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【レオン】「スタンフィールド?」「(ああ)何かご用は?」「(これは)お前への贈り物だ・・・マチルダからの」「・・・チッ!!」(爆発、炎上する)フランス人の感性は、どこか日本人のそれと似たものを感じる。おそらくこの作品が、アメリカ人監督によるものならば、ラストはかなり違っていたのではと思われる。北野武が描くバイオレンスの世界観(たとえばアウトレイジ)も、どうかするとこのリュック・ベッソン監督の感性に近いのではなかろうか。プロの殺し屋とかスナイパーなど、スマートでカッコイイものとして表現してしまうアメリカ映画とはまるで視点が異なり、孤独でしかも文盲のような、教育を受けていない者が、明日食べるパンと牛乳のために就く仕事である・・・的な設定になっているところに、思わずリアリティを感じるのだ。本作は大都会のニューヨークが舞台となっていて、騒々しく猥雑なイメージが付きまとうところなのに、一体どうしたことか、スタイリッシュでクールなムードさえ漂うから不思議だ。舞台はニューヨーク。イタリアレストランのオーナーであるトニーから、殺しの依頼を受けたレオンは、わずかな時間で完璧に仕事をこなすプロの殺し屋だった。レオンは酒を飲まないため、いつも牛乳を2パックも買って帰るのが習慣で、この日も買い物を済ませてアパートに帰った。すると、隣りの部屋の少女マチルダが、一人寂しそうにタバコをふかしていた。見れば顔に虐待の痕跡もある。マチルダは、弟を別として、継母と異母姉、それに実父から疎外され、辛く苦しい日々を送っていた。レオンは同情しつつも、深入りをせず、様子を見ていた。ところがある日、マチルダの家族のところへ、麻薬取締局の捜査員らが踏み込んで来たのだ。吟遊映人は、リュック・ベッソン監督の作品が大好きなので、少し語らせていただく。 この監督の代表作に、「ジャンヌ・ダルク」や「TAXi」シリーズ(TAXi1・TAXi2・TAXi3・TAXi4)、「トランスポーター」シリーズ(トランスポーター1・トランスポーター2・トランスポーター3)などがあるが、どれも優れた映画である。ほとんどがハード・ボイルド・アクションかと思いきや、「ジャンヌ・ダルク」のような歴史大作もあり、あるいはコメディ・タッチの笑いのエッセンスを盛り込んだ作品もあり、変幻自在の演出に脱帽なのだ。本作「レオン」において注目すべきシーンは、2点ある。一つは、レオンがあと一歩のところまで来てスタンフィールドに撃たれてしまうシーンだ。実際に撃たれるところは映像としては映っていない。カメラがレオン本人の視線になり、倒れて目の前の光景が徐々に下がって行くことで、レオンが背後から撃たれたことを視聴者に知らせる。さらに、レオンが虫の息の下で手榴弾のピンを抜き、スタンフィールドを道連れに爆発するのだ。この時のレオンの決死の想いが、視聴者の琴線に触れる。一人残してゆくマチルダを想うと、どうにも悲哀が先行するところだが、スタンフィールドを生かしておけば、やがてはマチルダの命も危険にさらされる。愛する人を守り抜くため、己もろとも爆死する、という場面だ。そしてもう一つ、生き延びたマチルダが施設に戻り、レオンの育てていた観葉植物の鉢植えを、校庭の隅に植えるシーンも素晴らしい。いつまでも根無し草ではなく、ちゃんと大地に根を張って枝葉を茂らせることが、レオンへの鎮魂なのだと表現している。そして、マチルダ自身が、人生と正面から向き合って生きて行こうとする強さを垣間見るのだ。一筋縄ではいかない、生きることの辛辣さを描いた作品であった。1994年(仏)、1995年(日)公開【監督】リュック・ベッソン【出演】ジャン・レノ、ナタリー・ポートマン、ゲイリー・オールドマン
2012.09.27
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【完璧な病室/小川洋子】◆本物の孤独は精神世界へ到達する何らかの対象を好評する時、よく使われるのが“透明感のある歌声”とか“透明感のある演技”だったりする。小川洋子の作品も、たぶん透明感のある小説と評価して間違いないだろう。つまり、とてもデリケートな表現力を持っている作家だ。大切な人を不治の病で亡くすというストーリー展開そのものは、正直、ありきたりだが、違うのは主人公の悲哀がどれほどのものかをかなり特殊な形で表現していることだ。(間違っても、天を仰いで号泣したりしない)『完璧な病室』では、たった二人きりの姉弟のうち、弟の方が不治の病に侵されてしまい、それを知った姉が押し潰されそうな悲哀の重さに耐え切れず、誰もいない空き病室で担当医師に裸で抱きしめてもらう、というものだ。一般常識では考えられないが、小川ワールドにはあながちありえなくもない。世間でいう異常は、場合によっては芸術にまで高められるのだから不思議だ。その医師というのがまた白衣の上からでもわかるほどの「水泳選手を連想させるような、すばらしくバランスのいいからだつき」なのだ。だがその一方で、医師は軽い吃音があり、孤児院の出身という過去を持っている。この辺りの、医師の腕に包まれすっぽりと抱きしめられるエロティシズムは、さながら女谷崎とでも賛辞したくなるほどの表現力だ。行間を漂う孤独感は本物で、尋常じゃない精神状態は、主人公が気持ちのよりどころを夫に向けないところからも容易に察することが出来る。本当の哀しみを描く時、これほどの官能的な空間を伴うと、反って精神世界へ到達してしまうのかもしれない。生きていることと死んでしまったことの境目が分からなくなるような、深すぎる哀しみを表現した小説だ。《余談》中公文庫の『完璧な病室』には、他に短編が3作入っている。『揚羽蝶が壊れる時』という作品も、主人公の複雑な心理状態が絶望的なまでに描かれている。『完璧な病室』小川洋子・著 (中公文庫)~読書案内~ その他■No. 1取り替え子/大江健三郎 伊丹十三の自死の真相を突き止めよ■No. 2複雑な彼/三島由紀夫 正統派、青春恋愛小説!■No. 3雁の寺/水上勉 犯人の出自が殺人の動機?!◆番外篇.1新潮日本文学アルバム/太宰 治 パンドラの匣を開け走れメロスを見る!
2012.09.26
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秋風や眼中のもの皆俳句 高濱虚子そうはいってもナカナカ一句が浮かびません(汗)素材豊富なれども、素養貧弱なり(涙)それから・・かの斉藤茂吉氏は一首に数週間も苦吟したそうな!吟遊映人は、そんな根性もありません(笑)ちなみに正岡子規先生はと申しますと、秋は物凄い数の俳句を残しています!!どれくらい凄いかというと、「秋の風」だけでも読み耽ったら半日は費やしてしまいそうな句数なのです(汗)少しご紹介しますと・・『何とせん 母痩せたまふ 秋の風』明治27年末は逆縁の身ながら、ご母堂の健康を気遣う子規なのであります。もの悲しさを誘う一句です。『馬の尾に 仏性ありや 秋の風』明治34年晩年ゆえ、病床で詠んだ一句でしょうか。経典の「質直意柔軟 一心欲見仏」の一節を想起させ、病にやつれつつも心穏やかに句作に励む子規の心情を感じました。そして最後に一句。『さらばよ君 明日はいづこの 秋の風』最晩年の句ではありませんが、こうやって並べると子規の達観が感じられ、あらためて子規先生の偉大さを感じたのでありました♪さて、ここで一句・・・が、出てこない(悲涙)
2012.09.25
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なんとなくよいことがあればしあわせですよ 絵馬より秋風に誘われて古刹に詣でました。この時期は曼珠沙華が綺麗ですねぇ(^^)涼風にたすけられ、心地よく散策致しました。ときに・・・このごろの絵馬はカラフルになりましたねぇ(汗)そして目に止まった某殿の絵馬。な・ん・と・な・く・よ・い・こ・と・が・あ・れ・ば・し・あ・わ・せ・で・す・よ失礼ながら、口に出して読ませていただくと、文字通り「なんとなく」した幸福感に包まれました♪幸せとは是の如きものである。そう感じて、御仏のご利益と某殿に謹んで感謝を申し上げ(^人^)、秋の古刹を後にした次第です。皆様にも「なんとなくよいこと」がありますことを祈念申し上げます♪
2012.09.24
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雨ニモマケズ風ニモマケズ・・・※画像の手帳は昭和6年に賢治が使っていたもの。この年、賢治の故郷 岩手は冷害と豪雨が続き凶作であったといいます。二十一日は賢治忌でした。宮沢賢治は、ことあるごとに紐解くのですが、昨夜はしんみり賢治に浸りました。賢治の人生は、三十七年の短いものでしたが「雨ニモマケズ」にこめた誓願を成しえた末のものであったと思います。賢治を思うとき、人生の長短などは虚しいものであると教えられます。そして人生の意味たるは『生きるべき確固たる目標(誓願)を持てたかどうか、そしてそれを成就したかどうかである』そう賢治が語っているように感じるのです。賢治の積んだ(まさに菩薩行の末)功徳と智力は、作品として昇華し今も普く明らかに我々を照らしています。賢治の作品に度(たすけ)られた人はどれほどあるでしょう。東北の震災でも、賢治の一行半句が多くの人々の依怙(たより)と作(な)ったといいます。賢治に感謝、そして合掌(-人-)一日遅れの祥月命日ではありますが、「雨ニモマケズ」を声に出してお読みいただければ幸いです。雨ニモマケズ雨ニモマケズ風ニモマケズ雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ慾ハナク決シテ瞋ラズイツモシヅカニワラッテヰル一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベアラユルコトヲジブンヲカンジョウニ入レズニヨクミキキシワカリソシテワスレズ野原ノ松ノ林ノ陰ノ小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ西ニツカレタ母アレバ行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ南ニ死ニサウナ人アレバ行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ北ニケンクヮヤソショウガアレバツマラナイカラヤメロトイヒヒドリノトキハナミダヲナガシサムサノナツハオロオロアルキミンナニデクノボートヨバレホメラレモセズクニモサレズサウイフモノニワタシハナリタイ
2012.09.22
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【新潮日本文学アルバム/太宰 治】◆パンドラの匣を開け走れメロスを見る!突然ですが、まずもって上毛新聞のコラム『三山春秋』をご一読くだされ♪●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●熱海で遊び、金を使い果たした太宰治は友人の檀一雄を「人質」に残し東京へ金策に行く。だが待てど暮らせど戻らない。数日が過ぎ、しびれを切らした檀は太宰をさがしに東京へ。太宰は井伏鱒二と将棋を指していた。〈何だ、君。あんまりじゃないか〉激怒した檀に太宰は反撃の響きを込めて言う。〈待つ身が辛いかね、待たせる身が辛いかね〉檀が『小説 太宰治』に書いている話だ。どちらが辛いだろうか。昔から「待たるるとも待つ身になるな」といい、他方で「待つうちが花」の言葉もあるように、人それぞれ意見が分かれるに違いない。もっとも、日常的に待つ、待たせる立場は容易に入れ替わる。例えば、電話した相手が不在で、かけ直してくるのを待つこともあれば、外出中に電話があり、申し訳ない気分になることも。政治の場合は「辛い」感覚はなさそうだ。解散を待たせる身の野田佳彦首相には何とか政権浮揚を―の思惑があろう。一方、待つ側は着々と臨戦態勢を整え、総裁選真っ最中の自民党には高揚感も充満しているという。太宰の『走れメロス』を読んだ檀は、熱海の一件が〈その重要な心情の発端になっていはしないか〉と考えた。「ものすごい大戦」(橋下徹大阪市長)と表現された次期衆院選。どんな政権が生みだされるのか。「名作」であることを切に願いたい。上毛新聞 (2012年9月18日)●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●政治のお話しは別にして、コラムを読み「太宰治」と「檀一雄」にひっかかりました(汗)この組み合わせはどこかで見たぞ!?そしてアレコレ手持ちをあたり、新潮の「日本文学アルバム」に行き着き、そこで発見(^^)v上記は昭和十年秋の写真で撮影地は湯河原、近しと雖も熱海にあらず、残念!面々はというと、左から檀一雄、太宰治、山岸外史、小館善四郎の各氏、檀も太宰も昭和十年ごろは、いまだ活き活きしていたわけです。太宰が薬に溺れるのはこの後で、コラムの武勇伝はこの後十年といったところでしょうか・・・いずれにしても、さすがは太宰と感服しました。「待つ身が辛いかね、待たせる身が辛いかね」なかなか出てくるものではありません!!私、吟遊映人は太宰を非難をするわけでも揶揄するわけでも、もちろん理想とするわけでもありません(汗)が、そも、あのような生き方ができる御仁というのは「少なからず何か超越している!」つくづくそう思いました(^^)とはいえ、パンドラの匣(新潮日本文学アルバム)の面白くも貴重なる写真にはまり、コラムにある『走れメロス』はいまだ読み返してはおりません(笑)それこそ「激怒した」とならぬよう、週末はメロスをチビチビ読み返してみたいと思います。パンドラの匣を開けついでにコレもご紹介♪文豪然として著名人然とした太宰ではありませんか!三鷹(最晩年ですね)を散歩し、同町書店で本を眺める太宰なのでありました。それはそうと湯河原の写真ですが、真ん中の女性はいったい??1.女将2.芸妓3.遣り手ばばあ一人だから、よもや女郎というわけではありますまいが(汗)!それにしても、諸氏の若々しさに対して年増の様相ですなぁ(笑)デカダンというか、何とも昭和十年を象徴する風情なのでありました(^^)~読書案内~ その他■No. 1取り替え子/大江健三郎 伊丹十三の自死の真相を突き止めよ■No. 2複雑な彼/三島由紀夫 正統派、青春恋愛小説!■No. 3雁の寺/水上勉 犯人の出自が殺人の動機?!■No. 4完璧な病室/小川洋子 本物の孤独は精神世界へ到達する■No. 5青春の蹉跌/石川達三 他人は皆敵だ、人生の勝利者になるのだ■No. 6しろばんば/井上靖 一途な愛情が文豪を育てる■No. 7白河夜船/吉本ばなな 孤独な闇が人々を癒す■No. 8ミステリーの系譜/松本清張 人は気付かぬうちに誰かを傷つけている■No. 9女生徒/太宰治 新感覚でヴィヴィッドな小説■No.10或る女/有島武郎 国木田独歩の最初の妻がモデル■No.11東京奇譚集/村上春樹 どんな形であれ、あなたにもきっと不思議な体験があるはず
2012.09.21
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【雁の寺/水上勉】◆犯人の出自が殺人の動機?!2時間ドラマでおなじみの山村美沙サスペンスと同列に考えてはいけないが、この『雁の寺』も京都を舞台にしたサスペンス・ドラマだ。イメージとしての京都は、どこか閉鎖的で排他的。奥まったところにある寺では、何かが起きそうな予感さえする。(あくまで私のイメージだが)戦前の昭和初期のころが舞台。寺には独身の中年住職と13歳の小僧がいて、そこに女が加わる。修行僧の時からずっと独身を通して来た住職には、長い間の禁欲生活から解放された激しさがあり、朝も昼も女を求める。だが、そんな房事を秘かに覗く者が・・・とまぁこんな展開だ。この小説は冒頭のところからしてサスペンスらしいストーリーを展開してくれる。日を置いて続きを読むような悠長な読書はしていられず、わき目も振らずページをめくりたくなる隠微な世界が広がる。作中、問題を解決しようとする刑事もいなければ、探偵なども出て来ない。事件は起きたまんまになってしまい、真相は藪の中だ。そのせいかどうか、この小説の背景は暗く、狂信的な孤独さえ感じられる。犯人がすぐに誰なのか分かってしまうだけに、意外性のようなものは感じられないが、じゃあ一体なぜ犯行に及んだのかという理由は謎だ。おそらく時代性とか、登場人物(この場合、犯人)の出自が大きく影響しているに違いない。『雁の寺』という小説には、底知れぬ鬱積した怨念を感じ取らなければいけないのかもしれないが、今を生きる私たちは“サスペンス・ドラマ”として読むのが一番適しているような気がする。著者である水上勉も、平成を生きる若い世代に、過去の喪失を汲み取って欲しいなどとは望んでいないに違いない。既成のミステリー小説に少々飽きて来た方、この作品では本物のミステリーを味わうことができる、かも。【余談】新潮文庫の『雁の寺』は、『越前竹人形』と2本立てになっている。こちらもかなりイタイ小説。『雁の寺・越前竹人形』水上勉・著 (新潮文庫)~読書案内~ その他■No. 1取り替え子/大江健三郎 伊丹十三の自死の真相を突き止めよ■No. 2複雑な彼/三島由紀夫 正統派、青春恋愛小説!◆番外篇.1新潮日本文学アルバム/太宰 治 パンドラの匣を開け走れメロスを見る!
2012.09.19
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花はどこへ行った少女がつんだ ピーター・ポール&マリー連休の一日、秋風に吹かれながらぼんやり過ごしました。万太郎の句が頭をよぎり、何とはなしに無常観を覚えました。『あきかぜの ふきぬけゆくや 人の中』 世の中は何かと騒々しく、静観するに人間の貪瞋痴が無量ということなのでしょうねぇ・・人間とは厄介なものなのでありますなぁ、嗚呼。《西日本新聞/春秋》 2012年9月17日 もう半世紀も前になる。アメリカで若い男女3人のフォークグループがデビューした。「ピーター・ポール&マリー」。なじみがない人も「花はどこへ行った」「パフ」「風に吹かれて」などの曲は耳にしているかもしれない。ベトナム戦争が始まり、アメリカでは黒人の地位向上を目指す公民権運動が高まった時期だ。グループはそうした問題から目をそらさなかった。歌には社会に対する強いメッセージが込められた。「花はどこへ行った」では、戦死した兵隊の墓に咲く花を少女がつかむ。いつになったら戦争の愚かさに気づくのか。声高ではなくしっとりと、そう問い掛けた。どれだけ砲弾が飛べば武器は廃絶されるのか。どれだけ耳を持てば他人の泣き声が聞こえようになるのか―。「答えは風に吹かれている」。ボブ・ディランの曲を、カバーして世界中で大ヒットさせた。ギター2本に3人のハーモニー。シンプルさの中に歌の持つ力を実感させた。晩年も環境保護活動を支援しながらコンサートを続けたが、美しいハーモニーはもう生では聞けない。3年前のきょう、マリーさんが病死した。でもメッセージは残る。ベトナム後も世界ではアフガニスタン、イラク、シリアと戦火が絶えない。幾つ墓ができて花に覆われるのか。犠牲者や弱者の泣き声がなぜ耳に届かないのか。歌にあるように「答えは風に吹かれている」のだろう。半世紀前も、そして今も。~ご参考まで~ ウィキペディアより《歌詞の構成・メッセージ》「花はどこへ行った 少女がつんだ」→「少女はどこへ行った 男の下へ嫁に行った」→「男はどこへ行った 兵隊として戦場へ」→「兵隊はどこへ行った 死んで墓に行った」→「墓はどこへ行った 花で覆われた」と続き、再び冒頭の「花はどこへ行った 少女がつんだ」となる。最後には必ず「いつになったら わかるのだろう」という言葉で締められているため、「戦争がいつまでも繰り返され、いつになったらその愚かさに気づくのか?」というメッセージ、今度こそもう戦争は絶対に止めようという思いを込めて盛んに歌われることとなった。
2012.09.18
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朝寝して寝返り打てば昼寝かな 風天(フーテンの寅さん)『ああ、風天(ふうてん) その参』で「『風天』は渥美清氏の俳号を離れて寅さんの俳号になっていたのだろう」と記した。上記の一句は、まさに寅さんの俳句そのものではないだろうか。さても渥美清という御仁。たいそう一流なお方と推察するが、その懊悩や苦しみも一流を背負っておられたのであろう。お察し申し上げる。せめてこの時季、負うた荷をおろして気楽に秋風に吹かれることがかなったならば・・今宵はDVDを眺めながら、寅さんの「永遠なる愚か」をしみじみ味わいたいと思うのである。彼岸の渥美清氏に敬意を表しつつ合掌(-人-)※過去記事『ああ、風天(ふうてん) その壱』はコチラから。『ああ、風天(ふうてん) その弐』はコチラから。『ああ、風天(ふうてん) その参』はコチラから。
2012.09.15
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【複雑な彼/三島由紀夫】◆正統派、青春恋愛小説!時折、私のような本好きが錯覚するのは、美容室や歯医者の待合室に置かれている大衆向けの週刊誌を低俗と見なしてしまうクセである。もちろん、芸能人のつまらないゴシップには辟易するし、美容整形の宣伝やダイエット特集にはいいかげんうんざりしているのも確かだ。しかし、そんな大衆誌にも侮れないページがあることを忘れてはならない。例えば、『複雑な彼』という小説は、かの三島由紀夫が女性セブンという週刊誌に連載した小説である。三島由紀夫と言えば代表作に、『金閣寺』や『潮騒』などがあり、『複雑な彼』というのはどちらかと言えばあまり耳慣れない作品だ。ところがこの小説がおもしろいのなんのって!!これはいわゆるモデル小説と呼ばれるジャンルに入り、三島の十八番でもある。モデルとなったのはなんと、作家の安部譲二で、本名は直也と言うらしいが、この三島の書いた小説の主人公・譲二にあやかってペンネームを安部譲二としたらしい。こんな逸話があるだけでも愉快ではないか。残念ながら私の知っている安部譲二は、中年以降の“オジさん”風体に変わってしまってからのその人しか知らない。が、小説によれば「日本の男であんなに優雅で巨大で、しかも精悍な背中を持った人は珍しい」と描写されるほどのスタイリッシュなイケメンだ。しかも若き日の職業はキャビンアテンダントで、英国風の英語を流暢に話すと来ている。いや~カッコイイ。そんな安部譲二のキャビンアテンダント時代のモテ期から、ヤクザ時代にかけての20代後半までを、クールでたけどちょっぴり粗暴な男として描いているのだ。ちまたに五万と溢れる恋愛小説がある中で、あえてこの作品を選んで読んでもらえまいか?素直になれない若き男女の恋愛模様を、三島の流麗な文体に酔いしれながら読むことが出来る。大衆小説、通俗小説と評価されて結構!これこそ正に、青春恋愛小説なのだから!!【余談】売れっ子作家ほど、日々連載に追われて締め切りギリギリに入稿するのが普通らしいが、三島という人は、連載前にすでに原稿を終いまで揃え、出版者に入稿していたとか。(※安部譲二の解説参照)その辺からして、三島由紀夫の人となりが分かる。『複雑な彼』三島由紀夫・著(角川文庫)~読書案内~ その他■No. 1取り替え子/大江健三郎 伊丹十三の自死の真相を突き止めよ◆番外篇.1新潮日本文学アルバム/太宰 治 パンドラの匣を開け走れメロスを見る!
2012.09.12
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村の子がくれた林檎ひとつ旅いそぐ 風天さて、風天氏は何をいそがれたのか・・・句を読んで思った。渥美清氏の俳号である「風天」は、いつの間にか寅さんの俳号になっていたのだろうなぁ、と。俳優渥美清氏が晩年、山頭火役を熱望した気持ちがなんとなく理解できるのだ。※過去記事『ああ、風天(ふうてん) その壱』はコチラから。『ああ、風天(ふうてん) その弐』はコチラから。
2012.09.10
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【取り替え子/大江健三郎】◆伊丹十三の自死の真相を突き止めよこの小説を、私生活を暴露したタレント本などと同列に考える人は、おそらくいないだろう。だが、著者である大江健三郎とその義兄・伊丹十三をモデルにした小説ということもあり、あまりにリアルだ。役者であり映画監督でもあった伊丹十三は、ある時、突然自殺してしまった。その理由については今だ公表されず、大衆が想像する域を出ない。だがそれは伊丹家の身内においても同じで、“一体何があったのか?”という永遠のテーマを胸にペンを取ったであろうことがうかがえる。無論、真相は藪の中で、著者があらん限りの想像を巡らし、小説の力を借りて、伊丹十三という一人の男の実人生を追いかけてゆくのだ。大江健三郎と言えばノーベル文学賞受賞者ということもさることながら、その難解な内容・文章でも知られている。ある程度の読書量と見識に自信のある人でも、そのインテリジェンスな発想に二の足を踏んでしまうに違いない。そんな中、この『取り替え子』はテキストとして実に読み易い。だがあえてお断りしておこう。この小説は文学であり、ゴシップを扱ったスキャンダラスな暴露本とはまるで違う。大江健三郎が伊丹の死を哀しみ、絶望し、魂を必死に慰めようとするセラピー的な要素さえ感じる。取り替え子=チェンジリングとは、センダックの絵本のタイトルにもあるように、妖精が秘かに取り替えてしまった醜い子どものことだ。これが何を意味するものなのかは、読者の考え方しだいだと思う。伊丹十三の受けたヤクザの襲撃や女性問題、さらには若かりしころ青春を謳歌した愛媛県松山市郊外での記憶の数々。親友であり義弟でもある大江健三郎しか感じ得なかった世界観が広がる。モデル小説であっても私小説ではない。しかも、格調高く優れた文学であるこの小説を、一人でも多くの方々におすすめしたい。 わき目もふらず読み進めた私は、読後、喪失感というよりは一条の光を見たような気がした。『取り替え子』講談社文庫あり。~読書案内~ その他■No. 2複雑な彼/三島由紀夫 正統派、青春恋愛小説!◆番外篇.1新潮日本文学アルバム/太宰 治 パンドラの匣を開け走れメロスを見る!
2012.09.07
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「ジョーニーは?」「残念ながら一度も会ったことがない。詳細はボビー・アールに教わった。やつが凶器の場所を教え、俺が手紙を書き、罪をかぶった。・・・顔色がよくないぜ・・・ハハハ・・・何を考えてる?」「なぜ私を(はめた)?」「異常者のウソを正統化させるためさ」先進国では右へ倣えとばかりに、軒並み死刑廃止論が高まり、すでに実現した国や州も多い。いろんな考え方があるとは思うが、一端を担うのはキリスト教の教義にある“復讐をしてはならぬ”の精神である。一度復讐を許してしまうと、またその復讐をする者が現れ、それが実現されるとさらにまたその復讐を・・・と、永久に繰り返されてしまう所以でもあろう。さらに、白人や黒人、黄色人種など様々な人種を抱える国家においては、文化やイデオロギーの違いから取り返しのつかない判決を下してしまう恐れもある。そういう差別意識から、不当な裁決を下すことを避けるための死刑制度の廃止が叫ばれ続けているのだ。本作「理由」はサスペンス作品でありながら、死刑廃止論者に対し、一石を投じた社会派ヒューマン・ドラマとしても鑑賞できる。ハーバード大学の法学部教授ポール・アームストロングは、討論会を終え、帰ろうとしていた。その際、黒人の老婦人に呼び止められ、無実の罪で死刑監房へ入れられている孫を助けて欲しいと頼まれた。ポールは、その場ではいったん断ったものの、帰宅してからその話をしたところ、妻のローリーは「死刑制反対論者であるあなたが助けずして誰が助けるのか」と説得。そんな妻の後押しもあり、フロリダの刑務所に収監されているボビー・アールと面会することにした。連続殺人鬼ブレア・サリバンに扮したエド・ハリスには、正直驚いた。その迫真の演技さゆえ、今後こういう役しか回って来なかったらどうしようと、エド・ハリスに代わり、思わず悩んでしまった(笑)主人公ポール・アームストロングの一人娘ケイト(8歳前後)の役に扮したのは、スカーレット・ヨハンソンだ。この存在感はすごい!名子役だ。犯人に脅され、首にナイフを突きつけられたケイトが、恐怖のあまり声も出ず、ただ涙だけがツーッと流れるシーンがある。もうこのワンカットに吟遊映人は釘付けになってしまった。このスカーレット・ヨハンソンについて調べたところ、彼女は現在、無神論者だとか。 何らかの賞を受賞した時も、「神に感謝するなんてありえない」と言ったとかいないとか。いやまいった。大胆不敵というか、ユダヤ人でありながら正に、アンチ・ハリウッドな女優さんである。 「理由」のすごいところは、錚々たる役者さんが一堂に会しているところであろう。ハラハラドキドキ、実にスリリングな作品であった。【公開】1995年【監督】アーネ・グリムシャー【出演】ショーン・コネリー、ローレンス・フィッシュバーン、エド・ハリスまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2012.09.05
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蓋をあけたような天で九月かな 風天今日も今日とて、風天氏(フーテンの寅さんこと渥美清)の句を掲載する。秋の一日、それこそ蓋をあけたような天を眺めながら、ひねもすのんびりと暮らしたいものである、出来ることなら。そして思った。寅さんも風天氏も、それはそれでご多用だったのだろうな。※過去記事『ああ、風天(ふうてん) その壱』はコチラから。
2012.09.04
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「お前たちの名前は知っているぞ。今や伝説だからな・・・私はペストにやられた。私だけではない、国中にペストが蔓延している」「地獄からの呪いだ。黒い魔女の仕業なのだ」個人的にニコラス・ケイジは大好きだ。出演作品によっては、他の役者さんなら断るであろう濃いキャラも、平然と演じてみせるプロ根性を見せてくれるからだ。だが、ここ最近の出演作にはファンとして納得できないものも、正直ある。オスカー俳優としてのプライドは、一体どこへいってしまったのだろうかと、首を傾げたくなるほどだ。また、ニコラス・ケイジにまつわるゴシップも頻繁で、まるで転がる石のように下降線をたどって行く姿を見ると、心配でならない。この『デビル・クエスト』にしても、本来はニコラス・ケイジのような大物が出演する作品とは思えない。それでもさすがはニコラス・ケイジ、主人公のベイメンという伝説の騎士を、格好良く演じている。とはいえ、騎士にあこがれて途中から仲間に加わる青年カイに、半分存在感を奪われてしまうようなラストにがっかり。肩透かしなストーリー展開となっている。これは、出演者の演技力ではなく、当然ながら脚本の不出来と言わなければならない。 中世のヨーロッパが舞台。十字軍の騎士ベイメンとフェルソンは、遠征先で兵士以外の女や子どもにまで手をかける残虐行為に、疑問を抱き始める。14世紀当時ペストが大流行したのだが、それは魔女の仕業だと恐れられていた。そのため、魔女狩りのもとに大規模な粛清が行われていたのだ。ベイメンとフェルソンは、秘かに十字軍を抜け出すと旅に出る。ところがとある町で捕らえられてしまう。そこでは騎士であることを見込まれ、魔女として捕らえられている女を修道院まで運び、魔女裁判にかけるよう特命を受けるのだった。14世紀の田舎町の風景や、荘厳な修道院などを再現した美術セットはスゴイと思った。 中世のヨーロッパには、日本人を魅了する格調高さが感じられるからだ。無論、役者らがさり気なく身に着けている、当時の衣装にも目を奪われる。マントを翻して颯爽と歩く姿は、騎士として充分に見ごたえがある。さらに、ペストで病んでいる枢機卿の特殊メイクに注目したい。伝染病としての恐ろしさと、醜く変形した容姿に愕然とし、恐怖感を煽る。ファンタジー映画全般に興味のある方にはいいかもしれない、そんな作品だ。2011年公開 【監督】ドミニク・セナ【出演】ニコラス・ケイジまた見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。See you next time !(^^)
2012.09.02
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