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アメリカで発行された自己啓発書の古典に、“The Message of A Master” http://www.psitek.net/pages/PsiTekTMOAMContents.html(邦題『マスターの教え』旧題『運命の貴族となるために』)という本があります。同書の「決め」のひとつの部分、マスターの教えとは、“I will, therefore, go further and give you an important requirement in successful achievement and that is secretiveness.” (Chapter 11) 私はさらに成功するためにどうしても必要なことをお教えします。 それは他人に話さない(秘密にする)、ということです。 (山川紘矢・山川亜希子 共訳)目標や希望を他人に話してはいけない理由は、「緊張感を失い、パワーを失ってしまうからだ」と Chapter 12 の最後に説明されていますが、フランスの哲学者アランは違う切り口でこれを捉えています。「従事する自分の仕事のなかに、精神は、最初の真理、 最初の錯誤を読み取らねばならなかったと言える。 農夫は天体の歩みや季節の移りをよく知っているし、 職工は、明瞭な関係、特に、幾何学や力学上の関係をよく知っている。 最もこれが精神の働きを制限し過ぎるのだが。 動物を仕込む者は、仕事の成功でだんだん大胆になり、 しまいには、判断によって或いは意志によってと当人は言うだろうが、 ともかくお互に何の連絡もない言葉を鵜呑みにして、頑固にこれに固執する様になる。 未開の猟人が、追いかけている獣の名は、 たとえ小声でも言ってはならぬと信じ込んでいる様なのがそうである。 こういう臆面もなく信じられている、昔のペルシャの道士にある様な誤りこそ、 職人達の明瞭な為振りより、もっとよく真実な精神の力を示していると言いたい。 深淵に橋を掛けながら、凡そ人間は、そんな調子で考えるものだ、 いやそんな調子で有効に考えるとさえ言いたいくらいだ。」 (アラン著 小林秀雄訳『精神と情熱とに関する八十一章』 新潮社小林秀雄全作品8 P.73 )アランがさらりと書き流した野蛮な猟師の信じ込み、思い込みの一例が、一方の著書では重要なドグマのように扱われる。これは例えば、近年流行の(安易な)「引き寄せ術」にも言えることで、R.W.エマソンの説いた「似たもの同士が引き寄せ合う類友の法則」が針小棒大的に宇宙規模のスケールで語られるようになり、新興宗教の教義のように他の思想をも飲む込みはじめているのはおぞましい話です。「引き寄せの法則」だけではいずれ説明不能になるであろうことは5月の時点で自分も書いていますので「またその話か」と思う人もいるでしょう。http://plaza.rakuten.co.jp/finlandia/diary/200805160000/http://plaza.rakuten.co.jp/finlandia/diary/200805190000/こんな調子なら書店で平積みになっている、思想のデッドコピー、後知恵だらけの底の浅いスカスカな本を買う必要はまったくなし、エマソンやソローの著書を繰り返し読んだ方が余程マシというものです。
2008年10月31日
意気地無しが二人、共に念入りに武装して、或る晩、ダスニエール橋の上で出食わし、流血を見た。苦もなく説明のつく喧嘩であるが、解剖してみると非常に有益である。あんまり用心が過ぎると、どういう具合に情熱は暴力と化するかを明示する例だ。恐怖の念の動きというものは、実際の原因はなくとも、非常に強く僕等に働くもので、又苦痛さえ伴うもので、僕等は其処に常に一種の警報を見たがるものだ。恐らく、二人の臆病者は、歩調を緩め、迂回し乍(なが)ら進んだだろう、用心深い行為は、狡猾な攻撃に実に酷似している、そこで二人とも恐怖心をいよいよ募らせたろう、恐らく、一人が素早く通り抜け様とした、もう一人は武器を取った。つまり、狂気染みた疑心と記号の拙劣な解釈とがする業(わざ)である。(後略)(アラン著 小林秀雄訳『精神と情熱とに関する八十一章』 新潮社小林秀雄全作品8 P.193, 194 )
2008年10月30日
Nokian Jakineet Kontio Classichttp://www.nokianfootwear.fi/以前からノキア社のブーツを入手したいと思っていますがここ数年暖冬気味の都心生活では過剰装備という気がして躊躇しています。楽天市場にも同社ラバーブーツの取り扱い店があります。こちらはマリメッコ・ウニッコ柄のブーツ。
2008年10月29日
Kimmo Palikko "Sudet - duetto"http://www.kp-art.fi/http://www.kp-art.fi/default.htm上記URL2段目の KUVAT のボタンを押すと各画像を見ることができます。
2008年10月28日
PETZL SPATHA Couteau mousquetonnablehttp://fr.petzl.com/petzl/Accueil日本総代理店 株式会社アルテリアhttp://www.alteria.co.jp/index.htmフィンランドのアウトドア用品店HPで初見していたフランス PETZL社のナイフが日本で販売されておりとても驚きました。(ほとんど浦島太郎状態であります…)大雨の時や泥や砂まみれになる状況下では、木製ハンドルのオピネルやラップフォルダーは後日のメンテナンスを考えると使えないので、合成樹脂を多用した低価格な折り畳み式ナイフはありがたい存在です。(日本製だったらちと嫌なんですけどね…)この冬に長期間かけてフィールドテストしてみたい製品です。
2008年10月27日
SUUNTO Maastokompassi MB6http://www.suunto.com/http://www.suunto-japan.jp/日本では「スント」とカタカナ表記されるSUUNTO社収納式コンパスです。手持ちのシルバのコンパスをここ数年まともに使ったことはなく、(現在蟄居中の携帯電話にもコンパス機能がついていますし…)いまさら買い替えても意味はないのですが、やはりプーッコやフィスカルスの剪定鋏やハンディ500(手斧)等と一緒に使うならSUUNTO社の製品を入手しておきたいところです(??)。同社はキーホルダー型のマイクロコンパスも数種販売しているので、フィンランド好きの方は楽天市場で探してみてはいかがでしょうか。個人的には人生のコンパスが欲しいところですけど…(笑)
2008年10月27日
Kimmo Palikko "Suoheinalato"http://www.kp-art.fi/http://www.kp-art.fi/default.htm上記URL2段目の KUVAT のボタンを押すと絵画の画像を見ることができます。
2008年10月26日
JT PALIKKO(SUOMI)KITKALINKKARIhttp://www.kp-art.fi/http://www.kp-art.fi/jt/index.htmlTIMO HYYTINEN 著 “LINKKUVEITSET” で紹介されているイィーテー・パリッコさん製作タイットゥヴェイッツィ “キトゥカリンッカリ”日本の「肥後の守」に構造が少し似ています。
2008年10月25日
TSAARIN POSLIINIhttp://www.posliini.fi/Toimenkuva > Touttet > Ela¨nhahmotcode: 3630 code: 4200
2008年10月23日
Lone Wolf & Cub, Tome 10 知る人は知っているゴミ捨て指南書に、カレン・キングストン著『ガラクタ捨てれば自分が見える』という本があります。( http://item.rakuten.co.jp/book/1433187/ )楽天ブックスのレビュー 635件、amazon jp のレビュー 238件(2008年10月現在)とけっこう凄い数です。自分がこの本を手にした2005年の時点で、思い出せば捨てるべき時に捨てたな、というものが数々ありました。たとえば大藪小説と同エッセイ(ハードカバー、新書、文庫本)、ほぼ全巻手に入れていましたが、シロアリに食われてボロボロになり、すべて焼き捨てざるをえませんでした。それから日本のナイフ書籍。1999年頃から対人用の武器としてナイフを売り出した雑誌社と販売店が気に入らず、個人的なナイフ関係のトラブルもいくつか重なって、古書店で買い揃えた本を含めカタログ本、雑誌、単行本類を処分しました。大藪小説の模倣で集めたガーバー・ナイフと派生的に買ったナイフ、そして国内店で買ったナイフのほとんどを2004年頃までに売り払いました。武道関連書数百冊を手放す切っ掛けもありましたが、それらのものが手元になくても、まったく支障がなかったのは面白いことです。ダガーナイフの所持規制で、大切なコレクションを放棄せざるをえない人もきっとたくさんいるでしょう。日本の商業誌や刃物店の宣伝文句を信じて買った商品など、未練を残さずにさっさと捨ててしまえばいいと思います。いろいろな意味で、幼稚な玩具から潔く卒業し、狡猾で信用できない人たちと訣別する絶好の機会です。R.W.エマソンは言う、「天使が出ていくのは大天使がはいってくるためだ」。(『エマソン論文集』「償い」より)「ダガーと一文字の太刀、どっちを選ぶ?」と言われたら、自分はダガー100万本をドブに捨てて、一文字の太刀を選びます。世の中には一文字の太刀とは違うものを欲しい人の方が圧倒的に多いでしょうけど。いずれにしても、人生にそれぐらいの予約席(空間)があってもよいのではないでしょうか。
2008年10月21日
“うせまれ入にスーケ用専は物刃”(画像左から KELLAM KNIVES Wolverine ウルヴァリン 革製ケース※に収めた LappFolder F10、同社コーデュラ製ケース) ※Fox cutlery http://www.foxcutlery.com/ の SHEATHS #37と同規格品。 ミラー用に開設しているブログが “通報”(?) されたようです。どの官庁、もしくはどのネット管理会社に、どこの誰が通報したかは今のところ不明ですが、「すでに通報済み」と連絡があって、正に青天の霹靂、0.数ミリ程驚きました(笑)。ナイフについてあまり詳しくない人の視点で見ると、プーッコもブーツナイフと同じような危ない凶器に見えるのかもしれません。ここ最近、国内の刃物店や個人の方のHPを閲覧していないので、ナイフ事情がどのような状況になっているか、自分にはよくわかりません。道具であるナイフを紹介していても、記事の内容を把握せずに過剰反応されるようでは、ナイフ趣味の未来は推して知るべし、という感じがします。 立ち止まって周囲を見渡してみると、いつまでも寸鉄にしがみついているのは人間的にスケールが小さいですし、自分の使い易いナイフの傾向は2003、4年辺りでほぼ定着していますので、今後はゆっくりフィンランド発行のナイフ書籍などを翻訳しながら、情報の精度を上げていこうと考える 2008年の秋であります。
2008年10月18日
“最近、私はある教会の執事の家財が競売される現場に出てみた。彼の生活は無駄のない実際的なものであったから。 『人のなす悪事はその人の死後にも残る』 例によって、その大部分は、父親の時代からたまってきたがらくたであった。中には死んで乾いてしまった条虫(さなだむし)も混じっていた。こうして彼の屋根裏部屋とか塵(ごみ)ため用の穴ぐらに半世紀以上もの間置かれていたために、焼き捨てられずにこうして残っていたのだ。がらくたを焼き清めるという浄火の儀式の代りに競売(オークション)にかけられた。要するに、またがらくたが増えるまでのことだ。近所の人々が集まってきて熱心にがらくたを眺め、全部買い占め、慎重に、こんどは自分たちの屋根裏部屋や塵ため用の穴ぐらに運び入れ、その後、あの世に旅立つとき、その財産の処分が決まるまでその場所に置かれるのだ。死を迎えた時、人は財産をめぐって大騒動を引き起こすのである。ある未開民族の風習には、多分われわれが真似ても有益なものがあるだろう。少なくと彼らは年に一度、がらくたを全部投げ捨てて、さっぱりしようとする行事を行なっている。彼らが本当に、さっぱりした気分になれるかどうかは別にして、それは一つの生活理念である。バートラムがマックス・インディアンの風習として語ったように「バスク」、つまり「最初の実りの祭り」のようなものを、われわれも祝ってみたらどうだろうか。バートラムはこんなことを言っている。「町がバスクの祭りを行なうとき、あらかじめ、 新しい衣服、新しい手鍋(ポット)、皿(パン)、 その他の家庭用品や家具を用意しておき、 着古した衣類やがらくた道具を集め、 そして自分たちの家や広場や町全体の大掃除をして汚物を一掃する。 そうしたものを、今まで残してきた穀物や古い食料品といっしょに積み上げ、 火をつけて焼いてしまう。 それから薬を飲んで、三日間断食した後に、町の火は消される。 断食の間は一切の食欲も淫欲も禁じられる。 大赦が布告されて、ようやく、すべての悪人が帰路につく___。 四日目の朝になると、高位の聖職者が町の広場で、 乾いた木をこすって火を起こし、町の住民たちが一人一人、 その新しい浄火を家へ持ち帰る」。 そのあと彼らは新しく収穫した穀物や果物で宴(うたげ)を催し、三日間にわたって踊ったり、歌ったりして過すと、「それから四日間は、自分たちと同じように身を潔め、 心の準備をした近くの町の友人の訪問を受けて楽しい時を過すのである」。メキシコ人も五十二年目ごとに、世界の終焉を信じて、これと似た清めの行事を行なっている。 これほど真実に満ちた聖なる儀式を私は耳にしたことがない。つまり、辞書に定義されているように「内なる、精神的恩寵(おんちょう)という外から、視覚できる奇蹟(サイン)」である。彼らは啓示について書かれた聖典など持っていないが、本来は直接、神から霊感を受けて、こうした行事を始めたものと私は信じて疑わない。” (『森の生活 ウォールデン』P.98、99 ヘンリー・D・ソロー著/佐渡谷重信訳 講談社学術文庫)
2008年10月16日
『ICHI』公式サイトhttp://wwws.warnerbros.co.jp/ichi/テレビは1日2時間程しか見ないので最新映画などさっぱりわかりませんが今日偶然、街角のフリーペーパーで映画『ICHI』を知りました。主演は綾瀬はるかさん、この方の動く姿はCMとドラマ『鹿男』でしか見たことがない。きっと人気がある女優さんなのでしょう。自分の母方の曾祖母も広島の原爆で失明してしまいましたので目が見えないというのはどれほど不便だろう、と思うことが時々あります。脚の筋(腱?)はしょっちゅうブチ切って、医者に診せず(※)、杖もつかず自力で治してますけど…(笑)。※病院には他の患者さんの残留思念が無数に漂っているような気がします。
2008年10月15日
kirjain suomi NATOA Aarne Alfa tai Alpha (ANSI)B Bertta BravoC Celsius CharlieD Daavid DeltaE Eemeli EchoF Faarao FoxtrotG Gideon GolfH Heikki HotelI Iivari IndiaJ Jussi Juliett tai Juliet (ANSI)K Kalle KiloL Lauri LimaM Matti MikeN Niilo NovemberO Otto OscarP Paavo PapaQ kuu QuebecR Risto RomeoS Sakari SierraT Tyyne TangoU Urho UniformV Vihtori VictorW wiski WhiskeyX a¨ksa¨ X-rayY Yrjo¨ YankeeZ tseta ZuluA° A°ke Alfa AlfaA¨ a¨iti Alfa EchoO¨ o¨ljy Oscar Echo
2008年10月13日
Puukkopaja Liukko Ky Hevosenpaa puukkohttp://www.liukkopuukot.fi/kuvagalleria.htmプーッコパヤ・リウッコの馬頭装飾のプーッコです。hevosen(馬の~)paa(頭)。ちなみに名詞の「馬」は hevonen です。Puukkopaja Liukko Kyhttp://www.liukkopuukot.fi/index.htm
2008年10月05日
(画像は、現在蟄居の身の方々(笑)。)10月に入って腕時計をしない生活を試していて、すこぶる調子がよい。時間がわからないのは実に緊張感があって面白い。以前はブランド物の時計をしていて、コンクリ塀に激突させたこともあったが腕時計をしなければそのような心配もない。実家にいた際はズボンのポケットにツールナイフを入れていたけれど東京都内ではナイフを携帯する理由もないし、銃刀法や軽犯罪法などに抵触するので持ち歩いていない(真夜中に街を歩いていても職務質問されたことは一度もありませんが)。携帯電話も業者のメールばかり送信されてくるので、かなり以前に契約を解除してしまった。腕時計なし、携帯電話なし、ナイフなし!! それでも十分行動できる。一部の年配者たちは「今の日本があるのは、わしらのお陰」と言う。たしかに現在の日本は物質的に飽食気味で便利ではあるけれど、目先のことに騙されてはいけない。巧言令色で真実が隠されているだけだ。最先端の流行や世間受けする物品などは貼り変えのきくシール程度の意味しかない。 スピリチュアリスト達は異口同音に「宇宙は愛だ、すべてはひとつだ」と大きな声で叫んでいる。それが本当なら、要らないモノや人間関係はさっさと宇宙に返そう。もっとマシなものと交換してくれ給え。
2008年10月03日
LAPLAND WILD SIDEhttp://www.lapland.fi/
2008年10月02日
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