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そろそろ今の状態を脱皮しないといけないなあと思っていた矢先に 現在ニーナカロライにご宿泊中の喜楽天道さまのハイヤーセルフコネクションワークの応用編を受けるチャンスがめぐってきて それが 私自身の大きなシフトをおこすことになりました。私と喜楽天道さまとは北海道のツアー以来 互いに良い所を認め合い、足りない所を補い合って (といっても私が教えていただくことがほとんどですが)他の仲間の皆様とご一緒に大変良い経験をさせていただいてきました。実際に動いてさまざまな事を経験すると それに見合った「気付き」が必ずご褒美としてやってきて その気付きがどんどん深いものになっていきます。もちろん まだまだなのは良くわかっていますが それでも この頃は仲間達とのワークの相乗効果のおかげで 一つの段階を抜けて次の段階に行く準備が急速に整ってきたように感じていました。そして それが 昨日 喜楽さまのワークを受けるというかたちで現れました。ワークが始まって10分くらい経った頃に 『多次元化』というキーワードがもたらされると宇宙から多次元化の悟りのパッケージのエネルギーが降りてきて 私の意識を同時にいくつものことが存在する意識状態に変えていきました。実際、大変なエネルギーが降りてきていたので 3時間のワークの半ばで喜楽さまに 「もうワークはこれで十分ですよ。」と言いました。「まあまあ、そんなことは言わずにもう少しやりましょう。」とおっしゃる喜楽さまに頼んで早い目に切り上げてもらいました。たった一言の言葉であっても それに高次のエネルギーの悟りが梱包されているわけですから地上時間の10分でも 十分すぎるくらいなのです。 私達はいつもは自分の意識を 単体で捉えています。けれども高次の存在になればなるほど 同時にいくつもの意識をもち その意識のなかで別のことを同時進行で捉えていくことができるようです。地球規模で働いている存在よりも 太陽系規模で働いている存在のほうがまたそれよりは銀河レベルで働いている存在のほうが 同時にいくつもの意識をもち沢山の次元をその中に内在させているように私は感じています。けれどもまさしく実際に自分のなかで それが始まりだすと 自分という意識の境界線がどんどん拡大化していき それから同時に いくつもの意識が それぞれの認識をはじめました。それによって一番良くわかったのは 頭脳は多次元を捉えて処理するだけのキャパシティがないということです。私達は自分たちの頭脳を一生かかってもほんの少ししか使えないといいますが昨夜の私の体験では 頭脳の容量では とても多次元世界を捉えていくことはできないように感じられました。変容の途中で戸惑いながら 起きていることを頭を使って整理しはじめるとどんどん苦しくなって来ました。そんな私に 喜楽さまは 理屈をつけて何が起きているのかを捉えようとする頭脳を使うのをやめてハートに意識を集中するようにとアドバイスされ、私も自分のハートに全てをゆだねました。そうしておきてきたことは ハートはもはや今までのハートではなく どんどん拡大していく宇宙になりました。昨年の11月11日に大きなシフトが起きた時に 私のエネルギーが総入れ替えさせられた出来事がありましたが 今回も それほど苦痛はないにしても 昨年よりももっと大きな 深いレベルで 私というエネルギー体の再構築が 急スピードで行われているようです。実は このワークを受ける直前に 東京や名古屋、京都での私の光のワークや講習会の申しこみがどんどん入ってきていまして それらは1日で満員になったのですが(ありがとうございます。)その申し込みをして下さった方たちとは すでにエネルギー的には繋がっていますのでその方達にも 良い意味で何らかのシフトが起きているかもしれませんね。しかし 肉体は3次元的なものですので この変化に対応するのが大変です。エネルギーシフトとそれに関する体の再構築を経験されている人なら よくわかられると思いますが 私のほうもしばらくは 私の魂が宇宙と計画したレベルに自分を適応するのに時間がかかりそうです。そのようなわけで 10月8日まではスピリチュアルな仕事は休業とさせていただくことにしました。すでにお受けしているワークにつきましては そのまま行わせていただきます。10月9日からの東京出張を新しいスタートとして また 頑張りたいと思いますのでどうぞよろしく御願い致します。ところで 意識が多次元化して 今は前の意識とはまったく違う意識のなかに自分を再構築し始めたときに 最初に感じたことは それぞれの存在たちが(人間も) 実によく頑張っていて そしてまた その存在たちをサポートしている存在が無数にいて だからこそ 私はただただ 見ているだけていいのだという感覚でした。人間っていいなあ という言葉が 温かい感覚とともにあふれ出てきました。隣の部屋で 喜楽さまが 今こんな音楽が ひめさんのほうから流れてきているよと教えてくれました。いいな いいな 人間って いいな 僕も帰ろう お家(宇宙)へ帰ろうでんでんでんぐりがえって バイバイバイ さて 何の曲でしょうか? 私の魂の本質に近いエネルギーが流れていると思います。(youtubeへどうぞ) この曲を聴きながら 喜楽さまが 「なんか 涙がでるねえ。」とおっしゃいました。私たちが自分のお家に帰る日がくるまで あとひと頑張りだなあと 思いました。この地球で頑張っている同胞へ エールをこめて
2008年09月30日
京都では寺社の秋の特別拝観のシーズンを迎えています。この時期は一年の中でもとっても京都が美しい時期で 特にもみじの鮮やかさは 本当に観光客の方たちが生きててよかったとつぶやいておられるのを聞くことがあります。年配の方に多いですね。それだけ人生の経験を沢山つまれて 同じ景色を見ても心を動かされる深さが違うのでしょうね。こちらに京都のイベントの案内を貼り付けさせていただきますのでご興味あるかたはご覧になってください。まるごと京都ポータルサイトゲストハウスのニーナカロライも 10月は1日~8日、17日~31日まで御宿泊可能です。さて 私のほうは今月の出張は1週間だけにしました。10月10日~13日 東京、江ノ島、鎌倉10月14日、15日 名古屋今回は10月10日に私の光りのワークを受けてくださった方たちとワークの復習会をかねた懇親会を渋谷で開きます。イベント特設ページのの『光りのワーク・ブラッシュアップ講座』をご覧くださいね。こちらには10月26日の京都での講座のご案内も掲載しています。また11日12日は ブログ仲間の白山菊理姫さまのイベント『薔薇を愛でる会』(東京神代植物公園)や 江ノ島、鎌倉の楽しいお散歩に参加してほっこりリラックスムードで 参加者の方との会話を楽しんでこようと思っています。ご興味ある方は ぜひご一緒にどうでしょうか?また10月14日15日は名古屋での光りのワークを行います。京都での光りのワークは ご希望により行っていますので 私の出張日以外でご希望の日を書いてください。
2008年09月28日
昨夜からほんとにいろいろありまして 秋の夜長ということもあり しみじみと感じ入っています。これまで出会ってきた人たちは その時の状況に応じて くっついたり 離れたりいったんは離れたかのように見える人たちが ある時同じ座標で思いもかけない再会をする、しかも離れていた分、違う学びを持ち寄って 以前よりももっと深めあうことができる、そんなことってあるんですね。昨夜から今日にかけては そんな仲間達と再会をしました。するべきことが 昨夜から少々ありまして とっても疲れているのですがでも とっても とっても満足していて 安らかな気持ちでいます。ずっと 『力による支配』ということをテーマに見てきておりますが そんな中でも女性性の優しさと叡智を兼ね備えた人になりたいと思いました。
2008年09月27日
昨夜からニーナカロライに泊まりに来ています。明日からいらっしゃるお客様たちの為の準備に来ているのですが それにしても今夜はなんだか妙な感じです。この数日は金閣寺の近くの自宅で本を読んだり また 内面と向かい合ったりして 大変貴重な時間を過ごす事ができました。今夜から久しぶりに西陣にあるニーナカロライに泊まりに来ていますが 空気がざわざわしていていつもと違って落ち着かないのです。ラップ音が続いているので それがどこから来るのか感じてみてはいるのですがその原因がどうやらこの地面の下からくるような感じがします。ニーナカロライは霊道の上にありますので 他の場所と違って 京都の気配が敏感に感じられる場所です。そういえば今夜は といってももう昨夜になりましたが 午後11時過ぎに地震があったので 地震速報で調べてみると なんと京都南部が震源地でした。(2008年9月25日 23時17分ごろ 震源地 京都南部 北緯35.1°、東経135.5°マグニチュード 3.4)京都ではめったに地震は起きません。震源地になるなんてことは あまり聞いたことがありません。それで不思議だなあと思っていると なんと昨年も同じ日に(9月25日)に京都南部を震源とした地震が起きているのが偶然わかりました。なんなんだろう。それはそうと 今日は佐渡でトキが野に放たれていましたね。絶滅寸前のトキ(時)が 戻ったという事でしょうか?
2008年09月25日
各地に旅行に行って一番困るのが どのホテルに泊まるかということです。たいていインターネットで検索して選ぶのですが これがまた一苦労です。伊豆の旅行の時も江ノ島近辺のホテルでどこがいいかをツアーのメンバーでスカイプ会議しながら選ぶのですが 面白いことに誰かが提案したホテルや旅館、民宿のサイトを開くやいなやそれに関係する人が ごほごほ咳をしたり どこかが痛くなったりしています。最終的には喜楽さまが 波動リーディングして下さるのですが これが都心となってくると本当にリーズナブルな金額で安らかな波動をしているホテルが少ないのです。私がいつも使わせていただいている渋谷のサクラフルール青山さんなどは 本当に稀に良い波動です。それになによりバスルームが 綺麗なので本当に気持ちよく使わせていただいています。ニーナカロライでおとなしくしている時は別として 旅行にいくのは何か必要なことをしに行く事がほとんどですから 夜は殆ど安らかには眠れません。どこかの次元ですることがあったり また土地の霊体が常にはいってくるので朝起きると 全身打撲状態です。ですからできるだけ波動のやすらかなホテルで すこしでも心身ともにやすらかな眠りをしたいというわけです。朝、起きてみて全身が痛くて動けない状態から抜け出るのは 水に縁のある私にとって バスタブで身体を浸すのが一番なのですが そう言う意味では24時間使用できる温泉がある富士のホテルや伊豆のホテルがありがたかったです。富士の旅館では 部屋に水槽みたいな大きなバスタブがついていて 上質な温泉のお湯があふれているのですから最高でした。それで2食付いて 一人6,000円でした。料理も腕の良いシェフがいらっしゃるようでとても美味しかったです。今まで随分 パソコンでホテルや旅館の波動リーディングをしてきたので昨夜 喜楽さまとそれをしている時に 『お、なかなか ひめさんも上手になってきたなあ。』と褒めてもらいました。そのうち 「波動でみるホテルランキング、五つ星ホテルはこれだ!!」なんて本が出版できるかもです。 なんだか 楽しいですね。
2008年09月20日
今日の光のレベルアップワークは 魔女的な世界に入り込んでしまうところであった人がその世界を抜けだすためにはどうしたらいいかというワークになりました。面白いことに この人がこの魔術集団と出会われるのは この人が光のレベルアップワークを頼まれてからのことです。先に8月15日にメールでお申しこみがあって その後の9月の始めに魔女的なグループに入る事になり それから いてもたってもいられない気持ちで今日までの間を自分にできることをしながら ご自分に向かいあってこられたようです。通常はワークを申し込まれるとその時点から すでに私とその方とのリンクは始まります。そのリンクのなかで 彼女がもともと過去生において魔法と縁が深い人であることがわかっていましたが 彼女が望まないなかで魔女軍団のエネルギー下で支配されていくのが彼女のハイヤーセルフから知らされたのはワークより前の8月末でした。そのから今日までの間 彼女の学びとしての期間が1ヶ月あったわけで その間いろいろ学べてよかったですね。 私の方も黙ってみていました。出会いはすべて学びで そういう意味ではこの魔女軍団さんに感謝して 手放す事になりました。私にとっても 自分がそういった魔術的、陰陽道的なこととかかわって人々を支配したことがあったのではないかということをずっと見つめつづけているので しんどいでしたが 必要な学びをさせていただき感謝です。さて 昨日も書きましたが 彼女の場合も 自分の身の上に不思議な出来事が起きたために凄い!どうしてこんなことが起きるの!? とびっくりしてしまわれたようですがそれは そのエネルギーの中に組み込まれているからです。不思議なこと=波動の高いこと ではないのですが自分でも信じられない不思議なことが起きたときに それが高次の存在だと教えられるといつも働いているセンサーが機能しなくなるようです。彼女にかかっているエネルギーを少しづつ除去して クリーンな状況にしていくと彼女の身体に さまざまなネガティブな波動がくっついていたことがご本人にもわかりハートが開こうとする痛みも感じられるようになり最後は身体がぽかぽか温かくなって よかったよかったということになりました。これでやっと 彼女自身がハートを感じられたと思います。昨日 電話でセッションをした方もそうでしたが 今の身体についているセンサーが狂っていると 今考えている事そのものが正しくないケースがあります。目の前にある出来事を さまざまな色がついた色眼鏡で見て 苦しんで自己否定している場合も多くあります。自分が悪いから 景色が濁って見えるのではなく ただ 不要なメガネを沢山かけているだけであれば それをはずす勇気を持つだけでいいんでしょうね。今日は私の方も 彼女のワークが始まるまでの1ヶ月の間リンクしていたエネルギーと完全にありがとう、さようならすることができて なんだか気分爽快です。
2008年09月19日
瀬織津姫からのメッセージ『世に神の水と言えしもの現れる時汝らのハートもてよくよく吟味すべし水は誰かによって生み出されるものでなく万物にあたらえらた万物の命の水源なれば誰かによってのみ与えられるものでなし今すべてのもの水源に帰還するときにあたりこれこそが神の水として 人々を惑わすものあればそれこそが その源 我より人々を切り離した存在であることを知るべし』いままで 不思議なこと 魔術的なことが好きであった友人たちがこのごろ そういったことを巧妙な形で顕わしてくれているモノや団体に囚われていくことが多くなってきました。それは その人たちの必要な学びなので 私からはとやかく言うこともなしと黙ってみています。ただ そういった友人などから来るメールには 今まで彼らについていなかった邪悪な波動がくっついていて (言葉が思い当たらないので邪悪という言葉を使いましたが必要なのでやってくるエネルギーという点では悪ではありません。)なぜ この波動の気持ち悪さに気付かないのかと思いますがそれは 彼らが過去生から 魔術的なこと奇跡といえるようなこと、不思議なことをずっとハートの外に求めてきた歴史があって 今回それと向かいあうようになってきているからだと思います。ハートのセンサーが十分に機能していれば これらの情報がいかに素晴しいもののように見えても 実は 何か嫌だと感じるはずなのですが それが その不思議大好きなフィルターを持っているために その波動の重さ、邪悪さがわからないのです。このゾーンに陥っている人達は 霊能力をすでにあらわしてもいる人達で 今まで封印してきたより深いレベルの学びを引きずり出してきているようで それだけに大きな光に繋がることが本当は大切なのですね。私自身、 ハイヤーセルフが持ってきている学びは どんどんむずかしいものになってきて今まで避けていた エジプトや宇宙時代の出来事と向かいあうような形になっていて私自身も同じようにならないように気をつけなければと思います。時には間違いを正してくれる良き友人たちを持つことと、 ハートのセンサーをつねに働かして ピュアーな より大きな光と繋がることが大切だと思います。
2008年09月18日

江ノ島へは前日に 島の手前の片瀬江ノ島まで到着して そこで宿を取りました。ちょうど海を見ながらその夜を過ごした事になります。さて 江ノ島訪問の当日 私たちが橋を渡りだすと 私にはどんどん圧力がかかってきました。橋を渡って江ノ島に行くまでに すでにもう十分重くなっていたのですが橋を渡りきって江ノ島の入り口付近に来ると 今度は刀で切りつけてくるエネルギーがきました。なんどもなんども 切られながら そのたびに アイタタ!と叫びながら歩いて行くのですがその攻撃は私だけではなく 安保さまにも来ていました。どうやら幕末の志士に関するエネルギーのようです。さだかではありませんが この辺りの旅館に関するもので 当時は幕末の侍たちが幕府をどうするかで争っていたように思います。なんとか 江ノ島神社に到着しました。やっとお迎えがきて 急に身体がかるくなり 長い階段を一気に上まで走って登ることができました。さて この江ノ島神社ですが奥津宮の多紀理比賣命、中津宮の市寸島比賣命、辺津宮の田寸津比賣命、この三女神がご祭神になります。最初の辺津宮と中津宮は それなりにちゃんと神社としてご祭神のエネルギーをつたえているのですが おくの奥津宮が どうも変なのです。手水の飾りがこちらだけ 龍ではなく亀なのですが 水が止まっていて濁っています。いろいろ旅をして神社をまわっていて この手水の水がでていないところはほとんど必ずといっていいほど 波動が落ちています。何か原因があるのですね。喜楽さまも 「あれ? あれ? どうなっているんだ? おかしいぞ。」と首を傾げています。ここが 奥の宮のはずがないぞ 奥の宮は別にあるんじゃないのという感じです。けれどもやっぱりここが奥の宮なんですね。 不思議です。ここだけ 神様が封じられていて エネルギーが降りれない状況のようです。それも 竜宮乙姫の友である亀がその封じに使われているようです。私たちは白山菊理姫さまから 美味しいしらすやさんの情報を聞いていまして午前11時に予約していたので いったんはその場を離れてしらす丼を食べに行きました。生しらすが入ったところだということで 私は 生しらすが半分のハーフ丼を食べました。美味しかったですよ。その後もう一度 この奥の宮にもどって この神社のエネルギーが十分にあがってくるように祈りました。さて 実はこのあと舟で江ノ島の入り口まで戻る予定でボート乗り場をしらすやさんのお店の方に聞いたのですが 途中の羊かん屋さんの横を曲がっておりていけばいいとのこと。ところが この道はボート乗り場に着くのではなく ぐるっと江ノ島を廻って最初の大鳥居のところにもどる近道だったのです。それも この道のエネルギーの重いこと、重いこと。おいおい また掃除をすることになっちゃったなあと 苦笑していると江ノ島竜宮界の写真をまだ 撮っておられませんよ。 どうぞ写真をとってお帰りになってくださいと声がするので それではと 携帯で撮影したのが下の写真です。どうやら また江ノ島神社に来てくださいということらしいです。あ~あ、 やれやれ。
2008年09月17日
古都の京の町がとっぷりと暗闇の中に身を沈めると いつもならまるで時代がトリップしたようなそんな感じがするのですが とりわけ朧月夜は 月の光に寺社の屋根が照らされたりまたそれが 暗闇に隠れたりという風情があって 私の好きな夜でもあります。そんな朧月を見ながら今日一日の出来事を考えていました。今日は長旅の後の始めてのワークが朝から入っていて それも私が3年半前に始めて スピリチュアルワーカーとして大阪の京橋でデビューさせていただいた時のお客さまでした。あれからの私は 山あり谷あり さまざまな経験の中で皆様によって大きく育てていただいたと感謝しています。特に昨年からの瀬織津姫に導かれての水の旅、 オキクルミカムイに導かれての北海道大自然の神々と一体になる旅、 京都の朝廷と東北の蝦夷の和解の旅、 まだ学びの途中ではありますが 九州から愛知、伊豆鎌倉と力とは何かという旅これらの旅の中で その都度出会う素敵な仲間達と共に自己の連戦練磨をおこなってきたのでいつの間にか デビュー当初の愛の人、やさしく救ってくれるゆめさんのイメージとはかけ離れた存在になってしまっているのに気付きました。当時おこなっていたセッションや大地のワークや宇宙のワークも いまでも大変良いワークであったとは思いますが 今おこなっている光のレベルアップワークとくらべると見劣りがします。今や地球は加速して波動をあげており そのなかで 人々の学びは今生だけではなくその人さえ望めばもっと深いレベルで過去生においてもその魂の学びができるといえましょう。しかも 大金をはたいてだれか一部のスピリチュアリストに習いにいって教えてもらうというものではなく その人が本当に望めば 宇宙と直接つながって必要な学びができる時代になっていると思います。ただし それには私達の着物ではなく内側の魂の部分のコントロールセンターのハートを開いていくことが大切で そのハートをつうじてハイヤーセルフが私達をその人に一番適切な方法で導いてくれると思います。いったんこのハイヤーセルフとの連携ができはじめると 次々と本当に精妙な方法で課題が与えられます。今日来てくださった方は 2,3日前に私がブログに書いたメールを送りつけてくる人の一人が自分であったと猛省しておられましたが 彼女の話によると2,3日前 重たいムードに襲われて 自分でもわけがわからないなかでゆめさんにメールをして助けを求めていたということです。今 地球の波動を上げる流れのなかで 今まで心の奥底に押し込めていたネガティブな感情やまた 先祖や土地の負のエネルギーも浮かび上がってきますので 確かに今まで以上にしんどい状況になるのかもしれません。そんな時に自分を俯瞰して見ることを教えてくれるのがハイヤーセルフだといえば解りやすいでしょうか。以前私がおこなっていたようなともすれば『救ってくださる』という感覚を起こさせるようなエネルギーワークをする人はこの頃少なくなってきていると思います。信頼できるベテランの方達はクライアントさんの自立をより促すワークに変えてきています。一方で 自分を救ってくれる人を探してエネルギーアチューメントめぐりから足を洗えない人は新人のスピリチュアリストさんの所にいく傾向にあります。新しくこの分野で頑張るスピリチュアリストは まず従来どおりのカードリーディングや エネルギーヒーリング、チャネリングなどからお仕事を始めますのでそれらの人達は最初から変わることを望まない重たい波動の人達と取り組むことが今後は多くなることが予想されます。それでも そうやって頑張ることによって より高い叡智でアドバイスができるようになってくるのでしょう。私のほうは これまで3年間 苦しんでいる人に愛を与えたいと切望していたのが先日の旅で もう こりごりだ~~~と思いまして(笑)今の波動領域を上げたいと思う、変わりたいという人と出会えるように祈ることにしました。(神様 くれぐれもよろしくお願いします~。)なんだか笑い話みたいな話ですが ほんとにそう思いました。さて 朧月夜を見ながらいつの間にか眠ってしまっていました。夢の中では いつものように瀬織津姫と それからコノハナサクヤヒメのエネルギー体と話をしていまして 今後はこれらのエネルギー体との共同作業をしていくようです。共通するのはやはり『水』というテーマですが 今後は月のエネルギーとのかかわりの中で そのテーマをおいかけていくようです。今夜の月からのメッセージのようです。さて こんな調子で しばらくは京都からは動かずにいると思います。先程9月26日頃から喜楽天道さまが京都入りすると連絡がありましたので京都にいても楽しいことになりそうです。また 次に動くとすれば 白山菊理姫さまの『薔薇を愛でる会』(10月11日(土)東京神代植物公園)と翌日の江ノ島ツアーにお誘いをいただいていますのでそちらにあわせて関東入りしたいと思います。この薔薇を愛でる会は 前回参加させていただきましたが 本当にのんびりほっこり楽しませていただきました。こちらはどなたでも参加できると思いますが 詳しいことは彼に聞いてくださいね。
2008年09月16日

伊豆の旅では 鎌倉幕府がどのような土壌から生まれたのかを知るためにまずは 北条氏ゆかりの伊豆の韮山(にらやま)を探検することになりました。ツアーの前にこの韮山を調べ始めると この土地が重たいエネルギーにつつまれていることが解りましたが それがいったいどこからくるのか それがこの土地を知るための一つのキーポイントのようです。伊豆の国市観光協会さまのページに鎌倉幕府に関する遺跡や韮山の地図が載っています。私達は 源頼朝が挙兵した守山八幡宮に行きました。いつも神社に行くときは その鳥居のあたりまでくるとその神社が こちらにたいしてどういう受け入れをしてくれるのかがわかります。八幡宮ということですから 私はどちらかといえば戦いの神を想定して私に対する攻撃がくると思っていました。それに頼朝さまの場所ですから 私がこの方と相性がいいかといえば 一概にそうとは言えない部分もあります。京都では 私の住む堀川一条は義経さまの生まれ育ったところですし、 また先日東北に行った折は 奥州藤原氏とも親交を深めてきました。頼朝さまは 奥州藤原氏に義経を打たせた後で 義経をかくまった罪で 彼らを滅ぼしています。また 私の家は源氏ですが 我が氏のかつての領地には安国寺があり そこで足利尊氏さまが生まれていますので 鎌倉幕府を滅ぼした足利尊氏ゆかりの者としては 頼朝さまから歓迎されるとは思えないなあと思いながら 鳥居をくぐりました。あれ? 攻撃のエネルギーが来ないぞ。それどころか 体が軽くなって どんどん階段を上っていくことができました。あっというまに長い階段を駆け上がって 下をみるとツアーのメンバーのお二人が登って来れないとの事。これは一体どうなっているのかしら と思ってこの神社に御祭りされているご祭神を見ると譽田別命 大山祇神 木花開耶姫命。なるほど いつもお会いする神様達ですね。あとで訪問する鶴岡八幡宮からは頼朝様の強いエネルギーを感じましたが この守山八幡宮は彼の影響はすでに消えておりもといた神様のエネルギーだけが 純粋に残っているということでしょうか。むしろ 先日東北にいったおりに立ち寄った平泉の 高館・義経堂におりてきていたエネルギーを感じて 大変懐かしく感じました。源氏の仲間たち それは 私の意識のなかでは 奥州藤原氏や木曽義仲さまたちも含みますが あの当時共に生きた人々が良く来たなあと 挨拶をしてくれているような感じです。その時、ツアーのメンバーのはるみさまが私の写真をとってくださいましたが先日の平泉の義経堂で降りてきていた光と同じような光に包まれて幸せそうにしていますね。こちらは私が取った写真です。私意外にも 他のツアーメンバーの方達も大変美しい写真を取っておられました。もしも この近くにお住まいの方がおられましたら この神社はたまに遊びにいって美しい日本の心を感じる場として 過ごされたらよいかと思います。今 思い出しても 心が安らかに幸せになります。
2008年09月15日
京都のニーナカロライのメールアドレスや 私の携帯のメールアドレスにずっと以前に知り合った人たちからのメールがいくつか入っていました。なんだろうと思って開いてみると それらに共通するのが「この2,3日凄く辛い日々を送っている。そんな中で姫野さんのことを思い出した。」というもので 現在の状況がメールの中で語られているのですが 大変辛そうな状況がどのメールからも受け取れます。言葉だけではなく 重い負の波動が一方的に送られてきている状況です。かつて 私が悩める人々を救いたいと思ったときは この手のメールが大変多かったのですが今は 全くといっていいほど この様なメールは来なくなりました。私の現在の活動の中では だれかと出会うのは 昨日まで行っていた土地の浄化のためのツアーとそれに関するオフ会、 個人ワーク、 もしくは ゲストハウスのニーナカロライのご宿泊というケースです。土地浄化のツアーやワークでは 私は それぞれの参加者の心の奥底に潜んでいたけれども 今はもう必要ではないネガティブな波動の解放を強烈に意図しています。また ニーナカロライのご宿泊に関しては 気持ちの良い宿を提供することがメインの仕事で 悩み事のご相談には応じていません。今日届いていたメールは 解放が起きることはまだ望まないけれどもあまりに辛いので その辛さを聞いてもらうという領域の人達からのメールです。どうして こういった内容のメールが今日届くのかなあ? 何でかなあ?あ、そういえば 満月が近づいているからシンドイのかなあと まん丸の月を見ながら「もう、 今日くらいリラックスした状態で家で過ごさせてほしいのに、、過酷な土地浄化の旅がおわって やっとゆっくりできると思ったらそんな日に限って これらの重たいメールたちが届けられるとは、、、、。」と 思った時、 はっとしました。私はもうこの重たい波動域で いつまでも 留まっている人たちとリンクすることを止めにすると昨日決めたのでした。今回の旅の学びで そう決めました。もちろん 重たい波動域で 必死でがんばっている人たちとすこしでも 上の光の波動域をめざして頑張ることは これからも続けようと思っています。けれども変わりたくない人が ここに来れば救われるという錯覚を起こさないように私は明確に自分のいるゾーンを決めようと思いました。その結果 昔から私に依存してきた人たちのエネルギー的なリンクが はずれその人たちは藁をもつかむ状況になってきているのかもしれません。実は このことは 私にだけ起きているのではなく 他の方々にも近年頻繁におきているようです。一方的な相談メールや 愚痴を言うことによってだれかに重いエネルギーを分配しそれによって自分の本来の学びを回避する傾向がある人たちは もうその癖をやめて 自分と向かいあう必要があるのだと思います。かつての私の姿をご存知で 今でも姫野さんが救ってくれると信じてくださっている方があるとすれば ありがとうございます。 という言葉と共に ごめんなさい。 私には貴女の今の苦しみは救えません。という言葉を届けなければいけません。一方で私は私のスタイルで出来る方法として 光のレベルアップワークを行っています。その中でも 貴女を救うのは貴女しかいないということを付け加えます。
2008年09月14日
今 新幹線は愛知を通り過ぎ 京都に向かっています。 愛知上空には鳳凰のような雲がいくつも顕れています。昨日は江の島・鎌倉でこのツアー最後の日を過ごしていましたが あまりにも肉体的に厳しい修行モードで過ごすことになったので さすがにもう 重いゾーンは懲り懲りだと思いました。 渋谷に戻って ホテルのバスタブでのんびり足を伸ばしてリラックスしたいと思っていましたが 渋谷でもまた祭が行われていました。(江の島も祭でした。) 道玄坂の八幡宮のお祭りです。 八幡に顕れている力の学びを最後の最後まで 見るようにと言われた旅でした。 時間とゆとりがあれば 少しづつブログでアップしたいと思います。 しばらくは京都のニーナカロライで ゆっくり過ごしたいです。 東北から鹿児島、愛知そして伊豆、箱根鎌倉とずっと旅してきました。 持ち物はスーツケースの中味だけ、人間これだけあれば何処でも用はたりる心境です。今日は久しぶりに京都の自宅に戻りたいです。 パパさんや子供たちはどうしているかしら? 美味しい手料理を作ってあげたいなと心から思います。
2008年09月14日
富士についてからはいろいろな事が起き もうブログに書ききれない内容となりました。 愛知の旅がみんなで作りあげる旅という感じが強いのに対して 伊豆の方は強烈に強い個性の大きなエネルギー体が集まって魂の学びの為に互いに揺さ振られている感じが強い旅です。 それにしても富士に来てから地球のマグマのエネルギーを感じて暑くて暑くて、、、。 温泉の近くに住む人々はつねにこのエネルギーの上にいるんですね。 富士浅間大社では コノハナサクヤヒメのサポートを受けいれました。 私はこの神さまを高級宇宙神霊として認識しています。 次に大きな出来事としては箱根神社の九頭竜大社を訪問したことです。 この神社をこの時期に訪問する事の意味は 当日までわかりませんでした。 けれども喜楽さまの訪問先のリーディングでも一番に上がり 何かとても大切な意味があることだけは感じられました。 すでにツアー前から九頭竜大社の龍はニーナカロライに来ており 予感としては人間が今まで龍のエネルギーを自分の私利私欲で使う為に龍を縛りつけているのを解除し、大きな宇宙の摂理の中で人間も龍も愛の中で共生することになるのかとは感じていました。 訪問した結果 私達は九頭竜大社の黒龍の回りにぐるぐる巻きになっている人間がつけた想念のエネルギーを解き 本来の自然界の癒しのエネルギーを出せなくなって苦しんでいる白龍を癒しました。 この二つのエネルギー体が大きな宇宙の愛の中で本来の働きをすることを祈りました。 さて 昨夜からは江の島の前の旅館に宿泊しています。 海が見える旅館で一晩過ごしました。箱根や江の島龍宮界、遠くからは九州の指宿の龍宮界からなど 縁ある龍宮界のエネルギー体が会議をしています。 あ、 もうすぐ出発みたいですね。 この続きはまた後で。
2008年09月13日
愛知ツアーの最後の訪問地は岡崎の六所神社でした。 徳川家康さま(松平氏)の産土神を奉った徳川家から崇拝されてきた神社です。 その神社にて 私たちはそれそれに想いをこめて祈りました。私は宇宙の源の光の中へ、敵、味方を乗り越えて入っていこうと呼びかけました。最後にメンバーの皆様とハグさせて頂いた時 感無量で涙ぐんでいる方が 多かったのも印象的でした。 たった4日間でしたが皆様にとって素晴らしい、魂を揺さぶる旅になったようです。 私も本当にたくさんの学びをさせていただきましたが地場の事について印象に残ったことだけを少し書き記しておきます。 長島ですが 予想していたよりもずっと安らかなバイブレーションが辺り一面に流れていました。 それには一つには後世の人々がしっかりと想いを向けてご供養されているのだと思いました。のどかな田舎の畦道を歩いていると 過去に精一杯生きた人々に感謝の想いを向けながら生きている土地の人々を感じました。 私たちは長島の合戦後に長島で寺を再興しようとした門徒の人々の想いを汲み取りたいと 中島寺に行きました。 そこではお若いご住職さまが 本堂を開けて下さり温かく向かえいれて下さいました。 そういえば先程立ち寄った家康さまの六所神社の前の喫茶店でもおじいちゃんマスターが笑顔でお菓子やゆで卵を出して下さって感激して下さいました。 何処へ行っても歓待して頂き、有り難いなあとうれしく思いました。 最後は 新幹線に乗るため三河安城駅まで 車で送って貰ったのですが岡崎から矢作川を越えて三河安城に向かう道はいったい何があるのか 特別に何か重いエネルギーが流れていました。 今回名古屋入りして一番最初に思ったのは前回来た時に比べて 地場の波動か軽くなっています。先日の雷雨が大きな禊ぎとなったのだと思います。 しかし それでもまだ残っているこの場所の重さはなんでしょうか。 安城は昔は辺り一面沼であったと聞きました。 ここでもまた 水が重い地場をつくることになっているのかもしれません。 瀬織津姫が突然私に降りてきて私は意識が飛びました。愛知での最後の仕事はこの地域の水の浄化であったようです。重い波動を撒き散らしていくのは 水だけではありません。 9月7日に訪問した高倉山の重いエネルギーも半端ではありませんでした。 この山には戦時中のたくさんの不発弾が何千発も残っていると聞きました。 自衛隊の駐屯地もあります。重要なのは この山は水晶山で 不発弾や自衛隊などの戦いのエネルギーは この山の水晶を通じて この辺り一帯に発信されているのだと感じました。 4日の旅 昼夜できることを必死に行った旅でしたが 終わってみれば 残ったものは笑顔と涙と友情と、、、 感謝と互いへの祝福。本当によかったとしみじみ感じてこのブログを書いています。 さあ 今からはもうひとつのツアーの始まりです。 今富士川駅を通過しました。源平の戦いの最初の舞台ですね。今夜の宿泊地ですがどうやら武田の山本感助さまゆかりの場所のようです。 電車が富士駅に到着しました。 明日からの新しいメンバーの皆様どうぞよろしくお願いします。今日まで一緒だった皆様 お疲れ様でした。もしよろしければ 皆様のツアーの感想を『ひめのん観察日記』にお寄せ下さい。
2008年09月10日
今 私たちの車は名古屋市内を南下して 信長軍と一向宗門徒の壮絶な戦いがあった長島へと向かっています。 こちらは昨日祈りを捧げた関ヶ原よりも もっともっと厳しい状況です。 少しだけ昨日の関ヶ原の合戦跡の状況をお伝えすると 思っていた程地場は重くなくて安堵しました。 その大きな理由としてこの辺り一帯の地場を担当してくださっている南宮大社さまが大変よく頑張ってくださっているからだと思います。 あの戦いの地場にあって南宮大社のエネルギーの安らかさは あの辺りに住む人々の救いですね。 私がこの辺りを東によこぎって東京に行く時 関ヶ原よりも 小牧長久手古戦場の方が重く感じるわけがわかりました。 さて昨夜は私のワークに来てくださった方が今日 行く長島の近くに住む方です。 彼女が長島のエネルギーを運んできてくれたおかげで もう昨夜から私たちは長島ゾーンに突入しています。 ここでの学びはもの凄く深いものになりそうです。 戦国時代に起きた出来事ですからもちろん『力による支配』がテーマに入っていますが これは『宗教戦争』でもあり また『水』と大変深くかかわってもいます。 奇しくも もうひとつの伊豆の方のツアーからは 参加者の宗像様を通じて海洋族、水軍、水の神、八幡の神というとてつもない重いテーマがこの長島ゾーンに入ってきており私たちは今までにない厳しい学びをさせられています。 昨夜も一晩中いろいろなことがありました。 私の身体に入ってきた女性のエネルギーが私に合戦中の長島城内の様子を見せてくれましたが 僧兵が討ち死にした後の2万人の門徒が焼き殺されるまでの城内は、飢えた人々で地獄絵の様子を顕していました。 私たちの部屋は冷気に襲われガタガタと震えることになりました。 そんな中 瀬織津姫のエネルギー体が私に2度降りてこられて 心配いらない、うまくいくと伝えて下さったようです。 この長島でのテーマはもう一つのツアーの箱根神社、伊豆の源氏平氏、そして江の島に繋がります。今 今日の1番目の成海(なるみ)神社に到着しました。 今日長島に行くにあたってはまず最初に水の神に祈るべし というメッセージが届きましたが 名古屋市内で水神を奉る今回の旅に適した神社がなくてどうしようかと困っていた時 私のブログに成海神社の情報をお寄せ下さった方がありました。 ありがとうございます。 おかげさまで 今、車は成海神社のご祭神と共に伊勢長島に走り出しました。 今、天から流れる音楽は『魂のルフラン』です。
2008年09月09日
昨日の朝の事です。 秋山さまという方から電話が入りました。 私のCDを買って下さったのですが 代金の振込みが出来なかったとのこと。 実は数日前にもこの方から代金の振込みがうまくいかないという電話を頂いておりまして 私は郵便局の口座をご案内して 振込みはいつでもいいのでとお伝えしました。 1回目の電話の時によほど名古屋に今度行きますからその時でもいいですよと お伝えしようと思いましたが あえて止めました。 今回のツアーに於いては 途中の参加希望者のどの人のエネルギーを入れて どの人のエネルギーを入れないかということで 随分労力を使う事になってきていました。このケースでは彼女に代金を持って来てもらう事によって彼女からのエネルギーが入ってくる可能性を考えなくてはいけませんでした。今までの体験ではこのツアーに参加される方は大なり小なりスビリチュアルな変容をおこします。最初からツアーに参加する方はより大きな光に向かって変容していく覚悟がすでにできておられます。 しかし途中参加の方はその点が不安定です。 場合によってはすでにプランができあがった後で参加したいというメールがあるのですが 仮にお断りりする事になったとしてもその方からの重いエネルギーが私達にとどけられるケースがほとんどで あるケースでは前日の深夜に次の予定地に一緒に行ってもよいかというメールが 面識のない方からあったりもするのですが 問い合わせだけならまだしも その方はいろいろないきさつがあって今まで迷っておられるわけですから メールが届いた時点で必死に頼るエネルギーの爆弾を持ち込んできます。 もちろん御本人はそのような事に気付いてはおられませんが場合によってはその方の何年間分もの悩みが送られてくるので それが全体の流れの中で私たちが必要としているものなのか、 そうでないので上手に回避していくべきものなのか それを見極める訓練をさせられているような感じがあります。 この秋山さまからの電話も1回目は慎重に受けとめやり過ごさせていただきましたが 2回目の電話で代金を名古屋での夕食会の前に持っていくと聞いた時は 私は覚悟を決めて彼女からくるエネルギーを受けいれました。 電話をきると同時に 私の身体に痛みが走りはじめました。 隣の部屋で眠っておられた喜楽さまが起きてこられました。 『ひめさん、今ニーナに戦国の戦いのエネルギーがグワーっと入ってきているよ。 これは秋山氏のエネルギーだよ。』安保さまも 身体の変調を訴えて起きてこられ それからは秋山氏について調べることになりました。 秋山氏は清和源氏武田氏の流れをくむ家系ですが 源頼朝の代から戦国時代に名を馳せた武家です。長篠の合戦で頭首の秋山信友さまが長良川畔で殺され 最後を向かえるまで まさに戦乱の世を彼らが信じるままに必死に駆け抜けた一族です。 ただ歴史の中では代々の頭首が不運にみまわれる事も多く 例えば秋山氏初代の光朝は源頼朝の挙兵に応じ義経の指揮下のもと八島、檀之浦の合戦で働いたにも関わらず 平重盛の娘を娶ったばかりに 源頼朝に冷遇されていきます。平家滅亡後 甲斐源氏の勢力拡大を恐れた頼朝は武田氏一門の武将たちをことごとく諜殺していったようです。 秋山氏に関しては現代においてもその負のエネルギーを持ち越しているようで その部分を見つめ 光を入れて欲しいように感じました。 さて 名古屋でのお食事会には7人の戦国時代の武将に縁ある男性たちが集まって下さり 『力とは』『支配とは』『愛とは』何かなどと 熱心に話しあうことになりました。 私は秋山さまにお話してこのブログにこの出来事を掲載させて頂くことにしました。 秋山さまが届けて下さったエネルギーは戦国会議のお食事会だけでなく 11日から始まる伊豆・箱根・江の島での学びにも繋がります。 今 私達の車は 石田三成陣営での祈りを終えて 関ヶ原の合戦後を走っています。 『みんな、よく頑張った。帰りそこねた者たちも今、安堵と喜びのなかで光に包まれて宇宙中心に向かって帰還していきます。』よかった。
2008年09月08日

隼人の盾の紋様が生み出す対立がどこからくるのか その夜私と喜楽天道さまは指宿のリゾートホテルでいろいろと考えたり調べたりしていました。あの模様は それを身に着ける人を守るというようなシンプルなものではないのです。敵の力を自分に引き込んで自分を防御し、相手を攻めるという効果をおこす呪詛的なものが入っています。この紋様を隼人の民はどのように使ったのか? またその当時はどのような勢力が九州にあったのか? 天武天皇の頃には九州には大隈隼人と呼ばれる人々と 阿多隼人と呼ばれる人たちが住んでいたようです。興味深いことに この隼人の祖先をたどっていくと 海幸彦ということになっています。ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメとの間に出来た子供が 海幸彦(火照命:ほでりのみこと)でこの方が隼人の祖先となっています。そして 海幸彦の弟の山幸彦が 日子穂穂手見命:ひこほほでみのみこと)で この流れは神武天皇につながり 天皇家の家系となっています。天皇家の親戚筋にあたるにもかかわらず 隼人はなぜはっきりした家系図がなくて しかもヤマト朝廷によって滅ぼされることになるのか。平成16年に鹿児島県の隼人町で隼人サミットが開かれていますが その時に作成された冊子の中に 「隼人は 中国やインドネシアなど 南方の海洋民族で呪術や竹細工などの技術をもとに九州南部に渡来して土着民となったが 畿内政権に抵抗して破れ畿内に移住し 大嘗祭などの儀式や都の防衛それに 竹器製造をするなど天孫降臨神話を持った民族」という記述がありました。天孫降臨神話をもっていたのが隼人ならばなぜ ニニギノミコトをお祀りする霧島でエネルギー対立が起きたのか?謎が謎を呼び 深く見ていけば見ていくほど どうやら九州には幾層もの勢力ゾーンがあることがわかりました。おそらくは最初は 南国の巫女的な集団が レムリアのような自然のなかに神を見る文明を展開していたのかもしれません。その次に隼人がこの女系的な巫女集団を支配し その後で大和朝廷が隼人を支配したように感じます。その時に 朝廷にあだ名すものをやっつけるために宇佐八幡宮の八幡エネルギーが使われた。720年に隼人の乱と呼ばれる隼人族の反乱があり 多くの隼人族が殺されて そして畿内につれてこられたものもあった。その後 天皇の荘園の時代を経て 各氏勢力争いの時代があり やがて秀吉による支配から 朝鮮出兵という歴史の出来事に突入していきます。その夜はこれらのいろいろな勢力のエネルギー調整を行うことになりました。まずは 大和朝廷が隼人族にたいして行った支配のエネルギーの解除でした。これらの仕事は上のサポートが行っていますので 私はほとんど うなされながら眠っているのですが あまりにさまざまなグループがありそれらを調整していくのは容易ではありませんでした。おまけに 違う次元ではその調整が行われているのに 3次元レベルではさまざまな霊体が自分たちの訴えを私に言いにきて もう一晩中苦しくて苦しくて朝起きたら全身が痛くて あーほんとに苦しい夜だったなあとつくづく思いました。この美しい開聞岳が見えるホテルで がんばっていたんですよ。 そして 翌日は京都に戻ってきて 仕事で岩塩のショップをされている京田辺の平野さまのお宅に行く事になるのですが ここでも隼人族に関して続きがありまして もうほんとにひぇえ~~~の世界です。平野さまは以前に 今の家に引越しをされる前は 京田辺の大隈が丘という土地に住んでおられたそうです。そこは 大和朝廷に支配された隼人族が移り住んだところです。ところが この大隈が丘のあるラインにそって 人々が亡くなることが続いているというのです。その辺りでは やはり近所の人々が これは一体どうしたことでしょうと首をかしげておられるそうです。平野さまに地図を持ってきてもらって 喜楽天道さまに地図をリーディングしてもらうとやはり その場所が重い地場をなしているようです。また 近くにはいくつかの池や合戦場がありそうです。 また大隈城という城もあります。そして 一番重要なのは この地ではもしろ鹿児島よりも今は盛んに 隼人舞という民族舞踏を盛り上げておられるとのこと。しかしながら この隼人舞には この隼人の盾の紋様が使われるのです。そして この隼人舞のための隼人の盾を保管している場所が 「月読神社」この紋様ですが あきらかに人々のハートを閉じさせ 対立するエネルギーを生み出す何かが仕組まれています。これを最初に用いた隼人族は呪詛集団であったのでしょう。しかし 現在の土地の人々は そのようなことなど全く知らずに ただ郷土の芸能を盛り上げていきたいという情熱と尊い奉仕のお気持ちで この隼人舞を行っておられます。ここでも東北のねぶた祭りと同じようなことが行われているのかと思いました。どんな時も その土地のエネルギーを重くするのは人々の想念です。しかしながら それを意図して重くする紋様を保管している月読神社のご祭神は何を考えておられるのでしょうか?この出来事は 私や喜楽さまに何かを伝えてきているのは間違いのない事実です。それが何なのか 大きな宿題を頂いたような気がしました。
2008年09月06日

一体何がこのようなエネルギーの対立を生み出しているのか 私は途方にくれていました。私たちは高千穂河原ビジターセンターで 高千穂峰に立てられた「天の逆鉾」を望遠鏡で覗いたり また 先月8月22日17年ぶりに噴火した霧島連山の新燃岳についての記事を読んだりしていましたが その間も私を通して喜楽さまには 対立のエネルギーがリンクしてきて喜楽さまは苦しそうです。私が行う他からのエネルギーのセパレーションもさして効果はなく 私の心のなかは泣きそうになりながら「私は宇宙の愛を体現する存在である それ以外の何者でもない」と懸命に祈りながら自分から発している対立のエネルギーの除去を模索していました。ついに私はもう、どうしていいか分からなくなってニニギノミコトに教えてくれるようにと頼みました。そして ハッと気がついたのが あの隼人塚の史跡館の館長さんが 私のバックにお守りにと結わえてくださった「隼人の盾の紋様」のお守りでした。苦しそうにしている喜楽さまに『ねえ、喜楽さん ひょっとしてこの隼人のお守りが対立を生み出しているなんてことはないよねえ?』喜楽様は 『そんなことはないよ、、、(そう)かな?』『いや、 ひょっとしたらこれからもしれない。』私たちは 隼人のお守りをバックから外すと万が一他の人がここを通っても気がつかないようにちかくの石のブロックに間に隠して 霧島神宮の斎場へと足を踏み出しました。『あれ? 対立のエネルギーが消えた! やっぱりあれだったんだ。あの隼人の紋様が対立のエネルギーを引きつけていたんだ!。』それからは先程とはうって変わって 心はすがすがしく身体も軽く ほんとうにピュアーな心身で斎場で高千穂の山々に向かい 癒しと感謝と祝福のお祈りさせていただきました。 (喜楽天道さま撮影)ふと目を開けて高千穂の山々を見ると なんということでしょう。山の中腹の三角の木々がまるで3D画像の様に浮き上がってくるではありませんか。それも神々しい光とともに 浮き上がってきて その景色はこの世のものではない気がしました。 (喜楽天道さま撮影)『喜楽さん、 見て! 見て! 』 私は我を忘れて叫びました。『そうですよ、 こちらに光が入ると まわりのものはこんな風に見えるんですよ。』そう話してくれる喜楽さまは嬉しそうでした。やっと ひめさんにもこの世界が見えたのか、、。 よかったなあという感じでしょうか。私は 北海道の旅で自然と人間が ほんとうに共鳴することがあるんだということを感じました。よく私たちは自然を取り入れて自然の中にいると元気になるということを言いますがその言葉以上に私たちは自然と繋がる事ができることを知りました。そうして 今回この高千穂では 今まで見たことのない世界を体験しました。私たちはさまざまなことや能力を求めて いろいろなパワーを身に着けようとしますが今回このミラクルな世界を体験できたのは 徹底したエネルギーのそぎおとしのおかげでした。私がどれくらい宇宙中心の愛と一体化できたかはわかりませんがすくなくともあの一瞬は 今まで見たことのない世界を垣間見る事ができました。今 私はスピリチュアルといわれる世界にいますが もうこれ以上は 求めなくてもいいや、 このまま 素のままでいよう。このまま 素のままで 生かされるがままに 大いなるものに抱かれてこれからも感謝して生きていこうと思いました。さて この隼人の紋様のお守りがどうなったかですが 霧島神宮にお伺いをたててこの神社の納札箱にお納めしました。これをくださった隼人塚史跡館の館長様には ほんとうに感謝いたします。2度目に訪れた時は 霧島神宮では 先程の緊迫したエネルギーはなくそこには厳しいながらも 暖かい目で見守ってくださっているニニギノミコトさまがおられて笑っていらっしゃるような感じがしました。ああ、 良かった。 ところがです これが翌日畿内にもどってきてこの話がおわりではなく 隼人を知るためのスタートになる出来事がおきるのです。ああああ、一難去ってまた一難です。 ひえ~~~~。
2008年09月05日

さあ 次の訪問地は霧島神宮です。 私にとって ニニギノミコトゆかりのこの神社に行く事は特別な意味を持っていました。 それは自分の魂的な特徴を確かめにいきたかったという事と 現在取り組んでいる愛知のツアーが戦国時代を見れば良いというものではなく ニニギノミコトとニギハヤヒノミコトの両方のエネルギー体と深くかかわっているという2つの直感があったからです。 だからこそ 愛知に行く前に鹿児島に行く必要があったように思っています。 さて 初めて霧島神宮を見た私は何と言う美しい神社だと感動しました。そうしていつものようにお祈りを済ませて 写真をとって、、、。 実は 何かが違う! 何かが違う! 私の心の中の声が大きくなりかけた時 隣におられた喜楽さまが 『神社と姫さんのエネルギーがぶつかっている。 姫さんのエネルギーの何かが この神社とあわないみたいだ。 いつもなら安らかな霧島神宮が 今日は姫さんとの間に緊迫したエネルギーを生み出している。』『これは一体何なんだ。 今まで霧島神宮に来てこんなに緊迫したエネルギーが流れたことはないのに!おかしいぞ! この神社を祭ってきた一族が 姫さんを敵と見なしているのか? 島津のエネルギーが 秦氏のエネルギーにぶつかっているのか?』 そう いいながら首を傾げている喜楽さまの隣で 私は段々と悲しい気持ちになってきました。 私はニニギノミコトに逢いたかったのに~。 そのゾーンに入れていない自分が情けなく思えてきました。 私たちはエネルギーのぶつかりを身体に受けながら 霧島神宮の更に山の上にある祭場に向かいました。 喜楽さまは私の身体の状態をコピーして どんどんお腹の具合が悪くなり 私はどうしたらいいのか 思い浮かぶ方法でエネルギーの癒しと解除、調整を行っていました。 喜楽さまが『姫さん、安保さんのエネルギーをセパレーションしてみて。彼のエネルギーが姫さんを守ってるんだけど 彼は今 関ヶ原に向かっているから。秀吉は朝鮮出兵して島津を支配しているから、、。 』 私は彼のエネルギーを切り離しましたが それでも解決には至りません。 私に来るエネルギーを私の代わりに受けて下さっている喜楽さまの具合はどんどん悪くなりました。 私は必死で 生まれてからこの方 エネルギー交換を行った人たちとの全てのエネルギーのセパレーションを行いつづけました。どのレイヤーで どの過去生で どの歴史上のゾーンで この緊迫したエネルギーの摩擦がおきているのかが特定できなくてありとあらゆる思いつくことがらに関するエネルギー調整をしつづけたのです。心の中でニニギノミコトに助けを求めました。(つづく)
2008年09月05日
鹿児島は どこへいっても謎だらけで まるで宿題を貰ったような感じがします。京都も歴史の書き換え、うわぬりが行われつづけた街ですがこの鹿児島も実に奥の深い街だと思います。この謎を解読するには もっと歴史を知る必要がありそうです。まず 私と喜楽さまが最初に訪れたのが 鹿児島神宮です。 この神社はお兄さんの海幸彦から借りた釣り針を無くした山幸彦が 塩じいちゃんのアドバイスで海神の助けを借り とりもどし その後 海神の娘の豊玉姫と結ばれたストーリーゆかりの場所です。 ホホデミのミコトと豊玉姫がご祭神ですが私にはむしろ八幡神のエネルギーの方が強く感じられました。八幡の戦いのエネルギーを必要とする人たちがいたのでしょう。その後 私たちは隼人塚に立ち寄って、その後で和気神社を訪問しました。平安京を作るという点では多大な功績を残した和気清麻呂さまが 都から一時流されていた鹿児島の地に於いて善政を行ったのはすばらしいです。またその当時は この辺りが秦氏の勢力圏にあったことが伺えます。 さて 先程名前がでてきた隼人塚ですが大和朝廷により1400人余りの隼人族が殺された場所です。時代は奈良時代に遡りますが 九州にはクマソと呼ばれた人たちと隼人と呼ばれた人々が住んでいたようです。 大和朝廷の律令制度による支配に抵抗した隼人たちは反乱を試みますが 一部は服従して 畿内隼人と呼ばれ大和朝廷に取り込まれていきます。 しかしながら最後まで抵抗して殺された霊を供養するための塚が隼人塚です。 この隣には隼人塚史跡館があり 私たちはそこの館長さまから お話を聞くことになり大変勉強になりました。お礼を言って館を出ようとすると館長さまが ちょっと待って下さい。 と奥の部屋から持ってこられたものがありました。 それは『隼人の盾』に描かれた隼人族の紋様を小さな革のお守りにした物でした。 これはいつもは差し上げないのですが 旅の守りに持って行って下さい。 この紋様は敵と出会った時に敵の力を自分に取り込んで仲良くなるためのものです。 そう言われると そのお守りを私のハンドバックに結んで下さいました。 私はかつて 出雲の須賀神社にお参りした時に宮司代理の方から どのお守りでもいいので お持ちくださいといわれて えらいことになったことがありこの館長さまのご好意がどういうことになるのかと 喜楽さまと顔を見合わせながらそのお守りを受け取りました。それが じっさいトンでもないことを引き起こし 大きな学びをさせていただくとはその時には思いもせず すぐにこのバックに結び付けられた『隼人の盾の紋様』のことは忘れてしまいました。(つづく)今 鹿児島空港のロビーでこのブログを書いています。もうすぐ搭乗時間です。 この続きは 京都のニーナに戻ってからにしましょう。喜楽さまもご一緒です。留守中 愛知や伊豆のツアーの準備をしてくださった皆様 ありがとうございました。明日からのスカイプミーティングに合流しますのでよろしくお願いします。
2008年09月04日
京都から鹿児島までの高速バスは特別割引で7000円 所用時間は12時間。道路を走りながらエネルギーの違う場を移動することは 私にしてみればけっこう辛くて 実は内心覚悟して臨んだバス移動でした。 でも実際始まってみると予想外に快適なのにびっくりしました。 リラックスリクライニング席を備えた東京行きのドリーム号よりも この旧式のレトロカーの方が居心地が良いのです。 途中、左に続く瀬戸内海では源平の戦いを思い描きました。 ふと目が覚めると宮島で平清盛さまを感じました。ずっと安らかなエネルギーが流れていました途中 出雲の神魂(かもす)神社からお使いが来ていたようです。後でご祭神を調べて見ようと思います。 明らかに土地の浄化が進んでいる感じがしました。どなたかが動いて下さったのを感じるとともに全体の波動も上がっているのだと感じました。 連日の雷雨によって禊ぎが行われているのかもしれません。 車中で 9月7日から始まる『愛知のツアー』と『伊豆・鎌倉・江の島ツアー』の参加者の皆様に心を向けると それぞれの心の浮き沈みの動きが顕著になってきているのが感じられました。 これらのツアーの大方のところはミーティングを重ねる中ですでに決まっています。 これからは ツアーが始まるまで それぞれが自らの心と向かい合う事になります。 今までの北海道、東北の体験から このツアーの場には(私がよくバビリオンと呼んでいる地場ですが)私達だけではなく 様々な背後霊団や宇宙のサポート存在たちも参加しており それらがどんどんこの場に光を入れてきます。 その中にあっては 今までの様に重いネガティブの波動を持ったままでいる事は難しくなります。 自分のいつものペース以上に加速して ネガティブなカルマが掘り起こされてきますので 今の波動領域でそれを処理するには負荷がかかるのです。 それを乗り切るにはハートを開いて より大きな光と繋がる必要がでてきます。 それが出来ないと みょうに落ち込んだり、ネガティブに考えたり、何らかの事態を引き付けて ツアー参加を取りやめたりする事が起きてきます。 よく 「私は特別なスピリチュアルな力がないので よくわからないから、。」と言う人がありますが それは勘違いで それぞれが主人公で その方の学びはほかの方は代わってあげられないのです。 ツアー当日までに どれだけ深く自分を見つめる事ができたかで 受けとるものが変わってきます。 蓋を開けた時に誰がどの座標点へと現れてくるかが 楽しみなところです。 私や喜楽さまが不在の間のツアー参加者の学びをただ信じるのみ! さあ 仲間を信じて私はするべき事に向かいあうとしましょう。 高速バスは1時間も早く鹿児島空港に着きました。 喜楽さまとの再会、そして大好きなニニギノミコトゆかりの國への旅が始まりました。
2008年09月03日
9月7日から始まる愛知『美濃尾張の光』のパビリオン参加のための最終ミーティングが終わりました。実際に現地に行くのは先ですが もういろいろなことが始まっていて参加者の皆さまは この1週間で随分たくさんの学びをされたと思います。このパビリオンが閉じる頃には いいえ もうすでに前の自分ではない自分を感じておられると思います。さて いつもこういったツアーにでると なかなかこのブログが書けません。なぜなら もう既に次の訪問先に向かってどんどんエネルギーは動いているのですがその訪問地でするべきことが終わるやいなや 次のエネルギーが割りこんでくるのでその前のエネルギーにもどっていわゆる体験談としての日記を書く事ができなくなるのです。もうすでにエネルギーが切り替わっているといえば分かりやすいでしょうか。そこで 今回は ツアーを経験する前に この愛知パビリオンの様子をご紹介して実際の旅は皆さまのご想像にお任せすることにしましょう。愛知パビリオン(愛知を訪問する旅)では まず参加表明のメールが来るとパスワードがついたサポーターのサイトをお送りします。これはいつも鬼ちゃんが 手作りで応援してくれています。 (鬼ちゃんありがとう。)それから 参加者はこのサポーターのサイトで 自分を見つめていく事になります。ところが 毎回 このサポーターサイトに入れない人がでてきます。簡単に入れる(そのサイトにアクセスできる)ことのできる人にとっては一体何で? っという話ですが 実際にどんなに頑張っても 入れない人がでてきます。なんとか入れるようにするために 心の中を見つめなおしてもらう作業が続きます。さて 今回の愛知のサポーターサイトの名前は 『美濃尾張の光』になりました。ここで 実際にどういう作業がされたのかを 9月7日の訪問予定にそってご紹介しましょう。まず 当初からこの愛知のパビリオンつくりにかかわってくださったななくじらさまが4つのエリアに別けて訪問候補地をピックアップしてくださいました。それに今回のツアーで必要な順位づけを喜楽天道さまがしてくださいました。それを けいこさまがグーグルマイマップに貼り付けてくださったのが 次のマップになります。これは あくまで私たちの今回のツアーのテーマに沿ったランキングですのでお寺や神社そのものの重要度ではありません。この地図を見ていただけばわかるのですがなんと訪問先のトップが氷上姉子神社になっているではありませんか?奇しくもちょうど前日に草薙の剣の出来事があり その時にミヤズ姫のエネルギーがニーナに来ていたのは知っていたのですが 喜楽さまのリーディングでもこの宮簀媛命(ミヤズヒメノミコト)を祭った神社がトップに上ってきました。次は 熱田神宮などが続きますが いずれも宮簀媛命、日本武尊、建稲種命に関するものです。私の中では この愛知のツアーの印象が戦国時代の武将たちの戦いのエネルギーを見つめていくことにあったのですが どうやらそれだけではないとうことが段々分かってきたのです。私たちは9月7日の訪問先のランキングにそって いったいどういうテーマがこの日にはあるのかをいうことを話合いました。その中ででてきたのは 『古代におけるこの国をつくり守ってきた人々の熱き想い』ったのです。また 尾張氏や物部氏がどのようにして この地にうまれどのようにこの地を愛し、慈しみ守ろうとしてきたかを見て欲しいというエネルギーがどんどん降りてきているのに皆は気づきました。時代はさかのぼりますが ヤマトタケルのミコトが大和朝廷の命をうけて東征をおこなったおり彼の副将である建稲種命 の故郷の尾張の地に立ち寄ることになりました。そこで出会ったのが 宮簀媛命(ミヤズヒメノミコト)で2人は恋仲になります。やがて 戦いのなかで兄の建稲種命を失い、 その後ヤマトタケルのミコトも亡くなった後、宮簀媛命のもとにのこされた草薙剣を彼女はまもっていくことになりす。今は近代的なビルが立ち並びいにしえのこれらの人々の息吹も感じられない名古屋ですがまず 私たちに熱き想いを届けてきている存在たちが これらの愛知の礎となってきた人たちであることに心をむけて 9月7日はツアー第一日目を向かえたいと思います。さて 今 鹿児島行の高速バスに跳びのり このブログを携帯で書いていませ。上手くカキコミ出来ているといいのですが。マッブの張り付けが上手くいっていないかもしれません。九州鹿児島までは 12時間ですから その間またブログが かけたら書きますね。
2008年09月01日
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