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中華人民共和国の誕生が毛沢東によって宣言されたのは1949年9月21日、10月1日には天安門広場で式典が催されている。今から70年前のことだ。 アメリカの大統領だったフランクリン・ルーズベルトは毛沢東たちと友好的な関係を結んでいたが、そのルーズベルトは1945年4月12日に急死、引き継いだハリー・トルーマン大統領は国民党を支援した。当時、ソ連のヨシフ・スターリンも蒋介石体制を望んでいたと言われている。 トルーマン政権は蒋介石に中国を支配させるために20億ドルを提供し、軍事顧問団を派遣していた。1946年夏の戦力を比較すると国民党軍は200万人の正規軍を含め総兵力は430万人。それに対し、紅軍(コミュニスト)は120万人強にすぎず、装備は日本軍から奪った旧式のものだった。 国民党の勝利は明らかなように見えたのだが、1947年夏になると農民の支持を背景として人民解放軍(47年3月に改称)が反攻を開始する。その段階の兵力は国民党軍365万人、人民解放軍280万人。1948年の後半になると人民解放軍が国民党軍を圧倒するようになり、49年1月に解放軍は北京に無血入城、コミュニストの指導部も北京入りし、5月には上海を支配下に置いた。 上海にはアメリカの破壊工作機関OPCが拠点を置いていたのだが、国民党の敗北が明確になると拠点を日本へ移動させる。その中心は厚木基地だったと言われている。 そこから中国への反攻を狙うことになるのだが、そのためには日本の労働組合など左翼勢力を押さえ込んでおく必要があったはず。そうした中、引き起こされたのが国鉄を舞台とする怪事件だ。1949年7月5日から6日にかけての下山事件、7月15日の三鷹事件、そして8月17日の松川事件である。 1950年6月22日には日本で興味深い夕食会が開かれた。アメリカ側からはジョン・フォスター・ダレス、国務省東北アジア課長ジョン・アリソン、ニューズウィーク誌の外信部長だったハリー・カーン、同誌のコンプトン・パケナム東京支局長が出席。夕食会の開催場所はパケナム邸だ。 日本から出席したのは大蔵省の渡辺武、宮内省の松平康昌、国家地方警察企画課長の海原治、外務省の沢田廉三。渡辺は元子爵で後に駐米公使になり、松平は元侯爵で三井本家家長の義兄に当たる宮内省の人間。松平康荘の子どもだが、康昌が生まれる前に康荘は慶民を養子にしている。この慶民は初代宮内府長官。また沢田廉三は外交官で、結婚した相手は三菱合資の社長だった岩崎久弥の娘、つまり岩崎弥太郎の孫で孤児院のエリザベス・サンダースホームの創設者として有名な美喜。海原治は国家地方警察企画課長で、国家警察予備隊、後の自衛隊を創設する際に中心的な役割を果たすことになる。 夕食会の3日後に朝鮮戦争が勃発、その翌日にはダレスに対して天皇からメッセージが口頭で伝えられている。伝えたのはパケナム。軍国主義的な経歴を持つ「多くの見識ある日本人」に会い、「そのような日本人による何らかの形態の諮問会議が設置されるべき」だという内容だった。(豊下楢彦著『安保条約の成立』岩波新書、1996年) 1950年10月にOPCはCIAに吸収されて破壊工作部門の中核になるが、その年の終わりまでにOPC/CIAは日本で1000人以上を工作員として訓練したという。(Richard J. Aldrich, “The Hidden Hand”, John Murray, 2001)朝鮮戦争中、CIAに率いられた国民党軍が2度にわたって中国侵略を試み、いずれも失敗している。
2019.09.30
アメリカとウクライナの大統領の会話を「内部告発」した人物がいる。その「告発文書」をアメリカ下院の情報委員会は公表し、民主党はドナルド・トランプ大統領を攻撃するために利用しようとしている。 「内部告発者」や民主党が問題にしているのはトランプがジョー・バイデンの発言を話題にしたこと。2018年1月23日にバイデンはCFR(外交問題評議会)でウクライナの検事総長を解任させたことを自慢しているが、それをトランプは恐ろしく思えると口にしたのだ。言うまでもなく、この「内部告発者」を民主党や有力メディアは攻撃していない。逮捕令状が出たという話も聞かない。 バイデンは「ウクライナを支援する欧米諸国や国際機関が同国の腐敗問題に取り組む中、同国の検事総長が汚職捜査に消極的だとして解任させようとした」と主張しているようだが、これを否定する記事がアメリカでも現れている。支配層の内部でもバイデンの立場は揺らいでいるようだ。 それに対し、バラク・オバマ政権が内部告発に対して容赦しない姿勢で臨んだこともあり、厳しく処罰された内部告発者もいる。例えば電子情報機関NSAの不正行為を明らかにしたエドワード・スノーデン、イランへ核兵器に関する資料を渡して開発させ、イラン侵略の口実を作るというCIAの危険な作戦を組織内部で警告したジェフリー・スターリング、そしてCIAなどによる拷問を告発したジャニス・カルピンスキーやジョン・キリアク、そして内部告発を支援する活動を続けてきたウィキリークスを創設したひとりのジュリアン・アッサンジ、ウィキリークスへ情報を提供したブラドレー・マニング(現在はチェルシー・マニングと名乗っている)特技兵などだ。 NSAの技術部長を務め、通信傍受システムの開発を主導、NSA史上最高の数学者にひとりと言われているウィリアム・ビニーも内部告発したが、証拠を持ち出さなかったこともあり、家宅捜索を受けた程度で済んだ。 スターリング、キアリク、マニングは懲役刑に処せられ、カルピンスキーは准将から大佐へ降格、スノーデンはロシアへ逃げ込まざるをえなくなり、アッサンジはエクアドルに亡命が認められたものの、イギリス当局が逮捕しようとしたため、ロンドンにあるエクアドル大使館から出られなくなった。 そのエクアドルでは2017年に大統領がラファエル・コレアからレニン・モレノへ交代、新大統領はアメリカ政府の意向に従い、アッサンジを追い出しにかかった。IMFも融資を使い、アメリカ政府を支援している。 今年(2019年)3月11日にIMFはエクアドルに対する42億ドルの融資を認めると発表、4月11日にイギリス警察はエクアドル大使館へ乗り込んでアッサンジを逮捕した。アッサンジはイギリス版のグアンタナモ刑務所と言われているベルマーシュ刑務所で拘束されている。 エクアドルではレニン・モレノが汚職で受け取ったカネのロンダリングを行うためにINA投資という名前のペーパーカンパニーを2012年にベリーズで作ったという話がリークされたのだが、その責任はウィキリークスにあるという理由でアッサンジの亡命を取り消したとモレノは主張。それに対し、エクアドルに対する融資の条件としてアッサンジの亡命取り消しをIMFは要求、それにモレノは応じたのだとも言われている。 アッサンジは友人や親戚の面会が禁止され、弁護チームも監視下で会うことが要求されているほか、食べ物の差し入れや基本的な医療行為も拒否されている。彼の弁護士によると、アッサンジの健康状態は悪化しているという。 アッサンジを尋問しているアメリカ人は国防総省、FBI、CIAに所属している人びとで、BZ(3-キヌクリジニルベンジラート)という薬物が使用されていると言われている。これを使うと幻覚を生じさせ、現実と幻覚を混乱させるほか、昏睡、物忘れなどを含む意識障害、あるいは運動失調症を引き起こすと言われている。 アメリカの支配層はアッサンジをアメリカへ連れ帰り、死ぬまで刑務所へ入れておくか、「自殺」させたいのかもしれないが、その前にウィキリークスが持っている情報へアクセスするためのキーを聞き出そうとしていると見られている。
2019.09.29

アメリカの下院情報委員会が公表したドナルド・トランプ大統領とウクライナのボロディミル・ゼレンスキー大統領との会話に関する「内部告発者」の訴えの中にクラウドストライクなるサイバーセキュリティ会社が登場する。DNC(民主党全国委員会)と契約していた会社で、同委員会のサーバーがロシアにハッキングされたと証拠を提示せずに言い始めたことで知られている。 クラウドストライクが2016年12月に公表した報告書によると、クーデター政権の武器用アプリケーション・ソフトがロシアにハッキングされ、反クーデター派との戦闘で多くの榴弾砲を失ったとしている。同じ手法でDNCのサーバーがハッキングされたと主張しているわけだ。 その分析ではIISS(国際戦略研究所)のデータを使ったとされているのだが、そのIISSはクラウドストライクによるデータの使い方が誤っていると主張、IISSとクラウドストライクの報告書との関係を否定、クラウドストライクはIISSに接触していないともしている。クーデター政府の防衛省によると、戦闘による損失やハッキングの事実はないという。 本ブログでも繰り返し書いてきたが、ヒラリー・クリントンに関する電子メールがDNCのサーバーへのハッキングで流出したのでないことは技術分析でも明らかにされている。 例えば、アメリカの電子情報機関NSAの技術部長を務めた内部告発者のウィリアム・ビニーが指摘しているように、NSAはすべての通信を傍受、保管している。もし疑惑が事実ならFBIは必要な証拠をすべて手にすることができたのだ。ビニーは情報機関で通信傍受システムの開発を主導し、NSA史上最高の数学者にひとりと言われている。 また、コンピュータの専門家で、IBMのプログラム・マネージャーだったスキップ・フォルデンは転送速度など技術的な分析からインターネットを通じたハッキングではないという結論に達している。インターネットから侵入したにしてはデータの転送速度が速すぎるのである。つまり内部でダウンロードされたということだ。 ハッキング説には説得力がない。ところがFBIはDNCのサーバーを調べず、クラウドストライクの主張を無批判に受け入れている。 この説得力のない話を維持するために引き出されたのがロシアの元外交官オレグ・スモレンコフ。2007年にワシントンDCのロシア大使館で勤務しているが、その時のロシア大使がユーリ・ウシャコフ。ふたりは2008年に帰国した。ウシャコフは2013年からロシア大統領府に配属、スモレンコフもスタッフとして同じ場所で働き始める。 2016年8月の初め、CIAの人間がホワイトハウスへ白い封筒を運んできた。その中にはCIA長官だったジョン・ブレナンが重要だと考えるスモレンコフから得た情報が書かれていたという。 その年の3月からウィキリークスはヒラリー・クリントンの電子メールを公表しはじめ、7月22日にはDNC(民主党全国委員会)に関係した1万9000件以上の電子メールと8000件の添付資料を公表。その中には、民主党の幹部へバーニー・サンダースが同党の大統領候補になることを妨害するよう求めるものも含まれていた。 2万件近い電子メールが公表される12日前、ひとりのDNCスタッフが射殺されている。そのスタッフとはセス・リッチで、強盗に遭ったというのだが、ウィキリークスへ資料を渡したのはこの人物ではないかと推測する人は少なくない。 警察発表に納得できなかったリッチの両親は元殺人課刑事の私立探偵リッチ・ウィーラーを雇って調査を始める。その探偵はセスがウィキリークスと連絡を取り合い、DNC幹部の間で2015年1月から16年5月までの期間に遣り取りされた4万4053通の電子メールと1万7761通の添付ファイルを渡したとしている。この情報をウィラーガーは雇い主に無断で外部で話したことから問題になり、その後は情報が出なくなった。 リッチが殺される5日前、コミーFBI長官はヒラリー・クリントンが国務長官だった時代の電子メールに関する声明を発表、その中で彼女は機密情報の取り扱いに関する法規に批判した可能性があり、またそうした情報をきわめて軽率に扱っていたことを認めているのだが、その上で司法省に対して彼女の不起訴を勧告していた。 クリントンはロッキード・マーチンのような軍需産業や巨大金融資本などを後ろ盾としているのに対し、サンダースの支持基盤は草の根に近い。 ウィキリークスが公表した電子メールは両者の間に大きな溝を作ったはずで、DNCはそれをごまかしてクリントンを当選させる必要に迫られた。そうした中でのブレナン情報だ。少なくとも結果として、クラウドストライクはブレナンと連携している。 そこに加わるのが「元MI6オフィサー」のクリストファー・スティール。MI6はイギリスの対外情報機関で歴史的にシティ(イギリスの金融資本)に近いのだが、どの国でも情報機関員に「元」はないと言われている。スティールの報告書は「ロシアゲート」の根拠にされたが、信頼度は低い。これも本ブログで何度か書いてきた。 ところで、オレグ・スモレンコフは2016年終わりにロシア政府から解雇されている。2017年7月には家族を連れてモンテネグロを訪問、その家族をCIAがヨットで連れ去った。その家族はワシントンDCの豪華な家で本名のまま暮らすことになり、今回の報道で姿を消した。 ここで注目されているのはスモレンコフがロシアで逮捕されていない事実。重要な情報をアメリカへ流していたことが理由なら厳罰に処せられたはずだからだ。 オバマ政権はロシアを再属国化するためにカラー革命を目論んでいた。その指揮官としてマイケル・マクフォールが2012年1月にアメリカ大使としてモスクワへ着任、その3日後にはロシアの反ウラジミル・プーチン派のリーダーがアメリカ大使館を訪れている。 その一方、CIAはロシアでスパイ網を築こうとしていた。工作の中心はCIAの支局長だったスティーブ・ホール。その下で動いていたCIAオフィサーのベンジャミン・ディロンとライアン・フォグルをFSB(連邦保安局)が2013年に逮捕、国外へ追放している。ホールもロシアを離れざるを得なくなった。 ボリス・エリツィン時代の新自由主義を経験したロシア国民はアメリカの工作で動かなかったが、ウクライナの西部地域に住む人びとは欧米信仰が強く、2014年2月のクーデターにつながった。 それでもオバマは任期が終わる2016年までロシアとの関係悪化に努力、ロシアゲートを推進したわけである。その工作を民主党も有力メディアもまだ続けている。
2019.09.28

アメリカの下院情報委員会はドナルド・トランプ大統領とウクライナのボロディミル・ゼレンスキー大統領との会話に関する「内部告発者」の訴えを公表した。この人物は自分が直接的な情報を持っているわけではないものの、10名近い政府高官から適切なルートを通じて知ったとしている。 訴えの中心は7月25日朝の電話。それをアメリカの政府機関が傍受、その内容を知った人物がトランプ大統領の発言に政治的な思惑があると判断、告発したというのだが、先入観の強い判断に思える。 NSAやCIAなどアメリカの情報機関がイギリスやイスラエルの機関と手を組み、世界規模で通信を傍受、記録、分析していることは広く知られている。 トランプの電話が監視されていることはトランプ自身も認識していたはずで、注意して話しているはずだが、その中からスキャンダルを作り出すのもプロの仕事だ。 本ブログでもすでに書いたことだが、問題の電話でトランプはジョー・バイデンが2018年1月23日にCFR(外交問題評議会)で行った発言に触れている。 バラク・オバマ政権は2014年2月、ネオ・ナチを使ってウクライナのビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒した。工作の最前線ではネオコンのビクトリア・ヌランド国務次官補が指揮していたが、ジョー・バイデン副大統領も参加していた。 このクーデターに到達するまで、準備開始から20年以上の年月が経過している。ヌランドが2013年12月に米国ウクライナ基金の大会で行った演説によると、アメリカは1991年からウクライナを支援するために50億ドルを投資したと発言している。巨大資本がカネ儲けしやすい体制に作り上げることが目的だ。 クーデター直後の3月7日午前2時、ポリスポリ空港に4輌のトラックと2輌の貨物用のミニバスが現れ、そこから40個以上の箱をマークのない航空機へ運び込まれたと伝えられている。車両はいずれもナンバー・プレートが外され、黒い制服を着て武装した15名が警戒する中での作業だった。作業が終わるとすぐに航空機は飛び立ち、車両も走り去ったという。その箱の中身は金塊だという情報がある。当時、ウクライナ政府が保有していた金塊は42.3トンだとされている。 その一方、相場が下落したウクライナ国債をロスチャイルドのファンド、フランクリン・テンプルトンは買い占めていた。安値で国債を買いあさり、満額で買い取らせようとしたと見られている。買い取るための資金はIMFが融資する。 ここで債権者になったIMFはウクライナ政府に対して緊縮財政を命令、庶民へ回るカネを減し、規制緩和や私有化の促進で巨大資本を大儲けさるというシナリオだったはずだ。これは世界各国で実行されてきた。破綻国家にIMFがルールを無視して融資するのはそのためだ。こうした仕組みを西側の有力メディアは「支援」と表現する。 本ブログでも繰り返し書いてきたが、クーデターの際、主力のネオ・ナチは広場で無差別狙撃を実行、攻撃的な行動が禁止されていた治安部隊の少なからぬ隊員は拉致され、拷問の上で殺害されている。目を潰された状態で発見された隊員の死体もあった。 そうしたこともあり、クーデター後にネオ・ナチの配下に入ることを嫌がり、反クーデター派に参加した軍や治安機関のメンバーは少なくないと言われている。そうした中、検察事務所をネオ・ナチは襲撃していた。クーデター派の不正行為を取り締まるなという恫喝だ。 そして4月にはジョー・バイデンの息子、ハンター・バイデンは天然ガス会社ブリスマ・ホールディングス(本社はキプロス)の重役になったことが発表された。月給は5万ドル以上だという。ガス産業についてもウクライナについても知識のないハンターになぜ会社が高給を支払うのか疑問に思う人がいても不思議ではない。この会社はウクライナ検察の捜査対象になっていたと言われている。 バイデン副大統領は2016年5月にキエフを訪問した。ペトロ・ポロシェンコに対して10億ドルの融資保証が認められたことを伝えるのが目的だったが、その際にバイデンは条件をつけた。6時間以外に検事総長を解任しなければ融資保証を認めないで帰国すると脅したのだ。この時のやりとりをジョー・バイデンは2018年1月23日にCFR(外交問題評議会)で自慢している。 今年7月25日にドナルド・トランプ米大統領はこの自慢話についてウクライナのボロディミル・ゼレンスキー大統領との会話の中で触れ、バイデンの発言は恐ろしく思えると口にしたのだが、これを民主党はスキャンダルにしようとしている。
2019.09.27

ジョー・バイデンが2018年1月23日にCFR(外交問題評議会)で行った発言が注目されている。副大統領時代、ウクライナのクーデター政権に対し、10億ドル欲しければ検事総長を解任しろと恫喝、実際に解任されたことを自慢しているのだ。 アメリカ政府が公表したメモによると、今年7月25日にドナルド・トランプ米大統領はこの自慢話についてウクライナのボロディミル・ゼレンスキー大統領との会話の中で触れ、バイデンの発言は恐ろしく思えると語っている。 メモを見る限り、バイデンに関する話はこれだけなのだが、問題はジョーの息子、ハンター・バイデンの資産を大きく増やすことになる会社が関係してくること。トランプの発言を知った民主党は慌て、先手を打ったと言われている。 その会社とは、本ブログでも何度か取り上げたことのあるウクライナの天然ガス会社ブリスマ・ホールディングス(本社はキプロス)で、ウクライナの検察の捜査対象になっていたと言われている。その会社へハンターはジョン・ケリーの義理の息子と一緒に重役として迎え入れられることになる。 バラク・オバマ政権がネオ・ナチを使ったクーデターでウクライナのビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒した理由のひとつは配下の勢力に権力を握らせ、ウクライナの資産を略奪することにあった。かつてアメリカ海兵隊のスメドリー・バトラー少将が言った通りなのだ。 ヤヌコビッチの地盤だった東部や南部ではクーデターに反対する人が多く、軍事的な弾圧やナチス張りの住民虐殺にも屈せずに今でも戦っている人がいる。つまりクーデターは中途半端の状態で、ハンター・バイデンの蓄財も目論見通りにはならなかっただろう。 ジョー・バイデンが「ウクライナを支援する欧米諸国や国際機関が同国の腐敗問題に取り組む中、同国の検事総長が汚職捜査に消極的だとして解任させようとした」わけではない。「欧米諸国や国際機関」がクーデターを実行したのは不正な手段でカネ儲けすることが目的であり、当初は欧米信仰からクーデターに反対しなかった人びとでさえ、ペトロ・ポロシェンコを拒絶、政治家として素人のゼレンスキーを選んだのである。 アメリカの民主党は失速したロシアゲートにかわるトランプのスキャンダルとしてウクライナの話を使うつもりかもしれないが、これは「自爆行為」にも思える。 昔、こんなことを書いた人がいることを思い出した: 「ヘーゲルはどこかで、すべての偉大な世界史的事実と世界史的人物はいわば二度現れる、と述べている。彼はこう付け加えるのを忘れた。一度は偉大な悲劇として、もう一度はみじめな笑劇として、と。」(カール・マルクス著、植村邦彦訳『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』平凡社、2008年)
2019.09.26
サウジアラビアのアブカイクとハリスにあるアラムコの石油処理施設が9月14日に18機のUAV(無人機。ドローンとも呼ばれる)と7機の巡航ミサイルで攻撃され、生産量が半分に落ちるという被害を受けたと言われている。この攻撃についてイエメンのフーシ派は自分たちが実行したと発表しているが、アメリカやサウジアラビアはイランによるものだと主張した。 それに対し、アメリカの好戦派やイスラエルによる偽旗作戦だとする人たちもいる。ドナルド・トランプ大統領やサウジアラビアがイエメンでの戦争を止めたがっていると言われているが、戦争を継続し、軍事的な緊張を高め、あわよくばイランを攻撃したいと好戦派やイスラエルは思っているからだ。 今のところ、誰が実際に攻撃したのかを示す明確な証拠は見当たらないが、フーシ派がサウジアラビアの油田地帯を攻撃できるUAVやミサイルを開発しつつあったことは事実。実戦でも使用されてきたと言われているので、フーシ派が行ったとする説が有力なようだ。 いずれにしろ、アメリカ製の防空システムは石油施設を守れなかった。伝えられているところによると、その周辺には88基のMIM-104 ペトリオット・システムが配備されていて、そのうち52基は日本も導入を進めているというPAC-3。しかもペルシャ湾にはアメリカ海軍に所属する3隻の駆逐艦(イージス艦)がいた。 攻撃を防げなかった理由について、アメリカなどはUAVが小型なうえ、低空で侵入してきたことを挙げているが、それで駄目ならシステムが駄目だということ。シリアではアメリカなどを後ろ盾にするジハード傭兵がUAVでロシア軍の基地を何度も攻撃、いずれも阻止されている。近距離防空システムのパンーンツィリ-S1が有効だとされているが、そうした種類のシステムはアメリカにないようだ。 今回の石油施設破壊は日本も無縁ではない。石油の輸入という面もあるが、サウジアラビアの防空システムが機能しないということは、日本の防空システムも機能しないことを示しているからだ。両国は同じアメリカ製のシステムを導入している。もっとも、弾道ミサイル防衛システムのイージス・アショアの場合、真の目的は攻撃にあるとされているので問題ないと考えているのかもしれないが。 日本が大量に買おうとしている高額戦闘機F-35が欠陥品だということも知られている。2015年1月にカリフォルニア州のエドワード空軍基地近くで行われたF-16戦闘機との模擬空中戦でF-35は完敗しているのだ。 F-35のステルス能力を強調する人もいるが、1999年にNATO軍がユーゴスラビアを先制攻撃した際、アメリカ空軍に所属するステルス機のF-117が対空ミサイルで撃墜された。それ以来ロシアのレーダーはアメリカのステルス機が「見える」と一般的に考えられている。
2019.09.25
ニューヨークの国連本部で「気候行動サミット」が9月23日に開催されたという。その2日前には「若者気候サミット」も開かれ、宣伝に利用されている。 環境が人間を含む生物に少なからぬ影響を及ぼすことは間違いない。少なくとも北の海で海水温が上昇していることはロシアが北極海を経由する航路を作れるようになったことでも推測できる。氷が消えたり薄くならなければ、そうしたルートを作ることはできないだろう。 西ヨーロッパが緯度の割に温暖であるのは暖流(北大西洋海流)が近くを流れているからである。つまり暖流が西ヨーロッパを温暖にしている理由だ。現在、世界の公式見解では「温室効果ガス」が温暖化の理由だとされているが、これはひとつの仮説にすぎない。 地球の温暖化が世界的な話題になりはじめたのは1980年代からだが、90年代からは太平洋周辺で地殻変動が活発化していると言われるようになった。大きな地震の回数が増え、2017年にはイエローストーンの周辺での地震頻発や野生生物の暴走が注目されている。マグマの上昇が海水温上昇の原因だという説も唱えられている。 海水温を上昇させることを人間が行っていることも事実。その典型例が温排水の放出だ。温排水を大量に放出する原子力発電所が地球温暖化の一因になっていると言えるだろう。21世紀に入ってアメリカが本格化させた侵略戦争も気温を上昇させているはずだ。戦争は気温だけでなく環境一般に対する直接的な破壊でもある。 つまり、本当に気候を心配しているなら、原発を止め、戦争に反対しなければならないのだが、前面に出ているのは気候との因果関係が明確でない「温室効果ガス」。 アメリカでは情報機関も治安機関も戦争に反対する人びとを敵視してきた。CIAのMHケイアスとFBIのCOINTELPROは悪名高い。反戦運動の勢いがアメリカで最もあったのはベトナム戦争のときだろうが、そうした運動はCIAやFBIのターゲットになった。 ベトナム戦争へアメリカが足を踏み入れたのは朝鮮戦争が休戦になった翌年、1954年のこと。その年の1月にNSC(国家安全保障会議)でジョン・フォスター・ダレス国務長官がベトナムにおけるゲリラ戦の準備を提案したのだ。それを受けてCIAはSMM(サイゴン軍事派遣団)を編成した。当時はドワイト・アイゼンハワー政権。 ジョン・F・ケネディ大統領は1963年10月、アメリカ軍をインドシナから撤退させるためにNSAM(国家安全保障行動覚書)263を出すが、その翌月に暗殺された。暗殺の4日後に新大統領のリンドン・ジョンソンはNSAM273を出して取り消してしまった。ジョンソンは1965年2月に北爆を開始、本格的な軍事介入を始める。 戦争が泥沼化する中、1967年4月4日に公民権運動の指導者として知られるマーチン・ルーサー・キング牧師はニューヨークのリバーサイド教会で「なぜ私はベトナムにおける戦争に反対するのか」という説教を行う。この集まりは「ベトナムを憂慮する牧師と信徒」が主催していたが、主催者の執行委員会が発表した声明の冒頭部分に書かれている「沈黙が背信である時が来ている」という主張にキングは賛意を示している。戦争について沈黙することは信義に反するということだ。 悲惨な戦争の真実を聞くべき時が来ていると牧師は語り、大半の国民が自分自身を欺いているため、そうした真実は明らかにならないとも指摘した。そうした状態を精神的な奴隷状態とも表現している。 ところが、ロン・ポール元下院議員によると、キング牧師のリベラル派である顧問たちは牧師に対してベトナム戦争に焦点を当てないよう懇願していたという。キングはそうしたアドバイスを無視したのだ。リバーサイド教会での説教からちょうど1年後の1968年4月4日にキング牧師はテネシー州メンフィスのロレイン・モーテルで暗殺された。 そのころ、アメリカを中心にして盛んになったのが女性解放運動。キリスト教世界に女性差別の歴史があることは確かなようだが、人種差別と同じように、それも支配と被支配の構造的な問題に還元できる。新自由主義(資本主義)における富裕階級と貧困階級の問題も同じ。その根幹には略奪や搾取があり、戦争も引き起こされる。そうした行為を可能にする仕組みが支配システムだ。 女性解放運動が盛り上がる一方、反戦運動は衰退したが、ここにきて情況に変化の兆しはある。西側の有力メディアのプロパガンダ力が低下するにつれてアメリカが主導して行っている戦争の実態が知られるようになってきたのだ。アメリカの力が衰えていることも明確になっている。 そうした中、「気候問題」が演出されている。気候を考えることが問題なのではない。気候以外の問題から目をそらし、考えなくなることが問題なのである。そうした方向へ人びとを導こうとしている勢力が存在しているように思える。
2019.09.24
アメリカでは来年(2020年)に大統領選挙が実施される予定になっている。民主党の最有力候補は前副大統領のジョー・バイデンだったのだが、世論調査の結果を見ると、9月中旬に人気が急落してエリザベス・ウォーレン上院議員に逆転された。前副大統領の息子、ハンター・バイデンに関する疑惑が伝えられたことが影響したようだ。 ウォール・ストリート・ジャーナル紙などによると、ドナルド・トランプ大統領が7月にウクライナのボロディミル・ゼレンスキー大統領へ8回以上電話、ハンターについて調査するように求めたという。 ジョーが副大統領だった2014年2月にバラク・オバマ政権はウクライナでネオ・ナチを使ったクーデターを成功させているが、その後、ハンターはジョン・ケリーの義理の息子と一緒にウクライナの天然ガス会社ブリスマ・ホールディングス(本社はキプロス)の重役になっている。ヒラリー・クリントンがハイチを利権にしたように、バイデンはウクライナを利権にしようとしているとも言われた。 このクーデターでビクトル・ヤヌコビッチ大統領は排除されるが、彼にとってこれは2度目。2014年11月から05年1月にかけてのオレンジ革命でも大統領の地位から引きずり下ろされている。西側の支配層は新自由主義を導入させるための障害だと見なしたわけだ。 2014年のクーデター後に大統領となったのはペトロ・ポロシェンコ。国立キエフ大学を卒業しているが、そこで親しくなったひとりが2004年から13年にかけてジョージアの大統領を務めたミハイル・サーカシビリで、ヒラリー・クリントンとも親しい。勿論、反ロシアだ。 ポロシェンコも新自由主義を導入させるための操り人形にすぎず、ウクライナを破壊することになった。今年春の大統領選挙で2度の投票(1回目:3月、2回目:4月)でコメディアンのボロディミル・ゼレンスキーが勝利、7月に実施された議会選挙でゼレンスキーが創設者のひとりとして名を連ねる「国民のしもべ」が約6割の議席を確保したのは、ポロシェンコの政策への反発が強かったからだろう。 しかし、オレンジ革命でウクライナ人は新自由主義が作り出す地獄を知ったはずだが、少なくともウクライナの西部地域に住む人びとは2014年のクーデターを支援することで新自由主義化の推進とナチズムの復活に手を貸しすことになった。ゼレンスキー政権になってナチズムの影響力が小さくなったようには見えない。 バイデン親子のウクライナ利権の実態が明るみにでると、オバマ政権のネオコンが推進したクーデターの実態も明るみ出る可能性が高い。その背後では米英をはじめとする西側の金融資本も蠢いていた。今回、アメリカの有力メディアはトランプ大統領がバイデン潰しのためにゼレンスキー大統領に圧力をかけているというストーリーを流しているが、これは一種のダメージ・コントロールだと見る人もいる。 ここにきて支持率がバイデンを上回ったウォーレンはハーバード大学の教授から上院議員になった人物で、TPP(環太平洋連携協定)に反対。アメリカでは公的な医療や教育が崩壊状態だが、その点も指摘してきた。 いわゆる「一流大学」に入りたければ有名な進学校で学ぶ必要があるのだが、そうした学校の授業料は日本で想像できないほど高い。トルーマン・カポーティは『叶えられた祈り』の中でウォール街で働いているディック・アンダーソンなる人物に次のようなことを言わせている。 「二人の息子を金のかかるエクセター校に入れたらなんだってやらなきゃならん!」(トルーマン・カポーティ著、川本三郎訳、『叶えられた祈り』、新潮文庫)「ペニスを売り歩く」ようなことをしなければならないというのだ。アメリカの中では高い給料を得ているはずのウォール街で働く人でも教育の負担は重い。 そうした私立の進学校が無理なら、少しでもまともな公立高校へ通わせる必要があるのだが、そうした公立高校がある地域の不動産価格は高い。賃貸でも家賃の負担は重くのしかかる。不動産で破産する人の相当部分の実態は教育負担だという。 こうした情況について、ウォーレン議員は次のように語っていた。「G.E.は税金を払わず、大学生には教育を受けるためにもっと借金しろと言い、最上級生には生活を切り詰めろと言う。これは経済の問題ではない。モラルの問題だ。」 2012年11月イギリスのインディペンデント紙は学費を稼ぐための「思慮深い交際」を紹介するビジネスの存在を明らかにした。日本では「援助交際」と表現されている行為だ。 その手取りはサービスの内容によって違い、年間5000ポンドから1万5000ポンド。(現在の1ポンドは約150円)17歳から24歳までの学生、約1400名が在籍していると仲介業者は主張しているが、ほかにも似た業者がいるようで、これは氷山の一角だ。 アメリカはそれより進んでいると見られているが、少し前から話題になっているのは「シュガー・ベイビー」なるシステム。女子大学生(シュガー・ベイビー)と富裕な男性(シュガー・ダディー)を引き合わせ、「デート」のお膳立てをするというビジネス。売春の斡旋と見られても仕方がないだろう。現代版のクルチザンヌだと言う人もいる。 登録している大学のリストを見ると、有力校と考えられている南カリフォルニア大学(583名)、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(614名)、コロンビア大学(1008名)、ニューヨーク大学(1676名)も含まれている。 こうした問題に目を向けていたウォーレン議員はまともな人物のように見えるが、国外の問題では他の議員と大差はない。イスラエルを擁護し、アメリカが全世界で行っている侵略、破壊、殺戮を容認している。昔からシオニストは政治家へ資金を流す代償として外交や安全保障に関する政策を任すように求めてきた。その仕組みに取り込まれていると言えるだろう。
2019.09.23
ドナルド・トランプ米大統領が解任したジョン・ボルトン国家安全保障補佐官が話し合いを潰してきたのはイランにとどまらず、東アジアの軍事的な緊張も高めてきた。アメリカのとの実務者協議で主席代表を務める金明吉(キム・ミョンギル)は9月20日に解任を歓迎すると語ったという。 今年(2019年)2月27日と28日にかけてベトナムのハノイで実施されたアメリカと朝鮮の首脳会談で合意に至らなかった原因はボルトンやマイク・ポンペオ国務長官にあると言われている。このふたりはマイク・ペンス副大統領と同じように相手は自分たちに屈服するべきだという典型的なアメリカ型の思考をする。 朝鮮側の説明によると、朝鮮が制裁を部分解除する条件として核施設の廃棄を提示したところ、アメリカはそれを拒否して核プログラムの完全的な廃棄を要求、さらに生物化学兵器も含めるように求めたのだとされている。全面降伏の要求であり、朝鮮側が受け入れるはずはない。それを承知での要求、つまり交渉を潰そうとしたのだろう。 朝鮮半島の非核化でアメリカは3モデルを提示している。リビア・モデル、ドイツ・モデル、ベトナム・モデルだ。 リビアの場合、アメリカがイラクを先制攻撃した2003年にムアンマル・アル・カダフィ政権が核兵器や化学兵器の廃棄を決定したところから始まる。アメリカは「制裁」を解除するはずだったが、アメリカは約束を守らずに「制裁」は続いた。そして2010年にバラク・オバマ大統領はムスリム同胞団を使った侵略計画(PSD11)を作成、リビアは侵略され、現在は暴力が支配する破綻国家だ。 ドイツの場合、アメリカ政府とソ連政府が東西ドイツの統一で合意したところから始まる。交渉でアメリカの国務長官だったジェームズ・ベイカーはソ連のエドゥアルド・シェワルナゼ外務大臣に対し、統一後にNATOが東へ拡大することはないと約束した。これは記録に残っているのだが、アメリカは約束を守らない。すでにNATO軍はロシアの玄関先まで到達、軍隊を駐留させ、ミサイルを配備してロシアを恫喝、軍事的な緊張は高まっている。 ベトナムの場合、戦争でアメリカに勝利したものの、国土は惨憺たる状態。アメリカ軍による「秘密爆撃」ではカンボジアやラオスでも国土が破壊され、多くの人々が殺された。戦闘では通常兵器だけでなく、化学兵器の一種である枯れ葉剤(エージェント・オレンジ)やナパーム弾が使われ、CIAのフェニックス・プログラムでは人々が殺され、共同体は破壊されたのである。 ところが、ベトナムはIMFなどに要求された政策、つまり新自由主義を受け入れることになった。いわば「毒饅頭」を食べさせられたのだ。その理由のひとつは1991年12月のソ連消滅だろう。ベトナム戦争中にアメリカ側が行った犯罪的な行為は不問に付され、ベトナムの庶民は低賃金労働者として西側巨大資本の金儲けに奉仕させられている。 この3モデルを受け入れるということは、アメリカに全面降伏することを意味している。金正恩やその側近たちが「お人好し」、あるいは私的な利益のために国を売り飛ばそうとしているのでないかぎり、そうした提案に乗らないだろう。 朝鮮半島で軍事的な緊張が緩和されはじめたのは2018年4月27日のこと。韓国の文在寅大統領と朝鮮の金正恩労働党委員長が板門店で会談したのである。 ソ連が消滅した直後の1992年2月にウォルフォウィッツ・ドクトリンが作成され、アメリカは世界に残された自立した国を潰しにかかるのだが、その前提はロシアが西側巨大資本の属国になったということ。2001年9月11日の出来事を利用してアメリカは侵略戦争を本格化させるが、その時期からロシアは再独立、ウォルフォウィッツ・ドクトリンの前提が崩れた。それにもかかわらずアメリカは侵略戦争を続行、自らを苦境へ追い詰めることになった。 来年は大統領選挙の年でもあり、トランプはイランや朝鮮で何らかの成果がほしいだろうが、その障害になっているのがボルトン。この人物を解任することで話し合いを再開させる糸口を作ろうとしたのかもしれない。戦争は大統領選挙の後、ということだ。 ボルトンの後任に選ばれたチャールズ・クッパーマンはネオコンと兵器産業と深く結びついていることで知られ、そうした意味でヒラリー・クリントンに近い存在。ボルトンとは2016年の大統領選挙より前から緊密な関係にあったと言われている。ボルトンが解任されても情況に大きな変化はないのだが、それでもボルトンというタグが外される意味は大きい。実際、朝鮮は姿勢を変化させた。 しかし、2018年4月の板門店における首脳会談の背後にはロシアや中国が存在している。その前月に金委員長は特別列車で北京へ入り、釣魚台国賓館で中国の習近平国家主席と話し合う。そして板門店での会談だ。 今年8月にアメリカ軍と韓国軍が合同軍事演習を実施、朝鮮は反発して韓国との和平交渉の継続を拒否、ミサイル発射実験を実施した。その直後に朝鮮人民軍総政治局の金秀吉(キム・スギル)局長を団長とする代表団が北京を訪問、中国と朝鮮の軍事的なつながりは一層、強化されると伝えらている。 ロシアが朝鮮にアプローチしたのはさらに早く、2011年の夏にはドミトリ・メドベージェフ首相がシベリアで朝鮮の最高指導者だった金正日と会っている。その際、ロシア側は110億ドル近くあったソ連時代の負債の90%を棒引きにし、鉱物資源の開発などに10億ドルを投資すると提案している。朝鮮は資源の宝庫。豊かになれる可能性を秘めた国なのだ。そのためには主権を維持、植民地化を防がなければならない。 ロシアや中国はユーラシア大陸に鉄道網を張り巡らせ、エネルギー資源を運ぶパイプラインを建設しようという計画を持っている。朝鮮が同意すれば、朝鮮半島を縦断する鉄道とパイプラインを建設できる。 これらは中国の中国の一帯一路(BRI/帯路構想)とつながる。人間や物資を陸上で運ぼうという計画で、これは海路を支配して内陸国を締め上げるというイギリスやアメリカの伝統的な戦略を揺るがすものだ。その海上支配も最近では揺らいでいる。 ロシアの提案を金正恩の父にあたる金正日は受け入れたのだが、2011年12月に急死。朝鮮の国営メディアによると、12月17日に列車で移動中に車内で急性心筋梗塞を起こして死亡したというが、韓国の情報機関であるNIS(国家情報院)の元世勲院長(2009年~13年)は暗殺説を唱えていた。 板門店で韓国と朝鮮の首脳が会談する直前、軍事的に大きな出来事があった。その13日前、アメリカ軍、イギリス軍、フランス軍はシリアに向けて100機以上の巡航ミサイル(トマホーク)を発射、その7割がロシア製の防空システムで無力化されてしまったと言われている。 その1年前、2017年4月7日にはアメリカ海軍が地中海に配備していた2隻の駆逐艦、ポーターとロスから59機の巡航ミサイル59機をシリアのシャイラット空軍基地に向けて発射、その6割が無力化されている。 2017年の攻撃はトランプ大統領と中国の習近平国家主席がフロリダ州でチョコレート・ケーキを食べている最中に実行された。アメリカ側としては中国を恫喝するつもりだったのだろうが、逆効果だった。 アメリカが仕掛けたミサイル攻撃はロシアの防空システムが優秀だということを示すことになったが、それを朝鮮の指導部も見ていたはず。アメリカに対する恐怖心は和らいだことだろう。 ロシアのウラジミル・プーチン大統領は自分の計画を進めるにあたり、きちんとした手順を踏もうとする。アメリカと朝鮮の話し合いは必要だと考えているはずだが、その話し合いがアメリカを中心として動くと考えるべきではない。
2019.09.22
東京地裁(永渕健一裁判長)は9月19日、業務上過失致死傷罪で起訴されていた東京電力の旧経営陣、つまり勝俣恒久元会長、武藤栄元副社長、武黒一郎元副社長に無罪を言い渡した。2011年3月11日に起こった東電福島第1原発の事故に法的な責任はないと永渕裁判長らは判断したわけである。 日本は地震国と言われているわけで、巨大地震も起こる。必然的に津波に襲われることも予見できる。東電では2008年3月、原発を襲う可能性がある津波の高さが最大15.7メートルという情報を得ていたという。その報告を武藤は拒絶、防潮堤建設などの津波対策をとらなかった。 そうした情況で炉心がメルトダウンするような事故を引き起こした東電に責任があることは明らかで、その責任者が責任をとることも常識。その常識と司法の法的な判断が違うことを今回の判決は再確認させせたわけだ。 事故を起こした原発と同じ福島県にある福島第2原発では1989年1月に冷却水再循環ポンプ内へボルトや座金が脱落、それが原子炉内に流入するという重大な事故が引き起こされている。前年の暮れからポンプ内で振動があり、警報も鳴っていたのだが、東電の指示で運転を続けた結果だという。 しかも、この重大事故を東電や国は県へ速やかに報告していない。2002年8月には東電による点検記録の改竄を国が報告していなかったことも県は知る。当然のことながら当時の知事、佐藤栄佐久は怒り、国や東電が進めていたプルサーマル計画の了承を取り消して東電管内の原発稼働を拒否した。 再稼働が認められた2006年7月当時、佐藤知事は厳しい状況に陥っていた。知事の弟である祐二が土地取引に関して検察から取り調べを受けていたのだ。9月に祐二は逮捕された。県議会内では知事の辞職を求める声が高まり、辞職を表明せざるをえなくなる。 そして10月、佐藤栄佐久は東京地検特捜部に収賄の容疑で逮捕されてしまった。懲役2年、執行猶予4年の判決が確定しているが、裁判の記録を読むと、冤罪だった可能性が高いと言わざるをえない。 この事件は東京地検特捜部が捜査したのだが、それを特捜部の副部長として指揮したのが佐久間達哉。この人物が特捜部長だった2009年11月、政治収支報告書における虚偽記載の問題に絡んで小沢一郎が告発されるが、この問題も事実上、冤罪だった。 その取り調べの中で、小沢の秘書だった石川知裕の供述内容に関する虚偽の捜査報告書を検察は作成、それを検察審査会に提出し、小沢氏に対する起訴議決に誘導しようとしていた事実が発覚している。それに対して検察は「記憶違い」だとして関係者全員を不起訴にした。 担当検事は懲戒処分を受けて辞職したものの、特捜部長だった佐久間達哉は前橋地検検事正、千葉地検検事正、そして2016年には法務総合研究所の所長に就任。また、この事件を不起訴にした当時の最高検主任検事の長谷川充弘は広島高検検事長を務めた後、証券取引等監視委員会の委員長のポストに就いた。 政治収支報告書における「虚偽記載」は日本の政治を左右しても取り組むべき重大な問題だが、無実の人間を罪人にしようとする捜査報告書の虚偽記載はたいした問題でないと日本の司法システムは考えていると言えるだろう。 福島第1原発の事故を引き起こした責任は東電の旧経営陣だけでなく検察や裁判所にもある。原発政策を推進してきた官僚や政治家、その政策で甘い汁を吸ってきた関連企業、広告会社、マスコミなども責任を免れない。そうした意味で、裁判所が東京電力の旧経営陣に事故の責任はないとする判決を出すのは当然なのだろう。何しろ、仲間だ。
2019.09.21

香港の反中国派は運動が行き詰まり、公然とアメリカ支配層に介入を要請しはじめた。アメリカではそれに応える動きがある。運動が始まった当初から反中国運動の背後にCIAが存在していることは本ブログでも指摘した通りだが、そうした関係が広く知られるようになり、開き直ったのかもしれない。 現在、アメリカ下院では中国への内政干渉を形式的に合法化するため、「香港人権民主主義法」の成立が図られている。同じ趣旨の法案が登場したのは2016年のこと。提案者はトム・コットン上院議員とマルコ・ルビオ上院議員だ。 ルビオは2017年5月、香港における反中国運動の中心メンバーである黄之鋒(ジョシュア・ウォン)と会い、黄は今年(2019年)8月6日に羅冠聰(ネイサン・ロー)らと一緒にアメリカのジュリー・イーディー領事とJWマリオット・ホテルで話し合っているところを撮影されている。領事から支持を受けているようにも見える写真が公開された。イーディーは外交官だが、前にも書いたように、CIAの非公然オフィサーだと噂されている人物だ。 黄や羅のような若者を操っている人物として言われているのが元王室顧問弁護士の李柱銘(マーチン・リー)、アップル・デイリー(蘋果日報)などのメディアを支配する黎智英(ジミー・リー)、香港大学の戴耀廷(ベニー・タイ)副教授、カトリックの枢機卿である陳日君(ジョセフ・ゼン)、公民党の余若薇(オードリー・ユー)、元政務司司長の陳方安生(アンソン・チャン)など。こうした人びとは2014年9月から12月まで続いた「佔領行動(雨傘運動)」でも中心的な役割を果たした。 ルビオはキューバ系だが、イスラエルのためにも活動している。アメリカでは上院も下院も議員の大半が親イスラエル派ではあるが、ルビオはイスラエルに対するBDS(ボイコット、資本の引き揚げ、制裁)を法的に禁止しようとしているグループのひとりだ。 ベネズエラにアメリカの傀儡政権を樹立させる工作にもルビオは参加している。この工作は1999年にビル・クリントン政権がクーデターを計画したところからはじまる。この年にベネズエラの大統領となったウーゴ・チャベスがアメリカから自立した体制を築こうと考えたからだ。 その計画は2002年にジョージ・W・ブッシュ政権が始動させた。中心になったのはイラン・コントラ事件にも登場するエリオット・エイブラムズ、1986年から89年にかけてベネズエラ駐在大使を務めたオットー・ライヒ、そしてジョン・ネグロポンテ国連大使。ネグロポンテは1981年から85年にかけてホンジュラス駐在大使を務めていたが、そのときにニカラグアの革命政権に対するCIAの秘密工作に協力、死の部隊にも関係している。 2002年のクーデターは事前にOPECの事務局長を務めていたアリ・ロドリゲスからウーゴ・チャベス大統領へ知らされていたことから失敗するが、それでもアメリカ支配層があきらめない。例えばウィキリークスが公表したアメリカの外交文書によると、2006年にもベネズエラではクーデターが計画されている。「民主的機関」、つまりアメリカの支配システムに操られている機関を強化し、チャベスの政治的な拠点に潜入、チャベス派を分裂させ、それによってアメリカの重要なビジネスを保護し、チャベスを国際的に孤立させるとされている。 チャベスは2013年3月に癌のため、58歳の若さで死亡。その際にアメリカは体制転覆を目論むが、それも失敗、アメリカに好ましく思われていないニコラス・マドゥロが大統領に就任した。そのマドゥロ政権を倒す工作を現在も進めている。 その手先に選ばれたのがフアン・グアイドで、アメリカに軍事介入を求めていた。それを支援していたひとりがルビオ。この議員は自身のツイッターにムアンマル・アル・カダフィの元気な時の姿と惨殺される寸前の様子を撮影した写真を並べて載せていた。 3月7日にベネズエラでは大規模な停電があったが、その数分後にルビオ議員はその状況を詳しく述べ、空港ではバックアップの発電機も起動しなかったことを指摘している。これは事実だが、その時点ではベネズエラ政府もその事実を把握できていない。「語るに落ちる」だ。 アメリカの支配グループは各国有力者を買収や恫喝で操っているが、自主性を捨てない体制は要人暗殺、クーデター、場合によっては軍事侵攻で潰してきた。かつてのクーデターは現地の軍事を使っていたが、1990年代からは「民主派」を装った「カラー革命」が多い。 1960年代のベトナム戦争や70年代から80年代にかけてのラテン・アメリカにおける体制転覆工作で人権を無視する手段で民主化勢力を抹殺したことでアメリカのイメージが悪化、それを反省したのか、80年代には侵略に「民主」、「人権」、「自由」といったタグをつけるようになる。ロナルド・レーガン政権がはじめた「プロジェクト・デモクラシー」だ。 そうしたタグをつける役割を負っているのが有力メディア。侵略に「民主」、「人権」、「自由」といったタグをつけるという手法の効果は絶大だった。1991年から広告会社がイメージ戦略で重要な役割を果たすようになる。 その一方、有力メディアやハリウッドでは真に民主主義、人権、自由を擁護する人びとが排除され、潰されていった。ジョン・F・ケネディ大統領が暗殺された後、支配層にとって目障りな有名人が暗殺されたり変死している。中には刑事被告人として追われることになった人もいる。 アメリカはウィリアム・ブラウダーの脱税事件をロシア当局が取り調べていた途中にブラウダーの金庫番だったセルゲイ・マグニツキーが死亡したことを利用、ロシアを攻撃するために「マグニツキー法」を2012年に制定、2016年に法律の対象は全世界に広げられた。アメリカ政府が人権を侵害したと認定した人物の資産を凍結、アメリカへの入国を禁止することができるようになったのだ。その2016年にルビオ上院議員たちは「マグニツキー法」と似た「香港人権民主主義法」を持ち出してきたわけである。 なお、ECHR(欧州人権裁判所)はロシア当局によるブラウダーやマグニツキーに対する捜査は正当なもので、政府高官の不正をマグニツキーやブラウダーが主張し始める数年前から当局はふたりを脱税容疑で調べ始めたと判断している。
2019.09.20
サウジアラビアはアメリカに歩調を合わせ、アラムコの石油処理施設を9月14日に攻撃したのはイランだと主張し始めた。施設の北側から攻撃されたということだが、北にはアメリカ軍の基地があり、駐留しているイスラエル軍がイラク領内を攻撃してイラク政府と対立している。アメリカの「御告げ」はともかく、イランが攻撃したことを示す証拠は見当たらない。2003年にイラクを先制攻撃する前と同じパターンだ。 サウジアラビアをはじめとする産油国はアメリカが外部からの攻撃を防ぎ、支配層の地位を守り、個人的な収入を保証するという条件の下で、石油取引の決済をドルに限定してきた。ペトロダラーの仕組みだ。外部の敵対国による攻撃からサウジアラビアを守る義務がアメリカにはある。その義務をアメリカは果たさなかった、あるいは果たせなかったことになるわけだ。 すでに崩れかかっているペトロダラーの仕組みだが、今回の攻撃に関するアメリカやサウジアラビアの主張が正しいなら、その仕組みにとって致命傷になる。すでにサウジアラビアの現体制はロシアにS-400の購入を打診、ドル以外の通貨で決済する可能性も指摘されている。アメリカとサウジアラビアとの同盟関係はかつてほど強くはない。 サウジアラビアはイスラエルと同じように、「建国」にイギリスが重要な役割を果たした。 第1次世界大戦当時、中東はオスマン帝国に支配されていた。その帝国を解体するため、イギリスのマーク・サイクスとフランスのフランソワ・ジョルジュ-ピコは協定の原案を作り、そこに帝政時代のロシアが加わって1916年5月に秘密協定が結ばれた。これがサイクス・ピコ協定。その内容は1917年11月のロシア十月革命で成立したボルシェビキ政権によって明るみに出た。 協定が結ばれた直後の1916年6月、イギリス外務省アラブ局はオスマン帝国を揺さぶるため、アラブ人を扇動して反乱を起こさせた。「アラビアのロレンス」ことトーマス・ローレンスが所属していたのはそのアラブ局だ。そのイギリスはウィリアム・シェークスピアというエージェントをワッハーブ派のイブン・サウドに接触させていた。シェークスピアの戦死を受け、引き継いだのがジョン・フィルビー。 その一方、イギリスはイブン・サウドとライバル関係にあったフセイン・イブン・アリも支援、この人物は1915年7月から16年1月にかけてイギリスのエジプト駐在高等弁務官だったヘンリー・マクマホンと書簡をやりとりしている。その書簡の中には、イギリスがアラブ人居住地の独立を支持すると約束した「フセイン・マクマホン協定」も含まれている。 イブン・アリは1916年、アラビア半島西岸にヒジャーズ王国を建国。1924年にはカリフを名乗るものの、イスラム世界から反発を受け、イブン・サウドに追い出される一因になった。ヒジャーズ王国は1931年にナジェドと連合、32年にはサウジアラビアと呼ばれるようになる。その国教になったのがワッハーブ派だ。 イギリス、そして後にアメリカがサウジアラビアを重視するのは地政学的なものだけでなく、石油。1960年代の後半にアメリカは経済が破綻、1971年にリチャード・ニクソン大統領はドルと金の交換を停止すると発表した。金のいう裏付けをなくしたドルを支えるために考えられたのがペトロダラーだ。 ペトロダラーとは石油取引を利用したドルの循環システム。アメリカの支配層はサウジアラビアなど産油国に対し、石油取引の決済をドルに限定させることでエネルギー資源を必要とする国にかき集めさせ、集まったドルをアメリカへ還流させるという仕組みだ。 そうした協力の代償としてアメリカは国の防衛や支配者たちの地位や収入の保証を約束。この協定をサウジアラビアはアメリカと1974年に結んでいるが、ほかのOPEC加盟国も同じ内容の協定を締結した。(Marin Katusa, “The Colder War,” John Wiley & Sons, 2015) ペトロダラーはドル体制を守る重要な仕組みであり、ドル体制はアメリカの支配システムを支えている。アメリカは基軸通貨を発行する特権を持っているため、意に沿わぬ体制に経済戦争を仕掛け、軍事侵略することが可能。ペトロダラーが揺らぐということは、アメリカの支配システムが揺らぐということでもある。本当にアラムコの石油施設をアメリカが防げなかったとするならば、ペトロダラーの前提が崩れる。
2019.09.19
世界の回転軸はアメリカから中露へ移動しつつある。1991年12月にソ連を消滅させることに成功、ネオコンをはじめとするアメリカの支配層は自国が唯一の超大国になったと思い込んだことが間違いの始まりだったと言えるだろう。 ソ連が消滅した後、その中核だったロシアは西側巨大資本の傀儡だったボリス・エリツィンが実権を握る。彼の周辺にいた腐敗勢力は西側の手先として国の資産を盗む手助けをし、自分たちも巨万の富を築いた。それがオリガルヒだ。 ロシアを欧米巨大資本の属国にしたエリツィンの時代は1999年まで続くが、その間にロシア人の大半は貧困化し、街は犯罪者と売春婦であふれたと言われている。その8年間にロシア人は西側、あるいは資本主義の実態を知った。 そのロシアを再独立させたのがウラジミル・プーチンを中心とする勢力。プーチン人気の原因はここにあるが、かれはエリツィン時代に国の資産を略奪した人びとへの対応が甘いとも見られている。現在、プーチンを批判する人の多くは西側とつながっている人脈の完全な排除を望んでいるという。 エリツィン時代にはアメリカ人もロシアに入り、略奪に参加していた。そのひとりとしてウィリアム・ブラウダーの名前も挙がっている。ブラウダーは投資ファンドを経営していたが、そのファンドはモスクワの法律会計事務所ファイアーストーン・ダンカンと契約していた。その事務所で税金分野の責任者だったのがセルゲイ・マグニツキー。 ロシアの捜査当局はブラウダーを脱税容疑で調べはじめ、マグニツキーを2008年11月に逮捕する。ECHR(欧州人権裁判所)が今年8月に出した判決によると、捜査対象になっていたマグニツキーがイギリスのビザを請求、キエフ行きのチケットを予約、しかも登録された住所に彼が住んでいないことが判明したためだという。そして拘留中の2009年11月に獄中で死亡した。 ECHRによると、その捜査は正当なもので、政府高官の不正をマグニツキーやブラウダーが主張し始める数年前から当局はふたりを脱税容疑で調べ始めている。告発に対する弾圧というシナリオは成り立たないわけだが、アメリカの政界や有力メディアはそのシナリオに乗った。 マグニツキーの死因は心臓病だという説は当初からあった。彼の妻もそう考えているようだ。(Andrey Nekrasov, “The Magnitsky Act. Behind the Scenes,” 2016)適切な医療が受けられなかった可能性が高いのだが、それはロシアの刑務所におけるシステム的な問題。マグニツキーの事件だけの個別的な問題ではない。 2013年にロシアの裁判所はブラウダーに対し、脱税で懲役9年の判決を言い渡している。ロシアの検察当局によると、ブラウダーはロシアで脱税に手を染めていただけでなく、石油会社ガスプロムの株式を違法に取得していたという。 告発者の弾圧というシナリオを宣伝するため、ブラウダーは反プーチンで知られている映画監督のアンドレー・ネクラソフを雇うのだが、取材の過程で彼はブロウダーの会社で働いていた女性が本当の内部告発者で、脱税はブロウダーが行っていたことをつかむ。しかも、その不正にマグニツキーは金庫番として関わっていたこともわかった。 ネクラソフは雇い主の意向を「忖度」せず、事実をドキュメンタリーの中に盛り込む。そのためにふたりは対立、作品を公開することが困難になった。それだけの圧力がかかっている。 一方、西側ではブラウダーの主張が事実として宣伝されてきた。そもそもブラウダーが西側支配層の手先として活動していた可能性もある。アメリカでは彼の主張に基づいてロシアを「懲罰」するための法律、いわゆる「マグニツキー法」が2012年に制定された。その後、2016年に法律の対象は全世界に広がり、アメリカ政府が人権を侵害したと認定した人物の資産を凍結、アメリカへの入国を禁止することができることになる。この法律を正当化するために使われたシナリオをECHRは今回、否定したのだ。
2019.09.18
サウジアラビアのアブカイクとハリスにあるアラムコの石油処理施設に対する攻撃の責任をマイク・ポンペオ国務長官はイランに押しつけている。アフガニスタンやイラクを攻撃する前と同じ。統合参謀本部にも反対されているイラン攻撃を実行したい勢力は今回の攻撃に飛びついたのかもしれないが、イランには攻撃する理由が見当たらない。そのポンペオの発言に飛びつく人は救いがたい。 今回、石油処理施設を攻撃したのは自分たちだとフーシ派は発表しているのだが、イランを侵略したい勢力への追い風になったという側面があることからアメリカの好戦派やイスラエルが背後にいるのではないかという推測も流れている。 サウジアラビアにはアメリカの防空システムが配備されているにもかかわらず、脆くもアラムコの施設が破壊されたことに疑問を持つ人もいる。アメリカのシステムが無能なのか、アメリカが機能させなかったのかということだ。 攻撃後、ロシアのウラジミル・プーチン大統領は高い能力を実証済みのロシア製防空システムを提供する用意があると発言しているが、2017年10月にロシアを訪問したサウジアラビアのサルマン・ビン・アブドゥルアジズ・アル・サウド国王はS-400を含む兵器の取り引きを議題にしている。 石油施設が攻撃されたタイミングも興味深い。ジョン・ボルトンが国家安全保障補佐官を解任された直後だからだ。ボルトンはマイク・ペンス副大統領やポンペオ国務長官と同じシオニストの好戦派。ところが、元CIAオフィサーで内部告発者のジョン・キリアクによると、トランプはイエメンでの戦争を止めたがっていた。この戦争が負担になっているサウジアラビアも同じだ。そこでボルトンは解任。ボルトン、ペンス、ポンペオは朝鮮半島での話し合いも壊し、その前にはシリアから撤退するというトランプ大統領の方針を潰している。 すでに本ブログでも指摘したが、イエメンでの戦争が始まる切っ掛けはアメリカ主導軍による2003年のイラク侵略。それに抗議するため、フーシ派はモスクで反アメリカ、反イスラエルを唱和した。イエメン政府はそうした行為を弾圧し、首都のサヌアで800名程度を逮捕、それが引き金になって2004年に戦闘が始まったのである。 戦闘はフーシ派が優勢になり、2009年にサウジアラビアはイエメンに空軍と特殊部隊を派遣した。軍事介入を決めたのは国王の息子であるムハンマド・ビン・サルマン皇太子だ。その年には「アラビア半島のアル・カイダ(AQAP)」が創設されている。 今回の攻撃は中東での戦乱がエネルギー資源の供給を困難にすることを再確認させたが、ポンペオたちはその攻撃を利用して無謀な戦争を始めようとしている。
2019.09.17
サウジアラビアのアブカイクとハリスにあるアラムコの石油処理施設が9月14日に10機のドローン(無人機)で攻撃され、生産量が半分に落ちたという。フーシ派は自分たちが攻撃したと発表している。フーシ派はサウジアラビアの油田違いを攻撃できるドローン(無人機)やミサイルを開発したとする情報が流れていたが、それが現実になったと言えそうだ。 アブカイクとハリスの施設は石油や天然ガスの生産で重要な役割を果たしているが、サウジアラビアを横断して紅海に面したヤンブーに至るパイプラインの出発点でもある。イランとの軍事的な緊張がさらに高まってホルムズ海峡が使えなくなった場合、重要な迂回ルートになるはずだったが、イランとの戦争が始まった場合、そのルートも使えなくなる。 今回の攻撃についてアメリカのマイク・ポンペオ国務長官はイランが実行したと非難、イランはその主張を否定している。またイラク領からの攻撃があったとする情報もあるが、これをイラク政府は否定した。 現在、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアはイランに対して経済戦争を仕掛け、軍事的な圧力を強めている。イランに対する侵略戦争は無謀だとアメリカの統合参謀本部は判断しているが、ポンペオやマイク・ペンス副大統領のようなキリスト教系カルトやシオニストはイランの破壊を目論んでいる。 1997年から2000年にかけて欧州連合軍最高司令官を務めたウェズリー・クラークによると、1991年に国防次官のポール・ウォルフォウィッツはイラク、シリア、イランを殲滅すると口にしていた。実際、アメリカは2003年にイラクへ軍事侵攻、シリアは2011年にジハード傭兵を投入して侵略戦争を開始、そしてイランを狙っている。 統合参謀本部はイラクへの軍事侵略にも反対していた。大義がなく、作戦が無謀だという理由からだが、イランへの攻撃はそれ以上に無謀。アメリカのことを考えている人物にはできないことである。現在、アメリカを動かしている勢力はアメリカのことを考えていないとも言える。 本ブログでは繰り返し書いているが、21世紀に入ってロシアが再独立、ウォルフォウィッツのプランはロシアを属国化したという前提が崩れた。そこでネオコンはロシアの再属国化するために核戦争で脅しているのだが、機能していない。現在、イランを攻撃したがっているのは別のシオニストだ。 フーシ派がサウジアラビアを攻撃したのは、サウジアラビアが自らの利権のためにイエメンに軍事介入したため。軍事介入を決めたのはムハンマド・ビン・サルマン皇太子。アメリカのドナルド・トランプ大統領やイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相と近い人物だ。 その皇太子が軍事介入を決めたのは、サウジアラビア、アメリカ、イスラエルが支援しているアリ・アブドゥラ・サレーハ政権がイエメンで実権を失いそうになったからだ。 その対立の原因はアメリカ主導軍による2003年のイラク侵略にある。その攻撃に抗議するため、フーシ派はモスクで反アメリカ、反イスラエルを唱和、政府がそうした行為を弾圧して首都のサヌアで800名程度を逮捕。この弾圧が切っ掛けで戦闘が始まった。2004年のことだ。 戦闘はフーシ派が優勢になり、2009年にサウジアラビアはイエメンに空軍と特殊部隊を派遣した。その年には「アラビア半島のアル・カイダ(AQAP)」が創設されている 本ブログで繰り返し書いてきたように、アル・カイダはCIAに雇われ、訓練を受けた戦闘員のコンピュータ・ファイル。戦闘員の中心はカルト色の濃いサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)や歴史的にイギリスとの関係が深いムスリム同胞団。CIAだけでなく、サウジアラビアやイスラエルの情報機関も深く関係している。 2011年にサレーハ大統領は辞任、副大統領だったアブド・ラッボ・マンスール・アル・ハディが翌年2月から新大統領を務めることになる。任期は2年なので2014年2月までだが、ハディはイエメンに権力の基盤がなく、辞任後のサレーハを脅かすことはないだろうという読みがあったと言われている。実際、真の意味のハディ派は存在せず、ハディ自身はさっさとサウジアラビアへ逃走した。 そしてモハマド・ビン・サルマンがサウジアラビアの国防大臣に就任した2015年、同国は100機におよぶ戦闘機、15万名の兵士、さらに海軍の部隊を派遣(国境を越えているかどうか不明)。攻撃にはアラブ首長国連邦、バーレーン、カタール、クウェートなどの国も参加し、アメリカも物資や情報の面で支援していると言われている。 予想されたようにイエメンへの軍事介入はサウジアラビアを疲弊させ、財政の悪化は深刻になっている。支配層の内部で対立が深刻化、2017年10月にジッダの宮殿近くで、また18年4月にリヤドの王宮近くで銃撃戦があったと言われている。 その間、2017年11月には大規模な粛清があり、48時間で約1300名が逮捕され、その中には少なからぬ王子や閣僚が含まれていた。 サウジアラビアの現政権は決して安定していない。アメリカやイスラエルが支えているはずだが、いつまで持つかは不明。フーシ派はさらなる攻撃を予告している。
2019.09.16
インディペンデント(アラビア語版)によると、ロシア政府のイスラエル政府に対する姿勢が厳しくなった。これまでロシアはロシア人がターゲットにならないかぎりイスラエルによるシリア攻撃を黙認するという姿勢だったが、この報道が事実なら、その姿勢が変化したようだ。8月にはシリアに対するイスラエルの攻撃を3度止めさせたという。さらに、イスラエル軍機が領空を侵犯した場合、戦闘機や防空システムのS-400で撃墜するとプーチンはロシア訪問中のネタニヤフに通告したとも伝えられている。 ロシアがイスラエルとの戦闘を避けてきた理由のひとつはイスラエルにアメリカ軍の秘密基地があり、同国が兵器庫として機能しているためだとも言われている。イスラエルとの戦争に発展することは避けたいだろうが、侵略には反撃するという意思を示したのだろう。 イスラエルでは9月17日に議会選挙が予定されているが、3年前から汚職容疑で捜査の対象になっているネタニヤフにとって今年の選挙は通常より大きな意味がある。そこで、選挙対策として軍事的な行動に出たと推測する人は少なくない。 4月9日の選挙では120議席のうちベンヤミン・ネタニヤフが率いる「リクード」が38議席を獲得し、3名の元参謀総長(ベニー・ガンツ、ガビ・アシュケナージ、モシェ・ヤーロン)をリーダーとする「青と白」の35議席を上回ったが、組閣に失敗して再選挙になった。 ネタニヤフの父、ベンシオン・ネタニヤフは「修正主義シオニズム」の祖であるウラジミル・ジャボチンスキーの秘書だった人物。その流れを汲む人びとは今でも大イスラエル、つまりユーフラテス川とナイル川で挟まれている地域を支配しようとしている。 イスラエルではゴラン高原に続いてヨルダン川西岸を併合しようとする動きがあるが、それは序の口にすぎない。イスラエルの支配地域をイラク、シリア、イラン、レバノン、エジプトに広げると公言している活動家もいるのだ。 ジャボチンスキーは「ユダヤ人の国」の建設を公言していたが、その構想は19世紀に描かれている。その構想を実現するために多額の資金を提供した富豪がいるのだが、そのひとりがエドモンド・ジェームズ・ド・ロスチャイルド。テル・アビブを中心にパレスチナの土地を買い上げ、ユダヤ人入植者へ資金を提供している。 この富豪はフランス人だが、イギリスにも同調者はいた。例えば、同じ一族のライオネル・ド・ロスチャイルドだ。そのライオネルと親しかったベンジャミン・ディズレーリはイギリスの首相を務めているが、その際にスエズ運河を買収している。 エドモンド・ジェームズ・ド・ロスチャイルドの孫にあたるエドモンド・アドルフ・ド・ロスチャイルドもイスラエルの支援者として有名。この人物やアメリカの富豪アブラハム・フェインバーグはイスラエルの核兵器開発を後押ししていたことでも知られている。なお、フェインバーグはハリー・トルーマンやリンドン・ジョンソンのスポンサーとしても有名だ。このふたりは前任大統領の死によって副大統領から昇格したという共通項がある。 この流れはシオニストの本流的な存在で、傍流のジャボチンスキー派とは違いがある。時代によって変化はあるが、両派の対立は無視できない。ヒラリー・クリントンを担いでいたネオコンの背景は本流、ドナルド・トランプの背景は傍流と言えるだろう。 ジャボチンスキー派は1970年代にアメリカのキリスト教系カルトと手を組んで影響力が増大、イスラエルでも主導権を握ってリクードが労働党を押さえ込むようになる。 21世紀に入ってその構造に変化が生じるが、その一因はロシアからオリガルヒが逃げ込んできたことにあるだろう。言うまでもなくオリガルヒとはボリス・エリツィン時代に西側の巨大資本やクレムリンの腐敗勢力の手先になって巨万の富を築いた人びと。つまりシオニストの本流に近い。 シオニストの本流は19世紀にイギリスで作られた長期戦略に従って動いているように見える。ユーラシア大陸の周辺地域を支配し、内陸部を締め上げ、最終的にはロシアを制圧して世界の覇者になるというプランだ。 この戦略は1904年にハルフォード・マッキンダーという地理学者が発表しているが、その前から支配層の内部では考えられていたのではないだろうか。 19世紀の半ばからイギリスは中国(清)の制圧に乗り出す。そのために引き起こされたのが1840年から42年までのアヘン戦争や56年から60年までの第2次アヘン戦争だ。 これらの戦争でイギリスは勝利したが、それは沿岸部の制圧にとどまる。内陸部を制圧する戦力がなかったからだ。内陸部を支配し、中国を完全な植民地にするためには傭兵が必要。そこで彼らは日本に目をつけたのだろう。イギリスが薩摩や長州を支援、その薩長を中心とする明治体制が琉球、台湾、朝鮮、そして中国を侵略していく。その流れが止まるのは日本軍がソ連軍に惨敗した1939年のノモンハン事件だ。 ネオコンは1991年12月にソ連が消滅、自分たちの傀儡であるエリツィンがロシア大統領に就任した時点で世界制覇の達成は目前だと考えたのだろう。アメリカを「唯一の超大国」と表現し、1992年2月には世界制覇プランのウォルフォウィッツ・ドクトリンを作成している。このドクトリンに基づき、ネオコン系のPNAC(新しいアメリカの世紀プロジェクト)は2000年に報告書を発表、ジョージ・W・ブッシュ政権はそれに基づく政策を打ち出していく。 しかし、21世紀に入り、そのプランの前提であるロシアの属国化が崩れる。ウラジミル・プーチンを中心とする勢力がロシアを再独立させたのだ。それ以降、ネオコンはプーチン体制を破壊しようと必死だ。バラク・オバマ政権がロシアとの関係を悪化させ、ヒラリー・クリントンがロシアを恫喝、その後の反ロシア工作(ロシアゲート)につながる。 こうした中、プーチンはネタニヤフに寛大な姿勢を示してきた。ネオコンを牽制するためだろうが、アメリカの影響力が急速に弱まっていることもあり、ロシア政府の姿勢が変化してきたのだろう。 今年6月23日にネタニヤフはイスラエルでアメリカのジョン・ボルトン国家安全保障補佐官とイランを巡る問題について話し合い、24日と25日にはボルトンのほかイスラエルで国家安全保障担当の顧問を務めるメイア・ベン・シャバトやロシアのニコライ・パトルシェフ安全保障会議長官が加わった会議が開かれたという。そのボルトンは補佐官を解任された。
2019.09.15
今から77年前、真珠湾攻撃から9カ月後の1942年9月14日に細川嘉六が逮捕された。その直前には外務省と密接な関係にある世界経済調査会で働いていた川田寿と妻の定子も逮捕されている。 川田寿と定子は1930年にアメリカで結婚、41年に帰国してから世界経済調査会に就職したが、アメリカ時代にコミュニスト関係の活動をした疑いがかけられたという。 その後、平館利雄や西沢富夫も逮捕され、家宅捜索で1枚の写真が発見される。1942年7月に富山県の泊(今では朝日町の一部)で細川の著作『植民史』の出版記念を兼ねた親睦会が開かれているが、その際に撮影されたものだ。それを神奈川県警察特別高等課は共産党再建準備会だと主張、大弾圧につなげたのである。 結局、横浜事件では言論関係者を中心に60名以上が逮捕され、30名以上が有罪判決を受けた。そのうち4名は獄死、釈放直後に獄中の心神衰弱が原因で死亡した人物もいる。 こうした弾圧を指揮していたのは当時の内務次官で1932年から36年にかけて警保局長を務め、東条英機の懐刀と言われていた唐沢俊樹だと見られている。1942年から43年にかけての警保局長は三好重夫、43年から44年にかけては町村金五だ。このでっち上げ事件では内務官僚や特高だけでなく、検察官や裁判官も共謀関係にある。 この事件が冤罪だと言うことは警察や検察だけでなく裁判所も知っているはず。何しろ裁判所の職員も裁判記録を焼却しているのだ。現在の裁判官がこの事件を免訴という形で有耶無耶にした理由もその辺にあるのだろう。 大戦後、唐沢は衆議院議員になり、岸信介内閣では法務大臣に就任。三好は公営企業金融公庫の総裁を経て自治省の特別顧問に就任、町村は衆議院議員、参議院議員、北海道知事などを務めた。その息子が町村信孝だ。 この3人に限らず、内務官僚、思想検察、特高などの幹部は戦後も支配階級の人間として君臨した。裁判官も責任を問われたとは言いがたい。天皇制官僚体制は大戦後も存続、戦前の思想弾圧で中枢を占めていた人びとが戦後も要職に就いているのである。「国体」は護持された。 戦前の日本には「軍国主義国家」というタグがつけられ、軍人に全責任を押しつけているが、実態は天皇制官僚国家。本ブログでは繰り返し書いてきたように、関東大震災以降、日本はJPモルガンを中心とするアメリカの巨大金融資本の影響下にあり、その金融資本は1933年から34年にかけてフランクリン・ルーズベルト政権を倒してファシズム体制を樹立するためにクーデターを計画していた。 そのJPモルガンが日本へ大使として送り込んだのがジョセフ・グルー。「軍国主義国家」というタグは天皇制官僚国家の実態を見えなくする。しかもアメリカ支配層(ウォール街)にとって都合の良い軍人は戦後、厚遇されている。 思想弾圧の最前線に立つことになる特高が警視庁で設置されたのは1911年。大逆事件の後だ。弾圧の法的な根拠になる治安維持法は1925年3月、普通選挙法と同時に成立した。公布されたのは治安維持法が4月、普通選挙法が6月である。 大逆事件は明治天皇の暗殺を計画したとして多くの社会主義者や無政府主義者が逮捕され、24名に死刑(半数は無期懲役に減刑)が言い渡された事件。裁判は非公開で行われ、証人調べもなく、裁判記録も残されていない。つまり裁判官を含め、司法関係者は確信犯的に事件をでっち上げたのである。 この事件の場合、裁判記録が存在しないため、検察側の主張や裁判の実態は不明。被疑者のうち4名は暗殺を計画したと推認できるとされているが、幸徳秋水がそれに関わったとする主張には疑問が持たれている。他の被疑者は全く無関係だった可能性が高い。 日本の裁判所は戦前の犯罪的な行為を清算していない。国民はそれを許してきた。裁判官が戦前と同じように動くのは必然だ。
2019.09.14
ジョン・ボルトン国家安全保障補佐官の後任にチャールズ・クッパーマン副補佐官が昇格すると伝えられている。この人物はネオコンと兵器産業と深く結びついていることで知られ、そうした意味でヒラリー・クリントンに近いと言えるだろう。ボルトンとは2016年の大統領選挙より前から緊密な関係にあったと言われている。 クッパーマンは1950年生まれで、78年から80年にかけての期間、CPD(現在の危機委員会)で上級分析官を務めている。CPDは1950年に創設されているが、ジェラルド・フォード政権(1974年から77年)で台頭したネオコンを含む好戦派(反デタント派)が76年に再編している。 1980年代にネオコンと他の好戦派はイラクのサダム・フセイン体制を巡った対立した。ネオコンはフセイン政権を倒して親イスラエル体制を樹立、トルコ、イラク、ヨルダンの親イスラエル国帯を築いてシリアとイランを分断、その上で両国を制圧するという計画を立てていた。 それに対し、ジョージ・H・W・ブッシュやジェームズ・ベイカーたちはフセイン体制をペルシャ湾岸産油国の防波堤と認識していた。フセインを倒すかどうかの対立は暴露合戦につながり、イラクゲートやイラン・コントラ事件を浮かび上がらせることになった。 1991年から92年にかけてアメリカ主導軍がイラクを攻撃した際、ブッシュ大統領がフセイン体制を存続させたことにネオコンは激怒している。その中心グループに属すポール・ウォルフォウィッツ国防次官(当時)は1991年にイラク、シリア、イランを殲滅すると口にし、92年2月には国防総省のDPG草案という形で世界制覇プランを作成する。いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」だ。 1991年12月にソ連が消滅、アメリカの支配層だけでなくアメリカ信奉者もアメリカが唯一の超大国になったと信じた。その判断に基づき、ソ連のようなライバルが出現することを阻止することにしたのがネオコン。力の源泉であるエネルギー資源の支配もドクトリンに含まれる。 このドクトリンを作成された中心人物は国防次官だったウォルフォウィッツ。その上にいた国防長官はリチャード・チェイニー。そのほかI・ルイス・リビーやザルメイ・ハリルザドが関係していた。ハリルザドはボルトン国家安全保障補佐官の後任として名前が挙がっていたひとり。最近ではベネズエラのクーデター計画を指揮、1980年代にはイラン・コントラ事件でも名前が浮上したエリオット・エイブラムズも候補者のひとりだった。 ところで、クッパーマンは1980年にレーガンの大統領キャンペーンに参加、後にボーイングやロッキード・マーチンで副社長を務めている。 兵器産業と緊密な関係にある親イスラエル派(シオニスト)は少なくないが、そのひとりがウォルフォウィッツを含む後にネオコンと呼ばれる若者をオフィスで育成していたヘンリー・ジャクソン。ボーイングから来た上院議員と呼ばれていた。ちなみに、ヒラリー・クリントンは上院議員時代、ロッキード・マーチンから来たと言われている。 この議員は民主党に所属していたが、1972年の大統領選挙で戦争に反対していたジョージ・マクガバンが同党の候補に選ばれると党内に反マクガバン派のグループを結成、落選運動を始める。CDM(民主党多数派連合)だ。 その結果、戦争に反対するマクガバンは落選、つぎにデタントを主張したニクソンがスキャンダルで失脚、そして好戦派が実権を握ったフォード政権ではデタント派が粛清されてネオコンやブッシュ(CIAの非公然オフィサーの可能性が高い)などが台頭する。 クッパーマンは核戦争でロシアに勝てると口にしていることでも知られている。本ブログでは繰り返し書いてきたが、フォーリン・アフェアーズ誌の2006年3/4月号に掲載されたキアー・リーバーとダリル・プレスの論文では、アメリカが近いうちにロシアと中国の長距離核兵器を先制第1撃で破壊する能力を持てると主張している。似た考え方だ。 しかし、2008年8月にイスラエルやアメリカの支援を受けたジョージア軍が南オセチアを奇襲攻撃してロシア軍に惨敗、さらに15年9月末からシリア政府の要請で軍事介入したロシア軍は兵器の性能の高さを明らかにし、核戦争でアメリカが完勝することはありえないことを示した。 中東でも朝鮮半島でもベネズエラでもボルトンの政策が破綻していることは確かで、ボルトンの辞任で軌道修正することができるとは言えるが、トランプ政権にはマイク・ペンス副大統領やマイク・ポンペオ国務長官のようなキリスト教系カルトの信者、つまりキリスト教シオニストがいる。そこへヒラリー・クリントンのようなクッパーマンが入って情況が好転するのだろうか?
2019.09.13
9月11日には歴史の節目になる出来事が引き起こされた。アメリカ国内の刑務所化を加速させ、中東など国外で侵略戦争を本格化させた2001年の攻撃がひとつだが、1973年9月11日にも節目になる出来事があった。チリのサルバドール・アジェンデ政権をリチャード・ニクソン政権は軍事クーデターで倒したのだが、この体制転覆は新自由主義を世界へ広める突破口として利用されたのである。 チリを含むラテン・アメリカはヨーロッパに富をもたらしてきた。侵略の対象になり、略奪されてきたのだ。11世紀から15世紀にかけて「十字軍」と称するヨーロッパの軍事組織は中東を侵略したが、15世紀から17世紀にかけての期間はヨーロッパの支配層は海賊として世界を荒らし回っている。 ラテン・アメリカに到達した海賊は1521年にアステカ王国(現在のメキシコ周辺)を滅ぼして莫大な金銀を奪う。この略奪を指揮していたのがエルナン・コルテスだ。インカ帝国(現在のペルー周辺)ではフランシスコ・ピサロが侵略、金、銀、エメラルドなどを略奪。1533年にインカ帝国を滅ぼされた。 ヨーロッパの海賊は貴金属製品を盗んだだけでなく、先住民を使って鉱山開発も行った。その象徴的な存在がボリビアのポトシ銀山だろう。18世紀までにポトシ銀山だけで15万トンが運び出されたとされているが、実態は不明である。そうした財宝はヨーロッパに富をもたらし、支配力の源泉を提供することになった。 当初、ラテン・アメリカを支配したのはポルトガルやスペインのようなラテン系の国だが、19世紀の終盤になると北アメリカの侵略が一段落したアメリカの支配層が南に矛先を向けた。 アメリカが南を侵略する切っ掛けになったのが1898年2月15日の出来事。キューバのハバナ港に停泊していたアメリカの軍艦メインが爆沈したのだ。アメリカはスペインが爆破したと主張、宣戦布告して米西戦争が始まる。ウィリアム・マッキンリー大統領は戦争を回避しようとしていたが、海軍次官補だったシオドア・ルーズベルトが独断で戦争へアメリカを向かわせたという。この戦争に勝利したアメリカはスペインにキューバの独立を認めさせ、プエルトリコ、グアム、フィリピンを買収することになり、ハワイも支配下においた。 それ以降、ラテン・アメリカはアメリカを拠点とする巨大資本の植民地になるのだが、第2次世界大戦後、この地域でも独立国が生まれる。それを潰すのがCIAの破壊工作部門の仕事のひとつ。チリもそのターゲットになった。 アジェンデは巨大資本の活動を制限し、労働者の権利を認める政策を掲げ、大統領に選ばれた。アメリカは選挙に介入するのだが、それでもアジェンデは1970年の大統領選挙で勝利したのである。 CIAはアジェンデ政権を倒すためにチリ軍を使ったが、この軍隊が最初から反アジェンデだったわけではない。チリ軍参謀総長だったレネ・シュネイデルは憲法遵守の立場だった。そこでCIAは1970年10月にシュネイデルを暗殺、それと同時にアメリカの金融機関やIBRD(世界銀行)はチリへの融資を停止して経済面から揺さぶりをかけている。1972年9月には労働組合がストライキを敢行、社会を不安定化させていく。そうしたときのため、CIAは労働組合をコントロール下におくわけだ。 軍事クーデターで実験を握ったピノチェトはアメリカ巨大資本のカネ儲けに邪魔な人びとを誘拐し、相当数が殺害された。サンチアゴの国立競技場は「拷問キャンプ」と化したと言われている。 このクーデターで巨大資本に盾突く勢力は潰滅、ピノチェト体制は新自由主義を導入する。シカゴ大学のミルトン・フリードマン教授のマネタリズムに基づき、大企業/富裕層を優遇する政策を実施したのだ。 この政策はイギリスのマーガレット・サッチャーが導入した後、世界へ広がっていく。そのひとつの結果が富の集中。一部の人が巨万の富を手に入れる一方、大多数の人びとは貧困化して社会は崩壊していくわけだ。19世紀なら侵略と略奪で国内の安定を図ることもできたが、そうした手法は限界に達している。
2019.09.12

黄之鋒(ジョシュア・ウォン)がドイツを訪問、同国のハイコ・マース外相とベルリンで会談、中国政府から抗議を受けている。 黄は香港で続く反中国運動で中心グループに所属、今年(2019年)8月6日に羅冠聰(ネイサン・ロー)らと一緒にアメリカのジュリー・イーディー領事とJWマリオット・ホテルで会っているところを撮影されている。イーディーは外交官だが、前にも書いたように、CIAの非公然オフィサーだと噂されている。 黄や羅のような若者を操っている人物として知られているのが元王室顧問弁護士の李柱銘(マーチン・リー)、アップル・デイリー(蘋果日報)などのメディアを支配する黎智英(ジミー・リー)、香港大学の戴耀廷(ベニー・タイ)副教授、カトリックの枢機卿である陳日君(ジョセフ・ゼン)、公民党の余若薇(オードリー・ユー)、元政務司司長の陳方安生(アンソン・チャン)など。 こうした人びとは2014年9月から12月まで続いた「佔領行動(雨傘運動)」でも重要な役割を果たしたが、その翌年の9月に黄之鋒、戴耀廷、李柱銘はフリーダム・ハウスなる団体に栄誉をたたえられた。黄之鋒は2015年11月にナンシー・ペロシ下院議長と会談、17年5月にはネオコンのマルコ・ルビオ上院議員と会っている。人権運動の活動家を名乗るに人物にも同じような背景の持ち主がいる。 フリーダム・ハウスは1941年に創設されたのだが、1980年代にロナルド・レーガン政権がイメージを重視するようになってからプロパガンダ機関として活動するようになった。 こうした戦略は「プロジェクト・デモクラシー」として進められ、侵略する際に「民主」、「自由」、「人道」といったタグをつけるようになる。そうしたタグをつけた侵略では現地における工作がそれまで以上に重要になるが、CIAの工作資金を動かす機関になったのがNED(民主主義のための国家基金)。そこから資金はNDI(国家民主国際問題研究所)、IRI(国際共和研究所)、CIPE(国際私企業センター)、国際労働連帯アメリカン・センターへ流れていく。USAID(米国国際開発庁)もCIAの資金を流す上で重要な役割を果たしている。 香港の反中国運動にNEDから資金が出ていることは秘密にされていない。マイク・ポンペオ国務長官は香港の反中国運動について、背後にアメリカ政府が存在しているとする中国政府の主張を「お笑い種」だとしたが、ポンペオの主張がお笑い種である。 本ブログでは繰り返し書いてきたが、権力は情報とカネの流れていく先に生まれ、育つ。人民が権力を握り、その力を行使する仕組みを民主主義体制と言うとするならば、情報とカネは人民へ流れていかねばならない。 しかし、プロジェクト・デモクラシーを推進しているアメリカは「安全保障」を口実にして秘密体制を強化、カネは1%に満たない人びとへ流れていく仕組みを作ってきた。新自由主義とはそういう代物だ。言うまでもなく、日本も同じ道を進んでいる。 アメリカ流の選挙とは選択肢を限らせ、教育や報道というプロパガンダ機関を支配者がコントロール、資金力で結果を決められるようにできている。新自由主義の導入と並行する形で小選挙区制が推進されたのは偶然でないだろう。 アメリカをはじめ、私的権力が国を上回る力を獲得した国は少なくないが、その多くは私的権力が国外にいる。そうした私的権力が拠点としてきたのがウォール街やシティだ。
2019.09.11

ジョン・ボルトン国家安全保障補佐官がホワイトハウスを去ることになった。ドナルド・トランプ大統領のツイッターによると、9月9日夜、ホワイトハウスに仕事はないとボルトンの通告し、翌朝、ボルトンは辞任を申し出たという。ボルトンは自分が9日夜に辞意を伝えたとしている。 朝鮮半島にしろ中東にしろ、ボルトン、マイク・ペンス副大統領、マイク・ポンペオ国務長官のトリオは大統領の政策を妨害してきた。最近はこのトリオにジーナ・ハスペルCIA長官が加わったとする話もある。 以前からアメリカの支配階級は脅して屈服させるという手法を好んできたが、ネオコンはそうした傾向が特に強い。そのネオコンに担がれていたヒラリー・クリントンはバラク・オバマと同じようにロシアも恫喝しようとしていた。 勿論、ロシアや中国は脅しに屈しない。必然的に脅しはエスカレートし、核戦争で威嚇するしかなくなる。それにブレーキをかけようとしたのがトランプ、あるいはトランプを担いだ勢力。2016年の大統領選挙ではロシアとの関係修復を訴え、勝利した。 そうした政策の背後にいたのが2014年までDIA局長を務めていたマイケル・フリン中将。そのフリンは2017年2月、トランプ政権がスタートした翌月に国家安全保障補佐官を解任されてしまう。それ以降、好戦トリオの影響力が強まり、トランプの外交は行き詰まっているのだが、強硬策は破綻しつつある。その背景にはアメリカやイスラエルの弱体化があるのだろう。 ところで、好戦トリオのうちペンス副大統領とポンペオ国務長官はキリスト教系カルトの信者で、親イスラエル。ボルトンはモルモン教のミット・ロムニーに近いのだが、ロムニーはボストン・コンサルティング・グループで働いていた当時、ベンヤミン・ネタニヤフの同僚。ロムニーも熱烈な親イスラエル派だ。 ネタニヤフは1972年にマサチューセッツ工科大学へ留学、1980年代にはドナルド・トランプの父親であるフレデリック・トランプと知り合い、親しくなった。その縁でドナルドも親しくなったのだろう。 1980年代にドナルドはロイ・コーンを顧問弁護士にしているが、この人物は赤狩りで有名なジョセフ・マッカーシー上院議員の顧問を務め、禁酒法の時代に密造酒で大儲けしたルイス・ローゼンスティールなる人物と親しくしていた。コーンの顧客には犯罪組織のガンビーノ一家の幹部も含まれていた。 酒が合法になって以降、ローゼンスティールは大手酒造メーカーの経営者になるが、裏ではスキャンダルを使った恐喝で有力者を操っていたと言われている。 ローゼンスティールの同業者で親しい間柄だったのがサミュエル・ブロンフマン。その息子であるエドガー・ブロンフマンもイスラエルの情報機関とつながっている、あるいは動かしている。 ヒラリー・クリントンの周辺にいたシオニスト(親イスラエル派)とは違うが、トランプの周辺にもシオニストがいる。その包囲網からトランプは抜け出せるのか、あるいは今でもその人脈に操られているのか、現段階ではなんとも言えない。
2019.09.11
2001年9月10日、アメリカでは国防長官だったドナルド・ラムズフェルドが2兆3000億ドルが行方不明になっていると発表した。決済の過程で発覚したというのだが、その翌日、カネの行方を追跡していた国防総省のオフィスが破壊されて資料は消滅、バックアップが保管されていたニューヨークの世界貿易センターにあった7号館(ソロモン・ブラザース・ビル)は攻撃を受けなかったものの、崩壊して資料はなくなったという。 7日にも書いたように、このビルにはソロモン・スミス・バーニー(1988年にソロモン・ブラザースとスミス・バーニーが合併してこの名称になった)のほか、国防総省、OEM(ニューヨーク市の緊急事態管理事務所)、シークレット・サービス、CIA(中央情報局)、SEC(証券取引委員会)、IRS(内国歳入庁)、FEMA(連邦緊急事態管理局)がテナントとして入っていた。 ビルの崩壊によってSECが保管していたシティ・グループとワールドコム倒産の関係を示す文書、「ジョージ・W・ブッシュの財布」とも言われたエンロンの倒産に関する文書もなくなった。保管されていた金塊が消えたとも言われている。 日本には内閣官房報償費(官房機密費)というものがあるそうだ。官房長官の裁量で支払先を秘密にして使えるカネで、安倍晋三政権は6年間で74億円余りを使ったという。これは一種の工作費だが、私的な目的で使われてもわからない。 日本に限らず、軍や情報機関の予算は不明確。アメリカの情報機関CIAが麻薬取引で資金を調達していることも知られているが、その問題を掘り下げようとした記者は有力メディアから追放された。こうした秘密を正当化するために使われている口実は安全保障。支配階級の安全を保障するということである。安全保障を情報公開の上に置いているわけだが、そうした行為は民主主義の否定にほかならない。 秘密は不正を生む。情報とカネが流れていく先に私的権力は生まれ、その流れが権力を維持し、強大化。その私的権力は国をコントロールできるようになる。アメリカや日本はそうした類いの国だ。
2019.09.10
ゴールドマン・サックス出身のイングランド銀行総裁、マーク・カーニーは8月23日にドル体制の終焉を口にした。各国の中央銀行が発行するデジタル通貨のネットワークがドルに替わるとしている。日本で通貨のデジタル化が推進されている理由もこの辺にあるのだろう。ドル体制の崩壊は何年も前から指摘されてきたが、イングランド銀行の総裁が口にしたことは興味深い。 この構想が現実になった場合、アメリカの支配システムは崩れてしまう。このシステムは基軸通貨として認められてきたドルを発行する特権によって支えられてきたからだ。この問題について詳しく調べたわけではないので明確なことは言えないが、巨大資本の通貨に対する支配力を強めようとはしているのだろう。 当初、そのドルは金に裏づけられていたが、1971年8月にリチャード・ニクソン米大統領がドルと金との交換停止を発表、その裏付けは消えた。それ以降、ドルを基軸通貨として維持するため、その流通量をコントロールする仕組みを整備する。そのために作られたのがペトロダラー(石油取引を利用したドルの還流システム)。 大多数の国が必要とする石油に目をつけたアメリカは産油国と話をつけて決済をドルに限定、OPEC(石油輸出国機構)はドルをアメリカへ還流させてきた。これがペトロダラーの仕組みだ。 ドルを還流させるために高額兵器や財務省証券の取り引きが利用される。投機市場もだぶついたドルを吸い上げる仕組みのひとつだ。金融規制が大幅に緩和された理由のひとつはそこにあるのだろう。 これは実社会から資金を吸い上げる仕組みであり、庶民の購入能力を低下させる。当然、生産活動は停滞、あるいは破綻してしまい、資金は投機市場へ流れていく。その流れをスムーズにすることが規制緩和の目的。今のシステムでは、金融緩和によって生じるのはインフレでなくバブル。その程度のことは日銀総裁も理解していただろう。 かつてアングロ・サクソンが金本位制を採用したのは、イギリスの金融資本がアフリカの金鉱山を支配して世界の金流通量をコントロールできたため。第2次世界大戦後はアメリカが世界の金を支配、基軸通貨を発行する特権を手に入れた。ところが1971年の段階で金に基づく通貨支配の仕組みが崩れたわけである。 カーニーが働いていたゴールドマン・サックスは世界の金融界に大きな影響力を持ち、金融スキャンダルでも名前が出てくる。例えばギリシャの経済破綻。 その切っ掛けは2001年に通貨をドラクマからユーロへ切り替えたことにある。この切り替えでギリシャは経済的な主権を失い、ギリシャ政府は独自の政策を打ち出せないまま破綻したのである。 実は、EUのルールに従うとこの通貨切り替えはできないはずだった。できないはずのことができたのは、そこに不正が存在していたからだ。つまり財政状況の悪さを隠したのだ。その隠蔽工作で中心的な役割を果たしたのがゴールドマン・サックス。財政状況の悪さを隠す手法をギリシャ政府に教え、債務を膨らませたのである。 その手法とは、CDS(クレジット・デフォルト・スワップ)などを使って国民に事態を隠しながら借金を急増させ、投機集団からカネを受け取る代償として公共部門の収入を差し出すということが行われていたという。借金漬けにした後、「格付け会社」がギリシャ国債の格付けを引き下げて混乱は始まった。 ギリシャを破綻させる作業が続いていたであろう2002年から05年にかけてゴールドマン・サックスの副会長を務めていたマリオ・ドラギは06年にイタリア銀行総裁、そして11年にはECB総裁に就任している。 日本もゴールドマン・サックスと無縁ではない。小泉純一郎政権が推進した郵政民営化に深く関与しているのだ。その政策で中心的な役割を果たしたと言われている人物が西川善文、竹中平蔵、ヘンリー・ポールソン、ジョン・セイン。ポールソンはゴールドマン・サックスのCEO、セインはCOOだった。 イングランド銀行やアメリカのFRB(連邦準備理事会)はこうした私的な金融機関によって創設されている。中央銀行の仕組みは金融機関を設けさせることが目的だ。 イングランド銀行は1694年にオラニエ公ウィレムが銀行家によるカルテルの中枢として設立。1815年にワーテルローでフランス軍が敗北して以降、ネイサン・メイヤー・ロスチャイルドがイングランド銀行を支配するようになった。 FRBは1913年に作られたが、その制度の設立を決めた会議は1910年にジョージア州のジキル島で開かれている。会議に参加したのはJPモルガンのヘンリー・デイビッドン、ベンジャミン・ストロング、JPモルガン系のフランク・バンダーリップ、チャールズ・ノートン、クーン・ローブのポール・ウォーバーグ、そして上院議員のネルソン・オルドリッチと財務次官補だったエイブラム・アンドリュー。オルドリッチ議員の娘婿はジョン・D・ロックフェラーの息子、ジョン・D・ロックフェラー・ジュニアだ。
2019.09.09
2014年2月にウクライナでビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒した段階ではEUとロシアとのつながりを断ち切れたとオバマ政権が考えたとしても不思議ではない。その結果EUはロシアの天然ガスを失い、ロシアはEUというマーケットを失い、両者は米英の軍門に降ったということだ。その一方、シリアではダーイッシュが勢力を拡大さて行く。 そうした中、2014年9月に香港で「佔領行動(雨傘運動)」が始まる。その中心人物として名前の挙がっている人物は弁護士の李柱銘(マーチン・リー)、メディア王と呼ばれる黎智英(ジミー・リー)、香港大学の戴耀廷(ベニー・タイ)副教授、あるいは陳日君(ジョセフ・ゼン)、余若薇(オードリー・ユー)、陳方安生(アンソン・チャン)など。 アヘン戦争でイギリスが支配するようになった頃から香港は李、何、許、羅の4家族に支配されてきた。イギリスの手先ということだが、その構造は現在も基本的に変化していない。こうしたファミリーも佔領行動を支援、その背後にアメリカやイギリスが存在しているわけだ。 そうしたグループが反中国運動のスタートして売り出した若者が黄之鋒(ジョシュア・ウォン)、羅冠聰(ネイサン・ロー)、そして周永康(アレックス・チュー)だ。 この2014年の運動を操っているのがアメリカやイギリスだと言うことを当然のことながら中国政府は熟知している。中国はウクライナや中東/北アフリカにおける米英の行動を見ただけでなく、香港の工作でアメリカ支配層の目論見を知った。中国がロシアと戦略的な同盟関係に入る一因はここにあるだろう。 2013年から14年にかけてアメリカの好戦派が実行した中国やロシアに対する攻勢は自らの足下を切り崩すことになったと言えるだろう。 その2014年の10月、フランスの大手石油会社トタルの会長兼CEOだったクリストフ・ド・マルジェリがモスクワ・ブヌコボ空港で事故死している。トタルはロシアとの取り引きを拡大していた。しかもその3カ月前、ド・マルジェリは石油取引をドルで決済する必要はなく、ユーロの役割を高めれば良いと主張していた。 フランスの自動車会社ルノーの会長で、日産の会長でもあったカルロス・ゴーンも2014年当時、ロシアでの自動車販売を推進する姿勢を見せていた。そのゴーンをアメリカの従属国である日本の当局はゴーンを怪しげな容疑で逮捕している。 また、ドイツのフォルクスワーゲンは2015年9月にロシアでエンジンの生産を始めたが、その2週間後、アメリカのEPA(環境保護局)は同社の販売している自動車の一部が排ガス規制を不正に回避するためのソフトウエアを搭載していたと発表した。 それでもドイツとロシアとの関係は続き、今年にはドイツの自動車メーカー、ダイムラーがメルセデス・ベンツの新しい組み立て工場がモスクワ近郊に完成させている。 それだけでなく、ロシアとEUはウクライナを迂回するパイプランを建設している。ロシアのビボルグからバルト海を南下してドイツのグライフスバルトへつながるノード・ストリームがすでに存在しているが、これに並行して新たなパイプライン、ノード・ストリーム2の完成が間近だ。 ネオコンをはじめとするアメリカの好戦派が行ってきた政策は破綻しているのだが、影響力は維持している。そうした好戦派に大統領候補として担がれていたヒラリー・クリントンをドナルド・トランプは2016年の大統領選で破った。トランプはロシアとの関係修復を訴えていたが、大統領へ就任した直後に国家安全保障補佐官だったフリンは解任され、トランプは現在、好戦派に操られているように見える。崩れつつあるアメリカ帝国を支えようとアメリカの好戦派は必死だ。その好戦派にしがみついているのが日本のエリートである。(了)
2019.09.08
ドイツのアンゲラ・メルケル首相が8月6日に北京で中国の習近平国家主席と会談した。中国とドイツは互いに重要な貿易相手国。ドイツはアメリカの属国になっているが、日本とは違って自立した部分も残し、ロシアとの関係も断ち切ろうとはしていない。 西側の有力メディアは相変わらず「人道」や「民主」といった御札を貼りまくっているが、国外では侵略、破壊、殺戮、略奪を繰り返し、国内では収容所化を進め、1%に満たない一部の人びとへ富と情報が集中する仕組みを築いている自分たちの体制のことは無視している。西側メディアの御札に影響されるのは考えることをしない人びとだろう。 ドイツやフランスの経済界はロシアや中国との関係を強めているが、アメリカはそうした動きを妨害してきた。そのアメリカの計画は挫折しつつあるのだが、その原因を作ったのはロシアであり、2013年から14年にかけての時期が転換点になっている。 EUとロシアとの関係を断ち切るため、バラク・オバマ政権は2013年にウクライナでビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒すためにクーデターを仕掛けた。 この年の11月に反ヤヌコビッチ派は抗議活動を始めるが、その拠点になったのがキエフのユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)。EUへ憧れを持つ人びとを集めるため、当初の演出は「カーニバル」的なもので、12月に入ると50万人が集まったとも言われている。 その段階で前面に出てきたのがアメリカ/NATOの訓練を受けたネオ・ナチのグループ。年が明けて2月の半ばには棍棒、ナイフ、チェーンなどを手にしながら石や火炎瓶を投げ、ピストルやライフルで銃撃も始めた。その頃から広場では狙撃がはじまるが、反ヤヌコビッチ派も警官隊も狙われている。 狙撃を指揮したのはネオ・ナチのアンドリー・パルビーで、本ブログでも書いたように、ジョージアなどからスナイパーが入っていたことも明らかにされている。 ヤヌコビッチ大統領は2月22日に排除されるが、その3日後にキエフ入りして事態を調べたエストニアのウルマス・パエト外相はスナイパーがクーデター派だということをつかみ、EUの外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)だったキャサリン・アシュトン(イギリス人)へ電話で報告するが、その会話が録音され、インターネット上に流された。パエトによると、「全ての証拠が示していることは、スナイパーに殺された人びと、つまり警官や街に出ていた人たち双方、そうした人びとを同じスナイパーが殺している。・・・・・スナイパーの背後にいるのはヤヌコビッチでなく、新連合(クーデター派)の誰かだというきわめて強い理解がある。」 ロシアのソチでは2014年2月7日から23日にかけて冬期オリンピックが開かれているが、キエフのクーデターがこのオリンピックに合わせて実行されたことは間違いないだろう。ロシアが動きにくい時期を狙ったということだ。 この時期、アメリカはシリアのバシャール・アル・アサド体制を倒すため、傭兵を送り込んで戦わせていた。侵略戦争が始まったのは2011年3月。リビアへの侵略が始められた翌月のことだ。 リビアの場合、地上ではアル・カイダ系武装勢力のLIFGを中心とする武装勢力が戦い、空からNATOが攻撃するというコンビネーション。2011年10にはムアンマル・アル・カダフィ体制が倒され、カダフィ自身は惨殺された。 シリアのアサド体制も同じように倒そうとしたのだろうが、その前にロシアが立ち塞がる。リビアを攻撃する前、アメリカ、イギリス、フランスなどはリビア上空に飛行禁止空域を設定しようとする。そのために国連の安全保障理事会で決議1973が採択された。この決議がリビアのカダフィ体制を倒すことが目的だということは事前に指摘されていた。 それにもかかわらず、中国やロシアは決議で棄権。つまり中国とロシアがリビアの破壊を容認したことになる。ロシアで棄権を決めたのは大統領のドミトリー・メドベージェフだが、棄権を知ったウラジミル・プーチン首相は激怒したという。そしてシリアでロシアはNATOの軍事介入を許さない。(Max Blumenthal, “The Management Of Savagery,” Verso, 2019) シリア侵略が思惑通りに進まないことからアメリカは2014年にダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国などとも表記)を売り出す。この戦闘グループの主力もサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団。 オバマ政権の政策はこうしたグループへの支援だと2012年の段階で警告していたのがアメリカ軍の情報機関DIAであり、当時の局長がマイケル・フリン中将。その警告がダーイッシュという形で現実なったわけだ。そして2014年にフリンは解任された。(つづく)
2019.09.07
歴史には節目になる出来事が存在する。そのひとつが18年前の2001年に引き起こされた。この年の9月11日ニューヨーク市の世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されたのである。これを切っ掛けにして中東から北アフリカにかけての地域はアメリカ軍やアメリカの手先によって侵略され、破壊と殺戮が繰り広げられることになった。 世界貿易センターではノース・タワーとサウス・タワーに航空機が激突(異説もあるが、ここでは本質と関係が薄いので深入りしない)、しばらくして両タワーは崩壊した。さらに、攻撃されたわけでも大規模な火災が発生したわけでもない7号館も爆破解体されたように崩れ落ちた。 7号館は47階のうち37階を金融機関のソロモン・スミス・バーニー(1988年にソロモン・ブラザースとスミス・バーニーが合併してこの名称になった)が占めていた。そこでソロモン・ブラザース・ビルと呼ばれることが多かったようだ。 それ以外のテナントはOEM(ニューヨーク市の緊急事態管理事務所)、シークレット・サービス、CIA(中央情報局)、SEC(証券取引委員会)、国防総省、IRS(内国歳入庁)、FEMA(連邦緊急事態管理局)。 ビルの崩壊で多くの重要な資料が失われたが、その中にはSECが保管していたシティ・グループとワールドコム倒産の関係を示す文書、「ジョージ・W・ブッシュの財布」とも言われたエンロンの倒産に関する文書も含まれていた。保管されていた金塊が消えたとも言われている 両タワーの崩壊も爆破解体のようで、不自然だと感じた人は少なくない。そのひとりが現大統領のドナルド・トランプ。事件直後に建造物の専門家としてインタビューを受け、航空機の激突でビルが崩壊したとする公式見解に疑問を投げかけている。最近、ABCのジョージ・ステファノポラスからインタビューを受けているのだが、その中でトランプは2001年9月11日の攻撃(いわゆる9/11)について、「イラクは世界貿易センターを崩壊させなかった。イラクではなかった。ほかの連中だ。その連中が誰なのかを私はわかっていると思っている。あなたもそうかもしれない。」と語っている。 事件直後、トランプは1993年2月にノース・タワーの地下2階にあった駐車場が爆破された出来事について語っている。その爆破でコンクリートの床が破壊され、4階層に渡って幅30mの穴が空いたが、それでもビルはびくともしなかった。ビルで最も弱い部分が破壊されても倒れなかったのだ。 その後、1994年から2000年にかけて世界貿易センターではエレベーター・システムを改良、96年から2000年にかけては新しい治安システムを導入するための工事が実施されている。 また、サウス・タワーの90階、そして94から97階のフロアーにオフィスがあったフィデュシアリー・トラストで働いていたスコット・フォーブスによると、攻撃直前の9月8日から9日にかけて動力が落ち、50階から上は電力の供給がなくなった。その影響で監視カメラやドアのセキュリティ・ロックも機能しなくなり、修理するために多くの技術者がタワーに出入りしていたという。 詳細は割愛するが、攻撃の際に迎撃機が飛び立っていないことにも疑惑の目が向けられている。その理由として、直前に戦闘機による迎撃の許可権限が国防長官に限定されたこと、事件の時にいくつも軍事演習が実施されていて、本当の攻撃なのか演習なのかで現場は混乱したとも言われている。 また、航空会社株などのインサイダー取引疑惑、事前の警告が無視されたという告発、鉄骨など重要な証拠が速やかに処分されたことなど、少なからぬ疑惑が残されている。 この事件では航空機がハイジャックされたと言われ、そのハイジャックされた航空機から携帯電話で連絡があったとされているのだが、かなり低空で飛行しない限り、当時のシステムでは不可能だという。 国防総省へ突入したとされるAA77から電話してきたのはCNNの記者だったバーバラー・オルソン。その相手は夫で法務局長だったテッド・オルソン。 ノース・タワーへ突入したとされるAA11からはキャビン・アテンダントから電話があり、犯人が座っていた座席の番号が知らされたのだが、そこにはイスラエル軍の元特殊部隊員が座っていることになっていた。 2度目の電話でその話は訂正され、後に地上で回収されたパスポートからアラブ系の人物の名前が浮上するのだが、その人物は搭乗者リストに載っていない。 事前に内外の情報機関や治安機関から警告が伝えられていたのだが、無視されている。実際の破壊工作は、そうした機関がつかんだ情報と違うという説もある。工作が乗っ取られたと言う人もいるのだが、真偽は不明だ。 当時、あるテレビ・ドラマも話題になっていた。事件の半年前にFOXが放送した「Xファイルズ」という人気シリーズのスピンオフ・ドラマだ。そのタイトルは「パイロット」。外部からコントロールできる装置が仕掛けられた旅客機が世界貿易センターのツインタワーへ突入する寸前、システムを解除することに成功して助かるという筋書きだった。
2019.09.07
ロシアのウラジオストックで9月4日から6日にかけてEEF(東方経済フォーラム)が開催されている。そのフォーラムへウラジミル・プーチン露大統領の名誉ゲストとしてインドのナレンドラ・モディ首相が出席、両国がソ連時代の「兄弟関係」へ向かいつつあると注目されはじめた。 2016年8月、インドとアメリカは両国軍が修理や補給でそれそれの基地を利用できることで合意しているが、今回、モディ首相はロシアとも同じ取り決めをしたと伝えられている。 すでにインドはロシアから防空システムS-400を5システム、54億ドルで購入することを正式に決め、2018年10月には契約書が取り交わされた。引き渡しの完了は2023年が予定されている。その契約を破棄するようにアメリカ政府は圧力を加えてきたが、すでに支払いが始まったという。 インドはロシアにとってもアメリカにとっても重要な国。アメリカ太平洋軍は2018年5月に名称をインド太平洋軍へ変更、インド洋から太平洋にかけての地域を統括して扱うようになった。太平洋の拠点は日本、インド洋の拠点はインド、ふたつをつなぐ役割をインドネシアが担うという。ディエゴ・ガルシア島も重要な役割を果たすことになる。 ソ連が存在していた当時、インドはソ連、インドのライバルであるパキスタンは中国と結びついていたが、今、ロシアと中国は戦略的な同盟関係にあり、インドとパキスタンを接近させる力として働いている。 アメリカと同じアングロ・サクソン系の国であるイギリスは19世紀からアジア大陸の東側を支配、略奪する拠点としてインドと日本を利用した。イギリスの後継国であるアメリカも同じだ。その戦略をまとめた理論をハルフォード・マッキンダーというイギリスの学者が1904年に発表している。今でもアメリカはこの戦略に基づいて動いているように見える。 この理論はイギリス(アメリカ)が海洋を支配しているという前提で、ユーラシア大陸の周辺部を支配して内陸部、つまり中国やロシアを締め上げていくというもの。ヨーロッパの内陸国もターゲットだったのだが、ふたつの世界大戦で米英の支配下に入っている。NATOの役割のひとつはそのヨーロッパを支配することだ。 フランスの大統領だったシャルル・ド・ゴールは1966年に自国軍をNATOの軍事機構から離脱させ、67年にはSHAPE(欧州連合軍最高司令部)をパリから追い出しているが、これはそうした事情を熟知していたからだろう。 イギリスやアメリカの中国侵略が本格的に始まったのは19世紀のアヘン戦争からだが、イギリスが薩摩や長州を支援して徳川体制を倒して新体制を樹立、その新体制を支援した理由は中国の内陸部を支配するためだったようにしか思えない。 そのアヘン戦争でイギリスが奪い取った地域のひとつが香港である。それ以来、ここはアジア侵略、麻薬取引、マネーロンダリングなどの拠点として利用されてきた。シティを中心とするタックス・ヘイブンのネットワークにも組み込まれている。 明治時代、朝鮮はイギリスの侵略に加担しようとせず、日本の侵略を受けた。現在、朝鮮半島は北の朝鮮と南の韓国に分かれているが、朝鮮だけでなく韓国も中国やロシアに接近している。アメリカが朝鮮半島を支配することは難しい情勢だ。 アメリカとしては日本支配を強めようとするだろうが、ボリス・エリツィン時代のロシア人と同じように、日本人は絞め殺されることになる。ロシアでは大多数の国民が貧困化、その一方で西側巨大資本の手先になった一部は巨万の富を手にしたわけだが、それこそが日本の「エリート」が望んでいることだ。
2019.09.06
今から80年前、つまり1939年の9月1日にドイツ軍がポーランドへ軍事侵攻、その2日後にイギリス、フランス、オーストラリア、ニュージーランドが宣戦布告した。一般的に、第2次世界大戦はここから始まると言われている。 しかし、そこから半年ほどの間、本格的な戦闘は行われていない。ドイツは戦争を拡大しようとせず、イギリスやフランスも動かなかった。この時期は「奇妙な戦争」と呼ばれている。イギリス軍やフランス軍はドイツ軍の電撃作戦で敗北したわけではなかった。 ドイツが軍事侵攻したのはポーランドとの領土問題がこじれた結果だ。第1次世界大戦でドイツが敗北したことを受け、その約4カ月後の1919年3月にポーランドは「大ポーランド」構想を打ち出す。 1919年6月に調印されたベルサイユ条約ではドイツとポーランドの領土問題を平和的に住民投票で解決することが決められたが、ポーランドはポーランド系住民を扇動、クーデターで領土を獲得しようとする。それに対してドイツの義勇兵や警官隊が武装蜂起を鎮圧、1921年3月に住民投票は実施されてドイツ系住民が勝利した。 そこでポーランド政府は炭田地帯のシロンスク(ドイツ語ではシュレジエン)で住民に蜂起させ、住民投票から2カ月後の5月にポーランド軍を侵攻させて支援した。そうした侵略行為に対してドイツのワイマール政権は何もできない。イギリス、フランス、アメリカからポーランドに抵抗するなと命令されたからである。アドルフ・ヒトラーがナチスの党首になったのは、この1921年のことだった。 ナチスの戦争犯罪を研究しているクリストファー・シンプソンによると、1920年代の後半になると、ドイツ企業への融資という形でアメリカから多額の資金がドイツへ流れる。 カネの流れを見ると、例えばITTはドイツの通信産業を、GMは大手自動車メーカーのアダム・オペルを、GEはエレクトロニクス関連のAEGやジーメンスをそれぞれ買収、またフォード・モーターはケルンに大規模な工場を建設、スタンダード石油は巨大化学会社のIGファルベンと合弁事業を展開している。 アメリカ商務省の統計を見てもヒトラーが台頭してからアメリカの対ドイツ投資額が急増している。ヨーロッパ大陸全域でアメリカの投資額が激減しているにもかかわらず、1929年から40年の間に約48.5%増えているのだ。アメリカからドイツへの投資はディロン・リードとブラウン・ブラザーズ・ハリマンを中心とする金融機関を通して行われた。(Christopher Simpson, “The Splendid Blond Beast”, Common Courage, 1995) ブラウン・ブラザーズ・ハリマンは投資会社のブラウン・ブラザーズをWAハリマンが買収して生まれた。ユニオン・パシフィック鉄道で有名なハリマン家のW・アベレル・ハリマンが所有していた。 WAハリマンが創設された際、社長を務めたジョージ・ハーバート・ウォーカーはジョージ・H・W・ブッシュの母方の祖父にあたる。言うまでもなく、Hはハーバートの、Wはウォーカーのイニシャルだ。ちなみに、ジョージ・H・W・ブッシュ父親はプレスコット。 ブラウン・ブラザーズの代理人を務めていたサリバン・クロムウェル法律事務所の共同経営者にはジョン・フォスター・ダレスとアレン・ダレスの兄弟も名を連ねていた。このビジネス上の関係からアレン・ダレスとプレスコット・ブッシュは親しくなったという。 本ブログでは繰り返し書いてきたが、こうしたアメリカの巨大金融資本、いわゆるウォール街は1933年から34年にかけてフランクリン・ルーズベルト大統領に率いられたニューディール派を排除するためのクーデターを実行しようとした。それは海兵隊の伝説的な軍人であるスメドリー・バトラー退役少将が阻止、議会で計画について詳しく証言している。少将から話を聞いて取材した記者によると、クーデター派はファシズム体制の樹立を目指していた。これも本ブログで何度も書いたことだが、関東大震災以降、日本はウォール街の影響下にあった。 ドイツでは「民主的」と言われたワイマール体制が倒れてヒトラーが率いるナチス体制へ移行するが、そのナチス体制のドイツとポーランドの関係は1939年の初めまで友好的だった。 第1次世界大戦後にドイツ本国と東プロイセンの間にポーランド領(ポーランド回廊)ができた。つまり東プロイセンは飛び地になった。その問題を解決するため、ドイツは住民投票を実施してドイツへ回廊を返還する意見が多ければ返還、その際にドイツはポーランドに鉄道やバルト海へ通じる高速道路を渡すという案を出した。 その案をポーランドは受け入れ、1939年3月21日に同国のジョセフ・ベック外相がドイツの首都ベルリンを訪問することになる。が、姿を現さなかった。ロンドンへ向かったのだ。その日、ロンドンではコントロール不能になったヒトラーをどうするかについて討議するため、各国の指導者が集まっていた。 参加国はドイツに共同して対抗するかどうかを議論、フランスはすぐに同意、ソ連はフランスとポーランドが署名することを条件に同意したが、ポーランドのベック外相はドイツよりソ連が脅威だという理由で24日にそのプランを拒否した。そして26日にポーランドはドイツに対して回廊を返還しないと通告する。 軍事的な緊張が高まる中、7月23日にイギリスはソ連に交渉を申し入れるが、イギリスの動きは鈍く、交渉が始まったのは8月11日。しかもイギリスは書類に署名できる立場の人間を送り込まなかった。歴史的にポーランドはイギリスの属国であり、ポーランドの動きはイギリスの指示に基づいていることは間違いないだろう。この主従関係は現在も続いている。 その一方、5月11日にノモンハン付近で満州国警備隊と外モンゴル軍が交戦、日本側は関東軍が「陸軍省と参謀本部の方針を無視して」戦闘を続ける。それに対して外モンゴル軍との相互援助条約に基づいてソ連軍が派兵。8月下旬にはソ連軍の機械化部隊が攻勢、日本軍は大敗した。ドイツとソ連が不可侵条約を締結するのは8月23日のことである。
2019.09.05
どのような立場の人であれ、適切な行動をするためには事実を把握し、その事実に基づいて分析する必要があります。事実は行動の基本です。その重要な事実を明らかにするため、カンパ/寄付をお願い申し上げます。 情報の提供を生業としている新聞、雑誌、出版、放送などの企業に情報を頼る人は今でも少なくないようですが、企業活動の目的であるカネ儲けを望むなら広告主の意向を尊重し、読者や視聴者が喜ぶ話を発信する必要があります。 往々にして事実は彼らの利益に反します。そうした場合、事実を優先するマスコミは存在しないでしょう。彼らは社会の木鐸でも言論の守護神でもありません。かつては権力犯罪を暴こうとする気骨ある記者や編集者もいましたが、1980年代からそうした人びとは現場から排除されていきました。言論統制を本格化させたと言えるでしょう。その中心に「プロジェクト・デモクラシー」がありました。 こうした情況は外国でも大同小異です。1991年にソ連が消滅して以降、西側の有力メディアはプロパガンダ機関化が急速に進み、公然と嘘をつくようになりました。1999年に公開された映画「マトリクス」はそうした現実を戯画化した作品だと言えるかもしれません。 その1999年にアメリカ陸軍の第4心理作戦群の隊員がCNNの本部で2週間ほど働いています。「産業訓練」というプログラムの一環で、アメリカ軍の広報担当によりますと、派遣された軍人は放送局の社員と同じように働き、ニュースにも携わったといいます。 その前年、CNNではふたりのプロデューサーが解雇されました。ベトナム戦争の最中、1970年にアメリカ軍のMACV SOGがラオスで逃亡兵を殺害するためにサリンを使用したと報道、軍などから激しい抗議を受けたCNNは謝罪して報道内容を取り消そうとしたのですが、番組のプロデューサーは拒否したのです。そのプロデューサーは報道を事実だ主張し続け、CNNの幹部は重要な証拠をしまい込んでしまったと批判していました。当時、私もこの報道について調べたのですが、説得力のあったのはプロデューサー側でした。 そして2001年9月11日の出来事。これ以降、有力メディアから事実を探し出すことが難しくなったと感じています。支配階級にとって都合の悪い情報を発信したウィキリークスの代表、ジュリアン・アッサンジは正規の法的手続を経ずにロンドンのエクアドル大使館で逮捕されました。事実を明らかにすることは許さないという西側支配階級の脅しでしょう。 「日本のマスコミはひどいが、欧米のメディアは大丈夫だ」という情況ではありません。事実を知ろうとする者にとって厳しい状況になっています。自国の情況に口をつぐみ、日本はひどいと得々と語る「外国人ジャーナリスト」は信用できません。 そうした状況を打破するためにも事実を伝える必要があると考えています。「櫻井ジャーナル」も微量ながら事実を伝えようとしています。本ブログが活動を続けるためには皆様の支援が必要です。よろしくお願い申し上げます。櫻井 春彦振込先巣鴨信用金庫店番号:002(大塚支店)預金種目:普通口座番号:0002105口座名:櫻井春彦
2019.09.04
香港では反中国派のグループが交通機関を止めるために破壊活動を続けているが、そうした行為に抗議する人びととの乱闘も伝えられている。その際、反中国派は市民に傘やペットボトルを投げつけるだけでなく、傘で殴りかかっているのだが、そうした様子がツイッターなどにアップロードされてきた。抗議活動が経済活動を阻害、商品の売上高が大幅に落ち込んでいることも市民の反発を呼んでいる。(例えば、ココやココやココ) 有力メディアの場合、乱闘現場に駆けつけた警官が反中国派を殴打する部分だけを流しているが、彼らは「編集権」だと言うのだろう。また、そうした情況の抗議活動を伝える際、「中高生」を前面に出す「編集」は読者をミスリードすることが目的だと言われても仕方がない。ま、いつものことだが。
2019.09.03
アル・カイダ系武装集団のハラス・アル・ディンとハイアト・タハリール・アッシャームの幹部を8月31日にミサイル攻撃したのはアメリカ軍だったようだ。 サウジアラビアで伝えられているところによると、タハリール・アル-シャームのリーダー、アブ・モハメド・アル-ジョラニが手渡した情報に基づいてアメリカ軍は攻撃したのだという。 8月27日にトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領はロシアを訪問しているが、その際にウラジミル・プーチン露大統領に対してタハリール・アル-シャームの解体を約束、そのトルコ側の圧力で武装集団から離反しようとしたグループがアメリカ軍に攻撃されたのだとされている。 トルコ側の約束を受け、シリア政府軍は8月31日からイドリブの戦闘漸減ゾーンで停戦すると宣言、ロシア軍もその地域での軍事作戦を中止したという流れ。政府軍によるイドリブの制圧をアメリカ軍は少しでも送らせたいのだろう。
2019.09.03
シリア政府軍は8月31日からイドリブの戦闘漸減ゾーンで停戦する宣言、ロシア軍もその地域での軍事作戦を中止したが、その日に会議を開いていたアル・カイダ系武装集団のハラス・アル・ディンとハイアト・タハリール・アッシャームの幹部がミサイル攻撃を受けて死亡したと伝えられている。 イギリス外務省の資金提供を受け、同国の対外情報機関MI6と関係があるとも言われているSOHR(シリア人権監視所)によると、攻撃で死亡したのは40名以上で、その中にはハラス・アル・ディンとハイアト・タハリール・アッシャーム以外の組織の人間も含まれているとしている。 破壊された建物の周辺にはアル・カイダ系武装集団の医療部隊的な存在であるSCD(シリア市民防衛)、別名「白いヘルメット」のメンバーが群がっているともいう。攻撃はトルコ軍かアメリカ軍によると見られているが、トルコ軍の可能性が高い。 トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領がロシアを訪問、8月27日にウラジミル・プーチン露大統領と会見してから情況が大きく変化したようで、30日にはトルコ領へ逃げ込もうとした戦闘員らがトルコ軍によって押し戻されるということもあった。その際、見捨てられた形の戦闘員はエルドアンを「裏切り者」と罵り、大統領の写真を焼いている。 シリア政府軍がイドリブを制圧した場合、バグダッドとダマスカスを結ぶ幹線の途中になるアル・タンフやユーフラテス川の北側を占領しているアメリカ軍、イギリス軍、フランス軍の置かれた状況は厳しくなる。現在、こうした軍隊はクルドを傭兵として使っているが、少なくともクルドの一部はシリア政府と関係修復を目指して交渉を進めている。 それに対し、アメリカ軍はシリア東部からイラク西部にかけての地域で軍事力を増強、その地域に入り込んだイスラエル軍がイラク領内を攻撃してイラク政府との関係を悪化させている。ジハード傭兵を増やし、イラクをリビアのように破壊しようと目論んでいるのかもしれないが、そうした行動はアメリカを中東でますます孤立させる。 中東にエネルギー源を頼る日本にとって良くない方向へアメリカは向かっているが、日本の支配層は独自の政策を打ち出すことはできそうにない。安倍晋三政権も何かをしているポーズをとるのが関の山。アメリカ支配層に従うしか能がない彼らは日本を滅亡させることになっても結局はアメリカに従おうとするのだろう。
2019.09.02
今から96年前、1923年の9月1日午前11時58分に東京周辺は巨大地震に襲われた。被災者は340万人以上に及び、死者と行方不明者を合わせると10万5000名以上、損害総額は55億から100億円に達していたと言われている。 その直前、8月24日に加藤友三郎首相が死亡、山本権兵衛が組閣している最中だったことから政府は機能していない。そうした中、水野錬太郎内相と赤池濃警視総監が震災対策の責任者になる。両者は朝鮮の独立運動を弾圧したコンビだ。 1日の夕方になると「社会主義者や朝鮮人の放火が多い」、「朝鮮人が来襲して放火した」、「不逞鮮人が来襲して井戸への投毒・放火・強盗・●姦をする」といった流言蜚語が飛び交いはじめ、2日夜に警視庁は全国へ「不定鮮人取締」を打電して戒厳令も施行された。 こうした雰囲気が社会に蔓延、少なからぬ朝鮮人が虐殺されている。どういうプロセスでこうした流言蜚語が広まったのかは不明だが、その結果として数千人の朝鮮人や中国人が殺されたと言われている。さらに社会主義者やアナーキストが虐殺されているが、そうした犠牲者のひとりがアナーキストの大杉栄だ。彼は妻の伊藤野枝や甥の橘宗一とともに憲兵大尉だった甘粕正彦に殺されたのである。地震当時、東京に住んでいた人の話では、焼き殺された朝鮮人もいたようだ。実行者は日本の庶民にほかならない。 その時、千駄ヶ谷では伊藤圀夫という日本人が朝鮮人に間違われ、殺されそうになっている。伊藤は後に俳優や演出家として活躍することになるのだが、その時には「千駄ヶ谷のコリアン」をもじり、「千田是也」と名乗った。 地震は日本の経済も揺るがした。そこで山本内閣の井上準之助蔵相は銀行や企業を救済するために債務の支払いを1カ月猶予し、「震災手形割引損失補償令」を公布している。すでに銀行が割り引いていた手形のうち、震災で決済ができなくなったものは日本銀行が再割引して銀行を救済するという内容だ。 銀行は地震に関係のない不良貸付、不良手形をも再割引したために手形の総額は4億3000万円を上回る額になる。しかも銀行の貸出総額の4割から7割が回収不能の状態だった。 そこで復興資金を調達するため、日本政府は外債の発行を決断、それを引き受けることになったのがJPモルガン。この巨大金融機関と最も強く結びついていた日本人のひとりが井上準之助である。1920年に対中国借款の交渉をした際にこの巨大金融機関と親しくなったという。 必然的にJPモルガンは日本に対して大きな影響力を持つようになり、緊縮財政と金本位制への復帰を求めてくる。1929年7月に誕生した浜口雄幸内閣がこの要求を実現、日本の経済状況を悪化させ、庶民は塗炭の苦しみをなめさせられることになった。その時の大蔵大臣は井上だ。 JPモルガンは1932年から33年にかけての頃、ニューディール派のフランクリン・ルーズベルト大統領を倒してファシズム体制を樹立する目的でクーデターを計画した。 この計画はアメリカ海兵隊の伝説的な軍人、スメドリー・バトラー退役少将が阻止、議会でクーデターについて詳しく証言している。そのバトラー少将によると、ウォール街は金本位制に執着していた。 日本では金本位制へ復帰した結果、1932年1月までに総額4億4500万円の金が日本から流出、景気は悪化して失業者が急増、農村では娘が売られるなど一般民衆には耐え難い痛みをもたらすことになる。 そうした政策の責任者である井上は「適者生存」、つまり強者総取りを信奉、失業対策に消極的で労働争議を激化させることになる。こうした社会的弱者を切り捨てる政府の政策に不満を持つ人間は増えていった。 ルーズベルトを大統領にした選挙は1932年に実施されたが、その年にハーバート・フーバー大統領は駐日大使としてジョセフ・グルーを日本へ派遣する。この人物のいとこにあたるジェーン・グルーはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガンの総帥の妻だ。 グルーは日本の支配層に太いパイプがあり、秩父宮、近衛文麿、松平恒雄、徳川家達、幣原喜重郎、樺山愛輔、牧野伸顕、吉田茂、岸信介などと昵懇にしていた。その中で最も親しくしていた人物は松岡洋右。1941年12月に日本軍がハワイの真珠湾を攻撃、翌年の8月にグルーは日本を離れるが、最後にゴルフをした相手は岸だった。ちなみに、松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたる。 1932年に日本は「満州国」をでっち上げているが、そこで権勢を振るった「二キ三スケ」の中に松岡(スケ)と岸(スケ)は含まれている。そのほかのメンバーは東条英機(キ)、星野直樹(キ)、そして鮎川義介(スケ)だ。 本ブログでは繰り返し書いてきたが、戦後日本のあり方を決めたジャパン・ロビーの中心にはジョセフ・グルーがいた。戦前レジームと戦後レジームはつながっている。(注)●は「強」
2019.09.01

香港では街中で火炎瓶が飛び交っている。抗議活動の参加者数として170万人とか200万人という数字がアメリカでは事実として扱われているが、実際はせいぜい十数万人のようで、それも連日動員できるわけではなさそうだ。「テレビ映り」を考えると、人数の少なさを過激さで補う必要があるのかもしれない。 こうした活動を売り出すためには象徴になる「スター」が必要。2014年9月から12月まで続いた「佔領行動(雨傘運動)」のときから、弁護士の李柱銘(マーチン・リー)、メディア王の黎智英(ジミー・リー)、香港大学の戴耀廷(ベニー・タイ)副教授、あるいは陳日君(ジョセフ・ゼン)、余若薇(オードリー・ユー)、陳方安生(アンソン・チャン)といった名前が挙がっているが、アメリカがスターとして売り出したのは黄之鋒(ジョシュア・ウォン)、羅冠聰(ネイサン・ロー)、そして周永康(アレックス・チュー)。アメリカのマルコ・ルビオ上院議員は2017年10月、この3人と雨傘運動をノーベル平和賞の候補者として推薦している。 ルビオはキューバ系で、今年3月にベネズエラでは大規模な停電があった際、その数分後、ベネズエラ政府より速くその状況を正確に述べていた。またイスラエルのパレスチナ人弾圧に抗議するために行われているBDS(ボイコット、資本の引き揚げ、制裁)をアメリカで実行することを法的に禁止する法律の成立を目指している。 黄之鋒と羅冠聰がほかのふたりと一緒にJWマリオット・ホテルでアメリカのジュリー・イーディー領事と会っているところを撮影されている。黄之鋒は2015年11月にナンシー・ペロシ下院議長とも会談した。 抗議活動の主催者がアメリカの政府や議員と連携、CIAの資金を動かしているNEDの資金が1996年から流れ込んでいることもわかっている。つまり、抗議活動はアメリカ政府の政策と深く関係しているはずだ。 アップル・デイリー(蘋果日報)などのメディアを支配する黎智英も抗議活動の重要なスポンサーとして知られている。この人物は今年7月にアメリカでジョン・ボルトン国家安全保障補佐官と会談した。 中国領だった香港をイギリスが支配するようになった原因は1840年から42年まで続いたアヘン戦争にあるが、その当時から香港は4家族が支配してきた、つまりイギリスの手先になってきたと言われている。李、何、許、羅だ。現在は李と何が力を持っているようだ。こうした人びとも中国への返還を望んでいない。好き勝手なことをする「自由」がなくなるからだ。 アヘン戦争でイギリスは中国(清)を占領することはできなかったが、海での戦いに圧勝、沿岸地域を制圧した。その結果イギリスは香港島を奪い、上海、寧波、福州、厦門、広州の港を開港させ、賠償金まで払わせている。1856年から60年にかけての第2次アヘン戦争では11カ所の港を開かせ、外国人の中国内における旅行の自由を認めさせ、九龍半島の南部も奪い、アヘン貿易も公認させてしまった。 麻薬取引で動く資金を処理したのが1865年に香港で設立された香港上海銀行。この銀行は上海でも仕事を始め、1866年には横浜へ進出、さらに大阪、神戸、長崎にも支店を開設して日本政府とも深く結びついた。 香港は1898年から99年間のリースということになっていたので、1997年に返還しなければならない。それを嫌がったイギリスは時間稼ぎも目論む。そして1984年12月に署名されたのが「中英連合声明」。1997年から2047年までの期間は「一国二制度」で香港を特別扱いすることになった。1984年当時の中国は新自由主義にどっぷり浸かっていたことから、中国本土を香港化することも不可能ではないように思えた。 しかし、1980年代の半ばに中国は新自由主義の弊害に気づいて軌道修正、天安門広場での新自由主義継続を求める学生たちの運動は抑え込められてしまった。本ブログでは繰り返し指摘しているが、この時、広場で学生が虐殺された事実はない。少なくともそれを示す確かな証拠や証言は存在しない。 それでも天安門広場の事件からしばらくの間、中国は新自由主義を放棄せず、アメリカとの関係は継続した。つまりアメリカの影響下から抜け出していない。それが変化したのは2015年頃からだ。今ではロシアと戦略的な同盟関係を結んでいる。 アヘン戦争以降、香港は麻薬の積み出しや資金の処理をしてきた。1970年代からシティは大英帝国のつながりを利用してオフショア市場のネットワークを築き、資産を隠したい世界の富豪、情報機関、あるいは犯罪組織に重宝されてきた。そのネットワークにひびが入ることを西側の支配層は好まない。日本でカジノとオフショア市場をセットで作ったとしても、香港を手放したくないだろう。税金を払わない「自由」は彼らの特権だ。 香港は中国を侵略し、略奪する拠点として機能してきた歴史もある。現在、アメリカは中国に経済戦争を仕掛けているが、それが成功した暁には香港を再び略奪の拠点にするつもりだろう。
2019.09.01
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