海面すれすれに低空ギリギリにやって来た。俺たちは近接信管付きの砲を撃ちまくったが、海面が電波を反射して爆発した。・・・ゼロが4000ヤードまで近づいた時、たった一機の飛行機に何千発もの機銃弾が撃ちこまれた。ついに火を噴き黒煙を吐いたゼロはいきなり急上昇、空母上空から、背面のまま、逆落としに落ちて来た。燃える機体にあんな動きが出来るのか、あんな急降下は見たことが無い。ゼロはまさに直角に落ち、飛行甲板の真ん中に突き刺さった。爆弾は不発で、甲板にゼロのパイロットのちぎれた上半身があつた。・・・甲板の火は間もなく消し止められ、しばらく遺体をじっと見ていた艦長は「我々はこの男に敬意を表すべきだと信じる。よって明朝、水葬に付したい」と言った。 パイロットのポケットには着物を来た女が赤ん坊を抱いている写真が入っていた。翌朝、この超人的なテクニックと集中力、そして勇気を持つパイロットの遺体は白い布で包まれ、手空きの総員が甲板に整列し弔銃が鳴り響くなか、挙手の礼に送られて海中に滑り落とされ、ゆっくりと海の底に沈んでいった。
2014.06.24
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我が家の「エラブユリ」テッポウユリと同じだと思うのですが、沖縄出身の方が、「エラブユリ」だと言って球根を下さいました。鬱陶しい季節に咲く、真っ白い花はとても爽やかです。今年はこの百合の前に、主人が胡瓜を植えました。百合の右側から迫っている大きい葉は、胡瓜の葉です。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・朝夕、水代わりに、焼きミョウバンの水溶液をやっていますが、全く我関せず・・・。ますます綺麗なピンクになり、蕾だった方も「装飾花」の花びらの先がピンクに色づいて来ました。やっぱり、焼きミョウバンでは駄目みたいです(笑)土壌を「酸性」もしくは「アルカリ性」にすると良いと言われても、具体的にどうすれば良いのでしょうね。先日、見せてもらった「週間花百科・紫陽花特集号」(廃版)には、夫々合う肥料の事が書いてありました。赤花系、青花系、夫々の綺麗な色の紫陽花を咲かせるには、青花系=カリ分の多い肥料。赤花系=窒素とリン酸分の多い肥料がよいとのこと。既に色々試された、笹ゆりさんのお話では簡単ではないそうです。( やっぱり… )ブログを見て下さっている方からは、「綺麗な色だから、ピンクのままの方が良いのでは?」という言うご意見の方が多いんです。元のブルーに未練があるし、確かにこのピンクも捨て難い・・・。紫陽花の色は、土壌の成分が微妙に変わると花の色が変わってしまうそうで、果たして来年はどんな色が咲くでしょう。
2014.06.21
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ホタルブクロ開港記念バザーで買った「ホタルブクロ」が咲き始めました。赤紫の苗を買った積りが、残念ながら「白」でした。やはり、素人は実際に咲いているの見てを買った方がよいようです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・桔梗四年前、絵のモデル様に買った桔梗が、今年も元気に咲き始めました。以前、何度も花壇に植えたのですが、蕾がついたと思うとたちまち虫に食べられてしまいました。地植えにするのは諦めて鉢植えにして、芽が伸び出したら目の届く場所に移動させる様にしました。以来、虫の被害は無くなりました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「八重咲きのドクタミ」の筈・・・。去年、絵の教室の先輩、majyendaさんに頂いた八重咲きのドクダミです。葉はこんなに茂っているのですが、まだ咲きません(´・_・`)
2014.06.20
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サークルベンチとラベンダー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・エゴノキ(ピンクチャイム)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ベルガモット・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・エキナシアパープレア・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・公園のシンボル「赤いサークルベンチ」から溢れる様に咲くラベンダー。そして、ベルガモット、ハーブゼラニウム、などなど、ハーブの花たちが次々と競う様に咲き始め、軽く触れただけで、さわさわと良い香りに包まれます。6月の「峰公園」は、私の一番好きな季節です。
2014.06.18
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今年咲いた蕚紫陽花去年、挿し木した蕚紫陽花が咲きました*\(^o^)/*ところが、咲いた花の色はピンク・・・。元の色は綺麗なブルーだった筈・・・。ボタニカルアートの先生が教材用に持って来て下さった蕚紫陽花でした。紫陽花は「土壌が酸性ならば青、アルカリ性ならば赤になる」と聞いたことがあります。では、青い花を咲かせるにはどうすれば良かったのでしょう?あらためて調べてみると、「花を青色にしたい場合は、酸性の肥料や、アルミニウムを含むミョウバンを与えればよい。」と有りました。(Wikipedia調べ)一つは、まだ蕾・・・。では、これからミョウバンを土に入れてやればどうなるでしょう?興味津々・・・!さっそく試してみたくなりました。先生から頂いた元の「蕚紫陽花」
2014.06.17
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ハワイアンキルトのiPhone入れ生まれて初めて作った「ハワイアンキルト」です。いつも、大ベテランの、ペピママさんとノカンゾウさんにお願いして作って頂いていました。以前、ペピママさんにお願いして作って頂いた「トートバック」とお揃いの「iPhone入れ」が欲しくて、一念発起!「トートバック」とお揃いの「iPhone 」入れを作りました。布地や本はペピママさん、糸はノカンゾウさん、お二人に「負んぶに抱っこ」で、試行錯誤しながらも何とか仕上げました。ペピママさん、ノカンゾウさん、ありがとうございました。ペピママさんに作って頂いた「トートバック」と一緒に・・・
2014.06.16
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フェイジョア友人の家の「フェイジョア」の花が咲いています。Wikipediaによりますと、「夏に径4cmほどの花をつけ、果実にはパイナップルとバナナの中間の様な芳香があり、生食またはジャムやゼリーなどの加工食品、果実酒などに利用される。果実は通常、自然落果したものを更に追熟させてから食べる。・・・中略・・・日本では1980年代にキウィフルーツに続く新果樹として注目されたこともあったが、現在まであまり普及していない。・・・」とありました。一言で言いますと「実を成らせるのが面倒な割りに美味しくない。」と言うことでしょうか。以前、友人とこの木に成った実を試食したことが有りますが、とても美味しいとはいえませんでした。自然落下する迄、木で完熟させなかったせいかな、と思っていましたが、やっぱり美味しくないから普及しなかった様です。さもありなん・・・(笑)詳しくは、こちらから ⇒ Wikipedia フェイジョア
2014.06.14
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サンゴシトウ(珊瑚刺桐、珊瑚紫豆)↑の写真は、先日、横浜イングリッシュガーデンで写して来た「サンゴシトウ(珊瑚紫豆)」です。40年前、この地に引っ越して来たばかりの頃、ご近所の庭でこの花が咲いていました。真夏の強い日差しにも負けず、元気に咲いているこの花が欲しくて、植木やさんに頼みました。植木やさんは「海紅豆」と言う名前だと教えてくれ、棒杭の様な状態の「幹」を植えてくれました。翌春、その「棒杭」が芽を吹き花が咲きました。豆の様な花は似ていますが、なんとなく感じが違うような・・・。「似ているから、まぁいいか!」とそのまま育てることにしました。どんどん大きくなって、棘は痛いし、邪魔になること・・・。ずいぶん後になって分かったのですが、我が家のは巨大に育つ「アメリカデイゴ(海紅豆)」だったのです(´・_・`)地面を這って延びた根の途中からも芽を出しますし、輪切りにした幹からも発芽します。その後、我が家の「アメリカデイゴ」は、余りの生命力の強さに恐れをなして抜いてしまいました。我が家に有った木の子供は、斜向かいのお家の庭で、元気にのさばっています。今回、改めて調べて謎が解けました。名前から違っていたのでした。海紅豆(アメリカデイゴ)サンゴシトウ → "緑の絵画館
2014.06.12
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☆たぶん最後の御挨拶・東野圭吾・文藝春秋、2007年1月30日、第一刷発行・エッセイ集★目次1.年譜2.自作解説3.映画化など4.思い出5.好きなもの6.スポーツ7.作家の日々8.たぶん最後の御挨拶-あとがき♥︎受賞作品1985年『放課後』第31回江戸川乱歩賞受賞1999年『秘密』・第52回日本推理作家協会賞(長編部門)受賞2006年『容疑者Xの献身』第134回直木三十五賞受賞・第3回本屋大賞4位・第6回本格ミステリ大賞(小説部門)受賞2008年『流星の絆』第43回新風賞受賞2012年『ナミヤ雑貨店の奇蹟』第7回中央公論文芸賞受賞2013年『夢幻花』第26回柴田錬三郎賞受賞2014年『祈りの幕が降りる時』第48回吉川英治文学賞 ♥︎未読本(2006年迄に出版された作品)*白馬山荘殺人事件、1989年10月、光文社*11文字の殺人、1987年12月、光文社*魔球、1988年7月、講談社*香子の夢-コンパニオン殺人事件、1988年10月、祥伝社*十字屋敷のピエロ、1989年1月、講談社*殺人事件は雲の上、1989年8月、実業之日本社*ブルータスの心臓、1989年10月、光文社*依頼人の娘、1990年5月、祥伝社(文庫のタイトルは、探偵倶楽部)*犯人のいない殺人の夜、1990年6月、講談社(短編集)*仮面山荘殺人事件、1990年12月、徳間書店*?変身、1991年、講談社*回廊亭の殺人、1991年7月、光文社*ある閉ざされた雪の山荘で、1992年3月、講談社*美しき凶器、1995年10年、光文社、(七種競技の選手が主人公)*♡分身、1993年9月、集英社(生命科学がテーマ)*浪速少年探偵団2、1993年12月、講談社*怪しい人々、1994年2月、光文社*むかし僕が死んだ家、1994年5月、双葉社*虹を操る少年、1994年8月、実業之日本社*パラレルワールド・ラブストーリー、1995年2月、中央公論社*あの頃僕らはアホでした、1995年3月、集英社*怪笑小説、1995年10月、集英社*天空の蜂、1995年11月、講談社 (原発がテーマ)*名探偵の掟、1996年2月、講談社*どちらが彼女を殺した、1996年6月、講談社、加賀恭一郎シリーズ(読者が推理してこそ推理小説だ、と 考えて新しい手法を試みた作品)*毒笑小説、1996年7月、集英社*名探偵の呪縛、1996年10月、講談社文庫*♡秘密、1998年9月、1998年9月、文藝春秋(娘の肉体に母親の魂が宿ったらどうなるのか・・・、と言うのがテーマ。)*私が彼を殺した、1999年2月、講談社、加賀恭一郎シリーズ(「どちらが彼女を殺した」のパターンの第2弾)*白夜行、1999年8月、集英社、♡*片思い、2001年3月、文藝春秋(性同一性障害をテーマにした作品。作品の雰囲気は、「SMAPの夜空ノムコウ」から拝借)*超・殺人事件、2001年6月、新潮社*手紙、2003年3月、毎日新聞社(日曜版の連載小説、独りぼっちになった弟に服役中の兄から送られてくる手紙によって何を思い、どんな生き方を選ぼうとするのか…)*俺は非情勤、2003年5月、集英社文庫、(子供向け雑誌に連載)*殺人の門、2003年8月、角川書店(人を殺すと言うのはどういう気がするものなのか、子供の頃に興味を持ち、その呪縛から逃れられない主人公を描く*?幻夜、2004年1月、集英社*ちゃれんじ?、2004年5月、実業之日本社、(スノーボードに関するエッセイ)*?さまよう刃、2004年5月、朝日新聞社*黒笑小説、2005年4年、集英社、(快笑小説、毒笑小説に続く第3弾)*さいえんす?、2005年12年、角川文庫、エッセイ集*夢はトリノをかけめぐる、2006年5月、光文社(冬季五輪がテーマのファンタジー小説)*使命と魂のリミット、2006年12月、新潮社(医療への期待を描く)?=未読、既読、不明♡=読みたい本
2014.06.12
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黒いタチアオイヤマボウシ(白い花が咲いている木)紫陽花の他にも、色んな珍しい花が咲いていました。このイングリッシュガーデンのベストシーズンは、何と言っても薔薇の咲く頃ですが、6月半ばを過ぎると薔薇の2番花が咲き出すとか・・・。Facebookで、開花状況を確かめながら、又行ってみたいと思っています。
2014.06.10
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横浜イングリッシュガーデンピンクアナベル 一瞬、「これも紫陽花? もしかして、下野草?」と思ってしまいました。最近人気の「ピンクアナベル」なのだそうです。(どの画像も、クリックorタップで、拡大画像が開きます。)下段に、横浜イングリッシュガーデンのFacebookに、リンクを貼って置きました。ピンクアナベルは、6月4日の日記に掲載されています。四月に行った時、ガーデンサポーターの方が「今年は紫陽花に力を入れていますから、是非いらして下さい」と仰っていました。今日は貴重な梅雨の晴れ間。友人と二人で、紫陽花を見に行って来ました。大雨のあとということもあり、少し庭が荒れていましたが、たくさんの種類の紫陽花が迎えてくれました。こちらでは、300品種の紫陽花が植えられているそうです。庭園全体としては、まだ咲きはじめの様で、これから6月いっぱい楽しめるそうです。横浜イングリッシュガーデン・Facebook
2014.06.09
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グミ(茱萸)先日、いつも通る道路脇で、グミの実が成っているのを見つけました。木がかなり大きくなっていますから、前から有った筈なのに今年初めて気がつきました。子供の頃、我が家の周りでは、どこの家にも一本は植えてありました。我が家のグミは小振りの実でしたが、大きな実が成る友達の家が羨ましかったのを思い出しました。さくらんぼに似た赤い実は、口に含むとかすかな甘みが有りましたが、あとに渋みが残りました。それでも、貴重なお八つでした。果たして、いま食べると美味しいと感じるのかどうか・・・。調べてみると、渋みの正体は「タンニン」だそうです。
2014.06.07
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☆天使に見捨てられた夜・桐野夏生(Natuo Klrino)・講談社、1994年6月30日、第一刷発行・私立探偵・村野ミロシリーズ2★桐野夏生昭和26年、東京都出身。成蹊大学法学部卒。会社員を経てフリーのライターになる。1993年、「顔に降りかかる雨」で第39回江戸川乱歩賞を受賞。女流ハードボイルドの騎手として注目されている。( カバーの「著者紹介」より )♣︎村野ミロ職業=私立探偵。父(村野善三)の後を継ぎ、村野善三調査探偵事務所経営。♣︎一色リナ=本名:岩崎雪江アパートに不思議な丸い土の玉「雨の化石」を残して失踪。♣︎渡辺道草舎=フェミニズム系の小さな出版社を経営。人権を考える会を主宰。村野ミロに、一色リナの捜索を依頼。当初の目的は、レナに原告として訴えさせようというのが目的。期間は二週間。スポンサー(八田牧子)が付いたことで、調査の継続依頼が有るも、捜索の目的は微妙に方針転換。ミロの留守中、留守電に「レナに会いに行く」と言うメッセージに続き「重大なことが分かった・・・これからそちらに行く」と言うメッセージを残したまま、ビルの屋上から転落死。♣︎友部秋彦ミロの隣人。ホモバー「ナイトフライ」経営。♣︎多和田父と長く仕事をして来た信用のおける人物、「・・・・の人権を考える会」の顧問。♣︎矢代クリエイト映像=代表取締役♣︎富永洋平(トミー)=元ボーカリスト兼シンガーソングライター、レナの実の父親、ホテルの駐車場内で縊死。本人の遺言で棺に「雨の化石」入れられていた♣︎八田牧子(旧姓、鳴滝)大学卒業後、八田建設二代目社長、八田春伸と結婚。フランス王立菓子アカデミーに留学。自宅でケーキ教室を開く。14才の時、富永の子レナを出産。当時、鳴滝家のお手伝いをしていた山川寿恵子の子として届けさせる。★村野ミロシリーズ( ★既読 )・顔に降りかかる雨(1993年9月 講談社 / 1996年7月 講談社文庫):第39回江戸川乱歩賞★天使に見捨てられた夜(1994年6月 講談社 / 1997年6月 講談社文庫)・水の眠り灰の夢(1995年10月 文藝春秋 / 1998年10月 文春文庫)・ローズガーデン(2000年6月 講談社 / 2003年6月 講談社文庫)・収録作品:ローズガーデン / 漂う魂 / 独りにしないで / 愛のトンネル・ダーク(2002年10月 講談社 / 2006年4月 講談社文庫【上・下】)
2014.06.07
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ラムズイヤーアカンサスアナベルそろそろラベンダーが咲いているかしらと、本降りになる前に峰公園に行ってみました。残念ながら、ラベンダーは未だでしたが、アナベルとアカンサス、そして、もう一つ、ピンクの可愛い花は、ラムズイヤーと言うそうです。峰の庭師さん(Kさん)が教えて下さいました。葉は、フランネルソウの様な産毛が生えています。(2014.6.6修正)関東地方もそろそろ入梅でしょうか。今日は4時頃から本降りになりました。最近の天気予報な良く当たります。いきなりの真夏日で元気がなかった紫陽花も、この雨で元気になってくれることでしょう。
2014.06.05
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iPad用に、角度が自由に調節出来るスタンドを買いました。iPadは、いつでもどこでも手軽に持ち運び出来るだけでなく、立ち上がりが早いのがとても便利!ただ一つ、本体が平らなので使いにくいのが難点でした。このスタンドが有れば、キッチンでレシピを見ながら料理する時は立てて、デスクワークの時は、ほんの少し持ち上げた状態で。安定感も良く、これさえ有れば、百人力です〜 *\(^o^)/*iPadだけでなく、iPad mini・Nexus 7など、他のタブレットにも使えるそうです。私は、Amazonで購入、値段は、1199円(送料無料)でした。興味のある方は、「Anker タブレット用スタンド」で検索なさって下さい。
2014.06.04
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山王台小学校の立葵(タチアオイ)お使いの途中によってみると、山王台小学校の「タチアオイ」が、今年も綺麗に咲いていました。他にも、矢車草、フランネル草、昼咲き月見草、四つ菱草、そして、黄花コスモス・・・などなど。どの花も、広い場所に植えられて、伸び伸びと咲いていました。これだけの数の立葵は、とても庭で咲かせるのは無理・・・。大好きな花ですが、庭に植えるのは諦めて、こちらで楽しませて頂いています。↓タチアオイの間でサボテンがいっぱい蕾をつけていました。もうすぐ咲きそうで、楽しみです〜*\(^o^)/*
2014.06.02
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ツタンカーメンのエンドウ豆・ボタニカルアート花や葉も描くつもりでしたが、途中で挫折・・・。せめてもと、鞘と豆だけ描きました。豆は「お赤飯」に、若い「鞘」は、絵のモデル用に、残りは来年用の「タネ」として保存しておく事にしました。実は、途中でショックなことが有りました。「種」用に枝に残して有った、大きい実が詰まった良い鞘を食べられてしまいました (゚o゚;;犯人はカラス?ヒヨ?残念…( ; ; )来年用のたね
2014.06.01
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