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凄い雷雨のなか 愛知のパビリオンのスカイプミーティングが始まってしまいました。今日のテーマは9月8日に廻る関ヶ原方面の内容でした。あの関ヶ原の戦いのあった場所です。スカイプ会議をスタートすると いつもと様子が変です。ガーガー、ガーガー 愛知の参加者の皆さまのスカイプの音声に雑音がはいるのです。実はスカイプを始めたころに雷がなり 稲妻が走りはじめたのですね。詳しくは書きませんが とにかく愛知の方たちは 私がよく言っているひえ~~~~の世界を体験されたようですよ。スカイプ会議をしている間の 午後9時半から翌日の午前3時前まで ずっと皆さま 頭のうえに雷が~~~~~~ひえ~~~の世界でした。それは まるで浄化の雨のようです。けれども 雷が鳴り続けるのは 草薙の剣(天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)がいよいよ出てきたのでしょう。今夜愛知の方たちは 私たちの心と自然がこんなにもリンクしていることに気づかれたのではないでしょうか?みなさまが ひえ~~~を連発されたようです。愛知のパビリオンと平行して 伊豆のほうのパビリオンも動きだしています。Kasumiさまが このツアーについてブログをかいてくださっていますのでぜひご覧ください。
2008年08月28日
この5日間というものひめのは音信不通、どうしているのだろうと思っておられるかたも多かったかもしれませんね。いつもは2,3日ブログを書かないでいるとブログ待っていますという念がきたり、メールがきたりするのですが前回のブログが ひょえ~~~っという出来事で終わっているのでお知り合いの方達もし~んとして成り行きを見守っていてくださったようです。更新していないにもかかわらず高いアクセス数が連日続いていました。何度もこちらのエネルギーに触れに来てくださった方 ありがとうございました。さて 8月23,24日は京都の地蔵盆の影響をうけて 京都の平安京エリアは本当に大変なことになっていました。今 平安京エリアと書いたのは 私の家の金閣の場所では感じられないし 他の場所に住んでいる人にもあまり感じられなかったようですがニーナ界隈に住む西陣の人たちはあの日の落雷に恐怖していて 次の日はもっぱらその話でおそろしい、おそろしいの連発でした。あの夜、 京都の南東にある醍醐寺の准胝堂(じゅんていどう)が落雷によって全焼しました。(新聞の記事)この醍醐寺ですが 豊臣秀吉が淀君と秀頼、北の政所やその他の沢山の夫人達と共に 桜の花見を催した寺として有名です。そのことから日本における花見の風習が広まったように書いておられる人もありますね。また 准胝如来ですが 私の中では修行をしようとする人をお助けくださるお母さん先生の存在として今まで位置づけされてきましたので (人を悟りに導いて数限りない仏を誕生させる宇宙の神性の擬人化であることを示す。)この全焼は仏教による導きのあり方、豊臣秀吉&淀君のありかたが問われているように感じました。さて西陣ですが 秀吉さまとは大変縁が深い場所で 秀吉の聚楽第があった場所です。また 応仁の乱の戦火を受けている場所でもあります。そういった幾層にもわたる部分にいつもは 潜んでいて、お盆のような各家庭のご供養に当てはまらない『辻(道)に潜む霊』達を地蔵盆という形であちこちの町内から 鐘の音を鳴らしながらご供養しているのですからそれはそれは もう騒がしいのなんの。今年は特に 異様な状態でサポーターサイトのホームページを作るために急いで ニーナに来てくれた鬼ちゃんもビックリしていました。この2日間はニーナカロライの地場をクリーンに維持するのだけで大変でした。その上、 ヤマトタケルやミヤス姫のエネルギーが ガンガン入りだして愛知の状態を伝えてくると共に その愛知ツアーに申し込みをしてきた人たちをこの愛知ツアーのパビリオンに入ってもらう体制をつくるのに 約5日間かかったのです。同時に伊豆の方も動きだして 同時に愛知、伊豆のスピリチュアルパビリオンがやっと立ち上がり その運転が始まったところです。さて どんな風に動いているのか また 参加者はどんな風に このパビリオンを行動していくのかを次のブログではご紹介しましょうね。(このパビリオンはまだもう少し 参加可能です。 参加したい方はお申し出くださいね。入場料はいりませんが 参加型のパビリオンだということはお伝えしますね。)
2008年08月28日
今日は本当にいろいなエネルギーが動きまくって ニーナにもかなりのしんどいエネルギーが来ていました。今までにないくらいエネルギーが動いたと感じた日です。確かに京都では 地蔵盆ですから ある意味 霊的なポータルが開いている日のようにも思います。一つ前のブログで書いたように 朝 「禊が起こるぞ!」というメッセージを受けた日でした。今日は 今回の伊豆の国ツアーで初めて(今生では)知り合った Moon Aquaflowerさまがスカイプでメッセージを送ってこられていました。『日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が 草薙の剣を欲しているようなのです。ヤマトタケルという名前でエネルギーを感じたり、草薙の剣というサインも沢山きます。』この頃 ヤマトタケルの事について メッセージ受信している人は多いので私は黙って様子を見ることにしました。そんな折 元気のない様子で 安保さまがニーナに現れました。『この2日間ほど ひめのさんから切り放されるようなエネルギーが 来ているのです。突然に体がしんどくなって 寝込んでいました。それに ニーナに来るのも今日は大変で 怪我をしました。』安保さまに MoonAquaflowerさまのヤマトタケルノミコトに関するメッセージを見せると、『もう既に日本武尊は草薙の剣を手放しています。ただ 僕が心配するのはその手放した剣がどのようなところにあるかです。』ということでした。つまり 誰か力を間違って使う存在の手におちていないかというものでした。先程お話しましたが 今日のニーナはさまざまなエネルギーが 交差する場所になり私たちの背中の後ろには セパレーションしても 離れては また くっついてくるエネルギーが感知されました。最初はこのエネルギーは エネルギー依存症の女性から 来るものだと思っていたのです。ちょうど 私のところには昨日と今日、 この同じ女性の生霊を受けてこの数日間腰が痛くなったり、 耳がおかしくなったり、子供さんが事故にあったりということがあった人たちの個人セッションをおこなっていましたので彼にかかっているエネルギーもその女性の生霊だと思ってできる限りの方法で見つめていました。とにかく 何かが起こっていることは確かで それが何なのかを 一つ一つ見て解除して手放していったのです。ところが 夜11時をまわったころ 頭の上で 雷が鳴り始めたのです。『あれは僕じゃないよ。 何だろう? 普通の雷じゃない。』私にもその雷が邪悪なものを含んでいるのが感じられました。いつもの雷ならば 貴船などの龍神か 上賀茂神社などの別雷神などのエネルギーが感じられますが 今回のは本当に不気味でした。次の瞬間 ガシャーーーーン! 物凄い近くに落ちたのです。ひえ~~~!! 一体これは何なんだ!!あまりの恐ろしさに 九州にいる喜楽さまにあわてて 電話を入れました。彼の話では 『今 九州、 愛知、 富士、 伊豆、鎌倉と いろいろ首を突っ込んでいるのだから当然そこから来る重いエネルギーをニーナは受けるでしょう。特に大きなエネルギーを持っている安保さまの力の部分を欲している勢力にすれば ニーナは その力を得ることをさせなくする場所だから ニーナに攻撃が行ってもおかしくないですよ。』というものでした。力を自分たちの影響下においておこうとする存在たちがいる、、、、そんなことを考えていると ほんとに本当に突然に 先程ニーナの近くに落ちたエネルギーが私の体に入ってきたのです。それは 剣の姿をしていました。けれども 剣の周りには邪悪なエネルギーが付着していたのです。私は 一瞬で倒れ、 ごぼごぼと きつい咳を何度も何度も繰り返しました。めまいがして 倒れているなか 安保さまが『これは宇宙の光のエネルギーの中へ返さねばならない。』 そういうと私という鞘の中に入った草薙の剣を天に戻しました。その間に 私の身体のヒーリングを行ってくださった神様がありました。宮簀媛(ミヤズヒメ)です。先日名古屋で 私とナナクジラさまが最後に導かれた熱田神宮の元宮、氷上姉子神社のご祭神で ヤマトタケルノミコト亡き後、一人でこの草薙の剣を守っていったヤマトタケルノミコトの奥方です。だから あの神社に導かれたのだ、、、。 そう思いました。ニーナカロライの外を何度も救急車が走ります。あの落雷で被害がでたのでしょうか? 心配です。それにしても 異次元空間を通ってニーナ上空に現れた草薙の剣。これが 力の衝突する愛知の根底に流れていたエネルギーなのか、、、、?静かになった 京都の空の下で 宮簀媛(ミヤズヒメ)が涙を流していました。『タケルさま ずっと一人で草薙の剣をお守りしておりました。どんなに心細かったか、、、。』古代に生きた 宮簀媛(ミヤズヒメ)の深い愛を感じた出来事でした。
2008年08月23日

昨日から伊豆方面の動きが出ていましたが今朝5時までかかってやっと一連の流れが 一段落してホッとすることができました。五時仮眠を取るために横になると 今日は禊の雨が降るぞというこえが聞こえ、朝、気がついたら京都は雨でした。今日の京都はいたるところで地蔵盆のお祭りがなされていますが その地蔵盆に京都の歴史の暗い部分で地におちている所を清め流す雨であったようです。昨日はとりあえず『愛すランド情報局』に情報をお寄せいただく中 つぎつぎとサポートをしてくださる方が連絡をくださって少しづつ 形が見えてきました。伊豆方面のツアーに関しては9月10日 夕方まで 愛知県の長久手、岡崎城付近を訪問ののち その日のうちに静岡県富士駅入りここで旅館をとります。(一緒に宿泊希望の方は至急ご連絡ください。)9月11日 朝 富士山本宮浅間大社参拝 その後 伊豆の韮山へ向かいます。この日の夜の宿泊地はまだ決っていませんが 早急に決めます。ホテルや旅館を決めてくださるのはいつも喜楽さまですね。 波動リーディングで いつも本当に必要な所に宿泊することになります。9月12日 鎌倉へ 鎌倉鶴岡八幡宮参拝この鎌倉は当初予定にあがっていなかったのですが 昨夜のスカイプ会議で急きょ この場所がやはり大切で ツアーメンバーがこの場所に行く事によって大きな解放がおこることが予想されました。さて このスカイプでの会議ですが 本当に便利です。初めてご参加の方も なんとか 時間までにスカイプヘッドというマイクとイヤホンがいっしょになっているのを量販店などで 1000円くらいで購入してきていただきパソコンでスカイプのホームページからダウンロードのボタンを押すと 無料で会話やチャットができるのです。複数で同時に会話をすることもできるのです。昨夜は 夜9時から11時まで メンバーの紹介を兼ねて いろいろ話あいました。そんな中で 前回の北海道や東北で使用したサポーターサイトを今回も使う必要がでてきて急きょ 遠隔で(そんな言い方するのかしら(笑))鬼塚さまに新しいサポーターサイト『伊豆国の光』を作り上げてもらい 今朝の1時過ぎからそのサイトは稼動をはじめています。後は 伊豆、鎌倉現地から サポートしてくださる方の声があがってくるのを待つばかりです。一番大切なのは 現地の方ですね。いったい何のサポートをするのかということですが 実はこのブログをご覧になってくださっている皆さまで 自分も何かしたいけれども 自分には何が出来るのかしらと感じておられる方がおられるかもしれませんが 実はスピリチュアル的なキャリアはあまり問題ではないのです。私はいつも思いますが 今持っているものを ただ差し出すだけでよいのだと思います。手にスイカを持っている人はスイカを差し出すし 桃を持っている人は、桃をちいさな米粒を一つ持っている人はその米粒一つを 誠意をもって差し出せばそれでいいのだと感じます。昨夜のお話をしますね。実は この伊豆国のスカイプ会議が終わった時 自分のブログにメールが届いているのを見つけました。浜松にお住まいの方で 何もわかなないけれども 10日の日は空いているので伊豆のほうに来られるのならば お会いできれば というものでした。会議で訪問場所は刻一刻と変わっていっていましたので 10日は名古屋を昼からでて午後富士駅まで行く事になっており 伊豆には11日いりです。喜楽さまとスカイプで話しながら 喜楽さまは その方は10日に愛知に来てもらったほうが良いと思うよ。とおっしゃいました。もうメールでやり取りをしてる時間も余裕もないので 彼女に電話をしてもらうことになりました。その方は 夜中の3時でしたが 電話をしてきてくださったのです。10日の日に岡崎に行きますので そちらのほうへいらしたらどうでしょうか?そうお話すると 岡崎ですか、、、。 と浮かない声です。お話を聞いてみると、 なにか嫌な思い出があるようで 岡崎は、愛知は男性の支配が強くて 男性恐怖症になってしまいました。 できるだけ近寄らないようにしているのです。 とのこと。それをずっと抱えていないで 解放するためにも 一緒に行きましょうとお声かけしたのでした。このツアーに関わってくださった方には その方の参加のあり方によってその方の解放が行われたり ギフトが届けられたりします。この方の場合は 今までの男性恐怖の原因になっている部分を見つけて解放することかも知れませんね。この方の例もそうですが 何かに背中を押されて 気がつけば ひめのにメールを出していた。 正気に戻れば どうしよう!どうしよう!という感じになるのですがその時 えいっ!と踏み出した時には 明らかにその方の守護存在の応援があるようです。さて 愛知県の方のスケジュールですが9月7日(日)京都から名古屋入り、 熱田神宮、 氷上姉子神社参拝これは ヤマトタケルノミコトさまからのご招待です。これから3日ばかり 戦国時代において 剣を象徴とする力を競い合ったゾーンに突入しますので その前に 国と民の平和を愛するこの神様にご挨拶にいくようです。9月8日 真清田神社参拝 関が原などの古戦場に入ります。9月9日 長島 この場所は愛知の3つの川が合流する輪中で ここには信長軍と長島の一向宗がぶつかり合い 最後は篭城する2万の老若男女を焼き殺しにした場所があるところです。罪のない人々が殺され その時それに関わった信長さまの名だたる武将たちの重いカルマを作り上げているところでもあります。一方で 後の幕末の世に島津藩の侍たちが 氾濫をおこす3つの川を分離させる工事を命をかけておこなったところで 倒幕の動きに影響を水面下で与えた場所でもあるようです。9月10日 長久手の古戦場、 岡崎城 夕方静岡富士駅に向かいます。おそらくこちらは 徳川さまと三河武士たちとの和解に向かう取り組みになりそうです。徳川さまと対立するのは 豊臣ですが こちらはスケジュールのどこかで豊国神社を訪問することになると思います。また 7日の夜6じから お食事会を計画しておりまして そちらは男性中心に語ろうということで この力の土地で愛に目覚めた考え方を取り入れる一つの機会になりそうです。 (募集8名で あと2名参加可能です。)これらの予定はいずれも ニーナカロライのスケジュールの9月のところで ご確認下さい。また 伊豆の国のように 愛知においてもサポーターサイトを立ち上げるようにしますので 現在 この地域においてのサポートを申し出てくださっている方にはこのサイトが出来上がり次第 メールにて 専用サイトのアドレスを送らせて頂きます。さて 今日はニーナがある西陣でも 地蔵盆です。いつものニーナの隣のお地蔵様たちも 綺麗に着飾っていただいて 嬉しそうです。それぞれのお宅から 1時間当番をするのですが 私が今日 2時からの当番をしているともう一人の当番の方が あのねえ、私の故郷は愛知県の岡崎なんだけど、、、、と1時間 岡崎のことを話してくださいました。あ~あ、 ここでも岡崎かぁ と苦笑してしまいました。
2008年08月23日
今朝 静岡県の伊豆方面に行くことが決定しました。日にちは9月11日~13日の間になります。お昼すぎから サポーターのかたからの(たった今サポーターになったかたもあるのですよ。)情報の提供が始まり それを整理する作業を始めました。北海道や東北地方を訪問した時は ホームページ上に特別サイトをつくり時間をかけて情報をお寄せいただき それについて話し合いを重ねることができましたが今回は その時間がありませんので どうぞ情報を寄せてくださる皆様はこのブログの上のトップページに設置してあります『愛すランド情報局』へ投稿してください。そうすれば 私のほうがいちいち 私のメールアドレスから 情報サイトに貼り付ける手間がなくなり 皆様のほうも他の方からの情報が見れます。9月7日から10日までの 愛知ツアーのテーマは 対立するエネルギーの解除と和解ということかと思います。また 9月10日からの富士、伊豆ツアーは 北条氏を中心として 源氏、平氏の複雑に絡まったエネルギーを解きほぐして 和解していくことにあると思われます。歴史のある部分が 重たく陰を落としていると感じる時は その時代を見つめ、感じ、その時代を一生懸命生きた人々に 癒しと感謝と祝福をとどけると本当に その時代のその土地、人々に宇宙の光が差してくると思います。今回のツアーもそのような気持ちで ご縁あるかたの輪の中に参加させていただきます。昨夜 出張中にいただきましたメールの約半数にお返事をだせたような状態で昨夜からお寄せいただいております 情報にはその場でお返事をだせないようなことになっておりますが 地域情報につきましては どうぞ 『愛すランド情報局』をご利用ください。心から感謝して その情報を読ませていただきたいと思います。いつもありがとうございます。
2008年08月22日
昨日の夕方京都に帰ってきたばかりですが 次の動きが大急ぎでやってきていまして夕方から今までに数時間で決まったことをご報告します。9月1日~4日 九州の鹿児島に行きます。9月6日 京都ニーナカロライ滞在9月7日 午後から名古屋入り 市内の神社訪問9月7日 お食事会 時間 午後6時~8時30分 世界のやまちゃん 名鉄太閤店 052-453-2215 会費 2500円 + 料理代約3500円 募集人数 8名 (先着順)戦国時代に武将たちが列挙した愛知県で主に男性たちで わいわいと語ろうという食事会を開きます。戦国の学びについて話ても良し、 会社の仕事について話ても良し、とにかく日ごろは話せないような話を スピリチュアルの観点から話あって見ましょう。このお食事会の企画は 名古屋を夜車で走っている時にメッセージが来ました。 この町ではやはり 男性たちが色々話し合って 元気に優しく和合していくということが大切なのでしょうね。日ごろは 奥様のほうが主に ご参加されているご家庭も 今回はお父様がでてきてくださいね。お待ちしています。9月7日~10日 日中は愛知県の各地を回ります。 9月10日 午後から 静岡県富士宮へ移動9月11日12日 北条氏に関する場所を伊豆を中心に回ります。上記の訪問場所につきましては 各サポーターの方たちとの打ち合わせのうえで計画を進めていますが ご興味のある方はこのブログ内メール、もしくはニーナカロライのメール箱までご連絡ください。なお 鹿児島から伊豆まですべての行程に 喜楽天道さまも同行されます。この機会に多くの方達と どこかでお会いしてエネルギーの交流ができれば私も 喜楽さまも大変幸せだと考えております。名古屋では8日、9日については 喜楽さまは個人ワークの時間を午後7時より設けることができますのでご興味がある方は 喜楽さまのブログ内メールにご連絡ください。
2008年08月21日

名古屋の新幹線出口側の落ち込んだ波動域の中で 私が宿泊させていただいたホテルはなんらかの作用が働いていて とても良い波動をキープしていました。それははっきりとは解りませんが オーナーの方のお考えとか 従業員のかたの働く姿勢とかからくるものでもありますが 土地の影響も大きいと思われます。このホテルに到着して一番先に目についたものが 隣に神社があるということでした。10階の私の部屋からはすぐ下に見えました。早速参拝しにいくことにしました。この神社は椿神明社といって 伊勢の外宮、豊受大神を奉ったものでした。ところがびっくりしたのが 身を清めるための手水のところが柵で入れなくなっていておまけに鍵がかけてあります。境内も清められてはいないのです。東北では 地震で狛犬などが落ちて あれたままになっている神社を見ましたがこの神社の場合はそういうケースの荒れているというわけではなく寂れているというわけでもなく人の気も入っているのですが 神社らしくないのです。とにかく困っている気が残っていて どうやら複雑なご事情があるようです。神殿にお参りして祈ると 神様は降りて来られているのが感じられます。お参りしながら 宇宙の愛の光がたくさん降りてくるようにお祈りしました。そうして もしできることならば お掃除をさせていただけたらなあと思いながらホテルに帰りました。さて 翌朝も ホテルの自分の部屋から目の下に見えているこの神社の浄化を天にお願いする祈りを行いました。チェックアウトしてこの神社に再びご挨拶してから 名古屋駅にもどろうと 社殿の前に近づいた時、 神社の柵の鍵を開け一人の上品なおばあさまが出てこられました。ちょうど自転車で外出されようとしておられたところでした。あと10秒遅ければお会いできないところでした。また 10秒早くても社殿の前で私が目を閉じて祈っていたらお会いできないところでした。ほんとうに絶妙のタイミングでお会いした方は この神社の境内にお一人で住んでこの神社を守っておられるおばあちゃまでした。このおばあちゃまによれば この神社のお掃除を毎朝この方がしてくださっているのですがそれでも 年取った身ではなかなか 草引きもおつらいようです。総代さんたちもいらっしゃるのですが もう皆様高齢でこの神社の掃除はできないようです。また 手分けしてお掃除などを行ってくださる後継者もなかなか居ない状態のようです。手水の所に柵がして鍵をかけているのは 一時ホームレスの人たちが そこで生活をはじめ神社の水が洗濯に使われ 神社の石の塀も洗濯物を干す場所になったり また ゴミがいたるところに捨てられたりで 神社としての聖なる場所ではなくなったので柵をして鍵をかけるにいたったそうです。このおばあちゃまも鍵をかけたフェンスの神社の奥の家に住んでおられるのですがそれさえ非難があったりで 人間関係が大変なようです。どこでも神社を守っていく人は大変です。 ましてや おばあちゃま一人でこの維持をしているのは並大抵でないことが想像できました。私は 時折名古屋に来て このあたりのホテルに泊まるので その時にこの神社の清掃をさせていただければと思っていますが ゴミをどのようにしてまとめておけばいいのかまた そのように勝手に掃除をしてもいいのかと尋ねました。その方は 草一本でも ひいてくださってまとめておいてくだされば嬉しい、毎朝掃除をしているので どなたかが草をひいてくださったのはすぐわかる。といわれました。ただ 掃除をしようと意気込むと長続きしない、だから ほんのちょこっと草を引くぐらいの気負いかたで 掃除をしないとだめですよと優しく諭してくださいました。今後名古屋に行くときは この神社の草をほんのすこし引いてこようと思います。もしも 名古屋にお住まいの方で 箒とちりとりをもってこの境内を掃いてくださる方があれば この場所を通られた時に ほんの少しだけ落ち葉をはいてくださればとても嬉しいなあと思いました。私とお話してくださっている間 このおばあちゃまは終始優しい笑顔でした。でも本当は独りになった時は 鬱になって落ち込んでいつもは 外に出ないようにしているのですよと おっしゃいました。私は このおばあちゃまとご縁をつけてくださった この神社のご祭神に感謝しました。ところで この出来事ですが 私にはあるメッセージが含まれているように感じました。豊受大神がなぜ ここに御祭りされているのだろう。この神様が 名古屋では柵に入れられて 鍵をかけられている。豊受大神を食事の神様と考えるならば この神が祭られているところこそ ホームレスの人達にも 天の恵みがあってもいいはずなのにそれができない現状。また 豊受大神を国常立神と考えるならば それが鍵をかけられて封印されている状態。その鍵が解かれて 聖なる水が皆のもとにもどるのはいつなのか?名古屋の現状を見せられてような気がしました。
2008年08月21日
昨夜は深夜の名古屋市内をナナクジラ様と車で走り回る事になりました。。 昨日は朝、東京で光のワークを終えて夕方から名古屋に移動してクリスタルチルドレンワークをしていました。 クリスタルチルドレンが 明るい笑顔で帰って行かれる時 私は本当にこのワークをしてよかったと思います。 今まで我が子をどうあつかったら良いか解らなかったお母さんの顔に笑顔が戻る事は子供たちにとって家に太陽が戻ってきたような喜びです。昨夜は8時にこのクリスタルチルドレンワークの仕事を終え、来月9月7日からの名古屋各地訪問の打ち合わせの為にナナクジラさまと夕食にでかけました。 ところが車で近くのレストランに行くつもりが 道を間違えたりして 次々と神社を回る事になってしまいました。 最初に塩竈神社、次に富士山浅間神社、金山のホテル街、豊国神社、氷上姉子神社。途中からはあきらめて導かれるままに進んでいきました。これらの神社を訪問する間に移動しながら場所によって いろんなエネルギー地場を感じましたので後から地図でチェックするつもりです。 気が着いたら約4時間車で名古屋市内をぐるぐる走りまわりました。最後の氷上姉子神社(ひかみあねこじんじゃ)に着いたのは午前1時前でした。 この神社は日本武尊(やまとたけるのみこと)のお妃、宮簀媛命(みやすひめのみこと)をお祀りするものですが熱田神宮に移されるまで草薙神剣はこの地で宮簀媛命に守られていたようです。私とはご縁のある神社のようでした。この文を書いている時 何か静岡にもヤマトタケルノミコトにご縁ある場所があるようで そちらにも来てほしいというメッセージが来ています。 さて今まで名古屋を何度も地図上では見て来ましたが こうして走ってみると 体感することによって初めてわかる事がたくさんあります。 ホテルを出たのが午後8時半で帰って来たのが午前1時半でした。 ホテルの近くまで戻ってきた時 以前に宿泊しようかと思ったけれども 喜楽さまに止められたホテルの前を通りました。 女性ごのみの美しいホテルで料金も安いのですが 喜楽さまがおっしゃるには「この場所の地場がもの凄く落ちこんでいる、不幸な女性たちのエネルギーが集まって来ていてこのホテルに宿泊するとそれらのエネルギーから宿泊者はエネルギーを奪われてしまう。」ということでした。その時 PCでGoogle検索して このホテルの回りに何があるのか調べてみましたが解りませんでした。 けれども 深夜のこのホテルの前を通り 初めて喜楽さまが言われた事が理解できました。 このホテルの両側に出会い喫茶、ピンクサロン、女性の紹介所などの風俗店がたちならんでいるのです。 倒産したのか営業をやめてしまった店舗もたくさんあります。ホテルの両側で客引きの男性たちがケータイで連絡を取り合いながらお客をさばいています。 う~ん、こういう場所だったか~。納得しました。私が今回宿泊したホテルの波動は気持ちの良いものです。 けれども今話題にしたホテルの筋向かいに立っています。これはこれからまたお仕事する事になるかなあと 10階の自分の部屋の窓から この辺りの竜宮界の成れの果てを眺めています。 名古屋の長い夜はまだ続きます。
2008年08月21日
18日は白山菊理姫さまと久しぶりに会いました。 彼とは位山と天柱石を回った時に大昔の幼なじみだとわかったご縁があります。なんでも私たちは金星で出会っていて この位山の石を使って光通信に携わっていたというご縁だそうですが 当の本人たちはその事をよくわかっていないのです。 来たるべき時が来たらわかるだろうという事で 今は深く考えていないのですが一つだけ気になっている事があります。前回位山に行った時にそこをお守りされている方が自動書記で私にメッセージを降ろしててくださったのですがそれによれば私がコノハナサクヤヒメに守られて何かの働きをするとのこと。コノハナサクヤヒメですが私の頭の上に天女のようなこの神様の姿が見えると3人の人に別々の時に言われた事があったのですが、なんでこの神様が私の上にいるのか、?なのです。また位山では現在の天照大神さまがその役割を終え交代するというメッセージも伝えられ、??がイッバイでこれから何が起きるのか見守っている状態です。白山菊理姫さまは必要があれば位山に御一緒しますよおっしゃってくださっているので心強いです。彼が選んでくれたレストランで食事を終えて 外に出てしばらくすると 彼が『かわいそうに。』と言うので 目をそちらにやると街路樹が苦しそうにして立っています。 葉っぱも白く変色しています。 その木の幹に手をやるとゴホゴホと咳が出て 人間でいうなれば気管支がやられているような感じです。 車の排気ガスのせいと高いビルの間にあって 日光を十分にとれないことから病気になっているようでした。 私たちはその木を癒しました。 また そこでそうやって頑張ってくれている事に感謝しました。 東京は自然と 共に生きるのが難しい所だと感じます。 例えば 京都ならば常に空が見えていて流れる雲や空の気配から 常に宇宙や地球や京都に奉られている神々や人々の動きを感じ 自らの気付きや反省とする事ができます。 けれども都会では 実際に自分で感じてみることが難しいですね。 ところで白山菊理姫さまと別れる時に 大きなドラヤキを3つと和菓子を2個いただきました。 あ~ またダイエットできないなあと苦笑です。 (白山菊理姫さまありがとうございます。)さて この位山の話しですが昨日思わぬ展開がありました。昨日光のレベルアップワークに来てくださった方の様子をスキャンすると膝から下のエネルギーがないにひとしい状態で 頭はまるで天からの手術(リハビリ)が行われているような状態で休止状態で眠いのです。 御本人も足に力が入らず仕事はストップ、一日中寝てばかりいるとのこと。 どこからこの状態が来ているのか探っていくとその方のひいおじいちゃんまでは富士山の浅間神社の宮司をされていて 一生懸命神様をお奉りされてきているのですが 戦後の国の土地に関する政策のごたごたのようなものがあって 宮司を辞めることになってしまったようです。 その辺りの事を見つめる必要があるみたいです。 そして彼女が それに心を向けた途端 彼女の上にコノハナサクヤヒメのエネルギーが降りてきてガンガンサポートしはじめました。 このような事はめったにないのですが 彼女はもう来た時の彼女ではありませんでした。 ご本人にもそれが十分感じとれたのです。 彼女の家系ですが 菅原道真さまの家系です。京都に帰ったらもう少し調べてみたいのですが菅原道真さまと阿保親王はご縁があるようなので京都にいる安保さまに連絡を取りました。 (菅原道真さまが太宰府に流される前に最初に太宰府に流されたのが桓武天皇の孫の阿保親王)安保さまにコノハナサクヤヒメのお話をすると 自分の家が富士山の浅間神社の近くにあるので そちらに行かれるなら 回って欲しいところが何箇所かあるとのこと。 現在 種子島に行っておられる喜楽さまのお帰りを待って 相談することにします。 あらあら ひょんなことから今度は富士山麓に行くことになりそうですね。 どうぞ よろしくお願いします。
2008年08月20日
昨日の昼の出来事です。東京行きの新幹線がまさか満員状態だとは思ってもいませんでした。京都駅について あらためてお盆の帰省ラッシュの真っ只中の日曜日にいるのだと気がつきました。 とにかく渋谷でのワークに間に合うように行かないといけないので 自由席の新幹線のぞみに飛び込みました。 かなりの寿司詰め状態です。 う~ん、苦しいなあ、これじゃ堪えられない、 次の名古屋で一旦降りよう、そう思いました。 ところが名古屋までの遠いこと、遠いこと。 いつもならあっという間に着くのが 私の意識の中ではなかなか新幹線が進まないのです。 この辺りでは一番高い山の伊吹山を通りすぎると岐阜羽島から名古屋へと戦国時代の戦いの大きなエネルギーゾーンにに突然します。 斎藤道三さま、織田信長さまを始めとしてその後に続く稲葉、明智、豊臣など武将のエネルギーゾーンをできるだけ中立の立場から癒しのエネルギーを送りながら 突っ切って 新幹線はやっと名古屋につきました。 ここで新幹線のこだまに乗り換えよう、そうすれば品川まで座れるし渋谷のワークにも間に合う。 次に乗るこだま号についてはケータイで到着時刻を調べて確認済みです。 これでうまくいったと安堵したのもつかの間、車内放送の声は品川到着時刻を私がケータイ検索で得た時刻よりも1時間も遅い時間をアナウンスしています。 頭の中で時計の数字がぐるぐる回り始め何が何だかわからなくなりました。 喜楽さまの顔がでてきて『ひめさんらしいなあ。』と笑ってる。突然 わーいさんのお顔が割り込んできて『それって、ただ単に自分がボケてただけでしょうが、、。』そう言ってる。あ~だから一人で どっかに行くのイャなんだ、まともに行きついたことないから、、、。 イジ イジ イジ (:_;) ありが父さんさまが出てきて『また、やっちゃったんですか~しようがないですねぇ。』となぐさめてくれる。 そうだ、とにかく泣いている場合ではないからワークを受けてくださるTさまに 遅れることを連絡しよう! 幸いTさまは優しくいいですよ。とおっしゃってくださいました。 彼に感謝します。 さて 名古屋から乗ったこだまですが 各駅停車の新幹線で 三河安城に停車した時 徳川家康という大きな垂れ幕が頭の中に登場です。 それからというものしっかりと家康さまのエネルギーを体験することになりました。そうして浜松で待つこと20分、新幹線ひかりに乗り換えてやっと品川に到着しました。 あーやれやれです。 ところがこの話しにはまだ続きがありました。 今朝 光のレベルアップワークに来てくださった方の旧姓が稲葉様でご住所は岐阜大垣、まさに戦国時代は斎藤氏に仕え美濃三人衆として活躍した稲葉氏なのですね。やがて織田信長に仕えますが信長が本能寺の変で急死すると、信長に追放され身を潜めていた、安藤守就が兵を挙げ領土確保を目指すが、これを破り安藤一族を討ち果たした。と資料にあります。その後は秀吉に仕えている一族なのですね。東京に来ても 以前として愛知岐阜の戦国時代を見つめる必要があるようです。
2008年08月18日

その時私は関ヶ原から小牧、岐阜、長浜そして京都という場所を戦国時代の転生(エネルギー)をまとって戦国のエネルギーゾーンを駆け抜けていました。その時の戦国の転生は 秀吉の妻であるおねの転生です。彼女自身は子供ができず 秀吉にたくさんの女性ができるという苦しみがあったと思いますがおねほど戦国時代の武将たちと女性ならではの自由さをもって付き合えた人はいないと思います。信長さまにもかわいがられ また後に武将として活躍する加藤清正や福島正則などを育てています。その日私は この愛知の対立するエネルギーゾーンを感じながらその場からの影響を受けないようにして京都まで戻ってきました。関ヶ原の合戦の中では ほんとうに東西入り乱れて 大変なエネルギー対立があったのを感じました。なんとかその場はエネルギー攻撃を受けないで帰ってきたつもりが 京都到着したときには気を失いそうなくらい辛い状態になっていました。京都駅のハンバーガー屋さんで 喜楽さまに遠隔で応援を頼むとともに 今まで引き連れてきた関ヶ原からのエネルギーのセパレーションを徹底しておこないました。その時に悟ったのです。秀吉の妻のおねとしての呪(しゅ)をつけているから その呪(しゅ)によってエネルギーの攻撃が来るのだと。ここでいう呪(しゅ)というのは のろいという意味ではありません。安部晴明さまの弟子だったつきのせさまから教えていただいた概念ですがもとは何もないものが 呪(しゅ)をつけることによって 限定を生み出していくのが呪(しゅ)の考えです。映画の中に晴明さまが次のように言うセリフがあります。安倍清明「男が女を愛しいと想う。女が男を愛しいと想う。 その心に名を付けて縛れば、それが”恋”だ」万物は名によって呪縛されるというのが陰陽道の理念で 1番短いのが氏名。人は名を持つことによってその人ならしめる、というのです。私はその時つけていた秀吉の妻のおねとしての呪(しゅ)を手放して透明になりました。するとそれまで 縁があってくっついていたエネルギーがよりどころを失って離れていきました。この時に呪(しゅ)からの脱出の経験をさせていただいていたのです。私は弘前のねぶたの会場で 自分を自分たらしめている呪(しゅ)の領域から脱出して 透明になって祈りました。坂上田村麻呂のために、 アテルイ軍団のために、 すべての蝦夷のために、この弘前でねぶたに参加している人々のために、 すべての青森に生きる人々のために、、、。この土地が祝福され 宇宙の愛のエネルギーに満ちあふれますように、、、心から祈りました。私たちのグループは会場を離れ もと来た道を車まで戻ることになりました。私は皆より遅れてついていきました。喜楽さまがやってきて「自分がかつてしたことに対して自分が許されないという想いを抱けば、必ず それを攻撃するエネルギーをくっつけてくるよ。その領域を抜け出て進むことこそが大切だよ。」そのようなことを言われました。今はわたしにはわかりすぎるほどにわかっている事でした。彼はまた その時の私の体に(とくに足に)多くの攻撃のエネルギーが張り付いていることを説明してくださいました。実際 私は歩くことさえ困難な状態で 皆についていっていました。ありが父さんさまが 気にして 時折後ろを振り返りながら歩いてくださっていました。途中、こんなところにどうしてこんな像がという感じで 木花咲耶姫の像があってそこでエネルギーをもらって何とか歩けるようになりました。民宿に帰って 彩乃さまがフットマッサージをして治療してくださり それでも取れない背中に刺さっている刀のエネルギーは 喜楽さまが手をかざした瞬間にゴボッという音とともに はがれていきました。ねぶた祭りでダメージを受けた私でしたが 次の日に温泉にいくことになっておりその温泉でずいぶん肉体的には癒されました。ところが この温泉 鳴子温泉という場所にあるのですが 目的地のホテルに行こうとしてもなかなかたどりつけません。道に迷っていったり来たりを繰り返しているのですが そこには小さな神社があったのです。温泉神社と書いてあります。どうやら この神社に寄ってからホテルにいくようにということかと判断して温泉神社にお参りしました。境内にはいると声がします。「遊んでいくがよいぞ!」そうか 遊んでいいんだなと思って 竜宮界のエネルギーを呼びました。これはその時のエネルギーです。その後で ご祭神のエネルギーが降りてきて ふれあってくださいました。後で調べたら 木花咲耶姫のお父様の大山祇神でした。これはその時の映像です。エネルギーで触れ合うという世界をより強く経験ました。私たちは宇宙における次元落ちの段階で 私たちのエネルギーに名前をつけました。けれども どうもその名前にこだわっていると 規制されて不自由なこともあるようです。確かに名前があると神様もわかりやすいし ロマンチックだと思いますがでも その上にはただ エネルギーだけの世界もあるのだということが体験できました。私は今斉明天皇という過去生を見つめていますが 本当に私がそうであったかどうかは定かではありません。 ただ それを見つめることによって テーマがわかりやすくなるということがあるのと 斉明天皇が生み出したカルマを だれかが斉明天皇として解除していくことが一つの波動を挙げる方法かと思います。ただ それにこだわっても先に行けない。 ただ ただ ある性質をもつエネルギーが 宇宙空間にただよっているという感覚もどこかで大切にしていきたいと思いました。ところで この原稿を書いているのは8月16日の午前3時なのですが先ほどから瀬織津姫から京都のニーナに戻れ、戻れというメッセージが来ています。京都では今夜は五山の送り火ですが どうやら迷っているたくさんの霊も今年は天界に送り届けるような感じがします。北海道のsima♪さまも彼女のブログでそのような感覚をかいておられますし のりぽんさまもコメントで京都の送り火のことを書いておられます。 いそぎ京都へもどります。
2008年08月15日

その夜私たちは弘前のねぶた祭りを見に行くことになりました。東北ツアーの日にちは当時夢ワークの東京校の講師をしてくださっていたkasumiさまのリーディングによるものです。結果として私たちは青森においてもっとも大きなイベントであるねぶた祭りに遭遇することになりました。前日も雨でしたが その夜もせっかくの祭りだというのに激しく雨が降り始めました。このままいくと祭りは中止か?と思われましたが それでも雨のなか弘前ねぶたは盛大に行われました。(今年は京都でも祇園祭りは雨が続きました。 わざわざその時間になると雨を降らせる天を仰ぎ見ながら 私はユダヤの影響をうけた祇園祭について考えていました。)雨が強く降りしきるなか やっとの思いで弘前ねぶたの会場に着いた時私は初めて見る勇壮なその祭に言葉を失いました。大きな大きな山車は 一面明かりをともした巨大な提灯(ねぶた、ねぷた)を乗せていてその提灯には 迫力のある特徴的な絵が書いてありました。坂上田村麻呂の絵もあれば 美女や菩薩の絵もありました。 中には蛇をまとい、口からは赤い舌をだし、 おどろおどろしい雰囲気をかもしだしているのもありました。山車の後ろには 太鼓とチャッパがその世界の演出を十分に担当していて 生きのいいお姉さんたちが肩をだして祭りの装束で太鼓を打ち鳴らすさまは京都の祭りでは見られない躍動感に満ちていました。この山車のねぷたの絵にしても どれだけの人たちがどれだけの日数をかけて描かれたものなのでしょうか、、 すごいなあと思いました。子供たちの多く参加して 太鼓やチャッパを大人顔負けに打ち鳴らすようすは感動的でした。私は10年ほど前まで 地元の弁財天の奉賛会のお手伝いをさせていただいたり和太鼓をたたいていたこともあって この祭りにかけられた人々の労力の大きさと重さと尊さがほんとうによく理解できました。それだけに この祭りを見て ほんとうに言葉にならないくらい打ちのめされてしまったのです。------------------------------なんということをしてしまったのだろう。この祭りはやっぱり征服者がその土地の人々を支配するために利用してきた祭りだったんだ。当時 東北地方に独自の文化を気づいて幸せに生きていた人々を 都の中央政権は支配するために坂上田村麻呂をこの地に送った。平和の使者として京までやってきた首長のアテルイとモレを殺害し その一族を生きたまま土に埋めてねぶたの祭りは始まった。人々はそれを知らない。 知らないどころか 自分たちの祖を封じ込める祭りを本当の自分たちの祭りだと信じて続けてきている。なんということをしてしまったのだろう。 京の都の支配者たちは 私たちはなんということをしてしまったのだろう。----------------------------そこにいるのはもはや ひめのゆめではなく 北海道、東北の蝦夷に兵を送った(過去生)斉明天皇としての私でした。後悔の念とともに 涙があふれました。雨の中 傘をさすのも忘れて 黙って山車が通りすぎていくのを見続けていました。1時間くらいそうしていたでしょうか。斉明天皇のエネルギーをまとった私の所には 容赦なく攻撃のエネルギーが来ました。それは アテルイ軍団からのものもあれば その一族からのものもあれば東北でなくなった坂上軍のものもあったように感じます。大阪でアテルイとモレの墓に参り 共に東北に里帰りした彼らに なんと誤ればいいのか、、。それに間にはいった坂上田村麻呂の苦しみ、今でも英雄としてそのエネルギーを使われカルマを積んでいる彼の重さを感じた時、 どうしてやればいいのか、、、京の都は、、天皇は、 公家たちは ただ命ずればよかった。なんということをしてしまったのだろう。自責の念で心は張り裂けそうになっていました。それだけに 今は エネルギー攻撃による体の痛みがかえって救いでした。東北ツアーの他の参加者たちはどのような想いでこのねぶた祭りを見ていたのでしょう?だれも 声をかける人もなく 私はただただ 体の痛みを救いとして雨のなかに一人立っていました。心も体もボロボロ状態でした。ずいぶん経って ふと思ったのです。 私はいったいこんなところで何を感傷にふけっているのだろう。一人自責の念に打ちひしがれていても何も始まらないじゃないか!そんなことをするために 私は東北に来たのではない!その時 初めて斉明天皇としての着物を脱ぎ去りました。これには この前に経験した 愛知での経験が役にたちました。天はこの時のために 私にその経験をさせてくださっていたのです。(つづく)
2008年08月15日

つづきです。 義経さまが最後を遂げられたといわれる高館義経堂の上がり口に立ちました。足がどんどん進んで 歓迎されているのがわかります。悲しみよりもむしろ喜びのほうが 強く湧いてきて 「また、会おうぞ!」その言葉が心のなかで鳴り響きます。後ろを振り返ると 北上川でしょうか? 美しい景色が のどかな自然のなかで広がっていました。松尾芭蕉が あの歌を詠んだ所が この場所だったのかと思うと感動もひとしおです。 夏草や 兵共が 夢の跡義経堂での祈りは 私たちは平家も源氏も もはや一族によって戦うことなく ともに学びをした相手を癒し 相手に感謝し そして祝福するようにという祈りになりました。あの時が 私たちの青春だったのだという感慨とともに その時代をともに駆け抜けた仲間たちの肩をい抱き合い 再開の喜びの涙をわかちあう そういうシーンになりました。まだ 藤原泰衡さまについては 父の命に逆らい 義経さまを守れず 裏切り者の汚名をかけられながらも 最後は頼朝さまに滅ぼされていく役割をうけもってくださったことを感謝するとともに 癒しのエネルギーが宇宙からたくさん降りてくるように心から祈りました。もう だれも責めなくていいし もう自分を責めなくてもよいのです。この義経堂でも ツアー参加者のカメラにいろいろな写真がうつっていました。これは 私が取った写真です。この同じ場所に私が立って あわやさらさまが 撮ってくださった私の写真が下の写真ですが 私の向かって左側に霊体が写っているのと私の頭と 白い光の間に十字架が写っているのですが それがどういうメッセージなのかしらと後から見て 想像力を働かしています。今回の東北ツアーは どんなに不思議なことを体験しても まだそれを信じないしそういうことはひめのさんや喜楽さまだけに起こるのだという疑心暗鬼の中で決行されました。どんなに心をたたいてもたたいてもすぐに天の岩戸に入ってしまう人々。そういう人々の心を開くための一つの方法として どこへいっても不思議な楽しい写真が写りました。自分で経験するのが 一番早いですね。 ツアーに参加された方たちは たくさんのギフトをもらって帰ることになりました。ところで 今回 私は 体の中でも呼吸器官に多くの負担をかけてしまいました。私の感性では 東京のような都会では エネルギーがまるでチューブのようにこちらのエネルギーを奪いに体にくっついてきます。けれども 私たちが訪問した東北の場所では エネルギー体が呼吸器から体の中に入ってきます。重たい地場では 白いエクトプラズムのようなもやもやがあって それが呼吸をすると体のなかに入ってきます。くっつくのではなく体の中にはいってきます。さすが恐山がある場所だなあと苦笑しました。何度も咳をして それを外に出すことにしました。 不思議な場所です。 今度は ゆっくりと瀬織津姫ゆかりの遠野などをゆっくりと回ってみたいなあと思います。おっと もうひとつ報告しないといけないことがありました。8月7日 東北から京都に戻ってきた私と 喜楽さまをまっていた人がありました。巴御前です。 彼女をつうじて 私たちは木曽義仲さまが行われたことを振り返ることになりました。源氏と平氏の時代は 八幡の力をどうつかうかという学びがあったように思いますが それでも人々はその時代を一生懸命に生き抜きそれぞれが信じる正義と愛に生きたように思います。平清盛さまや 常盤御前さま 建礼門院さま そうだ、武蔵坊弁慶も 伊勢の三郎もいましたね。なんだか とても懐かしいです。今日はお盆ですね。 どうか 皆様も懐かしい方とのふれあいを楽しんでくださいね。
2008年08月14日
東京のkasumiさまから連絡メールが来ました。「8月17日からのひめのさまの出張に際して夜にお食事会などを開いたほうが良ければ手配いたします。」いつものことながら kausumiさまのご配慮をありがたいなあと思いながらもなんとなく気が進まないでいました。気が乗らない理由は 東北旅行から帰ってきてからのこちらの流れが変わってきて今私の仲間たちは 新しい経験をさせられているからです。宣伝していないにもかかわらず 何かに導かれるようにして京都のニーナカロライに宿泊中の喜楽天道さまのハイヤーセルフコネクションワークを受けに来る方を見ていると これまでその人がどうであったかはあまり関係なくて むしろその人が引き連れてくるエネルギーが巨大で重量級で その大きなエネルギーをどうしたらうまく使えるかを学ぶことによってこの地球において 大きな働きができるかどうかが決まってくるような感じがしていますが私たちも それらの方たちを通じて新しい世界に踏み出さざると得ない状況になっているような感じです。そしてそれらの人たちとは 天界ですでにこの時期に出会うべくして出会えるように決まっているような感じなのです。例えば 今回フランスからやってこられたお二人にしても スピリチュアルという言葉とはあまり関係がないような方たちですが ところが そんなお二人が運んできたフランスのエネルギーは とてつもなく恐ろしくて苦しいものでした。核兵器によって 細胞が崩壊したような苦しみ、 焼けただれて ずり向けになった皮膚を掻くような痒みが その夜ニーナに宿泊していた私と喜楽さま 安保さまを別々に襲い、それと向かいあう夜になりました。このフランスからいらっしゃった方たちも 今後はその課題と向かいあっていかれることでしょう。これまでの出会い方ではない出会いが 始まったようで そのことを説明して東京での夜の食事会を保留にする旨を kasumiさまに伝えると 彼女にはすぐにわかったようです。どうやら いつものように彼女にはそのお知らせが届いていたようですね。彼女の夢の中にそれが表れています。さて 昨夜のkasumiさまからの電話で 彼女が今朝3時に埼玉を出て 平泉に向かうことになったと知らされました。Takaさまにも そのメッセージが来ていたようで 二人で日帰りで車を走らせてもう一度平泉でやりのこしたことをして下さるようです。これに関しては まだあったことのない仲間の方たちが水面下で動いてくださっているようですので ここに流れを書いておきます。さて 話を東北ツアーの平泉訪問の日に戻しますね。私たちはこの日 奥州藤原氏の拠点であった平泉を訪問していました。岩手県の毛越寺の参拝中に 社務所の方が 私に対して「どうぞ高館(たかだち)においで下さい。」 と強くその場所にいくことを勧めてくださいました。そうして 藤原泰衡が義経さまを撃ったのは 鎌倉からの圧力であって ほんとうに仕方がないことだったのですと 藤原泰衡の弁明をするような話を始められたのです。ツアーの他のメンバーは すでに駐車場のほうまでたどり着いている様子で私は その方に急いでいるのでごめんなさいとお断りをして そのお話を全部聞かないで仲間を追いかけました。ただ こういう時は 天のメッセージを神社の方がしゃべってくださっているケースが多いので 私はkasumiさまに 「たかだち」という場所に行ってほしいと伝えました。実は「たかだち」とは義経堂(ぎけいどう)のことで この御堂は 義経が藤原泰衡の奇襲にあってたてこもり 自害したとされている場所でした。(つづく、 すぐに書きますね。)
2008年08月14日

今週のニーナカロライはお客さまが沢山きてくださって とても濃い毎日を送っています。これでもか これでもかという感じで 次の課題をもらって取り組んでいる感じがします。昨夜はフランス在住のかたが運んでこられたエネルギーに一晩中うなされる事になりました。それは私にとって『水』ということを更に深く見つめていく良いチャンスを与えてくれました。どうやらフランスをはじめ あるヨーロッパの国々が抱えている問題に 『水』をテーマとしたものがあるようです。水は禊の水としてすべてを浄化してくれることもありますが 一方で ペストやコレラなどのような伝染病と関わって ねじれ、破壊された波動を伝えることもあることを昨夜は痛感しました。『水』をテーマにもうすこし掘り下げて考えてみる必要がありそうです。さて 水といえば京都では貴船を思い浮かべます。今日はフランスからいらっしゃったToneさまと 先日ブログでご紹介した安保さまをお連れして 貴船から鞍馬の魔王殿へと登ってきました。貴船では 私は水を意識しながら 参拝させていただきました。この地に流れている清らかな水に心をむけて とても安らいだ気持ちになりました。貴船の奥の院の門のところで撮った写真ですが美しい波動が写りました。次は鞍馬の魔王殿です。ニーナカロライをオープンしてから ニーナカロライは常に鞍馬山のサナトクマラのエネルギーの守護を受けてきています。各地を廻ってみて良く分かるのは 京都は本当にさまざまな神々のエネルギーが乱立した場なのですが これがすべて調和とはいかないまでも なんとかまとまっているのは この鞍馬山のサナトクマラのエネルギー下におかれているからだといえましょう。心から感謝の言葉を述べさせていただきました。今日はずっと紫のエネルギーと一緒にいるようですね。今夜のニーナは奥様が子供たちを寝かしつけている部屋の隣で 今夜初めて出会われた男性たちがわいわいといろいろなことを話しておられますよ。出雲の神々の話、鞍馬山の話、 宇宙の話、 今夜も濃い内容で話が続きそうです。
2008年08月11日
ついに来てしまったか、、、という感じで今、ニーナはフランスのエネルギーとのリンクが始まっています。今日は喜楽さまのワークが続くニーナで 安保さまとニーナカロライの庭のミントを刈り取って 庭をハーブ畑にするべく頑張っていたのですが夕方からいらっしゃった素敵な女性のセッションが終わるや否や ピンポーンあれ? 予定よりも早いなあとドアを開けた瞬間から 始まったフランスのエネルギーとのリンク。フランスからのお客をお迎えして 喜楽さま 安保さま ひめの 今夜はこのエネルギーと向かい合う事になりそうです。あ~~あ~~ ついに来ちゃったか、、、。もちろん いらっしゃったお客様は素敵な人たちなのですが なんせ フランスのエネルギーが それと向かい合うように言ってきていてそれが ひえ~~ って感じです。今 午前2時まえ ニーナからの実況中継でした。
2008年08月09日

昨日から東北に大きな影響を与えた人として坂上田村麻呂のことを書こうと思っていたのです。ところが 京都に帰ってきて一日目は何とか東北のブログをいくつか書いたものの京都ではまた別のエネルギーが入ってきますから 容易にかけなくなっていました。とくに 仙台から喜楽さまが7日にニーナカロライ入りされてからは大きなエネルギーを持つ人たちが 喜楽さまのワークを受けにこられていてニーナはこれまでなにがしかの力で封印されていた方たちが解放される場となっていて そういう意味では東北から帰るやいなや大活躍しているニーナカロライです。今夜のお客さまは 安保さまといって 平安京をつくった桓武天皇の孫である阿保親王ゆかりの方です。どうやら今夜深夜に京都市内上空で轟きを響かせていた雷は 安保さまと関係がありそうですね。先日 京都で響き渡っていた雷は京都から北海道に飛んで 東北からもどったばかりのありが父さんさまと合流して札幌で御神業していた 虹夢様たちと関係があるようです。(ありが父さんさま東北ブログ)え? そんなことあるの? という話ですが 今日はあえて こんなお話も載せてみることにします。天候を自分とは関係がないこととして捉えないで 何か関連があったり 天が教えてくれていたりするものだという認識を一人でも多くの方に感じて欲しいからという気持ちがあります。さて 深夜ワークを終えて 船岡温泉から帰ってくると 話は坂上田村麻呂と安保親王のことになりました。私たちが京都山科に坂上田村麻呂の墓を訪ねていた頃 安保さまは 奈良の平城京の都に行って資料館の係りのかたからお話を聞いておられました。私たちが坂上田村麻呂の墓に行った時 隣に立ててあった碑には 坂上田村麻呂は薬子の変の時に功績があった(都を守った)ということが一番に書いてあったのです。この薬子の変で 葬られたのが桓武天皇の子供の平城天皇とその子供の安保親王、そしてその子供達は在原という名前に姓を変えて 臣下におりて難を免れていきます。在原業平さまがそうですね。安保さまが 平城京の資料館の方から聞かれた話によると 平城天皇は京都に移した都(平安京)を ふたたび奈良(平城京)に戻そうとしたようです。それを阻止するために 活躍したのが 坂上田村麻呂さまということで 田村麻呂は嵯峨天皇に命じられて忠義を果たします。薬子の乱という名前がついているのは 平城天皇の宮女であった藤原薬子さまとその兄(藤原仲成さま)が平城天皇の寵愛を受け 政治に介入しようとして 結果として 嵯峨天皇の平安京と天皇を退いて上皇になっていた平城上皇の平城京の2つの朝廷が対立したことに由来します。この乱は 薬子さまは自害、兄の藤原仲成さまを殺害され 安保親王たち一族は追われていくことで収まりました。平安京とすれば 時代をさかのぼって起こった弓削道鏡事件に告ぐ一大事件であったわけですね。ところで この時に平安京を救ったと言われてその後は桓武天皇から重く用いられるようになったのが和気清麻呂さまですが この事件の時に 弓削道鏡の姦計を告げて、その排斥に功績があり、正四位下に進み、陸奥鎮守将軍となったのが坂上苅田麻呂(さかのうえのかりたまろ)、坂上田村麻呂さまのお父様です。つまり 坂上家は 親子2代にわたって平安京の都を救った名門の家柄になります。この坂上家ですが ウキィペディアによれば坂上氏は中国の後漢の霊帝の流れを汲むという東漢氏に繋がる家系で代々弓馬の道をよくする武門の一族として、数朝にわたり宮廷を守護した。東漢なんだ、、、、。大化の改新の時から東漢氏は 畿内の豪族を警護する役割をしてきました。彼らも大陸から追われて日本に入ってきている一族ですが いろいろな苦労の末この坂上苅田麻呂、田村麻呂の代になって 一途に働いた功績が認められたように感じます。一方で 秦氏とのつながりも感じます。京都では 灌漑土木工事など秦氏からの恩恵にあずかって感謝する部分がある一方で神社仏閣が別物に摩り替えられたしまったという負の遺産ものこっています。坂上家は代々武人で 武力によって主人に忠義を尽くした、しかし そこに関係していた人たちが なんらかの策謀を東北に加えたしまった可能性があると感じました。私は 今回の東北のツアーで 青森県の岩木山神社を参拝しました。この神社には他の神様と一緒に坂上苅田麻呂さまもお奉りされています。この神社では 坂上家の人々の忠義にまず感謝し よくぞ遠くの地で 平安京のためにがんばってきてくれましたね。とその労をねぎらい癒しました。そして 次に東北の蝦夷の首長であったアテルイ、モレに対する封印のエネルギーを解いてもらうようにお願いし 今 ここで和平し、ともに宇宙の愛の光のなかで祝福しあうように呼びかけたのでした。時代がその歯車を回していくなかでは 力の学びをしながら 敵同士になって戦うこともありました。今日 こうやって一緒に歴史を調べている私と安保さまの家系をたどると片方が勝者、片方が敗者になります。立場を違えて 戦った相手を許し、 和解し、そして感謝し、祝福しあえるようになると私たちだけではなく 私たちと繋がる霊たちも救われていくように感じます。とても嬉しいです。
2008年08月08日

十和田湖を一望に見渡せるという御鼻部展望台(おはなべてんぼうだい)は南の十和田湖ばかりでなく 北にそびえる八甲田山も見ることができるといいます。けれども私たちが到着した時は 前が見えない暴風雨の中で 展望台に立っているのも辛い感じでした。とにかくここまで来たのですから 雨や風に吹きさらされてもとにかく展望台に登るだけは登ってグレーの雲の向こうに見える十和田湖に心を向けていきました。いつものようにライオンキングの『愛を感じて』という歌を歌い心を自然に合わせて祈るとあれまあ、なんとした事でしょう。 暴風雨の中で十和田湖がその姿を見せてくれたのです。それはそれは幻想的な景色でした。(これらの写真は喜楽天道さま撮影)どんなときでも 心が通じると自然はこちらの心に答えてくれるものだと感動しました。私たちは展望台を後にして 先日の地震で被害があった奥入瀬渓流へと車を走らせました。奥入瀬渓流の被害場所は地元の方の願いもあって直に復興したようですがそれでも観光客は減ったと聞いていました。それに このひどい風の雨のなかでは ほとんど誰もいなくて ただただ川がごうごうと流れていました。写真でみる奥入瀬渓流はそれはそれは美しい所で 私が行きたいと願っていた場所でもありました。でも この時は私たちはすでに 重たい地場を経験させられている中でクルーの誰一人として 渓流に下りて下の美しい川を近くで見たいと言い出す人はありませんでした。私の方もとにかく苦しくて苦しくて この土地を癒し、祝福することに心を向けて一心不乱に祈りました。瀬織津姫のエネルギーは このあたり一体を浄化の渦に巻き込んでいました。私たちがこういった御神業のツアーを組むときは 私たちなりに事前にいろいろと感じ、調べ準備していきますが このように現地にいってみないと何が起こるのか分からない事も多くあります。南部藩の元で何が起きたのかは 帰ってからさらに調べることになりますが地元の方で ご事情をよくご存知の方は お心をそちらに向けていただくと嬉しく思います。おそらく一揆のような農民と武士との争いや 武士同士の争い、天変地異などが起きていたのではないかと推測します。過去に生きていた人々に思いを向けるだけでも とても良いご供養になると私は思います。そこに生きている人々が 過去にその土地に懸命に生きて時代を回していってくださった人々に感謝することが大切かと思います。私たちは現地に行くまでは 北の八甲田山から奥入瀬に水が流れ それが十和田湖に注いでいるのだと思っていました。ところが実際に行ってみてびっくりしたのは 十和田湖から奥入瀬に水が勢い良く流れ出していた事でした。さらにもっとこの辺りのことを京都にもどったら調べてみようと思いました。
2008年08月06日

十和田神社近くから見た十和田湖は曇り空の中に日の光があちこちにさし始めている感じでした。私たちは 美しい湖に挨拶して 昼の食事を取る事になりました。喜楽さまと旅をする楽しみの一つに 彼にお願いすれば今自分にとって一番良い波動を出している料理や飲み物を選んでもらえることで いつもツアーのメンバーの楽しみの一つになっています。その日も何人かがお願いして 楽しく選んでもらっていましたが喜楽さまが頭を傾げています。「あれえ? おかしいなあ。自分が食べたいのは 別のものなのに 波動リーディングすると牛丼を食べなさいということなんだよ。 Kasumiさんもしふるさんも牛肉料理を食べなさいとハイヤーセルフは言ってるよ。」結局 喜楽さまとKasumiさまは ハイヤーセルフの言葉に従って牛肉を食べることにされました。食べながら 二人で顔を見合ってう~んとうなっています。どうやら 肉が硬い上に 料理の仕方も特別に硬くなるように料理されているようです。『一体何なんだろう? この牛は?』このことから出てきたキーワードは 南部牛でした。喜楽さまが 南部藩という言葉が聞こえるぞ と言っています。私たちはこの日十和田湖を時計周りに廻って 奥入瀬渓流を北上してまた戻ってきて 十和田湖の南のうたるべで宿をとることになっていました。車が十和田湖の周りを走り出すと 私たちはどんどん苦しくなってきました。『奥入瀬の辺りはとても苦しいなあ。 なんでだろう、 どうやら南部藩と関係があるようだぞ、、。』と喜楽さまがつぶやいています。私の方は 苦しいなか車の中でトランス状態になり さまざまな映像を見てくることになりました。その映像によれば この辺りには対立する武士のエネルギーがぎゅうぎゅうになってぶつかっていて それを円満に解決するために 問題が起きると切腹をすることで問題を処理する方法をとっているというものでした。連座責任という言葉が浮び 切腹をする責任を負う人が 順番に決っていてその人の任期内に何事もなく収まれば首が繋がるという感じです。人の死をもってしか解決できないくらいに すべてが閉塞し悲惨な状態をあらわしていました。南部藩にかかわる出来事が 山盛り重たいエネルギーをそのあたりに体積させていてそのエネルギーを一掃するために 瀬織津姫がそのエネルギーを動かし始めているのが分かりました。しばらくして 私たちの車は局地的な大雨に襲われました。十和田湖を一望に眺める事のできる御鼻部展望台に着いた頃は私たちの車はすっかり暴風雨の中にいました。 (つづく)-------------------(お便りをご紹介します。)先日、東北へ発たれる前にメールさせていただきました山形のIです。無事にお帰りになったこと大変うれしく思います。お疲れ様でございました。ゆっくりお休みくださいね。私事になりますが、、ひめのさん達の祈りと時同じくして、自分の中に押し込めていた感情を解放するメソッドの本に出会い、今実践しているところです。私の中にも間違いなく天の岩戸があったということでしょう。どんなにすばらしい方法論があっても、まずは自分の中に積み上がった余分なものをリセットしなければ、心の中にそれを広げる場所がありませんものね。こういったことに気づくことができたのも、ひめのさん達が東北までいらしてくださったからです。本当に、ありがとうございました。私は今回、ご一緒させていただくことはできませんでしたけれど、機会がありましたら、参加させていただきたいと思います。まずは、取り急ぎ、御礼まで。*山形のIさま ありがとうございました。
2008年08月06日

イエスの墓を後にした私たちは一路、十和田湖へ向かいました。喜楽天道さまのリーディングによると 東北のハートの働きをしているのがこの十和田湖だということで 東北地方の中では岩木山と並んで大切なポイントのようです。八戸からずっと車は水気を含んだ木々の中を走っていましたが こういう水分を含んだ木々が群生している地域は 私にとっては過ごしやすい地域です。水のあるところは 瀬織津姫のエネルギーとご縁のあるところです。十和田湖の湖畔に車を停め いよいよ十和田神社の境内にはいると 両側で天高くそびえる巨木たちが私たちを迎えてくれました。この神社のご祭神は日本武尊ということになっていますが 普段は別のエネルギーが お出迎えしてくれるようですね。龍神たちです。 本殿に続く階段を上ると祝詞が始まり そこには沢山の龍の絵が飾ってありました。ああ、やっぱり龍ちゃんが公式に認められている神社なんだなあと思いました。本殿からずっと左奥にいくと修険道の修行場や祠がありますがそちらは修行僧の重いエネルギーがあります。熊野権現と関わりがある場所ですね。このように修険道の場としてかつては使われ それがそのままに放置され そのエネルギーが残っている場所は 重い地場を作っていることが多いようです。この修険道については 4月に熊野に行った折に 貴重な経験をさせていただきました。過去ログに熊野シリーズを書いていますのでよろしければそちらもご覧ください。今回は そこまで見ることは出来ないので そちらはスルーさせていただきだれか他の方がその場の浄化をされるのを待つことにして 私は本殿付近でのみご挨拶させていただきました。大歓迎されていましたよ。この写真は北海道から参加してくださったありが父さんさまがお祈りされているのを取ったものですが 上から光が入り ありが父さんさまの背中に紫の光が差し込んでいます。この神社ではおみくじを皆で引いたのですが こちらの社務所の方が本当ににこやかな素敵なおじちゃまで 私たちがおみくじを見合いっこしているのをみて満面の笑顔でニコニコと嬉しく見守ってくださっていました。私はこの時からずっとどこへ行っても東北の人々の心の暖かさに触れ続けることになります。
2008年08月06日
今朝東京からドリーム号で深夜高速を走り 京都に戻ってきました。ニーナカロライで 溜まったメールに返信する作業の合間にこのブログを書いています。8月1日から始まった東北ツアーですが 私の場合は5泊6日(2泊は車中泊)の日程を終えて 無事に帰ってきました。青森、岩手、宮城を駆け足で廻る旅でしたが まずは 旅先でお世話になりましたサポートの皆さまに心よりお礼申し上げます。人々はとても親切で 東北の食事も大変美味しかったです。また 旅の前や道中で励ましのメールを下さった皆さまにも 暖かいご支援に対して心から感謝いたします。今回も北海道と同様実りの多い旅でした。それは参加者の皆さまが一番良く分かられたことと思います。先日「私たちの心の中にある天の岩戸」の事について書きましたが 参加者の多くが東北地方独特の天の岩戸を心の中に持っておられました。自分でツアーに参加しながらも 自分には何か大きな変容は起きないだろうと思っておられたかもしれませんが ツアーの各地で参加者にどんどん心の解放が始まりました。でも まだ 信じられないと疑心暗鬼なので 自然が いつもと違って私たちの心と連動する形でその美しい姿をあらわし 携帯電話で取る写真にも沢山の素晴らしい写真を残してくれました。少しづつこのブログにアップしていきたいと思います。まずは 大雨が降ったり 色々な事が起きたりしたツアーでしたが 無事に帰ってきましたのでご報告いたします。ありがとうございます。
2008年08月06日

八戸で北海道や宮城から来てくれた仲間と合流して 私達は十和田湖へと西へ駒を進めました。 途中の新郷村というところにイエスキリストの墓という場所があります。 え? そんなところに なんで? っという感じですが ガイドブックの説明ではイエスにはイスキリという弟がありその弟が身代わりとなって亡くなりイエス自身はひそかに日本に逃れてきたというものです。今回のツアーでは十和田湖に行く前にこの場所に立ち寄ることになりました。 この場所はすでに小さな観光地になっていて 駐車場から歩いて2、3分のところにお墓があります。お墓である十字架がたっている階段の下まできて 私はその手前にあるS家の墓の方に吸い寄せられていきました。この家の人々がおそらくはこのイエスの墓を守ってこられたのでしょう。 ちょうどお家の方がお墓の掃除にこられていてお話しを聞くことができました。 イエスの墓ですが、なんでもこの墓は偉い人の墓なんだと言われこの方たちは大切に守ってこられたようです。 一族の方は何代か前までは 額の上に十字の印を書いていたと言う話です。隠れキリシタンだったのでしょうか? 実際に私はその場所にイエスさまの骨が埋まっているとは感じませんでした。 ただ その真偽はどうあれその場所でキリスト意識に心を向け この地が癒され祝福されるように祈りました。 隣にある建物は てっきり教会かと思いましたが 資料館でした。 喜楽さまの話では、この時『千の風に乗って』の歌が流れ続けていたそうです。 いろいろな出来事の連続のこの旅のなかで 常に全ての者を愛し祝福していくキリスト意識に心を繋げながら乗り越えていく良いきっかけとなりました。
2008年08月04日
私たちの乗った東北新幹線は今 仙台駅を通り 一路青森県八戸に向かっています。 私と鬼ちゃんは昨夜京都からドリーム号に乗ってまずは東京まで駒を進めました。 途中愛知を通ったのですがやっぱり私にはこの土地のエネルギーは重くて苦しいです。 この苦しさは東北とは違います。 エネルギーが対立する苦しさです。 先日愛知の事を書こうとした時 東北のエネルギーに押されて続きを書く事ができませんでした。 けれども東北から帰ったら早急に愛知に向かい合いたいと思っています。 愛知に流れているテーマは『力』のようです。 愛知からの相談の多くが家族の中の対立に関するものです。 愛知県や岐阜県では封建的な考えの元 家の体面が非常に重んじられます。女性は男性に従うものとして、また子供たちは親に従うものとして支配の力のエネルギー下におかれ それが問題になっているケースが多くみられます。 見栄や世間体で生きる大人社会に真っ向から立ち向かうインディゴチルドレンが送り込まれて 頑張ってくれていますが この地方には 力を主に時代を推し進めてきた歴史があり 草薙剣を奉る熱田神宮、戦国時代の猛将たちの拠点、競合する自動車産業など 力を表すものもあちこちにみられます。 力を表す印である『八の字』もマークで見られますしニギハヤヒ命のエネルギーがバックグラウンドに流れているようも感じます。 『力』の学びをどうとらえるか? これは八幡のエネルギーを使った源氏をはじめとする武士団の学びでもあります。今日から始まる東北の旅の4日目の8月4日は平泉へ行きます。 源氏の義経さまゆかりの奥州藤原氏の拠点です。 彼らは平将門さまを滅ぼした藤原秀衡さまの子孫ですね。 恐らく 関ヶ原でもそうであったようにいろんなエネルギーが いりみだれているような予感です。 近頃は私たちの動きに心合わせて下さる方も出てきてくださっています。 というよりは 何か宇宙のエネルギーがそれぞれの方を導いていて それぞれが意識できるかどうかは別にして繋がりながら動いているようです。 もし 何か感じられるものがあればどうぞ心のままに動いて下さい。 難しく考えるのではなく今持っているものをさしだせばいいのだと思います。みんなで大きな大きな地球のピースを担っているのですね。 さあ 青森県八戸駅につきました。 (ご報告)このブログを携帯で書いてから圏外でアップできませんでしたが 今 一日の日程を終えて十和田湖の民宿に皆 元気に到着しました。 奥入瀬渓流では地震で崖崩した場所を見ました。 今日は 土地と人々の癒しを祈りつづけた一日でした。
2008年08月02日
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