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昨日旅行から戻ったと思ったら、今日日曜日の午前中、主人は早速会社へ行って仕事。そして、2時間の時差のため普段のお昼寝の時間を過ぎても起きていた息子を寝かしつけ、午後ランチを食べてしばらくしたら、今度は出張に出かけてしまった。 引越しまであと3週間を切ったというのに、主人は今日からロンドン、上海、東京へと1週間出張。 その後にももう一度ニューヨークへ出張があるらしい。いろんな人から送別会の申し出を受けるのはありがたいのですが、夫婦で参加できる機会がほとんどない!! ともかく、主人には健康であって欲しいものです。 こんなに忙しいと去年の病気のことを周囲の人のみならず本人や妻の私さえも忘れてしまいそうですが、健康とは自分が健康なときには意識しないものの、奪われてみるといかにそれが大切なものであるかが身にしみてわかるものです。去年の主人の生死にかかわった病気、入院、手術については別の機会にお話しますので請うご期待?!
November 30, 2003
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サンフランシスコから戻りました!!水曜日は飛行機の中で軽食のランチを食べたあと、午後サンフランシスコ市内へと直行しましたが、銀行の口座変更手続きなどで2時間近く取られてしまったので、お買い物などはできず。夕方友人宅へ到着してしばし感動のひと時をともにすごした後、みんなで中華料理レストランへ。 この日はぱっとしないモールの中のレストランでシーフードフルコースを注文。 友達のおごりだったとはいえ、たったの68ドルで5~7人分のフルコースが食べられるのです! チキンと野菜のスープ、カニのねぎ生姜いため、えびのはちみつ衣揚げ、えびとイカと野菜の炒め物、ピータンと卵とほうれん草の炒め物、たらと野菜の炒め物、カレイの姿煮、それにデザートがありました。 もちろんお米は食べ放題。 おいしかった~~~。夜は久しぶりに会った友達とワインを飲みながら積もる話を語り続けてあっという間に夜中の3時。翌日はサンクスギビングデー(感謝祭)。 この日はスーパーマーケットなどは昼過ぎには閉まってしまい、一般の商店やモールはお休みです。 でも、中国人経営の店は365日休みがないので、ランチには再び中華レストランへ繰り出し、飲茶。 中国人のファミリーが大テーブルを囲んでにぎやかに食べているので、この日は店の回転が悪く、かなり待たされたものの、夕食に備えて食べ過ぎない程度に飲茶を堪能。 さて、家に帰ったらいよいよ夕食の準備。 どこの家でもサンクスギビングには必ずターキー(七面鳥)を食べますが、この家では加えてローストビーフとハム(丸ごと)が出るのでまさに大ご馳走。 サイドディッシュにはサラダ、マッシュポテト、ヤム芋(サツマイモのように甘いが色はオレンジ)、友達の義理のお母さんが作る毎年恒例の中華おこわ、コーンブレッドのスタッフィング(通常コーンブレッドとセロリ、たまねぎ、ソーセージ、青りんごなどを混ぜたものをターキーに詰めて焼く)、クランベリーソース(ターキーの添え物として必需品)などが勢ぞろい。 デザートはアイスクリーム4色、マンゴチーズケーキ、チョコレートケーキにフルーツタルト。 お腹い~~っぱい食べたあとはふたたび語りの夜。 ちなみにこの日は友人の義理の兄家族が男の子を2人連れてきたので、息子は食事もままならぬほど興奮して家中走りまくり。 やはり、子供同士は楽しいようです。金曜日は泊まっていた家の友達がカジノ&スキー旅行に出かけてしまったので、涙の別れの後サンフランシスコ市内へ。 別の友人と待ち合わせてこりずに飲茶へ。 この店の飲茶はとてもおいしいので感動も新たでした。 そのあと街中でちょっとお買い物をして、夕方はスペイン人の友達とディナー。 このスペイン人たち、全員シーフード大好きなのでまたもや懲りずに中華料理屋へ行き、カニ2杯(もちろん生きたやつを調理してくれる)とロブスター(同じく)を中心に注文。 泊まっていた家の友達もスペイン語ができるのですが、中南米のスペイン語とスペインのスペイン語ではテンポが違う。 スペイン人特有のノリで会話が弾む中、最初のうちは調子に乗ってスペイン語を発したりしてウケていた息子もさすがに疲れがピークに達した様子でぐずり気味。 なので、食事の後の一杯はなしにして、帰宅。 ふーーーーっ。で、今日(30日)は荷物をまとめて飛行機に乗り込み、無事帰宅。 不経済ながら2歳未満の息子のためにも席を確保したので、それほどトラブルもなく3時間半のフライトを終えました。 うちの子、ひざに抱かれるのは赤ちゃんの頃から嫌いなので、座席なしで飛行機に乗るのは至難の業なのです。 とほほ…明日から主人がまた出張に行ってしまう。 楽しくにぎやかだった休暇の後はまた母子家庭状態の生活。 がんばるぞ。
November 29, 2003
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いよいよ今週の木曜日はサンクスギビング(日本語で感謝祭)です。 アメリカの祝日の中でも7月4日(独立記念日)、クリスマスと並んで1年の中でもかなり重要な日です。 毎年11月の第4木曜日と決められています。普段離れて暮らしている家族もこの日は集合して、ターキー(七面鳥)を中心としたご馳走を食べます。 アメリカ中の人たちがとにかくターキーを食べます。 サンクスギビングに向けては貧しい人にターキーディナーを贈るための募金も存在すれば、当日ホームレスのシェルターでもターキーディナーが配給されます。 日本のお正月にみんながお餅を食べるように、アメリカ人はターキーとマッシュポテトとコーンとパンプキンパイを食べるのです。サンクスギビングの由来については下記の英文を参照していただきますが、要は17世紀にイギリスからメイフラワー号にのって新世界アメリカ大陸へやってきたピルグリム(移民)がマサチューセッツに植民地を作り、そこでインディアンに食物を差し入れてもらって助けられて厳しい冬を乗り切り、インディアンに習って農作物を栽培して生活の基盤を作ることができたのを祝って催した盛大な饗宴に由来したアメリカらしい歴史的な記念日です。 なので、この日にはアメリカ土着の素材(ターキー、コーン、イモ類など)を使った料理を囲んで家族友人がそれをシェアし、お腹いっぱい食事をするのが現在の習慣です。というわけで、アメリカに家族のいない我が家はいつも家族同然の仲良しの友人宅で毎年サンクスギビングを過ごしており、今年も例にもれずカリフォルニアに行ってきま~~す!The story of Thanksgiving is basically the story of the Pilgrims and their thankful community feast at Plymouth, Massachusetts. The Pilgrims, who set sail from Plymouth, England on a ship called the Mayflower on September 6, 1620, were fortune hunters, bound for the resourceful ’New World’. The Mayflower was a small ship crowded with men, women and children, besides the sailors on board. Aboard were passengers comprising the ’separatists’, who called themselves the "Saints", and others, whom the separatists called the "Strangers".After land was sighted in November following 66 days of a lethal voyage, a meeting was held and an agreement of truce was worked out. It was called the Mayflower Compact. The agreement guaranteed equality among the members of the two groups. They merged together to be recognized as the "Pilgrims." They elected John Carver as their first governor. Although Pilgrims had first sighted the land off Cape Cod, Massachusetts, they did not settle until they arrived at a place called Plymouth. It was Captain John Smith who named the place after the English port-city in 1614 and had already settled there for over five years. And it was there that the Pilgrims finally decided to settle. Plymouth offered an excellent harbor and plenty of resources. The local Indians were also non-hostile. But their happiness was short-lived. Ill-equipped to face the winter on this estranged place they were ravaged thoroughly.Somehow they were saved by a group of local Native Americans who befriended them and helped them with food. Soon the natives taught the settlers the technique to cultivate corns and grow native vegetables, and store them for hard days. By the next winter they had raised enough crops to keep them alive. The winter came and passed by without much harm. The settlers knew they had beaten the odds and it was time to celebrate.They celebrated it with a grand community feast wherein the friendly native Americans were also invited. It was kind of a harvest feast, the Pilgrims used to have in England. The recipes entail "corn" (wheat, by the Pilgrims usage of the word), Indian corn, barley, pumpkins and peas, "fowl" (specially "waterfowl"), deer, fish. And yes, of course the yummy wild turkey.However, the third year was real bad when the corns got damaged. Pilgrim Governor William Bradford ordered a day of fasting and prayer, and rain happened to follow soon. To celebrate - November 29th of that year was proclaimed a day of thanksgiving. This date is believed to be the real beginning of the present Thanksgiving Day.Though the Thanksgiving Day is presently celebrated on the fourth Thursday of every November. This date was set by President Franklin D. Roosevelt in 1939 (approved by Congress in 1941). Earlier it was the last Thursday in November as was designated by the former President Abraham Lincoln. But sometimes the last Thursday would turn out to be the fifth Thursday of the month. This falls too close to the Christmas, leaving the businesses even less than a month’s time to cope up with the two big festivals. Hence the change.
November 25, 2003
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今週水曜日、ベビーシャワーの日の朝、カリフォルニアのときの友達から電話があって、「あと4,5時間でシカゴに着くから」とのこと。 彼女、長年連れ添った旦那と別居(離婚したのかと思っていたら正式にはまだしていなかった)したのですが、その元旦那が1年間の期限付きで東海岸のプリンストンに行くことになった際、息子の面倒を一人では見きれないからと、彼女と息子もプリンストンに引っ越したのです。 ところが、旦那に彼女ができたり、仕事が思ったように見つからなかったりとあまりハッピーではなかった彼女、息子より一足先にやはりカリフォルニアに戻ることになりました。 夏に彼女と息子が二人でプリンストンに向かったときの約1週間の車の旅では我が家には寄ってもらえなかったのですが、帰りには必ず寄ってね、と言ってあったので、今回はこちら経由の予定にはなっていたものの、当初の我が家滞在予定はうちの旦那が出張で留守中の先週でした。 ところが、先週電話がかかってきて、ニューヨークでしばらく用を足さなければならないので出発が約1週間遅れるとのこと。 その後今週に入り、いまだ出発予定の連絡がなかったのでどうなったのかと気にはなっていたのですが、まさかあと数時間で来てしまうとは。 その日は私、夕方まで用事があって外出しなければならなかったので、時間をつぶしながら夕方来てもらうことになりました。 詳しい地図も持っていなかった彼女、私の口頭での説明にしたがって無事我が家到着。 (私は地図がないとどこにもいけないたちなので、信じられなかった…)久しぶりに会った友達。 カリフォルニアでは大学が一緒だったので、週に何度かはつるんでいました。 始めて会ったときは服装や振る舞いからずいぶん年上なのかと思いましたが、実はたったの3つ上。 彼女はコスタリカの首都サンホセの出身で、17歳の時に当時コスタリカで研究をしていたアメリカ人の考古学者と恋に落ち、駆け落ち同然にアメリカに来て結婚し、数年後に息子をもうけました。 ところが、この息子、出産の時に何かが起きて、障害児となってしまったのです。 詳しい日本語での病名は知りませんが、彼はバランス感覚に欠けるので、運動は基本的に駄目、一人で道を歩くのも、あまり長距離は無理だし、親としては突然どこかで転んだりしないかと常に心配。 障害者手帳も持っています。 とはいえ、ルックスは超カッコいいし(コスタリカ人のお母さんとフランス系アメリカ人のお父さんのハーフだもん)、おつむがとび抜けてよいのです(学者の子供だからかな…?)。 私の友達は、簡単に言うと旦那のことを男性として愛せなくなり、かなり前から夜の生活が苦痛になってきたのですが、障害者の息子のケアのことを考えて何とか結婚生活を維持してきました。 が、ついに、息子が15歳になる年に離婚を決意し、別居を開始しました。 両親が別れても、アメリカの子供たちは可能な限りそれぞれの親と半々ずつ時間を過ごすのが一般的なので、彼らの場合も息子はそれぞれの親の家を行ったり来たりしていました。 自分の部屋が2つの家にそれぞれあるのですよ。別居を始めてからつい最近までは旦那のほうが彼女に戻ってきて欲しい、と言っていたそうですが、旦那には学者として誇らしい仕事のチャンスが訪れ、当初は彼のほうから彼女も一緒に来たら、と声をかけたものの、プリンストンで別の大学教授の女性と知り合い、付き合うように。 それ以来、カリフォルニアでは結構他の男性とラブラブだった彼女にも嫉妬心がめばえたばかりか、ついには旦那とやり直したい気持ちにまでなってしまったのです。 でも、結局それはあとの祭り。 今の旦那には彼女とやり直す気持ちがなくなってしまいました。 傷心した彼女はこれ以上旦那のそばにはいたたまれず、ハイスクール2年生の息子を伴ってカリフォルニアに帰ろうとしたのですが、息子は学校の学期が終了してから引っ越さないと半年留年することになってしまう。 なので仕方なく、息子はあと2ヶ月父親のそばに残ることになり、彼女は一足先に帰途に着きました。アメリカでは夫婦が結婚してから作り上げた財産はすべて二人のものなので、離婚するときには財産をきっちり2つに分けます。 彼女はアルバイトをしていた以外は基本的に専業主婦または学生でしたが、離婚すれば学者として成功している旦那の資産の半分は彼女のものになります。 別居するに当たり、持ち家の半分を旦那が彼女から買い取る形で彼女にお金が入ったので彼女はそのお金プラスローンで別の家を買い、その一部を貸して収入も得ています。 今は自分の住んでいた部分も1年契約で人に貸してしまっているので、彼女はどこかのアパートを借りて仮住まいをしなければなりませんが、それにしてもいろいろな意味でタフなもんだ、とつくづく感心させられる彼女です。 (女一人で車に荷物積んで全米横断してしまうと言うだけでも度胸ありますよね。)
November 23, 2003
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今日はうれしいことが2つあった。一つは、私がオークションで販売しているエプロンにかなりの反響があったこと。 自分が気に入ったものをおすすめして売っている手前、買った人がどういう感想を持つかはとても気になるところ。 楽天でも少しは売れるといいのだけれど…。もう一つは、来週のサンクスギビングにサンフランシスコに行く飛行機を取ったこと。 サンフランシスコは私の第二の故郷ともいうべく、友達も多いし思い出の多い場所。 アメリカに家族のいない我が家はファミリーのイベントであるサンクスギビングを毎年仲の良い友人宅で過ごしています。 今年は当初の予定だとすでに日本に帰国していて行かれないはずでしたが、引越しが12月に延びたのでそれならばもう一度、というわけでまたもやサンフランシスコで友達と一緒に過ごします。 サンクスギビングについてはまた後日お話しましょう。[English Version]Today there were two incidents that made me particularly happy.One is that I got lots of positive comments on the bibs I am selling in auctions. As I sell the products that I personaly used and liked and recommend them to others, I care a lot about my customers’ comments. Now I am hoping these bibs sell at Rakuten as well.The other thing is that we made a reservation of flights to go to San Francisco next week for Thanksgiving. San Francisco is my second hometown where I have lots of friends and good memories. As we don’t have family here in the United States, every year we spend Thanksgiving, which is a major family event, with our close friends. This year, we were supposed to have moved back to Japan by now and didn’t think we would be able to celebrate this event, but as our moving has been postponed till December, we decided to visit our friends in San Francisco again. I will talk more about Thanksgiving in my later diaries.
November 22, 2003
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今日は来月出産する友達のためにベビーシャワーを開きました。日本では出産祝いって赤ちゃんが生まれてからしますが、アメリカでは第一子の出産を祝うシャワーを臨月に近い頃に行ないます。元来ベビーシャワーは女性だけの集いですが、最近ではカップルで行なうケースも多いので私のときはミックスでした。今日は平日昼間だったので女性だけ、しかも、全員日本人だったのでそれほどアメリカっぽくないシャワーでもいいかなと思って、お昼ご飯を用意してみんなで軽食を取りながら団らんすることをメインにしました。 (アメリカ人のシャワーだと食事は出なくて、ベビーシャワー特有のゲームをたくさんして遊びます。)ベビーシャワーでは飾りつけも重要なので、バルーン(風船)をたくさん買ってきて部屋のあちこちに飾ったり、ベビーシャワーとかいてあるバナー(垂れ幕?)、テーブルクロス、紙皿、ナプキンなどを用意しました。 ランチにはデリバリーのピザと買ってきたボリュームサンドイッチ、それに参加者が任意に持ち寄った炊き込みご飯や手作りデザートが並びました。 シャワーには妊婦さんが招待したいお友達みんなに声をかけるので、妊婦さん以外はすべてが顔見知りというわけではありません。 なので、最初は自己紹介を兼ねて話しているうちに会話が盛り上がったので、用意してあった2つのゲームのうち結局1つだけをやることにしました。 やったゲームは語順を入れ替えたアルファベットの文字列を書いたカルタのような札をいっぱい作っておいて、参加者に英単語を組み立ててもらうというもの。 たとえば、答えが"BABY"なら、カードには"YABB"とか書いてある。 単語はすべてベビー用品と出産に関するものだったので、アメリカで出産していない人にはかなり難しい。 後半はかなりヒントも出しましたが、結局出産に関して相当英語の文献を読んでいる妊婦さんが優勝。 思った通りの結果になったので私もひそかに満足でした。そして、シャワーのもう一つのメインイベントはギフト贈呈。 こちらでは出産祝いは赤ちゃんが生まれる前にあげて、ファミリーの出産準備のお手伝いをするのです。 最近では妊婦さんが必要なベビー用品を選んでギフトレジストリーを用意し、招待された人はレジストリーの中から品物を選んでプレゼントする、という大変実用的で効率の良いシステムが主流ですが、もちろん何をあげたってあげなくたって構いません。 私は自分が最も気に入っておすすめして(ついでに販売もして)いるメーカーのバスタオルとスタイのセットをプレゼントして感動されました。 みんなが持ち寄ったプレゼントを妊婦さんが次々に開けていくと、参加者にとっても「へー、そんなものがあるの?!」という感じでかなり楽しいものです。そんな風に数時間を過ごしたあと、家に帰ると、間もなく今度は友達が泊まりに来る。 先週ニューヨークを出て、ドライブしながらうちに寄りつつカリフォルニアまで行くはずだった彼女、出発が1週間ほど遅れると連絡があったきりその後どうなったのか知らずにいたところ、今朝電話があって今日の午後にはシカゴにつくとのこと。 私が日中外出していることを告げ、少し時間をつぶしながら来てもらったら夕方の帰宅ラッシュに巻き込まれてしまったようですが、無事に夕方我が家に到着したので、買ってきた中華料理で夕食をとり、その後遅くまでワイン片手に積もる話をしました。詳しい話は次回にしますが、この彼女(コスタリカ人)から電話がかかってきたとき、私がスペイン語で会話していたら、うちの息子は「Margarita!(マルガリータ。我が家に週1度だけ来てくれるコロンビア人のベビーシッターの名前)」と叫びました。 私は普段唯一彼女とだけスペイン語で話すので、かれは私がマルガリータと話していると思ったのでしょう。 こりゃ恐れ入った、と感心してしまいました。
November 20, 2003
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今日は我が家の引越し第一弾でした。本当に引っ越すのはあと一ヵ月後なんだけど、引越し業者(日系)の人が、うちは荷物が多いから、使ってないものだけでも先に詰めて持っていきたいって言うので。やってきたのは日本人の男性営業兼監督者、同じく日本人の見習い研修の女性(事務方さんだが現場というものを知るためにただ見に来ただけ)、それに2名の作業員(メキシコ人)。うちのチビがちょろちょろとうるさいので、トーマスのビデオを何度も回してとりあえずいすに座らせつつ、2人の作業員はてきぱきと荷物を詰める。 作業員は常に2人でスペイン語でコミュニケーションするので、監督者も簡単な指示はつたないスペイン語の単語でやっている。 「Basura(ゴミ)」とか、「Mas(もっと)」とか。 (この作業員たち、英語もきちんとできるので、こまかい指示はもちろん英語で受けている。)2階で大きな箱に大きなガラクタをじゃんじゃか詰めていたときのこと。 大きな箱の上部3分の1ぐらいが空いていたので、監督者は作業員に「ほかにもっとなんかないのか」みたいなことを英語で言いたそうなのだが、とっさにでてこない。 そこで、私が作業員に直接"?Faltan cosas?(もっと物が必要?)"と聞くと、"!SI, FALTAN COSAS!"と返ってきた。 そして、作業員が監督者に「ファルタン・コサス」を何度も教えている。 ここから先、「ファルタン・コサス」はすっかり合言葉になってしまい、何度も作業員から"Faltan cosas"と言われた私は次から次へと物を渡してしまい、結局当初の予定より多くの荷物を今日の時点で箱詰めしてしまう羽目になった。
November 19, 2003
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今日は子供の話はおいといて、スペイン語の話。私は学生時代にヨーロッパ旅行をした時にスペイン語を勉強したい、と思ったので、大学で専攻するには遅すぎました。 それでも社会人になってから語学学校に通い、会社を2年でやめて(バブルだったから超優良大企業の花形OLだったにもかかわらず…)、念願のスペイン留学(たった7ヶ月でしたが)を実現。 その後日本でスペイン語を生かした仕事を探しましたが見つからず、ぜんぜん違う仕事を転々と。 そんなある日、ついに主人の海外赴任が決まりました。 行き先はサンフランシスコ!! ほんとはメキシコシティとかスペイン語圏に行きたかったのですが、カリフォルニアならスペイン語も使えるという事で一応納得。 赴任後間もなく念願の大学に入学し、スペイン語の専門課程の授業を取り始めました。そのうちに私のスペイン語のレベルと投資金額は趣味の領域を超え始めたので、ついに一大決心、大学院へと入学しました。 私のカリフォルニアの友達の大半は大学で知り合ったスペイン語を母国語とする人たち。 日常会話もほとんどスペイン語で過ごしました。 妊娠の臨月期に卒業試験を受け、無事に合格!! その後の卒業式には生後4ヶ月の息子も参列しました。が、その後、カリフォルニアを離れ、育児にも手がかかるようになり、最近の私はカリフォルニアの友達と電話で話したりメールするとき以外全くスペイン語を使っていません。 来月いよいよ日本に帰国するので、日本に帰ったら英語とスペイン語の教師になりたいなー、と漠然と考えています。 英語を習いたい人はたくさんいるでしょうが、スペイン語のほうはどうなんだろうか。 スペイン語に興味のある方、現在習っている方、ぜひ教えてください。
November 17, 2003
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今朝は2週間日本出張でずっと留守をしていた主人がやっと帰ってきた。 朝ごはんの時に「もうすぐパパが帰って来るわよ~」と息子に言うと、息子は早速窓のところに張り付いて外を見ていた。 主人が帰宅すると大はしゃぎして喜んだのは言うまでもない。先日、22ヶ月の息子と二人で新作のディズニー映画"Finding NEMO"のDVDを見ていたら、息子は「パパッ、パパ~~!!」と叫びっぱなしで映画をろくに見たがらない。 しまいには「いやだ~」と言うので映画は打ち切り。 映画のストーリーはクマノミのNEMO(ニモ)が人間に捕われてしまい、お父さんがNEMOを探しに行くというもの。 2歳にも満たない子供が映画の登場人物(=サカナの親子)と自分の状況(=パパと離れ離れ)を重ね合わせて悲しげな反応を示すのを見てひそかに感心した私でした。主人から息子への日本からのお土産はトーマスの携帯電話のおもちゃ。 私たちはデジカメのついた携帯電話というものに馴染みがないので、いまや子供のおもちゃにまでデジカメがついているのにびっくり。 息子は最近電話の受話器でいたずらをするとき「Hello. ちょっとね~…」と出るのだが、アメリカ人顔負けの発音のHelloはいいとして、「ちょっとね~」はどこからきたのだろうか。 私そんなこと言うっけな??
November 16, 2003
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初めての日記でいきなり買い物三昧のお話。まず、今日は先日注文しておいたトーマスグッズが届く。このトーマスグッズ専門店(オンラインショップ)は、100ドル以上買い物すると送料が無料になるので、つい100ドル分注文してしまった。 目ざとい息子はすぐに荷物の中身をチェック。 すべてを見られないように急いで一部を隠す。その後、ショッピングモールへ行き、パーティーグッズやさんに入る。 買い物の目的は友達のために開くパーティの小物を買うことだったが、店にあるトーマスグッズを再びチェック。 息子2歳のお誕生会またはその後の子供の集いの時に使うよう、トーマスの紙皿やナプキンを買い込む。お店のカートの上で眠ってしまった息子が目を覚ましたところで、モールでランチ。夕方、家では新しいビデオ、"Salty’s Secret"を二人で見る。夜はアメリカのオークションサイトで木製のトーマスのレールに入札。 日本では手に入らないか、あったとしてもものすごく高価になるらしいので、今のうちに入手しておく。おしまい。
November 14, 2003
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