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フィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領は8月29日、北京にある釣魚台国賓館で中国の習近平国家主席と会談した。フィリピンと中国は南シナ海で領海を巡って対立してきたが、友好的な関係を推進することで合意したという。 問題の海域には資源が存在していると言われているが、中国が進める一帯一路(BRI/帯路構想)の東端でもある。19世紀からイギリスはユーラシア大陸の周辺部分を支配して内陸部を締め上げ、最終的にはロシアを制圧しようとしてきた。アメリカはその長期戦略を引き継いでいるが、BRIの海路はその戦略を壊してしまう。 ドゥテルテの前に大統領だったベニグノ・アキノ3世はマニラ国際空港で殺されたベニグノ・アキノ・ジュニアと元大統領のコラソン・アキノの息子で、アメリカ支配層の傀儡。アキノ3世当時、アメリカはフィリピン、ベトナム、オーストラリア、インド、韓国、そして日本を結びつけて「東アジア版NATO」を作り上げようとしていた。BRIの海路を断ち切り、中国を締め上げる道具にしようとしたのだろう。アメリカは自由な航行を認めない。 安倍晋三政権は2015年9月に「平和安全法制(安保法制)」を強引に成立させたが、その3カ月前に安倍首相は赤坂の赤坂飯店で開かれた官邸記者クラブのキャップによる懇親会で「安保法制は、南シナ海の中国が相手なの」と口にしたという。首相はアメリカの作戦を理解している。 アキノ3世がフィリピンの大統領に就任した3カ月後、2010年9月に海上保安庁は「日中漁業協定」を無視する形で尖閣諸島の付近で操業していた中国の漁船を取り締まる。この時の首相は菅直人。海上保安庁は国土交通省の外局だが、当時の国交大臣は前原誠司だ。この協定を無視した取り締まりによって田中角栄と周恩来が「棚上げ」にした尖閣諸島の領有権問題が引きずり出され、日本と中国との関係が悪化する。 それに対し、ドゥテルテはアメリカからの自立を図り、中国を敵視する政策を軌道修正しようとしてきた。当然、アメリカの支配層から危険視される。ドゥテルテによると、2016年9月の段階でフィリピンの情報機関からバラク・オバマ政権が彼を殺したがっているという報告を受けたという。 そして2017年5月、フィリピン南部にあるミンダナオ島のマラウィ市をマウテ・グループやアブ・サヤフ、つまりダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国などとも表記)系の武装集団が制圧した。この島では以前からダーイッシュが活動、市内には500名程度の戦闘員がいると推測されていたが、アメリカ軍は活動を容認していた。言うまでもなく、この戦闘員はアメリカの傭兵だ。
2019.08.31
インドのナレンドラ・モディ政権がロシアから防空システムのS-400を購入すると決めて以来、アメリカから取り引きを破棄するように圧力が加えられてきた。その圧力を跳ね返し、インド政府は購入代金を支払い始めたと伝えられている。5システムを54億ドルで購入、2023年までに引き渡される予定だ。 両国ともSCO(上海協力機構、上海合作組織)のメンバー国であり、この取り引きが成立するのは必然のように見えるのだが、モディ首相がイスラエルと緊密な関係にあり、アメリカにとって戦略上、重要な国でもある。 アメリカはイギリスと同じようにユーラシア大陸の沿岸部を支配して内陸部にプレッシャーをかけ、中国やロシアを支配するという長期戦略を採用、2018年5月にはアメリカ太平洋軍をインド・太平洋軍へ名称変更した。勿論、名称を変更しただけでないだろう。 太平洋の拠点は日本、インド洋の拠点はインド、ふたつをつなぐ役割をインドネシアが担うという構図を描いているようだが、ディエゴ・ガルシア島も重要な役割を果たすことになるはず。 ディエゴ・ガルシア島はイギリスが不法占拠、それをアメリカが使っている。ICJ(国際司法裁判所)はディエゴ・ガルシアを含むチャゴス諸島をイギリスはモーリシャスへ返還するようにと勧告しているが、無視されている。アメリカやイギリスに国際ルールを守るという意思はない。 こうした米英の戦略をインドのロシア接近は危うくする。こうした動きはインド以外の国でも見られる。NATO加盟国であるトルコではすでにS-400の搬入が始まり、新たにロシア製戦闘機のSu-35やSu-57を購入する可能性が出てきた。 アメリカとしては対立を煽り、そのターゲットをコントロールしようとするだろう。インドの場合は中国やパキスタンを利用しようとするだろうが、ロシアと中国は戦略的な同盟国。アメリカの思惑通りに進まない可能性は小さくない。
2019.08.30
ジェフリー・エプスタインが8月10日に死亡してから不可解な現場の状況が明らかになってきた。死の前日に同房者はほかへ移動、エプスタインが死んだときに看守は過労で居眠りしていただけでなく、監視カメラの映像は問題の部分が利用できない状態になっているのだとう。しかも房のシーツは紙のように弱く、首をつることは困難だという人もいる。首の骨が何カ所か折れているとも伝えられている。 この事件はエプスタインの個人的に未成年者に犯罪的な行為をしたというだけでなく、未成年の男女を有力者に提供し、その様子を映像などで記録して脅しに使っていたということが問題になっている。ある種の勢力が国、あるいは世界各国の政策を恐喝でコントロールしていた可能性があるということだ。 エプスタインが今回と同じ容疑で2005年に逮捕されているが、その時に事件を地方検事として担当したアレキサンダー・アコスタによると、エプスタインは「情報機関に所属している」ので放っておけと言われたという。 エプシュタインの背後に情報機関の影がちらつくは事実で、例えば彼の妻だったギスレイン・マクスウェルの父親であるロバート・マクスウェルはミラー・グループの総帥だったと同時に、1960年代からイスラエルの情報機関モサドのエージェントだったとも言われている。このロバートは1991年11月、カナリア諸島沖で死体となって発見された。 エプスタインが親しくしていた「友人」の中にはビル・クリントンやドナルド・トランプも含まれているが、トランプの顧問弁護士だったロイ・コーンもスキャンダルを探り、恐喝に使っていたと言われている。 コーンはジョセフ・マッカーシー上院議員の顧問で、ルイス・ローゼンスティールなる人物と親しくしていた。この人物は禁酒法の時代に密造酒で大儲けし、後に大手酒造メーカーを経営している。このローゼンスティールもスキャンダルを使った恐喝をしていたという。ローゼンスティールの同業者で親しい間柄だったのがサミュエル・ブロンフマン。その息子であるエドガー・ブロンフマンも情報機関とつながっている、あるいは動かしていると言われている。 政治を動かすために恐喝を使っていたと言われている人物はほかにもいた。そうしたひとりが犯罪組織のボスだったミッキー・コーエン。バグジー・シーゲルのボディーガードだったが、1947年6月にシーゲルが殺された際、コーエンは現場から姿を消していた。メイヤー・ランスキーから事前に話を聞いていたと言われている。 ユダヤ系の地下武装集団だったイルグンの幹部で後にイスラエルの首相になるメナヘム・ベギンとコーエンは親しく、またシーゲルと同じようにコーエンもハリウッドに大きな影響力を持っていた。 その力を利用して有名俳優を有力者に提供する一方、その事実を利用して脅していたと言われている。コーエンが親しくしていた人物の中にはジェイコブ・ルベンスタイン、通称ジャック・ルビーも含まれている。ジョン・F・ケネディ大統領暗殺の実行犯にされたリー・ハーベイ・オズワルドを警察署で殺したことになっている人物だ。 ルビーは1964年4月に死刑が宣告されたが、上訴裁判所はそれを取り消している。その年の6月にウォーレン委員会のメンバーとダラスで面談したルビーはテキサスにいては命が危ないという理由でワシントンDCへ移すように強く求めている。 自分は真実を話す用意があるが、テキサスでは無理だとしていたのだが、結局、ワシントンDCへの移送は認められない。そして1967年1月にパークランド病院でガンのために死亡したとされている。
2019.08.29
トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領がロシアを訪問、8月27日にウラジミル・プーチン露大統領と会見した。2016年から接近しはじめたロシアとトルコだが、それ以前の経緯もあってシリアの西部地域であるイドリブの問題で両国は対立していた。そのイドリブから武装勢力を排除し、地域を正常化することで両国は合意したようだ。 トルコはすでにロシアから防空システムS-400を配備しているが、さらなる導入も表明された。この取り引きへの「制裁」としてアメリカ政府はF-35戦闘機の売却を中止すると警告しているが、これは欠陥戦闘機であり、たいした脅しにはならないだろう。今回の訪問でロシア製のSu-35やSu-57を調べている。 アメリカの武器/兵器を導入するリスクはイラクにおけるイスラエル軍の攻撃で明らかなっている。この攻撃の際、アメリカはイラク軍のレーダーを止めてしまったとする話がイラク軍の上層部から流れている。トルコが懸念している自体が実際に起こっているということだ。 トルコは2011年3月からシリア侵略に参加、配下の傭兵を送り込んでいた。この侵略はトルコのほか、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの3国同盟、イギリスとフランスのサイクス・ピコ協定コンビ、パイプライン建設でシリアと対立したカタールなどによって実行された。トルコやカタールは2016年に入ってから侵略グループから離脱している。戦争の長期化による経済への悪い影響が深刻化したことが大きい。 ネオコンは1980年代からイラク、シリア、イランの殲滅を計画していた。まずイラクのサダム・フセイン体制を倒してイスラエルの属国に作り替えてシリアとイランを分断、そしてシリアとイランを潰そうとしたのだ。この3カ国が消えればイスラエルに刃向かう可能性のある国は中東から消える。 1991年1月から2月にかけてアメリカ主導軍はイラクを攻撃したが、ジョージ・H・W・ブッシュ(シニア)政権はフセインを排除しなかった。ブッシュ大統領たちはフセイン体制をペルシャ湾岸の産油国を守る防波堤だと考えていたのでフセイン体制を残したのだろうが、ネオコンは激怒した。 アメリカが属国軍を率いてイラクへ軍事侵攻するのは2003年3月。ニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された後のことだ。 イラクへの軍事侵攻でフセイン体制は倒したものの、親イスラエル体制の樹立には失敗、イラクとイランを接近させることになる。そこでアメリカの支配層はフセイン体制を支えていたスンニ派と手を組み、武装勢力を編成してサウジアラビアの情報機関にコントロールされていたアル・カイダ系のグループと合流させている。ちなみに、フセイン政権はアル・カイダ系武装集団を人権無視で弾圧していた。 スンニ派を中心とする武装勢力を傭兵として使う手法は1970年代の終盤にズビグネフ・ブレジンスキーが始めたもの。サウジアラビアが戦闘員と資金を提供、その戦闘員をCIAが訓練して武器/兵器を提供、イスラエルも協力していた。アメリカ軍が使える現地の武装勢力を選んだのはパキスタンの情報機関である。 イラクでこの仕組みが復活するのだが、そうした動きは遅くとも2007年に始まっている。その年に調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュがニューヨーカー誌に書いた記事によると、ジョージ・W・ブッシュ(ジュニア)政権はシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラを最大の敵だと定め、スンニ派の過激派と手を組むことにしたという。その過激派の中心はサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団である。 2009年1月にアメリカの大統領はブッシュ・ジュニアからバラク・オバマに交代、新大統領は傭兵の主力をムスリム同胞団に決める。そして2010年8月にPSD-11を出し、「アラブの春」が始まる。その流れの中でリビアやシリアも侵略された。リビアへの侵略ではNATOがアル・カイダ系のLIFGと連携していることが発覚している。シリアでも基本的に同じことが行われたが、ロシアがNATOの軍事介入を阻止。傭兵の大半は2015年9月に軍事介入したロシア軍が殲滅した。
2019.08.28
カナダ、フランス、ドイツ、イタリア、日本、イギリス、アメリカの7カ国とEUの首脳がフランスのヌーベル・アキテーヌにあるビアリッツで8月24日から26日にかけて会議を開いた。経済、外交、軍事などあらゆる分野で影響力が低下しつつあるアメリカとそのアメリカに従属する国々の集まりにしか見えない。 親分とも言えるアメリカの大統領、ドナルド・トランプはアメリカ企業に対して中国から出るように訴えたというが、似たことをバラク・オバマは2011年2月に言っている。当時、オバマは大統領だった。 オバマはサンフランシスコを拠点とするエレクトロ産業、いわゆるシリコン・バレーの幹部たちと食事をともにしていたのだが、その際、アップルのスティーブン・ジョブスに対して同社のiPhoneをアメリカで生産しないかともちかけたのである。同社はiPhoneだけでなく、iPadやほかの製品の大半を中国など国外で作っている。 しかし、ジョブスの返事はつれないものだった。アメリカへ戻ることはないと言われたのだ。アジアでは生産規模を柔軟に変更でき、供給ラインが充実、そして労働者の技術水準が高いという理由からだという。 新自由主義に支配されるようになった1970年代の後半からアメリカでは投機家が目先の私的な利益を増やすために製造業を解体して売り飛ばし、仕事は国外へ移動した。1980年に中国が新自由主義へ舵を切り、その中国を支配できると考えたのかもしれない。エリートの子どもがアメリカの大学へ留学するようになったこともアメリカの支配者を安心させたかもしれない。 アメリカの支配層はターゲット国に手先を作り上げるため、エリートの子どもを留学させてきた。アメリカに従えば地位とカネと快楽が約束されるとすり込むわけだ。そうした快楽には違法行為も含まれ、その行為は記録され、後に脅しの材料に使われる。 留学先になる大学の水準は維持されているかもしれないが、アメリカでは庶民が通う公的な学校は崩壊状態にある。思考力のある庶民は危険であり、忠誠心だけを養っておけば良いということ。そのための「道徳」である。 アメリカと同じように日本でも公教育が破壊されているが、その結果、生産現場で必要な中間レベルの技術を持つ人が消滅した。いや、日本でトップクラスと言われる大学を卒業した学生の水準低下もかなり前から指摘されている。 アメリカ企業が自国へ引き上げても企業を支える基盤が崩壊している。中国から高度な製品を生産する工場を移転させられる国は思い当たらない。教育システムが崩壊しただけでなく、職人の技術が継承されずに韓国や中国などへ流出した日本も無理だ。
2019.08.27

北極海を航行しているロシアの原子力潜水艦2隻がそれぞれSLBM(弾道ミサイル)を発射した。8月18日にアメリカが巡航ミサイルのトマホークを地上から発射しているが、それに対するロシア側の答えとも言える。 以前にも書いたことだが、日本が導入する弾道ミサイル防衛システムのイージス・アショアはSM-3というミサイルを使用することになっているが、その発射装置はトマホークも使えると言われている。このイージス・アショアをアメリカはポーランドやルーマニアにも配備する。 INF(中距離核戦力全廃条約)の破棄によってポーランドやルーマニアはアメリカによるロシアに対する先制核攻撃の最前線になり、開戦になれば国は消滅する。当然、同じことは日本にも言える。 どこかの国のミサイル発射よりアメリカのトマホーク発射、それを受けてのロシアのSLBM発射の方が日本にとって深刻な問題である・・・はずだ。沖縄でアメリカ軍や自衛隊は軍事力を増強しているが、それが何を意味しているのか、言うまでもないだろう。 沖縄では第2次世界大戦の終盤に激烈な地上戦があり、多くの人びとが犠牲になったというが、その沖縄を含む日本は核戦争の最前線になりつつある。それを日本列島に住む人が気にしているようには見えない。日本人は命知らずが多いようだ。
2019.08.26
INF(中距離核戦力全廃条約)が失効したのは8月2日。その16日後にアメリカは巡航ミサイルのトマホークを地上から発射した。2017年4月と18年4月にシリアを攻撃した際に使ったミサイルである。 条約の破棄は昨年(2018年)10月にドナルド・トランプ米大統領によって表明され、それを受けてロシア政府も条約義務の履行を停止。少なからぬ人が指摘しているように、アメリカがINFを廃棄した目的は先制攻撃の恫喝でロシアを屈服させるか、実際に奇襲攻撃することにある。 本ブログでは繰り返し書いてきたが、アメリカの支配層は第2次世界大戦が終わった直後からソ連に対する攻撃を計画している。イギリスの場合はフランクリン・ルーズベルト大統領が急死、ドイツが降伏してすぐにアメリカ、イギリス、ドイツ、ポーランドで奇襲攻撃する作戦を作成している。アンシンカブルと名づけなれたが、これはイギリスの参謀本部が反対して実現していない。 実際に奇襲攻撃する寸前だったと見られているのは1963年。その時に作戦を拒否したジョン・F・ケネディ大統領はその年の11月に暗殺されている。1983年の後半も全面核戦争まで紙一重だった。 1991年12月にソ連が消滅すると核攻撃の危険性は低くなったが、アメリカが唯一の超大国になったと考えた同国の支配者は、自分たちへの忠誠度が低い体制を軍事力で破壊するプランを立てた。それがウォルフォウィッツ・ドクトリンである。 ソ連消滅後のロシアは西側の傀儡であるボリス・エリツィンが実権を握り、ロシアの富を西側の巨大資本へ流す。エリツィンを含む西側の手先になった腐敗グループも巨万の富を築くのだが、当然のことながら、大多数のロシア国民は貧困化、国は疲弊する。それが1990年代だった。 21世紀に入ってウラジミル・プーチンを中心とするグループがロシアの再独立に成功するが、西側ではロシアが再びアメリカのライバルとして復活するとは考えていなかったようだ。 そうした中、フォーリン・アフェアーズ誌の2006年3/4月号にキール・リーバーとダリル・プレスの論文が掲載される。この雑誌はアメリカ支配層の機関誌的な存在だ。 その論文によると、アメリカ軍の先制第1撃でロシアと中国の長距離核兵器を破壊できるようになる、つまりアメリカはロシアと中国との核戦争で一方的に勝てる日は近い。この筆者はそう考えていたわけだが、おそらくアメリカ支配層の相当部分も同じように考えていたのだろう。 恐れる相手がいなくなったアメリカにとって兵器の制限は無用とそう考えたのか、同国は2002年にABM(弾道ミサイル迎撃システム)制限条約から離脱する。そして今回のINF失効である。 日本を含め、中国やロシアの周辺にアメリカはミサイルを配備してきた。そのシステムは防衛のための宣伝されてきたが、攻撃用に切り替えることが難しくないことは当初から指摘されている。 アメリカが日本に基地を建設し、軍隊を駐留させている目的も奇襲攻撃が目的だということも本ブログで説明してきた。トランプ大統領はバラク・オバマ政権やその後継者と見られていたヒラリー・クリントンと同じ路線を歩いている。そのアメリカの戦略が自国を破壊し、自国民を死滅させることを理解しているのが韓国や朝鮮であり、アメリカへの従属しか考えていないのが日本だ。
2019.08.25
中東全域でアメリカの影響力が低下しつつある。イエメンもその流れに飲み込まれたようだ。イエメンを制圧するためにサウジアラビアが軍事介入しているが、ここにきてフーシ派はサウジアラビアの油田違いを攻撃できるドローン(無人機)やミサイルを開発、サウジアラビアは事実上、敗北したと見られている。 イエメンでアリ・アブドゥラ・サレーハ政権とフーシ派が軍事衝突したのは2004年。その前年にアメリカ主導軍がイラクを先制攻撃しているが、それに抗議するためにフーシ派はモスクで反アメリカ、反イスラエルを唱和、政府がそうした行為を弾圧し、首都のサヌアで800名程度を逮捕する。この弾圧が切っ掛けで戦闘が始まった。 2009年には「アラビア半島のアル・カイダ(AQAP)」が創設されている。その年、サウジアラビアはイエメンに空軍と特殊部隊を派遣したと伝えられている。 本ブログで繰り返し書いてきたように、アル・カイダはCIAに雇われ、訓練を受けた戦闘員のコンピュータ・ファイル。戦闘員の中心はカルト色の濃いサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)や歴史的にイギリスとの関係が深いムスリム同胞団。CIAだけでなく、サウジアラビアやイスラエルの情報機関も深く関係している。 調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュが2007年にニューヨーカー誌に書いた記事によると、その時点までにジョージ・W・ブッシュ政権はシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラを最大の敵だと定め、スンニ派の過激派と手を組むことにして秘密工作を始めようとしていた。そのターゲットにイエメンが加えられたと言えるかもしれない。 2011年にサレーハ大統領は辞任、副大統領だったアブド・ラッボ・マンスール・アル・ハディが翌年の2月から新大統領を務めることになる。任期は2年なので2104年2月までだが、ハディはイエメンに権力の基盤がなく、辞任後のサレーハを脅かすことはないだろうという読みがあったと言われている。実際、真の意味のハディ派は存在せず、ハディ自身はさっさとサウジアラビアへ逃走した。 そしてモハマド・ビン・サルマンがサウジアラビアの国防大臣に就任した2015年、同国は100機におよぶ戦闘機、15万名の兵士、さらに海軍の部隊を派遣(国境を越えているかどうか不明)。攻撃にはアラブ首長国連邦、バーレーン、カタール、クウェートなどの国も参加し、アメリカも物資や情報の面で支援したようだ。 イエメンへの軍事介入はサウジアラビアを疲弊させるという声もあったが、ビン・サルマンが2017年から皇太子になったこともあり、戦争の泥沼にはまり込んでいった。 サウジアラビアと同盟関係にあるイスラエルは先月下旬にイラクへ戦闘機を派遣、同国で空爆を実施したと伝えられているが、イエメンでも爆撃を行うかもしれない。
2019.08.24
韓国の国家安全保障会議は日本と韓国のGSOMIA(軍事情報包括保護協定)の延長をしないと決め、文在寅大統領に報告したという。韓国軍とアメリカ軍との関係に変化はないが、安倍晋三政権が始めた韓国に対する圧力が両国間の対立をエスカレートさせているとは言える。 こうした韓国政府の対応の背景として、中国やロシアへの経済的な接近を無視することはできない。遅くとも2011年からロシア政府は東アジアを鉄道やパイプラインで結びつけ、ビジネスを活発化して地域を安定させようとしてきた。そのプランに中国も2015年頃から加わっている。 アメリカから離れようとする力が韓国で強まったひとつの結果が中国やロシアへの接近だろう。そうした力を生み出したひとつの原因は米韓FTAだ。この協定によって大多数の韓国人は厳しい生活を強いられることになった。アメリカに従っていると属国は酷い目に遭うということだ。 この協定は2010年12月に韓国大統領だった李明博が署名しているが、事前に韓国の国民は中身を知らされていなかったようだ。しかも、米韓の合意は「どさくさ紛れ」だった。 その年の3月、米韓両軍は合同軍事演習を実施しているのだが、その最中に韓国の哨戒艦「天安」が爆発して沈没。韓国と朝鮮で境界線の確定していない海域での出来事だった。 この沈没に関して5月頃から李政権は朝鮮軍の攻撃で沈没したと主張し始める。この主張には疑問が多く、CIAの元高官でジョージ・H・W・ブッシュと親しく、駐韓大使も務めたドナルド・グレッグもこの朝鮮犯行説に疑問を投げかけた。 そして11月には問題の海域で軍事演習「ホグク(護国)」が実施され、アメリカの第31MEU(海兵隊遠征隊)や第7空軍が参加したと言われている。そして朝鮮軍の大延坪島砲撃につながった。米韓FTAの合意はその翌月だ。アメリカ支配層にとって都合の良い流れになっている。 本ブログでは繰り返し書いてきたように、鳩山由紀夫首相が検察やマスコミの圧力で辞任に追い込まれたのは、この年の6月。そして誕生した菅直人政権は中国との関係を悪化させる。 つまり、尖閣諸島(釣魚台群島)の付近で操業していた中国の漁船を海上保安庁が「日中漁業協定」を無視する形で取り締まり、東アジアの軍事的な緊張を高めたのだ。 それに対し、2011年夏にロシアのドミトリ・メドベージェフ首相が朝鮮の最高指導者だった金正日とシベリアで会い、110億ドル近くあったソ連時代の負債の90%を棒引きにし、鉱物資源の開発などに10億ドルを投資すると提案した。 朝鮮がロシアのプランに同意すれば、シベリア横断鉄道を延長させ、朝鮮半島を縦断、釜山までつなげることが可能。鉄道と並行してパイプラインも建設できる。メドベージェフの提案は朝鮮に対するものだったが、それは韓国も無縁ではない。実際、そのプランに文在寅政権は乗っている。それをアメリカ政府は潰したいだろうが、今のところ成功していない。
2019.08.23
日本、韓国、中国の外相が8月21日に北京で会談、その席で中国の王毅外相は日本の河野太郎外相、韓国の康京和外相に対し、両国の対立を話し合いで解決するように促し、3カ国が科学技術で協力し、公正なビジネス環境を築こうと訴えた。 この問題を深刻化させようとしてきたのはアメリカを後ろ盾とする日本。2015年頃からロシアと戦略的な同盟関係に入った中国を屈服させようとしているアメリカ支配層の意向に日本政府が従っているのだろうが、中国とのビジネスなしに日本企業が生き残ることは難しい。日本でも支配システムと経済システムの矛盾が深刻化していると言える。アメリカの属国にすぎない日本だが、アメリカへの従属は自らを破滅へと追いやることになる。 韓国の場合、中国やロシアとの経済的な結びつきを強めてきた。すでにドル体制の崩壊が視界に入っているアメリカに見切りをつけたのかもしれない。その韓国との関係を強めるため、ロシアは鉄道やパイプラインを朝鮮半島に建設しようとしているが、これは物流やエネルギーの安定供給を考えると、韓国にとって悪い話ではない。 しかし、このプランの前には大きな障害が存在した。ソ連時代、ミハイル・ゴルバチョフに見捨てられた朝鮮だ。その頃から朝鮮へはイスラエルやアメリカが食い込み始め、アメリカ軍の情報機関DIA(国防情報局)によると、1990年代に統一教会の資金が朝鮮へ流れ込んでいる。この宗教団体はCIAとの関係が指摘され、ジョージ・H・W・ブッシュとの緊密な関係が知られている。 統一教会の教祖、文鮮明が1991年11月末から翌月上旬にかけて朝鮮を訪問、その際に「4500億円」を寄付、1993年にはアメリカのペンシルベニア州に保有していた不動産を売却して得た資金300万ドルを香港の韓国系企業を介して朝鮮へ送ったという。 ロシアでは21世紀に入ってウラジミル・プーチン大統領を中心とする勢力がロシアを再独立させることに成功、朝鮮との関係修復に動く。2011年夏にはドミトリ・メドベージェフ首相がシベリアで朝鮮の最高指導者だった金正日と会い、110億ドル近くあったソ連時代の負債の90%を棒引きにし、鉱物資源の開発などに10億ドルを投資すると提案した。 朝鮮がロシアのプランに同意すれば、シベリア横断鉄道を延長させ、朝鮮半島を縦断、釜山までつなげることが可能。鉄道と並行してパイプラインも建設されるはずだ。 しかし、このプランを受け入れた金正日は2011年12月に急死。12月17日に列車で移動中に車内で急性心筋梗塞を起こして死亡したと朝鮮の国営メディアは19日に伝えている。 ロシアや中国へ朝鮮が接近していることが形になって現れたのが朝鮮の金正恩労働党委員長と韓国の文在寅大統領の板門店における会談。2018年4月のことだ。 この会談に中国が関与していることは、板門店会談の1カ月前に金正恩が特別列車で北京へ入り、釣魚台国賓館で中国の習近平国家主席と会談していることからも推測できる。5月にはロシアのセルゲイ・ラブロフ外相が朝鮮を訪問、金正恩委員長にロシアを訪れるよう求めたと伝えられている。 一連の会談の背景として、朝鮮がアメリカを恐れなくなったことが推測できる。アメリカを気にせず、動いても大丈夫だと考えたのだろうということだ。そうした判断の背景にはシリアで示されたロシア軍の強さ、ロシア製兵器の優秀さがあるのではないだろうか。 8月21日の北京における会談の後、韓国の外相は朝鮮がアメリカとの対話を再開するのではないかと語ったというが、中露韓と朝鮮の間で話がついた可能性がある。 朝鮮の姿勢を硬化させた大きな理由は韓国とアメリカとの合同軍事演習。8月21日から開始されるとも伝えられたが、8月の上旬に「事実上」始められたとも言われている。いずれにしても、この演習は朝鮮を刺激した。 アメリカ軍との関係が深い韓国軍が文在寅大統領と対立しているようにも見えるが、軍事同盟や情報機関のつながりで他国を支配するのはアメリカやイギリスの常套手段。本ブログでもNATOが西ヨーロッパを支配するために組織されたことは指摘してきた。言うまでもなく、日米安保の目的も同じだ。 その一方、朝鮮の最高人民会議副議長の朴哲民が7月20日にイランを訪問し、イラン議会のアリ・ラリジャニ議長と会談している。ラリジャニ議長はアメリカの一方的な要求を拒否している朝鮮を賞賛した。アメリカは朝鮮を武装解除して圧力を加えるだけだとラリジャニ議長は語っているが、これはイランのアメリカに対する姿勢に合致する。勿論、その判断は正しい。 韓国外相が言うように朝鮮とアメリカが対話を再開するかどうかはわからないが、もし再開されてもイランと同じように朝鮮も考えて会談に臨むだろう。その際、ロシアや中国と事前に入念な話し合いを行うであろうことも想像できる。
2019.08.22
シリア政府軍は中断していたシリア西部のイドリブ制圧作戦を再開したようだ。この地域はトルコと接し、トルコ系の傭兵が活動している。その傭兵を支援するためにトルコからトラック29台、戦車5両、歩兵戦闘車2両が侵入、その車列の進行を妨げるためにロシア軍機が空爆。この車列を守るためにトルコからF-16戦闘機が飛来したが、これはロシア軍のSu-35に追い返されたと伝えられている。ジハード傭兵が停戦合意を守らない場合、反撃するともロシア側は警告しているようだ。トルコ政府は自国軍がロシア軍機からの攻撃を受けたことを認め、ロシアやイランと話し合う意向だとしている。 外国勢力のシリア侵略戦争が始まったのは2011年3月。アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟、イギリスとフランスのサイクス・ピコ協定コンビ、パイプライン建設を目指していたカタール、オスマン帝国の復活を夢想するトルコが手を組んでの軍事侵攻だった。 そうした国々は傭兵を雇ったが、いずれも戦闘の主力はサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団。その戦闘員は「ムジャヒディン」とも呼ばれている。そうした中にはチェチェンや新疆ウイグル自治区などからも戦闘員としてシリア入りしていたようだ。 ネオコン、つまりアメリカで大きな影響力を持つシオニストの一派は1980年代からイラクのサダム・フセイン体制を倒して親イスラエル体制を樹立、シリアとイランを分断した上で両国を壊滅させるという計画を持っていた。1991年当時、国防次官だったネオコンのポール・ウォルフォウィッツがイラク、シリア、イランを殲滅すると口にしたのはそういうことだ。 ムジャヒディンを傭兵として使い始めたのはズビグネフ・ブレジンスキー。ジミー・カーター政権で国家安全保障補佐官を務めていた当時のことで、アフガニスタンの体制を転覆させるために投入、さらにソ連軍の侵攻を誘い込んだのである。 このときにアメリカの情報機関や軍が傭兵に武器/兵器を提供し、軍事訓練する仕組みが整備された。ロビン・クック元英外相が2005年7月に指摘したように、CIAの訓練を受けた傭兵の登録リストが「アル・カイダ」である。アラビア語でアル・カイダはベースを意味、「基地」と訳す人もいるが、「データベース」の訳語でもある。 ネオコンの計画通り、2003年3月にアメリカ主導軍はイラクを先制攻撃してフセイン体制を倒すが、親イスラエル体制の樹立には失敗、「石器時代化」させた。 1970年代終盤に始められたアフガニスタンにおけるブレジンスキーの秘密工作では、サウジアラビアが戦闘員を送り込み、戦費を負担、イスラエルや王制時代のイラン、そしてパキスタンが協力。調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュが2007年にニューヨーカー誌に書いた記事によると、そのうちアメリカ、イスラエル、サウジアラビアがシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラをターゲットにした秘密工作を始めている。その工作をバラク・オバマ政権も続けた。 2011年春の段階ではリビアと同じように、傭兵を投入して一定期間を経た後、アメリカ/NATO軍にシリアを空爆させてバシャール・アル・アサド体制を粉砕する予定だったのだろうが、これは2015年9月にロシア軍がシリア政府の要請で介入、難しくなった。 そのロシア軍はアメリカなどが送り込んだ傭兵を粉砕、ダーイッシュを含むアル・カイダ系武装集団の支配地域は急速に縮小した。イドリブは残された傭兵の支配地域だ。 そのほか、バグダッドとダマスカスを結ぶ幹線を断ち切る形でアメリカ軍が占領しているのがアル・タンフ。イギリス軍の特殊部隊も駐留、戦闘員を訓練して油断地帯のデリゾールなどへ送り込んでいるようだ。 アメリカ軍はバラク・オバマ政権時代にユーフラテス川の北側に約20の軍事基地を建設、クルドを使って支配している。アメリカがこの地域の占領に必死な理由のひとつは油田だ。 このクルドとの関係がトルコとアメリカの関係を悪化させる一因。戦略的に重要な位置にあるトルコを支配するために試みたクーデターは失敗、ますます両国の関係は悪化した。 アメリカがこの関係を修復しようとすれば、クルドと関係が悪化、ユーフラテス川の北側を支配することが難しくなる。そこでイドリブにおけるトルコとロシアの利害対立をアメリカは利用しようとしているのだろうが、トルコにロシアとの関係を悪化させる意思はなさそうだ。
2019.08.21

香港で繰り広げられている反中国運動の背後にアメリカとイギリスの情報機関が存在していることは隠しようがない。その手先として働いている人物として、現地の協力者がいる。 本ブログでも紹介したように、JWマリオット・ホテルでアメリカのジュリー・イーディー領事と会っているところを撮影された黄之鋒(ジョシュア・ウォン)や羅冠聰(ネイサン・ロー)もその一部。黄之鋒は2015年11月にナンシー・ペロシ下院議長と会談、17年5月にはネオコンのマルコ・ルビオ上院議員と会っている。 ネオコンと緊密な関係にあることで知られている反中国運動の指導者の代表格は李柱銘(マーチン・リー)だろう。この李と親しい人物のひとりが黎智英(ジミー・リー)。メディアのグループを所有、アジアのルパート・マードックとも呼ばれている。ドナルド・トランプ政権の好戦派、ジョン・ボルトン国家安全保障補佐官と今年7月に会った。 ボリス・エリツィン時代のロシアもそうだったが、侵略者や犯罪者は銀行とメディアをまず支配しようとする。カネと情報が支配の柱だと認識しているのだろう。そして社会基盤や基幹産業を乗っ取ろうとする。日本で「民営化」が叫ばれたのはそのためだ。つまり、叫んだ連中は外国を拠点とする巨大資本の手先。 2014年9月から12月まで続いた「佔領行動(雨傘運動)」のときから、このふたりのほかに香港大学の戴耀廷(ベニー・タイ)副教授、陳日君(ジョセフ・ゼン)、余若薇(オードリー・ユー)、陳方安生(アンソン・チャン)といった名前が挙がっている。 こうした活動に対し、1996年からNEDの資金が流れ込んでいることもわかっている。本ブログでは繰り返し書いてきたように、NEDはCIAの資金を流すための仕組み。つまり、香港の反中国運動は「民主化」というタグをつけたCIAの工作だ。 2014年の反中国行動に参加したのは数万人と言われているのだが、今回、主催者は170万人という数字を出し、それを垂れ流しているメディアもある。計画通りに盛り上がらない反中国行動を情報操作でごまかそうとしているのかもしれない。 有力メディアの話を鵜呑みにする人は「すごい」と思うのだろうが、会場になった広場に入れる人数は10万人程度だとされている。警察は12万8000人が参加したと発表しているが、これでも多めだろうと考えている人もいる。170万人という数字に説得力はない。
2019.08.20
アメリカ軍と韓国軍の合同軍事演習は8月21日から開始されるという。この演習に朝鮮政府は反発して韓国政府との和平交渉の継続を拒否、ミサイル発射実験を実施した。その直後に朝鮮人民軍総政治局の金秀吉(キム・スギル)局長を団長とする代表団が北京を訪問、中国と朝鮮の軍事的なつながりは一層、強化されると伝えらている。 朝鮮は1980年代の後半にソ連から見捨てられた。1985年にソ連の書記長となった欧米に厚い信仰を寄せるミハイル・ゴルバチョフの政策に基づいている。 そうした朝鮮に対して手を差し伸べたのが統一教会。アメリカ軍の情報機関DIA(国防情報局)によると、1991年11月末から翌月上旬にかけて統一協会の文鮮明教祖が朝鮮を訪問、その際に「4500億円」を寄付、1993年にはアメリカのペンシルベニア州に保有していた不動産を売却して得た資金300万ドルを香港の韓国系企業を介して朝鮮へ送っている。 この統一教会はジョージ・H・W・ブッシュと緊密な関係にあり、WACL(世界反共連盟。1991年にWLFD/世界自由民主主義連盟へ名称変更)の創設にも参加している。 WACLはヨーロッパと東アジアの反コミュニスト勢力、つまりヨーロッパのABN(反ボルシェビキ国家連合)と東アジアのアジア人民反共連盟(後のアジア太平洋反共連盟/APACL)が合体して作られた組織。その創設にはCIAが関係している。 APACLは1954年に創設された。その中心は台湾の蒋介石政権と韓国の情報機関だが、日本からも児玉誉士夫や笹川良一が参加、日本支部の設置には岸信介も協力している。文鮮明が統一協会を創立したのはこの年だ。 統一教会の資金が流れ込んだ朝鮮だが、1990年代の終わりになるとアメリカの好戦派は東アジアでの戦争を想定した作戦を作成しはじめる。1991年12月にソ連が消滅したことを受けて翌年2月にウォルフォウィッツ・ドクトリンが作成され、世界制覇に向かって単独行動を始めたことと無縁ではない。 そのドクトリンを日本へ受け入れさせるために作成されたのが1995年2月に発表された「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」。国防次官補だったジョセイフ・ナイが書いたもので、国連中心主義の立場を放棄してアメリカの単独行動を容認するように求めたのだ。 その前年、1994年の6月に長野県松本市で神経ガスのサリンがまかれるという事件(松本サリン事件)が引き起こされ、95年3月20日には帝都高速度交通営団(後に東京メトロへ改名)の車両内でサリンが散布され(地下鉄サリン事件)、同月30日には警察庁長官だった國松孝次が狙撃されて重傷を負う。 1995年8月27日付けのスターズ・アンド・ストライプ紙には、1985年8月12日に墜落した日本航空123便に関する記事が掲載された。その当時、大島上空を飛行していたアメリカ軍の輸送機C-130の乗組員だったマイケル・アントヌッチの証言に基づいているのだが、その記事は自衛隊の責任を示唆している。 その後、日本は急ピッチでアメリカの戦争マシーンへ組み込まれていく。例えば1996年の「日米安保共同宣言」、97年の「日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)」、99年の「周辺事態法」、2000年の「アーミテージ報告」といった具合だ。2005年には「日米同盟:未来のための変革と再編」が発表されている。 それと並行して朝鮮半島での戦争を想定した軍事作戦がアメリカで作成されている。例えば、国家としての朝鮮を消滅させて韓国が主導して新たな国を建設するという1998年のOPLAN(作戦計画)5027-98。2003年には空爆を電子戦やサイバー攻撃と並行して行うというCONPLAN 8022-02が作成された。これには先制核攻撃が含まれ、そのターゲットとして朝鮮やイランが想定されている。 そして2010年3月、米韓両軍が合同軍事演習「フォール・イーグル」を実施している最中に韓国の哨戒艦「天安」が爆発して沈没する。韓国と朝鮮で境界線の確定していない海域での出来事だった。 この沈没に関して5月頃から李明博政権は朝鮮軍の攻撃で沈没したと主張し始める。この主張には疑問が多く、CIAの元高官でジョージ・H・W・ブッシュと親しく、駐韓大使も務めたドナルド・グレッグもこの朝鮮犯行説に疑問を投げかけた。アメリカ支配層の内部でもこの人脈はこの時点で朝鮮半島の軍事的な緊張が高まることを望んでいなかったということだろう。 そして11月には問題の海域で軍事演習「ホグク(護国)」が実施され、アメリカの第31MEU(海兵隊遠征隊)や第7空軍が参加したと言われている。そして朝鮮軍の大延坪島砲撃につながった。 日本では東アジアの平和を訴えていた鳩山由紀夫首相が2010年6月に検察やマスコミの圧力で辞任している。そして誕生したのが菅直人政権。尖閣諸島(釣魚台群島)の付近で操業していた中国の漁船を海上保安庁が「日中漁業協定」を無視する形で取り締まり、尖閣列島の領有権問題に火をつけて日中関係を悪化させ、東アジアの軍事的な緊張を高めた。 それに対し、ロシア政府は朝鮮半島を含む東アジアをビジネスで安定化させるという政策を実践に移している。2011年夏にロシアのドミトリ・メドベージェフ首相はシベリアで朝鮮の最高指導者だった金正日と会い、110億ドル近くあったソ連時代の負債の90%を棒引きにし、鉱物資源の開発などに10億ドルを投資すると提案している。 ロシア政府はシベリア横断鉄道を延長させ、朝鮮半島を南下させて釜山までつなげるという計画を持っていた。鉄道と並行してパイプラインの建設も想定されていたはず。現在、この計画は中国の一帯一路(BRI/帯路構想)とつながっている。 2011年の提案を金正日は受け入れるが、その年の12月に急死してしまう。12月17日に列車で移動中に車内で急性心筋梗塞を起こして死亡したと朝鮮の国営メディアは19日に伝えているが、韓国の情報機関であるNIS(国家情報院)の院長だった元世勲は暗殺説を唱えていた。 その後、朝鮮はミサイル発射実験や核兵器の開発をアピールして東アジアの軍事的な緊張を高め、朝鮮半島に鉄道やパイプラインを建設するというロシアのプランはアメリカ主導の「制裁」で難しくなる。朝鮮の好戦的な姿勢はアメリカを利することになった。 その朝鮮の姿勢が変化したことを示す出来事が2018年3月26日にあった。金正恩労働党委員長が特別列車で北京へ入り、釣魚台国賓館で中国の習近平国家主席と会談したのだ。同委員長が韓国の文在寅大統領と板門店で会談したのはその1カ月後、4月27日のことだ。 また、5月31日にはロシアのセルゲイ・ラブロフ外相が朝鮮を訪問、金正恩委員長にロシアを訪れるよう求めたと伝えられている。9月にウラジオストクで開催されるEEF(東方経済フォーラム)に招待、そこでウラジミル・プーチン大統領と会談してはどうかという提案だ。 この段階で朝鮮の後ろ盾としてロシアと中国がついたわけだが、韓国もロシアと中国との関係を強化していく。東アジアはロシアと中国を中心に回転しはじめたのだ。 こうした流れは日本も巻き込んでいる。日本の有力企業でスキャンダルが明るみにでたことも無縁ではないだろう。アメリカの属国である日本だが、ビジネスはロシアや中国を抜きに成り立たない。
2019.08.19
ジブラルタル自治政府は拿捕していたイランの運行するタンカー「グレイス 1」の拘束を解いた。ジブラルタルは独自に選挙を行っているものの、イギリス領。首相はイギリス国王の代理人である総督が任命している。 拿捕はイギリス政府の意向で、船を制圧したのはイギリスの海兵隊だが、その拿捕をイギリス政府に要請、あるいは命令したのはアメリカの司法省だった。アメリカ政府は「グレイス 1」を解放しないように圧力をかけていたが、それを無視したわけだ。 このタンカー拿捕に合理的な理由はなく、海賊行為と言われても仕方がない。イランの報復を誘発し、それを口実にしてイランへの批判を展開、攻撃する理由にしようとしたとも見られている。 本ブログでは何度か指摘したように、アメリカ軍の幹部はイランへの軍事侵攻を嫌がっている。大義がなく、軍事的にイランの制圧は無理だということだ。アメリカ主導軍がイラクを先制攻撃する前にも統合参謀本部内では反対の超えた強かったが、イランを攻撃する困難さはイラクの比でない。 ただ、アメリカ軍の内部にも侵略に前向きの勢力も存在している。例えば中央軍や特殊作戦軍で、そうした対立を象徴する出来事が6月にあった。その月の17日と18日にヘンリー・キッシンジャーが国防総省を訪問したのに対し、17日には好戦派のマイク・ポンペオがフロリダのマクディル空軍基地で中央軍や特殊作戦軍の人間と会っているのだ。 「グレイス 1」が拿捕された後、ホルムズ海峡ではスコットランドのノーザン・マリーンが運行するタンカー、「ステナ・インペロ」がIRGC(イラン革命防衛隊)に拿捕された。国際的な海事規則に違反したことが理由だとしている。 アメリカ政府はホルムズ海峡を支配するため、各国に軍艦を護衛のために派遣するよう求めてきた。対イラン戦争へ引きずり込もうということだろうが、同調しているのはイギリスくらいだ。そのイギリスが今回、アメリカ政府の意向に逆らって拘束していたタンカーを解放した。 口先の脅しが通用しなくなったことから行動に移しているのだが、それによってアメリカの支配力の低下が明らかになっている。
2019.08.17

アメリカの情報機関による秘密工作において香港は重要な役割を果たしてきた。ロッキード事件でCIAの資金を動かす会社のひとつとして登場するディーク社の拠点も香港。ロッキード社の賄賂資金を日本の高官に運んでいたディーク社のロン・パルガーフレイムは麻薬資金をオーストラリアのナガン・ハンド銀行に運んでいたとも言われている。この銀行もCIAの金融機関だ。 ディーク社は1939年にニコラス・ディークによって設立された。表面的な仕事は為替取引や金の売買。第2次世界大戦中には戦時情報機関OSSが、大戦後は少なくとも1985年までCIAが使っている。1953年にCIAがイギリスのMI6と共同で実行したイランにおけるクーデターでも工作資金を動かしていた。 その香港は言うまでもなく中国の領土だった。それをイギリスは1840年から42年まで続いたアヘン戦争で手に入れたのである。香港割譲のほか、広州、厦門、福州、寧波、上海の開港とイギリス人の居住、賠償金やイギリス軍の遠征費用などの支払いなどを中国は認めさせられている。1856年から60年まで続いた第2次アヘン戦争では天津の開港や九龍半島の割譲を中国は受け入れざるをえなかった。 勿論、こうした都市を支配するだけでは稼げない。イギリスはこうした場所を略奪の拠点にしたのだ。 しかし、イギリスは港をコントロールするだけで満足しない。内陸部を支配し、甘い汁を吸おうと目論む。そのイギリスが長州や薩摩に肩入れし、その長州と薩摩を中心に作られた明治政府の軍事力増強に協力、金融面でも支援した理由は日本軍を自分たちの地上部隊として利用しようと考えたのではないだろうか。 つまり、ウクライナのネオ・ナチ、中東におけるサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団を中心とする傭兵と似た役割をさせようとしたのだろう。その思惑通り、日本は大陸への侵略を始める。 中国を含むアジア東部における侵略と略奪、麻薬取引を含む犯罪による稼ぎの処理などの仕事において香港は重要な役割を果たしてきたのだが、現在、香港で抗議活動を続けている人びとはアメリカやイギリスの政府機関と連絡をとりながら動いている。これまでの例から考えて、偵察衛星や通信傍受などで米英が得た情報は香港の反中国活動家へ流れているだろう。 黄之鋒(ジョシュア・ウォン)や羅冠聰(ネイサン・ロー)を含む反中国活動家がアメリカのジュリー・イーディー領事とJWマリオット・ホテルで会っているところを撮影されていることは本ブログでも伝えた。 正体がばれたわけだ。そうした反中国活動家はアメリカの国旗やイギリスの植民地であることを示す旗を掲げ、アメリカの国歌を歌っている。安倍晋三政権もこれほど露骨ではない。
2019.08.16
第2次世界大戦は日本の降伏で終わったことになっている。日本政府全権の重光葵と大本営(日本軍)全権の梅津美治郎がアメリカの軍艦ミズーリ号上で降伏文書に調印したのは1945年9月2日のことだった。 しかし、日本では8月15日が「終戦の日」ということになっている。昭和天皇(裕仁)が日本人向けの声明、いわゆる「終戦勅語」が放送された日だ。 これについて堀田善衛は「負けたとも降服したとも言わぬというのもそもそも不審であったが、これらの協力者(帝國ト共ニ 終始東亜ノ開放ニ協力セル諸盟邦=引用者注)に対して、遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス、という、この嫌みな二重否定、それきり」で、「その薄情さ加減、エゴイズム、それが若い私の軀にこたえた」と書いている。(堀田善衛著『上海にて』筑摩書房、1959年)日本軍への停戦命令が出たのはその翌日だ。 日本政府は「国体護持」にこだわったというが、1945年4月12日にフランクリン・ルーズベルト大統領が急死した段階で日本の国体、つまり天皇制官僚システムが維持されることは決定的になっていた。その死によってニューディール派は急速に弱体化、親ファシズムのウォール街が主導権を握ったからだ。 ルーズベルトは1933年3月から大統領を務めている。副大統領は1933年から41年までがジョン・ガーナー、41年から45年までがヘンリー・ウォーレス、そして45年がハリー・トルーマン。政治信条がルーズベルトに最も近かったのは大統領と同じニューディール派のウォーレスだろう。 このウォーレスは1944年4月9日付けのニューヨーク・タイムズ紙で、アメリカに対する最も大きなファシムズの脅威は戦争の後にやってくると主張している。ルーズベルトが初めて大統領に選ばれた直後、アメリカの巨大資本がニューディール派を排除してファシズム体制を樹立する計画を立てていたことを考えると、その懸念は理解できる。 そのクーデター計画はスメドリー・バトラー海兵隊退役少将が阻止、議会で計画の内容について明らかにしている。その当時は経済が不安定で、1939年に第2次世界大戦が始まると経済を支配している勢力を摘発することは困難になった。ルーズベルト政権の内部でファシズム派を摘発する動きが出てくるのは戦争の終結が近くなってからだ。 その頃、有権者に最も人気があったのはウォーレス。1944年に行われたギャロップの世論調査によると65%がウォーレスを支持、トルーマンは2%にすぎない。ウォーレスが次の大統領になれば、アメリカのファシズム勢力は粛清され、ドイツや日本のファシストも厳しく処罰される可能性が高かった。 そうした中、ウォーレスのスキャンダルが発覚、1945年3月に副大統領から商務長官へ格下げになる。その翌月に大統領が急死、ルーズベルトと意見が違ったトルーマンが大統領へ昇格し、5月にはドイツが降伏する。その直後にイギリスのウィンストン・チャーチル首相はアメリカ、イギリス、ドイツ、ポーランドでソ連を奇襲攻撃するアンシンカブル計画を立てたわけだ。 アメリカの巨大資本やその代理人はナチスの元高官らを逃がすためにラットラインを作る。そうした人びとをアメリカの国務省やCIAは雇うが、それはブラッドストーン作戦と名づけられた。ドイツの科学者やエンジニアを雇うペーパークリップ作戦もある。 その一方、日本では天皇制官僚システムが維持され、特別高等警察、思想検察、裁判官は戦後も要職に就く。戦争中に犯罪的なことを行った軍人でもアメリカにとって利用できる人たちは保護されている。 日本が降伏した24日後、哲学者の三木清が獄死した。疥癬という皮膚病の患者が使っていた毛布を三木にあてがい、意識的に病気を感染させ、不眠と栄養失調で死に至らしめた可能性が高い。その前日、ソ連のバチェスラフ・モロトフ外相は憲兵や警官など戦前の治安体制が存続していることを批判しているのだが、その通りだった。 この事件を調べていたロイターのR・リュベン記者は10月3日に山崎巌内相をインタビュー、その際に内相は特高警察の健在ぶりを強調し、天皇制に反対する人間は逮捕すると言い切っている。同じ日、岩田宙造法相は中央通訊社の宋徳和記者に対し、政治犯を釈放する意志のないことを明言した。 政治犯が釈放されるのは、ロイターのインタビューが記事になってから。その記事を受けてSCAP(連合軍最高司令官)のダグラス・マッカーサーが「政治、信教ならびに民権の自由に対する制限の撤廃、政治犯の釈放」を指令し、6日後の10月10日に政治犯は釈放されたのだ。 しかし、すでにアメリカの巨大資本はジャパン・ロビーと呼ばれるグループを編成、日本の天皇制官僚システムを再建することになる。冷戦が民主主義を潰したのではない。戦争で勝利したファシストが冷戦を生み出したのだ。
2019.08.15

香港国際空港が8月12日から数千人のグループに占拠され、旅客機の発着ができなくなったと伝えられている。11日にデモに参加した女性が負傷したことへの抗議が呼びかけられ、それだけの参加者が集まったのだという。そうした参加者の中にはアメリカの国旗を掲げ、国家を歌う参加者がいる。 アメリカやイギリスにとって香港は略奪の橋頭堡であり、情報機関が麻薬取引で儲けたカネを動かし、ロンダリングする拠点であり、地下経済と地上経済の通路でもある。米英両国の支配層が香港に執着している理由はそこにあり、その手先になることで個人的な利益を得ようとしている人もいるだろう。 空港占拠の直前、8月8日からツイッター上にアメリカのジュリー・イーディー領事が黄之鋒(ジョシュア・ウォン)や羅冠聰(ネイサン・ロー)を含む反中国運動の指導者たちと会っているところを撮影した写真がアップロードされている。JWマリオット・ホテルで撮影されたのだという。 イーディー本人によると、外交官としての赴任地はエルサレム、リヤド、ベイルート、バグダッド、台北、上海、ドーハ、そして香港。戦争地帯や秘密工作の拠点と言われる地域を移動している。そうしたこともあり、彼女はCIAの非公然オフィサーだと噂されている。 すでに本ブログでも指摘したことだが、今年の3月や5月には活動の指導者、例えば李柱銘(マーチン・リー)がアメリカを訪れ、マイク・ポンペオ国務長官やナンシー・ペロシ下院議長らと会談している。李柱銘は2014年9月から12月まで続いた「佔領行動(雨傘運動)」の際、ワシントンDCを訪問し、NEDで物資の提供や政治的な支援を要請していた人物だ。 そのほかの反中国派指導者には香港大学の戴耀廷(ベニー・タイ)副教授、陳日君(ジョセフ・ゼン)、黎智英(ジミー・ライ)が含まれ、余若薇(オードリー・ユー)や陳方安生(アンソン・チャン)も深く関与していた。黎智英はネオコンのポール・ウォルフォウィッツと親しいとも言われている。NEDはCIAの工作資金を流すための組織だ。 1989年には北京で学生による抗議活動があったが、その時のアメリカ大統領はCIAの非公然オフィサーだと言われていたジョージ・H・W・ブッシュ。そのブッシュは北京駐在大使として、大学時代からの友人でCIA高官のジェームズ・リリーを任命している。その時に反政府活動を指揮していたグループには方励之、柴玲、吾爾開希などが含まれていた。 この運動は鎮圧され、体制転覆に失敗する。指導部はCIAやイギリスの情報機関MI6が作っていたイエローバード作戦(黄雀行動)と呼ばれる逃走ルートで国外へ脱出させている。その際、中継地になったのが香港だ。そこからフランスを経由してアメリカへ逃れた。 香港の抗議活動はアメリカやイギリスに操られていることは間違いないだろうが、両国の影響力は世界的に低下している。東アジアも例外ではない。 そのアメリカで外交を担当するマイク・ポンペオ国務長官は8月1日から3日にかけてタイのバンコックを訪問、ASEANの外相会談に出席した。そこで中露の代表とも会ったようだが、成果なくタイを離れている。アメリカは各国から相手にされなくなっている。少なくとも特別な存在ではなくなった。 現在、アメリカ政府は大きな問題を抱えている。例えばイランとの対立、中国との経済戦争、ロシアとの間で高まる軍事的な緊張、朝鮮問題だが、いずれも仕掛けたのはアメリカ。こうした問題の背景にはアメリカ帝国の衰退があるのだが、その原因はドル体制の崩壊にある。 アメリカの支配層は1980年代に中国やソ連の資本主義化を目論んだ。中国は鄧小平が1980年に新自由主義を導入、ソ連では欧米信者のミハイル・ゴルバチョフが実権を握った。 しかし、中国では1980年代の半ばに新自由主義が生み出す社会の歪みが深刻化して軌道修正が図られ、ゴルバチョフは新自由主義の導入に難色を示す。 軌道修正に起こったアメリカは中国で反政府運動を煽り、天安門広場での大規模な抗議活動につながるのだが、体制転覆には失敗した。それに対してソ連ではKGBがCIAと手を組み、ゴルバチョフを排除して米英の傀儡であるボリス・エリツィンに実権を握らせることに成功。そのエリツィンが1991年12月にソ連を消滅させた。 この段階でアメリカの支配層は自国が唯一の超大国になったと認識、他国に気兼ねすることなく単独で行動できるようになったと考えた。そして国防総省のDPG草案という形で世界制覇プランが作成される。その中心がポール・ウォルフォウィッツ国防次官(当時)だったことからウォルフォウィッツ・ドクトリンとも呼ばれている。 そのドクトリンはソ連が消滅して米英の属国になり、中国の若手エリートはアメリカに洗脳されたという前提で成り立っている。その前提が21世紀に入り、ウラジミル・プーチンを中心とする勢力によるロシアの再独立で揺らぎ始めるのだ。 米英は2014年にネオ・ナチを使い、ウクライナでクーデターを成功させたが、これが裏目に出た。当初の計画ではウクライナを制圧することでEUとロシアを分断、ロシアからEUという巨大マーケットを奪うことで経済破綻させるつもりだったのだが、EUとロシアを分断できず、ロシアと中国を結びつけることになった。カネ儲けしか考えていない中国のエリートがアメリカを離れてロシアにつくとは思っていなかったようだ。 中国とロシアを再属国化するためにアメリカの支配層はもがいているが、香港の出来事もそうしたもがきのひとつと言えるだろう。 しかし、香港での工作もアメリカの思惑通りには進んでいないように見える。空港の占拠は抗議活動のパワー不足を補うために考えられたのだろう。現在の動員力では街を舞台にした行動ではインパクトがないため、さほど広くなく、社会への影響がある空間として空港が選ばれたのではないかということ。 ところで、エマニュエル・マクロン政権の労働者を敵視する政策に対する反発で2018年11月からフランスで始まった抗議活動の「黄色いベスト」を政府は暴力的に鎮圧、10名以上の死者と多くの負傷者が出ている。1万人近くが逮捕されたとも言われている。沖縄の基地問題を無視する西側の有力メディアにとって、この抗議活動は香港ほどのニュース価値はないようだ。
2019.08.14
韓国の産業通商資源省は日本をホワイト・リストから除外すると8月12日に発表した。9月から実施する方針だという。同省の成允模大臣によると、「国際的な輸出管理の原則」に沿った輸出管理制度の運用を行っていない国を分類する新しいカテゴリーを創設、日本をそのカテゴリーに振り分ける。 この決定が日本政府の決定に対する対抗措置、あるいは意思表示であることは間違いないだろう。安倍晋三政権は7月1日に韓国をホワイト・リストから外すと発表、韓国に対する半導体の製造に必要な材料の輸出規制を強化を打ち出した。こうした政策を安倍首相が打ち出したのは徴用工の問題が原因だと言われている。 徴用工とは、日本に支配されていた中国や朝鮮で第2次世界大戦中に日本企業で強制的に働かされていた人びと。日本では1938年に国家総動員法が制定され、翌年に公布された国民徴用令によって厚生大臣は強制的に人員を徴用できるようになっていた。この仕組みを国外で外国人に適用したことから問題になっているのだ。 韓国の場合、安倍政権は朴正熙政権下の1965年のに結ばれた日韓請求権協定でこの問題は「完全かつ最終的に解決している」としているが、韓国の大法院(最高裁)は個人の請求権については未解決と判断した。 実は、日本の外務省も日韓両国が国家として持っている外交保護権を相互に放棄したということであり、個人の請求権そのものを消滅させたものではないと国会でこの協定について説明してきた。安倍政権の主張に説得力はない。韓国政府を攻撃するために徴用工の問題を利用しているにすぎないのではないか。 訴えられた日本企業も今回のような判決が出ることは予想できたはずで、実際、和解の姿勢を見せていた。判決の問題だけでなく、今後のビジネスを考えてもそれが得策だからだ。 ところが、2013年7月にソウル高裁が新日鉄住金に賠償を命じた後に同社が判決を受け入れるかどうかを検討し始めると、安倍政権は判決を受け入れないようにと圧力をかけたと報じられている。主導したのは菅義偉官房長官らだという。 日本が韓国にとって重要なビジネス相手国だということは事実だが、その一方で韓国が中国やロシアとの関係を強めていることも事実。アメリカやイギリスにとって日本や韓国は東アジア侵略の拠点であり、戦争の危険性がつきまとう。 朝鮮半島では1950年6月から53年7月にかけて戦争があり、破壊と殺戮の場となった。その間、アメリカ軍は大規模な空爆を実施、SAC(戦略空軍総司令部)の司令官だったカーチス・ルメイによると、朝鮮の人口の20%を殺している。実際はそれ以上だろう。次の戦争における被害はこれを大幅に上回る可能性が高い。 ちなみに、この戦争で投下された爆弾は約63万5000トンだと言われているが、大戦中にアメリカ軍が日本へ投下した量は約16万トンにすぎない。 かなり前からアメリカや日本は「第2朝鮮戦争」を想定しているが、これは韓国人も朝鮮人も受け入れがたい。攻撃用兵器に転用できる防空システムのTHAAD(終末高高度地域防衛)ミサイル・システムの持ち込みは「右」と見られていた朴槿恵政権が嫌がっていた理由もそこにある。実際に持ち込まれたのは朴槿恵がスキャンダルで機能不全になっていたときだ。 朴槿恵が失脚する直前、国軍機務司令部が戒厳令を計画、合同参謀本部議長の命令ではなく陸軍参謀総長の指示で陸軍を動かそうとしていたと伝えられている。権限を持たない国軍機務司令部が戒厳令を計画したとする話が事実なら、これはクーデター計画にほかならない。韓国人の意思をクーデター政権で押し潰してしまおうとしたのかもしれない。その韓国軍は日本が韓国に圧力を加えるタイミングでアメリカ軍との軍事演習を計画した。 一方、ロシアのウラジミル・プーチン政権は東アジアでの交易を盛んにすることで地域の安定を図り、アメリカの影響力を排除しようとしてきた。 例えば、2011年夏にはドミトリ・メドベージェフ首相がシベリアで朝鮮の最高指導者だった金正日と会い、110億ドル近くあったソ連時代の負債の90%を棒引きにし、鉱物資源の開発などに10億ドルを投資すると提案している。 朝鮮がロシアのプランに同意すれば、シベリア横断鉄道を延長させ、朝鮮半島を縦断、釜山までつなげることが可能。鉄道と並行してパイプラインの建設も想定されていたはずだ。 このプランを金正日は受け入れるのだが、その年の12月に急死してしまう。2011年12月17日に列車で移動中に車内で急性心筋梗塞を起こして死亡したと朝鮮の国営メディアは19日に伝えているが、韓国の情報機関であるNIS(国家情報院)の元世勲院長(2009年~13年)は暗殺説を唱えている。元院長によると、総書記が乗った列車はそのとき、平壌の竜城駅に停車中だった。 その後、ロシアの提案に進展はなく、ミサイル発射や核兵器開発の問題で情況は悪化していく。そうした情況を一気に変化させたのが2018年4月の文在寅韓国大統領と金正恩朝鮮労働党委員長の会談だった。 その1年前、つまり2017年4月にアメリカ軍はシリアのシャイラット空軍基地に対し、地中海に配備されていたアメリカ海軍の2駆逐艦、ポーターとロスから巡航ミサイル(トマホーク)59機で攻撃した。アメリカはそれでロシアやシリアを震え上がらせるつもりだったのだろうが、ミサイルの6割が無力化されてしまい、ロシア製防空システムの高い能力を宣伝することになった。 その1年後、2018年4月には100機以上の巡航ミサイルをアメリカ軍、イギリス軍、フランス軍がシリアに対して発射したものの、今度は7割が無力化されている。アメリカ側は発射ミサイル数を倍増させ、それ以外にも対策を練ったのだろうが、ロシア側も対策を練っていた。最も大きかったのは短距離用の防空システムのパーンツィリ-S1の配備だと言われている。 この2度のアメリカ軍による攻撃の失敗は朝鮮の金正恩体制兵も少なからぬ影響を及ぼしただろう。かつてアメリカを「張り子の虎」と表現した人がいたが、そう考える人が増えているようだ。おそらく、朝鮮政府はアメリカ軍を恐れていないだろう。 現在、ロシア政府のプランは中国のBRI(帯路構想)と結びついている。こうしたロシアと中国のプランを潰すため、海で軍事的な緊張を高め、陸路を潰すためにサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団を中心とする傭兵が投入されている。そのターゲットには勿論、新疆ウイグル自治区も含まれている。
2019.08.13
有力者に未成年の男女を提供していた容疑で逮捕され、留置されていたジェフリー・エプシュタインが8月10日に「自殺」したと報道されている。自分の隠したい秘密を握る人物の死で秘密が守れたと安堵の胸をなで下ろしている有力者は少なくないだろう。有力者にとって好都合な死だったわけだ。何者かが口封じしたのではないかと疑っている人も少なくない。 エプシュタインは7月6日に逮捕されたが、看守や何人かの収容者に対し、何者かが自分を殺そうとしていると語っていたという。裁判が終わるまで彼は生きていられないのではないかと推測する人もいたが、本人もそう考えていたのかもしれない。 収監されていた人物、自らに死の危険が迫っていることを口にしていた人物もいる。そのひとりがジョン・F・ケネディ大統領を暗殺したとされたリー・ハーベイ・オズワルドを射殺したとされているジャック・ルビーだ。 ルビーは1964年4月に死刑が宣告されたが、上訴裁判所はそれを取り消している。その年の6月にウォーレン委員会のメンバーとダラスで面談したルビーはテキサスにいては命が危ないという理由でワシントンDCへ移すように強く求めている。 自分は真実を話す用意があるが、テキサスでは無理だとしていたのだが、結局、ワシントンDCへの移送は認められない。そして1967年1月にパークランド病院でガンのために55歳で死亡したとされている。 一方、エプシュタインは死んでいないと主張する人もいる。この人物が病院へ運び込まれた際の写真が存在するのだが、その顔が死人にしては不自然だというのだ。 確かに、エプシュタインが死んだことを示す証拠は明らかになっていない。死んだときの様子も不明だ。エプシュタインに法廷で証言させないためなら、救出してどこかへ隠してもかまわない。
2019.08.12
ジェフリー・エプシュタインが8月10日に独房内で「自殺」した。7月23日には「ほぼ意識をなくし」て倒れているところを発見されているが、今回は手遅れ。「自殺」を試みた人物に対する監視は厳しくなるはずだが、そうした様子は窺えない。ニューヨーク・タイムズ紙は午前7時30分頃に首をつった彼の死体が発見されたとしているが、7時30分に病院へ運び込まれるエプシュタインが目撃され、消防署へ心停止の通報があったのは午前6時38分とする証言もある。死亡した状況が不明確だ。その前日、裁判所は事件に関する2000ページの文書を公表していた。 エプシュタインが未成年の女性を有力者へ性的な目的で提供していることが明るみに出はじめたのは2005年3月。2008年6月に彼は有罪を認めて懲役18カ月を言い渡されているが、州刑務所ではなく郡の営巣へ入れられ、しかも3カ月半で週に6日間は1日12時間、外へ出ることが許されている。処罰は寛大で、待遇は特別だったわけだ。 事件を地方検事として担当したアレキサンダー・アコスタはエプシュタインについて、「情報機関に所属している」ので放っておけと言われたとしている。なお、アコスタはドナルド・トランプ政権で労働長官を務めていたが、今回の件が浮上すると辞任している。 確かにエプシュタインの背後には情報機関や治安機関の影がちらつく。例えば、彼の妻だったギスレイン・マクスウェルの父親はミラー・グループを率いていたロバート・マクスウェル。この人物は1960年代からイスラエルの情報機関であるモサドのエージェントだったとも言われている。このロバートは1991年11月、カナリア諸島沖で死体となって発見された。その翌月にボリス・エリツィンはソ連を消滅させたが、その工作に絡んでマクスウェルはCIAとKGBを脅していたとも言われている。 エプシュタインが運営していた小児性愛のネットワークは有力者へのサービスであると同時に、有力者を脅す材料を集めるという目的があった。顧客の様子は全て音声や映像で記録されていたというのだ。 そうした顧客のリストをエプシュタインの自宅から2009年に持ち出した人物がいる。その人物によると、リストは「小児性愛ネットワーク」を解き明かすもの。それが事実なら、アル・カポネ時代のシカゴと基本構造は同じ。この問題は西側の恐喝による支配システムを明らかにする突破口になる。 今回は厳しい処罰が予想されていたエプシュタインは有罪を認めず、そのリストを反撃の材料に使おうとしていたと言われている。すでに不適切な行為を強制されたと主張している女性から何人かの有力者の名前が明らかにされているが、エプシュタインが全体像を口にしたなら、アメリカやイギリスのエリートはパニックに陥る可能性がある。そうした顧客の中に日本人や中国人が含まれていても驚かない。 本ブログではすでに書いたことだが、小児性愛の問題はイラクを先制攻撃したアメリカ主導軍にも波及する。占領地ではそうしたことが行われていたというのだ。そうした事実を隠蔽、あるいは自身も参加していたひとりだと噂されたいるのがデイビッド・ペトレイアス。その当時、彼は第101空挺師団の司令官だった。 これも本ブログで紹介済みだが、エプシュタインの恐喝人脈はロイ・コーンという弁護士につながる。この人物はドナルド・トランプの顧問弁護士を務め、ジョセフ・マッカーシー上院議員の顧問だった。マッカーシーとの関係でFBIの長官だったJ・エドガー・フーバにもつながる。 そのコーンと親しくしていた密造酒業者で後に大手酒造メーカーを経営するルイス・ローゼンスティールもスキャンダルで有力者を脅していたと言われている。その同業者だったサミュエル・ブロンフマンもこの人脈に含まれ、これには犯罪組織やCIAも関係する。ローゼンシュタインに対し、アメリカで酒の販売が合法になる準備をするよう、1922年にアドバイスしたのがウィンストン・チャーチルだとされている。 エプシュタインの「自殺」で胸をなで下ろしたエリートは少なくないだろうが、流れている情報が正しいなら、恐喝の構造は残る。そうしたエリートに支配されている庶民にとっても重大な問題だ。
2019.08.11
森友学園への国有地売却をめぐる背任や決裁文書改竄の問題で改竄を指示した佐川宣寿前国税庁長官を含む財務省関係者全員を不起訴にした大阪地検の決定を大阪第一検察審査会は不当だと判断し、それを受けて検察側は再捜査していたが、再び不起訴にした。この件で文書の300カ所以上が改竄されていたのだが、そうした行為は起訴するに値しないと日本の検察は考えているわけだ。 元検事の郷原信郎は、「今回の『書き換え』は基本的に『一部記述の削除』に過ぎず、一部の文言や交渉経緯等が削除されたことによって、国有地売却に関する決裁文書が、事実に反する内容の文書になったと認められなければ『虚偽公文書の作成』とは言えないとの理由で、虚偽公文書作成罪で起訴される可能性は高くない」としていた。(「財務省決裁文書改ざんが起訴できない“本当の理由”」郷原信郎が斬る、2018年6月4日) 「一部の文言や交渉経緯等」の「一部」がどの程度まで許されるのかは微妙な話で、「忖度」の対象になる。 郷原は陸山会事件における虚偽捜査報告書の作成で最高検察庁は虚偽有印公文書作成罪で告発されていた当時の検事と特捜部長を不起訴にしていることも指摘している。 その検事は懲戒処分を受けて辞職したが、特捜部長だった佐久間達哉は前橋地検検事正、千葉地検検事正、そして2016年には法務総合研究所の所長に就任している。また、この事件を不起訴にした当時の最高検主任検事の長谷川充弘は広島高検検事長を務めた後、証券取引等監視委員会の委員長のポストに就いた。 こうしたことをしてきた検察が財務省の関係者を起訴できないだろうと郷原は見ていたのだが、その通りの展開になった。 決裁文書改竄の件を「なかったことにする」ことは検察当局が最初から決めていたことで、そのため近畿財務局を家宅捜索することもなかったと言われている。この決定をした人物として指摘されているのは法務省の事務次官だった黒川弘務だという。 背任で近畿財務局の担当職員を起訴するためには「自己や第三者の利益を図る目的で損害を与えた」ことを立証する必要があり、それができなければ背任容疑で刑事責任を追及できないとも郷原は指摘、不起訴を正当化するために検察は森友学園の前理事長とその妻を悪者にし、近畿財務局を被害者であるというイメージを作ろうとしていると推測していた。 検察は裁判所や警察と同じように支配体制を維持するための組織である。その支配体制とは天皇制官僚システムだが、それをコントロールしているのはアメリカの支配者たちだ。 以前にも本ブログで書いたことだが、それを象徴する出来事が田中角栄のケース。第2次世界大戦後、日本で最も大きな力を持っていた政治家は田中だろうが、その田中はロッキード事件で葬り去られている。 おそらく最初に田中角栄逮捕が決まったと書いたのはアメリカのニューズレター。そこに掲載された記事を見た某ジャーナリストが田中にその事実を知らせた際、警察も検察もおさえているので大丈夫だと本人から言われたという。が、実際は逮捕された。 一方、本当のロッキード事件は軍用機に絡むもので、その最重要容疑者は別の政治家だとする見方がある。警察はその政治家の逮捕令状をとっていたのだが、重要証人が急死したので逮捕は見送られたとする話が警視庁の内部から漏れていた。 山口敬之元TBSワシントン支局長と親しいという安倍晋三首相の周辺からは、さまざまなスキャンダルの存在が伝えられているが、摘発されていない。そうしたスキャンダルを具体的に指摘している人物もいる。 山口のケースでは高輪署が山口の逮捕状を取り、2015年6月8日に成田空港でアメリカから帰国する山口を逮捕する手はずになっていたのだが、デイリー新潮によると、担当の警部補とその上司を含めた複数の警察官が成田空港で被疑者となる人物を逮捕すべく待ち構えていたところ、上層部から「山口逮捕は取りやめ!」と命令された。 この件に関して取材していた週刊新潮に対し、警視庁刑事部長だった中村格は山口を逮捕する必要なしと「私が判断した」と語ったという。中村は2012年12月から菅義偉内閣官房長官の秘書官を務めた人物だが、山口を守った勢力は太平洋の向こう側にいるのではないだろうか。その海の向こう側ではジェフリー・エプシュタインのスキャンダルが摘発され、長年にわたる恐喝政治の実態も語られている。日本の宗主国では権力の腐敗が限界に近づいているのだろう。
2019.08.10
アメリカ陸軍航空軍に所属していたB-29爆撃機「ボックスカー」が「ファット・マン」と名づけられた原爆を長崎へを投下したのは1945年8月9日のことだった。 爆心地から500メートルほどの地点にあったカトリック教会の浦上天主堂は破壊され、その惨状は核兵器が何をもたらすかを人類に警告しているようにも見えた。 この廃墟を破壊する作業は1958年3月から日本人の手によって始められている。議会の決定に反して廃墟の破壊を決めたのは長崎市長の田川務だ。 アメリカは今でもピューリタンの影響を強く受けている国である。その始まりは1620年にメイフラワー号でアメリカへ渡った「ピルグリム(巡礼者)・ファーザーズ」だ。この信者たちは北アメリカで「新イスラエル」を建設するつもりだったとも言われている。 ヨーロッパからアメリカ大陸への本格的な移民が始まるのはクリストファー・コロンブスがカリブ海に現れた1492年より後のこと。その当時、北アメリカには100万人とも1800万人とも言われる先住民が住んでいたと推測されている。 移民は先住民の虐殺をともなうもので、1890年にウーンデッド・ニー・クリークで先住民の女性や子供が騎兵隊に虐殺された時には約25万人に減少していた。 ピューリタンはヨーロッパでも人びとを虐殺している。その指揮官として知られているのがオリバー・クロムウェル。国王だったチャールズ1世を処刑して「ピューリタン革命」を成功させた後、小農民や職人層が支持していた水平派を弾圧し、同時にアイルランドやスコットランドを侵略して多くの住民を殺している。この歴史を抜きに現在のアイルランドやスコットランドの問題を議論することはできない。 クロムウェルの侵略を受ける前、1641年におけるアイルランドの人口は147万人だったが、侵略された後の52年には62万人に減少していた。50万人以上は殺されたのだが、残りは「年季奉公」や「召使い」という名目で売られたと言われている。奴隷を人種の問題だと考えると、こうしたことが見えなくなる。 ピューリタンに殺されたキリスト教徒の多くはカトリック教徒であり、そのカトリックにおける最高位の聖職者が教皇。長崎に原爆が投下された当時のローマ教皇はピウス12世だ。 この人物はアレン・ダレスと緊密な関係にあった。言うまでもないだろうが、ダレスはウォール街の大物弁護士で、第2次世界大戦の際にはアメリカの戦時情報機関OSSの幹部として活動、大戦後はその肩書きに関係なく、情報活動のトップと見なされていた。ピウス12世とダレスの関係は1958年10月にピウス12世が死亡するまで続く。 アメリカの情報機関と緊密な関係にあったことではパウロ6世も有名。1963年6月から78年8月まで教皇の座にあった。その後に教皇となったヨハネ・パウロ1世はそうした関係に否定的で、CIAとの関係が深い秘密結社P2のメンバーを処分する決断をしていたと言われているが、在位33日で急死している。 その後のヨハネ・パウロ2世はポーランド出身で、アメリカの東欧工作に協力していたことがわかっている。その際、CIAの工作資金がバチカン銀行を経由してポーランドの反体制労組「連帯」へ流されていたことも判明している。その送金が法律に違反していたことから金融スキャンダルに発展、少なからぬ関係者が死亡している。 教皇ではないが、ニューヨークの枢機卿だったフランシス・スペルマンとCIAとの関係も有名。その高弟だった言われているのが大戦後に日本で暗躍していたブルーノ・ビッター。日本カトリック教団本部四谷教会の責任者だった。 月刊誌「真相」の1954年4月号によると、ビッターは地下資金に関係していた。1953年秋に来日したリチャード・ニクソンは大使館公邸でバンク・オブ・アメリカ東京支店の副支店長とビッターに会い、「厳重な帳簿検査と細かい工作指示を与えた」と言われている。 ニクソンは1953年1月から副大統領を務めた。その当時、40歳になったばかり。その若さで副大統領に選ばれたのは闇資金をドワイト・アイゼンハワーに提供したからだと言われている。アメリカでは企業のヤミ献金だとされているが、真相誌はアメリカが押収した旧日本軍の略奪財宝が原資だとしている。 その会談から2カ月後、ビッターは霊友会の闇ドル事件にからんで逮捕されてしまう。外遊した同会の小谷喜美会長に対し、法律に違反して5000ドルを仲介した容疑だった。 金額は大きくないが、その背景には闇資金に関係したシステムが存在、それが浮上することを恐れた何者かが動き、押収された書類はふたりのアメリカ人によって警視庁から持ち去られてしまう。そして闇ドルに関する捜査は打ち切りになった。秘密裏に犬養健法相が指揮権を発動したと言われている。 そのビッターは靖国神社の存続でも大きな役割を演じたとされている。朝日ソノラマから出された『マッカーサーの涙/ブルーノ・ビッテル神父にきく』によると、GHQ/SCAP(連合国軍最高司令官総司令部)では、多数派の将校が靖国神社の焼却を主張していたのだが、それをビッターの働きかけで阻止したというのだ。靖国神社はCIAと関係が深いと言われている。
2019.08.09
シリアの地中海側、ラタキアにあるロシア軍のフメイミム空軍基地をアル・カイダ系武装グループが非武装地帯からロケット弾で攻撃、基地には届かなかったものの、周辺の住宅に被害が出たようだ。こうした武装勢力は戦闘を漸減させるために設定された地域から撤退しないと宣言、それに対して政府軍とロシア軍は停戦合意に違反する行為が続くなら攻撃を再開するとしている。 現在、シリア政府軍と戦っている部隊は当初、統一されていた。アメリカ、サウジアラビア、イスラエルの3国同盟、イギリスとフランスのサイクス・ピコ協定コンビ、アメリカ、イギリス、フランスと軍事的に結びついているカタール、オスマン帝国の復活を妄想していたトルコなどがシリア侵略に参加、サラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)を中心とする戦闘員が傭兵として投入されてきた。 2011年3月に侵略を始めてから傭兵部隊はアメリカ/NATOの偵察衛星や哨戒機からの情報で政府軍の動きを把握、そうした情報を持たない政府軍を劣勢に立っていた。そうした情況を撃劇に変化させたのが2015年9月のロシア軍介入。シリア政府の要請に基づくものだ。戦闘の過程でロシア軍の強さを明らかにすることにもなった。 その結果、ダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国などとも表記)の支配地域は急速に縮小、その過程でトルコはロシアへ接近する。カタールも侵略勢力と一線を画している。 現在、傭兵部隊がいるのはシリア西部のイドリブ、シリアのダマスカスとイラクのバグダッドを結ぶ幹線の途中にある要衝のアル・タンフ。ここにはアメリカ軍が基地を勝手に建設、イギリス軍の特殊部隊も駐留し、傭兵の訓練も行われていると伝えられている。 ロシア軍が介入するまでダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国などとも表記)が支配していたユーフラテス川の北側の地域はアメリカ軍がクルド軍を使って占領している。トルコがアメリカから離れた最大の理由は戦争が長引いてトルコ経済が苦境に陥ったことにあるが、アメリカがクルドと手を組んだことも理由のひとつだ。アメリカ軍はデリゾールいを含むユーフラテス川沿いの地帯を死守する姿勢を見せているが、その理由は油田にある。 侵略勢力とは傭兵の雇い主でもあり、雇い主の分裂は傭兵部隊の分裂につながった。イドリブにはトルコとの関係の強い戦闘集団がいるのだが、撤退する様子は見せていない。クルド軍との戦闘を想定しているのかもしれないが、情況によってはイドリブに対する本格的な攻撃が始まるかもしれない。 一方、クルド側にもシリア政府との話し合いを進めている勢力もあると言われ、イラクと同じようにクルドがシリア政府軍と手を組む可能性もある。
2019.08.08
通常兵器で勝てないことが明確になったアメリカの一部支配層は先制核攻撃で脅そうとする。バラク・オバマはその手先として働き、その後継者として出てきたのがヒラリー・クリントンである。2016年のアメリカ大統領選挙でそのクリントンをロシアとの関係修復を訴えたドナルド・トランプが破った。 しかし、そのトランプの政策は大統領就任の直後に破綻してしまう。国際問題を彼にアドバイスし、安全保障補佐官に任命されていたマイケル・フリン前DIA局長が2017年2月に解任されてしまったのである。この段階でトランプの敗北は決定的である。 ソ連が消滅した直後、国防総省のDPG草案という形でネオコンは世界制覇プランを打ち出した。国防次官だったポール・ウォルフォウィッツが作成の中心だったことからウォルフォウィッツ・ドクトリンとも呼ばれている。潜在的なライバルの第1番手は中国と考えたか彼らは東アジア重視を打ち出した。 しかし、アメリカの支配層は中国人を見くびっていた。すでに1980年代から新自由主義を導入、1980年代の後半に経済政策を軌道修正したが、新自由主義を放棄することはない。中国の幹部は子どもをアメリカへ留学させていたので、その子どもをアメリカの支配層は洗脳、自分たちの手先にする作業を続けてきた。ジェフリー・エプシュタインのケースを見ても推測できるように、そうした留学生の少なからぬ部分は罠にかかり、弱みを握られているだろう。中国は自分たちのコントロール下にあると考えていたようだ。 そうした中、バラク・オバマ政権は2013年後半から14年2月にかけてクーデターを実行した。その時の主力がネオ・ナチ。ウクライナを属国化してEUとロシアを分断、ロシアからEUというマーケットを奪い、経済破綻させようとしたわけだ。 その際、アメリカの支配層は中国の存在を考慮していなかった。中国人は支配構造に興味がなく、カネ儲けさせておけば何でも受け入れるとアメリカの支配層は思い込んでいたと言う人もいる。 しかし、そうした展開にはならなかった。すでにロシアと中国は戦略的な同盟関係にある。長年、アメリカの支配層が避けようとしていた情況を自らが作り出してい待ったのである。 ポーランドやルーマニアと同じように日本へもイージス・アショアが配備される。防空システムだが、すぐに攻撃用システムへ変身できると指摘されている。韓国へはTHAAD(終末高高度地域防衛)が持ち込まれた。ヨーロッパには中距離核ミサイルも配備されていくだろう。核兵器による奇襲攻撃の準備だと見られても仕方がないだろう。 当然、ロシアや中国は対抗措置をとる。アメリカは1950年代からソ連に対する先制核攻撃を計画した。1957年に作成されたドロップショット作戦は具体的なもので、ICBMの準備が整い、ソ連側が準備できていないであろう1963年に実行されることになっていたと言われている。それを阻止したジョン・F・ケネディ大統領は1963年11月に暗殺された。 その際、ソ連はアメリカのICBMに対抗するため、中距離ミサイルをキューバへ配備しようとする。アメリカがキューバ侵略を試みた理由のひとつもここにある。ソ連が中距離ミサイルで対抗することはアメリカ側も予想していただろう。 アメリカがヨーロッパへ中距離ミサイルを配備した場合、ロシアも対抗して配備すると言われている。その場所はカリブ海やラテン・アメリカになる可能性がある。(了)
2019.08.07
アメリカのドナルド・トランプ大統領はINF(中距離核戦力全廃条約)を破棄すると昨年(2018年)10月に表明、今年2月にロシアへ破棄を通告し、8月2日に失効した。それを受け、ロシアも条約義務の履行を停止している。 少なからぬ人が指摘しているように、アメリカがINFを廃棄した最大の理由はロシアに対する先制攻撃の恫喝。戦争が始まればEUも戦場になり、そこに存在している国々は消滅すると見られている。そのEUからアメリカの属国と化しているイギリスは離脱しようとしている。 ロッキード社(現在はロッキード・マーチン)でトライデント(潜水艦発射弾道ミサイル)の設計主任をしていたロバート・オルドリッジは自分の仕事が先制第1撃を目的にしていると考えていたが、遅くとも第2次世界大戦の直後からこれはアメリカの一貫した方針である。自分たちが圧勝できると考えた時点でその方針が前面に出てくる。 1991年12月にソ連が消滅した際、ネオコンはアメリカが唯一の超大国になったと認識、単独で行動することができるようになったと考え、国連も無視するようになった。残されたアメリカへの従属度の低い体制を軍事力で潰していくことにしたわけだ。まず旧ソ連圏の国々、ついでイラク、シリア、イランが想定されていた。 ところが、21世紀に入り、彼らの想定していなかったことが起こる。ウラジミル・プーチンを中心とする勢力がロシアを不十分ながら再独立させたのだ。 それでもボリス・エリツィン時代にロシアは破壊され、敵ではないとアメリカ側は考えた。そうした見方を論文という形で発表したのがキアー・リーバーとダリル・プレスだ。 フォーリン・アフェアーズ誌の2006年3/4月号に掲載されたふたりの論文は、アメリカが近いうちにロシアと中国の長距離核兵器を先制第1撃で破壊する能力を持てると主張している。ロシアや中国と全面核戦争になっても圧勝できると信じているのだ。両国を甘く見ていた。 その判断が間違っていることはすぐに判明する。2008年8月に北京で夏季オリンピックが開催されているが、その開幕に合わせてジョージア軍が南オセチアを奇襲攻撃、ロシア軍の反撃で粉砕されてしまったのである。 この攻撃を「無謀だった」と後講釈する人もいたが、2001年からイスラエルの軍事会社はジョージアへ武器を提供、それと同時に軍事訓練を行ってきた。これはイスラエル政府の政策だ。それと同時にアメリカからも支援があった。 それだけでなくジョージアはイスラエル軍に基地を貸していた。その基地もロシア軍は攻撃、そこへ航空機を着陸させてジョージア軍を攻撃したという。(Thierry Meyssan, “Before Our Very Eyes,” Progressive Press, 2019) その後、ロシア軍の強さはシリアでの戦闘でも確認された。巡航ミサイル、防空システム、電子戦、いずれもアメリカを上回る性能があることが確認されたのである。これを見た各国はアメリカを以前のようには恐れなくなった。そうした国のひとつが朝鮮だろう。(つづく)
2019.08.07
香港で大規模な抗議活動が続いているが、その背後でアメリカとイギリスが蠢いていることは本ブログでも指摘してきた。前にも書いたように、3月や5月には活動の指導者、例えば李柱銘(マーチン・リー)がアメリカを訪れ、マイク・ポンペオ国務長官やナンシー・ペロシ下院議長らと会談している。 2014年9月から12月まで続いた「佔領行動(雨傘運動)」の際、李柱銘はワシントンDCを訪問、NEDで物資の提供や政治的な支援を要請している。そのほかの指導者には香港大学の戴耀廷(ベニー・タイ)副教授、陳日君(ジョセフ・ゼン)、黎智英(ジミー・ライ)が含まれ、余若薇(オードリー・ユー)や陳方安生(アンソン・チャン)も深く関与していた。黎智英はネオコンのポール・ウォルフォウィッツと親しいとも言われている。NEDはCIAの工作資金を流すための組織だ。 中国政府が新自由主義路線を修正しようとしていた1989年に学生による抗議活動があった。その背景として同年1月にアメリカ大統領となったジョージ・H・W・ブッシュの存在を忘れることはできない。 この人物はジェラルド・フォード政権の時代、1976年から77年にかけてCIA長官を務めている。同政権のデタント派追放の一環でウィリアム・コルビーがCIA長官を解任されたことにともなうものだ。 当時、ブッシュを情報活動の素人だとする人が少なくなかったが、実際はエール大学時代にCIAからリクルートされていた可能性が高い。その辺の事情は本ブログでも説明した。 ブッシュが親しくしていたCIA高官のジェームズ・リリーもエール大学の出身。そのリリーをブッシュは1989年4月に中国駐在大使に据える。 ちなみに、その前任大使であるウィンストン・ロードもエール大学の出身で、3人とも学生の秘密結社スカル・アンド・ボーンズのメンバーだったと言われている。 リリーが大使に就任する5日前に胡耀邦が死亡、それを切っ掛けにして天安門広場で大規模な抗議活動が始まる。その活動には投機家のジョージ・ソロスから中国改革開放基金などを通して資金が流れ込み、リリーをはじめとするCIA人脈が関係していたことがわかっている。 そうした活動の指導グループには方励之、柴玲、吾爾開希などが含まれていたが、こうした人びとは抗議活動が沈静化した後、イエローバード作戦(黄雀行動)と呼ばれる逃走ルートを使って国外へ脱出している。 その際、中継地になったのが香港。そこからフランスを経由してアメリカへ逃れた。このルートを運営していたのはアメリカのCIAとイギリスのSIS(通称MI6)だ。1989年の抗議活動から今回の香港での活動まで、その主体は基本的に変化していない。 今回の抗議活動で隠れた形になっているが、アヘン戦争の象徴的な存在でもあるHSBC(香港上海銀行)のCEOだったジョン・フリントが解任され、約4000名が解雇されるという。理由は不明である。 香港の混乱の背景には中国と米英の対立があるわけだが、アメリカは中国に対して経済戦争を仕掛けてきた。それに対して中国はアメリカ産農産物の輸入規制を打ち出し、アメリカは通貨戦争を始めた。 そのアメリカでイスラエルのモサドやアメリカのFBIと関係していると伝えられているジェフリー・エプシュタインが逮捕された。小児性愛の有力者に子どもを提供していたと言われ、その様子を録音、録画して脅しの材料に使っていたと考えられている。 エプシュタインは10年ほど前にも摘発されているが、そうした事情からその時の判決は「寛大」なものだった。その時に地方検事として事件を担当したアレキサンダー・アコスタによると、エプシュタインは「情報機関に所属している」ので放っておけと言われたという。 このエプシュタインの経歴を調べていくと、FBI長官を長く務めたJ・エドガー・フーバーに近く、レッド・パージで重要な役割を演じ、ドナルド・トランプの顧問弁護士を務めたロイ・コーン、さらに禁酒法時代に大儲けした大手酒造業者のルイス・ローゼンスティールなどの名前が出てくる。 つまり、通常ならエプシュタインの事件はもみ消されるか有耶無耶にされる。エスタブリッシュメントを揺るがすことになりかねないからだ。そのエプシュタインが逮捕され、厳罰に処される可能性が出てきたのはなぜか? アメリカと中露との対立だけでなく、アメリカ支配層の内部での対立が強まっている可能性がある。
2019.08.06
テレサ・メイ首相の辞任表明を受けて実施されたイギリス労働党の党首選挙で勝ち、7月24日に首相となった「道化キャラ」のボリス・ジョンソンはアメリカ政府の操り人形と見なされている。 今回の党首選はEUからの離脱を巡る混乱が原因。ジョンソンはこの離脱、いわゆるBrexitの推進派だ。ドナルド・トランプ大統領はBrexitに賛成、アメリカとイギリスの関係を強化したがっていると言える。 それに対し、アメリカの支配層から嫌われているイギリス労働党のジェレミー・コービン党首はトランプがジョンソンを党首選で支援したと主張、内政干渉は許されないと批判。新たな首相は総選挙を実施して決めるべきだとしている。 Brexitの背景にはEUの負の側面を人びとが理解したことがある。EUは非民主的な組織であり、通貨の発行権を放棄することは主権の放棄に等しいことをギリシャなどの出来事で人びとが理解したのだ。(政府が銀行へ通貨発行権を渡す重大な問題もそこにある。) 第2次世界大戦が終わる頃、アメリカの官僚たちはイギリス政府の強い影響下にあったとも言われている。フランクリン・ルーズベルト米大統領とウィンストン・チャーチル英首相のファシストやコミュニストに対する対立はそうした事情を浮かび上がらせた。チャーチルは反コミュニスト、ルーズベルトが反ファシストだったことは本ブログでも繰り返し書いてきた。 しかし、今ではアメリカがイギリスより優位に立っている。支配者がアメリカへ移動したとも言える。両国はともにアングロ・サクソン系ということもあり、緊密な関係にあると考えられてきたが、イスラエルに対する姿勢で違いがある。 イスラエルは1948年5月14日、先住のアラブ系住民(パレスチナ人)を追い出して作られた。その際にアラブ系住民を虐殺し、その後も破壊と殺戮を繰り返している。占領地の拡大が最大の目的で、中にはユーフラテス川からナイル川までの地域を支配しようと考えている勢力も存在する。 パレスチナに「ユダヤ人の国」を作ろうという動きは遅くとも19世紀には始まっている。そのスポンサーのひとりはフランスの富豪、エドモンド・ジェームズ・ド・ロスチャイルドだった。その孫に当たるエドモンド・アドルフ・ド・ロスチャイルドはアブラハム・フェインバーグと同じようにイスラエルの核兵器開発を資金面から援助していた。このフェインバーグはハリー・トルーマンやリンドン・ジョンソンの後ろ盾としても知られている。勿論、イギリスのジェイコブ・ロスチャイルドもイスラエルの支援者だ。 その「ユダヤ人の国」におけるパレスチナ人弾圧に対する怒りはイギリスにも民衆レベルで広がり、イスラエルの擁護者であるアメリカとの関係が弱まることになった。その影響は労働党にも及ぶ。 イギリスでイスラエルに対する怒りが噴出する切っ掛けは1982年にイスラエル軍とレバノンのファランジスト党がレバノンのパレスチナ難民キャンプ(サブラとシャティーラ)を襲撃、数百人とも3000人以上とも言われる人を虐殺した出来事。 そうした情況を懸念したロナルド・レーガン米大統領は1983年、メディア界に大きな影響力を持つルパート・マードックとジェームズ・ゴールドスミスを呼び、米英同盟を維持するための「後継世代」について話し合っている。それがBAP(英米後継世代プロジェクト、後に米英プロジェクトへ改名)。 このプロジェクトには編集者や記者も参加しているため、メディアで取り上げられることは少ない。同じ時期にアメリカ政府は侵略を民主主義の旗印の下で行うことを決める。それがプロジェクト・デモクラシーだ。 そうした中、1994年5月に労働党の党首だったジョン・スミスが心臓発作で急死、7月にトニー・ブレアが新党首に選ばれた。 そのブレアは1994年1月に妻と一緒にイスラエルを訪問している。顎足つきだったと言われている。その2カ月後、ロンドンのイスラエル大使館で紹介されたのが富豪のマイケル・レビー。この後、レビーはブレアのスポンサーになる。つまりブレアは労働組合のカネを必要としなくなった。 1997年5月にブレアは首相となり、親イスラエル政策を推進し、国内では新自由主義に基づく政策を打ち出す。そこでマーガレット・サッチャーの後継者とも言われた。ジョージ・W・ブッシュ政権がイラクを先制攻撃する際にも偽情報を流して開戦を後押ししている。BAPはブレアを支援した。 そうしたブレアに対する労働党員の不満がコービンを党首にするのだが、これは米英支配層の意に沿わないこと。そこで有力メディアもコービンを攻撃し続けている。
2019.08.05
1945年8月6日にアメリカ軍は広島へウラニウム235を使った原爆「リトルボーイ」を落とし、8月9日に長崎へプルトニウム239を使った原爆「ファット・マン」を落とした。その年の末までに広島では約14万人、長崎では7万4000人程度が死亡したと言われているが、晩発性の放射線障害による犠牲者を含めれば、数字はさらに膨らむ。 その年の3月9日から10日にかけて東京の下町は大規模な空襲で火の海になり、10万人、あるいはそれ以上とも言われる住民が焼き殺され、そのほかの都市も空爆で多くの人が犠牲になった。3月23日には沖縄本島へアメリカ艦隊が攻撃を開始、26日には慶良間諸島へ上陸した。沖縄の第32軍を指揮していた牛島満司令官が長勇少将と自殺したのが6月23日。アメリカ軍は7月2日に沖縄戦の終了を宣言した。 その間、4月12日にアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領が急死、5月上旬にドイツが降伏、その直後にイギリスのウィンストン・チャーチル首相はソ連を奇襲攻撃する作戦を立てるようにJPS(合同作戦本部)に命令、5月22日に「アンシンカブル作戦」が提出される。 その作戦によると、攻撃開始は7月1日。アメリカ軍64師団、イギリス連邦軍35師団、ポーランド軍4師団、そしてドイツ軍10師団で「第3次世界大戦」を始める想定になっていた。 ソ連へ攻め込んで壊滅したドイツ軍に替わり、アングロ・サクソン軍がドイツ軍とポーランド軍を引き連れて攻め込もうというわけだが、この作戦は実行されていない。参謀本部が5月31日に計画を拒否したからである。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000) チャーチルは7月26日に下野するが、その10日前にアメリカは原爆の爆発実験(トリニティ)を成功させた。これを受けてハリー・トルーマン大統領は原子爆弾の投下を7月24日に許可し、26日にアメリカ、イギリス、中国がポツダム宣言を発表したわけである。 首相の座を降りた後もチャーチルはソ連との戦いを諦めない。そして1946年3月5日にアメリカのミズーリ州フルトンで「バルト海のステッティンからアドリア海のトリエステにいたるまで鉄のカーテンが大陸を横切っている」と演説し、冷戦の開幕を告げたのである。 デイリー・メール紙によると、1947年にチャーチルはアメリカのスタイルズ・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得して欲しいと頼んだとするFBIの文書が存在する。 1932年の大統領選挙でニューディール派のルーズベルトが当選したことを受け、ウォール街、つまりアメリカの巨大金融機関は1933年から34年にかけてニューディール派を倒してファシズム政権を樹立するクーデター計画を立てていた。 この計画はスメドレー・バトラー少将が阻止、議会でも詳細に証言している。その後の研究でウォール街がナチス時代のドイツを支えていたことも判明しているが、ウォール街はシティ、つまりイギリスの巨大金融機関と深く結びついている。 ドイツが降伏したのは1945年5月だが、実際は軍の主力は1943年2月にスターリングラードで壊滅している。つまり、その時点でドイツの敗北は決定的だった。それを見てアメリカとイギリスは慌てて動き始め、1943年7月に両国軍はマフィアの協力を得てシチリア島へ上陸、1944年6月にノルマンディー上陸作戦を実行した。 これはソ連軍より先に西ヨーロッパを制圧することが目的で、ドイツ側とも話はついていたはず。スターリングラードでドイツ軍が壊滅してからドイツ軍の幹部たちはアレン・ダレスたちと盛んに接触。その結果、アメリカ政府はナチス幹部などの逃亡を助け、保護し、後に雇用することになる。 1945年4月に急死したルーズベルトや45年1月まで副大統領だったヘンリー・ウォーレスはウォール街とファシストとの関係を熟知していたはず。ルーズベルトは1938年にファシズムを私的権力が政府を所有している状態だと定義、ウォーレスは44年にファシズムの脅威がアメリカを襲うピークは第2次世界大戦の後だと主張、米英は帝国主義化し、アメリカをロシアとの戦争へ向かわせると警告していた。 ウォーレスはスキャンダルで副大統領から商務長官へ降格になり、シオニストをスポンサーにするハリー・トルーマンが新たな副大統領になる。ルーズベルトの急死で大統領になるのはこのトルーマンだ。そのトルーマンはウォーレスを嫌い、1946年9月に商務長官を辞めるように通告してホワイトハウスから追い出している。その時、すでにチャーチルはソ連との新たな戦争を始めていたのだ。
2019.08.04
2020年のアメリカ大統領選挙で民主党のタルシ・ガッバード下院議員が注目されている。巨大資本が国を支配することを許すTPP(環太平洋連携協定)に反対し、銀行業務と証券業務を分離させて投機を抑制していたグラス・スティーガル法を復活するべきだと主張しているが、それ以上に攻撃されている政治姿勢は戦争に反対していること。 少なからぬ好戦派は自らが戦場で戦ったり、あるいは自分の子どもを戦場へ送り出そうとしない。アメリカに徴兵制があったころには「シャンパン部隊」という有力者の子ども向けの部隊が存在した。この部隊は戦場へ派遣されない。CCR(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル)の「フォーチュネート・サン」はこうした部隊のことを歌っている曲。徴兵制があるとこうした部隊が必要になってくるわけだ。 ガッバードは大学を卒業した後、2002年から04年にかけてハワイ州下院の議員を務めている。2004年7月から12カ月間、州兵としてイラクに派遣されている。最初は医療部隊に所属、そのあと兵站部門で働いた。2006年に帰国してからダニエル・アカカ上院議員の下で働き、13年から下院議員。 イラクにいれば戦争の実態がわかるはずで、シリアでの戦闘がアメリカを含む外国勢力による侵略だということも理解しているだろう。そうしたこともあり、アメリカのシリアに対する姿勢を批判し続けてきた。それに対し、有力メディアや選挙戦のライバルは彼女をバシャール・アル・アサドの擁護者だと攻撃している。 ネオコンは1980年代からイラクのサダム・フセイン政権を倒して親イスラエル体制を樹立、トルコ、イラク、ヨルダンの親イスラエル国帯でシリアとイランを分断、その両国を倒して中東全域を支配するという戦略を立てていた。 その戦略はフセインをペルシャ湾岸産油国の防波堤と考えていたジョージ・H・W・ブッシュやジェームズ・ベイカーたちから反対されるが、この両勢力はソ連解体や中国での新自由主義促進で手を組んでいるように見える。 中国では自分たちの傀儡が敗北するが、ソ連の解体には成功し、ネオコンのポール・ウォルフォウィッツ国防次官(当時)が中心になり、1992年2月に国防総省のDPG草案という形で世界支配プランが作成される。いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」だ。当時の大統領はジョージ・H・W・ブッシュ、国防長官はリチャード・チェイニー。この3人はジェラルド・フォード大統領がデタント派を追放した際、つまり1970年代の半ばに表舞台へ出てきた人びとだ。 この時点でロシアはアメリカやイギリスを中心とする西側の属国になっていて、残るは新自由主義化が不十分な中国。そこで東アジア重視ということになるわけだ。 西側は1990年代に旧ソ連圏への侵略を開始、21世紀には世界制覇戦争が始まる予定だったのだろう。2000年にネオコン系シンクタンクのPNACはウォルフォウィッツ・ドクトリンに基づく報告書「米国防の再構築」を発表、それに従ってジョージ・W・ブッシュ政権は侵略戦争と国内の刑務所化を進める。そうした政策を可能にしたのが2001年9月11日に引き起こされたニューヨークの世界貿易センターやバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)への攻撃だった。 ところが、この時期にロシアではウラジミル・プーチンたちが不十分ながらロシアの再独立に成功、ウォルフォウィッツ・ドクトリンの前提が崩れる。そこでロシアを再属国化させようという勢力とイラクに続いてシリアやイランを制圧しようという勢力の対立が生じた。 とはいうものの、シリアやイランを制圧するという点で両勢力に違いはない。ただ手順で対立しているのだ。この両勢力にとって、戦争に反対するガッバードは共通の敵だ。
2019.08.03
安倍晋三政権が韓国を7月2日にも「ホワイト・リスト」から外そうとしていると伝えられている。韓国に対する半導体の製造に必要な材料の輸出規制を強化を打ち出したことが両国の関係を劇的に悪化させた直接的な切っ掛けだが、その背景には中国やロシアとの関係を強化してきた韓国に対するアメリカ支配層の懸念があるのだろう。 本ブログでは以前にも書いたことだが、アメリカ政府は日本に韓国を脅させ、アメリカが「白馬の騎士」として登場するというシナリオを書いていた可能性がある。韓国に対する仲裁の条件はロシアや中国への接近を止めろ、つまりアメリカの属国として留まれということになるはずだ。 しかし、韓国がロシアや中国との関係を強め始めた理由はアメリカに見切りをつけたからで、その条件を呑む可能性は小さい。現在、世界的にアメリカ離れが始まり、そうした動きをアメリカは恫喝で押さえ込もうとしている。トルコやインドがアメリカの圧力をはねのけてロシア製の防空システムS-400を購入するのもそうした流れの中で起こった。 文在寅政権に限らず、韓国の政権はアメリカに対する反発を持ち続けてきたと言う人もいる。2017年3月に朴槿恵大統領が失脚しているが、そこにはアメリカ支配層の意思があったのではないか。アメリカ支配層が彼女を守ると決めていたなら、そうした展開にはならなかっただろう。どこかの国にも、犯罪行為が指摘されていながら摘発されていない人たちがいる。 国の行政機関の職務とは全く関係のない人々の影響下にあったことが批判されていたが、ほかの政権は違うのだろうか。彼女がアドバイスを受けていたという崔順実は父親の朴正煕が大統領の時代から親しくしていた人物。崔のゴルフ仲間の義理の息子にあたる禹柄宇が大統領府民生首席秘書官で、この禹が崔を守っていたと推測されている。 韓国の当局は崔と安鍾範前大統領府政策調整首席秘書官らを職権乱用や公務上機密漏洩などの容疑で2016年11月に起訴、朴大統領も共犯だとされた。 崔順実の父親、崔太敏は朴正煕大統領と関係のあったカルト教団の教祖。この事実は2007年にソウルのアメリカ大使から送られた通信文の中で指摘され、崔太敏につけられた「韓国のラスプーチン」という渾名も紹介されていたようだ。 当然、こうした事実をCIAも知っていたはず。CIAは元ナチス幹部、犯罪組織、カルト教団、テロリストなどを手先として利用してきた。似たようなことをしているわけだ。そうした情報を朴槿恵を排除する口実として持ち出したにすぎない。彼女を排除する理由はほかにある。 アメリカ軍は朴槿恵政権が機能不全の状態になっている間隙を縫ってTHAAD(終末高高度地域防衛)ミサイル・システムの機器を韓国へ持ち込んだ。これは象徴的な出来事だ。 それだけでなく、朴槿恵が失脚する直前、国軍機務司令部が戒厳令を計画、合同参謀本部議長の命令ではなく陸軍参謀総長の指示で陸軍を動かそうとしていたと伝えられた。権限を持たない国軍機務司令部が戒厳令を計画したとする話が事実なら、これはクーデター計画にほかならない。アメリカ軍の少なくとも一部が関与していた可能性がある。 日本の某新聞社の記者が朴槿恵大統領の名誉を毀損したとして在宅起訴された事件も違和感を感じさせるものだった。いつもとは違う何かが背後にあるように思えたのだ。この件に関して菅義偉官房長官が記者会見で「報道の自由、日韓関係の観点から極めて遺憾だ」とした上で、「国際社会の常識と大きくかけ離れており、政府として韓国に事実関係を詳しく確認し、懸念を伝えたい」と語ったそうだが、安倍政権の高官が言論の自由を語るとは笑止千万。 アメリカ政府は中国やロシアに経済戦争を仕掛け、軍事的な圧力を加えている。この両国を屈服させないとアメリカの支配者たちがドル体制崩壊後も支配者として留まることができないからだ。その両国との関係を強化している韓国をアメリカの属国である日本が攻撃しているだけだが、こうした恫喝策は韓国の自立を促進、ロシアや中国へ追いやる可能性がある。
2019.08.02
IAEA(国際原子力機関)の事務局長を2009年12月から務めていた天野之弥が7月18日に死亡したと22日に公表された。死亡したのは健康上の理由から3月に退任すると報じられたその日。退任の意向を伝えた時事通信の記事によると、公式発表はその次の週に発表されることになっていたという。 天野の健康状態に何らかの急変があったと考えるのが常識的だろうが、イランのIRGC(イラン革命防衛隊)に近いと言われる通信社タスニムはイスラエルとアメリカが共謀して暗殺した可能性があると伝えている。 天野は2015年の取り決め(JCPOA)に違反しているとイランを非難するようにイスラエルとアメリカから強く求められていたとタスニムの記事は主張、暗殺疑惑の根拠に挙げている。そのJCPOAからドナルド・トランプ米首相は5月8日に一方的な離脱を宣言した。 しかし、天野は事務局長へ就任する前からアメリカへの忠誠を誓っていた可能性が高い人物だ。ウィキリークスが公表した2009年10月16日付けの外交文書によると、アメリカのIAEA大使だったグリン・デービースは天野がアメリカのIAEAに対する戦略目標を支援すると力説していたという。つまり天野はアメリカ側の人間だった。実際、天野が事務局長に就任してからのIAEAはイランを脅威だとしていた。 天野の前任者であるモハメド・エルバラダイや2006年12月まで国連事務総長だったコフィー・アナンはアメリカの中東侵略に抵抗していた。そこでアメリカは国連事務総長に韓国の潘基文を、IAEA事務局長に天野をそれぞれ据えたと言われている。東アジア出身のふたりはアメリカの傀儡というわけだ。その天野が今回、アメリカの指示に従っていなかったとするなら、その指示は非常に危険なものだということだろう。 アメリカの支配システム内部でイランへの攻撃に反対する声は弱くないことも事実。その代表格が軍隊の中枢である統合参謀本部だと言われている。アメリカ主導軍が2003年にイラクを先制攻撃する前もホワイトハウスのネオコンと統合参謀本部は対立、ジョージ・W・ブッシュ政権が想定していた開戦日は1年ほど延期されたと伝えられている。大義がなく、作戦が無謀だったからだ。
2019.08.01
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