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道路脇の街路樹に大きな実がついていた。
現地語でパロボラッチョ(palo Borracho)と呼ばれる木、日本語訳すると「酔っぱらいの木」で
並木になっていた。沖縄で「トックリキワタ」と呼ばれている木と同じ。実が徳利に似て来るの
で「酔っぱらいの木」と呼ぶと現地ガイド?が。

コロン劇場(Teatro Colon)を訪ねた。
パリのスカラ座、イタリアのミラノ座と並んで世界三大劇場とされる有名スポット。
世界でもっとも音響効果の良い劇場の一つといわれ、ヨーロッパがシーズンオフとなる
5~11月には世界的に有名なオーケストラや音楽家が訪れ、公演を行うとのことであった。
まさにブエノスアイレスの高い文化レベルの象徴的存在であるとのこと。
コロン劇場を7月9日大通り側から見る。
ラバレ広場(Plaza Lavalle (Lavalle Square)側の「コロン劇場」は工事中。

正面から。
再び左手に『ファン・ラバレ記念塔』、奥の建物は『州政府事務所』・

ラバージュ広場に建つ『ファン・ラバレ記念塔』を正面から。
塔の上の像は独立戦争の英雄「ファン・ラバレ」。
ラバレ広場から歩いて移動。
大聖堂『カテドラル・メトロポリターナ』の横に建つ『ブエノスアイレス市議会』。

正面壁面に『ESCVELA PRESIDENTE ROCA』
昔の大統領の名前の付いた「大統領ロカ學校」。
ビルの角の塔。
塔の最上部。
国家最高司法裁判所。
国家最高司法裁判所の建物の列柱をズームで。
そして大聖堂 (Catedral Metropolitana) 、16世紀末に原型となる聖堂が造られ、
幾度にも渡る立て直しの末、現在の建物が完成されたとのこと。この大聖堂には、
アルゼンチンを独立へと導いたサン・マルティン将軍の眠る霊廟が 安置されており、
多くの観光客がそれをひと目見るため訪れるのだという。大聖堂入り口に毅然と並ぶ
12本の円柱はイエス・キリストの12使徒を表現している とのことであった。
中に入ると、ひんやりと静寂な空気が身を包み、広い会堂が、天窓からの光の中、
おごそかに浮かび上がっていた。
5月広場に面する大聖堂『カテドラル・メトロポリターナ』
1753年に崩壊後、1823年に建て直された大聖堂。
アルゼンチン独立の英雄、サン・マルティン将軍が眠る棺が安置されている。
大聖堂は毎日開いており、入場料は無料で定期的に無料のコンサートが開かれている。

大聖堂内。

奥にフレスコ画。
こちらにも。
大理石像。
主祭壇は19世紀に造られた木彫りの作品。
上部にステンドグラス。
こちらにも。





ブエノスアイレス市議会の時計塔の時間は15:30。
5月広場からカテドラルを振り返る。
その奥にブエノスアイレス市議会の時計塔が。
ブエノスアイレスの中心地といえば、5月広場周辺。
16世紀に作られた町は、この広場を中心にして、徐々に栄えて行った。
カサ・ロサーダ(大統領府)の正面に位置することもあって、革命、大統領の演説、
大規模なデモなど、様々な歴史の舞台として重要な場所となった。
周辺には、カサ・ロサーダの他にも、カテドラル・メトロポリターナという大聖堂や
カビルドといわれるう市議会など、ブエノスアイレスの象徴ともいえる建造物が周りを
取り囲んでいるのであった。
アルゼンチン大統領府 (Casa de Gobierno) が正面に。
アルゼンチン大統領府 (Casa de Gobierno) 、別名「カサ・ロサーダ(Casa Rosada-バラ色の
家の意)」。建設時から現在まで歴代大統領の行政の場として役割を果たしてきた。
建物がバラ色に塗られた理由は、19世紀後半のサルミエント大統領が、国のまとまりの
象徴として、当時の2大政党のイメージカラー(それぞれ赤と白)を合わせたバラ色を
選んだことによるという。その後塗りかえられて現在の色はオリジナルではないとの
ことだが、青いブエノス アイレスの空に映えて立つバラ色の大統領府は独特の華やかさ
を湛えていた。

五月広場に立つアルゼンチン国旗考案者のマヌエル・ベルグラーノ将軍騎馬像と大統領府。
五月広場 (Plaza De Mayo)から「5月の塔」。
独立のきっかけとなった1810年の5月革命が起こった場所で、中央にはその翌年に立てられた
「5月の塔」が。
塔の座には「25 MAYO 1810」
塔の上の像は、アルゼンチン独立運動の指導者の「マヌエル・ベルグラーノ将軍」
で、アルゼンチンの国旗を作った将軍としても知られている。
五月広場 (Plaza De Mayo)には多くの鳩が。
2階建ての観光バス。
露天商では「甘い落花生」を販売中。
この後にバスで移動しボカBoca地区に向かった。
道の先にオベリスクの姿が見えた。
車窓から「Subte」・ブエノスアイレス地下鉄駅の入口が。
バスを降り自由時間になり、ボカ地区を散策開始。
ボカ地区案内図。
ボカ地区内には鮮やかな家と歩行者用の通りがある「カミニート」があり、カミニートは
アルゼンチン国外からの観光客に人気があるのだと。
カミニートではタンゴアーティストがパフォーマンスを行ない、タンゴに関連した記念品が
販売されていると。その他の観光スポットとしては、ラ・リベーラ劇場、多くのタンゴクラブ、
イタリアン・バルなどがあるのだと。
この木は?
カミニートとは港沿いの下町、ボカ地区にある小さな通りのことだが、
赤、青、黄、緑など、カラフルにペインティングされた家が並んでいたのであった。
ここは外国人で訪れない人はいない言うほど有名な観光スポットであると。
タンゴの発祥の地として紹介されている。
中でもタンゴの名曲となったカミニートという小道はキンケラ・マルティンという
アルゼンチン切っての名画家や有名な混血民族ガウチョ、小説の主人公ベガの銅像など
アルゼンチンの近代が詰まっている。単にカラフルな家並みを見るだけでも楽しいのだ。
最近は歩道も整備され、以前の下水臭い下町のイメージは少しずつ消えているとのことで
あった。狭い道路では、タンゴの街頭演奏や踊りを見ることができた。
通りには土産物を売る屋台が並び、広場ではタンゴダンサーたちが客寄せをかねて踊ったり
一緒に写真を撮ったりしているのも名物のひとつである。
しかしこの日は残念ながら出会わなかったのであった。

そしてまた、フェリアというのみの市が軒を連ねていた。この地はサッカーチームで
マラドーナが活躍したボカ・ジュニオールスの本拠地でもあり、そのユニホームが殆どの
店で売られていたのだ。
鮮やかな色で塗装されたカミニートの家が続く。



そして前方に見えたのが「ニコラス・アベジャネーダ運搬橋」
建設から50年近く、一度も稼働していない「 運搬橋
」👈リンク。

しかし今ではリアチュエロ川にかかる橋として、現在では観光名所の一つとして
活躍しているのだと。

VUELTA DE ROCHA(ブエルタ・デ・ロチャ)地区案内図。
ボカ地区の、リアチュエロ川がちょうど入り江のようになっている、
ブエルタ・デ・ロチャ(VUELTA DE ROCHA)のあたりは、昔はアルゼンチン随一の
港として栄えていた。その後、レティロ地区にダルセナ・ノルテ港が出来て、港としては
衰退しましたが、ボカの港町の雰囲気はいまだ残っている。
現代でも、小規模ながらも、また、港としての機能を果たしているそうだ。
馬に乗った騎士と群衆のレリーフ。
「ニコラス・アベジャネーダ運搬橋」を車窓から。
これぞ、鉄骨の塊。
そしてその隣には新しい赤いニコラス・アベジャネーダ運搬橋(Nicolas Avellaneda bridge)。
こちらは一般的な橋のようであったが。

振り返って。
ブエノスアイレスの市内観光を済ませ、エセイサ国際空港へバスで向かう途中、車窓から。
ブエノスアイレスともお別れ。
空港へ到着。
空港ロビー内をLAN航空カウンターに向かう。
20:10発のLA2428便にてリマまで5時間弱のフライト。
2時間の時差があるため、到着は22:55の予定。
搭乗後、1時間半で夕食の機内食。
ペルーのリマに向かって海岸線に沿って北上する。
そしてホテルに0:10着。今日もハードな移動であった。
そして添乗員から、『明日、いや今日の出発は4:30、よってモーニングコールは
3:15である』との一言が・・・・・・・。皆 お互いに目を見合わせ、励ましのアイコンタクト。
重いトランクを引きずりながら、言葉少なく部屋に入って行くのであった。
・・・ もどる
・・・
・・・ つづく
・・・